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症例昨今では各分野において診療ガイドラインが作成され、臨床現場で頻用されている。本稿では、診療ガイドラインに準拠した治療の適否が争われた東京地裁令和4年3月10日判決を紹介する。<登場人物>患者53歳・女性(平成18年時点)原告患者の相続人被告総合病院事案の概要は以下の通りである。平成18年(2006年)11月13日胸部圧迫感や全身倦怠感を主訴として被告の関連病院を受診。血液検査にて肝機能障害が認められたため、被告病院の消化器内科を紹介。11月14日被告病院消化器内科外来を受診。腹部CT検査にて、総胆管内に直径5mmの結石があることおよび胆のう内にも小結石があることが確認され、総胆管結石と診断。11月15日被告病院に入院。午後3時30分内視鏡的乳頭バルーン拡張術(EPBD)を受け、総胆管から2個の結石を排石。胆汁排出のため、内視鏡的経鼻胆道ドレナージ(ENBD)も実施され、カテーテルが留置された(EPBD及びENBDをあわせて本件手術という)。本件手術の終了直前(午後5時前)に本件患者がカテーテルを自己抜去したため、胆汁排出のためのドレナージは奏功しなかった。午後6時20分頃嘔吐(黄色のもの中等量。血液も少量混入)午後7時40分頃腹満感及び嘔気の訴え午後8時10分頃腹痛の訴え11月16日午前0時10分頃腹痛の訴え午前0時30分頃腹痛の訴え午前0時50分頃嘔吐(緑黄色のもの中等量)、その後も嘔気、腹痛の訴えが続く。午前中触診の結果、腹部の上部及び両側部に圧痛及び筋性防御。本件患者は医師に対し、前日より痛みが良くなっているかもしれない旨を回答した。血液検査の結果、WBC:1万6,620/μL、CRP:2.03mg/dL、血中アミラーゼ(AMY):1,120IU/L。腹部CT検査の結果、肝臓及び脾臓の周囲に少量の腹水、胆のう周囲から肝門部及びファーター乳頭の周囲を中心とした後腹膜腔に気腫が確認。他方、腹腔内に造影剤が流出貯留している所見はなし。担当医は、消化器内科の上司及び外科医に手術の必要性についてコンサルトした結果、ファーター乳頭近くの胆管の小穿孔は否定できないとしながらも術後急性膵炎と診断し、経過観察を行うこととした。午後血液検査の結果、WBC:1万6,880/μL、CRP:9.45mg/dL、AMY:1,205IU/L。午後4時頃背中から腹部にかけて、どちらも痛い旨の訴え午後8時45分頃右側腹部痛、腰痛の訴え11月17日午前腹痛の訴え続く血液検査の結果、WBC:2万760/μL、CRP:21.81mg/dL、AMY:1,420IU/L。腹部CTの結果、腹水の増加及び胸水が確認され、膵臓の腫大は著明ではないが、炎症は後腎傍腔まで波及していた。触診の結果、腹部全体に圧痛、筋性防御及び腸蠕動音の減弱。午後0時58分頃「重症急性膵炎(+胆汁性腹膜炎疑い)」の傷病名で大学病院救急センターに搬送。腹部CTの結果、腹腔内及び後腹膜腔内の気腫(free air)、両側胸水並びに腹水が認められた。午後7時頃内視鏡下の上部消化管造影検査において、十二指腸内に明らかな損傷部位を同定できず、管腔内に胆汁が認められた上、ファーター乳頭近傍のわずかな造影の漏れや正中近くのわずかな溜りが認められた。午後9時頃ERCP後の下部胆道穿孔、穿孔性腹膜炎との術前診断にて、胆のう摘出術、チューブ挿入術及び洗浄ドレナージ術を実施。平成19年1月9日同大学病院にて、回盲部上行結腸切除及び人工肛門(小腸瘻)を造設。2月2日被告病院に転院。平成20年5月17日退院。その後、急性白血病を発症し、平成21年10月16日、原発不明がんの死因により死亡。実際の裁判結果本件の裁判では、11月16日正午までの時点で開腹手術実施する義務があったか、または被告病院での実施が困難である場合には同時刻までに転医させる義務があったか等が争われ、被告病院の医師が、本件患者が急性膵炎であると診断したこと及び経過観察としたことの判断の適否が問題となった。裁判所は、被告病院の医師が急性膵炎と判断したことについて、以下の点を指摘し、「術後急性膵炎と診断したことが不合理であったとは言えない」とした。EPBDを含む内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)後の偶発症では急性膵炎が最も多いとされていることERCPなどの後に一時的ではない強い腹痛が発生した場合、膵炎であることの頻度が高いとされていること(『ERCP後膵炎ガイドライン2015』)急性膵炎の診断では血中の膵酵素上昇の確認が重要であり、多くの場合、血中アミラーゼの上昇により診断可能とされていること(『ERCP後膵炎ガイドライン2015』)本件では11月16日午前の血中アミラーゼの数値が基準値を超えていたこと次に、被告病院の医師が経過観察としたことについて、裁判所は、以下の点を指摘し、「本件患者について、経過観察を行うこととしたことも不合理であったとはいえない」とした。『急性膵炎診療ガイドライン2010』によれば、重症急性膵炎(壊死性膵炎)に対する早期手術は推奨されないとされていたこと本件患者は、本件手術後、複数回にわたって嘔吐や強い腹痛、腹部膨満を訴えていたものの、11月16日に医師に対して同月15日より痛みが良くなっているかもしれない旨を伝えていたこと11月16日の腹部CT検査の結果、腹水及び気腫が認められたものの、腹水は少量に留まり、気腫も後腹膜腔に限局していたことその上で、裁判所は、「11月16日正午頃の時点で、原告らが主張する注意義務が発生したとは認められない。医師が、本件患者について、術後急性膵炎と診断して経過観察を行うこととしたことが不合理であったとはいえず、医師に注意義務違反があったとは認められない」と結論付けた。なお、本件では、原告(患者側)は、協力医の意見書を提出しており、その意見書には、急性膵炎であれば、触診時、膵臓がある上腹部に圧痛等の腹膜刺激症状が現れ、ほかの箇所の腹部触診では、腹膜刺激症状が現れないので、上腹部に腹膜刺激症状が限局しているという判断になると記載され、WBC及びCRPの値がやや上昇していたことや腹部CTで少量ではあるが気腫(free air)及び腹水が認められたことから、急性汎発性腹膜炎を発症している状態と診断して緊急開腹手術を実施すべきであったと記載されていた。このため、かかる意見書に従えば、急性膵炎と診断して経過観察した医師には注意義務違反があるということとなる。しかし、裁判所は、かかる意見について、腹膜刺激症状の指摘は「急性膵炎患者の腹痛部位は上腹部、腹部全体の順に多く、圧痛部位は腹部全体、上腹部、右上腹部の順に多い旨の『ERCP後膵炎ガイドライン2015』及び『急性膵炎診療ガイドライン』の記載と合致せず、採用することができない」とし、ガイドラインの記載に反することを理由に、意見書記載の意見を採用しなかった。注意ポイント解説本件は、ERCP後の診断を急性膵炎としたこと、経過観察としたことの判断の適否が問題となった事案である。急性膵炎と診断したことについて、裁判所は、『ERCP後膵炎ガイドライン2015』の記述(「ERCPなどの後に一時的ではない強い腹痛が発生した場合、膵炎であることの頻度が高いとされていること」「急性膵炎の診断では血中の膵酵素上昇の確認が重要であり、多くの場合、血中アミラーゼの上昇により診断可能とされていること」)を踏まえて、医師が急性膵炎であると診断したことが不合理とは言えないと判断している。これは、一般にガイドラインは作成時点の医学的知見を集約したものである上、当該ガイドラインのクリニカルクエスチョンには記述の根拠たる関連論文の出典の記載もあるため、医学的な裏付けもある証明力の高いものとして判断されたものと考えられる。そして、このような理由から、ガイドラインの記載に反する患者側協力医意見書は採用されなかったものと考えられる。また、急性膵炎であるとの判断が不合理ではないとした場合の対応についても、ガイドラインの記載(「重症急性膵炎[壊死性膵炎]に対する早期手術は推奨されない」)を参考とした判断がなされている。本判決のこれらの判断は、過失(注意義務違反)の有無に関し、ガイドラインの考慮のされ方がうかがえるものとして参考となる。ただし、ガイドラインはさまざまな分野において各種のものが存在するが、どのような位置付けで作成されているのか(診療の参考に留まるのかなど)については、ガイドラインごとに異なる。また、ガイドラインの中のクエスチョンごとに推奨度や文献・論文等の裏付けの程度も異なる。また、そもそも患者ごとに症状が異なり、ガイドラインに記載されている症状がそのまま当該患者に当てはまるとは限らない点には注意が必要である。ガイドラインの記載どおりに対応していれば過失(注意義務違反)が否定されるとは限らないことに留意する必要がある。医療者の視点診療ガイドラインは、私たち医療者にとって日常診療の重要な指針ですが、その活用には臨床的判断が不可欠です。本症例はガイドラインが医療訴訟の判断基準となりうることを示していますが、ここから学ぶべき点は多いと思います。私たち臨床医が常に認識すべきは、ガイドラインは「標準的な患者」を想定して作成されており、個々の患者さんの状態がそれに合致するとは限らないということです。推奨度や根拠レベルにも差があり、すべてが同等の重みを持つわけではありません。ガイドラインに準拠した診療を行いながらも、患者さんの臨床所見の変化に注意を払い、当初の診断や治療方針を常に再評価する姿勢が重要です。臨床経過が予想と異なる場合には、ガイドラインに縛られ過ぎず、柔軟に方針を変更する判断力も求められます。また、複数の診療科での連携・相談を行うなど、チーム医療の視点からのアプローチも大切です。ガイドラインを「参考にする」という本来の位置付けを正しく理解し、それを踏まえた上で個々の患者さんに最適な医療を提供することが、私たち医療者の責務だと考えます。Take home messageガイドラインは作成時点の医学的知見を集約したものであるから、過失(注意義務違反)の有無を判断する基準(医療水準)となりうる。ただし、ケースバイケースの判断となるため、ガイドラインの記載どおりに対応していれば過失(注意義務違反)が否定されるとは限らないことに留意する必要がある。キーワードERCP、急性膵炎、ガイドライン診療ガイドラインは、一般に、医学的知見を集約したものであることからすれば、医療水準の認定に当たって、その記載内容の趣旨及び示されている推奨度等を勘案して考慮される。このため、推奨度が低いものについては、その記載と異なる対応をしても過失(注意義務違反)とされない可能性がある(逆に言えば、その記載どおりの対応をしていても過失[注意義務違反]がないとはならない可能性がある)。他方で、推奨度が高いものについては、その記載内容がそのまま医療水準となり、その記載に沿った対応をしていれば過失(注意義務違反)とならない可能性が高くなる(逆に言えば、その記載どおりの対応をしていない場合に過失[注意義務違反]があるとされる可能性が高くなる)。(1)推奨度がどういうものであるか、(2)ガイドラインの想定としている患者の状態、(3)実際に診療をしている患者の状態との違い(ガイドラインの記載をそのまま適用して診療にあたってよい症例か否か)を踏まえて対応する必要がある。