2025年12月に『うつ病診療ガイドライン2025』が公表された1)。ゼロベースで全面的に改訂された本ガイドラインでは、エビデンスに基づく治療に加え、患者と医療者が治療方針を共に決める「SDM:Shared Decision Making(共有意思決定)」や、症状を定量的に評価しながら治療を進める「MBC:Measurement-Based Care(測定に基づく診療)」が重視された。
塩野義製薬は2026年7月1日に「新ガイドライン導入で変わり始めたうつ病治療 患者と医師が“一緒に考える”診療の最前線を解説」と題したプレスセミナーを開催した。加藤 正樹氏(関西医科大学 精神神経科学講座)が登壇し、うつ病診療の課題、『うつ病診療ガイドライン2025』の概要、新たに期待される薬剤について解説した。
うつ病診療の課題―早期改善への期待と治療継続の難しさ
多くの抗うつ薬が開発されてきたにもかかわらず、薬物治療に対する医師の満足度は低いことが指摘されている。患者を対象とした調査では、治療に対する要望として「症状を早く改善してほしい」が最も多く、「自分の病気について詳しく知りたい」「有効な薬があるなら早く服用したい」「症状のつらさを医師に聞いてほしい、理解してほしい」といった回答が続いた。
この背景には、従来の抗うつ薬の効果が現れるまでには、一定の時間を要するということがある。既存の抗うつ薬のほとんどがモノアミン仮説に基づいて開発されたものであり、セロトニンやノルアドレナリンなどのモノアミン神経伝達を調節する。これらの薬剤では、シナプス間隙のモノアミン神経伝達には比較的早期から変化が生じる一方、臨床的な抗うつ効果を実感するまでには一定の時間を要する。患者によっては、効果を実感する前に有害事象が発現し、治療を中止してしまうこともある。
治療中止の背景には、薬剤の有害事象や効果不十分だけでなく、用量不足、治療期間不足、患者の希望と治療内容の不一致、医師と患者のコミュニケーション不足など、医療者側の要因もある。患者側でも、改善を実感できないことによる治療意欲の低下や、症状が軽減した段階で「治った」と判断して服薬を中止することがある。
このような背景から、コミュニケーションや薬物治療の質の向上を目指して『うつ病診療ガイドライン2025』が作成された。
「診療の地図」として作成された新ガイドライン
本ガイドラインは、「今どこに立ち、次に何を考えるべきか」を整理する診療の地図として設計され、ゼロベースで全面的に改訂された。改訂を貫く3つの考え方として、「Patient-Centered Care」「SDM」「MBC」がある。
Patient-Centered Careの観点では、本ガイドラインの作成に当事者・家族も参加し、治療方針の検討に、当事者・家族の声が組み込まれた。
SDMは、医師が一方的に治療方針を決めるのでも、患者に判断を委ねるのでもなく、医師が信頼できる情報と各治療のメリット・デメリットを提示したうえで、患者の希望、過去の治療歴、副作用歴などを踏まえて治療を決定するものである。うつ病治療では、ある選択肢がすべての患者に明確に優れているとは限らない。効果だけでなく、副作用、服薬方法、生活上の制約などに対する患者の価値観も異なるため、患者が治療方針の決定に参加することが重要となる。
SDMの実践に欠かせないのがMBCである。これは、PHQ-9やQIDSなどの定量的な評価尺度で症状や治療反応を評価し、数値を基に治療を調整することで、漫然とした治療継続を防ぐものだ。患者自身が質問票に回答することで、直近の睡眠、食欲、集中力、希死念慮などを定期的に振り返ることができる。診察時に伝え忘れやすい症状を補足できるほか、医師も変化を把握しやすくなり、重要な症状の聞き漏らしを防ぐことにつながる。また、評価結果を患者にフィードバックすれば、薬剤を増量・変更する理由も共有しやすくなる。MBCを導入した群と導入しなかった群を比較した無作為化試験のメタ解析では、MBC導入群の寛解率が約10%高かったことも報告されている
2)。
「今後期待される治療」として掲載されたズラノロン
本ガイドラインでは、各臨床疑問に対する推奨とは別に、うつ病診療に役立つ情報を「トピックス」として掲載している。その中の1つが「今後期待される治療」である。
ガイドライン作成のためにシステマティックレビューを開始した時点で、本邦で使用できなかった薬剤は、臨床疑問に対する正式な推奨の対象には含まれない。このため、従来の抗うつ薬とは異なる作用機序を持つ治療薬などが、将来の治療選択肢としてトピックス内で紹介された。
そのなかで、本邦で使用可能となった薬剤がズラノロンである。ズラノロンは、GABA
A受容体に作用し、GABAのシグナル伝達を促進することで抗うつ作用を発揮する新規作用機序の薬剤で、2026年3月に発売された。
ズラノロンの特徴の1つは、連日服用を長期間継続する従来の抗うつ薬とは異なり、一定期間の投与を基本とする点にある。具体的には、14日間の投与後に最低6週間の休薬期間を設ける。これは「2週間服用すればうつ病の治療が終了する」という意味ではない。投与終了後も効果の持続が期待される一方、十分な改善が得られない患者や、時間の経過とともに症状が再び悪化する患者も想定される。そのため、投与終了後も症状や社会生活上の機能を継続して評価し、必要に応じて他の薬物療法や精神療法、再投与などを検討する必要がある。
最後に、これからの新しいうつ病診療について、加藤氏は「うつ病治療は、医師にすべてを任せるものから、患者が自身の希望を伝え、医療者と共に治療を選択するものへと変わりつつある。最初の治療で薬剤が合わない場合でも、それは次の治療選択肢を検討する段階に進んだことを意味するため、焦る必要はない。治療は段階的に続けることが重要である」とまとめ、講演を締めくくった。
(ケアネット 佐藤 亮)