サイト内検索|page:58

検索結果 合計:1187件 表示位置:1141 - 1160

1141.

郷に入っても郷に従わず その4 ~食事の心理学

ハーバード大学リサーチフェロー大西 睦子 2012年5月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 ※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。 前回のコラムで、人工甘味料と肥満や糖尿病の関係は、体の生理的反応と人間の行動的、心理的な要素が関与していることをお伝えしました。そこで今回は、『食べる』という行動が起こるまでの心理的な状況を、さらに深く考えたいと思います。例えば、みなさんが5人のお友達とレストランに行くことを想像してみてください。おそらく、5人とも違うメニューを選ぶことが多いと思います。私は和風パスタとチーズケーキを選んだのに、あなたはサラダにステーキを選んだ理由、それはなぜでしょうか。けっこう深い理由があるのです。1)嗜好最近の科学雑誌に、様々な文化の異なるヨーロッパ諸国において、1600人以上の子供たちを対象に、食事の嗜好と肥満の関係についての報告がありました。結果は、肥満の子供たちは、脂肪や糖分の多い食事を好んだということでした。動物実験で、食欲を抑制するホルモンであるレプチンが、空腹感を抑えるだけではなく、食べ物の嗜好にも関与していることがわかってきました。例えば、レプチン濃度が低いと、空腹感が増強するだけではなく、食べ物による喜びも増加します。●ということは、人種や文化の違いにかかわらず、肥満の子供は、高脂肪で甘い食べ物を摂取することによる喜びが強いと考えられますね。2)学習私たちは生後まもなく、食に対する行動的、感情的な反応を覚えます。この頃、親は重要な役割を果たします。なぜなら母親の食事は母乳に移行し、後の子供の嗜好に大きく影響するためです。従って、特に母親の食の影響は強いと思われます。離乳後、子供は自分で食べ始めますが、新しい食べ物に拒否反応を示し、少なくとも繰り返し10回以上経験して、ようやく受け入れます。このころの経験も、後の好き嫌いに影響します。さらに、食べることは、罪と報酬の意味もあります。食事の量や食べるスピードも、親の影響が大きいと考えられています。『ぐずぐずしないで、早く残さず食べなさい。』なんて、親に叱られた経験はありませんか?子供は食べ物を残すことに罪を覚え、出されたものは全部食べる習慣がつきます。3)再学習私たちの食事の好みは幼少期の経験に決まると考えられていますが、大人になって、再学習することによって好みを変えられることも報告されています。●これは、いいニュースです。子供の頃の悪い習慣を、大人になって変えるチャンスがあるのですから。4)食欲ドーパミンは、連続した学習による行動の動機付け(associative learning)と関係している神経伝達物質です。食事開始後、ドーパミンの分泌が上昇し、食欲が増強します。重要なのは、連続した学習によって、食べ物を想像するだけで、ドーパミンが分泌されるようになるのです。例えば、食べ物の写真、料理の音やにおいでドーパミンが分泌され、食欲が増加します。ストレスでもドーパミンの分泌が増え、過食になります。コカイン、覚せい剤は、ドーパミン分放出させ快感を起こします。セロトニンはドーパミンをコントロールする神経伝達物質です。食欲を抑えるには、ドーパミン分泌を抑制し、セロトニンを放出することとなります。最近、インスリンやレプチンもドーパミンに影響を与えることも報告されています。●やる気、ご褒美、学習などに関わるドーパミンは、脳の『快楽物質』とも呼ばれています。ドーパミンをたくさん増やしたい!と思いがちですが、やはりバランスが大切と思います。それは、5)の中毒に関係するからです。5)習慣、依存、中毒これは大トピックです。習慣、依存、中毒には、行動(心理的)問題が大きく影響します。2010年に、動物実験により、過食による肥満の脳内の分子経路が、麻薬中毒者のものと同じだとする報告があり、大変な話題になりました。米国フロリダ州のポール・ケネディ准教授の研究チームは、コカイン中毒者の脳内ではドーパミンが大量に放出され、ドーパミン2受容体が過剰に刺激されていることは明らかになっていましたが、同様な変化を「食事中毒」のラットで証明したのです。●食に限らず、人生において、喜び、幸せは大切ですが、実際はそれだけではないと思います。苦しみ、悲しみを克服しつつ得る喜びを経験することが、人間の成長につながるのではないでしょうか。私もそうなりたいと思います。6)感情感情、例えば、喜び、怒り、悲しみ、不安も肥満に影響します。肥満のひとでは、食事摂取による感情の変化に違いがあるとも言われています。肥満の人は、食べることで報酬を得ます。●誰でも美味しい物を食べると嬉しくなりますが、嬉しさの度合いが肥満の人は強いようです。7)決定意思決定は、自動的に即座にされる経路(これはかなり訓練されています)と、ゆっくりですが、コントロールした上で行われる経路と2種類あります。食べる行為に、この決定は重要な役割があると思いますが、残念ながら、動物実験モデルをつくることが難しく、まだまだ不明な点が多い分野です。●例えばみなさんが飲み物を注文するとき、『とりあえず生ビール(メニュー見ずに注文する人もいると思いますが)』という人もいますし、メニューをよく読んで『このカクテル下さい。』という人もいます。自分で決められず『お勧めは何ですか。』と店員に聞く人もいます。どうしてこんなに人は最終的な意志決定が違うのでしょうか?最後に、肥満には、環境の影響も大きな問題になってきます。環境とは、車など、便利な社会になったため、人々が動かなくなった点、スーパーマーケット、コンビニなどで、高カロリーの食品を消費者が買いやすくしている点(そういった商品が増えた、安くなった、目に留まる位置に置いてある)などです。駅のキヨスクで、大根やキュウリが売っているのは見かけたことはありませんが、お菓子はすぐに買って、すぐに食べることができますよね。『不便、面倒』という言葉は、売り文句にはなりにくいですが、思っているほど悪くはないかもしれません。

1142.

タダ(無料)ほど高い物はない~医療の無駄について~

つくば市 坂根Mクリニック坂根 みち子 2012年6月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 ※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。 福島県が独自に18歳以下の子供の医療費を無料にするという。これについて全国保険医団体連合会や著名人たちが中心となって福島の子供たちの医療費をタダにすべしと国にも訴えている。大変言いにくいが反対である。一見聞こえのいいスローガンだが、タダほど高い物はない。結局子供たちのためにならない。ただには多くの無駄がもれなくセットで付いてくる。これから先、福島原発に関連してお金は果てしなく掛かる。貴重な財源は本当に必要な時に必要な人に届くような制度設計にしなくていけない。医療に携わっている者なら、ただ(無料)の分野にいかに無駄が多いか知っているはずである。右肩上がりの社会ならば無駄も含めて許容することもあるだろう。だが現実を見て欲しい。今の日本にそのゆとりはない。結局必要な人に使われるべき財源が無駄な部分に使われ、真に必要な人に医療が届かなくなる。今回と同じように子供の医療費無料をうたう自治体や政治家が多い。選挙民の受けはいいがコンビニ受診を誘発している。時間外の医療費は通常の1.2倍から1.5倍掛かるがタダだと使う方にもその認識がない。自分の懐が痛まなければ、仕事を早く切りあげて時間内の病院に行こうというインセンティブが働かない。税金の無駄使いである。過重労働の勤務医対策としても逆行する。時間外のコンビに受診は医療者をとても疲労させる。まして福島県は医師や看護師が足りず四苦八苦している。どうしてもやるなら子供の時間内の医療費無料とすべきである。身体障害者の1級は医療費が掛からない。例えば心臓弁膜症で手術を受けた場合やペースメーカーを入れた場合は、現在では手術前より元気になってまったく普通に暮らせる人が多いが、術後は無条件で身体障害者1級となる。以後の医療費は生涯すべて無料である。疾患に関連する部分のみ無料とか、元気になって普通に暮らせるようになるまで無料という制度ではない。一度1級になると生涯無条件に更新される。一見誰も困らないのでこちらもずっとおかしいと言われながら放置されたままである。透析患者についても同様のことが言える。 以前は腎炎からの透析が多く、透析導入されると田畑を売ってお金を工面しなければいけない時期があった。多くの先人たちの苦労の末、透析はお金の心配をしなくても受けられるようになった。ところが、現在の透析導入理由は糖尿病が一位である。外来もしくは入院で食事や運動療法の指導をしても、まったく聞く耳を持たずに結局最後は透析導入、心筋梗塞、脳梗塞となっていく人もいる。この方々も透析となった時点で身障者1級、医療費はほぼ無料となるが、糖尿からの透析は様々な合併症が出てくるために一人当たりの医療費がと突出して多くなる。生活保護の人たちは医療費が掛からない。最近ようやく統計的にも明らかにされたが、軽症でも繰り返し病院に掛かる人たちがいる。病院側でも確実にお金が取れるので、外来のみならず、入院させて隅々まで検査を繰り返し、3カ月毎に転院してまた繰り返すといういわゆる貧困ビジネスに手を染める病院が後を絶たない。そこまでいかずとも、経営的に苦しい病院では阿吽の呼吸で生保の人たちに少しずつ余分な検査をして稼ぐのは日常茶飯事である。取りっぱぐれがなく、一見誰の懐も痛まないのでこの制度には付け入る隙があるのである。国は医療に営利化を促す点数をつけている。民間の医療機関は赤字になるくらいなら点数の取れる検査や治療をするのは当たり前である。不安定狭心症で心臓カテーテル治療をした人がいた。治療して元気になったがその間一旦職を失ってしまった。同時にやる気も失ってしまったらしい。本人は職探しをするより生活保護を申請した。こちらは労務の可否欄に当然可と書いた。面談に来た役所の人にも、生保より仕事を斡旋して欲しいと話した。すると、役所では話はするが自分でハローワークに行って仕事を捜す以外斡旋はできないと言われた。結局その人は生保をもらい続け、日がな一日テレビを見て糖尿病は悪化していった。健康に不安を持つ人は多い。病院に来てあれもこれも調べて欲しいという方はよくいる。それが病院にとっても利益となり患者の負担にもならなければ、いったい誰がそれを拒むというのだろう。そこで訴訟のリスクも負ってまで余分な検査はすべきでないと患者を説得する医師がどれほどいるだろうか。大学病院をはじめとする公立病院では働く方のコスト意識も低い。大学病院のような高度医療を提供するところに対して医療の内容を吟味するには、相当の専門的力量が要る。従って支払基金も高度医療提供病院の医療内容に関してはかなり素通りが多い。だが、レセプト上位 1%の人が総医療費の30%近くを消費し、レセプト上位 10%の人が総医療費の実に7割を占めているという。総額の医療費が事実上決まっている中で、高額医療費を使い続ける人が増えれば、一方で必要な医療が届かない人たちがでる。問題は目の前の患者に医療費という観点からは無自覚に医療を提供し続ける医療者側にもあるし、枝葉末節にばかり目を向けて、本来その医療が必要かどうかチェックする体制を作ってこなかった支払基金や厚労省にもある。聖域は要らない。すべて公開して欲しい。本質的な点検をやるには支払い側も専門的知識が必要になり、そうなると医療者側にも緊張感がもたらされる。書類さえ整っていれば素通りで、貧困ビジネスにも無料の医療分野にも踏み込まない、枝葉末節にばかり神経を使う今の支払い基金はない方がましである。同時に厚労省の不作為ぶりも目に余る。保険は互いの支え合いのシステムである。医療費の無料という大きな権利を手に入れる時には、医療費は謙抑的に大事に使わなくてはならないという義務も一緒に知って頂かなくてはならない。小学生の頃から社会保障のシステムと使い方を繰り返し教育しなくてはいけない。医療費は無料の人でも明細書を受け取りいくらかかったのか知らなくてはいけない。自分の医療が皆の保険料と税金に支えられていることを理解しなければならない。厚労省は、権利ばかり教えて守らなければいけないルールについて周知する努力はしているのだろうか。まさかそれは文科省の仕事と考えているわけではあるまいか。作家の曽野綾子氏が著書「老いの才覚」の中で、健康保険を出来るだけ使わないようにすることが目標の一つです。幸い健康なら、保険を使わずに病気の方におまわしできてよかったなと思うと述べられていた。この精神が医療保険を維持するために不可欠だが、残念ながらこう考えられる人はとても少ない。先日99才でペースメーカーを入れている人の家族から間接的に相談があった。もうすぐペースメーカーの電池が切れる可能性があるが電池交換に主治医が難色を示していると、家族は希望しているのにどうしたらいいでしょう、ということだった。なんといっていいのか返答に詰まった。セーフティーネットとしての保険の意味を理解していない。電池交換は、最低でも100万円かかる。身体障害者1級なので本人と家族の負担はない。保険は助け合いのシステムです。ペースメーカーのおかげで99歳まで心臓が止まらずに生きてこられたのならもう十分でしょう。どうぞそのお金は後進に譲ってください。そこまで言わないといけないか。この場合自費なら交換してくれと言うだろうかという意地悪な考えも浮かんでくる。罹る疾患によって医療格差が大きくなっている。特定疾患の指定を受けていない難病や高価な抗がん剤を毎月飲み続けなければいけない人にとって、医療費の工面が死活問題となっている。子供たちのワクチン接種も先進国の中で大きく後れを取っているが、財源がネックとなっている。一方、身障者の認定や生保など医療費が無料となる制度では、医療の進歩や相互扶助の精神が制度に反映されず、結果として一部の人たちは野放図に医療費が使えることになっている。透析や身障者であっても払える方には払っていただきたい。生保の人にも一旦払っていただきたい。身体障害者の認定は今の時代に合ったものに改定し本当に必要な人だけに出してほしい。今、医療費は決定的に足りない。医療機関は原価計算をしない公定価格のために慢性の赤字体質であり、医療費のかなりの部分が医療機関を通り越して営利企業に行っている。連続勤務の夜勤を寝ている扱いにして労働基準法違反からも賃金面からもスルーされている勤務医の労働環境もいつまで経っても手当てされない。健康保険は助け合いのシステムであるという啓蒙もなく、無料の医療費を使うときのチェック体制もなく、施された医療の内容を検証する体制がない今のシステムのままでこれ以上無料を増やしてはいけない。モラルハザードが増え大切な医療費が垂れ流されている。今の日本は生活保護者が200万人を越え、団塊の世代は退職し、子供が減って高齢者が増え、若者は就職できずにいる。つまり無産層が増え税金を払う人が減っているということである。その少ない納税者にとってほぼ恒久化した復興増税を含め、近年は実質増税が続き可処分所得は減り続け生活は真綿で首を絞めるように苦しくなっている。東電の賠償金も廻り回って納税者が払うことになるだろう。国に請求するということは、納税者全員で分担しましょうと同意義語である。国も自治体も安易に無料をうたってはいけない。口にする方は気持ちがいいかもしれないが、それはあなた達のお金ではない。本当は子供たちの借金である。今、福島の子供たちの未来を考えてすることは医療費を無料にすることではない。必要な人にはあとから還付すればいい。そこに必ずセットで付いてくる無駄がもったいない。結局子供たちのつけを大きくしてしまう。今の日本にそれだけのゆとりはない。子供たちの未来を考えるからこそ、1円たりとも無駄にしてはいけないのである。

1143.

福島の医療現場から見えてきたもの

南相馬市立総合病院 神経内科小鷹 昌明 2012年6月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 ※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。 2012年3月5日の福島県は、朝から雪だった。震災から1年が経とうとするこの日は、私が大学病院・准教授を退職してから初めて勤務する、市立病院への挨拶の日であった。私は郡山市のホテルから、浜通りまでの足をどう確保したらいいかを考えあぐねていた。病院事務に電話で尋ねたところ、「福島駅までは新幹線で行き、そこからタクシーを利用すればいい」との返答であった。関東の人間から見れば、「まさか」と思うような積雪量であったが、指示された方法は当たり前の交通手段だった。飯舘村を横切る阿武隈山中の県道は除雪されており、事務職員の言うように簡単に往訪を果たした。雪は小雨に変わり、降りしきる南相馬市の街並みは寒々しく、寂しかった。タクシー運転手と昼食を求めてレストランを探したが、オープンしている店はココスだけであった。のっけから不安を感じたが、病院の復興を願う院長・副院長の言葉は熱く、帰り際には事務職員一同が、立ってお辞儀をしてくれた。南相馬市の医療現場に行くことを打ち明けた数少ない知人の中で、私が福島県人からいただいた言葉は、『大学の現場の第一線で活躍されてきた先生が、被災地の医療機関にやって来てくれるということ、そのこと自体が“復興”であると感じました。今の福島には、先生のような明るさと勢い(すみません!)がとっても必要です。私は、「決意して来ました」と熱く語られる人の言うことよりも、「いや~、勢いだけで来ちゃって、やっちゃたかなぁ」と、笑って理由を話してくださった先生がとても好きになりました』という内容だった。正直、虚勢を張った部分もあるにはあったが、自分は期待され、注目され、勇気づけられた。これまでも何度か述べてきたように、私は、「より必要とされる現場に赴く」というシンプルな考察結果を得たので、この地を訪れたのだが、その一言がとても嬉しくて、嬉しくて、自分はこの土地でやっていけると思った。4月から本格的な勤務が始まった。そこには、一般診療科に混じって総合診療科や在宅診療科などが立ち上がっていた。14人いた常勤医は震災直後に一時期4人に減ったが、産婦人科医や小児科医が戻り、外科医も新たに加わり、現在15人に増えていた。いろいろなキャリアを積んだ医師が、いろいろな立場と役割とで、いろいろな働き方で働いていた。自分のやりたい理想の地域医療の実践を求めて、文字通り奮闘していた。それが実に快活というか、風通しが良いというか、気兼ねのない伸び伸びした雰囲気を感じた。意外にも、先輩医師の配慮からか、私の技術がすぐに求められるという状態ではなかった。すでに、非常勤にしろ、ボランティアにしろ、多くの医療者の支援が入っていた。私の診療すべき患者が外来に溢れているという状態では、けっしてなかった。ただ、半数近くの医師は、月単位、あるいは1年程度で移動していく派遣医師であった。もちろん、そうした応援はありがたいことではあったであろうが、短期的な支援しかできない医師では、患者の、延いては市民の信頼も定着していかないのではないか。慣れてきた頃に撤退しなければならないという、とても効率の悪い、綱渡り的な診療体制が続いていた。「今度新しく来た先生ですね。でも、また半年くらいで交代ですか」というような質問を、数人の患者から受けた。この病院で完結するような標準医療を提供するには、人の手はまだまだ足りなかった。隠さずに言うならば、医局でもっとも忙しそうで目立っている人は、それらの応援医師を束ね、もてなすとともに管理しなければならない、元気な“医局秘書”であった(秘書は仮設住宅にお住まいだった)。就任して1ヵ月、私は秘書より早く出勤することも、遅く帰宅することもなかった。南相馬市では、7万1千人いた人口が震災後に1万人にまで減少したが、現在4万6千人(3月末)に回復している。しかし、65歳以上の高齢者がそのうちの3割強を占め、仮設や借り上げ住宅での生活者は、合わせて2割にのぼる。被災地の中でも、原発問題を抱えるこの浜通りの疎外感は、おそらく特異的なものなのではないか。とにかく子供がいない。日曜日なのに公園に人がいない。だから、非常に静かであり、老人も、孫の“おもり”をする必要がない。高齢者は家に閉じ籠もりがちになり、支援の手が届かなければ、やがて“孤立死”が多発することは目に見えている。高齢化が加速度的に進行するこの地域の医療をどうしていけばいいのか。きれい事を言うならば、放射線被曝の低減は当たり前で、それに加えて雇用の確保、生活インフラの整備、教育、医療、福祉の充実、そして、文化的な暮らしを推進していかなければならない。経済や産業の停滞と、生活や文化の低下したこの土地に人が流入しないとしたら、市民は市民の力で支え合っていくしかない。現地でヘルパーを養成するとか、ケア・マネや介護士資格のある人に復帰してもらうとか、保健師にもっと権限を持たせるとか、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)をどんどん推進するとか、治療食をデリバリーするとか、NPOに業務を委託するとか、診療のサポートをすることはもちろんだが、職種を越えた“地域連携医療ネットワーク”の構築が急務だと感じた。南相馬市には、離散してどこでどうしているか分からない人たちが、まだまだたくさんいる。医療の提供側においても、子供を持つ母親の多くがこの土地を離れ、今では、医師よりも看護師や介護士不足の方が深刻である。このため市立病院では、4病棟のうち1病棟が稼働できないでいる。原発事故を契機に転院を余儀なくされた難病患者の多くも、病床不足で市内に戻れない。市に残った神経難病患者に、「もっとも厳しい状況は何か?」を尋ねてみた。「震災前は、デイ・ケアやショート・ステイを利用することができたが、他の土地でも働けるような健康な人たちがバラバラになってしまったので、福祉や介護を支える人が減ってしまった。これまでのサービスを受けられないので、家にいるしかない。しかし、その分、妻に大きな負担を強いてしまっていることが何より辛い」と話されていた。原発に対してストレートな怒りをぶつけるような人は、もうあまりいないし、津波被害の落胆を語る人も、それほど多くはない。そういう意味では、震災後のことを尋ねても、住人の気持ちはさまざまである。「もう、悲惨な過去ばかりを強調するのではなく、復興と再生なのではないか」という風潮と、「まだまだ多くの爪痕を残し、暗く沈んだ空気のままだ」という雰囲気とが交錯している。「復興に向けてがんばろう」と思っている人と、「なるようにしかならない」と思っている人とで、二分されているような気がする。つまり、「結構熱いが、肩の力は完全に抜けている」、そんな印象である。浜通りの人々にとっての海や大地というのは、単なる労働用地でも、物的資源でも、固定資産でもない。自分たちとは分離することのできない恵みや悦びの場であり、いわば共同のエリアである。そんな拠り所を奪われた人々の気持ちとは、一体どういうものなのか。自分の人生の再建に対して逡巡し、思案し、葛藤しているのが、今のこの土地における偽りのない、人々の姿なのではないか。「仮設は3年くらいしか住めない。土台作りもいい加減だからいつまでも住めるはずがない。東電の補償もいつまで続くか分からない。帰れるのか、それともここに新しい街を作るのか。それにしても、一体何が新しい生活なのだろうか?」という自問や、「飲んで食って寝るだけだから、楽と言えば楽だ」、「ここに居るしかないのだから諦めているというか、他に行くところもないから家に閉じ籠もっている」、「パチンコと散歩くらいしかやることないな」と打ち明けている住民に対して、何を届けていったらいいのか。「一夜にして解決できる」と凄んでいる説明や、「被災地に行ったら逆に励まされた」というような紋切り型の感動は、もう薄っぺらな言説にしか思えない。現状を目の当たりして、私は考えを是正せざるを得なかった。「何かを始めたい」と意気込んでは来たものの、“医療復興”というのは、システムを創造したり、パラダイムを変換したりすることではなかった。むしろ丁寧に修繕するとか、再度緻密化するとか、改めて体系化するとか、有機的に規模を拡大するとか、人を集めてそれらを繋ぐとか、そういうことが医療の復興であった。震災から1年が経過したこれからの時期は、言ってみれば救急処置を済ませた後の長い長いリハビリ期間である。“丸ごと刷新”とか、“そっくり改正”いうのではなく、手厚く手直しをしていくことである。復元とか修正とか補正とか綻びを繕うとか、そういうことである。だから私は、そういう場面を捉えたいと思っているし、データで示されないような事実を文章にして伝えたいのだが、そういうことは学術と一線を画する作業であり、学者からは一蹴されるに決まっている。医療の相手は一般の人々であるはずなのに、日本の医学界の中枢にいる人たちの対象は、やはり医師仲間であり、そんな仕事は間違ってもしない。であるからして、私のような医療の周辺にいる人間が言葉を置き換えて、分かりやすい事例を添えて“別の角度から見た医療”を、一般の方に説明しなければならない。そのためにも、直向(ひたむき)に自分というものを手がかりに思索し、自身の感じる違和を大切に、他者と向き合っていくつもりである。市立病院で展開されるであろう医療の現実を伝えていきたい。これが、私が福島に来たもうひとつの理由なのかもしれない。人が人に冷たくなれるのは、その土地に対して人間の出入りが多いときである。流動的な世界では、じっくり人間関係を組み立てることができない。「若い無知な人をじっくり育てる」とか、「老いた非力な人をゆっくり見守る」とか、あるいはまた、「傾いた商店を長い付き合いだから応援する」とか、「地元の特産品や伝統工芸を守ろう」とかいう気にならない。他人のために何かをするということは、想像するほど簡単なことではない。「人間は、自分で体験したことでないと分からない」と、つぶやいていた患者の言葉が引っ掛かる。支援者というのは、時として、当事者を置いてきぼりにして、自分が主役になろうとすることがある。だから、こういう状勢のときは、駆け回って何かをするのもいいが、本当はゆっくり話しを聞くところから始めなければならない。兎にも角にもゆっくり訴えを聞く。聞いて、見て、感じることである。そうした診療はとても地味な作業であり、根気が要る。あまりにも地味なので、「何もしていない」と思われるかもしれないが、新参者の私にできることは、結局、当面、取り敢えずは、人を好きになることぐらいしかなかった。『from FUKUSHIMA to our future』というようなニュアンスの言葉を、どこかしこで聞く。新しい生活に対して、「だいぶ落ち着いてきた」という声も確かに聞く。しかし、それは、やむを得ない選択肢の中での落ち着きであって、低位水準での安定であった。現実には、その土地に居るものにしか分からない、さまざまな葛藤が繰り広げられるであろう。昨年の夏に来たときよりも街の灯りは増えた。ココス以外にも、たくさん飲食店はあった。初めて暮らす潮風の街にも慣れつつある。そして、何よりも小雨の日でも寂しくなくなってきた。生活を立ち上げたばかりではあるが、何とかがんばれそうだ。この市立病院は、市民にとっての最後の砦であり、終着駅でもあった。そして、復興の拠点であり、シンボルであった。かろうじて津波の難を逃れた、市内でもっとも高い7階建てのこの巨塔は、医師4人、患者0人から奇跡的にも再建を果たしつつある。医療者たちの孤軍奮闘により、充分とはけっして言えないが、紛れもなく機能は保持されている。筋萎縮性側索硬化症やパーキンソン病など、進行するだけの疾患を扱う私のような神経内科医は、日々のメンテナンスの仕方を知っている。私は、己のそういう知識を応用して、この街の復興に役立てていくつもりである。

1144.

南相馬市立総合病院での初期研修について

 亀田総合病院初期研修医1年 山本 紘輝 2012年5月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 ※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。 初めに、昨年起こった東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げます。南相馬市立総合病院にて実習をおこなった経験から、当院における今後の研修の可能性について私見を述べさせて頂きます。私は母親のルーツが相馬であったこともあり、3.11の災害が起こった後、微力ながら被災地でのボランティアを行いたいと考えておりました。初期臨床研修マッチングの結果、研修が予定されていた亀田総合病院の片多史明先生や、南相馬市立総合病院の金澤幸夫先生、及川友好先生のお力添えの元、国家試験が終わった後に、南相馬市立総合病院にて1週間の実習を行う機会を頂きました。当院では高校の先輩であり、亀田総合病院の先輩でもある原澤慶太郎先生の下でお世話になりました。原澤先生は昨年秋から南相馬市立総合病院で勤務されており、この地の高齢者医療を先導され、約2000人の仮設住宅住民に対して集会所での出張予防接種を行い、血圧の自己測定を根付かせる活動を行っています。さらに4月には在宅診療部を立ち上げました。復興対策のメンバーとして常に革新的なアイディアで、南相馬の復興のみならず、この地がこれから東京、北京で起こる急速進行性の超高齢化社会”Rapidly progressive aging society”のモデルになると考え、日々新しい計画を生み出しています。亀田総合病院では地域選択実習にて南相馬市立総合病院での研修が可能ですが、私としては初期研修の2年間を南相馬にて行うメリットは大きく分けて3つあると考えております。1つめに初期研修は医療の基礎を学ぶ最も大事な2年間ですが、医療において地域に貢献すること、そして複雑な問題を抱えて困っておられる方々に向き合う精神を養うことは重要と考えます。研修を行いながら、未曾有の大災害後の被災地で地域に貢献することは大変有意義と考えます。被災地の現状は自分の目で見なければ分かり得ないと感じました。私は訪問診療に同行させていただいた際、介護者の疲弊を垣間みました。彼ら自身も、震災により避難を余儀なくされ、放射線の影響を危惧し続け、ストレスを受けながら1年以上過ごしています。疲れはピークに達していることでしょう。レスパイトやショートステイで介護者を休ませてあげることが急務となっています。仮設住宅への訪問診療では他にも驚かされた事がありました。部屋が寒く、そしてお風呂の段差があり高齢者にとって、非常に危険な環境でした。実際に段差による事故も起こっています。行政が考える被災地への支援政策と、実際のニーズとがかけ離れていると私は感じました。また、多職種との連携なくして、地域医療は成り立たないという現実も実感することが出来ました。2つめのキーワードとして「Rapidly Progressive aging society(RPAS)」という環境下で医療を行えることにあります。聞き慣れない用語かもしれませんが、南相馬では震災の影響で、放射線の影響を懸念した若い世帯が被災地を離れ、高齢者のみが取り残されてしまっている社会が形成されています。家族の離散は、既存の介護力の低下を意味し、生活に大きな変化をもたらしました。孫に会えず、寂しがっておられたお年寄りの姿には胸を打たれました。RPASを経験することがなぜ大切か、それは20年後の東京、25年後の北京に近似した世界が、南相馬という限定された地域に広がっているからに他なりません。近年、超高齢化社会と少子化が急速に同時並行で起こっています。その結果、当然高齢者中心の社会が形成され、社会のニーズも変化していきます。その変化に対応するためには、このような環境で研鑽を積み、次世代へと繋ぐsolutionを模索することが重要ではないでしょうか。3つ目に被曝に対する知識を深めることがあります。当院では、内部放射線被曝量を量るためのホールボディーカウンター(WBC)を用い、地域住民に対する検診が行われています。住民の方々は何を食べれば、どう行動すれば安全かを知りたいですし、それがわかれば安心して被災地で生活を続けることができるでしょう。被曝に関する知識を深め、住民の方々にフィードバックすることは、この先数十年、この国が取り組むべき課題を先取りすることでもあります。特殊な環境であるかもしれません。しかしながら、私はこの国で医師として働くにあたり、極めて未来志向な、問題解決能力を養える環境が南相馬市立総合病院にはあると感じました。現地で、日々奮闘されておられる先生方、スタッフの方々のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

1145.

インタビュー:ときわ病院 精神神経科・内科 宮澤 仁朗氏 ~剤形から考える抗精神病薬の服薬アドヒアランス~

統合失調症治療では、患者が積極的に治療に参加することで服薬アドヒアランスの向上を促し、再燃・再発の抑制が期待できるといわれている。治療参加の方法の1つとして、患者自身による薬剤や剤形の選択があげられる。現在、抗精神病薬は各製品ごとに様々な剤形が販売されているが、2012年5月、非定型抗精神病薬のアリピプラゾール(製品名:エビリファイ)の新たな剤形として口腔内崩壊錠(以下、OD錠)が発売された。薬物治療の選択肢がさらに増えた現状を踏まえ、患者の剤形選択の現状や、今後の剤形開発に対する期待などについて、ときわ病院 精神科 宮澤仁朗氏にお話を伺った。宮澤氏はこれまでに、数々の抗精神病薬の治験に携わり、新しい剤形の開発時のアドバイザーとして活躍するなど、積極的に新薬に関する考察を述べられている。■剤形選択に関する現状と課題――実際の臨床現場において患者さんは剤形選択に関してどのような認識をお持ちなのでしょうか。宮澤 2009年に統合失調症の患者さんを対象に実施された、剤形に関するアンケートの調査結果(n=135)1)によると、56%の方が服用している薬剤の剤形について医師から説明を受けていない、と考えていることが示されています。また、一方で、自分で服用する薬剤の剤形を選択したいと回答した患者さんは72%にも上ることもわかっています。理想と現実にギャップがありますね。医師は、実際には説明を行っていたとしても、患者さんがそれを認識していない可能性も考えられ、コミュニケーションにはさらに注意を払う必要があるでしょう。しかし、一方で、現状では、精神科医師の不足や診療報酬等の関係から、1人の患者さんにかけられる時間は限られており、我々医師の努力に加えて、制度面の整備も必要ではないかと思います。■各剤形をどのように使い分けるのか?~宮澤氏の場合~――自分で剤形を選択したいと考える患者さんが多いようですが、それぞれの剤形の特徴について教えてください。宮澤 急性期と維持期に分けて考える必要があります。急性期では、病識がなく、興奮が見られるなど激しい症状を呈する患者さんも多いため、いかに確実に薬剤が体内に取り込まれるか、という視点が重要となります。そのため、OD錠や液剤などに対する医療者、看護者のニーズがとても高いです。一方、維持期においては、薬剤の有効性、安全性を考慮しつつ、患者さんがきちんと服用できる薬剤が求められます。そのため、患者さんの好みやライフスタイルに合わせてできる限り患者さんご自身に選択していただくことが重要となってきます。――具体的には?宮澤 たとえば、通常の錠剤は、ある程度病識があり、水と一緒に服用することで「服薬している」という実感がほしいと訴える患者さんなどに処方することが多いです。液剤は錠剤・散剤などを飲みにくいと感じ、個別包装の簡便さを好む患者さんに適していると感じています。ところが、中には被毒妄想が生じる方もいるので、その点は注意が必要かもしれません。持続性の注射剤は、決して服薬アドヒアランスは悪くないけれどたまに服用し忘れるような方に対し勧め、患者さん自ら選択されることも少なくありません。しかし、もっとも患者さんのニーズが高いと感じるのは、OD錠です。OD錠には様々なタイプがありますが、1日1回の内服で水を必要とせず、口に含んだ瞬間、瞬時に溶けるタイプのものが好まれています。このタイプのOD錠は服用の簡便さからアドヒアランスの向上も期待できます。今後、主流となっていくと思います。■OD錠はどのような患者に有用か?――非定型抗精神病薬のOD錠には2種類ありますが。宮澤 ある程度、硬度が保たれているタイプと口に含むと瞬時に溶けるタイプがあります。前者は薬局等の自動分包機にもかけられ、多少の湿度で溶けることはありません。一方、後者は、手掌、手指に汗をよくかく方などには向かないかもしれません。しかし、スーパー救急(精神科救急)などの現場では、口に入れるとスッと溶けてしかも甘みがあるこのタイプの薬剤はとても重要です。5月に発売されたアリピプラゾールのOD錠(製品名:エビリファイOD錠)はこのタイプです。――OD錠は、実際、どのような患者さんに適しているのでしょうか。宮澤 先ほど説明しました救急・急性期病棟に入院となった患者さんのほかにも、外来通院されている患者さんにも適しています。水が必要ないことから外出先での服用が容易になります。嚥下が困難な高齢者や女性の患者さんにも勧められると思います。また、抗精神病薬単剤で治療している方も他の剤形からの変更のメリットが大きいのではないかと思います。たとえば、アリピプラゾールは、1日1回の服用で急性期、維持期いずれにおいても有効性が認められており、私が診ている統合失調症の維持期の患者さんでは、比較的、胃腸薬や便秘薬など他の薬剤を併用せずに単剤で治療している方も多いため、OD錠への変更により受ける恩恵が大きいと考えられます。逆に併用薬が多い患者さんではあまりメリットは感じられないかもしれません。――今後も、新しい剤形が追加されていくようですが、どのようなことを期待されますか。宮澤 今回のように、急性期、維持期いずれにおいても有用性が認められている薬剤のOD錠化は、患者さん、医療者双方の選択肢の幅が広がったことを意味し、大変意義深いと考えます。また、今後も、非定型抗精神病薬で新たな剤形が追加されることにより、患者さん、医療者の細かい二-ズに沿った薬剤選択が可能になっていくと思います。昨今の課題である服薬アドヒアランスの向上をめざして、我々医師は、患者さんの飲み心地に、より配慮した治療戦略が求められていくのではないでしょうか。(聞き手=ケアネット) 1)統合失調症患者さんを対象に実施したインターネット調査2009年 医療法人 ときわ病院ホームページhttp://www4.ocn.ne.jp/~tokiwahp/

1146.

中等度~重度アルツハイマー病に対するドネペジルvs.メマンチンvs.両者併用vs.治療中止

 軽度~中等度アルツハイマー病に対するコリンエステラーゼ阻害薬のベネフィットは臨床試験により示されているが、中等度~重度に進行後もベネフィットが持続するかは明らかとなっていない。英国・ロンドン大学のRobert Howard氏らは、3ヵ月以上ドネペジル(商品名:アリセプトほか)を服用していた中等度~重度の居宅アルツハイマー病患者を対象に、同薬を中止した場合、継続した場合、NMDA受容体拮抗薬メマンチン(商品名:メマリー)に切り替えた場合、両薬を併用した場合とを比較する多施設共同二重盲検2×2プラセボ対照試験を行った。NEJM誌2012年3月8日号より。295例を4群に割り付け52週間治療、認知機能、ADLの改善度を評価 試験は2008年2月~2010年3月に、地域で暮らす中等度~高度[標準化ミニメンタルステート検査(SMMSE)スコア:5~13、スコアは0~30で高いほど認知機能が良好]アルツハイマー病患者295例(平均年齢約77歳)を対象に行われた。被験者は、ドネペジル投与継続群(10mg/日)、ドネペジル投与中止群(4週間5mg投与後5週目からプラセボ)、ドネペジル投与中止後メマンチン投与開始群(5mg/日から開始し4週目から20mg/日)、ドネペジル投与継続+メマンチン投与開始に割り付けられ、52週間治療を受け評価された。 共同主要アウトカムは、SMMSEスコア、ブリストル日常生活動作尺度(BADLS)スコア(スコア0~60、高いほど機能障害が大きい)とし、臨床的に意味のあるスコア差を、SMMSEは1.4ポイント以上、BADLSは3.5ポイント以上とした。ドネペジル継続にベネフィット 中止群患者と比較して、ドネペジル継続投与群はSMMSEスコアが平均1.9ポイント高く(95%信頼区間:1.3~2.5)、BADLSスコアは3.0ポイント低く(同1.8~4.3)、認知機能、機能障害とも有意な改善(いずれもP<0.001)、臨床的に意味のあるスコア変化が示された。メマンチン投与を受けていた患者は、メマンチン投与を受けていなかった患者との比較で、SMMSEスコアは平均1.2ポイント高く(同0.6~1.8、P<0.001)、BADLSスコアは1.5ポイント低かった(同:0.3~2.8、P=0.02)が、両スコアとも臨床的に意味のある最小変化値を下回っていた。 ドネペジルとメマンチンの有効性は、併用することで有意差が示されることはなく、そのベネフィットはドネペジル単独使用を有意には上回らなかった。これらの結果からHoward氏は、「中等度~高度アルツハイマー病患者では、ドネペジルの継続投与が、12ヵ月間にわたって、認知機能、機能障害の改善についてのスコア差が臨床的に意味のある最小数値を上回り、有意なベネフィットがあることが示された」と結論している。

1147.

週3回血液透析における2日間隔は、死亡・入院リスクを高める

 週3回行われる血液維持透析は、1日間隔と2日間隔のインターバルが存在するが、2日という間隔が血液透析を受けている患者の死亡率を高める時間的要因であることが明らかにされた。本研究は、米国NIHの資金提供を受けたUnited States Renal Data SystemのRobert N. Foley氏らがnational studyとして行った結果で、20年来の懸念となっていた血液透析患者の生存率の低さ、および末期腎不全患者の大半は循環器疾患を有した状態で血液透析を始めるが、長期インターバルがそれら患者の死亡リスクを高めているのではないかとの仮説に対して言及することを目的に行われた。NEJM誌2011年9月22日号掲載より。週3回透析を受けていた末期腎不全患者3万2,065例を対象に2日間隔後と1日間隔後を比較 試験は、米国で週3回の血液透析を受けている代表的患者集団であるEnd-Stage Renal Disease Clinical Performance Measures Projectの参加者3万2,065例を対象とした。 被験者は、2004年末から2007年末に週3回透析を受けていた末期腎不全患者で、平均年齢は62.2歳、24.2%が1年以上血液透析を受けていた。 研究グループは、死亡率および心血管関連の入院率について、2日間隔後と1日間隔後について比較を行った。一般に米国週3回の血液透析患者に行われているスケジュールから、金曜日から月曜日の間、または土曜日から火曜日の間に2日間隔があった。週3回透析において2日間隔後の日のほうが死亡率および入院率が高い 平均追跡期間2.2年の間で、週3回透析は2日間隔後の日のほうが1日間隔後の日よりも、死亡率および入院率が高かった。 死亡率については、100人・年当たりの全死因死亡22.1 vs. 18.0(P<0.001)、以下同じく心臓が原因の死亡10.2 vs. 7.5(P<0.001)、感染症関連での死亡2.5 vs. 2.1(P =0.007)、突然死1.3 vs. 1.0(P =0.004)、心筋梗塞による死亡6.3 vs. 74.4(P<0.001)であった。 入院率については、100人・年当たりの心筋梗塞による入院6.3 vs. 3.9(P<0.001)、以下同じくうっ血性心不全による入院29.9 vs. 16.9(P<0.001)、脳卒中による入院4.7 vs. 3.1(P<0.001)、不整脈による入院20.9 vs. 11.0(P<0.001)、あらゆる心血管イベントによる入院44.2 vs. 19.7(P<0.001)であった。 結果を受けてFoley氏は、「試験結果に限りはあるが、いくつかの興味深い所見が得られた。被験者は全米を代表する患者集団であり、間隔が長いことに関してサブグループと全体とで同様の転帰が認められ、未解明だがイベント発生率の格差は、臨床的に意味があるようだった。したがって本試験は、血液透析の提供方法について行われるコントロール試験の臨床的均衡(clinical equipoise)を提供する」とまとめている。

1148.

アデノイド切除、小児の反復性上気道感染症にベネフィットを認めず

小児の反復性上気道感染症に対する治療戦略について、即時のアデノイド切除が、経過観察群を上回る臨床的ベネフィットを示さなかったことが報告された。オランダ・ユトレヒト大学医療センターのM T A van den Aardweg氏らが行った、非盲検無作為化試験の結果による。アデノイド切除は、小児中耳炎ではいくつかの臨床的ベネフィットをもたらしており、反復性上気道感染症も一般的に適応となるが、そのエビデンスは不足していた。BMJ誌2011年9月10日号(オンライン版2011年9月6日号)掲載報告より。1~6歳児111例を対象に、即時vs. 経過観察について非盲検無作為化試験Aardweg氏らは、2007年4月~2009年4月の間に、11の総合病院と2つの教育研究病院から集められた、反復性上気道感染症でアデノイド切除適応となった1~6歳児111例を対象に非盲検無作為化試験を行った。被験児を、即時にアデノイド切除を行う戦略群(鼓膜切開あり・なし含む)、初期は経過観察とする戦略群に無作為化し、主要アウトカムを最長24ヵ月間追跡期間中の上気道感染症発生数/人・年とし、副次アウトカムには上気道感染症を呈した日数/人・年、発熱を伴う中耳炎エピソード回数および日数、発熱を有した日数、上気道感染症有病率、健康関連QOLなどを含み評価を行った。24ヵ月追跡期間中の上気道感染症エピソード、アデノイド切除群7.91、経過観察群7.84追跡期間中央値24ヵ月間の上気道感染症エピソードは、アデノイド切除群7.91件/人・年、経過観察群7.84件/人・年で、発生率差は0.07(95%信頼区間:-0.70~0.85)であった。意味のある両群差は、上気道感染症を呈した日数(発生率差についてアデノイド切除群が-1.27)、発熱を伴う中耳炎回数(同0.05)および日数(同0.01)、また健康関連QOLについて認められなかった。上気道感染症の有病率は追跡期間中、両群ともに低下した。一方で、アデノイド切除群は発熱を有した日数が、経過観察群より有意に長かった[20.00 vs. 16.49日/人・年(差:3.51、2.33~4.69)]。手術関連の合併症の発生は2例であった。

1149.

喘息患者への気管支拡張薬vs. プラセボvs. 無治療

喘息患者を対象とした前向き実験的試験で報告されるプラセボ効果の客観的および主観的効果結果への影響について、気管支拡張薬とプラセボ(2種類)と無治療とを比較して検討した二重盲検クロスオーバーパイロット試験の結果、客観的なFEV1を指標とした結果ではプラセボ群に改善は認められなかったが、主観的な患者評価では気管支拡張薬とプラセボに有意差は認められなかったことが報告された。米国・ブリガム&ウィメンズ病院/ハーバードメディカルスクールのMichael E. Wechsler氏らが米国国立補完代替医療センターから助成を受け行った試験報告で、NEJM誌2011年7月14日号で発表された。4つの介入群の客観的指標および主観的評価の変化を比較Wechsler氏らによるパイロット試験は、積極的介入としてアルブテロール吸入(サルブタモール、商品名:サルタノールインへラー、アイロミールエアゾール)と、プラセボ吸入、シャム鍼治療、無治療の4つの介入後の急性変化について比較された。被験者は、79人がスクリーニングを受け、そのうち症状が中等度で適格基準を満たした46例で、連続する4回の受診(3~7日間隔)で4つの介入を無作為に1回ずつ受けた。この介入を1ブロックとして、合計3ブロックの介入(被験者の受診回数は合計12回)が実施された。12回の受診時には毎回、客観的反応の測定として、介入後に各20分の2時間にわたるスパイロメトリーが行われFEV1最大値を測定。また主観的反応の測定として、症状の改善認知度をスコア0~10のビジュアルスケールを用いて回答してもらうとともに、受けた介入が実際の治療と思うかプラセボと思うかも回答してもらった。客観的評価の差は有意、しかし主観的評価の有意差は気管支拡張薬 vs.プラセボに認められず試験を完了したのは39例であった。結果、FEV1が、アルブテロール吸入群では20%増加したのに対し、他の3つの介入群はそれぞれ約7%の増加であった(P<0.001)。しかし、患者評価の結果では気管支拡張薬とプラセボ間に有意差は認められなかった。改善したと回答した患者は、アルブテロール吸入群は50%、プラセボ吸入群は45%、シャム鍼治療群は46%であった。ただし、3群とも無治療群(21%)よりは改善したと回答した人が有意に多かった(P<0.001)。結果を踏まえてWechsler氏は、「プラセボ効果は、臨床的に意味があり、積極的な薬物療法の効果についてライバルとなり得る。臨床管理および調査デザインの視点から、患者評価は信頼できないものであるが、客観的評価を確認するために臨床試験の基本項目とするのであれば、治療をしなかった患者群の評価も基本項目に入れるべきであろう」とまとめている。(武藤まき:医療ライター)

1150.

がん検診に影響与える家族歴は30~50歳で変化が大きい、医師は5~10年ごとに問診を

がん検診の開始年齢や方法などに影響を与える家族歴は、30~50歳の間で変化が大きいことが明らかにされた。米国・カリフォルニア大学アーバイン校のArgyrios Ziogas氏らが、米国民ベースのがんレジストリ「Cancer Genetics Network」(CGN)を基に、約2万7,000人の登録被験者とその家族について行った追跡試験の結果明らかにしたもので、JAMA誌2011年7月13日号で発表した。がんレジストリ登録2万6,933人とその家族データを調査研究グループは、米国内14ヵ所の教育研究医療機関を通じて、1999~2009年間にCGNに登録された2万6,933人と、その家族54万578人について調査を行った。調査は、被験者が生誕時からCGN登録時点(調査開始)まで(後ろ向き調査)と、登録~最終追跡期間まで(前向き調査)について行われ、臨床的に意味のある家族歴を有した人の割合や変化が調べられた。前向き追跡期間の中央値は8年(範囲:0~11)だった。がんの種類ごとの被験者数は、後ろ向き調査が、大腸がん9,861人、乳がん2,547人、前立腺がん1,817人。前向き調査はそれぞれ、1,533人、617人、163人だった。家族歴に基づくハイリスク・スクリーニング適用者、大腸がんは30歳時2.1%が50歳時は7.1%結果、後ろ向き調査で、がん家族歴がありハイリスクの人向けのスクリーニングが適切であるとされた人の割合は、大腸がんについては30歳時家族歴で2.1%(95%信頼区間:1.8~2.4)、50歳時家族歴で7.1%(同:6.5~7.6)だった。乳がんは、同7.2%(同:6.1~8.4)と11.4%(同:10.0~12.8)、前立腺がんは、同0.9%(同:0.5~1.4)と2.0%(同:1.4~2.7)だった。一方、前向き調査で、家族歴をベースに新たにハイリスク・スクリーニングが必要とされたのは、100人・20年追跡あたり大腸がんが2人、乳がんが6人、前立腺がんが8人であった。後ろ向き調査と前向き調査の、がん家族歴の変化の割合は大腸がんと乳がんでは同等であった。研究グループはこれら結果を受けて、「家族歴は成人期早期から意味を持ち始めることが見いだされた。この時期に総合的な家族歴を聴取しておく必要がある。また、30~50歳の変化が大きく、医師は家族歴に関する問診を5~10年ごとに実施することが望ましい」と結論している。(當麻あづさ:医療ジャーナリスト)

1151.

准教授 長谷部光泉 先生「すべては病気という敵と闘うために 医師としての強い気持ちを育みたい」

1969年9月14日生まれ。博士(医学)、博士(工学)。1994年3月慶應義塾大学医学部医学科卒業後、同大学病院にて研修94年4月同大学大学院医学研究科博士課程。96年11月ハーバード大学医学部放射線科心臓血管造影およびIVR部門留学(~99年)。98年4月同大学医学部助手。04年4月同大学理工学部機械工学科・鈴木哲也研究室共同研究員および医療班チームリーダー。05年4月国家公務員共済組合連合会立川病院放射線科医長。08年4月東邦大学医療センター佐倉病院放射線科講師。09年8月同病院放射線科准教授。日本血管内治療学会評議員。日本IVR学会代議員、他。10年日本学術振興会 榊奨励賞受賞、第96回北米放射線学会Certificate of Merit受賞、他多数。低侵襲治療としてIVRカテーテル治療に大きな魅力を感じた放射線科領域を大別すると、X線検査、CT、MRI、核医学検査などに代表される放射線診断学とがん治療に代表される放射線治療学があります。CT、MRIなどが登場する前から存在した「血管造影法」は、私が専門とする放射線診断学の根幹です。血管のない臓器は存在しないため、古くから重要な診断法として発展してきました。しかしながら、CT、MRIなどの医療機器の技術革新によって血管造影の役割も変わってきました。皮膚に局所麻酔をしてほんの2㎜だけの傷をつけるだけで血管内に「カテーテル」と呼ばれる管を挿入し、臓器に直接アプローチできるので、たとえば循環器領域であれば心臓にアプローチして狭心症や心筋梗塞を治す。消化器領域では、肝臓がんであれば肝動脈塞栓術のように大腿動脈から患部のすぐそばまで細いカテーテルを挿入して抗がん剤を流して腫瘍を兵糧攻めにする。脳神経領域では、急性期の脳梗塞の血栓溶解療法や動脈瘤を詰めることもできます。また、下肢の動脈硬化の場合、風船付きカテーテルを挿入し直接狭くなった血管を広げ、歩けなかった患者さんが歩いて帰えれるようになる。CTやエコー、MRIなどの画像支援の下に血管内だけでなく臓器を直接穿刺して治療する。画像を使った血管内治療および血管以外の臓器などに対する、画像支援下の低侵襲治療、これが私の専門領域です。医学の世界に入った当初から、IVR(インターベンショナルラジオロジー)に興味があり魅力を感じていました。これからの治療は、身体に大きくメスを入れて手術するだけではなく、患者さんに優しい治療でありながら効果的な治療が求められています。カテーテルの技術にせよ、医療器具にせよ、どんどん進歩してくるであろうと考えました。その進歩と共に、カテーテル治療が今後の医療現場において主流になってくるのではないかとも考えていました。それは現実になってきていると確信しています。IVR治療で劇的に変わる患者さんのQOLIVRでできることは血管を開く、詰める、溶かす、生検のための組織を切除して取り出す、直接腫瘍を穿刺して治療する、簡単にいうとこれらが主な分野です。具体的には、動脈硬化で詰まった血管を開き、血栓で詰まった血管を溶かすことができる。体を大きく切開することなく組織を取り出し診断を確定する、ドレナージといって体内の深い部分の膿をCT・エコー・MRIで見ながら吸い取る。詰めるは塞栓術といって、肝臓がん治療の他、体の中で緊急出血した場合、血圧が低下し、身体を大きく開くことはできないので、救急治療として金属のコイルを詰めて止血し、一命を救うこともできます。今までは大きく開腹、開胸しなくてはならなかった手術が、IVR治療によって足の付け根や腕の部分を局所麻酔で2から3mm切開し、動脈や静脈にカテーテルを挿入して治すことができるようになっています。これにより患者さんの入院日数は劇的に短縮されました。局所麻酔のため危険性も減りますし、入院期間も短くなり、痛みが少ないなど多くのメリットがあります。心臓疾患の場合、以前ならば最低でも1から3ヵ月の入院を余儀なくされましたが、IVR治療では、長くて10日、われわれは3日から1週間入院を目安にしています。ただし、入院期間が短縮されたからといって、簡単な病気だったと勘違いはしないでほしい。血管内で手術は行われていますから、それなりのリスクがあることも十分知っておいてほしいと思います。患者さんにとって簡単そうに思えるIVR治療ですが、医師としては熟練した手技と全身疾患に対して知識や経験がないとできない分野です。実際に治療を行えるようになるまでには、綿密なトレーニングが必要です。東邦大学では後期研修医あるいは大学院生の1年目から血管内治療のトレーニングを本格的に重ねてもらいます。われわれの科では、画像診断もやりながら低侵襲の治療をする、研究にも取り組み積極的に国内外の学会で発表するという3本の柱を忘れることなく、必死で若手の医師が毎日を過ごしています。臨床医としての経験を活かした研究開発私がこの世界に入った時にはすでに、血管内治療のデバイスであるステントやバルーンの8割が輸入品でした。許認可の問題もあって、欧米の製品を平均2年遅れで買わなければいけない現状があります。その上、必ずしも日本人に適しているデバイスではありません。日本人にとって使いにくくて直してもらうにしても、製品ができあがってくるまでに1年、2年、3年かかる場合もあります。目の前の患者さんを治せるツールがあるのに、サイズが合わないだけで使えないという現実にジレンマを感じていました。私が慶應の研修医だった当時、恩師で、放射線医の第一人者であり、日本のIVRの父ともいえる平松京一教授(当時)の計らいで、医師になってから2年半後にハーバード大学で研鑚(けんさん)を積むようにと言われました。そこで約3年半、留学することになってしまいました。研修医が終わったばかりで、何の実力もないし、研究歴もなかった。渡米前には、多くの上司にも心配されました。ハーバード大学で最初の数ヵ月はお客さん扱いでしたし、もう帰国しようかとどまろうかと考えながら細々と実験を始めました。その実験データを基に数ヵ月後に書きあげたプロトコールが運良く認められて潤沢な公的研究費が与えられて、それをきっかけに状況が変わりました。そこのチームのチーフに任命され、血管の中の遺伝子治療研究が始まりました。詰まった心臓血管の中にステント(金属のメッシュ状の筒)を入れると、再狭窄が起こります。ステントは血流を劇的に改善しますが、血管を無理に開くため血管の内皮細胞や血管平滑筋細胞に傷がつきます。血管には破れると修復する作用があって、傷を修復する過程で、金属の周囲に血栓が付き、その刺激が過剰平滑筋細胞の増殖を促し、血管がまた詰まってしまうのです。それを治すために特殊なバルーンカテーテルというのを用いてそこから薬剤を出す。当時は、ステント留置後、20%から40%は半年後には詰まるといわれていました。確かに、血管内の遺伝子治療は実験的に成功し、米国IVR学会やNIHなどで受賞しました。けれども、やはり金属ステントそのものの留置が「諸刃の剣」だということに気づき、帰国後、材料工学の研究を独学で始めました。体になじみにくい金属が、長期的によい成績をだせるわけがないと考えたからです。しかしながら、金属の特性としてしなやかさや耐腐食性などを上回る素材はなかなかありません。それならば、既存のものにコーティングを施したらどうか、と考えました。ただし、コーティングするにしても体に害を及ぼすものでは当然使えません。行き着いたのがダイヤモンド系のコーティングでした。ダイヤモンドは、「物質の王様」といわれるだけあって、非常につるつるしているばかりではなく、耐摩耗性という特性があり、さらに炭素は身体を構成する成分の一つなので、人体に悪影響を及ぼしません。現在、主流となっている薬剤溶出性ステントから出てくる薬剤は薬効が強く正常の血管内皮細胞にダメージを与えるものが主流ですが、ダイヤモンドというのは化学的に安定しているばかりでなく、細胞に毒性を与えない特性を持っています。われわれは、さらにダイヤモンド系コーティングにフッ素を混在させることによって、血液の付着も防げることを初めて発見しました。つまり、フッ素を添加したDLC(ダイヤモンド・ライク・カーボン)というコーティングは、血液をはじき付着を防ぐので、血栓ができにくい。さらに、血管内に残るのは炭素を主流とするダイヤモンド系素材なので、身体に悪いものではありません。これらの研究開発には、医学の知識だけではなく工学知識の力が不可欠でした。そこで、臨床医の立場で工学との通訳をしなければいけないと痛感しました。なぜならば、工学の思考と医学の研究者の思考回路はまったく違うからです。ですが、工学者も研究の応用の幅を広げたいと考えているし、医学者もテクノロジーを利用する考えが必要です。互いの歩み寄りを円滑にするために、私は医学部の栗林幸夫教授のご指導の下、医学博士を取得し、その後、工学部の鈴木哲也教授の下で工学博士を取得しました。これからも研究開発において、医工連携のための通訳になれたらと思いますし、私に続く若い医師や研究者を育成することに力を注いでいます。ゼロからのスタートに惹かれ挑戦慶應からこちらへ来たのは、ここはほぼゼロからということに興味を持ちました。現在の教室の寺田一志教授の誘いもあり、今までやってきたことをここで一度リセットして挑戦してみるのもいいだろうと考えました。慶應もいい環境ではありましたが、東邦大学の伝統と自由な気風、研究に対しても「自由にやれ」というムードがありました。特に、東邦佐倉病院では、他の臨床医の方々も、慶應から来た新参者にすごく親切にしてくれて、雰囲気もよかったし、全体的にやる気の気運が高まっている瞬間でした。今では県内でもトップクラスのIVR症例数を誇る施設になりつつありますが、こちらに来た当時はIVR治療もあまり積極的に行われていませんでした。それでも、循環器センターや消化器センターなど各診療科の多くの先生のご協力があって、現在にいたっています。これは、東邦大学の気風とセンター単位で行われるチーム医療にうまく融合した結果だと思います。前病院長の白井教授が臨床・研究に対する基礎を構築し、現在の田上病院長を中心にした執行部の積極的な支援の賜物だと思います。当院循環器センターの専門外来である「血管内治療・IVR外来」は、循環器内科医、心臓血管外科医、臨床検査医、放射線科医、心臓リハビリ医、形成外科医、糖尿病代謝内科医など本当の意味でのチーム医療ができるように構築してきました。カンファレンスの意思が医師同士の間で一貫しているというのは、患者さんにとっても安心できることだと思います。臨床としては主に肝臓がんや救急出血や動脈瘤などの塞栓術と下肢の閉塞性動脈硬化症(ASO: arteriosclerosis obliterans)に伴い、詰まってしまった血管の血管形成術がメインです。糖尿病や動脈硬化で足が壊死してしまうのを治療するのがメインです。私にとって医療器具の研究はライフワークですが、実は臨床が9割。この臨床の経験があるからこそ研究のテーマが明確に打ち出せるのだと思います。これからは教育にも力を注ぐ私がこれから望むものは、若い人の教育です。まだ私も若いですけど……(笑)。若い人を教育するということは、自分が教育されることでもあります。教えるというのは、教えられることでもあります。先入観のない眼で若い人と日本から何かを発信したい。座右の銘は「感謝して今日もニコニコ働きましょう」。決して一人で仕事をしているのではなく、周りのスタッフ、上司、親、自分の周りの人すべてが笑顔でいられる医療をやりたい。そのために臨床はもちろん、研究や医療器具の開発もしたい。若い医師には、どんどん広い世界を見て、自分のアイデンティティ、日本人であるとか医師になるという明確な自覚を持ってほしい。勇気を持って新しいことにもチャレンジしてほしい。それらを一緒にやっていきたい。だからうちの科では工学部との交流や留学なども積極的にプログラミングしています。若いうちから何でも経験させ、国際学会発表も全員が入局2年以内に経験するように指導しています。敵は病気なので、最高の技術、最高の人間性、患者さんを治したいという気持ちを強く身につけてほしいと考えています。是非、そんなピュアな高い志を持った若い先生と学閥や分野を越えて一緒に働きたいという希望を持っています。質問と回答を公開中!

1152.

准教授 長谷部光泉 先生の答え

研究費の調達方法記事拝見しました。「アメリカからの帰国後、材料工学の研究を独学で始めました」とありますが、研究にかかる費用はどのように捻出したのでしょうか?研究費の調達方法に興味を持っております。是非ご教示ください。これは非常に苦労しました。私は医師になってから帰国するまでの間、米国の教育の方が長くなっていたため、最初は日本での資金調達の勝手がわからず、四苦八苦しました。最初は、少額の市や財団の公的資金を片っ端から応募し少額の研究費でなんとか研究をはじめました。少額の研究費を有効に使い、なんとか国内外の学会で研究を発表し研究をつなぎました。正直なところ、自分の給料をつぎ込み、研究を行っていた苦しい時期もかなりありました。帰国後の研究では、2000年以降、国際学会で賞をとったりすることで、ある程度の注目が集まった段階で、国内施設での共同研究を模索し、その分担研究者となることで資金を調達し、研究を続けていた時期もあります。その後は、慶應大学理工学部(鈴木哲也教授)や東京大学医学部(髙橋孝喜教授)、横浜市立大学(上條亜紀准教授)などとの共同研究を軌道にのせ、日本での医学博士、工学博士を取得し、論文発表を行い始めると、経済産業省(NEDO)の大型プロジェクトや文科省科研費、東邦学内でのプロジェクト研究費、医学部推進研究費などを頂くことができ、ようやく安定的な研究ができるようになりました。しかしこれはごく最近のことで、研究費の調達には常に四苦八苦しているというのが現状でしょうか・・(笑)。やはり日本での資金獲得は、粘り強く自分の研究方向に信念をもって結果をだし、その結果を基に、公的資金を獲得していく方法が一番だとは思います。あるいは、多くの研究費をもった研究室に所属するのも一つの方法でしょう。良い研究の仲間や指導していただける先輩や上司の先生、そして後輩との出会いと研究への熱い思いが研究費の獲得につながることはいうまでもありません。臨床経験は必要?私は医学部生です。実は大学に入るときに、工学部と迷いました。私の将来の希望としては、患者さんを治療するというよりは、より良い治療を行うための機械や道具を開発したいと思っています。なので、この先は研究重視で、と思っていました。しかし、長谷部准教授の記事をみると、臨床経験が大変重要だとあります。やはりそうなのでしょうか?また、工学博士も取得されていますが、そのときも臨床をやりながら取得されたのでしょうか?拙い質問で申し訳ありませんが、ご回答宜しくお願いします。医学部の学生さんでこのような考え方を持っていただける人は非常に貴重と言わざるを得ません。医療機器やデバイスの開発には、現場でのニーズが最も重要です。現場でニーズのないものを開発しても患者様には意味がないからです。そして、工学部の持っているシーズを的確に把握し、それをどのようにものにしていくのかというトレーニングが必要です。ですから、私は、やはりこのような境界領域で活躍するためには臨床経験は必須だと思っています。もし工学部の学生さんであれば、早い段階で医師と接し、現場を垣間見ることができるような環境が必要です。なかなか日本にはまだこういった教育システムはないのですが、今後は医学部学生と工学部学生がカフェテリアや学食で常にディスカッションできるような教育システムが望まれます。もう一つのご質問ですが、工学博士を取得したときは、もちろんフルに臨床を行い、数少ない研究日を研究にあて(バイトは辞めて)、週末や日曜日、夜などに研究を行い、論文を作成しと、必死にやった記憶があります。是非、医工連携を志す医学部の学生さんがもっと増えてくるとうれしいです。また、私の研究室を見学にきていただいても大歓迎です。仕事の進め方(時間の使い方)について臨床も研究も、というと、ほとんど時間が足りないかと推察いたします。仕事の進め方や、時間の使い方で普段心がけていることや、Tips的なことがあればご教示お願いします。おっしゃる通りです。臨床も研究もやるためには、非常に時間の使い方に苦労します。実際は、臨床:研究=8:2といった配分になってしまいますが、現在は医工連携チームで仕事を分担し、それを週1回の合同ミーティングですべての研究のプレゼンを行っていただき、方向性や実験の修正などを行っています。最近は、スカイプを利用したテレビ電話ミーティングも行うこともあります。もちろん、血管内治療(IVR)の緊急症例なども夜間であろうとも積極的に行っていますので、寝る暇がないこともあり、肉体的・精神的に非常につらいことも多々あります。ただ、そういったことも、すべて患者様のためだと思うと乗り切れることもありますし、いつもサポート・理解してくれる上司の先生、後輩の先生や学生、そして家族のアドバイスによって乗り切っているのが現状です。お聞きしにくいですが、報酬について先生のように医療機器や資材の開発に携わっている先生方には敬服しております。常に疑問に思っているのですが、面と向かって聞きにくいので、この場を借りて質問させていただきます。このように研究開発に携わっているときには報酬がでるのでしょうか?場合によりけりだとは思いますが、一般的にはどうなのか、教えていただけるとありがたいです。下世話の話で恐縮ですが宜しくお願いします。現在理工学部に最低、週1回は夜から夜中、朝方までのミーティングで医工連携チームの指導を行っていますが、これは無報酬です。企業との開発を行う場合、研究費が得られる場合もありますが、これは純粋に研究のための資金で給料ではありません。私の海外のボスであった教授は、多くの会社のコンサルタントなり、副収入を得ていましたし、研究費の中には給料も含まれるのも当然というのが海外での状況ですが、日本の研究費のほとんどがそのようなものはありません。そのかわり、日本のような安定的な地位というものも存在せず、すぐにクビになることも多々あります。日本では大学や研究施設などで安定的な地位が得られることもありますが、医師が行う研究という意味では、まだまだボランティア的な要素が多分にあるのが実情かと思います。開発の体制長谷部先生のように、素材や機器の研究開発を行う場合、どんな体制がとられるのでしょうか?どんな役割の人間が何人いるのか?どんなチーム体制で実施されているのか?そのようなことを知りたいです。この分野は素人なので、まさに素人質問で申し訳ないですが。私がチームリーダとなっている医工連携グループの構成は以下の通りです。1)炭素材料やセラミックス、薄膜などの専門:慶應大学鈴木哲也研究室のメンバー教授1名、博士課程2名、修士課程3名、大学生2名2) 高分子・ポリマーなどの専門家:堀田篤准教授研究室のメンバー准教授1名、修士課程2名3) 東邦大学医学部大学院博士課程:3名(+私)4) 横浜市立大学医学部 細胞治療・輸血部:上條亜紀准教授(部長)5) 東京大学附属病院輸血部:髙橋孝喜教授、田中助教6) 東京大学附属病院脳外科:斎藤教授、大学院生博士課程1名以上がコアなメンバーとなっております。この範囲でプロジェクトの内容が完遂できないものに関しては、産業総合研究所や物質材料研究機構、海外研究施設との共同研究によってプロジェクトを推進しています。もちろん、国内外の関連企業との共同研究も必須となります。医工連携のポイントメディトウキングの記事を読みました。医工連携のための通訳が必要とありましたが、他に医工連携を成功させるために必要なポイントがあればご教示いただきたい。やはり、若い人達の教育と互いの文化の違いを認識することが重要なポイントとなります。医学部の博士課程の学生も、最初は全く別の世界に飛び込んだような感覚になってしまうので、かなり面食らってしまい、あまり積極的な参加をしてくれない時期もありました。ただ、現在では、工学部の若い人達と医学部大学院生の間でのコミュニケーションがとれるに従い、積極的なプロジェクトがいくつも進行するようになってきていますし、業績や成果がでるようになってきました。後進を育てるポイント長谷部先生のように臨床だけでなく研究開発も成功させていく人材を育てるのに必要なことはありますでしょうか?長谷部先生のように新しいものをどんどん創り出していく先生が増えることを期待します!激励のお言葉ありがとうございます。やはり医師になってからすぐの段階で、研究や研究開発に慣れておく環境作りが重要だと思います。特に研究していなくとも、違う文化との接触を毎週行っていくことで、皮膚吸収ともいえるような波及効果があるようです。若い時から、急激に頭角を現す後輩も増えてきており、それが臨床にも役に立っているようです。但し、なかなか時間が制約されますので、チームの維持には多くの努力と精力と忍耐が必要です。忍耐が一番重要でしょうか…。これはなくしたいと思う規制日本の医工連携が欧米よりも遅れをとっている理由のひとつに、「様々な規制」があると聞きました。先生のご経験の中で、この制度はいらないなーと思われるものはありますでしょうか?もしあれば(全部かも知れませんが…)是非お話いただきたい。宜しくお願いします。確かに日本の規制が厳しいのはそのとおりではあります。日本は国民皆保険の制度が確立されている状況ですので、欧米とは国の責任の度合いが違うというのも許認可申請が厳しい理由ではあるのでしょう。国には、なるべく、日本が世界に先駆けてよい製品をだせるような、一番になれるようなバックアップを望みたいです。そうでないと、現在抱えているデバイスでの輸入超過の状況は変わらず、日本国民は常に海外ででた製品の型落ちの製品を使用することになり、大きな不利益を受けることになるでしょう。しかし、現在は、PMDA(医薬品医療機器総合機構)や厚生労働省も、早期の許認可申請を目指し、体制は変化してきているように思います。病院のサポート医工連携を進める上で、病院のサポートはあるのでしょうか?もしあるのであれば、どんなサポートかご教示ください。また、こんなサポートがあれば、というものがあれば合わせてご教示お願いします。当院では、私の上司である寺田教授や院長の多大なご理解とサポートがあります。また、東邦大学では、若手研究者に限ったプロジェクト研究費や、重点的な領域に関する医学部推進研究費など、資金に関するバックアップもあることは非常に助かります。病院に工学部の学生や研究者が適宜自由に出入りし、医学部研究者や医学部大学院生と一緒に研究できるのも非常にいい環境といえます。今後は、やはり、抜本的には、どのように早い段階で医学部・工学部若い人達をミックスし、お互いの垣根を早い段階でなくす教育が一番重要と考えます。但し、その医工連携ユニットを指導できる指導者が不足しているもの現状ではないでしょうか。指導者と若手の両方の育成が急務です。医工連携における海外と日本の違い記事を拝見しました。先生は海外でのご経験も豊富ですが、医工連携における海外と日本の違いはなんでしょうか?留学した先生方からは、よく「海外の方が研究しやすいんだよね。」と聞きます。先生もそうだったのでしょうか?これは一長一短です。システムという面では、欧米にかなわない部分もあると思います。欧米だけがいいのではないと思います。日本から留学して、大きな研究室で、一つの研究に没頭しているときには、非常に研究がしやすいと感じるでしょう。但し。欧米では、やはり自由競争の社会であり、研究費がなくなれば、そのまま研究室がつぶれ、全員解散ということもよくあります。その緊迫感と各国から集まる研究者が切磋琢磨しているという点では、とくに米国での研究はやりやすいと感じるのではないでしょうか。日本の研究費が少ないわけではないと思いますし、日本人が劣っているわけでもないと感じました。ある程度の海外経験は非常に役に立ちますが、最終的には国内からの人材の流失がないように、国も対策を考えるべきだとは思います。アジアでは特に、韓国、シンガポールにおいては、すでに欧米化が研究分野では進んできていいますので、現在すでに負けている分野もあると思いますし、今後、どんどん抜かされてしまうかもしれないという驚異を持つ分野も沢山あり、我々も心して研究を進めていかねばなりません。総括大変熱心なご質問、激励のお言葉ありがとうございました。このような医工連携の分野に興味をもっていただけることは大変うれしいですし、私自身励みになります。まだまだ私自身、未熟であり、これからもっと大きな成果を上げて、少しでも患者さまの幸せに貢献できたらと思う次第です。もちろん、私が臨床でやっている血管内治療・IVRの分野においても、国産のすばらしいデバイスがあふれ、それを海外の医師や研究者が学びに来る日を夢見てがんばりたいと思います。また、この記事を読んでいただき、実臨床に即した医工連携や研究に興味を持って頂いた若い先生がいらっしゃるとしたら、是非、私にお声をかけていただき遊びにきていだけることを祈っています。今後とも、皆様のご指導をいただきたいと思っています。よろしくお願い申し上げます。この度は、このような機会をお与えくださりありがとうございました。准教授 長谷部光泉 先生「すべては病気という敵と闘うために 医師としての強い気持ちを育みたい 」

1153.

教授 福島統 先生の答え

診療所医師による医学教育のためのシステム人口8万都市で小児科医を開業している者です。診療所で研修医の「地域保健研修」を、また、出身医大で「外来小児科学」の講義を行っています。先生のご意見、医学生をプライマリ・ケアの場に出す動きには全面的に賛同します。診療の質を上げるためには、診療を人に見せて教える必要があると考えますが、この波が拡がるためにはどうすればよいでしょうか?優秀な開業医が医学教育に関わることができずにいる環境があります。初期研修が始まった時に医師会が率先してシステムを作ればよかったのでしょうが…全国レベルでの医学部でのプライマリ・ケア実習の動きはありますでしょうか。あるいは今後の、それぞれの学会に依存しない医学部としてのシステム作りは可能でしょうか。ことば足らずで回答しにくいかと思いますが、医学部の変化がないことには診療所医師の関与は難しいと思いましたので。すでに医学部という大学と特定機能病院という大学附属病院のみでは、国民が求める医療を教えることはできないことは自明です。大学は医学教育をコーディネートする「教育機関」です。医学部が様々な医療ニーズを学生に見せ、学生一人ひとりが自分の仕事を知る機会を作ることがcommunity-based medical education です。このcommunity-based medical education は世界的な流れです。日本が遅れているだけです。医学部の中には専門医療だけでなく、地域が求める医療を学生に見せようとカリキュラムを工夫するところが増えてきています。医療の世界では、どの医療機関に所属する人も「教育」をしていかなければなりません。教育の場は大学と附属病院だけではありません。診療所も、地域病院も、在宅で頑張っている医師も、医師とは本質的に医師を育てる人たちだと思います。大学で医学教育を考える人たちが、自分の専門だけでなく、「医療」を学ぶ学生のことを考える日は近いと思います。その時に、地域の医師が「医師の役割の一つ」としての教育に夢を持って欲しいと思います。政治と現場で意見反対なのは何故ですか?福島先生の解説を読んで、医師不足問題について大変理解が深まりました。まだ私は医学生なので考察が甘いかもしれませんが、福島先生の意見が正論だと思いました。ただ、福島先生の意見が正論だと思う一方で、では何故、日本は医学部新設に向かっているのか?というところが分かりません。政治と現場で意見が対立しているのでしょうか?何故、日本は医学部新設の流れにあるのでしょうか?昭和45年に秋田大学医学部と北里大学医学部、杏林大学医学部、川崎医科大学が出来ました。昭和46年は私立医大がさらにできた後に、昭和47年からの1県1医大が始まります。この時、私立医大ができたのは、戦後の医専の卒業の大量の医師(開業医)たちの後継者問題があったからです(昭和20年の医学部入学定員は1万人を超えていました)。この時、裏口入学の問題が世間を騒がせました。1県1医大政策は田中角栄首相が押し進めました。その時の理由は東北・北海道の医師不足、医師の地域偏在、診療科偏在、基礎医学者と公衆衛生に関わる医師の不足が問題となりました。まさに今、政治が論じている問題と全く同じです。医師数をただ増やせばこの問題が解決するというのは幻想です。問題があるから、「何かを」しなければいけないという風潮になり、医学部を新設すれば「きっとよくなる」という積極策の幻想(ペーター・センゲ)になっていると思います。何かをすればそれが解決へつながるという言い訳でもあります。これは危険な考え方です。今こそ、なぜ日本の医療がうまくいかないのかをみんなで考えるべきです。学外実習に必要な開業医の数は?私も、現場で学ぶ機会は多い方がよいと考えます。学外実習に協力している開業医の先生が65名いらっしゃるとのことですが、慈恵さんレベルの大学ではその人数で十分なのでしょうか?理想としてはどのくらいの先生方を確保するべきなのでしょうか?数年前、韓国の医学教育学会で慈恵医大の「家庭医実習」の話をしました。その時、どうやって指導医を集めているのか、との質問を受けました。私は次のように答えました「医者には二通りの医者がいる、good doctors とnot good doctors だ」。会場に大きな笑いを誘いました。でも、私はこれが真実だと思います。そして、いい医者は良い医者が誰かを知っています。慈恵医大では、素敵な指導医と学生が評価した開業医に、「良い開業医を紹介してください」とお願いし、指導医を集めました。素敵な指導医が最低30人いれば、1年間で100名の学生の臨床実習を行うことができます。でも、無理をしないで1年間で100名の臨床実習をするには、60名必要と経験的に考えています。 トータルの実習成果は?学生の中には学外実習が苦手というか社交的ではない者も多いかと。皆がみな学外実習で何かを掴んで帰ってくるとは思えないのですが、実際はいかがでしょうか?個別には成果をあげる学生もいるでしょうが、トータルでみたときの実習成果について、差し支えなければご教示ください。昔、私が学生時代は先生が「あの学生は口下手だが、まじめでいい子だよ」と言っていました。私は、それは間違いだと思います。臨床医になるなら、どうにかして口下手を克服すべきだと思いますし、口下手を拡幅するために大学はその学生に手をかけるべきだともいます。人と話ができない医者を作るのではなく、たとえ上手ではなくても患者さんの話を聞く態度を持つ医師に育て上げるべきと思います。今までの初等、中等教育では、「職場の中で学ぶ」力を生徒に養ってきませんでした。しかし、医師になる者には「職場の中で学ぶ」力が必要です。医学部がただ知識と技能を教えていればいいのではありません。その学生が病棟で、患者さんから医療チームのメンバーから「人から学ぶ」ことのできる力を持てるようにしなければなりません。学外実習に行って、多くの学生は「自分に足りないもの」を見つけてくるように思います。自分に足りないもの、これこそが学習課題です。学習課題に気づいた人は自ら学習するでしょう。でも気づくチャンスがなければ学習は進行しません。そして気づきは異文化の中で起こることが多いのです。学生を学外に出し、「無理やりさせられ体験」をさせることで医学部の中にいるだけでは気づけない自分自身の学習課題を知って欲しいと思います。しかしながら、気づきはその学生のレディネスに負うところが多いことも事実です。スキャモンの成長曲線を思い出してください。大器晩成型も、早熟型もあります。学生に気づきの機会を与えますが、その学生が気づくまで待つことも大事です。学生の成長を待つだけでなく、成長を促すためにも「無理やりさせられ体験」は必要だと考えます。学生の反応は?医学生であれば目の前の国試対策に意識が集中して、学外実習は二の次ではないかと思います。実際、学外実習に対する医学生の反応はどうでしょうか?学生を説得して実習に出す感じでしょうか?※医師として患者を診ている今となれば、慈恵さんの学外実習が如何に素晴らしいかよく分かります!本当人間って勝手ですよね(笑)学生は医者になりたがっています。決して国家試験のプロになろうとはしていません。これは真実だと信じます。そして学生は実り多い自分の人生を求めています。人間とは自分自身の成長に気づいたとき、それを嬉しいと思う存在です。しかし、学生には今どのような体験をすべきか自分では分からないと思います。カリキュラムで必修とするのは、「無理やりさせられ体験」として学生が理解できなくても「行かせる」ためです。もちろん、オリエンテーションはたくさんしますが、実体験のない学生には理解は困難だと思います。学外実習は3年か4年しないと安定しません。教員がいくら大事だと言っても学生が理解しませんが、先輩の学生は「行ってみろよ、経験になるぜ」と言ってくれるようになったら実習が安定します。彼らは身近な先輩の言うことは素直に信じるのでしょう。実習を経験し、臨床実習に出たときにこの実習の意味を理解してくれれば学生は「無理やりさせられ体験」から「意味のある経験学習」へと認識を変えてくれます。国試対策について場違いな質問であれば無視していただきたいのですが、現在息子の入学先を検討している者です。私は地方の国立大卒です。私大医学部出身の友人もおらず、私大医学部のことがよく分かりません。慈恵医大ならではの特別な国試対策カリキュラムなどあるのでしょうか?学外実習は完璧だと思いました。親として心配なのは国試対策だけです。宜しくお願いします。慈恵医大は特別な国試対策はしません。むしろ6年生の後半には学生に自由な時間を与えるようにしています。学習で重要なのは、自分自身の能力を自分で評価し、自分の不足しているところを自分が認識して、自分の方法で学ぶことです。医学部6年生に「教え込み」は通じません。彼らは立派な「成人学習者」ですから。自分の不足を振り返り、自律的に学習する機会と時間を与えれば、医師になれるものは「国家試験」に合格します。何時までも教え込まれなければ勉強できない人はむしろ医者になるべきではありません。医者に必要な能力は生涯学習力ですから。私が医学教育の仕事をするようになった時、留年者や国試浪人の人にインタビュー調査をしたことがありました。彼らの欠点は明らかでした、解剖と生理学、すなわち基礎医学を知らないのです。国家試験のための勉強は基礎医学にあります。基礎医学をまなんだ人は病態を暗記ではなく、論理として理解します。そして今の国家試験は昔と違い、病態を理解してそのうえで薬理学の知識を応用した治療の選択を聞いてきます。国家試験は既に暗記の世界から、理解の世界へと変わってきているのです。国家試験は心配なら、基礎医学教育をしっかりしている医学部を受験させるべきと思います。医学を学ぶ者の自由とは、それを否定する理由はなんですか義務のみで自由はないのでしょうか、腑に落ちません。一人の学生が医師になるためには6年間に約1億円の経費がかかります。国公立であろうが私立であろうが多量の税金を使って医者になります。私は納税者です。自分が払った税金が「金儲けしか考えない医師」の養成に使われたとした、損害賠償請求をします。私は献体者です。死んだら、この体は解剖学実習に使われます(それまでには痩せようと思っています)。阿部正和慈恵医大元学長が講義のたびに学生に言っていました「患者こそ最高の師」と。医者になるためにたくさんの期待がかけられています。だから医学生はエリートだと思います。もし、自由に学びたいのなら、その経費は自分で払うべきです。税金とご遺体の行為と患者さんの協力を頂いて医師になるなら、国民から期待される医師になる責任があると思います。自分の自由のために他者の心もお金も使う必要はないと思います。この道に進まれたきっかけを教えて下さい。先生が、臨床でもなく研究でもなく教育を専門にされた「きっかけ」に興味があります。産婦人科開業の長男として生まれ、私立医大に入学してっきり産婦人科開業医になると思っていました。しかし、卒業時には少子高齢化が始まっており、産婦人科開業医の道はなくなり、面白そうと思った解剖学に進みました。解剖で業績を上げている最中に、急に大学から医学教育の仕事をしろ!と命令されました。いざ、医学教育の世界に入ってみたら、したいことがたくさんあったのです。だからそれをしただけです。多分、どの分野に行っても良かったのでしょう。今したいことを、今の立場で出来れば何でもよかったのかもしれません。いまは、この分野の仕事ができることを嬉しいと思っています、そしてもっとしたいと思っています。実習を阻む障害に関して1年生から地域実習へ出すとなると結構大変だと思います。受け入れ先を探す他にも障害が多かったと推察しますが、どのような障害がありましたでしょうか?1年生の福祉体験実習を作るとき、最も困ったことは「医学部と地域福福祉」があまりにも遠かったことです。特定機能病院には、知的障害や精神障害者の就労支援のことを知っている人がいませんでした。2年生の重症心身障害児の実習を作るときも地域で子どもがどのように生活しているかを考えている小児科以外の医師はほとんどいませんでした。3年生の訪問看護ステーションの実習に至っては、一部の神経内科医は理解を示したものの、多くの専門医たちは在宅医療の存在すら想像してくれませんでした。でも低学年の学外実習は臨床医たちの利害とは離れていたので実習を作りことができました。実習を作るためには何足もの靴が必要でした。医学部とは遠い福祉や在宅には、足を運び理想を話し、夢を共有してもらい一緒に医師を作ろうと説得しまわりました。多くの実習施設は共感を示してくださり、快く学生実習を受けてくださいました。特に福祉施設では、「良い医者を私たちもメンバーさんのために作ってください」と励ましていただきました。臨床実習での「家庭医実習」を必修化できたのはひとえに、阿部正和元学長のおかげです。慈恵医大は全国に先駆けて昭和61年に選択科目として開業医実習を導入していました。阿部正和先生という方が、素晴らしい指導医がたくさんいる実地医家の会との連携を作ってくれていたので、解剖上がりの臨床を知らない私が「家庭医実習」を必修化できたのだと思います。実習先になりうる開業医とは?実習を引き受ける開業医に必要な素質はありますが?また高い理想とは?もう少し具体的にご教示ください。該当する先生がいたら是非紹介したいと考えます。良い医者は誰が見ても「良い医者」です。それは誰もそう思うと思います。教授 福島統 先生「国民のための医者をつくる大学 この理念の下に医師を育成する」

1154.

価値交換としての原発(なぜ医者の僕が原発の話をするか)

神戸大学感染症内科の岩田健太郎先生より、今回の原発事故について書かれた「価値交換としての原発(なぜ医者の僕が原発の話をするか)」を、先生のご厚意により転載させていただきました。僕は、感染症を専門にする内科医で原発の専門性はカケラほどもない。で、僕が原発についてなぜ語るのかをこれから説明する。池田信夫氏の説明は明快で傾聴に値する。たしかに、日本における原発の実被害は人命でいうとゼロ東海村事故(核燃料加工施設)を入れても2名である。自動車事故で死亡するのが年間5千人弱である。これは年々減少しているから、過去はもっと沢山の人が「毎年」交通事故で命を失ってきた。タバコに関連した死者数は年間10万人以上である。原発に比べると圧倒的に死亡に寄与している。今後、福島原発の事故が原因で亡くなる方は出てくる可能性がある(チェルノブイリの先例を考えると)。しかし、毎年出しているタバコ関連の死者に至ることは絶対にないはずだ。今後どんな天災がやってきて原発をゆさぶったとしても、毎年タバコがもたらしている被害には未来永劫、届くことはない(はず)。1兆ワット時のエネルギーあたりの死者数は石炭で161人、石油で36人、天然ガスで4人、原発で0.04人である。エネルギーあたりの人命という観点からも原発は死者が少ない。池田清彦先生が主張するように、ぼくも温暖化対策の価値にはとても懐疑的だが、かといって石炭に依存したエネルギーではもっとたくさんの死者がでてしまうので、その点では賛成できない。池田氏のようにデータをきちんと吟味する姿勢はとても大切だ。感傷的でデータを吟味しない(あるいは歪曲する)原発反対論は、説得力がない。しかし、(このようなデータをきちんと吟味した上で)それでも僕は今後日本で原発を推進するというわけにはいかないと思う。池田氏の議論の前提は「人の死はすべて等価である」という前提である。しかし、人の死は等価ではない、と僕は思う。人は必ず死ぬ。ロングタームでは人の死亡率は100%である。だれも死からは逃れられない。もし人の死が「等価」であるならば、誰もはいつかは1回死ぬのだから(そして1回以上は死なないのだから)、みな健康のことなど考えずに自由気ままに生きれば良いではないか(そういう人もいますね)。自動車事故で毎年何千人も人が死ぬのに人間が自動車を使うのを止めないのは、人間が自動車事故による死亡をある程度許容しているからだ。少なくとも、自動車との接触をゼロにすべく一切外出しないという人か、自動車にぶつかっても絶対に死なないと「勘違いしている」人以外は、半ば無意識下に許容している。少なくとも、ほとんどの自宅の隣に原発ができることよりもはるかに、我々は隣で自動車が走っていることを許容している。それは自動車があることとその事故による死亡の価値交換の結果である。原発は、その恩恵と安全性にかかわらず、うまく価値交換が出来ていない。すくなくとも311以降はそうである。我々は(たとえその可能性がどんなに小さくても)放射線、放射性物質の影響で死に至ることを欲していない。これは単純に価値観、好き嫌いの問題である。医療において、「人が死なない」ことを目標にしても人の死は100%訪れるのだから意味がない。医療意味は、人が望まない死亡や苦痛を被らないようにサービスを提供する「価値交換」であるとぼくは「感染症は実在しない」という本に書いた。このコンセプトは今回の問題の理解にもっとも合致していると思う。喫煙がこれだけ健康被害を起しているのに喫煙が「禁止」されないのは、国内産業を保護するためでも税収のためでもないと僕は思う(少なくともそれだけではないと思う)。多くの国民はたばこが健康に良くないことを理解している。理解の程度はともかく、「体に悪くない」と本気で思っている人は少数派である。それでも多くの人は、タバコによる健康被害とタバコから受ける恩恵を天秤にかけて、そのリスクを許容しているのである。禁煙活動に熱心な医療者がその熱意にもかかわらず(いや、その熱意ゆえに)空回りしてしまうのは、医療の本質が「価値交換」にあることを理解せず、彼らが共有していない、自分の価値観を押し売りしようとしてしまうからくる不全感からなのである。僕たち医療者も案外、健康に悪いことを「許容」していることに自覚的でなければならない。寝不足、過労、ストレス、栄養過多、車の運転、飲酒、セックスなどなどなど。これらを許容しているのは僕らの恣意性と価値観(好み)以外に根拠はない。自分たちが原理的に体に良くないことをすべて排除していないのに、他者に原理的にそうあることを強要するのは、エゴである。僕は、医療者は、あくまでも医療は価値の交換作業であることに自覚的であり、謙虚であるべきだと思う。こんなことを書くと僕は「喫煙推進派である」とかいって責められる(かげで書き込みされる)ことがあるが、そういうことを言いたいのではない。もし日本の社会がタバコによる健康被害を価値として(好みとして)許容しなくなったならば、そのときに日本における喫煙者は激減するだろう。それはかつて許容されていたが今は許容されないリスク、、、例えばシートベルトなしの運転とか、お酒の一気飲みとか、飲酒運転とか、問診表なしの予防接種とか、、、の様な形でもたらされるだろう。禁煙活動とは、自らの価値観を押し付けるのではなく、他者の価値観が自主的に変換されていくことを促す活動であるべきだろう。かつては社会が許容したお酒の一気飲みや飲酒運転が許容されなくなったように。そんなわけで、原発もあくまでも価値の交換作業である。原発反対派の価値観は共有される人とされない人がいる。原発推進派も同様だ。そのバランスが原発の今後を決めると僕は思う。原発反対派も推進派も、究極的には自分たちの価値観を基準にしてものごとを主張しているのだと認識すべきだ。そして、自分の価値観を押し付けるのではなく、他者の価値観に耳を傾けるべきである。なぜならば、原発の未来は日本の価値観の総意が決めるのであり、総意は「聴く」こと以外からは得られないからである。おそらくは、今の価値観(好み)から考えると、原発を日本で推進していくことを「好む」人は少なかろう。かといって電気がない状態を好む人も少ないと思う(他のエネルギーに代えることが必ずしも解決策ではなさそうなのは、先に述べた通り)。その先にあるのは、、、、ここからは発電の専門家の領域なので、僕は沈黙します。 《関連書籍》 感染症は実在しない―構造構成的感染症学 《その他の岩田健太郎氏の関連書籍》リスコミWORKSHOP! ― 新型インフルエンザ・パンデミックを振り返る第3回新型インフルエンザ・リスクコミュニケーション・ワークショップから

1155.

教授 富田剛司 先生「全身の疾患が眼に現れることは明確 眼を診るのは診断の第一歩である」

1955年2月4日生まれ。80年岐阜大学医学部卒業。専門分野は眼科で主に緑内障。86年緑内障学研究のため米国留学。92年客員研究員としてフィンランド留学。93年岐阜大学医学部眼科講師。99年東京大学医学部眼科助教授。07年東邦大学医療センター大橋病院眼科診療部教授就任。日本緑内障学会理事、データ解析委員会委員、ガイドライン作成委員会委員。眼科医の魅力眼科医というのは自分で所見を取って、そのまま自分で治療ができます。外科疾患ですと最初は内科で診断を受けても、腫瘍が発見された場合、薬物治療以外は外科医の担当となります。ですが、眼科は診断から治療まで一貫して担当することができるのです。眼科というと全身を診る医師のイメージから離れているので魅力を感じないという医学生もいますが、実は私もそう考えていました。眼底にはいろいろな変化が現れてきますので、それを診て今までわからなかった身体の状態、もしくは病気が発見されることが多々あります。眼底の変化から高血圧や糖尿病などが発見されることも多いのです。これらの病気を眼科医に指摘されて、あらためて内科を受診することは少なくありません。循環器内科の先生や生活習慣病などを専門にしている先生からは「眼科医が常駐していない病院は不安だ」という意見を聞いたこともあるほど、内科医の先生方からは頼りにされていると自負しています。医師にとって眼を診るのは診断の第一歩であり大切な所見過程の一つです。しかし、私見ではこのような診断方法が多少なりとも軽視されているのではないかと危惧していますし、眼の所見を取らない医師がいることについては嘆かわしいことと思っています。人は眼をつぶると80%の情報量がさえぎられるそうです。哲学的にいうと、眼を診ているというのは存在すべてをみている。このような意味でも、眼科医は誇りを持ってよいと思います。眼の診断からわかることたとえば眼底出血の場合、網膜の浅い部分からの出血であれば、視神経の疾患を疑うか、高血圧症や動脈硬化症などの疾患も考えられます。また、深い層からの出血であれば糖尿病や貧血、白血病などが疑われます。このように全身疾患が眼に現れることは明確です。さらに、がんの転移が眼に現れてわかる場合もあります。「眼が見え難くなった」という症状を訴えて来診した患者さんの場合、明らかに眼が原発の腫瘍ではない腫瘍が認められました。これは身体のどこかに悪性腫瘍があるに違いない、となって内科系の検査をしたところ、がんが発見された例がありました。また、自覚症状はなく、健康診断ということで視野検査をしたところ異常がみつかりましたが、それは眼の異常でないことは明白で、結果、脳腫瘍が発見された例もありました。視野の欠損にはパターンがあって、眼病からなるものとそうでないものは明確にわかります。このようなケースがままあるので、眼科学会としては40歳を過ぎたら年に一度は眼の検診を受けてほしい旨を推奨しています。「眼は心の窓」といいますが、極端にいえば病態を知るための身体の窓でもあるのです。40歳以上は20人に1人が罹患する緑内障緑内障は眼圧の影響を強く受けて視神経が障害される疾患で、なかなか完治させることが難しい病気です。放置すれば、重篤な視覚障害をもたらします。ですから、早期に発見し眼圧を下げて軽度のうちに進行を止めることが重要です。近年40代以上の20人に1人は緑内障があるともいわれるほど身近な病気ですので、何らかの理由で眼科を受診した患者さんの中に緑内障を疑われる人は意外と多いのです。また、急性緑内障の場合は激烈な症状として、強い頭痛、嘔吐など内科的発作が現れます。これらの症状を訴えて救急に行った場合、たいていは脳出血などを疑ってCTやMRIの検査をします。その後症状が落ち着いたら、脳神経外科の受診を勧められるでしょう。しかし、まったく眼の診断がなされず、緑内障も疑われなかったために、治療が遅れて残念な結果になってしまった例も少なからずあります。どの科の専門であっても医師ならば必ず眼科の講義は受けているはずですが、眼の疾患がおざなりになっている現状を危惧せずにはいられません。緑内障診断の正確性を高めたい緑内障は眼球の内圧により、視神経が圧迫または障害されて、視野狭窄や視力が低下する病気です。検査は眼圧測定、視野検査、眼底検査が行われますが、日本人の場合、眼圧は正常なのに視神経が障害される「正常眼圧緑内障」が多いので、早期発見のためには視神経乳頭の状態をみる眼底検査が重要です。しかし、従来の眼底検査は平面写真で診断するため、視神経乳頭の凹み具合の判定は、眼科医の技量・経験によって判断が異なるという問題がありました。私が研究の主体としているのは、誤診が多いとされている緑内障の診断について、これをより正確にするための標準化――スタンダリゼーションを目指しています。そこで、客観的かつ的確に眼底を診断する手段として生まれたのが、眼底三次元画像解析装置です。これはまだ完成には至っていませんが、緑内障の診断が得意ではないような方、または緑内障との判断が難しい場合や自信がない場合、装置の結果をみることによって判断材料が増えると考えています。補助的な診断材料としては有効であると思います。もちろん、機械ですべて判断できればそれに越したことはありませんが、それはこれからの課題です。適切に診断し、適切に治療することが難しい病気であることは認識しておりますので、経験を積んだ指導医のもとで学ぶことが必要だと考えております。また、これは緑内障学会としてきちんとした指導システムを構築しなければいけないのではないかとも考えております。医学生の皆さんへ白内障の手術であれば自らの執刀が20件以上、助手であれば100件以上の実績が前提になりますが、ほとんどの人が後期研修医から5~6年で専門医になれます。眼科医は視覚が何らかの理由によって衰えた患者さんが、自分の診断、治療によって治癒していくのをつぶさに確認できる。私自身もそうでしたが、医師となって比較的早い時期に達成感を得られる可能性が高いと思います。研修を始めてから10年ほどで患者さんを満足させる十分な医療技術を身につけることができるのは、眼科医ならではの特徴です。さらに、マイクロサージェリーは実体顕微鏡(マイクロスコープ)を使うため老眼の影響を受けないので、現役でいられる時間が長いのです。医師にはなりたいけど手術には向いていないという人ならば、網膜の病気であってもレーザー治療などメスを持たない眼科の診療もあります。逆に、自分は手術が好きだという人であったら、それを主に選択することもできるのです。医学生の皆さんは、とかく近い未来しか考えていない面があり、20年後、30年後の自分のビジョンを持っている人は少ないようです。長い目でみた場合、眼科ほど息が長く医師としての活動が行える分野はないように思えます。また、家庭の事情があって出産などによる数年のブランクがあっても復帰しやすいのも眼科医です。当大学の眼科で行っている最新治療としては、網膜黄斑症などの疾患に対して、硝子体の手術を行うのですが、その後、眼の中に空気を入れて穴を塞ぎます。その場合、術後1週間はうつ伏せ状態でいなくてはなりませんでした。これは患者さんにとって大変な負担です。そこで、うつぶせ状態でなくてもよい状態の研究を始めています。また、学術活動にも力を入れており、国内学会での研究発表はもとより、海外での国際学会にも積極的に参加し、高い診療レベルを維持するよう努めています。質問と回答を公開中!

1156.

教授 富田剛司 先生の答え

緑内障手術を受けた患者さんの細菌感染について日本緑内障学会からの災害時の注意を読みました。緑内障手術を受けた患者様では、衛生環境の悪化や抵抗力の低下によって細菌感染(濾過胞炎・眼内炎)を生じる危険があります。とありますが、術後どのくらいの期間までを指すのでしょうか?術後1年以上であれば危険がないのか、そもそも緑内障手術を受けた患者さんは常に細菌感染のリスクがあるのか?教えていただけると助かります。私の地域でも被災地からの避難者(疎開?)が増えてきました。整形外科(クリニック)をやっていますが、できることは全てやって差し上げようと他の領域についても勉強を始めた次第です。初歩的なことかとは思いますが宜しくお願いします。緑内障手術の中でも術部位に濾過胞が形成される線維柱帯切除手術後の、濾過胞関連感染症の発症頻度は、報告にもよりますが、1から3%とされており、感染のリスクは濾過胞が形成されている限り(これがあるために眼圧が下がるのですが)続きます。濾過胞の壁(結膜)が非常に薄くそこから房水が漏出しているような状況の場合、濾過胞が眼球下方に形成されている場合は、特に感染のリスクは高くなります。逆に、十分に壁の厚い(厚い結膜で覆われている)濾過胞の場合はリスクはほとんど無くなります。眼科医にすぐ診察を受けられないような状況下で緑内障術後の患者さんがいらした場合は、点眼中止が可能かどうかの判断は難しいと思いますので、念のため抗生物質の点眼薬を継続して使用していただく方がよいと思います。 眼底三次元画像解析装置について眼底三次元画像解析装置については3,4年前に記事を読んだ記憶があります。(確か富田先生の記事でした。)まだ完成に至ってないとのことですが、完成度としてはどの程度まできているのか教えてください。眼底三次元画像解析装置は、すでに検査技術料が保険収載されており、そういう意味では眼科診療に一般的に受け入れられています。完成に至っていないとの記事内容ですが、画像解析装置のみを用いて緑内障を100%自動診断するには至っていない、という意味で書きました。画像解析装置の使用目的として、健康診断などで眼科医がいないような状況下においても緑内障を早期に自動診断することが究極的な目標の一つに挙げられています。しかし、今のところ装置のみによる診断精度は80%から90%くらいであり、現時点では画像解析結果の最終判断は眼科専門医に委ねられるべきであると考えています。心身不安からくる疾患(眼科領域)について災害時などでは心身不安から急性緑内障発作をおこす方がいるとのことですが、他にも気をつけるべき疾患はありますでしょうか?眼科分野において、緑内障の急性発作以外に急激に発症し早急な治療を要する疾患としては、網膜剥離、網膜中心動脈あるいは静脈閉塞症、視神経炎(眼を動かすと眼の奥が痛いなどの症状を伴って、強い視力低下を自覚する)、ぶどう膜炎の発作(ベーチェット病など)等々がありますが、自覚症状としては通常、眼の症状に限定されるので、少なくとも眼疾患であることは比較的分かりやすいと思います。災害時の心身不安ということを考えた場合、逆に目に関する不定愁訴のようなものが増える可能性もあると思います。緊急性を見分ける検査としては、やはり視力検査が重要と思いますので、どこかに視力表があるとよいと思います。この場合、メガネを掛けた状態で矯正視力を評価するのが重要な点です。急性緑内障先生の記事大変勉強になりました。大橋病院さんで、救急に運ばれてきて、結果、急性緑内障だったケースは年間何例くらいあるのでしょうか?私は、強い頭痛、吐き気を訴えてきた患者さんは、まず近くの脳神経外科に直ぐ行かせていました。今のところ、結果急性緑内障と診断されたことはないのですが、先生の記事を拝見する限りでは、眼科もある病院を紹介した方がよいのでは?と考え直しているところです。緑内障の発作であると最初はわからなくて体調不良として救急を受診される方はさすがに少なくて、ほとんどがすでに眼科医を受診された上で緊急紹介されるか、救急で受診されても眼の症状ということで最初から眼科に廻されてくることが多いです。大橋病院で救急に運ばれてきて、最初はわからなくて脳外科的検査も受けた後、結果、急性緑内障だったケースは私の記憶では、この5年間でお一人くらいだったと思います。なので、ほとんどの場合は問題とはならないと思いますが、眼科医が眼をみて初めて、「あ、緑内障の発作だ」という事例はありますので、やはり、可能であれば眼科もある施設にご紹介されるのがベストと考えます。40歳からの眼科健診先生が推奨されている「40歳からの眼科健診」は私も賛成です。先生も他でご指摘されているように、生活習慣病に焦点があてられている住民健診では眼科健診を取り入れることは難しい、と考えますが…。しかし一方で、全ての自治体が動き、住民健診の中に眼科健診が取り入れられた場合、現状の眼科医でさばけるのでしょうか?緑内障の診断は難しいと聞きます。健診を標準化できるように眼底三次元画像解析装置など開発されているかと思いますが、住民健診の場全てにその装置を配備することは難しいのでは?と思います。この点について先生の見解をお聞かせいただければと思います。先生のご指摘はまったくその通りだと思います。先の眼底画像解析装置のご質問にもお答えしましたが、画像解析装置での眼底スクリーニングには限界がありますので、住民健診の場で使用できる現状にはまだ至っていません。現時点で私が考える最も効率的な緑内障を含めての眼底疾患スクリーニング法は、無散瞳眼底写真撮影です。考え方としては、胸部レ線による疾患のスクリーニングに近いと思います。眼底カメラの価格は300から500万円くらい。熟練した技師であれば眼底写真撮影は数分ですみますので、畳一畳分くらいの暗室があればOKです。写真はカラープリント(あるはスライド)にして眼底読影医(眼科専門医が望ましい)が判定することになります。したがって、健診の場に眼科医がかならずしも常駐する必要はありません。問題は、先生もご指摘のように、眼科医が対応できるのか、ということです。眼底読影という点については、各健診地区で読影の拠点施設(眼科医会の協力が必要か)を確立できれば良いように思いますが、スクリーニングで精密検査が必要となった場合が問題となります。緑内障で言うと有病率は5%であり、おそらく日本人全体で350万人くらいの緑内障が患者いると想定されます。日本眼科学会に登録している眼科医は現在1万5千名くらいですので、単純計算で眼科医すべて(後期研修医も含め)が200人強の緑内障患者を受け持つことになります。残念ながらこれは眼科医からみれば無理な数字です。誰が緑内障を診るのか、ということについては今後の議論を待たねばなりませんが、"40歳以降の目の健診"については、現在は会社の健康診断や各病院の人間ドックメニューに眼底写真撮影を取り入れてもらうようにすることから健診者を増やしていければと思っています。手術時の患者さん対応について目の手術となると患者さんの不安は大きく(当然ながらメスが近づいてくるのが見えるんですよね?)、しかも局所麻酔なので、周囲の音も聞こえ、ますます不安が大きくなるのかと想像します。手術の時に患者さんをリラックスさせるために行っていることや、気をつけていることがあればご教示ください。大変重要なご質問です。手術前の患者さんをリラックスさせるための手段として、多くの眼科施設でBGMを流しています。私の施設でもクラッシックやヒーリング系の音楽を流すようにしています。子供や若い患者さんには、あらかじめ自分の好きなCDなどを持ってきてもらって、それを流しています。また、洗眼などの手術準備中はできるだけ声を掛けながら、場合によっては世間話をしながら、患者さんの緊張をほぐすようにしています。富田先生は最初から眼科医を目指していたのでしょうか?富田先生は最初から眼科医を目指していたのでしょうか?また眼科医を目指そうと思ったきっかけなどあれば教えていただければと思います。私は学生の頃は、循環器内科に興味を持っていました。心電図を読むのが好きで、先生に褒められたのも一因です。ただ、眼科のポリクリの時に、アメリカのNIHでの留学から帰ってきたばかりの講師の先生が、眼科の疾患の説明はそっちのけで、人間の眼と、魚やカタツムリの眼の構造上の違いや類似点を楽しそうに話してくれたのが強い印象となって、父が眼科医であることもありましたが、眼科医の道を選びました。日本人と欧米人の眼の違い外科系の先生からは日本人と欧米人では体質が違う(肉食系の欧米人は血がドロドロ、でも止まりやすい、日本人は臓器が小ぶりなので欧米人よりも手術に気を遣う)ので、注意するようにと教わりました。眼もそのような質の違いがあるのでしょうか?(医学生)確かに日本人の眼と欧米人の眼で違いがあるように感じます。眼球は、眼窩という頭蓋骨のくぼみの中に収まっていますが、欧米人の眼窩は広くゆったりしており、日本人の眼窩はそれよりは狭い感じがあります。眼球の大きさはさほど違わないので、日本人の眼は眼窩周囲の組織に圧迫されているような感じがあります。したがって、硝子体圧が高めです。これは、白内障手術などをする場合、水晶体がせりあがってくる感覚があり、やや、手術がやりにくいと感じる場合があります。ただ、日本人の眼で慣れてしまうと、逆に白人の手術をする場合、眼球内がふにゃふにゃしている感じがあります。したがって、白人の眼はそっと丁寧に扱う必要性があるように思います。ただ、これは微妙な違いなので、ものすごく問題になることはありません。眼科医以外が眼科のことを学べる取り組み「どの科の専門であっても医師ならば必ず眼科の講義は受けているはずですが、眼の疾患がおざなりになっている現状を危惧せずにはいられません。」全くその通りです。私も講義を受けた記憶はありますが…。数年前から大学を離れ、診療所で患者を診るようになり、今更ながら後悔しています。プライマリー・ケア医に役立つ眼科セミナーや、勉強会など、眼科医以外が眼科のことを学べる取り組みがあれば参加したいと思います。もしご存知でしたらご教示お願いします。真摯なご姿勢に敬意を表します。大変重要なポイントをご指摘いただいたと思います。残念ながら、日本眼科学会や眼科医会には、他科の医師を対象とした眼科プライマリー・ケアに関する講習プログラムはこれまで存在しておりません。今回のような大震災を経験しますと、専門科を超えて医師が最低限知っておくべきプライマリー・ケアの知識と技量の生涯教育の必要性を痛感します。他科医師を対象とした眼科のプライマリー・ケア―のセミナーに関して、一度、学会に提言してみたいと思います。海外と日本の違い富田先生は海外留学のご経験も豊富とのこと。富田先生が思う、世界で一番眼科医療が進んでいる国はどこでしょうか?またその理由もご教示ください。失明率(一定人口中の失明者の数)や人口あたりの眼科医の数、眼科診療器械の普及度、眼科手術の件数、等々でその国の眼科医療を評価した場合、日本の眼科医療が実は世界一という結果が出ています。これは、日本の保険医療制度が大きく貢献しているとも言われていますが、日本の眼科医の質の高さを示す、誇るべきことであると思っています。近年、岐阜県の多治見市と沖縄の久米島で緑内障に関する疫学調査が行われましたが、それに付随するデーターとして、両地域間の失明率に違いはないことが明らかになりました。このことは、すくなくとも眼科医療に関しては、日本のどの地域であっても遜色なく普遍的に行われていることが示されており、日本の眼科医療が世界一であることを裏付けるものであると思います。総括大変多くの方からご質問をいただき感激しました。今回の質問にもありましたが、何と言っても、東日本大震災に関することで、眼科医療の重要性が再認識されていることをお伝えしたいと思います。今回、被災地から点眼薬やコンタクトレンズ用品、眼科医の不足を訴える声が大きいと聞きます。災害地が広範囲にわたるため、とりあえず近隣の眼科医を受診するということが出来なくなっているのです。災害では救急救命が重要なことは言うまでもありませんが、避難生活が長期化しだすと、やはり慢性疾患や、視覚などの生活の質を左右する要素に関するする対応も重要であることが痛切に感じられました。現在、産科医や小児科医の不足が問題になっていますが、実は、眼科医の数も年々減っています。今後日本が超高齢化社会を迎えるにあたり、物がみえているという最低限の生活のクオリティーを守るべき人がもっと増えてもいいのではないかと思っています。教授 富田剛司 先生「全身の疾患が眼に現れることは明確 眼を診るのは診断の第一歩である」

1157.

部長 中山優子 先生「がん治療における放射線治療医は多くの可能性をもつ魅力ある分野」

1959年7月8日神奈川県横須賀市生まれ。84年群馬大学医学部卒業。専門分野は放射線腫瘍学・肺がんの放射線治療。99年群馬大学医学部放射線科講師、05年東海大学医学部放射線治療科学准教授、08年神奈川県立がんセンター放射線腫瘍科部長就任。日本医学放射線学会・放射線科専門医、日本放射線腫瘍学会・放射線腫瘍学認定医、日本がん治療認定医機構・がん治療認定医等。日本放射線腫瘍学会(評議員)、米国放射線腫瘍学会、日本医学放射線学会、日本肺癌学会(評議員)、世界肺癌学会、日本癌治療学会など。放射線治療医の魅力放射線治療を専門とするがん専門医のことを、私たちは放射線腫瘍医と言っていますが、ここではわかりやすく放射線治療医という言い方をします。私が卒業した群馬大学医学部は、放射線治療がとても盛んで、講義も臨床実習も内科や外科と同じコマ数があり、おかげでびっしりと放射線治療について学ぶことができました。また、私がいた群馬県内の病院では、放射線科だけで50床あり、そこで全身の状態を内科的診療で診ながら放射線治療ができるという理想的な環境にありました。放射線治療が対象とするがんは広範囲です。がん診療では通常、消化器、呼吸器など診療科ごとに特定の臓器への関与に限られます。しかし、放射線治療は、脳腫瘍から骨、皮膚、その他すべての臓器と横断的に関われるというのが、私にとって一番の魅力でした。医療手技についても幅広く習得できました。日常臨床で、頭頸部の診察なら喉頭ファイバー、肺の診察なら気管支ファイバー、消化器であれば消化管の内視鏡検査、婦人科であれば内診をやりますから、このような手技的にも幅広く経験できるのです。放射線治療では、人の身体全体を診ることにより新たな知識を得ることができます。たとえば、放射線治療は、喉頭がん、子宮頸がんの早期には非常に高い治療効果があるので、同じ扁平上皮がんの肺がんでも治療効果は高いはずだ、などの考え方ができるようになります。このように、医師としての深い知識を横断的に得ることができたのも大きな魅力だといえます。幅広い放射線治療の可能性がんにおける放射線治療の活用方法は幅広いものです。まず、がんの根治を目的とする根治照射、延命を図るための姑息照射、そして骨転移・脳転移などの症状を和らげる緩和照射まで適応可能です。それに加え最近では、一方向からの放射線の線量を変えたり、精度高く照射部位を絞ったり、重粒子線などを用いることによる治療のバリエーション拡大で、個々の患者さんに合った治療選択ができるようになりました。放射線治療の特長として考えられるのは、まず身体への侵襲の少なさです。放射線治療は一般に身体外からの照射ですので、手術と異なりメスを入れずにすみます。また、放射線治療は局所療法ですので、抗がん剤とは異なり全身性の副作用が少ないのです。そのため、全身状態が悪い人や高血圧・心臓疾患などの合併症を患っている方、高齢者にも適応しやすいというメリットがあります。もう一つの特長は、臓器の機能保持が可能だということです。同じ局所療法でも手術とは異なり、放射線療法では臓器を残し機能を温存することができます。たとえば、声門部がんでの喉頭部摘出などは、患者さんのQOLに関わる大変重要な問題ですが、放射線治療が適応できれば喉頭部を残すことができます。臓器を残せるというメリットは非常に大きいといえます。放射線治療が有用ながんの代表は,早期の頭頸部がんです。その他子宮頸部などの扁平上皮がんには非常に高い効果があります。また、進行がんにも適応が確立しつつあり、遠隔転移がない肺、食道、頭頸部の進行がんでは抗がん剤と併用する化学放射線療法が積極的に行われています。さらに、術後の照射にも使用が拡大しています。乳がん乳房温存手術後の放射線照射により、術後の顕微鏡的な残存腫瘍を根絶するというものです。この治療により再発リスクが約3分の1に減少することが明らかになっています。放射線治療の新しい分野である重粒子線治療についても具体的な有用性が明らかになっています。骨肉腫や悪性黒色腫などの難治性腫瘍や穏やかな脊索腫などで高い効果を上げています。今までX線の放射線では治らなかったがんが治癒できるということは画期的なことです。何よりも患者さんにとって非常に大きな朗報だといえるでしょう。重粒子線治療ができる施設は千葉県の重粒子医科学センター病院など日本全国で現在3つしかありませんが、今後増えていくでしょう。日本における放射線治療の現状と問題点放射線治療医が足りないことが大きな問題です。放射線治療に興味を持ってもらうためには、まず大学教育の改革が大切だと思います。今まで、多くの大学では放射線科講座がひとつあるだけで、そこで画像診断、核医学、放射線治療もすべて教えるという状況でした。そのため日本放射線腫瘍学会では、治療科と診療科の講座を別々にしてくださいという要望を各大学に出しています。その結果、いくつかの医学部では診断と治療が独立する方向で、放射線治療の講座ができつつあります。学会でも学生教育が最重要課題と考え、放射線治療の魅力を知っていただくために、夏に学生や研修医を対象としたセミナーを継続して開いています。国でも、がんプロフェッショナル養成プランにより放射線療法に関する腫瘍専門医師の養成を推進しています。臨床の現場では各臓器別のキャンサーボードに、内科系、外科系、病理、画像診断、そして放射線治療医が集まり患者さんの治療方針について検討するのが理想です。各臓器のスペシャリストの先生方と同じ土俵で討論するには知識が必要ですが、放射線治療医の特性も上手く生かせると思います。各スペシャリストと我々の違うところは、我々はがんについて広く知っているという強みです。また、現在は一臓器だけでなく、様々ながんを合併して発症している患者さんも少なくありません。たとえば、頭頸部と食道部に合併しているがんでは、放射線治療により両方治療できるのも大きな利点です。このように、放射線治療医としての特性や放射線治療のメリットを生かしながら、スペシャリストの先生方に積極的に関わっていくという姿勢が必要であると思います。そして、がん治療に関わっている先生方には放射線治療についてもっと知っていただけたらと思います。我々からのアプローチ不足もありますが、これも大きな問題です。たとえば、新規患者さんが来られた場合、放射線治療ができるかどうかを放射線治療医に相談していただければと思います。大きな腫瘍だから抗がん剤でないとダメ……など先入観や知識不足から、放射線治療の適応があるにもかかわらず治療選択肢に入らないことも少なくないと思います。がんが進行してから我々に相談されることもありますが、それでは患者さんにとって最良の治療ができなくなってしまうことが多々あります。放射線治療の適応については、独自に判断せず、是非治療を始める前に一度近くの放射線治療医の意見を聞いて欲しいと思います。現状では放射線治療医の常勤がいないこともありますが、せめて電話での問い合わせをしていただくとか、こちらに患者さんに来ていただいてお話を聞くという方法でも構わないと思います。新設予定の神奈川県立がんセンターの重粒子治療施設平成26年度にオープンする予定の重粒子治療施設ができれば、日本で5ヵ所目の施設となります。神奈川がんセンターの中にできるこの施設は、病院との併設型です。各診療科でがんの各臓器の専門医がいるところにできるので、包括的なサポートが可能になります。この施設はよりたくさんの患者さんに治療を提供できるように、臨床に特化した施設にしようというのが我々のポリシーです。さらに、一般的なX線治療にも高精度治療装置が導入されます。そこに一つのモダニティとして重粒子線治療が入ります。ですから構想的にいえば、放射線腫瘍センターに来られた患者さんに、重粒子線治療を含めた最も適した放射線治療を提供できるように準備していきたいと思っています。設備には大変な金額がかかりますが、それでも重粒子線でなければ治らない患者さんもいます。このセンターができれば、県内だけでなく東京都南部及び西部からの通院が可能な位置にあることから、全身状態が悪くない患者さんについては外来で治療を行う"外来通院型"の重粒子線治療を目指しています。これは現役で仕事をされているような患者さんにとっては大変な朗報だと思います。放射線治療医を目指す皆さんへ前述の通り、放射線治療医はすべてのがんを診ることができます。また、自分がやりたいスタイルを選ぶことができます。たとえば、ベッドを持たず外来診療だけを行っている施設もあります。このような施設では夜中に入院患者さんの治療で呼び出されるということはありません。これは家庭があってお子さんのいる女性医師にとっては、とても魅力的だと思います。逆に、以前私が働いていた病院のように、ベッド数を多く持ち患者さんの全身を診ながら放射線治療を行う、内科的な意味合いも兼ねた放射線治療医という形もあります。放射線治療科といっても機能の幅が広いので、自分がどのような医師になりたいか、あるいは自分のライフスタイルやポリシーに合った施設を選ぶことができるのです。最近の放射線治療では、物理的に精度の高いロボットのような機械を用いて治療することがあります。若い医師の中には、自分の手を使わずにロボットでがん治療するという、物理学的な興味から入ってくる方も多いですね。一方、外科的な部分もありますので、外科医もやりたいけどがんを全体的に診たいという人も入ってきます。生物学的、物理学的研究なども、広く学べる。がん治療のチームに入ったならばどのポジションもできるのが放射線治療医なのです。質問と回答を公開中!

1158.

日本精神神経学会など「プライマリ・ケアおよび精神医療の専門性の認識に関する調査:国際比較研究」アンケートを実施

日本精神神経学会アンチスティグマ委員会が世界精神医学会と協力し、「精神科および精神科医に対するスティグマ‐国際比較研究」を実施中。アンケートに協力できるプライマリ・ケア医を募集している。この調査は、精神科医療と精神科医に対してプライマリ・ケア医が、どんな認識、思いを持っているかを調査するもの。精神疾患については、根拠のない情報が多く流れているが、プライマリ・ケア医との協働で精神疾患の診療にあたるため、それら偏見を評価し、正していく目的で実施される。以下、日本精神神経学会アンチスティグマ委員会より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・プライマリ・ケアと精神医療の専門性は、世界的に、十分な認識が得られていないようです。世界家庭医療学会(WONCA)、世界精神医学会などと協力して、日本精神神経学会で、この問題に関するアンケートを行っています。調査のデータに基づいて、プライマリ・ケアと精神医療の専門性への認識を改善することが目的です。回答所要時間は、20分程度です。Webアンケートはこちらから(日本語版が用意されています)http://www.unipark.de/uc/Stigma_Psychiatrists/ご協力よろしくお願い致します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※スティグマとは、本来烙印あるいは聖痕という意味であるが、今日では差別によって社会的不利益を被っている人達に課せられた烙印といった意味で用いられることが多いとこのこと。

1159.

教授 鈴木康夫 先生「最先端の治療で難病患者を支える、グローバルな医療現場」

1981年滋賀医科大学卒業後、千葉大学医学部第二内科入局。アイルランド・トリニティ大学留学。2003年東邦大学医学部付属佐倉病院内科助教授、2004年同院消化器センター長、2006年より現職。日本消化器内視鏡学会認定指導医、日本消化器病学会認定専門医。難病「潰瘍性大腸炎」「クローン病」が日本で急増中「潰瘍性大腸炎」と「クローン病」は、日本ではまだ歴史が浅い病気で、元々は欧米諸国の白色人種に多いことで知られています。特に北欧・西欧・北米地域で広がりをみせており、クローン病は近代化された地域の人たちに多く発症している病気であると認知されています。しかし、今、日本でこれら両疾患が急増しています。当院の診療科では約800人以上の患者さんを診療しており、外来には多い時で1日約100人位の患者さんが来院します。患者さんの絶対数は欧米諸国に比べまだまだ少ないのですが、増加率が他の国に比べ高いのが特徴です。私は日本人を取り巻く食生活、ライフスタイル、衛生環境などの変化が影響していると考えています。我々が最近注目している発症要因の一つに、腸内細菌のバランスがあります。まだ研究している段階ですが、腸というのは実は複雑な臓器で腸内の各種要因、特に細菌叢のバランスが重要で、それらは大脳へも強く影響している可能性もあることがわかってきました。最近話題にされるメタボリックシンドロームですが、その病因にも腸が関係している可能性があり、腸の働きがクローズアップされています。私たち人間の体は腸の働きによって健康を保っているとも考えられているのです。よって、我々は「潰瘍性大腸炎」「クローン病」と、腸内細菌叢のバランスとの因果関係に注目しているのです。難病相談、講演活動の日々が臨床開発のヒントに十数年前まで、千葉県には「潰瘍性大腸炎」「クローン病」を専門に診察する医師がいなかったこともあり、現在では急増する患者さんに対応が追いつかない医療機関が多くあります。また、最近では治療方法の選択肢が多くなったため、治療の質を上げてもらうために、それぞれの治療成績、治療戦略、対処方法などについて講演して回っている状況です。また、講演活動とともに地域での難病相談にも20年近く携わっています。県内全域を一人で回っていたこともありました。講演・難病相談とともに年々回数が増加していますが、今では後輩の専門医が参加してくれるようになり、手分けして対応できるようになりました。悩み相談に応じることにより、多くのことを学ぶことができました。病院の外来では、多い時で1日100人の患者さんを診察しなければならないため、残念ながら一人の患者さんに多くの時間を割くことができません。一方、難病相談では一人ひとりに時間を割けるため、様々なことを知ることができます。その中から研究開発のヒントを得たことは数多く、まさに臨床は研究の基礎でもありますね。患者さんには情報を開示して治療の道を迷わせない「潰瘍性大腸炎」と「クローン病」はとても手ごわく、またきめ細かい診断が必要です。そのため私は内視鏡を用いた検査から診断まで、一貫して自分で行うようにしています。その他はチームで治療にあたることになりますが、良質のチーム医療を行うためにはスタッフ同士の意思統一が必要不可欠です。また、最近ではインターネット上に疾患の情報が氾濫しているため、疾患や治療方法に対する誤った認識をもたらしているようです。そのため、私は医師をはじめ、看護師、薬剤師、栄養士と患者さんたちが一堂に会する会合をもち、栄養・薬剤・治療などに関する正確な情報開示を行い、当院での治療方針を説明し共有してもらうようにしています。スタッフの意思を統一し、また患者さんの気持ちをきちんと落ち着かせるためにも、このような会合を大切にしています。海外研究留学でクローン病患者と再度出会ったことで私が入局した頃は、海外留学をして欧米から学ぶというスタイルがほとんどでした。私はEPAの抗炎症効果に関する共同研究をすることになり、アイルランドに研究留学しました。研修医として初めての受け持ち患者さんがクローン病だったのですが、不思議な御縁で、留学でクローン病とまた出会うことになりました。留学するまで、クローン病はまだまだ日本では珍しい病気でしたのであまり意識したことはありませんでした。また、それまでの私は、当時の先端医療をリードしていた内視鏡が好きで、特にがん領域での内視鏡治療に携わっていきたいとの強い思いがありました。しかし、この留学で2年間内視鏡から離れたこと、多くのクローン病の患者さんたちに出会い、おそらくこれから日本でも増加する病気の一つになるだろうと思うようになったことから、「潰瘍性大腸炎」「クローン病」の臨床研究をしていきたいと考えるようになりました。そして帰国後は、困っている難病患者さんを前にして留学での経験を生かして貢献したいという気持ちが日に日に大きくなり、今に至っています。今の若い人たちは海外留学を希望する人が少ないと聞いていますが、自分の専門分野がどこで一番臨床研究されているかと考えると、やはり留学は重要な位置を占めるのではないでしょうか。そういった意味でも後輩たちに留学を勧めています。海外の生活は苦労が多いのですが、その苦労が人生のプラスにもなりその後の医師としてのキャリアに大いに役立つと思います。若い人にはもっと外へ出かけ、知識や技術を磨くきっかけにして欲しいと考えています。グローバルに活躍できる医療現場がここにはある今現在、当院では世界同時進行で、新薬の臨床製薬治験を行っています。病院のある佐倉市は都市部からは離れていますが、この地で欧米諸国と肩を並べられる、最先端の診療体制を構築することができたと自負しております。私の場合、身近にこの分野の先輩・指導者はいませんでした。そのため積極的に外へ出かけていき専門医の先生たちとコミュニケーションを取る、海外に出向き最新治療の情報を入手するなどして勉強することが多かったです。特に難病の専門分野を極めるにはこれが一番大事だと私は思います。医師としてこの分野で頑張るという強い思い、志は高く持ち、視線は患者さんと同じでいるというのが私のいつも信条としていることです。患者さんと同じ目線で病気を診ていると、わからなかったこともみえてくるものです。医師は自分の思い込みだけで診療をしていては駄目ですね。困っている患者さんは大勢います。私が若い時は欧米からただ学ぶだけでしたが、今の日本は他国をリードすることができると思います。目の前で困っている患者さんのためにも、今まで以上に世界に先駆けた臨床研究を行って欲しいと思うのです。最近、診療など上手くこなせる若い医師は多いのですが、一歩踏み出していける人が少ないと感じています。難病は先がみえず、特にこの病気は再発を繰り返す特徴があり、患者さんにとっては一生を通じて苦痛が伴いますから、患者さんの情報をしっかり把握できることが望ましいでしょうね。私はチームスタッフや若い医師に、「私たちの治療は世界で肩を並べられるものである。自信を持つよう」と常々言い聞かせています。佐倉から世界へ最新治療・治験の発信を行っており、これからもここ佐倉から発信していくつもりです。これからの医療を創っていく若い医師たちには、どんな場所でも、どんな環境でも、自信を持って世界に通じる医療創りに挑戦していただきたいと思います。質問と回答を公開中!

1160.

教授 鈴木康夫先生の答え

気分転換方法について潰瘍性大腸炎やクローン病などは、ある意味患者さんと一生の付き合いかと思います。私も慢性疾患を診ていますが、患者、家族とのコミュニケーション疲れから、医局を去る後輩もいます。先生のところでは、息抜きといいますか、コミュニケーション疲れを取り除くような気分転換について、何か取り組まれているでしょうか?もし極秘のノウハウ等あれば是非ご教示ください!残念ながら特別なノウハウはありませんし、特別な息抜き法もありません。確かに慢性疾患患者さん特有の気質があり、外来診療時間は長く神経を使う度合いも多いのはそれぞれ担当医の辛いところかもしれません。しかし、教科書や論文では判らない知識を個々の患者さんとの直接的対話や診療で初めて会得できることが未だ多くあるのも炎症性腸疾患の特徴ではないかと感じています。患者さんは日々の辛い思いを主治医に吐き出した時に初めて救われるのだ、と自分を納得させ、目の前の患者さんこそが生きた教材と知識の源だ、と思い日々の診療を楽しんでください。幸い、炎症性腸疾患は治療法が適切であれば患者さんは明らかに改善し満足いたします。患者さんが寛解し喜ぶ瞬間こそが我々主治医にとっての本当の息抜きを与えてくれる瞬間なのです。講演会の予定について是非先生の講演会に参加させていただきたいのですが、どこかに講演会のスケジュールなど掲載されているのでしょうか?ホームページなどがあれば教えていただきたく思います。宜しくお願いします。残念ながら、私個人の講演会のスケジュールをまとめてホームページでは掲載してはおりません。ただし、各市町村保健所が主催する講演会に関しては、各市町村の難病ホームページで開示している筈ですので参考にしてください。また、炎症性腸疾患に関するサイトがいくつか設立運営されており、そのようなサイト上に講演会の日程などが開示される場合もあるかもしれませんので、チェックして参考にしてください。患者・家族対応慢性疾患、特に難病だと、診断結果を患者・家族へ伝える瞬間が特に重要かと思います。先生が診断結果を伝えるときに気をつけていることや工夫していることをご教示ください。突然、難病と言い出すのは大変な誤りです。炎症性腸疾患患者さんに対して、いきなり難病ですと切り出すことは絶対にしてはならないことです。まずは病気の特徴や一般的な長期経過、そして治療法の説明をすること、個々の患者さんによって病状は様々であることを告げることも必要です。そして最終的には、現状では病因が不明であり完治が難しいという意味で、俗にいう難病に指定されている、ということを説明するべきです。難病といえども、以前に比べ格段に治療法は進歩し完治に近い治癒も可能であることも教えてあげる必要があります。後期研修について後期研修医は募集しておりますでしょうか?卒後4年目、肛門科にいますが、炎症性腸疾患の患者を多くみるようになり、興味を持っています。できれば専門としたいと考えております。情報あれば教えていただきたく存じます。当科では後期研修医制度を設け、積極的な受け入れ態勢を十分に準備しております。詳細は佐倉病院内科のホームページを参考にしてください。判りにくい場合には、ご連絡いただければいつでも対応いたしますし、参考のために来院され見学することや体験学習も可能です。 研究について現在行われている研究について教えてください。ホームページには、C型慢性肝疾患の発表資料は掲載されていますが、それ以外の情報がありません。他に何の研究を行っているのか教えてください。(医学部5年)炎症性腸疾患に関しては、基礎研究・臨床研究を含め多くの様々な研究を行なっています。その主な研究は:遺伝子工学技術を応用した細菌分析法により潰瘍性大腸炎・クローン病患者における腸内細菌叢変動の分析、その研究法を応用したprobioticsとsynbioticsの治療効果の解析、顆粒球吸着除去療法における有効性発現機序の解明、潰瘍性大腸炎病態形成と顆粒球機能異常の関連性、抗TNF-α抗体測定キットの開発、炎症性腸疾患患者抗TNF-α抗体製剤二次無効発現機序の解明、クローン病におけるre-set therapyの開発、免疫抑制剤至適投与法の開発、サイトメガロウイルス腸炎の診断と治療、新規内視鏡画像診断法の開発などを実施しています。その他、肝臓癌・膵臓癌に対する多剤併用カクテル療法の開発、肝炎・肝硬変に対するインターフェロン療法の開発なども行なっています。小児潰瘍性大腸炎記事拝見しました。毎日100人ほどの診察、恐れ入ります。外来患者のうち、小児潰瘍性大腸炎の患者さんはどの位いるのでしょうか?最近は小児潰瘍性大腸炎が増えてきたと聞くのですが、やはり増加傾向にあるのでしょうか?実際に診療されている先生の感覚値をお聞きしたく思います。私自身は内科医で小児科が専門ではありませんので、特段に潰瘍性大腸炎小児患者を多く診ているわけではありません。しかし、近隣の病院から小学生高学年以上の中学生・高校生で潰瘍性大腸炎・クローン病と診断された場合に私のところへ紹介されてくる場合が多いようです。最近では、以前に比べそのような若年者潰瘍性大腸炎患者さんの紹介率が増加傾向にあると感じています。以前には詳細な統計が存在していなかったようですが、最近炎症性腸疾患を専門にしている小児科の先生達が集計した全国統計では、小児潰瘍性大腸炎患者数は近年増加傾向にあり、重症化・難治化しやすい特徴があると報告されています。潰瘍性大腸炎罹患後の瘢痕症例は24歳男性。12年前潰瘍性大腸炎に罹患し、ステロイドパルスなどの治療を受け、現在は緩解。内服薬も必要としない。2年前のCFで、罹患時の影響か(?)5cmくらいの線状の瘢痕を認めた。この部分は将来、悪性化の可能性が他の部分に較べて高くなるのでしょうか。よろしくお願い致します。重症の潰瘍性大腸炎では、治癒寛解後も強い炎症部位に一致して瘢痕が残る場合があります。そのような部位が完全に瘢痕化したままで再燃を生じない限り、癌化の心配は通常はありません。潰瘍性大腸炎に関連した大腸癌の発生は、慢性的炎症が持続する結果として癌化を生じることが推測されています。従って、瘢痕化した部位は通常炎症が全く消失していますので特段に癌化の恐れはありません。潰瘍性大腸炎と他の腸炎との鑑別、治療方針について30代女性が粘血便で外来受診し、大腸内視鏡検査実施、所見としては盲腸と直腸にやや易出血性の発赤した粘膜があり、数か所を生検しました。病理診断は潰瘍性大腸炎の寛解期に矛盾しないがUCとの確定診断はできずとのことでした。ペンタサの投与で患者さんの症状は一旦軽減しましたが、ペンタサを中止して半年後くらいから、時に粘血便があり、なんとなく腹がすっきりしないとの訴えです。下痢はなく著名な下血はありません。再度CF生検でもUCの寛解期に矛盾せずとの診断です。現在、ペンタサを再度処方して様子を見ております。特に悪化するわけではありませんが、すっきりと良くなるわけでもなく、診断もはっきりせず、対応に苦慮しております。今後どのような方針あるいは検査、治療で臨めばよいのかご教示いただけるとありがたくよろしくお願いいします。実際の大腸内視鏡写真がないので明確なお答えは困難ですが、文面から推測すると直腸炎型潰瘍性大腸炎と診断されます。直腸炎型では盲腸にも同時に炎症所見を伴うことがよく観察されますので、潰瘍性大腸炎としては矛盾がありません。潰瘍性大腸炎では多くの患者さんが寛解後も再燃を繰り返しますので、症状が改善しても直ぐに服用は中止せずそのまま継続することが望まれます。直腸炎型でペンタサ服用によっても改善を認めない場合には、ペンタサ注腸剤の併用をお勧めいたします。ペンタサ剤の特性として病変部位に直接到達作用する必要があり、直腸炎型では注腸剤によるペンタサあるいはステロイド剤の直接的注入法が内服に比べ副作用が少なく有効性をさらに発揮してくれる可能性があります。潰瘍性大腸炎の食事私は管理栄養士です。先日潰瘍性大腸炎の患者さんから「生寿司を食べたい」の質問を受けました。潰瘍性大腸炎の症状にもよると思いますが時節がらノロウィルスの流行している時期であり、ノロウィルスに感染し下痢をすることは潰瘍性大腸炎にとって好ましくないと考えます。果物、大根おろし等は生で食べてもおかずになるものは原則加熱して食べることが必要と考えますがいかがでしょうか。アドバイスを頂きたく投稿しました。潰瘍性大腸炎の患者さんが、ウイルス・細菌感染による各種感染性腸炎や抗生剤・消炎鎮痛剤服用に伴う薬剤性腸炎の発症に注意することは、病状の再燃予防には重要であります。しかし、通常の感染予防・衛生管理を怠らなければ必要以上に過剰な食事管理をすることが医学的な意味を持つとは思えません。本来生で食することが可能である、新鮮で衛生的な食材であれば、加熱など必要ないと考えます。個々の患者・個々の病状に応じて適切な食事指導を実施すべきであり、科学的根拠のない画一的食事指導は人生の大事な要素である食の楽しみを奪いストレスを誘引してむしろマイナスになることを肝に銘じるべきです。潰瘍性大腸炎の合併症について潰瘍性大腸炎を発症3ヶ月で大腸の全摘出を受けた患者さん術後、膵炎を発症されたとのこと医師からは潰瘍性大腸炎の合併症で免疫性の膵炎だろうと診断されたとのことです現在は症状も治まっており、ときおりある自覚症状にフオイパンの服用をしているとのことでしたただ、膵炎が悪化した場合はステロイドを再開する必要がでてくるかもしれないと医師より言われているそうですせっかく大腸を全摘出しステロイドを中止することができたのにまた服用しなければならないのかと心配されています大腸を全摘出しても合併症は軽減されないのでしょうかまた、膵炎が悪化した場合の治療方法について伺えれば幸いですよろしくお願いいたします通常は膵炎を含めた様々な潰瘍性大腸炎の腸管外合併症は大腸全摘術によって改善するものですが、稀に大腸全摘術後に発症する場合もあります。その様な場合は、発現している症状・臓器に応じ限定した治療法も考慮されますが一般的にはステロイド剤を中心にした全身的治療薬の投与が必要となってきます。そして、ステロイド剤投与を避けたい場合には代わりに免疫抑制剤・免疫調節薬投与が有効性を発揮します。今回の場合、仮にフォイパンを服用しているにも関わらず自己免疫性膵炎が悪化しステロイド剤投与を避けたいとお考えであれば、主治医と相談し免疫抑制剤治療をご考慮してはいかがでしょうか。総括炎症性腸疾患は多彩な病像を形成する複雑な疾患群です。画一的にならず個々の患者さんの病状・病態を的確に判断し、適切な判断に基づいたきめ細かな医療の実践が望まれます。最近、炎症性腸疾患に関する情報が氾濫し一部には不適切な情報も含まれて患者さんに誤解を生んでいます。炎症性腸疾患における診療レベルは近年、著しいスピードで進化しています。我々主治医は勿論、薬剤師・看護師や栄養士といった患者さんに関わる全ての医療人は、科学的根拠に基づいた正確な情報を患者さんに対して迅速に適切に開示する努力を怠ってはなりません。教授 鈴木康夫 先生「最先端の治療で難病患者を支える、グローバルな医療現場」

検索結果 合計:1187件 表示位置:1141 - 1160