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酔いがさめたら、うちに帰ろう。(前編)【アルコール依存症】

今回のキーワード進化医学報酬系(ドパミン)問題飲酒(プレアルコホリズム)否認共依存心の居場所毒をもって毒を制すアルコール依存症の映画とは?皆さんは、アルコール依存症の人たちとかかわったことはありますか? 彼らは、なぜアルコール依存症になるのでしょうか? そもそもなぜアルコール依存症は「ある」のでしょうか? そして、どうすれば良いのでしょうか?これらの疑問を解き明かすために、今回、2010年の映画「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を取り上げます。 この映画の原作者は、「毎日かあさん」などを代表作とする漫画家の西原理恵子さんの元夫です。実際にアルコール依存症になり、最後は末期がんが判明するまでの彼とその家族の様子が赤裸々に描かれ、 笑いと共感を誘います。また、描写が忠実であるため、アルコール依存症の理解を深める教材としても最適です。 この映画を通して、依存症の心理を、進化医学的な視点で解き明かし、回復のポイントを探っていきましょう。どんな症状がある?―表1主人公の安行は38歳の元戦場カメラマン。 本を書いたことはありましたが、定職には就かず、毎日、酒をひたすら飲み続けてきました。 彼は、それを「朝から晩までのノンストップの飲酒マラソン」と言い表します(連続飲酒)。 かつて、酒を飲んでは妻の由紀に絡み、暴言を吐き、引っぱたくなどの暴力を振るい、 挙句の果てに、妻が一生懸命に描いた大切な漫画の原稿を破り捨てたことがありました(脱抑制)。 そして、「(実の子どもたちを)おれの子じゃねえ」「太田(安行の親友)とやったんだろ!?」と言い出し、怒り出したこともありました。 アルコール依存症の人は、自分に引け目があるため、妻が自分に愛想を付かせて浮気をするのではないかという不安から妄想に発展しやすくなります(嫉妬妄想)。現在、安行は、由紀とは離婚し、2人の子どもとも別れて、実家で母親と暮らしています。居酒屋では飲み過ぎて気を失い(ブラックアウト)、嫌がる店員たちに介抱されます。意識がもうろうとする中、介抱する由紀と子どもたちの幻覚が現れます。帰り道に酒を買い、自宅でさらに飲み続けると、「何とかなるよ、まあ酒でも飲めよ」という自分に都合の良い幻覚も現れます(願望充足型の幻覚)。 その後、失禁をして、吐血もします。吐血(食道静脈瘤破裂)はとうとう10回目に達していました。安行は、断酒を決意します。クリニックで処方された抗酒薬(アルコールを飲むと体調不良になる薬)を飲むのですが、それも束の間。すぐにお酒が欲しくてたまらなくなり(渇望)、ふらふらと探し求め(探索行動)、けっきょくお酒を飲んでしまいます。そして、抗酒薬の効き目で倒れてしまいます。安行の様子は、以下のアルコール依存症の診断基準に照らし合わせると、11項目のほぼ全てを満たしています。安行は、典型的なアルコール依存症です。表1 アルコール使用障害(アルコール依存症)の診断基準(DSM-5) 精神依存身体依存耐性項目(1)長期間で大量の摂取(2)コントロールの失敗(3)探索行動(4)渇望(5)無責任(6)対人的問題(7)のめり込む(仕事や他の娯楽の放棄)(8)身体的な危険性(9)身体的または精神的問題(10)離脱(11)耐性備考上記11項目中2つ以上苦痛があるなぜアルコール依存症になるの?―表2由紀の友人の医師が「(原因は)環境もありますね」「挫折感とか劣等感とかそういったものが引き金になることもある」と言います。ここで、安行がアルコール依存症になった原因として、その危険因子を、個体因子と環境因子に分けて、整理してみましょう。(1)個体因子個体因子としては、まず体質(生物学的感受性)、つまりアルコールの欲しやすさ(嗜癖性) が挙げられます。これは、お酒が好きになる人とならない人という個人差です。嗜癖性が強ければ強いほど、機会飲酒から習慣飲酒、そして連続飲酒に至りやすくなります。昨今の双子研究や養子研究により、酒好き(嗜好性)は約50%遺伝することが分かっています。実際に安行の父親もアルコール依存症でした。さらに、アルコール摂取が1日5合以上、週5日以上、5年以上で多くの人はアルコールをやめられなくなる、つまりアルコール依存症になることが指摘されています。一方、法律で禁止されている覚醒剤は、一度摂取するとすぐにやめられなくなります。つまり、アルコールは、欲する体質に加えて、量と時間をかけることで、人にとって覚醒剤と同じものになってしまうということです。 もう1つは、アルコール依存症に関連した独特の気質、つまりアルコール依存症ならではの性格(パーソナリティ特性)が挙げられます。これには、3つの特徴があります。1つ目は、ついやってしまう軽々しさです(衝動性)。安行は、10回目の吐血をした時、由紀に「あーごめん、またやっちゃったよ」と謝ります。断酒を誓って抗酒剤を飲んだ直後、食べた奈良漬けのアルコール分が引き金となり、「たかがビールだもんな」「大丈夫だよ、これくらい」とつい飲んでしまいます。また、入院中に、制限されている食事であると言われているのに、診察中に「(回復の兆し)だったらカレー食わせろよ!」と主治医につい怒鳴っています。この特徴は、注意欠如多動性障害(ADHD)との関連も指摘されています。2つ目は、とても寂しがり屋であることです(愛着不全)。安行は再び飲んでしまう直前に、由紀と子供たちと別れて「寂しいよ」「悲しい」とつぶやいています。この特徴は、 反応性愛着障害との関連も指摘されています。3つ目は、助けを当てにすることです(依存性)。安行は、「ほんとのほんとに(酒を)やめるよ」と断酒の宣言を繰り返しています。飲んだ直後に、抗酒薬の影響で、倒れて頭を打って流血して、由紀と母親にまた迷惑をかけた時、呆れて何も言わない2人に向かって「なんか言わないの?」「説教とかないんだ」と物足りなく感じています。説教されることで関係性が保たれ、今後も助けてもらえる保証を得たいのです。この特徴は、依存性パーソナリティ障害との関連も指摘されています。 これらの性格の傾向が強ければ強いほど、お酒をやめられなくなります。さらに、長期間の大量の飲酒によって、頭の働きが弱まり(認知機能障害)、この特性がますます際立っていくのです。(2)環境因子環境因子としては、まずストレスが適度に一定ではないことが挙げられます。安行は、もともと戦場カメラマンです。危険な仕事であることやフリーランスで収入が不安定であることは大きなストレスです。そのストレスが多ければ多いほど、そのストレスを和らげるための飲酒量が増えていきます。それでは、逆にストレスが全くない状況が良いでしょうか? 仕事をしていないなどやることがない状況では、刺激を求めて暇つぶしで飲酒量が増えてしまいます。これは、仕事人間だったサラリーマンが退職後に暇を持て余して、朝からお酒を飲み続けてしまうことと同じです。つまり、ストレスは、多すぎることもなく少なすぎることもなく、適度で一定であることが望ましいのです。もう1つは、アルコール依存症を助長する周りとの独特な人間関係(共依存)が挙げられます。これには、3つの特徴があります。1つ目は、周りが流されやすいことです(同調)。母親のかかわり方をみてみましょう。安行が病院で3日ぶりに目覚めて起き上がろうとすると、母親は「だめ!ベッドで安静にって言われてる」と言いつつ、「ちょっとだけ上げてみよっか」と言います。この「ちょっとだけ」は依存症の人たちやその家族がよく使うキーワードです。「だめなものはだめ」とは対照的な言い回しです。2つ目は、周りが助けすぎることです(過保護)。母親は「そんなに死にたけりゃ独りでどっか行って勝手に死んでちょうだい」「家族を巻き添えにしないで」「あとはどうとでも好きにすればいいわ」と厳しく言っていますが、無職の安行を実家で養い、酒を買う金を与え、毎回、トラブルが起きると助けます。入院中も付きっきりです。放っておかずに、毎回、巻き込まれています。言っていること(言語的コミュニケーション)とやっていること(非言語的コミュニケーション)が一致しません(ダブルバインド)。このような状況では、やっていることの方がまさって伝わるため、けっきょく厳しい言葉に逆の意味が込められてしまいます。それは、このパターンが繰り返されることで、「(なんだかんだ言うけど)けっきょくどんな時もあなたを助けるわよ」という逆のメッセージとして強調されて伝わっていくのです。由紀も同じコミュニケーションのパターンをとっています。由紀が入院中の安行のお見舞いに来た時、「そのうちコロッと逝くね、あんた」と子どもたちの前で悪い冗談を言います。そして、子どもたちがいなくなると、「このばかちん」と言い、すでに離婚しているのに、安行にキスをします。由紀は、子どもたちのためとは言え、けっきょく安行が好きで放っておけないのです。3つ目は、周りが手なずけたがることです(過干渉)。母親は、アルコール依存症の専門病棟に入院させるために、有無を言わさず安行を連れ出し、「ここは精神病院。あなたは入院するんです」と一方的に言い放ちます。安行が手ぶらなのに対して、母親は安行の重そうな荷物を運んでいます。なお、映画では強制的に入院されているように描かれていますが、実際は、人権擁護の観点から、そして本人の主体性が治療動機に重要であるという観点から、依存症病棟には、本人の同意による任意入院が一般的です。表2 安行がアルコール依存症になった原因個体因子環境因子体質(生物学的感受性)遺伝気質(パーソナリティ特性)ついやってしまう軽々しさ(衝動性)寂しがり屋(愛着不全)助けを当てにする(依存性)ストレスが適度に一定ではない危険な仕事不安定な収入やることがない共依存的な人間関係周りが流されやすい(同調)周りが助けすぎる(過保護)周りが手なずけたがる(過干渉)依存症の3つの要素とは?―図1依存とは、「依(よ)って存(あ)ること」、つまり何かに頼って生きることで、私たち人間に必要なことです。その何かとは、食べ物や飲み物など体に取り入れるもの(物質の依存)であり、生活習慣などの行動パターン(過程の依存)であり、家族やその周囲とのつながり(人間関係の依存)です。そして、依存症とは、これらにのめり込んでコントロールできなくなること、つまりはやめたくてもやめられなくなることです。 ここから、安行の状況に照らし合わせながら、アルコール依存症を、飲酒そのもの(嗜好の依存症)、飲酒までに至る行動パターン(行動の依存症)、その行動パターンを支える人間関係(人間関係の依存症)の3つの要素に分けて整理してみましょう。(1)アルコールをコントロールできない―嗜好の依存症―図2安行は、入院してしばらくの間、アルコールによる胃腸の障害から、食事が制限されていたため、定期的に献立になっているカレーライスを食べることができませんでした。その後に食事制限がなくなり、目の前のカレーライスを見た時、彼の胸は高まります。そして、病院食の普通のカレーライスを格別な気分で幸せそうに頬張るのです。また、私たちは喉がカラカラの時に水をとてもおいしく感じます。しかし、普段、水はただの水で、おいしいとは感じません。水に限らず、塩、糖、タンパク質、脂肪などもともと自然界にあるものも同じです。このように、私たちの脳は、不足すると気になり(サリエンス)、欲しくなります(渇望)。摂取すると気持ち良くなります(快感)。そして満足すると飽きてきます(無関心)。そうなるように調節が働き(フィードバック)、一定の健康状態を維持しています(恒常性)。これは、私たちがより適応的な行動をするために進化したメカニズムです(報酬系)。ここで、私たちの脳を車に例えてみましょう。すると、報酬系のメカニズムはエンジン(ドパミン)です。何かが足りないストレスの状態(興奮)では、アクセル(ノルアドレナリン)が踏まれ、そのアクセルでエンジン(ドパミン)の回転数も上がります。一方、満たされているリラックスの状態(抑制)では、ブレーキ(GABA)が踏まれ、そのブレーキでエンジン(ドパミン)の回転数も下がります。ところが、アルコールを摂取すると、代わりのブレーキ(ベンゾジアゼピン受容体)が踏まれ、リラックスの状態になります。それは、本家のブレーキ(GABA)の働きを阻み、このブレーキ(GABA)が利かなくなることでエンジン(ドパミン)の回転数が逆に上がってしまうのです。これが、酩酊感や高揚感という気持ちの良い状態です。さらに、多量のアルコール摂取によってエンジン(ドーパミン)の回転数が上がりすぎる、つまり空回転するとどうなるでしょうか? これが、酒乱(中毒せん妄)、泣き上戸や笑い上戸(脱抑制)と呼ばれる悪酔いの状態です。この状態は昔では宗教的な意味付けがされていました。アルコール摂取の問題点は、エンジン(ドパミン)の回転数を上げるばかりで下げるメカニズムがないので、やがていつも欲しくなってしまうのです(精神依存)。お酒が世界の全てになってしまい、起きている時はお酒のことしか考えず、問題が起きてもお酒を飲み続けます。さらには、アルコールが一定濃度、体に満たされ続けるとやがてそれが定常状態になる、つまりアルコールが脳にとって「あるべきもの」になります。よって、アルコールを切らしてしまうと、脳が異常と誤って感知して、禁断症状(離脱症状)が出てしまうようになります(身体依存)。こうして、アルコールの摂取をコントロールできなくなるのです(物質の依存症)。 なお、覚せい剤では、エンジン(ドパミン)の回転数を直接的に上げるため、高揚感を伴う興奮が得られます。よって、アルコールが「ダウナー」(抑制性薬物)と呼ばれるのに対して、覚せい剤は「アッパー」(興奮性薬物)と呼ばれます。ちなみに、ベンゾジアゼピン系薬剤である睡眠薬や抗不安薬も、副作用としてアルコールと同じように「悪酔い」(脱抑制、中毒せん妄)を引き起こすリスクがあります。しかし、精神科を専門としない医師がよくやってしまう間違いとして、もともとの脱抑制やせん妄の患者に対して、落ち着かせようとしたり眠らせようとして、ベンゾジアゼピン系薬剤を投薬し、その後に症状を悪化させるケースがあります。脱抑制やせん妄には、原則として、ベンゾジアゼピン系薬剤を投薬しないように注意する必要があります。(2)行動をコントロールできない―行動の依存症安行は、入院中、周りの患者たちがカレーライスを食べているのに自分だけ食べられないことに腹を立てて、「何だよ、ケンカを売る気かよ」「売られたケンカは買ってやろうじゃないの」とわざと独り言を言って看護師を威圧しています。患者同士が言い争いをしている時、安行は直接関係がないのに、良く思っていない方に「てめえが帰れ、くそじじい」とぼそっと小さな声でわざと挑発し、殴られてしまいます。また、かつて戦場カメラマンとして命の危険にさらされたり、作家として生計を立てようとしたりと、ギャンブルのような不安定な生活をあえて選んでいます。一見、男らしくも見えます。この男らしさに由紀は惚れてしまっているのでした。このように、安行にはアルコール依存症ならではの独特な行動パターンがあります。本来、行動パターンとは、生存や生殖に有利になるために進化した本能・習性や学習能力です。これは、脳の神経回路に刻み込まれるもので、一度覚えたらなかなか忘れません。例えば、自転車の運転や水泳のような運動神経から、食事や睡眠リズムのような生活習慣、プラス思考やマイナス思考のような思考パターンまで様々あります。生存や生殖という目的に向かって、遺伝的な傾向をもとに記憶や経験が快感(報酬)と結び付いて、そう行動するようにエンジン(ドパミン)の回転数が上がるというわけです。安行の行動パターンの問題点は、アルコールをコントロールできていない以前に、自分の感情や行動をコントロールできていないことです(行動の依存症)。言うならば、飲む前から酔っ払っている、つまり、しらふでも行動が酔っ払っています(空酔い、ドライドランク)。これは、アルコール依存症にまだなっていない人で、アルコールでトラブル(問題飲酒)を繰り返し起こす人にも当てはまります(プレアルコホリズム)。本来、アルコール依存症にならない人は、ストレスを溜め込んで飲酒量が増えたり、問題飲酒などうまく行かないことが起きた時点で、周りの意見に耳を傾け、自分を振り返り、早い段階で行動パターンを修正します。しかし、アルコール依存症になる人は、この修正をなかなかしません。その原因は、「まだ大丈夫」「それほど重くない」「やめようと思えばやめられる」と考えて、問題の深刻さに薄々気付いてはいるのですが、それをはっきり認めようとしない否認の心理があるからです。アルコール依存症は「否認の病」とも呼ばれます。この否認の心理によって、アルコール依存症を完成させてしまうのです。それでは、安行にはなぜ否認の心理があるのでしょうか? その答えは、彼の父親が「教えた」からです。安行は、母親から「2人の子どものことだけはよーく考えてください」と言われると、「おやじは考えてくれなかったよね、子ども(安行)のこと」と言い返します。実際に、「(父親は)毎日のように酒を飲んでは母親に暴力をふるっていました」と入院患者たちに語っています。ここから分かるのは、彼の父親は、子ども(安行)のことだけでなく、自分のことも考えることができない不安定な行動パターン(否認)の悪いお手本(モデル)を見せていたことです。そして、安行は、父親から否認の仕方を「学んだ」のでした。安行は飲酒を中学生から始めています。本来、父親というものは子どもに生き方(社会)のルールを教える役割(父性)があるはずですが、それがないのです(父性不在)。安行は、入院中に「やっちゃったよ。父さんの真似なんかしたくないのに」と嘆いています。体験発表で「けっきょく嫌いだった父親と同じことをしてしまっていたんです」と振り返ります。一方、お見舞いに来た小学生の息子は、安行に「父さん、何やってんだよ」と笑っていいます。まさに否認という行動パターンの「文化」が脈々と受け継がれようとしている危うさが読み取れます(世代間連鎖)。(3)人間関係をコントロールできない―人間関係の依存症安行は、入院して、初対面の若い看護師にいきなり下の名前を聞き出します。また、主治医の女医に「なんでコンタクトにしないんですか?」と個人的な質問をします。人懐っこくて相手の懐に飛び込むのにとても長けていることが分かります。このように、安行には心理的距離が近すぎる独特の人間関係があります。本来、人間関係とは、生存や生殖に有利になるために、約300万年前に進化した社会性(社会脳)です。これは、周りとうまくやる能力であり、助け合い(協力)の心理であり、人間関係における行動パターンとも言えます。安行が築く人間関係の問題点は、心理的距離が近すぎて相手との境界(バウンダリー)が弱まっているために、その人間関係をコントロールできていないことです(人間関係の依存症)。言うなれば、人間関係も酔っ払っています。例えば、安行は、母親の保護や由紀の支援に甘んじて頼り切ってしまい、迷惑をかけっぱなしです。「すいまんせん」「反省しています」と言うわりに、同じことを繰り返しています。これは依存の心理(依存パーソナリティ)です。それでは、安行にはなぜ依存の心理があるのでしょうか? その答えは、彼の母親が「教えた」からです。彼女のかかわり方は、良く言えば優しくて献身的ですが、悪く言えば過保護で過干渉で支配的です。彼女は、必要とされることを必要としている、言い換えれば依存されることに依存しています(共依存)。そのかかわり方を、かつてアルコール依存症の自分の夫にし続けました。彼女は華道の先生ですが、生徒たちに「この枝は『私はここ(生ける場所)に入りたい』と言っていました」「なんて、枝がそんなこと言うわけありませんよね」「ただ私が勝手にそう思っただけです」「でも昔、私はこの勘で夫の浮気を見破りました(笑)」と冗談を交えて説くシーンにその傾向が現れています。そして、当時に同じようなかかわり方を子ども時代の安行にもし続けてきたのです。安行は、母親を相手に人間関係での依存の仕方を小さい頃から「学んだ」のでした。本来、母親というものは子どもに安心感や安全感を与える役割(母性)があるはずですが、それが行きすぎています(母性過剰)。そして、実は、由紀はこの安行の母親と似ています。由紀の父親もアルコール依存症で、由紀の母親はそんな夫に尽くしてきました。由紀はその母親の悪いお手本(モデル)を見て育ちました。そして、由紀は、父親と同じような依存的な安行に惚れてしまい、母親と同じように共依存的に接するのです。このように、アルコール依存症を助長する家族などの周りをイネーブラー(enabler)と呼びます。アルコール依存症を「enable(可能にする)+er(人)」という意味です。そもそもアルコール依存症でい続けるには、依存する体だけでなく、依存するためのお金や依存する相手が必要です。つまり、安行の望ましくない行動パターンを下支えしてしまっているのは、母親や由紀です。逆に言えば、健康とお金と人間関係が続く限り、依存症はなかなか回復しないということです。由紀と安行の子どもである息子と娘は、由紀と安行が夜中に激しい夫婦喧嘩をしていても、寝たふりをして静かにしています。由紀は「大丈夫。あの子(娘)は泣いた顔を人に見せない子です」と胸を張って言っています。娘も息子も、母親の由紀の姿を見て、もの分りが良く我慢をする「良い子」にもなっています。そして、彼らが思春期になった時、その我慢の反動により依存的に振れるか、またはその我慢の順応により共依存的に振れるか、さらにはその両方を行ったり来たりするかといういずれかのこのような極端で独特の人間関係を築いてしまうのです。まさに依存と共依存の「文化」が脈々と受け継がれようとしている危うさが読み取れます(世代間連鎖)。なぜアルコール依存症は「ある」の?―図3これまで、「なぜアルコール依存症になるのか?」という疑問の答えを解きあかしてきました。それでは、そもそもなぜアルコール依存症は「ある」のでしょうか? その答えを探るために、アルコールの歴史をひも解いてみましょう。アルコールの自然発酵が発見されたのは、旧石器時代(数万年前?)と考えられています。それは、人類が手にした最も古いバイオテクノジーです。当時から、アルコールの摂取による一時の酩酊感や高揚感は、非日常(非現実)を味わう神秘体験の道具として祝祭(宗教的儀式)で重宝されてきました。しかし、当初はまだアルコール依存症として問題になることはほとんどありませんでした。その理由は、製造技術が原始的なために、低純度で希少で高価で、手に入りにくかったからです。その後、1万5千年前に農耕牧畜が開発され、それまでの狩猟採集社会から農耕牧畜社会へと社会構造が変わっていきました。特に東アジアでは早くから米作が広まり、それに伴い早くからアルコールの醸造が広まっていたと考えられています。なお、このことが原因で、ヨーロッパ人(コーカソイド)やアフリカ人(ネグロイド)と比べて、東洋人(モンゴロイド)はアルコールに弱い体質が多くなったという説があります。実際に、飲酒後すぐに表れる赤ら顔はフラッシング反応と呼びますが、東洋人に独特であるため、別名はオリエンタルフラッシュ(Oriental flush)と呼ばれます。例えば、日本人は、アルコールに強い人(ALDH1型)が50%強、アルコールに弱い人(ALDH2型部分欠損型)が45%弱、アルコールが全く飲めない人(ALDH2型完全欠損型)が5%です(グラフ1)。この東洋人はアルコールに弱いという説の根拠として、3つの可能性が考えられます。1つ目は、アルコールに強い遺伝子の淘汰がより早い時代からあった可能性です。これは、アルコールに強い人は、それだけアルコールを多く飲むので、アルコール依存症になりやすいということです。そして、アルコール依存症によって、働けなくなります(生存の困難)。また、配偶者として選ばれにくくなり(生殖の困難)、子孫を残しにくくなります。かつてアルコールは「きちがい水」とも呼ばれていました。結果的に、アルコールに強い遺伝子を持つ人は減っていくということです。2つ目は、アルコールに強い遺伝子の淘汰がより広い地域であった可能性です。狩猟採集民族が多く残るヨーロッパやアフリカは、狩りなどで衝動性や独自性が求められる社会です。そこでは、アルコールに強い人に寛容になります。その理由は、衝動性からアルコールを多く飲み酔っぱらって一時だらしなくなっても、酔いから醒めて、また本人のペースで狩りをすれば良いからです。また、飲みっぷりの良さは、豪快さ(衝動性)として男らしさに結び付いていきました。その価値観は現在でも根強いです。もともと狩猟採集と衝動性(ADHD)は関連性が高いですが、同時にアルコール依存症と衝動性(ADHD)も関連性が高いと言えます。一方、農耕牧畜民族が多く広まった東アジアは、田植えや稲刈りなどで計画性や協調性が求められる社会です。そこでは、アルコールに強い人に不寛容になります。その理由は、アルコールを多く飲み酔っぱらって一時でもだらしなくなったら、計画的にそして協調的に働けないからです(生存の困難)。そして、配偶者として選ばれにくくなり(生殖の困難)、子孫を残しにくくなります。結果的に、アルコールに強い遺伝子を持つ人は減っていくということです。3つ目は、アルコールに弱い遺伝子の選択がより多くあった可能性です。これは、アルコールに弱い方がより適応的であるという逆転の発想です。もともとアルコール摂取は、単なる気晴らしなどの娯楽ではなく、神聖な儀式の一環でした。この時、少しのアルコールですぐに酔えて非日常を味わえるアルコールに弱い人は、より神に近付ける人としてステータスが高まります。結果的に、アルコールに弱い遺伝子を持つ人は、配偶者として選ばれやすくなり、子孫を残しやすくなります。つまり、アルコールに弱い遺伝子を持つ人は増えていくということです。なお、アルコールが全く飲めない遺伝子は、ほんの少しのアルコールですぐに気持ち悪くなるだけで酔えないので、神に近付くことはできないため、この遺伝子を持つ人は増えなかったという解釈ができます。アルコール依存症が世界的に社会問題となっていったのは、18世紀の産業革命です。その理由は、10世紀以降にアルコールの蒸留法が発明されて純度を高めることが可能になった上に、産業革命による大量生産や広範囲の流通が可能になったからです。つまり、高純度で大量で安価で、手に入りやすくなったからです。もともとアルコールは、自然界に限りあるもので、人はなかなかアルコール依存症になれませんでした。しかし、文明が進歩した現在、ほとんど限りなく手に入るようになり、人は簡単にアルコール依存症になれるようになってしまったのです。つまり、アルコール依存症とは、文明の代償と言えます。もともと自然界にある水、糖、塩、タンパク質、脂肪などの物質は、調節をするメカニズムが進化しています。ところが、アルコールは、人工的に作られ始めてからまだせいぜい1万5千年です。そのため、その調節(フィードバック)をするメカニズムが進化するには、あと数万年以上は必要と思われます。もしかしたら東洋人(モンゴロイド)にアルコールに弱い体質が多いのは、その進化の先駆けかもしれません。 なぜ欲しがる心(嗜癖)は「ある」の?ここまで、アルコール依存症の起源が明らかになってきました。それでは、アルコール依存症などの嗜好の依存症(物質依存)から、行動の依存症(過程依存)、人間関係の依存症(関係依存)までを全て含んで、そもそもなぜ欲しがる心(嗜癖)は「ある」のでしょうか? 由紀と安行の生き方を通して、進化心理学的に解き明かしてみましょう。安行の母親は、「(安行は)何から逃げるためにあんなにお酒飲むのか」と由紀に呆れて言います。一方、安行は主治医に「(夢で)何か探してるんだけど、探しているものが何か分からなくてイライラする」と言います。由紀は、知り合いの医師から「離婚した相手のことをどうしてそんなに心配するんですか?」と聞かれて、「一度好きになった人はなかなか嫌いになりにくいし」と答えます。また、「体を満たしているのがたとえ(安行を末期がんで失う)悲しみであっても、とにかく体がいっぱい満たされているわけだから、悲しいんだか嬉しいだか分かんなく(なって)」と言っています。安行と由紀に共通する心理は、心が「何か」で満たされていないことです。そして、その「何か」を「代わりの何か」で満たそうと駆り立てられ、必死で追い求めます(渇望)。これが、欲しがる心(嗜癖)です。安行は、戦場カメラマンとしてベストショットを追い求め、がむしゃらで無茶でギャンブルのような生き様をしました。そして、追い求めるものはお酒にすり替わっていきました。由紀は、離婚しても安行を追い求め、安行を最期はがんで失うという「悲しみ」で心を満たそうとしています。この映画のラストシーンで、由紀は安行の母親に「子どもたちのいる場所だと思います、(死期が間近な)あの人の帰るところ」と言うと、母親は「居場所があるのねえ、まだあの子に」と言います。ここでようやく、心を満たす「何か」とは、家族の絆という心のよりどころ、つまりは「心の居場所」であることが分かります。安行や由紀は、この「心の居場所」の感覚が幼少期にうまく育まれなかったため、この感覚が充分に満たされていないのです。この心理は、オキシトシンとドパミンという神経伝達物質によって調整されています。この心理が満たされないと、オキシトシンと結び付いているドパミンによって、他の「何か」を欲しがる心理(嗜癖)が強まってしまうのです。オキシトシンが「心の居場所」の心理として働くようになったのは、私たちの祖先が人類として社会脳が進化して大家族をつくるようになった約300万年前と考えられます。さらに、このオキシトシンの起源は、私たちの祖先が哺乳類として授乳(哺乳)するようになった2億年以上前です。ドパミンの起源は、さらに遡って、私たちの祖先が原始生物として捕食対象に接近するようになった数億年前以上前です。これが私たちの欲しがる心(嗜癖)の起源であると言えます。私たちは、本能的に何かに近付いて欲しがる心(嗜癖)を持っており、問題はその相手(対象)や程度であるということです。 1)鴨志田穣:酔いがさめたら、うちに帰ろう。講談社文庫、20102)斎藤学:アルコール依存症に関する12章、有斐閣新書、19863)ディヴィッド・J・リンデン:快感回路、河出文庫、20144)アンソニー・スティーブンズほか:進化精神医学、世論時報社、20115)長尾博:図表で学ぶアルコール依存症、星和書店、2005

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常染色体優性多発性嚢胞腎〔ADPKD : autosomal dominant polycystic kidney disease〕

1 疾患概要■ 概念・定義PKD1またはPKD2遺伝子の変異により、両側の腎臓に多数の嚢胞が発生・増大する疾患。■ 診断基準ADPKD診断基準(厚生労働省進行性腎障害調査研究班「常染色体優性多発性嚢胞腎ガイドライン(第2版)」)1)家族内発生が確認されている場合(1)超音波断層像で両腎に各々3個以上確認されているもの(2)CT、MRIでは、両腎に嚢胞が各々5個以上確認されているもの2)家族内発生が確認されていない場合(1)15歳以下では、CT、MRIまたは超音波断層像で両腎に各々3個以上嚢胞が確認され、以下の疾患が除外される場合(2)16歳以上では、CT、MRIまたは超音波断層像で両腎に各々5個以上嚢胞が確認され、以下の疾患が除外される場合※除外すべき疾患多発性単純性腎嚢胞(multiple simple renal cyst)腎尿細管性アシドーシス(renal tubular acidosis)多嚢胞腎(multicystic kidney 〔多嚢胞性異形成腎 multicystic dysplastic kidney〕)多房性腎嚢胞(multilocular cysts of the kidney)髄質嚢胞性疾患(medullary cystic disease of the kidney〔若年性ネフロン癆 juvenile nephronophthisis〕)多嚢胞化萎縮腎(後天性嚢胞性腎疾患)(acquired cystic disease of the kidney)常染色体劣性多発性嚢胞腎(autosomal recessive polycystic kidney disease)【Ravineの診断基準】(表)(家族歴がある場合の画像診断基準)画像を拡大する■ 疫学一般人口中に占める多発性嚢胞腎患者数(有病率)は、病院受診者数を基に調査した結果では一般人口3,000~7,000人に1人である。病院患者数に占める多発性嚢胞腎患者数は3,500~5,000人に1人、病院での剖検結果では被剖検患者約400人に1人である。メイヨー病院があるオルムステッド郡(米国)で1年間に新たに診断された患者数(発症率)は、一般人口1,000~1,250人あたり1人である。調査方法、調査年代、調査場所などにより、結果に差異が認められる。今後、治療薬が利用可能になると受療する患者数が増加し、有病率も増える可能性がある。■ 病因(図を参照)画像を拡大するPKD1またはPKD2遺伝子の変異による。PKD1は16p13.3、PKD2は4q21-23に位置する。PKD1とPKD2の遺伝子産物 polycystin 1(PC 1)とPC2はtransient receptor potential channel for polycystin(TRPP)subfamilyで、Caチャネルである。PC1とPC2は腎臓、肝臓、膵臓、乳腺の管上皮細胞、平滑筋と血管内皮細胞、脳の星状細胞に存在する。PCは腎臓上皮細胞、血管内皮細胞、胆管細胞などの繊毛に存在する。尿細管腔の内側に存在する繊毛は、尿細管液の流れに反応して屈曲する。屈曲によるshear stressはPCや繊毛機能に関係する蛋白を活性化し、細胞外と小胞体からCaイオンを細胞質内へ流入させ、細胞質内Ca濃度を高める。繊毛機能に関係する蛋白をコードする遺伝子異常が嚢胞性腎疾患をもたらすことが明らかとなり、繊毛疾患(ciliopathy)として概括されている。PKD細胞ではPC機能異常により、尿細管上皮細胞のCa濃度は低値である。細胞内Ca濃度が低下すると、cyclicAMP(cAMP)分解酵素(PDE)活性が低下し、またcAMPを産生するadenyl cyclase(AC)活性が高まり、細胞内cAMP濃度が高まる。その結果、cAMP依存性protein kinase A(PKA)機能が高まり、種々のシグナル経路(EGF/EGFR、Wnt、Raf/MEK/ERK、JAK/STAT、mTORなど)が活性化され細胞増殖が起きる。繊毛は細胞極性(尿細管構造形成)に関与しており、細胞極性機能を失った細胞増殖が起きる結果、嚢胞が形成される。また、PKAはcystic fibrosis transmembrane conductance regulator(CFTR)を刺激し、嚢胞内へのCl分泌を高める。腎尿細管(集合管)に存在するバソプレシン(AVP)V2受容体は、AVPの作用を受け、ACおよびcAMP、PKAを介して水透過性を高める。この過程でcAMPは嚢胞を増大させる。ソマトスタチンはACを抑制するので、治療薬として期待される。■ 症状多くの患者は30~40代までは無症状で経過する。1)腎機能低下腎機能の低下と総腎容積は相関し、総腎容積が3,000mLを超えると腎不全になる確率が高い。しかし、3,000mLを超えない場合でも腎不全になる場合もある。腎不全による症状(疲労、貧血、食欲低下、皮膚搔痒など)は、他疾患による腎不全症状と同じである。透析導入平均年齢は55歳位であったが、最近では60歳近くになっている。患者全体では70歳で約50%が終末期腎不全になる。2)高血圧血管内皮機能の異常により高血圧を来すと考えられ、腎機能が低下する以前から発症する。60~80%の患者が高血圧に罹患している。高血圧になっている患者では腎臓腫大と腎機能低下の進行が速い。3)圧迫症状腎臓や肝臓の嚢胞(60~80%の患者に嚢胞肝が併存)が腫大するにつれて、腹部膨満感、少し食べるとお腹が張る、前屈が困難になる、背腰部痛、腹部痛などの圧迫症状が出現する。腎嚢胞は平均年5~6%の割合で増大するので、加齢とともに症状は進行する。4)脳血管障害脳出血、くも膜下出血、脳梗塞の発症頻度が高い。脳出血の原因として高血圧がある。脳動脈瘤の発生頻度(約8%)は一般より高い。5)血尿・尿路感染症血管の構築異常により血管が裂け、嚢胞内に出血し、疼痛を引き起こす。出血巣と尿路が交通すると血尿になる。また、変形した尿路のために尿路感染症を起こしやすい。嚢胞感染が起きると抗菌薬が嚢胞内に移行しにくいので難治性になることがある。6)その他尿路結石、鼠径ヘルニア、大腸憩室、心臓弁膜機能異常などの頻度が高い。■ 分類遺伝子の変異部位に応じて、PKD1とPKD2に分かれる。約85%はPKD1である。PKD1の方が症状は強く、腎不全になる平均年齢も若い。■ 予後生命予後に関するデータはない。腎機能に関しては症状の項参照。2 診断 (検査・鑑別診断も含む)診断基準に準ずる。家族歴と画像検査(超音波、CT、MRIなど)で比較的正確に診断できるが、中には診断に迷う症例もあり、遺伝子診断が有用な場合もある。3 治療 (治験中・研究中のものも含む)1)トルバプタン(商品名: サムスカ)による治療AVP V2受容体拮抗薬トルバプタンは、ナトリウム利尿をあまり伴わない水利尿作用があり、低ナトリウム血症、体液貯留の治療薬として開発され、わが国では、2010年に心不全による体液貯留、2013年に肝硬変による体液貯留への治療薬として承認を受けている。2003年にモザバプタン(トルバプタンの前段階の薬)が、多発性嚢胞腎モデル動物に有効であると発表され、2007年から多発性嚢胞腎患者1,445名を対象として、トルバプタンの有効性と安全性を検討する国際共同治験が行われた。腎臓容積増大速度を約50%、腎機能低下速度を約30%緩和する結果が2012年秋に発表され、わが国において2014年3月に多発性嚢胞腎治療薬として承認され、臨床使用が始まっている。わが国での投薬適応基準は、総腎容積≧750mL、総腎容積増大速度≧年5%、eGFR≧15 mL/min/1.73m2などである。服用開始時には入院が必要で、その後月1回の血液検査で肝機能(5%程度に肝機能障害が発生する)、血清Na値(飲水不足で高Na血症になる)、尿酸値(上昇する)などのモニターが必要である。また、トルバプタンの処方医はWeb講習を受講し、登録する必要がある。2)高血圧の治療ARBが第1選択薬として推奨される。標準的降圧目標(120/70~130/80)とより低い降圧目標(95/60~110/75)との2群を5年間追跡したところ、より低い降圧群での総腎容積増大速度が低かったことが報告されているので、可能なら収縮期血圧を110未満にコントロールすることが望ましい。3)Na摂取制限Na摂取と腎嚢胞増大速度は相関するので、Na摂取は制限したほうがよい。4)飲水動物実験では飲水によって嚢胞の増大抑制効果が認められているが、人で飲水を奨励した結果では、逆に嚢胞増大速度とeGFR低下速度が増大したことが報告されている。水道水では、消毒用塩素の副産物ジクロロ酢酸に嚢胞増大作用があることが報告されている。多発性嚢胞腎患者では、腎機能が低下するにしたがい血清浸透圧とAVPが高くなることが報告されている。人における飲水効果には疑問があるが、脱水によるAVP上昇は避けるべきである。5)カフェインや抗うつ薬カフェインはPDEを抑制しcAMP濃度を上昇させ、嚢胞増大を促進する可能性がある。SSRI、三環系抗うつ薬などはAVPの放出を促進するため、多発性嚢胞腎では嚢胞増大を促進することが考えられる。6)開発中の薬剤(1)トルバプタン〔AVP V2受容体阻害薬〕は、大規模な臨床試験で腎嚢胞増大と腎機能悪化を抑制する効果が示され1)、わが国では2014年3月、カナダ、ヨーロッパでは2015年3月に認可が下りている。(2)ソマトスタチンアナログは小規模な臨床試験で肝臓と腎臓の嚢胞増大に有効と報告されているが、当局への申請を目的とする大規模な臨床試験は行われていない。(3)mTOR阻害薬であるシロリムスとエベロリムスの臨床試験が行われたが、副作用が強く臨床効果が認められなかった。7)腎動脈塞栓術(transcatheter arterial embolization: TAE)腎動脈を塞栓し、腎臓を縮小させることで症状の緩和をもたらす。すでに透析が導入され、尿量が1日500mL以下の患者が対象となる。8)腹腔鏡下腎嚢胞開創術、腎摘除術抗菌薬抵抗性または反復感染の原因になっている嚢胞が特定される場合、あるいは数個の嚢胞が特別に大きくなり圧迫症状が強い場合、腹腔鏡下に特定の嚢胞を開窓する手術が適応となる。出血が強い場合や、反復する嚢胞感染がある場合、患者に腎機能の予後をよく説明したうえで同意を前提として腎摘除術(腹腔鏡下腎摘除術も行われる)が選択肢となる。4 今後の展望1)最近の研究では、総腎容積増大速度が5%/年以下でも、腎不全に進行することが示されている。トルバプタン適応基準となった総腎容積増大速度≧5%/年の基準では、これら腎不全に進行する患者を除外することになる。2)トルバプタンの作用として利尿作用があるが、利尿作用を少なくする薬剤が望まれる。3)多発性嚢胞腎の進展機序は、cAMP-PKAを介する経路のみではないので、cAMP-PKA非依存性経路を抑制する薬剤開発が望まれる。4)肝臓嚢胞に有効なソマトスタチンアナログの臨床開発が望まれる。5 主たる診療科腎臓内科、泌尿器科、脳動脈瘤があれば脳外科(多発性嚢胞腎に関心の高い医師の存在)※ 医療機関によって診療科目の区分は異なることがあります。6 参考になるサイト(公的助成情報、患者会情報など)診療、研究に関する情報多発性嚢胞腎啓発ウエブサイト(杏林大学多発性嚢胞腎研究講座)(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)難病情報センター 多発性嚢胞腎(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)常染色体多発性嚢胞腎(順天堂大学医学部泌尿器科)(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)ADPKD.JP (~多発性嚢胞腎についてよくわかるサイト~/大塚製薬株式会社)(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)患者会情報PKDの会(患者と患者家族の会)1)Torres VE,et al.N Engl J Med.2012;367:2407-2418.2)東原英二 編著.多発性嚢胞腎~進化する治療最前線~.医薬ジャーナル;2015.3)Irazabal MV, et al. J Am Soc Nephrol.2015;26:160-172.公開履歴初回2013年04月18日更新2015年10月27日

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統合失調症女性のホルモンと認知機能との関連は

 これまで、統合失調症の女性患者において、ホルモン療法やオキシトシン投与により認知機能が強化されることが示唆されていた。米国・イリノイ大学のLeah H. Rubin氏らは、女性の統合失調症患者の認知機能に、月経周期中のホルモン変化がどのような影響を及ぼすかを調べた。検討の結果、まず、認知機能の性差は統合失調症においても認められること、オキシトシン値は月経周期において変化することはなく、女性においてのみ「女性ドミナント」タスクの強化と関連していることを明らかにした。Schizophrenia Research誌オンライン版2015年5月16日号の掲載報告。女性の統合失調症、ホルモン変化は認知パフォーマンスと関連せず 検討に当たり研究グループは、女性患者は、月経周期の卵胞期初期(卵胞ホルモン[エストラジオール]と黄体ホルモン[プロゲステロン]が低値)のほうが中間期(卵胞ホルモンと黄体ホルモンが高値)よりも、「女性ドミナント」タスク(ことばの記憶/流暢さ)のパフォーマンスが悪化し、「男性ドミナント」タスク(視覚空間)のパフォーマンスは良好になると仮定した。また、卵胞ホルモンには影響を受けるが、黄体ホルモンは影響しないとも仮定した。 女性54例(23例が統合失調症)の認知機能を比較し、また血液検体の提供を受けて性差ステロイドアッセイを行い、卵胞期初期(2~4日目)と中間期(20~22日)のオキシトシン値を比較した。また、認知機能テストの予想性差パターンを調べるため男性も検討対象とした。 女性の統合失調症患者の認知機能にホルモン変化がどのような影響を及ぼすかを調べた主な結果は以下のとおり。・予想された性差は、「女性ドミナント」と「男性ドミナント」において観察された(p<0.001)。しかし、その差の大きさは、患者と対照で有意な差はみられなかった(p=0.44)。・「女性ドミナント」または「男性ドミナント」タスクにおける認知パフォーマンスの月経周期における変化は、患者、対照ともにみられなかった。・卵胞ホルモンと黄体ホルモンは、認知パフォーマンスと関連していなかった。・オキシトシン値は、月経周期において変化しなかった。しかし、女性の統合失調症患者においてのみ、「女性ドミナント」のタスクパフォーマンスとポジティブな関連がみられた(p<0.05)。 結果を踏まえ、著者らは「統合失調症ではエストロゲンよりもオキシトシン値が、認知機能ドメインのベネフィットを強化すると考えられる」とまとめている。関連医療ニュース 統合失調症患者の社会的認知機能改善に期待「オキシトシン」 日本人女性の統合失調症発症に関連する遺伝子が明らかに 治療抵抗性統合失調症女性、エストラジオールで症状改善  担当者へのご意見箱はこちら

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アナフィラキシーの治療の実際

アナフィラキシーの診断 詳細は別項に譲る。皮膚症状がない、あるいは軽い場合が最大20%ある。 治療(表1)発症初期には、進行の速さや最終的な重症度の予測が困難である。数分で死に至ることもあるので、過小評価は禁物。 ※筆者の私見適応からは、呼吸症状に吸入を先に行う場合があると読めるが、筆者は呼吸症状が軽症でもアナフィラキシーであればアドレナリン筋注が第1選択と考える。また、適応に「心停止」が含まれているが、心停止にはアドレナリン筋注は効果がないとの報告9)から、心停止の場合は静注と考える。表1を拡大する【姿勢】ベッド上安静とし、嘔吐を催さない範囲で頭位を下げ、下肢を挙上して血液還流を促進し、患者の保温に努める。アナフィラキシーショックは、distributive shockなので、下肢の挙上は効果あるはず1)。しかし、下肢拳上を有効とするエビデンスは今のところない。有害ではないので、薬剤投与の前に行ってもよい。【アドレナリン筋肉注射】気管支拡張、粘膜浮腫改善、昇圧作用などの効果があるが、cAMPを増やして肥満細胞から化学物質が出てくるのを抑える作用(脱顆粒抑制作用)が最も大事である。α1、β1、β2作用をもつアドレナリンが速効性かつ理論的第1選択薬である2)。緊急度・重症度に応じて筋注、静注を行う。血流の大きい臀部か大腿外側が薦められる3)。最高血中濃度は、皮下注で34±14分、筋注で8±2分と報告されており、皮下注では遅い4)。16~35%で2回目の投与が必要となる。1mLツベルクリンシリンジを使うと針が短く皮下注になる。1)アドレナリン1回0.3~0.5mg筋注、5~30分間隔 [厚生労働省平成20年(2008)5)]2)アドレナリン1回0.3~0.5mg筋注、5~15分間隔 [UpToDate6)]3)アドレナリン1回0.01mg/kg筋注 [日本アレルギー学会20141)]4)アドレナリン1回0.2~0.5mgを皮下注あるいは筋注 [日本化学療法学会20047)]5)アドレナリン(1mg)を生理食塩水で10倍希釈(0.1mg/mL)、1回0.25mg、5~15分間隔で静注 [日本化学療法学会20047)]6)アドレナリン持続静脈投与5~15µg/分 [AHA心肺蘇生ガイドライン20109)]わが国では、まだガイドラインによってはアドレナリン投与が第1選択薬になっていないものもあり(図1、図2)、今後の改訂が望まれる。 ※必ずしもアドレナリンが第1選択になっていない。 図1を拡大する ※皮膚症状+腹部症状のみでは、アドレナリンが第1選択になっていない。図2を拡大する【酸素】気道開通を評価する。酸素投与を行い、必要な場合は気管挿管を施行し人工呼吸を行う。酸素はリザーバー付マスクで10L/分で開始する。アナフィラキシーショックでは原因物質の使用中止を忘れない。【輸液】hypovolemic shockに対して、生理食塩水か、リンゲル液を開始する。1~2Lの急速輸液が必要である。維持輸液(ソリタ-T3®)は血管に残らないので適さない。【抗ヒスタミン薬、H1ブロッカー】経静脈、筋注で投与するが即効性は望めない。H1受容体に対しヒスタミンと競合的に拮抗する。皮膚の蕁麻疹には効果が大きいが、気管支喘息や消化器症状には効果は少ない。第1世代H1ブロッカーのジフェンヒドラミン(ベナスミン®、レスタミン®)クロルフェニラミンマレイン酸塩(ポララミン®)5mgを静注し、必要に応じて6時間おきに繰り返す。1)マレイン酸クロルフェニラミン(ポララミン®)2.5~5mg静注 [日本化学療法学会20047)]2)ジフェンヒドラミン(ベナスミン®、レスタミン®)25~50mg緩徐静注 [AHA心肺蘇生ガイドライン20109)] 保険適用外3)ジフェンヒドラミン(ベナスミン®、レスタミン®)25~50mg静注 [UpToDate6)]4)経口では第2世代のセチリジン(ジルテック®)10mgが第1世代より鎮静作用が小さく推奨されている [UpToDate6)] 経口の場合、効果発現まで40~60分【H2ブロッカー】心収縮力増強や抗不整脈作用がある。蕁麻疹に対するH1ブロッカーに相乗効果が期待できるがエビデンスはなし。本邦のガイドラインには記載がない。保険適用外に注意。1)シメチジン(タガメット®)300mg経口、静注、筋注 [AHA心肺蘇生ガイドライン9)] シメチジンの急速静注は低血圧を引き起こす [UpToDate6)]2)ラニチジン(ザンタック®)50mgを5%と糖液20mLに溶解して5分以上かけて静注 [UpToDate6)]【βアドレナリン作動薬吸入】気管支攣縮が主症状なら、喘息に用いる吸入薬を使ってもよい。改善が乏しい時は繰り返しての吸入ではなくアドレナリン筋注を優先する。気管支拡張薬は声門浮腫や血圧低下には効果なし。1)サルブタモール吸入0.3mL [日本アレルギー学会20141)、UpToDate6)]【ステロイド】速効性はないとされてきたが、ステロイドのnon-genomic effectには即時作用がある可能性がある。重症例ではアドレナリン投与後に、速やかに投与することが勧められる。ステロイドにはケミカルメディエーター合成・遊離抑制などの作用により症状遷延化と遅発性反応を抑制することができると考えられてきた。残念ながら最近の研究では、遅発性反応抑制効果は認められていない10)。しかしながら、遅発性反応抑制効果が完全に否定されているわけではない。投与量の漸減は不要で1~2日で止めていい。ただし、ステロイド自体が、アナフィラキシーの誘因になることもある(表2)。とくに急速静注はアスピリン喘息の激烈な発作を生じやすい。アスピリン喘息のリスクファクターは、成人発症の気管支喘息、女性(男性:女性=2:3~4)、副鼻腔炎や鼻茸の合併、入院や受診を繰り返す重症喘息、臭覚低下。1)メチルプレドニゾロンコハク酸エステルナトリウム(ソル・メドロール®)1~2mg/kg/日 [UpToDate6)]2)ヒドロコルチゾンコハク酸エステルナトリウム(ソル・コーテフ®)100~200mg、1日4回、点滴静注 [日本化学療法学会20047)]3)ベタメタゾン(リンデロン®)2~4mg、1日1~4回、点滴静注11) 表2を拡大する【グルカゴン】βブロッカーの過量投与や、低血糖緊急時に使われてきた。グルカゴンは交感神経を介さずにcAMPを増やしてアナフィラキシーに対抗する力を持つ。βブロッカーを内服している患者では、アドレナリンの効果が期待できないことがある。まずアドレナリンを使用して、無効の時にグルカゴン1~2mgを併用で静注する12)。β受容体を介さない作用を期待する。グルカゴン単独投与では、低血圧が進行することがあるので注意。アドレナリンと輸液投与を併用する。急速静注で嘔吐するので体位を側臥位にして気道を保つ。保険適用なし。1)グルカゴン1~5mg、5分以上かけて静注 [UpToDate6)]【強力ミノファーゲンC】蕁麻疹単独には保険適用があるがアナフィラキシーには効果なし。観察 いったん症状が改善した後で、1~8時間後に、再燃する遅発性反応患者が4.5~23%存在する。24時間経過するまで観察することが望ましい。治療は急いでも退室は急ぐべきではない13)。 気管挿管 上記の治療の間に、嗄声、舌浮腫、後咽頭腫脹が出現してくる患者では、よく準備して待機的に挿管する。呼吸機能が悪化した場合は、覚醒下あるいは軽い鎮静下で挿管する。気道異物窒息とは違い準備する時間は取れる。 筋弛緩剤の使用は危険である。気管挿管が失敗したときに患者は無呼吸となり、喉頭浮腫と顔面浮腫のためバッグバルブマスク換気さえ不能になる。 気管挿管のタイミングが遅れると、患者は低酸素血症の結果、興奮状態となり酸素マスク投与に非協力的となる。 無声、強度の喉頭浮腫、著明な口唇浮腫、顔面と頸部の腫脹が生じると気管挿管の難易度は高い。喉頭展開し、喉頭を突っつくと出血と浮腫が増強する。輪状甲状靭帯穿刺と輪状甲状靭帯切開を含む、高度な気道確保戦略が必要となる9)。さらに、頸部腫脹で輪状軟骨の解剖学的位置がわからなくなり、喉頭も皮膚から深くなり、充血で出血しやすくなるので輪状甲状靭帯切開も簡単ではない。 絶望的な状況では、筆者は次の気道テクニックのいずれかで切り抜ける。米国麻酔学会の困難気道管理ガイドライン2013でも、ほぼ同様に書かれている(図3)14)。 1)ラリンゲアルマスク2)まず14G針による輪状甲状靭帯穿刺、それから輪状甲状靭帯切開3)ビデオ喉頭鏡による気管挿管 図3を拡大する心肺蘇生アナフィラキシーの心停止に対する合理的な処置についてのデータはない。推奨策は非致死的な症例の経験に基づいたものである。気管挿管、輪状甲状靭帯切開あるいは上記気道テクニックで気道閉塞を改善する。アナフィラキシーによる心停止の一番の原因は窒息だからだ。急速輸液を開始する。一般的には2~4Lのリンゲル液を投与すべきである。大量アドレナリン静注をためらうことなく、すべての心停止に用いる。たとえば1~3mg投与の3分後に3~5mg、その後4~10mg/分。ただしエビデンスはない。バソプレシン投与で蘇生成功例がある。心肺バイパス術で救命成功例が報告されている9)。妊婦対応妊婦へのデキサメタゾン(デカドロン®)投与は胎盤移行性が高いので控える。口蓋裂の報告がある15)。結語アナフィラキシーを早期に認識する。治療はアドレナリンを筋注することが第一歩。急速輸液と酸素投与を開始する。嗄声があれば、呼吸不全になる前に準備して気管挿管を考える。 1) 日本アレルギー学会監修.Anaphylaxis対策特別委員会編.アナフィラキシーガイドライン. 日本アレルギー学会;2014. 2) Pumphrey RS. Clin Exp Allergy. 2000; 30: 1144-1150. 3) Hughes G ,et al. BMJ.1999; 319: 1-2. 4) Sampson HA, et al. J Allergy Clin Immunol. 2006; 117: 391-397. 5) 厚生労働省.重篤副作用疾患別対応マニュアルアナフィラキシー.平成20年3月.厚生労働省(参照2015.2.9) 6) F Estelle R Simons, MD, FRCPC, et al. Anaphylaxis: Rapid recognition and treatment. In:Uptodate. Bruce S Bochner, MD(Ed). UpToDate, Waltham, MA.(Accessed on February 9, 2015) 7) 日本化学療法学会臨床試験委員会皮内反応検討特別部会.抗菌薬投与に関連するアナフィラキシー対策のガイドライン(2004年版).日本化学療法学会(参照2015.2.9) 8) 日本小児アレルギー学会食物アレルギー委員会.第9章治療.In:食物アレルギー診療ガイドライン2012.日本小児アレルギー学会(参照2015.2.9) 9) アメリカ心臓協会.第12章 第2節 アナフィラキシーに関連した心停止.In:心肺蘇生と救急心血管治療のためのガイドライン2010(American Heart Association Guidelines for CPR & ECC). AHA; 2010. S849-S851. 10) Choo KJ, et al. Cochrane Database Syst Rev. 2012; 4: CD007596. 11) 陶山恭博ほか. レジデントノート. 2011; 13: 1536-1542. 12) Thomas M, et al. Emerg Med J. 2005; 22: 272-273. 13) Rohacek M, et al. Allergy 2014; 69: 791-797. 14) 駒沢伸康ほか.日臨麻会誌.2013; 33: 846-871. 15) Park-Wyllie L, et al. Teratology. 2000; 62: 385-392.

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サイレント・プア【ひきこもり】

今回のキーワード自発性自信関係依存過保護、過干渉承認進化心理学「なんでひきこもるの?」皆さんは、ひきこもりの生活スタイルを不思議に思ったことはありませんか? 特に身体的な問題や明らかな精神的な問題がないのに、ほとんど家から出ず、重度の場合は部屋からも出ず、社会参加をしない。そのような生活を若年から年単位で続ける。「自分だったら、そんな生活では数日で居ても立ってもいられなくなる」。そう思う人もいるでしょう。現在、医療機関にも、ひきこもりについて相談に来る家族は増え続けています。海外でも増えていることが確認されており、どうやら普遍性があるようです。そんな中、メンタルヘルスの現場だけでなくテレビや新聞でも「なぜひきこもりになるのか?」「ひきこもりをやめさせるにはどうしたらいいのか?」というテーマをよく見かけるようになりました。今回は、進化心理学的な視点から、「なぜひきこもりは『ある』のか?」というテーマまで踏み込みます。取り上げるドラマは、2014年に放映されたNHKドラマ「サイレント・プア」の第5話です。サイレント・プアとは、「声なき貧困」という意味で、経済的な貧しさだけでなく精神的な貧しさに困り果てている高齢者や障害者たちのことです。彼らを救おうとして活動するコミュニティ・ソーシャルワーカーにスポットライトを当てています。なお、このドラマは、NHKオンデマンド(https://www.nhk-ondemand.jp)にて現在配信中です。あらすじ主人公のコミュニティ・ソーシャルワーカーの涼が、ひきこもりの自立を支援するサロンを立ち上げたところから、ストーリーは始まります。順調な滑り出しの中、その町の自治会長の園村は、その運営にいぶかしげに首を突っ込んできます。それには、深いわけがありました。園村の一人息子の健一は、海外で成功しているはずだったのですが、実は30年も自宅に引きこもっていたのです。そして、とうとう園村は、50歳になる息子の行く末を案じて、彼の存在を涼に打ち明けるのです。ひきこもりの心の底は? ―ひきこもりの心理(1) 欲がない―自発性の不足1つ目の特徴は、欲がないことです。健一は、部屋に閉じこもり、唯一していることは、本を読むかインターネットを見ることです。食事は部屋の前まで母親に運んでもらい、時々、部屋を出て、冷蔵庫から食べ物を調達しています。生きるための基本的な欲求しか満たされていません。健一は、涼に「夢はありますか?」と訊ねられると、「そんなもん、あるわけねえだろうが」と吐き捨てています。一方、対照的なのは、涼の祖父の発言です。祖父は、涼に「じいちゃんの夢は?」と訊ねられると、「この店(クリーニング店)がじいちゃんの夢だ」「自分で始めたんだから潰しちゃなんねえって必死だった」「(夢は)一度はばあちゃんと海外旅行に行きてえと思ってた」と楽しげに語ります。多くの人は、友達といっしょにいたい、仕事などを通して誰かの役に立ちたい、パートナーや子どもなどを愛し愛されたいといった社会的な欲求があります。そこには、達成感や充実感があります。しかし、健一は、その欲求が実はあるにはあるのですが、行動を起こすほどではないのです。達成感や充実感を求める欲が鈍くなっています(ドパミンの活性低下)。言い換えれば、自発性が足りないのです。自発性は、主体性、自主性、能動性、積極性、創造性などを生み出します。(2) 自信がない―ストレスへの過敏性2つ目の特徴は、自信がないことです。健一は、「僕が付けてる日記だよ」「その日食った飯のことだけ」「毎日それだけ」「空っぽなんだよ、おれは」と涼に訴えかけます。一方、対照的に、涼の祖父は、「どんなに着古した洋服でも新品のように仕上げる」「じいちゃんの仕事は新しい一日を迎えるお手伝い」「今だってそう思ってる」と誇らしげに言っています。祖父は、自分の今までやってきたことに誇りや自信を持っています。自信とは、自分の考えや行動が正しいと信じることです。これは、周りから認められること(承認)によって培われます。健一は、この承認の積み重ねがないことを「空っぽ」であると言い表しています。そこには、安心感や安定感がありません。何か行動を起こすことへの不安や緊張を抱きやすく、慎重であり臆病になります。失敗への恐怖が強く、ストレスに過敏です(ノルアドレナリンの易反応性)。この不安があまりにも強い場合は、社交不安障害や回避性パーソナリティ障害と診断されることがあります。(3) 現状に甘んじる―関係依存3つ目の特徴は、現状に甘んじていることです。父親である園村は健一に「50にもなる男が、一生このままで恥ずかしくないのか?」と叱責し続けます。あまり居心地は良くないです。しかし、同時に、健一の母親は、「(この料理は)健一の好物でね」「私にはこれくらいしかできないから」と涼に言い、健一の部屋の前まで食事をかいがいしく運んでいます。そこには、どんなことがあっても息子を見捨てないという変わらない愛情があります。健一はその愛情を享受し、同時に依存しています。「なんだかんだ言って面倒見てくれる」という基本的信頼感のもと、頼り切ってしまい、その現状に甘んじて、ハマっています。そこは、うるさい父親とかかわりさえしなければ、居心地は良く(安全基地)、安心感や安全感があります(相対的なオキシトシンの活性亢進)。そして、そこから抜けたくても抜けられなくなっています(関係依存)。表1 ひきこもりの3つの心理の特徴とその要因 欲がない(自発性の不足)自信がない(ストレスへの過敏性)現状に甘んじる(関係依存)神経伝達物質ドパミンの活性低下ノルアドレナリンの易反応性相対的なオキシトシンの活性亢進要因本人ひきこもりを続けること(悪循環)家族構い過ぎる(過干渉)認めない(承認の欠如)心配し過ぎる(過保護)社会親の時間的余裕結果重視の価値観経済的余裕なぜひきこもるのか?それでは、なぜひきこもるのでしょうか? ひきこもりの原因を、本人、家族、社会という3つの要素に分けて探ってみましょう。ひきこもりは本人のせい?まず、ひきこもりは、もちろん本人に原因があります。なぜなら、ひきこもりは本人がひきこもろうという意思を持ってひきこもるからです。ただ、困ったことは、ひきこもりは続ければ続けるほど、続くことです。どういうことかと言うと、ひきこもりは続けていること自体で、ますます欲がなくなり、その引け目も加わりますます自信もなくなり、ますます現状に甘んじてしまい、ひきこもりから抜け出せなくなってしまう悪循環があるということです。例えば、体を動かさない寝たきり状態では、体の様々な機能は衰えていき、風邪をひきやすくなり、ますます寝たきりを深刻にさせてしまいます(廃用症候群)。宇宙飛行士が無重力で足腰や骨が弱っていくのも同じメカニズムです。このように、重力がなければ、体は鈍り弱っていきます。同じように、心も、「重力」がなければ、鈍り弱っていき「寝たきり」になってしまいます。それでは、心の「重力」とは何でしょうか? それは、社会参加による刺激です。ひきこもりは、心の「無重力」状態と言えます。社会参加による刺激は、達成感や充実感であると同時に、ストレス負荷でもあります。仕事などで他人(家族以外)とかかわる経験を重ねていく中で、達成感や充実感による喜びや楽しさから「次はこうしたい」「ああなりたい」という欲が次々と膨らみます(ドパミンによる報酬)。一方、ストレスによる不安や緊張を積み重ねることでストレス耐性が強まります(ノルアドレナリンの制御)。そこに周りから認められることによって(承認)、安心感や安定感が芽生え、自信が生まれていきます。心が鈍り弱っていくとは、喜びや楽しさに鈍くなるだけでなく、相手の気持ちを察するのも鈍くなります。ちょうど、運動能力や語学力は使っていないと錆びついていくのと同じように、人間関係を築く力(社会脳)もひきこもっていては磨かれない。それどころか衰えていきます。口下手になり、恋愛下手になっていきます。さらには、自分の気持ちを察するのも鈍くなり、ものごとのとらえ方(認知)が独りよがりになる場合があります。例えば、自信はないのにプライドは高いという状態です。そこには、何もしないでいれば何でもできるという可能性(万能感)の中に留まってしまう心理があります。また、ストレスに過敏になります。普段は無刺激の生活をしているので、対人関係での些細な刺激がとんでもないストレスになってしまいます。普段に使い切れずにたまっているストレスホルモンが大量に出るのです(ノルアドレナリンの易反応性)。家族には横暴になりがちです。仕事を始めても、最初は打たれ弱く傷付きやすくなります。ひきこもりは家族のせい?ひきこもりは本人だけが原因でしょうか? そうとは言えなさそうです。原因は家族にもあります。なぜなら、ひきこもる「基礎」をつくったのは家族だからです。再び、体と心を対比して考えてみましょう。もともと基礎体力が低くて体が弱い人がいるのと同じように、もともと基礎の「心の力」が低くて、心が脆(もろ)く弱い人もいます(脆弱性)。つまり、個人差です。この個人差は、体力にしても、「心の力」にしても、その人の遺伝的な体質や気質だけでなく、どういうふうに育てられたか(生育環境)も影響を与えています。それでは、どういうふうに育てられたか、つまりどんな家族のかかわり方がひきこもりの「基礎」をつくりやすいのかを、園村がかつて健一にした仕打ちから読み取り、大きく3つの要素に整理してみましょう。(1) 構い過ぎる―過干渉園村は涼に打ち明けます。「30年前に、あいつ(健一)は大学受験直前になって絵描きになりたいと言い出したんだよ」「(そこで)私は、あの子が美大へ行くためにこっそり書いてた絵を全部燃やしたんですよ」と。一方、健一は涼に心の内を漏らします。「あの人(父親)は自分の思い通りに息子を動かしたかっただけ」「僕は大学を2浪して落ちた時、園村家の恥だと言われた」「この世の中におまえの居場所なんかないって」「僕は人生つぶされたんですよ」「絵を描いてると僕は息ができた(のに)」と。1つ目の要素として、親が子どもに構い過ぎていることです(過干渉)。もっと言えば、自分の思い通りにするために、一方的に力でねじ伏せ、親の支配力を見せ付けています。健一の方は、息苦しくも必死になって親の期待通りに生きてきました。しかし、この一件で、彼は自分のつくった世界や夢を「灰」にさせられてしまったのです。ひきこもりの生い立ちを探ると、「もともと手のかからない良い子」という親の印象があります。その背景として、親が過干渉である現実があります。親は、先回りして本人の行動を全てコントロールし、理想の子どもをつくろうとします。すると、子どもは、言われるままに必死に行動し(外発的動機付け)、自分で考える喜びや達成感を味わうこと(内発的動機付け)がなくなります。また、自分の考えで何かをやったことがあまりないと、そうすることに戸惑いや恐れを抱きやすくなります。さらには、逆らえないことを長期間学習した結果、意識せずに無気力になってしまうことが分かっています(学習性無気力)。こうして、自発性が低下していき、欲がなくなるのです。本来、自分で何かをやり遂げる感覚は、子どもの発達段階において必要な刺激です(勤勉性)。ここから自分で成長しようとする能力(自己成長)やどうやって生きていくか自分で決める意識(自己確立)がさらに育まれていくからです。(2) 認めない―承認の欠如園村は、町の人たちに「息子は日本にはおりません」と告げ、海外のビジネスで大成功を収めていることにしています。また、焦りやもどかしさから、健一に「おい、いつまでそんなこと(ひきこもり)をしているつもりだ!」「お前の人生はそんなんでいいのか!?」「おまえはクズだ!」と罵ります。健一の方は、涼に「あの人(父親の園村)が気にするのは人の目だけ」「僕のことだって恥だから人に言わなかった」「おれは我が家の恥です」と訴えかけます。園村は、体裁を気にするあまり、ひきこもっている健一の存在を周りに明かしません。健一は、父親によって存在を消されているのです。また、かつて健一が「こっそり」と反抗していたことを園村が掌握していた事実を考えると、健一は、監視の目が厳しい中で息の詰まる思いをしていたことでしょう。健一には、プライバシーがなく、自分の世界をつくることも許されなかったのです。2つ目の要素として、親が子どもの考えや行動を認めていないことです(承認の欠如)。支配的な親の典型的な行動パターンとして、思春期の子どもの携帯の着信履歴やメール、日記をのぞき見したり、部屋を勝手に掃除することです。本人が大切にしているものや秘密は尊重されておらず、親に本人の世界という自己(アイデンティティ)を認めない姿勢が伺えます。すると、子どもは、自分の考えや行動に自信を持てなくなります。(3) 心配し過ぎる―過保護園村は、健一の絵を燃やした理由を涼に言います。「しっかりとした大学へ行き、安定した企業に入り、立派な人生を送ってほしかった」「それが親の務めだ、そうでしょ?」と。園村は現在の健一に「おれも母さんもいつかは死ぬ」「おまえはたった独りで生きていかねばならんのだ」との切実な思いを吐露します。すると、健一は園村に「今さら何言ってんだ」「あんたがそうさせたんじゃないか」「あんたは自分のことしか考えていない」と言い返します。言い当てている部分はあります。親なりに子どもの幸せを願って良かれと思ってしてきたことが裏目に出ているのでした。3つ目の要素として、親が子どもを心配し過ぎることです(過保護)。愛情は十分に注いでいるのですが、その注ぎ方に問題があったのです。大切にし過ぎて、子ども扱いし、抱え込んでいます。一人の人格を持った大人として見なしていません。一方、健一は、親の期待に反発しつつも、結果的に保護される、つまり子ども扱いされることに甘んじています。本来の愛情は、本人が思春期になったら、本人の幸せのために、夢や希望(自発性)を温かい目で後押しして、困った時に保護することです。愛情が溢れる余りに心配性になり、困ってもいないのに保護して(過保護)、その結果、本人の夢や希望をくじき不幸せな思いをさせるのは、本末転倒と言えます。なぜ複雑な家庭環境ではひきこもりが少ないの?逆に、構い過ぎ(過干渉)や心配し過ぎ(過保護)の対極を考えてみましょう。それは、あまり構わず心配もしない、つまり放置です。これは、育児に時間が取れない一人親家庭、育児が適切に行われていない心理的に荒れた家庭、育児に関心が乏しいネグレクト(育児放棄)や心理的虐待などの複雑な家庭環境が背景にあります。すると、子どもはどうなるでしょうか? 「早く自分で生きていこう」「早く一人前になりたい」という心理(自発性)が高まります。それが望ましくない形で出てくる場合が、家出などの非行です。非行の心理は、「普通の子にはマネできないすごいことをやってのけている」という悪いことをあえてできる自分を周りに示すことに意味があります。そして、見捨てられても大丈夫な自分を演出します。これが、複雑な家庭環境、つまりあまり構わない親のかかわり(放置)では、統計的にひきこもりが少ない理由であると考えられます。一方、構い過ぎ(過干渉)はその逆で、「一人前になりたいたいわけではない」「まだ一人前になりたくない」というひきこもり独特の心理を高めていることが分かります。本来は、親が「ほどほどに構う」ことで、子どもが「ちょっとずつ一人前になる」という関係が望ましいはずです。なぜ低所得層の家庭環境ではひきこもりが少ないの?低所得層の家庭、いわゆる貧困の家庭では、生活に足りないものが出てきます。子どもは、友達と違い、自分は欲しい物がなかなか手に入らないことを自覚します。すると、その渇望感から欲しい物が手に入ることの喜びに敏感になり、生物学的な感受性が高まっていきます(ドパミンの活性)。それが、欲深さであり、ハングリー精神です。こうして、子どもの自発性は高められていき、ひきこもりにはなりにくくなります。また、そもそも経済的に厳しい家庭は、ひきこもりを養っていくだけの経済力がありません。逆に言えば、裕福な家庭では、親子のコミュニケーションのパターンが、心配し過ぎ(過保護)から与え過ぎにすり替わってしまいやすくなります。子どもの望むものが簡単に買い与えられてしまい、欲しいものに飢えることがなくなれば、自発性がとても弱くなるリスクがあります。ここから分かることは、経済的に恵まれている家庭は、ひきこもりが起こりやすくなることを理解する必要があるということです。ひきこもりは社会のせい?それでは、ひきこもりは本人と家族の問題でしょうか? それだけとも言えません。なぜなら、ひきこもりは、世の中で90年代から徐々に増え続けている現実があるからです。つまり社会問題として、普遍性があるということです。最初のひきこもりが90年代に20歳代だとしたら、その幼少期は70年代になります。親を、構い過ぎ(過干渉)、認めない(承認の欠如)、心配し過ぎ(過保護)の3つの心理に駆り立てるようになった70年代以降の社会の変化とは何でしょうか? 大きく3つ挙げられます。(1) 親(特に母親)が暇になった―親の時間的余裕今回のドラマで健一の母親がかつてどうだったかは描かれていませんが、1つ目の社会の変化は、親(特に母親)が暇になったことです。世の中が便利になり、家庭の中も便利になりました。それに加えて、核家族化や少子化によって、時間的余裕を持つ母親が増えました。そして、その余った時間を全て子育てに注ぐ、子育てが生きがいの母親が出てきたことです。こうして、構い過ぎ(過干渉)がエスカレートしていくようになりました。さらには、早期教育、習い事、塾など様々な教育サービスの充実によって、構い過ぎの選択肢はますます増えていきました。そして、いわゆる「お受験ママ」「ステージママ」などの教育に熱を入れ過ぎる母親が登場します。彼女たちによって、ごく一握りの才能のある子どもを除いて、多くの子どもはこれらの活動を強いられて、本来あったやる気(自発性)はますます育まれなくなります。(2) 競争社会になった―結果重視の価値観町内会の会議でのワンシーンを見てみましょう。メンバーが「こういうことはさあ、もっとこう楽しく時間かけてやることに意味があるんだってさあ」と提案して議題から脱線して会話を楽しんでいます。すると、自治会長の園村は、「おほん、効率良くやりませんかね?」「無駄な時間を使えない」「うちの自治会主催の桜祭りはもう何年も閑古鳥ですね」と釘を刺します。園村は、信用金庫の理事を最後に退職しており、もともとお金や時間の無駄にとても厳しいのでした。このシーンからも見てとれる2つ目の社会の変化は、競争社会になったことです。社会の価値観は、競争に勝つために、効率重視、結果重視に傾いていきます。世の中のあらゆるものに価値を求めるようになった結果、子どもにも価値を求めるようになりました。そして、競争に負けてほしくない親心から、「負けたくない子育て」に重きを置かれるようになります。ほめるにしても叱るにしても、結果に重きが置かれるため、どんなに子どもが一生懸命にやって楽しんでいても、そのプロセスについては認めにくくなります(承認の欠如)。親の望むような結果にならなければ、自信はいつまで経ってもつきません。そういう子どもを増やしてしまったのです。(3) 物質的には豊かになった―経済的余裕健一は、一人息子として、立派な一軒家の離れに住んでいます。とても裕福です。ひきこもっていても、物質的には不自由なく生活できています。この様子から読み取れる3つ目の社会の変化は、物質的には豊かになったことです。それは、家族が、経済的に恵まれていくことで、その子どもがひきこもりになりやすい基礎をつくってしまったことです。そして、家族がひきこもる人を経済的に養うことができるようになったことです。その家族の経済力によって、「働かなくても良い」という発想を持つ人が増えてしまったのです。かつて、世の中が豊かではない時、「働かざる者、食うべからず」という考え方が一般的でした。例えば、発展途上国にひきこもりはいません。当たり前ですが、そんなことをしたら生存が危うくなるからです。現在は、「働かざる者も食える」時代になってきたということです。働かなければならない状況なら、そもそもひきこもりにはならないということです。しょうがなく何とか働いているでしょう。これが、現状に甘んじているという心理です。なぜひきこもりは「ある」のか?これまで、「ひきこもりとは何か?」「なぜひきこもりになるのか?」というテーマで考えてきました。ここからは、さらに踏み込みます。そもそも「ひきこもりはなぜ『ある』のでしょうか?」 言い換えれば、「ひきこもりは、なぜ昔になくて今あるのでしょうか?」 この問いへの答えを、進化心理学的な視点で探ってみましょう。私たち人間の体は環境に適応するために進化してきました。同じように、私たち人間の心も進化してきました。その適応してきた環境とは、狩猟採集生活を営んでいた原始の時代です。その始まりは、チンパンジーと共通の祖先から私たちの祖先が分かれていった700万年前です。現代の農耕牧畜を主とする文明社会は、たかだか1万数千年の歴史であり、進化が追い着くにはあまりにも短いと言えます。つまり、進化心理学的に考えると、私たちの心の原型は、まさにこの原始の時代に形作られました。その原始の時代の一番の問題は飢餓でした。この飢餓を乗り越えるために、私たちの体では様々なメカニズムが進化しました。例えば、低血糖にならないためのメカニズムとして、血糖値を上げるホルモンは数種類もあることです。また、飢餓状態では、一時的に脳内の快楽物質(エンドルフィン)が放出されて、むしろ気分は高揚して活動性は高まります。これは本人が意図せず意識せずに起こります。そして、その間に何とか食糧を得たのです。このモデルとなるのが、摂食障害によって低体重で低栄養になった場合の精神状態、いわゆる「拒食ハイ」「ダイエットハイ」です。逆に、現代のように裕福で飽食の社会はどうでしょうか? 大きな問題の1つは肥満です。この肥満を抑えるように私たちの体はあまり進化していません。なぜなら、原始の時代にはありえない状況だからです。血糖値を下げるホルモンにしてもインスリンの1つしかありません。それが肥満により働き疲れると、たやすく糖尿病になってしまいます。動物の中で、肥満を抑える遺伝子が進化しているのは、鳥ぐらいです。そこで、私たちは、肥満を抑える遺伝子がない代わりに、カロリーオフのものを摂ったり、意識的に運動したり、薬を飲んだり、場合によっては胃切除を行っているわけです。飽食の時代に肥満が増えるように、物質的に豊かになった時代に働かない人が増えるのは、進化心理学的に考えれば、明らかなことです。満たされている精神状態では、飢餓の状態とは逆に、意図せず意識せずに活動性は低下しています。端的に言えば、食べ物があればつい食べてしまうし、楽ができるならつい楽をしてしまうというシンプルな話です。肥満を抑えるメカニズムがあまり進化していないのと同じように、働かない心理を抑えるメカニズムもあまり進化していないのです。働かない心理は、肥満と同じく、進化の過程で支払うべき代償(トレードオフ)と言えるでしょう。そして、働かない心理の1つの代表として、今、ひきこもりが、その特異性ゆえに注目を集めているのです。ちなみに、働かない心理のもう1つの代表として、ひきこもりと時期や特徴を同じくして注目されている病態が「新型うつ」です。ひきこもらないためにはどうすれば良いのか?ひきこもりは、本人の考え方、家族のかかわり方、社会のあり方にそれぞれ原因があることが分かりました。それぞれに原因があり、どれか1つのせいにはできないことに気付きます。ひきこもらないために大事なことは、それぞれに原因があることを認め、それぞれがその原因を見つめ直すことです。(1) 本人はどうすれば良いのか?一番大事なことは、まず本人がひきこもりから抜け出したいと強く思うことです。ひきこもりは、本人が止めようと思わなければ止められないです。いくら周りがどんなに一生懸命に取り組んでも、本人に変わる気がなければ、変わらないです。アルコールや薬物などの物質依存、ギャンブルなどの過程依存と同じように、ひきこもりは関係依存という依存症の要素があります。この事実を本人が理解することです。結局のところ、たとえどんな境遇であったとしても、自分の人生の責任は、他でもない自分にあるということに気付くことです。そして、具体的に行動して、何らかのコミュニケーションの刺激にあえてさらされることです。最初はリハビリです。取っ掛かりとして、歯医者への通院も良いでしょう。メンタルヘルスのクリニックやカウンセリングルームへの通院、デイケアや自助グループへの通所など何でもありです。体を鍛えるのと同じように、心を鍛えるには、場数を踏んで、人馴れや場馴れをしていくことです。また、インターネットの利用によって、ひきこもりの人同士が情報発信をし合ったり、集まりに参加することで、お互いにいたわったりねぎらったりすることができます(承認)。これは、新しい社会参加の1つの形であると言えます。こうして、社会的スキル(社会脳)という能力が再びちょっとずつ磨かれていきます。(2) 家族はどうすれば良いのか?涼は、園村に「園村さんが健一さんを大事に思う気持ちと、健一さんの人生を決めてしまうことは、別のことだと思います」と言い当てます。まさにこのセリフは、ひきこもりの基礎をつくる家族の3つのかかわり方の問題点を指摘しています。それは、構い過ぎ(過干渉)、認めない(承認の欠如)、心配し過ぎ(過保護)でした。ここから、この3つの点について家族はどうすれば良いか考えていきましょう。a. 親が自分の人生を生きるラストシーンで、園村は、真っ直ぐに伸びた道を描いた健一の絵を見て、健一にやさしく語りかけます。「これから歩いていってみてくれ、おまえの道を」と。この言葉から、健一の人生と自分の人生は同じではないということを園村がようやく理解したことが読み取れます。1つ目の対策は、親が自分の人生を生きることです。子どもが思春期(10歳代)を迎えたら、子育ては半分卒業です。そして、子どもが成人したら、子育ては完全に卒業です。いつまでも親が子どもの人生を歩み続けることはできないということを知ることです。子どもは子どもの人生を歩むと同時に、親は自分の人生を歩んでいることがポイントです。親が自分の仕事や趣味、友人関係などで自分の世界を持って、何かに励んで楽しんでいることです。そうすると、結果的に、親は子どもに構い過ぎなくなります。また、親は、自分の世界があることで、周りの評判(評価)や体裁をあまり気にしなくなります。そして、そういう親の背中を見て(モデリング)、子どもの自発性は高まっていきます。b. 本人を大人扱いする涼の指摘の後、園村は「あいつの気持ちが知りたい」とつぶやきます。園村は、健一を抱え込んで子ども扱いして、本人の気持ちを考えていなかったことに気付いた瞬間です。一方、健一は、自分の描いた絵がひきこもり自立支援のサロンに飾られたことで(承認)、自信を取り戻していくのです。2つ目の対策は、本人を大人扱いすることです。本人が思春期(10歳代)を迎えたら、親は口出しを徐々に控えていき、本人が決めたことを認めることです(承認)。もちろん、親が生き方の選択肢としての判断材料をたくさん示すことは大切ですが、あくまで最後は本人が決め、それを親が支持するというスタンスを守ることです。例えば、「○○について、親として△△してほしい。だけど、決めるのはあなた。あなたが決めたことなら、結果がどうなっても支えたいと思う」と伝えます。大人扱いをするということは、本人の自由を尊重すると同時に、責任も自覚させるということです。具体的には、最低限の生活のルールを相談して決めることです。そのためのイメージとしては、「しばらくホームステイしている外国の友達の息子さん」というイメージです。そうするとどうでしょう? 例えば、「給料」(生活費)は一定額に固定されます。「文化」の違いがあるので、本人の生活スタイルやプライバシーには配慮し親切に接しつつも、家族にとって迷惑なことがあれば指摘や相談をしたり、家族全員での話し合いをします。「文化」の違いがあるからこそ、率直に意見を言う必要があります。こうして、「文化」の違いを乗り越えたルールがつくられていきます。それでは、暴言や暴力はどうでしょうか? 前半のシーンで、園村が健一に「おまえ、誰のおかげでその年まで働かずに食えてこられた!?」「どれほどの思いをしておれが過ごしていたか分かるか!?」と問い詰めます。すると、健一が急に「土下座して謝れよ!」と大声を上げて、暴力を振るいます。園村のかかわり方には問題がありますが、暴力を振るう健一にも問題があります。このように、暴力などの不適切な問題が起こる場合は、ためらうことなく警察通報や避難することが肝心です。リスクがある時は、本人に事前に伝えることが必要です。例えば、「どんな状況でも暴力は良くない。次に暴力があれば、私は警察通報をしなければならない」とはっきり言うことです。逆に、親が、子ども扱いしたり体裁を気にしたりして警察通報や避難ができない状況では、暴力はエスカレートしていきます。c. 親がサポーターになるラストシーンで、園村は健一に「これから歩いていってみてくれ、おまえの道を」「父さん、生きてる限りおまえを応援する」と語りかけます。この言葉に健一は涙するのです。3つ目の対策は、親がサポーター(応援者)になることです。応援するという言葉には、もはや保護者として親が子どもを保護する、つまり子どもの人生の全責任を負うというニュアンスはありません。応援とは、本人の自由を尊重して、サポーターとしてサポート(援助)に徹することです。そのサポート(援助)とは、衣食住の最低限の生活の保障をすることです。サポートは、際限なくするものではなく、あくまで一定です。親が、ひきこもりの事態の責任を感じて、本人を抱え込んで、本人の言いなりになることではありません。言い換えれば、一定のサポートとは、サポートには限度があるというメッセージです。園村の言葉には、もう1つのメッセージがあります。それは、「(自分たち親が)生きてる限り」という言い回しから分かるように、サポートには期限があるということです。つまり、ひきこもりという経済力のない生活スタイルは、果たしていつまで続けることができるのかということです。親の財産の相続や今後に受給する本人の年金を踏まえて具体的に正確にシミュレーションして、親としてできるライフプランを本人に提案することです。親が定年退職した時や本人が30歳になった時が、家族で相談する1つの節目です。ここでも大切なポイントは、限りある資源をどうするか最終的に決めるのは本人であるということです。「追い詰めれば自立するかも」という安易な発想から、感情的にはならないことです。表2 ひきこもりの3つの心理の特徴、要因、対策 欲がない(自発性の不足)自信がない(ストレスへの過敏性)現状に甘んじる(関係依存)神経伝達物質ドパミンの活性低下ノルアドレナリンの易反応性相対的なオキシトシンの活性亢進要因本人ひきこもりを続けること(悪循環)家族構い過ぎる(過干渉)認めない(承認の欠如)心配し過ぎる(過保護)社会親の時間的余裕結果重視の価値観経済的余裕対策本人ひきこもりをやめようと思い、少しずつ行動すること家族親が自分の人生を生きる(干渉しない)本人を大人扱いする(承認)親がサポーターになる(一定の援助)社会社会もサポーターになる(ソーシャルサポート)(3) 社会はどうすれば良いのか?前半のシーンで、園村は涼に「なぜあんな人間たち(ひきこもりサロンのメンバー)に構うのか?」と問います。すると、涼は「信じているからです」「人はいつでもどんなところからでも生き直せる」と力強く答えています。涼は、持ち前の情熱により、困っている人をサポートしています。このシーンから学ぶことは、ひきこもりに対して社会もサポーターになることです(ソーシャルサポート)。その1つが、涼が立ち上げたひきこもり自立支援のサロンです。ひきこもりの人への社会の中での居場所の提供です。そこには、仲間がいます。また、世の中の多くの人がひきこもりについて理解していけば、ひきこもりの本人の親の友人や近所の人が状況を知った理解者となり、本人を温かく見守ることができます。さらには、ひきこもりの家庭への人の出入りをつくり出すことです。親の友人、近所の人、ケースワーカーなどの第三者の客観的な目が家庭内に入ることは、社会、家庭、個人のそれぞれの風通しを良くしていくことができます。これは、暴言や暴力などの親子の煮詰まりを防ぐ1つの方法でもあります。ただし、家族のサポートに限度があるのと同じように、社会(国)のサポートにも限度があります。社会のサポートは、国の経済力に左右されがちです。ひきこもりなどの働かない人が増えれば、国の経済力が危うくなるのは明らかなことです。この社会的な状況を踏まえて、今後ひきこもりの人に生活保護や障害年金の受給がどこまで可能なのかという社会的な議論や同意が必要になってきます。ひきこもりの未来は?これまで、「ひきこもらないためにはどうすれば良いのか?」という視点で考えてきました。ところで、そもそも、ひきこもりは悪いことなのでしょうか? 逆に言えば、ひきこもらないことは良いことなのでしょうか?昔から、親に頼り働かない人は「すねかじり」「甘え」「怠け」などと否定的に呼ばれてきました。ところが、現在、価値観が多様化する中、こうあるべきという社会(多数派)の価値観は定まらなくなってきています。家庭の家計や国の経済がある程度安定しているのであれば、ひきこもりのライフスタイルは、「エコ」「悠悠自適」とも言えそうです。大事なことは、今ひきこもっている本人が、働くか働かないか、または社会参加するかしないかの古い価値観の二択に惑わされないことです。物質的に豊かな現代、人それぞれで違う「精神的な豊かさ」を得るにはどうすることが自分にとって一番良いのか? その生き方を本人が自分で選び取ることではないでしょうか? その時、ひきこもりは、もはや生き方の選択肢の1つに過ぎなくなるのではないでしょうか? そして、未来にはひきこもりという言葉そのものがなくなっているのではないでしょうか?1)斎藤環:ひきこもりはなぜ「治る」のか?、中央法規、20072)斎藤環:社会的ひきこもり、PHP新書、19983)荻野達史ほか:「ひきこもり」への社会学的アプローチ、ミネルヴァ書房、20084)田辺裕(取材・文):私がひきこもった理由、ブックマン社、20005)長谷川寿一・長谷川眞理子:進化と人間行動、東京大学出版会、2000

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ミスト(中編)【マインドコントロール】

今回のキーワードマインドコントロール心的外傷体験被暗示性カリスマ性ダブルバインドスケープゴート「何でそこまで言い切れるの?」皆さんは、テレビで紹介される「今日の運勢」が気になったりしませんか?科学的な根拠はないのに、結果によって気分が一喜一憂してしまいませんか?また、職場などで「何でそこまで言い切れるの?」と思いつつ、「そうかなあ」とついその人に引き込まれそうになったことはありませんか?この心理は何なんでしょうか?それは、私たちには、進化の過程で手に入れた本能の1つとして、信じ込む心理があるからです。それでは、なぜ信じ込む心が沸き起こるのでしょうか?前回は、2007年の映画「ミスト」を通して、宗教の起源の心理を交えながら、信じ込む心理の魅力やメリットを考えてきました。それは、社会(集団)の安定であり、個人の安らぎでした。今回も引き続き「ミスト」を取り上げ、信じ込む心理の危うさやデメリットを考えます。テーマは、マインドコントロールです。信じ込む心理は、裏を返せば、囚われる心理でもあります。私たちはこの心理とどううまく付き合っていけば良いのかをいっしょに探っていきましょう。表1 信じ込む心理の二面性プラス面マイナス面社会(集団)の安定個人の安らぎ→前月号囚われる心理(マインドコントロール)→今月号マインドコントロールとは?あるのどかな田舎町に突然、立ち込めた濃い霧(ミスト)が、町全体を覆い尽くします。主人公デヴィッドと幼い息子は、たまたま買い物をしていたスーパーマーケットで、その他の大勢の買い物客と共に閉じ込められてしまいます。ガラス越しの外の一寸先は、濃い真っ白な霧の世界です。一歩踏み出すと、得体の知れない何かが彼らを襲ってきます。その時、スーパーマーケットの中で存在感を発揮し始めるのが、町の信心深い信者であり変わり者でもあるカーモディさんです。彼女は、自らの説く教えによって、人々を次々と信者へと変えていきます。そして、教祖のようになったカーモディさんは、生け贄を捧げようと言い出し、その言葉に人々は熱狂し、従うようになります。一体、何が起こっているのでしょうか?その答えが、マインドコントロールです。マインドコントロールとは、人の心(マインド)を思い通り(コントロール)にすることです。私たちは、そう簡単に自分の心は他人の思い通りにならないと思うでしょう。しかし、実は、ある状況や原因が重なると、誰にでも起こりうる危うさが潜んでいます。これから、このマインドコントロールのメカニズムについて、マインドコントロールされる側とする側の両方の視点で見通します。そして、マインドコントロールにかかる心理と、マインドコントロールをかける心理(テクニック)を解き明かしていきたいと思います。まずは、マインドコントロールにかかる心理の危険因子を、環境因子と個体因子に分けて順番に考えてみましょう。マインドコントロールにかかる心理(1)環境因子―1. 閉鎖性デヴィッドたちは、スーパーマーケットという霧で覆われた密室に閉じ込められています。その中で、たまたま居合わせた人々が生活を共にすることになるのです。そこは、光が遮られ、昼と夜が分かりにくい状況です。また、そこで人々の体の間合い(パーソナルスペース)や心の間合い(心理的距離)はいやおうなく近付いています。お互いのことが目につき過ぎてしまい(対人感受性)、プライバシーが失われていきます。また、食糧には困りませんが、電話、テレビ、ラジオなどのあらゆる通信、受信が機能せず、助けも来ず、全くの孤立状態です。まさに霧の中で先行きが見えません。このような空間的にも時間的にも閉じている状況(閉鎖性)はマインドコントロールの危険因子です。この状況は、まさに原始の時代の閉ざされた1つの共同体に見立てられます。約20万年前には、私たちの祖先は、最大100~150人(ダンバー数)くらいの閉鎖的な運命共同体(集団)をそれぞれつくっていました。スーパーマーケットの人々が、共同体の擬似家族となることで、前月号で触れたように、集団の安定のために、相手と同じ行動や考えを好み(同調)、何かを拠りどころとして信じ込もうとして(崇拝)、従いやすくなる心理(集団規範)が高まります。これは、原始宗教の心理の特徴です。昔からの宗教における山ごもり修行や、現在のカルト宗教での社会からの断絶による集団生活は、この心理が大いに働いていると言えます。マインドコントロールにかかる心理(1)環境因子―2. 不安定性―[1]心的外傷体験スーパーマーケットの人々の中の地元民のジムは、初め、カーモディさんをバカにして、暴言を吐いていました。ところが、目の前で次々と人が怪物に殺されていく状況の中、そしていつ次は自分の番になるのか分からない状況の中、様変わりしてしまいます。救いを求めて、完全にカーモディさんの忠実な信者となってしまうのです。デヴィッドたちは、「(霧が出てから)2日も経っていないのに」「精神バランスが崩れたか」と残念がっています。このような心的外傷体験(トラウマ)による予測不可能な状況(不安定性)はマインドコントロールの危険因子です。ありえない現実を目の当たりにしていつ死ぬか分からない恐怖を味わうと、今まで信じていた価値観(認知パターン)や行動パターンなどの心の拠りどころを失い、新たな心の拠りどころを求めるようになります(パブロフの超逆説的段階)。つまり、極限状況において、脳の既成のプログラムがリセットされて、新しい刺激(条件)による書き換えが起きやすくなるということです。そして、無垢でナイーブな子どものように、新しい刺激を受け入れやすくなるのです。例えば、失恋をして異性の友人に相談をすると、その相談相手に惚れてしまうという話はよく聞くでしょう。これは、失恋を心的外傷と捉えれば、相談相手が新しい拠りどころ(=恋人)となるような脳の書き換えが起きやすくなるということです。ルール(法律)や論理(科学)と言った理性的な心の拠りどころを失った人々は、恐れや焦り、苛立ちにより、理性よりも感情に支配されやすくなります。より感情的な心の拠りどころを見つけようとします。そして、共同体が結束した原始の時代の宗教的な心が目を覚まします。現代のカルト宗教の中には、不眠、不休、不食の極限状況を強いたり、社会で悪とされること(犯罪行為など)をあえてさせるところもあります。これは、極度のストレスにより精神的に弱らせることで、またモラルを破らせてもともとの価値観(認知パターン)を壊させることで、心的外傷体験を作り出し、救いや癒やしなどの新しい拠りどころ(=入信)を与えるテクニックと言えます。最近はあまりないようですが、部活動でのしごきにより極限状態を強いることで、チームの一体感を強めるというやり方も、同じ心理を利用しています。マインドコントロールにかかる心理(1)環境因子―2. 不安定性―[2]感覚遮断と感覚過剰予測不可能な状況(不安定性)とは、心的外傷体験だけではありません。それは、閉鎖性によりいつも慣れ親しんでいる五感など刺激(情報)がシャットアウトされている状態(感覚遮断)でもあります。例えば、人間は、閉じ込められたり縛られたりして身動きが取れない状態が一定時間以上続くと、的外れなことを言ったり(的外れ応答)、子どもっぽく振る舞ったりするなど(小児症)、精神状態が一時的に幼くなります(拘禁反応)。子どもっぽくなるという点は、先ほど触れた心的外傷体験による結果と共通しています。また逆に、新しい刺激(情報)が溢れ返っている状態(感覚過剰)も予測不可能な状況(不安定性)です。これは、入力される過剰な刺激(情報)によって、情報処理が追い着かなくなり、脳がパンクし麻痺してしまい(ストレス負荷)、自ら考えようとしなくなる状態です。このように、感覚遮断や感覚過剰による予測不可能な状況(不安定性)はマインドコントロールの危険因子です。極端な隔離生活による情報の「干ばつ」が心を日照らせてしまう状況も、メディアなどによる情報の「洪水」が心に押し寄せて溺れさせてしまう状況も、心を不安定にさせます。つまり刺激(情報)は、足りなくても溢れていても良くなくて、適度にあるのが望ましいと言えます。この危険因子は、ICU症候群(術後せん妄)でも同じです。これは、交通事故や手術後の後、ICU(集中治療室)に入室して、精神的に混乱する状態です。隔離されていることで、いつもいっしょにいる家族と会えず(感覚遮断)、昼夜が分からない明るい部屋で、心電図などのモニター音がピコピコ鳴り続けている状況(感覚過剰)が原因です。昔から、宗教が盛り上がるのは、その時代の社会の不安定さを反映しているようです。社会が混乱して不安定(感覚過剰)だからこそ、社会がまとまり安定するための求心力を人々は求めて、宗教的になっていくのです。最近では、選択肢(知識)が多い状況(感覚過剰)ほど逆に決められなくなるという心理実験の研究結果が出ています。そんな世の中だからこそ、決定を代行するアドバイザーもまた増えているわけです。そもそも原始の時代から私たち人間は、選択肢などほとんどないシンプルな暮らしを送っていました。暮らしの中で選択肢が急激に増えたのは、産業革命が起きてからごく200年、情報革命が起きてからごく30年です。700万年の人間の心の進化の歴史を考えると、私たちの脳が、過剰な情報化社会に合うように進化するのには時間が短すぎるのです。つまり、テレビ、ネット、携帯電話に過剰にさらされている子どもたちは、主体的で創造的に考えようとする心理を弱め、引きこもりのリスクを高めているとも言えます。マインドコントロールにかかる心理(1)環境因子―3. 視野狭窄デヴィッドの仲間の1人が「セサミストリートへようこそ」「今日習う言葉は『償い』だよ」と言い、一貫して「償い」という言葉を言い続けるカーモディさんを揶揄します。人々は、もはや「償い」より他の選択肢が見えなくなっています。これは、外界の情報がシャットアウトされた上に(感覚遮断)、視野(思考)を一点に集中させられている状況です(視野狭窄)。例えるなら、暗いトンネルの中にいて、遠くに見える明るい出口に突き進む状況です(トンネル体験)。このように、トンネル体験(視野狭窄)はマインドコントロールの危険因子です。情報が途絶えて刺激に飢えている心理状態(感覚遮断)では、与えられた特定の刺激からの影響力が強まります。例えば、過激テロ組織で集団生活を送るメンバーは、そこにいる指導者や仲間が唯一のモデル(基準)となり、拠りどころとなります。組織のために自爆テロを行うメンバーは英雄であるという価値観が育まれやすくなり、自ら進んで自爆テロに志願するのです。かつて太平洋戦争で、多くの若者がいとも簡単に特攻隊に志願したのも、この心理メカニズムから理解することができます。また、犯罪の容疑者が、取り調べ室に閉じ込められ、「おまえがやったんだよな?」と刑事に延々と言われ続ければ、この心理メカニズムが働き、冤罪が招かれやすくなるのも理解できます。これらの心理は、まさに共同体が結束した原始の時代の宗教的な心と重なります。逆に、この心理が健全とされる形で利用されてもいます。例えば、男子校や女子校は、性別を限定することにより、恋愛の刺激を抑えています。進学クラス、寄宿舎生活、スポーツチームの合宿などは、受験勉強やスポーツなどの特定の刺激を特化して与え、拠りどころ(価値観)を統制しやすくしています。また、極端な例として、少年院の矯正教育では、更生に望ましくない外界からの刺激をシャットアウトして、更生に望ましい日課のみが全て細かく決まっています。マインドコントロールにかかる心理(1)環境因子―4. 乏しいソーシャルサポートソーシャルサポートが乏しい状況(孤立)はマインドコントロールの危険因子です。これは、映画では描かれていませんが、とても重要です。家族や地域(職場)などでの集団への帰属意識(集団同一性)が希薄であれば、必然的に心の拠りどころ(同一化)に飢える心理状態になります。マインドコントロールによる強い力に引き込まれやすくなります。実際、家族や地域(職場)などのさまざまな絆が失われつつある昨今の状況は、この危険因子が強まっていると言えます。マインドコントロールにかかる心理(2)個体因子―1. 依存性これまでマインドコントロールにかかる心理の環境因子について整理しました。しかし、同じ環境でも、マインドコントロールにかかりやすい人とかかりにくい人がいます。この違いは何でしょうか?それは、個人差(個体差)です。ここからは、個体因子について考えていきましょう。まず、カーモディさんの最初の信者となった緑色の上着を着た女性に注目してみましょう。怪物の襲撃に備えて、人々がそれぞれにてきぱきと動いている中、彼女は、カーモディさんが説教をするそばに付いて、何も考えられないかのように不安そうにしています。そして、怪物たちが襲撃した後には「彼女が言った通りになったわ」とカーモディさんの言うことを鵜呑みにしていきます。自分でどうすれば良いか判断することが難しく、主体性がありません。誰かの指示を待ち、強く言う人に染まりやすいのです。このように、依存的な性格(依存性)はマインドコントロールの危険因子です。この性格は、従順で協調性が高いというプラス面があると同時に、受け身で流されやすいというマイナス面もあります。例えば、かつて冷戦時代に、軍人たちが敵国に洗脳(マインドコントロール)されたと世の中に衝撃を与えました。軍人は、屈強で精神的にも強そうに思われていたからでしょう。しかし、実は意外にも、軍人や体育会系の人はマインドコントロールにかかりやすいと言えます。その理由は、上官、上司、先輩の命令には絶対服従するために、自分の意見を抑える癖が身に付いているからです。これが逆に仇となっているのです。つまり、問題意識を持たない従順な人ほどかかりやすいのです。さらに言えば、周りの働きかけに素直に従ってきた良家の子や温室育ちの子も同様です。かつて巨大なカルト宗教に、多くの高学歴エリートたちが入信し、犯罪まで行いました。この理由も、幼少期から言われるままに勉強ばかりして、主体的で柔軟な考え方をする癖が付きにくかった可能性が考えられます。視野が広がらず、心の拠りどころ(行動原理)が乏しかったかもしれません。そして、一度信仰という拠りどころにはまったら、それ以外の多様な価値観を受け入れることが難しくなってしまったのではないでしょうか?これは、幼少期から受験勉強という「トンネル体験」を強いた代償とも言えるかもしれません。さらに、国際的に見れば、集団主義的(依存的)な文化を持つ私たち日本人は、そもそもマインドコントロールにかかりやすい国民性なのではないかと思われます。マインドコントロールにかかる心理(2)個体因子―2. 被暗示性デヴィッドたち数人のグループは、最後までカーモディさんの言うことを信じません。この理由は、信じ込みやすさにも個人差があるからです。先ほど心的外傷体験で触れたのは、環境因子による脳の書き換えの起こりやすさです。一方、個人差(個体因子)による脳の書き換えの起こりやすさもあります。言い換えれば、これは、暗示へのかかりやすさです。暗示とは、暗に示されたことへの信じ込みの強さです。例えば、占い、迷信、超常現象などをすぐに信じてしまう人です。このような人は、マインドコントロールにかかりやすい危うさがあります。このように、暗示へのかかりやすさ(被暗示性)はマインドコントロールの危険因子です。精神科医療の現場で、全く効果のない薬を効果がとてもあると伝えて内服させると、患者によっては効果があります(プラセボ効果、偽薬効果)。これは、効く薬だという安心感や医師への信頼感が被暗示性に大きな影響を与えているからでしょう。前号で触れた「信じる者は救われる」という心理でオキシトシンが活性化されている可能性とも重なります。この安心感や信頼感を生み出しているのが、共感性です。共感性とは、相手の気持ちを汲み取るのに長けていることです。この心理が高じて、相手から影響を受けやすくなってしまう、つまり被暗示性を強めていると思われます。さらに、相手の考えに感化して対応(共有)してしまう精神状態になることもあります(感応)。同調性や協調性との関係も深いです。これは、「みんな同じ、みんな仲良し」を重んじるゆとり教育を受けた世代の危うさでもあります。暗示や感応は、誤った考えの思い込みが一時的な段階です。しかし、それが持続的な段階になれば、妄想と呼ばれます。表2 暗示、感応、妄想の違い 暗示、感応妄想特徴反応的浮動的一時的(~数日)、可逆的自己誘発的(一次妄想)も固定的持続的(数週~)、不可逆的マインドコントロールにかかる心理(2)個体因子―3. 脆弱性さきほど触れたジムは、信者になる前、デヴィッドとのやり取りで、「大卒のあんたがおれより偉いわけじゃない」「おれをナメるな」と強がります。そして、自分の判断ミスで、ある青年を見殺しにしても「なんでもっと危険だって言ってくれなかったんだ」とデヴィッドのせいにします。彼の立ち振る舞いは、決して知的に高そうには見えません。スーパーマーケットにいたかつての彼の担任教師からも、「あんた兄妹揃って成績が悪かったわね」となじられています。また、強がりは弱さの裏返しです。彼には、心の余裕がなく、不安でいっぱいであることが分かります。このような人は、理性的に考えることができなくなり、カーモディさんのような強い人の言いなりになっていくのです。このように、知的な制限や低いストレス耐性による脆弱性はマインドコントロールの危険因子です。これは、知能の発達段階にある子どもについても同様です。表3 マインドコントロールの危険因子環境因子メンバーの個体因子カリスマの個体因子1. 閉鎖性光が乏しく、昼と夜が分かりにくいプライバシーがない先行きが見えない2. 不安定性心的外傷体験、極度のストレス情報のシャットアウト情報の溢れ返り3. トンネル体験(視野狭窄)4. 乏しいソーシャルサポート(孤立)1. 依存性2. 被暗示性、共感性3. 脆弱性知的な制限(低知能)低いストレス耐性子ども1. 神秘性2. 権威3. 煽動4. 断定5. 反復6. ダブルバインド7. 序列化8. スケープゴートマインドコントロールをかける心理とは?―カリスマ性これまで、マインドコントロールにかかる心理を環境因子と個体因子に分けてまとめました。ここからは、マインドコントロールをかける心理(テクニック)を考えてみましょう。これは、カリスマ性の条件(個体因子)とも言えます。カーモディさんをモデルにして、これらの条件を考えてみましょう。カリスマ性の条件―(1)神秘性カーモディさんは、「今夜、闇と共に怪物が襲ってきて、誰かの命を奪う」と予言します。そして、結果的に、的中してしまいます。すると、人々は、カーモディさんに特別な能力があると信じ込んでいくのです。カーモディさんは、思いのほか、人々が自分の言うことを信じるようになったと察知し、すかさず「分かったでしょ?」「これで私の言うことを信じるわね?」と勢い付いていきます。このように、奇跡の演出(神秘性)はカリスマ性の条件です。カーモディさんは、厳密には奇跡を起こしたのではなく、いつもの口癖がたまたまその状況に当てはまってしまっただけです。しかし、彼女はここぞとばかりにそのまぐれの状況を巧みに演出しています。もちろん、カーモディさん自身も自分の「奇跡」に酔いしれて信じ込んでいます。奇跡体験とは、今まで不可能であると思っていたことが可能であると見せつけられることです。つまり、今まで心の拠りどころだった信念(認知パターン)がひっくり返ってしまう出来事です。この点で、奇跡体験も一種の心的外傷体験(心的外傷後ストレス障害、PTSD)です。先ほどのマインドコントロールの危険因子として述べたように、奇跡体験は、脳の書き換えが起きやすくなる状態を作り出し、その後の刺激(情報)を受け入れやすくします。例えば、生存確率の低いがん患者が、手術や移植などによって奇跡的に完治した後、社会貢献をしたり信心深くなったりするなど人が変わったように自己成長していくことをよく耳にします(外傷後成長、PTG)。これは、「もう近いうちに死ぬ」という心的外傷体験の後に、完治するという奇跡体験をして、「生かされた」「助けられた」という事実(刺激)が、強く脳に刻み込まれ、新しい価値観として重みを帯びるからであると考えられます。また、宇宙から生還した宇宙飛行士が、後に少なからず宗教にはまるというエピソードも、宇宙空間という神秘的な極限状況が心的外傷体験や奇跡体験として脳に作用している可能性が考えられます。カリスマ性の条件―(2)権威カーモディさんは、聖書を片手に威厳を持って、「煙の中からイナゴの群れが地上へ」「それらのイナゴには地上のサソリと同じ力が与えられた」「神殿から響く声が7人の天使に言った」「さあ、行くがいい」「神の怒りを地上に注ぐのだ」と言います。これは、スーパーマーケットに飛んできた巨大な昆虫を、聖書の「神の怒り」によって遣わされた「サソリと同じ力」の「イナゴ」に重ね合わせています。つまり、自分たちの生死は、聖書によってすでに運命付けられているとほのめかしています。そして、「黙示録第15章」「神殿は神の栄光と力による煙で満たされ」「7人の天使の7つの災いが終わるまで誰も神殿の中に入れなかった」「神を迎え入れる準備をすべきよ」「世の終わりは、炎ではなく、霧と共に訪れるのよ」と訴えかけます。その後、「出てはだめよ」「私が許さない」「神の意思に反する行為よ」「まだ分からないの?」「私が正しいことは何度も何度も証明した」「私が預言者だと示したはず」と言い放ちます。自分が、預言者、つまり神の言葉を預かる者であり、自分の言葉が神の言葉を代弁していると言っています。このように、聖書や神託などによる神格化(権威付け)はカリスマ性の条件です。私たちは、権威的な「答え」にすがってしまう弱さがあります(依存性)。権威は被暗示性を高めることが分かっています。例えば、高名な専門家に診てもらったというだけで、病気が良くなった気になる患者はよくいます。その理由は、原始の時代から、権威を動機付ける崇拝の心理が私たちには残っており、その心理はくすぐられやすいからです。これは前号で解説しました。崇拝の心理は感情的であるため、理性的によくよく考えればおかしなことも納得してしまうのです。そもそも聖書の内容を象徴的な意味として解釈すれば、どんな状況にも強引に当てはめることができます。そして、あたかも聖書がその現実を予言しているかのように人々に思い込ませることができます(バーナム効果)。これは、誰にでも当てはまりそうな質問をして心を読まれていると錯覚させる占い師のテクニックにもつながります(コールドリーディング)。カリスマ性の条件―(3)煽動カーモディさんは、怖い顔をして「怪物が哀れな若者をさらった」「霧の中にいる怪物を疑うの?」と声高に言います。デヴィッドの仲間のある女性から「(あなたのせいで)子どもたちが怯えているわ」と言われても、「怯えるべきよ」とむしろ恐怖を煽っています。その後、「哀れな娘は死んだ」「青年は焼け死んだ」と声高に叫ぶカーモディさんをその女性は見て、「みんなを煽動している」と不安がっています。デヴィッドの仲間の1人は、「怯える連中はカーモディさんに従う」と言います。そして、その通りになります。人々は教祖のようなカーモディさんを信奉し、従順になっていきます。このように、集団のメンバーへの恐怖の煽動はカリスマ性の条件です。集団のメンバーは、恐怖によって感情的になりやすくなり、理性は弱まり(脆弱性)、原始の時代の宗教的な心、つまり信じ込む心が強まります。そして、指導者に対する崇拝の心理が高まります。実際に、社会情勢が混沌として不安定であったり、社会の価値観が揺らいでいたりして、人々が不安を抱えている時こそ、救世主やヒーローなどのカリスマが現れています。カリスマは、その状況を強めるために、さらに人々の不安感を煽るのです。弱みに付け込むのです。すると、カリスマの地位が盤石なものになります。ヒトラーはカリスマ性があったと言われています。それは当時のドイツの政情が不安定であったからだという分析がなされています。いつでもどこでも世の中が不安定になれば、第2のヒトラーが現れるリスクが高まるということです。日本でも景気が悪かったり、政局が不安定であればあるほど、強いリーダーシップを持ったカリスマ性のある政治家が目立っていきます。裏を返せば、世の中が平和で安定している時は、カリスマは現れにくいと言えます。なぜなら、何とかしてくれる、奇跡を起こしてくれるカリスマをそもそもその時の人々が求めていないからです。つまり、カリスマが私たちの目の前に現れるかどうかは、社会の安定感を計る1つのバロメーターになります。カリスマが現れない時代や集団こそ、安定した健全な社会であり組織であると言えます。つまり、社員全員が崇拝するカリスマ社長は、マスコミでもてはやされますが、果たしてその会社は本当に大丈夫なのかと疑問を持ってしまうということです。カリスマ性の条件―(4)断定カーモディさんは、人々に「あなたたちは罪深い人生を送ってきた」「怪物が襲ってきた時にあなたたちは神に叫び、この私の導きを求めるのよ」と断定します。その確信に満ちた態度を見て、デヴィッドの仲間の男性の1人は、「(カーモディさんは)自分は神と話せると信じ込ませている」「みんな解決策を示す人に見境もなく従ってしまう」と冷静に言います。このように、確信的に言い切ること(断定)はカリスマ性の条件です。聖書や神託などの権威付けを基に、断定的で分かりやすく、繰り返されるカーモディさんの同じ「答え」に(視野狭窄)、弱っていて何かにすがりたい人々は飛び付いてしまうのです(依存性)。そして、何の疑いもなく信じ込んでしまうという盲信的で狂信的な原始の時代の心が発動します。私たちの日常生活でも、自信満々で断定的に話す人を見かけます。かつて芸能界でも、「地獄に落ちるわよ」という決めゼリフを言い、相手を追い込んでいく人がいました。そして、このような場合、「助かりたければこうしなさい(言うことを聞きなさい)」と分かりやすい解決策が示されます。相手からは、このような人は救世主のように見えるのでしょう。そもそも救世主の役割を突き詰めて考えれば、おかしなことに気付きます。本当に救世主なら、黙って救済すれば良いだけの話です。しかし、救世主は、救いを約束して条件を提示するという形式を常にとっています。実は、断定のテクニックは、世の中に溢れています。例えば、ビールのCMです。「売り上げナンバーワン」という事実をアナウンスするCMは理性的です。一方、「このビールは本物だから」とタレントに言わせるCMはどうでしょうか?「このビールだけが本物、他は偽物」というふうにも聞こえないでしょうか?そもそも「本物」とは何でしょうか?「本物」の根拠は何でしょうか?明らかにされていないことが多すぎです。つまり、言い過ぎなのです(過度の一般化)。また、従来の心理学の本においてよく見かける記載の1つに「日本の男は未熟だ」という表現があります。しかし、どれくらい割合の「日本の男」なのか?それでは何を持って「成熟」とするのか?定義や論理性が弱く抽象的になってしまい、読者には言い当てているように思い込ませてしまいます(バーナム効果)。これが、従来の心理学が人々に宗教のような胡散臭さを匂わせてしまっている理由でもあります。カリスマ性の条件―(5)反復デヴィッドが、気を失ったように寝入っている中、カーモディさんは、「大地はムチやサソリで私たちを懲らしめる」「そして大地は忌まわしい汚物を吐き残忍で汚れた恐ろしい魔物が解き放たれた」「魔物を食い止める方法は!?(ない)」「どこに隠れても奴らから身を守れない」と煽動的にそして断定的に延々と語り続けます。そして、「償い」という言葉を繰り返します。目を覚ましたデヴィッドは、「あの声は夢だと思った」と言います。仲間の男性は「カストロみたいに休まずしゃべり続けているよ」とあきれたように言います。このように、同じ言葉を繰り返し吹き込むこと(反復)はカリスマ性の条件です。煽動して断定した上に、反復することで、刺激(情報)が刷り込まれやすくなります。これは、さきほどマインドコントロールにかかる心理でも触れたように、情報が途絶えて刺激に飢えている心理状態(感覚遮断)では、与えられた特定の刺激(情報)が繰り返し吹き込まれることにより(感覚過剰)、自ら考えようとしなくなり、その刺激からの影響力が強まっています(視野狭窄)。かつてのカストロやヒトラーも、同じ言葉を延々と繰り返しています。逆に、この反復の手法は、CMなどでキャッチフレーズとして歌やリズムに乗せて当たり前のように使われています。また、良いスピーチやプレゼンも、このようなキーワードを繰り返すことが勧められています。カリスマ性の条件―(6)ダブルバインドカーモディさんは、「今こそ立場を選ぶべき時」「(生け贄をして)救われる者か、(生け贄をしないで)呪われる者か」と人々に訴えかけます。生け贄をするかしないかという究極の選択を人々に迫ります。しかし、考えてみると、おかしなことに気付きます。それは、神の存在は前提であり既成事実となっています。そして、生け贄以外で助かる可能性に目を向けさせないようにしています。このように、他のことへの注意を削ぐために二択に持ち込むこと(ダブルバインド、二分思考、白黒思考)はカリスマ性の条件です。人々を二者択一することばかりに一生懸命にさせてしまうのです。これは、特に迷っている時や弱っている時に効果が高まります。迷いがない時には効果は乏しく、逆に強引に思われて反感を買われやすくなります。もともと私たちは、この心理にとても陥りやすいです。例えば、恋わずらいで、「好き」「嫌い」と花びらを1枚ずつとっていき、最後にどっちが残るかドキドキするというのは古典的です。情緒不安定な人(情緒不安定性パーソナリティ)は、初対面で「大親友か絶交か」という極端な対人関係を築きがちです(理想化とこき下ろし)。恋わずらいにせよ情緒不安定にせよ、本来は大好きでも大嫌いでもなく、ほどほどの好意を持つことがスタートラインです。また、シェークスピアのハムレットの「やるかやらないか?それが問題だ」という名ゼリフも有名です。「生きるか死ぬか」「勝つか負けるか」「良いか悪いか」などもよく耳にします。これらは、その究極の選択肢だけに囚われてしまい、その他の選択肢への注意が削がれています。世の中では、相手に何かを決めさせたり心を動かすためのテクニックとして、この心理が利用されています。例えば、CMのキャッチコピーです。「ほんのり甘い味とほろ苦い味のコーヒーが新発売!ぜひお試し下さい」と「ほんのり甘いコーヒーとほろ苦いコーヒー、自分はどちらを選ぶ?」を比べてみれば、その違いが分かります。後者は、「甘いのと苦いのとどっちかな」という思考が働き、コーヒーを飲むことをすでに前提としています。逆に言えば、コーヒーを飲まないという選択肢には注意が向きにくくなります。また、次の2つのデートの誘い文句の違いはどうでしょうか?「映画か遊園地か行かない?」と「映画と遊園地だったら、どっちに行きたい?」です。後者は、デートに行くことをすでに前提にしています。デートに行かないという選択肢に注意が向きにくくなります。車のセールスにおいても、車を買うかどうかは置いといて、「色は、赤と白のどっちがいいですか?」「ナビは付けますか?」などと次々とオプションを勧めています。これは買うことが前提で話を進めることで、買った気にさせ、買いやすくさせています。それでは、子どもに宿題をさせたいお母さんは、どちらの言い方の方が子どもを宿題する気にさせそうでしょうか?「宿題しなさい」でしょうか?それとも「宿題はおやつの前にする?後にする?」でしょうか?もうみなさんはお分かりだと思います。最近の選挙では、公約を1点に絞るという手法が用いられています(ワン・イッシュー選挙)。これもまさに、「○○について賛成か反対か」という分かりやすい一大テーマに注意を向けさせて、その他の困難な政治課題には注意を向けさせないという意図がありそうです。カリスマ性の条件―(7)序列化カーモディさんは、説教をする中、ある男性を自分に引き寄せ、「今夜、あなたは神の顔を見た、そうでしょ?」「そうです、彼は神の顔を見たのです」と讃(たた)えます。そして、周りからは拍手が沸き起こります。すると、信者になったばかりのジムは自分もカーモディさんに認められたいと思い、必死になります。そして、デヴィッドたちと軍人のヒソヒソ話を聞き付け、「こいつら(軍人たち)が災いをもたらした!」「神の怒りを呼び覚ましたんだ!」と叫び、1人の軍人をカーモディさんの前に差し出すのです。このように、メンバーの格付け(序列化)はカリスマ性の条件です。賞賛されたメンバーは、仲間であるという承認欲求が満たされ、集団への忠誠心や連帯感が強まります(崇拝)。また、賞賛されていないメンバーは、賞賛するメンバーを英雄視する一方、欲求不満となります。ジムのように何とか認められるため、裏切り者を見つけ出すなど手柄を挙げようとします。この賞賛や逆の無視(放置)が気まぐれでなされることも、カリスマ性を高める要素です。そうすることで、メンバーたちはカリスマの顔色をますます伺い、この不安定な状況を解消したいと思い、言いなり(依存的)になっていきます。これは、ちょうど夫からDV(家庭内暴力)を受ける妻の心理に重なります。マインドコントロールにかかる環境因子の1つである乏しいソーシャルサポートの段落でも触れましたが、現代は、絆や連帯感が希薄になっています。それだけに、この序列化の手法に私たちが乗りやすくなっていると言えます。実際のカルト宗教集団では、すでに入信している信者たちが、入信のための見学者に「愛しています」と言い続けます。これは「愛情爆弾」と呼ばれており、口先だけと思っていても、悪い気がせず、やがて同調の心理が刺激されて、見学者は、周りの信者にとって特別な存在であると錯覚してしまうのです。そして、入信する意思をますます固めてしまうのです。これを商業的に利用していると思われる例もあります。日本ではあまり見かけないようですが、韓流スターなどの海外のアイドルは、ファンに向かって真顔で「愛しています」と言い切り(断定)、ファン心理を高めています(崇拝)。ファンクラブの特待や優待の仕組みも、この序列化の心理を巧みに利用しています。学校教育や組織の運営においても、表彰するという形で、序列化の心理は利用されています。カリスマ性の条件―(8)スケープゴートカーモディさんは、「魔物を食い止めるには?」「どこに隠れても奴らから身を守れない」「何が必要?」と人々に訴えかけます。すると、人々は一斉に「償い(贖罪)だ!」と口を揃えます。そんな中、ジムがこの異常事態の犯人として1人の軍人を差し出します。すると、カーモディさんは言葉巧みにこの軍人を「裏切り者のユダめ」と罵ります。このように、集団にとって共通の目的(敵)を見い出すこと(スケープゴート)はカリスマ性の条件です。共通の目的(敵)とは、最初は、襲ってくる怪物だけでした。やがて、カーモディさんによってすり替えられた神への償いや裏切り者を見つけ出すことへと広がっていきます。共通の目的(敵)が増えることによって、集団はますます一体化して(同調)、カーモディさんのカリスマ性もますます高まっていきます(崇拝)。また、集団のメンバーが裏切り者を咎めることは、同時に、自分が裏切り者になることを強く恐れることにもなります。原始の時代から、共同体で裏切り者になると追い出されます。それは、死をも意味していました。つまり、裏切りを恐れるのは、私たちの根源的な心理です。こうしてお互いが目を光らせて相互監視する集団心理が生まれ、ますますカーモディさんの言うことを聞くようになります。現代の学校社会もまた、この集団心理の縮図です。「いじめられたら教師や親に言いなさい」とのお決まりの呼びかけがあります。しかし、クラスにいじめがあるという事実を漏らせば、それはもはや裏切り者になります。だからこそ、傍観者はもとより、いじめ被害者は、裏切り者扱いされたくないため、教師や親にいじめの事実を言うわけがないのです。そして、その心理は、いじめ自殺へと追い込むほどなのです。教室で誰からも相手にされなくなる、自分の存在を認められなくなるという恐怖は、自分の命よりも重いととらえられてしまうのです。かつてのヒトラーが、自らのカリスマ性を高めるために、何をスケープゴートにしたのかも歴史から伺い知ることができます。表4 カーモディさんのキャラクターの二面性プラス面マイナス面信心深いカリスマ性がある独りよがり攻撃的共感性が乏しい支配的なぜカーモディさんは真の救世主になれなかったのか?―表4異常事態の当初、カーモディさんは、トイレの中で涙を流しながら神に語ります。「どうか私にこの人たちを助けさせてください」「あなたの言葉を説かせてください」「光で導かせてください」「悪人ばかりではないはずです」「あなたの赦しによって何人かは救うことができるはずです」「天国の門をくぐれるはずです」「1人でも救えたら、私の人生に意義が見いだせます」「私の役割を果たせるのです」「そしてあなたのおそばに行ける」「あなたのご意志を全うできるのです」と使命感に目覚めていきます。しかし、同時に「でも彼らのうちの多くは永遠に地獄の炎の中にいる」と言い、気に入らない女性には「私の友達は神。毎日お話してるわ」「あなたと友達になるくらいならトイレの汚物の方がマシ」と吐き捨てています。カーモディさんのキャラクター(パーソナリティ)の特徴として、信心深くカリスマ性があるのに、独りよがりで攻撃的で、相手への思いやり(共感性)が足りず、支配的であることが挙げられます。一方、世界宗教の預言者や教祖は、共感性に高く、慈愛に満ちており、人々を公平に導いています。だからこそ、その教えは何世紀にもわたり語り継がれていくのです。つまり、カリスマ性の持ち主は、そのパーソナリティによって、集団を望ましい方向にも望ましくない方向にも導いてしまうのです。私たちが「マインドコントロール」に陥らないためには?これまで、信じ込む心理のマイナス面として、マインドコントロールを詳しく掘り下げてきました。信じ込む心理は、囚われる心理(固執)でもあります。言い換えれば、それは、物事のとらえ方(認知パターン)です。それは、文化であり、価値観であり、伝統であり、信念であり、思想であり、信仰(宗教)であり、そしてマインドコントロールでもあるということです。私たちは、何らかの物事のとらえ方(認知パターン)の傾向があり、ある意味では、その環境によって長い年月をかけて多かれ少なかれ何らかの「マインドコントロール」が刷り込まれているとも言えそうです。問題は、その認知が宗教掛(が)かった独特なものになり、自分や周りが困っていないかどうかです(認知の偏り)。それでは、そうならないようにするには、どうすれば良いでしょうか?その答えのヒントは、まさにマインドコントロールの危険因子から導き出されます。まず、環境因子を考えてみましょう。閉鎖性の解決のためには、まずその環境から離れること、引き離すことです。つまり、私たちの職場に照らし合わせれば、閉鎖的な職場、特殊な職場であればあるほど、人材の入れ替わりも少なく、独特の職場の信念や文化(集団規範)が起きやすいということです。また、個々人においても、同じ職場に長くいればいるほど、その職場の文化(集団規範)に染まり、その後に他の職場に適応しづらくなります。時間的な閉鎖性のリスクが高まると言えます。対策としては、例えば、5年以上は同じ職場(部署)にい続けないようにするなどの意識を持つことです。視野狭窄への対策としては、内情をオープンにして、外部の情報を適度に入れることです。一般的には、これはジャーナリズムの役割でもあります。私たちとしては、他の部署とのかかわりや勉強会への参加を積極的に行ったり、職場に様々な人材を受け入れ、それぞれのメンバーが複数の集団をまたいでいることです。そうすることで、考え方が相対化されて、絶対的な価値観に陥りにくくなります。次に、個体因子である依存性、被暗示性、脆弱性などについて対策は、私たちが、それぞれの特性や問題点をまず自覚することです。最後に、カリスマ的な人へ対応です。例えば口達者で断定的な人には、文書化させて根拠や証拠が残るようにする取り組みが重要です。信じ込むことは私たちの本質前月号の宗教の起源の心理や、今月号のマインドコントロールの心理を通して見えてきたことは、信じ込む心理は、私たち人間の本質であるということです。私たちは、1つの信念(認知)に囚われると、簡単に操られてしまうということです。ただ、信じ込むことが良くないと言っているのではありません。大事なのは、何を信じるか、どう信じるか、そしてそれらのバランスをどうとるかということです。そのためには、主体的で多視的で俯瞰(ふかん)的な心のあり方が必要です。そして、疑ってみる心(懐疑心)や批判的思考(クリティカルシンキング)もバランスよく必要であるということです。つまりは、気付かないうちにマインドコントロールされるのではなく、気付きを高めて「セルフコントロール」することが大切であるということです。今回は、マインドコントロールをテーマに、「なぜ信じ込む心理が沸き起こるのか?」という謎の答えを探ってきました。次回も引き続き、デヴィッドたちの運命の結末を通して、そもそも「なぜ信じ込む心理があるのか?」という最も根源的な謎の答えに迫っていきます。最後まで、カーモディさんに逆らうデヴィッドたちは、果たして生き残れるのでしょうか?1)岡田尊司:マインドコントロール、文藝春秋、20122)石井裕之:カリスマ人を動かす12の方法、三笠書房、2012

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ミスト(前編)【信じ込む心(宗教)】

今回のキーワード信じ込む原始宗教同調崇拝モラル(集団規範)社会構造「なんでこんなにみんなで一生懸命になるの?」皆さんは、単なる利益追求をしない医療機関などで、同僚と一致団結して働いていて、すがすがしく思う一方、「自分は特別には得しないのになんでこんなにみんなで一生懸命になってしまうんだろう?」と不思議に思ったことはありませんか?そのわけは「そうするのが良いから」と信じ込んでいるわけです。それでは、なぜ「信じ込む心」は起きるのでしょうか?実は、この心理には、集団の安定や一体化のために駆り立てられている心理が関係していることがよくあります。さらに、それは宗教と同じくする根っこの心理でもあります。今回は、「信じ込む心」をテーマに、2007年の映画「ミスト」を取り上げます。そして、自己愛、社会性の心理を掘り下げ、そこから宗教の起源の心理に迫っていきたいと思っています。これらの心理を、新しい科学の分野である進化精神医学や進化心理学の視点から解き明かし、私たちはこの信じ込む心とどううまく付き合っていけば良いのかをいっしょに考えていきましょう。私たちはなぜ争うのか?―自己愛性舞台はある田舎町。最初のシーンで、大嵐の後、主人公のデヴィッドの庭にあるボート小屋は、隣人のノートンさんの倒れた枯れ木によって、破壊されていました。デヴィッドは「3年前に切ってくれと頼んでたのに」と苛立ちます。以前からデヴィッドは土地の境界線争いでノートンさんともめており、仲が悪かったのです。このように、私たちは常日頃から隣人トラブルによる争いに悩まされます。規模が大きくなれば、それは領土問題などの隣国トラブルになります。もともと私たち人間を含む多くの動物は、このような縄張り争いの行動をとります。私たちの遺伝子は、縄張りを守ることで心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?私たち人間を含む動物の祖先は、もともと食糧や繁殖のパートナーなどの資源が限られた環境で自分の縄張りのための争い(競争)を本能的に行ってきました。そして、約700万年前にチンパンジーとの共通の祖先と分かれた人間は、この利己的な行動を動機付ける心理、つまり自分が大事であるという心理(自己愛)を進化させてきました。そして、この心理を持っている種が子孫をより残してきたわけです。さらに、約1万年前に狩猟採集による移動から農耕牧畜による定住へと私たちの生活スタイルが大きく変わりました。この時から、土地などのさまざまな所有権の概念が芽生え、争いは激化していったのです。私たちはなぜ助け合うのか?―社会性デヴィッドは状況を伝えにノートンさん宅に行きます。すると、ノートンさんの方は、枯れ木によって愛車のクラシックカーが大破していたのでした。デヴィッドは「気の毒に。心から同情するよ」と気遣います。それを聞いたノートンさんは笑みを浮かべ「そう言ってくれると嬉しいよ」「(ボート小屋については)後で保険会社の連絡先を伝える」と心を許したのでした。そして、「もしかして今日、町に行く予定はある?」とデヴィッドに尋ねます。こうして、町まで同乗させてほしいというノートンさんの申し出にデヴィッドは応じるのです。このように、私たちは、助け合うこと(協力)をきっかけにしてお互いの心の距離を縮め、親近感や友情を芽生えさせることもできます。私たちの遺伝子は、助けることを心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?私たち人間の祖先は、300~400万年前にアフリカの森から草原へ出ました。その時は、猛獣の襲撃や飢餓などの脅威があり、まだまだ弱々しい存在でした。しかし、私たちの祖先は、生き延びるために、血縁関係をもとに共同体(集団)の人数を増やしていき、助け合ったのです。そして、この助け合いを動機付ける心理、つまり相手(集団)が大事であるという心理(社会性、利他性)を進化させてきました(社会脳)。そして、この心理をより持っている種の共同体が子孫をより残してきたわけです。私たちは、自己愛性によって利己的であると同時に、社会性によって利他的でもあるのです。私たちはなぜ噂好きなのか?―情報への嗜好性町に向かう車の中で、すれ違う軍隊の車両を見てノートンさんは「きみは地元民だ」「『アローヘッド計画』、何か知らないか?」とデヴィッドに訊ねます。近くの山の上には軍の基地があるからです。デヴィッドは「ミサイル防衛に関する研究らしい」「きみも知ってるだろ」と答えます。ノートンさんは「基地には墜落したUFOと宇宙人の冷凍死体があるって聞いたよ」と冗談めかして言うと、デヴィッドは「エドナ(町の知り合い)だな」「歩くタブロイド紙だからな」と答え、噂話をして盛り上がります。このように、私たちは噂話を楽しみます。私たちの遺伝子は、噂をすることを心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?私たちは助け合い(協力)をするようになって、生存確率を高めました。しかし、同時に、協力して得た資源を横取りする種、つまり裏切り者に悩まされるようになりました。「ただ乗り遺伝子(フリーライダー)」です。この遺伝子は、みんながお金を払って乗り物に乗っているのに、1人だけただで乗ろうとするような心理を駆り立てます。私たちは、助け合いの心理を進化させる中で、実はこの困った心理も進化させてしまったのです。なぜなら進化の本来の姿は競争だからです。私たちの祖先は、信頼による協力と騙しによる競争の心理を器用に使い分けて、バランスを取りながら進化してきたのでした。つまり、私たちの心の中には、信頼の心と同時に、常に裏切りの心が潜んでいるわけです。そんな中、約20万年前に私たちの祖先が現生人類(ホモ・サピエンス)に進化してから、喉(のど)も進化して、複雑な発声ができるようになり、言葉を話すようになりました。そして、言葉によってその場にいない人のことを伝え合い、裏切り者を事前に知ることができるようになりました。さらに、裏切りに対する抑止も働き、お互いの人間関係がよりスムーズになったのです。こうして、噂を話す行動を動機付ける心理、つまり相手や自分の評判(情報)を気にする心理(情報への嗜好性)を進化させてきました。そして、この心理をより持っている種の共同体は、子孫をより残してきたわけです。かつては、共同体のあるメンバーの裏切りが成功したら、残りのメンバーたちの生存が脅かされる状況があったのでしょう。だからこそ、現代の私たちは良い噂よりも悪い噂に敏感です。自分についての悪口はもちろんですが、他人についての悪口や裏話にもつい聞き耳を立ててしまいます。私たちのおしゃべりの大半は、共通に知っている人の新しい噂話の共有であると言えます。ですので、テレビの事件報道、ゴシップ特集、ワイドショーの視聴率が良いのもうなずけます。表1 自己愛性と社会性の違い自己愛性社会性特徴競い合い(競争)利己的騙し、裏切り助け合い(協力)利他的信頼私たちはなぜ感謝の言葉を口にするのか?―互恵性の確認町のスーパーマーケットで、ノートンさんはデヴィッドに「今日は助かったよ。ありがとう」とお礼を言います。いっしょに連れられてきたデヴィッドの幼い息子ビリーはその言葉を聞いて、「友達になれたの?」「ケンカしないね」とデヴィッドに訊ねてきます。デヴィッドは「どうかな。これから友達になれそうかな」とほほ笑みます。このように、私たちは好意、感謝、同情などの気持ちをあえて言葉にして確認し合います。その言葉だけでは相手に何も物理的に得になることはありません。しかし、私たちの遺伝子は、そうすることを心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?その理由は好意、感謝、同情という抽象的な言葉が、助け合いの心理の証となり、将来的な見返りがなされるシンボルの役割を果たすようになったからです(返報性、互恵性)。こうして、私たち人間の祖先は、約10万年前には、様々なシンボルを用いるようになりました。シンボルは、言葉だけでなく、首飾りなどの贈り物(トークン)や貨幣にも発展していきます。私たちはなぜまとまるのが難しいのか?―認知のずれデヴィッドたちがスーパーマーケットで買い物をしていると、突然、非常サイレンが鳴り渡り、外では辺り一面に濃い霧(ミスト)が立ち込め覆い尽くします。そして、人々を飲み込んだ霧の中からは、次々と悲鳴や絶命の叫び声が聞こえてきます。ある男性は「霧の中に何かいる!」「ドアを閉めろ!」と血だらけになりながら、スーパーマーケットの中に駆け込みます。ガラス越しに見える外の濃い真っ白な霧の世界では、想像もできない何かが起こっているのです。こうして、デヴィッドたちを含む数十人の買い物客たちは、スーパーマーケットに閉じ込められてしまいます。食糧には困りませんが、電話、テレビ、ラジオなどのあらゆる通信機器が機能せず、助けも来ず、先行きも見えず、彼らは完全に孤立しています。その後、霧の中から現れた巨大なタコの触手のような吸盤によって、ある店員が皮膚を丸ごと剥ぎ取られた上に連れ去られます。このあり得ない状況をデヴィッドたちの限られた数人がまず目の当たりにします。一方、ノートンさんは、弁護士でもあることから、デヴィッドの話を「証拠が足りない」として信じられず、自然災害だと決め付けてしまいます。状況が分からない不安から苛立ちが募り、デヴィッドとノートンさんはせっかく仲直りしていたのに、また言い争いを始めます。そして、ノートンさんは、しびれを切らします。助けを求めるために、数人を引き連れて外の霧の中に入っていくのです。スーパーマーケットにたまたま居合わせた数十人の群集は、まさに原始の時代の閉ざされた1つの共同体に見立てられます。運命共同体です。約20万年前には、私たちの祖先は、最大100~150人(ダンバー数)くらいの閉鎖的な共同体(集団)をそれぞれつくっていました。しかし、集団全員の考えは毎回必ずしも一致するわけではありません。情報が不確かであればあるほど、意見の違い(認知のずれ)が起こり、裏切りや争いを招きやすくなります。私たちは何によってまとまるのか?―(1)知識や知恵(文化)買い物客の中からは、「隣町の工場から出た汚染物質の雲だよ」「化学薬品の爆発だろう」と様々な憶測が飛び交います。こうして、憶測が憶測を呼び、伝えられていきます。このように、私たちは、人間関係の噂話だけでなく、その延長として、環境のあらゆることについての噂話(情報)も伝達し合います(情報の嗜好性)。約20万年前に私たちの祖先が言葉を話すようになってから、噂話は、単にその時の共同体のメンバーの間だけでなく、祖先からの教えとして世代を超えて語り継がれていくようになりました。それは、共通の生きる知識や知恵(文化)として、共同体の生存の確率を高める役割も果たしていたことでしょう。こうして、この文化によって、私たち人間は、遺伝子の突然変異による進化よりも、早く広く環境に適応することができるようになりました。つまり、文化は、「第2の遺伝子」とも言えそうです。私たちは何によってまとまるのか?―(2)宗教スーパーマーケットにいる買い物客の中で、カーモディさんはもともと信心深い人です。しかし、同時に信仰への勧誘に熱心すぎたため、町の変わり者として人々からは距離を置かれていました。しかし、あり得ない異様な事態の中、彼女は存在感を発揮し始めます。彼女は恐怖におののく人々に「外は死よ」「この世の終わり」「ついに審判の日が来たの」「間違いない」「あなたたちは罪深い人生を送ってきた」「神のご意志には逆らえない」「見ようとしない者ほど盲目な者はいない」「その目を開いて真実を悟りなさい」と熱心に説き始めます。そして、自分たちの状況を聖書の教えになぞらえ、「今夜、闇と共に怪物が襲ってきて、誰かの命を奪う」と予言します。そして、その予言が当たってしまいます。人々には、さもずばり的中させたかに見えてしまうのです。すると、人々は、今まで聞く耳を持とうとしていなかったのに、次々と彼女の話に耳を傾け始め、「信徒の群れ」になっていくのです。一体、何が起きているのでしょうか?カーモディさんの導く信仰心によって、人々は感情的に結び付きを強めていきます。信仰の秘めたる力です。この信仰が組織化され制度化されたものが宗教です。そもそも宗教(religion)の語源は、ラテン語の「再び結ぶ(religare)」に由来しています。この宗教の秘めたる力の正体は何か?なぜ宗教に染まるのか?そもそもなぜ宗教はあるのか?これらの疑問を踏まえて、宗教の本質から私たちの心の本質を探っていきましょう。宗教の起源(原始宗教)には、3つの要素があります。宗教の起源とは?―(1)同調周りの人が目の前で次々と死んでいくという極限状況の中、デヴィッドたち数人を除くほとんどの人々がカーモディさんの元に集まります。彼女がその信者たちに「共に神の道を歩みたい」と呼びかけると、彼らは揃って「償いだ!」と同じ言葉を唱え、エネルギッシュに1つにまとまっていきます。このように、人々は、同じ言葉を唱えたり拝んだり、一緒に歌を歌ったり、ダンスでリズムを合わせたりして一体感を高めます。私たち人間の遺伝子は、同じ発声や動作をすることを心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?私たち人間の祖先は、助け合い(協力)をする中で、共同体のメンバーの和を乱さないように周りを意識して(心の理論)、周りに調子を合わせる心理(同調)を進化させてきました。20万年前よりもさらに遡った原始の時代では、複雑な発声がまだできませんでした。しかし、その代わりに唸り声などの音を合わせたり、歩調を合わせたりして、協力するサインを出していたでしょう(サイン言語、非言語的コミュニケーション)。このように、周りに調子を合わせることで、連帯感や共通の意識を強め、共同体への帰属意識(集団同一性)を高めました。そして、この心理をより多く持っている種の共同体ほど助け合い、生存確率が高まっていたわけです。このように、同じ発声や動作を繰り返すことで、共同体が1つにまとまりました。そして、それは音楽やダンスのリズムとして儀式化されていきました。この儀式こそが、現代の私たちが宗教と呼ぶものの起源の1つの要素となっているのではないかと思います。つまり、宗教という制度が先にあったのではなく、同調の心理を高めるために行っていた儀式が先にあり、それが制度化されて後に宗教と呼ばれるになったと考えられます。この同調の心理は、現代ではコミュニケーションのテクニックとして意識的に利用されています。例えば、さりげなく相手と同じしぐさをしたり口癖を言うことで、相手からの好感を高めることができます(ミラーリング)。また、「似た者夫婦」とは、仲の良い夫婦が無意識のうちに同調の心理を高めていると言えます。昔から「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものです。宗教の起源とは?―(2)崇拝 1. 超越的な存在デヴィッドは、買い物に出かける前、湖の対岸から大きく立ち込めて来た不気味な霧を見て、妻に「2つの前線がぶつかって起きた現象さ」「おれは気象予報士じゃないけどね」と説明して、納得しようとしていました。このように、現代の私たちは、自然現象を科学的にとらえようとします。そこに、恐怖はありません。しかし、科学が発展していない原始の時代はどうだったでしょうか?地震、嵐、雷などの様々な災いを招く自然の脅威や謎に対して説明する役割を果たしたのは、超越的な存在への崇拝であったと考えられます。その理由はこうです。私たちの祖先は、助け合い(協力)と競い合い(競争)の狭間で、相手の心を読む、つまり相手の視点に立つ心理を進化させてきました(心の理論)。その相手は、人間だけでなく、自然や動物などあらゆるものへと広がりました。つまり、自然や動物とも協力関係を築こうと、それらを崇拝したのです(アニミズム)。相手の視点に立つのは同時に、外から自分自身を見る視点でもあり、さらには過去・現在・未来という時間軸の全体像を見る視点でもあります(メタ認知)。こうして、約10万年前にシンボルを用いる心理(抽象的思考)が発達してからは「自分は死んだらどうなるのだろう?」「世界は何でできているのだろう?」と死後の世界や自然環境に対して好奇心や恐怖を抱くようになりました。この好奇心や恐怖から、自然を観察し、気候の変化や動物の行動のパターンを予測しようとしました。そして、少しずつ、自然をコントロールできるようになりました。例えば、水がないなら井戸を掘り、風除けがないなら石壁を作りました。大きな土木工事も行うようになりました。また、実験的に植物や動物を管理するようになりました。こうして、自然の環境は変えられるという発想が生まれていきました。その時、コントロールしている側とされている側の両方の視点に立つことができるようになったのです。そして、自分たちを支配している超越的な存在を意識するようになったのです。宗教の起源とは?―(2)崇拝 2. 神秘体験スーパーマーケットにたまたま居合わせたある軍人は、カーモディさんに問い詰められて、真相を打ち明けます。「この世界は異次元空間に囲まれていて、軍の科学者がそこに『窓』を開けたんだ」「事故で向こうの世界がこっちに来た」と。まさにカーモディさんが「大地は忌まわしい汚物(=霧)を吐き、残忍で汚れた恐ろしい魔物(=見たこともない生物)が解き放たれた」と説いた教えに重なります。原始の時代の私たちの祖先が意識した超自然界は、この「異次元空間」に見立てることができます。そして、この超自然界を確信させたのは、夢見やトランスなどの神秘体験であると思われます。夢見は、すでに亡くなった家族と夢で再会することがあるため、神秘的な意味付けがされたでしょう。亡くなった家族は、あの世という超自然界で生きていると思えたのです。こうして、すでに超自然界に旅立った祖先たちを、超自然界で自分たちを見守ってくれる存在として崇め奉りました(祖先崇拝)。画像また、トランスは、同調の心理を高めるための儀式を延々とやっている最中に、重度の疲労から意識がもうろうとして体験される錯覚や幻覚です(せん妄)。夢との連続性があり、白昼夢とも言えます。これは、苦行という儀式を強いる古くからの宗教と重なります。こうして、トランスも、超自然界との交信の場という神秘的な意味付けがなされたでしょう。例えば、幻聴は、超自然界からのメッセージ、つまりお告げと受け止められます。そこから、予知夢、正夢という過剰な意味付けもなされたでしょう。さらに、トランスは、薬草や毒キノコによって、より手軽に体験できることが後に発見されます。そして、金縛り(睡眠麻痺)、幽体離脱(体脱体験)や臨死体験など様々な精神症状も、神秘的な意味付けがされるようになりました。それは、超自然界を垣間見て、魂の存在を確信する体験です。てんかん発作もまた、超自然界に近付ける神聖な病であると解釈されました。統合失調症の妄想は、現代では「自分は巨大な闇の組織に操られている」という訴えが典型的です。しかし、その訴えは、原始の時代では、超自然界を確信しているというだけのごく当たり前のことだったでしょう。このように、いくつかの精神症状は、神秘体験との共通点があり、原始の時代には一定の役目を果たしていた可能性も考えられます。宗教の起源とは?―(2)崇拝 3. 心の拠りどころ(愛着)カーモディさんの教えに従い、スーパーマーケットで信者と化した人々は、神に祈りを捧げます。このように、原始の時代の人々も、自然崇拝(アニミズム)や祖先崇拝から、超越的な存在そのもの、つまり神を崇拝するようになっていきました(神仏信仰)。彼らは、その見返り(恩)として、恵み(恩恵)、慈しみ(慈悲)、そして助け(救済)を求めました。それは、協力関係を超えて、保護者(母親)と子どもの関係です。そこから、神が、人間を含む万物を創り上げた生みの親であるという発想が生まれます。神(母親)が人間(子ども)を無条件に守ること(母性)を意識することで、人間が神に無条件に守られていると信じ込む心理(愛着)が働きます。こうして、神の存在は、人々が共通して信じる心の拠りどころとなっていくのです。そこには、母親に抱かれる赤ん坊になったような安らぎがあります。母性や愛着の心理と同じように、信仰の心理にも、オキシトシンという精神状態を安定させるホルモンが関係している可能性が考えられます。神という保護者に見守られていると確信しているからこそ、そして、全ては神の思し召し(意図)という解釈がなされるからこそ、自らの死への恐れや大切な人の死への悲しみなどを引き起こす不運や災難にも、意味を見いだし、受け入れ、乗り越えることができるようになりました。「信じる者は救われる」という言い回しは、的を射ています。神の恩恵や救済を信じてすがることで、愛着の心理であるオキシトシンが活性化して、ストレス耐性を高めるメカニズムが考えられるからです。これが、宗教的な寛大さや寛容さの源でもあります。それは同時に、心の拠りどころを共有することで、個人だけでなく、共同体(集団)の結束力(協力関係)も強めるというメリットもあります。例えば、昔から、神の超越的な力で病気を治してもらうために、お祈り(ヒーリングダンス)、お祓い、お参りなどがなされてきました。もちろん科学的には効果はなく、病気は治りません。しかし、これらの行為は、みんなが揃って何かをするという同調の心理を高めます。同調もまた、オキシトシンを活性化させます。この心理とあいまって、結果的に人々の心を一体化させ、不安におののく集団への癒しの役目を果たしていたのでした。このように、心の拠りどころを共有することで、共同体が1つにまとまりました。そして、それは、共同体の中で、超越的な存在(神)への崇拝として制度化されていきました。これこそが、現代の私たちが宗教と呼ぶものの起源の1つの要素となっているのではないかと思います。つまり、神の存在が先にあったのではなく、人々が共通に抱いていた超越的な存在が先にあり、それが後に神と呼ばれるようになったのでしょう。また、宗教という制度が先にあったのではなく、超越的な存在(神)への崇拝が先にあり、それが制度化されて後に宗教と呼ばれるになったと考えられます。「なぜ神はいるのか?」という宗教的、哲学的な問いへの答えはなかなか見つかりません。しかし、「なぜ神はいると思うのか?」という進化心理学的な問いへの答えは、このような人間の心理を根拠に説明することができます。宗教の起源とは?―(3)モラル(集団規範)デヴィッドたち数人のグループは、カーモディさんの一団を尻目に話し合います。「ここは文明社会よ」と言う女性に、デヴィッドは「都市(文明社会)が機能していて、警察通報できるならね」「でもひとたび闇の中に置かれ、恐怖を抱くと人は無法状態になる」「粗暴で原始的に」「恐怖にさらされると人はどんなことでもする」と答えます。さらに別の男性は「人間は根本的に異常な生き物だよ」「部屋に2人以上いれば最後は殺し合うんだ」「だから政治と宗教がある」と付け加えます。デヴィッドたちは、状況を鋭く言い当てています。スーパーマーケットに閉じ込められてから、その外では、科学では説明できないことが次々と起こっています。これは、まさに原始の時代の自然環境に見立てられます。そこは、次に何が起きるか予測ができず、翻弄されるばかりの恐ろしい世界です。原始の時代、このような恐怖に安心感や安全感を与え、共同体を平穏に保つ役割を果たしたのは、すでに超自然界に旅立った祖先たちによって語り継がれてきた教えだったでしょう。そして、その教えは、やがて生きる道しるべや戒めとして普遍性を帯びていき、共同体のメンバーに同じ考えを根付かせて同じ方向を向かせる拠りどころとなったのです。つまりはモラル(集団規範)です。このモラルを自分たちが守っているかどうかを、超自然界にいる祖先、さらには絶対的な存在(神)が見張っていると人々は解釈しました。見守られていることは、見方を変えれば、見張られていることでもあります。神は、保護者(母性)の役割だけでなく、監視者(父性)の役割も果たしていることが分かります。こうして、モラルは、人々に共通の意識を生み出し、そこからより高度な秩序が生まれました。このように、モラルを持つことで共同体が1つにまとまりました。そして、それは政治などのルール作りの源になっています。このモラルによる社会構造こそが、現代の私たちが宗教と呼ぶものの起源の1つの要素となっているのではないかと思います。つまり、宗教という制度が先にあったのではなく、モラルによる社会構造が先にあり、それが制度化されて後に宗教と呼ばれるになったと考えられます。表2 宗教の3つの要素同調崇拝モラル(集団規範)特徴同じ発声や動作を繰り返すことによる一体感同じ思いを持つことによる一体感神秘体験による強化神の保護による集団の安全感(心の拠りどころ)神の監視による秩序形成ルール作りの源医療機関で働く私たちは?これまで考えてきた宗教の3つの要素から、宗教とは、原始の時代から共同体を1つにまとめ上げるシステム(社会構造)そのものであることが分かります。私たちの祖先は、原始の時代からこのシステムと共に歩んできました。そして、人間の文明の進歩に大きな役割を果たしてきました。その1つとして挙げられるのが、大陸大移動(グレートジャーニー)の促進説です。20万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生してから、寒冷期(氷河期)と温暖期が繰り返されていました。しかし、最初は温暖期になってもなかなか人類は広がりません。しかし、6万年前の4回目の温暖期で突然、私たちの祖先は大胆な移動を始めたのです。その理由こそ、当時に出来上がった宗教が共同体の絆を強くしていたからであるという可能性が考えられます。現代の社会で、宗教そのものは原始の時代ほど大きな役割を果たしていません。なぜなら、現代の私たちは、ルール(法律)と科学によって理性的な社会生活を送っているからです。しかし、逆に、私たちが組織(集団)になる時、そして一致団結する時、得てして原始の時代の宗教的な心が目を覚ましやすくなります。それは、集団の安定のために、相手と同じ行動や考えを好み(同調)、何かを拠りどころとして信じ込み(崇拝)、従いやすくなる心理(集団規範)です。これは、私たちの本質的な心理です。例えば、医療機関という組織(集団)で働く私たちは、みな白衣を着て自分たちしか分からない専門用語を駆使して、職業倫理や崇高な理念を持ち、組織の独自のルールにも従っています。それ自体は、すばらしいことです。この心理があるからこそ、医療機関の組織は、単なる利益集団にはなりません。また、このように組織に染まる仕組みが分かっているからこそ、組織では、新人教育で泊まり込みの合宿などをさせて、この心理を芽生えさせ、感化させようとするわけです。私たちの社会(集団)は、程度の差はあれ、この心理により、うまく回っていると言えます。しかし、この心理に魅力がある一方で、危うさもあります。例えば、それはマインドコントロールです。私たちは、この心理の魅力と同時に、危うさもよく知っておく必要があります。次回は、その危うさやデメリットであるマインドコントロールについて、さらに深く掘り下げていき、私たちの組織のあり方や私たちの生き方そのものを見つめ直してみたいと思います。果たしてカーモディさんの説く教えによって1つになった彼らに未来はあるのでしょうか?1)ニコラス・ウェイド:宗教を生み出す本能、NTT出版、20112)NHKスペシャル取材班:ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか、角川書店、20123)進化と人間行動:長谷川眞理子、長谷川寿一、放送大学教材、2007

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Mother(後編)【家族機能】

みなさんは、職場で「私はほめられて伸びる子なの」や「おれは叱られて伸びた」と言う意見を耳にしたことはありませんか?人を伸ばす、人を育てるには、結局、「ほめること」が良いのか、「叱ること」が良いのか?どっちなんでしょうか?答えは、どっちもです。さらに「見守ること」も大切です。大事なのはその3つのバランスです。今回も、前々回、前回に引き続き、2010年に放映されたドラマ「Mother」を取り上げます。そして、家族機能を通して、ほめること、叱ること、見守ることのバランスについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。あらすじ主人公の奈緒は、30歳代半ばまで恋人も作らず、北海道の大学でひたすら渡り鳥の研究に励んでいました。そんな折に、研究室が閉鎖され、仕方なく一時的に地域の小学校に勤めます。そこで1年生の担任教師を任され、怜南に出会うのです。そして、怜南が虐待されていることを知ります。最初は見て見ぬふりの奈緒でしたが、怜南が虐待されて死にそうになっているところを助けたことで、全てをなげうって怜南を守ることを決意し、怜南を「誘拐」します。そして、継美と名付け、逃避行をするのです。実のところ、奈緒をそこまで駆り立てたのは、奈緒自身がもともと「捨てられた子」だったからでした。その後に、奈緒は、奈緒の実母(葉菜)に出会い、助けられることによって、少しずつ閉ざしていた心を開いていきます。そして、奈緒、継美(怜南)、葉菜の3人で生きていくという家族の形が描かれます。「子どもの目を見る」母性と「世間の目を見る」父性―表1最初、奈緒は、継美(怜南)とともに、奈緒の育ての親(藤子)の実家に身を寄せます。しかし、やがて、藤子やその娘たちは、継美(怜南)の「誘拐」の事実に気付いてしまいます。奈緒は、迷惑を掛けたくないという思いから、継美を連れて、その実家を出ていきます。その後、藤子は、他の娘たちを守るために奈緒の戸籍を抜くかどうか葛藤します。そんな中、妊娠中の芽衣(藤子の実の子、奈緒の義妹)から「世間の目を見るのが母親じゃないじゃん」「子どもの目を見るのが母親じゃん」とたしなめられるのです。「子どもの目を見る」、子どもの幸せをまず考えるのは、母親の役割です。子どもは愛されているという欲求(愛情欲求)が満たされることで、愛着を育みます。こうして、乳児期の1歳半、2歳までは、心の拠りどころ(安全基地)としての母性による見守り(保護)により、精神的に安定する力の土台を作ることができます(レジリエンス)。つまり、安全感です。この土台は、その後の父性によるしつけを乗り越える原動力となります。それでは、「世間の目を見る」のは誰の役割でしょうか?それは父性の役割です。「世間の目を見る」とは、社会のルールを重んじることです。2、3歳以降は、父親、兄弟、親戚、同年代の子どもとのかかわりや遊びを通して、子どもは、期待に応えたいという欲求(承認欲求)を満たそうとします。この時、しつけ(社会性)としての父性による見張り(監視)、つまりほめられることと叱られることで、人間関係のルールや我慢などを身に付け、生き方のモデルを学びます。そして、母性と離れる不安(分離不安)が和らぎ、自立の道を歩もうとします。また同時に、誇り、罪悪感、羨ましさ、憐れみなどの様々な社会的感情を育んでいきます。母性は、期待に応えるという条件がなくても愛してくれる絶対的なものです(無条件の愛情)。それとは対照的に、父性は期待に応えられて初めて、ほめて愛してくれます。しかし、期待に応えられなければ叱る、つまり恐怖を与えます。つまり、父性は、期待に応えるという条件が付いて愛してくれる相対的なものであるということです(条件付きの愛情)。表1 母性と父性の役割母性父性年齢0歳~2、3歳~特徴見守ること心の拠りどころ(安全基地)絶対的(無条件の愛情)見張ること(ほめることと叱ること)しつけ(社会性)相対的(条件付きの愛情)プラス面子どもの愛情欲求を満たす父性によるしつけにくじけないように、精神的に安定する力の土台を育む子どもの賞賛欲求を満たす母性から引き離し、自立を促す生き方のモデルを示すマイナス面社会性が乏しい心の拠りどころが乏しい父性の心理の源は?―人間の進化の産物それでは、なぜ父性はこのような心理になるのでしょうか?そもそもなぜ父性はあるのでしょうか?前回は母性の心理の源を探りました。今回は、父性の心理の源を掘り下げていきたいと思います。700万年の人間の心の進化の歴史を振り返ると、原始の時代からいつの時代でもどこの場所でも、ほとんどの民族の子どもには母親と父親が1人ずつ変わらず存在し続けました。進化論的には、存在し続けるものには必ず意味があります。その意味とは、父性は、霊長類、特に私たち人間が手に入れた進化の産物の心理だからです。700万年前から1万年前までの原始の時代、つまり農耕牧畜がまだ発見されていない時代、人々は、食糧を貯めることができませんでした。そこで、男性(父親)は日々食糧を確保し、女性(母親)は日々子育てをするというふうに、性別で役割を分担して共同生活を行いました。そして、この生活スタイルをとった種がより生き残りました。その後、進化の過程で人間の脳が大きくなり、それに伴い、子どもの成長には時間がかかるようになりました。そんな中、子育てに積極的に参加する養育者としての父性が進化したのです。その進化には、3つの要素があります。1つ目は、子どものメリットです。子育てに積極的な男性(父親)は、女性(母親)といっしょになってその子どもを猛獣や飢餓から守ります。そして、その子どもの生存確率をより高めます。その子どもの父親の父性的な遺伝子はその子にも受け継がれていきます。2つ目は、女性(母親)のメリットです。子育てに積極的な男性(父親)は、女性(母親)を助けることにより女性(母親)から生殖のパートナーとしてより選ばれるようになります。3つ目は、男性(父親)のメリットです。子育てに積極的な男性(父親)は、早くに子どもを離乳させ女性(母親)から引き離すことになるため、早くに女性の発情が再開され、再び生殖が可能になるのです。3つの要素とも、結果的に、子孫を残しやすくなるということです。そして、この父性の心理がより働く遺伝子が現在の私たち、特に男性に受け継がれています。母性が「そうしたいからしている」という欲求であるのと同じように、父性もまた、遺伝子によって突き動かされていると言えます。家族機能―安定した家族の形葉菜(奈緒の実の母)と奈緒は、新しい戸籍を手に入れるため、継美(怜南)を連れて伊豆に行きます。そこで継美は、砂浜で砂の家を作ります。そして、「継美とお母さんとおばあちゃん、家族3人で暮らすの」「3人でね、『スミレ理髪店』するの」「お母さんは髪の毛洗う係でしょ」「おばあちゃんは髪の毛切る係でしょ」「継美はね、髪の毛乾かす係とお菓子上げる係」「家族のお店だね」と言います。継美は、まぶしく暖かい海辺に飛んでいる海鳥に向かって「鳥さ~ん!ここだよ~ここにいるよ~」と叫びます。かつて北海道の暗く寒い海岸で飛んでいる渡り鳥に向かって「怜南(継美)も連れてって~!」と叫んだ時とは対照的です。継美の心の中には、心の拠りどころ(安全基地)や安心感がはっきりと芽生えています。と同時に、夢を描くためのモデルや役割もはっきりと見いだされています。このように、子どもにとっての安定した家族の形は、本来、母性と父性が両方バランスよく発揮されることで成り立ちます(家族機能)。母性と父性のアンバランス―取り込みと突き放し逆に、バランスが保たれていないとどうなるでしょうか?実は、母性と父性のプラス面は度が過ぎると、マイナス面になります(表1)。母性が強すぎると、相対的に父性が足りなくなり、母子はべったりと一体化します。そして、見守りが先回りに転じて、子どもを母親の思い通りのペットや人形にしてしまいます。自由を許してくれるはずの母性がもはや自由を許してくれなくなるという逆説的な状態になります。すると、子どもは取り込まれた感覚になります。守ってくれるはずの安全基地が、逆に身動きのとれない監獄になってしまうのです。このように、母性は強すぎると歪んでしまうことが分かります。この状況は、特に母性の一極集中が起きやすい一人っ子や末っ子に見られます。また、この心の間合い(心理的距離)の取りにくさは、母親とだけでなく、やがて友人や恋人との間にも起こってしまいます。このようにして、自立ができづらくなり、社会性が育まれません。昨今、社会問題となっている引きこもりを引き起こす大きな要因となっています。一方、父性が強すぎると、相対的に母性が足りなくなり、心の拠りどころが希薄になります。例えば、子どもが父親や先生に叱られた時、母親もいっしょになって叱る場合です。子どもに味方はいません。子どもは突き放された感覚になり、安全感や安心感はありません。子どもの時は何とか「良い子」で乗り切ろうとしますが、やがて思春期を迎えると、欲求不満になりやすく、精神的に不安定になります。このメカニズムは前々号や前号でご紹介しました。このように、過剰な母性は取り込みが起こり、過剰な父性は突き放しが起こります。どちらにせよ、子育てのための家族の働きがとても弱まっていることになります(機能不全家族)。子どもは、何があっても愛されるという心の拠りどころ(安全基地)を土台にして、期待に応えたらもっと愛されるという社会性を高めていきます。つまり、無条件の愛情(母性)による鉄壁の守りがあるからこそ、条件付きの愛情(父性)への勇敢な攻めができるのです。そして、「こうなりたい」「こうあるべきだ」という自分なりのモデルができあがるのです。また、芯があってブレないので、自己評価も適切に行えるのです。母性と父性は、お互いの長所を保ち、欠点を補い合うものなのです。足りない母性を補う存在は?継美(怜南)の新しい家族には、父性を発揮すべき父親がいません。では、どうしてこの家族はうまくいっているのでしょうか?奈緒と継美と葉菜(奈緒の実の母)が3人で暮らす中、食事の場面で、奈緒が継美に「おかず取る時はご飯置いて」とマナーの注意をします。継美が威勢よく「はい」と返事をすると、葉菜は「フフ」とほほ笑みます。また、奈緒は1人でいる時、警察が嗅ぎ回っていることを察知し、継美といっしょにいる葉菜に電話します。継美が奈緒に「あのね、さっきね」と話たがっているのに、奈緒は「ごめん、急いでるの。(葉菜に)代わって!」「後で!」と急き立てます。その後に継美が葉菜に「お母さん、何か怒ってた?」と不安そうにすると、葉菜は「ううん。怒ってなかったわよ」「お母さん帰ってきたら教えてあげよう」と優しくフォローします。実は、奈緒は、継美の母親になって母性を発揮しつつ、父親がいないので、父性の役割も果たす必要がありました。そもそも父性は条件付きの愛情です。そのため、奈緒が父性を発揮すると、どうしても無条件の愛情である母性が危うくなります。この時に絶妙な助けとなっているのが、祖母である葉菜です。これが、継美の新しい家族がうまくいっている答えです。葉菜によって、継美へ注がれる母性が補われて、安定しているのです。母性を補う存在は必ずしも母親でなくてもいいのです。祖母、父親、祖父、そして叔母や叔父も母性を注ぐことができるのです。このことから、必ずしも生物学的な女性が100%の母性を発揮し、男性が100%の父性を発揮する必要はないということです。より良い子育ての視点に立てば、大事なのは、母性的な養育者と父性的な養育者がそれぞれ1人ずつ、つまり養育者は合わせて2人いることです。性別が逆転していても、世代が違っていてもよいのです。例えば、働いている母親が70%の父性と30%の母性を発揮しているなら、専業主夫の父親または祖母は70%の母性と30%の父性を発揮してバランスを取れば良いわけです。おばあちゃん子―「家族力」最近の研究仮説で、祖母による母親への支援は、「祖母効果」「おばあちゃん仮説」と呼ばれています。そもそもほとんどの動物は、繁殖が終わる年齢と寿命はだいたい一致しています。つまり、繁殖力がなくなった時が寿命の尽きる時です。しかし、私たち人間は違います。閉経を終えて繁殖力がなくなった女性が長生きすることには進化論的な意味があるということです。その意味とは、繁殖を終えてまだ体力のある祖母が、子育てをする次世代の自分の娘(母親)を助けることで、娘の繁殖力を高め、孫の生存率を高めることです(包括適応度)。いわゆる「おばあちゃん子」の存在も、「祖母効果」の延長線上にあるものと考えられます。現代の母親は働いていることが多く、精神的な支えとして、注ぎ足りない母性を「おばあちゃん」が補っているというわけです。そもそも原始の時代から、子育ては、兄弟や親戚を含んだ大家族、もっと言えば地域全体で協力して行っていました(アロマザリング)。本来、子育ては母親1人で行うものではなかったのです。大事なことは、子どもへの母性や父性がいざ足りなくなった時のために、家族機能には余力(予備能力)が必要だということです。言うなれば、「家族力」です。これは、ちょうど体力に似ています。例えば、体の運動や病気によって日々の活動以上の体力が必要になる時のために、普段から心臓、肺、肝臓、腎臓など様々な臓器には、予備の能力が残されています。一人親の難しさと危うさそれでは家族機能に余力のない状況について考えてみましょう。代表的なのは、昨今増えつつある母子家庭(一人親)です。もっと広げて言えば、父親はいたとしても、仕事に没頭するなどして子育てに参加しない、つまり父親不在の核家族です。一人親、つまり母親だけだと、母親は母性と父性を一人二役でやる必要があります。しつけの面ではどうしても父性が強まってしまい、母性が足りなくなります。とても器用にやってバランスを取らなければなりません。これが一人親の難しさであり危うさです。奈緒も、葉菜(奈緒の実の母)がいなければ、継美の子育てにおいてこの状況に陥っていたかもしれません。見守ること、ほめること、そして叱ることのバランス子育てには、母性も父性もほどほどが良く、大事なのはそのバランスであるということが分かりました。さらに、母性により見守ることとは別に、父性により見張ること、つまりほめることと叱ることもほどほどが良く、大事なのはそのバランスであると言えます。そのメカニズムを詳しく見てみましょう。(1)二面性―表2見守ること、ほめること、そして叱ることとは、具体的にどういうことなのでしょうか?その特徴と二面性について考えてみましょう。見守るとは、子ども(相手)の行動を温かくも注意深く見て、いざ危険になった時に助けて守るなどフォローすることです。例えば、子どもが父親や教師にほめられた時も叱られた時も、母親など誰かがその気持ちをそばで共感することです。すると、子どもは、自分にはどんな時も味方がいると安心します。見守られている子どもの脳内では、オキシトシンという神経伝達物質が放たれ、安全感や安心感が得られ、自己評価はプラスに保たれます。自己評価とは、自分自身への評価や価値であり、自分を大切にする心理です。ただし、見守られること自体には、直接的な学習効果はありません。学習とは、例えば、1人でトイレを済ます、隣の家のおじさんに挨拶をする、困っている人を助けるなど期待されたことを行うことです。ほめるとは、期待されたことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を肯定することです。ほめられた子どもの脳内では、ドパミンという神経伝達物質が放たれ、楽しく心地良くなり、達成感が得られ、自己評価は上がります。すると、その子どもは、次も同じことをやろうと学習します。これが、ほめることによる学習効果です。ただし、この学習効果はある一定量しかなく、従って自己評価もある一定量しか上がりません。よって、学習効果や自己評価を高めるために、ほめることは、なるべくこまめに繰り返し行う必要があります(繰り返し効果)。叱るとは、期待されなかったことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を否定することです。叱られた子どもの脳内では、ノルアドレナリンという神経伝達物質が放たれ、緊張や恐怖を感じ、自己評価は下がります。これは、哺乳類の敵の学習に通じるものです。敵に襲われた時、恐怖という否定的な感情によって、敵を記憶するのです。それと同じように、子どもも、「敵に近付くこと」、つまり同じことはもうやらないように学習します。これが、叱ることの学習効果です。この学習効果は、1回だけでもとても高いのですが(即時効果)、同時に自己評価を大きく下げてしまう難点があります。よって、叱るのは、絶対にやってはいけないこと、つまり禁止のルールの学習に限定し、最小限にする必要があります。禁止のルールとは、例えば、人を傷付けてはいけない、人の物を盗ってはいけないなどです。表2 見守ること、ほめること、そして叱ることの比較母性により見守ること(保護)父性により見張ること(監視)ほめること叱ること特徴子ども(相手)の行動を温かくも注意深く見て、いざ危険になった時に助けて守る安全感期待されたことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を肯定する楽しさ、心地良さ、達成感期待されなかったことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を否定する緊張、恐怖神経伝達物質オキシトシンドパミンノルアドレナリン学習効果直接的になし比較的低いとても高い自己評価プラスに保つ少し上げる大きく下げる注意点一定して絶え間なく注ぐ必要がある繰り返す必要がある限定する必要がある(2)アンバランスの危うさ―グラフ1次に、見守ること、ほめること、そして叱ることのアンバランスの危うさについて考えてみましょう。見守り(母性)が行き過ぎだったり足りなかったりした場合に起きる問題は、すでに「母性と父性のアンバランス」の段落で触れました。よって、見守ることは、多くも少なくもなく、一定して絶え間なく必要であるということです。ほめることが行き過ぎて叱ることが足りない場合、つまりほめてばかりで叱らない親はどうでしょうか?いわゆる甘やかし、溺愛です。子どもは、自己評価が高くなりすぎて、自惚れが起きやすくなります(自己愛パーソナリティ)。また、禁止のルールの学習が進まず、やりたい放題で奔放な行動パターンを取りやすくなります。イメージとしては、いわゆる「ドラ息子」です。逆に、叱ることが行き過ぎてほめることが足りない場合、つまり叱ってばかりでほめない親はどうでしょうか?厳格な家庭環境ということになります。子どもは、自分の行動にいつも怯えてしまい、安心感をなくします。また、自己評価を大きく低めてしまいます。この問題も、すでに「母性と父性のアンバランス」の段落で触れました。さらに、時として、厳しいしつけや体罰は虐待に発展して、心の傷(トラウマ)も残してしまいます(PTSD)。最後に、見守ることもほめることも叱ることも足りない場合、つまり見守りもほめも叱りもしない親はどうでしょうか?放ったらかし、つまり放任です。子どもは、安心感や達成感を持てず、禁止のルールも分からないまま、とても野性的になります。欲望と恐怖だけに支配され、ただ生きるために生き続けているだけで、社会生活を送るのが、極めて難しくなります。(3)ほめることと叱ることの割合―グラフ2ここで、ほめることと叱ることの具体的なバランス、つまり割合について考えてみましょう。それぞれの特徴を踏まえて、自己評価をほどほどなプラスにすることに重きを置くと、ほめることは、叱ることよりも量、質ともにある程度多くする必要があります。そして、その前提として、もちろん絶え間ない見守り(母性)による自己評価の安定も重要です。例えば、5回ほめることによる自己評価のアップが1回叱ることによる自己評価のダウンと同じになるモデルを考えてみましょう。グラフのように、繰り返しほめることで学習効果は徐々に進み、自己評価も徐々に上げっていきます。ところが、1回叱られると学習効果は大きく進むのですが、同時に自己評価は大きく下がります。そして、続けて叱られるとさらに学習効果が進みますが、自己評価が大きくマイナスになってしまいます。それは叱ることはとても威力があるからです。つまり、5回以上ほめて初めて1回叱ることができます。または、1回叱ったら、5回以上ほめる必要があります。なぜなら、叱り続けたら、自己評価がどんどん下がっていき、精神的に不安定になってしまうからです。日頃から、見守られてほめられているからこそ、叱られても、そのストレスに耐えられるのです。別の言い方をすれば、ほめる「貯金」をたくさんしてこそ、叱る「借金」ができるのです。これが、ほめることと叱ることのバランスです。そして、これが、冒頭の問いかけの答えでもあります。「人育て」における見守ること、ほめること、そして叱ることのバランスこれまで、子育てにおいてのほめること、叱ること、そして見守ることのバランスについて考えてきました。それでは、「人育て」、つまり人材育成においてはどうでしょうか?昨今、特にプロフェッショナルな集団では、たとえ上司と部下、先輩と後輩、年配と若手の関係があっても、フラット(対等)な関係が好まれる傾向にあります(フラット化)。しかし、まだプロになり切れていない新人の教育にあたっては、3つのバランスは大いに重要です。見守ることが行き過ぎると、先回りをしてしまい、新人が指示待ち人間になってしまいます。自発性や積極性が育まれず、横並び意識が強まり、成長はしません。逆に、見守ることが足りないと、安全感(セーフティネット)がなく、競争原理や人間関係のストレスなどに耐えられません。よって、見守ることは、子育てと同じく、多くも少なくもなく一定して絶え間なく必要であるということです。ほめることが行き過ぎて叱ることが足りないと、新人は自惚れて仕事を舐めてかかります。やがて、現状に甘んじてしまい、成長はしません。また、禁止の学習がなされないので、同じ間違いを繰り返しやすくなります。逆に、叱ることが行き過ぎてほめることが足りないと、新人は仕事の出来不出来にいつも怯えてしまいます。そして、自発性が萎縮してしまいます。欲求不満の状態に陥り、離職率を高めます。集団での母性と父性―リーダーとサブリーダーの役割のバランスそれでは、職場という組織(集団)において、見守りによる母性を発揮するのは誰が良いでしょうか?また、ほめ叱りによる父性を発揮するのは誰が良いでしょうか?答えは、リーダーが母性、サブリーダーが父性を発揮することです。これは、1つの安定モデルです。実際に、リーダーは温かく見守り人望があり、サブリーダーは口うるさく有能であるというスタイルで機能している集団はよく見かけます。また、サブリーダーの時は口うるさかったのに、リーダーになったら穏やかになったという人も見かけます。新しいサブリーダーがしっかりしていて父性を強めてくれれば、リーダーは母性を強めることができて、集団の機能として安定するわけです。逆に、リーダーが父性的、サブリーダーが母性的である場合もありえます。ただし、この場合は、リーダーが孤立する可能性が高まり、集団としてのまとまりが弱くなるリスクがあります。とても危ういのは、リーダーとサブリーダーのキャラがかぶり、2人が揃って父性的で、メンバーたちを叱ってばかりいるという集団です。コミュニケーションにおける母性と父性普段からのコミュニケーションにおいても、私たちは相手によって一人二役で母性と父性を使い分けたり、組み合わせたりしています。かつては「がんばれ!負けるな!」という父性的な言い回しを世の中でよく耳にしました。最近では「がんばって。でも無理しないでね」という言い方をよく耳にします。これは、「がんばるのはいいけど、無理しなくても、人生は大丈夫なもんだからね」という母性的な保証のニュアンスが込められていることが分かります。今の世の中は、母性的なコミュニケーションに傾いてきているようです。今回、ドラマ「マザー」を通して家族機能を解き明かしながら、子育てのあり方から「人育て」のあり方を探ってきました。これらを見通す視点を持つことで、私たちは日々のコミュニケーションのあり方を見つめ直し、見守ること、ほめること、そして叱ることのそれぞれのバランス感覚を身に付けることができるのではないでしょうか?1)山極寿一:家族進化論、東京大学出版会、20122)北村英哉・大坪康介:進化と感情から解き明かす社会心理学、有斐閣アルマ、20123)澤口俊之:「学力」と「社会力」を伸ばす脳教育、講談社+α新書、2011

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低ゴナドトロピン性男子性腺機能低下症〔MHH : male hypogonadotropic hypogonadism〕

1 疾患概要■ 概念・定義低ゴナドトロピン性男子性腺機能低下症(male hypogonadotropic hypogonadism:MHH)は、視床下部ないしは下垂体の障害によりFSH(Follicle Stimulating Hormone:卵胞刺激ホルモン)およびLH(Lutenizing Hormone:黄体化ホルモン)の分泌低下を来す、まれな疾患である。■ 疫学発症頻度は、10万人に1人と報告されている。■ 病因間脳-下垂体-精巣系は、図1に示すように血中テストステロン濃度によるネガティブフィードバックによって調節されているが、最近は国立成育医療研究センター研究所分子内分泌研究部の緒方 勤氏(現 浜松医科大学 小児科 教授)を中心とした研究から、間脳(median basal hypothalamus:視床下部の正中隆起)と下垂体の間の調節機構に関わる因子が、動物実験とMHHの家系調査や遺伝子検索によって次第に明らかになってきている(図2)。画像を拡大する画像を拡大する下垂体からのLH分泌が低下した病態として、KISS-1 neuronからのKisspeptine分泌障害、KisspeptineとそのリガンドであるGPR54の結合障害、Gn-RH neuronから軸索を通ってのGnRH分泌の分泌障害(TAC3/TACR3遺伝子が関与)、下垂体でのGnRHR(GnRH受容体)の異常によるものなどの存在が明らかにされ、ジェネティック・エピジェネティック解析の進展につれて、病因別(遺伝子異常別)に病態の整理が進むものと期待されている(図3)。画像を拡大する■ 症状MHH患者では、精巣機能低下により、第二次性徴発来の欠如や骨粗鬆症や男子不妊症を呈する。また、MHHの亜型と考えられているadult-onset MHHでは、脱毛や勃起障害やうつ症状などのLate-Onset Hypogonadism syndrome(LOH症候群: 加齢男性性腺機能低下症候群)の症状を呈することもある。2 診断 (検査・鑑別診断も含む)小児期に汎下垂体機能低下症として発症した場合には、すでに下垂体ホルモンの補充療法がなされており思春期初来・第二次性徴の誘導から精子形成の誘導を行うことになる。また、事故による下垂体外傷や下垂体腫瘍治療としての下垂体摘除後(外科治療・放射線治療)であれば、治療歴から診断は容易である。LHならびにFSHのみが低下したMHHは、精巣機能低下に起因するものが全面に出てくる。臨床症状としては、第二次性徴の遅れが最も頻度が高い。adult-onset MHHの場合は、性欲低下、勃起障害、意欲の低下、健康感の喪失、うつ症状などのLOH症候群と似た症状や、体毛の脱落を訴える場合もある。身体所見は、血中テストステロンの低下の程度によって影響され、以下のような所見を呈することが多い。(1)外性器発育不全:マイクロペニス、陰嚢発育不全、精巣容積の低下(2)体毛や体脂肪分布:まばらな脇毛や女性形の陰毛分布、体脂肪分布の女性化、小児体型(3)骨粗鬆症:頻回の骨折、骨塩量減少(4)汎下垂体低下症に合併した小児例では、低身長臨床検査所見では、(1)血中テストステロン(T)値の低下、LH単独ないしはFSHと共に低下、貧血。(2)24時間血中LH値測定でLHの律動分泌の低下(adult-onset MHHの診断に有効)(3)hCG負荷試験で正常反応、Gn-RH負荷試験で正常~過剰反応3 治療 (治験中・研究中のものも含む)治療法はテストステロン補充療法とゴナドトロピン療法に大別される。前者は第二次性徴の発現・性欲亢進・骨粗鬆症予防には有用であるが、外因性テストステロンにより精子形成が抑制されるため、挙児希望のあるMHH患者は適応がない。挙児希望のMHH患者においては、精子形成を誘発するためにゴナドトロピン療法が行われる。視床下部性MHHの場合はGnRH投与が有効であるが、GnRH分泌のパルスパターンを再現するために携帯注入ポンプを使用しなければならないため、患者にとって治療のコンプライアンスが悪く実用的でない。このため、わが国におけるMHH患者治療の第一選択は、LHの代用としてhCGと遺伝子組換え型ヒトFSH製剤(r-hFSH製剤:ホリトロピン アルファ)が用いられている。MHHは特定疾患に分類され、申請すれば治療費は全額公費負担となる。さらに、治療コンプライアンスの向上のために在宅自己注射が認められている。適応薬は次の2薬に限られていることに注意が必要である。(1)hCG製剤(商品名:ゴナトロピン5000)(2)r-hFSH製剤(同:ゴナールエフ皮下注ペン)さらに、保険上注意が必要なのは、ゴナトロピン®に関してはHMMの在宅自己注射にのみ皮下注射が認められている点である(MHH以外は、医療機関での筋注のみの適用)。これまでは、経験的に以下のような治療法が行われてきた。まず、ゴナトロピン®3,000~5,000単位を2~3回/週先行投与して血中T値が正常化するのを確認する。同時に精液検査を行い、精子形成誘導の成否を判定する。血中T値が正常化しても精液検査所見が正常化しない場合には、ゴナールエフ®皮下注ペン75~150単位を2~3回/週追加使用するプロトコールが行われてきた。しかし、現在MHH研究会を中心に治療の全国集計が行われており、hCG製剤とr-hFSH製剤の同時投与開始のほうが精子形成誘導に至る時間が短いことが明らかにされつつある。詳細な調査結果の公表後に、標準治療法が変更になる可能性がある。挙児希望の場合には、精子形成が誘導され児を得た後は、テストステロン補充療法に移る。テストステロンエナント(同:エナルモンデポー)125~250mgを2~4週ごとに筋注する。この療法はhCG + r-hFSH療法に比べて治療回数が少なくて済むため、患者の利便性は高い。しかし、テストステロン補充療法は筋注であり、在宅自己注射は認められていない。このため、患者は医療機関を定期的に受診する必要がある。精子形成は急速に抑制され、6ヵ月で無精子となる。エナルモンデポー®を筋注した場合、血中T値は急速に上昇するため、全身のほてりや、にきびの発生、骨痛などの症状が現れることがある。また、血中T値の低下につれて、筋力低下、抑うつ気分などの症状が現れる。これらの症状に応じて、テストステロン補充の間隔を調節する必要がある。すぐに挙児を希望しない場合でも、hCG + r-hFSH療法により精子形成が確認されれば、これを将来のバックアップとして凍結保存することを推奨している。この後に前述のようにテストステロン補充を行い、挙児を希望したときにhCG + r-hFSH療法に変更している。筆者らの経験では、以前にhCG + r-hFSH療法で精子形成の誘導が確認されたMHH症例では、テストステロン補充療法でいったん無精子症になっても、全例で精子形成の再誘導が確認されている。汎下垂体機能低下症の小児例に対しては、成長(身長の伸び)と第二次性徴の誘導のバランスが必要であり、これまでのところ、定まった治療方法は存在しないのが現状である。これに関しても、現在MHH研究会が全国集計を行い、治療法の標準化を図ろうとしている。最終報告まで、数年かかる見込みである。4 今後の展望分子遺伝学の進歩に伴って、MHHの病因の解明が進んでいる(図3)。しかしながら治療法に関しては、原因に根ざしたものは不可能であり、前述の方法しかない。5 主たる診療科汎下垂体機能低下症によるMHHは、小児科で治療が開始され、成人になってからは内分泌内科および泌尿器科(主に精子誘導)が連携して治療を行うことになる。※ 医療機関によって診療科目の区分は異なることがあります。6 参考になるサイト(公的助成情報、患者会情報など)診療、研究に関する情報hCG製剤の添付文書(あすか製薬のホームページ)(医療従事者向けの情報)MHHに関する情報ページ(一般利用者向けと医療従事者向けのまとまった情報)

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Mother(中編)【母性と愛着】

母性と愛着みなさんは、仕事や日常での生活で「誰かに見守られたい」「誰かとつながっていたい」と思うことはありませんか?この感覚の根っこの心理は愛着です。そして、この愛着を育むのは母性です。今回も、前回に引き続き、2010年に放映されたドラマ「Mother」を取り上げます。そして、母性と愛着をテーマに、見守り合うこと、つながること、つまり絆について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。あらすじ主人公の奈緒は、30歳代半ばまで恋人も作らず、北海道の大学でひたすら渡り鳥の研究に励んでいました。そんな折に、研究室が閉鎖され、仕方なく一時的に地域の小学校に勤めます。そこで1年生の担任教師を任され、怜南に出会うのです。そして、怜南が虐待されていることを知ります。最初は見て見ぬふりの奈緒でしたが、怜南が虐待されて死にそうになっているところを助けたことで、全てをなげうって怜南を守ることを決意し、怜南を「誘拐」します。そして、継美(つぐみ)と名付け、渡り鳥のように逃避行をするのです。実のところ、奈緒をそこまで駆り立てたのは、奈緒自身がもともと「捨てられた子」だったからです。その後に、奈緒が奈緒の実母に出会うことで、奈緒はなぜ捨てられたのかという衝撃の真実を私たちは目の当たりにして、母性とは何かを考えさせられます。奈緒の母性―喜び奈緒は、怜南の母の虐待によって死にかけていた怜南を偶然に救いました。その時、以前から自分が入るための「赤ちゃんポスト」を怜南が探していることを奈緒は知り、心を打たれます。そして、怜南が飛んでいる渡り鳥に「怜南も連れてって~!」と叫んだ時、今まで眠っていた奈緒の母性に火が着いてしまったのです。奈緒は、大学の研究員に戻れるというキャリアを捨てて、そして、たとえ捕まって「牢屋」に入れられるとしても、「私、あなたのお母さんになろうと思う」と思い立ちます。その後、奈緒は「人のために何かしたことなんてなかったから」「子どもが大きくなる」「ただそんな当たり前のことが嬉しかった」と語ります。また、奈緒は、追いかけてやってきた継美(怜南)の実の母に告げます。「あの子はあなたから生まれた子どもです」「あなたに育てられた優しい女の子です」「ホントのお母さんの温もりの中で育つことがあの子の幸せなら」「あの子をお返しします」「あなたがまだあの子に思いがあって、まだあの子を愛して心からあの子を抱き締めるなら」「私は喜んで罰を受けます」「道木怜南さんの幸せを願います」と。母性とは、母の子どもの幸せを一番に願う喜びなのです。施設の母(桃子さん)の母性―安全基地奈緒と継美(怜南)は、逃避行の途中、栃木のある児童養護施設を訪ねることになります。そこは、かつて奈緒が捨てられた5歳から里親に拾われる7歳までの2年間を過ごした場所でした。その施設の母である桃子さんは、「ここで育った子どもたちには故郷がない」「ここで育った子どもたちにとってはここが故郷で、私が親代わりだ」と言っていました。施設、そして桃子さんは、心の拠りどころとなる存在や場所としての役割を果たそうとしていたのです(安全基地)。それは、困った時に逃げられる場所、困った時に必ずそばにいてくれる人です。しかし、奈緒が訪ねた時、施設にいたのは、年老いて認知症になった桃子さんだけでした。そして、桃子さんが高齢者介護施設に引き取られる日が迫っていました。桃子さんは、最初、奈緒のことが分かりませんでした。しかし、最後には、「奈緒ちゃんがお母さんになった」と繰り返し言い、心の底から喜びます。かつて幼い奈緒が「子どもがかわいそうだから」「生まれるのがかわいそうだから」「絶対にお母さんにはならないの」と言ったことを桃子さんは覚えていたのでした。桃子さんは、認知症になりながらも、奈緒の幸せを一番に思っていたのです。育ての母(藤子)の母性―決意その後に、奈緒が身を寄せたのは、育ての母(藤子)の元、つまり現在の東京の実家です。藤子は、2人の実の子たちと分け隔てなく、むしろ奈緒を一番に気遣っています。そこには、藤子なりの決意があったのです。かつて幼い奈緒が、閉ざした心を開きかけた時、藤子は決意します。「世界中でこの子の母親は私1人なんだって」「たとえ奈緒の心の中の母親が誰であろうと」と。このように、育ての母であることは、母性という本能だけでなく、意識する、決意するという理性によっても、親子の関係を強める必要があります。例えば、それは、藤子が「甘えることは恥ずかしいことじゃないの」「愛された記憶があるから甘えられるんだもん」と奈緒に諭すようなブレない心です。実の母(葉菜)の母性―本能奈緒は、継美(怜南)を連れて東京に戻ってきた時、偶然にも、奈緒の実の母である葉菜に、30年ぶりに見つけられます。その時から、葉菜は、奈緒に正体がばれないように「うっかりさん」として継美に近付いていきます。やがて、葉菜は、継美が北海道で行方不明になった怜南という子であること、つまり奈緒の子ではないことを知ってしまいます。しかし、継美(怜南)に「うっかりさん、あなたの味方ですよ」「あなたのお母さんを信じてる人」「ウソつきでも信じるのが味方よ」と告げます。さらに、その後に葉菜は、自分が実の母であることを奈緒に気付かれ、激しく拒絶されます。それでも、奈緒や継美を助けようとします。奈緒が、真相を追いかける雑誌記者(藤吉)に金銭を揺すられた時は、葉菜は嫌がられても自分の貯金を全額、無理やり奈緒に渡そうとします。また、継美(怜奈)の母が追いかけてきたことを知った葉菜は、奈緒と継美に「あなたたちは私が守ります」と力強く言い、自分の家にかくまいます。奈緒と継美と葉菜の3人で遊園地に行った時のことです。奈緒は「(かつて遊園地でいっしょに楽しんだ後に自分を捨てたのにまた楽しんでいて)ズルイなあ」とつぶやきます。すると葉菜は「ウフフ、そうズルイの」「楽しんでるの」とほほ笑み、言い訳などせず、奈緒の気持ちをそのまま受け止めます(受容)。また、葉菜は奈緒に「一番大事なものだけ選ぶの。大事なものは継美ちゃん」と言い、非合法的に2人の戸籍を入手しようともします。そして、「大丈夫、きっとうまくいく」と安心させます(保証)。藤子(奈緒の育ての親)が、実の子どもたちを守るために苦渋の選択で、理性的に奈緒の戸籍を外そうとしていたのとは対照的です。このように、母性とは、どんな時でもどんな場所でも自分の子どもを許し、存在そのものを肯定する心理です(無条件の愛情)。もはや理性や理屈ではありません。ラストシーンでは、葉菜の真実が明かされます。その時、私たちは、葉菜が奈緒を捨てなければならなかった本当の理由、そして葉菜が自分の人生をなげうってでも十字架を背負ってでも奈緒を守る、ただただ奈緒の幸せを願う、そして自分が犠牲になることに喜びさえ感じる葉菜の究極の母性を目の当たりにします(自己犠牲)。それは、本能であり、突き動かされる「欲望」でもあったのです。母性の心理の源は?これまで、奈緒、施設の母(桃子さん)、育ての親(藤子)、そして実の母(葉菜)のそれぞれの母性を見てきました。母性には、喜び、安全基地の役割、決意、無条件の愛情、自己犠牲の本能など様々な心理があることも分かってきました。このドラマのキープレーヤーとして登場する雑誌記者(藤吉)は、葉菜(奈緒の実の母)の真実を追い求める中、葉菜がかつてある事件を起こしていた事実に辿り着きます。そして、葉菜の友人であり、かつて葉菜を取り調べた元刑事から、「人間には男と女と、それにもう1種類、母親というのがいる」「これは我々(男性)には分からんよ」と聞かされます。そして、「聖母」という母性に辿り着きます。それほど母性とは、独特なものであると言えます。タイトルの「Mother」の「t」が十字架のように浮き彫りになって教会の鐘が鳴る毎回のオープニングクレジットは、とても象徴的です。それでは、なぜ母性はこのような心理になるのでしょうか?そもそもなぜ母性はあるのでしょうか?その答えは、母性とは私たち哺乳類などの動物が、進化の過程で手に入れた生理的なシステムだからです。哺乳させる、つまり乳を与えるという授乳の行為は、自分の栄養を与えるという自己犠牲の上に成り立っています。そこから、身の危険を冒してでも、子どものためにエサを取ってくる行為に発展していきます。そして、人間においても、母が子どものことに全神経を傾けて過ごし(母性的没頭)、子どもが生き延びるためにその子にありったけのものを与えます。これは、命をつなぐために不可欠な生物学的な営みです。このような行為を動機付ける心理が母性です。そこに見返りはありません。「そうしたいからしている」という欲求なのです。哺乳類が誕生した太古の昔から、この「子どもを守りたい」と思う種ほど生き残り、より多くの子孫を残す結果となりました。そして、この心理がより働く遺伝子が現在の私たち、とくに女性に引き継がれています。母性と愛着―親と子どもを結ぶ絆奈緒は、葉菜が自分の実の母だとは知らずに語ります。「無償の愛ってどう思います?」「親は子に無償の愛を捧げるって」「あれ、私、逆だと思うんです」「小さな子どもが親に向ける愛が無償の愛だと思います」「子どもは何があっても、たとえ殺されそうになっても捨てられても親のことを愛してる」「何があっても」「だから親も絶対に子どもを離しちゃいけないはずなんです」と。また、奈緒は、押しかけてきた継美(怜南)の実の母にはこう訴えます。「親が見ているから、子どもは生きていけるんじゃないでしょうか」「目を背けたら、そこで子どもは死んでしまう」「子どもは親を憎めない生き物だから」と。さらに、その後に奈緒は、実の母と知った葉菜に言います。「(継美が)あなたに愛されていること」「何のためらいもなく感じられてるんだと思います」「子どもを守ることは、ご飯を作ったり食べたり、ゆっくり眠ったり、笑ったり遊んだり」「(子どもが)愛されてると実感すること」と。このように、母から子どもへの母性と子どもから母への愛着によって結ばれる絆は、もともとそのままあるものではありません。母の母性と子の愛着がお互いを求め合って、固く太く育まれていくものです(相互作用)。この絆が土台となり、やがて大人になった時に、他人との新しい絆を作っていくことができるようになります。そして、やがてその子どもがさらにその子どもの子どもに対して母性を注ぐことができるようになるのです。こうして、命は引き継がれていくのです。愛着ホルモン―オキシトシン継美(怜南)は、一時期、奈緒の実家に落ち着きます。その時、部屋で奈緒に「大事、大事」とささやかれ、髪を撫でられて、心地良さそうです。また、葉菜(奈緒の実の母)は理髪店を営んでいたこともあり、奈緒に髪を切ってあげることで、奈緒は幼い時にも同じように葉菜に髪を切ってもらっていたこと、そして思い出せなかった葉菜の顔を思い出します。これは、ちょうど私たちと遺伝的に近いチンパンジーやサルが毛づくろいをして、体が触れ合うことで親近感や社会性を増す場面と似ています。このように心や体が触れ合い絆を育む時、脳内では、オキシトシンなどの神経伝達物質が活性化していることが分かっています。つまり、愛着形成とオキシトシンの分泌や受容体の増加は、密接な関係があります。もともとオキシトシンは脳内のホルモンで、出産の時の子宮の収縮やその後の乳汁の分泌を促します。しかし、それだけではなく、抱っこや愛撫などの肌の触れ合い(スキンシップ)によっても、母子ともに分泌が促されるのです。オキシトシンは、母性の心理の原動力となるものです。と同時に、子どもの愛着の心理の原動力ともなっているのです。つまり、母性や愛着の心理は、オキシトシンなどの神経伝達物質によって、生物学的に裏付けられていると言えます。絆の土台作りの締め切り日―愛着形成の臨界期―グラフ奈緒は5歳の時に捨てられており、継美(怜南)は4、5歳の時から継美(怜南)の実の母やその恋人から虐待を受け続けています。しかし、奈緒は継美への母性を発揮することができて、継美は奈緒への新たな愛着を発揮することができました。奈緒も継美も、かつて絆壊し(脱愛着)が起きているのに、どうしてまた新たな絆作りができたのでしょうか?その理由は、奈緒は5歳の時まで実の親(葉菜)によって大切に育てられていたからです。そして、継美(怜南)は4、5歳の時まで継美(怜南)の実の母によって一生懸命に育てられていたからです。また、継美(怜南)は、子守り(ベビーシッター)をしてくれる愛情深い近所の人(克子おばさん)によってかわいがってもらっていたからです。母性が注がれることによって育まれる愛着の心理(能力)は、その基礎を育む期間に期限があります(臨界期)。つまり、絆の土台作りには、締め切り日がすでにあるということです。それは、まさに乳児期、厳密には生後1年半(長くて2年)までということが分かっています。ラストシーンの奈緒から継美(怜南)への手紙の中で、「(渡り)鳥たちは星座を道しるべにするのです」「それをヒナの頃に覚えるのです」「ヒナの頃に見た星の位置が(渡り)鳥たちの生きる上での道しるべとなるのです」とあります。これと同じように、この臨界期は遺伝的に決まっているのです。オキシトシンのパワー(1)精神的に安定する力この臨界期のオキシトシンの活性化によって高められる心理(能力)は、愛着だけでなく、人間的な共感性や安心感、そして知性であることが科学的に裏付けられてきています。昔からのことわざである「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものです。数え年を差し引けば、「三つ子」は生後1年から2年であり、愛着形成の臨界期にほぼ一致します。厳密には、この心理を左右するのは、オキシトシンだけでなくバソプレシンオキシトシンと同じ下垂体後葉のホルモン)の分泌や受容体がどれほど働いているかということも分かってきています(オキシトシンバソプレシン・システム)。さらに、この2つのホルモンは、快感や学習に関する脳の領域を刺激することも判明しています。つまり、この心理は、それ自体が快感であり(ドパミン・システム)、安心であり(セロトニン・システム)、さらに知性を高め、精神的に安定する力を強めます(レジリエンス)。逆に言えば、親の多忙やネグレクト(育児放棄)によって、2歳までに母性が子どもに十分に注がれていないと、その後にどうなるでしょうか?愛着ホルモン(オキシトシンバソプレシン)が活性化しないので、共感性や信頼感が育まれにくく、情緒が不安定になりやすくなります(反応性愛着障害、情緒不安定性パーソナリティ障害)。また、連鎖的に安心ホルモン(セロトニン)が活性化しないので、不安やうつになりやすくなります(不安障害、うつ病)。そして、快感ホルモン(ドパミン)が活性化されないので、いつも欲求不満で、その満たされない心を別の何かで満たそうとして、食べ物、お酒、ギャンブル、薬物にはまりやすくなります(摂食障害、依存症)。さらに、学習ホルモン(ドパミン)が活性化しないので、知的な遅れや発達の偏りにも影響を与えるリスクが高まります(知的障害、発達障害)。このように、乳児期の母性の不足は、様々な精神障害を引き起こすリスクを高め、精神的にとても脆く弱くなってしまうのです(脆弱性)。「すきなものノート」―愛着対象の代わり怜南(継美)は、奈緒に出会った時にあるものを見せます。そして、「私の宝物」「好きなものノート」「好きなものを書くの」「嫌いなものを書いちゃだめだよ」「嫌いなもののことを考えちゃだめなの」と言います。怜南が実の母やその恋人から虐待を受け続ける中、怜南の愛着は大きく揺らいでいました。そんな中、見いだされたのがこの「すきなものノート」、つまり愛着の相手(対象)の代わりです。本来、愛着の対象が代わるのは、母性により十分な愛着が育まれた上で、愛着の対象が広がり移っていくことです(移行対象)。しかし、怜南の場合は、実の母の虐待により愛着が壊されたことで(脱愛着)、代わりの愛着の対象を見いだしています。この「すきなものノート」は、大切にできるものを持とうと怜南なりに何とか自分の心のバランスを保とうとして生まれたものだったのです。オキシトシンのパワー(2)誰かを大切に思える力葉菜(奈緒の実の母)は、実は自分が白血病で命の期限が迫っていることを隠していました。そんな葉菜の主治医が「目の前に死を実感してあんなに元気な人、初めて見ました」と奈緒に打ち明けます。奈緒は葉菜に「(こんなにしてくれるのは)罪滅ぼしですか?」と問いかけると、葉菜は穏やかに答えます。「今が幸せだからよ」「幸せって誰かを大切に思えることでしょ」「自分の命より大切なものが他にできる」「こんな幸せなことある?」と。そして、告知された余命の期限を過ぎても生き生きと生き続けるのです。葉菜は、30年前に奈緒を連れて警察に追われていた時の気持ちを奈緒に打ち明けます。「何をやってもうまくいかなくてね」「心細くて怖かった」「でもね、内緒なんだけどね」「あなた(奈緒)と逃げるの楽しかった」と。たとえどんな困難でも、わが子を守るために必死だったからこそ、その恐怖は喜びに変わるのです。亡くなる直前も、「ラムネのビー玉、どうやって入れてるのかしらね」と継美(怜南)の質問を気にかけて幸せそうです。そして、葉菜の死に際の走馬灯を通して、葉菜が一生をかけて守ろうとした真実を私たちは知ることになります。このように、「誰かを大切に思えること」の源の心理は母性です。この心理から、ライフパートナーや家族や親戚との絆(家族愛)、近所や地域との絆(郷土愛)へと「大切に思える」対象が次々と広がっていきます。これらの心理も、オキシトシンの活性化に支えられています。例えば、結婚式の誓いの言葉の瞬間には、オキシトシンの分泌が高まっていることが分かっています。つまり、オキシトシンは、母子の体のつながりの温かさだけでなく、人と人の心のつながりの温かさを求める働き(欲求)があります(求温欲求)。オキシトシンは、愛着ホルモンであるというだけでなく、人と人とをつなげる信頼ホルモン、献身ホルモン、そして絆ホルモンであるとも言えます。そして、この心理の高まりによって、私たちは恐怖や困難を前向きに感じるようになります(レジリエンス)。葉菜と同じように奈緒も、継美(怜南)を守り気にかけることで成長し強くなっています。奈緒は20歳の継美(怜南)への手紙に「あなたの母になったから、私も最後の最後に(1度自分を捨てた)母を愛することができた」「あなたと出会って良かった」「あなたの母になれて良かった」「あなたと過ごした季節」「あなたの母であった季節」「それが私にとって今の全てであり」「そして(大人になった)あなたと再びいつか出会う季節」「それは私にとってこれから開ける宝箱なのです」と感謝します。子どもを養うことは、自分の心が養われることでもあるのです。つまり、「誰かを大切に思えること」は、負担ではなく、原動力なのです。さらに、最近の研究で、オキシトシンの活性化は、ストレスへの耐性など精神的な健康を高めるだけでなく、葉菜が長生きをしたように免疫力などの身体的な健康を高めることも分かってきています。つながり(絆)の心理の人種差―遺伝的傾向愛着の心理は、つながり(絆)の心理の土台であることが分かってきました。この心理の過敏さ(過敏性)には人種差があるでしょうか?答えは、あります。最近の遺伝子の研究によって、人種差があることが判明しています。欧米人の子どもに比べて、日本人などのアジア人の子どもは、愛着に敏感な遺伝子をより多く持っています。欧米人の遺伝子は愛着に敏感なタイプが3分の1、鈍感なタイプが3分の2です。それに対して、アジア人は敏感タイプが3分の2、鈍感タイプが3分の1です。ちょうど割合が逆転しています。つまり、欧米人は愛着に鈍感なので、母性が不足した環境で育っても充足した環境で育ってもあまり影響を受けずにドライに育ちます。一方、アジア人は愛着に敏感なので、母性が不足した環境で育つと大きく影響を受け、精神的に不安定になり、傷付きやすくなります。逆に、母性がより充足した環境で育つと、やはり大きく影響を受け、精神的により安定し、つながり(絆)の心理が高まり、よりウェットに育つということです。以上から言えることは、そもそも遺伝的傾向の違いがあるため、欧米で当たり前に行われている早期の自立や甘えを許さない子育ての方法をそのまま安易に日本で真似することは危ういということです。日本人の生活スタイルが欧米化しつつあります。だからこそ、よりつながりを意識した子育てや人間関係のあり方を見つめ直す必要があります。集団主義の源は?―3つの仮説それでは、そもそもなぜアジア人と欧米人でこの割合の違いが起きているのでしょうか?言い換えれば、なぜアジア人はつながりに過敏な遺伝子を多く持っているのでしょか?3つの仮説が考えられます。1つ目は、人類大移動のために必要な遺伝子だったという仮説です。6万年前に私たち人類の祖先たちは、生まれたアフリカの大地を出て、世界に広がっていきました。その時、ヨーロッパに比べてさらに遠いアジアの地に辿り着くためにはより協力する、つまりつながり(愛着)の心理を敏感に持つ必要がありました。その遺伝子を持つ祖先がより生き残り、現在の私たちアジア人、特にアフリカから比較的に遠い日本人により多く受け継がれている可能性が考えられます。なお、アメリカ人の多くは、もともとヨーロッパからの移民なので、遺伝的にはヨーロッパ人と同じと考えます。2つ目は、過酷な風土に居つくために必要な遺伝子だったという仮説です。特に日本は、地震、津波、台風、火山などの不安定な風土であるため、人々は絶えず絆を意識して助け合いました。また、島国で国土が狭いため、隣人に気遣いを忘れないようにしました。つまり、つながり(愛着)の心理を敏感に持つ必要がありました。その遺伝子を持つ人が、子孫を残す結婚相手としてより選ばれたと言うことです。3つ目は、つながりに過敏な遺伝子は多数派になることで強化されていったという仮説です。大移動が終わり、過酷な風土に適応した後も、文化として根付いていき、多数派になりました。つまり、文化的な価値観として、この遺伝子を持つ人が結婚相手としてより選ばれ、子孫を残し続けてきたと言えます。従来から、欧米人は個人主義的で甘えを許さないドライな民族で、アジア人、特に日本人は集団主義的で甘えを許すウェットな民族であると言われてきました。この違いは、単なる文化(環境因子)によるだけでなく、遺伝的傾向(個体因子)にもより、さらにはこの2つ要因がお互い絡み合った結果(相互作用)によると言えます。特別な誰かに大切にされた記憶―愛着の選択性奈緒が捕まった時のエピソードでは、継美(怜南)は児童養護センターに入り、他の子どもたちと楽しそうにしています。しかし、執行猶予が付いて解放された奈緒に、継美は電話をかけ続けます。そして、「お母さん、いつ迎えに来るの?」「もう1回、誘拐して」と涙を流して言うのです。本当のところ、心は満たされていないのでした。愛着という絆は、必ずしも相手が、実の母である必要はなく、育ての母でも良くて、祖母でも良くて、母性的にかかわることができる父でも良いのです。大事なのは、子どもと絆を結ぶ相手が特別な誰かであるということです。特別な誰かに母性を注がれること、つまり愛されることです(愛着の選択性)。これは、イスラエルの農業共同体キブツでの実験的な試みの失敗が裏付けています。そこでは、乳幼児を交代制で集団的に育児して、育児する母と育児される子が同じにならないようにしました。その後、そこで成長した多くの子が、愛着や発達の問題を多く認め、精神的に脆く弱くなってしまったのです。渡り鳥の道しるべ―絆奈緒は病床の葉菜(奈緒の実の母)に「もう分かっているの」「離れていても」「今までずっと母でいてくれたこと」「だから今度はあなたの娘にさせて」と打ち明けます。奈緒と葉菜が、30年の時を経てつながりを確認し合った瞬間です。奈緒は、渡り鳥として最後は実の母の元に戻ることができました。奈緒は、自分が「牢屋」に入ってでも、継美(怜南)を守ろうとしました。そんな奈緒は、継美にとって特別な存在です。奈緒は警察に捕まった時、継美に「覚えてて」「お母さんの手だよ」「継美の手、ずっと握ってるからね」と伝えます。また、最後のお別れの時、「離れてても継美のお母さん」「ずっと継美のお母さん」「そしたら(大人になったら)また会える日が来る」「お母さん、ずっと見てるから」と言います。奈緒から20歳の継美への手紙には「幼い頃に手を取り合って歩いた思い出があれば、それはいつか道しるべとなって私たちを導き、巡り合う」と記されます。特別な誰かが身を犠牲にして守ってくれた、大切にしてくれたという確かな記憶、そして自分の幸せを心から願い続ける誰かがいるという実感が、子どもにとっては心の拠りどころや支え(安全基地)、つまり絆となっていくのです。それはまさに、渡り鳥の「道しるべ」です。そして、やがてその子どもが大人になった時、自分が新しい特別な誰かの心の拠りどころや支えになり、新しい「道しるべ」をつくっていくのです。1)愛着崩壊:岡田尊司、角川選書、20122)進化と人間行動:長谷川眞理子、長谷川寿一、放送大学教材、20073)人類大移動:印東道子、朝日新聞出版、2012

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小児自閉症に対する薬物療法はQOLにどのような影響を与えるか

 米国・ワイルコーネル大学医学部のWendy N. Moyal氏らは、自閉症スペクトラム障害(ASD)を有する小児・若年者のQOLに及ぼす薬物療法の影響についてレビューを行った。その結果、アリピプラゾールとオキシトシン(本疾患には未承認)は、QOLにプラスとなる効果をもたらすことが明らかであること、その他の抗精神病薬については、リスクとベネフィットについての有用な情報はあるがQOLに関する特定データはなかったことを報告した。Pediatric Drugs誌オンライン版2013年10月24日号の掲載報告。 ASDを有する小児は88人に1人の割合でいると推定されている。同障害は、社会的なコミュニケーションや意思疎通の障害、興味対象が限定的であること、反復行動がみられることで診断される。ASDの小児の大半では適応スキル障害がみられ、多くが知的障害を有し、そのほか精神障害や精神症状が共通してみられる。このような複合的な障害によって、患者および家族はQOLに相当な影響を受けていると考えられる。精神医学的な問題による機能障害への対処のために、医師や家族によって薬物治療が考慮されており、実際、小児・若年者のASDの3分の1が1剤以上の抗精神病薬を服用している。また、その多くは補完・代替医療も利用している。そのような背景を踏まえて研究グループは、ASDの小児について抗精神病薬治療のQOLに関するベネフィットとリスクについて、どのようなことが明らかになっているかをレビューした。 主な結果は以下のとおり。・自閉症患者における、QOLの評価を含む抗精神病薬治療の研究はまれであった。小児を対象としたアリピプラゾールの興奮症状に関する研究と、成人対象のオキシトシン研究1例であった。・アリピプラゾール研究では、オキシトシン研究と同様に、治療を受けた患者においてQOLにプラスとなる効果をもたらすことが示されていた。・その他の抗精神病薬は、小児のASD治療に用いられており、リスクとベネフィットに関する情報は得られたが、QOLへの影響に関する特異的なデータはなかった。・著者は、「アリピプラゾールとオキシトシン研究は、研究者にとってQOL評価の手法を組み込む際の例証となり、また臨床医に有用な情報を提供するものである」と述べ、「そのうえで、ASDの小児について、薬物療法およびQOLにおけるさらなる研究を行うことを推奨する」とまとめている。関連医療ニュース 自閉症スペクトラム障害への薬物治療、国による違いが明らかに 自閉症スペクトラム障害に対するSSRIの治療レビュー 統合失調症患者の社会的認知機能改善に期待「オキシトシン

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心肺蘇生でのVSEコンビネーション療法、神経学的に良好な生存退院率を改善/JAMA

 心停止患者の蘇生処置について、心肺蘇生(CPR)中のバソプレシン+エピネフリンとメチルプレドニゾロンの組み合わせ投与および蘇生後ショックに対するヒドロコルチゾン投与は、プラセボ(エピネフリン+生理食塩水)との比較で、神経学的に良好な状態で生存退院率を改善することが明らかにされた。ギリシャ・アテネ大学のSpyros D. Mentzelopoulos氏らが無作為化二重盲検プラセボ対照並行群間試験の結果、報告した。先行研究において、バソプレシン-ステロイド-エピネフリン(VSE)のコンビネーション療法により、自発的な血液循環および生存退院率が改善することが示唆されていたが、VSEの神経学的アウトカムへの効果については明らかではなかった。JAMA誌2013年7月17日号掲載の報告より。20分以上の自発的な血液循環、CPCスコア1もしくは2での生存退院率を評価 研究グループは、昇圧薬を必要とした院内心停止患者について、CPR中のバソプレシン+エピネフリン投与と、CPR中またはCPR後にコルチコステロイドを投与する組み合わせが、生存退院率を改善するかを、脳機能カテゴリー(Cerebral Performance Category:CPC)スコアを用いて評価を行った。同スコアの1、2を改善の指標とした。 試験は2008年9月1日~2010年10月1日の間に、ギリシャの3次医療センター3施設(病床数計2,400床)を対象に行われた。被験者は、蘇生ガイドラインに従いエピネフリン投与を必要とした院内心停止患者で、364例が試験適格について評価を受け、そのうち268例が解析に組み込まれた。 被験者は、バソプレシン(CPRサイクル当たり20 IU)+エピネフリン(同1mg;約3分間隔で)投与群(VSE群、130例)か、生理食塩水+エピネフリン(同1mg;約3分間隔で)投与群(対照群、138例)に無作為化され、初回CPRを5サイクル受けた。必要に応じてエピネフリンの追加投与を受けた。無作為化後の初回CPR中、VSE群はメチルプレドニゾロン(40mg)も受けた。対照群は生理食塩水を受けた。 また、蘇生後ショックに対しては、VSE群(76例)に対してはヒドロコルチゾンをストレス用量で投与し(最大量300mg/日を7日間投与したあと漸減)、対照群(73例)には生理食塩水を投与した。 主要評価項目は、20分以上の自発的な血液循環(ROSC)、CPCスコア1もしくは2での生存退院率とした。CPCスコア1もしくは2での生存退院率改善は、VSE群が対照群の3.28倍 全蘇生患者についてフォローアップは完遂された。 VSE群の患者は対照群と比べて、20分以上のROSCの達成患者が有意に高率だった(83.9%対65.9%、オッズ比[OR]:2.98、95%信頼区間[CI]:1.39~6.40、p=0.005)。 CPCスコア1もしくは2で生存退院した患者の割合も有意に高率だった(13.9%対5.1%、OR:3.28、95%CI:1.17~9.20、p=0.02)。 蘇生後ショックの処置について、ヒドロコルチゾン投与を受けたVSE群のほうが、プラセボ投与を受けた対照群と比べて、CPCスコア1もしくは2で生存退院した患者の割合が有意に高率だった(21.1%対8.2%、OR:3.74、95%CI:1.20~11.62、p=0.02)。 有害イベントの発現率は、両群で同程度だった。

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高齢の遅発統合失調症患者に対する漢方薬の効果は?

 統合失調症の発症年齢には個人差があるが、遅発性および超遅発性の統合失調症に関する研究は不十分であり、治療のさまざまな問題点は未解決のままである。島根大学の宮岡 剛氏らは、認知機能障害のない超遅発性統合失調症様精神障害の高齢患者に対する抑肝散(TJ-54)単独療法の有効性と安全性を評価した。Phytomedicine : international journal of phytotherapy and phytopharmacology誌2013年5月15日号の報告。 本試験は、最近の超遅発性統合失調症様精神病のコンセンサス基準およびDSM-IV-TR診断基準の両方を満たす患者(平均年齢73.1±4.8歳)40例を対象としたオープンラベル試験。簡易精神症状評価尺度、臨床全般印象重症度(CGI-SI)、PANSSについて、ベースライン時と抑肝散(2.5~7.5g/日)投与4週間後のスコアの変化量を評価した。加えて、異常不随意運動は、Scale Simpson-Angus 錐体外路系副作用評価尺度、Barnesアカシジア尺度、異常不随意運動評価尺度(AIMS)にて評価した。 主な結果は以下のとおり。・すべての患者において、精神症状の有意に高い改善が認められた(p<0.001)。・抑肝散の忍容性は良好であり、臨床的に有意な有害事象は認められなかった。・すべての異常な不随意運動に関するスコアは、抑肝散の投与前後で有意な差は認められなかった。・超遅発性統合失調症様精神病患者に対する抑肝散による治療は、有用かつ安全であることが示された。関連医療ニュース 統合失調症患者に対するフルボキサミン併用療法は有用か?:藤田保健衛生大学 統合失調症治療にベンゾ併用は有用なのか? 統合失調症患者の社会的認知機能改善に期待「オキシトシン

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統合失調症認知評価尺度SCoRS、臨床での有効性を実証

 イタリア・ブレシア大学のAntonio Vita氏らは、統合失調症患者の認知パフォーマンス測定に有効とされる統合失調症認知評価尺度(Schizophrenia Cognition Rating Scale:SCoRS)について、臨床における有効性を検証した。その結果、有効性が示され、心理社会的機能の評価にも有効で、とくに安定期の統合失調症患者に有用であることを報告した。Schizophrenia Research誌オンライン版2013年3月16日号の掲載報告。 研究グループは、イタリアの精神科医療システムの代表的な治療設定下において、SCoRSの有効性を検証することを目的とした。病期や治療環境が異なる統合失調症患者86例にSCoRSを適合し、その信頼性を評価し、SCoRSの総評価値と神経認知、臨床的、心理社会的機能との関連を調べた。 主な結果は、以下のとおり。・SCoRSの評価者間信頼性、および再テスト信頼性は高かった。・臨床的に安定期にある患者において、SCoRS総評価値は下記の評価に関して有意であった。  認知パフォーマンスの複合スコア(総認知指数:r=-0.570、p<0.001)  症状[陽性・陰性症状スケール(PANSS):r=0.602、p<0.001]  心理社会的機能[機能の全体的評定尺度(GAF):r=-0.532、p<0.001/Health of the Nation Outcome Scale(HoNOS):r=-0.433、p<0.001]・一方でこうした関連は、直近の入院患者では認められなかった。・神経心理および機能的測定値について、症状が重度な患者、とくに陽性症状が重度である患者では、ほとんど関連が認められなかった。関連医療ニュース ・統合失調症患者の社会的認知機能改善に期待「オキシトシン」 ・統合失調症の遂行機能改善に有望!グルタミン酸を介した「L-カルノシン」 ・認知機能への影響は抗精神病薬間で差があるか?

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統合失調症患者の社会的認知機能改善に期待「オキシトシン

 統合失調症患者は社会的認知機能(感情認識、他者への共感、パースペクティブテイキングメンタル[相手の立場で考える能力]を含む)が広い範囲で損なわれていることはこれまでの研究で明らかとなっている。最近の研究によると、統合失調症患者における社会的障害にオキシトシン作動性システムが関連しているともいわれている。イスラエル・ハイファ大学のM Fischer-Shofty氏らは、統合失調症患者に対するオキシトシン治療が社会的認知機能を改善するかを検討した。Schizophrenia research誌オンライン版2013年2月19日号の報告。 対象は統合失調症と診断された患者35例および精神的に問題のない健常者46例。すべての対象患者に、オキシトシン(24IU)またはプラセボの鼻腔内単回投与を1週間間隔で行った。対人的知覚課題(IPT)を用い、「親族関係」「親密さ」を健常者と比較し評価した。 主な結果は以下のとおり。・全体ではすべての参加者において、プラセボ投与時と比較し、オキシトシン投与後に「親密さ」、「親族関係」の判定がより正確であった。・健常者と比較し、患者群では「親族関係」の有意な改善が認められた。・本研究は、オキシトシン投与により統合失調症患者の社会的認知機能が改善すること、さらに健常者よりも高い治療効果が期待できることが示された最初の研究のひとつである。関連医療ニュース ・オキシトシン鼻腔内投与は、統合失調症患者の症状を改善 ・認知機能への影響は抗精神病薬間で差があるか? ・統合失調症患者の認知機能や副作用に影響を及ぼす?「遊離トリヨードサイロニン」

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神経ステロイド減量が双極性障害患者の気分安定化につながる?

 近年、臨床および前臨床研究から、GABA受容体作動性神経ステロイドの量的変動と気分障害の病態との関連性が明らかになりつつある。イタリア・カリアリ大学のMauro Giovanni Carta氏らは、これまでに報告された基礎的ならびに臨床的研究をレビューし、神経ステロイド量の減少が気分障害の悪化に関連しており、神経ステロイド量の是正/増加が気分安定化につながる可能性を示唆した。Behavioral and Brain Functions誌オンライン版2012年12月19日号の掲載報告。 神経ステロイドは脳内で合成され、脳の興奮性を調節しているが、この神経ステロイドが鎮静作用、麻酔作用、抗痙攣作用を有し、さらに気分に影響を及ぼすというエビデンスが蓄積されつつある。一般に、神経ステロイドはプレグナン系(アロプレグナノロン、アロテトラヒドロデオキシコルチコステロン)、アンドロスタン系(アンドロスタンジオール、エチオコラノン)、サルフェート系(プレグネノロンサルフェート、デヒドロエピアンドロステロンサルフェート)などに分類されるが、とくにアロプレグナノロン、アロテトラヒドロデオキシコルチコステロンなどのプロゲステロン誘導体が気分障害の病態に関与し、気分安定化に重要な役割を果たしている可能性が示唆されている。  著者は、これらは、以下の主な知見によって支持されるとした。・双極性障害の気分安定化への有効性が示されているクロザピンおよびオランザピンは、ラットの海馬、大脳皮質および血清中のプレグネノロンレベルを上昇させる。・リチウム投与マウスでは、非投与マウス(コントロール)に比べ血中アロプレグナノロン、プレグネノロンレベルの上昇が認められる。・双極性障害の女性では、概して月経周期に関連して症状の悪化がみられる。出産直後はプロゲステロン誘導体レベルの低下が認められ、それに伴って気分障害が発症または再発しやすい。・一方、双極性障害の改善を認めた女性では、月経前の期間に健常人または大うつ病性障害の女性に比べて血漿アロプレグナノロン濃度の上昇が認められる。・うつ病エピソードの期間、血中アロプレグナノロンレベルは低い。・フルオキセチンは、うつ病患者における神経ステロイドレベルを正常化する傾向にある。・以上の結果、「多くの抗痙攣薬が双極性障害に対して有効である、あるいは神経ステロイドに抗痙攣作用がみられるという事実と矛盾しない」とした上で、「神経活性ステロイドの作用に関するさらなる探究は、気分障害、とくに双極性障害の病因および治療の研究において、新分野の開拓につながりうる」としている。関連医療ニュース ・夢遊病にビペリデンは有望!? ・オキシトシン鼻腔内投与は、統合失調症患者の症状を改善 ・南に住んでる日本人では発揚気質が増強される可能性あり

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抗精神病薬誘発性の体重増加に「NRI+ベタヒスチン」

 統合失調症患者では体重増加がしばしば問題となる。中枢神経系経路における食欲や体重を調節する薬剤としてレボキセチン(選択的ノルエピネフリン再取り込み阻害薬)、ベタヒスチン(ヒスタミンH1受容体アゴニスト/H3受容体アンタゴニスト)が補完的薬剤として期待されている。Michael Poyurovsky氏らは、プラセボ対照二重盲検比較試験においてレボキセチンとベタヒスチンの併用が統合失調症患者のオランザピン誘発性体重増加を減弱させるかどうかを検討した。Psychopharmacology誌オンライン版2012年12月13日号の報告。 対象はDSM-IVで統合失調症と診断された入院患者43例。対象患者をレボキセチン(4mg/日)+ベタヒスチン(48mg/日)併用群29例、プラセボ群14例に無作為に割り付け、オランザピン(10mg/日)とともに6週間継続投与を行った。精神症状は、ベースラインとエンドポイントのレーティングスケールにて評価した。統計分析には、Intention-to-treat解析を用いた。 主な結果は以下のとおり。・レボキセチン+ベタヒスチン併用群で7例、プラセボ群で4例が試験を中止した。・試験終了時において、レボキセチン+ベタヒスチン併用群はプラセボ群と比較し体重増加が有意に少なかった(2.02±2.37kg vs. 4.77±3.16kg 、t=2.89、自由度[df]=41、p=0.006)。・レボキセチン+ベタヒスチンによる体重増加抑制効果は、以前にレボキセチン単独で認められた効果と比較し2倍であった。・レボキセチン+ベタヒスチン併用群はプラセボ群と比較し7%以上の体重増加(臨床的に有意な体重増加)が認められた患者の割合が有意に少なかった(3/29[10.3%] vs. 6/14[42.9%]、Χ2=6.03、df=1、p=0.014)。・レボキセチン+ベタヒスチンの併用は安全であり、忍容性は良好であった。関連医療ニュース ・統合失調症患者の体重増加、遺伝子との関連を検証! ・統合失調症患者における「多飲」その影響は? ・オキシトシン鼻腔内投与は、統合失調症患者の症状を改善

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オキシトシン鼻腔内投与は、統合失調症患者の症状を改善

 統合失調症患者に対して、オキシトシンを投与することで症状改善につながるとの先行研究がある。しかし、それらは短期間の研究にとどまっており、統合失調症患者に対するオキシトシン投与について、3週間超のエビデンスは存在しなかった。イラン・テヘラン医科大学Roozbeh精神病院のAmirhossein Modabbernia氏らは、リスペリドンによる治療を受けている統合失調症患者にオキシトシン鼻腔内スプレーを8週間併用し、有効性と忍容性についてプラセボと比較検討した。その結果、オキシトシン鼻腔内投与により統合失調症患者の症状、なかでも陽性症状が著明に改善されることを報告した。CNS Drugs誌オンライン版2012年12月12日号の掲載報告。 本研究は、統合失調症患者におけるオキシトシン鼻腔内スプレーの有効性と忍容性を評価することを目的とした、8週間にわたる無作為化二重盲検プラセボ対照試験。DSM-IV-TRにて統合失調症と診断され、リスペリドン固定用量(5または6mg/日)の治療を少なくとも1ヵ月以上受けている患者40例(18~50歳男女)を対象とし、オキシトシン群またはプラセボ群に無作為に割り付けた。オキシトシン鼻腔内スプレーは、最初の1週間は20 IU(5スプレー)を1日2回投与し、以降は40 IU(10スプレー)を1日2回、7週間投与した。ベースライン時、2、4、6、8週後に、陽性・陰性症状評価尺度(Positive and Negative Syndrome Scale:PANSS)により評価を行った。主要アウトカムは、治療終了時におけるPANSSスコアの2群間の差とした。主な結果は以下のとおり。・全患者がベースライン後1回以上の評価を受け、37例(オキシトシン群19例、プラセボ群18例)が試験を完了した。・反復測定分散分析によると、PANSS総スコア[F(2.291,87.065) = 22.124、p<0.001]および陽性スコア[F(1.285,48.825) = 11.655、p = 0.001]、陰性スコア[F(2.754,104.649) = 11.818、 p < 0.001]、総合精神病理[F(1.627,61.839) = 4.022、 p = 0.03]サブスケールについて、相互作用による有意な効果がみられた。・8週後までに、オキシトシン群はプラセボ群に比べ、PANSSサブスケールの陽性症状について著明かつ有意な改善を示した(Cohen's d=1.2、スコアの減少20%vs. 4%、p<0.001)。・オキシトシン群はプラセボ群に比べ、PANSSサブスケールの陰性症状(Cohen's d=1.4、スコアの減少7%vs. 2%、p<0.001)、総合精神病理(Cohen's d=0.8、スコアの減少8%vs. 2%、p=0.021)においても統計学的に有意な改善を示したが、臨床的にはその差が実感されなかった。・オキシトシン群はプラセボ群に比べ、PANSSの総スコア(Cohen's d=1.9、スコアの減少11%vs. 2%、p<0.001)において有意な改善を示した。・有害事象の発現状況は、2群間で同程度であった。・以上のことから、リスペリドン併用下のオキシトシン鼻腔内投与は、統合失調症患者のとくに陽性症状を、忍容性を保ちつつ有効に改善することが示された。・本パイロット試験で得られた興味深い知見は、より大規模な母集団を用いて再現する必要がある。関連医療ニュース ・統合失調症治療にニコチン作動薬が有効である理由とは? ・統合失調症患者の認知機能改善にフルボキサミンは有効か? ・統合失調症の遂行機能改善に有望!グルタミン酸を介した「L-カルノシン」

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早産に対する分娩遅延効果が最も優れる子宮収縮抑制薬とは?

 早産への対処において、子宮収縮抑制薬としてのプロスタグランジン阻害薬とカルシウム拮抗薬は、他の薬剤に比べ分娩遅延効果が高く、新生児と母親の双方の予後を改善することが、米国・インディアナ大学医学部のDavid M Haas氏らの検討で示された。早産のリスクのある妊婦では、子宮収縮抑制薬を使用して分娩を遅らせることで、出生前に副腎皮質ステロイドの投与が可能となり、新生児の予後が改善される。子宮収縮抑制薬には多くの薬剤があり、標準的な1次治療薬は確立されていない。少数の薬剤を比較した試験は多いが、使用頻度の高い薬剤をすべて評価する包括的な研究は行われていないという。BMJ誌2012年10月20日号(オンライン版2012年10月9日号)掲載の報告。分娩の遅延に最も有効な薬剤をネットワーク・メタ解析で評価 研究グループは、分娩の遅延において最も有効な子宮収縮抑制薬を明らかにする目的で、系統的なレビューとネットワーク・メタ解析を実施した。 文献の検索には、Cochrane Central Register of Controlled Trials、Medline、Medline In-Process、Embase、CINAHLを用いた。対象は、2012年2月17日までに発表された早産のリスクのある妊婦に対する子宮収縮抑制薬投与に関する無作為化対照比較試験の論文とした。 複数のレビュアーが、試験デザイン、患者背景、症例数、アウトカム(新生児、妊婦)のデータの抽出に当たった。ネットワーク・メタ解析にはランダム効果モデルを用い、薬剤のクラス効果(class effect)も考慮した。また、2度の感度分析を行って、バイアスのリスクの低い試験および早産リスクの高い女性(多胎妊娠や破水)を除外した試験に絞り込んだ。産科領域でネットワーク・メタ解析を用いた初めての試験 子宮収縮抑制薬の無作為化対照比較試験に関する95編の論文がレビューの対象となった。 プラセボとの比較において、分娩を48時間遅延させる効果が最も高かったのはプロスタグランジン阻害薬[オッズ比(OR):5.39、95%信頼区間(CI):2.14~12.34]であった。次いで、硫酸マグネシウム(同:2.76、1.58~4.94)、カルシウム拮抗薬(同:2.71、1.17~5.91)、β刺激薬(同:2.41、1.27~4.55)、オキシトシン受容体遮断薬であるアトシバン(同:2.02、1.10~3.80)の順だった。 新生児呼吸窮迫症候群の低減作用をプラセボと比較したところ、子宮収縮抑制薬の有効性に関してクラス効果は認めなかった。薬剤の変更を要する副作用の発現は、プラセボに比べβ刺激薬(OR:22.68、95%CI:7.51~73.67)が最も高頻度で、次いで硫酸マグネシウム(同:8.15、2.47~27.70)、カルシウム拮抗薬(3.80、1.02~16.92)の順であった。 子宮収縮抑制薬としてのプロスタグランジン阻害薬とカルシウム拮抗薬は、分娩48時間遅延効果、新生児呼吸窮迫症候群、新生児死亡率、妊婦に対する副作用(全原因)において、最も有効な上位3剤の中に位置づけられた。 著者は、「両薬剤は分娩遅延効果が最も高く、新生児と母親双方の予後を改善した」とまとめ、「われわれの知るかぎり、本研究は産科領域で最初のネットワーク・メタ解析を用いた試験であり、異質性が高い治療選択肢を使用した産科的介入にもこの方法論を適用可能なことが示された」と考察している。

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