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そして父になる(続編・その1)【英才教育で親がハマる「罠」とは?(教育虐待)】Part 3

英才教育で親がハマる「罠」とは?認知能力と非認知能力の本質的な違いは、測りやすさ、心の折れにくさ、幼児期での敏感さであることが分かりました。この違いから、良多の関わり方を通して、英才教育のリスクを大きく3つ挙げてみましょう。そして、英才教育で親がハマる「罠」を明らかにしましょう。(1)測りやすい認知能力ばかりにとらわれる良多は、みどりに「今の時代、優し過ぎるのは損だからな」と説き、慶多にしつけを厳しくして、ピアノの練習を毎日必ずさせています。しかし、ピアノ演奏会で、慶多はうまく弾けず、うまく弾いているほかの子に「上手だね」と感心して言います。そんな慶多に、良多は「悔しくないのか? もっと上手に弾きたいと思わなければ続けてても意味ないぞ」と叱るのです。1つ目のリスクは、測りやすい認知能力ばかりにとらわれることです。良多は、社会は厳しいと言っていますが、それは彼の考え方が投影されています。つまり、彼自身が自分に厳しく、そして他人にも厳しいのでした。その厳しさとは、勝ち負けの結果や体裁を重んじることです。それが、彼が説く「意味」なのでした。だからこそ、良多は慶多を有名私立小学校に入学させ、ピアノ演奏会で悔しがることを強いるのです。すると、子どもも、その親の価値観がすり込まれて(内在化)、結果を出すことや体裁を気にするようになるでしょう。そして、自分も相手もそれでしか評価できなくなってしまいます。たとえば、聞かれてもいないのに自分の学歴や家柄をひけらかすことです。また、学歴、キャリア、家柄、見た目などで相手を値踏みすることです。さらには、すでにお受験対策で学習してしまったように嘘をついて体裁を取り繕ったり、結果を出すために無理をする生き方(過剰適応)をしてしまうリスクもあるでしょう。その測りやすさから、権威を振りかざし、権威にすがる生き方をしてしまうこともあるでしょう。(2)非認知能力が育まれずに心が折れやすくなる慶多は、自宅でのピアノの練習ではかなりうまく弾けていたのに、演奏会ではありえないミスを連発します。彼は、本番(いつもと違う状況)に弱いのでした。2つ目のリスクは、非認知能力が育まれずに心が折れやすくなることです。ピアノの演奏会における非認知能力とは、本番であっても心を落ち着かせて(セルフコントロール)、ピアノの演奏そのものを楽しみ(自発性)、その気持ちを一緒にいる人たちと共有することです(共感性)。慶多は、父親(良多)の顔色ばかりを伺い、自分の演奏をあまり楽しめていません。もちろん、斎木家でお試し外泊を繰り返している最中であることも、心を落ち着かせられない要因として考えられます。認知能力にとらわれるということは、裏を返せば、非認知能力を疎かにすること、つまり価値がない、無駄だと思ってしまうことです。たとえば、琉晴が野々宮家で暮らすようになってから、置かれているピアノの鍵盤をメチャクチャに(大胆に?)弾くシーンがあります。見かねた良多は、「うるさいぞ。静かにしろ」「やめろって言ってんだ!」と怒鳴ってしまいます。しかし、よくよく考えれば、琉晴なりに音感や演奏のヒントを探しているかもしれません。かつてバンド活動までしていた良多の血を引いていると考えれば、琉晴には音楽の素質があるかもしれません。良多は、やめさせるのではなく、音量を下げてそのまま好きにさせてあげたり、そのあとに琉晴に演奏の仕方の基本を教えてあげれば、演奏の楽しさ(自発性)を育むこともできたでしょう。もちろん、認知能力も非認知能力も両方高めていくことが理想です。しかし、子どもの時間とエネルギーは限られています。その時間とエネルギーを、認知能力のために使ってしまえば、その分、非認知能力のために使えなくなってしまいます。これは、トレードオフ(一得一失)の関係です。これが極端になれば、認知能力は、やればやるほど結果が出る、早くやればやるほど結果が出ると思い込みます。こうして、英才教育をやらせ過ぎたり、早くにやらせ過ぎてしまいます。そのために、「あれだめ!」「これして!」「早くして!」としつけが厳しくなってしまいます。すると、子どもが自由に遊んだり自分で考える時間(自発性)や友達と一緒に遊ぶ時間(共感性)がますます減るでしょう。また、友達とけんかをすることは、本来セルフコントロールを育むために必要です。しかし、その機会も、不要なこととされてしまい、先回りによって奪われてしまうでしょう。なお、世の中では、このような厳しいしつけは、セルフコントロールを育むために必要であると考えられています。しかし、これは大きな誤解です。実際の研究では、親が子どもの行動をコントロールし過ぎると、逆に子どもは自分で自分の行動をコントロールしなくなることが分かっています。その訳は、しつけが一方的な命令の場合、恐怖刺激によって言われた通りに行動する条件反射は形成されても、思考停止によって自分で自分の行動を決めることができなくなるからです。そして、受け身の指示待ち人間になってしまうのです。(3)その後に認知能力が伸び悩むピアノ演奏会で、良多の説教を慶多の横で聞いていたみどりは、「みんながあなたみたいに頑張れるわけじゃないわよね」と言います。良多は「頑張るのが悪いみたいな言い方だな」と言い返します。すると、みどりは「頑張りたくても頑張れない人もいるってこと」「慶多はきっと私に似たのよ(私がそうだったから)」と語気を荒くして言います。みどりは、練習を頑張っている慶多の姿をそばでずっと見てきており、自分と同じ、ある危うさをほのめかしています。3つ目のリスクは、その後に認知能力が伸び悩むことです。幼児期の認知能力は、すでにご説明した通り、その癖のなりにくさから、いったん高まっても、やり続けていないと、だんだん失われていきます。つまり、非認知能力が充分に育まれていなければ、その後にやり続けたいという気持ち(自発性)が芽生えず、結局その認知能力が維持できなくなってしまうということです。つまり、学ぶとは、「ただ学ぶ」(認知能力)のではなく、「学ぶ楽しさ」(非認知能力)も一緒に学ぶ必要があるということです。たとえば、知能指数(IQ)が分かりやすいです。英才教育によって、知能検査の類似問題を解く特訓をより長い時間やれば、そしてより小さい時からやれば、知能指数は確実に上がります。すると、親は喜びます。しかし、それがその後の学力が高くなることに直接結び付くわけではありません。ましてや大人になって仕事や人間関係でうまくやって行く能力とも結び付くわけではありません。よって、その後に子どもの認知能力が伸び悩んだら、親は焦ります。良多のように「頑張りが足りない」と言い出し、ますます本人の自由、つまり非認知能力を高める機会を奪うでしょう。これは、教育虐待と呼ばれます。教育虐待とは、勉強や習いごとなどの教育を子どもに過剰に強いる不適切な関わりです。子ども虐待の1つとして、昨今注目されています。これは、認知能力を重視するあまりに非認知能力が育まれない点でも、子どもの人権への侵害と言えます。非認知能力が育まれない危うさがある点で、先ほどのヘックマンの研究でご紹介した、もともと経済的な貧困層(ネグレクト)の子どもと、逆に認知能力を重視する良多のような富裕層の子どもが共通しているのが興味深いです。つまり、ネグレクトと教育虐待は、それぞれ教育をやらなさ過ぎとやり過ぎであり、一見すると真逆ですが、非認知能力が育まれないリスクがある点では同じであるということです。そして、非認知能力が育まれていない点で、もしも取り違えが発覚せずに野々宮家の英才教育がそのまま続いていたとしたら、慶多は不登校やひきこもりになるリスクが高まります。これが、英才教育で親がハマる「罠」なのです。<< 前のページへ■関連記事クレヨンしんちゃん【ユーモアのセンス】Part 1ショーシャンクの空に【心の抵抗力(レジリエンス)】[改訂版]

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カレには言えない私のケイカク【結婚をすっ飛ばして子どもが欲しい!?そのメリットとリスクは?(生殖戦略)】Part 2

結婚しないで子どもを持つリスクは?結婚しないで子どもを持つメリットは、結婚というハードルがなくなる、結婚生活を維持する負担がなくなる、自分の思い通りの子育てができるということであることが分かりました。それでは、そのリスクは何でしょう? 大きく3つ挙げてみましょう。(1)子育てへのサポートが脆弱になるゾーイとスタンは、すったもんだの末、一緒に暮らすようになります。そして、スタンは、精子バンクによって生まれてきた双子の育児を献身的にするのです。もしも、スタンがいなかったら、ゾーイはいきなり自分だけで双子の育児をすることができるでしょうか?1つ目のリスクは、子育てへのサポートが脆弱になることです。これは、身体的にだけでなく、経済的に、そして心理的にもです。もしも、タイミング悪く、自分が病気を患ったらどうしましょうか? 仕事の収入が不安定になったら、どうしましょうか? そして、子どもに障害が見つかったら、どうしましょうか? これらの起こりうる事態をあらかじめシミュレーションする必要があります。(2)子どもを私物化してしまう産婦人科病院で、ゾーイは、産婦人科医から「あなたとCRM-1014(精子が入った容器に記載された登録番号)の間には素敵な赤ちゃんができますよ」と励まされます。この産婦人科医は、まったく悪気はないのでしょうが、私たちには命がモノ扱いにされているように感じてしまいます。この映画では描かれていませんでしたが、その後に妊娠したゾーイは、スタンとの恋愛を最優先して、黙って中絶する選択肢だってありえるわけです。2つ目のリスクは、子どもを私物化してしまうことです。実際に、精子バンクのホームページでは、精子ドナーの身長、体重、血液型、人種、肌や目の色、髪の色や髪質、IQ、学歴、職業などがすべてカタログ化され、値段が付いています。あたかも商品のようです。これは、生まれる前だけでなく、生まれた後もです。たとえば、子どもに障害が見つかったら、どうなるでしょうか? 実際に、海外では、ある同じドナー精子によって生まれた子どもたち(ドナー兄弟)が、高い確率で自閉症を発症していたため、精子バンクが訴訟を起こされたというケースもあります。これは、「注文したのと違う」「不良品だ」「返品したい」という発想になってしまう危うさがあります。そして、これは、虐待のリスクでもあります。また、自分だけが子育てを独り占めできるということは、その子育てが独りよがりになる危うさがあります。子育てについて夫婦で話し合いをしなくて済むメリットの裏返しのリスクです。これは、毒親になるリスクでもあります。なお、毒親の心理の詳細については、関連記事1をご覧ください。(3)子どものアイデンティティが揺らぐスタンは、生まれてきた双子の育ての父親になりました。この双子は、スタンを実の父親と思うでしょう。しかし、テリング(真実告知)をすれば、どうなるでしょうか? 彼らは、思春期になったら、生みの父親を知りたくなります。そして、分からない場合は、どうなるでしょうか?3つ目は、子どものアイデンティティが揺らぐことです。思春期になると、より抽象的な思考ができるようになります。そして、自分のルーツや自分らしさなど、自分探しをするようになります。アイデンティティの確立です。この時、精子バンクによって生まれた子どもは、「お金で買ったモノから生まれた」というレッテルを払いぬぐうために、精子ドナー探しをするようになります。実際に、精子ドナーの身元を明らかにすることは、子どもの人権(出自を知る権利)として、すでにいくつかの先進国では制度化しており、日本でも制度化しようとする動きがあります。さらに、その子どもが生みの父親を知り、その認知を求めることは現実的にありえます。これは、精子ドナーの死後に、遺産相続のトラブルを引き起こす可能性があるということです。これを回避するためには、精子ドナーを独身主義(非婚)の人に限定する必要があるでしょう。選択的シングルマザーがうまく行くにはどうすればいいの?結婚しないで子ども持つリスクは、子育てへのサポートが脆弱になる、子どもを私物化してしまう、子どものアイデンティティが揺らぐことであることが分かりました。それでは、これらのリスクを踏まえて、選択的シングルマザーがうまく行くにはどうすれば良いでしょうか? 主に3つのサポートが挙げられます。(1)実父母からのサポート1つ目は、実父母からのサポートです。たとえば、近くに住むか同居して、定期的にも臨時的にも子育ての身体的な負担を肩代わりしてもらうことを確約することです。いざというときは、経済的なサポートをしてもらうことです。もともと、日本では里帰り出産や離婚後に出戻りをする文化があるので、実父母からの抵抗は少ないでしょう。これは、子育てのサポートが脆弱になるリスクを減らします。また、結果的に、実父母が子育てに介入することになるので、子どもを私物化してしまうリスクを減らすこともできるでしょう。(2)ピアサポートゾーイが参加したシングルママの会では、自助グループとして、シングルマザーたちだけが、励まし合ったり、時には出産に立ち会うなど、お互いに助け合っています。2つ目は、仲間からのサポート、つまりピアサポートのことです。これは、自分に仲間ができることで、心理的な安心感が得られることです。心理的な面での子育てのサポートが脆弱になるリスクを減らします。海外ではすでに大きな団体がありますが、日本では小規模な交流会などがあるようです。(3)ソーシャルサポート3つ目は、社会制度としてのサポート、つまりソーシャルサポートです。残念ながら、現時点では、海外の先進国に比べて、日本の子育て支援は極めて限られています。とくに、シングルマザーの貧困は社会問題になっています。これが、少子化対策として、海外から遅れを取っている原因であると指摘されています。少子化対策のためにも、子育て支援を拡充することが望まれます。たとえば、妊娠・出産、保育、義務教育、医療など、成人までかかる子育ての費用をほぼ無償にすることです。そして、児童手当は、家計が潤うくらいのインセンティブをつけることです。子育ても1つの労働と考えれば、当然のことと言えます。これは、結果的に、選択的シングルマザーの子育てへのサポートが脆弱になるリスクも減らすでしょう。<< 前のページへ | 次のページへ >>

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そして父になる(その2)【なんで血のつながりにこだわるの?(血縁心理の起源)】Part 2

(2)年を重ねると保守化するから-社会脳約300万年前に人類が家族をつくるようになってから、さらに家族を最小単位として血縁で集まった部族をつくるようになりました。これが、社会の起源です。この時、部族という社会の中で、助け合うために周り人たちとうまくやっていこうとする心理が進化しました(社会脳)。この心理は、子育てをする親世代、さらに孫の育児のサポートをする祖父母世代で、より高まっていきました。血のつながりにこだわる原因として、2つ目は、年を重ねると保守化するからです。保守とは、個人の自由や権利を重んじるリベラル(革新)とは対照的に、血のつながりをはじめとした社会の秩序を重んじる心理です。脳科学的にも、年齢が高くなるほど、脳内に占めるいわゆる感情中枢(扁桃体)の割合が相対的に大きくなり、保守化することが分かっています。実際に、良多が30歳代に対して、彼の父親は60歳代です。つまり、先ほどの子どもにとっての親子観も合わせると、血のつながりへのこだわり度は、高齢男性>若年男性>男児と言えます。これは、「良多の父親>良多と雄大>琉晴と慶多」の順番を支持します。(3)自分に似ている子どもをかわいく思う感覚を知ってしまうから-排他性約300万年前以降に人類が部族をつくるようになってから、災害、犯罪、戦争などによって親を失った子どもを、部族内の助け合いの心理(社会脳)から、部族の誰かが代わりに育てるようになったでしょう。これが、養子の起源です。この時、子どもがいない人は、養子たちを公平に育てるでしょう。一方、実子がすでにいる人は、養子よりも実子が自分に似ていることでかわいく思えてしまい、不公平に育てるリスクが高まるでしょう。なぜなら、先ほどもご説明しましたが、生み子(実子)に比べて育ての子(継子)が虐待死に至るリスクは、数倍から数十倍に跳ね上がるからです。血のつながりにこだわる原因として、3つ目は、自分に似ている子どもをかわいく思う感覚を知ってしまうからです(排他性)。実際に、見た目や言動が似ていることで、同調や共感の心理が高まり、親密感が増すことが分かっています。これは、体臭についても言えるでしょう。つまり、自分と似ている人に好感を持つということです。これは、脳内ホルモン(オキシトシン)との関係が指摘されています。逆に言えば、自分と似ていない人には、相対的に好感を持たないです。つまり、オキシトシンは、似ている人への親密性を高める「愛情ホルモン」であると同時に、似てない人への排他性を高める「差別ホルモン」であるというわけです。実際に、成人した養子本人(里子も含む)への親子観の調査(対象者が7名と少ないながら)において、実子がいない3人全員が自分も養子の育ての親になる意向があると回答したにもかかわらず、実子がすでにいる4人は養子の育ての親になる意向がないと回答しました。これは、もともと養親に育てられたことで血のつながりにこだわらないように影響を受けていたのに、実子を生んだことで血のつながりにこだわるように回帰していったことが考えられます。養子は、あくまで実子ができない場合の次善の策であることが分かります。つまり、血のつながりへのこだわり度は、実子がいる人>実子がいない人と言えます。これは、「みどりとゆかり>良多の義理の母親」の順番を支持します。なお、自分と似ている、つまり共通点のある相手には、親近感を抱く心理は、一緒にいたらコストが少なくて済むからであるという考え方(社会的交換理論)があります。これは、血縁のある人に親近感を抱く心理につながっているとシンプルに考えることもできるでしょう。<< 前のページへ | 次のページへ >>

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そして父になる(その1)【もしも自分の子じゃなかったら!?(親子観)】Part 1

今回のキーワード親子の絆(親子観)新生児取り違え血のつながり(血縁の心理)情(子育ての心理)愛着の心理アイデンティティ現在、精子提供、卵子提供などによる生殖医療、子連れ再婚、そして赤ちゃん縁組(特別養子縁組)など、必ずしも血のつながらない親子が増えています。また、従来の里親制度、LGBTのカップルや選択的シングルマザーによる子育てなど、家族の形、親子の形が多様化しています。そんな中、皆さんは、親子の絆は何だと思いますか? やはり血のつながりでしょうか? それとも情でしょうか? さらに視点を変えて、子どもにとっての親子の絆とは何でしょうか?これらの答えを探るために、今回は、映画「そして父になる」を取り上げます。この映画を通して、親子の絆を精神医学的に解き明かしてみましょう。親子の絆とは?―親子観主人公は、野々宮良多。大企業のエリートサラリーマン。専業主婦のみどりと6歳の一人息子の慶多と一緒に都心の高級マンションに住んでいます。慶多がお受験で有名私立小学校に合格し、良多にとって人生のすべてが思い通りに進む中、慶多が生まれた里帰りの前橋の病院から1本の電話がかかります。子どもの取り違え(新生児取り違え)が発覚したのでした。そこから、野々宮家の夫婦と取り違え先の斎木家の夫婦は、親子の絆への葛藤が始まります。まず、彼らの親子の絆、つまり親子観を2つに分けてみましょう。(1)血のつながり-血縁の心理病院の事務部長から「とにかくこういうケースは、最終的には、100%ご両親が交換という選択肢を選びます。お子さんの将来を考えたら、ご決断は早いほうが良いと思います。できれば、小学校に上がる前に」と結論ありきで迫られます。その後、良多は、自分の父親から「(生みの子は)似てたか、お前に。似てたんだろう。そういうもんだよ、親子なんて。離れて暮らしたって、似てくるもんさ」「いいか、血だ。人も(競馬の)馬と同じで、血が大事なんだ。これから、どんどんその子はお前に似てくるぞ。慶多は逆にどんどん相手の親に似ていくんだ」と説かれます。そして、良多はその言葉をなぞって、慶多の生みの母親である斎木ゆかりに「これから、どんどん慶多は斎木さんの家族に似てきます。逆に、琉晴(良多の実の子)はどんどん僕らに似てきます。それでも、血がつながっていない子を今まで通り愛せますか?」と迫ります。親子観として1つ目は、血のつながりです。これは、血がつながって似ていてこそ親子は通じ合えると思う血縁の心理が根っこにあります。このプラス面は、似ていることで、親密さを感じて絆が深まることです。一方のマイナス面は、その裏返しで、見た目だけでなく、能力や性格も似てほしいと思うようになることです。これは、自分が子どもとつながっている感覚が強いため、子どもを自分の分身のようにとらえ、子どもが自分の思い通りになると思うことでもあります。これは、いわゆる「毒親」の心理です。逆に言えば、似ていなくて、思い通りにならなければ、不安が高まります。実際に、良多は、DNA検査で取り違えが確定した時、「やっぱりそういうことか」とつぶやきます。後にみどりは「あなたは、慶多があなたほど優秀じゃないのが最初から信じられなかったんでしょ」と見透かして指摘します。つまり、血のつながりにこだわることは、競走馬と同じように、親に似て優秀でなければならない、美しくなければならないという期待が強くなり、子どもをありのままに受け入れにくくなる危うさがあると言えます。なお、「毒親」の心理の詳細については、関連記事1をご覧ください。(2)情-子育ての心理良多は、小学生の時、実は両親が離婚していました。そして、父親に引き取られ、大学に入学するまで新しい母親と暮らしていた過去がありました。良多が久々にその継母に会った時、彼女は、「血なんてつながらなくたって、一緒に暮らしてたら、情は沸くし、似てくるし。夫婦ってそういうところあるじゃない。親子もそうなんじゃないかしらね。私はね、そういうつもりであなたたちを育てたんだけどなあ」と言います。また、ゆかりは、「このままってわけには行かないですかね? 全部なかったことにして」と言い出します。そして、先ほどの良多の「血がつながっていない子を今まで通り愛せますか?」という質問に対して、「愛せますよ、もちろん。似てるとか似てないとか、そんなことにこだわるのは、子どもとつながっている実感のない男だけよ」と言い返します。親子観として2つ目は、情です。これは、血がつながっていなくても一緒にいれば親子は通じ合えると思う子育ての心理が根っこにあります。このプラス面は、一緒にいることで、親密さを感じて絆が深まることです。一方のマイナス面は、生みの親が現れた場合、親子関係が複雑になります。また、親子関係がうまく行かなかった場合、虐待のリスクが高まります。実際に、生みの子(実子)に比べて育ての子(継子)が虐待死に至るリスクは、数倍から数十倍に跳ね上がることが分かっています。法律的にも、親子関係を解消できてしまう不安定さがあります(ただし特別養子縁組を除きます)。なお、虐待の心理の詳細については、関連記事2をご覧ください。次のページへ >>

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そして父になる(その1)【もしも自分の子じゃなかったら!?(親子観)】Part 2

子どもにとっての親子の絆とは?親子の絆とは、血のつながり(血縁の心理)と情(子育ての心理)があることが分かりました。しかし、実は、これは親にとっての親子観です。それでは、子どもにとっての親子の絆とは何でしょうか?慶多と琉晴は、事情を知らされず、言われるままに、休日に野々宮家と斎木家を交換して外泊が始まります。そして、やがて交換したままになるのです。ここから、彼らの親子観を同じく2つに分けて考えてみましょう。(1)情-愛着の心理野々宮家でずっと暮らすことになった琉晴は、良多がつくった野々宮家のルールのリストを読まされます。そして、納得が行かず、「なんで?」と良多に繰り返し聞き続けるのです。そして結局、家出をして、斎木家に帰ってしまいます。一方、斎木家で暮らしている慶多は、琉晴ほどはっきり抵抗しませんが、元気がなくなっていきます。子どもにとっての親子観として、1つ目は、情です。これは、血がつながっていてもいなくても、特別な誰かと一緒にいたいと思う愛着の心理です。この愛着は、生後半年から2歳までの間(臨界期)に形成されます。この時期に一番長く一緒にいた人が親(愛着対象)として刷り込まれます(親プリンティング)。そして、その親から離れることは、アルコール依存性や薬物依存症と同じように、「禁断症状」を引き起こします。つまり、愛着とは、依存行動(嗜癖)とも言えます。逆に言えば、いくら血がつながっていても、その大切な時期(臨界期)に一緒にいなければ、その親は「依存対象」(愛着対象)になりようがないので、その親から離れても「禁断症状」は出ません。実際に、琉晴がせっかく外泊に来ているのに、良多は仕事を優先してあまり構っていませんでした。慶多の生みの父親である雄大は、そんな良多を見かねて、「もっと一緒にいる時間をつくったほうがいいよ、子どもと」「俺、この半年で、良多さんが一緒にいた時間よりも、長く慶多といるよ」とたしなめています。つまり、臨床的に考えれば、新生児取り違えのあとに交換で問題が起きないのは、親プリンティングが始まる前の半年までです。半年から2歳までがグレーゾーン、2歳以降は愛着の問題のリスクが高まるでしょう。この愛着の心理から、琉晴が良多やみどりに懐くことは簡単ではないことがよく分かります。取り違えは、子どもから見れば、「親の取り違え」です。親以上に、実は子どもにとって危機的状況なのです。なお、愛着の心理の詳細については、関連記事3をご覧ください。(2)血のつながり-アイデンティティ琉晴は、良多から「おじさんが本当のパパなんだ」と告げられます。しかし、無反応です。慶多は、良多から「(慶多が成長するための)ミッション」と遠回しに伝えられただけでしたが、はっきり告げられたとしてもリアクションはおそらく同じでしょう。6歳の子どもにとって、血がつながっているかどうかは、ぴんと来ないのです。つまり、子ども心に選ぶ親は「生みの親より育ての親」であるということです。ただし、彼らが思春期になっても、彼らの親子観はそのままでしょうか?子どもにとっての親子観として、2つ目は、思春期になればやはり血のつながりです。思春期になると、より抽象的な思考ができるようになります。そして、自分のルーツや自分らしさなど、自分探しをするようになります。アイデンティティの確立です。この時に、育ての親しか知らない場合、生みの親を知りたくなるのです。これは、養子や生殖医療で生まれた子の心理でもあります。そして、これは、子どもの人権(出自を知る権利)として、すでにいくつかの先進国では制度化されており、日本でも制度化しようとする動きがあります。つまり、アイデンティティの確立とは、血がつながっていることにこだわるスイッチが入ることとも言い換えられます。なお、この真実告知のタイミングについては、愛着形成期である幼児期よりも後で、反抗期になる思春期よりも前、つまり小学校低学年の学童期が望ましいでしょう。<< 前のページへ■関連記事八日目の蝉【なぜ人を好きになれないの?毒親だったから!?どうすれば良いの?(好きの心理)】Mother(続編)【虐待】Mother(中編)【母性と愛着】

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日本において複数のADHD治療薬を投与された小児患者の特徴

 注意欠如多動症(ADHD)は、多動性、衝動性および/または不注意の症状を呈す疾患である。日本で使用可能なADHD治療薬は、欧米諸国に比べ限られている。また、日本の臨床現場では、処方状況の評価が十分に行われていない。東京医科歯科大学の佐々木 祥乃氏らは、日本の臨床現場におけるADHD治療薬の現在の使用状況と複数のADHD治療薬を投与された患者の特徴について、調査を行った。PLOS ONE誌2021年6月3日号の報告。 対象は、2015年4月~2020年3月に国立国際医療研究センター国府台病院の児童精神科を受診した患者。メチルフェニデート徐放剤、アトモキセチン、グアンファシンを投与した患者を調査した。複数のADHD治療薬を投与された患者の特徴を評価するため、レトロスペクティブケースコントロールデザインを用いた。3つのADHD治療薬を投与された患者は、症例群として定義した。ADHDと診断された患者と年齢、性別が一致するランダムサンプリング患者を対照群として用いた。子供から親への暴力、反社会的行動、自殺企図または自傷行為、虐待歴、登校拒否、2つの心理的評価尺度(ADHD評価尺度、東京自閉行動尺度)のデータを比較した。 主な結果は以下のとおり。・ADHD治療薬を投与された患者878例のうち、3つのADHD治療薬を投与された患者は43例(4.9%)であった。・ロジスティック回帰分析において、3つのADHD治療薬を投与された患者の特徴は以下のとおりであった。 ●重度のADHD症状 ●自閉的特徴 ●子供から親への暴力の傾向 著者らは「本調査結果は、複数のADHD治療薬の使用を防ぐためのアプローチを示唆している。薬剤の使用状況と臨床的特徴の因果関係を調査するためには、プロスペクティブ研究が必要とされる」としている。

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コウノドリ(その1)【なんで不妊治療はやめられないの? その心理的なリスクは?(不妊の心理)】Part 1

今回のキーワードがんばりすぎる(過剰適応)とらわれる(強迫)のめり込む(嗜癖)燃え尽きる(破綻)頭が硬くなる(べき思考)元を取りたいと思う(負け追い)政府は、2022年4月から不妊治療に公的医療保険を適用する方針を打ち出しています。また、不妊治療で体外受精を行っている女性の半数以上に軽度以上の抑うつの症状がみられる調査結果が報じられました。一方で、不妊治療はなかなか止められない現実もあります。なぜ止められなくなるのでしょうか? その心理的なリスクは何でしょうか?これらの答えを探るために、今回は、ドラマ「コウノドリ」の不妊に関連したエピソードを取り上げます。このドラマを通して、不妊の心理を精神医学的に解き明かしてみましょう。なんで不妊治療は止められないの?主人公は、産婦人科医の鴻鳥(こうのとり)。総合病院の産婦人科のチームのリーダー的存在です。彼がかかわる妊婦や患者とその人間関係を中心にストーリーが展開していきます。中でも、不妊治療は、やり始めるとなかなか止められなくなるようです。それでは、なぜ不妊治療は止められなくなるのでしょうか? まず、その原因を、大きく3つに分けて精神医学的に解き明かしてみましょう。(1)がんばりすぎる-過剰適応鴻鳥が43歳の妊婦をフォローするエピソードがあります(シーズン1第6話)。合同カンファレンスで、鴻鳥の同僚である四宮は、その妊婦について「長期間の不妊治療で疲弊しきっている人を見ると、どこかで線引きすべきではとも思いますね。実際、出産とともに燃え尽きて、育児を放棄する人もいるわけですから」と発言します。不妊治療が止められない1つ目の理由は、がんばりすぎるからです。これは、「がんばればうまく行く」「これだけがんばっているんだから、できるはず」という過剰適応の心理が根っこにあります。とくに、もともと勉強、スポーツ、仕事、結婚でうまくやってきた人ほど、その成功体験によって、この心理に陥りやすくなります。なぜなら、知的能力、身体能力、コミュニケーション能力と同じように、生殖能力も努力によって高まるものだと思ってしまうからです。また、私たちは、知的能力、身体能力、コミュニケーション能力については、小さい頃から、その限界を少しずつ自覚して、自然に受け入れています。ところが、生殖能力に限っては、結婚後に明らかになるため、急すぎてなかなか受け入れられなくなります。そして、とくに女性の場合はその能力が年齢とともに低くなっていくという現実もあります。(2)とらわれる-強迫鴻鳥が不育症(流産を繰り返すこと)に悩む夫婦をフォローするエピソードがあります(シーズン2第9話)。妻は、なかなか妊娠できず、妊娠しても流産を繰り返すことで、専業主婦として家事も手につかなくなり、うつ状態になり、寝込んでいます。そんな妻を見た夫は「俺はさ、子どもがいない2人だけの人生も良いと思ってる。2人なら、好きなことできるし、旅行にだって…(行けるし)」と言いかけます。すると、妻は言いかぶせるように「全然嬉しくないよ。慰めにもなってない」とイラついて答えます。そして、夫は、しょんぼりするだけなのでした。もはや、深刻すぎて夫婦げんかもできない状況です。不妊治療が止められない2つ目の理由は、とらわれるからです。これは、「子どもができたらいいな」という希望ではなく、「子どもはできなければならない」「子どもができることが唯一の幸せな人生である」という強迫の心理が根っこにあります。とくに専業主婦で、もともと仕事や趣味(自分のやりたいこと)に思い入れがなく、社会的な活動をしてこなかった人ほど、アイデンティティが定まっていないため、この心理に陥りやすくなります。なぜなら、「○○ちゃんママ」という待望の親アイデンティティが得られず、ママ友グループという居場所に入れないからです。(3)のめり込む-嗜癖先ほどの高齢の妊婦は、鴻鳥に「生理が来るたびに、あーまただめだった。次は大丈夫かもしれない。ここまでがんばったんだから止められない」と不妊治療をしていた当時の自分の様子を語ります。一方で、不妊治療専門医は、別の患者に「(体外受精の成功率は)相沢さんの年齢(38歳)だと30%を切るくらい。それも、40歳を過ぎると10%程度に下がります」と率直に言っています。不妊治療が止められない3つ目の理由は、のめり込むからです。これは、時間が経てば経つほど可能性が低くなるのに、「次こそはできる」「今やめたら後悔する」「可能性があるうちは続けたい」という嗜癖(依存)の心理が根っこにあります。次のページへ >>

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コウノドリ(その1)【なんで不妊治療はやめられないの? その心理的なリスクは?(不妊の心理)】Part 2

不妊治療の心理的なリスクは?不妊治療が止められない原因として、がんばりすぎる(過剰適応)、とらわれる(強迫)、のめり込む(嗜癖)という独特の不妊の心理があることが分かりました。それでは、これらの心理的なリスクは何でしょうか? ここから、そのリスクを、それぞれ考えてみましょう。(1)燃え尽きる-破綻1つ目の過剰適応の心理のリスクは、燃え尽きる、つまりその破綻です。先ほどの四宮のセリフで触れられたように、身体的にも、精神的にも、そして経済的にも疲弊するリスクがあります。また、先ほどの不育症の女性は、鴻鳥に「子どもがほしくて、やっぱりあきらめきれないから、ここに来ているんですけど。でも、妊娠してないってことが分かると、少しほっとする自分がいて。一瞬でもお腹の中に赤ちゃんがいるのが怖くて。(私は)何言ってんですかね」と打ち明けます。これは、本来妊娠が判明することが望ましいはずなのに、流産を繰り返したために、また流産して悲しみに暮れるのを予期してしまうことです。そして、パニック症の予期不安と同じように、「予期悲嘆」が起きてしまい、妊娠を回避しようとする矛盾した心理が沸き起こっています。とくに体外受精の場合、受精卵(胚)ができた段階で心理的に「子どもができた」と認識してしまうため、着床しないことは心理的に「流産した」と受け止めてしまいがちになります。これは、排卵誘発による心身へのストレスと相まって、誕生による希望と喪失による失望を繰り返す感情の「ジェットコースター」に乗り続けていることになります。また、結果的に子どもができなければ、「私だけが置いてけぼり」「私はだめだ」と自尊心が低くなったり、「なんで私だけが?」という怒りや「がんばっていないのに、子どもがいる人はずるい」という恨みに転じてしまう危うさがあります。なお、過剰適応の心理の詳細については、関連記事1をご覧ください。(2)頭が硬くなる-べき思考2つ目の強迫の心理のリスクは、「こうでなければならない」「こうあるべき」と頭が硬くなる、つまりべき思考です。ドラマの妻のように、もはや妊娠以外のことは何も考えられない(考えてはいけないと思い込む)精神状態です。最終的に子どもができなければ、「夫の血をつなげるというお勤めが果たせなかった」「血のつながりがなければ自分たちの子どもではない」と考え、次善の策として養子や里子について検討することが難しくなってしまう危うさがあります。また、子どもをつくるだけのためにセックスをしてきたので、「子どもをつくらないなら、セックスに意味がない」という発想になり、セックスレスになる危うさもあります。セックスとは、本来、単に生殖だけでなく、快楽やコミュニケーションの意味合いも大きいのにです。さらに、もともと、大人になっても将来の夢が「お母さんになること」のままである場合や子どもをつくることが前提で結婚した場合、この心理がさらに強まり、子どもができなければ離婚リスクが高まります。欧米がパートナーとの関係を大事にするカップル文化であるのに対して、日本はもともと親子の関係を大事にする親子文化が根強いため、なおさらです。子どもができたとしても、親アイデンティティが強まることによって、とくに女性は子ども中心の人生の中、「子どもはすくすくと成長しなければならない」「子育てが自分の唯一の幸せである」と思い込んでしまいます。そのため、その後に、母乳、自然食、早期教育、習い事、お受験などの「子育て競争」への思い入れを強め、「毒親」になるリスクがあります。ましてや、子どもの障害が見つかった場合は、親アイデンティティが揺らぐので、「こんなに私はがんばっているのに」「夫の血が悪い」「子どものせいで不幸になった」という発想になる危うさもあるでしょう。なお、「毒親」の心理の詳細については、関連記事2をご覧ください。(3)元を取りたいと思う-負け追い3つ目の嗜癖のリスクは、元を取りたいと思う、つまり、負け追いです。ドラマの43歳の妊婦の発言のように、それまでに費やした労力、時間、そして高額な治療費を無駄にしたくないと思う気持ちが高まります。これは、損を取り返したいと思う点で、ギャンブル依存症にも通じる心理です。ドラマの女性は、10%の「ギャンブルに勝った」から、得るものがありました。しかし、残りの90%の人は「負け続けてどんどん失っている」という点で、この心理の危うさがうかがえます。なお、ギャンブルの心理の詳細については、関連記事3をご覧ください。<< 前のページへ■関連記事Mother(前編)【過剰適応】八日目の蝉【なぜ人を好きになれないの?毒親だったから!?どうすれば良いの?(好きの心理)】「カイジ」と「アカギ」(前編)【ギャンブル依存症とギャンブル脳】

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ザ・サークル【「いいね!」を欲しがりすぎると?(承認中毒)】Part 1

今回のキーワード承認欲求自信(自己効力感)自尊心(自己有用感)仲間意識(同調)自尊心(自己肯定感)「SNS疲れ」自己受容自己実現皆さんは、SNSで「いいね!」をたくさんもらいたいですか? フォロワーをもっと増やしたいですか? もちろんより多くの人の支持があれば、それはそれでうれしいでしょう。ただし、「いいね!」を欲しがりすぎたら、どうなるでしょうか? 逆に、「いいね!」がもらえないことで気に病んでしまったら? そして、「いいね!」の数が唯一の目的になってしまったら?「いいね!」をもらうのは、自分の価値が認められるという承認です。そして、承認を欲しがるのは、承認欲求です。なぜ承認を欲求するのでしょうか? そもそもなぜ承認欲求は「ある」のでしょうか? そして、承認欲求にどうすれば良いのでしょうか?これらの答えを探るために、今回は、映画「ザ・サークル」を取り上げます。この映画を通して、承認の心理を進化心理学的に、そして文化心理学的に掘り下げます。そして、より良い承認欲求のあり方を一緒に考えてみましょう。なんで「いいね!」を欲しがるの?舞台は、ザ・サークルという名の巨大SNS企業。この会社の新入社員のメイは、もともとプライベートを大事にする地味で真面目な田舎育ちの優等生。そんな彼女が、とある事件をきっかけに、新サービス「シーチェンジ」の実験モデルに大抜擢されます。「シーチェンジ」とは、あらゆる場所に設置された超小型監視カメラによって、人々の私生活を生配信するものです。彼女は、トイレ・入浴と睡眠を除くすべてのプライベートを24時間公開することによって、フォロワー1,000万人を超えるアイドルになっていくのです。まず、メイの言動から、承認欲求の心理を3つに分けてみましょう。(1)自信が高まるメイは、「シーチェンジ」によって、日々多くの励ましのコメントが寄せられることで、社内ミーティングで積極的に発言し、ステージでスピーチをするようになります。1つ目は、自信(自己効力感)が高まることです。自己効力感とは、自分はものごとをやり遂げることができると感じることです。これは、ポジティブなことを言われると、美味しいものを食べた時と同じように、ドパミンが活性化して快感が得られるからです(社会的報酬)。そして、そのポジティブさを生かすことに目が向き、積極的になっていくからです(ピグマリオン効果)。なお、この詳細については、関連記事1をご参照ください。 (2)自尊心が高まるメイは、「シーチェンジ」によって、日々多くの共感のコメントが寄せられることで、多くの人から気にされている、愛されていると思うようになります。2つ目は、自尊心(自己有用感)が高まることです。自己有用感とは、他人の評価によって自分は大切にされていて大丈夫と感じることです。これは、自分の味方がいることで、子どもが母親に抱かれた時と同じように、オキシトシンが活性化して安心感が得られるからです(愛着形成)。なお、この詳細については、関連記事2をご参照ください。 (3)仲間意識が高まるメイは、「シーチェンジ」によって、発言するたびに多くのコメントが返ってくることで、全世界のフォロワーとつながっていると思うようになります。3つ目は、仲間意識(同調)が高まることです。同調とは、周りに調子を合わせることです。これは、同じものを見続けることで、同じ場所で同じ格好で同じ動きをするのと同じように、ドパミンとオキシトシンが活性化して連帯感が得られるからです。なお、この詳細については、関連記事3をご参照ください。 「いいね!」を欲しがりすぎると?承認欲求の心理は、自信、自尊心、仲間意識がそれぞれ高まることが分かりました。それでは、承認欲求が行きすぎると、どうなるでしょうか? ここから、承認欲求の危うさを大きく3つ挙げてみましょう。(1)とらわれるメイは、幹部ミーティングで「世界中のすべての人がサークルに加入して、すべてのサービスや支払いを一元化する」「選挙も義務化してオンライン化する」「このインフラは、政府にはないけどサークル社にはある」「国民の意思が一瞬にして分かる。これが真の民主主義です」と言い切ります。彼女は、サークル社とサークル会員のために良かれと思い、過激な発言をするようになります。1つ目は、承認を求めるあまりにとらわれることです(過剰適応)。承認による自信(自己効力感)は、裏を返せば、期待に応えられない自分は認められないと思い込む危うさがあります。ちなみに、この心理が巧みに利用されてしまうのが、官僚の「忖度」です。(2)とりつくろうメイの同僚のアニーは、もともと親友でしたが、メイがアイドルになっていくにつれて嫉妬し、関係がぎくしゃくしていきます。2人は、その状況を見られたくないと思い、「シーチェンジ」が行き届かないトイレの中でこそこそと話をします。メイは、自分のすべてを見せると言っておきながら、見せたい自分だけしか見せていないのでした。2つ目は、承認を求めるあまりにとりつくろうことです(演技性)。承認による自尊心(自己有用感)は、裏を返せば、イケていない自分は愛されないと思い込む危うさがあります。ちなみに、この心理が巧みに利用されてしまうのが、盛れるカメラアプリや「いいね!」の数の売買です。(3)流されるメイの幼なじみのマーサーは、メイと対照的に、SNSとは距離を置き、地元で素朴な生き方をしていました。しかし、彼は、自分がつくった鹿の角のシャンデリアの写真をメイに無断でSNSに投稿されたことにより、「鹿殺し」の汚名を着せられ、殺人の脅迫メールまで送りつけられるようになります。マーサーは、メイに「構わないでくれ」と言い、その後は音信不通になっていました。しかし、メイは、「シーチェンジ」を駆使して行方不明者の居場所を特定する新しいサービスをプレゼンする中、マーサーの居場所を特定するよう観衆からいっせいにコールがかけられます。彼女は断りきれず、結果的にマーサーをさらに追い詰めてしまうのです。3つ目は、承認を求めるあまりに流されることです(依存性)。承認による仲間意識(同調)は、裏を返せば、違う意見を言う自分は仲間になれないと思い込む危うさがあります。ちなみに、この心理が巧みに利用されてしまうのが、「ほめ殺し」です。「承認中毒」とは?承認欲求の危うさは、とらわれる、とりつくろう、流されることであることが分かりました。「認められたい」という欲求が「認められなければならない」という不安にすり替わっています。つまり、根っこの心理は、承認が得られなくなることへの不安です。また、仲間同士で「いいね!」をし合う中、「いいね!」をしたいという喜びが「いいね!」をしてあげなければならないという苦痛にすり替わってしまう危うさもあります。いわゆる「SNS疲れ」です。さらに、「いいね!」数やフォロー数を増やすだけのために、本当はフォローや「いいね!」をするつもりがない相手でも、とりあえず仲間になり、お互いに「いいね!」やフォローをし合うというテクニックも広がっています。こんなことをしていたら、ますます時間をとられて苦痛を感じるでしょう。そうなると、もはや本心でもなく、本来の自分でもなくなってしまいます。そもそも「いいね!」をもらうのは、何かを伝えるという目的のためのフィードバック、つまり手段であるはずです。その手段がすべてになってしまい、目的を見失っています。これは、よくある「手段の目的化」という心理です。このように、承認にすがり無理をしていると分かっていても、承認欲求をやめられない、やめようとしない状態は、「承認中毒」と言えるでしょう。なぜなら、アルコールやギャンブルと同じ「中毒」(アディクション)の要素が根っこにあるからです(嗜癖性障害)。さらに、「承認中毒」で「自家中毒」を引き起こす場合があります。それは、「自分を見てもらえるなら何だってよい」「とにかくみんなに自分のことを分かってほしい」という心理です。たとえば、「私は発達障害なんです」「私は非モテなんです」「私は虐待されてきました」と自分の病気や不遇ばかりをSNSで過剰に自己開示することです。いわゆる「不幸自慢」です。確かに、自分語りは自助グループなどで集団療法としての効果はあります。ただし、自分語りは、自分を客観視することで幸せになるための手段であって、目的そのものではないです。ちなみに、この心理が巧みに利用されているのが、「居場所ビジネス」や「毒親ビジネス」などのカウンセリングビジネスです。なお、この詳細については、関連記事4をご参照ください。 次のページへ >>

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境界性パーソナリティ障害と自殺企図~10年間のフォローアップ調査

 境界性パーソナリティ障害(BPD)は、自殺企図などの自殺行動の強力なリスクである。自殺行動リスクに影響を及ぼす因子を明らかにすることは、適切な自殺予防介入を考えるうえで重要であろう。米国・ハーバード大学医学大学院のShirley Yen氏らは、BPD患者の自殺企図に関連する因子をプロスペクティブに調査するため、10年にわたるフォローアップによるCollaborative Longitudinal Study of Personality Disorders(CLPS)研究を実施した。JAMA Psychiatry誌オンライン版2020年11月18日号の報告。 CLPS研究は、4つのパーソナリティ障害(PD)の成人患者と比較対照群としてうつ病および最低限のPDの特徴を有する成人を対象としたマルチサイト自然主義的プロスペクティブ研究である。対象患者は、ニューヨーク州ニューヨーク、マサチューセッツ州ボストン、コネティカット州ニューヘブン、ロードアイランド州プロビデンスで治療のため受診し、入院、部分入院、外来で治療された患者733例(募集期間:1996年9月~1998年4月および2001年9月~2002年8月)。そのうち1回以上のフォローアップ評価を完了した患者は701例であった。フォローアップサンプル701例のデータを用いて、2019年3月~2020年8月に分析を行った。対象者には、半構造化診断面接および各種自己報告を実施し、年1回最大10年間の評価を行った。10年間のプロスペクティブフォローアップ期間の自殺企図に対するベースライン時の人口統計学的因子およびBPD、個々のBPD基準を含む臨床的リスク因子を調査するため、多重ロジスティック回帰分析を用いた。 主な結果は以下のとおり。・701例の背景は以下のとおりであった。 ●女性:447例(64%) ●白人:488例(70%) ●独身:527例(75%) ●仕事がない:433例(62%) ●いくつかの大学教育経験:512例(73%)・人口統計学的因子(性別、雇用、教育)および臨床的因子(児童性的虐待、アルコール使用障害、物質使用障害、心的外傷後ストレス障害)で調整した後、自殺企図と関連する最も強力な因子は、すべての障害の中でBPDであった(オッズ比[OR]:4.18、95%CI:2.68~6.52)。・その他の有意な因子およびBPD基準を共変数とした場合、以下のBPD基準は、自殺企図との独立した有意な関連が認められた。 ●不安定な自己像(OR:2.21、95%CI:1.37~3.56) ●慢性的な空虚感(OR:1.63、95%CI:1.03~2.57) ●見捨てられることを避けるための必死の努力(OR:1.93、95%CI:1.17~3.16) 著者らは「BPD患者の自殺企図と有意な関連が認められた、不安定な自己像、慢性的な空虚感、見捨てられることを避けるための必死の努力は、BPD患者の自殺リスクを評価するうえで、臨床的に見逃されている可能性がある。BPDは比較的寛解率が高いことを踏まえると、これらの基準は独立して評価すべきであり、自殺のリスク因子としてさらに研究が進むことが望まれる」としている。

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日本における自閉症の特徴を有する女性の産後うつ病と虐待リスク

 自閉症の特徴を有する女性が、出産後に母親となり、どのような問題に直面するかはあまりわかっていない。順天堂大学の細澤 麻里子氏らは、出産前の非臨床的な自閉症の特徴と産後うつ病および産後1ヵ月間の子供への虐待リスクとの関連、これらに関連するソーシャルサポートの影響について、調査を行った。Journal of Affective Disorders誌オンライン版2020年11月5日号の報告。自閉症の特徴は産後うつ病や子供への虐待のリスク増加と関連 日本全国の出生コホートである子どもの健康と環境に関する全国調査(Japan Environment and Children's Study)より、精神疾患の既往歴のない単胎児の母親7万3,532人を対象とした。自閉症の特徴は、簡易自閉症スペクトラム指数日本語版を用いて、妊娠第2三半期/第3三半期に測定した。対象者を、自閉症スコアに基づき3群(正常、中等度、高度)に分類した。産後うつ病はエジンバラ産後うつ病尺度日本語版を、子供の虐待は自己報告を用いて、出産1ヵ月後に測定した。妊娠中のソーシャルサポートは、個々に収集した。データ分析には、ポアソン回帰を用いた。 出産前の自閉症の特徴と産後うつ病および子虐待リスクとの関連を調査した主な結果は以下のとおり。・産後1ヵ月間で、産後うつ病は7,147人(9.7%)、子供への虐待は1万2,994人(17.7%)より報告された。・自閉症の特徴は、交絡因子とは無関係に、産後うつ病および子供への虐待のリスク増加との関連が認められた。 【自閉症スコア中等度】 ●産後うつ病(調整後相対リスク[aRR]:1.74、95%CI:1.64~1.84) ●子供への虐待(aRR:1.19、95%CI:1.13~1.24) 【自閉症スコア高度】 ●産後うつ病(aRR:2.33、95%CI:2.13~2.55) ●子供への虐待(aRR:1.39、95%CI:1.28~1.50)・自閉症スコアが中等度または高度の女性に対するソーシャルサポートは、産後うつ病および子供への虐待のリスクを、26~31%緩和させた。 著者らは「自己報告による評価であるため、制限がある」としながらも「中等度または高度の自閉症の特徴を有する母親は、産後1ヵ月間で、産後うつ病や新生児虐待に対する脆弱性が認められており、妊娠中のソーシャルサポートが不足している可能性が示唆された」としている。

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境界性パーソナリティ障害女性の自分の体の評価と小児期の性的虐待の影響

 自分の体を評価するうえで、精神状態は大きく影響する。精神疾患を有する女性患者の身体評価は、健康な女性と比較し、ネガティブに表れる。とくに、境界性パーソナリティ障害(BPD)を含む児童性的虐待(CSA)に関連する問題によって、ネガティブな評価が増加することが示唆されている。しかし、このネガティブな評価が症状寛解後も持続するのか、体の場所(性的に暗示される場所と中立的な場所)に依存するか、CSAに依存するかについてはよくわかっていない。ドイツ・ハイデルベルク大学のNikolaus Kleindienst氏らは、BPD患者の身体評価とCSA歴の影響について、調査を行った。European Journal of Psychotraumatology誌2020年6月25日号の報告。境界性パーソナリティ障害女性の身体評価は児童性的虐待歴と有意な関連 BPD患者、BPD寛解患者、健康対照者の女性68例を対象に、身体評価を定量的に比較した。次に、CSA歴と性的に暗示される体の場所との関連を調査した。BPDの診断には、国際人格障害診断を用いた。対象者は、身体領域に関する調査を用いて、自分の体の評価を定量化した。CSAの評価には、小児期外傷アンケートを用いた。 境界性パーソナリティ障害の女性患者の身体評価を比較した主な結果は以下のとおり。・BPD患者の身体評価は、一般的にネガティブであったが、BPD寛解患者では、ポジティブであった。・しかし、BPD寛解患者のポジティブな評価は、中立的な体の場所に限定されており、性的に暗示される体の場所に関しては、BPD患者と類似しており、健康対照者の評価とは対照的であった。・BPD寛解患者の性的に暗示される体の場所に対する評価は、CSA歴と有意な関連が認められた。 著者らは「女性BPD患者には、全身のポジティブな評価を得るために、特別な介入が必要となる可能性がある。性的に暗示される体の場所に対する評価は、BPD寛解後も残存する問題であると考えられる」としている。

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音羽幼女殺害事件【なぜママ友の子どもを殺したの?人ごとじゃないわけは?】Part 3

動機は懲らしめ?(1)判決検察側は、有期刑の最長の18年を求刑しました。一審の判決で、Mさんは懲役14年となりました。そして、検察側が控訴した控訴審の判決で、懲役15年が確定しました。量刑の判断において、自首をした点や、犯行の事実関係を隠すことなく述べた点が酌量すべき情状とされました。一方、控訴審の判決で量刑が重くなった主な理由として、犯行の悪質性と被害者感情を重視した点が挙げられています。(2)精神医学的な考察a. なんで執着したの?-ストーカーの心理公判中には、Mさんは、犯行動機については多くを語らないわりに、Wさんとの関係については饒舌に語っていました。それが、Wさんを悪く言っている態度となり、裁判官への心証が悪くなっていました。本来、情状酌量のために反省の態度を見せたいと思えば、Wさんのことは悪く言わないのが得策と判断します。それができないのは、もちろんMさんの強迫性パーソナリティ障害による頑固さや不器用さによるところがあります。そして、それ以上に、先ほどご説明した支配観念という執着によるところがあると考えられます。Mさんは、出会った当初のWさんへの印象を「初めて心を許せる相手」と述べていました。しかし、よくよく考えると、この発言は、20歳代前半まで若者の発想です。当時30歳を過ぎている点、仕事をしてきた点、結婚をしている点、子どもがいる点で、それなりに人生経験を積んでいるはずの女性が、この発言をするのはかなり短絡的でナイーブです。支配観念は、恨みや妬みだけでなく、恋愛感情や友愛感情も含まれます。つまり、Mさんは出会った時点で、恋愛感情と同じような執着のスイッチが入ってしまったと考えられます。関係がぎくしゃくしている中、Mさんが唐突にWさんを呼び出し、ひな人形を見せたのは、Mさんなりに何とか仲を取り戻したかった、彼女なりの友愛感情であったとも考えられます。Mさんの根っこの心理は、「こんなにあなたのことを気にかけているのに」「親友だと思っていたのに」という思いです。それなのに、「ほかのママ友と仲良くしている」「私の気持ちを分かってくれない」という愛憎入り混じる感情になっていたことが考えられます。これは、典型的なストーカーの心理です。Mさんの心理は、男女間の恋愛感情ではなく、ママ友間の友愛感情ですが、根っこの心理は同じです。MさんがWさんの居場所を探し回ったのは、元恋人を執拗に追い回すのと同じストーカー行為です。ストーカー行為の最悪の結果は、「自分がこんなに愛しているのに分かってくれない」と訴え、ストーカー殺人に至ることです。Mさんは、もともとWさんへの友愛感情が強かったと考えれば、それが裏切られたという恨みの気持ちから、殺意が芽生えたと想像するのは容易でしょう。判決文では、その心理を「自分本位な考え方に取りつかれたまま認識、判断、行動したものであって」「被告が一方的に反感や敵の感情を増殖・肥大させていった」と表現しています。なお、「こんなにしてあげてるのに」という一方的な思いは、子ども虐待、患者虐待、高齢者虐待にも通じる心理です。b. なんで距離をとれなかったの?-同調の心理判決文には、「Wさんに対する感情が殺意の念が浮かぶまで高まっていったという事態の深刻さについて、真剣に自省すれば、多様な対処手段がありえたにもかかわらず、結局は成り行きに任せ」と書かれています。確かに、夫は「幼稚園のお母さんたちとは、さっぱりした付き合いをすればいい」「だらだら遊んでないで、とっとと帰ってくればいい」と助言していました。しかし、公判で、Mさんは「正論ですけど、それができないから悩んでいるのを、分かってほしかった」と述べています。どういうことでしょうか?その理由は、主に3つあります。1つ目は、先ほどご説明した「良い園ママ」になりきろうとするMさんの生真面目さ(強迫性パーソナリティ障害)による同調の心理です。2つ目は、単独行動をしてはいけないというママ友同士の暗黙のルールによる同調圧力です。ママ友付き合いは、子育ての大変さを共感し合い、勇気付け合うというプラス面があります。一方で、夫が助言する「さっぱりした付き合い」をすれば、自分だけでなく、子どもまで仲間外れにされる恐怖があります。そういう意味では、子どもは「人質」とよく言われます。また、お受験や習い事などの情報を得ることもできなくなります。当時は、今と違ってインターネットがまだ普及していなかった事情もあります。これは、独特のママ友文化です。この詳細については、末尾の関連記事1をご参照ください。3つ目は、同調圧力を高める幼稚園のルールです。通わせていた幼稚園は、毎日の送迎をはじめとして親が参加する日課やイベントがとても多い特徴がありました。これは、親同士が親密になり、家族ぐるみで子どもの社会的な体験を豊かにするメリットはあります。一方で、そのデメリットは、Mさんのように一度仲違いしてしまっても、何かと顔を合わせて関わらなければならず、お互いの距離が取れなくなる危うさです。これは、独特の幼稚園文化です。この詳細についても、末尾の関連記事1をご参照ください。Mさんは、執着の自覚がありました。ストーカーは、自覚があるなら、自省して相手から離れようとします。ストーカーされる人も近付かないようにするでしょう。しかし、どうしても顔を合わせなければならないという独特のママ友文化や幼稚園文化の中、Mさんに残された選択肢は、引っ越しだけだったのでした。 c. なんでHちゃんを殺したの?-懲らしめの心理一審に続いて控訴審でも、「当初Wさんに向いていた殺意は、実行可能性がないとの理由から被害者(Hちゃん)に転化した」点を認定しています。端的に言うと、Wさんを殺せないから、代わりにHちゃんを殺したというのです。検察側も弁護側も、この点については認識が同じでした。一方で、控訴審の判決では、Mさんの「恨みを晴らす気持ちのほうが大きかったと思います」との供述を取り上げています。ただし、それでも「Wさんに死よりもつらい苦痛を与える気持ちがあったとは供述しておらず」と書かれています。また、「相手の大切なものを壊してしまえという感覚はなかった旨供述している」という点を取り上げています。そして、「被害者(Hちゃん)が殺害されれば、当然ながら、その結果からして母親(Wさん)が非常に悲嘆にくれることは明らかではあるものの、被告人(Mさん)が当初よりそれを意図して本件犯行を行ったものであるとは、上記のとおりこれを認めることはできない」と結論付けています。また、「競争心(妬み)が存在していたことを強調するのには疑問がある」として、妬みは犯行の主な動機として認めていないです。つまり、控訴審では、動機が恨みであると明確にしつつも、Wさんを悲嘆させる意図(動機)については認めませんでした。恨みはあるけど、懲らしめるつもりはなく、でも代わりに子どもを殺したということになります。この点は、精神医学的に考えれば疑問が残ります。その理由は主に3つあります。1つ目は、恨みと懲らしめの心理はつながっているからです。逆に言えば、懲らしめたいと思わない恨みの心理は、臨床的にほかに例が見当たりません。なお、懲らしめるという制裁の心理の詳細については、末尾の関連記事2をご参照ください。Wさんを懲らしめたいからこそ、計画的だったと考えられます。確かに、Hちゃんの殺害にあたっては、偶発的な要素が大きいです。しかし、Mさんは公判で「この時は、私が(Hちゃんを)連れ出せる条件がすべて揃っていました」と述べています。また、殺害から死体遺棄までの手際が良すぎます。やはり、最初からHちゃんの殺害と死体遺棄を計画していたことが示唆されます。また、Mさんが母親に打ち明けたのは、自首するためではなく、秘密を共有して味方になってもらうためでした。それを端的に表してるのが、母親から自首を勧められた時に、「私は35年間生きて、土壇場で裏切られた」と電話越しに泣き叫んだことです。この言葉に、Mさんの罪悪感は読み取れません。Mさんのシナリオは、Mさんなりの「被害者感情」による「正義」のもと、母親が味方になり、事件をやり過ごすことだったでしょう。そして、Hちゃんが行方不明になったことでWさんが悲嘆にくれるのを見届けることだったでしょう。2つ目は、悲嘆させて恨みを晴らすという「正義」があるからこそHちゃんを殺せるということです。もともと規範意識が強いMさんなら、動機としてなおさら理解できます。裏を返せば、「正義」がないのに、一介の二児のママが他人の幼児を殺す例はほぼないと言えるでしょう。なお、弁護側の心理カウンセラーから、八つ当たり(置き換え)の心理の説明がされていました。どうやら、裁判官はこれを採用したようです。しかし、これは無意識に働くレベルの心理です。殺人の計画は、無意識では不可能です。古今東西から、近親者や関係者を代わりに殺す例は、敵討ちや見せしめなどの意図がもともとあります。ちなみに、一介のママが自分自身の子どもを殺す例ならあります。それは、無理心中(拡大自殺)です。これは、集団主義による母子の一体化の強い日本でとくに見られます。3つ目は、悲嘆させてこそWさんがいなくなることです。ただHちゃんがいなくなっても、上の子同士は年長組でまだ幼稚園に通っています。悲嘆を想定していれば、Wさんは送り迎えに来なくなるので、顔を合わせることはなくなります。また、たとえWさんが来たとしても、悲嘆にくれたWさんなので、Mさんはその優越感から顔を合わせても良いと思えるでしょう。逆に言えば、Wさんの悲嘆を想定していなければ、MさんとWさんは顔を合わせることは続くわけですので、矛盾します。当時の検察側が、以上のような主張をした記録は見当たりませんでした。裁判官は、Mさんの言うことをそのまま受け止めたようです。結局のところ、懲らしめの心理は、Mさんにしか分からないです。もしかしたら、Mさん自身も「良い被告」になりきって、その心理を自覚しきれていなかったかもしれないです。究極的には、裁判官は、被告が懲らしめの動機を否定し続ける限りはその動機について認めることはできず、犯行の形式で量刑を評価するしかないのでしょう。 この事件の教訓は?Mさんの犯行の動機は、ストーカーの心理をもとに、同調の心理に追い詰められ、懲らしめの心理が決定打となったことが分かりました。それにしても、これらの1つ1つは、ママ友付き合いにおいては、決して珍しくない心理です。つまり、ママ友付き合いには、殺意を抱くほどの恐ろしいリスクがあることに気付かされます。もちろん犯行は明らかにMさん(個人因子)の責任です。しかし、Mさんを駆り立てた状況(環境因子)を見過ごすことはできません。それは、同調の心理を高めるママ友文化と幼稚園文化です。ここから、そのリスクをそれぞれ「ブラックママ」「ブラック幼稚園」と名付け、表1に具体的にまとめてみましょう。ちなみに、ママ友文化の危うさは、人間関係でトラブルを起こしやすい「フレネミー」の心理にもつながります。「フレネミー」の詳細については、関連記事3をご参照ください。 私たちの中の小さな「Mさん」この事件が決して人ごとではない点として、Mさんが良妻賢母を目指していたことにも注目する必要があります。子どものためにと良妻賢母になりきる危うさは、体裁を取りつくろう余りに、中身がなくなり、自分自身が何をしたいのか、何を目指してるかのかが分からなくなってしまうことでしょう。私たちの中にこの小さな「Mさん」がいることを自覚したとき、私たちの生き方、親としてのあり方を考え直す良いチャンスになるのではないでしょうか?<< 前のページへ■関連記事マザーゲーム(前編)【ママ友付き合い、なんで息苦しいの?(「女心」の二面性)】Part 1苦情殺到!桃太郎(前編)【なんでバッシングするの?どうすれば?(正義中毒)】Part 1

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第27回 実体験から望む、リアルな「アンサング・シンデレラ」

10月1日に発表された人気女優の石原さとみの結婚というニュースはSNS上で見る限り、多くの男性を悲嘆・落胆に追いやったようだ。この直前、石原さとみは病院薬剤師を描いたドラマ「アンサング・シンデレラ」で主役の病院薬剤師・葵 みどりを演じている。このドラマに関しては、そのストーリーが「ナンセンスだ」など批判的な指摘もあったが、その一部には、薬剤師以外の医療従事者による薬剤師業務に対する無理解・無知さがあったことにはやや驚いた。一方、薬剤師が一部のシーンに対して「『薬剤師あるある』だ」という声も多かった。私はリアルタイムで見ることができず、今頃録画したものを見始めているが、そのなかで患者・家族の立場でダブってしまった、というかトラウマが蘇った瞬間があった。苦い薬と母子の葛藤を薬剤師が緩和それは第2話で出てくるマイコプラズマ感染で受診した男の子とシングルマザーの母親の物語だ。男の子に処方された去痰薬と抗菌薬の顆粒を飲ませようとする母親。しかし、息子は「苦い」といって拒否する。母親は苦心してオレンジジュースに顆粒を混ぜ、「これでもう苦くない」と言って息子に渡したものの、それを飲んだ息子はやはり「苦い」と言ってコップを放り投げ、「ママ、嘘ついた」とまで言い張る。母親は医師に処方変更を希望するが、医師から「もう少し頑張ってみてください」と言われ、思わず「頑張っていないですか?」と漏らしてしまう。そんな母親に服薬指導をするのが、葵 みどり。葵は母親自身に抗菌薬顆粒の甘さの中に苦みが残る味を実際に味見させたうえで、オレンジジュースに混ぜて渡す。それを口にして「うわっ、苦い」と漏らす母親。葵は「○○は酸性のものと混ぜるとコーティング(甘み)が剥がれて強い苦みが出てしまうんです」と説明する。葵が母親に勧めるのがチョコレートアイスに混ぜる方法。口にした母親は「チョコの味しかしない」と驚く。この○○という薬は実在する。私は最初に男の子が薬を口にして「苦い」と言った瞬間にほぼ推測がついた。そして葵による服薬指導のシーンで明らかにされた○○の名称を聞いて、やっぱりと思った。答えは、クラリスロマイシンのドライシロップだ。処方薬は看病する人にも少なからず影響実は私自身も娘で似た経験があったのだ。それはある部分ではドラマで描かれたものより過酷だった。うちの家庭は共働きの夫婦と娘の3人家族。夫婦互いの実家は東京から新幹線で2時間弱は離れている。娘が熱を出した時、頼れる親族は身近にいない。さらに夫婦の役割で言えば、妻は電車で40分離れた職場、私は自宅から自転車で10分以内のアパートを事務所にしている。娘が保育園で発熱したといえば必然的に駆け付け、自宅療養の担当となるのは私だった。もっとも自営業で出来高仕事の私はその分だけ仕事で割を食う。小児医療費の助成も相まって、どうしても娘を連れて医療機関に駆け込んでしまう。よく抗インフルエンザ薬のタミフルは適切に服用しても発熱期間を半日から1日しか短縮する効果がないとネガティブな評価を受ける。しかし、治療を受ける側ではなく看病する側から見た場合、私のような立場の者にとっては、その半日から1日早く業務に復帰できることは周囲の人が考える以上にありがたい。そういう人は少なくないはずだ。そんなこんなで娘が発熱した場合は即座に受診することがほとんどだった。多くは「風邪だと思われます」との診断。娘のかかりつけ医の処方は、去痰薬と鎮咳薬、頓服用の解熱薬にとどまることが多く、抗菌薬を処方された記憶はほとんどない。単なる抗菌薬と侮っていたら…ところが娘が3歳になった年の2月、発熱でかかりつけ医に駆け込むと、いつものように「風邪でしょう」と診断した医師が珍しく「念のため抗菌薬を出しておきます」と言って処方したのが、クラリスロマイシンのドライシロップだった。早速、自宅で服用させるものの、このクラリスロマイシンだけは口にした瞬間に「オェー」と言いながら、吐き出した。驚きはしたものの、私はそれ以上服用させることはしなかった。「所詮、風邪に抗菌薬は無駄」と思っていたからだ。翌日娘は解熱するものの、翌々日は微熱を出した。3日後には再び解熱したが、この間、乾いた咳が続き、4日目の日曜日、突如38度まで熱が上昇し、自治体の休日診療所に駆け込んだ。休日診療所の医師は一般的には半ば「儀礼的」とも思われがちな聴診を、私の目にも普通ではないとわかるほど何度も繰り返した。聴診器をようやく外した医師からこう告げられた。「お父さん、今すぐ○○大学病院に向かえますか? こちらからも連絡を入れます。娘さんは肺炎を起こしている可能性が高いです」休日診療所を出て大学病院に向かうタクシーの中で突如、娘は嘔吐をした。慌てる私に運転手さんは「お気になさらず。とにかく病院へ急ぎます」と冷静だった。大学病院に到着して受付すると、娘はすぐにX線写真撮影をすることになり、看護師が衣服の表面についた吐瀉物を拭いてくれた。私もトイレに駆け込み、吐瀉物がついたジャケットとシャツを洗おうとしたが、濡れたまま持ち帰る手段が思い浮かばず、思い切ってごみ箱に捨てることにした。待合室は暖房が入っているため、とくに寒さは感じなかったが、やはり2月にTシャツ一枚の姿は周囲から見れば異様だったろう。20分ほど待っただろうか。呼ばれて診察室に入ると、医師の目の前のPCに映し出された娘のものと思われる胸部X線写真が目に入った。ちなみに私自身は20代前半にエジプトのカイロを旅行中に右肺の半分弱、左肺の約4分の1がX線写真で白く映るほどの肺炎にかかり、現地で2週間も入院した経験がある。また、職業柄、学術書や論文に掲載されている肺炎のX線写真も目にしている。この時、PCに映し出されていた右肺の下部が白くなっていたX線写真は私でも肺炎だとわかった。医師からも娘が肺炎を起こし、経過や咳の状況などを見ると、マイコプラズマ肺炎と思われ、クラリスロマイシンを処方すると説明された。娘がクラリスロマイシンの味を嫌って服用拒否してしまうことを伝えたが、医師からはこう告げられた。「とにかく頑張って飲ませてみてください。どうしても飲まないというならば、入院して点滴するしかありません」大学病院の門前薬局でクラリスロマイシンを受け取った際にも娘が服用拒否してしまうことを伝えると、薬剤師からチョコ味の服薬ゼリーがお勧めだと教えられた。しかし、この薬局ではあいにくチョコ味のゼリーの在庫がなく、あるのはストロベリー味のみ。それを取り敢えず購入した時に、薬剤師から「ここで1回分飲んでいきます?」と提案された。薬包紙を切った段階で娘は口を開けている。ゼリーを使わなくても飲めるのかもと思い、口にドライシロップをいれると眉間にしわを寄せながら、水で飲み干した。ああ、案外すんなりいけるかもと思ったが、実際にはそうはならなかった。片手にクラリスロマイシンの父vs.愛娘、地獄の戦い翌朝から保育園をお休みし、私が自宅療養に付き合うことなった。妻が出勤後に娘に朝食をとらせ、服薬させようとしたが昨日から一転して娘は拒否し始めた。私は「このままだと入院になるし、最悪肺炎で死ぬ人もいるよ」と告げるが、娘は頑として拒否。ストロベリー味の服薬ゼリーがあることを思い出し、それに混ぜて口にさせるがそれも吐き出した。「えっ?」と思い、自分で口にしてみたが確かに苦みが残っている。さて困った。私はリビングのテレビをつけ、「お父さんはお買い物に行ってくるから、好きな番組見ていいよ」と娘に告げると、街に飛び出し、保険調剤薬局、ドラッグストアを片っ端から訪ね、チョコ味の服薬ゼリーを探した。7軒目でようやく見つけ、購入して帰宅。テレビの前でうたた寝していた娘を起こして、今度はチョコ味のゼリーでクラリスロマイシンを飲ませようとしたが、娘の一言でとん挫した。「チョコは苦いから嫌い」私もハッとした。確かに過去に保育園からの連絡帳に「おやつの時に出したチョコを苦いと言って食べなかった」という旨の記載があったことを思い出したのだ。仕方なく、私は再び外に出て、自宅から一番近い保険調剤薬局で事情を説明した。すると、「バニラアイスや牛乳に混ぜると良いとは言われています」とのこと。コンビニでバニラアイスと牛乳を買って帰り、試したのだがそれでも「苦い」と言われ吐き出された。もはや万事休す。前医からの残薬分があったとはいえ、味の実験をしているだけの量の余裕はない。私は服薬用の水を入れたコップを用意し、薬包紙を破って自分の手の平にドライシロップ全量を出して軽く握ると、左手で娘をヘッドロックし、そのまま右手の親指から中指までの3本の指で娘の口をこじ開けながら手を傾け、口内にドライシロップを突っ込んだ。さらに泣きわめく娘を尻目に、左の手の平で娘の口を押え、右手を伸ばしてコップをつかんで顔の近くまで持って行き、左の手の平を離した際に嘔吐気味に開けた口にコップの端を当て水を注ぎこみ、再び左の手の平で口を封じた。「苦しいけど、ゴックンしてね、ゴックン」と言いながら。もはや虐待じみているが、仕方がない。娘は既に肺炎を起こしているのだ。1日2回の服用のうち、朝は妻の出勤後、夕刻は妻の帰宅前・夕食前にこの格闘が続いた。あえて妻がいない時間にしたのは、打つ手なしとは言え娘が苦しむ姿は見せたくなかったからだ。もっともその後も何もしていなかったわけではない。時間があるごとに近隣の保険調剤薬局やドラッグストアをまわり、状況を伝えて相談はした。その数はチョコ味の服薬ゼリーを探した時を超えて11軒。しかし、ストロベリー味のゼリーもダメ、チョコ味のゼリーもダメ、牛乳もダメ、バニラアイスもダメという私の説明後に返ってくるのは決まって「大抵そのどれかでいけるんですがね」というもの。新たな案は1つも出てこず、不思議なくらい同情すらされなかった。結局、娘は大学病院の初診から3日目の受診で肺炎の改善が確認され、7日目の受診で「まあもう大丈夫でしょう」と医師から告げられた。その間、強制服薬を続け、毎回娘の服は私の手の平から一部こぼれ落ちたドライシロップまみれになり、顔や服は飛び散った水で濡れていた。クラリスロマイシンの服用が終了となった7日目の受診後に私は娘に「いっぱいがんばったからハンバーグ食べに行こうか?」と提案した。大学病院の近くにハンバーグがおいしいと評判の老舗レストランがあることを知っていたからだ。娘が久しぶりに満面の笑みを浮かべたことを今でも覚えている。私も娘も、もうあの強制服薬で苦しむことはない。晴れ晴れとした気持ちでそのレストランに入ってテーブルに座り、私がメニューに手を伸ばして、「さあ何を食べようね」と言いかけた瞬間、娘が「お薬はもういや」と金切り声を挙げて、テーブルの片隅にあったものを払い落とした。食塩のボトルだった。あの強制服薬の影響で白っぽく見える粉が薬に見えたらしい。その後、2ヵ月ほど白い粉末に対する拒否反応が続いた。結局このときから9ヵ月後、娘は再びクラリスロマイシンのドライシロップを服用する羽目になる。しかし、観念したのか、この時以降は自ら口を開き、ドライシロップを受け入れるようになった。もっとも飲み始めから飲み下し後数分間はひたすら「まじゅい(不味い)」と文句を言い続けていたが。医療者「あるある」で終わらせてほしくないたぶんこのクラリスロマイシンの話題は医師、薬剤師双方にとって「あるある」的な話なのだろう。テレビドラマはどうしても典型例しか描けないが、その「あるある」にはクラリスロマイシンの事例で私が経験したような典型パターンで解決できないケースもある。そしてそうしたケースは、ほかにも山のようにあるだろう。しかし、過去にも言及したが、生活習慣指導も含め、日常的に医療に接していると医療従事者による添付文書の棒読みのような対処のなんと多いことか。今、丹念にあの時の事を振り返っても思うのが、別にドラマの中のようにエレガントに解決されなくともある意味仕方がない、ただ共感してくれるだけでもいいから「葵 みどり」が現れていたらと、ふと思う。昨今、一部の医薬分業バッシングにあるように薬剤師を取り巻く周囲の目はやや厳しい。そして「かかりつけ薬剤師・薬局」「健康サポート薬局」など行政による矢継ぎ早な提案が続いている。今回、改めてこうした検討が行われた時の資料を読み返してみた。そして思うのだ。そこに求められている薬剤師像はまさに「葵 みどり」ではないかと。薬剤師の中にもあのドラマを部分部分で「ナンセンス」と突っ込みを入れてみていた人もいるだろうし、繰り返しになるが「あるある」で見ていた人もいるだろう。だが、私にはもはや薬剤師はその「ナンセンス」「あるある」を超えるべき時期、もっと一歩踏み込んだ存在になるべき時期が来ているように思えてならない。

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双極性障害とうつ病患者における不安症の有病率とその関連因子

 気分障害の患者では、不安症が併発すると、うつ症状の持続、QOL低下、自殺リスク上昇、抗うつ薬治療による気分の不安定化などの悪影響が認められる。しかし多くの場合、このことは臨床診断で認識されていない。東京医科大学の井上 猛氏らは、以前報告したJET-LMBP研究のデータを用いて、日本人気分障害患者における不安症の有病率とその関連因子を調査し、不安症の併発を確認するのに役立つ方法を検討した。Neuropsychiatric Disease and Treatment誌2020年7月12日号の報告。 双極性障害患者114例、うつ病患者334例を分析した。不安症の併発は、精神疾患簡易構造化面接法(MINI)を用いて確認した。人口統計学的および臨床的特徴は、日本語版自己記入式簡易抑うつ尺度日本語版(QIDS-SR-J)、SF-36、Child Abuse and Trauma Scale(CATS)を用いて評価した。不安症の併発に関連する因子は、年齢、性別、抑うつ症状の重症度で調整した多変量ロジスティック回帰分析を用いて特定した(事後分析)。 主な結果は以下のとおり。・不安症の有病率は、うつ病患者(37.2%)よりも双極性障害患者(53.2%)のほうが有意に高かった。・双極性障害患者の不安症併発に関連する因子は、以下のとおりであった。 ●配偶者の不在 ●対人関係の拒絶感受性 ●CATSの性的虐待スコアの高さ ●SF-36の精神的サマリースコアの低さ・うつ病患者の不安症併発に関連する因子は、以下のとおりであった。 ●過眠症 ●病的な罪悪感 ●CATSのネグレクトスコアの高さ ●SF-36の身体的サマリースコアの低さ 著者らは「日本人の気分障害患者では、不安症の併発頻度が高かった。双極性障害患者やうつ病患者の不安症の併発は、小児期の虐待、非定型うつ病の症状、QOLの低下などと関連しており、これらの因子は、不安症の併発を確認するうえで役立つであろう」としている。

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万引き家族(後編)【親が万引きするなら子どももするの?(犯罪心理)】Part 2

万引きをしないためにはどうすれば良いの?「万引き」(反社会的行動)の遺伝を「なかったこと」にしたいのは、差別になる、不平等になる、懲らしめられなくなるという私たちの思いがあることがわかりました。そして、その思いの根底にあるのは、私たちはもともと「善」であり、「同じ」であり、「意思」があるという心理でした。ただし、これらの心理は、原始の時代の村で進化してきたものです。その村は、血縁関係でつながり、共通点が多く、お互いのことをよく知っていて、助け合って、信頼できる平等社会です。一方、現代の国家ではどうでしょうか? 多様化して共通点が少なく、お互いのことをよく知らず、直接助け合っておらず、信頼できるかわからない格差社会です。私たちの心はほとんど原始の時代のままなのに、現代の社会構造(環境)があまりにも変わってしまっています。「万引き」(反社会的行動)の「芽」がより出やすくなっているように思えます。だからこそ、私は、犯罪と遺伝の関係という「不都合な真実」を伝える必要があると思います。そして、その「真実」を踏まえてこその対策があると思います。それでは、万引きをしないためにはどうすれば良いでしょうか? 遺伝、家庭環境、家庭外環境にわけてそれぞれ考えてみましょう。(1)遺伝-本人の特性を強みとして生かす-ストレングスモデル家族団らんのシーンで、亜紀の気に入っている客が無口だったと聞いた信代は「あー男は無口なくらいがちょうどいいよ。おしゃべりはダメ」と言って、遠くから治を箸で指し、からかいます。すると、治は、「何?おれのこと呼んだ?」とツッコミを入れて、祥太とじゅりに手品を披露します。ここで分かるのは、治の良さは、おしゃべりでノリが良いこと、観察力があり器用であることです。これは、万引きの手際の良さから言うまでもありません。その後、信代が罪をすべてかぶったため、治は、罰を逃れました。しかし、定職に就くこともなく、一人暮らしをしているようです。治は、これで良いのでしょうか?1つ目の対策は、もともとの本人の特性を強みとして生かすことです(ストレングスモデル)。治は、抽象的思考が苦手なため、相手の指示の意図や段取りがわからないです。よって、建築作業員や事務員などは向いていないと言えます。また、飽きっぽさから、信代がやっていたようなクリーニング工場での単純機械作業も向いていないでしょう。向いているのは、単純な接客など、対人的でその場のやり取りに限定した仕事でしょう。もちろん、知的障害が判明すれば、障害者枠就労も現実的でしょう。もちろん、治に反省を促すことはできます。しかし、すでに説明した通り、抽象的思考が苦手なため、その反省は表面的で一時的でしょう。そもそも治には前科があるということが後に判明します。このように、ポイントは、犯罪歴があり再犯リスクのある個人に対して、懲らしめとして社会から疎外して、ひたすら反省を促すのではありません(ソーシャルエクスクルージョン)。一定の制限は設けつつも、むしろ社会復帰をするリハビリテーションを促すことです(ソーシャルインクルージョン)。行動遺伝学的に言えば、反社会性の「芽」が出てしまっていても、対極の社会性の「芽」には「水やり」をし続けることです。それは、社会への信頼と誇りを育むことです。これをしないと、結局、反社会性の「芽」が出たままで、行動化という「花」をまた勝手に咲かせるかもしれません。つまり、反社会性の「芽」が出てしまっている人にこそ、社会から疎外して放置するのではなく、またその「花」を咲かせないような予防介入をすることが重要になります(個別的予防介入)。そもそも、「万引き」(反社会的行動)をする人たちだけが、その「種」を持っているわけではありません。私たち一人一人の心の中にも、量の差はあれ、その「種」を持っており、あるきっかけで「芽」が出てくるかもしれません。そう考えると、犯罪と遺伝の関係を受け入れても、差別になるという発想は出てこないでしょう。つまり、私たちは、もともと「善」でも「悪」でもないと冷静に理解する必要があります。(2)家庭環境-親が子育てを勉強する-ペアレントトレーニング信代がじゅりに洋服を買ってあげようとした時、じゅりから「叩かない?」「あとで、叩かない?」と繰り返し確認されます。その瞬間、信代は、じゅりの母親が毎回服を買った後に叩いていたことを確信し、「大丈夫、叩いたりしないよ」と優しく言います。じゅりの母親もまた夫からDVを受けており、じゅりの家庭では暴力がコミュニケーションの1つの形になっています。じゅりの母親は、体罰をしつけの一環としており、虐待の自覚がないようです。2つ目の対策は、親が子育てを勉強することです。かつて大家族で、見守ってくれる周りの目がたくさんありました。そして、教えてくれる先輩の親がいました。しかし、現在は、核家族化が進んでおり、見守る目はあまりなく、ママ友はいたとしても、家に一緒にいて教えてくれたり、助けてくれる先輩ママはなかなかいません。すると、子育てが独りよがりになってしまいます。それが、じゅりの家庭の暴力、治と信代の家庭の万引きです。このような反社会的モデルにならないという子育てのやり方をまず親が勉強する社会的な仕組み作りが必要です。たとえば、自閉症やADHDをはじめとする発達障害で、療育に並んで早期に行われる親への心理教育(ペアレント・トレーニング)と同じです。行動遺伝学的に言えば、反社会性の「種」を多く持っている可能性がある子どもにこそ、社会性の「種」への「水やり」を丁寧にする必要があることをまずその親が自覚することが重要になります(選択的予防介入)。そもそも、「万引き」(反社会性)に限らず、私たちは、それぞれ違う「種」を持っています。生まれながらにして、私たちは、心も体も「不平等」です。ただし、生まれてから、教育や福祉によって、将来的になるべく不平等にならないような社会の仕組み作りをすることはできます。そう考えると、犯罪と遺伝の関係を受け入れても、不平等になるという発想は出てこないでしょう。つまり、私たちは、もともと「同じ」ではないと冷静に理解する必要があります。(3)家庭外環境-社会とのつながりを持つ-社会的絆理論刑事は、祥太から「学校って、家で勉強できない子が行くんじゃないの?」と聞かれて、「家だけじゃできない勉強もあるんだ」「(友達との)出会いとか」と答えています。その後、祥太は「国語のテストで8位になった」と喜ぶシーンもあります。祥太の人生が、大きく開けてきています。3つ目は、社会とのつながりを持つことです(社会的絆理論)。祥太にとって、その初めての「出会い」は、駄菓子屋のおじいさんでした。さらに、学校に行くというかかわり(インボルブメント)や勉強や部活動をがんばるという目標(コミットメント)です。さらに、マクロな視点で考えてみましょう。初枝は訪問に来た民生委員を追い払っていました。このように、治、信代、初枝は、こそこそと暮らし、孤立していました。そこには、行き詰まり感も描かれています。つながりの希薄さは、ちょうど非正規雇用、非婚、ひきこもりなどの昨今の社会問題にもつながります。そうではなくて、役所をはじめ、周りに相談し、福祉サービスを受けることです。たとえば、初枝は、治と信代と世帯分離をすれば、持ち家があっても生活保護の受給が可能になります。治は、就労支援や障害者枠雇用が可能になります。信代は、ハローワークを介して再就職が可能になります。このような社会とのつながりや援助によって格差が減ることで、彼らの社会への復讐心は減っていくでしょう。行動遺伝学的に言えば、反社会性の「種」があっても、「芽」が出ていても、「花」が咲かないように、その「水やり」をしない取り組みを社会全体ですることが重要になります(全体的予防介入)。そもそも、「万引き」(反社会性)に限らず、「種」から「芽」が出て、「花」が咲くかどうかは、それまでの「水やり」の加減次第です。そういう意味では、私たちたちの行動は、遺伝だけでなく、やはり環境によっても決まっていると言えます。ある行動に対しての「意思」は、私たちが思っている以上に、周りによって揺れているのかもしれないと思えてきます。つまり、「万引き」(反社会的行動)は、他人事ではないということです。原始の時代は、その極限状況から、「万引き」をした人の排除という手段しか残されていなかったわけです。排除すれば、死んでしまう可能性が高いため、再犯リスクはほぼ0です。しかし、現代は違います。「万引き」をした人は生き続けると同時に、彼らの教育や福祉にコストをかける社会の余裕があります。懲らしめることが全てではないです。そう考えると、犯罪と遺伝の関係を受け入れても、懲らしめられなくなるという単純な発想は出てこないでしょう。つまり、私たちの「意思」は、思っているよりも流されやすいと冷静に理解する必要があります。「本当の社会」とは?刑事が祥太に「本当の家族だったらそういうことしないでしょ」と言うシーンがありました。祥太をはっとさせると同時に、私たちをもはっとさせるインパクトのあるセリフです。同じように考えれば、「本当の社会」だったら、どうでしょうか? その「不都合な真実」と向き合うでしょう。なぜなら、その社会は、本当に「万引き」(反社会的行動)が減ってほしいと願うからです。そして、より良い社会になってほしいと願うからです。これは、すでに行われている犯罪加害者の教育政策や福祉政策を支持するものです。犯罪に対して厳しい目で見たり、排除したくなる気持ちは、私たちの心の中に、もちろんあります。ただし、同時に私たちが、その「不都合な真実」に向き合った時、そして、排除することが次の犯罪を誘発するという逆説に気付いた時、その逆説を踏まえた対策を理解することができるでしょう。その時、「不都合な真実」は「都合がつけられる事実」であったと納得できるのではないでしょうか?■関連記事ムーンライト【マイノリティ差別の解消には?】積木崩し真相アイアムサム【知能】告白【いじめ(同調)】Part 1■参考スライド【パーソナリティ障害】2019年1)万引き家族:是枝裕和、宝島社文庫、20192)犯罪心理学 犯罪の原因をどこに求めるのか:大淵憲一、培風館、20063)遺伝マインド:安藤寿康、有斐閣Insight、20114)言ってはいけない:橘玲、新潮新書、2016<< 前のページへ

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万引き家族(前編)【親が万引きするなら子どももするの?(犯罪心理)】Part 1

今回のキーワード自己正当化敵意バイアスポジティブバイアス抽象的思考の困難さ反社会的モデル格差罪悪感フリーライダーみなさんは、万引きを見かけたことはありますか? なぜ万引きするのでしょうか? 逆に、私たちはなぜ万引きしないのでしょうか? そもそもなぜ万引きは「ある」のでしょうか? 万引きは遺伝するのでしょうか? そして、万引きをしないためにはどうすれば良いでしょうか?これらの答えを探るために、今回は、映画「万引き家族」を取り上げます。「万引き」と「家族」というまったく相いれない2つのテーマが絡み合っており、後半にかけて私たちの心を激しく揺さぶります。万引き(窃盗)は、犯罪の検挙人員の割合としては2割程度で多くはないです。しかし、認知件数の割合は6割近くあります。認知されていない暗数を含めると、もっとあるでしょう。つまり、万引きは、犯罪の中で最も多いながら、実際に犯人が捕まることが最も少ないと言えます。この映画を通して、万引きを主とする犯罪(反社会的行動)を精神医学的、進化心理学的、そして行動遺伝学的に掘り下げます。そして、犯罪と遺伝の関係という「不都合な真実」を「なかったこと」にしたいという私たちの心理にあえて迫ります。その「真実」を踏まえてこその対策を一緒に考えてみましょう。なお、スリルを求める病的な万引き(クレプトマニア)や摂食障害に伴う万引き(盗食)については今回割愛します。家族にあるまじき3つの「万引き」とは?ストーリーの舞台は、平屋の古い一軒家。6人の家族が、貧しいながらも、冗談を言い合い、いつも笑いが絶えません。彼らなりに一生懸命に生きて、お互いを気遣っており、家族の温かさが描かれています。しかし、同時に、その家は、周りを高層マンションに囲まれており、今にも崩れそうで、社会から取り残された危うさも暗示されています。実は、彼らには、家族にあるまじき多くのスキャンダルがありました。これらを3つにわけて整理してみましょう。(1)家族が万引きして生計を立てている父親の治は、時々呼ばれるだけの日雇いの建築作業員です。資格も経験もなく、実際はほとんど働いていません。彼の「稼ぎ」は、スーパーや釣り道具屋などでの万引きと車上荒らしです。母親の信代は、クリーニング工場で、パートで働いていましたが、リストラされてからは無職です。それまでは、当たり前のようにクリーニングに出された衣類のポケットの中の金品をくすねていました。祖母の初枝は、月6万円近くの年金を得ています。これが、この家族の唯一の定収入です。初枝も、パチンコ店で、隣の客の玉をくすねたり、不倫した元夫と不倫相手との間にできた息子の家族の家に押しかけ、金品をたかっています。やがて、初枝は急死しますが、治と信代はその遺体を床下に埋めて、年金の「万引き」(不正受給)も始まります。1つ目のスキャンダルは、家族が万引きで生計を立てていることです。そして、家族全員が万引きで得たものを当たり前のように当てにしてます。(2)家族が子どもを「万引き」(誘拐)して育てている治は、近所で、寒い中、罰として外に出されている5歳のじゅりをかわいそうだからとの理由で、家に連れて帰ります。そして、信代は、じゅりの体中にあるやけどの痕を見て、かつての自分と同じく虐待されていることを確信し、帰さずに育てることを決意します。実は、すでにいる11歳の息子の祥太も、数年前に治が車上荒らしをした時に、パチンコ屋の駐車場の車に残されて熱中症になっていたところを、治が助け出し、連れ帰っていたのでした。2つ目のスキャンダルは、家族が子どもを「万引き」(誘拐)して育てていることです。治と信代の間には子どもはいません。積極的ではなかったにしても、治と信代は、祥太とじゅりを誘拐しています。また、治は、かつて初枝がパチンコ店で客の玉を盗んでいるのに気付いてから初枝と仲良くなり、信代とともに初枝の家に転がり込んだのでした。そして、信代と異母姉妹と自称していた亜紀も、実はもともとは家出少女で、初枝に誘われて家に居候するようになったのでした。つまり、この家の6人は、誰一人として血がつながっていないのでした。(3)家族が子どもの社会性を「万引き」(隔絶)している祥太とじゅりは、家の出入りを自由にしています。しかし、祥太は小学校に行っていません。じゅりも幼稚園や保育園に行っていません。ご近所付き合いもありません。もちろん、誘拐がばれてしまう恐れがあるからです。そのため、祥太とじゅりは、実質的にはこの家に閉じ込められていると言えます。その代わりに、治は、祥太に万引きの仕方を教えています。そして、2人の連携プレーで万引きを毎回成功させています。さらに、祥太がじゅりに万引きの仕方を教えるようになります。3つ目のスキャンダルは、家族が子どもの社会性を「万引き」(隔絶)していることです。子どもの教育を受ける権利や社会性を育む権利を奪うこと、そして万引きなどの犯罪(反社会的行動)を教えることは、虐待に当たります(教育ネグレクト、心理的虐待)また、亜紀は、風俗バイトをしています。このバイト自体は、反社会的行動とは言えないです。ただ、このバイトのことを聞いた初枝は、気にも止めずに受け止めています。本来は、自分の体を大切にできて、先行きが見える、より社会性のある仕事をしてほしいと願うのが親心のはずなのにです。「万引き家族」は「万引き」をどう思っているの? ―犯罪心理治、信代、初枝がしている万引き、誘拐、虐待などは、どれも犯罪(反社会的行動)として許されないことです。子どもたちが見ているなら、親としてなおさらです。一体、彼らは「万引き」(反社会的行動)をどう思っているのでしょうか? 彼らのセリフを通して、主に3つの犯罪心理(認知的バイアス)を掘り下げてみましょう。(1)自分は悪くない―自己正当化治は、万引きについて祥太に「お店に置いてあるものはまだ誰のものでもない」「店がつぶれなきゃいい」と説明しています。信代はクリーニング工場で「盗ったんじゃない、拾ったんだ」「忘れるやつが悪い」と思っています。また、信代は、誘拐について「違うよ。別に監禁も身代金も要求していないから」「(虐待していた親は)今頃せーせーしてるんじゃない?」と言っています。治も「保護してやったんだ」と開き直ってもいます。治は祥太に、学校に行かせない理由について「家で勉強できないやつが学校へ行くんだ」と言い聞かせています。1つ目の犯罪心理は、「万引き」する自分は悪くないと思うこと、つまり自己正当化です。これは、反社会的行動の理由付けをして自分は間違っていないと思い込むことです。そうすることで、罪悪感を抱きにくくなります(中和)。(2)相手が悪い―敵意バイアス信代は捕まった時、初枝の死体遺棄について女性刑事に「捨てたんじゃない。拾ったんです。誰かが捨てたのを拾ったんです。捨てた人ってのはほかにいるんじゃないですか?」と答え、暗に初枝を見捨てた息子夫婦のほうが悪いと言い張っています。また、信代は、じゅりを誘拐した理由についてその女性刑事に「憎かったのかもね。母親が」と答えます。2つ目の犯罪心理は、「万引き」される相手が悪いと思うこと、つまり敵意バイアスです。これは、うまくいかないことを相手の悪意によるものだと思い込むことです。そうすることで、自分の反社会的行動の責任を相手(社会)に押し付けることができます。(3)向こう見ず―ポジティブ・バイアス治は、じゅりをあっさり連れて帰ってから半年後に、じゅりが行方不明の事件になっているニュースを見て、「やばいな、やばいよな」と急にオロオロし始めます。大事になっていることを見て、自分の思い付きでしたことのまずさにようやく気付いたのでした。一方、信代は、じゅりを連れて歩く時に初枝から「こういうのはかえって大っぴらにしたほうが疑われないのよ」と言われて、同意します。さらに、信代は、同僚に誘拐がバレていることを知った後も、「大っぴら」にしています。「見つかったらその時はその時だ」「コソコソ生きるなんて性に合わない」という思いなのでした。3つ目の犯罪心理は、「万引き」に向こう見ずであること、つまりポジティブ・バイアスです。これは、後先をあまり考えずに、自分に都合が良くなると思い込むことです。そうすることで、反社会的行動の重大性やそれが明るみになる危険性に目をつむることができます。なぜ「万引き」するの?―犯罪の危険因子このように、「万引き」(反社会的行動)について、自分は悪くない、相手が悪い、向こう見ずという犯罪心理(認知的バイアス)が働いてることがわかりました。それでは、なぜそんな犯罪心理が働くのでしょうか? つまり、そもそもなぜ「万引き」するのでしょうか?治、信代、初枝を通して、犯罪の危険因子を主に3つ探ってみましょう。次のページへ >>

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万引き家族(前編)【親が万引きするなら子どももするの?(犯罪心理)】Part 2

(1)やってはいけないことの意味がよく分からない-抽象的思考の困難さ治は、祥太から「『スイミー』って話、知ってる?」「『スイミー』ってね、小さい魚がみんなで大きなマグロをやっつける話なんだけど、何でやっつけるか知ってる?」と聞かれます。すると、「そりゃ、おまえ、マグロがおいしいからだろ」「最近、マグロ食ってねえからなあ」と話がすり替わり、両手を魚の口のように広げて、「ぐわー!おー!」と祥太を襲うマネをしています。治は、日常生活の具体的な話はできます。軽い冗談も言えます。しかし、小さい魚たちが協力して大きな魚に勝つ方法を想像できず、その方法について興味も持てません。「スイミー」のストーリーの意図や要旨が理解できず、理解したいとも思っていないようです。1つ目の犯罪の危険因子は、やってはいけないことの意味がよく分からない、つまり抽象的思考の困難さです。これは、相手の気持ちを探る洞察、自分の気持ちや行動を振り返る反省、先の見通しを立てる予測が困難になることです。つまり、相手の気持ちも自分の気持ちも将来もあまり読めず、その日暮らしで場当たり的に生きています。実際に、治は、仕事の能力が低いにしても、そもそも真面目にコツコツ働いて、経験を積んだり、貯金をしようとしません。お金があれば、すぐにパチンコにつぎ込みます。なお、お金がなければパチンコをやらないので、ギャンブル依存症というほどではないです。治は、「万引き」をはじめとするやってはいけないこと自体はわかっています。つまり、善悪の判断は表面的にはできます。しかし、「なぜやってはいけないのか?」「やったら相手はどう傷付くのか?」「バレたら自分の将来はどうなるのか?」についてはあまり深く考えることができていないです。つまり、やってはいけないことの意味がよくわかっていないと言えます。よって、あまり考えなく、手っ取り早く金品が手に入ってバレにくいから万引きをしていると言えます。バレてとがめられれば、その瞬間に罪悪感は抱きますが、次の瞬間にはけろっとしています。また、子育てとはこうあるべきという抽象的思考(規範意識)が働かないので、虐待をしているという認識すらないです。このように、抽象的思考の困難さによって、洞察、反省、予測ができないため、自分は悪くない、相手が悪い、向こう見ずという犯罪心理が働きやすくなると言えるでしょう。また、このワンシーンで、治は11歳の祥太よりも精神的に幼いことが判明します。祥太がもともと賢いことを差し引くと、治の精神年齢(知能)は、高学年の小学生から良くても中学生です。これはIQ(知能指数)に換算すると60~85程度で、治は軽度知的障害から知能境界域(境界知能)に当たります。ちなみに、健常の知能の目安は、IQ 85以上とされています。なお、ここで誤解がないようにしたいのは、知能が低いこと(知的障害)が、犯罪の主要な原因ではないことです。その理由は、知能が低ければ低いほど、日常生活を送るのにも援助が必要になるので、犯罪はできなくなるからです。つまり、犯罪の危険因子は、知能が、犯罪ができるレベル以上であり抽象的思考ができないレベル以下であると言えます。実際に、非行に走る少年たちの多くは、知能が境界域(IQ が70~85)であることが指摘されています。このように、知的レベルから考えると、非行は、高学年の小学生から中学生に多く、幼稚園児から低学年の小学生には少ないのも納得ができます。(2)やってはいけないことをする親がいた-反社会的モデルの存在じゅりが元の家に戻らないという態度を示したことで、信代は「選ばれたのかな…私たち」「でも、こうやって自分で選んだほうが強いんじゃない?」と初枝に語りかけます。「何が?」と聞かれた信代は、「キズナよ、キズナ」と照れながらも、うれしそうに答えます。「キズナ」に対して人一倍敏感なのは、信代自身が親から虐待されていた過去があったからでした。2つ目の犯罪の危険因子は、やってはいけないことをする親がいた、つまり反社会的モデルの存在です。これは、親が虐待をすることなどを通して、自分や相手を大切にすることを教えていないばかりか、自分や相手を大切にしないことを教えてしまっていることです。つまり、親が、相手を傷付けても良いという悪い見本になっています。これでは、やって良いことと悪いことの意味がはっきり伝わりません。実際に、信代は、捕まって取り調べの時、「(じゅりが元の家に)戻りたいって言ったんですか?」と戸惑いながら、刑事に尋ねます。さらに、じゅりに一度も「ママ」と言われていなかったことを刑事に指摘されて顔をしかめます。信代は、自分なりにじゅりを大切にしていると自認していました。しかし、それが独りよがりだったかもしれないということに初めて気付かされたのでした。ここで、じゅり自身も虐待のサバイバーとして、流されるままに信代に従っていただけだったこともわかります。また、信代は、ぐうたらな治の世話焼きをしょっちゅうしていますが、最後は、刑事に「自分が全部やりました」と言い、治の罪まで肩代わりしています。信代は、親から大切にされていなかった分、相手をどう大切にして良いか分からず、やり過ぎてしまうなどの独りよがりな面もあります(共依存)。さらに、信代は、祥太から万引きの善悪を聞かれた時、「父ちゃんは、何だって?」と質問を返して、はぐらかします。信代は、治よりも知的レベルが高い分、子どもに万引きを教えるという後ろめたさは多少なりとも抱いています。しかし、祥太を学校に行かせないことを含めて、治のやり方に流されています。このように、もともとの反社会的モデルの存在によって、周りに流されやすく、自分は悪くないという犯罪心理が働きやすくなると言えるでしょう。(3)やってはいけないことを刺激する社会がある-格差信代は、年下の大卒男性と結婚して寿退社した元同僚が職場の社長にあいさつに来ていたのを見て、「あいつ整形?」「辞める前にデリヘルやってたっしょ」と悪口を言い、隣の同僚となじります。「勝ち組」であるその元同僚がおもしろくないのでした。その後、信代なりに一生懸命に働いていたのに、時給が高い古株であることを理由に、リストラされます。さらに、仲の良かった同僚は、裏切りによりリストラを免れます。信代は、定職と友人を同時に失ったのでした。また、初枝が亜紀を居候させたのは、ある意図があったことが後に明らかになります。実は、亜紀は、初枝の元夫と不倫相手との間にできた息子の長女だったのです。それを知った上で、初枝は亜紀を家出するよう誘ったでした。亜紀は、自分なりに、親が自分よりも優秀な妹を大切にすることへの不満があったからです。しかし、亜紀は自分の家族と初枝との関係を知りません。亜紀の家族は、亜紀と初枝との関係を知りません。初枝にも元夫との間にできた息子がいましたが、その嫁とそりが合わず、別居してからは音信不通になっていたのでした。3つ目の犯罪の危険因子は、やってはいけないことを刺激する社会がある、つまり格差です。これは、同僚、友人、知人などの身近な周りの人たちと比べて、自分が経済的、人間関係的に恵まれていない不満を抱くことです(相対的剥奪)。簡単に言えば、お金とつながりの境遇において、報われない社会への恨みです。実際に、信代は、失業により同僚との経済的格差が生まれます。仲の良かった同僚に裏切られたことにも腹を立てます。治との間に子どもができなかったことについて、直接的な心理描写はないですが、誘拐を容認する心理を生み出しているでしょう。それは、目の前にいたじゅりへの純粋な愛しさではないです。それは、「お前(じゅりの母親)なんかにこの子を返してやるもんか」という、自分を虐げた自分のかつての母親への憎しみです。それをじゅりの母親に重ね合わせた復讐心でもあります。一方、初枝は、元夫の不倫、息子の親不孝から孤独に陥っていました。「治」と「信代」という実は本来の息子と嫁の名前を、治と信代に名乗らせていることも納得がいきます。さらに、初枝が亜紀を隠密に居候させているのは、自分の境遇に不満を持つ初枝なりの、元夫、不倫相手、息子夫婦への復讐なのでした。ちなみに、亜紀の風俗バイトでの源氏名は、妹の名前の「さやか」です。自分が妹の名を風俗店で名乗ることによって、妹をおとしめて仕返ししたいという心理がありそうです。このように、格差によって、社会への復讐心から、相手が悪いという犯罪心理が働きやすくなると言えるでしょう。<< 前のページへ | 次のページへ >>

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親密なパートナーからの暴力への介入、妊婦の産後QOLを改善するか/JAMA

 親密なパートナーからの暴力(intimate partner violence:IPV)は公衆衛生上の課題であり、女性や子供に重大で有害な結果をもたらす。カナダ・マックマスター大学のSusan M. Jack氏らは、初めての子供を持つ社会的および経済的な不利益を経験している妊婦への看護師による自宅訪問プログラム(nurse home visitation program)に、IPVへの包括的な介入を加えても、出産後の母親の生活の質(QOL)の改善は得られないことを示した。研究の詳細はJAMA誌2019年4月23日号に掲載された。米国の3つの無作為化試験では、看護師による自宅訪問プログラムは妊娠アウトカム、子供の健康、母親のライフコース(life-course)における成長を改善すると報告されているが、IPVが中等度~重度の母親ではこの効果は得られていない。また、他の米国とオランダの試験では、IPVへの同プログラムの効果に関して相反する知見が得られているという。IPV介入による強化の有用性を評価するクラスター無作為化試験 研究グループは、看護師による自宅訪問プログラムをIPV介入で強化することによる、母親のQOLへの影響を評価する目的で、単盲検クラスター無作為化試験を行った(米国国立傷害予防管理センター[NCIPC]などの助成による)。 2011年5月~2015年5月の期間に、米国8州の15施設で、社会的不利益を受け、2.5年間の看護師による自宅訪問プログラムに参加している16歳以上の妊娠女性492例を登録した。参加施設は、看護師による自宅訪問プログラム+IPV介入を行う強化プログラム群(7施設、229例)または看護師による自宅訪問プログラムのみを行う標準プログラム群(8施設、263例)に無作為に割り付けられた。 強化プログラム群の施設では、看護師が集中的なIPV教育を受け、IPV介入を行った。介入には、安全性計画(safety planning)、暴力の認識(violence awareness)、自己効力感(self-efficacy)、社会的支援への紹介に焦点を当てた評価や個別的ケアを支援するクリニカルパスが含まれた。標準プログラムには、暴力曝露に関する限定的な質問と、虐待を受けた女性に関する情報が含まれたが、看護師への標準化されたIPV研修は行われなかった。 主要アウトカムは、ベースラインおよび出産後から24ヵ月までの6ヵ月ごとの面談で得られたQOLとした。QOL評価にはWHOQOL-BREF(0~400点、点数が高いほどQOLが良好)を用いた。7つの副次アウトカムにも有意差なし 全体の平均年齢は20.3(SD 3.7)歳で、白人が62.8%、黒人/アフリカ系米国人が23.3%であり、高卒/職業訓練校修了が53.3%、独身/未婚が80%、被扶養/無収入が35.7%だった。421例(86%)が試験を完遂した。 WHOQOL-BREFスコアは、強化プログラム群ではベースラインの299.5(SD 54.4)点から24ヵ月後には308.2(52.6)点へ、標準プログラム群では293.6(56.4)点から316.4(57.5)点へといずれも改善し、QOLはむしろ標準プログラム群のほうで良好な傾向がみられた。マルチレベル成長曲線分析では有意な差はなかった(モデル化スコア差:-4.9、95%信頼区間[CI]:-16.5~6.7)。 7つの副次アウトカム(Composite Abuse Scale[CAS]によるIPV、SPANによる心的外傷後ストレス障害[PTSD]、Patient Health Questionnaire 9[PHQ-9]によるうつ状態、TWEAKによる飲酒問題、Drug Abuse Severity Test[DAST]による薬物問題、12-Item Short-Form Health Survey[SF-12]による心の健康および身体的健康)はいずれも、両群に有意差はみられなかった。また、有害事象の記録は両群ともになかった。 著者は、「これらの知見は、この複雑で多面的なIPVへの介入によって、看護師による自宅訪問プログラムを強化した支援を支持しない」としている。

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