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HFpEF/HFmrEF診療の新たな潮流『2025年改訂版心不全診療ガイドライン』(日本循環器学会/日本心不全学会合同ガイドライン)は、左室駆出率の保たれた心不全(HFpEF)および軽度低下した心不全(HFmrEF)の診療における歴史的な転換点を示すものであった。長らく有効な治療法が乏しかったこの領域は、SGLT2阻害薬(エンパグリフロジン[商品名:ジャディアンス]またはダパグリフロジン[同:フォシーガ])や非ステロイド型ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬(nsMRA)、GLP-1受容体作動薬(セマグルチド[同:ウゴービ皮下注]、チルゼパチド[同:マンジャロ])*といった医薬品の新たなエビデンスに基づき、生命予後やQOLを改善しうる治療戦略が確立されつつある新時代へと突入した。本稿では、最新心不全診療ガイドラインの要点も含め、HFpEF/HFmrEF診療の新たな潮流を概説する。*セマグルチドは肥満症のLVEF≧45%の心不全患者へ、チルゼパチドは肥満症のLVEF≧50%の心不全患者に投与を考慮する定義と病態の再整理ガイドラインでは、Universal Definition and Classification of Heart Failure**に準拠し、左室駆出率(LVEF)に基づく分類が踏襲された。HFpEFはLVEFが50%以上、HFmrEFは41~49%と定義される。とくにHFpEFは、高齢化を背景に本邦の心不全患者の半数以上を占める主要な表現型となっており、高齢、高血圧、心房細動、糖尿病、肥満など多彩な併存症を背景とする全身性の症候群として捉えるべき病態である1)。HFpEFがこのように心臓に限局しない全身的症候群であることが、心臓の血行動態のみを標的とした過去の治療薬が有効性を示せなかった一因と考えられる。そして近年、SGLT2阻害薬やGLP-1受容体作動薬といった、代謝など全身へ多面的に作用する薬剤が成功を収めたことは、この病態の理解を裏付けるものである。**日米欧の心不全学会が合同で2021年に策定した心不全の世界共通の定義と分類一方、HFmrEFはLVEF40%以下の心不全(HFrEF)とHFpEFの中間的な特徴を持つが、過去のエビデンスからは原則HFrEFと同様の治療が推奨されている。ただ、HFmrEFはLVEFが変動する一過程(transitional state)をみている可能性もあり、LVEFの経時的変化を注意深く追跡すべき「動的な観察ゾーン」と捉える臨床的視点も重要となる。診断の要点:見逃しを防ぐための多角的アプローチ心不全診断プロセスは、症状や身体所見から心不全を疑い、まずナトリウム利尿ペプチド(BNP≧35pg/mLまたはNT-proBNP≧125pg/mL)を測定することから始まる。次に心エコー検査が中心的な役割を担う。LVEFの評価に加え、左室肥大や左房拡大といった構造的異常、そしてE/e'、左房容積係数(LAVI)、三尖弁逆流最大速度(TRV)といった左室充満圧上昇を示唆する指標の評価が重要となる。安静時の所見が不明瞭な労作時呼吸困難例に対しては、運動負荷心エコー図検査や運動負荷右心カテーテル検査(invasive CPET)による「隠れた異常」の顕在化が推奨される(図1)2)。(図1)HFpEF早期診断アルゴリズム画像を拡大するさらに、心アミロイドーシスや肥大型心筋症など、特異的な治療法が存在する原因疾患の鑑別を常に念頭に置くことが、今回のガイドラインでも強調されている(図2)。(図2)HFpEFが疑われる患者を診断する手順画像を拡大する治療戦略のパラダイムシフト本ガイドラインが提示する最大の変革は、HFpEFに対する薬物治療戦略である(図3)。(図3)HFpEF/HFmrEFの薬物治療アルゴリズム画像を拡大するHFrEFにおける「4つの柱(Four Pillars)」に比肩する新たな治療パラダイムとして、「SGLT2阻害薬を基盤とし、個々の表現型に応じた治療薬を追加する」という考え方が確立された。EMPEROR-Preserved試験およびDELIVER試験の結果に基づき、SGLT2阻害薬は糖尿病の有無にかかわらず、LVEF>40%のすべての症候性心不全患者に対し、心不全入院および心血管死のリスクを低減する目的でクラスI推奨となった3,4)。これは、HFpEF/HFmrEF治療における不動の地位を確立したことを意味する。これに加えて、今回のガイドライン改訂で注目すべきもう一つの点は、nsMRAであるフィネレノン(商品名:ケレンディア)がクラスIIaで推奨されたことである。この推奨の根拠となったFINEARTS-HF試験では、LVEFが40%以上の症候性心不全患者を対象に、フィネレノンがプラセボと比較して心血管死および心不全増悪イベント(心不全入院および緊急受診)の複合主要評価項目を有意に減少させることが示された5)。一方で、従来のステロイド性MRAであるスピロノラクトンについては、TOPCAT試験において主要評価項目(心血管死、心停止からの蘇生、心不全入院の複合)は達成されなかったものの、その中で最もイベント数が多かった心不全による入院を有意に減少させた6)。さらに、この試験では大きな地域差が指摘されており、ロシアとジョージアからの登録例を除いたアメリカ大陸のデータのみを用いた事後解析では、主要評価項目も有意に減少させていたことが示された7)。これらの結果を受け、現在、HFpEFに対するスピロノラクトンの有効性を再検証するための複数の無作為化比較試験(SPIRRIT-HFpEF試験など)が進行中であり、その結果が待たれる。その上で、個々の患者の表現型(フェノタイプ)に応じた治療薬の追加が推奨される。うっ血を伴う症例に対しては、適切な利尿薬、利水薬(漢方薬)の投与を行う(図3)8)。また、STEP-HFpEF試験、SUMMIT試験の結果に基づき、肥満(BMI≧30kg/m2)を合併するHFpEF患者には、症状、身体機能、QOLの改善および体重減少を目的としてGLP-1受容体作動薬がクラスIIaで推奨された9,10)。これは、従来の生命予後中心の評価軸に加え、患者報告アウトカム(PRO)の改善が重要な治療目標として認識されたことを示す画期的な推奨である。さらに、PARAGON-HF試験のサブグループ解析から、LVEFが正常範囲の下限未満(LVEFが55~60%未満)のHFpEF患者やHFmrEF患者に対しては、アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬(ARNI、サクビトリルバルサルタンナトリウム[同:エンレスト])が心不全入院を減少させる可能性が示唆され11,12)、クラスIIbで考慮される。併存症管理と今後の展望HFpEFの全身性症候群という概念は、併存症管理の重要性を一層際立たせる。本ガイドラインでは、併存症の治療が心不全治療そのものであるという視点が明確に示された。SGLT2阻害薬(糖尿病、CKD)、GLP-1受容体作動薬(糖尿病、肥満)、フィネレノン(糖尿病、CKD)など、心不全と併存症に多面的に作用する薬剤を優先的に選択することが、現代のHFpEF/HFmrEF診療における合理的かつ効果的なアプローチである。今後の展望として、ガイドラインはLVEFという単一の指標を超え、遺伝子情報やバイオマーカーに基づく、より詳細なフェノタイピング・エンドタイピングによる個別化医療の方向性を示唆している13)。炎症優位型、線維化優位型、代謝異常優位型といった病態の根源に迫る治療法の開発が期待される。 1) Yaku H, et al. Circ J. 2018;82:2811-2819. 2) Yaku H, et al. JACC Cardiovasc Imaging. 2025 Jul 17. [Epub ahead of print] 3) Anker SD, et al. N Engl J Med. 2021;385:1451-1461. 4) Solomon SD, et al. N Engl J Med. 2022;387:1089-1098. 5) Solomon SD, et al. N Engl J Med. 2024;391:1475-1485. 6) Pitt B, et al. N Engl J Med. 2014;370:1383-1392. 7) Pfeffer MA, et al. Circulation. 2015;131:34-42. 8) Yaku H, et al. J Cardiol. 2022;80:306-312. 9) Kosiborod MN, et al. N Engl J Med. 2023;389:1069-1084. 10) Packer M, et al. N Engl J Med. 2025;392:427-437. 11) Solomon SD, et al. N Engl J Med. 2019;381:1609-1620. 12) Solomon SD, et al. Circulation. 2020;141:352-361. 13) Hamo CE, et al. Nat Rev Dis Primers. 2024;10:55.