福島県南相馬市・大町病院から(9) 南相馬に患者を戻して本当に大丈夫なのか

提供元:MRIC by 医療ガバナンス学会

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公開日:2012/08/31

 

南相馬市大町病院
佐藤 敏光

2012年8月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。

南相馬市大町病院の佐藤です。

入院患者数は72名となりました。8月から定床が80床から104床に増えました。24床が急に増えたのは療養型病床を開けるようになったからです。療養型は30:1の看護基準で良く、72時間以内の夜勤時間も当てはめなくても良いそうです(月8回:2交代制のため1回16時間×8=128時間以内の枠はあり)。これは看護師不足の南相馬の病院にとっては良いことのように見えますが、実際は看護師の過重労働を課しているようなものです。看護助手さんができることはお願いしていますが、急性期以上に手のかかる患者がいることは事実です。

実際、医療区分を上げる?ため、1日8回以上喀痰吸引を行い、PEGやバルーンカテが入っていても週1回入浴させ、福島県立医大の先生には、外来が終わった6時過ぎに『褥瘡回診』をしていただいています。そのような『企業努力』をしないと、慢性期を持つ民間病院は成り立っていかないのです。急性期に厚く、慢性期に冷たい診療報酬(入院基本料)が、慢性期病院の普及の妨げになり、双葉病院のような精神科病院に多くの慢性期患者が集まっていたのではなかったでしょうか。

小野田病院の菊地院長先生は原発事故が起こらないことを前提としないと復興は進まないとおっしゃっていました。少し空いた急性期に群馬県に預けた患者さん達を戻し、少しづつ慢性期に移していく方法は、私を含め病院経営者は誰でも考えることです。この問題で8月初めに開かれた医局会は大きく揉めました。一人の医師から”福島第一原発がまだ不安定な時期に患者を戻して、本当に大丈夫なのか、避難マニュアルもできていないのに万が一原発が危なくなったときに昨年のようなことが繰り返されるのではないか”と発言があり、帰還計画の見直しが必要となりました。

この医師は昨年の311時に、少なくなった看護師の代わりになって食事の世話、オムツの取り替え、体位変換などやってくれた医師でした。患者が全員避難完了後は、市内の避難所を廻り、食事の炊き出しなどを手伝っていたことを後から知りました。極限の苦労を体験したから言える重い言葉でした。

避難マニュアル作成は私の仕事でした。緊急時避難準備区域解除前に作成された南相馬市の避難マニュアル( http://expres.umin.jp/mric/hinanzissikeikaku.pdf  )は、自宅にいる市民を対象としており、施設に入っている介護老人や入院患者については施設任せ、病院任せになっています。
1年以内には完成をと知り合いの医師の病院の災害対策マニュアルを取り寄せましたが、職員の勤務について、原発事故の際には地震や火事の場合とは明らかに異なる対応をとらなければいけないことが分かり、つまづいてしまいました。

以前のjisin-iryou netにも投稿しましたが、本院には震度6以上や火事の発生時には電話連絡網を通じて職員に集まるような内規があります。311時には津波に遭った市民に対応するため、非番の職員までもかけつけてくれました。1号機が爆発した後にも、市立病院を訪れた広島大星教授の屋内退避していれば大丈夫との言葉を信じ、病院に来る患者に対応していました(透析は3月17日まで継続)。3月14日に3号機が爆発した後は東電の子会社に勤める夫などから南相馬も危ないとの情報が流れると、あっという間に職員がいなくなってしまいました。

屋内退避についても当時は外出について曖昧でした。車での通勤くらいは大丈夫ということでしたが、3月12日夜から15日午後までは南相馬の空間放射線濃度は福島県の中で(20km圏内を除いて)一番高かったのです。避難せずに通勤を続けた職員1人がWBCを受け、Ce137が検出された(2回目で検出されなくなりました)ことは前にもお伝えしましたが、新地から通う別な職員が今回初めてWBCを受け、Ce137が検出されたことを聞かされました。新地は空間放射線濃度は低いし、家庭菜園も作っていない、一緒に受けた夫や子供さんからは検出されなかったと。考えられるのは往復1時間あまりかかる通勤の間に車内に入った空気しかありません。

今度福島第一原発が危機的状況に陥ったら、爆発する前に若い職員を避難させなければいけない、患者もできるだけ早く(ヘリコプターを使い)避難させなければいけない(30km圏内飛行禁止はナンセンスだと思います)、動かせない患者がいたら、その家族に食事の介助やオムツの交換をお願いする、群馬県から患者さんを戻すときにはそのくらいのことは(家族に)話しておきたいと思います。

最近、吉田昌郎福島第一原発前所長がビデオレターで述べていることです。(六道輪廻サバイバル日記から)
--これから第1原発や福島県はどうあるべきか?
◆そういう次元の高い話になると今すぐに答えがないが、やっぱり発電所をどうきちっと安定化させるかがベースだ。
そこができていない中で、地元にお帰りいただくわけにはいかないので、そこが最大の(課題だ)。
これは事故当時も言っていたが、日本国中だけでなく世界の知恵を集めて、より発電所、第1原発をより安定化させることが一番求められている。
いろいろなだれの責任うんぬんということもきちっとやるべきだが、やはり発電所を少しでも安定させる。
それには人も必要だし、技術もいろいろな知恵が必要だ。
そこに傾注するということが重要なことだと思う。
そのうえで、地元の方々に(通常の)生活に戻っていただけるか考えることができる。
いずれにしても現場を落ち着かせる、安定化させることが一番重要な責務だ。
私はちょっとまだ十分な体力がないが、戻ったらそういう形で現場のために力を届けたい。
--引用ここまで

最少人員を残し、原発処理にあたった吉田前所長の福島県民に対する詫びの言葉と優しさが込められた話だと思います。