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自己免疫疾患最終判決判例時報 1166号116-131頁概要約10年来気管支喘息と診断されて不定期に大学病院などへ通院していた男子高校生の症例。しばらく喘息発作は落ち着いていたが、早朝から喘息発作が出現したため、知人から入手した吸入器を用いて気管支拡張薬を吸入した。ところがあまり改善がみられないため某大学病院小児科を受診。診察時チアノーゼ、肩呼吸がみられたため、酸素投与、サルブタモール(商品名:ベネトリン)の吸入を行った。さらにヒドロコルチゾン(同:ソル・コーテフ)の静注を行おうとした矢先に突然心停止・呼吸停止となり、ただちに救急蘇生を行ったが低酸素脳症となり、約10日後に脳死と判定された。詳細な経過患者情報約10年来気管支喘息と診断されて不定期に大学病院などへ通院していた男子高校生経過1978年(4歳)頃 気管支喘息を発症し、病院を転々として発作が起きるたびに投薬を受けていた。1988年(14歳)8月19日某大学病院小児科受診。8月20日~8月27日ステロイド剤からの離脱と発作軽減の目的で入院。診断は気管支喘息、アトピー性皮膚炎。IgE RAST検査にて、ハウスダスト(3+)、ダニ(3+)、カモガヤ(3+)、小麦(1+)、大豆(1+)であったため、食事指導(小麦・大豆除去食)、アミノフィリン(同:ネオフィリン)静注により発作はみられなくなり、ネオフィリン®、オキサトミド(同:セルテクト(抗アレルギー剤))経口投与にて発作はコントロールされた。なお、経過中に呼吸機能検査は一度も施行せず。また、簡易ピークフローメーターも使用しなかった。10月20日喘息発作のため2日間入院。11月20日喘息発作のため救急外来受診。吸入用クロモグリク(同:インタール)の処方を受ける(途中で中止)。12月14日テオフィリン(同テオドール)の処方開始(ただし患者側のコンプライアンスが悪く不規則な服用)。1989年4月22日喘息発作のため4日間入院。6月6日プロカテロール(同:メプチン)キッドエアーを処方。1990年3月9日メプチン®キッドエアーの使用法に問題があったので中止。4月高校に入学と同時に発作の回数が徐々に少なくなり、同病院への通院回数・投薬回数は減少。母親は別病院で入手した吸入器を用いて発作をコントロールしていた。1991年6月7日同病院を受診し小発作のみであることを申告。ベネトリン®、ネオフィリン®、インタール®点鼻用などを処方された。8月17日07:30「喘息っぽい」といって苦しそうであったため知人から入手していた吸入器を用いて気管支拡張薬を吸入。同時に病院からもらっていた薬がなくなったため、大学病院小児科を受診することにした。09:00小児科外来受付に独歩にて到着。09:10顔色が悪く肩呼吸をしていたため、順番を繰り上げて担当医師が診察。診察時、喘息発作にあえぎながらも意識清明、自発呼吸も十分であったが、肺野には著明なラ音が聴取された。軽度のチアノーゼが認められたため、酸素投与、ベネトリン®の吸入を開始。09:12遅れて到着した母親が「大丈夫でしょうか?」と尋ねたところ、担当医師は「大丈夫、大丈夫」と答えた。09:15突然顔面蒼白、発汗著明となり、呼吸停止・心停止。ただちにベッドに運び、アンビューバック、酸素投与、心臓マッサージなどの蘇生開始。09:20駆けつけた救急部の医師らによって気管内挿管。アドレナリン(同:ボスミン)静注。09:35心拍再開。10:15人工呼吸を続けながら救急部外来へ搬送し、胸部X線写真撮影。10:38左肺緊張性気胸が確認されたため胸腔穿刺を施行したところ、再び心停止。ただちにボスミン®などを投与。11:20ICUに収容したが、低酸素脳症となり意識は回復せず。8月27日心停止から10日後に脳死と判定。10月10日11:19死亡確認。当事者の主張患者側(原告)の主張1.大学病院小児科外来に3年間も通院していたのだから、その間に呼吸機能検査をしたり、簡易ピークフローメーターを使用していれば、気管支喘息の潜在的重症度を知り、呼吸機能を良好に維持して今回のような重症発作は予防できたはずである2.発作当日も自分で歩いて受診し、医師の目前で容態急変して心停止・呼吸停止となったのだから、けっして手遅れの状態で受診したのではない。呼吸停止や心停止を起こしても適切な救急処置が迅速に実施されれば救命できたはずである病院側(被告)の主張1.日常の療養指導が十分であったからこそ、今回事故前の1年半に喘息発作で来院したのは1度だけであった。このようにほとんど喘息発作のない患者に呼吸機能検査をしたり、簡易型ピークフローメーターを使用する必要性は必ずしもなく、また、困難でもある2.小児科外来での治療中に急激に症状が増悪し、来院後わずか5分で心停止を起こしたのは、到底予測不可能な事態の展開である。呼吸停止、心停止に対する救急処置としては時間的にも内容的にも適切であり、また、心拍動が再開するまでに長時間を要したのは心衰弱が原因として考えられる裁判所の判断1.当時喘息発作は軽快状態にあり、ほとんど来院しなくなっていた不定期受診患者に対し呼吸機能検査の必要性を改めて説明したうえで、発作のない良好な時期に受診するよう指導するのは実際上困難である。簡易型ピークフローメーターにしても、不定期に受診したり薬剤コンプライアンスの悪い患者に自己管理を期待し得たかはかなり疑問であるので、慢性期治療・療養指導に過失はない2.小児科外来のカルテ、看護記録をみると、容態急変後の各処置の順序、時刻なども不明かつ雑然とした点が多く、混乱がみられる点は適切とはいえない。しかし、急な心停止・呼吸停止など救急の現場では、まったく無為無能の呆然たる状態で空費されているものではないので、必ずしも血管ルート確保や気道確保の遅延があったとはいえない患者側7,080万円の請求を棄却(病院側無責)考察このケースは結果的には「病院側にはまったく責任がない」という判決となりましたが、いろいろと考えさせられるケースだと思います。そもそも、喘息発作を起こしながらも歩いて診察室まできた高校生が、医師や看護師の目の前で容態急変して救命することができなかったのですから、患者側としては「なぜなんだ」と考えるのは十分に理解できますし、同じ医師として「どうして救えなかったのか、もしやむを得ないケースであったとしても、当時を振り返ってみてどのような対処をしていれば命を助けることができたのか?」と考えざるを得ません。そもそも、外来受診時に喘息重積発作まで至らなかった患者さんが、なぜこのように急激な容態急変となったのでしょうか。その医学的な説明としては、paradoxical bronchoconstrictionという病態を想定すればとりあえずは納得できると思います。これは気管支拡張薬の吸入によって通常は軽減するはずの喘息発作が、かえって死亡または瀕死の状態を招くことがあるという概念です。実際に喘息死に至ったケースを調べた統計では、むしろ重症の喘息とは限らず軽・中等症として経過していた症例に突然発症した大発作を契機として死亡したものが多く、死亡場所についても救急外来を含む病院における死亡例は全体の62.9%にも達しています(喘息死委員会レポート1995 日本小児アレルギー学会)。したがって、初診からわずか5分程度で容態が急変し、結果的に救命できなかったケースに対し「しょうがなかった」という判断に至ったのは、(同じケースを担当した場合に救命できたかどうかはかなり心配であるので)ある意味ではほっと胸をなで下ろすことができると思います。しかし、この症例を振り返ってみて次に述べるような問題点を指摘できると思います。1. 発作が起きた時にだけ来院する喘息患者への指導方針気管支喘息で通院している患者さんのなかには、決まったドクターを主治医とすることなく発作が起きた時だけ(言葉を換えると困った時にだけ)救急外来を受診するケースがあると思います。とくに夜間・深夜に来院し、吸入や点滴でとりあえずよくなってしまう患者さんに対しては、その場限りの対応に終始して昼間の外来受診がなおざりになることがあると思います。本来であればきちんとした治療方針に基づいて、適宜呼吸機能検査(本ケースでは経過中一度も行われず)をしたり、定期的な投薬や生活指導をしつつ発作のコントロールを徹底するべきであると思います。本件では、勝手に吸入器を入手して主治医の知らないところで気管支拡張薬を使用したり、処方した薬をきちんと飲まないで薬剤コンプライアンスがきわめて悪かったなど、割といい加減な受療態度で通院していた患者さんであったことが、医療側無責に至る判断に相当な影響を与えたと思います。しかし、もしきちんと外来受診を行って医師の指導をしっかり守っていた患者さんであったのならば、まったく別の判決に至った可能性も十分に考えられます(往々にして裁判官が患者に同情すると医師側はきわめて不利な状況になります)。したがって、都合が悪くなった時にだけ外来受診するような患者さんに対しては、「きちんと昼間の通常外来を受診し、病態評価目的の検査をするべきである」ことを明言し、かつそのことをカルテに記載するべきであると思います。そうすれば、病院側はきちんと患者の管理を行っていたとみなされて、たとえ結果が悪くとも責任を追及されるリスクは軽減されると思います。2. 喘息患者を診察する時には、常に容態急変を念頭におくべきである本件のように医師の目前で容態急変し、為すすべもなく死の転帰をとるような患者さんが存在することは、大変残念なことだと思います。判決文によれば心肺停止から蘇生に成功するまで、病院側の主張では20~25分程度、患者側主張(カルテの記載をもとに判断)では30~35分と大きな隔たりがありました。このどちらが正しいのか真相はわかりませんが(カルテには患者側主張に沿う記載があるものの、担当医は否定し裁判官も担当医を支持)、少なくとも10分以上は脳血流が停止していたか、もしくは不十分であった可能性が高いと思います。したがってもう少し早く蘇生に成功して心拍が再開していれば、低酸素脳症やその後の脳死状態を回避できた可能性は十分に考えられると思います。病院側が「その間懸命な蘇生努力を行ったが、不可抗力であった。時間を要したのは心衰弱が重篤だったからだ」と主張する気持ちは十分に理解できますが、本件では容態急変時に外来担当医がそばにいて(患者側主張では放置されたとなっていますが)速やかな気管内挿管が行われただけに、やりようによってはもう少し早期の心拍再開は可能であったのではないでしょうか。本件を突き詰めると、心臓停止の間も十分な換気と心臓マッサージによって何とか脳血流が保たれていれば、最悪の結果を免れることができたのではないかと思います。また、判決文のなかには触れられていませんが、本件で2回目の心停止を起こしたのは緊張性気胸に対する穿刺を行った直後でした。そもそも、なぜこのような緊張性気胸が発生したのかという点はとくに問題視されていません。もしかすると来院直後から気胸を起こしていたのかも知れませんし、その後の蘇生処置に伴う医原性の気胸(心臓マッサージによる損傷か、もしくはカテラン針によるボスミン®心腔内投与の際に誤って肺を穿刺したというような可能性)が考えられると思います。当時の担当医師らは、目の前で容態急変した患者さんに対して懸命の蘇生を行っていたこともあって、心拍再開から緊張性気胸に気付くまで約60分も要しています。後方視的にみれば、この緊張性気胸の状態にあった60分間をもう少し短縮することができれば、2回目の心停止は回避できたかもしれませんし、脳死に至るほどの低酸素状態にも陥らなかった可能性があると思います。病院側は最初の心停止から心拍再開まで20~25分要した原因もいったん再開した心拍動が再度停止した原因も「心衰弱の程度が重篤であったからだ」としていますが、それまでたまに喘息発作がみられたもののまったく普通に生活していた高校生にそのような「重篤な心衰弱」が潜在していたとは到底思えませんので、やはり緊張性気胸の影響は相当あったように思われます。3. 医師の発言裁判では病院側と患者側で「言った言わない」というレベルのやりとりが随所にみられました。たとえば、母親(顔色がいつもとまったく違うのに気付いたので担当医師に)「大丈夫でしょうか」医師「大丈夫、大丈夫」(そのわずか3分後に心停止となっている)母親(吸入でも改善しないため)「先生、もう吸入ではだめじゃないですか、点滴をしないと」医師「点滴をしようにも、血管が細くなっているので入りません」母親「先生、この子死んでしまいます。何とかしてください」(その直後に心停止)このような会話はどこまでが本当かはわかりませんが、これに近い内容のやりとりがあったことは否めないと思います。担当医は、患者およびその家族を安心させるために「大丈夫、大丈夫」と答えたといいますが、そのわずか数分後に心停止となっていますので、結果的には不適切な発言といわれても仕方がないと思います。医事紛争に至る過程には、このような医師の発言が相当影響しているケースが多々見受けられますので、普段の言葉使いには十分注意しなければならないと痛感させられるケースだと思います。自己免疫疾患