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NHKニュース「熱中症疑いで死亡 エアコン使用せずが3分の2以上」と報道こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。この連休は、お施餓鬼のため愛知県の実家に帰省しました。93歳で1人暮らしの父親は、世の中の多くの老人の例に漏れず、外気温は40度近くなのにエアコンの設定温度を大して下げず、家の中でじっとしていました。エアコンが効き過ぎると足が冷え、暑さよりそちらのほうが耐えられないのだそうです(閉塞性動脈硬化症かもしれません)。ちなみに、8月4日のNHKニュースは、「東京23区56人熱中症疑いで死亡 エアコン使用せずが3分の2以上」と報道していました。同ニュースによれば、「東京都監察医務院がことし6月16日から先月末にかけて東京23区で亡くなった原因を調べた人のうち、熱中症の疑いがあるのは、速報値で56人でした。年代別では70代が26人と最も多く、次いで80代が16人、(中略)場所別では、全体のおよそ96%にあたる54人が屋内で亡くなっていて、このうちエアコンがあったものの使っていなかったケースが38人で、全体の3分の2以上に上りました」とのことです。父親には「冷え性を取るか、熱中症で死ぬかの2択」と脅してから帰京したのですが、運転免許の返納に加え、エアコンの積極使用も高齢者の生活習慣変容における難題の1つだなと実感した次第です。さて前回は、7月9日に開催された中央社会保険医療協議会・総会でレカネマブの費用対効果に関する評価結果が提出され、薬価が引き下げられる見込みになったことについて書きました。市場規模が大きいか著しく単価が高い医薬品・医用機器などを対象に、費用対効果評価専門組織が分析し薬価等が調整される費用対効果評価制度が適用された結果で、専門組織である国立保健医療科学院の保健医療経済評価研究センター(C2H)が、現在の3分の1程度の薬価が妥当とする評価結果を公表、今後、中医協のさらなる議論を経て、薬価が下げられることになったのです。そして、中医協・総会は8月6日、レカネマブ(商品名:レケンビ点滴静注)の薬価を現在の200mg・4万5,777円から3万8,910円へ、500mg・11万4,443円から9万7,277円へと、それぞれ15%引き下げることを了承しました。新薬価の適用は11月1日となります。「日本承認後に待ち受ける2つの高いハードル」のうち1つは低くなるが……レカネマブの薬価引き下げは、日本の医療現場にどんな影響を及ぼすのでしょうか。単純に考えれば、年間約300万円と高額だった薬剤費が最大15%引き下げられれば、自己負担がネックだった患者の治療継続に向けてのハードルが下がるでしょう。また、薬剤費の高さから投与をためらっていた医療機関にも、より多くの患者に使用しようという機運が生まれることになります。しかし、そうは簡単に市場が拡大していくとは思えません。レカネマブについては米国正式承認直後の2023年7月、本連載の「第169回 深刻なドラッグ・ラグ問題が起こるかも?アルツハイマー病治療薬・レカネマブ、米国正式承認のインパクト」で、「日本承認後に待ち受ける2つの高いハードル」について次のように指摘しました。「一つは検査体制です。使用にはAβ病理所見の確認が必要で、そのためのPET検査または脳脊髄液検査を行わなければなりません。ARIAなどの副作用のチェックにも定期的なMRI検査が必要なため、処方できる医療機関は当面は相当限られそうです。もう一つは薬価です。米国で年間約370万円の薬価が付いたということは、日本の薬価も年間300万円前後になると予想されます。国内の認知症患者数は2025年には約730万人になると推定されており、アルツハイマー病の早期患者とMCI患者に限っても、レカネマブの対象になる患者は相当な数になると考えられます。根本治療薬ではなく、単に進行を遅らせるだけの薬剤に年間300万円も使う必要があるのか……。医療財政の面からも使用に関して何らかの制約が出てくる可能性もあります」。アルツハイマー病の患者全体の中でレカネマブを処方されているのは1%程度?少なくとも薬価については今回15%下げとなる見通しで、このハードルは少しは下がりますが、一つめの「検査体制」という高いハードルはそのままです。2023年9月に日本で正式承認されたレカネマブは、同年12月20日から保険適用で処方が開始されました。2025年現在、国内でレカネマブを投与できる医療機関は600ヵ所以上に拡大しています。しかし、2024年度末時点で処方されたのは約7,000人、2025年5月末時点で約9,000人と推計されています。エーザイの当初の販売予測によれば、日本国内でのピークは年間投与患者数3万2,000人程度とされており、これは想定される適応患者(アルツハイマー病による軽度認知障害~軽度認知症)の約2~3%にあたります。現状、1万人以下ということは、アルツハイマー病の患者全体の中でレカネマブを処方されているのは1%程度(もしくは以下)ということになります。これまで2つのハードルが存在していたにもかかわらず、「レカネマブを使わせろ!」という患者や家族からの強い要望が聞こえてこなかったのは、「進行を遅らせる」という効果が患者や家族にとって見えづらく、「すごく効く」という評判も広がりにくかったからかもしれません。そして、「使ってほしい」という患者や家族からの強い要望がなければ、医療機関側も煩雑で人手も時間もかかる検査をしてまでレカネマブを使おう、とはなりません。認知症の高齢者を雇用する愛知県岡崎市の沖縄そば店というわけで、「進行を遅らせる」というレカネマブをはじめとする抗アミロイドβ抗体薬は、これからも市場拡大に関して苦戦するかもしれません。そんなことを考えていたら、中央社会保険医療協議会・総会の翌週、7月15日放送のNHKの「クローズアップ現代」で、面白い話題を取り上げていました。「認知症新時代 広がる“自分らしく”働く場」と題されたこの回の「クローズアップ現代」は、認知症の高齢者を雇用する愛知県岡崎市の沖縄そば店、認知症の高齢者に介護サービスの一環で”働く場”を提供する千葉県船橋市のコーヒーチェーン店などが紹介されていました。政府は、認知症になっても希望を持って生きられる社会を実現するという「新しい認知症観」に立った取り組みを推進するための基本計画を2024年12月に閣議決定しています。その最新の取り組みが同番組では紹介されていました。とくに興味深かったのは、介護事業所を経営する介護福祉士が開いた沖縄そば店です。働いているのは3人の認知症の高齢女性で、ランチタイムの3時間、接客や配膳、洗い物などを担当し、時給は1,080円です。接客のマニュアルはなく、店は従業員が認知症であることを隠していませんでした。注文を忘れたり、箸やコップの数を間違えたりすることは多々ありますが、開店して6年余り、大きなトラブルは起きていないそうです。「『やりたいようにやってもらう』というのがいちばんのポイント」と店長この店の店長は、長年認知症の介護に携わってきた経験から、当事者がどうすれば生き生きと暮らせるのかを模索、「認知症になったら何もできなくなる」というイメージを払拭するためにこの店を開いたとのことです。認知症の人を雇う秘訣として、「先回りをして何か援助をしちゃうよりは、とりあえず自分のできることをやってもらって、『やりたいようにやってもらう』というのがいちばんのポイント」と店長が話していたのが印象的でした。認知症の人に安心できる適切な環境を提供し、やりがい、働きがいを感じてもらうことでBPSD(認知症における精神症状や行動上の問題)も軽減され、家族の負担も軽減される、とはよく知られたことですが、番組はまさにその実践の場のレポートとなっていました。番組ではその他に、認知症のある人にも暮らしやすい町を目指す福岡市のさまざまな取り組みも紹介されました。スタジオには認知症の当事者、認知症の人の社会参加に詳しい専門家(堀田 聰子・慶應義塾大学大学院教授)が呼ばれており、医師はいませんでした。認知症の予防には多因子介入プログラム番組で堀田氏は「認知症はそもそも機能が低下したらではなくて、暮らしにくさが出てきた状態なので、脳の機能が低下しても困らない町、社会環境を作っていけばいいわけなんです」と語っていました。認知症を病気とは捉えず、あくまでも老化、エイジングと考えて、そうした人たちが生活しやすいよう環境を整えていくほうが、1人の患者に何百万円もかかる薬を飲ませるだけよりも、よほど効果と意味があることではないでしょうか。また、認知症の予防にしても、MCI(軽度認知障害)の人に薬を飲ませるだけよりも、フィンランドのFINGER研究や日本のJ-MINT研究などで証明されている、生活習慣病の管理、運動指導、栄養指導、認知トレーニングなどを含む多因子介入プログラムを積極的に展開していくほうがより効果的かつ経済的で、認知症予備軍の人の生活の充実にもつながるでしょう。「アミロイドカスケード仮説」に基づいて認知症の薬剤は続々開発中アルツハイマー病に対する抗Aβ抗体薬の承認はその後も続き、2024年7月には米イーライリリー・アンド・カンパニーのドナネマブが米国で正式承認を取得、9月には日本でも正式承認されています。最近ではアルツハイマー病の発症には、Aβ蓄積に続いて起こるタウの異常リン酸化こそが神経細胞障害や神経変性の大きな要因とも考えられるようになっており、抗タウ抗体の薬剤開発も進められています。世界はまだ「アミロイドカスケード仮説」に基づいて認知症の薬剤を続々開発しているわけですが、「クローズアップ現代」が映し出した笑顔で接客するおばあさんたちを観て、「認知症を薬で治す」は本当に正しいのだろうか、と改めて考えてしまった次第です。