サイト内検索|page:37

検索結果 合計:1187件 表示位置:721 - 740

721.

第23回 実は病院経営に詳しい菅氏。総理大臣になったらグイグイ推し進めるだろうこと(前編)

「地方を大切にしたい」と菅官房長官こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。菅 義偉官房長官が自民党の総裁選に出馬することを正式に表明しました。記者会見では自らの叩き上げの人生(秋田の農家に生まれ、農業を継ぎたくなくて集団就職で上京、法政大学の夜間を卒業し、サラリーマンに…)について触れた後、「地方を大切にしたいという気持ちが脈々と流れており、活力ある地方をつくっていきたいとの思いを常に抱きながら政策を実行してきた」と語りました。次いで「私自身、国の基本というのは、自助、共助、公助であると思っております。自分でできることはまず自分でやってみる、そして、地域や自治体が助け合う。その上で、政府が責任をもって対応する」とも述べました。「自助、共助、公助」については菅氏の総裁選のキーワードのようで、9月5日に自身のブログで公表した政策の中でも「自助・共助・公助、そして絆」がスローガンに掲げられています。この記者会見を聞きながら、私は約40年前、仙台の大学に入った時の教養部のクラスオリエンテーションのことを思い出しました(東北新幹線開業前です)。右隣に秋田県の大館鳳鳴高校出身のS君が座っていました。彼が私に何か質問してくるのですが、何を言っているのかまったくわかりません。同じ東北弁でも県によって難易度が大きく異なり、秋田や青森は難しい部類に入ります。S君の話が普通に理解できるようになるのに数ヵ月かかりました(ちなみに私もS君たち東北人から「おめの名古屋弁もわがんね」とからかわれていました)。菅氏は秋田県の内陸、雄勝町(現在の湯沢市)出身とのことです。高校を出て上京(もちろん、東北新幹線も山形新幹線もない時代です)して直後は、おそらくコミュニケーションには相当苦労されたのではないでしょうか。上京後、半世紀を経ての、ほぼ訛りを感じさせない日々の会見は、ある意味、田舎から東京に出てきた東北人の意地を感じさせます。440公立・公的病院リストラリストの大元それはさておき、もし菅政権になったら、医療関係者はまずどんな政策を気にしなければならないでしょうか? 安倍政権の路線を踏襲した、「新型コロナウイルスの感染拡大防止と社会経済活動の両立を図る」方針については、「まあそうだろうなあ」と、とくに意外性はありません。では何か。第1に予想できるのは、「地方、都市部含めて、公立・公的病院の再編・統合が今まで以上に強硬かつ急速に進められるのではないか」ということです。なぜならば、菅氏こそが、今、全国各地で進められようとしている公立・公的病院改革の大元とも言える存在だからです。厚労省は昨年9月、急性期病床を持つ公立・公的病院のがん、心疾患などの診療実績を分析。全国と比較してとくに実績が少ないなどの424病院(2020年1月に約440病院に修正)のリストを公表し、全国の病院経営者や自治体の首長に大きな衝撃を与えました。この時、リスト公表とともに、急性期病床の規模縮小やリハビリ病床などへの転換などを含む地域の病院の再編・統合を各地で議論を行うことを要請し、今年9月までに結論を出すよう定めていました。「公立病院改革ガイドライン」を仕切った菅総務大臣このリストラリスト公表に至るきっかけとなったのが、2015年3月に出た「新公立病院改革ガイドライン」(平成27年3月31日 総財準第59号 総務省自治財政局長通知)です。「新」となっているのは、「旧」があるからです。最初の「公立病院改革ガイドライン」(平成19年12月24日 総財経第134号 総務省自治財政局長通知)が出されたのは2007年12月のことでした。2007年の旧ガイドラインは、2007年5月に開かれた経済財政諮問会議で菅総務大臣(第一次安倍内閣で初入閣)が公立病院改革に取り組むことを表明したことをきっかけに策定されました(12月の公表時は増田寛也総務大臣)。背景には医師不足や経営悪化にあえぐ公立病院がありました。なぜ、総務大臣が?と思われる方がいるかもしれませんが、公立病院は地方公共団体が経営する病院事業という位置づけであり、その管轄は厚生労働省ではなく、総務省の自治財政局準公営企業室だからです。「民間にできることは民間に」2007年の「旧ガイドライン」の大きなポイントは、公立病院の役割を「地域において提供されることが必要な医療のうち、採算性等の面から民間医療機関による提供が困難な医療を提供することにある」と定義、「民間にできることは民間に任せろ」としたことです。そのうえで「経営効率化」「再編・ネットワーク化」「経営形態見直し」の3つの柱を提示、病院を開設する地方公共団体に対して改革プランの策定を要請しました。この時は、「アメとムチ」とも言える政策も取られました。とくに、経営主体の統合や病床削減をするケースには、手厚い交付税措置が行われることになったため、苦境に陥っていた公立病院は、病院統合や病床削減を選択していきました。続く2015年の「新ガイドライン」では「旧ガイドライン」によっても進まなかった公立病院改革を、前述の3つの柱を維持しつつ、厚生労働省が主導する「地域医療構想」と連携させながら進めていくために策定されました。菅氏(この時は官房長官)がよく強調する「省庁の垣根を超えた政策」ということもできます。この「新ガイドライン」では、地方公共団体に新たに新公立病院改革プランの策定を求めるとともに、病院の再編・統合に当たっての都道府県の役割・責任の強化も行われています。なお、公立病院の改革プランと地域医療構想調整会議の合意事項との間に齟齬が生じた場合は改革プランの方を修正すること、となっており、地域医療構想の実現が最優先課題とされています。地域医療構想調整会議が各地で進んでいく中、「公立病院だけでなく公的病院も対象に加えろ」という議論の流れとなり、2018年6月には「経済財政運営と改革の基本方針2018」において「公立・公的病院については、地域の民間病院では担うことのできない高度急性期・急性期医療や不採算部門、過疎地等の医療等に重点化するよう医療機能を見直し、これを達成するために再編・統合の議論を進める」と明記されました。そして、1年3ヵ月後の2019年9月に424病院のリスト公表に至ったわけです。ちなみに公的病院とは、日赤・済生会・厚生連が開設する病院や、独立行政法人国立病院機構、独立行政法人地域医療機能推進機構などの公的法人が開設する病院などのことです。再編・統合についての報告期限は延期にところで、厚生労働省は8月31日、「具体的対応方針の再検証等の期限について」と題する医政局長通知(医政発0831第3号)を各都道府県知事に発出、今年9月末までに結論を出すよう定めていた全国約440の公立・公的病院を対象とする再編・統合について、都道府県から国への報告期限を今年10月以降に延期することを通知しました。新型コロナウイルス感染症の影響で議論が進んでいないことや、7月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2020」に「感染症への対応の視点も含めて、質が高く効率的で持続可能な医療提供体制の整備を進めるため、可能な限り早期に工程の具体化を図る」と、今後の再編・統合を考えるうえで「感染症への対応」を盛り込むことが明記されたことなどが理由と見られます。徹底的に効率化してなんとか生きながらえさせるこうした延期で、ひとまずほっとした病院や自治体も多いと思いますが、新しい総理大臣からどのような指示が飛ぶかが注目されます。菅氏は9月2日、異次元金融緩和に関して聞かれた際に「地方の銀行は将来的に多すぎる。再編も1つの選択肢になる」と語り、9月5日の日本経済新聞のインタビューに対しては、中小企業について「足腰を強くしないと立ちゆかなくなってしまう。中小の再編を必要であればできるような形にしたい」とこちらも統合・再編を促進する考えを述べています。これらは、公立・公的病院改革と全く同じロジックだと言えます。こう見てくると、菅氏が出馬会見で語った「地方を大切にしたいという気持ち」とは、「地方を今までのままで大切にしていく」ことではなく、地方のあらゆるリソースを「徹底的に効率化してなんとか生きながらえさせる」ことだということがわかります。病院経営者や自治体の首長も、そのことはしっかりと頭に入れておいた方がよさそうです。新政権が第2に進めるであろうことですが、今回は長くなり過ぎましたので、来週にもう少し考えてみたいと思います(この項続く)。

722.

第22回 急転直下の安倍首相辞任-振り返れば“異変”はアノ時からだった

先週の本コラムで、私の脳内で展開する『世界びっくり人間コンテスト』の対象者の一人として取り上げた安倍首相が、コラム公開前日の8月27日夕刻から始まった記者会見で突如辞任を表明した。会見では持病の潰瘍性大腸炎の悪化がその理由だと説明された。私も一応職歴26年のニュース屋の端くれであり、この会見が決まった後に首相が何を話すつもりなのか、ちょこちょこ探りは入れていた。しかし、この日の午前中まで“辞任”の“じ”の字すら聞こえてこない状況。そこから急転直下の「辞任表明の見込み」の一報が流れ、まさに青天の霹靂だった。そしてこうしたニュースというのは、発表後に「実はあの時は…」と振り返ることができる事象があることも少なくない。「異変」は7月中旬から始まった既に約1年半にわたって原則毎日運動する習慣を取り入れていた私は、午後5時から始まった安倍首相の会見を所属しているスポーツジムのトレッドミル(いわゆるランニングマシン)に一体化されたテレビのディスプレイにイヤホンを差し込み、走りながら聞いていた。午後5時の会見開始2分前からトレッドミルで走り出し、9分くらいになる時だった。安倍首相が自身の健康問題に触れ始めた。その中で安倍首相が言った次の言葉に私はハッとした。「先月中頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました」ここでいう先月中旬とは7月中旬である。この頃、今考えれば不思議なことが起きていた。というのもこの時期に旧知の大手新聞社の記者2人(それぞれ別々の会社)から「親族がかかったので潰瘍性大腸炎について教えて欲しい」と連絡があったのだ。当時は何も思わずに基礎的なことを話した。一般人は“難病”という言葉で“数の少ない病気”と先入観を持ってしまうようだが、国内の潰瘍性大腸炎患者は20万人超で、俗に3大がんといわれる胃がん、大腸がん、肺がんのそれぞれの年間新規診断者数よりも多い一般的な病気である。実際、私の周辺には、仕事に関係なく出会った6人と関連して出会った4人の合計10人の潰瘍性大腸炎患者がいる。ちなみに私が医療を取材するようになってから、この病気に関わった機会は結構多い。最初は1997年。ちょうど5-アミノサリチル酸(5-ASA)製剤の中で、初めて大腸のみで成分が放出されるよう設計されたメサラジン(商品名:ペンタサ)の発売から約1年が経過し、その臨床での評価を取材して回ったのである。その後も折に触れてこの病気を取材する機会は少なくなかった。そんなこんなで新聞記者からの問い合わせにも5-ASA製剤、ステロイド、免疫抑制薬、免疫調節薬、生物学的製剤の特徴や日常生活での注意点などはとくに何も見なくとも一通り話すことはできた。突飛すぎる週刊誌記者からの依頼ところがそれから10日以上経った7月下旬、私の携帯電話にやはり旧知の週刊誌記者から着信があった。あいにく私は電話を受けることができなかったが、当人からすぐに「メールをお送りします」とのSMSが届いた。たまたま、メールは確認できる状態だったため、メーラーを立ち上げておいたところ、それから約15分後に次のようなメールが届いた。「首相が持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、9月にも退陣するという情報があるのですが、これに関連して、専門医に安倍首相の顔色や表情、皮膚の状態などから、病状を判断してもらおうかと考えています。そこでお願いですが、こうしたリクエストに応じてくれる医師をご存じないでしょうか。こちらも何人か当たっているのですが、なかなか応じてもらえません。心当たりがあれば、教えていただけませんでしょうか」旧知の記者なのに申し訳ないが、無茶苦茶な依頼である。そもそも潰瘍性大腸炎の診療経験値が極めて高い専門医でも、ぱっと見で重症度・病状が判断できるわけはない。私は次のように返信メールを書いた。「潰瘍性大腸炎は下痢や血便の頻度、血液検査、大腸内視鏡で病状を判断するものなので、ぱっと見で病状診断は無理です。見た目でこの病気の病状を診断するというのは、およそ星占いの1000倍以上当てにならない話です」また、潰瘍性大腸炎の専門医は国内に数百人程度で、大御所を中心にヒエラルキーが確立しているのは医療関係者なら周知のこと。その環境下でこの記者が要望するような非科学的コメントをする医師がいれば袋叩きにあってしまう。その旨も返信メールに記述し、協力は難しいと伝えた。そしてこの瞬間、私の記憶に蘇ってきたのは7月中旬の新聞記者からの問い合わせだ。一瞬、「もしかしてこのこと?」とは思ったものの、週刊誌記者からの依頼があまりにも突拍子もないものだったことの反動もあって、この時点では首相の体調悪化→辞任というシナリオもないだろうとの判断に傾いた。もっとも、やはり記者は自分が思うことでも一度は疑ってかかるもの。念のため、ある雑誌で長年政治取材をしている記者に8月上旬に連絡を取った。ちなみにこの頃、一部の週刊誌の誌面では「首相が官邸で吐血した」との情報が躍っていた。私が聞いた記者は次のように答えた。「あの吐血情報はどう考えても官邸から出てるんですよね。でももし事実ならば、絶対かん口令が敷かれるはずなんですが…」その後、2度にわたり安倍首相が慶應義塾大学病院を受診したことは報道されている通りである。まさかまさかの辞任表明そしてあの首相の辞任表明会見の前夜から、念のため何人かの記者や関係者に話を振ってみた。要は「辞任があるやなしや」という点である。皆一様に辞任を否定した。「いやいや、前回の政権投げ出し批判があるから、本人も周囲もことさら体調理由の辞任になることは絶対避けたいシナリオ。ここではないですよ」「結局、メディアがことさら騒いでいるだけで、会見も言ってしまえば『大山鳴動して鼠一匹』になりますよ」まあ、これで今回は何もないかと思った。28日午前にもある政治担当記者とやり取りすると、夕方の会見でも述べられた「指定感染症見直し」で厚生労働省と官邸側が話をつめているらしいとの情報のみで、やっぱり「今日はまず辞任はないと思います」との返事。実はかくいう私もそれらの情報を受け、原稿のやり取りをしている当コラムの担当編集者へのお昼直前のメールに次のように書いている。「本日の会見、今の時点でさすがに辞任はなさそうです」各種報道によると、安倍首相が辞意を明らかにしたのは、この日の閣議後に麻生副総理と2人で会談した場だったという。首相動静によれば午前11時過ぎ。それから2時間と経たずに空気は一変した。あとは冒頭に触れたとおりである。潰瘍性大腸炎と私の出会いちなみに首相の辞任表明会見後、7月中旬に私に電話をしてきた新聞社の記者に連絡を取ってみた。うち1人は「ノーコメ(ノーコメント)ということで…」とごまかし笑い。もう1人はいまだ電話を受けてくれていない(笑)。ちなみに私が初めてこの病気の患者と出会ったのは大学1年の時で、その患者は同級生である。彼とは実験などで同じ班だったが、時々、実験の最中に忽然と姿を消すことがあった。大学の実験はギリギリの人数でやっているので、そうそう姿を消してもらっては困る。姿を消した彼がひょっこり戻ってくると、同じ班のほかのメンバーが「おい、何してたんだよ」と詰める。彼はいつも苦笑いしながらぽつりと言った。「うん、ウンコ」そこで班内は爆笑になる。いつのまにか彼は陰で「ウンコ○○(○○は彼の名字)」と呼ばれるようになった。そんなある日、学食で私が一人で食事をしているとトレーを持った彼が「おう」と言いながら、向かいに座った。そして自らこう語り出した。「実はさ、しょっちゅうトイレ行くの病気なんだよね。潰瘍性大腸炎っていう」今のように医学の知識のなかった私はこう返した。「それって治るの」彼は私のほうも見ずにうどんをすすりながら言った。「いや、治らない」なんと返していいかわからなかった。彼はうどんを食べ終わると、私の前に大きなオレンジ色の錠剤を出して見せてくれた。「これが薬なんだ」当時は何もわからなかったが、今ならあれが初期の5-ASA製剤サラゾピリンだとわかる。男女問わず、尿や汗をオレンジ色にしてしまい、男性では精液にまで色を付けてしまうあの薬だ。そして今ならわかる。彼が堂々と笑いながら「ウンコ」と口にしたのは彼が身につけた防衛策だろうと。首相辞任会見を難病周知のきっかけに先週の安倍首相の辞任会見以来、この記事を執筆している今現在までに各紙・各週刊誌の記者とやり取りする中で、必ず話題になるのが首相の病気である潰瘍性大腸炎のことだ。そして20万人もの患者がいながら、案外この病気のことは知られていないことに驚く。ちなみにこの間、両手指を超える記者と話して、知り合いにこの病気の患者がいると答えたのは1人のみ。だが、そんなはずはない思う。身の回りで大腸がん、肺がん、胃がんの患者の話を聞いたことがない成人はいないと思う。潰瘍性大腸炎の患者はそうしたがんの患者よりも多いのだ。結局のところ排泄のことも関係するために多くの患者は周囲に言えないだけなのだろうと思う。その意味で私が仕事とは直接関係なく出会った潰瘍性大腸炎の患者の一部からはこういわれたことがある。「医療に詳しいみたいだから言っても問題ないかなと思って」そうした彼らの期待に今の自分が応えられているかと問われれば私も自信はない。だが、日本の国家元首自らのカミングアウトは、アンサングな患者たちのことに今一度思いをはせる良い機会ではないだろうか。もっともこの職業ゆえの余計な一言かもしれないが、安倍首相の政治的成果に対する評価は別途厳格に行わなければならないし、そこでは基本、鞭を打つ姿勢で臨むべきであり、手を緩める必要はまったくないと思っている。

723.

イエスマン(前編)【どうすればポジティブになれるの?でも、そのデメリットは?】Part 2

ポジティブになるデメリットは?ポジティブになるメリットは、チャンスが増える、好かれる、人生を楽しむということが分かりました。つまり、ポジティブさとは、快感を主とした好ましい心理です。このポジティブさに価値を置く代表的な文化は、この映画の舞台にもなっているアメリカです。なお、アメリカ人がポジティブである遺伝的、文化的な理由として、彼らのルーツがあげられます。アメリカ人は、かつてヨーロッパからフロンティア精神で新大陸にやってきた人たちです。その後の移民政策によって、チャンスをつかもうとする冒険心を持ったポジティブな人がさらに増えたでしょう。また、結果的に、多民族・多文化の社会になったため、交渉や妥協などのコミュニケーションを積極的にするポジティブな人も増えたでしょう。ポジティブになることは、メリットばかりであると思われがちです。しかし、そのメリットは、状況(環境)が変われば、常にその裏返しのデメリットにもなりえます。ここから、カールの変化を通して、そしてアメリカ文化の負の部分に触れながら、ポジティブになることのデメリットを3つ挙げてみましょう。(1)見込みが甘くなるカールの融資のビジネスは、結果的にうまく行き、チャンスを広げました。しかし、実際に、アメリカのかつてのリーマンショックの原因は、リーマンブラザーズの社長が投資のリスクを過小評価したからだと言われています。皮肉にも、リーマンショックは、この映画のアメリカでの公開中に起りました。また、カールは、飲み会でおごりまくっており、明らかな浪費が推測できます。楽器演奏、乗り物操縦、語学にかかる経費もかさむでしょう。レッドブル(カフェイン)の乱用も描かれています。1つ目は、見込みが甘くなることです(リスクへの鈍感さ)。これは、チャンスが増えることの裏返しです。そして、だまされるリスクを高めます。この心理は、精神医学的に言えば、肥満、浪費(保険未加入も含めて)、ギャンブル(投資も含めて)、アルコール、ドラッグなどの依存症の根っことなる否認の心理に通じます。これは、アメリカ人の多くが肥満や浪費の問題を抱えていることにつながるでしょう。(2)お調子者になるカールは、イエスと言い続けて、人生を楽しんでいます。しかし、何でもイエスと言っていることをアリソンにバレてしまい、信用を失ってしまいます。職場では、言われるままにふざけすぎて、上司に引かれています。パーティで声をかけた女性に、いきなりキスをしてしまい、その彼氏と決闘するはめにもなっています。また、カールは、アリソンと一緒によくボランティアをしています。しかし、実際に、アメリカでは、ボランティアが盛んであるのに対して、助け合いが社会的な制度として成り立っていません。先進国なのに、医療保険は民間だけで、国民の一定数が医療保険に未加入であるのは世界的にかなり珍しいです。これは、不平等をあまり気にしない、あくまで自分の意思で助けたいという個人主義とあいまって、家族などの身近な人以外については、お互いあまり信用していないことが根底にあるでしょう。さらに、不倫も珍しいことではなく、婚姻率も離婚率も高いです。2つ目は、お調子者になることです(対人関係への鈍感さ)。これは、気に入られることの裏返しです。よくよく考えれば、ポジティブすぎるのは、短期的には気に入られますが、長期的にはお調子者で信用できないと思われるリスクを高めます。まさにゴマすりをする本来の意味の「イエスマン」です。この心理は、精神医学的に言えば、演技性パーソナリティに通じます。これは、アメリカ人の多くが日本人から見るとオーバージェスチャーであることにつながるでしょう。(3)雑になるカールは、イエスと言い続けて人生を楽しむ流れで、アリソンとデートをしつつ、「イラン人花嫁ドットコム」のお見合い相手ともデートしています。そして、そのイラン人女性に、アリソンの話ばかりをしてしまいます。また、イラン人女性は英語が堪能ではないと勘違いしてしまい、「もともとタイプじゃなかったし」とうっかり口走ってしまいます。彼は、細かいことを気にしなくなっています。実際に、アメリカ英語に“easy going”という言い回しがあるように、アメリカ人は、良く言えば大らかです。「アメリカ料理」と言えば、ファーストフードやジャンクフードの部類で、大味なものばかりです。ホテルのサービスは、必要最低限で合理的です。3つ目は、雑になることです(不完全への鈍感さ)。これは、人生を楽しむことの裏返しです。この心理は、精神医学的に言えば、ADHDの不注意症状に通じます。これは、アメリカ人のADHDの発症率が国際的に高いことにつながるでしょう。ネガティブになるメリットは?先ほど、ネガティブになるデメリットは、動けなくなる、嫌われる、退屈になるということが分かりました。ネガティブさとは、不安を主とした好ましくない心理です。ネガティブになることは、デメリットばかりであると思われがちです。しかし、そのデメリットは、状況(環境)が変われば、常にその裏返しのメリットにもなりえます。このネガティブさに価値を置く代表的な文化は、やはり日本です。その遺伝的、文化的な理由の詳細については、末尾の関連記事をご参照ください。ここから、日本文化に触れながら、ネガティブになることのメリットを3つ挙げてみましょう。 (1)用心深くなる日本では、ウチ・ソトの文化により、見知らぬ人、つまりソトの人には無愛想で、すぐに心を開きません。また、もともとマスクの着用や手洗いの文化が根付いています。1つ目は、用心深くなることです(リスクへの敏感さ)。これは、だまされるリスクや感染症にかかるリスクを減らします。太古の昔から、常に食うか食われるかの死と隣り合わせの極限状況では、リスクに敏感な種が生き残ったでしょう。また、先ほどの原始の時代に生まれた助け合いには、常に裏切りのリスクが潜んでいます。たとえば、せっかく協力して得た食料を独り占めして姿を消す裏切り者です(フリーライダー)。原始の時代には、この1人がいるだけで集団の死につながります。なお、日本人の用心深さは、日本の国土が、歴史的に、資源が少なく自然災害が多いこととの関係が指摘されています。(2)控えめになる日本人は、つらい表情で「今日は暑い(寒い)ですねえ」と言い合うネガティブな共感を好みます。「愚妻」「愚息」「つまらないもの」「粗品」という言い回しがあるように、へり下ることに重きを置きます。また、褒められた時は、「そんなことないです」と神妙にいったん否定することが慣習になっています。感謝する時は、素直に「ありがとうございます」とは言わず、「(お手を煩わせて)すいません」と謝罪します。さらに、自粛などの集団の暗黙のルールには、陰で不平不満を言いつつも従う人が多いです。これは、本音と建て前の文化でもあります。2つ目は、控えめになることです(対人関係にへの敏感)さ。これは、自分を抑えて、相手を立てて、お上(政権)や世間の言うこと(主流秩序)に従うことで、出しゃばらない、調子に乗らないというメッセージを表向きに伝えることができます。もちろん、本音は別です。逆に、出しゃばる、調子に乗っている相手には、嫌悪感を抱き、陰口(バッシング)のターゲットにします。このように、ウチの中では、横並び意識が強く、不公平に敏感です。先ほどの原始の時代に生まれた助け合いとして、たとえば協力して男性たちが狩りをする時や女性たちがママ友グループをつくる時は、新入りは大人しく神妙にしていたほうが、印象が良く仲間として早くに認められるでしょう。なお、日本人の控えめさは、日本の国土が、島国で閉じていて狭いこととの関係が指摘されています。それだけ、隣近所に気を遣う必要があるからです。また、日本人は、人類が生まれたアフリカから最も遠くまで行くためにつながりを重視した人種の1つだからであることも考えられます。ちなみに、中国人のメンツの文化は、周りを気にする点で日本人と似ています。しかし、中国人は、あくまで自分がどう思うかという自分本位であるのに対して、日本人は相手がどう思うかという相手本位(世間本位)であるという点で違います。(3)丁寧になる日本製の車や家電製品は、燃費が良く壊れにくいと国際的に定評があります。職人の技術の緻密さは、世界的にも評価が高いです。また、日本人は、きれい好きで、細かい点に注意や気配りをする「おもてなし」の精神があります。3つ目は、丁寧になることです(不完全への敏感さ)。これは、ものづくりやサービスにおいて、ダメ出しを繰り返し、完璧さや形式美を発揮することができます。先ほどの原始の時代に生まれた助け合いの中、たとえば、男性が狩りのための石器をより良いものにしたり、女性が隣近所への気配りをより良いものにしていたほうが、部族内での評判も良いでしょう。なお、日本人の丁寧さは、日本人の主食が米であることとの関係が指摘されています。一方、世界的な主食は麦です。麦作と違って、米作は協力するプロセスが多かったため、丁寧さが遺伝的にも文化的にも求められたからです。ちなみに、日本人の主食が麦ではなく米である理由は、日本の国土が狭いことと関係があります。1年おきに休ませる必要がある麦畑に対して、水田は、毎年使えて生産性が高いため、狭い国土に選ばれたのでした。 << 前のページへ■関連記事苦情殺到!桃太郎(後編)【なんでバッシングするの?どうすれば?(正義中毒)】Part 1

724.

第21回 大統領選のダシにされたCOVID-19血漿療法、日本でも似たようなことが!?

まだ、治療薬もワクチンも決定打がない新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。そんな最中、米国食品医薬品局(FDA)は8月23日、COVID-19から回復した患者の新型コロナウイルスの中和抗体を含む血漿を用いた回復期血漿療法に対し、緊急使用許可を発行した。FDAによる緊急使用許可は抗ウイルス薬レムデシビルに次いで2例目だ。この緊急時使用許可の直後の会見でドナルド・トランプ米大統領は「信じられないほどの成功率」「死亡率を35%低下させることが証明されている」「この恐ろしい病気と戦う非常に効果的な方法であるとわかった」などと絶賛。同席したFDAのステファン・ハーン長官もこの死亡率35%低下を強調。しかし、この死亡率低下の根拠データが不明確との批判を受け、ハーン長官自身が謝罪に追い込まれる事態となった。さてこの1件、そもそも発端となっているのはメイヨークリニック、ミシガン州立大学、ワシントン大学セントルイス医学大学院が主導する「National COVID-19 Convalescent Plasma Expanded Access Program」により行われた臨床研究である。この結果は今のところプレプリントで入手可能である。そもそもこの試験は単群のオープンラベルという設定である。ここで明らかになっている主な結果を箇条書きすると以下のようになる。診断7日後の死亡率は、診断3日以内の治療開始群で8.7%、診断4日目以降の治療開始群で11.9% (p<0.001)。診断30日後の死亡率は、診断3日以内の治療開始群で21.6%、診断4日目以降の治療開始群で26.7% (p<0.0001)。診断7日後の死亡率は、IgG高力価 (>18.45 S/Co)血漿投与群で8.9%、IgG中力価(4.62~18.45 S/Co)血漿投与群で11.6%、IgG低力価 (<4.62 S/Co) 血漿投与群で13.7%と、高力価投与群と低力価投与群で有意差を認めた(p=0.048)。低力価血漿投与群に対する高力価血漿投与群の相対リスク比は診断7日後の死亡率で0.65 、診断30日後の死亡率で0.77 だった。これらを総合すると、トランプ大統領が言うところの死亡率35%低下は、最後の診断7日後の高力価血漿投与群での相対リスク比を指していると思われる。もっとも最初に触れたようにこの臨床研究は単群のオープンラベルであって、対照群すらない中では確たることは言えない。その点ではトランプ大統領もハーン長官も明らかなミスリードをしている。そして各社の報道では、11月に予定されている米大統領選での再選を意識しているトランプ大統領による実績稼ぎの勇み足発言との観測が少なくない。とはいえ、COVID-19により全世界的に社会活動が停滞している現在、治療薬・ワクチンの登場に対する期待は高まる中で、今回の一件は軽率の一言で片づけて良いレベルとは言えないだろう。そして少なくともトランプ大統領周辺では大統領への適切なブレーキ機能が存在していないことを意味している。大統領選のダシにされた血漿療法、日本は他人ごと?もっとも日本国内もこの件を対岸の酔っぱらいの躓きとして指をさして笑えるほどの状況にはない。5月には安倍 晋三首相自身が、COVID-19に対する臨床研究が進行中だった新型インフルエンザ治療薬ファビピラビル(商品名:アビガン)について、その結果も明らかになっていない段階で、「既に3,000例近い投与が行われ、臨床試験が着実に進んでいます。こうしたデータも踏まえながら、有効性が確認されれば、医師の処方の下、使えるよう薬事承認をしていきたい。今月(5月)中の承認を目指したいと考えています」と前のめりな発言をし、後のこの試験でアビガンの有効性を示せない結果になったことは記憶に新しい。もっと最近の事例で言えば、大阪府の吉村 洋文知事が8月4日、新型コロナウイルス陽性の軽症患者41例に対し、ポビドンヨードを含むうがい薬で1日4回のうがいを実施したところ、唾液中のウイルスの陽性頻度が低下したとする大阪府立病院機構・大阪はびきの医療センターによる研究結果を発表。これがきっかけで各地のドラッグストアの店頭からポビドンヨードを含むうがい薬が一斉に底をついた。これについては過去にこの結果とは相反する臨床研究などがあったことに加え、医療現場にも混乱が及んだことから批判が殺到。吉村知事自身が「予防効果があるということは一切ないし、そういうことも言ってない」と釈明するに至っている。もっとも吉村知事はその後も「感染拡大の一つの武器になる、という強い思いを持っています」とやや負け惜しみ的な発言を続けている。ちなみに今年2月から始動し、7月3日付で廃止された政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の関係者は以前、私にこんなことを言っていたことがある。「吉村大阪府知事や鈴木北海道知事など新型コロナ対策で目立っている若手地方首長に対する総理の嫉妬は相当なもの。会議内で少しでもこうした地方首長を評価するかのような発言が出ると、途端に機嫌が悪くなる」今回の血漿療法やこれまでの経緯を鑑みると、新型コロナウイルス対策をめぐる政治家の「リーダーシップ」もどきの行動とは、所詮は自己顕示欲の一端、いわゆるスタンドプレーに過ぎないのかと改めて落胆する。新型コロナウイルス対策でがっかりな対応を見せた政治家は日米以外にもいる。もはや新型コロナウイルスが炙り出した「世界びっくり人間コンテスト」と割り切ってこの状況を楽しむ以外方法はないのかもしれない。

725.

コクラン共同計画のロゴマークからメタ解析を学ぶ【Dr.中川の「論文・見聞・いい気分」】第27回

第27回 コクラン共同計画のロゴマークからメタ解析を学ぶこの原稿を執筆している2020年7月末には、新型コロナウイルスへの感染者数が再び増加しています。パンデミック収束の気配はありません。数多くの、抗ウイルス薬やワクチンの開発の報道はありますが、決定的な方策はない状況です。どの薬剤にも、有効という臨床試験の結果もあれば、無効という結果もあるからです。同じ臨床上の課題について、それぞれの試験によって結果が異なることは、医学の世界では珍しいことではありません。このような場合に有効な方法がメタ解析です。メタ解析は、複数のランダム化比較試験の結果を統合し分析することです。メタ解析の「メタ」を辞書的にいえば、他の語の上に付いて「超」・「高次」の意味を表す接頭語で、『より高いレベルの~』という意味を示すそうです。メタ解析の結果は、EBMにおいて最も質の高い根拠とされます。ランダム化比較試験を中心として、臨床試験をくまなく収集・評価し、メタ解析を用いて分析することを、システマティック・レビューといいます。このシステマティック・レビューを組織的に遂行し、データを提供してくれるのが、コクラン共同計画です。英語のまま「コクラン・コラボレーション」(Cochrane Collaboration)と呼ばれることも多いです。本部は、英国のオックスフォード大学にあり、日本を含む世界中100ヵ国以上にコクランセンターが設立されています。システマティック・レビューを行い、その結果を、医療関係者や医療政策決定者、さらには消費者である患者に届け、合理的な意思決定に役立てることを目的としている組織です。フォレスト・プロット図をデザイン化した、コクラン共同計画のロゴマークをご存じでしょうか。早産になりそうな妊婦にステロイド薬を投与することによって、新生児の呼吸不全死亡への予防効果を検討した、メタ解析の結果が示されています。数千人の未熟児の救命につながったと推定される、システマティック・レビューの成功例なのです。この図を、Cochrane Collaborationの2つの「C」で囲んだデザインが、コクラン共同計画のロゴです。フォレスト・プロットの図から、メタ解析の結果を視覚的に理解することができます。横線がいくつか並んでいますが、これは、過去の複数のランダム化比較試験の結果を上から順に記載したものです。1本の縦線で左右に区切られており、この線の左側は介入群が優れていることを意味します。すべての研究を統合した結果が一番下の「ひし形」に示されます。ロゴの図をみると、7つの臨床研究の結果を統合し、ひし形が縦線の左にあることから、ステロイド薬使用という介入が有効であるという結果が読み取れます。縦線が樹木の幹で、各々の研究をプロットした横線が枝葉で、全体として1本の樹木のようにみえることからフォレスト・プロットと呼ばれるのです。個々の試験では、サンプルサイズが小さく結論付けられない場合に、複数の試験の結果を統合することにより、検出力を高めエビデンスとしての信頼度を高めるのがメタ解析です。症例数が多いほど、結論に説得力があるのです。数は力なのです。多ければ良いというものではない場合もあります。それは、猫の数です。面倒みることができないほど多くの猫の数になる、いわゆる多頭飼育崩壊です。メタ解析ではなく、「メチャ飼い過ぎ」でしょうか、苦しいダジャレです。仲良く猫たちが、じゃれ合う姿は可愛らしいものですが、何事にも程合いがあります。小生は、ただ1匹の猫さまに愛情を集中しています。ここでわが家の愛猫が、原稿を執筆しているパソコンのキーボードの上に横たわりました。自分が猫のことを考えているのが伝わったのか、邪魔をしようという魂胆のようです。ウーン可愛い過ぎる! 原稿執筆終了です。

726.

第21回 ワクチン2題。あなたはワクチン打ちますか、打たせますか?

ワクチンは高齢者、医療従事者が優先の方向こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。相変わらず猛暑が続きます。私は2週間前に越後駒ヶ岳を登った時の日焼けが思いの外ひどく、しばらく皮膚がめくれた醜い腕をさらしていたのですが、やっと収まってきました。NHKニュースでも「たかが日焼け?~甘く見ないで対策を」と、重症の日焼けについて報道していましたが、よく言われる「日焼けは皮膚がんになる」は、日本人(黄色人種)の場合、当てはまるのでしょうか?日焼けクリームがなかった昔から、農家の人は夏には真っ黒になって仕事をしてきました。でも、農業従事者に皮膚がんが多い、とは聞きません。また、登山やサーフィンを趣味にする人に皮膚がんが多い、とも聞きません。とくに肌が白い人はともかく、普通の日本人の肌の色であれば日焼けクリームはそんなに塗らなくてもいいのでは、と毎年思うのですが、皆さん、いかがでしょう?さて、今週はワクチンの話題について書きたいと思います。連日、全国各地でクラスター発生の報道がある中、8月21日、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会が開かれ、東北大の押谷 仁教授から、「東京都、大阪府、愛知県のいずれも7月末がピークだったとみられる」と、再流行が収束に向かう兆しがある旨の発言がありました。もっとも、「東京都は高止まりの可能性があり、急激には下がることはない」とのこと。一方、感染拡大が続いている沖縄県については「不確実だが、少しずつ減っている可能性もある」と述べました。全体として、このまま行けば徐々に収束に向かうのでは、との期待を持たせる報告でした。また、この分科会では、新型コロナウイルス感染症のワクチンが開発された場合にどのような優先順位で接種するかについて「現時点での考え方」が公表され、新聞他各メディアもそれを大きく報じました。そこでは、重症化の可能性が高い高齢者や基礎疾患を有する人、直接診療に当たる医療従事者は優先的に接種する必要性が高いと指摘。一方で、妊婦や高齢者施設で働く人は検討課題とされました。今後、政府は優先的に接種する対象をどこまで広げるかなどについて分科会で議論してもらい、秋にもワクチン接種のあり方を定めた基本方針を策定する予定とのことです。「国民が期待していない事実が出てくるかもしれない」と尾身氏この「考え方」、安全性や有効性に不確実な面があることを指摘し、情報収集と国民への正確な発信の重要性を強調するなど、全体としてかなり冷静でドライな内容となっています。例えば、「特に留意すべきリスク」として、「現在開発が進められているワクチンでは、核酸やウイルスベクター等の極めて新規性の高い技術が用いられていることである。また、ワクチンによっては、抗体依存性増強(ADE)など重篤な副反応が発生することもありうる。ワクチンの接種にあたっては、特に安全性の監視を強化して接種を進める必要がある」と、新規性の高い技術のためリスクの見極めが難しい点や、ADEの危険性にも言及しています。さらに、「一般的に、呼吸器ウイルス感染症に対するワクチンで、感染予防効果を十分に有するものが実用化された例はなかった。従って、ベネフィットとして、重症化予防効果は期待されるが、発症予防効果や感染予防効果については今後の評価を待つ必要がある」と、ワクチンが開発されたとしても当面期待できるのは重症化予防効果だけである点にも触れています。その上で、「わが国では、ワクチンの効果と副反応の関係については、長い間、国民に理解を求める努力をしてきたが、副反応への懸念が諸外国に比べて強く、ワクチンがなかなか普及しなかった歴史がある。 従って、国民が納得できるような、十分な対話を行っていくべきである」と国民への情報提供や配慮の重要性にも触れています。分科会長の尾身 茂氏も、「国民が必ずしも期待していない事実が出てくるかもしれない。100%理想のものでなかったらがっかりするが、副作用があるのかないのか透明性を持って伝えることが私どもの仕事だ」と話したとのことです。「全員接種」を強制の可能性も政府は、これまでに米国ファイザー社と英国アストラゼネカ社からワクチンの供給を受けることで合意。開発に成功した場合、来年初頭からワクチンの一部が日本に供給される予定です。今回のワクチン接種の優先順位は、とりあえず開発が先行するこの2社のワクチンを想定してのものと考えられます。さて、優先順位の上位に医療従事者が入っていますが、読者の皆さんは打ちたいと思いますか?医療関係者からは「ワクチンを打って安心して働きたい」という声の一方で、「安全性が確立していない初物のワクチンなんて打ちたくない」という声も聞こえてきます。開発を担当する製薬企業の研究者ですら、「私はちょっと…」とお茶を濁す人もいると聞きます。仮に来年、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種がスタートし、医療従事者が優先となった場合、医療機関によって「スタッフ全員接種」か「希望者のみに接種」か、対応が異なってくると思われます。先の「考え方」には、「接種を優先すべき対象者がリスクとベネフィットを考慮した結果、接種を拒否する権利も十分に考慮する必要がある」と書かれてはいますが、「あそこの病院はワクチンを全員打っていないから危険だ!」といった、意味のない風評を嫌う病院経営者(公立病院の場合は首長)が、「全員接種」を強制する可能性も考えられます。「今回のワクチンはあくまで重症化予防であり、感染予防ではない」ことを、一般人のみならず、大阪府知事など医学に疎い自治体の首長にも事前にしっかりと啓発し、ワクチンの登場までにヘルスリテラシーをしっかり高めておいて欲しいと思います。9価HPVワクチンが定期接種検討へワクチンということでは、今週はもう一つ興味深いニュースがありました。厚生労働省の厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会「ワクチン評価に関する小委員会」が8月18日、MSDの9価HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン「シルガード9 (組換え沈降9価ヒトパピローマウイルス様粒子ワクチン)」を、公費で接種できる定期接種に組み入れるかどうかの是非を今後検討することを了承したのです。同ワクチンは先月7月21日に製造販売が承認されたばかり。HPVワクチンは日本ではこれまで子宮頸がんになりやすいハイリスクな16型、18型への感染を防ぐ2価ワクチン(サーバリックス)と、その2つの型に加え尖圭コンジローマを起こす6型、11型も防ぐ4価ワクチン(ガーダシル)しか承認されていませんでした。シルガード9は上記に加え、やはりがんになりやすい31、33、45、52、58の5つの型も含めた9価ワクチンです。子宮頸がんの90%以上を防ぐとして先進国では主流(肛門のがんや性器イボも予防できるとして男性も接種対象)ですが、日本だけ承認が大幅に遅れていました。ちなみにMSDが製造販売の承認申請をしたのは2015年7月ですが、9価ワクチン承認に反対する団体の影響もあったのか、承認までになんと5年もかかっています。WHOからも叱られた「いい思い出がない」ワクチンHPVワクチンは日本のワクチン行政上、「いい思い出がない」ワクチンとも言えます。新型コロナウイルス感染症に関しての分科会の「考え方」で述べられた、「副反応への懸念が諸外国に比べ強く、ワクチンがなかなか普及しなかった歴史」とはHPVワクチンのことでもあるのです。2013年に予防接種法に基づき2価、4価ワクチンが定期接種化されたものの、接種後の副反応の疑い例が大々的に報道されました。その影響で自治体から接種対象者に接種時期を知らせたり、個別に接種を奨めたりするような積極的勧奨は中断したままです。現在の高校3年生以下の女子の接種率は1%未満という数字もあります。一方で、子宮頸がんの患者数は増加傾向にあり、毎年国内で約1万人の女性が子宮頸がんにかかり、約3000人が死亡しています。特に20~30代のAYA世代に多く、30歳代後半がピークとなっています。こうした状況下、WHOは2015年の声明で、若い女性が本来予防し得るHPV関連がんのリスクにさらされている日本の状況を危惧し、「安全で効果的なワクチンが使用されないことに繋がる現状の日本の政策は、真に有害な結果となり得る」と警告。日本産科婦人科学会も、「科学的見地に立ってHPVワクチン接種は必要」との立場で、HPVワクチン接種の積極的勧奨の再開を国に対して強く求める声明を繰り返し発表し、9価ワクチンについても早期承認と定期接種化を求めてきました。その定期接種化に向けての動きがやっと始まった、というわけです。既に世界で効果と安全性の評価が固まっているHPVワクチンと、これから評価待ちの新型コロナウイルスワクチン。ワクチンに対しセンシティブで過剰反応が過ぎると言われる日本人が、この2つのワクチンにこれからどのような“反応”をし、“判断”を下すのか、とても気になります。

727.

第20回 武田薬品が仕掛ける早期退職制度に隠された真実?

ここ1週間で国内製薬企業の雄・武田薬品工業(以下、武田)に関する2つのニュースが流れ、関係者がざわついている。一つは8月17日に発表された早期退職者優遇制度(フューチャー・キャリア・プログラム)の実施、もう一つはその翌日に報じられた大衆薬事業の売却である。1781年(天明元年)、大阪の道修町で創業した薬種中買商(薬種卸仲買商、いわば医薬品卸)の「近江屋」を起源とする武田は、ベタな例えをすれば「コテコテの浪速の商人(あきんど)」だが、そこから約240年でまったく別の会社になりつつある。近年同社が最も世を驚かせたのは2013年11月に明らかになった初の外国人社長クリストフ・ウェバー氏の登場であり、極めつけは2019年1月、アイルランドのシャイアー社を約6兆8,000億円という日本史上の最高額の買収で傘下におさめ、製薬企業世界トップ10入りしたことだ。とりわけシャイアー買収は5兆円という巨額な有利子負債を抱えてまで行った乾坤一擲(けんこんいってき)の戦略。投資適格性の指標となる、有利子負債を自社の営業キャッシュフローで返済する能力を示す「純有利子負債/調整後EBITDA比率」は一般に2.0倍以内が投資適格と判断されるが、武田はシャイアー買収後に約4.8倍にまで上昇。同社は買収から3~5年以内にこの比率を2倍以内に急速に低下させると繰り返し公言した。これに関連し、約100億ドルの非コア事業の資産売却を目指す方針も明らかにしていた。実はコロナ禍の影響は少なくない?その意味でこの2つの動きは単純にシャイアー買収による有利子負債返済の加速に向けた「既定路線」と解釈しがちになる。それ自体は概ね間違いではないだろうが、やや短絡的に過ぎるのではないかと思う。たとえば、今回発表された早期退職者優遇制度は国内事業部門が対象だ。しかし、シャイアー買収完了直後、国内事業であるジャパンファーマビジネスユニットプレジデントの岩崎真人取締役は、統合に伴い大幅な人員削減を行うつもりがないことを強調していた。実際、統合直前のシャイアー日本法人には契約社員も含め約250人の社員がいたが、統合後の2019年度末の武田の社員数は約60人しか増加していなかったし、この間にアメリカなどでのシャイアーとの拠点統合の結果としてそれなりの人員削減に成功していた。また、最新(2020年度第1四半期)の純有利子負債/調整後EBITDA比率は既に3.7倍と順調な低下を見せている。むしろここで考慮すべきファクターがあるとするならば今回のコロナ禍である。といってもこの件で直近の売上が大幅に減少しているわけではない。むしろ影響は今後出ると考えられる。昨秋から武田は2025年3月期までに12の新規候補物質について製造承認取得の可能性を見込んでいるとやや前のめりの見通しを示している。しかし、そもそもこれらすべてが上市にこぎつけられるとは限らないうえに、今回のコロナ禍で同社を含む多くの製薬企業が臨床試験の一時中止を強いられている。また、武田に限って言えばこの間の2023年中に全世界で売上高3,000億円弱を叩き出すADHD治療薬・ビバンセが特許失効となる。コロナ禍で先行き不透明感はより増してしまった感がある。そしてコロナ禍による国内売上高に対する影響は、むしろ来期のほうが深刻になる可能性がある。というのも薬剤購入費などを予算化している大病院は今期の経営実績から来期の予算が決まる。ところが、現在多くの医療機関が経営的には苦しい状況に置かれているのは周知のことで、来期の薬剤購入は相当シビアになる可能性がある。同社は表面上、経費削減目的とは言っていないが、このような状況を考えれば、もはや国内事業の人員も「聖域」にしておけないというのが実態だと思われる。早期退職制度、なぜ若手が対象者?一方、今回の早期退職者優遇制度が勤続3年以上、30歳以上を対象としていることに対する驚きも多い。個人的な印象に過ぎないが、ネット上などでの反応を見ると「中高年をターゲットにしていることを隠すためでは?」という声は少なくない。しかし、個人的にはややダウトだ。やや個人的な話が混じるが、私が新卒で医薬品業界紙の記者になった時の武田の社長は創業家出身の武田 國男氏である。父親で武田の社長を務めた6代目武田 長兵衛氏の三男だった國男氏は、自称「武田家の落ちこぼれ」だったが、当初後継者と目されていた兄に加え、父も相次いで急逝し、社長の座についた。副社長時代にアメリカ進出を成功させ、「選択と集中」の名のもとに同社が歴史的に有してきた農薬や化成品、食品などの非コア事業を相次いで切り離し、業績好調の中で早期退職者優遇制度による人員削減を推し進めるという「離れ業」をやってのけた。引退後の現在、ウェバー氏の舵取りは批判的とも伝わっているが、今から20年以上前に國男氏が行ったことは今の体制下で行われていることと重なる。その國男氏時代、武田では毎年1回、ホテルの宴会場で業界紙・専門紙や一般紙の経済部記者などを集め、経営陣との記者懇親会を開催していた。宴会場には料理や飲み物が並び立食形式だったが、実際にこうした席では社長、あるいは営業本部長クラスの取締役は記者に囲まれて質問攻めにあい、最初の乾杯発声時に手にしたグラスを握ったまま、飲食はほとんどできないことが多い。しかし、國男氏はまったく違った。自ら皿を取って料理を山のように盛り、それをガツガツ食べながら記者の質問に答える。従来から自社の社員を「大企業病に罹っている」と公然と批判することもあった國男氏に、当時20代だった私は冗談半分に「いまこの席にいる経営幹部はさすがに大企業病から抜け出してますよね?」と意地の悪い質問をしたことがある。これに対して國男氏はフォークを持ったままの右手で、周辺にいる幹部を次から次に指差し、「彼らは皆、まだまだ大企業病の患者だ」と大声で言い放った。とにかく「和」を重視しがちな日本企業では異色の経営者だったと言える。その後、社長を引き継いだ長谷川 閑史(やすちか)氏は、巨艦・タケダの自前主義からの脱却を図り、米・ミレニアム社を約8,000億円、スイス・ナイコメッド社を約1兆1,000億円で相次いで買収し、世界70ヵ国の販路を確保する国際化を進めた。そして長谷川氏の後を継いだ初の外国人社長のウェバー氏は、シャイアー買収で世界トップ10入りを果たした。まさにこの四半世紀、武田は目まぐるしく変化し、現在では多くの主要なポストの就任要件に英語能力を図るTOEICの基準点があるほど。この間、ついていけないとばかりに武田を去った日本人社員も少なくないのは業界関係者の多くが知るところだ。だが逆に言えば四半世紀の変化を眺め、その現状に適応して現時点まで生き残ってきた武田の中高年社員はむしろとてつもない環境適応能力を持っているとも言える。むしろ武田の方向性がおおむね確定してきたここ10年のゆとり世代入社組と比べ、その底力は計り知れないものがあるはずだ。その意味でこうしたリストラでの一般的な見方である「高給取りの中高年社員の一掃」は、こと武田については当てはまらない気がしている。いずれにせよここ四半世紀、私が見てきた武田は、環境変化という「危機」に乗じ、周囲のさまざまなものを大きく飲み込み、そのたびにプレゼンスを強化する巨大な雲海のごとし。その意味で今回の一連の出来事の先にどんな動きを見せるのか興味津々である。

728.

ライフ・イズ・ビューティフル【こんな人生に意味はない」と嘆かれたら?(ナラティブセラピー)】Part 1

今回のキーワード逆境外在化相対化主流秩序アナザーストーリー化ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)実存的苦痛フランクル心理学皆さんは「こんな人生に意味はない」と嘆く相手がいたら、どうしますか? または自分がそう思ってしまったら、どうしましょうか? そもそもなぜ人生に意味が「ある」のでしょうか?これらの答えを探るために、今回は不朽の名作映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を取り上げます。この映画を通して、逆境への心のあり方を探るナラティブセラピーを紹介します。そして、「人生の意味」を進化心理学的に掘り下げます。人生に意味はないと思うのは?―逆境舞台は、第二次世界大戦さなかのイタリア。主人公のグイドは、妻のドーラと幼い息子のジョズエと幸せな家庭を築いていました。ところが、ある日、彼らはユダヤ人であったため、ナチスの強制収容所に連行されてしまいます。グイドは、ドーラと離れ離れになってしまい、ジョズエを守りながら、収容所で強制労働をすることになります。しかし、食事は不十分で、部屋は不衛生で大人数がひしめき合っています。しかも、高齢者、子ども、弱って働けなくなった人は、次々とガス室に送られるという極限状況です。収容されている人のほとんどが絶望し、魂の抜け殻になったように、無口、無表情、無感情となっていきます。まさに、「こんな人生に意味はない」と思う瞬間です。私たちも、失業、離婚、死別、がん告知などによって、人生の意味を見失いそうになる逆境があるでしょう。人生に意味はないと思った時、どうする?―ナラティブセラピー逆境を嘆く相手にどうしたら良いでしょうか? または、逆境に立ってしまったら、私たちはどうしたら良いでしょうか? ここから、ジョズエへのグイドのセリフをヒントにして、ナラティブセラピーの3つのステップを紹介しましょう。(1)問題と自分を切り離す-外在化グイドは、強制収容所に到着した時、不安がるジョズエに、持ち前の明るさで、「これはゲームなんだ」「みんなと競争するのさ。ルールはこうだ。兵隊さんに従わなければならない。これが難しい。ミスをしたらすぐに家に送り返される。1,000点たまったら優勝」「優勝すればご褒美が出るからね」「優勝賞品は、本物の戦車さ」ととっさに言います。息子を安心させるため、収容所生活をあたかもゲームのであるかのように装うことを思い付いたのです。1つ目は、外在化です。これは、問題とその人自身(アイデンティティ)を切り離すことです。ナラティブセラピーでは、「人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」と言われています。逆境を背負う自分が問題なのではなく、逆境そのものが問題だと客観視して、その逆境を「ゲーム」と名付けたり、問題を「○○虫」「○○さん」と擬人化(擬「虫」化?)します。たとえば、「独りぼっちの人生に意味はない」と嘆く相手がいたら、その相手への一般的な質問は、「なんでそう思うの?」でしょう。これを、「何があなたをそう思わせるの?」という言い方に変えることです。すると、「独りぼっち」がその人のせいでなく、独立した問題として、客観視することを促します。相手が「寂しさ」と答えたら、「寂しさに虫の名前を付けるとしたら?」と考えてもらい、たとえば「寂しがり虫」と名付けます。そして、「この寂しがり虫を飼い馴らすのを一緒に考えましょう」「その虫はどうあなたを困らせるの?」「その虫が弱ってる時はどういう時?」「何が駆除の助けになりそう?」と話を進めていくのです。ちなみに、怒りっぽいなら「怒り虫」、イライラしやすいなら「イライラ虫」、うっかりミスをしやすいなら「うっかり虫」、怠け癖があるなら「怠け虫」、疑り深いなら「疑り虫」、さらに幻聴の症状があるなら「幻聴さん」と名付けることができます。(2)問題の影響を考える-相対化日が経つにつれて、ジョズエは「もう家に帰りたい」と弱音を吐きます。すると、グイドは「いいよ、お前が帰りたいなら帰ろう」と帰り支度を始めるふりをします。そして、「残念だな。687点で1番だったのに。これで失格だよ」「戦車はほかの子がもらうことになるなあ」とぶつぶつ独り言を言い続けます。そして、ジョズエは、「ゲーム」を続けることを決心します。戦車が手に入るなら、苦労する価値があると子どもながらに思ったのです。2つ目は、相対化です。「もう自分はだめだ」と絶対的に考えずに、問題の影響の度合いや価値を相対的に考えることです。たとえば、先ほどの「寂しがり虫」の続きの質問として、「寂しがり虫はあなたの人生にどう影響を与えているの?」「その虫がいなかったら、どうなってる?」「その虫は、人生の意味をなくすほどの(価値ある)虫?」と話を進めていくのです。これらは、問題の深刻さがフェアか、つり合っているか、見合っているかを自覚させる質問です。これらを、忖度なく純粋な好奇心として質問していくのです(無知の姿勢)。実は、「人生に意味はない」との嘆きの多くは、世間が好ましいとする価値観(主流秩序)から外れていることが原因となっています。たとえば、「親がいない」「友達がいない」「正社員じゃない」「結婚していない」「子どもがいない」などです。それは、主流秩序を絶対視したら、嘆かわしいことでしょう。しかし、自分がどうしたいかという自分の価値観と照らし合わせて相対的に見たら、そこまで苦悩することではないことに気付くことがよくあります。(3)問題を語り直す-アナザーストーリー化グイドは、ジョズエを含む収容者たちみんなの前で、いきなりドイツ語の通訳を買って出ます。ドイツ兵が「偉大なるドイツ帝国のために働けることを誇りに思え」と言うと、グイドは「私は怒鳴る兵隊の役だ。怖がると減点だ」と言い換えます。さらにドイツ兵が「3つの規則を守れ。脱走を試みるな。どんな命令にも背くな。暴動を起こした者は絞首刑。以上だ」と言うと、グイドは「3つの行為が減点の対象だ。泣きべそをかくこと。ママに会いたがること。お腹が空いたとぐずること。以上だ」と言い換えます。こうして、疑うジョズエを信じ込ませたのでした。エンディングでは、大人になったジョズエのナレーションで「これがぼくの物語だ。父が私にしてくれたこと。それこそが贈り物だった」と締めくくります。ジョズエにとって、収容所生活は過酷な逆境によるトラウマ体験ではなく、自分の幸せを一番に願う父親が必死になって作り上げたゲームによる成長体験になっていたのでした。3つ目は、アナザーストーリー化です。これは、主流秩序の価値観に支配された物語(ドミナント・ストーリー)ではなく、自分が納得する自分ならではストーリー(オルタナティブ・ストーリー)に語り直すことです。たとえば、先ほどの「寂しがり虫」の落としどころの1つは、「虫は、退治しなくても良い」「そのまま飼い慣らしても良い」と思えることです。そして、「よくよく考えると、独りは嫌いじゃなかった」「独りでも、今まで自分なりに生きてきた」「ガーデニングやペットのお世話が癒しになっている」「困ったときは、医療や福祉などのソーシャルサポートがある」と語り直すことです。自分の人生は、意味がないと決め付けて絶望するのではなく、意味を見いだすことで受け入れられることに気付きます(自己受容)。いったん、この自己受容ができれば、その他の落としどころとして、本人がやってみたいと思える範囲で「まずは身近な人に挨拶をしっかりしよう」「自分の趣味の仲間とネットでつながろう」との考えが広がるでしょう。ちなみに、主流秩序のアナザーストーリーをそれぞれ考えてみると、たとえば「親のいない子どもはかわいそうな人生」は、「助けてくれる人に囲まれている人生」です。「結婚できないのは負け犬の人生」は、「自由気ままな生活ができる人生」です。「結婚して子どもができないのは気の毒な人生」は、「夫婦の時間を大切にしている人生」です。次のページへ >>

729.

ライフ・イズ・ビューティフル【こんな人生に意味はない」と嘆かれたら?(ナラティブセラピー)】Part 2

そもそもなぜ人生に意味が「ある」の?このように、ナラティブセラピーとは、外在化、相対化、アナザーストーリー化によって、自分の人生に意味を見いだすことであると言えます。なお、ナラティブ(語り)に重点を置いた医療であるナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)が近年注目されています。これは、根拠(主流秩序)に重点を置いた医療であるエビデンス・ベイスト・メディスン(EBM)とは対照的に、本人の人生の意味に重点を置いた医療を行うことです。それでは、そもそもなぜ人生に意味が「ある」のでしょうか? ここから、人生の意味付けの起源を3つの段階に分けて、進化心理学的に掘り下げてみましょう。(1)「人生がある」―概念化原始の時代から、もともと動物は、その瞬間を本能的に生きており、「人生の意味」どころか、「人生がある」ことにも気付いていません。約700万年前に人類が誕生して、300~400万年前にアフリカの森からサバンナに出た時、助け合い(協力)と競い合い(競争)を同時に行う部族の生活の中で、相手の心を読む、つまり相手の視点に立つ心理を進化させてきました(心の理論)。約20万年前に喉の構造の進化から発語が可能になり、その後、言葉によって自分自身を外から見る視点を持つ思考が可能になりました(メタ認知)。また、過去、現在、未来という言葉によって、時間軸を外から見る視点を持つようにもなりました。1つ目は、概念化です。概念化によって、人間は自分がいつか死んで人生がなくなる、裏を返せば、今「人生がある」ことに気付くようになりました。(2)「人生に意味がある」―宗教約6万年前に、概念化によって超越的な存在を意識できるようになり、部族の結束やモラルを強める原始宗教が誕生しました。そして、「人間は神のために生きている」「来世のために生きている」との教えが説かれました。2つ目は、宗教です。宗教によって、「人生に意味がある」ことに気付くようになりました。ただし、その人生の意味は、もっぱら部族(社会)に従属された受動的なものだったでしょう。人生の意味を主体的に考えていたのは、古代ギリシアの哲学者などの一部の人に限られていました。(3)「人生に意味があると考えることに意味がある」―心理学18世紀からの産業革命によって、生産性や効率性などの合理主義や、貨幣経済や民主政治によってはっきり個人を区別する個人主義が世の中に広がっていきました。もはや宗教の教えは不合理であることに気付いてしまいました。そして、個人的な人生の意味を主体的に考えるようになったことで、かえって人生に意味はあるとは限らないことに気付くようになりました(実存的空虚)。すると、がんの告知のように、突然、人生の終わりを告げられるのは、「神の思し召し」として納得できなくなり、「生きている意味が分からない」と訴えるようになりました(実存的苦痛)。第二次世界大戦後、ユダヤ人で精神科医のフランクルは、強制収容所の体験から、「あなたが人生の意味を問う前に、あなたは人生からその意味を問われている」という考え方(ロゴセラピー)を広めました(フランクル心理学)。これは、外在化を行うナラティブセラピーに通じます。3つ目は、心理学です。心理学によって、「人生に意味があると考えることに意味がある」ことに気付くようになりました。こうして、ようやく自分で人生の意味付けをする手段を手に入れました。「ライフ・イズ・ビューティフル」とは?―「それでも人生は美しい」この映画の構成は、前半が戦前のグイドの恋物語、後半が戦中のグイドの収容所生活でした。実は、後半だけでなく、前半も彼の人生の意味付けは、一貫していることに気付きます。それは、ユーモアによって主流社会(主流秩序)をひっくり返していることです。たとえば、故障したグイドの車が国王のパレードに乱入してしまった時、グイドは国王と見間違われてしまいますが、彼はそのまま国王になりきります。また、グイドはドーラの気を惹きたいあまりに、ドーラの職場である小学校で監査役になりすまし、演説を披露します。さらに、ドーラとファシストとの婚約パーティでは、ドーラが気乗りしない中、グイドが「ユダヤ馬」と落書きされた馬にまたがって登場し、ドーラと駆け落ちしてしまいます。そして、ラストシーンでグイドは、収容所のドイツ兵に射殺される直前でさえも、ゴミ箱のぞき穴から隠れて見ているジョズエのために、いたずらっ子のようにウインクして、おどけた行進をやってのけます。彼の人生の意味付けは、息子に「それでも人生は美しい」というアナザーストーリーのメッセージを残すことだったのでした。そして、このセリフこそが、このコラムのタイトルの「『こんな人生に意味はない』と嘆かれたら?」という問いへの答えと言えます。この映画から学べることは、人生は美しいかどうかではなく、人生は美しいと思えるかどうかです。このことに気付いた時、自分の人生を、周りのせいにして「意味がない」と不平不満を言い続けるのか、自分の責任としてそのまま味わい深めていき「美しい」と意味付けるかは、自分次第であると思えるのではないでしょうか?<< 前のページへ■関連記事僕の生きる道【自己成長】ショーシャンクの空に【心の抵抗力(レジリエンス)】[改訂版]

730.

Dr.長門の5分間ワクチン学

第1回 ワクチンの基礎第2回 接種の実際第3回 被接種者の背景に応じた対応第4回 接種時期・接種間隔第5回 予防接種の法律・制度第6回 Hibと肺炎球菌第7回 麻疹・風疹・おたふく第8回 水痘・BCG・4種混合第9回 肝炎・日本脳炎第10回 インフルエンザ・ロタウイルス第11回 子宮頸がんワクチン・渡航ワクチン第12回 トラブルシューティング CareNeTV総合内科専門医試験番組でお馴染みの長門直先生が、自身の専門の1つである感染症について初講義。医療者が感じているワクチンにまつわる疑問を各テーマ5分で解決していきます。テーマは「ワクチンの基礎」をはじめとした総論5回と「麻疹・風疹・おたふく」など各論7回。全12回で完結のワクチン学を、CareNeTV初お目見えのホワイトボードアニメーションでテンポよくご覧いただけます。第1回 ワクチンの基礎医療者でも意外と知らなかったり、間違って覚えていることが多いのがワクチン接種。第1回は「ワクチンの基礎」として、まず最初に押さえておきたい、「ワクチンの種類」と「ワクチンを取り扱う上で覚えておきたいこと」をまとめました。ワクチンの種類の違いは?アジュバントの意味は?ワクチンの保存方法で気を付けたいことは?「ワクチン学」の講義時間はたったの5分。CareNeTV初お目見えのホワイトボードアニメーションでテンポよく解説していきます。第2回 接種の実際今回の「ワクチン学」のテーマは「ワクチン接種の実際」。医療者からよく質問に出る「ワクチンの接種方法」と「ワクチン接種後の対応」について確認していきます。ワクチン接種方法では、皮下注射と筋肉注射の具体的な方法を確認していきます。接種部位は?使用する針の太さは?長さは?角度は?そして、ワクチン接種後の対応については、意外と知られていないことや、間違って覚えてしまっていることを解決していきます。第3回 被接種者の背景に応じた対応被接種者が抱える背景によって、ワクチン接種の可否や気を付けておきたいことを確認していきます。今回「ワクチン学」で取り上げる被接種者の背景は8つ。(1)早産児・低出生体重児(2)妊婦・成人女性(3)鶏卵アレルギーがある人(4)発熱者(5)痙攣の既往歴のある人(6)慢性疾患のある小児(7)HIV感染症の人(8)輸血・γ-グロブリン投与中の人。それぞれに応じた対応をポイントに絞り、解説していきます!第4回 接種時期・接種間隔接種時期・接種間隔は予防接種ごとに決められています。今回は、原則と被接種者からよく聞かれる質問、そしてその対応を確認します。小児の場合、不活化ワクチンの第1期接種では、なぜ複数回接種する必要があるのか?成人や高齢者の場合は?生ワクチンで押さえておきたいポイント。被接種者からよく聞かれる質問は「感染症潜伏期間の予防接種は可能かどうか」など、3つをピックアップしました。第5回 予防接種の法律・制度法律・制度の観点から定期接種、任意接種を確認します。近年の法改正の流れ、それぞれの費用負担の違い、現在の対象疾病の種類。副反応に関する制度では、報告先と救済申請先を確認。また、医療者の中でも賛否が分かれるワクチンの同時接種についても言及します。第6回 Hibと肺炎球菌今回から各論に入ります。まずはHibワクチンと肺炎球菌ワクチン。よくある質問とそれぞれの特徴を見ていきます。よくある質問は「Hibワクチンや肺炎球菌ワクチンは中耳炎の予防になるの?」「肺炎球菌ワクチンは2つあるけどどう違うの?」。それぞれの特徴では、Hibワクチンは接種スケジュールのパターン、肺炎球菌ワクチンは2種類の成分、接種対象者と接種方法を確認していきます。第7回 麻疹・風疹・おたふく今回は生ワクチンシリーズ。麻疹、風疹、MR、ムンプスを確認します。内容は、それぞれの接種時期をはじめ、2回接種する理由、非接種者が感染者と接触した場合の対応について。そして2018年に大流行した風疹についてはより具体的に「ワクチン接種者からの感染はあるのか?」「ワクチン接種した母親の母乳を飲んだ乳児への影響」「妊娠中の女性への風疹ワクチン対応」など、よくある疑問を解決していきます!第8回 水痘・BCG・4種混合今回は水痘・BCG・4種混合ワクチン。それぞれの接種回数、接種時期をはじめ、注意すべき点について触れていきます。水痘ワクチンでは2回接種する理由を確認します。そして、医療現場で課題となりやすいBCGワクチンの懸濁の仕方については、均一に溶かすポイントを紹介。さらに、4種混合ワクチンの追加接種を忘れた場合の対応、ポリオワクチンの現状について学んでいきます。第9回 肝炎・日本脳炎今回は、肝炎、日本脳炎。肝炎は渡航ワクチンとして使われる任意接種のA型肝炎ワクチンと定期接種のB型肝炎ワクチン、そして医療保険適用となる母子感染予防のB型肝炎ワクチンについて見ていきます。それぞれの接種スケジュールとB型肝炎ワクチンの現場で迷うことを解決します。日本脳炎は、接種スケジュールの確認に加え、日本小児科学会が言及している標準的接種時期以前の発症リスクについて紹介します。 第10回 インフルエンザ・ロタウイルス今回は冬から春にかけて流行するインフルエンザ、ロタウイルス。それぞれのワクチンを接種するタイミングとおさえておきたいポイントを確認します。インフルエンザワクチンは定期接種対象者、卵アレルギーの被接種者の方への対応、予防効果について。ロタウイルスワクチンは1価と5価、それぞれの有効性、接種スケジュールの違い、接種する時期、期間を学んでいきます。第11回 子宮頸がんワクチン・渡航ワクチン今回は、女性のHPV関連疾患を予防する2種類の子宮頸がんワクチンと海外渡航者に気を付けてほしい渡航ワクチンについて触れていきます。子宮頸がんワクチンは2種類の違いとそれぞれの接種スケジュール、日本における接種率激減に対するWHOの見解を確認します。渡航ワクチンは数ある中から黄熱ワクチン、狂犬病ワクチン、髄膜炎菌ワクチンの有効性と接種推奨地域を見ていきます。第12回 トラブルシューティングワクチンは通常、定期接種ですが、不慮の事態で至急打たなければならない場合があります。最終回はそのようなワクチンの“トラブルシューティング”を取り上げます。具体的には、感染者と接触した際の緊急ワクチン接種、外傷時の破傷風トキソイド接種、針刺し時の対応です。さらに、ワクチンの接種間隔に関する規定の改正など、2019年から2020年の大きなトピックを3つ取り上げてワクチン学をまとめていきます。

731.

第18回 安楽死? 京都ALS患者嘱託殺人事件をどう考えるか(後編)

事件で感じた「2つの違和感」こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。やっと梅雨明けをしたこの週末、リタイアして八ヶ岳山麓に移り住んだ大学の先輩の家に車で行ってきました。首都圏ではコロナの感染患者が急増していますが、中央道はそこそこの混み具合。出歩きたい人は自粛に関係なく出歩いてしまうようです(人のことを言えませんが)。心なしか、別荘地の店舗も首都圏からの来訪者を白い目で見ているような気がして、現地ではほとんど出歩かず、先輩が飼う犬と戯れて時間を過ごしました。さて、京都ALS患者嘱託殺人事件ですが、今回は私自身が覚えた「2つの違和感」について書きたいと思います。「四半世紀前の判決が根拠」への違和感前回は、日本における「安楽死」に関係する代表的な事件と、その時々に医師に科された「罪」について、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」に分けて整理しました。今回の事件は、積極的安楽死の“定義”と照らし合わせながら裁かれていくことになるでしょう。現在のところ、その法的根拠は、前回に触れた東海大病院の医師を殺人罪で有罪とした横浜地裁判決が示した「積極的安楽死が例外的に許容されるための4要件」(1.耐え難い肉体的苦痛がある、2.死が避けられず死期が迫っている、3.肉体的苦痛を除去・緩和する他の手段がない、4.患者の意思が明らか)に基づくことになるでしょう。京都府警も、女性の病状は安定しており耐え難い“肉体的苦痛”がないこと、死期が迫っていないことなどから、この4要件を満たしていないと判断、逮捕したと考えられます。しかし、この横浜地裁の判決が出たのは1995年、今から25年も前です。インフォームド・コンセントが医療法に「説明と同意」を行う義務として明記されたのが1997年ですから、それより前の医学会や社会の常識をベースとした判例が未だに積極的安楽死を考える際の基準となっていることに違和感を覚えます。一方、「消極的安楽死」については日本では議論が進み、少なくともACP(アドバンスド・ケア・プランニング:インフォームド・コンセントから進んだ概念と言えます)を進めようというところまではいっていることは、前回書いた通りです。厚生労働省がひねり出した「人生会議」という意味不明のキャッチコピーで、その普及・定着は道半ばのようですが、少なくとも、積極的安楽死の“定義”とは、四半世紀もの時間差があるわけです。ある有識者は「(今回の事件は)安楽死議論の対象にもならない」と語っていますが、議論は25年前から止まったままだとも言えます。今回の事件をきっかけにしないで、いつ議論を始めるのでしょうか。日本医師会・中川 俊男会長が会見先週の関連報道では、逮捕された宮城県で診療所を開業する42歳の男性医師の安楽死への偏執ぶりが話題となりました。7月27日付の朝日新聞は、同医師がツイッターに手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に登場する安楽死を請け負う医師、ドクター・キリコへのあこがれを投稿していたと報じています。ちなみにドクター・キリコが「少年チャンピオン」連載中の「ブラック・ジャック」に初めて登場したのは1974年(長嶋 茂雄が引退した年です)のことです。さらに7月28日には、日本医師会の中川 俊男会長が定例記者会見で、この事件に対する見解を次のように語りました。「医療の目的は、患者の治療と人びとの健康を維持・増進していくことであり、患者から『死なせてほしい』という要請があったとしても、命を終わらせる行為は医療ではない。もしそのような要請があった場合は、患者がなぜそのような思いに至ったのか、苦痛に寄り添い、共に考えることこそが医師の役割だ」「医療の本質は、人類愛に基づく行為であり、自らの利益のために行うものではない。ましてや、容疑に問われている医師は主治医ではなく、診療の事実もなく、医の倫理に照らす以前に一般的な社会的規範を大きく逸脱しており、決して看過できるものではない」「死を選ばなければいけない社会でなく、生きることを支える社会をつくるため、例えば、治療法の確立を目指した研究開発、心のケア、介助や支援制度の拡充等、医師会がやるべきことは何かを追求していきたい」「主治医ではなく」への違和感中川会長の発言の中の「主治医ではなく」という言葉にも、少しばかり違和感があります。多くの新聞報道もこの「主治医ではなかった」点を強調しています。1991年の東海大学安楽死事件も1998年の川崎協同病院事件も、それまで診療していた主治医が患者を死に至らしめており、今回の事件とは明らかに様相が違う、というわけです。「主治医」という、曖昧かつオールマイティーな言葉は、時として医療現場に混乱をもたらす要素でもあります。保険診療上は主治医でも、その主治医とのコミュニケーション不全によって、ドクターショッピングを繰り返す患者は数多くいます。各紙報道によれば、宮城県の男性医師と死亡した女性は、事件の11カ月前からSNSで安楽死に関するやり取りを続けていた、とのことです。また、女性は主治医に栄養補給の中止を提案したものの断られ、その後、東京都の男性医師の名前を挙げ、「紹介状を書いてほしい」と担当医の変更を申し出ていたそうです。主治医は、男性医師が所属する医療機関などがわからずに不審に思い、紹介状は書かなかったとしています。こうした経緯からおぼろげながら見えてくるのは、積極的安楽死の4要件には該当せず、かといって消極的安楽死の対象にもなり得ず、思い悩むALSの女性の姿です。逮捕された男性医師たちの真の動機はなんであったかはわかりませんが、11カ月のSNSでのやり取りは、内容の善悪はともかく、女性のその時々の気持ちに寄り添ったものであった、とは考えられないでしょうか。私の大学時代の山仲間も、2016年夏にALSの診断を受け、2017年冬に他界しています。彼の場合は進行がとても早く、「気管挿管による人工呼吸は受けない」との意思表示はしていましたが、その分岐点に至る前、NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)の段階で肺炎を繰り返し亡くなりました。彼の療養中、主治医選びや病院選びは相当に大変だったようです。同じ死と向かい合う病気であっても、がんと比べた時に、神経難病の専門医やその療養に長けた在宅医は決して多くはありません。ましてや相性が良く、本当に自分の気持に寄り添ってくれる医師を近隣に見つけるのは難しいものです。だからこそ女性は、SNSやインターネットの世界にそれを見出そうとしたのかもしれません。中川会長は「患者がなぜそのような思いに至ったのか、苦痛に寄り添い、共に考えることこそが医師の役割だ」と語っています。日本医師会や関連学会には、積極的安楽死の議論と併せ、疾患・診療科に関係なく「寄り添い、共に考える医師」の育成にぜひ取り組んでもらいたいと思います。

732.

第17回 寄り添うほど医療者のメンタルにのしかかる患者の死、安楽死なら堪えられるか?

新型コロナウイルス感染症のパンデミック後、国内の医療界ではこの話題を吹き飛ばすほどインパクトのあるニュースはほとんどなかったように個人的には感じている。しかし、7月の連休中に表面化した京都での筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者に関する嘱託殺人事件は別格だ。言葉を換えれば、「安楽死」「尊厳死」となるが、現在まだ事件の詳細が明らかになっていないなかでこの事件の是非について言及する気はない。その意味では、これまでこの種の問題について自分が抱えているモヤモヤを少し文字にしてみたいと思う。事件が起きた京都の地元紙・京都新聞の報道によると、今回の「被害者」である女性のALS患者さんは、かなり前から主治医に栄養摂取中止による安楽死を申し出ていたという。そしてこの記事では、医療従事者側はこれまで彼女の療養のために保険医療の枠を超えた対応をしていたことも語られている。主治医が記事内で語っているように彼女自身は治療や安楽死・尊厳死に関して相当勉強し、安楽死願望も一時的な気の迷いではないことは今も残された本人のTwitterアカウントからも読み取れる(敢えてどのアカウントかは示さない)。安楽死を望む姿勢はTwitterアカウント開設時の2018年春からほぼ一貫しているものの、それでもなお、彼女の感情の起伏の激しさは外形的にも明らかである。その中で私が気になったのは以下のツイートだ。「緩和ケアと安楽死が同一線上に議論されることに疑問を感じる。緩和ケアとは身体的苦痛を和らげるものであり安楽死は精神的苦痛を取り除くことも担う。私のように耐え難い身体的痛みは無くとも総合的QOLが極端に低いと感じる患者のために緩和ケアが充実してれば安楽死は不要だとは思えない」本来、緩和ケアとは精神的苦痛を取り除くための行為も含まれる。しかし、彼女はそう思っていない。これは彼女に提供されているケアがまったくメンタルのケアに踏み込んでいないか、メンタルへのケアが彼女の要望に達していないかいずれかだとは思うが、そのことを持って彼女に接してきたケア関係者を一方的に責めるつもりはない(もっとも残された彼女の最後のツイートは担当ヘルパーの心無い言動への不満ではあるが)。むしろ前述の記事内にある主治医の証言を基にすれば、保険診療の枠を超えて彼女に尽くしても彼女が望む精神的苦痛を取り除くには及ばなかったという誰も責任を問えないミスマッチのように感じる。教科書的に考えるならば、そうしたミスマッチを最小化するためにこそ「人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)を行おう」ということになるのだろう。ただ、患者を中心とするこの種の安楽死・尊厳死、終末期の緩和ケア、人生会議(ACP)の議論の中で私がいつも欠けていると感じていることがある。それはそこにかかわる医療従事者をいかにケアするかである。戦場ジャーナリストの経験が教えてくれたことやや話がそれるかもしれないが、私自身は1990年代半ばからフリーとして独立後の2010年頃まで海外の紛争地取材も行う、いわゆる「戦場ジャーナリスト」だった。今は一時そちらを休業しているが、戦場ジャーナリストとしてテレビで有名になった渡部 陽一氏も良く知っている(彼にまつわる裏話もあるが、ここでは控えておく)。戦場を取材していると言うと、今も昔も奇異な目で見られ、だいたい第一声で問われるのが「怖くないんですか?」である。もちろん怖いが、現場をこの目で確かめたい意思のほうがやや勝っているというのが正確な答えだ。そして次に多い問いは「人がバタバタ死ぬ現場によく平気で行けますね」というもの。「自分は叔母の死に立ち会った経験があり、その経験が強烈過ぎて、あなたのように人の死が起こる現場に進んで立っていること自体信じられない」と言われたことさえある。これに対しては次のように答えている。「私だって身内の死は堪えますよ。でも冷酷と言われるかもしれないですけど、戦場で目にする死は『現象』として捉えてます」もっともこれでこちらが言わんとすることをほぼ理解をしてくれる人は少ない。なので追加でこのように説明すると大方の人は納得してくれる。「事件や事故での人が亡くなったニュースを見聞きした際、自分の現在や過去の経験に重なる場合を除けば、気の毒に思ったり、気分が多少落ち込んだりすることはあっても精神をかき乱されるまでのことは少ないですよね。人は『身内の死』と『第三者の死』を自動的に切り分けているんですよ。私が戦場で死を見聞きする際も同じで、自動的に『第三者の死』=『現象』で整理しているのだと思います」要は人の死は、「一人称の死=自分の死」「二人称の死=身内・友人の死」「三人称の死=第三者の死」に分けられ、同じ死であっても「二人称の死」と「三人称の死」との間には接した時の心理的ダメージに大きな差があるということだ。人の死は日常的でもあり、非日常的でもあるが、とりわけ「三人称の死」については、日常生活の延長上の出来事の一部として捉えようとする「正常性バイアス」が働き、その結果、多くの人は比較的冷静に受け止めていると言える。これは人の死に接することが多い医療従事者でも共通する心理ではないだろうか。医療従事者-患者が二人称になるリスク今後、ACPや安楽死・尊厳死にかかわる議論がより進展し、そこに医療従事者が積極的にかかわるようになれば、当然ながら患者と医療従事者の関係は密になり、医療従事者にとってはこれまで「三人称」で整理していた関係の一部は「二人称」になってしまう。二人称と化した患者の生死にかかわること、さらにその死に立ち会う、あるいは一歩進んで安楽死・尊厳死という形で死への介添えをすることになるとしたら、その心理的なダメージは従来のレベルでは済まなくなるはずである。ここで非常に極端な例えで気を悪くする人もいるかもしれないが、日本の刑事罰で極刑の死刑について触れておきたい。なおその是非についてはここでは棚上げさせてもらいたい。日本の死刑は絞首刑で死刑囚の首に縊死(いし)用のロープを装着し、足元の床板が外れる形で執行される。床板外しは別室でのボタン操作で行われるが、このボタンは3個あるいは5個用意され、3人あるいは5人の刑務官が一斉同時に押す。これは刑務官の心理的負担を軽減するため、どのボタンで死刑が執行されたかを敢えてわからないようにする措置である。繰り返しになるが死刑の是非はさておき、被告人が死刑となる刑事事件はその事件概要を聞いてすら、身の毛もよだつような犯行が多い。そうした事件の被告人に対してでも、人を死に至らしめる刑を執行する側に最低限の心理的対処はしているのである。これからACP、さらには安楽死・尊厳死のより進化した議論を行うというならば、そこに向き合う医療従事者への心理的ケア体制の確立についてもより厳格な議論が必要ではないだろうか? 「患者中心」「患者の尊厳」のみを錦の御旗にして医療従事者へのケアを置き去りにして突き進むことは、ひいては医療従事者のこうした終末期医療、患者の命の尊厳に対する姿勢を及び腰にさせてしまう可能性がある。結果としてもし安楽死・尊厳死が法制化されたとしても、それを担当する医療従事者が実質不在になり、患者の希望はかなえられないという皮肉を生む危険性を内包していると個人的には思っている。

733.

“do処方”を見直そう…?(解説:今中和人氏)-1263

 誰しもが駆け出しとして医師人生をスタートする。医療におけるさまざまな処置や処方には、往々にして歴史的な変遷や患者限定の根拠があったりして実に奥深く、駆け出しがすべてを理解して対応するのは事実上不可能だが、何でもかんでも先輩に尋ねるわけにもゆかない。まして「これは本当に必要なんですか?」なんて、一昔前の「仕分け」のような質問をすればうっとうしがられること必定だから、いわゆる“do処方”の乱発が起きる。もちろん、自分なりに意味付けをしてのことだが、世の中には実はほとんどアップデートされておらず、もはや伝統芸能の域に達しているような処置や処方も存在する。 黎明期から見れば、開心術は医療器材的にも技術的にも異次元とすらいえる進歩を遂げた。人工心肺による循環変動、コンタクト・サーフェスに由来する著明な炎症反応がサイトカイン・ストーム状態と、それに伴う臓器障害や凝固異常を惹起する、といった触れ込みで昔から使われてきたのがステロイドである。ステロイドには免疫抑制や過血糖などの作用もあるため、誰しも一度は必要性を疑ったはずだが、私が属したほぼすべての施設で人工心肺症例には一律、成人でも小児でも相当な量のステロイドが投与されていたし、それでもサイトカイン・ストームを疑う、妙にFP ratioの低い症例は存在した。だが指導的立場になった後、積極的に「伝統」を廃する決断は、「意外と効いているかも」「自分が知らないだけかも」となかなか難しく、当施設でステロイド投与をやめたのは約10年前からである。やめたところでプラスにもマイナスにも変化を感じていないが、その後2012年にDECS study、2015年にSIRS trialという成人症例対象の大規模RCTが発表され、いずれも大量ステロイド投与に便益なしと結論付けられた。2019年のEACTS等の成人対象のガイドラインでは、ステロイドの一律使用はclass IIIとなっている。 本論文は、一昔前BRICsと注目されたうちの3ヵ国・4施設における約3年間の乳児開心術394例(中央値6ヵ月、新生児5%)に対するRCTで、9割以上はロシアの2施設の症例だった。麻酔導入後、study群はデキサメタゾン1mg/kgを、control群は生食を静注した。平均人工心肺時間は各50分と46分、直腸温36℃で、術後30日以内または在院中死亡、心筋梗塞、ECMO、急性腎障害などをprimary、人工呼吸期間、カテコラミン補助、出血量などをsecondaryエンドポイントと定義した。最終的に10例が人工心肺非使用術式に変更になり、各群15%、22%が主にアレルギー疑いでステロイドを追加投与された。結論は、サブグループ解析も含め、各項目とも大量ステロイドの一発打ちに有意な便益はなかったが、感染症も各2%、1.5%と増えなかった(血糖値は論じられていない)。要するに投与してもしなくてもあまり違わなかったわけだが、小児心臓外科の世界ではステロイド投与に関して見解が割れており、昨今も54%と半数以上の患児がステロイド投与を受けているそうである。評者は、薬剤は投与必要性を吟味すべきで“do処方”は見直そう、という意見だが、最近、コロナ肺炎でサイトカイン・ストームの難治性がクローズアップされている一方、多くの症例で早めのステロイド投与が有効という、理論的に納得しやすい報告もあるので、ステロイドに関しては、相当な大量でも有害事象がほとんど増えないなら、便益も証明されてはいないが、典型的compromised hostである小児開心術患者には投与しておく、でもよいのかも…と、思わず腰が引けてしまう。 諸先生はいかがであろうか?

734.

再来年から?電子処方箋の導入で薬局業務はどう変わるか【早耳うさこの薬局がざわつくニュース】第51回

2020年6月に内閣府で2020年第9回経済財政諮問会議が開催され、「データヘルスの集中改革プラン」が報告されました。新型コロナウイルスの感染拡大を受けた“新たな日常”に対応するもので、今後の数年で医療情報のデジタル化、一元化が加速しそうです。厚生労働省は7月9日、社会保障審議会医療保険部会に、マイナンバーカードを利用した「電子処方箋の仕組みの実現に向けた今後の進め方」を示した。現在、紙で発行している処方箋を電子化し、医療機関が登録した処方情報を薬局が取得するというもの。22年夏ごろまでに仕組みを構築する。(2020年7月10日付 RISFAX)この発表は、2023年度に電子処方箋のシステムの運用を開始する予定だったものを、1年ほど前倒しして運用を行うとしたものです。2022年の夏って、あと2年しかありません。しかし、電子処方箋ってなに? 患者さんが来たらどうしたいいの? と困惑されている方も少なくないのではないかと思います。おおまかな電子処方箋対応のフローは下記のとおりです。1.医師は処方箋管理システムにアクセスして処方データを登録する。処方データへのアクセスコード(QRコード)を印字した紙または電子データを患者に渡す。2.患者は薬局でアクセスコードを提示する。3.薬剤師は、本人確認を行ったうえで薬局システムから処方データを参照し、必要に応じて処方内容の照会などを実施したうえで調剤を行う。調剤後は調剤データを登録する。2018年から2019年にかけて電子処方箋運用の実証事業が行われ、その結果である「電子処方箋の本格運用に向けた実証事業一式」最終成果報告が発表されています。この実証事業に参加した医療機関と薬局へのヒアリング結果として、以下のような感想が挙げられています(抜粋、一部改変)。電子処方箋だけでは診療の質には意味をなさないが、PHR(生涯型健康医療情報電子記録)が診療の質を上げると考えている。電子処方箋はその足掛かり。(医療機関)比較的近い薬局が対応してもらえないと実際には発行しづらい。あえて対面で診た患者さんに電子処方箋を出す理由はなさそうと感じた。(医療機関)在宅ではメリットがあるかもしれない。現在はFAXでもらっておいて、患者宅まで薬を届け、その際に処方箋の原本を回収している。(薬局)今回の実証事業の症例では、疑義照会の事例がなく比較的簡単な操作だったが、疑義照会などが起こった際の操作に関しては不安が残る。(薬局)導入にはさまざまな課題がありますが、紙の処方箋の内容をレセプトシステムに入力する手間が省けたり、病名などの患者情報と紐付けやすくなったりするなどのメリットはあるように思います。とくに、在宅やオンライン診療との相性が良さそうです。マイナンバーカードが医療情報の一元化のカギに電子処方箋の導入だけでなく、全国の医療機関などで医療情報を確認できる仕組みの拡大や、患者自身が保健医療情報を活用できる仕組みの拡大も同様に協議されており、同時期に始まる予定です。これらの医療情報の一元管理によるメリットとして、以下のようなものが挙げられています。かかりつけの医療機関が被災した際であっても、別の医療機関が患者の情報を確認し、必要な治療を継続することができる。意識障害のある患者の薬剤情報などを確認することで、より適切で迅速な検査、診断、治療などを実施することができる。複数医療機関を受診する患者の情報を集約して把握することができる。重複投薬などを削減できる。すごい!という感嘆の言葉しか出ません。医療情報の一元管理は国レベルでの調整が必要で、電子処方箋よりもはるかにハードルが高いため、わずか2年後に運用できるとは思い難いですが、夢のような世界ですね。これらのベースとなるのが、マイナンバーカードの活用で、マイナンバーカードを2021年3月から保険証として利用するということを総務省や内閣府が中心となって推進しています。また、生活保護の医療扶助で用いる医療券や調剤券をマイナンバーカードへ置き換える検討に着手し、2023年度からの本格運用が予定されています。しかし、マイナンバーカードの普及率は10%台を推移していて、普及しているとは言えない状況です。マイナポイントのキャンペーンでどのくらいマイナンバーカードの普及率が上がるのか、今後もマイナンバーカードの普及と電子処方箋導入の動きを見守っていきたいと思います。

735.

あまりにも過酷な勤務体制(解説:野間重孝氏)-1257

 本研究は医師の長時間労働を改善することにより医療事故の発生率を引き下げることができるという仮説のもとに、研修2年目・3年目のレジデントを対象として、ICUにおける24時間以上の長時間連続勤務を行う群(対照群)と16時間以内の日中・夜間の交代制スケジュールで勤務する群(介入群)との間で、重大な医療ミスの発生頻度を比較したものである。 評者は現在の米国のレジデントの研修体制について疎いのだが、本研究に違和感を覚えたのは、このような過酷な勤務体制が米国の研修体制では普通に受け入れられているのだろうかという点に強い疑問を持ったからである。24時間以上の勤務については言うまでもないが、交代制とはいえ16時間の連続ICU勤務というのは十分に過酷な勤務体制であると思われるからだ。Appendixに目を通しても実際の勤務表は載せられていないので、両群ともにどのような休息の取り方をしながらの勤務であったのか明らかではないが、少なくとも(研修期間中はともかくとして)長く勤務できる体制であるとはとても思えない。 本研究では対照群と介入群との間で予期せぬ成績の逆転がみられ、受け持ち患者数を交絡因子として補正したところ両群で差が認められなかったというのだが、両群ともに十分に過重労働であることを考えると、この比較にそもそも意味があったのだろうか。実際、重大医療ミスの発生が対照群で79.0件/1,000患者、介入群で97.1件/1,000患者となっているが、これがとてつもなく高い割合であることは理解されるだろう。少なくとも評者はこのような施設に自分の子弟の治療を依頼したくはない。 わが国でもいわゆる働き方改革が叫ばれて久しい。しかし、労働時間の短縮、労働日数の削減は生産性の向上があって初めて実行できるものである。しかし医療の世界では生産性の向上は簡単には図れない(そもそも医療における生産性とは何かという定義から難しい)。しかし改革は難しかったとしても、そこにはおのずから常識というものが存在する。評者は循環器内科が専門であるが、緊急PCIのなかった研修医時代、急性心筋梗塞の患者が入院すると何日か交替でCCUに泊まり込んでいたものだった。それでも仲間同士で話し合って、余りに過重な勤務にはならないように協力し合ったものだった。 この論文評が、評者が米国の医師研修体制に無知であるために的外れなものになっていた場合はただちに謝罪させていただくが、ごく素直に論文を読むと上記のような感想しか出てこないのだが、いかがだろうか。

736.

日本初の試み「患者提案型医師主導治験」がスタート

 患者が要望し、医師が主導するという新たな形態の臨床試験がスタートする。7月9日に行われたWebセミナー「今ある薬を、使えるようにするために―Wanna Be a part of History ?―」では、日本初となるこの「患者提案型医師主導治験」の実現までの道筋や背景が説明された。 今回の治験「WJOG12819L」は、非小細胞肺がん(NSCLC)に対するオシメルチニブの適応拡大を目指す目的で行われる第II相試験。オシメルチニブの添付文書では「他のEGFRチロシンキナーゼ阻害剤(TKI)による治療歴を有し、病勢進行が確認されている患者では、EGFR T790M変異が確認された患者に投与すること」とされている。そのため、既に第1、2世代EGFR-TKIを投与されている患者で全身増悪したケースや投与中に脳転移のみが起きたケースでは、T790M変異陰性の場合にはオシメルチニブを投与することができない。T790M変異陽性の患者は全体のおよそ半数で、開発時の臨床試験におけるオシメルチニブの奏効割合は約70%。一方で、陰性患者に対する奏効割合も約20%あるとされ、該当する患者からは「この条件に納得できない」という声が上がっていた。 「置き去りにされた、という思いでした」と語るのは、今回の治験の発端となった日本肺がん患者連絡会 理事長の長谷川 一男氏だ。長谷川氏はT790M変異陰性患者を含めた適応拡大には治験をするしかないと考え、講演会で知り合った近畿大学腫瘍内科 教授/西日本がん研究機構(WJOG)理事の中川 和彦氏と連携し、製薬メーカーへの協力依頼と資金集めを2年越しで行い、協力を取り付けることに成功した。 中川氏は「従来、医薬品の承認や適応拡大を目的とし、厚労省の治験ルールであるGCPに則り、医薬品医療機器総合機構(PMDA)に届けを出して行う治験は、医師主導か製薬メーカー主導かの2択だった。今回はそこに『患者提案型医師主導治験』という新たな選択肢が加わったわけで、その意義は大きい」と語る。薬剤承認に関わる治験には厳密性が求められ、通常は数億円規模の予算が必要となる。一般の治験においては、治験運営資金は製薬メーカーまたは国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)などの公的資金で賄うことが多いが、今回の患者提案型医師主導治験では費用の一部に患者会の寄付をあてる予定だ。「米国では患者会が大きな資金力と発言力を持っており、患者提案型治験が多く実施されている。日本でもその一歩が踏み出せた」(中川氏)。 続いて、本試験のデザインが、近畿大学医学部内科学講座腫瘍内科部門 ゲノム医療センターの武田 真幸氏から発表された。・対象はEGFR-TKI治療後、脳転移単独増悪となったT790M変異陰性/不明の患者と腫瘍増悪で引き続きプラチナ化学療法を受けたT790M変異陰性の患者。・主要評価項目は、画像中央判定による腫瘍に対する奏効割合。・脳転移増悪群17例、全身腫瘍増悪群53例の計70例を目標に2020年8月に登録を開始。3年で登録、1年で解析を目指し、早期に患者が集まれば解析を前倒しする。・患者募集は、近畿大学病院を中心に全国15施設で行う。 本治験の通称は「KISEKI試験」。適応拡大に向けた奇跡が起きることと、患者提案型治験の軌跡になりたいとの意味を掛け合わせた、という。

737.

助けてくれー!【Dr. 中島の 新・徒然草】(332)

三百三十二の段 助けてくれー!薄暗がりの道をひたすら歩いた。目的地は外国人用レンタルショップだ。背後に人の気配を感じる。ようやく明かりを見つけた。店のドアを開けようとしたら鍵が掛かっている。振り返ると男が立っていた。店から離れようと歩き始める。男が行く手を塞いだ。もはや敵意は明らかだ。 助けてくれー!自分自身の叫び声で夜中に目が覚めました。女房「どうしたん!」中島「襲われるところやった」女房「びっくりした」中島「夢で良かった」女房ばかりか、隣近所まで驚かせたかもしれません。幸い部屋の窓は閉まっていました。ところで何でそんなに大声が出たのか?実は、練習していました。というのも、これまでの人生で身の危険を感じる場面が何度かあったからです。突発したこともあれば、予定の決まっている危機もありました。なので、「助けてくれー!」「殺されるー!」という台詞を大声で叫ぶ練習を何度もやりました。世間に見せられる姿ではないので、出勤時の車の中、とかです。練習しておかないと、いざというときに声が出ません。もちろん練習すれば出ます。はからずも、夜中の寝言で証明してしまいました。当然の事ながら揉め事は避けるに限ります。一生懸命治療したのに治らなかった、かえって悪くしてしまった。その結果として起こったトラブルは避けようがありません。こういった事には正面から対応するべきでしょう。でも、意味もなく他人様に偉そうにして揉めたら、ただの阿呆です。ここをわかっていない医療従事者が案外多いような気がします。なので、私はいつもニコニコ、ヘラヘラしております。そのせいか、周囲からは頼りにされていません。スタッフ「〇〇科の××先生に罵られました」中島「なにっ、××がそんなこと言ったんか!」スタッフ「そうなんですよ」中島「よし、今すぐ一言いってやる」トゥルルルル(呼出音)中島「あの、もしもし」中島「××先生ですか、いつもお世話になっています」中島「実は先ほど先生に相談させていただいた症例ですけど」中島「ええ、そうなんですよ」中島「お手数をおかけして恐縮ですが、ひとつよろしくお願いします」ガチャリ(受話器)中島「よっしゃ、××の野郎にガツンと言ってやったからな!」スタッフ「ウソばっかり」中島「あいつ電話の向こうでヒーヒー泣いとったで」スタッフ「ダメだ、この人」自分の人生を振り返ってみるに、「あの時、余計なことを言わなきゃ良かった」というほうが「なんでもっと言っておかなかったのだろう」よりも遥かに沢山ありました。要するに、感情的になって得することなど何もない、ということです。君子危うきに近寄らず。口は災いのもと。沈黙は金、雄弁は銀。ところが、いくら自分が注意していても、別の誰かが危機を作ることがあります。最悪のことだって考えておかなくてはなりません。「中島先生、それは考えすぎですよ」「まさか、そんなことあるはずないでしょ」そう言われるかもしれません。私の考えすぎであってほしいです。でも、何事も備えあれば憂いなし。そう思って、時々車の中で叫ぶ練習しております。他人には見せられない姿ですね。「危機」の方もアホらしくて近寄らないんじゃないかな。最後に1句本気かよ スキンヘッドが 叫んでる

738.

シランを知らんと知らんよ!新薬開発の潮流を薬剤名から知る!【Dr.中川の「論文・見聞・いい気分」】第26回

第26回 シランを知らんと知らんよ!新薬開発の潮流を薬剤名から知る!「肉納豆」と聞いて、すぐに「ワルファリン」を思いつく方も多いと思います。ワルファリンはビタミンKに拮抗して作用する薬剤です。ビタミンK依存性凝固因子は医師国家試験の頻出課題です。これを記憶する呪文が「肉納豆」で、「2・9・7・10」の4つの番号の凝固因子が該当します。この語呂合わせは、納豆というワルファリン使用者には薦められない食品も記憶できることが長所です。小生が医学生であった30年以上も昔から、このような語呂合わせは沢山ありました。β遮断薬は交感神経を抑制しますから、脈拍が遅くなります。「プロプラノロール」という代表的なβ遮断薬を記憶するために、「プロプラノロール」は、プロプラノローくなると覚えなさいと、薬理学の講義で聞いたことが妙に頭に残っています。確かに、脈がノロくなるので、「~ノロール」を「~ノローく」と変換するとピッタリきます。現在も「カルベジロール」や「ビソプロロール」などのβ遮断薬をしばしば処方します。どのβ遮断薬も語尾に「~ロール」とあるのはなぜでしょうか。薬剤の名前に共通な部分が多いことには皆さんお気づきでしょう。このように薬剤名の根幹となるものを「ステム(共通語幹)」といい、「stem:幹・茎」に由来します。カルシウム拮抗薬のステムは「~ジピン」です。ニフェジピンやアムロジピンなどが思い浮かびます。プロトンポンプ阻害による抗潰瘍薬では「~プラゾール」です。分子標的薬として注目される、モノクローナル抗体薬は「~マブ」で、抗悪性腫瘍剤のリツキシマブなどがあります。ステムは、世界保健機関(WHO)によって、医薬品の化学構造や標的分子および作用メカニズムなどに基づいて定義されます。今、一番の話題は「~シラン(siran)」をステムに持つ薬剤です。シランはsiRNAからの造語でsmall interfering RNAを意味します。この薬剤は遺伝情報に関係するRNAがターゲットです。ゲノム(全遺伝情報)はDNAの塩基配列として記録されています。これがメッセンジャーRNA(mRNA)に転写され、タンパク質に翻訳されます。このDNA→mRNA→タンパク質の流れを、セントラルドグマといい分子生物学の根幹とされます。この過程のどこかを妨害すれば、遺伝子が機能しなくなるはずです。標的タンパク質のmRNAに対して相補的な塩基配列をもつ一本鎖RNA(アンチセンス鎖)と、その逆鎖である一本鎖RNA(センス鎖)からなる短い二本鎖RNAで、RNA干渉を誘発します。RNA干渉とは、RNAどうしが邪魔し合って働かなくなるようにする技術で、標的タンパク質の発現を抑制し、治療効果を発揮します。病気の原因となる遺伝子の発現を封じ、疾患の発現に関わるタンパク質の合成を抑制することができれば、医療は一変する可能性があることは理解できると思います。抗体医薬品がタンパク質をターゲットにするのに対し、siRNA医薬品は、その上流のRNAをターゲットにします。アミロイドーシス治療薬のパチシラン(patisiran)、脂質異常症へのインクリシラン(inclisiran)をはじめとして、「~シラン」という薬剤は目白押しで開発が進行しています。siRNA医薬品を含む核酸医薬品は、100種類以上の薬剤が開発の俎上にあり、この流れに日本の製薬企業が乗り遅れていることは懸念材料です。皆さん、「~シラン」を知らんのは残念です。語呂合わせから始めた話が、世界の新薬開発の潮流を紹介する方向にそれてきました。パソコンに向かって真面目に原稿を打っていると、猫がすり寄ってきて邪魔をします。膨大な記憶を要する医師国家試験対策では、語呂合わせがありがたいです。語呂合わせよりも、もっと素晴らしいのは、猫さまが発するゴロゴロ音です。摩訶不思議な音で、ゴロゴロと鳴らしている猫の首元に耳を寄せると振動しているのがよくわかります。これは猫と暮らす醍醐味で、まさに究極のゴロ合わせです。この至福を「~シラン」のは残念すぎます。

739.

第14回 コロナ患者のカルテ不正閲覧、鳥取でなぜ起きた?

感染者が少な過ぎても神経を使う世知辛い世の中にこんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。東京の新型コロナウイルス感染症患者の数がなかなか減っていきません。地方のみならず、隣接する埼玉県の知事ですら、「都内で飲んでくるな」と言い出す始末。未だ感染者が出ていない岩手県の飲食店の中には「県外者お断り」の貼り紙があるところもあるそうです。感染者が多過ぎても大変ですが、少な過ぎても神経を使う世知辛い世の中になってきたようで…。さて、今回気になったのは、1ヵ月ほど前に報じられた、鳥取県立中央病院で職員による患者カルテの不適切な閲覧が起きていた、というニュースです。6月10日の山陽新聞朝刊によれば、鳥取県立中央病院は6月9日に記者会見を開き、県内で初めて新型コロナウイルスに感染した同市の60代男性の電子カルテを、治療に関係のない職員27人が閲覧していたと発表した、とのことです。病院の説明では、電子カルテは約900人の職員が見られるようになっており、内規で正当な理由なく閲覧することを禁じていましたが、4月10日~14日に男性のカルテを見た206人のうち、看護師22人、検査技師1人、医療秘書4人を業務外の不当な閲覧と認定したそうです。また、2人目の入院患者となったNHK鳥取放送局職員の20代男性のカルテも、入院していた4月18日~5月25日に127人が閲覧し、うち看護師3人と医療秘書2人は不当なアクセスだったと判断しています。同病院は4月14日、最初の患者の時点で200人近くがカルテを見ていることを把握、業務外での閲覧をしないよう注意喚起はしたもののその後6月まで閲覧状況をきちんと調べていなかった、とのことです。なお、閲覧していた職員は、病院の聞き取りに対し「病状が気になった」「院内感染が不安だった」と話したそうです。廣岡 保明院長は会見で「カルテを見ても院内感染が起きているかは分からず、不適切だ。興味本位ととられても仕方がない」と断じています。同じような事件が隣県、島根でもこのニュースを聞いて、同じような事件が数年前にあったことを思い出しました。それは2018年11月に島根大学医学部附属病院で起きました。出雲市で発生した殺人事件の被害者が搬送された際に、医師ら職員による電子カルテの不適切な閲覧記録が確認された、というものです。このとき、電子カルテへアクセスしたのは312人、同病院は記者会見で「診療・業務に関連したものではない者が含まれている」との見解を発表しました。鳥取県、島根県という日本海側の病院で同種の事件が発覚しているのは果たして偶然でしょうか。人口が少なく、人と人とのつながりが強い分、病院職員でありながら自らの興味が前面に出てしまったのかもしれません。さらに、「興味本位の閲覧」が出来てしまうセキュリティの甘いシステムと、電子カルテは究極の個人情報を扱っているのだという意識、言い換えれば職業倫理の欠如も原因に挙げられるでしょう。島根大学医学部附属病院は事件後、個人情報保護や職業倫理、臨床倫理に関する研修を強化したと聞いています。また、電子カルテを改修し、アクセスした際に画面に「業務外」の閲覧に対して注意喚起するメッセージを表示させたり、カルテ閲覧数のモニタリングを始めたりした、とのことです。一方、今回のコロナ患者のカルテ閲覧が発覚した鳥取県立中央病院は6月19日、同病院のホームページに「当院における個人情報取扱の対策強化について」として、以下の5つの対策を講じると公表しました。1)全職員を対象に、個人情報に関する研修を行うこととしました。2)特定の患者のカルテを閲覧する際にパスワードが設定できるよう電子カルテシステムの改修を行うこととしました。3)特定の患者のカルテには個人情報を匿名化できるようにしました。4)電子カルテの全端末に個人情報の取扱に関する注意喚起を表示することとしました。5)「情報セキュリティ運用規程」(セキュリティポリシー)に「病院が個人情報を利用する場合の目的」を明記し、この目的以外は不適切な閲覧に当たることを定め、職員に周知することとしました。6)定期的に不適切なアクセス等がないかチェックを行うこととしました。これらの対策、今さら感はありますが、今回、事件が表沙汰になったことで、同病院の不正閲覧はさすがになくなるでしょう。不正閲覧には民事訴訟のリスクところで、病院職員によるカルテの不正閲覧については、個人情報保護法による罰則というより、民事訴訟になるリスクのほうが大きい、と言えます。2014年、宮城県の大崎市民病院で、同院で働いていた事務職員の家族のカルテを同僚らが業務外で閲覧したことが判明し、問題となりました。当時の報道によれば、患者は父親の家庭内暴力で保護入院していた事務職員の子どもらで、カルテを見なければわからない入院に至った経緯を上司が知っていたことをこの職員が不審に思い、発覚したとのことです。事務職員と子どもらは、プライバシーを侵害されたとし、同病院および派遣会社に対し計900万円の慰謝料を求めて提訴。2018年1月に和解が成立しています。電子カルテは患者情報の共有という意味で確かに便利ですが、こと患者の立場に立ってみれば、多くの医療スタッフに自分の情報を覗かれるというある種の気味の悪さがあります。特に、地方都市においては、基幹病院は地域の雇用を担う一大産業であり、住民の知り合いの誰かしらは病院で働いていたりするものです。いい医師、適切な診療科を紹介してもらえる、というメリットもあるかもしれませんが、逆に病院で働く知人に自分の病気のことは知られたくない、と心配する人も少なくないでしょう。県立病院、大学病院クラスの医療機関ですら起こったということは、カルテ不正閲覧は、日本の病院で結構、日常茶飯事に行われているのかもしれません。類似の事件が再び起こらないためにも、鳥取県立中央病院が示したような対策の徹底が、全国の病院で望まれます。

740.

著者ら自身が不満なのではないのか?(解説:野間重孝氏)-1251

 患者アドヒアランスは単純に何かの実施率(この場合リハビリテーション実施率、服薬率)で評価できるものなのだろうか。まず少し理屈っぽくなってしまうが、コンプライアンス(compliance)とアドヒアランス(adherence)の違いを考えてみたいと思う。 コンプライアンスもアドヒアランスもいずれも規則や指示に従うことを意味するが、コンプライアンスが言われたことを守るという受け身の意味合いが強いのに対して、アドヒアランスは興味を持って積極的に参加しようという意味合いが強い言葉である。近年は医師・薬剤師に言われたことを守るだけでなく、患者自身が積極的に治療に参加することが重要視されるようになり、数年前までは服薬についていえば「服薬コンプライアンス」といわれていたものが、昨今は「服薬アドヒアランス」と呼ばれるように変わってきた。 この論文評をこのような議論から始めたことには理由がある。コンプライアンスという観点からは「患者は医療従事者に対して従順でなければならない」という患者像がつくられ、結果として服薬の場合でいえば「薬をきちんと飲まないのは患者が言うことを聞かないからだ」ということになり、すべて患者が悪いという認識になってしまう。しかし、実際には患者にも薬を飲めない、あるいは飲みたくないと思う種々の事情がある場合が多いのである。したがって患者の服薬指導に当たる場合、「患者が言うことを聞かない」という視点をまず外し、患者の持つさまざまな事情を共に考えるという姿勢が重要になってくる。服薬アドヒアランスの評価は単なる服用率だけではなく、1.服薬順守度: 薬を用法・用量どおりに正しく使用しているか? つまりコンプライアンスだがこれに加え、2.医療従事者との協働性: 医療従事者と自分の思い・目標を共有できているか?3.知識・情報に対する積極性: 自分の薬に対する必要な情報を探したり、利用したりしているか?4.服薬の納得度: 薬の必要性について納得しているか?などの項目の評価が必要である。とくに心筋梗塞後の薬剤投与についてはこれから先もほぼ生涯にわたって服薬を続ける必要があるため、患者の理解・納得度が非常に重要になってくる。 リハビリテーションについても少しかたちを変えながらもまったく同様のことがいえる。つまり、リハビリテーションの実施率は確かに大きな指標ではあるが、それだけでは足りず、上記のような多面的な考察が必要とされるのである。 この研究には2つの不満が持たれる。第1はまさに上記の議論である。単なるリハビリテーション実施率や服薬率だけでアドヒアランスを評価してよいのかという問題である。冊子を送付したり、様子伺いの電話をすることが、どれだけ患者に寄り添って考えることになるかには疑問が残るからである。しかし、正直こうした患者への寄り添いというのは、言うはやすくして実際には大変難しい問題であることは評者自身十分に理解しており、著者らを責める資格はないと自覚している。 第2点は単純に効果についての疑問である。著者らは約半数の患者が12ヵ月後にはリハビリテーションも服薬も中止してしまうという現実を踏まえてこの研究をスタートさせたとしているが、達成率はリハビリテーションの完全介入例で37%、服薬で36.8%となっている。この数字は決して満足できる数字とはいえないだろう。一方のオッズ比で有意差が出たといわれても何を意味するのか説得力に欠けるといわなくてはならないと思う。この介入に効果がなかったとはいえないが、不十分であるといわなければならないのではないだろうか。コンプライアンスを超えたアドヒアランスの向上を目指しているのだとすれば、なおさらだろう。 とはいうものの、現在自分たちが行おうとしている介入にどの程度の効果があるかを、机上の議論ではなくリアルワールドで検定してみようという姿勢は高く評価されてよいと思う。本論文は冊子送付や電話連絡といった介入を行ったところ、リハビリテーション実施率では改善がみられたが服薬率では差がみられなかったといった、単純な読まれ方をされてはならない性格の論文であるのだと思う。より患者に寄り添った医療を行うためにはどうするべきか、共に考えてみようという姿勢が問い直されているのである。ただおそらく今回の結果をみて、(一応有意差は出たので論文化はできたが)これでは不十分だなと一番強く感じているのは、ほかならぬ著者ら自身なのではないだろうか。

検索結果 合計:1187件 表示位置:721 - 740