地震や豪雨など、予測できない災害。その時、地域の医療を担う医師として、戸惑いや不安を感じる先生も少なくないかもしれません。本連載では、岡山大学 救命救急・災害医学講座 主任教授 中尾 篤典氏監修のもと、災害発生時に被災地の医師が直面するであろう課題と、それに対する具体的な対応策を解説します。いざという時に冷静に対応するための実践的ガイドとして、ぜひご活用ください。
災害時、“トイレが使えない”現実を前に――医療者として何を備えるべきか
大規模災害が発生した際、医療機関が直面する最も深刻なインフラ障害の一つが「トイレ」です。能登半島地震の支援で現地へ向かった際、私自身その現実を痛感しました。支援に入った本部で突き付けられたのは、「下水が完全に止まっている」という事実でした。
小便は雪解け水をバケツで汲み、便器に流し込んで重力で無理やり流すしかありませんでした。大便については、幸いポータブルトイレがあったため対応できましたが、もしなかったら、支援に入った医療者も被災者も、排泄すらままならない状況だったと思います。排泄物の処理方法、照明のない暗い個室、強い臭気や衛生面の不安……。診療の前に、人としての基本が揺らぐ環境がそこにありました。

図1. トイレに雪解け水を利用

図2. 災害時ポータブルトイレ
トイレが使えないと、なぜ医療が成り立たなくなるのか
災害時、排泄環境は「最初に悪化し」「最後まで復旧が遅れる」インフラといわれています。しかし、その影響は単なる不便さにとどまりません。
高齢者や基礎疾患のある方は、排泄を我慢するだけで、脱水、急性腎障害、電解質異常、便秘、せん妄を起こしやすいことが指摘されています1)。我慢そのものが健康被害につながるのです。また、適切な排泄管理ができない環境ではノロウイルスなどの胃腸炎が集団発生しやすく、避難所や臨時診療所の医療機能を大きく低下させるリスクがあります2,3)。
国際的な災害医療基準でも「医療従事者自身のトイレ環境の確保」は必須項目として位置付けられています4,5)。医療者が安全にトイレを使用できなければ、長時間にわたる診療継続は困難になります。つまりトイレとは、医薬品や医療機器と同様に医療を支える基礎インフラなのです。
来たるべきトイレ問題に何を備えておくべきか
能登での経験から、小規模医療機関であっても「トイレが止まれば診療が止まる」という現実が浮き彫りになりました。ここでは『避難所におけるトイレの確保・管理ガイドライン』6)を基に、無理なく準備できる最低限の備えをまとめます。
(1)携帯トイレ(凝固剤タイプ)の備蓄
1日5〜7回を目安に、職員と患者さん分の数日分を備蓄しておくことが望ましいです。既存の洋式トイレにビニール袋をかぶせ、用を足したら凝固剤を入れ、封をして破棄することで、下水道が止まっていてもトイレを使用することができます。
(2)ポータブルトイレの準備
能登でも、ポータブルトイレが“あるか・ないか”で現場の負担が大きく変わりました。急性期は50人当たりに1台のトイレが推奨されており、有床診療所や小規模な病院であれば、職員も合わせて1、2台あれば足りるでしょう。発災時に災害用のトイレが迅速に調達できるよう、関係団体と協定を結んでおくのもよいと思います。マンホール直上にトイレを設置する方法もあります7,8)。マンホールトイレは、下水道管路にあるマンホールの上に簡易な便座やパネルを設け、災害時に迅速にトイレ機能を確保するものです。
図3. 東日本大震災や熊本地震で使用されたマンホールトイレ(参考文献8より)
(3)雑用水(洗浄・手洗い用水)のストック
雪解け水でしのいだ経験からも、飲用とは別に生活用水の備蓄は必須だと実感しました。飲料水の確保は考えていても、排泄用の水を試算にいれてないことが多いため、事前に計算して備蓄しておくことをお勧めします。また感染症予防のために手洗い水の確保も重要です。
(4)トイレ空間の簡易照明
停電下でトイレが真っ暗になると、転倒リスクが高まり、医療者の利用にも支障を来します。また防犯上も明かりは必須です。充電式、乾電池式のヘッドライトなどが役立ちます。
トイレを確保することは、医療と被災者の安全を守ること
災害時には、医療者も被災者も排泄の安全を確保することが不可欠です。医療者は診療継続のため、被災者は健康保持のため、清潔で使いやすいトイレの存在が重要になります。
診療を守るための第一歩として、今一度、災害時のトイレの備えを見直していただければと思います。


前山 博輝 ( まえやま ひろき ) 氏津山中央病院 救命救急センター長/卒後臨床研修センター 副センター長
[略歴]
2007年岡山大学医学部卒業。津山中央病院での研修を経て、2011年より兵庫県の公立豊岡病院 但馬救命救急センターに勤務。約8年間にわたりドクターヘリ、ドクターカー、救急外来、集中治療の修練を積む。2018年に津山中央病院へ着任。2020年より現職。日本救急医学会救急科専門医、日本麻酔科学会専門医、集中治療科専門医、日本急性血液浄化学会認定指導者、DMAT・NBC-DMAT隊員。岡山県北地域における救急医療に従事。若手医師の教育・育成にも携わる。