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ブリッツァー それはドイツ路上の殺し屋【空手家心臓外科医のドイツ見聞録】第14回

アウトバーンのイメージが強いせいか、「ドイツでは自動車はスピード出しまくってる」イメージがありました。しかし、ドイツでは実際、一般道を走る自動車は法定速度をキッチリ守っています。かなりスピード出す人もいなくはないですが、日本に比べるとレアでした。その理由は「ブリッツァー」と呼ばれるオービスが至る所に仕掛けられているからです。これがブリッツァーです。今写真で観ただけでも動悸がします…。こいつらは人間でないため、何の融通も効きません。10km/hのオーバーで赤い目が光ります。そして後日、自宅に罰金とポイント減点の通知が届きます。光った瞬間は恐怖です。今思い出してもゾワっとします。目の前に赤い線のようなものがピカッと光ります(このような「閃光」をドイツ語で“Blitz”と言うので、こいつらは「ブリッツァー」と呼ばれています)。初めてやられたときは何が起こったかはわからなかったのですが、尋常じゃないことが起きたことは理解できました。ドイツでの交通違反の代償スピード違反での罰金は日本円で15,000円くらいだったと思います。実は車を購入して最初の1ヵ月で、4回ブリッツァーを光らせてしまいました。罰金も大変痛かったのですが、減点を食らったことが本当に辛かったです。マイナス8点で免停だったので、このペースだと2ヵ月で免停になってしまう…。車無くして生活が成り立たない田舎でしたので、それはそれはショックが大きかったです。もうドイツで暮らしていく自信がなくなって、日本に帰ろうと思ったこともありました。そんなある日、病棟で患者さんに採血するときの雑談でその悩みを打ち明けたら、隣のベッドのおじさんが、オービスが設置されている場所を示した地図が掲載されてあるサイトを教えてくれました。その後、車で出かける際に必ずそのサイトを確認してから出かけるようにして、以降は一度もBlitzされることはありませんでした。日本から遊びに来た友人も、数人レンタカーでBlitzされています。ドイツで車に乗る際は、制限速度にくれぐれも注意してください。ブッ飛ばしていいのはアウトバーンだけです!

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α1-アンチトリプシン欠乏症〔AATD:α1-antitrypsin deficiency〕

※なお、タイトル「α1-アンチトリプシン欠乏症」の「α1」は「α1」が正しい表記となる。(web上では、一部の異体字などは正確に示すことができないためご理解ください)1 疾患概要■ 定義α1-アンチトリプシン欠乏症(AATD)は、血液中のα1-アンチトリプシン(AAT)の欠乏により肺疾患や肝疾患を生じる常染色体潜性遺伝(劣性遺伝)性疾患である1)。肺では若年性に肺気腫を生じ、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を発症する。気管支拡張症を合併する例もある。肝臓では、新生児期に黄疸や肝機能障害を認める場合があり、成人期には肝硬変・肝不全に移行し、肝細胞がんを発症することがある。欧米では、COPDの1~2%はAATDによるとされる。頻度は少ないが、皮下脂肪織炎や肉芽腫性血管炎を合併することがある。AATDは難病法に基づいて疾病番号231番の指定難病となり、重症度に応じて医療費助成対象疾患となった。■ 疫学ほぼ世界中で報告されているが、ヨーロッパや北米では比較的多い疾患で、約1,600~5,000人出生あたり1人とされている1)。わが国では極めてまれであり、呼吸不全に関する調査研究班と日本呼吸器学会による全国疫学調査では14名(重症9人、軽症5人)の発端者が集積され、有病率は24家系(95%信頼区間:22-27)と推計された2)。■ 病因AATDは、第14染色体長腕(14q32.1)にあるSERPINA1遺伝子の異常により生じる単一遺伝子疾患である。AATは394個のアミノ酸からなる分子量約52kDaの糖タンパク質で、血清蛋白分画のα1-グロブリン分画の約9割を占める(図1)。セリンプロテアーゼインヒビタ-として機能し、生体内で最も重要な標的は好中球エラスターゼである。主に肝臓で産生されて流血中に放出されるが、他に好中球、単球、マクロファージ、肺や腸管の上皮細胞からも産生される。図1 α1-アンチトリプシン欠乏症(Siiyamaホモ接合例)患者の血清蛋白電気泳動画像を拡大する健常者(A)と比べ、AATD(B)ではα1-グロブリン分画が欠損している(矢印)。SERPINA1遺伝子は共優性co-dominantに発現して遺伝様式に寄与する。150種類以上の変異型(バリアント)が報告されており、(a)質的・量的に正常なAATを産生する正常型バリアント、(b)流血中にAATがまったく検出されないnull型バリアント、(c)減少するdeficient型バリアント、あるいは (d)機能が変化してしまうdysfunctional型バリアントなどに分類される。正常型バリアント以外の病的バリアントを両方の対立遺伝子として受け継いでいる個体はAATDを発症するが、片方が正常型バリアントである場合には血清AAT濃度の低下は軽度で、通常は肺疾患や肝疾患の発症リスクとはならず保因者と呼ばれる。AATは、遺伝子変異によるアミノ酸置換により蛋白全体の荷電状態が変化し、等電点電気泳動における泳動位置、すなわち、AATの“表現型”が変化する。泳動位置の違いから、陽極pH4に近い位置からアルファベットの若い“B”、陰極pH5に近いものを“Z”と命名される。中央部は90%以上の遺伝子頻度を占める“M”となる。新規に同定されたSERPINA1バリアントの表現型には、表現型アルファベットに下付の小文字で同定された地名が付される。AATDの原因となるバリアントの多くはdeficient型バリアントであり、欧米ではZ型(Glu342Lys)とS型(Glu264Val)が最も多いのに対し、わが国ではSiiyama型(Ser53Phe)が85%と高頻度に検出される。わが国では遺伝学的に明らかにされたZ型の報告はない。deficient型バリアントでは変異AAT分子の折りたたみ構造が変化し、肝細胞の小胞体内で重合体polymerを形成して蓄積し流血中へ分泌できなくなるため、血清中濃度が低下する。さらに、好中球エラスターゼ阻害活性自体も低下している。 dysfunctional型バリアントは血液中のAAT蛋白量は正常であるが好中球エラスターゼ阻害活性が低下したタイプで、F型(Arg223Cys)が知られている。■ 病態生理1)好中球エラスターゼ阻害活性の低下~喪失によりもたらされる影響血清AAT濃度は通常20~50μMであり、気道被覆液中に拡散し好中球エラスターゼに代表されるセリンプロテアーゼによる組織破壊に対し防御的に働いている。しかし、11μM以下(<50mg/dL)になるとプロテアーゼによる組織破壊を十分防げず肺気腫が進行する(プロテアーゼ・アンチプロテアーゼ不均衡)。Z型では、血清AAT濃度は約2~10μMと著明に低下している。喫煙は、AAT正常者でもCOPD発症の最大の危険因子であるが、AATDでは喫煙感受性が非常に高く、より若年で肺気腫が進行しCOPDを発症する。一方、MZなど正常型とdeficient型のヘテロ接合型は、その中間の血清AAT濃度(>11μM)を呈するため、COPDを発症するリスクはないとされてきたが、最近の研究ではCOPD発症リスクがあるとする成果も報告されている。2)小胞体内や細胞外での変異AAT重合体の蓄積変異AATは小胞体内で重合体を形成して貯留し、小胞体ストレスとなり細胞を障害する。これが肝障害の主たる要因である。変異AAT重合体は、流血中、肺の気道被覆液中、肺組織などの組織間液中などの細胞外でも検出される。細胞外の変異AAT重合体は炎症を誘起する作用があり、好中球や単球に対する走化性因子や活性化因子として作用し、肺での炎症のみならず、脂肪織炎や血管炎の発症に関与すると考えられている。■ 臨床症状労作時息切れ、咳や痰などの呼吸器症状はもっともよくみられる初発症状であるが、本症に特異的な症状はない。肺疾患の有病率は主に患者の喫煙歴に依存し、喫煙歴のあるAATD患者では70%以上がスパイロメトリーでCOPDの基準を満たすが、非喫煙者では約20~30%程度である。AATDの肺気腫は汎細葉性肺気腫であり、細葉中心性肺気腫の病理像を示すAAT正常者とは異なる。胸部単純X線所見では、AAT正常者のCOPDと異なり下肺野優位に肺気腫を示唆する透過性亢進を認める(図2)。胸部CTでは汎細葉性肺気腫を示唆する広範な低吸収領域を認め、気管支拡張を伴う例もある(図3)。図2 α1-アンチトリプシン欠乏症(Siiyamaホモ接合例)の胸部X線所見画像を拡大する肺野全体の透過性亢進、血管影の減少を認めるが、両側下肺野に著しい。図3 α1-アンチトリプシン欠乏症(Siiyamaホモ接合例)の胸部高分解能CT画像画像を拡大する(A)AAT正常のCOPD症例。細葉中心性肺気腫を示唆する低吸収領域を認める。(B)Siiyamaホモ接合例。汎細葉性肺気腫を示唆する広範な低吸収領域を認める。(C)Siiyamaホモ接合例。汎細葉性肺気腫を示唆する広範な低吸収領域とともに気管支拡張像を認める。■ 経過と予後非喫煙AATD患者ではCOPDの発症は少なく、喫煙AATD患者より生存期間も長い。例えば、非喫煙AATDでCOPDを発症した症例の死亡年齢の中央値は65歳であるのに対し、喫煙AATDでCOPDを発症した症例は40歳と報告されている。さらに、PI*ZZ(Z型バリアントのホモ接合)のAATDの非喫者で無症状の場合は、ほぼ正常の寿命が期待できる。2 診断 (検査・鑑別診断も含む)■ どのような状況でAATDを疑い、血清AAT濃度を測定するか?AATDを疑って血清AAT濃度(ネフェロメトリー法)を測定する事が何よりも重要である 3,4)。従来から、一般的COPDとはやや異なる臨床像(若年者、非喫煙者、喫煙歴があったとしても軽度、COPDの家族歴など)を示すCOPD患者などでは血清AAT濃度を測定するべき3)とされてきた(表 ATR/ERSステートメント)。しかし、有病率の高いヨーロッパや北米でさえ、今だにAATDのunderdiagnosis状況が持続しており、2016年の成人AATD患者の管理・治療ガイドライン4)やGOLD 2022レポートでは、「すべてのCOPD患者には、年齢、人種を問わず、AATDの診断テストを行うべきである」と述べている(表)。表 どのようなときにAATDを疑い、診断のための検査を考慮するべきか?画像を拡大する■ 診断基準AATDは、血清AAT濃度<90mg/dL(ネフェロメトリー法)と定義され、AAT欠乏の程度は、軽症(血清AAT濃度50~90mg/dL)あるいは重症(<50mg/dL)の2つに分類される5)。AATは急性相反応蛋白質であるため感染症などの炎症性疾患では増加すること、一方、肝硬変、ネフローゼ症候群、タンパク漏出性胃腸症などの他の原因でも減少しうるので、診断に際してはこれらの病態を除外する必要がある。指定難病では、重症度2以上が医療費助成の対象となる。重症度の評価方法については難病情報センターを参照されたい。3 治療 (治験中・研究中のものも含む)■ 予防を含めた全般的考え方肺疾患の予防には、喫煙しない、受動喫煙も含めて有害粒子の吸入曝露を避けること、が大切である。AATD患者では、定期的にスパイロメトリーあるいは胸部CTを行い、肺疾患の発症あるいは進行をモニタリングする。COPDを発症している場合には、COPDの治療と管理のガイドラインに準じて治療を行う。呼吸不全に至った症例では肺移植の適応となる。肝疾患発症の危険因子についてはよくわかっていないが、肥満は肝疾患のリスクを高め、男性は女性よりリスクが高い。AATD患者では肝炎ウイルス(HAV、HBV)のワクチン接種、アルコールを摂取しすぎない、健康的な食事を心がけることが推奨されている。AATD患者では、年1回程度の採血による肝機能のモニタリング、腹部超音波検査による肝がんのスクリーニングを適宜行う。■ AAT補充療法(augmentation therapy)病因・病態に則した治療としてAAT補充療法がある。ヒトのプール血漿から精製されたAAT製剤を週1回点滴静注(60mg/kg)する治療であり、CT画像における気腫病変の進行を遅らせる効果、死亡率を低下させる効果が報告されている。わが国では4名の重症AAT患者が参加した治験が実施され6)。欧米人で示されている安全性と薬物動態、すなわち、AAT(60mg/kg)を週1回点滴静注することにより、肺胞破壊に対し防御的な血清AAT濃度>11μM(>50mg/dL)を維持できることが示された。その結果、ヒトα1-プロテイナーゼインヒビター(商品名:リンスパッド)点滴静注用1,000mg(凍結乾燥製剤)(海外商品名:Prolastin-C)として2021年7月に上市された。ヒトα1-プロテイナーゼインヒビターは、慢性閉塞性肺疾患(COPD)や気流閉塞を伴う肺気腫などの肺疾患を呈し、かつ、重症AATDと診断された患者[血清AAT濃度<50mg/dL(ネフェロメトリー法で測定)]に投与する。ヒトα1-プロテイナーゼインヒビター1,000mgを添付溶解液20mLで溶解し、ヒトAATとして60mg/kgを週1回、患者の様子を観察しながら約0.08mL/kg/分を超えない速度で点滴静注する。最後に、ルート内のAATすべてが患者に投与されるよう生理食塩液25mLに換えて同じ速度で点滴して終了する。体重60kgの成人では、全体で約20分以上を要する。AAT補充療法を開始するタイミングについて明確な基準はない。週1回の点滴静注を非常に長期にわたって継続する必要があるが、数十年以上にわたって投与し続けると想定した場合、長期投与における有害事象のリスクに関する情報は乏しい。成人AATDの治療と管理のガイドラインでは、FEV1<65%predの症例では、患者の意向を確認した上でAAT補充療法を検討するとされている3,4)。肝障害に対する特異的治療はなく、栄養指導、門脈圧亢進症の管理などの支持療法が主体である。門脈圧亢進症がある場合には、出血のリスクがあるためNSAIDsの投与は避ける。重症の肝不全では肝移植が適応となる。4 今後の展望患者細胞からiPS細胞を樹立し、肝細胞に分化させた後にゲノム編集で病的バリアントを正常バリアントに換えて患者に移植する研究、siRNAによる肝細胞でのSERPINA1発現のサイレンシング、異常AATのポリマー形成を阻害する薬剤などの試みがある。近年、AATDの正確な実態把握と治療効果の追跡を継続的に行い、長期的な管理戦略を構築することを目的に、欧州では多国間にわたる臨床研究協力の取り組みが始まっている。わが国においては、呼吸器財団、日本呼吸器学会、厚生労働省難治性疾患政策研究事業、難病プラットホームの4者の支援を受け、本症を含めた希少肺疾患を対象としたレジストリ(登録制度)が開設されている。希少肺疾患登録制度5 主たる診療科主たる診療科は呼吸器内科となる。肝疾患については消化器内科、脂肪織炎や肉芽腫性血管炎では皮膚科および関連する診療科と連携する必要がある。6 参考になるサイト(公的助成情報、患者会情報など)診療、研究に関する情報難病情報センター α1-アンチトリプシン欠乏症(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)Alpha-1 Foundation 米国の患者団体ホームぺージ(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)希少肺疾患登録制度(医療従事者向けのレジストリ情報サイト)1)Greene CM, et al. Nat Rev Dis Primers. 2016;2:16051. 2)Seyama K, et al. Respir Investig. 2016;54:201-206. 3)American Thoracic Society;European Respiratory Society. Am J Respir Crit Care Med. 2003;168:818-900. 4)Sandhaus RA, et al. Chronic Obstr Pulm Dis. 2016;3:668-682.5)佐藤晋ほか、難治性呼吸器疾患・肺高血圧に関する調査研究班.α1-アンチトリプシン欠乏症診療の手引き2021 第2版. 2021.6)Seyama K, et al. Respir Investig. 2019;57:89-96. 公開履歴初回2022年5月12日

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ワクチン接種後の解熱鎮痛剤使用は抗体獲得に影響しない/日本感染症学会

 第96回日本感染症学会総会・学術講演会(会長:前崎 繁文氏[埼玉医科大学 感染症科・感染制御科])が、4月22日~23日の期日でオンライン開催された。 本稿では、同学術講演会の口演より、谷 直樹氏(九州大学大学院)の「BNT162b2 mRNAワクチン接種後の副反応と解熱鎮痛剤内服が抗体反応に与える影響の検討」の概要をレポートする。 新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応は一般的なワクチンの接種後と比較して出現頻度が高いことが知られており、ワクチン接種後の症状軽減のため解熱鎮痛剤が使用されることも多い。そのような背景を踏まえ、ファイザー製ワクチン(BNT162b2)接種後の副反応の程度と誘導された抗体の関係性を調査すること、解熱鎮痛剤の使用が抗体反応に与える影響を調査することを目的として本研究が実施された。 解析対象は、BNT162b2を2回接種かつ2回目接種から14日以上経過した福岡市民病院職員のうち、感染・感染疑い歴のある者、ワクチン接種24時間以内に解熱鎮痛剤を内服した者を除く335人(うち235人から副反応情報を取得)とした。2回接種後に採血を行いSARS-CoV-2特異的スパイク蛋白IgG(S-IgG)抗体価を測定し、ワクチン接種後の副反応(発熱、倦怠感、頭痛、注射部位の痛みや腫れなど計13項目)に関する質問、および副反応に対して使用した解熱鎮痛剤について調査を行った。 口演で報告された主な結果は以下のとおり。・解熱鎮痛剤は全体の約45%で使用されており、発熱を認めた集団の80%以上が使用していた。・単変量解析において、局所の副反応は抗体価と相関を示さなかった。全身性副反応のうち1回目接種後の皮疹、2回目接種後の発熱、倦怠感、頭痛、悪寒の有無が抗体価と有意な関連を示した。・単変量解析で有意になった項目を用いて多変量解析を行った結果、2回目接種後の発熱の程度(β=0.301、p<0.0001)、女性(β=0.196、p=0.0014)、年齢(β=-0.119、p=0.0495)と抗体価の相関が認められた。・2回目接種後に体温が38度以上に上昇した集団は37度未満の集団より約1.8倍抗体価が高く、性別、年齢別のいずれの解析においても、2回目接種後の発熱が強いほど抗体価がより高くなる傾向が見られた。・解熱鎮痛剤を使用しても抗体価の低下は認められず、発熱の程度による違いも認められなかった。

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第28回 原因は1つとは限らない【救急診療の基礎知識】

●今回のPoint1)検査で異常値をみつけたからといって今回の原因とは限らない。2)検査で異常が認められないからといって異常なしとは限らない。3)症状を説明し得るか、結論付ける前に再考を!【症例】81歳男性。意識障害自宅で反応が乏しいところを仕事から帰宅した息子が発見し救急要請。●受診時のバイタルサイン意識20/JCS血圧148/81mmHg脈拍92回/分(整)呼吸18回/分SpO295%(RA)体温36.1℃瞳孔4/3.5 +/+既往歴認知症、高血圧、脂質異常症、便秘、不眠内服薬ドネペジル塩酸塩、トリクロルメチアジド、アトルバスタチンカルシウム水和物、酸化マグネシウム、ゾルピデム酒石酸塩所見顔面の麻痺ははっきりしないが、左上肢の運動障害あり検査の異常が今回の原因とは限らない採血、心電図、X線、CTなどの検査を行い異常がみつかることは、よくあります。特に高齢者の場合にはその頻度は高く、むしろまったく検査に異常が認められないことの方が多いでしょう。しかし、異常を認めるからといって今回の主訴の要因かというとそんなことはありません。腎機能障害、肝機能障害、貧血、電解質異常、中には急を要する場合もありますが、症状とは関係なく検査の異常が認められることはよくあるものです。そのため、検査結果は常に病歴や身体所見、バイタルサインを考慮した結果の解釈が重要です。以前から数値や所見が変わっていなければ、基本的には今回の症状とは関係ないことが多いですよね。慢性腎臓病患者のCr、Hb、心筋梗塞の既往のある患者の心電図など、けっして正常値でありません。急性の変化か否かが、1つのポイントとなりますので、以前の検査結果と比較することを徹底しましょう。検査で異常が認められないから原因ではないとは限らないコロナ禍となり早2年が経過しました。抗原検査、PCRなど何回施行したか覚えていないほど、皆さんも検査の機会があったと思います。抗原陰性だからコロナではない、PCR陰性だからコロナではない、そんなことないことは皆さんもよく理解していると思います。頭痛患者で頭部CTが陰性だからクモ膜下出血ではない、肺炎疑い患者でX線所見陰性だから肺炎ではない、CRPが陰性だから重篤な病気は否定的、CO中毒疑い患者の一酸化炭素ヘモグロビン(CO-Hb)が正常値だからCO中毒ではないなど、例を挙げたらきりがありません。皆さんも自身で施行した検査結果で異常の1つや2つ、経験ありますよね?!原因が1つとは限らない今回の症例の原因、皆さんは何だと思いますか? もちろんこれだけでは原因の特定は難しいかもしれませんが、高齢男性の急性経過の意識障害で麻痺もあるとなると脳梗塞や脳出血などの脳卒中が考えやすいと思います。低血糖や大動脈解離、痙攣なども“stroke mimics”の代表であるため考えますが、例えばMRI検査を実施し、画像所見が光っていたらどうでしょうか? MRIで高信号な部分があるのであれば、「原因は脳梗塞で決まり」。それでよいのでしょうか?脳梗塞の病巣から症状が完全に説明できる場合にはOKですが、「この病巣で意識障害来すかな…」「こんな症状でるのかなぁ…」こんなことってありますよね。このような場合には必ず「こんなこともあるのだろう」と思考停止するのではなく、他に症状を説明し得る原因があるのではないかと再考する必要があります。この患者さんの場合には、脳梗塞に加え低栄養状態に伴うビタミン欠乏、ゾルピデム酒石酸塩による薬剤性などの影響も考えられました。ビタミンB1欠乏に伴うウェルニッケ脳症は他疾患に合併することはけっして珍しくありません1)。また、高齢者の場合には「くすりもりすく」と考え、常に薬剤の影響を考える必要があります。きちんと薬は飲んでいるのに…患者さんが訴える症状が、内服している薬剤によるものであると疑うのは、どんなときでしょうか?新規の薬剤が導入され、その後からの症状であれば疑うことは簡単です。また、用法、用量を誤って内服してしまった場合なども、その情報が得られれば薬剤性を疑うのは容易ですよね。意外と見落とされがちなのが、腎機能や肝機能の悪化に伴う薬効の増強や電解質異常などです。フレイルの高齢者は大抵の場合、食事摂取量が減少しています。数日の単位では大きな変化はなくても、数ヵ月の単位でみると体重も減少し、食事だけでなく水分の摂取も減少していることがほとんどです。そのような場合に、「ご飯は食べてますか?」と聞くだけでは不十分で、具体的に「何をどれだけ食べているのか」「数ヵ月、半年前と比較してどの程度食事摂取量や体重が変化したか」を確認するとよいでしょう。「ご飯は食べてます」という本人や家族の返答をそのまま鵜呑みにするのではなく、具体的に確認することをお勧めします。骨粗鬆症に対するビタミンD製剤による高Ca血症、利尿薬内服に伴う脚気心、眠剤など、ありとあらゆる薬の血中濃度が増加することに伴う、さまざまな症状が引き起こされかねません。薬の変更、追加がなくても「くすりもりすく」を常に意識しておきましょう。最後に高齢者は複数の基礎疾患を併せ持ち、多数の薬剤を内服しています。そのような患者が急性疾患に罹患すると検査の異常は複数存在するでしょう。時には検査が優先される場面もあるとは思いますが、常にその変化がいつからのものなのか、症状を説明しうるものなのか、いちいち考え検査結果を解釈するようにしましょう。1)Leon G. Clinicians Who Miss Wernicke Encephalopathy Are Frequently Called Defendants. Toxicology Rounds. Emergency Medicine News. 2019;41:p.14.

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3回目接種3ヵ月後、日本の医療従事者での抗体価は

 追加接種(3回目接種)前に400U/mL前後だった抗体価は、追加接種1ヵ月後には2万~3万U/mLに増加し、3ヵ月後にはコミナティ筋注(ファイザー)、スパイクバックス筋注(モデルナ)ともにおおむね半分の1万~1万5,000U/mLに低下していることが報告された。なお追加接種約1ヵ月後の抗体価は、スパイクバックス筋注接種者で統計学的に有意に高値であった。1~2回目にコミナティ筋注を接種した国立病院機構(NHO)、地域医療機能推進機構(JCHO)の職員における前向き観察研究によるもので、順天堂大学の伊藤 澄信氏が4月13日開催の第78回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和4年度第1回薬事・食品衛生審議会薬事分科会医薬品等安全対策部会安全対策調査会(合同開催)で報告した。<研究概要>新型コロナワクチン追加接種(3回目接種)にかかわる免疫持続性および安全性調査(コホート調査)調査内容:・体温、接種部位反応、全身反応(日誌)、胸痛発現時の詳細情報・副反応疑い、重篤なAE(因果関係問わず)のコホート調査による頻度調査・SARS-CoV-2ワクチン追加接種者の最終接種12ヵ月までのブレークスルー感染率、重篤なAE(因果関係問わず)、追加接種者の最終接種12ヵ月後までのCOVID-19抗体価(調査対象者の一部、予定)・抗体価等測定のための採血は接種前、1、3、6、12ヵ月後(予定)調査対象:初回接種としてコミナティ筋注、追加接種としてコミナティ筋注またはスパイクバックス筋注を受けたNHO、JCHO職員・今回の報告のデータカットオフは2022年4月1日 抗体価の推移について主な結果は以下の通り。[コミナティ筋注を追加接種]・追加接種としてコミナティ筋注の投与を受けたのは2,931人(医師16.0%/看護師45.6%、女性68.0%、20代19.5%/30代25.0%/40代25.9%/50代21.2%/60歳以上8.4%)。・このうち抗N抗体陰性の487人について抗S抗体価をみたところ、追加接種前幾何平均抗体価は386U/mL(95%CI:357~418)だったのに対し、追加接種1ヵ月後は19,771U/ mL(18,629~20,984)となり、幾何平均抗体価倍率は51.2(47.7~55.1)倍だった。・年代別にみると、追加接種前は20代で634U/mLだったのに対し60歳以上では232 U/mLと年齢が高いほど低く、追加接種1ヵ月後では20代で22,474U/mL(追加接種前の35.4倍)、60歳以上では22,381U/mL(96.3倍)だった。・接種から3ヵ月後の抗体価が測定された440人について、3ヵ月後の幾何平均抗体価は10,376U/mL(9,616~11,196)だった。[スパイクバックス筋注を追加接種]・追加接種としてスパイクバックス筋注の投与を受けたのは890人(医師13.9%/看護師41.2%、女性62.1%、20代27.5%/30代26.1%/40代23.7%/50代17.5%/60歳以上5.1%)。・このうち抗N抗体陰性の482人について抗S抗体価をみたところ、追加接種前幾何平均抗体価は454U/mL(417~494)だったのに対し、追加接種1ヵ月後は29,422U/mL(27,495~31,483)となり、幾何平均抗体価倍率は64.8(60.3~69.7)倍だった。・年代別にみると、追加接種前は20代で701U/mLだったのに対し60歳以上では294 U/mLと年齢が高いほど低く、追加接種1ヵ月後では20代で32,080U/mL(追加接種前の45.8倍)、60歳以上では33,383U/mL(113.4倍)だった。・接種から3ヵ月後の抗体価が測定された92人について、3ヵ月後の幾何平均抗体価は14,719U/mL(12,380~17,500)だった。[全体のまとめ]・追加接種前抗N抗体が陰性で、追加接種1ヵ月後の抗体価を測定した972人の追加接種前抗体価は年齢が高くなるにつれて低値をとり、女性は高かった(ワクチン種別、2・3回目接種間隔で調整した重回帰分析)。・3回目追加接種1ヵ月後の幾何平均抗体価はコミナティ筋注19,771U/mL、スパイクバックス筋注29,422U/mL、幾何平均抗体価倍率はそれぞれ51.2倍、64.8倍で、スパイクバックス筋注の方が高かった。抗体価については、性・年齢および接種間隔を調整した重回帰分析で、スパイクバックス筋注の方が統計学的に有意に高値であった。・3回目接種3ヵ月後抗体価はコミナティ筋注、スパイクバックス筋注とも追加接種1ヵ月後の抗体価に比しておおむね半分に低下した。・幾何平均抗体価倍率は年齢とともに増加し、結果として1ヵ月後の幾何平均抗体価は年齢ごとの差はわずかで、女性がやや低値だった。

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一般的な指標だけから急性腎障害を予測できるか?(解説:今中和人氏)

 急性腎障害(AKI)発生の影響は大きい。複数の新規バイオマーカーと開心術後AKIとの関連が報告されているが、実用面のハードル(結果判明の迅速さ、検体の取り扱い、コストはスクリーニング検査として容認可能か、など)があるのか、あまり普及していない。確かに、たとえば無尿になった後に結果が出るのでは実臨床では使い物にならないが、術前血清クレアチニン(Cr)などの一般的な指標のAKI予測力は不十分である。 本論文は2000~19年のクリーブランド・クリニック本院における成人開心術5万8,526例からAKI予測モデルを作成し、その有用性を3つの関連市中病院の4,734例で確認した(術前Cr 4mg/dl以上や透析患者は除外。術中も含め早々にAKIが明らかな患者も除外)。患者背景は似通っており、年齢中央値60代後半、男性70%前後、白人が90%前後、体重は82~85kg、糖尿病は20%台で、96%が人工心肺下の手術であった。 対象アウトカムは4つで、術後72時間以内または14日以内に生じた、stage 2以上のAKIまたは透析実施とし、説明変数に術前Cr、術後1回目の採血でのCrの変動、血清アルブミン、ナトリウム、カリウム、重炭酸、尿素窒素と、手術終了から1回目の採血までの時間、を採用した。4つのアウトカムそれぞれについて係数の異なる予測数式を作成し、対象アウトカムの発生リスク1%、5%、10%、20%をメルクマールに的中率も検討した。 クリーブランド・クリニック本院では、術後72時間以内に生じたstage 2以上のAKIが4.6%、透析実施が1.48%、14日以内ではそれぞれ5.4%、1.74%であり、関連病院でもほぼ同等のアウトカム発生率だった。術後1回目の採血は、本院では中央値10時間後、関連病院では6時間後に行われた。本論文の主題である予測モデルは、本院症例で術後72時間以内のイベント発生のAUCがそれぞれ0.876、0.916、14日以内発生ではAUC 0.854、0.900で、クリーブランド・クリニックが過去に発表した予測モデル以上に精度が高かった。このモデルを関連病院症例に適用したところ、72時間以内のAUCが0.860、0.879、14日以内だとAUC 0.842、0.873と、良好な予測識別力が実証された。 そもそもAKIは主に術後のCr上昇で定義されるが、これと独立していない説明変数(もちろん、ナトリウムや重炭酸とはオッズ比が桁違い)が含まれること、本モデルはほぼ腎要因だけで構成されているが、AKI発生には人工心肺時間やカテコラミン量など、術中要因・腎前性要因の影響も大きいこと、透析開始の基準が詳述されていないこと、陰性的中率は95%以上、透析に限定すると99%以上と非常に高いが、そもそも事象発生が2%未満と少なく陽性的中率はいま一歩なことなど、気になる点は若干ある。しかし開心術後に必ずチェックし、迅速に結果が得られる指標のみで高精度にAKI発生を予測できた意義は大きい。なお近年は薬剤で尿量を確保することで、AKIはともかく透析は回避できるケースが増えているので、遠からず新バージョンが登場すると思われる。

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criteria検討に名を借りた医療経済検討なのではないのか?(解説:野間重孝氏)

 疫学について細論することは本稿の目的とするところではないので、日本循環器学会のガイドライン中の疫学の欄をご参照いただきたい(『肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断,治療,予防に関するガイドライン(2017年改訂版)』)。骨子は、欧米においては静脈血栓・肺塞栓症が虚血性心疾患、脳血管疾患に次ぐ3大致死的血管疾患であるのに対して、わが国における肺塞栓症の発生が100万人当たり30人に達しない程度の頻度であるという事実である。近年人口の高齢化により血栓性疾患の頻度が増したとはいえ、それでも発生率は単位人口当たり欧米の8分の1以下という頻度にとどまっている。 とくにこの差は産科領域で大きい。欧米における妊婦の死亡原因の第1位が肺塞栓症であるのに対し、わが国における発生頻度は軽度のものまで含めても1,000件に1件(0.1%)にとどまるからである。産科領域で造影CT、核医学検査が行われた場合の胎児の被曝の問題は軽視できるものではない。このような被曝や侵襲を伴う検査に訴えることなく、血液検査など、できるだけ非侵襲的かつ簡便な検査で診断をつけることが、大きな課題となることが理解されるだろう。 ただ、もうひとつの重要な背景として(たびたび指摘していることだが)、国民皆保険制度の存在がある。わが国で診療を行っている限り、怪しいと疑った患者に対して(その診断精度に対する議論はあるにせよ)造影CTや肺換気・血流シンチを施行することにためらいはないだろう。しかし多くの諸外国において、こうした高価な検査は簡単には施行できないのが現実なのである。 著者らは、議論はあるとしながらも主なPEの診断法を3つにまとめて紹介している。これは参考になるのでここでもまとめ直してみよう。1)従来の(最もオーソドックスな)アルゴリズム: 検査前確率が高いと考えられる患者で、閾値を越えるD-dimer値の患者に造影CTないし肺換気・血流シンチを行う。2)検査前確率が低い患者に対して: PERC(PE rule-out criteria)8項目([1]年齢≧50歳、[2]心拍数≧100/min、[3]動脈血酸素飽和度<95%、[4]片側の下肢の腫脹、[5]血痰、[6]直近の外傷or手術、[7]PEや深部静脈血栓症の既往、[8]エストロゲン製剤使用)に該当しない、もしくはD-dimer値のcutoff値に年齢×10ng/mLを使用する。3)YEARS rule: YEARS criteria([1]PEが最も可能性がある診断、[2]深部静脈血栓症の臨床症状、[3]血痰)を満たさない患者に対してD-dimer cutoff値1,000ng/mLを併用する。 一見してわかるように、criteriaといいつつ、医師の主観がかなり影響することがわかる。どの方法によるにせよ、医師がどの程度積極的にPEを疑うか否かがキーポイントになっていることには変わりがないからである。なお、YEARS ruleはランダム化試験で検証されているわけではないことには注意が必要だろう。 このような現状に鑑み、本研究は救急部(ED)においてPERC ruleで除外されていないPE疑いの患者に対し、YEARS ruleと年齢調整D-dimer値を併用することによりPEが安全に除外できるかどうかを検討したものである。対照は上記の従来型の診断アルゴリズムである。ただ、ここまでお読みの読者の多くが「ちょっと待てよ」と思っていらっしゃるのではないだろうか。なぜなら、医師の主観が大きく介入するという点においては変わるところがないからである。本研究のプロトコールには確かに議論の余地がある。primary outcomeが3ヵ月後の静脈血栓症の有無であるのは適当か、secondary outcomeに「あらゆる原因による死亡」「3ヵ月後におけるあらゆる原因による入院」が含まれていることは適当かなどがまず挙げられるだろう。またsecondary outcomeには「ED滞在時間」が含まれているが、重症病変を診断することに時間の経済が含まれるのだろうか。こうした疑問はあるものの、結局、医師の主観を排除した診断アルゴリズムを模索することになっていないという点がすべてであると考える。 翻ってわが国のEDの現場を考えてみてほしい。胸痛と息苦しさを訴えて来院した患者に対して、心電図、胸部レントゲン写真、採血、動脈血酸素飽和度などの一通りの検査(場合により心エコー図検査も含む)がルーチンに行われないというケースは考えられない。そしてEDの通常採血項目にFDPやD-dimerが含まれていないというケースはないと言ってよい。そして、どれか1つにでも疑わしい所見があった場合、適切な画像診断を緊急で行うことを躊躇する救急医はいないと思う。このようなやり方について「あまりにもマニュアル化され過ぎている」とか「余計な検査をするケースが多い」という批判があることは承知しているが、これはすべて医師の主観をできるだけ排除して、客観的な診断を行うことを目的としているのである。 本研究の結果の部分に、胸部画像診断を行った例がintervention群で22.9%、control群で37.2%であり、14.3%の減少幅が得られたとあるが、結局本研究の目的はここにあったのではないかというのは、うがち過ぎではないだろう。結局、上述した国民皆保険問題に帰り着く。医療経済の追求が、多くの国・地域において大きな課題なのである。かつCT検査と私たちは簡単に言うが、世界のCTの10台に1台はわが国にあるといわれる。つまりここには医療資源の問題も絡んでくるのである。上記したように、このプロトコールでは医師の主観を排除しているとは言えないと批判したが、その根本には医療経済の問題をcriteriaの議論にすり替えていることがあると言ったら言い過ぎだろうか。 論文評のまとめとしてはいささか逸脱したものと言われるかもしれないが、いろいろと批判はあるもののわが国の医療体制は世界的に見て誇るべきものであり、この長い経済停滞の時期を乗り越えて医療経済をいかに守っていくかが、私たちに課せられた課題であることを痛感したものである。近年わが国では年金制度の議論ばかりがやかましいが、健康保険制度を維持することこそ、私たちが子供たちの世代に残せる大きく貴重な財産であることを、恐縮ながらこの場をお借りして再度訴えたいと思う。

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DOAC時代の終わりの始まり(解説:後藤信哉氏)

 製薬企業というのは戦略的な情報企業だと思う。経口Xa阻害薬アピキサバン、リバーロキサバンが世界で毎年1兆円以上売れている。現状をつくるために、製薬企業はきわめて巧みな情報統制を行った。非弁膜症性心房細動は、心不全、突然死などのリスクのマーカーである。しかし、「非弁膜症性心房細動=脳血栓塞栓症」と徹底的に宣伝した。確かに、心房細動症例に脳卒中が多いことはFramingham研究が示した事実である。しかし、脳血栓塞栓症が多いことは誰も示していない。部分的に真実を入れた広報はプロパガンダの初歩である。将来を見越してしっかりとストーリーをつくった能力には敬服する。 筆者は経口Xa阻害薬など(DOAC)の開発を主導したが、途中で限界が明確に見えてしまった。しかし、企業は第III相試験の結果を徹底的に使ってDOACを広報した。心房細動の脳卒中予防試験は4種のDOACにとっておおむね成功であった。成功の最大の鍵は対照群をPT-INR 2-3のワルファリン治療としたところにあった。実臨床ではPT-INR 2程度を標的としていた医師が多かったのではないだろうか? PT-INR 2-3を過去の標準治療とする明確な根拠はなかった。PT-INRが高くなれば頭蓋内出血、出血性脳卒中が増える。DOAC開発試験の有効性エンドポイントは脳卒中であったため、出血性脳卒中は有効性エンドポイントとなる。まったくの嘘ではない。部分的な真実を入れたプロパガンダはワルファリン群との比較でも成功であった。 ランダム化比較試験を実行していないと気付かないが、DOAC開発試験のワルファリン群のPT-INRは通常の臨床と同じ方法で計測されたわけではない。医師も患者も、ワルファリン服用なのか、DOAC服用なのかわからない。そこで、ベッドサイドで採血して、割り付け番号を入れるとワルファリン群ではPT-INRが、DOAC群では嘘の値が出るPOC装置が使われた。POCによる計測は検査室と同じではない。さまざまにワルファリン群に制限をかけてようやくDOACの認可・承認に至った。 特許期間には膨大な利潤がある。DOAC開発企業・株主は大きなメリットを得た。しかし、特許は喪失する。低分子化合物なので原価数十円に近いジェネリック品に置き換わる。利潤が年間兆円規模となると次が苦しい。血液凝固第XI因子は出血を惹起しない抗凝固標的として以前から注目されていた。Xa阻害薬が売れている間は、XI阻害薬への期待などを企業は話せない(自らのXa阻害薬の欠点:出血リスクを自ら認めることになるので…)。しかし、Xa阻害薬の特許が切れたら、スムーズに次につながる新薬が欲しい。 AXIOMATIC-TKR試験の結果は、経口薬milvexianに血栓イベント抑制効果があること、効果に用量依存性がありそうなこと、重篤な出血リスクは増えなそうことを示唆した。 製薬企業はDOACからXI阻害薬へのスムーズな転換への論理を示せるだろうか? 本研究は第III相試験の用量決定には役立つと想定される。DOACの開発ではワルファリンのPT-INRの恣意的な調節により、一種、人工的な差を出すことに成功した。今後第III相に進むとすれば、市場規模の大きな血栓症ではDOACとの比較試験が必要となる。DOACに勝る有効性、安全性を第III相試験で示しても、マーケットでの競争は安価なDOACのジェネリック品となる。世界の俊英を集めた巨大製薬企業のブレインたちは、次世代の巨大な利潤に向けたmilvexianの絵を描けるだろうか? 筆者は、新薬の価格を著しく釣り上げて特許期間内のみ巨額の利潤を得る現在のモデル自体の転換が必要と考えている。さまざまな意味で期待を持たせる論文であった。

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FGM導入で患者も主治医もWin-Win【令和時代の糖尿病診療】第3回

第3回 FGM導入で患者も主治医もWin-Win令和時代の糖尿病診療として、今回は薬剤ではなく、器機の面から考えてみる。糖尿病は生活習慣病の代表選手でもあり、治療の根源は食事や運動など生活習慣の改善にあるが、そもそも「生活習慣病とは何ぞや?」というと、「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒などの生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」と定義される。裏を返せば、生活習慣を改善すれば良くなる見込みのある疾患であり、今回取り上げるFGM(Flash Glucose Monitoring)は、血糖値を連続的に「見える化」することにより、生活習慣の改善をサポートできる画期的な器機だ。従来の血糖自己測定(Self-Monitoring of Blood Glucose、以下SMBGと略す)は、穿刺針で指先から採血しその時点の血糖値を測定するものだが、FGMとは、上腕後部に着けたセンサーに服の上からリーダー(読取機)をかざすだけで、瞬時に血糖値を確認できるものである。正確には、FGMは血糖値ではなく間質液のグルコース濃度を測っているのだが、補正のために自己穿刺して血糖測定をする必要もないので、極めてシンプルに血糖管理ができる。センサーは最長14日間、自動的に毎分測定し記録し続ける(なお、最長8時間おきのスキャンが必要)ので、リーダーをかざした瞬間だけでなく、経時的な血糖推移も簡単に知ることができる。すなわち点が線になるのだ。図1:血糖グラフは「点」から「線」へ画像を拡大するこのメカニズムをご存じの方は、「CGM(Continuous Glucose Monitoring)との違いは?」という疑問にぶつかるかと思う。一言で表すならば、FGMはCGMの一種であり、間欠式スキャンCGM(intermittently scanned CGM:is-CGM)とも呼ばれる。リーダーをセンサーにかざした“瞬間”の皮下グルコース値を読み取る点から、“Flash”と名付けられた。患者が意図してセンサーにリーダーをかざすことで、現在から後ろ向きにグルコース値を認識する(一般的に、5~10分遅れて血液中のグルコース濃度が反映するとされる)。なお、CGMの中でもリアルタイムCGMはbluetoothで接続されるため、リーダーをかざす必要はない。FGM器機は、2017年に発売後まもなく保険適用され、さらに進化して2020年2月にはスマートフォンでも血糖値スキャンができるようになった。ここまで読んでいただき、少しでも興味を持っていただけたであろうか。「この手の器機は所詮専門医が使用するマニアックなもの」と決めつけてはいないだろうか? しかし、答えは「No」で、保険上では「糖尿病の治療に関し、専門の知識および5年以上の経験を有する常勤の医師または当該専門の医師の指導の下で糖尿病の治療を実施する医師が、間欠スキャン式持続血糖測定器を使用して血糖管理を行った場合に算定する」とある。対象は「強化インスリン療法を行っているもの、または強化インスリン療法を行った後に混合型インスリン製剤を1日2回以上使用しているもの」とされ、1型糖尿病でも2型糖尿病でも適応可能となっている。これにより、SMBGを行っているならばFGMを使用できない施設はほとんどないと言っていいのではないだろうか?FGMを装着後、劇的に血糖コントロールが改善した2例前置きはこのくらいにして、臨床現場での実例を見てみよう。まずは、小児発症の1型糖尿病で罹病歴27年の女性である。SMBGをきちんと行っているものの、HbA1cは7%台後半で変わらない状況であった。3年ほど前にFGMを装着したところ、インスリンを増量することもなくみるみるHbA1cが6%台後半まで下がり、なおかつ低血糖の頻度も減り非常に安定した。「子供のときは毎回針で指を刺して血を出すのが本当に痛くて嫌だったが、これ(FGM)になってからはいつでもどこでも測れるし、何よりも痛くない。時代は変わったなあ!」と、しみじみとご本人から語られたときは目頭が熱くなった。このときの言葉は今でも忘れられない。次に、2型糖尿病で強化インスリン療法を行っている60代女性のHbA1cを示す。図2:2型糖尿病:罹病歴21年(合併症:神経障害馬場分類1度[軽度]・網膜症[右A0:左A1」・腎症第1期)画像を拡大するどこからFGMが開始になったかは疑う余地もなかろう。これだけ劇的に下がったのは、薬剤を変えたわけでもインスリン量を増やしたわけでもなく、FGMを装着しただけである。患者は以前からSMBGを行っていたがさぼりがちで、測定結果も診察時には「忘れた」と言って持って来ないことが多々あった。そんな方が、スマホ対応のFGMを着けてからは多い時で1日に40回以上も測定したのである。最初は「先生に血糖値がすべてばれてしまう」と少し困惑気味だったが、聞くとゲーム感覚で楽しんでいるようで、どのようなものを食べると血糖値が高くなるとか、よく運動をすると血糖値がうそのように下がるなどとうれしそうに話してくれた。血糖変動が手に取るようにわかることで、行動変容が生まれたケースである。今後は薬剤の減量を検討しており、これがまた患者のいい動機付けになると考えられる。我々の施設では、強化インスリン療法施行中の2型糖尿病患者について、FGM導入は血糖コントロールのみならず、身体活動や治療満足度の改善にもベネフィットをもたらしたことも報告している1)。FGMデータを読むうえで重要な「AGP」と「TIR」それでは、実際のFGMデータ(AGPレポート)を見てみよう。図3:AGPレポート画像を拡大するここで2つのキーワード、AGP(Ambulatory Glucose Profile)とTIR(Time in Range)を以下に解説するので、ぜひ覚えていただきたい。これらは、HbA1cを補完する臨床目標およびアウトカム評価指標として、2019年6月にInternational Consensusで推奨されたものである2)。CGM/FGMの測定は1回の測定期間を2週間として、その間に得られたデータの70%以上を使用して解析すること解析にはAGPの手法を用いること血糖コントロール指標として、70~180mg/dLを治療域(Target Range)とし、この範囲内の測定回数または時間をTIR、治療域より低値域をTBR(Time Below Range)、高値域をTAR(Time Above Range)と定義する糖尿病リソースガイド3)より一部引用AGPについて、日々の血糖値を連続的に見ることができるのは言うまでもないが、FGM測定データの解析に用いられているAGPレポートとは「測定期間のグルコース値の要約」で、記録した数日間にわたる血糖変動の傾向が、一つのグラフとして示される。図4:AGPレポートの読み方《AGPレポートから読み取れる内容》1)24時間の平均血糖値2)24時間の血糖変動幅(i)中央値曲線(実線):中央値曲線の上下動が大きい箇所は、1日の中で血糖変動が大きい時間帯であることを示している。(ii)25%タイル曲線~75%タイル曲線(青色帯):各時間帯で、たとえば10日間のうち5日間はこの範囲内に血糖値が入る(50%の確率)。(iii)10%タイル曲線~90%タイル曲線(水色帯):各時間帯で、たとえば10日間のうち8日間はこの範囲内に血糖値が入る(80%の確率)。3)食後血糖の平均上昇幅このようにAGPで解析すると、1日のうちで低血糖/高血糖となる可能性の高い時間帯や血糖値の変動が大きい時間帯などが視覚的に確認でき、これを活用することで、血糖変動の幅や目標範囲との差、低血糖/高血糖の可能性の有無などについて把握しやすくなる。次にTIRとは、1日のうち血糖値が目標範囲内で過ごせた時間を表したもので、異なる糖尿病患者群のそれぞれで標準的なCGMの目標値が決められている。図5:異なる糖尿病患者群におけるCGMの目標値画像を拡大するこれらの指標に基づき、2型糖尿病患者を対象にした研究では、重症度に基づく糖尿病網膜症(DR)の有病率はTIR四分位の上昇とともに減少し、DRの重症度はTIR四分位数と逆相関を示した4)、TIRは大血管合併症の代替指標である頸動脈内膜中膜肥厚度と関連した5)など多くの論文が出され、有用性が実証されている。FGMによるAGPレポートを見るメリットとして、糖尿病のさまざまな合併症を防ぐため、24時間の血糖値がどのように変動しているか、つまり「血糖トレンド」に注目することが重要とされ、それをしっかり理解できると、下記のような点に関し、患者の状態が確認しやすくなる。(1)食後高血糖(血糖値スパイク)の有無(2)夜間低血糖や暁現象の有無(3)HbA1cの値だけではわからない、「血糖コントロールの質」などさらに今後の方向性として、コロナ禍などで対面診療ができない場合でのオンライン診療なども視野に入るかと思われる。FGM導入で患者も主治医もWin-Winいろいろと利便性ばかり述べてきたが、もちろん限界もある。装着を避けるべき患者像は、血糖値に振り回され、血糖ありきで生活習慣の改善がおろそかになってしまうような患者(たとえば血糖値が高いときインスリンを多く打ち過ぎて低血糖を繰り返す、あるいは補食し過ぎて高血糖になり悪化するケースなど)や、逆にせっかく装着しても、興味がなく規定の時間内に測定しない人や血糖値を他人に見られるのを非常に嫌がる患者などには、決して無理強いするものではない(医療機関でしか測定データを確認できない器機もあるにはあるが…)。また、皮膚に直接貼付するため、かぶれやすい患者などでは着けられない場合もある。いずれにせよ、患者の適性を考慮して使用することで行動変容につながり、薬剤以上の素晴らしい効果が期待できることをぜひ体験していただきたい。これを機に、糖尿病診療にFGMを活用すべく、まずは自身から行動変容を試みてはいかがだろうか。1)Ida S, et al. J Diabetes Res. 2020 Apr 9;2020:9463648.2)Battelino T, et al. Diabetes Care. 2019;42:1593-1603.3)糖尿病リソースガイド 糖尿病治療におけるTime in Range(TIR)の重要性と血糖トレンドの活用4)Lu J, et al. Diabetes Care. 2018;41:2370-2376.5)Jingyi Lu, et.al. Diabetes Technol Ther. 2020 Feb;22:72-78.

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原発性アルドステロン症〔PA:Primary aldosteronism〕

1 疾患概要原発性アルドステロン症(PA)は治癒可能な高血圧の代表的疾患である。副腎からアルドステロンが過剰に分泌される結果、腎尿細管からのナトリウム・水再吸収の増加による循環血漿量増加、高血圧を呈するととともに、腎からのカリウム排泄による低カリウム血症を示す。典型例では高血圧と低カリウム血症の組み合わせが特徴であるが、近年は、血清カリウムが正常な例も多く経験され、通常の診察のみでは本態性高血圧との区別がつかない。高血圧は頻度の高い生活習慣病であることから、日常診療において常にその診断に配慮する必要がある。頻度が高く、全高血圧の約3~10%を占めることが報告され、わが国の患者数は約100万人とも推計されている。典型例は片側の副腎腺腫が原因となる「アルドステロン産生腺腫」であるが、両側の副腎からアルドステロンが過剰に分泌される両側性の原発性アルドステロン症(「特発性アルドステロン症」と呼ばれてきた)もあり、最近では、前者より後者の経験数が増加している。腺腫による場合は病変側の副腎摘出により、高血圧、低カリウム血症が治癒可能で、治癒可能な二次性高血圧の代表的疾患である。一方、診断の遅れは治療抵抗性高血圧の原因となり、これに低カリウム血症、アルドステロンの臓器への直接作用が加わって、脳・心血管・腎などの重要臓器障害の原因となる。わが国の研究からも通常の高血圧より、脳卒中、心不全、心肥大、心房細動、慢性腎臓病の頻度が高いことが明らかにされていることから、早期診断と特異的治療が極めて重要である1)。腺腫によるPAでは、細胞膜のカリウムチャンネルの一種であるKCNJ5の遺伝子変異などいくつかの遺伝子異常が発見され、アルドステロンの過剰分泌の原因となることが明らかにされている。一方、両側性は肥満との関連が示唆2)されているが、病因は不明である。2 診断 (検査・鑑別診断も含む)■ 自覚症状低カリウム血症がある場合は、四肢のしびれ、筋力低下、脱力感、四肢麻痺、多尿、多飲などを認める。正常カリウム血症の場合では、高血圧のみとなり、血圧の程度に応じて頭痛などを認めることもあるが、非特異的な症状であり、本態性高血圧との区別はつかない。■ どのようなケースで疑うか正常カリウム血症で特異的な症状を認めない場合は本態性高血圧症と鑑別が困難なことから、すべての高血圧患者でその可能性を疑う必要があるが、ガイドラインでは特にPAの頻度が高い高血圧患者を対象として積極的にスクリーニングすることを推奨している(表)3)。表 PAの頻度が高いため、特にスクリーニングが推奨される高血圧患者低カリウム血症合併(利尿薬投与例を含む)治療抵抗性高血圧40歳未満での高血圧発症未治療時150/100mmHg以上の高血圧副腎腫瘍合併若年での脳卒中発症睡眠時無呼吸症候群合併(文献3より引用)■ 一般検査所見代謝性アルカローシス(低カリウム血症がある場合)、心電図異常(U波、ST変化)を認めることがある。典型例では低カリウム血症を認めるが、正常カリウム血症の症例が多い。また、血清カリウム濃度は(1)食塩摂取量、(2)採血時の前腕の収縮・伸展、(3)溶血などのさまざまな要因で変動することから、適宜、再評価が必要である。■ スクリーニング検査血漿アルドステロン濃度(PAC)と血漿レニン活性(PRA)を測定し、両者の比率アルドステロン/レニン活性比(ARR)≧200以上かつPAC≧60pg/mLの場合に陽性と判定する。ARRは分母であるPRAに大きく依存することから、偽陽性を避けるためにPACが一定レベル以上であることを条件としている。従来、PACはラジオイムノアッセイにより測定されてきたが、本年4月から化学発光酵素免疫測定法(CLEIA)に変更され、それに伴ってPAC測定値が大幅に低下した。このためARR100~200の境界域も暫定的に陽性とし、個々の例で患者ニーズと臨床所見を考慮して検査方針を判断することが推奨される。■ 機能確認検査スクリーニング陽性の場合、アルドステロンの自律性・過剰産生を確認するために機能確認検査を実施する。カプトプリル試験、生食負荷試験、フロセミド立位試験、経口食塩負荷試験がある。カプトプリル試験は外来でも実施可能である。フロセミド立位試験は起立に伴い低血圧を来すことがあるので、前2つの検査が実施困難な場合を除き、推奨されない。一検査が陽性の場合、機能的にPAと診断する。測定法の変更に伴い、陽性判定基準も見直されたため注意を要する。約25%にコルチゾール同時産生を認めるため、明確な副腎腫瘍を認める場合には、デキサメタゾン抑制試験(1mg)を実施する。降圧薬はレニン・アルドステロン測定値に影響するため、可能な限り、Ca拮抗薬、α遮断薬の単独あるいは併用が推奨されるが、血圧コントロールが不十分な場合は、血圧管理を優先し、ARBやACE阻害薬を併用する。ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬の影響は比較的大きいが、高血圧や低カリウム血症の管理が困難な場合は、適宜使用する必要がある。■ 局在・病型診断病変が片側性か両側性か、片側性の場合、右副腎か左副腎かを明らかにする。副腎摘出術の希望がある場合に実施する。まず副腎腫瘍の有無を確認するため造影副腎CTを実施するが、PAの腺腫は小さいことから、約60%はCTで腫瘍を確認できない。一方、明確な腫瘍を認めても非機能性腺腫の可能性があり、腫瘍の機能評価はできない。このため、確実な局在・病型診断には副腎静脈サンプリングが最も推奨される。副腎静脈血中のアルドステロン濃度/コルチゾール濃度比の左右差(Lateralized ratio)にて病変側を判定する。侵襲的なカテーテル検査であり、技術に習熟が必要であることなどから、専門医療施設での実施が推奨される。3 治療 (治験中・研究中のものも含む)■ 主たる治療法副腎腫瘍を有する典型的な片側性PAでは腹腔鏡下副腎摘出術が第1選択、両側性や手術希望が無い場合は、MR拮抗薬を主とする薬物治療を行う。片側性PAでは手術による降圧効果が薬物治療より優れることが報告されている。通常の降圧薬のみで血圧コントロールが良好であっても、PAではアルドステロン過剰に対する特異的治療(手術、MR拮抗薬)による治療が推奨される。スクリーニング陽性であるが、機能確認検査を初めとする精査を実施しない場合、臨床所見の総合判断に基づき、MR拮抗薬投与の必要性を検討する。■ 診断と治療のアルゴリズム日本内分泌学会診療ガイドラインの診療アルゴリズムを図に示す3)。PAの頻度が高い高血圧患者でスクリーニングを行い、陽性の場合に機能確認検査を実施する。1種類の検査が陽性判定の場合に臨床的にPAとし、CT検査さらには、患者の手術希望に応じて副腎静脈サンプリングを実施する。機能確認検査以降の精査は、専門医療施設での実施が推奨される。局在・病型診断の結果に基づき、手術あるいは薬物治療を選択する。図 日本内分泌学会PAガイドラインにおける診療アルゴリズム3)画像を拡大する(文献3より引用)4 今後の展望局在・病型診断には副腎静脈サンプリングが標準的であるが、侵襲的検査であるため、代替えとなる各種バイオマーカー4)、PETを用いた非侵襲的画像診断法5)の開発が進められている。MR拮抗薬に変わる治療薬として、アルドステロン合成酵素の阻害薬の開発が進められている。PAの多くが両側性PAであることから、その病因解明、適切な診断、治療方針の確立が必要である。5 主たる診療科診断のスタートは高血圧の診療に従事する一般診療クリニック、市中病院の内科などである。スクリーニング陽性例は、内分泌代謝内科、高血圧内科などの専門外来に紹介する。副腎静脈サンプリングの実施が予想される場合は、それに習熟した専門医療施設への紹介が望ましい。6 参考になるサイト(公的助成情報、患者会情報など)診療、研究に関する情報難治性副腎疾患プロジェクト(医療従事者向けのまとまった情報)「重症型原発性アルドステロン症の診療の質向上に資するエビデンス構築(JPAS)」研究班(研究開発代表者:成瀬光栄)(医療従事者向けのまとまった情報)「難治性副腎疾患の診療に直結するエビデンス創出(JRAS)」研究班(研究開発代表者:成瀬光栄)(医療従事者向けのまとまった情報)「難治性副腎腫瘍の疾患レジストリと診療実態に関する検討」研究班(主任研究者:田辺晶代)(医療従事者向けのまとまった情報)1)Ohno Y, et al. Hypertension. 2018;71:530-537.2)Ohno Y, et al. J Clin Endocrinol Metab. 2018;103:4456-4464.3)日本内分泌学会「原発性アルドステロン症診療ガイドライン策定と診断水準向上」委員会 編集.原発性アルドステロン症診療ガイドライン2021.診断と治療社;2021.p.viii.4)Nakano Y, et al. Eur J Endocrinol. 2019;181:69-78.5)Abe T, et al. J Clin Endocrinol Metab. 2016;101:1008-1015.公開履歴初回2021年11月11日

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コロナ感染者の献血、症状消失から4週間経過で可能に

 新型コロナウイルス感染症の感染が拡大し、コロナ禍が収束する見通しが依然立たない中、医療現場に不可欠な血液の確保が難しくなっている。その理由の一端は、言うまでもなく献血者の減少である。献血は「不要不急の外出ではない」と声高に訴えても、現況においてはなかなか人々に響かないのが実情だろう。厚生労働省は、7月27日の薬事・食品衛生審議会(血液事業部会安全技術調査会)で、新型コロナウイルス感染症と診断された人であっても、症状消失から4週間経過すれば、献血を可能とする方針を固めた。新たなルールは9月8日より適用される。コロナ感染者の献血を症状回復後も不可としているのは日本のみ 日本赤十字社のデータによると、新型コロナウイルス感染により献血を断ったケースは、献血後情報で判明したもの(462件)および献血受付時に判明したもの(680件)を合わせると、2021年5月末現在で1,142人に上る。このうち約3分の1は成分献血の複数回献血者であり、年間換算すると新型コロナの流行により数千回分の献血協力が失われていることになるという。 献血血液による新型コロナウイルス感染については、輸血用血液からの感染報告はこれまでにない。また、諸外国においては、新型コロナウイルス感染後に献血可能になるまでの日数に差がある(症状消失後14~180日)ものの、症状回復後も献血不可としているのは日本のみである。こうした状況を鑑み、新型コロナ既感染者については、症状消失後(無症候の場合は陽性となった検査の検体採取日から)4週間以上経過し、治療や通院を要する後遺症がなく、問診等により全身状態が良好であることを確認できれば、献血受け入れ可能とすることとした。 新型コロナに関連したその他の献血受け入れ基準としては、mRNAワクチンを含むRNAワクチン接種者(1回目および2回目も同様)は、48時間経過後からの献血が可能となっている。なお、現時点ではアストラゼネカ社のワクチン接種後の採血制限期間については検討中となっており、接種者の献血を受け入れていないので注意が必要だ。

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続・制約と擾乱(じょうらん)【Dr. 中島の 新・徒然草】(389)

三百八十九の段 続・制約と擾乱(じょうらん)前回は Resilient Health Care Society というオンライン国際学会に出席したことを述べました。私が発表したのは、COVID-19パンデミックに対する大阪医療センターおよび総合診療部の対応についてです。もともと忙しい医療現場に、新たに新型コロナウイルス対応が課せられてしまい、マンパワー不足の中でどのようにして通常診療とコロナ診療を両立させたのか、という話をいたしました。前回にも述べたように、医療現場をはじめとした複雑適応系の中の各ユニットは、手持ちの資源が限られているにもかかわらず、そのキャパを超えるイベントは恒常的に外部からもたらされるのだということです。そのような時には、「何で俺たちばかりがこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!」と思うのではなく、「また来ましたね。今度はどう対応しましょうか?」と思うべきなのでしょう。このような場合の普遍的な対処法は、いろいろと提案されています。今回のコロナ対応の経験を通じてとくに大切だと感じたのは、「優先順位をつける」「最善策にこだわらない」「どんどん変化する状況に合わせたルール変更を躊躇(ためら)わない」というところだ、というのが私の発表の趣旨です。英語での発表になりますが、あらかじめパワーポイントに台詞を吹き込んでビデオ化したものを用いるので、さほど苦労することはありませんでした。できるだけ明瞭な発音でゆっくりとしゃべるように心掛けたので、聴いている人が理解に苦しむ、ということもなかったようです。発表自体はおおむね好評だったのですが、問題は質疑応答です。質問はいずれもアメリカ人からだったので、英語自体は聴き取りやすい……はずが、結局、何度も聞き直す羽目になりました。また内容も難しいというか、哲学的というか。「COVID-19パンデミックで、医療現場でも多くのことが変わってしまいましたが、変わらなかったこともあるかと思います。それはどのようなことですか?」ちょっと、それ! 日本語で答えようとしても難しいですよ。その場ではうまく答えられなかったので、後でいろいろと考えてみました。1つは、日々の診療スタイルでしょうか。外来受診した患者さんに発熱があれば、まずはコロナの有無を検査する、という手順が間に挟まるようになりました。単なる発熱でなさそうな場合には、コロナ検査のときに採血や各種培養検体まで採取するというところも違っています。しかし、熱のない患者さんの診療については、これまでと大きな違いはありません。病歴聴取、身体診察、検査、診断、治療という流れは全く同じです。もう1つは職場の人間関係ですね。昨年、コロナの流行が始まった頃は、現場でも対応がわからず大混乱でした。その影響は、どうしても人間関係の悪化という形で出てしまいます。皆で力を合わせてコロナに立ち向かう、という雰囲気になったのはしばらく経ってからです。現在は、いろいろな仕事や手続きがある程度はルーチン化されたので、淡々と業務をこなせるようになりました。それでも思いがけないことが起こるのは、医療現場の常ですが、以前ほどそのことが人間関係に響かなくなったように感じます。変わらなかったというよりも、一旦、混乱した後に元に戻ったというべきでしょう。もちろん、コロナで変わってしまったこともたくさんあります。宴会や飲み会なんかは全くなくなってしまいました。ネットニュースを見ていると、「どうして政府がオリンピックをやっているのに、俺たちが飲み会をしたらアカンねん!」と言っている人もいるようですが、飲み会の自粛は自分の命を守るためです。オリンピックがあろうがなかろうが関係ありません。車を運転するときにシートベルトをするのと同じですね。それはさておき、国際学会では質疑応答の不首尾が心残りです。まだまだ英語の勉強が足りません。今後もオンライン英会話教室でフィリピン人先生を相手に努力を続けたいと思います。最後に1句英語での 質疑応答 沈没す

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ファイザー製とシノバック製ワクチン、中和抗体価に差はあるのか

 中国・シノバック製の新型コロナワクチンの有効性について、ファイザー製やモデルナ製のmRNAワクチンより低いとする報告が多いが、免疫原性に違いはあるのか。今回、香港の医療従事者を対象に、ファイザー製のBNT162b2ワクチンまたはシノバック製の不活化ウイルス(vero細胞)ワクチンを2回接種し中和抗体価を測定したところ、ファイザー製ワクチンのほうが大幅に上昇していた。WHO協力センターである中国・香港大学のWey Wen Lim氏らが、Lancet Microbe誌オンライン版2021年7月16日号で報告した。 本研究の対象は、香港の公立および私立病院と診療所における1,442人の医療従事者。ワクチン接種前、初回接種後(2回目接種前)、2回目接種後(21〜35日後)に採血し、ELISAでスパイクタンパク質受容体結合ドメインに結合する抗体価を、また代替ウイルス中和試験(sVNT)およびプラーク減少中和試験(PRNT)で中和抗体価を測定した。ここでは、ワクチン接種前、初回接種後、2回目接種後のデータが揃っている93人における予備的な試験結果を報告した。 主な結果は以下のとおり。・93人の医療従事者のうち、ファイザー製ワクチン接種したのは63人(男性55.6%、年齢中央値37歳[範囲26〜60歳])、シノバック製ワクチン接種したのは30人(男性23.3%、年齢中央値47歳[範囲31〜65歳])であった。・ファイザー製ワクチンを接種した医療従事者では、ELISAおよびsVNTで測定した抗体価は、初回接種後に大幅に上昇し、2回目接種後に再上昇した。PRNTの結果が得られた12人のサブセットにおいて、2回目接種後のPRNT50力価の幾何平均値は269、PRNT90力価の幾何平均値は113だった。・一方、シノバック製ワクチンを接種した医療従事者では、ワクチン接種後にELISAおよびsVNTで測定された抗体価は低く、2回目接種後に中程度に上昇した。PRNTの結果も得られた12人のサブセットにおいて、2回目接種後のPRNT50力価の幾何平均値は27、PRNT90力価の幾何平均値は8.4だった。 著者らは「中和抗体価と新型コロナワクチンにおける防御との関連が提案されている。ここで示された中和抗体価の差は、ワクチンの有効性の差につながる可能性がある」と考察している。なお、本研究では、T細胞や抗体依存性細胞傷害抗体などの防御の関連については検討されていない。

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第67回 針刺し事故頻発中!コロナワクチン接種進む中、肝炎、HIVの感染リスクにも重々注意を

一度使った注射器を別の人に再度使用こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。東京都の新型コロナ感染者の増加が止まらない中、とうとう今週末、オリンピックが開催されます。そこで先週の日曜(7月18日)は選手村がどんな状況か視察するため、ではなく豊洲にあるライブ会場で開かれた、福岡市博多区出身のバンド、NUMBER GIRLのライブを観るために、東京・湾岸エリアの選手村近くまで出かけました(そもそも選手村は交通規制で近づけませんでした)。NUMBER GIRLは、8月に茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園で開催予定だった「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」にも出演予定でした。しかし、茨城県医師会の要請で同イベントは中止が決定、NUMBER GIRLのファンのみならず多くの夏フェスファンを失望させました。この夏、NUMBER GIRLをライブで聴くことができるのは、今回の豊洲PITの単独と、「FUJI ROCK FESTIVAL’21」、山中湖のフェスだけという状況です。猛暑の中、選手村と海を挟んではす向いにある豊洲PITで1年半ぶりに観客を入れて敢行されたNUMBER GIRLのライブ。椅子に座って静かに“鑑賞”という、およそロックのライブとは思えないものでしたが、久しぶりの爆音が身体に沁み渡り満足の1日でした。終演後、勝鬨橋を歩いて渡り地下鉄の駅まで歩いたのですが、営業中の居酒屋の中にオリンピック関係者と思しき外国人2人(大胆にも同じユニフォームを着てました)が日本人に混じって飲んでいるのが見えました。“バブル方式”と言ってはいますが、彼らがもし選手だとしたら、選手村のバブルは針で穴を開けたかのように、既に弾けてしまっているのかもしれません。さて、今週はコロナワクチンの接種が各地で進む中、頻発している「針刺し事故」について書いてみたいと思います。7月13日のNHKニュースによれば、群馬県沼田市は、12日の新型コロナウイルスワクチン接種において、一度使った注射器(注射針とシリンジ)を別の人に再度使用した可能性があることを明らかにした、とのことです。ディスポなのに“2度刺し”の余地はどこに?最初、このニュースを聞いて疑問に思いました。私自身も先日1回目の接種を終えたのですが、注射針・シリンジはディスポーザブルなので接種後すぐに廃棄されていました。沼田市の事故において、“2度刺し”の余地がどこにあったのか、わからなかったのです。同ニュースによれば、一度使った注射器を別の人に使用したのは12日午後6時から市の保健福祉センターで行ったワクチンの集団接種においてのこと。ここでは108人が2度目の接種を受けましたが、終了後に注射器が1人分余り、使用済みで廃棄した注射器を確認したところ107本しかなかったということです。市によれば、この日は歯科医師が接種を担当しており、一度打った注射器を廃棄せず空の状態で再度使ってしまった可能性が高いということでした。同ニュースでは、「接種を受けた人に確認を進めていて現時点で、健康面の被害は報告されていない」「誤って使用済みの空の注射器を打たれた人は抗体ができていないことが想定されるため、1週間後をめどに全員に抗体検査を行って特定したいとしている」と報道していますが、そんなことより、2度刺しが起きた原因や、針刺し事故では肝炎やHIVに感染するリスクがあることも、きちんと伝えるべきではないかと感じました。使用注射器と未使用注射器を同じ机の同じ形状のトレーにいったいどういう経緯でこんな“古典的”な医療事故が起こったのでしょうか?ひょっとしたら他でも起きているのではないかと考え、ネットで検索してみると、あるわあるわ…。ワクチン接種に絡む事故が頻発していました。6月11日には、宮崎市で市内の高齢者施設において医療機関が実施した新型コロナワクチン接種において、医師が誤って使用済み注射器の針を施設従事者の60代女性に刺す事故が起こっています。この事故については、宮崎市のホームページに事故の概要が報告されています。それによれば、事故発生の原因は、「医師が受傷者の直前に使用した注射器と未使用の注射器を、同じ机の同じ形状のトレーに置いたため、誤って使用済みの注射器を使用して受傷者に刺した」とのことです。この他、同様の事故は、岡山県浅口市、滋賀県湖南市、奈良県五條市、埼玉県上里町などでも発生しています。いずれも現段階で受傷者に健康被害は起きていないようです。医療廃棄物での事故も多発中接種後、医療廃棄物になってからの事故も頻発しています。6月1日、北九州市は新型コロナウイルスワクチンの集団接種会場で、誤った方法で廃棄された注射針がゴミ回収業者の女性の足に刺さる事故があった、と発表しました。注射針は使用済みとみられ、女性は血液検査を受け、血液感染する可能性がある感染症のワクチン(おそらくB型肝炎ワクチン)を接種したそうです。西日本新聞の報道によれば、本来は専用ボックスに捨てなければならない注射針をガウンなどの医療用廃棄物の袋に捨てた上、それを一般廃棄物用の場所に誤って置いていたとのことです。また、6月7日、石川県小松市の新型コロナワクチンの集団接種会場では使用済みの注射針が会場の準備などを行うスタッフに刺さる事故が発生しています。石川テレビの報道によると、集団接種終了後、スタッフが接種の片づけを行っていたところ、ゴミ袋に入っていた注射針が相次いで2人に刺さった、とのことです。接種ブースには使用済みの注射針を捨てる医療廃棄物用のゴミ箱とガーゼの包装紙など一般ゴミを捨てるゴミ袋が置かれていましたが、今回の事故は誤って通常のゴミを集める袋に注射針が捨てられたことが原因とみられています。予防接種のフローに慣れていなかったことも一因か2度刺し事故や、廃棄物になってからの事故は、医療現場から遠ざかっていた医療スタッフや、注射針による医療事故の怖さを知らない事務方スタッフのケアレスミスで起こっているようです。中でも医療廃棄物の処理の杜撰さは、ワクチン接種を専門業者に丸投げ(その業者もまた関連業者に再丸投げのケースも)したことで、事故防止策が疎かになっていることも一因と言えるでしょう。2度差し事故については、いくつかの報道を見ると、宮崎市のケースのように、一度刺した注射針とシリンジを、未使用の注射が置いてあるトレーに戻したり、同じ形のトレーに置いたりしたため、未使用か使用済みかわからなくなってしまうことで起こっています。岡山県浅口市の個別接種で起きた事故でも、通常はトレーに注射器を1本ずつ置いて管理するところを、なぜか2本(未使用と使用済み)置いてあり、直前の接種で使った注射器を使用してしまったようです。集団予防接種に慣れている医療スタッフではまず考えられないミスだと言えるでしょう。沼田市のケースでは打ち手が歯科医だったようですが、2度刺しは予防接種のフローやリスク管理に慣れていないスタッフで起こりやすいのかもしれません。打ち手が自分に刺してしまう事故の可能性もここまで見てきたのは、新聞やテレビで報道された事故ばかりですが、おそらくこれらは氷山の一角で、針刺し事故はもっと頻繁に起こっているのではないでしょうか。なにせ、1日150万回近くの接種が行われているのですから。今のところ、致命的な劇症肝炎が発生していないだけでも幸いと言えます。ところで、こうした事故の中で、うやむやにされがちなのは、医療スタッフ自身がワクチン接種後の注射針を、自分の腕や腿などに誤って刺してしまう事故です。ミスしたことがバレるとカッコ悪いので、その事実を黙っている人も、ひょっとしたらいるかもしれません。医療者であればご存知でしょうが、針刺し事故後はすぐに打った相手の感染症情報(HBs抗原、HBs抗体、HCV 抗体、HIV 抗体)を調べることと、自分自身の血液検査が必要です。場合によっては、乾燥抗HBsヒト免疫グロブリン投与(HBIG)とB型肝炎ワクチンの接種や、抗HIV薬服用も考えなければなりません。針刺し事故の思い出…「SASU-ME」にも気を付けて実は私自身も針刺し事故に遭遇したことがあります。今から15年ほど前、ある病気で診療所を受診し血液検査を受けることになりました。院長が採血をしたのですが、採血後の注射を持った右手がぶれて、あろうことか院長自身の左手を刺してしまったのです。院長は一瞬焦った表情をしたものの、「大丈夫、大丈夫。萬田さん、肝炎のキャリアじゃないですよね?」と言って、その時の診療は終わりました。私自身は「大丈夫って。まあ私は大丈夫だけど」と思い帰宅したのですが、すぐに診療所から電話がかかってきて、その日のうちに再度受診することになりました。診療所では肝炎やHIVの検査の同意を取られ、再び採血、検査される羽目となりました。その後、院長には何の健康被害も起きませんでしたが、日常診療の中でのちょっとした気の緩みやミスで針刺し事故は起こるんだ、と実感したことを覚えています。これまでの報告1)からHIV汚染血液による針刺し事故の感染率は0.3%、粘膜の曝露による感染率は0.09%とのことです。また、C型肝炎ウイルスは約2%、HBe抗体陽性ウイルスは約10%、HBe抗原陽性ウイルスは約40%とされています。HBe抗原陽性ウイルスの場合の感染率の高さが際立っており、劇症肝炎を発症する危険性もあります。そう言えば、NUMBER GIRLには「SASU-YOU」という名曲があります。医療スタッフの多くはB型肝炎ワクチンを接種済だとは思いますが、ワクチン接種に関わる方は、肝炎、HIVの感染リスクも念頭に、「SASU-“YOU”」に加え、「SASU-“ME”」にも気を付けていただきたいと思います。参考1)針刺し事故後の対応について/国立病院機構 名古屋医療センター

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基礎インスリンで治療中の2型糖尿病患者の血糖コントロールに対するCGMの効果(解説:小川大輔氏)

 糖尿病の診療において、血糖コントロール状況を把握する検査として血糖値とヘモグロビンA1cが通常用いられる。血糖値は採血時点の、ヘモグロビンA1cは過去1~2ヵ月間の血糖の状況を表す検査であり、外来診療ではこの2つの検査を同時に測定することが多い。さらにインスリンあるいはGLP-1受容体作動薬などの注射製剤を使用している患者は、日常生活において血糖を把握するために自己血糖測定を行うことが一般的である。 通常の自己血糖測定によるモニタリング(BGM)は測定のたびに指先を穿刺する必要があり、また連続した血糖の変動を捉えることができないという欠点がある。一方、近年使用されている持続血糖モニタリング(CGM)は一度装着すると血糖の変動を連続して把握することができるというメリットがある。CGMは毎食後や睡眠中の血糖コントロール状況がわかるため、糖尿病専門外来では糖尿病治療薬の変更や選択に活用されている。 2018年7月から2019年10月までに米国のプライマリケア施設で基礎インスリンを使用している2型糖尿病患者に対し、CGMの有効性の評価を目的とする無作為化臨床試験の結果がJAMA誌に報告された1)。対象は1日1回あるいは2回の基礎インスリンを用いて治療中の2型糖尿病患者であり、CGMまたはBGMでのモニタリングを行う群に2対1の割合で無作為に割り付けられた。インスリン以外の糖尿病治療薬の有無は問わないが、食前のインスリンは使用していないことが条件である。主要評価項目は8ヵ月後の平均HbA1c値、副次評価項目は血糖値が目標範囲内(70~180mg/dL)の時間の割合、血糖値が250mg/dL以上の時間の割合、8ヵ月後の平均血糖値である。 30歳以上の2型糖尿病患者175例が登録され、CGM群に116例、BGM群に59例が割り付けられた。平均HbA1c値は、CGM群がベースラインの9.1%から8ヵ月後には8.0%へ、BGM群は9.0%から8.4%へと低下し、CGM群で有意な改善効果が認められた。またCGM群はBGM群に比べ、血糖値が目標範囲内(70~180mg/dL)の時間の割合(59% vs.43%)、血糖値>250mg/dLの時間の割合(11% vs.27%)、ベースライン値で補正された8ヵ月後の血糖値(179mg/dL vs.206mg/dL)が、いずれも有意に良好であった。有害事象としては重症低血糖がCGM群で1例(1%)、BGM群で1例(2%)報告された。 基礎インスリン療法を行っているが血糖コントロールが不良(HbA1c値7.8~11.5%)の2型糖尿病患者に対し、従来のBGMをCGMに替えると8ヵ月後のヘモグロビンA1cがより低下したという結果である。これまでに1型糖尿病を対象とした試験でCGMを用いることにより血糖コントロールが改善するということは複数報告されており、強化インスリン療法を行っている2型糖尿病を対象とした試験2)でも同様の結果が報告されている。今回初めて基礎インスリン療法を行っている2型糖尿病を対象とした試験でCGMの有効性が示された。ただ、1日1~3回血糖値を測定するBGM群に対し、血糖の情報量が圧倒的に多いCGM群でもっと差があるかと思ったが、予想外にその差は0.4%とわずかであった。またHbA1c値8.5%以上のとくに血糖コントロール不良の患者では両群で有意差がなかった。これは本試験が糖尿病専門医のいる医療機関ではなくプライマリケア施設で実施されており、専門医が直接インスリン投与量の管理を行っていないことが関係していると考えられる。せっかくCGMを用いても、得られた血糖日内変動のデータを解釈しインスリン投与量の調節に活かせなければ意味がない。ただCGMを装着すればよいというわけではない、というメッセージをこの研究は与えている。

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第66回 医療法等改正、10月からの業務範囲拡大で救急救命士の争奪戦勃発か

今年の医療法等改正をおさらいこんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。予想通り、7月12日から東京都は4回目の緊急事態宣言に突入しました。沖縄県に出されていた同宣言も延長となりました。オリンピック開催を至上命令として、マッチポンプのようにコロコロと変わる政府の施策に、国民の多くはさすがに辟易としてきているようです。7月13日に読売新聞社が公表した同社世論調査によれば、菅内閣の支持率は37%、昨年9月の内閣発足以降最低だった前回(6月4~6日調査)から横ばいです。一方、不支持率は53%(前回50%)に上がり、内閣発足後で最高となったそうです。中でも東京の菅内閣の支持率は28%で、全国平均の37%と比べて9ポイント低かったそうです。進まないワクチン接種や、酒提供に関して金融機関からの働き掛け方針の撤回など、政府の右往左往ぶりは既に末期症状かもしれません。さて、こんな時は野球観戦です。昨日(7月13日)は、MLBオールスターゲームのホームランダービーを朝から観戦していました。初出場のロサンゼルス・エンゼルスの大谷 翔平選手は、残念ながら1回戦でワシントン・ナショナルズのフアン・ソト選手に敗れてしまいました。それにしても、対戦後、ハアハア息をする大谷選手を見て、ホームランダービーの過酷さがわかりました。他の出場選手よりも息が荒かったのは、デンバーの球場が標高1,600mと高地にあり高度順応ができなかったからか、他の選手の心肺機能の方が高かったからかわかりませんが、あの対戦を2回連続(2019年と今年)制したニューヨーク・メッツのピート・アロンソ選手は本当にすごいです。さて、新型コロナ感染症による緊急事態宣言とオリンピック開催を巡る騒動の陰で、これからの医療現場に大きな影響を及ぼす法律改正が行われていました。今回は”事件”から少々離れて、それについて簡単におさらいしておきたいと思います。医療現場に大きな影響を及ぼす法律改正とは、ずばり医療法等の改正です。法律案の名称は「良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を推進するための医療法等の一部を改正する法律案」。医師の労働時間の短縮や新興感染症の感染拡大時における医療提供体制の確保など、医療現場が直面するさまざまな課題を解決するためにつくられた法律案です。関連する法律も医療法をはじめ、医師法や歯科医師法、診療放射線技師法、臨床検査技師等に関する法律、臨床工学技士法、救急救命士法と幅広く、それぞれの法律の改正を一括するかたちで、「……医療法等の一部を改正する法律案」として審議されてきました。2024年度からの時間外労働規制に向けた「医師の働き方改革」この医療法等改正法は5月21日の参議院本会議で可決・成立しました。柱は大きくは3つです。1)医師の働き方改革勤務医の時間外労働規制が2024年度から適用されることを受け、「長時間労働の医師の労働時間短縮および健康確保のための措置の整備」が講じられます。具体的には、勤務医が長時間労働となる医療機関での「医師労働時間短縮計画」の作成が義務付けられます。また、地域医療の確保や研修を集中的に実施する観点からやむを得ず、規定よりも多い上限時間を適用する医療機関を都道府県知事が指定する制度がつくられます。指定された医療機関では連続勤務時間の制限といった健康確保措置が求められます。2)各医療関係職種の専門性の活用次に「各医療関係職種の専門性の活用」です。 これも「医師の働き方改革」に関連したもので、医師の負担軽減を目的に、4つの医療関係職種の業務範囲を拡大し、タスクシフト・シェアを推進することになりました。診療放射線技師、臨床検査技師、臨床工学技士、救急救命士の4職種の資格法が改正されています。いずれも施行は今年10月1日からで、医師が働く現場にすぐに影響が出るのは、このタスクシフト・シェアでしょう。これについては、あとからもう少し詳しく解説します。なお、「専門性の活用」については医師の養成課程の見直しも行われています。2025年4月から共用試験合格が医師国家試験の受験資格要件となります。また、同試験に合格した医学生は医師法第17条(医師でなければ、医業をなしてはならない)の規定にかかわらず、大学が行う臨床実習において、医師の指導監督のもとで医業(つまり診療)を行えるようになります。この措置は2023年4月からの施行です。医療計画に新興・再興感染症医療提供体制に関する事項追加そして法改正のもう一つの柱が、3)地域の実情に応じた医療提供体制の確保です。新型コロナウイルス感染症の感染拡大で露呈した医療提供体制のさまざまな課題に対応するため、2024年度からの第8次医療計画に「新興感染症等の感染拡大時における医療」の確保に関する事項が追加されます。具体的には、現行は「5疾病・5事業および在宅医療」の医療計画の記載事項が、「5疾病・6事業および在宅医療」に改められます。これまで、医療計画の中に、新興・再興感染症の感染拡大への対応が記載されていなかったのは国・厚生労働省の怠慢としか言いようがありませんが、とにかくそれに関する事項が追加されたことは評価したいと思います。また、2022年度からは、高度な医療機器など医療資源を重点的に活用する外来等について報告を求める「外来機能報告制度」が創設されます。これまで入院医療については「病床機能報告制度」があったのですが、それが外来にも拡大されるわけです。入院医療に加え外来医療も医療機能の分化と連携を進めるのが狙いとされています。外来機能報告制度の施行は2022年4月で、報告を基に、地域医療構想と同様不足する外来医療機能の確保といった問題を「地域の協議の場」などで話し合い、調整することになります。放射線技師、検査技師、臨床工学技士、救急救命士の業務拡大の中身さて、前述のように、こうしたさまざまな改革の中で、すぐに現場に影響を及ぼしそうなのが、医療関係職種の業務範囲拡大によるタスクシフト・シェアでしょう。何せこれまで医師にしかできなかった業務を他職種に任せることができるのですから。診療放射線技師法、臨床検査技師等に関する法律、臨床工学技士法、救急救命士法の改正により、各職種に新たに認められる業務は以下です(政省令改正で済むものを除く)。診療放射線技師造影剤を使用した検査・RI検査(放射性医薬品を用いる検査)のための静脈路確保RI検査医薬品を注入するための装置接続と操作RI検査医薬品投与終了後の抜針・止血医師・歯科医師が診察した患者に対する、その医師等の指示に基づく、医療機関以外の場所に出張して行う超音波検査臨床検査技師採血に伴う静脈路確保と、電解質輸液(ヘパリン加生理食塩水を含む)への接続静脈路を確保し、成分採血のための装置接続と操作、終了後の抜針・止血超音波検査に関連する行為としての静脈路確保、造影剤接続・注入、造影剤投与終了後の抜針・止血臨床工学技士手術室等で生命維持管理装置を使用して行う治療における▼静脈路確保と装置や輸液ポンプ・シリンジポンプとの接続▼輸液ポンプ・シリンジポンプを用いた薬剤(手術室等で使用する薬剤に限る)投与▼当該装置や輸液ポンプ・シリンジポンプに接続された静脈路の抜針・止血心・血管カテーテル治療における生命維持管理装置を使用して行う治療に関連する業務として、身体に電気的負荷を与えるための当該負荷装置操作手術室での鏡視下手術における体内に挿入されている内視鏡用ビデオカメラの保持、術野視野を確保するための内視鏡用ビデオカメラ操作救急救命士現行法における「医療機関に搬送されるまでの間(病院前)に重度傷病者に対して実施可能な救急救命処置」について、救急外来(救急診療を要する傷病者が来院してから入院に移行するまで〈入院しない場合は帰宅するまで〉に必要な診察・検査・処置等を提供される場)においても実施可能に救急救命士の業務範囲拡大は医療関係団体からの強い要望で実現最後の救急救命士の業務範囲拡大は、日本医師会、日本救急医学会、四病院団体協議会から要望が出され、厚労省の「救急・災害医療提供体制等の在り方に関する検討会」で議論がされてきました。一部には救急救命士が一定の医行為を実施することに強く反対する意見もあったそうですが、最終的には医師の負担軽減に必要、として了承されました。法改正が施行される今年10月1日からは、重度傷病者が搬送先医療機関に入院するまでの間、または入院を要さない場合はその医療機関に滞在している間、医療機関に勤務する救急救命士は特定行為を含む救急救命処置ができることになります。実際の運用面の議論も開始救急救命士法の改正を受け、厚労省は6月4日「救急・災害医療提供体制等の在り方に関する検討会」を開催し、救急救命士が救急外来において処置を実施する際の運用面の議論が行われています。この中では、救急救命士の質を担保するために医療機関に設置する委員会の詳細や、 救急救命士への院内研修項目なども提案されました。つまり、病院が救急救命士を救命救急業務に就かせるには相応の組織を設けたうえで、研修等の実施が必須になるようです。運用スタートまで3ヵ月を切っており、秋口までには詳細が決まると思いますが、他の職種のタスクシフト・シェアと比べても患者の生死に直結する業務だけに、拙速な議論だけは避けてもらいたいものです。救急救命士の効果的な活用は、急性期病院の命運を握る救急救命士が救急外来で働くことは、医師の仕事量の軽減だけでなく、病院経営にとっても大きなプラスになると考えられます。人件費の高い医師でなく、救急救命士を多数雇うことで、コストを抑えつつ救急外来を回すことができるからです。しかも、救急部門の充実は、病院が急性期病院として生き残るための経営の要でもあります。救急救命士の効果的な活用は、今後の急性期病院の命運を握ると言えるでしょう。実際、今回の法改正が行われる前から、救急救命士を雇用する病院は増加傾向のようで、病院勤務を志望する救急救命士も増えていると聞きます。来年にかけ、救急救命士の争奪戦が本格化しそうな気配です。

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ワクチン接種後の手のしびれ、痛みをどう診るか(2)

これまで、安全な筋肉注射手技に従ってワクチンを接種する限り、末梢神経損傷については「接種会場で深く理解しておく必要はない」「ひとくちに神経損傷と言ってもさまざまな状態がある」「神経損傷が無い場合でも手の痺れを訴えることがある」と解説してきました。これらを当然のことと思う先生もいらっしゃるでしょうが、私は医原性末梢神経損傷を考える上で大切な基礎知識と考えています。今回は神経損傷ではなくても「手のしびれや痛み」を訴える患者についての事例や、ワクチン接種会場での被接種者への対応について紹介したいと思います。<今回のポイント>ワクチン接種会場で被接種者が指先まで違和感を訴えても、すぐに「正中神経損傷」や「尺骨神経損傷」などと判断するのは避けたほうがよい。ワクチン接種時の「手がしびれたりしませんか?」という声かけは、解剖学的には合理的でなくても、臨床的に意味がないわけではない。慎重に神経損傷を診断すべき症例には、どのようなものがありますか?医原性末梢神経損傷が疑われたある症例について説明します。Aさん(70代女性)は、左肘の静脈から採血された際に指先まで響くような電撃痛を訴えたものの、すぐに針を抜かれることなく採血が試みられたとのことです。その後徐々に痛みはひどくなり、肘だけでなく手までビリビリとしびれるような疼痛のために眠れなくなりました。1ヵ月後には服の袖が当たっても痛いほどで、左手がうまく使えない状態になり、当初診察した整形外科医により、「正中神経損傷」という病名で当院へ紹介されました。「指先にまで響くような電撃痛」と言えば、指先まで繋がっている正中神経や尺骨神経を刺してしまったのでは、と考えてしまうこともあるのではと思います。さらにこの時点でCRPS(複合性局所疼痛症候群)という病名をすぐに思い浮かべる医師もいらっしゃるでしょう。しかし初診時、実際には正中神経の障害を疑う身体所見はありませんでした。超音波診断装置などを用いた結果、尺側皮静脈に接して走行する内側前腕皮神経の採血に伴った障害に心因的な要素が重なったものと診断しました(図1)。画像を拡大する尺側皮静脈(青の網掛け部分)に伴走して走行する直径約0.3mmの内側前腕皮神経(黄色矢印)の周囲の皮下組織に、血腫形成後と考えられる一部低エコー領域(点線囲い部)を認めるが、皮神経の明らかな形態上の異常所見は認めなかった。近年の超音波診断装置では径1mm未満の皮神経であっても断裂や偽神経腫の形成を確認可能であり、治療方針の決定に活用することができる。すべての臨床に関わる医師に知っていただきたいのですが、きっちり神経学的所見(感覚障害の範囲や運動機能の評価、あるいは誘発テストなど)を行わずに「正中神経損傷」という病名を安易にカルテに記載することは避けるべきです。司法からみると内科医も整形外科医も同じ医師ですから、後々裁判になった際にややこしい問題に発展することがあります。皮神経損傷と正中神経損傷では、医療側の責任は大違いなのです。もっとも整形外科医でも上記のような誤った診断を下す事例もあるのですが。まわりくどくなりましたが、つまり「末梢神経損傷の正確な診断を下す」ことは必ずしもワクチン接種の現場ですぐに行う必要はなく、できれば第三者としてきちんと評価できる医師に紹介するべきではないかということです。よほど激烈な症状でない限り、当日に治療を開始しなければならないものではありません。上記症例ではなぜ正中神経を刺していないのに、そんなに強い痛みが起こったのですか?この患者さんの話をよくよく聞いてみると、数ヵ月前に行った採血での医療従事者の対応が原因で、今回の採血前から穿刺に対する強い不安を抱いていたことが分かりました。人間の脳は、実際に刺されることによる局所の侵害刺激だけではなく、記憶や不安といった心理的要素によっても痛みをより強く認識することが知られています。前腕を支配する皮神経への穿刺であるのに指先までしびれが出ることについて不思議に思われるかもしれません。たとえば、手根管症候群は典型的な正中神経の障害であり、「感覚鈍麻」を母指から環指の橈側に生じることはよく知られています。一方で手根管症候群患者の自覚する「しびれ」は小指を含んだ手全体であることは珍しいものではありませんが1)、おそらく整形外科や脳神経内科以外だと意外に思われる方もいらっしゃるでしょう(図2)。画像を拡大する典型的な正中神経障害である手根管症候群であっても、患者自身の訴える「しびれ」は小指を含むことは稀ではない。同様に、患者が訴える「しびれ」の領域と実際に生じる「感覚鈍麻」の領域が一致しないことは、医原性末梢神経損傷の症例でもしばしば経験する。つまり患者の感じる「しびれ」は必ずしも障害をうけた神経領域に該当するものではないのです。採血などの場合、正中神経や尺骨神経に針が当たることがなくても手まで違和感を自覚することはしばしばあります。医療行為をきっかけに生じたこのような症状は、もともと患者が抱えていた不安や不適切な初期対応によって、さらに悪循環に入り難治性の痛みとなることがあります。医原性末梢神経損傷と慢性化・難治化の危険因子、その対応については日本ペインクリニック学会によるペインクリニック治療指針(p128)に素晴らしい文章がありますので、すべての医療従事者にぜひ一度読んでいただきたいと思います。大切なのは、薬液を注入せずに針で神経を突いただけであれば自然に末梢神経は回復することが期待できるものの、その後の対応によって治りにくく強い痛みになるということです。さきほど症例提示した採血後の強い腕の痛みを訴えたAさんには、慎重な診察に加えて不安や不満をできるだけ汲み取りながら丁寧に病状を説明し、その後症状は自然に改善しました。患者の不安に対して早めに誠実に対応することは、その後の経過に影響すると考えます。「手にビリっとくる感じがありませんか?」と声をかけることに意味はありますか?安全な筋肉注射の手技に従って筋肉注射を行う限り、橈骨神経に穿刺することはないはずです。肩峰下三横指での穿刺で放散痛をともなわず腋窩神経を生じたとの報告もありますから、逆に穿刺時に放散痛がなかったから神経損傷を避けられるというわけでもなさそうです。そのような意味では、「手にビリっとくる感じがありませんか?」という声かけに解剖学的な合理性は無いといえるかもしれません。しかし、黙ったままブッスリと刺されるよりも、被接種者の不安を汲み取って声をかけることは大切ですから、まったく無意味な声かけだとも思いません。このあたりは初めて対面する瞬間からの雰囲気作りも含めて、医師や看護師のテクニックの一つではないでしょうか(図3)。画像を拡大する実際には「チクッとしますよ」と言った次の瞬間に接種は終わってしまう。そのため筋肉注射手技の指導内容には声かけの内容を当初含めていなかった。しかし、当院の研修医が「手にビリっとくる感じはありませんか?」と自発的に声かけしてくれたことで、筆者自身は安心感を得て注射を受けることができた。仮に接種会場で被接種者が「腕にしびれがきました」と訴えた時には、「自分の不安を無視された」と思われないように対応してほしいと思います。正確な神経学的所見をとることが難しくても、「大丈夫ですか?」とこちらの心配を伝え、手指の自動運動などを確認しましょう。可能性は限りなく低いかもしれませんが器質的異常を疑うとすれば、整形外科医としては末梢神経損傷よりむしろ偶発的な脳梗塞などを見逃すほうが心配なくらいです。その上で「後日もし症状が続くようであれば、整形外科を受診してください」などと説明するのが良いでしょう。そのためには、あらかじめどの医療機関が医原性末梢神経障害をよく診てくれるのか把握しておくことは無駄ではないと思います。当院でワクチン接種を受けたあと、腕の違和感を訴えて受診されたある職員によくよく聞いてみると「急に接種の順番が決まり、自分自身納得できず不安が強い状態で注射を受けた」という背景に行き当たりました。興味深いのは、診察室でいろいろと症状に関する不安を吐き出してもらった直後、「違和感が軽くなったように思います」と言われたことで、その後自然経過で症状も改善されたようです。また別の職員は、「自分でも変だと思うのですが、実は接種の予診前から緊張して手に違和感を覚えていました」とのことでした。これらの自覚症状について器質的な機序を説明することは難しくても、「このような合併症は起こらないはずだから知りません」という態度ではなく「そう感じることがあっても不思議ではないですよね」と共感することが大切なのではと思います。おわりに今回の新型コロナウイルスワクチンについては、明らかに誤った情報がネット上に溢れています。それを「科学的なものではない」と切り捨てることは簡単です。しかし不確かな情報が嫌でも目に入ってくる世の中ですし、それを信じてしまう人は被害者でもあります。ワクチンについての不安や、自分の体に針が刺されることの不安、あるいは医療従事者の対応によって腕の違和感が強くなったりすることは自然な心の作用だと思いますから、接種に関わる医師や看護師はできるだけそれを汲み取り、少しでも安心してもらえるよう個々においても対応することが重要ではないだろうかと思います。 (参考)患者説明スライド「新型コロナワクチン、接種会場に行く前に」参考1)Caliandro P, et al. Clin Neurophysiol. 2006;117:228-231.

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新型コロナ既感染者、1年後の抗体保有状況は?/横浜市立大

 横浜市立大学の山中 竹春氏(学術院医学群 臨床統計学)率いる研究グループは、「新型コロナウイルス感染12ヵ月後における従来株および変異株に対する抗ウイルス抗体および中和抗体の保有率に関する調査」の記者会見を5月20日に開催。回復者のほとんどが6ヵ月後、12ヵ月後も従来株に対する抗ウイルス抗体および中和抗体を保有していたことを報告した。調査概要と結果 本調査は同大学が開発した「hiVNTシステム」を用いて、新型コロナウイルス感染症からの回復者(2020年2~4月に自然感染した既感染者で、研究への参加同意を取得)約250例を追跡した国内最大規模の研究である。2021年3月末までの期間に採血・データ解析を行い、感染から6ヵ月後と12ヵ月後の抗ウイルス抗体と中和抗体の保有率を確認した。従来株(D614G)ならびに変異株4種[イギリス株(B.1.1.7)、ブラジル株(P.1)、南アフリカ株(B.1.351)、インド株(B.1.617)]を調査した。中和抗体の測定はシュードウイルス法*を用いて行われた。*SARS-CoV-2スパイクを持つ偽ウイルスを用いてLuciferase活性を定量する方法で、危険性が低く、短期間で検出が可能。 主な結果は以下のとおり。・参加者250例の平均年齢は51歳(範囲:21~78歳)だった。・重症度別の内訳は、軽症・無症状は72.8%(182例)、中等症は19.6%(49例)、重症は7.6%(19例)だった。・従来株に対する6ヵ月後の中和抗体の陽性率は98%(245/250例)、12ヵ月後では97%(242/250例)だった。・自然感染から6ヵ月後と12ヵ月後の参加者の中和抗体陽性率は重症度別では、軽症・無症状(97%、96%)、中等症(100%、100%)、重症(100%、100%)で、中和抗体の量は6ヵ月から12ヵ月で大きく低下しなかった。・変異株の中和抗体の保有率はいずれの時点でも従来株に比べ低下傾向だったものの、多くの人が検出可能な量の中和抗体を有していた[イギリス株(6ヵ月:88.4%、12ヶ月:84.4%)、ブラジル株(同:85.6%、同:81.6%)、南アフリカ株(同:75.2%、同:74.8%)、インド株(同:80.4%、同:75.2%)]。 ・変異株の場合は軽症・無症状者の抗体保有率が低く、南アフリカ株やインド株の抗体保有率は70%前後だった。 また、山中氏はモデルナ製ワクチンの海外データ1)を踏まえ「ワクチン接種を行うことで自然感染と同様の中和抗体が残っている可能性が示唆されている。自然感染者よりワクチン接種者のほうが効率よく中和抗体を上げることができるので、1年後に再接種し免疫強化を図るのが良いのでは」とも見解を述べた。

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ワクチン接種後の手のしびれ、痛みをどう診るか(1)

前回、ワクチン接種後に生じる可能性のある末梢神経障害や、SIRVA(Shoulder Injury Related to Vaccine Administration:ワクチン接種に関連する肩関節傷害)について解説しました。今回はワクチン接種後にこれらを疑う症例について、より実際に即したお話をしたいと思います。<今回のポイント>神経に穿刺した場合、“どこに注射したか”“何を注射したか”“損傷の形態”さらに“心因的な要素”などによって症状は異なる。神経を損傷したわけではなくても、注射の後に手の痺れを訴えることがある。末梢神経損傷やSIRVAについて、ワクチン接種に従事する医療者は知っておいたほうが良いのでしょうか?前回も述べたように、私たちが提案した安全なワクチンの筋注方法に従って注射する限り、末梢神経損傷やSIRVAは心配しなくても良いと考えています。とくに今回のような状況下では末梢神経損傷やSIRVAについては、せいぜい「そんな副反応もあるのだな」程度の知識で十分ではないでしょうか。それよりもワクチン接種会場では適切な問診の対応ができること、さらに厚生労働省が示すように、「アナフィラキシー」「血管迷走神経反射」といった副反応への対処のほうが大切でしょう。しかし、従来通り肩峰下三横指以内に筋肉注射する手技を選択するのであれば、少なくともSIRVAという疾患概念については知っておくべきではと思います。その部位に接種することによって障害が発生するリスクが指摘されているからです。針で神経を刺してしまうと、必ず麻痺が起こるのでしょうか?“どこに注射したか”“何を注入したか”“神経損傷の形態”さらに“心因的な要素”などによって症状は大きく異なると考えます。まず“どこに注射したか”ですが、たとえば、手関節の橈側での静脈穿刺は、橈骨神経浅枝損傷のリスクがあります1)(図1)。(図1)画像を拡大する2021年現在、判例等によると、手関節から12cm以内の前腕橈側での静脈穿刺は、橈骨神経浅枝の損傷に対して医療側の過失を問われる可能性が高い。実際にCRPS(複合性局所疼痛症候群)を発症し、病院側が敗訴した判例もあります2)。この部位での採血や静脈路確保による橈骨神経障害は、ほかの部位と比べると症状が強く発現しやすくトラブルに発展しやすいため、極力避けるべきだと個人的にも思います。ワクチン接種と関連した上腕の部位だと、腋窩神経は終末近くを分岐する運動神経で症状が出にくく、橈骨神経では手の一部を支配する感覚神経と運動神経双方の線維を含むことから症状が現れやすいと言えます。一方で、私たち整形外科医や麻酔科医は腕神経叢や坐骨神経に対して神経ブロックを行う際に末梢神経を針で刺し、局所麻酔薬を注入します。確かに神経に針を刺せば、部分的な軸索の損傷を生じる可能性があります。しかし、通常神経ブロックを行う部位への局所麻酔薬の注射では、永続的な神経障害の危険性はかなり低いと考えられています。もちろん注入する薬剤の種類や濃度によっては、注射部位によらず神経の障害を起こしうるでしょう。“何を注射したか”薬剤の種類によって神経毒性はまったく異なります。とくにワクチンは局所の炎症を引き起こすので、誤って末梢神経に注入するようなことは避けるべきでしょう(図2)。(図2)画像を拡大する末梢神経に対する局所の毒性は薬剤によって大きく異なる。「神経ブロックでよく穿刺しているから、ワクチン接種で穿刺しても大丈夫」とはならない。さらに知っておきたいのは、実際にはさまざまな“神経損傷の形態”があるということです。古典的なSeddon分類に従って考えても、一時的な圧迫による伝導障害、神経幹は断裂していないが軸索が損傷している状態、神経幹自体が断裂している状態など、神経損傷の程度や回復の見込みもさまざまです(図3)。(図3)画像を拡大するそれぞれの末梢神経は、図に示す神経線維の束である神経束がさらに束になったものである。実際には部分的な神経束の損傷など、さまざまな形態が存在する。ですから実際の患者さんが教科書に書いてあるような典型的な麻痺の症状を必ず呈するとは限りません。たとえば、単純に『肩が自動運動で挙上できるので、腋窩神経損傷は否定できます』などとは言えないわけです。末梢神経を傷つけた場合、ほとんど無症状の場合から、異常な感覚を訴える場合、あるいは筋力低下を明らかに示す場合など、さまざまな症状が生じ、整形外科医でも判断に迷うことはよくあります。注射後に手の痺れを訴える人もいるようですが、神経損傷あるいは気のせいでしょうか。神経損傷やSIRVAを生じる可能性は、全体的に見ると低いものです。SIRVAの場合、4月30日時点での厚生労働省の「医療機関からの副反応疑い報告について」3)を参照すると2件の副反応疑いとして報告(ワクチン接種関連肩損傷[ワクチン投与関連肩損傷])があります。もちろん何千万という単位で行われる集団ワクチン接種が今回日本で初めて筋肉注射という形で行われているので、確率の低い合併症であっても日本全体で見ると今後問題となるかもしれません。神経障害については、まだはっきりとした発生頻度は分かりません。上記の厚労省報告では、さまざまな症状の中で「感覚異常(感覚鈍麻)」と記載されているものは100例以上あるようです。しかし、ワクチン接種後に腕のしびれや肩の痛みなどの症状があっても、それをすぐに末梢神経損傷やSIRVAといった診断や被接種者への説明に結びつけるべきではないとも思います。 奈良県立医科大学附属病院では、これまで約4,000人の医療従事者に対して2回の新型コロナウイルスワクチン接種が研修医によって行われました。副反応のうち、肩や腕など接種部位に関連する症状について診察を必要とすると判断された被接種者については、私の外来を受診してもらっています。本病院ではわれわれが作成した筋肉注射手技マニュアルに従った接種方法を研修医に行ってもらいましたが、現在のところ末梢神経損傷やSIRVAを疑う被接種者はおりません。しかし、腕のしびれや痛みを訴えて受診された方は数名いました。実はインフルエンザワクチン接種や採血、あるいは研修医同士の採血の練習などにおいて、明らかな末梢神経の損傷を示す所見はないのに、「腕や手の痺れを訴える」というケースが毎年あり、珍しいものではありません。腕に注射をされた際、一時的に「なんとなく腕や手に軽い違和感」を自覚したものの、そのあとは「とくに何もしなくても元に戻った」と感じたことがある人は多いのではないでしょうか。このような一時的な痛みや痺れは、ほとんどの場合臨床上問題なく自然治癒するものなのですが、中には医療従事者の対応も含めた“心因的な要素”も重なり、CRPS(複合性局所疼痛症候群)を疑うような強い痛みに発展してしまう患者さんもいます。ただし、稀に本当の神経損傷がまぎれ込むこともあるので、慎重な診察が必要です。このあたりの問題については、次稿で解説します。1)渡邉 卓編. 日本臨床検査標準協議会. 標準採血法ガイドライン(GP4-A3). 2019.2)Medsafe.Net: No.400「点滴ルートの確保のために左腕に末梢静脈留置針の穿刺を受けた患者が複合性局所疼痛症候群(CRPS)を発症。看護師が、深く穿刺しないようにする注意義務を怠った結果、橈骨神経浅枝を損傷したと認定した高裁判決」3)厚生労働省:医療機関からの副反応疑い報告について(予防接種法に基づく医療機関からの副反応疑い報告状況について [令和3年2月17日から令和3年4月25日報告分まで])

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アントラサイクリン心筋症 見つかる時代から見つける時代へ【見落とさない!がんの心毒性】第2回

連載の第1回では、循環器医ががん医療に参画し始めた背景について向井先生が解説しました。第2回ではアントラサイクリン心筋症・心不全にも新たなアプローチが求められていることについて、大倉が解説します。重篤な心不全で見つかる時代から、そうなる前に見つける時代になったことを感じていただければ幸いです。アントラサイクリンによる心不全は3回予防できるドキソルビシンが1975年にわが国で使われ始めて、もうすぐ半世紀が経とうとしています。よく効くので、今尚がん医療の現場で広く使われています。心毒性があるため心機能異常またはその既往歴のある患者には禁忌です。とはいえ心臓病でもアントラサイクリンを使わざるを得ない状況は患者の高齢化とともに増加傾向にあります。献身的ながん医療の成果が10年生存率の改善(58.3%)という形で表れています。一方、一部のアントラサイクリン使用患者では、心毒性により化学療法を中断したり、QOL(生活の質)が損なわれたりしています。心不全で亡くなることもあります。循環器医は“アントラサイクリンによる心不全は早期発見で3回予防できる”と考えています。(1)心機能の低下予防 (2)心不全の発症予防 (3)慢性心不全の増悪予防の3回です(図)。実際のところ、がん医療の現場でこの考え方はあまり共有されていません。そのため1回も予防されずに重症化した心不全がん患者を診ることもあります。(図)心不全の進展ステージとアントラサイクリン心筋症の予防機会画像を拡大する2021年3月、“脳卒中と循環器病対策基本法”の行動計画の核心である脳卒中と循環器病克服第二次5ヵ年計画が公表されました1)。心不全は重要3疾患の1つに掲げられ、悪性腫瘍に合併する心不全の管理も重点項目として指定されました。“心不全は予防と早期発見”という考えが国民に向けて発信されることで、がん医療にも徐々に馴染んでゆくものと思われます。発生率と危険因子アントラサイクリンによる心機能障害は用量依存性に発生します。ドキソルビシン換算で累積投与量が 400 mg/m2で3~5%、550 mg/m2で7~26%、700 mg/m2で18~48%に起こります2)。累積投与量以外にも、65歳以上の高齢者、小児、胸部・縦隔への放射線照射、トラスツズマブなど心毒性を有する他の薬剤の使用、基礎心疾患の既往や合併、心血管リスク(喫煙、高血圧症、糖尿病、脂質異常症、肥満)の合併などで、起こりやすくなるため注意が必要です。この段階で併存心疾患や心血管リスクを治療し心機能低下を予防します3)(図:1回目の予防)。近年、ゲノムワイド関連解析(GWAS:genome-wide association study)により、拡張型心筋症の原因となる遺伝子変異の一つで、サルコメア蛋白のタイチンをコードする遺伝子の切断型変異(Titin-truncating variants)があると、アントラサイクリンの心毒性に対して脆弱になることが報告されました4)。5ヵ年計画にはファーマコゲノミクス(PGx)の推進が盛り込まれており、抗がん薬の心毒性に関与する遺伝子を5年間に2個同定しようとしています。Onco-cardiologyの分野でもゲノム医療が始まろうとしています1)。心毒性の機序アントラサイクリンは一部の患者に不可逆的な心筋障害を起こします。失われた心筋細胞が復活することはありません。ミトコンドリアの鉄の蓄積と活性酸素の過剰な産生を惹起し、ミトコンドリアや細胞内小器官が障害されます。DNAの修復に欠かせないトポイソメラーゼIIβを阻害し、DNA二重鎖切断とアポトーシスを誘導します。心筋細胞の恒常性に欠かせない周囲の血管内皮細胞も障害され、後々の心筋細胞の適応性や生存性の低下に繋がります。心筋の線維芽細胞や前駆細胞も複雑に関与しています4)5)。経過・治療古典的には心毒性は急性、慢性早期、慢性晩期に分類されていました(表1)。(表1)アントラサイクリンによる心毒性の古典的な臨床分類画像を拡大する現在では、詳細な経過観察により、心筋細胞レベルの障害が最初に起きて、それが潜在進行性の心機能低下を惹起し、代償機転が破綻して心不全に至るという連続性が確認されています。心不全を起こす患者では、アントラサイクリン投与後に、血清トロポニンが一過性に上昇し、左室駆出率(LVEF)が低下します。心保護薬で治療すると、ほとんどの患者でLVEFは不完全ながら回復傾向を示しますが、一部の患者はLVEFが悪化して、心不全を発症します。Cardinaleらによれば、アントラサイクリン投与後に9%の患者に心毒性(LVEF50%未満への低下)が認められました。心毒性の98%は化学療法終了後1年以内(中央値3.5ヵ月)に現れました。エナラプリルとカルベジロールで治療をすると82%に回復傾向を認めました6)。無症候性心機能低下(図:ステージB)のうちに発見し、心保護薬で予防をすることで悪化を食い止め、心不全(図:ステージC)を予防できます(図:2回目の予防)。そのため、ここでの介入が最も効果的と考えられています。しかし、この予防機会を失えば、心不全を発症します。こうなると、非可逆的な心筋障害であるため、治療に難渋し、ステージDへの進行を防げない可能性があります。潜在患者の早期発見に有用な検査定期的に全員に心エコーをすれば早期発見は可能ですが、医療資源は限られているため、ハイリスク群を優先することが欧米の腫瘍学会でコンセンサスを得ています(表2)。(表2)最新ガイドラインに見るアントラサイクリン使用に関連した強い推奨[A、B]画像を拡大するリスクの層別化には、アントラサイクリン治療後のトロポニン測定に期待が寄せられています。上昇しない患者はその後の心不全が起きにくいことが分かっており、心エコーの頻度を減らすことができます7)。一方、上昇し、その後も上昇が持続する患者では、心不全が起きやすいため、心保護薬を開始したり、心エコーの頻度を増やしたりします。わが国の保険制度ではそのようなトロポニンの使われ方は認められておりません。採血のタイミングやカットオフ値の標準化については今なお研究段階です。アントラサイクリン治療を終えて数ヵ月以上経過している患者の心不全の早期発見は、危険因子による層別化や、BNPやNT-proBNPによる補助診断に頼ることになります。フラミンガムの一般住民を対象にした疫学調査によると、BNP はLVEF40%以下の心機能低下に対する感度は良好でしたが、LVEF50%前後に対してはよくありませんでした8)。ステージBの中でもCに近い患者の検出には使えそうです。BNP検査によるアントラサイクリン心筋症の早期発見については、小児やAYA世代のがんサバイバーでの有用性については否定的な報告があります9)。それでも特性を理解すれば、たいへん便利な検査ですので、BNP検査については正書や学会ホームページをご覧ください10)11)。心エコーでは、無症候性心機能低下(ステージB)の中で、更に早い段階の異常を捉えようとしています。スペックルトラッキング法を用いたGlobal longitudinal strain (GLS)は、薬剤性心筋障害をLVEFよりも早期に感度良く検出できるようです。欧米の腫瘍学会ガイドラインでも測定を推奨していますが、人間の感覚を超えた領域なので慣れるのに時間がかかりそうです12)。心機能低下はがん治療終了後1年以内に始まるので、半年後と1年後の心エコーを推奨していますが、異常を見落としたり、その後に異常が明らかになることもあるため、その後のフォローも欠かせないでしょう。フォローの内容や間隔については、危険因子が多いほど綿密にします。なぜ重症化してから見つかるのか?「患者や医師が、息切れ、むくみ、疲れ易さを、がんのせいと勘違いする」「医師や薬剤師が累積使用量の上限を超えなければ心不全は起きないだろうと油断もしくは勘違いする」「がん治療が済んで患者がフォローアップされなくなる」「フォローされてもクリニックの先生方と心不全への懸念が共有されない」などが原因で、発見が遅れ重症化の引き金になると考えられます。慢性晩期のアントラサイクリン心筋症には、認識不足や連携の脆弱さといった医療システムの問題が少なからず関係しています。心不全全般に言えることですが、脳卒中や心筋梗塞や糖尿病と比べ、心不全についての認知度が低いことは、かなり前から指摘されており世界共通の課題でした13)。アントラサイクリンで治療した患者に、心不全のセルフチェックを促すには、心不全についての知識の普及が肝要です。心不全発症に早めに気づいて治療することで重症化が予防できます(図:3回目の予防)。今、試されるチーム力最新のESMOガイドライン2020では“がんサバイバーから目を離すな”とうたっています。アントラサイクリンで治療した乳がん患者で薬剤性心筋障害を起こすのは、3~6%程度ですが、軽んずることなく解決への道を開けば、将来の患者の利益になります。院内ではがん診療科と多職種の連携が解決への糸口となり14)、晩期障害の早期発見にはクリニックの先生方の協力が不可欠です。地域医療への知識の普及には、大学や医師会の役割りが大きいです。システムの問題が心不全に関与しているのならば、システムを修正すれば良いのです。心不全についての知識は一般の方には伝わりにくいことが世界共通の課題ですが、“脳卒中と循環器病対策基本法”の下、行政による後押しで国民への啓蒙が始まろうとしています。高齢化に伴い、がん患者の心臓病が増加しています15)。がんと心不全の古くからの関係は新しい時代を迎えました。1)日本脳卒中学会・日本循環器学会編. 脳卒中と循環器病克服第二次5ヵ年計画 ストップCVD(脳心血管病)健康長寿を達成するために. 20212)Zamorano JL, et al. Eur Heart J. 2016;37:2768-2801.3)日本腫瘍循環器学会編集委員会編. 腫瘍循環器診療ハンドブック. メジカルビュー社;2020.p10-11.(赤澤 宏 心機能障害/心不全 アントラサイクリン系薬剤)4)Garcia-Pavia P, et al. Circulation. 2019;140:31-41.5)Kadowaki H, et al. Circ J. 2020;84:1446-1453.6)Cardinale D, et al. Circulation. 2015;131:1981-1988.7)Cardinale D, et al. 2004;109:2749-2754.8)Vasan RS, et al. JAMA. 2002; 288:1252-1259.9)Michel L, et al. ESC Heart Fail. 2020;7:423-433.10)猪又孝元ほか The Manual心不全のセット検査. メジカルビュー社;2019.11)日本心不全学会:血中BNPやNT-proBNP値を用いた心不全診療の留意点について12)日本心エコー図学会編.抗がん剤治療関連心筋障害の診療における心エコー図検査の手引13)Okura Y, et al. J Clin Epidemiol. 2004;57:1096-1103.14)日本腫瘍循環器学会編集委員会編. 腫瘍循環器診療ハンドブック. メジカルビュー社;2020.p.176-178.(大倉 裕二、吉野 真樹 腫瘍循環器診療における連携のコツと工夫 多職種連携)15)Okura Y, et al. Int J Clin Oncol. 2019;24:983-994.講師紹介

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