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ランサムウェアに感染、1ヵ月経つも電子カルテ復旧せずこんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。今年の日本シリーズはとても見応えがありました。第1、2戦の日本を代表する投手たちによる息詰まる投手戦や、オリックスが神戸に戻るために必死で1勝を手にした第5戦など、野球の醍醐味が詰まったシリーズでした。私はヤクルト球団で働いている知人の伝手で、第3戦を東京ドームで観戦したのですが、ドームのカクテル光線にキラキラ光る大量の応援傘は壮観でした。それにしても、優勝したヤクルト、惜しくも敗れたオリックス共に打撃陣が抑え込まれたのは、やはりデータ野球の成果なのでしょう。もっとも、データ野球の先進国、米国のMLBのワールドシリーズは、乱打戦が多かった印象です。あちらのトップ選手には、データをねじ伏せるだけの技術とパワーが備わっているからでしょうか。今年の筒香 嘉智選手に続き、来年のメジャー移籍を目指す鈴木 誠也選手が少々心配です。さて、今回は徳島県内陸部、吉野川沿いにあるつるぎ町の町立半田病院(120床)を襲った、電子カルテのランサムウェア(身代金要求型ウイルス)感染事件について書いてみたいと思います。10月31日未明に同病院で起きたこの事件、1ヵ月経った現在も事態は収束していません。当初は地元紙が報じるだけだったのですが、NHKや全国紙も大きく扱う事態となっています。受付から、診察、会計まですべてのシステムがダウン事件が起こったのは、10月31日の未明でした。NHKや徳島新聞等の報道を基に、事件の流れを整理してみました。31日午前0時半ごろ、町立半田病院の電子カルテに不具合があり、複数プリンターから勝手に不審な書類が大量に印刷されはじめました。紙には英語で「あなたのデータは盗んで暗号化された。ランサムにお金を払わないとダークウェブにデータを公開する(Your data are stolen and encrypted. The data will be published on TOR website……,if you don‘t pay the ransom.)」などと書かれてありました。この時既に、バックアップ用も含めて、院内のサーバーのデータは暗号化されており、受付から、診察、会計まですべてのシステムがダウンしていました。英語の書類が大量に自動印刷されるのを見つけた当直の看護師が、システム担当の職員や電子カルテシステムのメーカーなどに連絡したものの対応不能で、同病院は早朝、開院前に美馬署と県警本部に連絡、ランサムウェアに感染した可能性があるとして被害届を提出しました。同病院は、31日朝から救急患者の受け入れを停止、11月1日以降の新規の外来や入院の受け入れの停止も決めました。同病院では平日1日当たり200~300人の外来患者がいるとのことです。なお、予約再診や予防接種、透析は実施することとしました。31日に同病院は会見を開き、被害にあった事実を公表しました。病院事業管理者の須藤泰史氏は「多くの方にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。警察と今後の対応を検討して参ります」と陳謝したとのことです。バックアップサーバーのデータも暗号化され使えず感染したのはシステムのメインサーバーとバックアップサーバーで、患者約8万5,000人分の個人記録が保存されていました。同日午後9時時点で、流出したデータが公開されているダークウェブには町立半田病院の情報はありませんでした。同病院によると、電子カルテシステムと連係した検査システムや画像システム、診療報酬システムなども使用不能となったとのことです。同病院の電子カルテシステムは、県内の医療ネットワークなどと専用回線のみで接続され、セキュリティーソフトなど不正アクセスを防ぐ対策も取っていたとしています。入院や外来患者のカルテは手書きの記録へ町立半田病院では災害対策本部を立ち上げ、対応に乗り出しました。しかし、その後の復旧は遅々として進みませんでした。電子カルテが使えないため、入院や外来患者のカルテは手書きで紙に記録することになりました。紹介状などの作成も手書きなので、職員の負担は相当なものとなりました。倉庫で眠っていた古いパソコンを再利用して共有データの入力も始めました。この間、システムのセキュリティー専門会社がメインサーバーの復旧作業にあたりましたが、効果はなかったそうです。なお、同病院とネットワークで患者情報共有している県内の97医療機関では、システム被害は報告されていません。その後、1週間たってもメインサーバーは復旧せず、外来診療は予約のある再診患者や透析、予防接種に限定しての対応が続き、休日診療や小児救急は、近隣の医療機関にサポートを頼んだりしたそうです。なお、会計もできないため診療費の請求は後日に延期しているとのことです。共同通信の取材に、病院事業管理者の須藤氏は「過去の診察記録が全部見られなくなった。災害レベルの事態だ。南海トラフ巨大地震を想定した非常事態と同じ対応をしている」と語ったそうです。身代金は支払わず、電子カルテのシステムを一からつくり直すことに11月30日現在、サーバーの復旧のメドは立っていません。紙カルテでの作業が続く中、小児科は11月15日から通常診療を開始、19日からは産科部門で新規妊産婦や救急患者の受け入れを始めました。内科や外科、泌尿器科などは新規患者を受け入れられない状態が続いています。同病院は11月26日に会見を開き、身代金は支払わず電子カルテのシステムを一からつくり直す、と表明しました。現在、ホームページには、「通常診療の再開は2022年1月4日(火)よりを予定しております」と掲示されています。プリンターを使用して脅迫文を自動印刷するランサムウェア「LockBit2.0」各紙報道によれば、町立半田病院のサーバーを襲ったのは、「LockBit2.0」と名乗る国際的なハッカー集団が仕掛けるランサムウェアとのことです。感染するとデータが勝手に暗号化され、LockBit2.0側が公開停止や復旧と引き換えに金を要求する、というものです。調べてみるとこのLockBit2.0、今年に入ってから世界中でさまざまな企業の攻撃を繰り返しているようです。2019年9月に「LockBit」という名前で出現したこのグループは、2021年6月に活動を再開。6月末にダークウェブ上のWebサイトで「アフィリエイト」と呼ばれる攻撃部隊の募集をはじめ、7月中旬からはダークウェブ上のリークサイトに、多数の被害組織への攻撃声明を掲載するようになりました。リークサイトには、被害組織の具体名を掲載。被害組織と交渉中(またはコンタクト待ち)の段階では組織名公開に留め、暗号化した窃取データは公開しない、としています。そして、窃取データの公開までの残り時間をサイトに表示し、身代金の支払いを促すという流れです。LockBit2.0の特徴の1つが、プリンターを使用して脅迫文を自動印刷することで、ランサムウェアでは珍しいタイプとのことです。なお、YouTubeでは、LockBit2.0によってプリンターが脅迫文を印刷する実際の様子の動画が公開されています。興味のある方は見てみて下さい(「LockBit2.0、印刷」で検索)。なぜ、町立半田病院が狙われたのか?LockBitの被害企業として有名なのは、米最大級の石油パイプライン企業「コロニアル・パイプライン」で、同社は440万ドル(約4億8,000万円)の身代金を支払っています。また、日本企業でも光学機器大手HOYAのアメリカの子会社が攻撃を受け、顧客の視力に関するデータを含む書類などが公開されたことが明らかになっています。また昨年11月には、ゲームソフト大手のカプコンが攻撃を受け、社員など1万5,000人余りの個人情報が流出しています。では、今回なぜ町立半田病院が狙われたのでしょうか。ハッカー側は、企業の大小や業態で攻撃対象を選別しているわけではなさそうです。11月20日のNHKニュースは、「セキュリティーの専門家によれば、半田病院を狙ったわけではなく、攻撃対象を無作為に探していたハッカー集団側が、弱点のあるシステムを見つけ、侵入できた先が、結果的に半田病院だったとみられている」と報じています。VPN経由での攻撃の可能性セキュリティー対策をしていた同院のシステムが、ウイルスに感染した原因もわかっていません。11月28日の朝日新聞によれば、「院内のネットに外部からアクセスできる『VPN(仮想プラベートネットワーク)』の通信機器が複数、接続されていた。電子カルテシステムを遠隔操作で業者がメンテナンスしたり、県内の医療機関と患者の情報を交換したりするため」とのことで、VPN経由での攻撃の可能性が示唆されています。同病院のVPNの機器は、過去に認証情報の流出が問題になった米国製のものだった、との報道もあります。NHKの報道によれば、「近年、ランサムウェアによる被害は、国内外で民間企業だけでなく、医療機関でも増えている」そうです。海外の病院では、カルテ情報の大量漏洩やシステム停止による診療中止によって、患者が死亡する事例も出ているとのことです。日本の病院、特に中小病院は、情報システムの担当者を置いていないことが多く、セキュリティー対策も専門業者任せのところがほとんどだと言われています。ハッカーたちは、「田舎の小さい病院だから攻撃は止めておこう」とは考えません。セキュリティーに穴があれば、すぐさまそこを突いてきます。感染症を引き起こすウイルスだけではなく、コンピュータウイルスに対しても、医療機関は万全の感染防止体制を求められる時代になった、と言えそうです。