5.
外国人がやってきたPoint自らの偏見を自覚しよう。医師である前に、人間であれ。家族の支援を上手に活かそう。外国人を迎える環境を整えよう。症例「先生、患者さんのトリアージをしてきたのですが…」と、看護師さんが険しい表情で報告に来た。何でも患者さんはブラジル出身の労働者らしく、まったく日本語が話せないという。職場の友人が付き添いに来ているが、その人の日本語も覚束ない。身振り手振りを交え、辛うじて頭痛が主訴であることを突き止めたとのことだった。それを聞いた研修医は、俄然燃えてきた。「ブラジルの人ならサッカーの話とか盛り上がるだろうな。ちょうどブラジル代表のユニフォームが手元にあるから着ていこう。そして、ブラジルといえばサンバ! 故郷の音楽で迎えればきっと喜ぶぞ。問題はポルトガル語だけど、翻訳アプリもあるし、まぁ何とかなるだろう」。準備万端で患者さんを診察室へ案内すると、面食らった様子を見せたのも束の間、すぐに悲壮な表情で何かを叫び出した。ど、どうしたんだ? 早速翻訳アプリを起動! えーっと、何々? 「片頭痛の私にどぎつい色を見せたり、騒音を聞かせたり。一体何の嫌がらせだ!」なるほどねぇ…。おさえておきたい基本のアプローチ法務省出入国在留管理庁の統計によると、2020年6月現在でわが国に居住する外国人は289万人。日本の人口の2.3%を占める。100人とすれ違えば2人は外国人という割合だから、今やどの医療機関でも外国人の診療は避けては通れぬ課題だろう。そして、必ずといっていいほど立ちはだかるのがコミュニケーションの障壁だ。しかし、そもそもなぜわれわれはコミュニケーションがとれないとストレスを感じるのだろうか? それはとりもなおさず、良質な医療を提供できないからだ。すでに多くの研究で、理解度や満足度のような短期的効果から、意思決定や自己管理のような長期的効果、さらには費用対効果に至るまで、コミュニケーションは医療の質と密接に関連することが示されている。つまり、日々外国人の診療にストレスを感じているあなたは偉い! なぜなら、それは常に良質な医療を提供しようと努めている証拠だからだ。そして、そんな課題を克服すべく、外国語や異文化を積極的に学ぼうとしているあなたは、もっと偉い!とはいえ、独りよがりな学習に陥っていないかどうか注意が必要だ。Curtisらによると、安易な異文化学習はかえって偏見を助長するという。本来、患者一人ひとりには個別の対応が必要であるにもかかわらず、付け焼刃の知識をつけてしまうと、過度に単純化した見方をしてしまうためだ。外国人診療でも、患者中心の医療を忘れてはならないとの戒めと受け止めたい。何よりもまず大事なことは、1人の人間として患者を扱うことだ。患者の立場に立って考えてみよう。すると、患者も試行錯誤を重ねていることに思い至る。まず、異国の病院という未知の空間に勇気を振り絞って足を踏み入れる。そこで症状を伝えようとするが、今ひとつニュアンスが伝わらない。身振り手振りでようやく伝わったかと安堵する間もなく、母国の慣習とは相容れない対処法を提案されて仰天する。しかし、そこをこらえて甘んじて受け入れることもあるだろう。まして入院が必要となれば、煩雑な手続きに目を回しながら、職場にどう報告したものかと悩むことになり、そのストレスたるや想像するに余りある。このような患者の煩悶に注意を払い、理解に努め、解決に向かって適切に導こうと勤しむ姿勢こそが最も重要だ。患者の努力に無頓着では、信頼関係の構築など望むべくもない。診療とは、価値観が異なる患者と医療者の歩み寄りの過程である。そこに正解もゴールもない。相互理解へのたゆまぬ努力こそが意味ある治療体験へつながる鍵なのだ。外国人のケアは骨が折れるが、素晴らしくも喜びに満ちた得難い経験にもなりうる。ぜひとも前向きに取り組んでみよう。落ちてはいけない・落ちたくないPitfalls「あの外国人、何を説明してもいちいち異論を挟むんだよ。まったく、清濁併せ呑む寛容さがあってほしいよね」はたして、寛容さが足りないのはどちらだろう。異文化に臨む態度や考え方の総体を、異文化適応力(cultural competency)という。その異文化適応力に最も必要なのは、異文化に関する知識でもなければ技術でもない。自らに内在する先入観や思い込みに気付き対処する力だ。考えてみれば、われわれは沢山の「当たり前」のなかで生きている。ただでさえ察しと思いやりの文化といわれ、数々の「当たり前」を求めることの多い日本社会。まして医療現場では、医療界独特のさまざまな「常識」を患者に強要していることは、外国人相手でなくても日々痛感していることだろう。せっかく身につけたコミュニケーション能力も、手前勝手な「当たり前」を患者に押しつけるための手段になっているようでは残念だ。患者は耐え難きを耐えながら、異国の医療と何とか折り合おうと必死なのだ。そこへ医療者が片務的な努力を押しつけているようでは相互尊重など夢のまた夢。素人の患者と専門家の医療者では、どうしても患者側の立場が弱くなりがちなのだから、医療者側がより多く譲歩すべきなのはいうまでもない。異文化よりもまず、自分の文化が及ぼす影響力を自覚すべきだ。そのためには、徹底的に自身を客観視する必要がある。自分自身が偏見を抱いていないか常に問いかけ、無自覚な「当たり前」の構造に敏感になろう。この現在進行形の内省過程が異文化適応力を醸成するのだ。Pointまず、自らの偏見に批判的であるべし「え、娘さんが近々ご結婚なさる? そんなことより、治療について説明させてください」異文化コミュニケーションで次に大事なのは、人間性だ。親切さや真摯さといった、人間として基本的な態度が欠かせない。患者を人として見ず、病のみに注目しているようでは逆効果。患者をかけがえのない1人の人間として敬い接するならば、あいさつはもちろん、笑顔を絶やさず、何気ない雑談にも共感し、文化の違いに触れた際には驚きと関心をもって傾聴したり質問したりすることになるだろう。些細な経験も共有し、患者のために時間を使い、積極的に患者から学ぼうとする。そんな医療者の心意気に触れたとき、患者は真剣に治療してもらえていると感じるものだ。Point医師である前に、人間であれワンポイントレッスン言語能力当然ながら、言語能力はコミュニケーションの重要な位置を占める。その言語能力でとくに注目すべき要素は、正確さ、明瞭さ、巧みさの3つだ。流暢に思えても内容が支離滅裂な場合もあるため、TOEFLなどの実力判定試験で客観的に正確さを評価しておくことが望ましい。明瞭さでは、ゆっくりと簡潔に話すことを心がけよう。巧みさとは、専門用語を使わずに話す、問題点を整理して説明する、さまざまな角度から表現するといった技術だ。スマホアプリの翻訳ツールを活用しようやっぱりきちんと会話したいよね。情報技術の長足の進歩により、今や手軽に翻訳ツールを利用できるようになった。スマホアプリの「Google翻訳」は100種類以上の言語を瞬時に翻訳できる代物だが、これが無料でインストールできるからありがたい。早口だったり複雑な文章だったりすると誤訳も起こりやすいが、前項で述べた明瞭さを心がければ、さほど問題なく使用できるだろう。Google翻訳話しかけてもよいし、カメラで言語に照らし合わせるだけで翻訳してくれるVoiceTra話しかけるだけで翻訳してくれる視聴ツール視聴覚に訴えるのも有効な手段だ。その場でイラストを描いて説明するのもよいし、今やインターネットを開けば、患者教育目的に有志が作成したパンフレットや動画が簡単に手に入る。これらを利用しない手はないだろう。非言語コミュニケーション表情や身振り手振りも情報伝達に欠かせない要素だ。ただ、同じ動作でも文化によって意味合いが異なることがあるので注意。たとえば適切な言葉が思い浮かばないときに宙を見上げたり手をグルグル回したりするのはわれわれ日本人にありがちな仕草だが、会話の内容と全く関係ないこれらの挙動は、外国人の目にはとても奇怪に映るという。場数を重ねて何度でも失敗しながら、少しずつ学んでは修正していきたい。teach-back患者の理解度を確かめる方法として、よく推奨されるのがteach-backだ。患者に、理解できたことを自分の言葉で説明してもらう。もし誤解があれば、その都度修正して説明し直してもらう。時間はかかるものの、効果は絶大だ。IAT(Implicit Association Test:潜在連合テスト)無意識の先入観を自覚するためのツールとして、異文化適応力の分野でしばしば取り上げられるのがIATだ。日本語版の無料サイトもあり、1テーマ当たり10分程度で判定できる。時間のあるときにでも挑戦してみてはいかが?チェックリスト残念ながら現段階では、異文化適応力のガイドラインもなければ、標準的な評価法も存在しない。しかしながら、独自のチェックリストを発案した論文があったので表に示した。ただし、これらすべてを完璧に実行するのは難しく、あくまでも努力目標だ。状況に応じて参照し、1つでも多く実践できるように頑張ろう。表 異文化適応力向上のためのチェックリスト1.まず、手を洗おう2.患者を1人の人間として扱おう3.自分自身が抱く無意識の先入観に気付こう4.患者に、自分の言葉で理解したことを説明してもらおう5.患者が自分自身の病状をより深く理解できるように支援しよう6.患者の家族・友人を歓迎しよう7.当該言語のキーフレーズを学ぼう8.可能な限り良質の翻訳をしよう9.流暢さよりも正確さを重視しよう10.翻訳者とともに働き学んでいこう11.患者の理解力に配慮しよう12.患者の権利と責任を知ろう13.質問を励行しよう14.患者の不満には真摯に向き合おう15.セカンドオピニオンを提案しよう16.異文化適応力に長けた施設環境を維持しよう17.患者満足度や転帰のデータを解析し、具体的な行動につなげよう18.患者満足度アンケートを漏れなく記入するよう励行しようWhite AA 3rd, Stubblefield-Tave B. J Racial Ethn Health Disparities. 2017;4:472-479. より作成知らなかったは落とし穴! こんな仕草はNGだところ変われば、ジェスチャー1つとっても大きく意味が変わる。誤解を生まないように、外国人との会話では、ジェスチャーは控えたほうがいいかもね。ブラジルでは親指を人差し指と中指の間にはさむ握りこぶしは「幸運を」という意味だけど、日本では性的な意味になってしまい、どっちもどっちなんだけどね。ピースサイン・逆ピースサイン「高校生か!」とツッコミを入れたくなるような写真の嬉しそうなポーズのピースサイン。日本や米国では平和のサインだけど、ギリシャでは「くたばれ!」という意味。掌を自分に向けた逆ピースサインは、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドでは「侮辱」の意味なんだ。いいねサイン親指をあげるサインはFacebookなどでも使われる「いいね」サイン。でも中南米、ギリシャ、イタリア、中東、西アフリカなどの一部では、中指を立てるのと同じ「侮辱」の意味になっちゃうのでやらないほうがいい。中東では「おまえの肛門に突っ込んでやる」という非常に下品な意味になっちゃう。親指を下向きにするのは、ブーイングのときにする侮辱の意味がある。元々は競技場で敗者を殺せの意味だったというから恐ろしい。OKサイン米国でのOKサインは、日本ではOKのみならず、お金を意味することがあるよね。ところが、ブラジル、スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコ、ロシアなどでは、性的な侮辱になる。フランスでは「役立たず、価値がない」という意味になる。そんなぁ、知らないよねぇ。小指を立てるサイン日本では「彼女」や「恋人」の意味になるが、中国では「出来の悪い奴」という意味になってしまう。それと対比して親指は「立派な人」という意味になる。手をあげる「おーい」、「はーい」など手をまっすぐあげる動作は日本ではよくするものの、ドイツではナチスドイツを想起させるため、子供のころから絶対やってはいけないポーズなんだ。勉強するための推奨文献自治体国際化協会. 多言語指さしボード.多言語指差しボードを置いておけば、外国人がどの言語を話すのか確認できる。英語、中国語(簡体字)、韓国語、ベトナム語、ネパール語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語、ロシア語、タガログ語、インドネシア語、中国語(繁体字)、タイ語、ミャンマー語に対応。ピクトグラムもありわかりやすい。A4用紙にプリントアウトしておくと便利。厚生労働省. 「外国人患者の受入れのための医療機関向けマニュアル」について.厚生労働省. 外国人向け多言語説明資料 一覧.厚生労働省, メディフォン. 外国人患者受け入れ情報サイト.Filler T, BMC Public Health. 2020;20:1013.Elana Curtis, et al. Int J Equity Health. 2019;18:174.Degrie L, et al. BMC Medical Ethics. 2017;18:2.White AA, Stubblefield-Tave B. J Racial Ethn Health Disparities. 2017;4:472-479.執筆