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故山口 昇氏が作り上げた地域包括ケアシステムの雛形、公立みつぎ総合病院こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。この週末は、この時期毎年訪れている埼玉県・奥武蔵の伊豆ヶ岳を登ってきました。西武秩父線の吾野駅から子ノ権現、天目指峠を経て伊豆ヶ岳、正丸峠を経て正丸駅に下りるいつものコースです。伊豆ヶ岳周辺のカエデの紅葉を愛で、正丸峠にある奥村茶屋名物のジンギスカンを堪能してから下山したのですが、正丸駅に下りる道すがら、秋の風景が何やらいつもと違うのに気が付きました。落葉後の今頃、途中の集落のあちこちにぽつりぽつりとなっていて、風景に橙色のアクセントをつけていた柿の実がまったくないのです。地面に落ちている柿すら確認できませんでした。クマ対策だと思われます。クマが多発している秩父に隣接する地域だからでしょう。それにしても、相当数あった柿の実を、全部採取するのは大変な作業だったと想像されます。住民、そして自治体(埼玉県飯能市、合併前は名栗村)の徹底したクマ対策に感心して山を後にしました。さて今回は「『会社の寿命は30年』、では病院の“寿命”は?」の最終回として、広島県尾道市御調町の尾道市立総合医療センター・公立みつぎ総合病院を取り上げます。故山口 昇氏のリーダーシップの下、地域包括ケアシステムの雛形とも言える医療介護体制を作り上げ、“山口王国”と称されるほど有名だった同病院ですが、経営難から病院以外の直営6施設の民間への業務移譲が決まりました。直営6施設を2027年度に民間へ業務移譲9月9日付の大阪読売新聞の報道によれば、公立みつぎ総合病院は経営基盤を強化するため、介護老人保健施設など直営6施設を2027年度に民間へ業務移譲するなどスリム化する計画を明らかにしました。同病院の病床数も抑えて赤字体質を改善し、2030年度には黒字化を図りたいとしています。これを受けて、尾道市は公立みつぎ総合病院の病床を23床減らして217床とする条例改正案を9月定例市議会に提出、可決されたことで同病院は10月1日、直営の6施設の移譲先となる事業者の募集を公募型プロポーザル方式で開始し、10月末に締め切りました。募集に参加した事業者には運営方針などの企画提案書の提出を来年1月30日までに求め、有識者たちでつくる選定委員会での審査を経て、2027年4月の移譲を目指すとのことです。病院の経営を直営6施設が足を引っ張る構造同病院は1956年開設で現在、240床、19診療科を有しています。近年、直営施設などで職員の平均年齢が上がり、医業収益に対する給与比率は8割に近くとなり、2024年度は直営施設だけで約2億5,000万円の赤字を計上していました。病院全体では2億500万円の赤字でした。2020年度以降は6年連続で市の一般会計から基準外の繰り入れを受けており、2025年度までにその総額は18億円に上っていました。直営施設が経営の足を引っ張る構造であり、今後も人口減で利用者減が見込まれることなどから、病院から約1.5キロ離れた同一敷地内にある施設群を民間移譲する計画となったわけです。移譲対象は特別養護老人ホームふれあい(定員100人)。介護老人保健施設みつぎの苑(同150人)、ケアハウスさつき(同30人)、グループホームかえで(同18人)、デイサービスセンター(通所20人、休止中)、リハビリテーションセンター(定員19床、休止中)の6施設です。大阪読売新聞の報道によれば、みつぎ総合病院経営企画課の担当者は「デジタル技術の活用も進む民間への移譲で医療、介護の質は高まるはずだ。今後もみつぎ総合病院が地域包括ケアの中心を担うことに変わりはなく、しっかりとケアを継続する志のある移譲先を探したい」とコメントしています。2005年、御調町が尾道市と合併すると病院は市の管轄下となり存在感薄れるこの公立みつぎ総合病院の「解体報道」は全国の医療介護関係者に少なからぬ衝撃を与えました。それは、同病院が日本で初めて保健・医療・介護・福祉の連携体制づくりに実践的に取り組み、その概念とモデルを全国に先駆けて発信したことで「地域包括ケアシステム誕生の地」と呼ばれてきたためです。その中心的役割を担ったのが故山口 昇氏です。1966年に同病院(当時は御調国保病院長)に院長として着任した山口氏は、1970年代、「寝たきりゼロ作戦」と称して“出前医療”(現在の訪問診療、訪問看護)を開始。病院だけではなく住民の生活圏の中で医療・介護を総合的に提供する仕組みの構築に取り組みました。その後、行政の保健・福祉部門と病院の医療スタッフの協働体制を作り上げ、1984年には町(当時の御調町)役場の保健・福祉部門を病院に統合しました。さらに、介護施設(特養、老健、グループホームなど)を病院の近隣に併設することで、地域住民が安心して暮らせるケア体制を実現しました。その数々の取り組みは国の「高齢者保健福祉推進10カ年戦略(ゴールドプラン)」、「介護保険制度」、「地域包括ケアシステム」など、さまざまな医療介護政策に導入されました。そうした経緯から、山口氏は「地域包括ケアシステムの生みの親、名付け親、育ての親」と呼ばれています。山口氏は1996年に御調町保健医療福祉管理者、2003年に 公立みつぎ総合病院の事業管理者となり、地域の医療・介護・福祉を一手に担う責任者となり、まさに“山口王国”を築き上げました。私自身も1990年代から2000年代前半にかけて幾度か取材でお会いしていますが、その行動力、リーダーシップ、政治力に圧倒された記憶があります。しかし、2005年に御調町が尾道市と合併すると、病院は市の管轄下となり存在感も薄れ始め、山口氏の権勢も徐々に勢いを失っていきました。それでも山口氏は2022年に90歳で亡くなるまで、公立みつぎ総合病院名誉院長として、「地域包括ケアシステム」の全国への普及・定着に力を尽くしました。「地域包括ケアシステム」を全国に普及・定着させた功績は大きい尾道市の人口は現在約12万人、うち旧御調町の人口は約6,000人(2022年の段階で6,426人)です。山口氏が御調町に着任した頃の1965年で約9,800人、1980年段階で約8,500人でしたから、せっかく作り上げた“王国”の地域包括ケアシステムも、人口減少の波には抗えなかったということでしょう。それでも、「会社の寿命は30年」で言われる30年ではなく、50年近く存続し、「地域包括ケアシステム」という概念を全国に普及・定着させたのですから、山口氏と公立みつぎ総合病院の功績は大きく、その存在意義はあったといえるでしょう。とは言うものの、人口約6,000人でこれからも減り続ける御調町の介護施設群を「欲しい」と考える事業者はいるのでしょうか。民間移譲の今後のなりゆきに注目したいと思います。