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インクレチン製剤がもたらす肥満合併HFpEFの新たなパラダイムKey Points肥満の評価は、BMIでいいのか?HFpEF患者の多くに中心性肥満を認め、これがHFpEF発症の重要な病態因子と考えられるセマグルチドは肥満合併HFpEF患者の症状と運動耐容能を有意に改善し、チルゼパチドは心不全イベントを38%減少させたBMI 25~30程度の軽度肥満患者における有効性の検証が今後の課題であるはじめに左室駆出率の保たれた心不全(HFpEF)は、高齢化を背景に本邦の心不全患者の半数以上を占める主要な表現型となっており、高齢、高血圧、心房細動、糖尿病、肥満など多彩な併存症を背景とする全身性の症候群として捉えるべき病態である1)。HFpEFがこのように心臓に限局しない全身的症候群であることが、心臓の血行動態のみを標的とした過去の治療薬が有効性を示せなかった一因と考えられる。そして近年、SGLT2阻害薬やGLP-1受容体作動薬、GIP/GLP-1受容体作動薬といった、代謝など全身へ多面的に作用する薬剤が成功を収めたことは、この病態の理解を裏付けるものである。本稿では、肥満合併HFpEFに対するインクレチン製剤の臨床エビデンス、作用機序、進行中の臨床試験、そして今後の展望について解説する。HFpEFにおける肥満の重要性HFpEF患者において肥満は極めて高頻度に認められる。従来、BMI≧30kg/m2で定義される肥満はHFpEF患者の60~70%に存在するとされてきた2)。しかし、BMIは骨格筋量や骨量の影響を受けるため、とくに民族差のある集団では脂肪量の正確な評価指標とはならない。より重要なのは内臓脂肪の蓄積である。ウエスト・身長比(≧0.5)で評価した中心性肥満は、HFpEF患者の95%以上に認められることが報告されており、画像診断による脂肪量の定量化でもこの高い有病率が確認されている3)。さらに、複数の前向きコホート研究において、内臓脂肪の蓄積がHFpEF(HFrEFではない)の発症を特異的に予測することが一貫して示されている4,5)。なお、アジア人集団では、欧米に比べてBMIは低いものの内臓脂肪が蓄積しやすい「内臓脂肪型肥満」の表現型が知られている6)。肥満合併HFpEFの病態生理肥満合併HFpEFの病態は多因子的であり、複数の機序が複雑に絡み合っている。内臓脂肪の蓄積が、炎症、循環血漿量の増加、心外膜および胸壁脂肪の増加を促進し、心室の相互依存性を増幅させることで、最終的にHFpEFの発症と進行を促進することを示すエビデンスが蓄積している7)。そのなかでも、最近Packer博士らにより提唱された「アディポカイン仮説」は、肥満合併HFpEFの病態を統一的に説明しようとする試みである(図1)8)。(図1)画像を拡大するこの仮説では、内臓脂肪組織の拡大と機能不全により、脂肪細胞から分泌される生理活性物質(アディポカイン)のバランスが崩れることが、HFpEF発症の中心的機序であるとされる。このアディポカイン不均衡が、神経体液性因子の活性化、全身性炎症、心筋肥大・線維化、血漿量増加を引き起こし、HFpEFを発症させるという概念である。アディポカイン仮説は現時点ではあくまで仮説の段階であり、今後のさらなる検証が必要であるが、後述するインクレチン製剤の作用機序を理解する上で、有用な枠組みの一つを提供している。インクレチン製剤の作用機序と期待される効果GLP-1受容体作動薬GLP-1受容体作動薬(GLP-1RAs)は、膵β細胞に作用して血糖依存的にインスリン分泌を促進する消化管ホルモン(インクレチン)の一つであるglucagon-like peptide-1(GLP-1)の作用に基づく2型糖尿病治療薬である。体重減少効果もあることから、2023年に肥満症治療薬としても承認されている。GLP-1RAsは、心血管代謝リスク因子に良好な影響を及ぼすとされ9)、肥満症患者と糖尿病患者のいずれにおいても動脈硬化性疾患や心不全新規発症イベントのリスクを減少させるという報告があり、肥満合併心不全患者への効果も期待されてきた10)。心血管系への作用機序として、次の3つのことが考えられている。第1に、体重減少を介した効果として、循環血漿量の減少、左室充満圧の低下、心臓への機械的負荷軽減が挙げられる。第2に、直接的な心血管保護作用として、心筋細胞のアポトーシス抑制、抗炎症作用、酸化ストレスの軽減、内皮機能改善が報告されている。第3に、代謝改善として、インスリン抵抗性の改善、脂質代謝改善、血糖コントロール改善(糖尿病合併例)がある。さらに、脂肪組織への直接作用として、内臓脂肪の選択的減少(体重減少を上回る)、心外膜脂肪組織の縮小、脂肪組織の炎症抑制、アディポカインプロファイルの改善(抗炎症性アディポカインの増加、炎症性アディポカインの減少)が示されている11)。GIP/GLP-1受容体作動薬もう一つの主要なインクレチンであるglucose-dependent insulinotropic polypeptide(GIP)の受容体にも作用するGIP/GLP-1受容体作動薬(チルゼパチド)は、単独のGLP-1作動薬を上回る体重減少効果を示す。GIP受容体を介した追加作用として、脂肪細胞での脂肪分解促進、白色脂肪組織での無駄なカルシウムサイクリング誘導(エネルギー消費増加)、インスリン感受性改善が報告されている11)。持続的なGIP受容体刺激が、大幅な体重減少に大きく寄与すると考えられている。インクレチン製剤の臨床エビデンス肥満合併HFpEF患者に対するGLP-1RA(セマグルチド)の有効性を検証したSTEP-HFpEF試験では、2.4mgのセマグルチド週1回皮下投与が、肥満合併HFpEF(LVEF≧45%かつBMI≧30kg/m2)患者のKCCQ-CSS(Kansas City Cardiomyopathy Questionnaire clinical summary score)により評価される健康関連QOLをプラセボと比較して有意に改善させ、体重も有意に減少させた(図2)12)。(図2)STEP-HFpEF試験:主要エンドポイント画像を拡大するさらに、2型糖尿病を有する肥満合併HFpEFを対象としたSTEP-HFpEF DM試験でも同様の結果が得られている13)。なお、STEP-HFpEF DM試験ではSGLT2阻害薬を併用した症例が33%含まれていたが、SGLT2阻害薬併用の有無にかかわらず、セマグルチドの心不全関連転帰に対する効果は一貫していた。GIP/GLP-1受容体作動薬も、肥満合併HFpEF(LVEF≧50%かつBMI≧30kg/m2)患者を対象にその有効性を検証したSUMMIT試験において、複合心不全イベント(心血管死または心不全増悪イベント)リスクを38%低下させ、KCCQ-CSSで評価された健康関連QOLを有意に改善させたと報告されている(図3)14)。(図3)SUMMIT試験:主要エンドポイント画像を拡大するただし、悪心・嘔吐などの消化器症状や食欲減退といった副作用には注意が必要であり15)、患者ごとの病態や既存の治療との併用状況を考慮した上で投与方針を検討することが求められる。このように、肥満合併HFpEF患者に対するインクレチン製剤の有効性は確立しつつある一方、わが国に多いBMI 25~30程度の内臓脂肪型肥満を呈する症例において、同薬が有効かどうかは不明であり、今後の試験が期待される16)。次世代インクレチン製剤の開発現在、複数の次世代インクレチン関連薬が開発されている(図4)17)。(図4)現在臨床試験が進行しているインクレチン関連薬画像を拡大するGLP-1/グルカゴン(GCG)受容体二重作動薬(cotadutide、survodutideなど)は、グルカゴン受容体刺激により、肝臓での細胞外分泌因子FGF21産生が増加する。FGF21は脂肪組織の炎症抑制、褐色脂肪活性化、内臓脂肪減少をもたらすため、さらなる代謝改善と体重減少が期待される。代謝機能障害関連脂肪肝炎(MASH)を対象とした第II相試験ではMASH組織改善効果を認め18)、肥満患者を対象とした第III相試験は現在進行中であり19)、HFpEFへの応用が期待される。GLP-1/GIP/GCG受容体三重作動薬(retatrutideなど)は、3つの受容体を同時に刺激し、最大限の代謝改善を目指す薬剤である。肥満患者での第II相試験で顕著な体重減少を示しており20)、HFpEFへの応用が期待される。おわりに肥満合併HFpEF患者に対するインクレチン製剤は、STEP-HFpEF試験とSUMMIT試験により、症状改善、運動耐容能向上、そして心不全イベント減少という明確なエビデンスが示された。今後、次世代インクレチン製剤(GLP-1/GCG受容体二重作動薬、GLP-1/GIP/GCG受容体三重作動薬)の臨床開発や、治療反応性を予測するバイオマーカーの確立により、より個別化された効果的な治療が可能になることが期待される。肥満合併HFpEFの病態理解は急速に進展しており、これらの知見を臨床に活かし、エビデンスに基づいた最適な治療を提供することが、今後の日本のHFpEF診療における重要な課題である。 1) Hamo CE, et al. Nat Rev Dis Primers. 2024;10:55. 2) Obokata M, et al. Circulation. 2017;136:6-19. 3) Peikert A, et al. Eur Heart J. 2025;46:2372-2390. 4) Oguntade AS, et al. Open Heart. 2024;11:e002711. 5) Sorimachi H, et al. Eur Heart J. 2021;42:1595-1605. 6) WHO Expert Consultation. Lancet. 2004;363:157-163. 7) Borlaug BA, et al. Cardiovasc Res. 2023;118:3434-3450. 8) Packer M. J Am Coll Cardiol. 2025;86:1269-1373. 9) Kosiborod MN, et al. Diabetes Obes Metab. 2023;25:468-478. 10) Ferreira JP, et al. Diabetes Obes Metab. 2023;25:1495-1502. 11) Nogueriras R, et al. Nat Metab. 2023;5:933-944. 12) Kosiborod MN, et al. N Engl J Med. 2023;389:1069-1084. 13) Kosiborod MN, et al. N Engl J Med. 2024;390:1394-1407. 14) Packer M, et al. N Engl J Med. 2025;392:427-437. 15) Kushner R, et al. JAMA. 2025;334:822-823. 16) 吉池信男ほか. 肥満研究. 2000;6:4-17. 17) Melson E, et al. Int J Obes(Lond). 2025;49:433-451. 18) Sanyal AJ, et al. N Engl J Med. 2024;391:311-319. 19) Kosiborod MN, et al. JACC Heart Fail. 2024;12:2101-2109. 20) Jastreboff AM, et al. N Engl J Med. 2023;389:514-526.