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坂口 一彦 氏神戸大学大学院医学研究科糖尿病・内分泌内科はじめに国際糖尿病連合のDiabetes Atlas第6版(2013年)1)によれば、世界の糖尿病患者数は3億8,200万人と推定され、そのうちの1億3,800万人が日本を含む西太平洋地区に存在するとされている。世界で糖尿病が理由で亡くなっている人が6秒に1人存在することになり、経済的損失は5,480億ドルにも達するとされている。患者数の増加は2035年には5億9,200万人に達すると予測され、人類にとっての脅威という表現も決して誇張ではない。糖尿病患者は心血管イベントを発生しやすい高リスク集団であることは以前より報告が多く、本邦においても1996年から国内の専門施設に通院する糖尿病患者2,033名を登録して開始されたJapan Diabetes Complications Study(JDCS)の9年次報告2)では、虚血性心疾患の発症率が9.6人/年(男性11.2人/年、女性7.9人/年)と著明に上昇し、脳血管疾患の7.6人/年(男性8.5人/年、女性6.6人/年)を上回っている。それでは、糖尿病患者の血糖をコントロールすることで心血管イベントの抑制につながるのだろうか?糖尿病は何のために治療するのか?という根源的な問題ともいえるこの点について、本稿ではこれまでのエビデンスに基づいて述べる。厳格な血糖コントロールとは何を意味するか?糖尿病の合併症のうち、網膜症・腎症・神経障害など細小血管合併症の発症は、平均血糖の上昇を意味するHbA1cとの間に強い関係があり、さらに1990年代〜2000年に行われたDCCT3)やUKPDS4)などの介入試験において、HbA1cを低下させることで発症・進展阻止が得られることが明らかとなった(図1)。一方で、虚血性心疾患に代表される大血管合併症の発症は、糖尿病患者の血圧や脂質への介入により抑制されることが確認できたが、HbA1cの低下と心血管イベント発症抑制との関連については、それら初期の介入試験では有意な関係を認めることができなかった。2000年代に入りACCORD5)、ADVANCE6)、VADT7)という3つの大規模臨床試験が相次いで発表された。いずれもHbA1cを十分に下げても主要心血管イベントの抑制効果を認めることができず、ACCORD試験に至ってはむしろ強化療法群で死亡率が上昇したという結果で多くの議論を呼ぶこととなった。図1 大規模臨床試験が明らかにした厳格な血糖コントロールがもたらすもの画像を拡大するこれらの試験が私たちに教えたことは、(1)HbA1cの低下は血糖の正常化と同義語ではない、すなわち低血糖を伴わず、血糖変動の小さい日々の血糖状態の結果としての質のよいHbA1cの改善が求められること、(2)年齢、罹病期間、合併症など背景要因を考慮せず一律な治療目標を設定することには問題があること、(3)罹病期間が長い患者に対する治療には限界があり、特に短期間での急速なHbA1cの低下は好ましくないこと、また治療開始の時期がその後の合併症や生命予後に大きく関わることから、糖尿病の発症早期からの治療介入が好ましいこと、などである。その結果、糖尿病の診療は下記のように変化が起きつつある。(1)低血糖の際に交感神経の活性化や凝固系亢進、炎症マーカーの亢進などを介して不整脈や虚血を誘発することが考えられ、低血糖に関する注意が従来以上に強調されることとなった。最近、経口糖尿病治療薬としてDPP-4阻害薬が登場し、現在本邦でも広く使用されているが、これは単独使用では低血糖を起こすことが基本的にはないためと思われる。(2)ADA/ EASDのガイドラインに患者中心アプローチの必要性があらためて記載され、患者ごとの治療目標を設定することが推奨されるようになった8)。(3)その後、厳格な血糖管理の影響は、特に大血管合併症や生命予後に関しては年余を経てからmetabolic memory効果9)やlegacy effect10)が現れることが初期の介入試験の延長試験の結果から明らかとなり、やはり早期からの治療介入の重要性が強調されることとなった。食後高血糖への介入の意義HbA1cがまだ上昇していない境界型のレベルから動脈硬化が進行し、心血管イベントを起こしやすいことはよく知られている。DECODE試験やDECODA試験、本邦におけるFunagata試験が示したことは、経口ブドウ糖負荷試験の空腹時血糖よりも負荷後2時間の血糖値のほうが総死亡や心血管イベントの発症とよく相関するという結果であった。食後高血糖が動脈硬化を促進するメカニズムとして、臍帯血管内皮細胞を正常糖濃度、持続的高濃度、24時間ごとに正常濃度・高濃度を繰り返すという3条件で培養した際、血糖変動を繰り返した細胞で最も多くのアポトーシスを認めたというin vitroの報告や、2型糖尿病患者における血糖変動指標であるMAGEと尿中の酸化ストレスマーカーが相関することなどから、食後高血糖は酸化ストレスや血管内皮障害を介し、大血管合併症につながりうると推測されている。国際糖尿病連合が発行している『食後血糖値の管理に関するガイドライン』では「食後高血糖は有害で、対策を講じる必要がある」とされている。それでは、食後高血糖に介入した臨床試験は期待どおりの結果であったであろうか?STOP-NIDDM試験(Study to prevent Non-Insulin-Dependent Diabetes Mellitus)11)IGT患者1,429名に対して、α-グルコシダーゼ阻害薬であるアカルボースで介入することで2型糖尿病の発症を予防することができるかどうかを1次エンドポイントにしたRCTである。試験期間は3.3年であった。その結果、糖尿病発症は有意に予防でき(ハザード比0.75、p=0.0015)、さらに2次エンドポイントの1つとして検証された心血管イベントの発症も有意に抑制されることが報告された(ハザード比0.51、p=0.03)。しかしアカルボース群は脱落者が比較的多く、得られた結果も1次エンドポイントではないことに注意したい。NAVIGATOR試験(The Nateglinide and Valsartan in Impaired Glucose Tolerance Outcome Research)12)IGT患者9,306名を対象として、血糖介入にはグリニド薬であるナテグリニドを、血圧介入にはARBであるバルサルタンを用いて、2×2のfactorialデザインで実施されたRCTである。1次エンドポイントは糖尿病の発症と心血管イベントの発症で、観察期間の中央値は5年間であった。結果としてナテグリニド群はプラセボ群に比し、糖尿病の発症(プラセボに対するハザード比1.07、p=0.05)、心血管イベントの発症(プラセボに対するハザード比0.94、p=0.43)といずれも予防効果を証明できなかった。本試験ではナテグリニド群において低血糖を増加させていたことや、投薬量が不足していた可能性などの問題が指摘されている。HEART2D試験(Hyperglycemia and Its Effect After Acute Myocardial Infarction on Cardiovascular Outcomes in Patients with Type 2 Diabetes Mellitus)13)急性心筋梗塞後21日以内の2型糖尿病患者1,115名を対象に、超速効型インスリンを1日3回毎食前に使用して食後血糖を低下させた治療群と、基礎インスリンを使用して空腹時血糖を低下させた治療群を比較したRCTである。平均963日のフォローアップで、同様にHbA1cが低下し、日内の血糖パターンにも変化がついたにもかかわらず、主要心血管イベントの発症には両群で有意差がつかなかった。このように、食後の高血糖が有害であるということを示唆するデータやそれを裏づける基礎的データはあるものの、血糖変動を厳格に管理することで本当に糖尿病患者の心血管イベントが減るのかということに関しては、未だ明らかではないことがわかる。DPP-4阻害薬を使用した大規模臨床試験インクレチン関連薬の登場は、糖尿病治療にパラダイムシフトを起こしたとまでいわれ、低血糖や体重増加が少ないというメリットがあるうえに、日内の血糖変動も小さく、真の意味で厳格な血糖コントロールを目指せる薬剤と期待され広く臨床使用されるようになった。加えてインクレチン関連薬には、血糖コントロール改善効果以外に、臓器保護効果やβ細胞の保護効果を示唆するデータが培養細胞や動物実験において出されつつある。最近、DPP-4阻害薬を用い、心血管イベントを1次エンドポイントとした2つのRCTが発表されたので、次にこれらの試験について述べる。試験が行われた背景ロシグリタゾンは本邦では未発売のPPAR-γ活性化薬の1つである。血糖降下作用に加え、抗炎症作用・臓器保護作用などの報告が多く、大血管イベント抑制効果も期待されていたが、2007年にそれまでの臨床試験の結果を解析すると、逆に急性心筋梗塞が対照群に比べて1.43倍、心血管死亡が1.64倍増加しているという衝撃的な報告がなされた14)。2008年、アメリカ食品医薬品局(FDA)はこれらの報告を受け、新規の糖尿病治療薬については心血管イベントリスクの安全性を証明することを義務づけた。ここで述べる2つのRCTは、このFDAの要請に応えるべく行われた。したがって、プラセボ薬に比し、心血管イベントの発生が非劣性であることを1次エンドポイントとしてデザインされたRCTであり、実薬による介入が対照群に比し優れているかどうかを検証するこれまで述べてきた他の試験とは性質が異なる。EXAMINE試験(Examination of Cardiovascular Outcome with Alogliptin)15)(表1)急性冠動脈症候群を発症した2型糖尿病患者5,380名を、アログリプチン群とプラセボ群に無作為に割り付け、観察期間中央値18か月として、心血管死、心筋梗塞、脳卒中の発症リスクを比較したものである。結果として、プラセボに対する非劣性は証明されたが(プラセボに対するハザード比0.96、p<0.001 for noninferiority)、優越性は証明されなかった。表1 EXAMINE試験とSAVOR-TIMI 53試験の概略画像を拡大するSAVOR-TIMI53試験(Saxagliptin and Cardiovascular Outcomes in Patients with Type 2 Diabetes Mellitus)16)(表1)心血管イベントの既往またはリスクを有する2型糖尿病患者16,492名を無作為にサキサグリプチン群とプラセボ群に割り付け、観察期間を中央値2.1年、主要評価項目を心血管死、心筋梗塞、脳卒中発症の複合エンドポイントとして比較したものである。結果として、プラセボに対する非劣性は証明されたが(プラセボに対するハザード比0.89、p<0.001 for noninferiority)、優越性は証明されなかった(p=0.99 for superiority)。本試験の対象は高リスクで罹病期間の長い中高年者であり、ACCORD試験の対象者に似ていることと介入期間の短さを考えると、介入終了時点でイベント発生の抑制効果が認められないことにそれほどの違和感はない。加えてACCORD試験ほど急速にHbA1cは下がっていない(むしろ介入終了時のプラセボとのHbA1cの差は全区間を通じて有意であったとはいえ、介入終了時点で7.7% vs. 7.9%と極めて小さな差であった)、主要評価項目のイベントを増やすことがなかったという意味では所定の結果は得られたといえる。しかし、解析の中で次の点が明らかになった。単剤で使用される限り低血糖のリスクは少ないDPP-4阻害薬であるが、併用薬を含む本試験においてはサキサグリプチン群のほうが有意に低血糖が多かった。また2次複合エンドポイント(1次複合エンドポイントの項目に加えて狭心症・心不全・血行再建術による入院を含めたもの)も両群で有意差はつかなかったが、その中の1項目である心不全による入院は、サキサグリプチン群がプラセボ群に比してハザード比1.19(p=0.007)と有意に増える結果となった。おわりにこのように、現時点では既述のように発症から比較的早い段階から介入することで、後年の心血管イベントや死亡を減らせることは証明されているものの、発症から年余を経た糖尿病患者に対する介入試験で、1次エンドポイントとしての心血管イベントを抑制することを証明した臨床試験は存在しない。DPP-4阻害薬を用いた2つの臨床試験は、優越性の証明が主目的ではなかったものの、心不全による入院の増加の可能性を示唆するものであった(IDF2013では、EXAMINE試験において心不全は増加傾向で、SAVOR-TIMI53試験とEXAMINE試験の2つの試験のメタ解析の結果でも有意に心不全が増えると報告された)。今後、DPP-4阻害薬を用いた大規模臨床試験の結果が明らかにされる予定であり(表2)、この点も興味が持たれる。表2 DPP-4阻害薬は糖尿病患者の予後を変えることができるか?現在進行中の心血管イベントを1次エンドポイントとした大規模臨床試験画像を拡大する文献1)http://www.idf.org/diabetesatlas2)曽根博仁. JDCS 平成21年度総括研究報告書.3)The DCCT Research Group. The effect of intensive treatment of diabetes on the development and progression of long-term complications in insulin-dependent diabetes mellitus. N Engl J Med 1993; 329: 977-986.4)Stratton IM et al. Association of glycaemia with macrovascular and microvascular complications of type 2 diabetes (UKPDS 35): prospective observational study. BMJ 2000; 321: 405-412.5)ACCORD Study Group. Effects of intensive glucose lowering in type 2 diabetes. N Engl J Med 2008; 358: 2545-2559.6)ADVANCE Collaborative Group. Intensive blood glucose control and vascular outcomes in patients with type 2 diabetes. N Engl J Med 2008; 358: 2560-2572.7)VADT Investigators. Glucose control and vascular complications in veterans with type 2 diabetes. N Engl J Med 2009; 360: 129-139.8)Inzucchi SE et al. Management of hyperglycemia in type 2 diabetes: A patient-centered approach. Diabetes Care 2012; 35: 1364-1379.9)DCCT/EDIC Study Research Group. Intensive diabetes treatment and cardiovascular disease in patients with type 1 diabetes. N Engl J Med 2005; 353: 2643-2653.10)Holman RR et al. 10-year follow-up of intensive glucose control in type 2 diabetes. N Engl J Med 2008; 359: 1577-1589.11)STOP-NIDDM Trail Research Group. Acarbose for prevention of type2 diabetes mellitus: the STOPNIDDM randomized trial. Lancet 2002; 359: 2072-2077.12)The NAVIGATOR Study Group. Effect of nateglinide on the incidence of diabetes and cardiovascular events. N Engl J Med 2010; 362: 1463-1476.13)Raz I et al. Effects of prandial versus fasting glycemia on cardiovascular outcomes in type 2 diabetes: the HEART2D trial. Diabetes Care 2009; 32: 381-386.14)Nissen SE and Wolski K. Effect of rosiglitazone on the risk of myocardial infarction and death from cardiovascular causes. N Engl J Med 2007; 356: 2457-2471.15)White WB et al. Alogliptin after acute coronary syndrome in patients with type 2 diabetes. N Engl J Med 2013; 369: 1327-1335.16)Scirica BM et al. Saxagliptin and cardiovascular outcomes in patients with type 2 diabetes mellitus. N Engl J Med 2013; 369: 1317-1326.