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デジタル化で急成長を遂げた「脳トレ」市場「脳トレ」は、今では日本におけるいわば現代用語として定着した観がある。大型書店に行けば、幅が数メートルになるような「脳トレ」コーナーの展示棚もある。そうした本をめくってみると、四字熟語、算数、間違い探し、点つなぎなどが主流である。これらは、どうも懐かしさや、勉強したという満足感をその読者に与えるようだ。実際、学習塾系や受験参考書を扱う出版社から発行されたものが少なくない。蛇足ながら、山川出版の日本史の教科書、研究社の『新々英文解釈研究』なども同じような意味からか、高齢者がよく購入すると聞く。いずれにしても、こうした脳トレ関連現象は日本独自なものかとも思われる。ところで認知症予防や軽度認知障害(MCI)・認知症の治療としての脳トレはさておき、記憶の鍛錬法には歴史がある。たとえば、記憶術として指や場所を用いるもの、記憶を高める儀式や香などは紀元前からあったようだ。筆者が1980年代以降の欧米や日本で経験したものでは、見当識障害を改善し現実認識を深めることを目的とするリアリティ・オリエンテーションや、場所法と呼ばれる記憶術などがあった。もっともどれもその実行は容易ではなかった。多くは紙を媒体としたドリル、またメモ書きとその習慣的見返しなどの指導が行われてきた。個人的には、どれもそう簡単に身に付くものではなかったという印象がある。現在、欧米における脳トレの主体はBrain TrainingとかCognitive Trainingと呼ばれ、その多くはインターネットを媒体とする。これらはComputer Based Cognitive Training (CBCTとか CCTと略)と総称される。そして高齢者のみならず働く現役世代も広く対象としている。加えて、うつ病や統合失調症のような精神疾患にみられる認知機能障害への効果も数多く報告されている。ゲームを製造する欧米の主立った会社は2000年以降に創立されたが、産業としての脳トレは短期間に急成長している。2005年当時にはわずかに200万ドルであった市場規模が、2013年には13億ドル、2022年には78億ドルの巨大産業にのし上がっている。脳トレによる認知症予防の検証が活発にとくに高齢者の認知症予防はこの市場の中でも大きな部分を占めるだろう。その大きな契機となったのが、2016年7月の国際アルツハイマー病学会(AAIC)で米国国立衛生研究所(NIH)と民間会社であるPosit Science社が行ったアメリカ国内での臨床試験の報告だろう。そこでは脳エクササイズである「スピードトレーニング」により、認知症のリスクが半減したと報告された。その後にも、退役軍人協会の会員を対象に運転技術についての効果が検証されている。ここでもこうしたトレーニングをやることで自損事故が半減したと報告されたのである。さて過去20年ほどの間に、高齢者を対象に多くのCCTによる介入研究がなされてきた。一言で高齢者と言っても、対象は認知症やMCIの人、あるいは知的健康人である。最近ではこうした研究のレビューやメタアナリシスも報告されている1,2,3)。その結果、概して「小さいながらも統計学的に有意な効果」が報告されている。そしていくつかに分類される認知機能のうち、非言語性の記憶、言語性記憶、作動記憶、視空間技術、処理速度に効果があるとされる。しかし遂行機能や注意については、有意な効果はほぼ得られていない。一方で、CCTの運営・実施方法についても検討されている。やっぱり、と思うのは、グループでやるトレーニングに比べ、個別トレーニングでは効果がないということである。一体感とか競争心などが大切だということだろう。また一見逆説的ながら、週に3回以上のトレーニングは3回以下に比べて効果が劣るとのことである。筋トレなどでも類似の注意をする指導者がいる。これは毎日のようにやると、飽きて新鮮味がなくなり、注意力や集中力が欠けてくるということなのだろうか?長期的な介入、認知機能分野の複合的な効果に期待一方で多くの問題点や課題も指摘されている。まず介入期間の問題である。多くはせいぜい3ヵ月程度であり、例外的に長いものでも1年程度である。これでは短期的な効果はともかく、年単位の長期効果、まして認知症予防効果などにはとても言及できない。次にタスク、つまり介入の内容や問題は、伝統的に、注意、記憶、地誌的機能など神経心理学的な観点に基づいて作成されてきた。そこでわかっているのは、たとえば注意のタスクをやれば注意の機能で改善があるというように、やった分野は確かに伸びることである。しかし注意をやれば記憶というほかの認知機能分野も伸びるのかといったトランスファー(転移)効果の問題が注目されてきた。これまでのところ、この効果は難しそうだと考えられている。そうしたことから、タスクは伝統的な個々の神経心理学的分野から発展させた複合的なものが、より効果的だと考えられつつある。終わりに、2018年にアメリカの神経学会によりなされたMCIについてのガイドライン4)では、具体的な対応法として2つだけが述べられている。まず、週2回、6ヵ月以上の運動である。そして「数は少ないが、認知トレーニングの有効性も報告されている」と記されている。このようなことから「脳トレ」には、臨床医学としてさらなる成長が期待される。参考1)Lampi A, et al. Computerized cognitive training in cognitively healthy older adults: A systematic review and meta-analysis of effect modifiers. Pros Med 2014;11: e1001756.2)Bonnechere B, et al. The use of commercial computerised cognitive games in older adults: a meta-analysis. Sci Rep. 2020;10:15276.3)Lampit A, et al. Computerized Cognitive Training in Cognitively Healthy Older Adults: A Systematic Review and Network Meta-Analysis. medRxiv. 2020 Oct 11.4)Petersen RC, et al. Practice guideline update summary: Mild cognitive impairment: Report of the guideline development, dissemination, and implementation subcommittee of the American Academy of Neurology. Neurology. 2018;90:126-135.