専門医として積み重ねた経験を土台に、“総合診療”の力で、キャリアの選択肢を広げる。学び直し・新たなやりがいを見つけた医師たちの歩みに迫ります。

中塚 尚子 ( なかつか なおこ ) 氏むかわ町国民保険穂別診療所 副所長
50代半ばで精神科から一転・総合診療でへき地へ
精神科医として、大学教授として、文筆家として幅広く活動してきた中塚尚子氏。ペンネーム「香山リカ」の名でご存じの方も多いでしょう。いま中塚氏は、北海道勇払郡むかわ町穂別診療所で総合診療の現場に立っています。そこは医師2名、19床のへき地診療所。なぜ大胆なキャリアチェンジを選んだのか。総合医育成プログラムでどのように学び、現場で何を感じているのか。背景とリアルを伺います。
「このままでいいのか?」―50代・趣味の延長から学び直しへ
――執筆や大学での講義など多方面でご活躍の中で、へき地での総合診療に転向したきっかけを教えてください。
精神科の外来で患者さんと話していると、50代半ばに差し掛かるころに「このままでいいのか」と人生を振り返る方が少なくありません。私は立教大学での教育と週2回の精神科外来を長く続けていました。どちらもやりがいがあって楽しかった。それが50代中ごろになって、患者さんたちと同じように「このまま同じ道を歩き続けていいのか」と思ったんです。自分にもこの問いがやってくるのかと本当に驚きでした。
そんなとき、北海道の空港で偶然再会したのが、東京医大の同級生です。公衆衛生の分野で活躍していた彼が、いまは北海道オホーツク海沿岸のへき地で診療していると聞いて、「そんな転身ができるのか!」という驚きが心に残りました。
――この出来事はいつ頃の話ですか。
2016年頃です。このときはまだ、大学教員定年後の選択肢の一つくらいの考えでした。ただ、私が卒業した時代は今のような初期臨床研修はなく、大学教員になってからの臨床は外来だけ。精神科以外のことはほとんど知らず、全身管理や入院医療からは20年以上離れていたのが実情です。
将来へき地で働きたいと思っても、準備なしで無理なのは明らかでしょう。だから、少しでも準備をと思いながらも、趣味や現実逃避に近い気持ちでプライマリ・ケアの本を手に取り始めました。
どこでどう学ぶ? ―断られ続けた先に
――そこからどのように具体的な学び直しに動き始めたのですか。
ちょうど翌年、立教大学で1年間のサバティカル(研究休暇)にあたりました。臨床や介護の事情で海外留学は難しかったこともあって、総合診療の求人がある病院に片端から連絡してみました。総合診療の現場を体験してみたくて。結果は…散々です。理由は年齢や勤務日数などさまざまでしたが、すべて断られたときは落ち込みました。現実は厳しいと諦めかけたときに見つけたのが、母校・東京医大病院総合診療科の募集です。「他科出身でこれからプライマリ・ケアを学びたい医師も歓迎」とあり、連絡すると「週1〜2回でも自分のペースでどうぞ」と本当に快く受け入れてくださいました。外来で患者さんを受け持ってほかの先生に相談しながら診療する形で、ひやひやしながらも現場に立たせてもらいました。診療してみると何が自分に足りないかが明らかになって、体系的に学びたいという気持ちが高まりました。そうして総合医育成プログラムを受講しはじめたのが2020年です。
――大学教員・精神科外来・総合診療の外来と三足のわらじでの参加だったのですね。
そうです。1年間の研究休暇が終わって、東京医大での外来は週に半日。土曜日は精神科外来、日曜日は大学の入試業務などが重なります。プログラムに出席できたのは限られた日程しかなく、受けたい科目と時間が合わず歯がゆい思いもしました。講師の先生方のご負担は相当だったと思いますが、土日中心の運営だったからこそ参加できたことに感謝しています。
「ここまではプライマリ・ケアで、ここからは専門医に」―線引きを知る安心感
――受講中に苦労したことはありますか。
正直、医学的な知識は知らないことが多すぎて、「こんなにたくさんのことを知らないと総合診療はできないのか」と何度も落ち込みました。事前に視聴する動画講義には確認テストがあるのですが、不正解のバツ印を画面で見るのは結構ショックでした。
当時は教員としてテストを出すほうで、自分がテストを受けるのは学生以来ですから!
とはいえ、大学と違って知識を整理するためテストなので、これで落第になるわけではないのは救いです。
――印象的だった講義はありますか。
耳鼻科の講義です。広島で開業されている講師の先生が「ここまではプライマリで診てください。ここからは専門医に紹介してください」と、総合診療で診る範囲と専門医へ紹介すべきときの線引きを明確に示してくださって、とてもほっとしたことを覚えています。
「すべてを知らなくてもいい」とその領域の専門家に言ってもらえることは、大きな安心につながり、総合診療へ踏み出す背中を強く押してくれました。
それから、ノンテクニカルスキルコースのひとつとして受けたMBTI(性格タイプ別コミュニケーション)1)も印象に残っています。単なる性格テストだろうと侮っていましたが、ユング心理学に基づく理論だと知って、若い頃読んだユングの著作をもう一度勉強し直したいと思いました。意外な発見で嬉しかったですね。
得意を活かし、苦手は支え合う ―グループで学ぶ楽しさ
――プログラムを受ける中で楽しかったことは。
ブレイクアウトルームでの交流が本当に楽しかったです。同期型学習当日は、世代も専門も違う医師たちが、オンラインで全国から集まります。自然に助け合う空気があって、たとえば循環器のセッションで心電図を読むグループワークでは、循環器が専門の先生が率先して噛み砕いて教えてくれました。テーマが変われば別の専門の先生が手を挙げて助けてくれる。「わからない」と言っても軽蔑されない。休みを使ってでも学びたいという共通の動機が、お互いに得意なことを惜しみなく分かち合う雰囲気を支えていたように思います。グループで話すことが学び続ける励みになりましたし、実際に総合診療に進むようになったのも、自己紹介やここに来た経緯などを皆さんと話していたことが大きかったです。
――プログラムの改善点はありますか。
修了後も学び続けられる仕組みがあると心強いですね。正直なところ、日本プライマリ・ケア連合学会の勉強会までは手が回っていません。OB・OG向けの中級編として、単発でいいので、知識のアップデートをできるとありがたいです。修了生たちのクローズドな場で、現場で困ったことやこうやって乗り越えたというような話ができたら、知識面でも心理的な面でもサポートになるのではないかと思います。
いざ実地で診療を開始 ー専門性は活かせるのか? 精神科の強みと悩み
――2022年4月の赴任からもうすぐ4年、総合医として働いてみてご感想はいかがですか。
60歳を過ぎて総合診療を始めたので、最低限のことを知って飛び込んでいる感じです。総合診療なので当たり前ですが、循環器疾患の患者さんを診察して体系的に考えたいと思っても、次に来るのは糖尿病の方、その次は転んで足を骨折した方、そのあとには不眠を訴える方―まったく違う問題を抱える患者さんが次々にやってきます。その場その場の対応で手一杯になってしまうこともあります。プログラムのテキストを振り返りたい気持ちはあっても余裕がないまま、気がついたら年月が経っているというのが正直なところです。
――精神科のバックグラウンドは総合診療でどのように役立っていますか。
精神科医はとにかく話を聞くことからしか始められません。血圧に問題がある患者さんの診察でも、自然と仕事や家族、毎日の生活について伺うので、患者さんは「こんなことまで先生に話していいの?」と驚かれることもあります。かっこつけた言い方をするなら、全人的医療に近づけるのは精神科出身の強みだと思います。
一方で、身体医学と精神医学を統合して見ることの難しさもあります。どちらかが前に出すぎてしまい、バランスを取ることが今も課題です。自分一人で完璧にバランスを取るのはまだ修行中で、周囲の助けに本当に支えられています。
――周囲からはどのようなサポートを受けていますか。
所長は総合診療専門医で、10年以上ここで診療している方です。私より3歳ほど年下ですが、頼って何でも聞いてしまっています。彼は私の診療をさりげなく見守り、気付いたことを「こうしたほうがいいんじゃない?」と助言してくれます。私もわからないことがあれば恥も外聞もなく、うるさいくらい質問しています。プライドも何もなく質問できる性格が役に立ったと思いますし、それを受け止めてもらえるのが本当にありがたいです。
患者さんとの信頼関係が作れているのも大きな支えです。たとえば、万一検査を忘れてしまったとき、正直にお伝えして「もう一度来ていただけますか?」とお願いすると、午前に来た方が午後に「いいよ」と再来してくださることも珍しくありません。患者さんが近隣に住んでいる地域医療の強みだとも思います。
へき地医療は苦労か?それとも癒しか?
――地域で働くことのよさは何でしょうか。
患者さん・地域の方との関係性でしょうか。患者さんは医師不足を理解していらして、「よく来てくれたね」「困ったことはない?」と気遣ってくれるほどです。怒られるどころか、甘やかされているように感じることもあります。身を粉にして苦労をする覚悟で来たのに、逆に患者さんや地域の人たちに癒されながら診療しています。都会で疲れを感じている医師は皆、へき地で働いたらいいのにと思うくらいです。
この地域の医療の課題は。
今、医師は所長と私の2人体制で、看護師、技師、リハビリテーション職、薬剤師、事務、介護やケアマネジャーまでそろって理想的に回っています。ただ、どの職種も1~2人しかいません。誰かが欠ければ一気に崩れる脆弱性があります。所長も60歳を超え、私は2026年3月で定年になります。定年後も一年更新の再雇用制度で続ける予定でいますが、スタッフも高齢化していて、病気や退職が重なればガラガラと崩れてしまう。誰かが欠けたとき、一時的に苫小牧や札幌から応援があっても常勤で長く働く人はほぼ来ません。継続性の担保は、ここだけでなく全国で共通する構造的な課題だと思います。
専門医をやりきった世代こそ、新しい役割を
――人生の意味を問い直すとき、医師のアドバンテージは。
「もう一度、聴診器を」というコピーを見たとき2)、医師の原点に戻ろうとシニア医に促す秀逸なコピーだと思いました。最初にお話ししたように50代以降に「この先どうしよう」と悩む人は本当に多い。そんな中、医師は専門を変えるだけで、もう一度だれかの役に立てる。これは大きな強みです。専門医をやりきり、子育ても終えた世代に「最後は地域のために人助けしませんか」と伝えたい。
外科の先生なら手術で無理ができなくなる年齢から総合診療に移ってもいい。農作業がしたくて地方に来る医師がいるように、趣味と仕事を組み合わせることもできます。一生都会を離れるのは難しいとしても、3~4年のローテーションで人が回って地域に貢献するモデルがあれば、医師も地域ももっと柔軟に動けると思います。
完璧を目指さなくていい まずは総合診療の地図を手に入れる
――総合医育成プログラムを受けようと思う方へメッセージを。
精神科の経験しかなかった私には難しい内容もあり、「これは私にはとてもできない」「無理だ」と心が折れることもありました。でも、そこで選別されるわけではありません。このプログラムは「私がまったく知らなかったこの領域にはこういう疾患があり、こういう問題がある」と、総合的に診るための見取り図を手に入れるものだと思うのです。
当然、見取り図を手に入れる段階ですべてが身に付くわけはありません。実践の場でテキストを見返し、周りの助けを借りて、少しずつ身に付けていけばいい。まずは受けてみてください。世界旅行をするような感覚で、総合診療の扉を開けてみることをお勧めします。

引用
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1)
Myers-Briggs Type Indicatorの略称。ユングのタイプ論をもとにして開発された自己分析メソッドを活用した、 性格タイプ別コミュニケーションに関する研修。
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2)
2016年、へき地医療に興味をもった中塚氏が偶然見つけた、地域医療研究会が主催する「医師研修プログラム」に関するリポート冒頭のキャッチコピー。
中塚氏は著書の中で以下のように述懐している。
「このリポートのタイトルは「『もう一度聴診器を』、第二の人生にへき地医療」。へき地医療への転身を考え始めた私に、これ以上“刺さるタイトル”もないだろう。ダイエットを始めた人が「『もう一度Mサイズを』、落ちない脂肪にこのサプリ」という広告を目にしたようなものだ」(香山リカ.精神科医はへき地医療で“使いもの”になるのか?.星和書店;2024.p28.)

中塚 尚子 ( なかつか なおこ ) 氏むかわ町国民保険穂別診療所 副所長
[略歴]
1960年北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒業。卒業後は精神科医として臨床に携わりながら、手塚山学院大学教授、立教大学教授などを歴任。香山リカ名義で精神医学ほか幅広いジャンルの執筆活動を行う。2022年4月から現職。
2021年~2023年5月総合医育成プログラム受講。2022年6月日本プライマリ・ケア連合学会 プライマリ・ケア認定医取得。
近著『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」始めました』(集英社)、『精神科医はへき地医療で“使い物”になるのか?』(星和書店)
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- 全日本病院協会・日本プライマリ・ケア連合学会