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精神疾患の治療開発-今、見逃せない新たな取り組み

「精神疾患の治療開発」のスタディ・グループでは、従来のパラダイムにとらわれず新しい発想で効果的な精神疾患の治療開発を目指している。第22回日本臨床精神神経薬理学会・第42回日本神経精神薬理学会合同年会にて、橋本恵理氏(札幌医科大学医学部神経精神医学講座)の司会のもと、4名が新しい精神疾患の治療の取り組みについて紹介した。PAK阻害薬によるグルタミン酸シグナルの阻害林(高木)朗子氏(東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センター構造生理学部門)は、グルタミン酸シグナルの阻害によるシナプス保護の観点から新薬開発の可能性を紹介した。大脳皮質の70%のシナプスが樹状突起棘(スパイン)であり、そのほとんどがグルタミン酸作動性シナプスである。死後脳の剖検から、統合失調症患者では背外側前頭前野や聴覚野、海馬台ではスパイン密度が減少しており、また多くの統合失調症関連遺伝子がグルタミン酸作動性シナプスに局在していることが報告されている。記憶や認知、適応をもたらす細胞基盤はシナプスの可塑性であり、シナプスの機能はその形態と著しく相関しているため、形態(サイズ)から機能を評価することができる。林氏らはDISC1遺伝子をノックアウトすることによりスパインサイズが減少し、NMDA受容体によるRac1/PAK1シグナル伝達経路が過剰に活性化されることを明らかにした(Hayashi-Takagi A, et al. Nat Neurosci. 2010; 13: 327-332)。次いで林氏らは、PAK阻害薬のスパインに対する効果を検討したところ、PAK阻害薬はDISCノックダウンによるスパイン消滅を予防し、スパインサイズを回復することが示された(Hayashi-Takagi A投稿中)。さらに、PAK阻害薬の他の機能に及ぼす影響についても検討を進めている。また、統合失調症患者では発症前後で前頭野皮質が強い収縮を示し(Sun D, et al. Schizophr Res. 2009; 108: 85-92)、疾患の進行過程でグルタミン酸レベルが低下することが知られている(Theberge J, et al. Br J Psychiatry. 2007;191:325-334)。林氏は最後に、マウスで脳のスパインの形態変化を顕微鏡下で直接観察するというin vivoスパインイメージングの動物モデルの開発について紹介した。精神疾患の炎症モデルからみたミノサイクリンの治療への応用統合失調症患者では炎症性サイトカインの亢進が認められ、神経炎症機序が関与していることが指摘されている(Meyer U. Prog Neuropsychopharmacol Biol Psychiatry. 2011 Nov 15, Epub)。また、中枢神経系の炎症の機序にはミクログリアが深く関わり、発症から5年以内の統合失調症患者ではミクログリア活性化が認められる(van Berckel BN, Biol Psychiatry. 2008;64:820-822)。橋本謙二氏(千葉大学社会精神保健教育研究センター病態解析研究部門)は、第二世代抗生物質製剤であるミノサイクリンが、ミクログリアの活性化を強力に抑制することに着目し、統合失調症治療への応用について紹介した。統合失調症のマウスモデルでミノサイクリンの効果を検討したところ、ジソシルピンにより惹起されるプレパルスインヒビション(PPI)の障害や、フェンサイクリジンによる統合失調症様の認知機能障害を抑制することが示された。さらに橋本氏は、ミノサイクリンが脳神経にアミロイドβ蛋白を蓄積させるγセクレターゼの活性をコントロールする5-リポキシゲナーゼを阻害し、アルツハイマー型認知症の発症を抑制する可能性にも言及した(Hashimoto K. Ann Neurol. 2011; 69: 739)。カルボニルストレスの代謝制御による統合失調症の治療酸化ストレスが加わるとカルボニル化合物であるメチルグリオキサール(MG)が生成し、このMGを消去するために、グリオキシラーゼ(GLO)解毒回路が働く。この解毒回路にもれたMGはメイラード反応によって終末糖化産物(AGEs)となる。AGEsはビタミンB6(カルボニル・スカベンジャー)により補足されて分解される。AGEsが体内に蓄積する状態をカルボニルストレスといい、動脈硬化の進展や糖尿病合併症との関連で着目されていたが、糸川昌成氏(東京都医学総合研究所精神行動医学研究分野)らは、この病態を標的とした統合失調症の新しい治療の可能性を紹介した。糸川氏らは、統合失調症患者で解毒酵素のGOL1にフレームシフト変異を発見し、その患者ではAGEsの蓄積と、それに伴うビタミンB6の枯渇が認められたことから、統合失調症患者のなかで、AGEs蓄積と関連した「カルボニルストレス性統合失調症」の存在を明らかにした(Arai M, et al. Arch Gen Psychiatry. 2010; 67: 589-597)。AGEsの蓄積は統合失調症のリスクを25倍上昇させ、ビタミンB6欠乏は10倍リスクを上昇させることが示されている。さらに、AGEs蓄積は統合失調症の重症度とも相関していた。そこで糸川氏らは、治療により症状が改善した統合失調症患者ではAGEsも低下すると推測して検討したところ、外来患者では入院患者に比べてAGEsが有意に低く、AGEsの低下が退院につながることがわかった。さらに糸川氏らは、ビタミンB6欠乏のあるカルボニルストレス性統合失調症患者にビタミンB6を補充することにより症状の改善が得られないか検討を重ねている。ビタミンB6はピリドキサミン、ピリドキサール、ピリドキシンの3種類の化学物質の混合体であり、このうちAGEs解毒作用を有するのはピリドキサミンのみである。糸川氏らはまず、健常者24名を対象に第I相試験を行ったところ、ピリドキサミン1,800mg/日の投与量で有効血中濃度に達し、有害事象は認めなかった。この成績に基づいて、統合失調症患者を対象とした医師主導第II相試験が進行中である。GLO1遺伝子にフレームシフトをもつ患者では発症前からAGEsが高い可能性があり、糸川氏らはそのような患者には発症前からピリドキサミンを投与してAGEs蓄積を抑制するという、統合失調症の発症予防を視野にいれた治療法も検討中である。神経幹細胞移植を用いた再生医療的アプローチの可能性鵜飼渉氏(札幌医科大学医学部神経精神医学講座)は、治療抵抗性または難治性の統合失調症やうつ病、胎児性アルコール・スペクトラム障害(FASD)などの治療として、神経幹細胞を経静脈的に投与する再生医療的な取り組みを紹介した。実験方法は、妊娠期のマウスにPoly(I:C)(TLR3リガンド)を投与して生まれた統合失調症のモデルマウスを用い、生後1ヶ月時に神経幹細胞を経静脈的に投与し、6ヵ月時にその行動の評価および脳の剖検を行った。その結果、神経幹細胞移植群では、新奇オブジェクトの探索時間を有意に延長し、記憶学習や認知機能の障害が抑制された。また、社会性の評価において神経幹細胞移植群では能動的な社会的行動の減少が抑制されることも示された。一方、FASDモデルラットでは神経幹細胞移植により、強制水泳試験における無動時間の延長を抑制して、うつ状態の改善にも効果がみられた。札幌医科大学ではすでに、12名(男性9名、女性3名)の脳梗塞患者を対象として自己骨髄間葉系幹細胞を静脈内投与する治療が試みられており、移植をきっかけに脳卒中スコアが改善し回復スピードが加速することや、MRIで脳梗塞病変の縮小が確認されている(Honmou O, et al. Brain. 2011; 134: 1790-1807)。鵜飼氏らは、治療抵抗性難治性うつ病患者を対象とした本治療法の精神疾患への臨床応用を検討している。神経幹細胞移植のメカニズムとして、短期的にはサイトカインを介した神経栄養因子増強作用や抗炎症作用、血管新生作用が考えられ、また長期的には神経新生の増加がもたらされるとしている。鵜飼氏らは、細胞電気生理学的解析やシナプス機能・構造学的解析、オプトジェネティクス解析など最先端の手法を用いて、神経幹細胞移植の効果について解析を進めている。関連リンク

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(30)〕 自己拡張型ステント式の血栓回収デバイスの安全性と有効性を確認

rt-PA静注療法は、発症から4.5時間以内の急性期脳梗塞に対する有効な治療法としてすでに確立しているが、脳主幹動脈の急性閉塞に対する血流再開治療としては、その有効性に限界があることが明らかにされている。脳血管内デバイスによる機械的血栓回収療法は、rt-PA静注療法のこのような限界を超える治療として大きな期待が寄せられ、初期に米国で開発されたMerciデバイスが、2010年から本邦でも使用可能となっている。 しかし、今回報告された、TREVO 2試験およびSWIFT試験において、自己拡張型ステント式の血栓回収デバイスであるTrevoデバイスやSolitaireデバイスが、従来のMerciデバイスに比較して、閉塞血管の再開通率が高く、治療の安全性と有効性についても良好であったことが相次いで報告された。 このことから、脳主幹動脈の急性閉塞に対する血栓除去治療としては、自己拡張型ステント式の血栓回収デバイスがMerciデバイスよりも優先されるべきであるとする結論は妥当と考えられる。本邦では、依然としてデバイスラグが改善していないが、多くの患者のために早期の使用承認が待たれるところである。

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(28)〕 大動脈バルーン・パンピングは心原性ショックを合併した急性心筋梗塞患者の30日生存率を改善させない

心原性ショックを合併した急性心筋梗塞患者の予後は不良であり、いかに生存率を向上させるかは循環器救急医療の大きな課題である。 ACC/AHAガイドラインでは心原性ショックに対する治療法として大動脈バルーン・パンピング(IntraAortic Balloon Pumping; IABP)を用いることを推奨している。本試験はIABPの有効性を証明すべくドイツで行われた多施設・無作為試験であったが、その結果は当初の仮説とは相反するものとなった。 早期に血行再建(PCIまたはCABG)を行ったショックを伴う急性心筋梗塞患者600例をIABP使用群と非使用群に無作為に割り付けた。IABP群の患者には血行再建術の前か直後にIABPを挿入し、1:1の心電図トリガーで作動させ、強心薬なしに30分以上、収縮期血圧 90mmHg以上を維持できるようになるまで作動させ続けた。両群ともに至適薬物療法が施された。 患者背景やIABP以外に施行した治療内容は両群で同等であったが、発症から30日以内の死亡率はIABP群で39.7%、非IABP群で41.3% (p=0.69)と両群で差がなかった。さらにIABPの使用は血圧、心拍数、炎症反応、組織の酸素化、入院中の再梗塞、ステント血栓症、脳梗塞・脳出血のいずれにも改善効果を示さなかった。これまで動物実験や小規模な臨床試験ではIABPが後負荷を軽減させ、冠血流を増加させる、と報告されてきたが、本試験結果はこれらの効果が患者の予後改善にはつながらないことを示すものであった。 本試験の結果は、現在行われている急性心筋梗塞に対する集中治療のあり方に抜本的な見直しを迫る重要なメッセージを含んでいる。本邦でも治療指針を早急に見直す必要が出てきそうである。

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概論:慢性疼痛治療(2)

痛みをとるのが難しい疾患確実な診断がついているにも関わらずなかなか治りにくい痛みは、神経障害性疼痛の要素を持っている慢性疼痛である。脊柱管狭窄症はいろいろな要素が混在しているので治りにくい。痛みがとれてもしびれが強いので患者はなかなか満足しない。手術後に、いつまでも痛みがとれない患者も多い。術創はすっかり治っているが傷跡が痛いという患者が結構いる。とくに肺野の手術では肋骨と肋骨の間を切り開くので、肋間神経が損傷され慢性疼痛となるケースが多い。手術は必要不可欠なものであるが、それ自体が慢性痛の発生源となってしまうこともあり、当然であるがその施行は慎重であるべきといえる。お年寄りに多いのは変形性膝関節症である。レントゲンをとれば確実に診断はつくが、なかなか痛みは治りにくい。程度によって薬物療法、装具療法、筋力増強、ヒアルロン酸関節内投与、人工関節置換術という治療体系となっている。さらによく遭遇する痛みで治りにくいのは、帯状疱疹後の神経痛である。確実に診断はつくのだがなかなか治らない。また、脳梗塞や脳出血を発症後に痛みが出現することがあるが、これも治りにくい。痛み経路の神経細胞が障害され、体中のどこにでもやっかいな痛みが出現する。これらの非常に治りにくい慢性疼痛の治療では、痛みを完全に取り除くことはなかなか困難なので、患者個々に治療ゴールを設定することが必要である。ゴールは痛みをゼロとすることではなく、QOLの向上にある。VASによる評価で20~30くらいが目安であることを患者に認識してもらうことで、満足度の向上を目指したい。解明されてきた神経障害性疼痛のメカニズム神経障害性疼痛の病態はこの10年間で研究が進み、痛みが発生するメカニズムがかなりわかってきた。それにより、ただ神経が障害されて痛みが生じるだけではなく、体内から神経障害を起こす物質が分泌されることが明らかになった。リン脂質から出るリゾホスファチジン酸や、ケガをすると必ず生じる神経成長因子が神経障害性疼痛の要因になる。神経障害性疼痛時に増えてくるTRP受容体の存在もわかってきた。TRP受容体は熱を痛みとして感じる受容体だが、神経障害があると通常なら反応しないような37℃のお湯でもTRP受容体が過敏になり痛みとして感じる。神経は神経線維がばらばらにならないようにグリアというバンドで束ねられている。グリアは神経を束ねる役目だけでなく、痛みの信号がくると活性化し、神経を刺激して痛みを起こす要因になることもわかってきた。また慢性の痛みは、脊髄より上位の視床、帯状回、前頭前野、扁桃体などを巻き込んでいることが判明してきた。このように痛みにはさまざまな要素がある。今後の疼痛治療は、これらの具体的な発生メカニズムに焦点を当てたものになっていくだろう。画像を拡大する進む医療者の疼痛教育疼痛治療の発展に寄与することを目的とした非営利団体JPAP®(Japan Partners Against Pain)は、2003年11月に設立され今年で活動10年になる。主な活動方針は次の2つである。(1)疼痛における最新知見や薬剤の適正使用等に関する情報を広く提供し、医療に貢献する。(2)疼痛に関する社会的理解と協力を得るための教育および啓発活動を実施する。現在会員数は約2500名で、緩和ケアに従事する医師、看護師、薬剤師、理学療法士などが会員である。現在の活動の中心は、がん患者の痛み治療である。講演会や症例検討会の実施、関連学会で展示ブースの出展などを行っている。緩和ケアチームの病院内外でのアピールやネットワークづくりのために、各地の優れた緩和ケアチームを表彰する活動も行っている。会員は現在募集中で、入会者には、がん性疼痛の適切な治療について解説したスライドキットを提供している。痛みの治療に関心のある医療者は、ぜひJPAPにご入会いただければと思う。JPAP®(Japan Partners Against Pain)

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主幹動脈大血管閉塞脳卒中の血栓除去術、Trevoデバイスの有用性を確認:TREVO 2試験/Lancet

 主幹動脈大血管閉塞脳卒中に対する機械的血栓回収療法では、新たに開発されたTrevo血栓回収デバイスは従来のMerci血栓回収デバイスに比べ再開通率が優れることが、米国・エモリー大学医学部のRaul G Nogueira氏らの検討(TREVO 2試験)で示された。急性虚血性脳卒中の標準治療は遺伝子組み換え組織プラスミノーゲンアクチベータ(rt-PA)による血栓溶解療法だが、適応が発症早期に限定されたり、広範な血栓では再開通率が不良などの限界がある。機械的血栓回収療法は血栓溶解療法よりも再開通率が優れる可能性があるが、現行の機械的デバイスは再開通不成功率が最大20~40%に達するという。Lancet誌2012年10月6日号(オンライン版2012年8月26日号)掲載の報告。Trevoデバイスの有効性と安全性を無作為化非劣性試験で評価TREVO(Thrombectomy REvascularization of large Vessel Occlusions in acute ischemic stroke)2試験は、新たに開発されたステント様デバイスであるTrevo血栓回収デバイスの有効性と安全性を、すでに米国食品医薬品局(FDA)認可済みのMerci血栓回収デバイスと比較するプロスペクティブな非盲検無作為化非劣性試験。対象は、症状発現後8時間以内で、血管造影にて主幹動脈大血管閉塞脳卒中が確認されたNIHSS(NIH脳卒中スケール)スコア8~29の成人患者(18~85歳)であった。これらの患者が、TrevoデバイスまたはMerciデバイスによる血栓除去術を受ける群に無作為に割り付けられた。有効性に関する主要評価項目は、非盲検下に中央検査室で判定された割り付けデバイス単独による再開通率[脳梗塞血栓溶解(TICI)スコア≧2]であり、安全性の主要評価項目は治療関連有害事象の複合エンドポイント(血管穿孔/壁内解離、症候性頭蓋内出血、未閉塞血管部位の塞栓形成、手術や輸血を要する穿刺部位合併症、周術期死亡など)とした。非劣性が確認された場合は優越性の検証も行うこととした。再開通率:86% vs 60%、有害事象の複合エンドポイント:15% vs 23%2011年2月3日~12月1日までに、米国の26施設およびスペインの1施設から178例が登録され、Trevo群に88例(年齢中央値70.2歳、男性45%、NIHSSスコア中央値19、rt-PA無効例58%、症状発症から動脈穿刺までの時間中央値4.7時間)、Merci群には90例(同:70.8歳、40%、18、50%、4.2時間)が割り付けられた。再開通率はTrevo群が86%(76/88例)と、Merci群の60%(54/90例)に比べ有意に優れた[オッズ比(OR):4.22、95%信頼区間(CI):1.92~9.69、優越性検定:p<0.0001]。90日後の機能的自立率(修正Rankinスケールのスコアが0~2の患者の割合)は、Trevo群が40.0%(34/85例)であり、Merci群の21.8%(19/87例)よりも有意に良好だった(OR:2.39、95%CI:1.16~4.95、p=0.0130)。90日後の生存率は両群間に差を認めなかった(p=0.1845)。安全性の複合エンドポイントの発生率は、Trevo群が15%(13/88例)、Merci群は23%(21/90例)であり、両群間で同等だった(OR:0.57、95%CI:0.26~1.22、p=0.1826)。血管穿孔については、Trevo群が1%(1/88例)と、Merci群の10%(9/90例)よりも有意に少なかった(OR:0.10、95%CI:0.01~0.83、p=0.0182)。著者は、「rt-PAが適応外または無効であった主幹動脈大血管閉塞脳卒中患者では、Trevo血栓回収デバイスはMerci血栓回収デバイスよりも優先すべき治療法と考えられる」と結論している。

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(22)〕 苦悩のない人生なんて

今回は精神科医という立場からあえて批判的に検討してみよう。 BMJは素晴らしいジャーナルであるが、ご存知の通りしばしば英国式ジョークが掲載される。(今でも載っているのだろうか? 私はそれほど熱心な読者ではないので、間違っていたらごめんなさい)たとえば、タイタニック号の生存者が有意に長生きだったかどうか?(ご丁寧に「タイタニックスタディ」と名付けてある。Hanley JA et al. How long did their hearts go on? A Titanic study. BMJ. 2003; 327: 1457-1458.)とか、祈りの治療効果(過去の診療記録上の患者さんたちに対して、改めて祈ってみるという、衝撃のデザインである。Leibovici L. Effects of remote, retroactive intercessory prayer on outcomes in patients with bloodstream infection: randomized controlled trial. BMJ. 2001; 323: 1450-1451.)とかのことである。もちろん本論文はジョークではないようだ。 感情障害(うつ病等)が高い死亡率と関連することはすでに周知であろう。さらにそれが後年の脳梗塞や認知症の発症の危険因子であることも示されている(Framingham Studyなど)。なぜか悪性腫瘍を発症するという報告も多々ある。ここまでは精神科医としても納得できる。しかし本論文では、疾病と認知されない程度の苦悩が、死亡率を上げていると述べている。何点か疑問点を提示したい。 第1点は、GHQ-12はカットオフが3/4で妥当性が確認されているとあるのは、構造化面接による精神疾患診断の有無を外的基準としたと思われるが、カットオフ以下をさらに症候なし(0点)、潜在的(1~3点)に分けることに論理的に意味があるのかという素朴な疑問。第2点は、関連要因として重要と思われる失職、負債、離婚歴、ソーシャルサポート等が検討されていない点。これはデータがないから仕方ないのかもしれないが。第3点、この主張を敷衍すると苦悩は悪であると解釈しうるが(著者らがそこまで意図したかどうかはわからない)、ごく小さな苦悩を治療対象にすることには釈然としない点がある。というのは、今よりも少しよい生活を求めて努力する、あるいはリスクテイキングを行う場合、苦悩は一定の割合で避けられないのではないか? そしてそれはケインズがアニマルスピリットと呼んだような、われわれの生存維持に必要な本能なのではないだろうか(たとえ公衆衛生学的には死亡率の上昇として可視化されるにしても…)。精神科医としては「苦悩のない人生はない」と言いたい。 と、厳しいことを述べたが、批判のための批判をすることは本意ではない。このような議論を喚起した時点で、この論文は有意義である。そして私も苦悩を推奨しているわけではない。最後に、医師とは苦悩の多い職業であるが、読者諸兄にあられては死亡率の上昇と関連することを念頭に、死亡することなく息の長い社会貢献をしていただきたい、とうまくまとめておくことにしようか。

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エキスパートに聞く!「高血圧」Q&A

CareNet.comでは9月の高血圧特集企画を行う中で、会員の先生より「高血圧」に関する質問を募集しました。その中から、特に多くいただいた質問に対し、下澤達雄先生にご回答いただきます。家庭血圧を用いる際の留意点について教えてください。昨年8月に発表された英国の高血圧ガイドラインでは、24時間血圧あるいは家庭血圧を高血圧の確定診断ならびに降圧治療の効果判定に用いることが強く推奨されました。わが国でも家庭血圧測定の指針が高血圧学会より出されており、実臨床でも多くの先生がお使いになっていることが、今回たくさんのご質問をいただいたことからも推察されます。そこで、家庭血圧を用いる際の留意点をいくつか挙げたいと思います。1.信頼性機械そのものの信頼性は診察室で同時に用手法と比較することで確認することができますが、血圧手帳を用いた自己申告による血圧値は必ずしも信頼できません。高知県で行われた調査では実測値と自己申告値には開きがあり、患者は低めに申告することが報告されています。よって、家庭血圧が低い場合でも臓器障害がある場合にはとくに診察室血圧を参考にした降圧治療が必要となります。あるいはメモリー機能をもった家庭血圧計を用い、実測値を医療側が把握できるようにする工夫が必要です。2.家庭血圧の測定方法血圧は複数回測れば必ず異なった値を示します。一般的には数回測ると徐々に低い値となります。高血圧学会の家庭血圧の指針では1日1回でよいと書かれていますが、これはまず患者に家庭血圧を測定させるために簡便な最低限の方法が記載されていると理解しています。すでに家庭血圧を日常的に測定できる患者においては複数回測定し、一番高い値と一番低い値、あるいは平均値を記載してもらうのがいいかと思います。測定時間は服薬直前が望ましいですが、日常生活にあわせてほぼ同じタイミングで測定できる時間を指導しています。3.夜間血圧を反映するか?何がわかるのか?残念ながら夜間血圧は夜間に測定する必要があり、家庭血圧では知ることができません。正しく測定でき、正直に申告された家庭血圧で白衣性高血圧、仮面高血圧がわかることはもちろんですが、曜日による血圧変動(週末ストレスがない場合に血圧が下がる)や睡眠状態との関連を知ることもできます。4.診察室血圧との乖離前述のように白衣性高血圧、仮面高血圧と診断されますが、臓器障害がある場合は高いほうの血圧を目安に治療を行うべきです。血圧変動について教えてください。外来診察毎の血圧変動が大きいと脳血管イベントが多くなることが報告されました。以来、糖尿病の際の血糖の変動が臓器障害と関連づけられています。動物実験でも交感神経を切除して血圧変動を大きくすると、レニン・アンジオテンシン系が亢進して臓器障害が進行することが報告されています。ヒトにおいては長期にわたる一拍ごとの血圧変動をみることは困難であり確立したエビデンスはありませんが、血圧変動は少なくする方が望ましいでしょう。血圧変動が大きい原因として自律神経障害、褐色細胞腫のような器質的な異常のほかに服薬アドヒアランス不良、精神的ストレス、不眠(睡眠時無呼吸)といった要因もあり、医師のみならず看護師、薬剤師などからの患者の病歴、生活歴聴取が必要となります。服薬は管理されているにもかかわらず認知症患者ではとくに血圧変動が大きいことが問題になりますが、多くの場合は多発性脳梗塞を合併している例です。転倒のリスクがなければ認知症の進行、脳梗塞の再発予防を考えて血圧は低い値にコントロールしたいところです。実際には服薬数を増やせないなどの制限があり、合剤を積極的に使ってのコントロールとなります。食塩感受性について教えてください。塩分摂取により血圧が上昇する食塩感受性患者は、上昇しない非感受性患者にくらべ血圧値が同等でも心血管イベントが多いことから、食塩感受性の診断についての質問を多くいただきました。しかし、食塩感受性を診断するには現在のところ入院にて食塩負荷、減塩食を食べさせ、その間の血圧を測定することのほかには確実な方法はないのが現状です。実臨床においては早朝第二尿のナトリウムとクレアチニンを測定することで食塩摂取量を知ることができる(「日本高血圧学会減塩ワーキンググループ報告」日本高血圧学会より入手可能)ので塩分摂取量が多い患者について経時的に観察したり減塩指導の動機付けとして用いることもできます。あるいはサイアザイド系利尿薬に対する血圧反応性も食塩感受性を知る一つの方法です。効果的な減塩指導について教えてください。日本の食文化はみそ、塩、しょうゆの上に成り立っているので、減塩指導はともすれば日本の食文化を否定することにもなりかねません。しかし、現在の一般的食生活を見てみると加工食品がふんだんに使われており、この点を改善指導することで減塩は可能となります。たとえばソーセージ100gに塩は約2g、プロセスチーズでは約3g含まれており、こういった加工食品を減らすことを指導できるでしょう。また、加齢に伴い味覚は低下するため減塩が難しくなります。そこはワサビ、生姜、茗荷、唐辛子、胡椒といったスパイスをうまく使うように指導します。そして、食卓に出された食材に塩、しょうゆを追加でかけないよう、食卓には塩、しょうゆを置かないなどの細かな指導が必要となります。男性患者の場合、食事を実際に作る配偶者への指導も重要で、医師だけでなく看護師、栄養士、薬剤師、検査技師、保健婦など患者に関わるすべての医療従事者の協力体制が有効です。塩分過剰摂取は血圧上昇のみならず血圧が上昇しない場合でも酸化ストレスを増加させ耐糖能異常につながることが動物実験では示されており、摂取量を6g/日程度まで下げることは高血圧の有無にかかわらず有用であると思われます。降圧薬の減量、中止方法について教えてください。血圧のコントロールが良好で、臓器障害がないような場合、また尿中ナトリウムも低めの場合は降圧薬を中止できることもあります。その場合、4~5月位に中止し、夏の暑い間を経過観察し、10~11月から冬の寒い間に血圧が再上昇しないことを確認します。その後も家庭血圧で血圧を経過観察し、年に一回の臓器障害の進展のチェックを行います。多剤併用しており血圧が良好なコントロールの場合、薬剤の減量が可能です。長期にβ遮断薬を使っている場合は心筋虚血のリスクがあるのでβ遮断薬は漸減します。便秘、浮腫、歯肉腫脹、起立性低血圧がある場合はカルシウム拮抗薬の副作用の可能性もあるためカルシウム拮抗薬から減量します。昨今の酷暑ではとくに高齢者や腎機能低下例においては、レニン・アンジオテンシン系抑制剤や利尿薬の減量が必要となる例があります。早朝高血圧の対処方法について教えてください。家庭血圧を測定あるいは24時間血圧にて早朝高血圧が明らかになった場合、最近の研究では夜間高血圧ほどのリスクはないとの報告もありますが、降圧薬の服用時間を調整することでコントロール可能となることがあります。レニン・アンジオテンシン系阻害薬は夕方服用に適した薬剤といえます。ただし、夜間の過度の降圧に注意して少量より開始するのが好ましいでしょう。α遮断薬も有効とする報告もありますが、α遮断薬自体の臓器保護効果が疑問視されており、α遮断薬を追加投与するよりは現在服用しているレニン・アンジオテンシン系阻害薬の服用時間をずらすことが適切と考えます。難治性高血圧の対処方法について教えてください。異なる三系統の降圧薬を十分量を内服しても血圧のコントロールがつかない場合、難治性高血圧と呼ばれます。このような例では服薬アドヒアランス、二次性高血圧の再評価、睡眠時無呼吸の評価をまず行います。服薬アドヒアランスが不良の場合は合剤を用いること、服薬の必要性を再教育すること、服薬想起の道具(ピルボックスなど)が有効といわれており、医師だけでなく薬剤師、看護師、保健婦の協力が必要となります。すでに薬剤を服用している場合、ホルモン検査は薬剤の影響を受けるので評価が難しくなります。実臨床では副腎のCTを先行させてもいいと思います。あるいは十分量の抗アルドステロン薬(スピロノラクトンで75~100mg)を投与し治療的診断を行うことも有用です。腎血管性高血圧についてはMR angiographyが有用でしょう。以上のような精査で問題がない場合、中枢性の降圧薬(レセルピン)を少量朝1回追加することが有用である例を経験しています。あるいはジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬をかんきつ類と一緒に服用させる、あるいはヘルベッサーと併用しジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬の血中濃度を高めることも有用でしょう。白衣性高血圧の対処方法について教えてください。イギリスのガイドラインでは診察室血圧と24時間血圧、あるいは家庭血圧を用いて高血圧の診断を行い、臓器障害がない場合は白衣性高血圧は薬物介入をせずに年に1回の経過観察をするとしています。24時間血圧を用いて病院来院時のみ高血圧でその他の日常生活の中では全くの正常血圧であり、アルブミン尿も含め臓器障害が認められず、糖尿病などのリスク因子がない場合は薬物介入は必要ないと考えます。しかし、経過観察は必要で、患者には日常生活の中で突然の来客などストレスがかかると血圧が上がっている可能性を話し、徐々に臓器障害が出てくる可能性を説明する必要があるでしょう。白衣性高血圧で患者が薬物介入を希望する場合、抗不安薬も有効です。また、臓器障害がある場合はJSH2009に則って合併する臓器障害に応じて薬物を選択します。その際、心拍数が上昇するといった副作用のない薬物をまず選択します。拡張期血圧の対処方法について教えてください。収縮期血圧が大動脈のコンプライアンスと心拍出量で規定されるのに対し、拡張期血圧は全身の末梢血管抵抗と心拍出量で規定されます。よって高齢者で大血管の硬化が明らかになると収縮期血圧が上昇し脈圧が増大します。心臓の仕事量は収縮期血圧と心拍数の積に比例するため、収縮期血圧が高くなると心筋酸素消費量が増え、心虚血と心不全のリスクが増えます。一方冠動脈は拡張期に灌流されるので、拡張期血圧を下げすぎると、冠血流が低下する危険があります。実際、大規模臨床試験をみても拡張期血圧と心血管イベントにはJカーブに近い現象が認められます。拡張期のみ高い例は若年者に多く認められますが、治療の第一歩は減塩にあります。また個人的経験ですが、10年ほど前にARBが発売された当初、カルシウム拮抗薬やACE阻害薬にくらべ拡張期血圧がよく下がる印象がありましたが、統計的処理はされていません。また当時は利尿薬の使用頻度が低かったというバイアスもあります。現状では拡張期血圧のみを下げるための有効な治療法は生活習慣の改善のほかには確立されていないといえます。合剤の有用性について教えてください。いかなる服薬介入治療もその効果は服薬アドヒアランスに依存することは明白です。それゆえ、われわれは服薬アドヒアランスをよくする努力は惜しむべきではありません。アドヒアランスに関わる因子は複数ありますが、処方する立場として最も簡便にできることは服薬数を減らすことであり、その点において合剤はきわめて有効といえます。現在降圧薬に限らずぜんそく薬、糖尿病薬、高脂血症薬の合剤が日本でも使用可能ですが、海外の現状をみるとまだまだ立ち遅れています。私は実臨床の中で合剤の併用も行いARBの最大容量を合剤として処方し、3種の薬剤を2錠ですませ、患者の経済的負担も軽減するよう努力しています。

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第6回 過失相殺:患者の過失はどこまで相殺できるか?

■今回のテーマのポイント1.医療従事者に過失があったとしても、患者自身の行為にも問題があり、その結果損害が生じた場合、または損害が拡大した場合には、過失相殺が適用され損害賠償額が減額される2.「法的な」療養指導義務の内容は、明確に示される必要がある3.されど、医療従事者には職業倫理上、「真摯(しんし)かつ丁寧な」説明、指導をする義務がある事件の概要患者(X)(72歳女性)は、2日前から左上下肢に脱力感があったため、平成13年5月7日にA病院を受診し、脳梗塞との診断にて、入院となりました。ただ、Xは、意識清明で、麻痺の程度も、MMT(徒手筋力テスト)上、左上下肢ともに“4”であり、独歩も可能でした。担当看護師は、入院時オリエンテーションを実施した際、転倒等による外傷の危険性があることを話し、トイレに行くときは必ずナースコールで看護師を呼ぶように注意しました。ところが、Xは、トイレに行く際、最初はナースコールを押していたものの、次第にナースコールをせずに一人でトイレに行くようになり、夜勤の担当看護師であるYが一人でトイレから帰るXを何回か目撃しました。Yは、その都度、トイレに行くときにはナースコールを押すよう指導しました。同月8日午前6時ごろ、Yが定時の見回りでXの病室に赴いたところ、Xがトイレに行くというのでトイレまで同行しましたが、トイレの前でXから「一人で帰れる。大丈夫」といわれたので、Yはトイレの前で別れ、別の患者の介護に向かいました。しかし、午前6時半頃、Yが定時の見回りでXの病室に赴いたところ、Xがベッドの脇で意識を消失し、倒れていました。Xは、急性硬膜下血腫にて緊急手術を行うも、意識が回復することなく、同月12日(入院6日目)に死亡しました。原審では、看護師Yに付き添いを怠った過失を認めつつも、当該過失とXの転倒に因果関係が認められないとして、Xの遺族の請求を棄却しました。これに対し、東京高裁は、看護師Yの不法行為の成立を認め、下記の通り判示しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過患者(X)(72歳女性)は、平成13年5月5日頃より左上下肢に脱力感が出現し、何とか家事はできたものの、体調がすぐれず、同月7日にA病院を受診しました。頭部CTを施行したところ、麻痺と一致する箇所に梗塞巣を認めたため、脳梗塞と診断されました。ただ、Xは、意識清明で、麻痺の程度も、MMT(徒手筋力テスト)上、左上下肢ともに“4”であり、独歩も可能であったことから、リハビリテーション目的にて14日の予定で同日入院となりました。担当看護師は、入院時オリエンテーションを実施した際、転倒等による外傷の危険性があることを話し、トイレに行くときは必ずナースコールで看護師を呼ぶように注意しました。A病院は2交代制を採っており、夜勤では、Xが入院したA病院2階の患者(約24名)を正看護師2名と准看護師2名の計4名で担当していました。同日の夜勤帯でXを担当する看護師Yは、同日午後6時、定時の見回りの際、「Xがトイレに行きたい」というので、病室から約15m離れたトイレに連れて行きました。午後7時、8日午前1時にもXよりナースコールがあったので、同様にYは、トイレまでの付添いをしました。しかし、午前3時にYが定時の見回りを行う際、Xが自力で歩行し、トイレから戻るところを発見しました。Yは、Xに対し、今後トイレに行くときにはナースコールを押すよう指導し、病室まで付き添いました。ところが、午前5時にもXが、トイレの前を自力歩行しているところをYは発見したため、同様の指導をしましたが、Xは「一人で何回か行っているので大丈夫」と答えました。午前6時頃、Yが定時の見回りでXの病室を訪れたところ、Xは起き上がろうとしており、トイレに行きたいといったため、Yは、トイレまで同行(直接介助はしていない)しました。そして、トイレの前でXから「一人で帰れる。大丈夫」といわれたため、Yは、Xとトイレの前で別れ、他の患者の介護に向いました。その後、午前6時半頃、Yが定時の見回りでXの病室を訪れたところ、Xがベッドの脇に倒れ、意識を消失しているのを発見しました。医師の指示で頭部CTを施行したところ、急性硬膜下血腫と診断され、同日緊急手術を行ったものの、同月12日(入院6日目)に死亡しました。事件の判決原審では、午前6時にXがトイレから帰室する際にYが付き添わなかったことに過失があるとしたものの、Xがいつ転倒したかは不明であり、当該帰室時に転倒したと認めることには、なお合理的な疑いがあるとして因果関係を否定しましたが、本判決では、因果関係を肯定し、Yの不法行為の成立を認めたうえで、下記のように判示し、過失相殺を適用して、損害額の8割を控除し、約470万円の損害賠償責任を認めました。「Xは、多発性脳梗塞により左上下肢に麻痺が認められ、医師及び看護師から、転倒等の危険性があるのでトイレに行く時は必ずナースコールで看護師を呼ぶよう再三指導されていたにもかかわらず、遅くとも平成13年5月8日の午前3時以降、その指導に従わずに何回か一人でトイレに行き来していた上、午前6時ころには、同行したY看護師に「一人で帰れる。大丈夫」といって付添いを断り、その後もナースコールはしなかったものであり、その結果、本件の転倒事故が発生して死亡するに至ったものである。Xがナースコールしなかった理由として、看護師への遠慮あるいは歩行能力の過信等も考えられるが、いずれにしてもナースコールをして看護師を呼ばない限り、看護師としては付き添うことはできない。Xは、老齢とはいえ、意識は清明であり、入院直前までは家族の中心ともいえる存在であったのであり、A病院の診断により多発性脳梗塞と診断され、医師らから転倒の危険性があることの説明を受けていたのであるから、自らも看護婦の介助、付添いによってのみ歩行するように心がけることが期待されていたというべきである。高齢者には、特に麻痺がある場合に限らず転倒事故が多いとされているが、こうした危険防止の具体策としては、まず、老人本人への指導・対応があげられている。・・・以上のほか、本件に顕れた一切の事情を勘案すると、被控訴人は損害額の2割の限度で損害賠償責任を負うものとするのが相当である」(東京高判平成15年9月29日判時1843号69頁)ポイント解説前回は、患者の疾病が損害発生(死亡等)に寄与していた場合、法的にどのように扱われるかについて説明しました。今回は、患者が医療従事者の指導に背く等患者の行為が損害の発生に寄与していた場合の法的取り扱いについて解説します。民法722条2項※1は過失相殺を定めております。すなわち、仮に不法行為が成立(加害者に過失が認められる等)した場合であっても、被害者にも結果発生または損害の拡大に対し因果関係を有する過失が存在した場合には、具体的な公平性をはかるために、それを斟酌して紛争の解決をはかることとなります。例えば、交通事故において、加害者にスピード超過の過失があったとしても、被害者にも信号無視という過失があった場合には、過失相殺を行い、被害者に生じた損害額の何割かを減額することとなります(図1)。したがって、医療者に不法行為責任が成立したとしても、患者にも問題行動があった場合には、過失相殺がなされ、損害額が減額されることとなります。人間は聖人君子ではありませんので、「わかってはいるけど」患者が医師の指示に従わないことが時々見られます。また、いわゆる問題患者もいます。しかし、交通事故と異なるのは、医師には患者に対する「療養指導義務」があり、医療機関には入院患者等院内にいる患者に対しては、転倒防止や入浴での事故を防止する等の「安全配慮義務」があることです。つまり、患者がしかるべき行動をとっていなかったとしても、それすなわち患者の過失となるのではなく、医師の療養指導義務や医療機関の安全配慮義務違反となることもあり得るのです。また、その一方で、あまりにも患者の行動に問題が強い場合には、「療養指導義務を尽くした(過失無)」または、「もはや医師が療養指導義務を尽くしても結果が発生していた」すなわち、因果関係がないということで不法行為責任が成立しないこともあります(図2~4)。図1画像を拡大する図2画像を拡大する図3画像を拡大する図4画像を拡大する本判決では、脳梗塞にて入院した日の深夜~早朝に付き添いをしなかった看護師に過失はあるものの、意識が清明な患者に対し、繰り返し指導していたにもかかわらず、独歩したことにも過失があるとして、看護師に不法行為の成立を認めた上で、過失相殺を適用し、2割の限度で看護師に賠償責任を負わせました(8割減額)。本事例以外で過失相殺に関する事例としては、(1)患者が頑なに腰椎穿刺検査の実施を拒絶したため、くも膜下出血の診断ができず死亡した事例においては、医師の検査に対する説明が足りなかったこと等を理由に過失相殺を適用しなかった判例(名古屋高判平成14年10月31日判タ1153号231頁)(2)帯状疱疹の患者に対し、持続硬膜外麻酔を行っていたところ、患者が外出時にカテーテル刺入部の被覆がはがれているにもかかわらず、医師の指示に反し、炎天下の中、肉体労働を行った結果、硬膜外膿瘍となった事例においては、医師の指導が十分ではなかったとして過失を認めつつも、患者にも自己管理に過失があるとして3割の過失相殺を認めた判例(高松地判平成8年4月22日判タ939号217頁)(3)アルコール性肝炎の患者が、医師の指導に従わず、通院も断続的で、飲酒を継続した結果、食道静脈瘤破裂及び肝硬変にて死亡した事例においては、医師の過失を認めつつも、8割の過失相殺を認めた判例(神戸地判平成6年3月24日判タ875号233頁)等があります。かつては、医師と患者の関係は、パターナリスティックな関係として捉えられていたこともあり、裁判所も患者の過失ある行動について、積極的に過失相殺を行ってきませんでした。しかし、インフォームド・コンセントの重要性が高まった現在、その当然の帰結として、医師から療養指導上の説明を受けた以上、その後、それに反する行動をとることは自己責任の問題であり、医師に「更なる(しばしば「真摯な」と表現される)」療養指導義務が課されることはないということになりますし、仮に医師に療養指導上の義務違反があったとしても、患者の行動に問題がある場合には、積極的に過失相殺を行うべきということとなります。医療従事者は、この結論に違和感を覚えるものと思われます。しかし、法的な理論構成だけでなく、法というツールを用いてインフォームド・コンセントや療養指導義務等を取り扱う場合には、誰から見ても明確な基準を持つことが必須となります。この10数年における萎縮医療・医療崩壊に司法が強く関与していることは、皆さんご存知の通りです。萎縮医療の原因は、一つには国際的にも異常なほど刑事責任を追及したことがあり、もう一つには、判例が変遷する上に、医療現場に不可能を強いるような基準で違法と断罪したことがあります。その結果、医療従事者が、目の前の患者に診療を行おうとするときに自らの行為が適法か違法かの判断ができないため、「疑わしきは回避」となり、萎縮医療、医療崩壊が生じたのです。法は万能のツールではありません。そればかりか、誤って使用すれば害悪となることは、歴史的にも、この10年をみれば明らかです。特に、すぐ後ろに刑事司法が控えているわが国においては、自らの行為が適法か違法か予見できることは必須といえます。したがって、あくまで「法的」に取り扱う場合においては、説明義務、療養指導義務の内容は「○○である」と明確に列挙されているべきであり、「そのことさえ患者に説明すれば後になってから違法と誹られることはない」ということが最も重要となるのです。そのうえで、医療従事者の職業倫理上の義務として、患者がしっかり理解できるまで懇切丁寧に、真摯に説明することが求められるのであり、この領域における不足は、あくまで、プロフェッション内における教育や自浄能力によって解決すべき問題であり、司法が介入するべき問題ではないのです。 ※1民法722条2項 被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます(出現順)。なお本件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。リンクのある事件のみご覧いただけます。東京高等裁判所平成15年9月29日判時1843号69頁名古屋高判平成14年10月31日判タ1153号231頁高松地判平成8年4月22日判タ939号217頁神戸地判平成6年3月24日判タ875号233頁

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(13)〕 心房細動診療のピットフォール―心房細動で出血死させないために。CKDに配慮したリスク評価を!

非弁膜症性心房細動(NVAF)に伴う心原性塞栓による脳梗塞は、中大脳動脈などの主要動脈の急性閉塞による発症が多いため、アテローム血栓性梗塞やラクナ梗塞に比べて梗塞範囲が大きく、救命された場合でも後遺症による著しいADLの低下を招きやすい。周術期の肺血栓塞栓症同様に、予防が重要である。心房細動患者の脳梗塞発症率は、発作性、持続性の病型による差はなく同等であるが、併存疾患や年齢によって梗塞リスクが異なり、リスク定量化の試みがなされている。2010年のESC心房細動管理ガイドラインから、従来のCHADS2スコアの欠点(低リスク例の層別化が不十分)が改善されたCHA2DS2-VAScスコアが採用されている。CHA2DS2-VASCスコアは、0 pointでは脳梗塞発症率が0%で、CHADS2スコアよりも低リスクを判別できて、抗凝固療法を必要としない例を効率よく除外できる。 ワルファリンは、きわめて有用・有効な抗凝固薬であるが、安全治療域が狭く、至適投与量の個人差が大きいうえ、多くの食品、薬物と相互作用があるなどの欠点を持っている。ワルファリンコントロールに繊細なコントロールが要求される理由のひとつとして、アジア人では、白人に比べて頭蓋内出血の頻度が約4倍高い(Shen AY, et al. J Am Coll Cardiol. 2007; 50: 309-315.)ことがあげられる。ESCガイドライン2010では、出血リスクの評価としてHAS-BLEDスコア(Pisters R, et al. Chest. 2010; 138: 1093-1100.)を用いている。 本研究の結果、CKDを合併したNVAFは、梗塞リスクのみならず、出血リスクも高い特徴があることが明らかになった。従来の評価法のうち、HAS-BLEDスコアには腎機能が含有されるが(A)、CHA2DS2-VAScスコアには含有されていない。本研究の詳細を検討すると、CKD合併NVAFでは、梗塞リスクに対する高血圧(H)、心不全(C)、血管疾患(V)、糖尿病(D)の寄与が有意ではなかった(原著Table 3参照)。本邦でダビガトランの市販後に、腎機能低下患者で致死的な出血合併症を認めたことは記憶に新しい。個々の医師がCKDに高い関心を持つとともに、NVAFに対する抗凝固療法の安全性・有効性をさらに高める、より普遍的なリスク評価法の開発が必要であろう。

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震災後の心血管系イベント発症、疾患によりタイムコースが異なる:東日本大震災

2011年3月11日、未曾有の大地震と津波がわが国を襲った。東日本大震災の被災地では、医療従事者、消防など関係者は激務の中であっても、詳細な記録を残すことを厭わなかった。その結果、震災・津波という大きなストレス後の、各種疾患の発症パターンは必ずしも一様ではないことが明らかになった。28日の「ホットライン III」セッションにて、東北大学循環器内科教授の下川宏明氏が報告した。これまでも、大地震後の突然死,心筋梗塞や肺炎の発症増加を観察した報告は存在する。しかし、今回下川氏らが企図したのは、「より大規模」、「より長期の経過観察」、「より幅広い心血管系疾患を対象」とする調査である。同氏らは、宮城県医師会とともに、2008年~2011年の2月11日~6月30日(15週間)における疾患発症情報を集めるため、県下12の広域消防本部から救急搬送に関するデータの提供を受けた。調査対象とした疾患は「心血管系全般」とし、「心不全」、「急性冠症候群(ACS)」、「脳卒中」、「心肺停止」が挙げられた。加えて、「肺炎」についても調査した。まず、上記疾患はいずれも、大震災後,著明な発症増加が認められた。下川氏は、今後同様の大ストレス下では、上記疾患全てに、医療従事者は備える必要があると述べた。また肺炎を除き、発症リスクに対し、年齢(75歳以上、75歳未満)、性別(男、女)、居住地(内陸部、海岸部)で有意な差は認められなかった。肺炎発症リスクは、海岸部で有意に増加していた。津波の影響が原因と、下川氏は考察している。興味深いのは、震災後急増したこれら疾患発症率が、正常に戻るパターンである。3つの類型が観察された。すなわち、1)速やかに発症数が低下する(ACS)、2)速やかに発症数が減少するも,余震に反応して再び増加する(脳卒中、心肺停止)、3)発症数増加が遷延し、長期にわたり発症が減少しない(心不全、肺炎)──の3つである。特にACSは震災発生3ヶ月後、震災前3年間の同時期に比べても発症率は著明に低くなっていた。震災によりACS発症が前倒しになった可能性があると、下川氏は指摘している。記者会見において、脳卒中とACSのパターンが異なる理由について質問が出た。同じくアテローム血栓症を基礎にするのであれば、同様の正常化パターンが予測されるためである。これに対し下川氏は、機序については今後の課題であると述べている。当初同氏らは、震災後に脳卒中が増加したのは、ストレスによる昇圧が脳出血を増やしたためだろうと考えていた。しかしデータを解析すると、地震に反応して増加していたのはもっぱら脳梗塞であり、脳出血の増加は認められなかった。ストレスによる凝固能亢進が示唆される。最後に下川氏は、宮城県の医師会、消防本部,そして日本循環器学会に謝意を示し発表を終えた。指定討論者であるルードイッヒ・マキシミリアン・ミュンヘン大学(ドイツ)のGerhard Steinbeck氏は、東日本大震災のようなストレスが心血管系疾患に及ぼす影響が、発生直後の数日間のみならず、数週間、数ヵ月持続する点に大いに注目していた。関連リンク

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南相馬市立総合病院“初”初期研修医として

亀田総合病院・南相馬市立総合病院初期研修医木村 和秀2012年8月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。7月1日から8月3日まで、南相馬市立総合病院で、相双地区で初めて初期研修医として1ヶ月間研修を行った。そこで体験したこと、出会った人々、考察した事を、この後に続く研修医のためにまとめると共に、山積した問題を解決し得る知恵を持った方々と共有するために、ここに発表したい。まず南相馬市立総合病院で研修を行うに至った経緯を簡潔にまとめる。私が研修を行なっている亀田総合病院では、研修医に1ヶ月間の海外研修が許可されている。亀田総合病院で研修を行った先輩であり、相双地区で被曝診療を続けている坪倉正治先生とお話する機会を頂き、触発され、なんとか南相馬市で研修を行いたいと考えた私は、その枠を使用して南相馬市で研修を行えないか卒後研修センター長片多史明先生に打診を行った。片多先生のご尽力により、理事長亀田?明先生、院長亀田信介先生、副院長小松秀樹先生の全面的なご協力を得られる事となった。そして南相馬市立総合病院金澤幸夫院長、及川友好副院長に快諾頂き、亀田総合病院より南相馬市立総合病院在宅診療部に出向されている原澤慶太郎先生に具体的なプログラムを組んで頂きこの研修が実現に至った。各先生方にはこの場をお借りし、深く御礼申し上げたい。研修にあたって実際に行った事は、病棟業務の傍ら南相馬市の全仮設を回って熱中症対策の広報を行い、人々のお話をお聞きし、また病院内外、医療関係者か否かを問わず様々な会合に参加することで、実際にどのような問題があり、どのような解決法が模索されているか学ぶ事だった。一方で在宅診療科として往診に同行し、自宅でのお看取りがどんなものなのか体験する事もできた。そのような研修で見えてきた事について、述べて行きたいと思う。まずは南相馬市立総合病院(以下MGH)の地域での位置づけ、現状と問題点について。MGHは、原発から23kmの地点にある地域の中核病院である。震災前は230床が稼働していたが、現在活用できているのは140床のみ。主な理由は看護師の数の減少。南相馬市では20歳代から40歳代の人口は震災前の半分以下となっており、子育て世代の人口減少がそのまま看護師数の減少につながっている。また、震災後地元にはいるが、看護職に復帰できていない方もいる。医師数自体は震災後4名まで減少したが、現在は着実に増え、期間限定でMGHに来られた方が多いものの、震災前と変わらない16名となっている。ただし、婦人科医師は1名しかおらず、小児科医師は不在である。上位胎盤早期剥離などの重症産科疾患に関しては陸路で1時間半程離れた福島市、いわき市に搬送するしかない。当院唯一の産婦人科医師であり南相馬出身者である安部先生はいつか搬送中に事故が起こるのではないかと危惧しながら、この地の産婦人科医療を支え続けている。放射線技師は6名で、当直体制がとれていないため、夜間は当番の技師に外線連絡をし、病院に到着するのを待つ必要がある。その間約30分程度。実際自分で救急当直をしていて、激しい腹痛で顔色が青くなっていく患者を前にじっと技師の到着を待っている事もあった。そのようなギリギリの状態ではあるが、この地域の住民の命綱として24時間断らない救急外来を行い続けている。中規模の病院が乱立し、貴重なマンパワーが分散しているためこのような医療体制となっているが、大病院を作るとなると相双地区として相馬と南相馬でどちらに作るかという問題になり、お互いの微妙な関係から議論は平行線をたどっている。また、地域の問題も深刻である。冒頭で述べた通り、熱中症予防の談話という形で全仮設の集会所を訪問させて頂き、この地域の問題を少しずつとらえる事が出来た。65歳以上の高齢者の割合は34%を超え、一方で彼らを支える福祉従事者は圧倒的に不足している。そもそも福祉の担い手である若い人達の人口が激減している。壮年男子は農地や漁場を奪われた上で持て余す程の補償金が手渡されたため、やることもなく酒量が増え、パチンコに通う生活となっている。パチンコは今南相馬で最も儲かっている産業で、今年に入って新店舗が3店増えた。農業・漁業を行わなくなった事で運動する機会が減った事は、生活習慣病の悪化という形に直接現れてきている。地域の帰属意識が強い人々は津波や被曝により分断され、仮設に入った場合は地元から離れた土地(小高の住民にとっては、鹿島、原町は宮城県ぐらい遠い土地だそうだ。)に住み、隣に音が筒抜けの薄い壁に囲まれてトイレを流すのにも気を使う生活を送っている。サロンに集まり、笑顔で談笑していても、住環境の話になるととたんに人々の顔は曇る。仮設を出て借り上げ住宅に入った方々は、周囲に友達がいない環境の中、日々おしゃべりをする場所もない生活を送っている。社会福祉協議会の方々が彼ら用のサロンを立ち上げ、周知をしているが、借り上げ住宅はバラバラに点在しており、なかなか浸透は進んでいない。立ち入り禁止区域が解除された小高地区は、中途半端な解除のため電気は通るが水道は通っていない状態で、ゴミを出す事もできない。掃除は遅々として進まないので、震災後の状況が未だにそのまま残っている部分が多い。かえって地震そのものや空き巣・動物の侵入によって荒れた自宅を見て、片付ける気力を失う方が多数であった。下水道も開通していないため、トイレに行かないように水分摂取を我慢していた女性も複数人おり、熱中症の観点からも危険な状態である。これらの現状は、サロンに参加出来ている比較的元気な方々から伺ったものであり、参加できていない方々の現状はもっと深刻だと推察される。このような多くの問題を抱える地域・病院であるが、震災を機に大きく変化が起こった。次々と挙がってくる問題に対して、座して見る事が一切なくなったのだ。震災後の情報が錯綜する中、病院内の情報をまとめ意思決定を行う全体会議は必須であった。その全体会議は週1回、毎週月曜日にすべての職員が参加する形で継続されている。職員の意見を吸い上げ、情報を共有する幹部会議が毎週開かれ、決定された方針がその場で共有される。小さい病院ならではの、実行力を持った意見共有システムが機能している。そして、医師達は何もしなければこの地域はなくなってしまう、という明確な危機感をもち、それまでの枠組みを越え、時には病院を飛び出して活動を始めた。副院長の及川先生は、仮設での生活で生活習慣病が悪化している現状を鑑み、「脳梗塞になる人を減らさなければこの福祉のマンパワーが不足している南相馬では守れない」と、仮設の集会所に血圧計と体重計を置き、先頭に立って広報を行った。在宅診療部部長の根本剛先生は、元々外科として第一線でこの地域を支える方だった。外科として手術、抗がん剤治療を行ってきたが、それでも治せない方と向き合い続けてきた。震災直後は避難所を練り歩き、医療相談や診療を行っていた。MGHの病棟業務再開と共に一旦は外科に復帰したが、南相馬市全体で病床数が減り、在宅診療を行っていかなければ医療が立ち行かない、という状況になった時、我先にと声を挙げ、現在も地域の方と向き合い続けている。坪倉先生の診療については、今更私が述べる点はないが、先生の活動を支え、談話会の運営を行っていたのが、南相馬出身で学習塾を運営されている番場さち子さん及び彼女の立ち上げたベテランママの会であった、というのは非常に驚きであった。南相馬の診療が地域と密接に結びついている事の現れである。新たにこちらに赴任した元獨協医大准教授の小鷹昌明先生は、神経内科専門医として神経難病の患者を看てこられた経験を生かし、療養型保健施設と合同でのヘルパー養成事業を実行に移している。中の方々だけでなく、外部の方からの革新的な提言についても非常に柔軟に受け入れ、実行に移し続けている。東大医科研の先生方を含め、問題解決能力を持った素晴らしい方々の目が南相馬に向いており、共同で物事を行う事ができる、というのは研修としても非常に魅力であった。これらは部下にやりたいようにやらせ、責任は持つという院長である金澤先生の資質でもあるのだろう。それを端的に示すいい例がある。私はこの病院に来て初めて、MGHが慢性的な医師不足を解決するため臨床研修指定病院と認可されるように動き始めた事、そのために24ヶ月の臨床初期研修実地の実績が必要であり、自分がその1ヶ月目に当たることを知った。何かフィードバック出来ないか考えながら研修を行ううち、感染管理の徹底が病院として必要であると共に、研修医を育てる環境を作るために、疾患として病棟患者の6割を占め、患者をGeneralに捉える視点を学ぶ事ができる感染症診療を病院としてより充実させるべきだ、と考えた。ちょうど赴任1週間目に金澤先生と2人で救急当直に入る機会があり、その際に感染症診療の必要性についてお伝えした所、ただの研修医が1週間で感じた意見にも関わらず熱心にお聞き下さり、良い人がいれば教えて欲しい、との言葉を頂いた。そこで所用にて私の出身校である神戸大学に行った際、感染症内科教授である岩田健太郎先生に心当たりがあるかお声かけさせて頂いた所、なんと岩田先生本人のMGH視察が決定してしまった。岩田健太郎先生がMGHの感染症診療をマネジメントするというインパクトの大きさは、医師の方々にはご理解頂けると思うが、臨床初期研修実地に向けた、非常に大きな一歩であると考えている。岩田先生の懐の深さもさることながら、金澤先生の柔軟な姿勢がなければまず実現していない事である。このようなトップの下、問題の解決策を病院の枠を飛び越えて練りだし、実行に移していく事を学べ、自分もその一部に関わる事ができる研修は、他になかなかないと考えている。当初の予定の倍の長さになってしまったのでここで終わりにするが、地域の方と協力して立ち上げたMGH主導のラジオ体操について書けなかった事は非常に残念である。ここに書ききれない程南相馬での1ヶ月は充実した内容の濃いものであった。問題の把握、改善策の議論、実行とフィードバックをこれ程地域の中で実際に現場の人と話し合い、問題解決能力を持った素晴らしい外部の方々と意見を交えながら行える研修は他にないと自負している。南相馬市立総合病院が初期研修医を受け入れるには、受け入れ体制や医療面でも改善しなければならない部分は多々あるだろう。しかし、ここの病院の持つ、医師を育てる事に対するポテンシャルは非常に高いと考えている。私自身、これほど病院の外に医者の行うべき、行う事の出来る仕事がある事に気づいていなかった。今後の医師人生にぜひ生かしていきたいと考えている。最後にはなるが、このような素晴らしい研修をマネジメントして下さった原澤先生には、改めて御礼申し上げたい。

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(4)〕 シチコリン、急性虚血性脳卒中に対する有効性示せず:ICTUS試験

シチコリンは神経血管の保護と修復作用を併せ持つ新規薬剤で、動物モデルでは虚血発作から数時間後でも急性の脳損傷の抑制や機能の回復効果を示すことが報告され、統合解析で有効性のエビデンスが示されていた。ICTUS(international citicoline trial on acute stroke)試験は、急性虚血性脳卒中に対するシチコリンの有効性を検証する国際的な多施設共同プラセボ対照無作為化試験として実施され、対象は中等度~重度の急性虚血性脳卒中による入院患者とされた。発症後24時間以内にシチコリンあるいはプラセボを投与する群[1~3日は12時間ごとに1,000mgを静注投与し、その後6週間は12時間ごとに錠剤(500mg)×2錠を経口投与]に無作為に割り付けられた。主要評価項目は、90日後の3つの指標に基づく総合評価による回復の達成[NIHSSスコア≦1、mRS≦1、Barthel index≧95]とされ、安全性は、rt-PA治療後の症候性脳出血、神経学的増悪、死亡について評価された。 2006年11月26日~2011年10月27日までに2,298例が登録され、シチコリン群に1,148例(平均年齢72.9歳、70歳以上67.4%)が、プラセボ群には1,150例(同:72.8歳、67.6%)が割り付けられた。しかし、3回目の中間解析で、2,078例のデータに基づき両群間に有効性および安全性の差は認めないと判定され、試験は中止された。 本邦におけるシチコリンは、1981年に販売開始となり、多くの症例に投与されてきた。1996年には再評価結果が公表され、現在の適応は、頭部外傷の意識障害、脳手術の意識障害、脳梗塞急性期の意識障害、脳卒中片麻痺の上肢機能回復促進、(急性膵炎、術後の急性膵炎、慢性再発性膵炎の急性増悪期)とされている。これまでエビデンスレベルの高い研究は行われておらず、ICTUS試験の結果が注目されていたが、残念ながら「シチコリンは、中等度~重度の急性虚血性脳卒中の治療においてプラセボを上回る効果は認めなかった。」と結論された。

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(3)〕 急性虚血性脳卒中院内30日死亡リスクモデルの予測能がNIHSSスコアで改善

米国・カリフォルニア大学ロサンゼルス校のGregg C. Fonarow氏らは、全米782ヵ所の病院で治療を受けた12万7,950人について追跡した結果、急性虚血性脳卒中30日院内死亡リスクモデルの予測能が、脳卒中の重症度を示す米国国立衛生研究所脳卒中スケール(NIHSS)スコアを盛り込むことで、有意に改善することを明らかにした。NIHSSスコアを盛り込まない30日院内死亡モデルのC統計量は0.772(95%信頼区間:0.769~0.776)だったのに対し、盛り込んだ同モデルのC統計量は0.864(同:0.861~0.867)で識別能は有意に高かった(p<0.001)。また、30日院内死亡リスクモデルにNIHSSスコアを盛り込むことによる、ネット再分類改善度は93.1%(同:91.6~94.6、p<0.001)、統合識別能改善度は15.0%(同:14.6~15.3、p<0.001)だった。 NIHSSスコアは、t-PA静注療法の適応決定や予後予測において有用な示標とされ、本邦でもt-PA静注療法が考慮される脳梗塞超急性期にはこのスコアを用いることが必須とされている。今回の研究から、NIHSSスコアが急性虚血性脳卒中30日院内死亡リスクの予測にも役立つことが明らかにされ、急性虚血性脳卒中を扱う施設では、NIHSSスコアによる脳卒中の重症度評価とその幅広い臨床応用が求められる。

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福島の病院が、初めての研修医を迎えて

南相馬市立総合病院・神経内科小鷹 昌明2012年8月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。福島県南相馬市の病院が、はじめて研修医を受け入れたのは、震災後500日が経過しようとする頃だった。当院の研修シラバスには、次のような文言が謳われている(これは、昨年より亀田総合病院から出向してきた“原澤慶太郎・在宅診療科医師”の掲げた目的である)。まずは一読してもらいたい。~なぜ、今、南相馬なのか。研修医諸君に改めて問いたい。これから医師として羽ばたいてゆく君たちにとって、はたして南相馬は対岸の火事と言えるだろうか。少なくとも私たちは、そうは思っていません。むしろ若い医師たちに、この現場を伝えていく責務を感じています。原発事故に伴う被曝の問題に、私たちがどのようにして課題を乗り越えていくのか、世界が注視しています。有史以来、未曾有の超高齢化社会、いわゆる2025年問題が叫ばれて久しいですが、世界もまたglobal agingへと突き進んでいます。そうした時代を医師として生きる君たちにとって、“高齢者医療”は避けては通れない問題です。眼前に突きつけられた現実から目を背けてはいけません。南相馬に広がっているのは、20年後の日本の紛れもない姿です。地域医療の抱えるさまざまな社会的問題に対して、solutionを模索する姿は、これからのひとつの医師像ではないでしょうか。Scientistとしての視点を保持しながら、さまざまなスタッフとの恊働から生まれる集合知で問題解決を図って行く。その過程を是非とも共に体験してもらいたいのです。~私は、「そうか、そういうことだったのか」と思った。これまで散々、ここへ来た自分自身の目的や意味を考えてきた。本メディアにおいても、想いと葛藤とを綴ってきた。それが、このような形で簡単に明文化されていた。常勤医17人の、この私たちの被災地病院が、復興のために次の手を打った。それは臨床研修指定を取得することであった。亀田総合病院(神戸大学医学部出身)にて初期研修中の2年次医師が、「希望で当院にも研修に来る」と知らされたのが5月だった。私たちはその日のために、付け焼き刃かもしれないが、場当たり的かもしれないが、準備を行った。大急ぎで研修プログラムを作成したり、各部署にお伺いを立てて周知させたり、日程表を作って吟味したりした。それは突貫工事に近いものであった。私も、「神経内科科長(ひとりだが)」として、元、大学病院准教授として、そのプログラム作りに参画した。ハッタリに近いかもしれないし、大風呂敷を広げ過ぎた感はあるが、手作り的なシラバスが一通り完成した。その矢先の7月に、彼はやってきた。循環器志望の、この若者は、被災地診療を体験したくて訪れた。私たちが、研修医に伝えられることは何であろうか。有意義な研修システムというのは、果たしてどういうものであろうか。原発事故が暗い影を落としているこの地で、私たちは、日々目の前の患者の診療に追われている。20キロメートルの警戒線が解除された今でも、答えの見出せない問題を抱えたまま、この市には4万5千人が暮らしている。そうした患者の悩みや不安に応えている。食料品目や産地に気を配ることで、低線量被曝は増加しないことが示されたにも関わらず、子供たちの帰還率は4割にも満たない。若い世帯が県外に避難したことから家族は離散し、作付けや漁を禁じられた住民は、生きがいを失い、目標を絶っている。多くの高齢者世帯が取り残され、仮設や借上住宅に住む人々の間には、疎外感によるひきこもりや、孤独死の問題が徐々に色濃くなっている。メディアでは到底伝えきれない根深く、執拗な問題が、この地を覆っている。きちんとした研修を受けられる病院は、指導医の教育に対するスキルが高く、症例が豊富で、検査や治療のためのツールが揃っていることである。多様な人材と潤沢な資金とで、研修医を一手に引き受けている大学病院や基幹病院は、全国にたくさんある。そういう病院におけるカリキュラムやマニュアルは、きっと明確なものであろう。「当院では、一定期間にこういうことが学べます」とか、「優秀なスタッフが、それを支援いたします」とか、いうものではないか。正直、そのようなものは、この病院にはない。私たちが与えられる研修システムは、他とは少し違うかもしれない。なぜなら、この病院で感じる何かを学びに変える手立てに、マニュアルなど作成しようがないからである。私たちの現場では、「この地で寝たきりになったら、分かりますよね・・・」、「脳梗塞や心筋梗塞の危険性を減らすのではなく、なってはダメなのです」、「最後まで介護する人にしか、病状の説明はできません」、「福祉や介護の充実のためには、生きるのも仕事です」、「障害は何ともできないけど、生涯なら何とかできるかもしれない」というようなことを言っていかなければならないのである。この地でひとりの患者を自律させるには、さまざまな職種や人種を巻き込まなければ成り立たない。NPOやボランティア団体、事業所や協会、行政やメディアなどとタッグを組む必要がある。充分であろうはずはないが、それでもあらゆるリソースを動員して、支援体制を布く必要がある。私たちの医療には解答がない。だから、正解を学ぶことはできないし、規範を教える術もない。ここで学ぶことは、もちろん、医療技術を向上させるとか、医学的知識を増幅させるとか、そういうことを目指すことに異論はないが、それよりも“自分は何ができないか”を理解し、自分にできないことは、誰にどのように支援されればそれが達成できるのか。「そういう人に支持されなければ、有効に自分の学びが活かされることはない」ということを体感することなのである。一手先、二手先を見据えて「自分にできないこと」と、「自分にできること」とを、きちんとリンケージすることなのである。日本の医療は世界最高レベルなのに、「満足度は最低ランクである」と揶揄される。やるせない思いがする。日本の医療は、なぜそうなってしまったのだろうか。それは、「医療費の公的支出が他国と比べて少なく、診療報酬が全体的に低く抑えられている。医師が、数多くの業務をこなして長時間働くという現状があり、現在の医療レベルは、医師の滅私奉公によって支えられているからだ」という、もっともらしい解答が用意されている。「ベルトコンベア式診療」、「クレーム患者の存在」、「患者たらい回し」、「医師不足」、「効率化医療」、「コンビニ受診」など原因はさまざまであろうが、身も蓋もない結論を言うならば、「医療者が医療に不快感を示している」からである。だから、この病院での研修では、せめてその一点だけでも払拭させたいと願う。ここでの研修というのは、症例を経験することだけではなく、どういう患者を、どういう上級医と、どういうふうに考えるかで、限られた情報と資源との中で、いかに愉快に、かつ有意義に過ごすかを追求することなのである。そういうことを探り当てるのも、重要な知的技術だし、意欲的思考だと思う。及川先生(当院脳外科医・副院長)が臨終を告げる現場に遭遇した。「今から、じいちゃんにしてあげられる最後のことをすっから。いいかい、じいちゃんの胸と口に手を当てて、よーく耳と掌で感じるんだよ。がんばってきたけんど、心臓と呼吸が止まってしまったんだよ」「自分以外の人間に最後にしてあげられること」、言葉にすれば単純なことかもしれないが、それは死の確認作業だった。当たり前のことかもしれないし、私が言うのもおこがましいが、先生は、かつて私が所属していた大学病院医師が束になっても教えられなかった看取りを、一瞬で示してくれていた。私は、「医療はこうあるべきだ」というようなことをずっと考えてきた。大学病院なのだから、最後の砦なのだから、という気持ちで使命を果たそうとした時期もあった。そして、それが叶わなければ、勝手に憤り、利己的にやる気をなくしていた。今になって思えば、そういう態度だった理由は、「資源を度外視する大学診療が正論だ」と考えていたからである。ここでの医療の正論は、患者の中にあった。持てる能力を駆使して、医療という現場を生き抜いてこられたことに大きな自信と誇りとを持っている。しかし、厳しさの中での経験が、自信過剰で鼻持ちならない傲慢な医師、あるいは逆に虚無的で無機質な医師を生む可能性があることも、同時に自覚している。20代の私は、自己欺瞞と傲岸不遜とで自分が何者かも分からず、ましてや他人も、そして世の中も分からなかった。他人を振り回し、他人に振り回されていた。30代になっても落ち着くことはなく、精神はますます偏狭に、態度はますます狷介となった。思慮が足りず、早合点しがちで、行動がときに上滑りし、ちょっとしたことで自己嫌悪し、短気で気難しく、過信と煩慮とで迷走していた。英国に留学し、苦労したことで、35歳を過ぎた頃から少しずつ世間を知り、40歳を超えたあたりで、ようやく深遠でも高慢でもなく、ごく日常的な次元で物事を客観的に捉えられるようになってきた。個別的、具体的なことよりも、普遍的、抽象的なことに関心が向くようになった。移り変わる物事を追いかけるよりも、変わらない事柄を考えている時間の方が長くなり、自分が何者で、何ができ、何ができないかが、ようやく理解できるようになった。そして私は、この地で、再び翻弄されている。被災地での取り組みに刺激され、触発され、身もだえしている。ここには、キャリアを積んだ医師たちが迷っている現実があり、いい大人たちが逡巡している現場がある。そういう私たちの“ためらいの行動”というものに、どうか共鳴してもらいたい。研修医にとって、ここはある意味、異質な空間かもしれない。「あるようでいて、それすらもないもの」、「ないようでいて、実は見えていないだけ」というものがたくさんある。医療者として患者の治療はもちろんだが、住民の生活にも入り込んでもらいたい。そして、たとえば、仮設住宅に住む人々の健康管理の一端を担ってもらい、彼らの身体情報を次の研修医へと伝え、バトンを渡すように申し送り、受け継いでいってもらいたい。実際、亀田総合病院からやって来た研修医の彼は、仮設を1区画ごとに回り、“熱中症予防”に関する講話を展開している。高齢者からも、「孫が来たようだ」と大変評判が良いようだ。当院の研修カリキュラムは、(少なくとも私にとっては)研修医のためのものではなかった。恥ずかしいことだが、私自身の目標を改めて自覚させるものであった。卒後研修医たちは、明確化されたシラバスを吟味して、研修病院を探すことであろう。医師が、医療以外のさまざまな行事やボランティアに参画していることから、ここには、シラバスに乗せられない何かがある。研修カリキュラムは予め存在するものではなく、これからの研修医たちと創っていくものであった。私は、人と付き合うことが愉しくなり、人に任せることが頼もしくなった。そして、少しずつだが、自分のやりたいことが分かってきた。

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大学病院勤務医に聞く!「時間治療」(クロノテラピー)、取り入れてますか?

臓器や組織の時刻依存的な機能性に着目し、治療効果を高め副作用を小さく留めるように一日の中の"時刻"を意識して行なう治療法が、「時間治療」(クロノテラピー)として注目されています。今回は大学病院勤務の先生方に対し、がん治療のほか糖尿病・高血圧など生活習慣病においても効果・活用方法が研究されつつあるこの考え方について、認知度や活用実態を尋ねてみました。結果概要はこちらコメントはこちら設問詳細「時間治療」(クロノテラピー)についてお尋ねします。あらゆる臓器や組織の機能性が、「サーカディアンリズム」と呼ばれる周期で時刻依存的に毎日の調節を受けているとされ、こうしたメカニズムから「どの時間帯にどのような疾患リスクが高まるか」といったことが徐々にわかってきています。こうした考えから、病気の治療に"時間のものさし"の視点を導入し、「治療効果を高め、副作用を小さく留めるように一日の中の"時刻"を意識して行なう治療法」が、「時間治療」(クロノテラピー)として注目されています。副作用の起きない範囲で大量に抗がん剤を投与するのが基本とされるがん治療に加え、腎臓疾患、その他糖尿病、高血圧、脂質異常症などの生活習慣病においても、時間治療の効果および活用方法が研究されています。そこで先生にお尋ねします。Q1. 「時間治療」(クロノテラピー)をご存知でしたか?知っている知らなかったQ2. (「知っている」とお答えになった先生のみ)「時間治療」(クロノテラピー)の考え方を治療に取り入れていますか。取り入れている今後取り入れたいと考えている取り入れていない自分の専門分野では対象外だと思うその他(       )Q3. コメントをお願いします(どのように取り入れているか、今後知りたいこと、患者からの要望などどういったことでも結構です)アンケート結果Q1. 「時間治療」(クロノテラピー)をご存知でしたか?Q2. (「知っている」とお答えになった先生のみ)「時間治療」(クロノテラピー)の考え方を治療に取り入れていますか。2012年7月20日(金)~26日(木)実施有効回答数:674件調査対象:CareNet.com医師会員のうち大学病院および関連施設の勤務医結果概要大学病院勤務医の3人に1人が"時間治療"を知っている全体の34.0%が時間治療(クロノテラピー)について「知っている」と回答。「知らなかった」と回答した医師からも、「エビデンスや具体例などを詳しく知りたい」といった声が多数寄せられた。20人に1人が「既に取り入れている」、10人に1人が「今後取り入れたい」と回答知っている医師のうち、時間治療の考え方を治療に取り入れているとした回答者は16.6%(全体の5.6%)。抗がん剤治療のほか、降圧剤の服用時間を夜間にするといったコメントが寄せられた。取り入れていない医師からも「今後の研究結果次第では積極的に取り入れたい」とした声が多く見られた。「自分の専門分野では対象外だと思う」と回答した医師は9.6%。また「抗がん剤使用は夜間の方が有効だが、点滴の煩雑さから夜勤看護師の協力は得難いと思われる」といった、実施する上での環境面の制約を挙げた声も見られた。CareNet.comの会員医師に尋ねてみたいテーマを募集中です。採用させて頂いた方へは300ポイント進呈!応募はこちらコメント抜粋 (一部割愛、簡略化しておりますことをご了承下さい)「抗癌剤治療のときに取り入れています。」(40代,内科)「プラセボ効果が大きいと思う。 」(50代,眼科)「どの時間帯に薬を投与した方が良いという考え方は新しいと思う」(30代,外科)「うつに対する光療法として取り入れている」(30代,精神・神経科)「ABPMや家庭血圧による血圧日内変動の評価を行った上で適応のある患者には降圧薬の一部の就眠前投与を行っている.」(40代,内科)「全く初めて聞きました。ベーシックなことから教えていただきたいです。」(50代,血液内科)「コンプライアンスの高い患者なら、時間治療の考え方は効果があるかも知れませんね。 ちなみに、ショートパルスみたいな使い方でステロイドを使うことが多いのですが、夜に飲むと不眠などの症状が問題になりやすいので、朝に飲んでもらっています。これ、時間治療ですね。」(40代,耳鼻咽喉科)「抗ガン剤治療などに取り入れてみたい」(60代,泌尿器科)「時間治療の効果が発揮できるように降圧剤を就寝前に投与する」(50代,循環器科)「発熱の副作用の多いサイトカイン療法は夜間に行う。」(40代,泌尿器科)「夜間の抗がん剤投与は病棟スタッフのサポート体制を考えると現実的ではない。従来通りの昼間の抗がん剤投与を行っている。」(30代,血液内科)「もっと一般的になれば実施したい。」(40代,小児科)「抗がん剤治療で有効性を高めるのと副作用を抑える効果が期待できる。具体例を教えてほしい」(40代,外科)「概日リズムも大切だが、それ以上に臨床上重要な部分が他にあると思う。」(40代,循環器科)「ACE阻害薬による乾咳を防ぐために、ACE阻害薬を夕方に投与している。」(60代,循環器科)「現時点で使わなくても良い状況にある。 対象となる患者の選択方法などがあると良い。」(50代,精神・神経科)「脳出血の発症がどうしても朝方に多いことと、降圧薬の内服が朝だとたとえ持続性であるとはいえ効果が切れてくるのが朝方になるのが重なってしまうため、持続型の降圧薬を基本的に夜に内服するように処方している。」(30代,脳神経外科)「医者のように不規則な生活リズムで生活していたら恩恵に預かれないのでしょうか」(30代,外科)「精神科では、よく話をきく。」(30代,アレルギー科)「現在の所は未解明な部分が多いが、解明が進むにつれて少しずつ取り入れたい。 ただ、時間治療について知るにつれ、自分の不摂生を大きく恥じるかもしれないのが辛い。」(20代,総合診療科)「降圧薬、スタチン、甲状腺ホルモン剤等の夕食後投与。ステロイド薬の午前中投与などで取り入れている。」(50代,代謝・内分泌科)「内分泌疾患では関連あると思っていましたが、がん治療で関係があるとは思いませんでした。」(40代,小児科)「興味はあり、今後の研究結果次第では積極的に活用してゆきたいと考えている。」(30代,小児科)「 高血圧などでは時間帯による変動の激しい人がいるので勉強したい。 」(50代,血液内科)「そもそも糖尿病や高血圧などの昔からの処方タイミング自体が時間治療にあたると思う」(30代,代謝・内分泌科)「サーカディアンリズムはともかく、これが治療に応用できるということは全く知らなかった」(40代,救急医療科)「もっと直感的に分かる名称がいいと思います。」(40代,脳神経外科)「心筋梗塞や脳梗塞の発症は、朝方に多いので、モーニングサージや朝方の交感神経の高まりを抑制するように、夕方に処方を変更したりなど行っています。」(40代,循環器科)「抗がん剤使用では夜間の方が有効だが、点滴の煩雑さから、夜勤の看護師の協力は得難いと思いわれる。」(40代,呼吸器科)「がん治療に実際どのように取り入れられているか知りたい」(30代,外科)「サーカディアンリズムに個人差がないのか、それによる治療効果の差がないのかが気になる」(30代,内科)「ある程度考慮しています。ただしケースバイケースです。」(40代,膠原病科)「クロノテラピーについて、根拠のある否定的な意見と肯定的・推進的意見を両方とも知りたい。」(30代,神経内科)「クリニカルパスと連動してできたら良いと思う。」(30代,血液内科)「現時点では効果は部分的なものだと思う.マスコミなどで画期的な方法のように取り上げられているのは違和感を感じる.」(50代,膠原病科)「時間により治療を行う方針は間違ってないと思うが、現在のようなエビデンスベースの医療ではそのエビデンスを示すことは難しいと考えます。」(40代,リウマチ科)「夜間に抗癌剤投与を行うほうがいいとする意見があったが、夜間投与中に副反応などが生じた時のリスク対処を考えるとベネフィットは少ないと思う」(30代,呼吸器科)「夕方・夜間の抗がん剤投与は、マンパワー不足で、現実的に無理」(30代,血液内科)「生体における個体差をどのように克服できるのかが不安でもあります。」(50代,外科)「もっと学術的な後押し、証明がなされたら取り入れる。テレビの影響で患者からの要望は多いが、より科学的なデータを望む。」(30代,消化器科)「患者からの要望はあるが、今後も取り入れる予定はない。」(40代,泌尿器科)「時間栄養学が提唱されており、夜間に食事をすると肥満しやすいことの理論的根拠が確立されてきた。 時計遺伝子が食事をはじめ体のリズムを調整している。スタチン製剤を夕方に処方するのも脂肪合成の日内リズムに基づいている」(60代,代謝・内分泌科)「サーカディアンリズムに従えば,有り得る治療と思う.」(40代,皮膚科)「睡眠覚醒リズムの補正が感情・情緒の改善に不可欠であると教育している。」(40代,精神・神経科)「H2 blockerは1回のときは夜に使用している。」(40代,外科)「神経疾患にも取り入れられているのか知りたい。特にステロイド大量療法(パルス療法)でも導入されているのか?」(40代,神経内科)「人間の体は不思議なもので、いつの間にか勝手に治るというのが、これで実証されていくのかと勝手に想像します。すべて知りたいです。」(30代,循環器科)

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福島での意味

南相馬市立総合病院神経内科 小鷹 昌明 2012年6月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 ※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。  「MRICの記事を読みましたが、本当のご意見をお聞かせください」ということで、数回程度インタビューを受けた。それらは、医療系ジャーナリストやテレビ局ディレクター、写真家、新聞記者、難病患者支援団体、あるいは個人的な研究目的でやってきた人たちであった。質問の中心は、決まって「なぜ、大学病院を辞めたのか? 目的は?」ということであった。一言、「かつての自分を取り戻すため」と言えれば格好いいのかもしれないが、暫定的に「私の中にも、まだまだチャレンジグでエキサイティングな部分が残されているのか」、「被災地の人たちとのネットワークとはどういうものなのか」、「医療を中心とする街の復興には何が必要なのか」、延いては、「感動や生きがいをどうすれば味わうことができて、いかにすれば、それを持続させられるのか」、そして、「そのためにはどのように個性を引き出せばよいのか」など、思いつくまま漠然と回答した。しかし、そのような返答では十分な理解を得られないらしく、「なぜ、福島県浜通りの、この放射線被爆地帯なのか?」というように、質問は続いた。確かに私は、大学病院を退職するにあたり、「准教授など、成りたくても成れないのだよ」という説得を何度も受けた。“成りたくても成れないものにようやく成れる”という満足を得たいのか、“やりたかったらすぐやらせてもらえる”という納得を求めたいのか。結局、私は後者を選択しただけである。それは、「発動したいことが発動できて、発言したいことが発言できる」という現場で、すなわち、思想に則って生きられる境遇である。無論どこへ行ったとしても、私の言説がすべて正しいわけではけっしてないし、やりたい行動がすべて許されるわけでもない。赴任して2ヵ月が経とうとする中で、この土地にもだいぶ慣れてきた。桜は散り、新緑の眩しさも一段落したこの時期に、インタビューを受ける度に自問自答してきた“ここに来た理由”について、再度考察を加える。人間は本来、我が儘で、身勝手で、自分よがりな生き物である。若い頃の私は、状況を省みずに行動し、周りを振り回し、周りからも翻弄されてきた。「変化や変革を求めていくことが人生だ」という考え方しかできなかったし、常に“正解”にたどりつくよう“意味”を求め、“等価”を条件に人生をやり過ごしてきた。歳を重ねるごとに、“適応”や“維持”といったものが行動の原則であると感じるようになってからは、“正解”を得ることではなく“成熟”を待つことが、生きるうえでも、医療を行ううえでも大切であると認識するようになった。“正解”は即断即決を理想とするが、“成熟”は時間が大切である。神経難病のような患者を診たり、周囲の仲間との同調を図ったりしていくには、私自身も長期的な視野のもとで、長いスパンをかけて自分の置かれている立場を理解し、心身の変調に素直に従い、これまで見えていたものが見えなくなり、見えていなかったものが視界に入り、次第に変化する世の中の相貌を解釈する大切さを自覚するようになった。そういう“定常状態”というか、“低目安定”を生きるための術を考えるようになり、その一環として、成るべくして成っていく“システムとしての機能”の重要性にも気付かされてきた。そして、私は、この南相馬市を訪れた。就任して間もなく、私はこの病院で一人目の患者を看取った。高齢者の広範囲な脳梗塞で、来院したときには既に昏睡状態であった。「せめて一命を取り留めなければ」と、施した救急処置によって小康状態を保つことができた。縁もゆかりもない、右も左も分からない、知り合いなど誰もいないこの土地の患者に対して、それはもう、ただ医師の責務として、条件反射的に行った医療行為であった。残念ながら、患者は3日後に亡くなった。この患者は超高齢であり、過去にいくつもの疾病を抱えてきたし、正直を言えば、いつお迎えが来てもおかしくない方だった。もちろん医師として、特別な事情がなければ人命救助は当たり前であり、延命処置にも積極的である。それは、どのような患者、どのような現場、どのような状況においても同様である。だから、「この人ひとりを助けることに、どんな意味があるのだろう」などと考える余地は、当然ない。いくら私とて、そのような想いは、感覚として身に付いている。そういうことを考えると、世の中というものも「偶然その場に遭遇し、意外にも手を差し伸べることになり、行きがかり上そうなった」という行為の集まりで成り立って欲しいと願う。「たまたまそこに出くわしてしまったが故に、巻き込まれて、なんだか知らないけどいろいろやってしまった」という、言ってみれば、そういう合理的でないものに人は動かされるし、意味付けは後からなされるものである。“意味”とは、ある価値に則った合理性のことだが、意味があることの方が正しくて、そうした価値観でしか物事が動かない世の中よりも、偶然居合わせてしまった状況で、意味を度外視して行動できる世の中の方が、ずっと暮らしやすいような気がする。医療行為で言うならば、私と偶然出会わなかった違う誰かの診療は、違う誰かの手によって、本能的でもよいから円滑に行われて欲しい。「異なる地域の誰かの相手は、その地域の誰かがやってくれるだろう」と思えば、さほど気にせず、それほどプレッシャーにも感じず、それぞれの地域で、それぞれの医療者が余裕を持って働いていける。私がこの地に来て、最初に感じた理想としての医療は、「当たり前のことが当たり前になされる体制」についてであった。医師の私が言うのも気が引けるが、人助けや人命救助なんてものに、さしたる意味など考えない方がいいのかもしれない。意味を超えた行為だから、人はどんな現場でも、それを実行することができるし、理由など考えずに仕事に没頭できるのである。そもそも人道的支援などというものは、ものすごく衝動的で、我欲的で、こう言っては何だが自己満足的な行為である。合理的どころか、理性的でも、分別的でもほとんどない。私がここに来たことも、そういうことなのかもしれない。冒頭の部分で、何とか動機を考えてはみたものの明確な説明ができなかった理由は、結局そういうことのようである。「何かをしよう」というよりは、無意味、不合理、非論理的、直観的な部分に、単に突き動かされて来た。きっとそれだけだったのかもしれない。救急車で運ばれて来た女性患者は、頭部外傷だった。仕事中に誤って側溝に落ち、コンクリートに額をぶつけた。擦過傷は骨まで達していた。結果的に5針を縫う処置となったために、縫合中に何度か痛みを訴えた。しかし、その声は終始明るく、痛みに耐えるというよりは、何かと闘っている形相で、むしろ痛いことを噛みしめているようだった。しかし、そうした態度も、現状を聞かせてもらうにつれて涙声に変わった。聞くところによると、親と息子とを津波で失い、全ての家財を無くした患者自身も、仮設暮らしであった。額の傷と心の傷と、どちらもキズには違いないが、「明るくなければ生きられない」、「笑っていなければがんばれない」と、言葉を絞り出していた。この患者にとって、本当に痛いのは額の傷ではなかった。そんなものよりは何倍も何倍も辛い、厳しい今の生活実態があった。意識消失発作の精密検査を目的として入院した女性患者は、やはり仮設入所者であった。車の運転中に突然意識を失い、そのまま自損事故を生じさせた。器質的な疾患は検出されず、問診して判ったことは、鎮痛薬依存ということであった。絶え間なく自覚する頭痛に対して、市販の鎮痛薬を多量に服用していた。覚醒作用を有する沈痛成分は、初期には不眠を導く。そうした現象を打ち消すために睡眠導入薬も、同時に多用していた。狭い仮設の部屋内では、いわゆる“嫁姑問題”が絶えなかった。密着した生活環境では、たとえ家族であったとしても、些細なことで人を苛立たせる。「電気を消せ」、「風呂の水を使いすぎるな」、「静かに歩け」などの口論が日常茶飯事であった。失われた家の権利を巡って家族は対立し、「誰も信用できない」と打ち明けた。だからと言って、どこかで身体を休めることもできず、家計を支えるためには、肉体労働を重ねるしかなかった。退院のときまで、面会者はいなかった。どんな世界でも生きていくのは大変である。それは、被災地に限ったことではないかもしれない。しかし、想像を絶するほどの圧倒的な現実が、住民を覆っていた。この険しい日常がこの地を囲っていた。確かに震災など起こらなくとも、非日常はいかようにも日常の中に潜り込んでくる。小さなトラブルは常に起こっているし、大きなアクシデントだって、いつ発生するとも限らない。雷雨や突風、竜巻や台風、事件や事故など、明日、何があるか分からないのが、今の世の中である。しかし、偶発的にどんな災害が発生しようと、大きな事故が起ころうと、悲惨な事件が生じようと、当たり前だが、そのようなものに意味などない。余地や予見など、できようにもない。だから、私は、その瞬間までこの日常を続けるしかないであろうし、多くの人もそうであろう。それが“生きる”ということなのではないか。結果的にそこが自分に与えられた環境となり、ここで生きるしかないと覚悟したときに、人は初めて口惜しさとか、妬ましさとか、自分の邪悪さとか、罪深さとか、攻撃性とか、生きていくことを考える。偶然にも昨日は何事もなく、今日を、この瞬間を迎えることができた。だからといって、それがずっと続く保証もない。次には、新しい別の何かが非日常となって発生する。しかし、この些細な日常が剥ぎ取られて非日常を経験したとしても、絶望を感じたとしても、私たち庶民にできることは、次の日常が回復するまで、ひたすら昨日と同じ暮らしを続けるしかないのではないか。ここには、耐えている人たちが大勢いる。生きる意味を必死に探している人たちがいる。だから意味を追求しようとして取り組んでいる人たちや、強い使命感や合理性で行動している人たちを、もちろん否定するつもりはない。メディアや外部の人はそれを求めたがるし、その方がすっきりしていて分かりやすいのも事実である。インタビュアーたちは、私の“人道的使命感”だとか、“職業的責任感”だとか、“良心的義侠心”だとかいう回答を期待していたようだが、実際のところは、単なる興味や関心だけで、めぐり逢い、立ち入り、成るべくして成るように、たまたまたどり着いてしまった。そして私は、今、この現場にどういうわけか居合わせている。何の脈絡もなく、なんの因果もなくここにいる。ここで必要なのは合理性でも、論理性でも、ましてや理屈や道理でもなかった。ひたすら、丁寧に患者と対峙するだけの現実的日常だけであった。もしかすると、それが私にとっての、ここでの“意味”なのかもしれない。結局、私は何をしに来たのか。何がしたいのか。福祉や介護だとか、ネットワークだとか、生きがいや感動などと言っているが、もちろん、そうしたものを充実させたいし、実践していく心づもりはある。しかし、だからと言って、それらを極めたり、達せられたりできるとは思っていない。“システムとしての機能”のためには、長い長い年月をかけた成熟が必要である。出会いや思いつきや触発を繰り返していく中で、少しずつ周囲との協働が構築され、本質というか、意義というか、そういうものが自ずと見えてくるのではないだろうか。たとえ本質にたどり着けなくとも、その過程を何かに応用して、何か役に立つものとして実行できればそれでいいと思う。今の私の考察から考えると、できることは、結局そういうことなのかもしれない。

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タダ(無料)ほど高い物はない~医療の無駄について~

つくば市 坂根Mクリニック坂根 みち子 2012年6月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 ※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。 福島県が独自に18歳以下の子供の医療費を無料にするという。これについて全国保険医団体連合会や著名人たちが中心となって福島の子供たちの医療費をタダにすべしと国にも訴えている。大変言いにくいが反対である。一見聞こえのいいスローガンだが、タダほど高い物はない。結局子供たちのためにならない。ただには多くの無駄がもれなくセットで付いてくる。これから先、福島原発に関連してお金は果てしなく掛かる。貴重な財源は本当に必要な時に必要な人に届くような制度設計にしなくていけない。医療に携わっている者なら、ただ(無料)の分野にいかに無駄が多いか知っているはずである。右肩上がりの社会ならば無駄も含めて許容することもあるだろう。だが現実を見て欲しい。今の日本にそのゆとりはない。結局必要な人に使われるべき財源が無駄な部分に使われ、真に必要な人に医療が届かなくなる。今回と同じように子供の医療費無料をうたう自治体や政治家が多い。選挙民の受けはいいがコンビニ受診を誘発している。時間外の医療費は通常の1.2倍から1.5倍掛かるがタダだと使う方にもその認識がない。自分の懐が痛まなければ、仕事を早く切りあげて時間内の病院に行こうというインセンティブが働かない。税金の無駄使いである。過重労働の勤務医対策としても逆行する。時間外のコンビに受診は医療者をとても疲労させる。まして福島県は医師や看護師が足りず四苦八苦している。どうしてもやるなら子供の時間内の医療費無料とすべきである。身体障害者の1級は医療費が掛からない。例えば心臓弁膜症で手術を受けた場合やペースメーカーを入れた場合は、現在では手術前より元気になってまったく普通に暮らせる人が多いが、術後は無条件で身体障害者1級となる。以後の医療費は生涯すべて無料である。疾患に関連する部分のみ無料とか、元気になって普通に暮らせるようになるまで無料という制度ではない。一度1級になると生涯無条件に更新される。一見誰も困らないのでこちらもずっとおかしいと言われながら放置されたままである。透析患者についても同様のことが言える。 以前は腎炎からの透析が多く、透析導入されると田畑を売ってお金を工面しなければいけない時期があった。多くの先人たちの苦労の末、透析はお金の心配をしなくても受けられるようになった。ところが、現在の透析導入理由は糖尿病が一位である。外来もしくは入院で食事や運動療法の指導をしても、まったく聞く耳を持たずに結局最後は透析導入、心筋梗塞、脳梗塞となっていく人もいる。この方々も透析となった時点で身障者1級、医療費はほぼ無料となるが、糖尿からの透析は様々な合併症が出てくるために一人当たりの医療費がと突出して多くなる。生活保護の人たちは医療費が掛からない。最近ようやく統計的にも明らかにされたが、軽症でも繰り返し病院に掛かる人たちがいる。病院側でも確実にお金が取れるので、外来のみならず、入院させて隅々まで検査を繰り返し、3カ月毎に転院してまた繰り返すといういわゆる貧困ビジネスに手を染める病院が後を絶たない。そこまでいかずとも、経営的に苦しい病院では阿吽の呼吸で生保の人たちに少しずつ余分な検査をして稼ぐのは日常茶飯事である。取りっぱぐれがなく、一見誰の懐も痛まないのでこの制度には付け入る隙があるのである。国は医療に営利化を促す点数をつけている。民間の医療機関は赤字になるくらいなら点数の取れる検査や治療をするのは当たり前である。不安定狭心症で心臓カテーテル治療をした人がいた。治療して元気になったがその間一旦職を失ってしまった。同時にやる気も失ってしまったらしい。本人は職探しをするより生活保護を申請した。こちらは労務の可否欄に当然可と書いた。面談に来た役所の人にも、生保より仕事を斡旋して欲しいと話した。すると、役所では話はするが自分でハローワークに行って仕事を捜す以外斡旋はできないと言われた。結局その人は生保をもらい続け、日がな一日テレビを見て糖尿病は悪化していった。健康に不安を持つ人は多い。病院に来てあれもこれも調べて欲しいという方はよくいる。それが病院にとっても利益となり患者の負担にもならなければ、いったい誰がそれを拒むというのだろう。そこで訴訟のリスクも負ってまで余分な検査はすべきでないと患者を説得する医師がどれほどいるだろうか。大学病院をはじめとする公立病院では働く方のコスト意識も低い。大学病院のような高度医療を提供するところに対して医療の内容を吟味するには、相当の専門的力量が要る。従って支払基金も高度医療提供病院の医療内容に関してはかなり素通りが多い。だが、レセプト上位 1%の人が総医療費の30%近くを消費し、レセプト上位 10%の人が総医療費の実に7割を占めているという。総額の医療費が事実上決まっている中で、高額医療費を使い続ける人が増えれば、一方で必要な医療が届かない人たちがでる。問題は目の前の患者に医療費という観点からは無自覚に医療を提供し続ける医療者側にもあるし、枝葉末節にばかり目を向けて、本来その医療が必要かどうかチェックする体制を作ってこなかった支払基金や厚労省にもある。聖域は要らない。すべて公開して欲しい。本質的な点検をやるには支払い側も専門的知識が必要になり、そうなると医療者側にも緊張感がもたらされる。書類さえ整っていれば素通りで、貧困ビジネスにも無料の医療分野にも踏み込まない、枝葉末節にばかり神経を使う今の支払い基金はない方がましである。同時に厚労省の不作為ぶりも目に余る。保険は互いの支え合いのシステムである。医療費の無料という大きな権利を手に入れる時には、医療費は謙抑的に大事に使わなくてはならないという義務も一緒に知って頂かなくてはならない。小学生の頃から社会保障のシステムと使い方を繰り返し教育しなくてはいけない。医療費は無料の人でも明細書を受け取りいくらかかったのか知らなくてはいけない。自分の医療が皆の保険料と税金に支えられていることを理解しなければならない。厚労省は、権利ばかり教えて守らなければいけないルールについて周知する努力はしているのだろうか。まさかそれは文科省の仕事と考えているわけではあるまいか。作家の曽野綾子氏が著書「老いの才覚」の中で、健康保険を出来るだけ使わないようにすることが目標の一つです。幸い健康なら、保険を使わずに病気の方におまわしできてよかったなと思うと述べられていた。この精神が医療保険を維持するために不可欠だが、残念ながらこう考えられる人はとても少ない。先日99才でペースメーカーを入れている人の家族から間接的に相談があった。もうすぐペースメーカーの電池が切れる可能性があるが電池交換に主治医が難色を示していると、家族は希望しているのにどうしたらいいでしょう、ということだった。なんといっていいのか返答に詰まった。セーフティーネットとしての保険の意味を理解していない。電池交換は、最低でも100万円かかる。身体障害者1級なので本人と家族の負担はない。保険は助け合いのシステムです。ペースメーカーのおかげで99歳まで心臓が止まらずに生きてこられたのならもう十分でしょう。どうぞそのお金は後進に譲ってください。そこまで言わないといけないか。この場合自費なら交換してくれと言うだろうかという意地悪な考えも浮かんでくる。罹る疾患によって医療格差が大きくなっている。特定疾患の指定を受けていない難病や高価な抗がん剤を毎月飲み続けなければいけない人にとって、医療費の工面が死活問題となっている。子供たちのワクチン接種も先進国の中で大きく後れを取っているが、財源がネックとなっている。一方、身障者の認定や生保など医療費が無料となる制度では、医療の進歩や相互扶助の精神が制度に反映されず、結果として一部の人たちは野放図に医療費が使えることになっている。透析や身障者であっても払える方には払っていただきたい。生保の人にも一旦払っていただきたい。身体障害者の認定は今の時代に合ったものに改定し本当に必要な人だけに出してほしい。今、医療費は決定的に足りない。医療機関は原価計算をしない公定価格のために慢性の赤字体質であり、医療費のかなりの部分が医療機関を通り越して営利企業に行っている。連続勤務の夜勤を寝ている扱いにして労働基準法違反からも賃金面からもスルーされている勤務医の労働環境もいつまで経っても手当てされない。健康保険は助け合いのシステムであるという啓蒙もなく、無料の医療費を使うときのチェック体制もなく、施された医療の内容を検証する体制がない今のシステムのままでこれ以上無料を増やしてはいけない。モラルハザードが増え大切な医療費が垂れ流されている。今の日本は生活保護者が200万人を越え、団塊の世代は退職し、子供が減って高齢者が増え、若者は就職できずにいる。つまり無産層が増え税金を払う人が減っているということである。その少ない納税者にとってほぼ恒久化した復興増税を含め、近年は実質増税が続き可処分所得は減り続け生活は真綿で首を絞めるように苦しくなっている。東電の賠償金も廻り回って納税者が払うことになるだろう。国に請求するということは、納税者全員で分担しましょうと同意義語である。国も自治体も安易に無料をうたってはいけない。口にする方は気持ちがいいかもしれないが、それはあなた達のお金ではない。本当は子供たちの借金である。今、福島の子供たちの未来を考えてすることは医療費を無料にすることではない。必要な人にはあとから還付すればいい。そこに必ずセットで付いてくる無駄がもったいない。結局子供たちのつけを大きくしてしまう。今の日本にそれだけのゆとりはない。子供たちの未来を考えるからこそ、1円たりとも無駄にしてはいけないのである。

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第34回 日本血栓止血学会学術集会のご案内 会長の内山氏より

2012年6月7~9日に新宿のハイアットリージェンシー東京で第34回日本血栓止血学会学術集会が行われます。会長の内山真一郎氏より寄稿文をいただきました。是非ご覧ください。2012年6月7~9日に新宿のハイアットリージェンシー東京で第34回日本血栓止血学会学術集会を会長として主催致します。本学会のテーマは「血栓症への挑戦」です。血栓症は世界の死因の3割を占める人類最大の疾患です。私は日本人に最も多い血栓症である脳卒中を専門としていることから、このようなテーマを選びました。脳卒中、心筋梗塞、末梢動脈疾患といった動脈血栓症や、深部静脈血栓症や肺塞栓症といった静脈血栓症は、死亡や身体障害の主要な原因となっていることから社会的な関心も高く、このようなテーマを本学会で取り上げることは国民のニーズに答える意味でも意義が大きいと考えます。血栓症はあらゆる臓器の障害を生じることから、極めて多岐にわたる診療科が関与しており、学際的な疾患病態であるといえます。平成23年3月11日、我が国は未曽有の大震災に見舞われ、多くの人命が失われました。この東日本大震災では、震災後に血栓症による心血管死も多く発生したことが報じられています。そこで、本学術集会では、特別企画として「震災関連死と血栓症」について取り上げました。抗血栓薬は長い間、アスピリン、ワルファリン、へパリンの時代が続きましたが、近年、分子標的薬が次々と開発され、新規抗血栓薬が臨床現場でも使用されるようになり、抗血栓療法は新時代を迎えています。また、血管内治療も新たなデバイスが次々と開発され、著しい進歩がみられます。本学術集会では、基礎と臨床のクロストークによる活発な議論が展開され、日本発の多くのトランスレーショナルリサーチが芽生えるような契機となればと願っています。特別講演として、ミシガン大学のHassouna先生には抗リン脂質抗体症候群について、ボストン大学のHylek先生には新規抗凝固薬について、京都大学の江藤浩之先生にはiPS細胞研究の血栓止血領域への応用について講演をしていただきます。また、会長要望シンポジウムとして「脳動脈再開通療法の進歩」と題して、脳梗塞急性期治療に大変革をもたらそうとしている血管内治療を取り上げました。さらに、多くの教育講演、関連学会との合同シンポジウム、SPCシンポジウム、共催シンポジウムが予定されています。会場となるハイアットリージェンシー東京は、東京のどこからもアクセスが便利な新宿駅に近く、新宿駅周辺には無数のショップやレストランがあり、歓楽街の歌舞伎町も至近距離であり、学会と同時に国際都市東京のエンターテインメントも存分にお楽しみいただければと存じます。皆様の御来場を心よりお待ちしております。 第34回日本血栓止血学会学術集会会長 内山 真一郎東京女子医科大学医学部神経内科学講座主任教授

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【速報】「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版」はここが変わる!

 4月26日(木)、日内会館(東京・本郷)にて「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版」の発行に関するプレスセミナーが行われ、本ガイドラインの主な改訂点が発表された。主な改訂点は以下の通り。●絶対リスクの評価による層別化 これまでのガイドラインでは、健常者に対する相対的リスクで評価がなされてきたが、個々を絶対リスクで評価できないことは課題とされてきた。しかしながら、NIPPON DATA80をもとにリスク評価チャートが発表され、個々のリスクを絶対評価で表現することが可能となった。これにより、個人が有する危険因子を総合的に評価でき、性差や加齢の影響も解消できると期待されている。●動脈硬化性疾患の包括的管理 多くの患者は生活習慣病を併せもっており、常に包括的な判断が求められてきた。今回初めて、それぞれのガイドラインのエッセンスを織り込み、動脈硬化性疾患予防のための各種疾患(脂質異常症、高血圧、糖尿病、その他)の包括的なリスク管理チャートが加わった。●診断基準境界域の設定 これまで脂質異常症における治療エビデンスはリスクの高い患者を対象とした試験が多かった。このため、あくまで絶対リスクが高い場合に限り、治療を勧めるものであり、診断基準がそのまま治療対象となるわけではないことを認識する必要がある。このことから、診断基準では「スクリーニングのための」という記載が加えられている。 その一方で、糖尿病や脳梗塞のような危険度の高い一次予防については、早期の治療介入が予後を改善させるという多くのエビデンスがある。このため、リスクの高さに応じて判断できる境界域が設定され、治療介入が可能な領域についても提案されている。●高リスク病態 近年、CKDに伴う脂質異常とCVDリスクの関係などの報告から、新たに慢性腎臓病(CKD)が高リスク病態として扱われることとなった。 また、強力なスタチンの登場により、家族性高コレステロール血症(FH)は認識されずに治療されていることも多く、かつ、そのリスクは高いことから「原発性高脂血症」とは別項目として取り扱われている。これまで検討されてきたLDL-C100mg/dL未満よりもさらに厳しい目標値(very high riskグループ)設定の是非については、日本人でのエビデンスがないことから継続的な検討課題とされた。●non HDL-Cの導入 non HDL-CとCVDの関係を示すエビデンスの報告から、non HDL-Cがリスク区分別脂質管理目標値に加えられた。高TG血症、低HDL-C血症ではLDL-C値に加えて、non HDL-C値を加えることにより、リスク予測力が高まるとされている。 また、TCとHDL-Cから簡便に計算でき、食後採血でも使用できる点やFriedewald式が適用できない高TG血症にも使用できる点などは利点といえる。 本ガイドラインは2012年5月末の発行を予定しており、その詳細内容については2012年の7月に福岡で行われる「第44回日本動脈硬化学会総会」にて紹介される予定となっている。

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強化スタチン治療中患者に対するナイアシン併用の付加効果は?:AIM-HIGH

アテローム硬化性心血管疾患を有するLDLコレステロール値が70mg/dL未満の患者に対して、スタチン治療に加えてナイアシンを併用投与した結果、HDLコレステロール値とトリグリセリド値は有意に改善されたが、臨床的ベネフィットの増加は認められなかったことが明らかにされた。心血管疾患を有する患者は、スタチン療法でLDL目標値が達成されても心血管リスクは残存する。一方で、シンバスタチンと拡張徐放性ナイアシン併用との検討で、シンバスタチン単独よりも併用投与のほうがHDL値を上げるのに優れることは知られるが、そのような残存リスク低減に優れるかどうかは明らかになっていなかった。報告は、米国・バッファロー大学のWilliam E. Boden氏ら「AIM-HIGH」試験グループの検討によるもので、NEJM誌2011年12月15日号(オンライン版2011年11月15日)にて掲載された。3,414例を対象にプラセボ対照無作為化試験 AIM-HIGH試験は、被験者3,414例を、徐放性ナイアシン1,500~2,000mg/日投与群(1,718例)、またはプラセボ投与群(1,696例)に無作為に割り付け行われた。被験者全員、LDL値40~80mg/dLを維持するため、必要に応じてシンバスタチン40~80mg/日と、エゼチミブ(10mg/日)を投与された。主要エンドポイントは、冠動脈疾患による死亡・非致死的心筋梗塞・脳梗塞・急性冠症候群による入院・症状に応じた冠動脈または脳の血行再建の複合の初発イベントとした。HDL値、TG値は有意に改善したが本治験は平均追跡期間3年を経た時点で、有効性に欠けるとして中止された。解析の結果、2年時点で、ナイアシン治療によってHDL値は中央値35mg/dLから42mg/dLまで有意に上昇し、トリグリセリド値は164mgから122mg/dLまで低下し、LDL値は74mg/dLから62mg/dLまで低下した。一方で、主要エンドポイントの発生は、ナイアシン群で282例(16.4%)、プラセボ群で274例(16.2%)で発生し、ハザード比は1.02(95%信頼区間:0.87~1.21)で有意差は認められなかった(P=0.79)。(朝田哲明:医療ライター)

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