サイト内検索|page:5

検索結果 合計:142件 表示位置:81 - 100

81.

慢性うつ病と非慢性うつ病の差に関するシステマティックレビュー

 慢性うつ病(Chronic Depression:CD)が、非CDと対照的に、明確な特徴をどの程度有しているかはよくわかっていない。ドイツ・シャリテー大学病院のStephan Kohler氏らは、CD患者の社会人口統計学的要因、精神病理および疾患の経過に関して、非CD患者との比較を行うため、システマティックレビューを行った。Depression and Anxiety誌オンライン版2018年10月9日号の報告。 構造化データベース検索(MEDLINE、PsycINFO、Web to Science、CENTRAL)を実施した。CD患者と非CD患者を比較したすべての研究が含まれた。DSM-IVまたはDSM-5に従い、サブグループの診断を行ったコホート研究、横断研究、観察研究を含む28件の研究が特定された。主要アウトカムは、社会人口統計学的要因、小児期虐待、疾患発症、併存疾患、抑うつ症状の重症度および経過、明確な精神病理に関するグループ間の比較とした。 主な結果は以下のとおり。・CD患者は、非CD患者と比較し、抑うつ症状の早期発症、精神医学的併存疾患の高率な合併、複雑な治療経過(例:高い自殺念慮率)が認められた。・非CD患者と対照的な、CD患者の精神病理学的に明確な特徴(従順および敵対的な対人関係)がいくつか認められた。・小児期の虐待については、一貫性が認められなかった。・抑うつ症状の重症度および多くの社会人口学的要因に関して、差は認められなかった。 著者らは「いくつかの矛盾はあったものの、CD患者と非CD患者の間に重要な差が認められた。しかし、より多くの治療戦略を見いだすためには、今後、非CD患者と比較したCD患者の明確な精神病理を特徴付けるための研究が必要とされる」としている。■関連記事たった2つの質問で、うつ病スクリーニングが可能治療抵抗性うつ病を予測する臨床的因子~欧州多施設共同研究治療抵抗性うつ病の予測因子に関するコホート研究

82.

膣内にビー玉と人形の靴が1年半も入っていた少女【Dr. 倉原の“おどろき”医学論文】第126回

膣内にビー玉と人形の靴が1年半も入っていた少女 いらすとやより使用 異物論文といえば、男性の泌尿器系・消化器系の論文が多いのですが、検索すると時折産婦人科領域の論文もあります。今回紹介するのは、5歳の少女の異物論文です。場所は産婦人科領域ですが、結構たらい回しになってからの診断です。 岩川眞由美ら.診断までに1年半を要した膣内異物の5歳女児例日小外会誌 1997;33:765-769.今から26年前の症例です。当時4歳だった少女の下着に悪臭を伴う分泌物が付着していることに母親が気付き、近所の泌尿器科を受診しました。膀胱炎ということで抗菌薬を処方されましたが、症状が改善しないために別の小児科を受診しました。ここでも抗菌薬のみの処置でした。うーん、膣の中を診ようとは思わなかったんですかね。3院目で婦人科を受診したところ、カンジダ膣炎と診断されて膣錠を処方されました。これでいったん症状は治まりました。落ち着いてきたので経口抗菌薬に切り替えたところ、再び悪臭帯下が出現。さらに別の皮膚科へ受診することになります。ここでも膣感染症ということで抗菌薬が処方されました。一度は良くなっても悪化を繰り返す帯下。5院目で最初とは別の泌尿器科を受診して、最終的に膀胱膣瘻という診断が下されました。しかし、原因については判然とせず、結局抗菌薬で経過をみていました。ここまでの期間が全部で1年半。長いです。6院目が筆者らの所属する筑波大学病院小児外科でした。膣造影検査により、膣内に多数の異物が観察されました。そう、膀胱膣瘻の原因は異物だったのです。膣内異物に対して、全身麻酔下で異物摘出術が行われました。なんと、摘出された異物は、ビー玉3個、人形の靴1足、プラスチックのビーズ7個、菓子包装紙1枚!これが1年半も膣の中に入っていたというから驚きです。主治医は冷静に、女児に異物を入れるとこういうことになるということを説明し、親にも過度に驚くものではないと説明したそうです。あまり大騒ぎして、女児のトラウマになってはいけないとの配慮です。本症例では虐待の根拠もなく、また女児の性的な意識が原因というわけではなく、とくに意識されずに挿入されたようです。というわけで、どの年齢であっても軽快しない悪臭帯下を診た場合、異物を疑う必要がありますね。

83.

乳児血管腫(いちご状血管腫)〔infantile hemangioma〕

1 疾患概要■ 概念・定義乳児血管腫(infantile hemangioma)は、ISSVA分類の脈管奇形(vascular anomaly)のうち血管性腫瘍(vascular tumors)に属し、胎盤絨毛膜の微小血管を構成する細胞と類似したglucose transporter-1(GLUT-1)陽性の毛細血管内皮細胞が増殖する良性の腫瘍である1,2)。出生時には存在しないあるいは小さな前駆病変のみ存在するが、生後2週間程度で病変が顕在化し、かつ自然退縮する特徴的な一連の自然歴を持つ。おおむね増殖期 (proliferating phase:~1.5歳まで)、退縮期(消退期)(involuting phase:~5歳ごろ)、消失期(involuted phase:5歳以降)と呼ばれるが、経過は個人差が大きい1,2)。わが国では従来ある名称の「いちご状血管腫」と基本的に同義であるが、ISSVA分類にのっとって乳児血管腫が一般化しつつある。なお、乳幼児肝巨大血管腫では、肝臓に大きな血管腫やたくさんの細かい血管腫ができると、血管腫の中で出血を止めるための血小板や蛋白が固まって消費されてしまうために、全身で出血しやすくなったり、肝臓が腫れて呼吸や血圧の維持が難しくなることがある。本症では、治療に反応せずに死亡する例もある。また、まったく症状を呈さない肝臓での小さな血管腫の頻度は高く、治療の必要はないものの、乳幼児期の症状が治療で軽快した後、成長に伴って、今度は肝障害などの症状が著明になり、肝移植を必要とすることがある。■ 疫学乳児期で最も頻度の高い腫瘍の1つで、女児、または早期産児、低出生体重児に多い。発生頻度には人種差が存在し、コーカソイドでの発症は2~12%、ネグロイド(米国)では1.4%、モンゴロイド(台湾)では0.2%、またわが国での発症は0.8~1.7%とされている。多くは孤発例で家族性の発生はきわめてまれであるが、発生部位は頭頸部60%、体幹25%、四肢15%と、頭頸部に多い。■ 病因乳児血管腫の病因はいまだ不明である。腫瘍細胞にはX染色体の不活性化パターンにおいてmonoclonalityが認められる。血管系の中胚葉系前駆細胞の分化異常あるいは分化遅延による発生学的異常、胎盤由来の細胞の塞栓、血管内皮細胞の増殖関連因子の遺伝子における生殖細胞変異(germline mutation)と体細胞突然変異(somatic mutation)の混合説など、多種多様な仮説があり、一定ではない。■ 臨床症状、経過、予後乳児血管腫は、前述のように他の腫瘍とは異なる特徴的な自然経過を示す。また、臨床像も多彩であり、欧米では表在型(superficial type)、深在型(deep type)および混合型(mixed type)といった臨床分類が一般的であるが、わが国では局面型、腫瘤型、皮下型とそれらの混合型という分類も頻用されている。superficial typeでは、赤く小さな凹凸を伴い“いちご”のような性状で、deep typeでは皮下に生じ皮表の変化は少ない。出生時には存在しないあるいは目立たないが、生後2週間程度で病変が明らかとなり、「増殖期」には病変が増大し、「退縮期(消退期)」では病変が徐々に縮小していき、「消失期」には消失する。これらは時間軸に沿って変容する一連の病態である。最終的には消失する症例が多いものの、乳児血管腫の中には急峻なカーブをもって増大するものがあり、発生部位により気道閉塞、視野障害、哺乳障害、難聴、排尿排便困難、そして、高拍出性心不全による哺乳困難や体重増加不良などを来す、危険を有するものには緊急対応を要する。また、大きな病変は潰瘍を形成し、出血したり、2次感染を来し敗血症の原因となることもある。その他には、シラノ(ド・ベルジュラック)の鼻型、約20%にみられる多発型、そして他臓器にも血管腫を認めるneonatal hemangiomatosisなど、多彩な病型も知られている。2 診断 (検査・鑑別診断も含む)臨床像などから診断がつくことが多いが、画像診断が必要な場合がある。造影剤を用いないMRIのT1強調画像と脂肪抑制画像(STIR法)の併用は有効で、増殖期の乳児血管腫は微細な顆粒が集簇したような形状の境界明瞭なT1-low、T2-high、STIR-highの病変として、脂肪織の信号に邪魔されずに描出される。superficial typeの乳児血管腫のダーモスコピー所見では、増殖期にはtiny lagoonが集簇した“いちご”様外観を呈するが、退縮期(消退期)になると本症の自然史を反映し、栄養血管と線維脂肪組織の増加を反映した黄白色調の拡がりとして観察されるようになる。病理診断では、増殖期・退縮期(消退期)・消失期のそれぞれに病理組織像は異なるが、いずれの時期でも免疫染色でグルコーストランスポーターの一種であるGLUT-1に陽性を示す。増殖期においてはCD31と前述のGLUT-1陽性の腫瘍細胞が明らかな血管構造に乏しい腫瘍細胞の集塊を形成し、その後内皮細胞と周皮細胞による大小さまざまな血管構造が出現する。退縮期(消退期)には次第に血管構造の数が減少し、消失期には結合組織と脂肪組織が混在するいわゆるfibrofatty residueが残存することがある。鑑別診断としては、血管性腫瘍のほか、deep typeについては粉瘤や毛母腫、脳瘤など嚢腫(cyst)、過誤腫(hamartoma)、腫瘍(tumor)、奇形(anomaly)の範疇に属する疾患でも、視診のみでは鑑別できない疾患があり、MRIや超音波検査など画像診断が有用になることがある。乳児血管腫との鑑別上、問題となる血管性腫瘍としては、まれな先天性の血管腫であるrapidly involuting congenital hemangiomas(RICH)は、出生時にすでに腫瘍が完成しており、その後、乳児血管腫と同様自然退縮傾向をみせる。一方、non-involuting congenital hemangiomas(NICH)は、同じく先天性に生じるが自然退縮傾向を有さない。partially involuting congenital hemangiomas(PICH)は退縮が部分的である。これら先天性血管腫ではGLUT-1は陰性である。また、房状血管腫(tufted angioma)とカポジ肉腫様血管内皮細胞腫(kaposiform hemangioendothelioma)は、両者ともカサバッハ・メリット現象を惹起しうる血管腫であるが、乳児血管腫がカサバッハ・メリット現象を来すことはない。房状血管腫は出生時から存在することも多く、また、痛みや多汗を伴うことがある。病理組織学的に、内腔に突出した大型で楕円形の血管内皮細胞が、真皮や皮下に大小の管腔を形成し、いわゆる“cannonball様”増殖が認められる。腫瘍細胞はGLUT-1陰性である(図1)。カポジ肉腫様血管内皮細胞腫は、異型性の乏しい紡錘形細胞の小葉構造が周囲に不規則に浸潤し、その中に裂隙様の血管腔や鬱血した毛細血管が認められ、GLUT-1陰性である。画像を拡大する3 治療 (治験中・研究中のものも含む)多くの病変は経過中に増大した後は退縮に向かうものの、機能障害や潰瘍、出血、2次感染、敗血症の危険性、また将来的にも整容的な問題を惹起する可能性がある。これらの可能性を有する病変に対しては、手術療法(全摘・減量手術)、ステロイド療法(外用・局所注射・全身投与)、レーザー、塞栓/硬化療法、イミキモド、液体窒素療法、さらにはインターフェロンα、シクロホスファミド、ブレオマイシン、ビンクリスチン、becaplermin、シロリムス、放射線療法、持続圧迫療法などの有効例が報告されている。しかし、自然消退傾向があるために治療効果の判定が難しいなど、臨床試験などで効果が十分に実証された治療は少ない。病変の大きさ、部位、病型、病期、合併症の有無、整容面、年齢などにより治療方針を決定する。以下に代表的な治療法を述べる。■ プロプラノロール(商品名:ヘマンジオル シロップ)欧米ですでに使われてきたプロプラノロールが、わが国でも2016年に承認されたため、本邦でも機能障害の危険性や整容面で問題となる乳児血管腫に対しては第1選択薬として用いられている3,4)。局面型、腫瘤型、皮下型とそれらの混合型などすべてに効果が発揮でき、表面の凹凸が強い部位でも効果は高い(図2)。用法・容量は、プロプラノロールとして1日1~3mg/kgを2回に分け、空腹時を避けて経口投与する。投与は1日1mg/kgから開始し、2日以上の間隔を空けて1mg/kgずつ増量し、1日3mg/kgで維持するが、患者の状態に応じて適宜減量する。画像を拡大する副作用として血圧低下、徐脈、睡眠障害、低血糖、高カリウム血症、呼吸器症状などの発現に対し、十分な注意、対応が必要である5)。また、投与中止後や投与終了後に血管腫が再腫脹・再増大することもあるため、投与前から投与終了後も患児を慎重にフォローしていくことが必須となる。その作用機序はいまだ不明であるが、初期においてはNO産生抑制による血管収縮作用が、増殖期においてはVEGF、bFGF、MMP2/MMP9などのpro-angiogenic growth factorシグナルの発現調節による増殖の停止機序が推定されている。また、長期的な奏効機序としては血管内皮細胞のアポトーシスを誘導することが想定されており、さらなる研究が待たれる。同じβ遮断薬であるチモロールマレイン酸塩の外用剤についても有効性の報告が増加している。■ 副腎皮質ステロイド内服、静注、外用などの形で使用される。内服療法として通常初期量は2~3mg/kg/日のプレドニゾロンが用いられる。ランダム化比較試験やメタアナリシスで効果が示されているが、副作用として満月様顔貌、不眠などの精神症状、骨成長の遅延、感染症などに注意する必要がある。その他の薬物治療としてイミキモド、ビンクリスチン、インターフェロンαなどがあるが、わが国では本症で保険適用承認を受けていない。■ 外科的治療退縮期(消退期)以降に瘢痕や皮膚のたるみを残した場合、整容的に問題となる消退が遅い血管腫、小さく限局した眼周囲の血管腫、薬物療法の危険性が高い場合、そして、出血のコントロールができないなど緊急の場合は、手術が考慮される。術中出血の危険性を考慮し、増殖期の手術を可及的に避け退縮期(消退期)後半から消失期に手術を行った場合は、組織拡大効果により腫瘍切除後の組織欠損創の閉鎖が容易になる。■ パルス色素レーザー論文ごとのレーザーの性能や照射の強さの違いなどにより、その有効性、増大の予防効果や有益性について一定の結論は得られていない。ただ、レーザーの深達度には限界がありdeep typeに対しては効果が乏しいという点、退縮期(消退期)以降も毛細血管拡張が残った症例ではレーザー治療のメリットがあるものの、一時的な局所の炎症、腫脹、疼痛、出血・色素脱失および色素沈着、瘢痕、そして潰瘍化などには注意する必要がある。■ その他のレーザー炭酸ガスレーザーは炭酸ガスを媒質にしたガスレーザーで、水分の豊富な組織を加熱し、蒸散・炭化させるため出血が少ないなどの利点がある。小さな病変や、気道内病変に古くから用いられている。そのほか、Nd:YAGレーザーによる組織凝固なども行われることがある。■ 冷凍凝固療法液体窒素やドライアイスなどを用いる。手技は比較的容易であるが、疼痛、水疱形成、さらには瘢痕形成に注意が必要で熟練を要する。深在性の乳児血管腫に対してはレーザー治療よりも効果が優れているとの報告もある。■ 持続圧迫療法エビデンスは弱く、ガイドラインでも推奨の強さは弱い。■ 塞栓術ほかの治療に抵抗する症例で、巨大病変のため心負荷が大きい場合などに考慮される。■ 精神的サポート本症では、他人から好奇の目にさらされたり、虐待を疑われるなど本人や家族が不快な思いをする機会も多い。前もって自然経過、起こりうる合併症、治療の危険性と有益性などについて説明しつつ、精神的なサポートを行うことが血管腫の管理には不可欠である。4 今後の展望プロプラノロールの登場で、乳児血管腫治療は大きな転換点を迎えたといえる。有効性と副作用に関して、観察研究に基づくシステマティックレビューとメタアナリシスの結果、「腫瘍の縮小」に関してプロプラノロールはプラセボと比較し、有意に腫瘍の縮小効果を有し、ステロイドに比しても腫瘍の縮小傾向が示された。また、「合併症」に関しては、2つのRCTでステロイドと比し有意に有害事象が少ないことが判明し、『血管腫・血管奇形診療ガイドライン2017』ではエビデンスレベルをAと判定した。有害事象を回避するための対応は必要であるが、今後詳細な作用機序の解明と、既存の治療法との併用、混合についての詳細な検討により、さらに安全、有効な治療方法の主軸となりうると期待される。5 主たる診療科小児科、小児外科、形成外科、皮膚科、放射線科※ 医療機関によって診療科目の区分は異なることがあります。6 参考になるサイト(公的助成情報、患者会情報など)診療、研究に関する情報「難治性血管腫・血管奇形・リンパ管腫・リンパ管腫症および関連疾患についての調査研究」班(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)『血管腫・血管奇形・リンパ管奇形診療ガイドライン2017』(医療従事者向けのまとまった情報)日本血管腫血管奇形学会(医療従事者向けのまとまった情報)国際血管腫・血管奇形学会(ISSVA)(医療従事者向けのまとまった情報:英文ページのみ)ヘマンジオル シロップ 医療者用ページ(マルホ株式会社提供)(医療従事者向けのまとまった情報)乳児血管腫の治療 患者用ページ(マルホ株式会社提供)(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)患者会情報混合型脈管奇形の会(患者とその家族および支援者の会)血管腫・血管奇形の患者会(患者とその家族および支援者の会)血管奇形ネットワーク(患者とその家族および支援者の会)1)「難治性血管腫・血管奇形・リンパ管腫・リンパ管腫症および関連疾患についての調査研究」班作成『血管腫・血管奇形診療ガイドライン2017』2)国際血管腫・血管奇形学会(ISSVA)3)Leaute-Labreze C, et al. N Engl J Med. 2008;358:2649-2651.4)Leaute-Labreze C, et al. N Engl J Med. 2015;372:735-746.5)Drolet BA, et al. Pediatrics. 2013;131:128-140.公開履歴初回2018年10月23日

84.

名刺交換はなしということで【Dr. 中島の 新・徒然草】(211)

二百十一の段 名刺交換はなしということである日の夜。病院のロビーで人と待ち合わせをしていたところ、1人の職員に呼びとめられました。職員「あっ、中島先生。ちょうど良かった!」中島「『ちょうど良かった』って、飛んで火にいる夏の虫かいな、僕は」職員「そうともいえますね」そう言いつつ、そばにいた男性と女性の二人組に紹介してくれました。職員「こちらは意見書を書いてくれた中島先生です」二人組「素早い作成、ありがとうございました!」中島「どういたしまして。良く分からんけど」職員「行政の人ですよ、こないだの虐待カンファレンスで対象となった方を管轄している・・・」中島「ええっと先週の分かな? いや、先々週の分?」職員「先週の方です」二人組「たくさんあるんですね」私は虐待防止委員会の委員になっているので、時々招集がかかります。対象となる患者さんごとに担当者がいて、集まるメンバーもケースによって違っています。私に求められる役割も医師としての見解を述べたり、超特急で診断書や意見書を作成したり、とくに決まったものがあるわけではありません。要するに、必要に応じて何でもしているのです。二人組「先生がすぐに意見書を書いてくれたので、こちらもスムーズに保護することができます」職員「ご対応よろしくお願いします」二人組「ええ。本当にどうもありがとうございました」中島「なんだか分からないけど、よろしく」虐待にもいろいろなパターンがあります。よく知られているのは子供に対する親の虐待ですが、その他に同居するパートナーに対するもの、高齢者に対するものなどなど。子供の場合は虐待が確認できた時点で有無を言わせず保護、パートナーの場合は被害者自身が判断することになりますが、高齢者の場合は被害者の事理弁識能力によって対応が変わってくる、というのが私の理解です。せっかく苦労して保護したとしても加害者に見つかって連れ戻されたら元の木阿弥です。なので、どの施設に保護されたのかが病院に知らされることはありません。そうすれば、加害者に問い詰められても答えられないですから。私自身は、念のため、行政機関や担当者の名前すら尋ねないよう気をつけています。「すみません。とりあえず名刺交換はなしということでお願いします」と薄暗いロビーに立っている二人組に心の中で呟きました。こういった数多くの無名の人たちが日本の社会を支えているのだな、と改めて思わされた次第です。保護の対象となった患者さんが、これからは幸せに暮らしていけることをお祈りいたします。最後に1句知らぬ人 チームを組んで 黙々と

85.

青年期におけるうつや不安の変化と精神病様症状体験との関連

 最近の横断研究では、精神病様症状体験(PLE:psychotic-like experience)が青年のうつ病や不安に関連していることが示唆されている。縦断研究において、PLEの持続により、青年のうつ病や不安がより重篤であることが観察されているが、PLEの出現や寛解により、うつ病や不安の悪化や改善が認められるかはわかっていない。東京都医学総合研究所の山崎 修道氏らは、青年期におけるうつ病や不安の縦断的変化と1年間のPLE軌跡との関連について、学校ベースの調査により検討を行った。Schizophrenia research誌オンライン版2017年10月18日号の報告。 PLEとうつ病や不安に関するベースライン評価に参加した青年912例中、1年後のフォローアップ評価を完了したのは887例(97.3%)であった。PLE軌跡に沿って、精神健康調査票(GHQ-12)を用いて収集したうつ病や不安の変化を評価するため、ベースライン時のうつ病や不安、性別、年齢、物質使用、虐待で調整したのち、マルチレベル分析を行った。 主な結果は以下のとおり。・ベースライン時にPLEが報告された青年は16%で、そのうち56%はフォローアップ時に寛解した。・ベースライン時にPLEが報告されておらず、フォローアップ時に新たにPLEを経験した青年は6.6%であった。・共変量で調整したのち、新たにPLEを経験した青年では、GHQ-12スコアが有意に悪化した(時間に対する回帰係数:α1=1.91、95%CI:1.04~2.77)。また、寛解した患者では、GHQ-12スコアに有意な改善は認められなかった(α1=-0.20、95%CI:-0.97~-0.56)。 著者らは「学校の保健医療におけるPLEおよびその軌跡に関するより深い認識は、青年のうつ病や不安の予防および治療のキーとなる可能性がある」としている。■関連記事うつ病になりやすい性格小児不安症に効果的な治療はたった2つの質問で、うつ病スクリーニングが可能

86.

昼顔【不倫はなぜ「ある」の?どうすれば?】Part 2

なぜ不倫は「ある」の?これまで、なぜ不倫をしないのかという問いへの答えが分かってきました。それは、単に夫婦の信頼関係を壊すだけでなく、子どもとの信頼関係も壊し、社会との信頼関係も壊すからです。それなのに、そもそもなぜ不倫は「ある」のでしょうか? そもそもなぜヒトの生殖は完全な一夫一妻型ではないのでしょうか?その答えは、進化心理学的に考えれば、原始の時代、隠れて不倫をする種の方が、真面目に不倫をしない種よりも、遺伝子をより多く残せるからです。自分の不倫をいかに隠して、相手の不倫をいかに暴くかという目的のために、男性と女性はお互いの気持ちを必死に探り、推し量ったでしょう(メタ認知)。その子孫が、現在の私たちです。矛盾しているようにも思えますが、一夫一妻による生殖と同じくらい、実は不倫による生殖も普遍的であるということです。そして、このような生殖行動は、男性同士が協力して狩りをしたり女性同士が仲良くして子育てをする生存行動と同じくらい、ヒトの心(脳)の進化に大きな影響を与えたでしょう。さらに、自分の遺伝子をなるべく残すための生殖戦略は、男性と女性でそれぞれ違います。その違いとは、男性(精子)はなるべく多くの女性(卵子)を求める一方、女性(卵子)はなるべく優れた男性(精子)を求めることです。なぜなら、精子は小さくコストがかからないのでたくさんつくれるのに対して、卵子は大きくコストがかかるので限られているからです。それでは、この「一夫一妻型+不倫」という生殖戦略の根拠を、男性と女性のそれぞれの体の特徴(形質)や行動特性などから明らかにしてみましょう。(1)男性の生殖戦略1)長くて太くてキノコ状になったペニスでセックスに時間をかける1つ目の根拠は、ヒトの男性は長くて太くてキノコ状になったペニスでセックスに時間をかけることです。これは、メスの膣の中にすでに出された別のオスの精子を掻き出すためです。より確実に掻き出すには、掻き出しの形が長く、太く、キノコ状で、掻き出しに時間をかける必要があります。一方、ハーレム型のゴリラや乱婚型のチンパンジーは、ヒトよりもペニスは短く細く棒状で、交尾に時間をかけません。そのわけは、ゴリラの交尾は相手が完全に特定されているので、そもそも掻き出す必要がないからです。逆に、チンパンジーの交尾は相手が不特定多数で1日に何十回もあるため、掻き出す意味がなくなってしまうからです。つまり、ヒトの精子の寿命が数日であることを考え合わせると、掻き出しが効果的であるためには、1日以上数日以内に1回程度の不倫をしていることが推定できます。もしもヒトが不倫をしないのであれば、ヒトは、ゴリラと同じくらい小さく棒状のペニスを持ち、ゴリラと同じくらいセックスの時間が短いはずです。つまり、ヒトのペニスの形やセックス行動が進化したのは、不倫をしていたためであると考えられます。2)体と睾丸がやや大きい2つ目の根拠は、ゴリラやチンパンジーと比べてヒトの男性の体は女性よりもやや大きく、睾丸もやや大きいことです。ハーレム型のゴリラは、ヒトよりもオスメスの体格差がかなり大きく、睾丸は小さいです。一方、乱婚型のチンパンジーは、ヒトよりも体格差は小さく、睾丸はかなり大きいです。つまり、ゴリラの生殖戦略は体格の大きさであるのに対して(個体競争)、チンパンジーは精子の多さであるということです(精子競争)。そして、ヒトは、ゴリラとチンパンジーの中間であることから、ヒトの生殖が、ゴリラほど相手を特定しているわけではなく、チンパンジーほど相手を特定していないわけでもないということが分かります。もしもヒトが不倫をしないのであれば、つまり完全な一夫一妻であるなら、睾丸の大きさはゴリラと同じくらい小さいはずです。逆に、ヒトが不倫をしすぎているなら、つまり乱婚であるなら、睾丸の大きさはチンパンジーと同じくらい大きいはずです。つまり、ヒトの男性の体格や睾丸の大きさがほどほどに進化したのは、不倫をしていたためであると考えられます。3)久々であるほどより激しく求めてより多く射精する3つ目の根拠は、ヒトの男性は、いつも会うよりも久々に会う女性にほど、よりセックスに時間をかけて、より多く射精することです。そうすることで、自分が不在であった時間に射精された他の男性の精子を、膣からより多く掻き出し、さらに精子の数で上回ります。また、精子には種類があることが分かっています。多くは、他の男性の精子の侵入を邪魔します(ブロッカー精子)。中には、他の男性の精子を尻尾で絡み合わせて動けなくします(キラー精子)。残りのほんの少しが、卵子に向かって膣から子宮を突き進みます(エッグゲッター)。まさに、膣の中では精子たちが1つの卵子にたどり着くための戦争をしていると言えます(精子競争)。さらに、射精した後の精子は膣の中で少し固まってとどまります。これは、より受精がされやすくなる役割があるのと同時に、その後に別の男性の精子を入れにくくしようとする蓋の役割もあることが考えられています(交尾栓)。もしもヒトが不倫をしないのであれば、久々だからと言ってより多くの精子を出す必要はないはずですし、キラー精子やブロッカー精子も存在しないはずです。つまり、ヒトの男性の精子の特徴や精子の数の調整ができるように進化したのは、不倫をしていたためであると考えられます。(2)女性の生殖戦略1)排卵期で男性の好みが変わる1つ目の根拠は、ヒトの女性は、通常は中性的な男性を好むのに、排卵期ではより男性的な男性を好むことです。より男性的な男性とは、テストステロン(男性ホルモン)が多い男性です。ちょうど利佳子が熱を入れた産業画家のように、見た目としては、鋭い目つきで表情は険しく、ひげ面でがっしりとして、野性味が溢れた風貌をしています。中身としては、好戦的で、合理的思考に秀でて、集中力が高く、勝負師として何かすごいことをやり遂げそうな自信に満ちた風格があります。そして、何より精力絶倫であることです。これは、原始の時代に狩猟能力の高い男性のスペックです。一方、中性的な男性とは、テストステロン(男性ホルモン)が少ない男性です。ちょうど紗和の夫のように、優しい眼差しで表情は穏やかで、清潔でしなやかとして、洗練された容貌をしています。中身としては、協調的で、共感性が高く、子どもの面倒見が良い品格があります。決して精力絶倫ではありません。これは、原始の時代に育児能力の高い男性のスペックです。つまり、この好みの変化によって、中性的なマイホームパパとの安定した生活を送って生存の確率を高めつつ、より男性的な不倫相手の子どもを生んで、優秀で多様な遺伝子を残して生殖の確率を高めることができます。もしもヒトが不倫をしないのであれば、排卵期で好みが変わる必要はないはずです。つまり、ヒトの女性の好みが排卵期で変わるように進化したのは、不倫をしていたためであると考えられます。2)30歳代から性欲が高まる2つ目の根拠は、ヒトの女性は、10歳代から20歳代は性欲が抑えられているのに、30歳代から40歳代にかけて性欲が高まることです。そうすることで、若い時には性欲に惑わされずに、より優秀な夫を慎重に選ぶことができます。そして、子どもを2、3人生んだあとの30歳以降、夫の性欲(テストステロン)が徐々に落ちていくのと反比例して妻の性欲(テストステロン)が高まることで、「活きの良い(テストステロンが多い)」若い不倫相手との子どもを生んで、優秀で多様な遺伝子を残して生殖の確率を高めます。なお、夫との子どもがすでに2人以上生まれている場合、夫にとって自分の遺伝子が50%×2人=100%以上残せたことになるので、夫は不倫に寛容になるという考え方があります。また、そもそも子どもがいればいるほど、離婚せずに不倫相手の子どもを引き取る傾向があります。なぜなら、離婚して妻と不倫相手の子どもを追い出して、残された子どもを夫だけで育てることは困難だからです。利佳子は、不倫がばれて一度は家を追い出されますが、夫は2人の娘のために、利佳子に戻るように後に懇願します。この状況を女性は見越しているわけではないですが、結果的に妻の生存の確率も生殖の確率も下げにくくなります。ただし、遺伝子の違う不倫相手の子どもへの夫の虐待のリスクはとても高まるという別の問題はあります。ちなみに、相手の不倫に寛容になる条件として、男性側は子どもが多いことであるのに対して、女性側は年齢が上がることです。裕一朗の妻のように、若さという生殖資源をすでに使ってしまっている状況では、別の男性と今後に再婚するのは難しく、彼女は簡単には裕一朗を手放さないでしょう。もしもヒトが不倫をしないのであれば、女性が30歳以降で性欲が高まる必要はないはずです。つまり、ヒトの女性の性欲が30歳以降に高まるように進化したのは、不倫をしていたためであると考えられます。3)卵管が長い3つ目の根拠は、ヒトの女性の卵管が長いことです。卵管とは、精子と卵子が出会う場所です。卵子は、排卵期に卵巣から出されて、奥側の一方の卵管に入ります。一方、精子は、膣から子宮を通ったあと、手前側のもう一方の卵管に入ります。通常は、そのすぐ先(卵管峡部)で通行止めになりますが、排卵期の時だけこの「関所」が開き、精子は、その先の長い卵管を泳ぎ続け、卵子にたどり着きます。この卵管の「関所」によって、排卵期までの数日間で、夫を含む複数の男性とセックスをしても、その精子たちがいっしょに「関所」の前で待つことになり、卵子までのスタートラインを同じにすることができます。そして、長い「コース」を最も速く進んだ精子が卵子を勝ち取ることができます。つまり、より優れた精子(遺伝子)を得るために、女性生殖器では、よりフェアな条件のもと、精子競争を行わせています。まさに、長い卵管は、優れた精子を選りすぐるための「競技場」であると言えます。もしもヒトが不倫をしないのであれば、卵管が長くなる必要がないという考え方があります(生殖管淘汰)。実際に、メスが複数のオスと交尾する動物では、卵管が長い傾向にあるという報告があります。つまり、ヒトの卵管が長くなるように進化したのは、不倫をしていいたためであるという可能性が考えられます。<< 前のページへ | 次のページへ >>

87.

昼顔【不倫はなぜ「ある」の?どうすれば?】Part 3

不倫はして良いの?これまで、なぜ不倫は「ある」のかという問いへの答えが分かってきました。それでは、不倫はして良いのでしょうか? バレなければ良いのでしょうか?その答えは、不倫は、価値観や生き方の違いであるため否定はしないですが、そのリスクやダメージを考えると推奨もしない、つまり、しない方が良いということです。ここで誤解がないようにしたいのは、一夫一妻の心理と同じように不倫の心理も進化の産物だからといって、不倫が肯定されるわけでは全くないです。例えば、私たちが甘いものをつい口にしてしまうのは原始の時代に生存のために進化した嗜好です。だからと言って、飽食の現代に甘いものを食べ過ぎて糖尿病になることを私たちは決して良しとはしないでしょう。同じように、原始の時代と違い、現代の社会構造が大きく違うため、不倫は適応的とはならないということです。その社会構造の違いを主に3つあげてみましょう。1)少子化1つ目は、少子化です。合計特殊出生率は、戦後しばらくまで4後半であったのが、2016年には1前半にまで下がり続けています。つまり、かつては子どもが4、5人いるのが当たり前だったのに、現代は1、2人でしかも一人っ子の方が多いという状況です。先ほどにも触れましたが、子どもが数人いる状況で不倫をして1人くらい婚外子がいても、許される傾向にありますが、子どもが少ない状況で不倫をすると、許されない傾向にあり、離婚のリスクが高まります。実際に、2人の子どもがいる利佳子の夫は離婚を回避しましたが、子どもがいない紗和の夫はけっきょく離婚を選択しています。よって、現代は、少子化によって、不倫による離婚リスクがますます上がるため、不倫は適応的とはならないことが分かります。2)情報化2つ目は、情報化です。1990年代以降の情報革命により、お互いの行動が、良くも悪くも、透明化されるようになりました。かつては不倫してバレそうになってもうやむやで済んでいたのに、現代はSNSをチェックしたり、携帯電話の履歴を確認したり、GPSを駆使すれば、証拠が揃い、ほとんどバレてしまいます。実際に、利佳子の夫は、GPSを使って利佳子の不倫の現場を押さえています。さらに、子どもができた場合は、DNA鑑定により、夫の子なのか不倫相手の子なのかはっきりさせることもできます。よって、現代は、情報化によって、不倫の露見リスクがますます上がるため、不倫は適応的とはならないことが分かります。3)パトロール化3つ目は、パトロール化です。不倫は、少子化や情報化によりバレやすく許されにくい状況から、個人だけでなく、社会の厳しい目にさらされるようになりました。有名人の不倫や隠し子(婚外子)にしても、かつては噂や週刊誌の報道があっても個人の問題として緩く扱われていたのに、現代は詳細な証拠がネット上に上がり、個々人のツイッターなどで意見が発信されることで社会の問題として議論され、厳しく取り締まられ、パトロールされるようになりました。実際に、紗和の不倫を知ったパート先の同僚たちは、紗和に冷たい態度を取ります。ちなみに、この世間のパトロール化は、不倫に限らず、いじめ、体罰、パワハラ、DV、虐待など様々なモラルの問題にも広がっています。よって、現代は、パトロール化によって、不倫への排斥リスクがますます上がるため、不倫は適応的とはならないことが分かります。不倫をしないためにどうすれば良いの?先ほどの不倫はして良いのかという問いへの答えは、しない方が良いでした。さらに強調したいのは、原始の社会から環境が大きく変わってしまった現代の文明社会において、甘いものへの嗜好を知ることで糖尿病にならないようにするのと同じように、不倫の心理をよく知ることで不倫に陥らないようにすることができるのではないかということです。利佳子は、まだ不倫をしていない紗和との初対面の時、何となく万引きしてしまった紗和を見抜いて、「ご主人と温かい家庭を築いてらっしゃる?」と皮肉を言い、紗和の満たされない気持ちを言い当てています。つまり、不倫をするには、先ほど整理した不倫の危険因子が潜んでいる可能性があるということです。逆に言えば、不倫の危険因子をよく知り、その対策を練ることで、予防することができるのではないかということです。ここから、不倫をしないためにどうすれば良いかの問いへの答えを、3つにまとめてみましょう。1)ルールの共有1つ目は、ルールを夫婦で共有することです。利佳子は、夫が一方的に決めたルールに完全服従をしていたため、不満がたまっていました。紗和は、夫と表面的なかかわりしか持たず、満たされていません。このように結婚生活での相手への不満を、感情的にネガティブに押さえ込むのではなく、改善点としてポジティブに理性的に言い合い、夫婦のルール作りをすることです。また、家事や育児などで協力や連携をあえてすることです。これは、お互いの仕事にほとんど干渉しない完全分業制ではなく、仕事を時間で分担するシフト制にすることでもあります。もちろん、分担の比率は、共稼ぎであれば半々であったり、夫が正社員で妻がパートの場合は3対7になるなど夫婦の働き方の状況によっても様々でしょう。ポイントは、0対10にしないようにすることです。そうすることで、お互いのやっていることを評価し合うことができます。さらに、ルールを達成したことによるご褒美やルールに反したことによるペナルティを事前に相談して決めることです。ご褒美としては、趣味、スポーツ、旅行などいっしょに楽しむ時間を設けるのも良いでしょう。ペナルティとしては、肩もみなどの奉仕も良いでしょう。そうすることで、物理的であれ心理的であれ、その夫婦の距離を縮めることができます。2)セックスの共有2つ目は、セックスを夫婦で共有することです。セックスが一方的であったり、紗和の夫のようにセックスレスのままであるのではなく、どんなセックスを望むか夫婦でオープンにしていることです。その前段階として、普段からスキンシップやキスなどの愛情表現をまめにしていることも重要です。そして、お互いがセックスで満足するため、そのバリエーションやシチュエーションを変えるのも良いでしょう。場合によっては、妻の排卵期で、夫はより野性味を演出する必要があるかもしれません。そうすることで、夫婦の性的な距離を縮め、お互いの性処理の不足を満たすことができます。3)心の共有3つ目は、心を夫婦で共有することです。利佳子が「3年で冷蔵庫扱い」と表していたように、「愛は4年で終わる」と唱える学者もいます。これは、子どもが4歳になり身体的自立ができる年数であり、進化心理学的には、愛が4年続きさえすれば生殖の適応度を保てたのでしょう。しかし、現代の夫婦関係は、原始の時代のように性欲という「愛」だけでつながっているわけではありません。お互いがお互いを特別な相手として大事にし合い必要とし合う連帯意識でもつながっています。そのわけは、社会が高度に複雑化した現代だからこそ、子どもが心理的自立をする10代まで引き続き子育てを協力してできるように、家族機能を維持する必要があるからです。例えば、それは、いっしょに苦労をして、その苦労をねぎらい、相手の幸せを願うことです。つまり、夫婦関係は、愛情だけでなく「情」でもつながっているということです。そして、大事なことは、夫婦関係とは、性欲による単純なものではなく、「情」が愛情を強化し維持するという複合的なものであるということを理解することです。そうすることで、夫婦の愛情欲求と承認欲求を満たすことができます。「倫(みち)」とは?不倫に陥った紗和、利佳子、裕一朗のそれぞれの夫婦が、もしも先ほどのルールの共有、性の共有、心の共有を行っていたら?おそらく不倫に陥ることはなく、このドラマは成り立たないことになってしまうでしょう。彼らから私たちが学ぶことは、夫婦のより良い信頼関係を築くことです。さらには、親子の、家族の、地域の、そして社会のより良い信頼関係を築くことでもあります。そのためには、相手のことだけでなく、相手の家族、友人、ご近所、職場などより多くの見えない人たちにも思いを馳せることです。その大切さを理解した時、私たちは、決して「不倫」ではなく、より良い「倫(みち)」を、相手といっしょに突き進んでいくことができるのではないでしょうか?<< 前のページへ1)亀山早苗:人はなぜ不倫をするのか、SB新書、20162)ジャレド・ダイアモンド:人間の性はなぜ奇妙に進化したのか、草思社文庫、20133)榎本知郎:性器の進化論、化学同人、2010

88.

バラバラ殺人の頻度【Dr. 倉原の“おどろき”医学論文】第83回

バラバラ殺人の頻度 FREEIMAGESより使用 テレビでは毎日のように殺人事件のニュースが流れており、また先進国でもテロの懸念があることから、多くの人が社会に不安を感じているでしょう。今回はバラバラ殺人について取り上げてみたいと思います。世の中にこういう医学論文があるという事実にも驚きました。こんな悲しい医学論文がなくなる時代が来てほしいものです。 Sea J, et al.Mutilation in Korean Homicide: An Exploratory Study.J Interpers Violence. 2016 Aug 15. [Epub ahead of print]この韓国の論文は、バラバラ殺人の頻度を調べた驚くべき報告です。他殺の多くは刺殺ですが、手足や首などを切断するケースは、強い怨恨がない限りはまれとされています。韓国で、1995年から2011年までに同定された殺人事件1,200件のうち、切断によるもの、つまりバラバラ殺人がどのくらいの頻度だったかをこの研究グループは調べました。すると、1,200件のうち65件(5.4%)がバラバラ殺人であることがわかりました。この研究グループは、韓国以外の国における頻度も参照文献として挙げていますが、国によっていろいろな特徴があることもわかりました。たとえばフィンランドでは、バラバラ殺人は共犯であることが多く、これは切断した死体を遠距離運ぶ必要があったことが示唆されています(都市部から遠くに捨てれば犯行が露呈しにくいと考えられた?)。ちなみにフィンランドでは、全殺人のうちバラバラ殺人の頻度は2.2%だったと報告されています1)。教育水準の低さや幼児期の被虐待などがリスクではないかと考えられています。日本の刑法では、死体をバラバラにすることは死体損壊罪・死体遺棄罪の適用になります。つまり、バラバラ殺人は殺人事件であるとともに死体損壊・遺棄事件でもあるため、「殺人・死体損壊事件」と呼ばれます。近年では神戸長田区小1女児殺害事件、佐世保女子高生殺害事件などが記憶に新しいところです。参考資料1)Hakkanen-Nyholm H, et al. J Forensic Sci. 2009 ;54:933-937.インデックスページへ戻る

89.

夜尿症推計78万人のうち受診は4万人

 12年ぶりの改訂となる「夜尿症診療ガイドライン2016」(日本夜尿症学会編)の発刊に伴い、7月20日に都内でメディアセミナーが開催された(フェリング・ファーマ株式会社、協和発酵キリン株式会社などの共催)。セミナーでは、ガイドライン改訂の意義、内容、治療の実際について、3名の医師がレクチャーを行った。多くの医療者に使ってほしいガイドライン はじめに金子 一成氏(関西医科大学小児科学教室 主任教授)が、「夜尿症ガイドライン改訂の意義」と題して、夜尿症診療の現状、新しいガイドラインの概要と改訂の意義、今後の展望について説明した。 「夜尿症とは、5歳以上の小児の就寝中の間欠的尿失禁であり(昼間の尿失禁は問わない)、1ヵ月に1回以上の夜尿が3ヵ月以上続くもの」とされる。両親共に夜尿症の既往があると70%の確率で子供にも発生するとされ、小学生では男子に多く、中学生では女子に多いとされる。自然に治る確率は10人に1人と言われるが、治療介入を行った場合は半数が1年以内に治るとされる。 病因はいまだ解明されておらず、主に睡眠中の覚醒障害のほか、尿量の日内変動調節機構の未発達、機能的膀胱容量過少など、さまざまな説明が試みられている。 生命に関わる疾患ではなく、自然に治るものでもあることから、現在でも積極的な治療介入は行われていない。 治療法としては、国際小児禁制学会(ICCS)が提唱する推奨治療である、患児への生活指導、デスモプレシン療法などの薬物治療、夜尿アラーム療法などが行われている。 患児の数は、幼稚園年長児の約15%、小学校3年生で約8%、小学校5~6年生で約5%とされ、わが国の患者数は約78万人と推計されている。夜尿症に関する情報サイト「夜尿症ナビ」が行った保護者(n=563)へのインターネット調査によれば、97%の保護者が夜尿症を治したいと思っているにもかかわらず、過去も含め受診させている保護者はわずか21.5%だった。 夜尿症を放置する弊害として、患児の自尊心低下から生じる内向的性格の形成、種々の学校行事への不参加からくるいじめや不登校、母子関係の悪化、虐待、発達障害の増悪などが指摘されている。そのため、患児の良好な精神発達のためにも、早期の治療介入が期待されるという。 夜尿症の診療を行う医師が不足する中、小児科医のみならず、家庭医として患児を診療している医師にも診療できるようにと、今回ガイドラインが改訂された。新しいガイドラインでは、最新のエビデンスを理解しやすく解説するとともに、具体的な対応法も記載されているため、家庭医の夜尿症診療に役立つと思われる。 「夜尿症は、適切な治療で治る病気であり、健全な患児の成長を促すためにも、積極的に治療に介入してほしい」と期待を述べ、説明を終えた。有効かつ安全な初期治療を提示するガイドライン 続いて、大友 義之氏(順天堂大学医学部附属練馬病院小児科 先任准教授)が、「改訂された『夜尿症診療ガイドライン』」について、今回のガイドライン改訂のポイントを解説した。 前回のガイドラインでは、病型の複雑さにより非専門医の診療があまり進まなかった。また、小児科医と泌尿器科医との間で治療指針の乖離や、諸外国のガイドラインと比較して治療での細かい違い(とくに三環系抗うつ薬の使用)といった問題もあり、ガイドライン自体の普及が進まない事態となっていた。そこで、今回は「Minds診療ガイドライン作成の手引き2014」に準拠する形で改訂が行われた。 新しいガイドラインでは、非専門医向けに診療のアルゴリズムを整理し、どこまで非専門医が診療をするのかを明示した。また、クルニカルクエスチョン(CQ)を掲示することで、臨床で遭遇する課題に速やかに対応できるようにした。たとえば、抗利尿ホルモンのデスモプレシン療法は、単独またはアラーム療法(下着にセンサーを留置し、夜尿発生をアラームで警告し、排尿を促す条件付け療法)との併用で記載されているが、推奨グレードは「1A」である。三環系抗うつ薬は、推奨グレード「2A」となり、デスモプレシン療法とアラーム療法でも効果が見られない場合に提案するとしている。 「今回の改訂では、『有効で、かつ、安全な初期治療』を非専門医が行えるように提示した。今後、多くの家庭医に、夜尿症治療に取り組んでいただきたい」と説明を終えた。患児と保護者のケアも治療では大事 次に、中井 秀郎氏(自治医科大学小児泌尿器科 教授)が、「夜尿症治療の実際と患者のメリット」について解説を行った。 夜尿症患児のうち、医療機関への治療を受けているのは全体の20分の1にとどまり、そのうえせっかく医療機関を受診しても「経過観察」で終わっている場合が多いという。 夜尿症は、子供の疾患の中でもアレルギー疾患に次いで多い疾患であり、保護者もこのことを認識するとともに、子供の病気に対する「焦らない」「叱らない」などの接し方、および患児から治すための気力を引き出すことが重要であると説明する。 新しいガイドラインの診療アルゴリズムでは、3つの夜尿症の治療法が示されている。 1)生活習慣の見直し(規則正しい生活、水分・塩分摂取法、就寝前のトイレなど) 2)アラーム療法(夜尿警告機器を使用した条件付け) 3)薬物療法(デスモプレシン、抗コリン薬、三環系抗うつ薬) いずれも夜尿症の非専門医でも治療介入できるものであり、早期の治療介入により早く治せることが期待されている。 最後に夜尿症治療のポイントとして、「前述の治療法だけでなく、治療の際には、患児と保護者の心理的負担もケアする必要があり、患児のやる気を引き出し、“治したい”という気持ちを維持していくこと、患児・家族と話し合い、患児本人にできるだけカスタマイズした方法で治療を続けていくこと、専門医以外の多くの医師(主に小児科医)が診療に携わることで、早期治療につながるように希望する」と語り、レクチャーを終えた。(ケアネット 稲川 進)参考文献はこちらNeveus T, et al. J urol.2010;183:441-447.関連リンク日本夜尿症学会おねしょ卒業!プロジェクト

90.

統合失調症の自殺企図、小児期のトラウマが影響

 統合失調症スペクトラム障害患者における生涯自殺企図に対する小児期のトラウマの影響について、カナダ・Centre for Addiction and Mental HealthのAhmed N Hassan氏らが検討を行った。Schizophrenia research誌オンライン版2016年5月25日号の報告。 統合失調症患者361例を対象に調査を行った。小児期のトラウマは、Childhood Trauma Questionnaire(CTQ)を用い収集した。自殺企図は、主観的評価スケールおよび客観的評価スケールを用いて確認した。観察研究デザインを適用し、傾向スコアを用いて小児期のトラウマ歴の有無により患者をマッチした。人口統計的および既知の自殺リスク因子について調整した、自殺企図に対する小児期虐待の各タイプの影響を推定するために、ロジスティック回帰モデルを用いた。 主な結果は以下のとおり。・本検討の被験者の39.1%に、生涯自殺企図があった。・2群でマッチし、人口統計的および臨床的交絡因子で調整した後、合計トラウマスコアと小児期虐待サブタイプの大部分は、自殺企図を予測した(OR:1.74~2.49、p値:0.001~0.02)。・本集団において、身体的ネグレクトは、自殺企図との有意な関連が認められなかった(p=0.94)。 著者らは「小児期虐待は、統合失調症患者における自殺企図の強力な独立リスク因子である。リスクは、成人期の抑うつ症状や絶望感により悪化すると考えられる。トラウマ歴のある精神疾患患者に対しては、早期スクリーニングと心理社会的治療の変更が推奨される」としている。関連医療ニュース 日本人統合失調症患者の自殺、そのリスク因子は:札幌医大 自殺念慮と自殺の関連が高い精神疾患は何か 統合失調症患者の自殺企図、家族でも気づかない:東邦大学

91.

神経性過食症と境界性パーソナリティ障害との関連

 小児期のトラウマ歴に基づく神経性過食症患者の発症の誘因の調査や、臨床に関連する外部検証ツールを用いた境界性パーソナリティ障害の精神病理との比較のため、米国・ファーゴ神経精神研究所のLinsey M Utzinger氏らは経験的手法にて検討した。The International journal of eating disorders誌オンライン版2016年4月1日号の報告。 本研究では、神経性過食症女性133例において、小児期のトラウマおよび境界性パーソナリティ障害の精神病理との関連を検討した。小児期のトラウマ歴に基づく被験者の分類のために、潜在プロファイル分析(LPA)を用いた。被験者には、DSM-IV I軸人格障害のための構造化面接(SCID-I/P)、境界性パーソナリティ障害診断面接紙改訂版(DIB-R)、小児トラウマアンケート(CTQ)を行った。 主な結果は以下のとおり。・LPAにより、トラウマが少ないまたはない、感情的なトラウマ、性的トラウマ、多発性トラウマの4つのトラウマプロファイルが明らかとなった。・性的および多発性トラウマプロファイルは、DIB-Rスコアの有意な上昇を示した。トラウマが少ないまたはない、感情的なトラウマプロファイルは、DIB-Rスコアでの有意差が認められなかった。・2次分析では、神経性過食症単独の場合と比較し、神経性過食症と境界性パーソナリティ障害の両方を有する場合に、複合CTスコアレベルの上昇が明らかとなった。・これらの知見は、小児期の性的虐待と多発性トラウマの付加的影響の両方が、神経性過食症における境界性パーソナリティ障害に関する精神病理にリンクすることを示唆している。関連医療ニュース 境界性パーソナリティ障害+過食症女性の自殺リスクは 過食性障害薬物治療の新たな可能性とは 境界性パーソナリティ障害、予防のポイントは

92.

慢性腰痛治療のゴールは「何ができるようになりたいか」

 慢性腰痛症に伴う疼痛に対し、2016年3月、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)のデュロキセチン塩酸塩(商品名:サインバルタ)の適応追加が承認された。これを受けて、4月19日、本剤を販売する塩野義製薬株式会社と日本イーライリリー株式会社が、痛みのメカニズムと治療薬の適正使用をテーマにメディアセミナーを開催した。 このなかで、講師を務めた福島県立医科大学 整形外科教授の紺野 愼一氏は、「慢性腰痛における治療は、それによって何ができるようになりたいかを目標にするのが重要だ」と述べた。 慢性疼痛は、中枢神経系の異常などによって、3ヵ月以上痛みが持続することが一般的な定義である。急性疼痛と異なり、痛みの原因となる外傷疾患が治癒した後も長期間持続するため、ADLやQOLへの影響が問題となる。全国20歳以上の男女を対象に行ったインターネット調査によると、2010年度時点で、有病率から推計される慢性疼痛保有者は2,315万人に上り、そのうち約56%が「腰痛」を訴えたという。調査ではさらに、痛みによって仕事などに支障を来したり、休職したりした人が約55%に上ることもわかった。  こうした慢性腰痛に対して治療を進めていくうえで、何に留意すべきなのだろうか。紺野氏は、大きく2つのポイントを挙げる。 1つ目は治療開始時にある。疼痛治療において、何より痛みを和らげることが重要ではあるが、完全に痛みを取ることを最終目標とすると、患者も医療者もなかなかゴールにたどり着けない。紺野氏は、「慢性腰痛によってどんなことができなくなったのか」を患者にヒアリングしたうえで、「治療によってどんなことができるようになりたいのか」を考え、それを両者の共通目標として治療を進めていくことが重要だという。目標はできるだけ具体的な内容で、「夫婦で30分程度の散歩ができるようになりたい」とか、「腰痛のためにやめていた大好きなゴルフが再びできるようになりたい」など、患者一人ひとりの思いに添うことが大事だ。 2つ目は治療体制にある。組織の炎症など、痛みの原因がはっきりしている急性腰痛と異なり、慢性腰痛は必ずしも“腰が悪い”わけではない。紺野氏によると、慢性腰痛保有者の3分の1は心理社会的要因が少なからず関わっており、「多面的、集学的なアプローチが必要」という。紺野氏が臨床で実践しているのは月1回のリエゾンカンファレンスで、メンバーは整形外科に関連した医療スタッフのほか、精神科医や臨床心理士、精神科ソーシャルワーカーで構成する。カンファレンスでは、患者の成育歴に虐待がないかや、最近の仕事や家族に関する悩みなど、幅広くかつ詳細な情報が共有される。一見、症状とは関連がないように思われるが、こうした情報から患者の置かれている状況をひも解くことで、腰痛の真の原因が明らかになることがあるという。 これらの治療アプローチに共通するのは、医師と患者のコミュニケーションだ。紺野氏は、腰痛を訴える患者に対し、単純ではない痛みのメカニズムがあることを医師がきちんと説明し理解を得たうえで、患者の望むゴールを共に目指すには、綿密なコミュニケーションに裏付けられた互いの信頼感が何をおいても基本だと強調した。 講演後の質疑応答では、サインバルタの適正使用についての質問が挙がった。サインバルタは、国内では2010年に「うつ病・うつ状態」、2012年に「糖尿病性神経障害に伴う疼痛」、2015年に「線維筋痛症に伴う疼痛」に対して承認を取得してきたが、今回SNRIとして初めて「慢性腰痛症に伴う疼痛」の治療薬として承認された。紺野氏は、慢性腰痛の新たな治療選択肢となる期待感を示したうえで、「整形外科医にはなじみのない薬剤なので、処方にあたっては医師自身がまず副作用や安全性をきちんと理解しなればならない」と述べた。

93.

双極性障害発症のリスク因子を解析

 双極性障害(BD)の発症に対する環境リスク因子については十分にわかっていない。イタリア・Centro Lucio BiniのCiro Marangoni氏らは、長期研究によりBDの有病率、罹病期間、環境曝露の予測値を評価した。Journal of affective disorders誌2016年3月15日号の報告。 著者らは、2015年4月1日までのPubMed、Scopus、PsychINFOのデータベースより、関連キーワード(出生前曝露、母体内曝露、トラウマ、児童虐待、アルコール依存症、大麻、喫煙、コカイン、中枢興奮薬、オピオイド、紫外線、汚染、地球温暖化、ビタミンD、双極性障害)と組み合わせて体系的に検索し、当該研究を抽出した。追加の参照文献は相互参照を介して得た。(1)長期コホート研究または長期デザインの症例対照研究、(2)初期評価時に生涯BDの診断がなく、フォローアップ時に臨床的または構造化評価でBDと診断された患者の研究が含まれた。家族性リスク研究は除外した。研究デザインの詳細、曝露、診断基準の詳細と双極性障害リスクのオッズ比(OR)、相対リスク(RR)またはハザード比(HR)を計算した。 主な結果は以下のとおり。・2,119件中、22件が選択基準を満たした。・識別されたリスク因子は、3つのクラスタに分類可能であった。(1)神経発達(妊娠中の母体のインフルエンザ;胎児発育の指標)(2)物質(大麻、コカイン、その他の薬;オピオイド薬、精神安定剤、興奮剤、鎮静剤)(3)身体的/心理的ストレス(親との別れ、逆境、虐待、脳損傷)・唯一の予備的エビデンスは、ウイルス感染、物質またはトラウマの曝露がBDの可能性を高めることであった。・利用可能なデータが限られたため、特異性、感度、予測値を計算することができなかった。関連医療ニュース うつ病と双極性障害を見分けるポイントは 双極性障害I型とII型、その違いを分析 双極性障害治療、10年間の変遷は

94.

これからの医療制度の在り方を探る

 3月12日都内において、第6回医療法学シンポジウム(主催:医療法学研究会)が「少子高齢化社会を乗り越える医療制度の実現に向けて」をテーマに開催された。シンポジウムでは、さまざまな分野のエキスパートが、将来の医療制度の在り方について議論した。これからの医療制度、健康政策の在り方 「2035のビジョンがなぜ必要か」をテーマに渋谷 健司氏(東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室教授)が、先ごろ提言書としてまとめられた「保健医療2035」の概要を説明した。 「保健医療2035」は、わが国の社会保障制度を長期的な視点で見直し、現行制度の持続、維持を超えて、社会システムとしての保健医療を再構築することを目的に、研究者、臨床医、民間など多彩な委員が集まり、まとめあげられたものである。 最終目標は「世界最高水準の健康、医療が享受でき、安心、満足、納得を得ることができる持続可能な保健医療システムを構築することで、世界の繁栄にも貢献する」としている。この基本理念として、「公正・公平、自律連帯、日本と世界の繁栄と共生をはかる」を定め、施策実現のために厚生労働省内にプロジェクト推進本部が設置された。「今後、この提言書をベースにさらに社会的な議論を深め、実行性のあるものとしていく」と語った。健康日本21で目指す社会 「健康日本21 エビデンスに基づいた医療政策決定」をテーマに、羽鳥 裕氏(日本医師会常任理事、稲門医師会会長)が、日本医師会の推進するこれからの健康社会へ取り組みについて説明した。 厚生労働省が実施した「(第1次)健康日本21」は、目標到達度約6割で終了した。現在、第2次(2013年開始)が進行中である。そして、10年後に目指す姿として子供も成人も希望が持てる社会、高齢者が生きがいを持てる社会、健康格差の縮小する社会などが謳われている。現在、65歳以上の高齢者が国民総医療費の55.5%を享受する中で、持続可能な制度を探るため、どのような負担配分がよいか議論が必要だと問題を提起した。 健康面では国民の3大リスクとして、喫煙、高血圧、運動不足が示されている。これらは、国民各自で改善できるリスクであり、今後これらリスクを減らす取り組みが必要であるという。 そうした環境の中で医師会では、(1)かかりつけ医機能の推進(地域の医師が地域医療を底上げするシステム)と(2)日医健診標準フォーマットの導入(蓄積されたデータを地域医療などで役立てるもの)で地域・職域への支援を行うことにより、超少子高齢化社会の日本の医療システムモデルを作っていくと説明した。高齢化社会を悩ます認知症 「認知症患者ケアと終末期の実際」をテーマに、灰田 宗孝氏(東海大学理事、東海大学医療技術短期大学学長、稲門医師会副会長)が講演を行った。 講演では、主に「高齢者の認知症」を取り上げ、その診療のポイントから家族、社会に与える問題を概説した。 認知症は、日常使わなくなった機能から病的に衰える疾患であり、進展すると日常の機能も障害される。そのため1日でも早く進展を止めることが重要である。現在、アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症の2疾患の治療薬に保険適用が認められている。認知症では、病中期から患者の看護や介護で多大な負担が生じるため、早期に診断し治療を開始することにより、進行を遅らせ少しでも良い状態を持続させることで、患者のみならず患者家族、社会的負担をいかに軽減させるかが重要だと語る。「今では成年後見制度などの種々のサポート制度もあるため、積極的な診療とともに活用してほしい」とレクチャーを終えた。社会保障と医療について議論の整理を 「医療経済学と向き合う」をテーマに、中田 善規氏(帝京大学大学院公衆衛生学研究科 教授)が、経済的な側面から医療について講演を行った。 はじめに医療保険・年金は福祉(公的扶助)ではないという結論を示し、論点を整理した。医療保険や年金は、必ず出資者がいて、その集めた出資金(掛け金)に応じて、適正配分されるものであるため、社会的に騒がれているような財政に関する諸問題と混同してはいけないという。 (民間も含めて)医療保険は、将来起こるかもしれない不安へのリスクヘッジであり、これは国民健康保険も同様である。相互扶助や隣人愛、救貧ではないため保険料を納めていない人は何も享受できない(これは年金制度も同様)。そのため、掛け金が出資される限り、本来的に制度は維持できると説明した。ただ、保険・年金に公的扶助の機能を持たせると非効率的になる。社会保障と社会保険はきちんと分けて議論されるべきであり、貧困者には保険・年金ではなく、公的扶助の面を充実させるべきであると問題を提起した。高齢者をめぐる法的問題 「医療法学における視点」として大磯 義一郎氏(浜松医科大学法学教授、日本医科大学 医療管理学客員教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授、稲門医師会理事)が、高齢者にまつわる法的問題をレクチャーした。 終末期に関連する問題として「安楽死」と「尊厳死」がある。とくに尊厳死については、現在拠るべき法律がないため、司法も判断に苦慮している。これは司法ではなく、立法論の問題であり、現在も模索されているという。また、最近増加している高齢者虐待をはじめとする「高齢者(とくに認知症患者)を取り巻く諸問題」にも言及し、高齢者への虐待は年々報告数が増加し、介護疲れなどの理由が多く介護側の疲弊がみられると述べ、その防止の対策も待たれると指摘した。 次に高齢者の徘徊などにより起こった事件・事故の責任について、本年3月1日に最高裁判所で出された認知症患者の事故に関する損賠賠償請求事件の判例を例に挙げ説明を行った。民法上、認知症患者は責任無能力者とみなされ、事件・事故の賠償責任は負わないとされているが、その法定監督義務者は賠償責任を負う可能性があることを指摘。最高裁判所の見解では、「日常の看護などの態様を公平の見地から判断して決める」としているが、この判断が、今後介護などの萎縮につながらないよう制度や仕組み作りをする必要があると語った。また、個人レベルでは、徘徊保険などに任意加入することで、個人の賠償責任を回避することができる(これは認知症患者を預かる施設なども同様)と対応策を提案した。今後、個人や特定施設だけに過度な責任が押し付けられないよう、責任負担の公平化、手続きの明確化や任意保険加入の推進、未加入者へのサポートなど総合的な施策が求められると問題点を指摘した。終末期の現場から 「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の実践 静岡県西部の現在と未来」をテーマに井上 真智子氏(浜松医科大学地域家庭医療学講座特任教授)が、終末期の話題を提供した。 ACPとは、「いかに慢性期の高齢者の看取りを行うか」というもので、現在静岡県西部地域で行われている。あるアンケートによれば、「死」について考えることは約7割が賛成している一方で、準備をしている人は少なく、半数が終末期ケアの希望を配偶者に話していないという(英国 Dying Matters調べ)。そのため、家族、友人、主治医などに終末期の医療や介護ケアについて事前に話し合っておくことは重要である。 実際、自宅での看取り事例を示しつつ、「死の直前に病院から在宅に移行する患者も多い。できれば患者の事前指示書を家族に伝え知らせておくことが大事で、指示書は患者と定期的に見直すことも相互理解につながる」と運用のポイントを語った。 ACPの活動が、人生の最終段階における医療の在り方に与える影響は、これから検証が必要となるが、明らかに看取り後の患者家族の満足度は高くなっているという。「今後は、ACPの実践をチームスタッフと地域住民が共同して、さらに推進することを目指す」とレクチャーを結んだ。 最後に演者全員が登壇し、これからの高齢者医療と医療制度をテーマにパネルディスカッションが行われ、「保健医療2035」、「健康日本21」を基に、高齢化社会で必要な論点の整理(終末期の在り方、認知症への対応、医療者の労働環境、医療経済)などが話し合われた。

95.

テレビに殺された子供【Dr. 倉原の“おどろき”医学論文】第64回

テレビに殺された子供 >FREEIMAGESより使用 「この子を殺した犯人は、そのテレビだ!」なんて指をビシっと差す名探偵がいたら、アタマ大丈夫ですか? と言われそうなもの。しかし、医学論文の世界には、テレビに殺されたと思われる子供の症例報告が存在します。 Kodikara S, et al. Fatal pediatric head injury due to toppled television: does the injury pattern overlap with abusive head trauma? Leg Med (Tokyo). 2012;14:197-200. 小児における頭部外傷は、事故であったり虐待であったり、いろいろな理由があるとされています。昔ながらのブラウン管テレビは、その重さゆえ致死的な頭部外傷を起こす可能性が示唆されています。この症例報告の主人公は、2歳の女児です。彼女は、自宅で心肺停止の状態で倒れているところを発見されました。迅速な心肺蘇生が行われましたが、残念ながら心拍が戻ることはありませんでした。状況から考えて、27インチのブラウン管テレビが原因であることは明白だったようです。彼女の兄弟は、事故の現場を目撃していました。テレビスタンドの上にある大きなテレビの上に乗ろうとしたところ、テレビもろとも床に落ちたというのです。その際、致死的な頭部外傷を呈し、くも膜下出血を起こしました。今回のように目撃情報があるケースは別として、小児の頭部外傷は、法医学的に虐待なのか事故死なのか、判断が難しいとされています。隠された虐待を見逃さないようにしたいものですが、まれな事故死の可能性も考えておかねばならないのですね。なお、テレビ外傷は1~3歳児に最も多いとされています。軽い液晶テレビが普及してきた近年では、ブラウン管テレビよりも落下しやすいという側面から、液晶テレビによる外傷の頻度が増えているそうです1)。参考文献1)De Roo AC, et al. Pediatrics. 2013;132:267-274.インデックスページへ戻る

96.

子供の眼底出血は予防接種とは無関係、虐待を見抜く重要な所見

 米国では、予防接種が小児における眼底出血の原因ではないかとの説が流布しているという。フィラデルフィア小児病院のGil Binenbaum氏らは、「予防接種が眼底出血を引き起こすならその頻度は高く、予防接種との時間的関連が認められるはず」として、眼科外来における乳幼児の眼底出血有病率と原因を調べた。その結果、2歳未満児の有病率は0.17%とまれであり、ワクチンの速効性および遅効性の両方の作用を考慮しても、予防接種と眼底出血との時間的関連は認められなかった。著者は、「予防接種を小児における眼底出血の原因と考えるべきではなく、臨床診療および訴訟においてこの根拠のない説を受け入れてはならない」と強調したうえで、「眼科医は、外来患者の診察において偶発的な眼底出血に注意し、その他の既知の眼疾患または内科的疾患がない場合は、小児虐待の評価を考えなければならない」とまとめている。JAMA Ophthalmology誌2015年11月号の掲載報告。 眼底出血は、命の危険にさらされた虐待の頭部損傷症例において重要な防御戦略を示す所見の1つである。もし、予防接種が眼底出血を引き起こしているのなら、小児虐待の評価に影響を及ぼすことが考えられる。 そこで研究グループは、フィラデルフィア小児病院眼科外来において2009年6月1日~12年8月30日の間に、理由のいかんを問わず散瞳下眼底検査を受けた生後1~23ヵ月の乳幼児5,177例について後ろ向きに分析した。眼内手術歴または進行性網膜血管新生を有する小児は除外した。 主要評価項目は、眼底出血の有病率と原因、検査および眼底出血前の7、14、21日以内の予防接種との時間的関連であった。 主な結果は以下のとおり。・外来で眼底検査を受けた患児5,177例における眼底出血の有病率は、9例(0.17%、95%信頼区間[CI]:0.09~0.33%)であった。・9例全例が、非眼球所見にて虐待による頭部損傷と診断可能であった。・完全な予防接種の記録があったのは2,210例(眼底検査は計3,425件)であった。・そのうち163例が予防接種後7日以内、323例が14日以内、494例が21日以内に検査が行われており、眼底出血が認められたのは予防接種後7日以内0、14日以内1例、21日以内0であった。・予防接種と眼底出血との間の時間的関連は、7日(p>0.99)、14日(p=0.33)および21日(p=0.46)のいずれにおいても認められなかった。

97.

心臓移植 件数は増加も、さらに増える待機者

 本年(2015年)4月、第79回日本循環器学会学術集会において、「日本における心臓移植の歴史と今後の課題」と題したシンポジウムが開催された。当シンポジウムの中で、国立循環器病研究センターの福嶌 教偉氏と中谷 武嗣氏は、移植ドナーおよびレシピエントの現状について講演した。 国立循環器病研究センター 移植部門移植医療部長 福嶌 教偉氏はドナー側の視点から講演。わが国のドナー基準は厳しくドナー評価も複雑である。そのような状況の中、心臓外科医が脳死判定の間に各種臓器の機能評価を行い、心臓が摘出できなくとも他の臓器について移植可能かを評価することで、提供臓器数を増やしている。その結果、心臓、肺、膵臓の提供率は米国に比べて格段に多い。このように、心臓移植医が提供病院まで出向き、提供の質を上げているのは本邦のみだという。臓器提供数は2010年の臓器移植法改正後から著しく増加し、昨年は50例であった。脳死原因については頭部外傷、クモ膜下出血、脳梗塞、心原性ショックからの蘇生後脳症が多くを占める。ドナー年齢は上がり、半数以上は50歳以上である。  小児の心臓移植においては、18歳未満のドナーからの臓器は18歳未満のレシピエントに優先して提供している。しかし、移植申請数の増加により、最近は2年半待ちの状態であり、多くの児童が移植を受けられず命を落としている現状がある。また、児童からの臓器提供について、今後は被虐待児の評価(本邦では被虐待児からの臓器提供は認められていない)やドナーの家族に対するケアの構築が必要となっていくと、福嶌氏は述べた。 国立循環器病研究センター 移植部長 中谷 武嗣氏はレシピエントからの視点で講演。わが国の心臓移植件数は臓器移植法改正後から著しく増加し、2014年は37例となっている。レシピエントの原疾患は拡張型心筋症が半数以上を占め、次いで拡張相肥大型心筋症である。移植前のレシピエントの状態は埋込み型LVADが増加し、2014年の移植37例中30例を占める。わが国の心臓移植後の累積生存率は78.7%であり、国際移植学会統計の値を大きく上回る。心臓移植患者の最大フォローアップ症例は15年8ヵ月、200例中122例が社会復帰しており、良好な予後をもたらしている。 一方、移植申請者は前述の移植法改正に加え、埋込み型VADのBTT使用(bridge to transplantation:移植までの間の橋渡し治療)保険承認、60歳から65歳への移植適応年齢の引き上げにより著しく増加している。移植件数は増加しているものの、待機患者数はその10倍に達し、現在の待機期間は2年半前後である。中谷氏は、今後この傾向はさらに増していくであろうと述べた。

98.

積木崩し真相

今回のキーワード非行(素行障害)安全基地承認進化心理学あまのじゃく(受動攻撃性)ヤンキー「あの人はなんでいつもあまのじゃくなの?」皆さんは、職場で「あの人はなんであの人はいつもあまのじゃくなの?」と困ったことはありませんか? 世の中には、むやみに反対する人が必ずいます。本来は、このような反抗の心理は、特に思春期(反抗期)に高まり、成人すると目立たなくなります。小児科や小児精神科では、両親からの思春期相談として、その接し方の相談がなされることもよくあります。なぜ反抗するのか? そもそもなぜ反抗は「ある」のか? 今回は、反抗の心理の過剰な状態である非行(素行障害)をテーマに、反抗を進化心理学な視点からとらえ直します。また、反抗の文化としての「ヤンキー」も掘り下げます。そして、反抗的な人への接し方を探っていきます。今回、取り上げるのは、2005年に放映されたドラマ「積木くずし真相」です。これは1980年代に放映された「積木くずし」のその後の真相を盛り込んだリバイバルです。当時、社会問題になっていた「家庭内暴力」や「シンナー中毒」によって、家族という「積木」が音を立てて崩れていくさまが生々しく描かれています。そして、登場人物たちが再び家族の「積木」を積み上げていこうとする姿勢に私たちは心を動かされます。原作は娘との実体験を父親が書いたもので、ドラマはその原作に脚色を加えたフィクションになっています。「積木」はどう崩れたのか?―「うっせんだよ!」主人公の朋美は中学1年生。それまで母親の言うことをよく聞く素直で明るい良い子でした。しかし、不良グループから暴行を受けたことをきっかけに、彼女は様子が変わっていくのです。朋美の初めての朝帰りのシーン。「眠い、私もう寝るよ」と言い部屋にこもろうとする朋美に、母親はあわてて「第一、あなた学校じゃない!」「ママ、怒ってるんですからね。(部屋のドアを)開けなさい!」と強く言い続けます。すると、朋美は「うっせんだよ!」と叫びます。通常の思春期の反抗は、挨拶や返事をしないなど親を無視するレベルです。しかし、朋美はそのレベルを遥かに超えてしまいました。その後に、威圧的な風貌、不登校、家出、家庭内暴力、暴走族への参加、万引き、シンナー乱用などあらゆる非行にのめり込んでいきます(素行障害)。そんな朋美の豹変ぶりに、両親は訳が分からず、うろたえ怖じ気付くばかりです。「積木」はなぜ崩れ続けたのか?―「いじり過ぎましたね」朋美の非行はなぜエスカレートしたのでしょうか? いくつかのシーンから読み解いていきましょう。夜遊びをして繁華街にいる朋美を父親は無理やり家に連れ帰ります。朋美は「近藤(友人)、1人で家に帰れたかなあ」「あの子、一銭も持ってないんだよ」と友達を気遣います。しかし、父親は「夜にあんなとこをふらついているようなやつは友達でも何でもない」「おまえにはね、もっとふさわしい友達がいるはずだろう?」「おまえはね、あんな子とは違うんだよ」と説教をします。実際に、父親はその直前にその友達宅まで行って、その友達の母親に「お宅の娘がうちの朋美をたぶらかしている」と抗議していました。母親は「パパはね、(役者業で)テレビにも出てるし、みんなに知られている有名人なの」「あなたが変なことしたら、パパは仕事を続けられなくなるのよ」「そしたら私たちだって生活できなくなるじゃない」「それぐらい分かるでしょ?」とたしなめます。しかし、言い合いになり、最後に父親は朋美に平手打ちをします。ここから読み取れるのは、子どもが選んだ友人が認められていない、親が体裁や都合ばかり気にしている、親が暴力で子どもをコントロールしようとしていることです。つまり、親が先回りして子どもの考えや行動を認めないことです(過干渉による承認の欠如)。思春期になって、親が子どもの自己(アイデンティティ)を認めないと、子どもは精神的に不安定になりやすくなります。その1つの反応として、反抗がほどほどではなく、過剰になるのです。最終的に、警視庁の専門家に全てを打ち明けますが、その時、専門家から最初に一言「いじり過ぎましたね」と言われてしまいます。「積木」はそもそもなぜ崩れたのか?―「産みたくないのに産んだんですから」朋美の幼少期のシーンを見てみましょう。朋美は体が弱く、入退院を繰り返していたため、両親と離れていた時間がかなりありました。朋美は、何本も爪楊枝が刺されたぬいぐるみを持って、「点滴ごっこ」と主治医の先生に言います。親との愛着形成の不足(反応性愛着障害)から共感性がうまく育まれていない可能性がほのめかされています。父親は、仕事の役者業に打ち込み、巡業で家を空けていることが多く、子育てへの介入はあまりありません。一方、母親は、自分自身が病弱なのに加えて、子育ての負担から気持ちに余裕がなくなり、夫に「あなたはものだけ与えて、たまにいい顔すればいいから楽よね」と当たり散らしています。そして、「産みたくないのに産んだんですから」と幼い朋美の前で言い放ってしまいます。また、先ほどの夜遊び後のシーンで、朋美が友達の家族を擁護すると、父親は「そんなに近藤(友達)がいいんなら、あのうちの子になりゃいいだろ!」と突き放しています。これらから読み取れるのは、幼少期の入退院の繰り返しによる情緒の不安定さ(ホスピタリズム)のリスク、父親の不在による母親の心理的な負担、両親が言い争いをして子どもが板挟みになっている(ダブルバインド)、自分は大切にされていない感覚(自己否定)、従わなければ愛されないという恐怖(条件付きの愛情)です。つまり、子どもに家族という心のよりどころがないことです(安全基地の欠如)。幼少期は、そんな親の気を引くために、必死で「良い子」を演じます。しかし、思春期は、親から心理的距離を取り、自分の考えで自分の行動を決める心理が高まります。この時期に、この心のよりどころがないと、子どもは精神的に不安定になりやすくなります。「良い子」の反動として、反抗がほどほどではなく過剰になる、つまりあえて「悪い子」になるのです。非行の心理とは?―(1)「今が良ければ良い」朋美の非行のきっかけとなった不良グループから暴行を受けた直後のシーンを見てみましょう。身も心もボロボロになって帰ると、家には誰もいません。もともと父親は巡業でほとんど家にいないのですが、その時、母親も「たまにはママも息抜きに出かけてきます」という書き置きを残していなかったのです。この時、朋美は「(暴行を受けたことを)言わない。絶対言わない」と心に誓います。後に、朋美は唯一心を開ける主治医の先生に「私が一番いてほしい時にいつもいなかった」と打ち明け、暴行の真相を告白します。さらに、「(暴行の真相を)パパとママが知ったらまたケンカになって、私のせいで離婚しちゃうかもしれない」「全部私のせいだ」「だからこのことは絶対に言っちゃいけないと思った」「一生誰にも言わずにいようって心に決めたの」「私はこのままでもいいと思った」「世間にもパパやママにも誤解されたままでもいいと思った」と打ち明けます。そして、笑顔で「大丈夫だよ先生。私は大丈夫」と言うのです。ここから読み取れるのは、常に緊張状態にある両親を離婚させない「良い子」として、自分がスケープゴート(生け贄)となっていることです。もともと自分は大切にされていないと思う心理(自己否定)から、「自分を大切にしない」(自己評価の低下)つまり「自分はどうなっても良い」「失うものは何もない」という心理(自己破壊性)や「今が良ければ良い」という心理(刹那主義)が高まっています。これが、非行の心理の根っこにあるものです。非行の心理は、よりどころがない満たされない心を手っ取り早く何かで満たすことです。朋美は、暴走族のような悪い仲間との絆やシンナーによる酔いで心を満たそうとしています。一般的な非行でも、特に女子は、心を満たすために、自分を安売りする援助交際や、気晴らしのための自傷行為(過量服薬・リストカットなど)をあまりためらわずにやってしまいます。非行の心理とは?―(2)「一人前(大人)に早くなりたい」朋美は、家出を繰り返し、派手な特攻服を着て暴走族に参加します。朋美の部屋は、たまり場となり、仲間たちとシンナーを吸い、我が物顔でやりたい放題をしています。原作では「ハンパ(中途半端)はしたくない」と言っています。ここから読み取れるのは、心のよりどころとして当てにできない家族に早く見切りを付けて、「ハンパ」ではない自分、つまり「一人前(大人)に早くなりたい」という心理が高まっています。その手段として、普通の子にはマネできない「すごいこと」をやってのけようとします。望ましいのは、学業やスポーツに打ち込むことです。しかし、それには努力と時間が相当にかかります。ですので、手っ取り早い「すごいこと」に飛び付きやすくなります。例えば、それは、派手な格好、飲酒、喫煙、セックスなどの大人の真似事です(逸脱行動)。さらには、薬物の乱用、バイクや車での暴走、万引きなどやってはいけないことです(反社会的行動)。彼らにとっては、悪いこと(非行)をあえてできる自分を周りに示すこと、そして見捨てられても大丈夫な自分を演出ことに意味があるのです。つまり、彼らは「普通の子」という型にはめられようとされればされるほど反発(反抗)するというわけです。家族の力とは? ―家族機能―表1これまで、朋美がなぜ非行に走ったのかを読み解いてきました。ここで、非行(素行障害)を防ぐためには何が大事なのかを大きく2つに分けて整理してみましょう。それは、「母性」と「父性」という家族の力です(家族機能)「母性」とは、無償の愛を注ぎ(無条件の愛情)、心のよりどころ(安全基地)となることです。この「母性」による見守りよって、子どもの「愛されたい」という心理(愛情欲求)が満たされ、そこから「自分は大切にされている」という共感性や信頼感が育まれ、「自分を大切にする」という自尊心が高まります。そして、相手を信じ頼ろうとする信頼感や相手を大切にしようという他者への尊敬が高まります。逆に言えば、心のよりどころ(安全基地)がないと、共感性や信頼感が充分に育まれず(反応性愛着障害)、人間不信に陥りやすくなります。朋美にも、幼少期の入退院から情緒の不安定さ(ホスピタリズム)による共感性の危うさがありました。「父性」とは、社会の一員として認めていくことです(承認)。この「父性」による幼少期のしつけ(ほめ叱り)によって、子どもの「期待に応えたい」という心理(承認欲求)が満たされ、ルールの学習や攻撃性のコントロールが高まります(規範意識)。こうして、自分は期待に応えているという自信や自尊心が高まります。しかし、親が叱ってばかり(厳格)の場合、子どもは叱られる不安におびえて、自信や自尊心は高まりません。逆に親がほめてばかり(溺愛)やほめも叱りもしない(放任)という場合、ルールの学習や攻撃性のコントロールができにくくなります(規範意識の欠如)。表1 家族機能 「母性」「父性」特徴安全基地(見守り)しつけ(ほめる+叱る)子ども愛されたい(愛情欲求)→自分は大切にされている(共感性、信頼感)→自分を大切にする(自尊心)期待に応えたい(承認欲求)→ルールの学習や攻撃性のコントロール(規範意識)→自分は期待に応えている(自信、自尊心)→相手を信じ頼る(信頼感)、相手に期待する→相手を大切にする(他者尊敬)非行(素行障害)の危険因子―表2一般的な非行(素行障害)の原因をまとめましたが、ここでさらに広げて、非行の危険因子を、個体因子(生物学的因子)と環境因子に整理してみましょう。個体因子(生物学的因子)としては、衝動性(ADHD) 、共感性の欠如(広汎性発達障害)、知的能力の制限(知的障害)などが挙げられます。特に、これらの個体因子は、これだけでは非行(素行障害)を引き起こしにくく、環境因子と絡み合うことで非行のリスクを高めます。環境因子としては、非行の原因でもすでに触れました。それは、心のよりどころ(安全基地)がないこと、子どもの考えや行動が尊重(承認)されないこと、つまり家族の力がうまく発揮されていない状況と言えます(機能不全家族)。また、原作では、「殴られるくらいなら、殴る方の仲間に入ってやれと思って先輩の仲間に近づいた」と朋美が友達に話しています。ここからも分かりますが、不良グループに繰り返し暴行を受けるという体験や親から虐げられる体験(虐待)は、不適切なモデルを学習しやすくなります(モデリング)。さらに、父親が「積木くずし」を出版したことで、朋美は「積木の子」というレッテルを張られ、普通の就労が難しくなり、悪の道から抜けられなくなっていきます(ラベリング)。表2 非行の危険因子個体因子(生物学的因子)環境因子衝動性(ADHD)共感性の欠如(広汎性発達障害)知的能力の制限(知的障害)機能不全家族承認の欠如→規範意識の欠如安全基地の欠如(反応性愛着障害)モデリングラベリング「積木」はどうやって元に戻すのか? ―家族機能の回復絶望的になった両親は、ついに警視庁の専門家に相談をします。そこで、専門家の先生から5つの約束事とシンナーを現場で見つけた時の対応が提案されます。親の方から話し合いをしない。子どもから話してきたら愛情を持って、相づちを打つだけ。親の意見は言わない。交換条件を出さない。相手の条件も受け入れない。他人を巻き込まない。どんなに悪い友達でも、その友達や親に抗議をしたり電話をかけない。日常の挨拶は、子どもがするしないにかかわらず、「おはよう」「おかえり」「おやすみなさい」などは親の方からきちんとする。子どもが応じなくても、叱ったり小言を言ったりしない。友達からの電話連絡は、内容のいかんにかかわらず、事務的に正確に本人に伝える。シンナーを吸っている現場を見つけたら取り上げる。ただし絶対に怒らない。その提案は自分たちがやってきたこととは真逆であることに両親は気付き、打ちのめされます。両親が戸惑っていると、専門家の先生はさらに付け加えます。「親が怒ってシンナー止められるんだったら、シンナー吸ってる子なんかいません」「あれは本人が止めようと思わない限り、絶対に止められないんです」「もし万が一のことがあればそれがお子さんの寿命です」と。これらの提案から読み取れることは、2つです。1つは、本人を叱ったり小言を言ったりせずにそばで見守ることで、本人が大切にされていること、家族が一番安心で安全な場所であることを示すことです(安全基地)。例えば、朋美の初めての朝帰りのシーンを振り返ってみましょう。母親は学校に行けと焦って連呼していました。しかし、そうではなく、一呼吸入れてどっしり構えて「とても心配しているよ」「あなたは大事なんだから」と伝えることです。実際に母親は、朋美の成人後に「ママの子どもに産まれてきてくれてありがとう」と言っています。もう1つは、本人を一人の大人、個人として認め、本人の生活スタイルを本人の自由にさせ、責任感を持たせることです(承認)。本人の世界(自己)を尊重(承認)すると同時に、シンナー乱用、暴力、万引きなどの絶対にやってはならないことについては、感情的にならず、社会のルールにのっとって接することです。警察への通報もためらわないことです。こうして、本人がルールを守ることで本人をさらに認めていくことです(承認)。もちろん死んでしまったらそれがその子の寿命とする割り切り方は、そんなに簡単にはできるものではないでしょう。しかし、そうしなければならないくらいに、この家族の関係(家族機能)は追い詰められていたのです。さらに、ストーリーの後半で描かれていることとして、親が何かに一生懸命に取り組んで生き生きと楽しんでいる背中を見せることです(モデリング)。朋美は、成人後に「積木くずしの娘なんてどこも雇ってくれないわよ」「積木くずしを逆手に取って恥さらして生きていくしかしょうがない」と父親に言います。父親も、世間のバッシングから職を失いかけていました。しかし、父親の幼馴染みから「稲ちゃん(父親)が立ち直れば朋美ちゃんも絶対に立ち直れる」と励まされたことで、父親は立ち直り、役者業に励みます。そして、朋美もその姿を見て立ち直るのです。親が言葉であれこれ言うのではなく、実際に良いお手本(モデル)をやって見せ続けていることが、悪いお手本に子どもの目を向けさせにくくなるのです。表3 非行の心理の特徴とその対応 刹那主義逸脱行動の演出特徴もともと自分は大切にされていない(自己否定)→自分を大切にしない(自己評価の低下)→自分はどうなっても良い(自己破壊性)→今が良ければ良い(刹那主義)家族が心のよりどころとして当てにできない(信頼感の欠如)→家族に見切りを付ける→一人前(大人)に早くなりたい→その手段として普通の子にはできないすごいことをやる→見捨てられても大丈夫な自分を演出する対応見守ることで、本人が大切にされていること、家族が一番安心で安全な場所であることを示す(安全基地)本人を一人の大人、個人として認め、自由と責任感を持たせる(承認)親が何かに一生懸命に取り組んで生き生きと楽しんでいる背中を見せる(モデリング)反抗はなぜ「ある」のか?これまで、「なぜ反抗するのか?」という反抗のメカニズムを解き明かしてきました。それでは、そもそもなぜ反抗は「ある」のでしょうか?その答えを進化心理学的に考えれば、反抗は、親から独り立ちするために必要な心理だからです。反抗は大人になるための証とも言えます。本来、多くの動物は、生まれ出たらすぐに独りで生きていきます。ところが、人間は、養育の期間(幼少期)が圧倒的に長く、その期間に親に従順であることで生存率が高まります。そして、脳の発達が90%を超える8~10歳頃から少しずつ親に反抗していくことで、独り立ちして繁殖率を高めます。逆に言えば、反抗の心理がなければ、いつまでも親から離れていかなくなり、子孫を残せないということになります。子孫を残せない種は存在しないです。思春期の反抗とは、もともとあるものです。視点を変えれば、反抗とは、子どもが親の言う通りにならなくなったことを好ましく思わない親側の発想と言えます。本来は、ほどほどの反抗で収まるはずです。しかし、これまで触れてきた原因や危険因子によって反抗の心理が過剰になると、親だけでなく学校を含む世の中(社会)に対してまで反抗的になり、非行に走るのです(素行障害)。反抗的な人とは?―二面性―表4本来は、実際に大人(20歳)になったら、反抗の心理は低まります。なぜなら、社会的な責任がもう反抗して自分が大人であることをアピールしなくても大人になってしまっているからです。しかし、大人になっても反抗の心理が残り、行動パターンとなっている場合があります。それは、不平不満を言い続けるあまのじゃくように消極的(受動的)な反抗(攻撃)を繰り返す性格です(受動攻撃性)。これは、さきほど触れた安心感(安全基地)や自尊心(承認)が充分に満たされていないため、相手(社会)への敬意が払えず、自分が損をすることに敏感になっているためです。ただ、あまのじゃくは裏を返せば、問題意識が高いとも言えます。つまり、反抗の心理には、マイナス面だけでなく、プラス面として見ることもできるということです。特に、プラス面として、旧来の価値観(安全基地)では満たされないために、見切りを付け、新しい価値観(安全基地)を探索しようとする心理とも言えます。また、反抗の行動パターンが、法律に触れるレベルで固定化する場合もあります。それは、反社会的行動を繰り返す犯罪者の性格です(反社会性パーソナリティ障害)。彼らは、不良グループ→暴走族→暴力団や犯罪集団などの反社会的勢力というアウトローな道を歩み続けます。これも、さきほど触れた共感性や信頼感が充分に育まれていないため、相手(社会)を大切に思えず、自分が損をしないために相手(社会)を利用しようとするためです(搾取性)。表4 反抗の心理の二面性マイナス面プラス面あまのじゃく、へそ曲がり、ひねくれクレーマー、言いがかり、揚げ足取り斜に構え、皮肉屋、辛辣、毒舌反逆児高い問題意識、観察眼反骨精神、革新、改革、革命パラダイムメーカー、パイオニアハングリー精神ヤンキーとは? ―文化としての反抗さきほど反抗の心理で触れました一人前に見せるために「すごいこと」をする文化があります。それが、ヤンキー文化です。ヤンキーとは、もともとはアメリカ人(yankee)の金髪などの格好を真似た不良に由来するという説があります。さらに遡れば、伝統的な農村にあった年齢階梯制の「若い衆」に由来します。それが、戦後の都市化によってヤンキー文化として形を変えていったのです。それでは、このヤンキー文化を、彼らが好きな言葉である「舐めんな」「気合い」「絆」の3つから解き明かしてみましょう。そして、その二面性を考えてみましょう(表5)。(1)「舐めんな」―強さへの葛藤1 つ目は「舐めんな」です。これは、相手に舐められない、つまり「すごい」と思われるために、周りを威嚇する強そうな格好や行動をすることです。そのためには、普通の人とは違ったことをする必要があります。それが、彼らの独特のファッションやキャラクターを生み出しています。例えば、ファッションとしてはリーゼント、サングラス、改造学生服、特攻服、革ジャン、改造車(いわゆるヤン車)などです。これらの光るもの(発光性)や尖っているもの(屹立性)は、とにかく目立ち、人目を引くことに意味があります。その一方で、やり過ぎにより、悪趣味(バッドセンス)になっているとも言えます。また、キャラクターとしては、オラオラ系、ちょいワル、ツヨメなどです。日頃から周りに威圧的な態度を取り、トラブルになった時は、睨んで威嚇して「かかって来いよ」と挑発します。ただし、彼らは、実際に相手がかかって来て殴り合いになることを望んではいません。あくまで彼らの目的(心理)は、法に触れないぎりぎりを渡り歩いて「ワルっぽさ」や「ヤバそうな雰囲気」を「武勇伝」として周りに誇示することです。なぜなら、本当のワル(犯罪者)になることは周りから蔑まれるのを彼らは知っているからです。そもそもなぜ彼らはそこまで強がるのでしょうか? それは、彼らに強さへの憧れ(葛藤)があるからです。そして、この心理は、さきほど述べた非行の危険因子によって強まります。進化心理学的に考えれば、野性的な強さの誇示は、彼らの本能的な生存戦略であり繁殖戦略であると言えます。これは、ちょうどクジャクの羽がきれいな理由に通じるものがあります。他の同性よりも目立って強そうに見えることは、同性への牽制と異性へのセックスアピールとなり、生存率や繁殖率を高めるからです。(2)「気合い」―承認への葛藤2つ目は「気合い」です。これは、「すごいこと」をしようとするための意気込みです。例えば、「ビッグになる」「グレートになる」「成り上がり」「パナイ(半端じゃない)」という言い回しです。ただし、これらの言葉には、意気込みはとても感じられるのですが、具体的ではなく、中身が見えません。実は、彼らにとって中身や結果はそれほど重要ではないのです。その裏付けとして、彼らが「すごいこと」を意気込みつつ、同時に「ありのまま」「本音でぶつかる」という言葉も好きだと言うことです。彼らは現状肯定的で迎合的でもあるということが読み取れます。そもそも本当にビッグになる人は、揺るがないビジョン(中身)を持って、本音と建て前をうまく使い分けて出世して、世の中を変えていく人です。つまり、ヤンキーの彼らにとっては、「何を(what)やっているか」ではなく「どう(how)やっているか」、つまり普通ではない生き方という美学が大切なのです。そもそもなぜ彼らはそこまで意気込むのでしょうか? ほどほどではだめなんでしょうか? それは、彼らに「すごいこと」をして認められること(承認)への憧れ(葛藤)があるからです。さきほどの非行の心理でも触れましたが、期待に応えたいという心理(承認欲求)が幼少期に十分に満たされてこなかったという現実があります。そこから、「すごいこと」をして周りを見返したい、つまり期待に応えたいという心理(承認欲求)が人一倍強いのです。(3)「絆」―安全基地への葛藤3つ目は、「絆」です。これは、家族や仲間との結び付きを過剰に意識することです。本来、思春期は、親から離れて、同性同年代の仲間(ギャング)をつくる時期(ギャングエイジ)です。そこで、自分と相手(社会)との距離感を探っていきます(アイデンティティの確立)。そして、成人期には、反抗の心理が低まり、親とほどほどの良い関係が再び築かれていきます。ところが、反抗の心理が強い場合、思春期に親や世の中(社会)に過剰に反抗します。その間、仲間との結び付きを強めます。そして、成人期になると、親との関係は両極端のパターンに分かれます。一方はそのまま親と絶縁するパターン。もう一方は、過剰に親思いになるパターンです。そのまま絶縁するパターンは分かりやすいですが、逆になぜ彼らは過剰に親思いになるのでしょうか? なぜほどほどに親思いにならないのでしょうか? それは、彼らに心のよりどころ(安全基地)への憧れ(葛藤)があるからです。さきほどの非行の心理でも触れましたが、愛されたいという心理(愛情欲求)が幼少期に十分に満たされてこなかったという現実があります。自分の味方がほしいという心理が人一倍強いのです。その憧れ(葛藤)が、反抗の心理が低まる成人期には、大きな揺り戻しとなり高まるのです。また、この揺り戻しにより、世の中(社会)に対しては、逆に伝統的な保守派になります。実際に、成人したヤンキーの彼らは、地元愛や愛国心が強い人が多いです。これは、さきほど触れた彼らの現状肯定的で迎合的な態度につながります。心のよりどころへの執着が、親から地元、国家へと広がっていることが分かります。さらに、心のよりどころは、動物や子どもに向けられやすいです。例えば、ヤンキーは猫に優しくします。その姿を見ると私たちはそのギャップに驚き、心温まるかもしれません。しかし、よくよく考えると、ヤンキーだからこそ猫に優しいという可能性も考えられます。その理由は、複雑な家庭環境で生き抜いてきた彼らの心の底には大人の人間への不信感があるからです。一方、子どもや動物は、無邪気で純粋なため、安心して接することができるからです。ヤンキーは、人間関係に葛藤があるからこそ、人が好きです。人助け(絆)が好きです。ヤンキー文化は、モノ(二次元)が好きないわゆる「オタク文化」とは対照的であると言えます。オタクが頭でっかちなのに対して、ヤンキーは「心でっかち」と言えそうです。ヤンキー上がりの人が、一見意外な介護士や看護師などの対人援助職に就くことが多いのも納得がいきます。進化心理学的に考えれば、心のよりどころへの憧れから、早く結婚し早く子どもをつくり新しい自分の家族をつくることは彼らの繁殖戦略と言えます。実際には、結婚が長続きしないカップルが多いのも現実ですが、その機能不全家族で育つ彼らの子どもが再び同じ心理を持つことで、世代間連鎖していくことも考えられます。さらに、仲間(集団)を大切にして仲間(集団)のために一生懸命になる心理は、保守派として世の中(社会)の安定に大きく貢献している点で集団の文化として生存戦略が高いとも言えます。表5 ヤンキー文化の二面性 マイナス面プラス面強さへの葛藤悪趣味目立つ承認への葛藤中身が薄い美学安全基地への葛藤親との葛藤家族愛、地元愛反抗的な人にどう接するか?以上の反抗の心理を踏まえて、反抗的な人、例えばあまのじゃく(受動攻撃性)やヤンキーにどう接するかを考えてみましょう。私たちは、ついその人の言動そのものに目が行きがちです。しかし、そもそも反抗的な人がなぜあまのじゃくやヤンキーなのかを理解していると、より良いコミュニケーションが見えてきます。例えば、その人が部下なら、単純にその人の反抗的な態度を叱って力で抑えてもその人はあまり変わらないでしょう。むしろ、逆です。まずは、叱る前に、些細なことでも何でも良いので、その人をほめ続け、部下として信頼して認めていることを伝えることです。もちろんその人は表面的には素直には受け取らないかもしれませんが、確実にその人の職場での安心感や自尊心は満たされるでしょう。すると、以前よりも不平不満を言うことが減り、改善点を指摘された時の受け入れが良くなることが期待されます。極端な言い方をすれば、コミュニケーションのコツとしては、ほめたいからほめるのではなく、叱る(のを受け入れてもらう)ためにほめるのです。例えて言うなら、叱るという高い買い物をするために、ほめるという貯金をコツコツするということです。このように、反抗の心理をより良く知ることで、私たちが苦手としがちなあまのじゃくやヤンキーな人ともより良いコミュニケーションができるのではないでしょうか? さらには、私たちの中のあまのじゃくっぽさやヤンキーっぽさに気付き、自分を俯瞰(ふかん)して見ることでより良いコミュニケーションができるのではないでしょうか?1)穂積隆信:積木くずし、角川文庫、19822)小栗正幸:行為障害と非行のことがわかる本、講談社、20113)五十嵐太郎:ヤンキー文化論序説、河出書房新書、20094)斎藤環:世界が土曜の夜の夢なら、角川書店、20125)斎藤環:ヤンキー化する日本、角川書店、2014

99.

サイレント・プア【ひきこもり】

今回のキーワード自発性自信関係依存過保護、過干渉承認進化心理学「なんでひきこもるの?」皆さんは、ひきこもりの生活スタイルを不思議に思ったことはありませんか? 特に身体的な問題や明らかな精神的な問題がないのに、ほとんど家から出ず、重度の場合は部屋からも出ず、社会参加をしない。そのような生活を若年から年単位で続ける。「自分だったら、そんな生活では数日で居ても立ってもいられなくなる」。そう思う人もいるでしょう。現在、医療機関にも、ひきこもりについて相談に来る家族は増え続けています。海外でも増えていることが確認されており、どうやら普遍性があるようです。そんな中、メンタルヘルスの現場だけでなくテレビや新聞でも「なぜひきこもりになるのか?」「ひきこもりをやめさせるにはどうしたらいいのか?」というテーマをよく見かけるようになりました。今回は、進化心理学的な視点から、「なぜひきこもりは『ある』のか?」というテーマまで踏み込みます。取り上げるドラマは、2014年に放映されたNHKドラマ「サイレント・プア」の第5話です。サイレント・プアとは、「声なき貧困」という意味で、経済的な貧しさだけでなく精神的な貧しさに困り果てている高齢者や障害者たちのことです。彼らを救おうとして活動するコミュニティ・ソーシャルワーカーにスポットライトを当てています。なお、このドラマは、NHKオンデマンド(https://www.nhk-ondemand.jp)にて現在配信中です。あらすじ主人公のコミュニティ・ソーシャルワーカーの涼が、ひきこもりの自立を支援するサロンを立ち上げたところから、ストーリーは始まります。順調な滑り出しの中、その町の自治会長の園村は、その運営にいぶかしげに首を突っ込んできます。それには、深いわけがありました。園村の一人息子の健一は、海外で成功しているはずだったのですが、実は30年も自宅に引きこもっていたのです。そして、とうとう園村は、50歳になる息子の行く末を案じて、彼の存在を涼に打ち明けるのです。ひきこもりの心の底は? ―ひきこもりの心理(1) 欲がない―自発性の不足1つ目の特徴は、欲がないことです。健一は、部屋に閉じこもり、唯一していることは、本を読むかインターネットを見ることです。食事は部屋の前まで母親に運んでもらい、時々、部屋を出て、冷蔵庫から食べ物を調達しています。生きるための基本的な欲求しか満たされていません。健一は、涼に「夢はありますか?」と訊ねられると、「そんなもん、あるわけねえだろうが」と吐き捨てています。一方、対照的なのは、涼の祖父の発言です。祖父は、涼に「じいちゃんの夢は?」と訊ねられると、「この店(クリーニング店)がじいちゃんの夢だ」「自分で始めたんだから潰しちゃなんねえって必死だった」「(夢は)一度はばあちゃんと海外旅行に行きてえと思ってた」と楽しげに語ります。多くの人は、友達といっしょにいたい、仕事などを通して誰かの役に立ちたい、パートナーや子どもなどを愛し愛されたいといった社会的な欲求があります。そこには、達成感や充実感があります。しかし、健一は、その欲求が実はあるにはあるのですが、行動を起こすほどではないのです。達成感や充実感を求める欲が鈍くなっています(ドパミンの活性低下)。言い換えれば、自発性が足りないのです。自発性は、主体性、自主性、能動性、積極性、創造性などを生み出します。(2) 自信がない―ストレスへの過敏性2つ目の特徴は、自信がないことです。健一は、「僕が付けてる日記だよ」「その日食った飯のことだけ」「毎日それだけ」「空っぽなんだよ、おれは」と涼に訴えかけます。一方、対照的に、涼の祖父は、「どんなに着古した洋服でも新品のように仕上げる」「じいちゃんの仕事は新しい一日を迎えるお手伝い」「今だってそう思ってる」と誇らしげに言っています。祖父は、自分の今までやってきたことに誇りや自信を持っています。自信とは、自分の考えや行動が正しいと信じることです。これは、周りから認められること(承認)によって培われます。健一は、この承認の積み重ねがないことを「空っぽ」であると言い表しています。そこには、安心感や安定感がありません。何か行動を起こすことへの不安や緊張を抱きやすく、慎重であり臆病になります。失敗への恐怖が強く、ストレスに過敏です(ノルアドレナリンの易反応性)。この不安があまりにも強い場合は、社交不安障害や回避性パーソナリティ障害と診断されることがあります。(3) 現状に甘んじる―関係依存3つ目の特徴は、現状に甘んじていることです。父親である園村は健一に「50にもなる男が、一生このままで恥ずかしくないのか?」と叱責し続けます。あまり居心地は良くないです。しかし、同時に、健一の母親は、「(この料理は)健一の好物でね」「私にはこれくらいしかできないから」と涼に言い、健一の部屋の前まで食事をかいがいしく運んでいます。そこには、どんなことがあっても息子を見捨てないという変わらない愛情があります。健一はその愛情を享受し、同時に依存しています。「なんだかんだ言って面倒見てくれる」という基本的信頼感のもと、頼り切ってしまい、その現状に甘んじて、ハマっています。そこは、うるさい父親とかかわりさえしなければ、居心地は良く(安全基地)、安心感や安全感があります(相対的なオキシトシンの活性亢進)。そして、そこから抜けたくても抜けられなくなっています(関係依存)。表1 ひきこもりの3つの心理の特徴とその要因 欲がない(自発性の不足)自信がない(ストレスへの過敏性)現状に甘んじる(関係依存)神経伝達物質ドパミンの活性低下ノルアドレナリンの易反応性相対的なオキシトシンの活性亢進要因本人ひきこもりを続けること(悪循環)家族構い過ぎる(過干渉)認めない(承認の欠如)心配し過ぎる(過保護)社会親の時間的余裕結果重視の価値観経済的余裕なぜひきこもるのか?それでは、なぜひきこもるのでしょうか? ひきこもりの原因を、本人、家族、社会という3つの要素に分けて探ってみましょう。ひきこもりは本人のせい?まず、ひきこもりは、もちろん本人に原因があります。なぜなら、ひきこもりは本人がひきこもろうという意思を持ってひきこもるからです。ただ、困ったことは、ひきこもりは続ければ続けるほど、続くことです。どういうことかと言うと、ひきこもりは続けていること自体で、ますます欲がなくなり、その引け目も加わりますます自信もなくなり、ますます現状に甘んじてしまい、ひきこもりから抜け出せなくなってしまう悪循環があるということです。例えば、体を動かさない寝たきり状態では、体の様々な機能は衰えていき、風邪をひきやすくなり、ますます寝たきりを深刻にさせてしまいます(廃用症候群)。宇宙飛行士が無重力で足腰や骨が弱っていくのも同じメカニズムです。このように、重力がなければ、体は鈍り弱っていきます。同じように、心も、「重力」がなければ、鈍り弱っていき「寝たきり」になってしまいます。それでは、心の「重力」とは何でしょうか? それは、社会参加による刺激です。ひきこもりは、心の「無重力」状態と言えます。社会参加による刺激は、達成感や充実感であると同時に、ストレス負荷でもあります。仕事などで他人(家族以外)とかかわる経験を重ねていく中で、達成感や充実感による喜びや楽しさから「次はこうしたい」「ああなりたい」という欲が次々と膨らみます(ドパミンによる報酬)。一方、ストレスによる不安や緊張を積み重ねることでストレス耐性が強まります(ノルアドレナリンの制御)。そこに周りから認められることによって(承認)、安心感や安定感が芽生え、自信が生まれていきます。心が鈍り弱っていくとは、喜びや楽しさに鈍くなるだけでなく、相手の気持ちを察するのも鈍くなります。ちょうど、運動能力や語学力は使っていないと錆びついていくのと同じように、人間関係を築く力(社会脳)もひきこもっていては磨かれない。それどころか衰えていきます。口下手になり、恋愛下手になっていきます。さらには、自分の気持ちを察するのも鈍くなり、ものごとのとらえ方(認知)が独りよがりになる場合があります。例えば、自信はないのにプライドは高いという状態です。そこには、何もしないでいれば何でもできるという可能性(万能感)の中に留まってしまう心理があります。また、ストレスに過敏になります。普段は無刺激の生活をしているので、対人関係での些細な刺激がとんでもないストレスになってしまいます。普段に使い切れずにたまっているストレスホルモンが大量に出るのです(ノルアドレナリンの易反応性)。家族には横暴になりがちです。仕事を始めても、最初は打たれ弱く傷付きやすくなります。ひきこもりは家族のせい?ひきこもりは本人だけが原因でしょうか? そうとは言えなさそうです。原因は家族にもあります。なぜなら、ひきこもる「基礎」をつくったのは家族だからです。再び、体と心を対比して考えてみましょう。もともと基礎体力が低くて体が弱い人がいるのと同じように、もともと基礎の「心の力」が低くて、心が脆(もろ)く弱い人もいます(脆弱性)。つまり、個人差です。この個人差は、体力にしても、「心の力」にしても、その人の遺伝的な体質や気質だけでなく、どういうふうに育てられたか(生育環境)も影響を与えています。それでは、どういうふうに育てられたか、つまりどんな家族のかかわり方がひきこもりの「基礎」をつくりやすいのかを、園村がかつて健一にした仕打ちから読み取り、大きく3つの要素に整理してみましょう。(1) 構い過ぎる―過干渉園村は涼に打ち明けます。「30年前に、あいつ(健一)は大学受験直前になって絵描きになりたいと言い出したんだよ」「(そこで)私は、あの子が美大へ行くためにこっそり書いてた絵を全部燃やしたんですよ」と。一方、健一は涼に心の内を漏らします。「あの人(父親)は自分の思い通りに息子を動かしたかっただけ」「僕は大学を2浪して落ちた時、園村家の恥だと言われた」「この世の中におまえの居場所なんかないって」「僕は人生つぶされたんですよ」「絵を描いてると僕は息ができた(のに)」と。1つ目の要素として、親が子どもに構い過ぎていることです(過干渉)。もっと言えば、自分の思い通りにするために、一方的に力でねじ伏せ、親の支配力を見せ付けています。健一の方は、息苦しくも必死になって親の期待通りに生きてきました。しかし、この一件で、彼は自分のつくった世界や夢を「灰」にさせられてしまったのです。ひきこもりの生い立ちを探ると、「もともと手のかからない良い子」という親の印象があります。その背景として、親が過干渉である現実があります。親は、先回りして本人の行動を全てコントロールし、理想の子どもをつくろうとします。すると、子どもは、言われるままに必死に行動し(外発的動機付け)、自分で考える喜びや達成感を味わうこと(内発的動機付け)がなくなります。また、自分の考えで何かをやったことがあまりないと、そうすることに戸惑いや恐れを抱きやすくなります。さらには、逆らえないことを長期間学習した結果、意識せずに無気力になってしまうことが分かっています(学習性無気力)。こうして、自発性が低下していき、欲がなくなるのです。本来、自分で何かをやり遂げる感覚は、子どもの発達段階において必要な刺激です(勤勉性)。ここから自分で成長しようとする能力(自己成長)やどうやって生きていくか自分で決める意識(自己確立)がさらに育まれていくからです。(2) 認めない―承認の欠如園村は、町の人たちに「息子は日本にはおりません」と告げ、海外のビジネスで大成功を収めていることにしています。また、焦りやもどかしさから、健一に「おい、いつまでそんなこと(ひきこもり)をしているつもりだ!」「お前の人生はそんなんでいいのか!?」「おまえはクズだ!」と罵ります。健一の方は、涼に「あの人(父親の園村)が気にするのは人の目だけ」「僕のことだって恥だから人に言わなかった」「おれは我が家の恥です」と訴えかけます。園村は、体裁を気にするあまり、ひきこもっている健一の存在を周りに明かしません。健一は、父親によって存在を消されているのです。また、かつて健一が「こっそり」と反抗していたことを園村が掌握していた事実を考えると、健一は、監視の目が厳しい中で息の詰まる思いをしていたことでしょう。健一には、プライバシーがなく、自分の世界をつくることも許されなかったのです。2つ目の要素として、親が子どもの考えや行動を認めていないことです(承認の欠如)。支配的な親の典型的な行動パターンとして、思春期の子どもの携帯の着信履歴やメール、日記をのぞき見したり、部屋を勝手に掃除することです。本人が大切にしているものや秘密は尊重されておらず、親に本人の世界という自己(アイデンティティ)を認めない姿勢が伺えます。すると、子どもは、自分の考えや行動に自信を持てなくなります。(3) 心配し過ぎる―過保護園村は、健一の絵を燃やした理由を涼に言います。「しっかりとした大学へ行き、安定した企業に入り、立派な人生を送ってほしかった」「それが親の務めだ、そうでしょ?」と。園村は現在の健一に「おれも母さんもいつかは死ぬ」「おまえはたった独りで生きていかねばならんのだ」との切実な思いを吐露します。すると、健一は園村に「今さら何言ってんだ」「あんたがそうさせたんじゃないか」「あんたは自分のことしか考えていない」と言い返します。言い当てている部分はあります。親なりに子どもの幸せを願って良かれと思ってしてきたことが裏目に出ているのでした。3つ目の要素として、親が子どもを心配し過ぎることです(過保護)。愛情は十分に注いでいるのですが、その注ぎ方に問題があったのです。大切にし過ぎて、子ども扱いし、抱え込んでいます。一人の人格を持った大人として見なしていません。一方、健一は、親の期待に反発しつつも、結果的に保護される、つまり子ども扱いされることに甘んじています。本来の愛情は、本人が思春期になったら、本人の幸せのために、夢や希望(自発性)を温かい目で後押しして、困った時に保護することです。愛情が溢れる余りに心配性になり、困ってもいないのに保護して(過保護)、その結果、本人の夢や希望をくじき不幸せな思いをさせるのは、本末転倒と言えます。なぜ複雑な家庭環境ではひきこもりが少ないの?逆に、構い過ぎ(過干渉)や心配し過ぎ(過保護)の対極を考えてみましょう。それは、あまり構わず心配もしない、つまり放置です。これは、育児に時間が取れない一人親家庭、育児が適切に行われていない心理的に荒れた家庭、育児に関心が乏しいネグレクト(育児放棄)や心理的虐待などの複雑な家庭環境が背景にあります。すると、子どもはどうなるでしょうか? 「早く自分で生きていこう」「早く一人前になりたい」という心理(自発性)が高まります。それが望ましくない形で出てくる場合が、家出などの非行です。非行の心理は、「普通の子にはマネできないすごいことをやってのけている」という悪いことをあえてできる自分を周りに示すことに意味があります。そして、見捨てられても大丈夫な自分を演出します。これが、複雑な家庭環境、つまりあまり構わない親のかかわり(放置)では、統計的にひきこもりが少ない理由であると考えられます。一方、構い過ぎ(過干渉)はその逆で、「一人前になりたいたいわけではない」「まだ一人前になりたくない」というひきこもり独特の心理を高めていることが分かります。本来は、親が「ほどほどに構う」ことで、子どもが「ちょっとずつ一人前になる」という関係が望ましいはずです。なぜ低所得層の家庭環境ではひきこもりが少ないの?低所得層の家庭、いわゆる貧困の家庭では、生活に足りないものが出てきます。子どもは、友達と違い、自分は欲しい物がなかなか手に入らないことを自覚します。すると、その渇望感から欲しい物が手に入ることの喜びに敏感になり、生物学的な感受性が高まっていきます(ドパミンの活性)。それが、欲深さであり、ハングリー精神です。こうして、子どもの自発性は高められていき、ひきこもりにはなりにくくなります。また、そもそも経済的に厳しい家庭は、ひきこもりを養っていくだけの経済力がありません。逆に言えば、裕福な家庭では、親子のコミュニケーションのパターンが、心配し過ぎ(過保護)から与え過ぎにすり替わってしまいやすくなります。子どもの望むものが簡単に買い与えられてしまい、欲しいものに飢えることがなくなれば、自発性がとても弱くなるリスクがあります。ここから分かることは、経済的に恵まれている家庭は、ひきこもりが起こりやすくなることを理解する必要があるということです。ひきこもりは社会のせい?それでは、ひきこもりは本人と家族の問題でしょうか? それだけとも言えません。なぜなら、ひきこもりは、世の中で90年代から徐々に増え続けている現実があるからです。つまり社会問題として、普遍性があるということです。最初のひきこもりが90年代に20歳代だとしたら、その幼少期は70年代になります。親を、構い過ぎ(過干渉)、認めない(承認の欠如)、心配し過ぎ(過保護)の3つの心理に駆り立てるようになった70年代以降の社会の変化とは何でしょうか? 大きく3つ挙げられます。(1) 親(特に母親)が暇になった―親の時間的余裕今回のドラマで健一の母親がかつてどうだったかは描かれていませんが、1つ目の社会の変化は、親(特に母親)が暇になったことです。世の中が便利になり、家庭の中も便利になりました。それに加えて、核家族化や少子化によって、時間的余裕を持つ母親が増えました。そして、その余った時間を全て子育てに注ぐ、子育てが生きがいの母親が出てきたことです。こうして、構い過ぎ(過干渉)がエスカレートしていくようになりました。さらには、早期教育、習い事、塾など様々な教育サービスの充実によって、構い過ぎの選択肢はますます増えていきました。そして、いわゆる「お受験ママ」「ステージママ」などの教育に熱を入れ過ぎる母親が登場します。彼女たちによって、ごく一握りの才能のある子どもを除いて、多くの子どもはこれらの活動を強いられて、本来あったやる気(自発性)はますます育まれなくなります。(2) 競争社会になった―結果重視の価値観町内会の会議でのワンシーンを見てみましょう。メンバーが「こういうことはさあ、もっとこう楽しく時間かけてやることに意味があるんだってさあ」と提案して議題から脱線して会話を楽しんでいます。すると、自治会長の園村は、「おほん、効率良くやりませんかね?」「無駄な時間を使えない」「うちの自治会主催の桜祭りはもう何年も閑古鳥ですね」と釘を刺します。園村は、信用金庫の理事を最後に退職しており、もともとお金や時間の無駄にとても厳しいのでした。このシーンからも見てとれる2つ目の社会の変化は、競争社会になったことです。社会の価値観は、競争に勝つために、効率重視、結果重視に傾いていきます。世の中のあらゆるものに価値を求めるようになった結果、子どもにも価値を求めるようになりました。そして、競争に負けてほしくない親心から、「負けたくない子育て」に重きを置かれるようになります。ほめるにしても叱るにしても、結果に重きが置かれるため、どんなに子どもが一生懸命にやって楽しんでいても、そのプロセスについては認めにくくなります(承認の欠如)。親の望むような結果にならなければ、自信はいつまで経ってもつきません。そういう子どもを増やしてしまったのです。(3) 物質的には豊かになった―経済的余裕健一は、一人息子として、立派な一軒家の離れに住んでいます。とても裕福です。ひきこもっていても、物質的には不自由なく生活できています。この様子から読み取れる3つ目の社会の変化は、物質的には豊かになったことです。それは、家族が、経済的に恵まれていくことで、その子どもがひきこもりになりやすい基礎をつくってしまったことです。そして、家族がひきこもる人を経済的に養うことができるようになったことです。その家族の経済力によって、「働かなくても良い」という発想を持つ人が増えてしまったのです。かつて、世の中が豊かではない時、「働かざる者、食うべからず」という考え方が一般的でした。例えば、発展途上国にひきこもりはいません。当たり前ですが、そんなことをしたら生存が危うくなるからです。現在は、「働かざる者も食える」時代になってきたということです。働かなければならない状況なら、そもそもひきこもりにはならないということです。しょうがなく何とか働いているでしょう。これが、現状に甘んじているという心理です。なぜひきこもりは「ある」のか?これまで、「ひきこもりとは何か?」「なぜひきこもりになるのか?」というテーマで考えてきました。ここからは、さらに踏み込みます。そもそも「ひきこもりはなぜ『ある』のでしょうか?」 言い換えれば、「ひきこもりは、なぜ昔になくて今あるのでしょうか?」 この問いへの答えを、進化心理学的な視点で探ってみましょう。私たち人間の体は環境に適応するために進化してきました。同じように、私たち人間の心も進化してきました。その適応してきた環境とは、狩猟採集生活を営んでいた原始の時代です。その始まりは、チンパンジーと共通の祖先から私たちの祖先が分かれていった700万年前です。現代の農耕牧畜を主とする文明社会は、たかだか1万数千年の歴史であり、進化が追い着くにはあまりにも短いと言えます。つまり、進化心理学的に考えると、私たちの心の原型は、まさにこの原始の時代に形作られました。その原始の時代の一番の問題は飢餓でした。この飢餓を乗り越えるために、私たちの体では様々なメカニズムが進化しました。例えば、低血糖にならないためのメカニズムとして、血糖値を上げるホルモンは数種類もあることです。また、飢餓状態では、一時的に脳内の快楽物質(エンドルフィン)が放出されて、むしろ気分は高揚して活動性は高まります。これは本人が意図せず意識せずに起こります。そして、その間に何とか食糧を得たのです。このモデルとなるのが、摂食障害によって低体重で低栄養になった場合の精神状態、いわゆる「拒食ハイ」「ダイエットハイ」です。逆に、現代のように裕福で飽食の社会はどうでしょうか? 大きな問題の1つは肥満です。この肥満を抑えるように私たちの体はあまり進化していません。なぜなら、原始の時代にはありえない状況だからです。血糖値を下げるホルモンにしてもインスリンの1つしかありません。それが肥満により働き疲れると、たやすく糖尿病になってしまいます。動物の中で、肥満を抑える遺伝子が進化しているのは、鳥ぐらいです。そこで、私たちは、肥満を抑える遺伝子がない代わりに、カロリーオフのものを摂ったり、意識的に運動したり、薬を飲んだり、場合によっては胃切除を行っているわけです。飽食の時代に肥満が増えるように、物質的に豊かになった時代に働かない人が増えるのは、進化心理学的に考えれば、明らかなことです。満たされている精神状態では、飢餓の状態とは逆に、意図せず意識せずに活動性は低下しています。端的に言えば、食べ物があればつい食べてしまうし、楽ができるならつい楽をしてしまうというシンプルな話です。肥満を抑えるメカニズムがあまり進化していないのと同じように、働かない心理を抑えるメカニズムもあまり進化していないのです。働かない心理は、肥満と同じく、進化の過程で支払うべき代償(トレードオフ)と言えるでしょう。そして、働かない心理の1つの代表として、今、ひきこもりが、その特異性ゆえに注目を集めているのです。ちなみに、働かない心理のもう1つの代表として、ひきこもりと時期や特徴を同じくして注目されている病態が「新型うつ」です。ひきこもらないためにはどうすれば良いのか?ひきこもりは、本人の考え方、家族のかかわり方、社会のあり方にそれぞれ原因があることが分かりました。それぞれに原因があり、どれか1つのせいにはできないことに気付きます。ひきこもらないために大事なことは、それぞれに原因があることを認め、それぞれがその原因を見つめ直すことです。(1) 本人はどうすれば良いのか?一番大事なことは、まず本人がひきこもりから抜け出したいと強く思うことです。ひきこもりは、本人が止めようと思わなければ止められないです。いくら周りがどんなに一生懸命に取り組んでも、本人に変わる気がなければ、変わらないです。アルコールや薬物などの物質依存、ギャンブルなどの過程依存と同じように、ひきこもりは関係依存という依存症の要素があります。この事実を本人が理解することです。結局のところ、たとえどんな境遇であったとしても、自分の人生の責任は、他でもない自分にあるということに気付くことです。そして、具体的に行動して、何らかのコミュニケーションの刺激にあえてさらされることです。最初はリハビリです。取っ掛かりとして、歯医者への通院も良いでしょう。メンタルヘルスのクリニックやカウンセリングルームへの通院、デイケアや自助グループへの通所など何でもありです。体を鍛えるのと同じように、心を鍛えるには、場数を踏んで、人馴れや場馴れをしていくことです。また、インターネットの利用によって、ひきこもりの人同士が情報発信をし合ったり、集まりに参加することで、お互いにいたわったりねぎらったりすることができます(承認)。これは、新しい社会参加の1つの形であると言えます。こうして、社会的スキル(社会脳)という能力が再びちょっとずつ磨かれていきます。(2) 家族はどうすれば良いのか?涼は、園村に「園村さんが健一さんを大事に思う気持ちと、健一さんの人生を決めてしまうことは、別のことだと思います」と言い当てます。まさにこのセリフは、ひきこもりの基礎をつくる家族の3つのかかわり方の問題点を指摘しています。それは、構い過ぎ(過干渉)、認めない(承認の欠如)、心配し過ぎ(過保護)でした。ここから、この3つの点について家族はどうすれば良いか考えていきましょう。a. 親が自分の人生を生きるラストシーンで、園村は、真っ直ぐに伸びた道を描いた健一の絵を見て、健一にやさしく語りかけます。「これから歩いていってみてくれ、おまえの道を」と。この言葉から、健一の人生と自分の人生は同じではないということを園村がようやく理解したことが読み取れます。1つ目の対策は、親が自分の人生を生きることです。子どもが思春期(10歳代)を迎えたら、子育ては半分卒業です。そして、子どもが成人したら、子育ては完全に卒業です。いつまでも親が子どもの人生を歩み続けることはできないということを知ることです。子どもは子どもの人生を歩むと同時に、親は自分の人生を歩んでいることがポイントです。親が自分の仕事や趣味、友人関係などで自分の世界を持って、何かに励んで楽しんでいることです。そうすると、結果的に、親は子どもに構い過ぎなくなります。また、親は、自分の世界があることで、周りの評判(評価)や体裁をあまり気にしなくなります。そして、そういう親の背中を見て(モデリング)、子どもの自発性は高まっていきます。b. 本人を大人扱いする涼の指摘の後、園村は「あいつの気持ちが知りたい」とつぶやきます。園村は、健一を抱え込んで子ども扱いして、本人の気持ちを考えていなかったことに気付いた瞬間です。一方、健一は、自分の描いた絵がひきこもり自立支援のサロンに飾られたことで(承認)、自信を取り戻していくのです。2つ目の対策は、本人を大人扱いすることです。本人が思春期(10歳代)を迎えたら、親は口出しを徐々に控えていき、本人が決めたことを認めることです(承認)。もちろん、親が生き方の選択肢としての判断材料をたくさん示すことは大切ですが、あくまで最後は本人が決め、それを親が支持するというスタンスを守ることです。例えば、「○○について、親として△△してほしい。だけど、決めるのはあなた。あなたが決めたことなら、結果がどうなっても支えたいと思う」と伝えます。大人扱いをするということは、本人の自由を尊重すると同時に、責任も自覚させるということです。具体的には、最低限の生活のルールを相談して決めることです。そのためのイメージとしては、「しばらくホームステイしている外国の友達の息子さん」というイメージです。そうするとどうでしょう? 例えば、「給料」(生活費)は一定額に固定されます。「文化」の違いがあるので、本人の生活スタイルやプライバシーには配慮し親切に接しつつも、家族にとって迷惑なことがあれば指摘や相談をしたり、家族全員での話し合いをします。「文化」の違いがあるからこそ、率直に意見を言う必要があります。こうして、「文化」の違いを乗り越えたルールがつくられていきます。それでは、暴言や暴力はどうでしょうか? 前半のシーンで、園村が健一に「おまえ、誰のおかげでその年まで働かずに食えてこられた!?」「どれほどの思いをしておれが過ごしていたか分かるか!?」と問い詰めます。すると、健一が急に「土下座して謝れよ!」と大声を上げて、暴力を振るいます。園村のかかわり方には問題がありますが、暴力を振るう健一にも問題があります。このように、暴力などの不適切な問題が起こる場合は、ためらうことなく警察通報や避難することが肝心です。リスクがある時は、本人に事前に伝えることが必要です。例えば、「どんな状況でも暴力は良くない。次に暴力があれば、私は警察通報をしなければならない」とはっきり言うことです。逆に、親が、子ども扱いしたり体裁を気にしたりして警察通報や避難ができない状況では、暴力はエスカレートしていきます。c. 親がサポーターになるラストシーンで、園村は健一に「これから歩いていってみてくれ、おまえの道を」「父さん、生きてる限りおまえを応援する」と語りかけます。この言葉に健一は涙するのです。3つ目の対策は、親がサポーター(応援者)になることです。応援するという言葉には、もはや保護者として親が子どもを保護する、つまり子どもの人生の全責任を負うというニュアンスはありません。応援とは、本人の自由を尊重して、サポーターとしてサポート(援助)に徹することです。そのサポート(援助)とは、衣食住の最低限の生活の保障をすることです。サポートは、際限なくするものではなく、あくまで一定です。親が、ひきこもりの事態の責任を感じて、本人を抱え込んで、本人の言いなりになることではありません。言い換えれば、一定のサポートとは、サポートには限度があるというメッセージです。園村の言葉には、もう1つのメッセージがあります。それは、「(自分たち親が)生きてる限り」という言い回しから分かるように、サポートには期限があるということです。つまり、ひきこもりという経済力のない生活スタイルは、果たしていつまで続けることができるのかということです。親の財産の相続や今後に受給する本人の年金を踏まえて具体的に正確にシミュレーションして、親としてできるライフプランを本人に提案することです。親が定年退職した時や本人が30歳になった時が、家族で相談する1つの節目です。ここでも大切なポイントは、限りある資源をどうするか最終的に決めるのは本人であるということです。「追い詰めれば自立するかも」という安易な発想から、感情的にはならないことです。表2 ひきこもりの3つの心理の特徴、要因、対策 欲がない(自発性の不足)自信がない(ストレスへの過敏性)現状に甘んじる(関係依存)神経伝達物質ドパミンの活性低下ノルアドレナリンの易反応性相対的なオキシトシンの活性亢進要因本人ひきこもりを続けること(悪循環)家族構い過ぎる(過干渉)認めない(承認の欠如)心配し過ぎる(過保護)社会親の時間的余裕結果重視の価値観経済的余裕対策本人ひきこもりをやめようと思い、少しずつ行動すること家族親が自分の人生を生きる(干渉しない)本人を大人扱いする(承認)親がサポーターになる(一定の援助)社会社会もサポーターになる(ソーシャルサポート)(3) 社会はどうすれば良いのか?前半のシーンで、園村は涼に「なぜあんな人間たち(ひきこもりサロンのメンバー)に構うのか?」と問います。すると、涼は「信じているからです」「人はいつでもどんなところからでも生き直せる」と力強く答えています。涼は、持ち前の情熱により、困っている人をサポートしています。このシーンから学ぶことは、ひきこもりに対して社会もサポーターになることです(ソーシャルサポート)。その1つが、涼が立ち上げたひきこもり自立支援のサロンです。ひきこもりの人への社会の中での居場所の提供です。そこには、仲間がいます。また、世の中の多くの人がひきこもりについて理解していけば、ひきこもりの本人の親の友人や近所の人が状況を知った理解者となり、本人を温かく見守ることができます。さらには、ひきこもりの家庭への人の出入りをつくり出すことです。親の友人、近所の人、ケースワーカーなどの第三者の客観的な目が家庭内に入ることは、社会、家庭、個人のそれぞれの風通しを良くしていくことができます。これは、暴言や暴力などの親子の煮詰まりを防ぐ1つの方法でもあります。ただし、家族のサポートに限度があるのと同じように、社会(国)のサポートにも限度があります。社会のサポートは、国の経済力に左右されがちです。ひきこもりなどの働かない人が増えれば、国の経済力が危うくなるのは明らかなことです。この社会的な状況を踏まえて、今後ひきこもりの人に生活保護や障害年金の受給がどこまで可能なのかという社会的な議論や同意が必要になってきます。ひきこもりの未来は?これまで、「ひきこもらないためにはどうすれば良いのか?」という視点で考えてきました。ところで、そもそも、ひきこもりは悪いことなのでしょうか? 逆に言えば、ひきこもらないことは良いことなのでしょうか?昔から、親に頼り働かない人は「すねかじり」「甘え」「怠け」などと否定的に呼ばれてきました。ところが、現在、価値観が多様化する中、こうあるべきという社会(多数派)の価値観は定まらなくなってきています。家庭の家計や国の経済がある程度安定しているのであれば、ひきこもりのライフスタイルは、「エコ」「悠悠自適」とも言えそうです。大事なことは、今ひきこもっている本人が、働くか働かないか、または社会参加するかしないかの古い価値観の二択に惑わされないことです。物質的に豊かな現代、人それぞれで違う「精神的な豊かさ」を得るにはどうすることが自分にとって一番良いのか? その生き方を本人が自分で選び取ることではないでしょうか? その時、ひきこもりは、もはや生き方の選択肢の1つに過ぎなくなるのではないでしょうか? そして、未来にはひきこもりという言葉そのものがなくなっているのではないでしょうか?1)斎藤環:ひきこもりはなぜ「治る」のか?、中央法規、20072)斎藤環:社会的ひきこもり、PHP新書、19983)荻野達史ほか:「ひきこもり」への社会学的アプローチ、ミネルヴァ書房、20084)田辺裕(取材・文):私がひきこもった理由、ブックマン社、20005)長谷川寿一・長谷川眞理子:進化と人間行動、東京大学出版会、2000

100.

境界性パーソナリティ障害、予防のポイントは

 児童期の虐待と境界性パーソナリティ障害(BPD)との結び付きは明らかであるが、最近の研究において、いくつかの児童虐待フォームがBPDおよびBPD特性と特異的に関連している可能性が示唆されている。また、感情制御の困難さが、児童期に受けた虐待、BPDおよびBPD特性と関係していることも報告されていた。カナダ・ライアソン大学のJanice R. Kuo氏らは、児童期の精神的虐待とBPD特性との関連を調べた。結果、さまざまな児童虐待フォームの中でもとくに精神的虐待が、BPDの発症に関与する可能性があると報告。「BPDの予防および治療は、感情制御の治療戦略から得るべきベネフィットがあるかもしれない」とまとめている。Child Abuse & Neglect誌オンライン版2014年9月2日号の掲載報告。 本検討では、(1)児童期に受けた精神的虐待の頻度が、その他の児童虐待フォームで調節した場合、BPD特性重症度と特異的な関連性を示すかどうか、(2)感情制御の困難さが、児童期の精神的虐待とBPD特性重症度との関連性によるものかどうか、の2点について調べた。大学生サンプル243例に、質問票(Childhood Trauma Questionnaire - Short Form, Difficulties in Emotion Regulation Scale, and Borderline Symptom List-23)に回答を記入してもらい、重回帰分析と構造方程式モデリングにて評価した。 主な結果は以下のとおり。・児童精神的虐待(性的・身体的虐待ではない)の頻度が、BPD特性重症度と特異的に関連していることが示された。・児童期における、精神的虐待、身体的虐待、性的虐待と、BPD特性との間に直接的な関連は認められなかったが、児童期の精神的虐待とBPD特性との間には、感情制御の困難さを介した間接的な関連が認められた。・以上、さまざまな児童虐待フォームのうち、とくに精神的虐待がBPDの発症に寄与する可能性が示された。関連医療ニュース 境界性パーソナリティ障害、精神症状の特徴は 境界性パーソナリティ障害でみられる幻覚の正体は 境界性パーソナリティ障害患者の自殺行為を減少させるには  担当者へのご意見箱はこちら

検索結果 合計:142件 表示位置:81 - 100