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2019年の末に発生した新型コロナの原型である武漢原株は、2020年2月末ごろからD614G株(S蛋白614位のアミノ酸がアスパラギン酸(D)からグリシン(G)に置換、その他、4個の遺伝子変異を伴う)に置換された。D614G変異は生体へのウイルス侵入量を増加させ武漢原株より高い感染性を示す(山口. 医事新報 No.5026:26-31, 2020)。2020年9月ごろまではD614G変異株が世界の中心的ウイルスであったが、9月以降、英国、南アフリカ、ブラジルを中心にD614G株からさらなる変異を遂げたN501Y株(S蛋白501位のアミノ酸がアスパラギン(N)からチロシン(Y)に置換)が蔓延するようになった。以上のような背景を鑑み、本論評ではD614G株を“従来株”と定義する。英国、南アフリカ、ブラジルで播種しているN501Y変異株は同じウイルスではなく互いに独立したものであるが3種の変異株の共通項がN501Y変異である(山口. 医事新報 No.5053:32-38, 2021)。PANGO lineageに則った名称として、英国株はB.1.1.7、南アフリカ株はB.1.351、ブラジル株はP.1と命名された。別名として、英国株はVOC 202012/01、20I/501Y.V1、南アフリカ株はVOC 202012/02、20H/501Y.V2、ブラジル株はVOC 202101/02、20J/501Y.V3とも呼称される。2021年4月13日現在、世界206ヵ国/地域の中で英国株は132ヵ国/地域(64%)、南アフリカ株は82ヵ国/地域(40%)、ブラジル株は52ヵ国/地域(25%)で検出され、N501Y株がD614G株を凌駕し世界に流布するコロナウイルスの中心的存在になりつつある(WHO 2021年4月13日)。これら代表的なN501Y変異株に加え、フィリピンではN501Y変異を有するが英国株、南アフリカ株、ブラジル株とは異なる変異株が同定されている(B.1.1.28.3/P.3)。以上のN501Y関連変異株以外にN501Y変異を有さない5種類の変異株が米国(B.1.427/B.1.429、B.1.526)、英国(B.1.525)、フランス(B.1.616)、ブラジル(B.1.1.28.2/P.2)、ナイジェリア(B.1.525)において同定されている。以上の変異株にあって英国株の流布範囲が最も広く、アフリカ、中南米の一部を除き多数の感染者が確認されている。アフリカ、中南米の一部で英国株が検出されていないのは、検査不十分である可能性が高く、実際は、これらの地域にも英国株は侵入しているものと考えなければならない。すなわち、今後の世界的ウイルス播種として、この数ヵ月の間に従来株が英国株を中心とするN501Y株に置換されていくものと推察される。 本邦においてもN501Y株の播種は始まっており、2020年12月25日に英国株が英国からの帰国者において、2020年12月28日に南アフリカ株が南アフリカからの帰国者において、2021年1月6日にはブラジルからの渡航者からブラジル株が検出された。2021年4月6日現在、1,038例のN501Y株の感染者(検疫:152例、国内発症:886人)が確認されている(厚生労働省2021年4月6日)。国内事例は、47都道府県の81%に当たる38都道府県で発生しているが、英国株が92%、南アフリカ株が1.7%、ブラジル株が6.3%を占めている。1週後の4月13日には、変異株の検出は42都道府県(89%)まで増加している(厚生労働省2021年4月13日)。N501Y株感染者の多くは、大阪府、兵庫県を中心とする関西圏で検出されており、北海道、関東圏がこれに続く。変異株陽性率(変異株陽性/変異株総検査数)は、3月初旬で6.6%であったものが3月下旬では20.1%に上昇しており、この傾向が持続するならば、この数ヵ月の間に英国株を中心とするN501Y株が従来株を凌駕し本邦で播種するウイルスの主流を占めるようになるものと予測される。英国では、9月末の発症から3ヵ月間でウイルスの75%が英国株に置換(Challen R, et al. BMJ. 2021;372:n579.)、カナダのトロント地域でも12月中旬より3ヵ月の間にウイルスの75%が英国株に置換された(Brown KA, et al. JAMA. 2021 Apr 8. [Epub ahead of print])。 以上のような播種ウイルスの質的変化を考えるならば、今後のコロナ感染症は従来株で明らかにされた内容から英国株を中心に考え直す必要がある。まず遺伝子配列の変化を考えていく。英国株は従来株から発生した変異株でD614G変異を含めウイルス全体で18個の非同義変異(アミノ酸配列の変化あり)と6個の同義変異(アミノ酸配列の変化なし)を発現している(Public Health England)。S蛋白にはD614G変異を除いて8個の非同義変異を有し、N501Y変異はS蛋白とACE2の親和性を高め感染性を増強する。同様に、P681H(S蛋白681位のアミノ酸がプロリン(P)からヒスチジン(H)に置換)は生体のserine proteaseによるS蛋白の切断力を高めN501Y変異と同様に感染性を増強する。69~70位のアミノ酸欠損(Δ69~70、69位、70位におけるヒスチジン(H)とバリン(V)の欠損)とY144変異(144位におけるチロシン(Y)の欠損)はS蛋白に対する抗体(自然感染、ワクチン接種により形成された抗体)の結合を阻害し“免疫回避反応”を惹起する(英国株の免疫回避反応は南アフリカ株に比べ弱い)。興味深い事実として、Δ69~70はS蛋白を標的としたPCR反応を阻害する(SGTF:S-gene test failure)。そこで、nucleocapsid(N)、open reading frame-1ab(ORF1ab)を標的としたPCRが陽性であるにもかかわらずSGTFを示す場合には、遺伝子解析を施行せずとも英国株感染と診断できる(診断精度:99.5%)。 上記の遺伝子変異を背景として英国株の臨床的特徴を従来株と比較しながら考察する:(1)英国株の播種性は従来株より43~90%高く(Davies NG, et al. Science. 2021;372:eabg3055.)、実効再生産数(R)は1.5~2.0倍に達する(Volz E, et al. Nature. 2021 Mar 25. [Epub ahead of print])。(2)本論評で採り上げたChallen氏らの論文(Challen R, et al. BMJ. 2021;372:n579.)では、英国株は従来株に比べ重症度が高く、死亡率を1.64倍上昇させると報告されたが、英国株が重症度、死亡率を変化させないという逆の報告もあり(Frampton D, et al. Lancet Infect Dis. 2021 Apr 12. [Epub ahead of print])、この問題に関してはさらなる検討が必要である。(3)英国株感染者の男女比、年齢分布は従来株とほぼ同様である(Public Health England)。(4)再感染率に関しても従来株と明確な差を認めない(従来株:0.2~0.65%、英国株:0.7%)(Boyton RJ, et al. Lancet. 2021;397:1161-1163.、Graham MS, et al. Lancet Public Health. 2021 Apr 12. [Epub ahead of print])。(5)mRNAワクチン(Pfizer社BNT162b2、Moderna社mRNA-1273)は、英国株に対する液性中和反応を維持した(Liu Y, et al. N Engl J Med. 2021 Feb 17. [Epub ahead of print]、Wu K, et al. N Engl J Med. 2021 Feb 17. [Epub ahead of print])。この基礎的結果を支持する知見として、データ集積時に英国株が80%を占めたイスラエルでの解析においてBNT162b2の発症予防効果は94%であり、従来株に対する発症予防効果(95%)と同一であることが示された(Dagan N, et al. N Engl J Med. 2021;384:1412-1423.)。(6)一方、AstraZeneca社のadenovirus-vectoredワクチン(ChAdOx1)の英国株に対する液性中和反応は従来株に比べ約9倍低かった。それにもかかわらず、ChAdOx1の英国株感染に対する実際の発症予防効果は70.4%であり、従来株に対する予防効果(81.5%)より低いものの有効な範囲に維持されていた(Emary KRW, et al. Lancet. 2021;397:1351-1362.)。ChAdOx1に関する液性中和反応と臨床的予防効果の解離は、T細胞性免疫の維持によって説明できる。ワクチン接種によって記憶T細胞を介する細胞性免疫が賦活されるが、このT細胞性免疫機能は限局した変異に規定されるものではない(山口. 医事新報 No.5053:32-38, 2021)。それ故、たとえ、遺伝子変異によって液性中和反応が低下したとしてもT細胞性免疫機能の賦活によって英国株に対する発症予防効果が維持されたものと考察される。 本邦においても小数例(n=874、92%までが英国株)であるが英国株を中心とするN501Y変異株感染に関する臨床的特徴が発表された(国立感染症研究所2021年4月5日)。内容は海外で報告されたものとほぼ一致し、実効再生産数は従来株の1.32倍であった。海外の報告と異なった点は、15~29歳の若年層におけるN501Y株感染率が従来株の場合に比べ少し高値であったことである。再感染率、入院率、死亡率などは検討されていない。英国株感染に起因する臨床像には人種差が存在する可能性があり、本邦を含め世界各国においてさらなる解析を期待するものである。