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第63回 アデュカヌマブFDA承認、効こうが効くまいが医師はますます認知症を真剣に診なくなる(後編)

厚生労働省は年内にも承認の可否を判断こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。沖縄県を除く9都道県でやっと緊急事態宣言が解除されました。もっとも、店舗での酒類提供については若干緩められるものの、まだまだ厳しい制限が続きます。東京都の場合、「まん延防止等重点措置」に移行する21日以降は、1組2人以下や滞在90分以内などを条件に認められます。東京23区では午前11時~午後7時が提供可能時間ということです。居酒屋などの開店時間が早まり、「午後4時から飲み」が流行りそうですが、早晩、緊急事態宣言に逆戻りしそうな気もします…。さて、ロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手の、MLBオールスターゲームのホームランダービー出場が決定しました。オールスター戦前日、7月12日(現地時間)に行われるホームランダービーは賞金100万ドル、MLBのホームランバッターたちが真剣勝負で出場するイベントです。ただ、とてもハードな戦いで、かつてはこのダービーに出場して後半戦に調子を崩した選手もいるほどです。ケガだけには気をつけてほしいと思います。ところでこのホームランダービー、2年前は野球解説者の山下 大輔氏がレフトで解説中にホームランボールをキャッチし話題になりました。興味がある方はYouTubeで観てみてください。前回に引き続き、今回もアデュカヌマブについて、日本での承認の可能性と臨床現場への影響について考えてみたいと思います。前回も触れましたが、このアデュカヌマブ、日本国内でも2020年12月にバイオジェン・ジャパンが承認申請しています。申請した適応症は「アルツハイマー病」で、米国と同じです。厚生労働省は年内にも承認の可否を判断するとも報じられています。新聞やテレビの報道では、「早晩日本でも」という論調が多かった印象ですが、そうは簡単にはいかないと思われます。症状軽減に「効くか効かないかまだわからない」前回書いたように、アミロイドβの減少を根拠としたアデュカヌマブの「迅速承認」に対しては多くの疑義があり、かつ市販後の検証的試験(期限は2030年2月でまだ9年近くもあります)が求められています。第III相試験自体、認知機能低下抑制の効果に関するデータが統計的にもギリギリで、市販後の検証的試験において有用性を示すには対象患者のさらなる絞り込みが必要だろう、との専門家の指摘もあります。つまり、アミロイドβの減少効果はありそうだが、本丸である認知症の症状軽減については「効くか効かないかまだわからない」薬剤なのです。そんな薬剤を厚労省は果たして承認する(できる)のでしょうか。「条件付き早期承認」の対象は「重篤」な疾患日本にも米国の「迅速承認」と同じように「条件付き早期承認」の仕組みが医薬品医療機器等法で定められています。もっともこの条件付き承認には「患者数が少ないなどの理由で臨床第III相試験などの検証的臨床試験を行うことが難しい医薬品」で「適応疾患が重篤である」などの要件があります。「重篤」の意味としては、「生命に重大な影響がある疾患(致死的な疾患)」に加え、「病気の進行が不可逆的で、日常生活に著しい影響を及ぼす疾患」も入っています。ただ、アルツハイマー病は国内の患者数が数百万人規模と多く、疾患が「重篤」に当てはまるかどうかも微妙で、この仕組みを適用するかどうかはPMDAなど規制当局の判断次第です。適応をどうするかも大きな問題仮に承認されたとしても、課題は多く残されます。薬価(米国では年間約600万円)の設定もそうですが、それと関連して適応をどうするか、というのも大きな問題です。アデュカヌマブの臨床試験は軽度認知障害(MCI)と軽度認知症を対象に行われ、米国で承認された適応は「アルツハイマー病」です。「アルツハイマー型認知症」ではなく、アルツハイマー病となったということは、アルツハイマー病の診断基準(NINCDS-ADRDAの診断基準など/認知症の症状とアミロイドβなどのバイオマーカーの蓄積)をクリアすれば、症状がごく軽微の段階から重度まで広く治療の対象になり得る、ということです。仮に日本でも適応症が「アルツハイマー病」となった場合、いったいどの段階から薬剤の使用が認められるでしょうか。ちなみに日本の保険診療上、MCIは疾患ではなく、現状使用できる薬剤はありません(MCIはドネペジルも保険で使えません)。そうなると、MCIは除外して、アルツハイマー病ときちんと診断された人すべてに投与できるようにするのか、アルツハイマー病の中で適応範囲を(効くとされる軽症に)狭めるのか、気になるところです。おそらく、仮に承認されるにしても保険財政が逼迫している現状では、アルツハイマーと診断されたすべての人がアデュカヌマブを使用できるようにはしないでしょう。となると、脳内のアミロイドβの蓄積を測定してその値によって適応を決めるのが妥当な手法となりそうです。しかし、それでも実際には結構高いハードルがあります。現状、脳内のアミロイドβの蓄積の評価にはPET検査か髄液検査が必要とされていますが、高価であったり、あるいは侵襲性が高かったりするこれらの検査を「効くか効かないかまだわからない」薬剤を使用するために課すのでしょうか。そもそも数百万人規模にPET検査をしていては、それだけで保険財政が持ちません。ところで、シスメックスが血漿中のアミロイドβを測定する血液検査について、2021年度中の承認取得を目指しているとの報道もありました。シスメックスはエーザイと認知症領域に関する診断薬創出に向けた非独占的包括契約を結んでいます。ひょっとしたら、この新しい血液検査(PET検査よりも安価)とセットで、アデュカヌマブの承認が行われる可能性も考えられます。診断面ばかりに目が行き患者対応やケアは後回しの医師たちもう一つ危惧されるのは、現場の認知症診療やケアへの影響です。そもそも、日本の医師たちの多くは昔から認知症をきちんと診療しようとはしませんでした。1980年代、まだ老人性痴呆症と呼ばれていた頃、認知症は精神科領域の疾患であり、一般的な臨床医の関心外のことでした。その後、精神科病院への入院から、老人保健施設、グループホームなどの施設への入所が受け入れの中心となっていっても、最前線の現場では医師の介入はほとんど行われていませんでした。2004年、認知症と呼び名が変わり、患者対応やケアの仕方次第では問題行動が激減し、家族によるケアがスムーズになるケースが少なくないことがわかってきました。しかし、医師たちの多くはそうしたノウハウを学ぼうともせず、結果、家族に伝授することなく、漫然と認知症薬を投与、最終的にはグループホームなどを紹介し、お茶を濁してきました。アルツハイマー病の病態解明や薬剤開発が思うように進まなかったとはいえ、目の前の患者にできることをやってこなかった点は明らかに医師の怠慢と言えます。アデュカヌマブが承認されたとしても、医師たちは「どういう患者に使えるか」「アミロイドβの蓄積はどうか」といった診断面ばかりに目が行き、患者対応やケアはこれまで以上に後回しにされる危険性があります。「患者を診ず病気しか診ない」どころか、「患者を診ず検査値しか見ない」というわけです。6月9日、オンラインで行われたエーザイのメディア・投資家向け説明会で内藤 晴夫CEO(最高経営者)は認知症治療薬開発に対する思いを語りました。その中で、アルツハイマー病薬の価値について、「アルツハイマー病にかかる費用の特徴は、医療本体に関わるものより、介護による負担が大きい。これには、家族が介護をすることで就労の機会が減少することも含まれるし、介護には長期療養施設への入所なども含まれる。これらを複合的に評価することで、価値の全体像が見えてくる」と語ったそうです。アデュカヌマブは本当にそうした価値を創造できる薬剤なのでしょうか。逆に患者対応やケアをないがしろにする医師が増加し、グループホームなど認知症施設の需要がむしろ高まる可能性もあるのではと思いますが、どうでしょう。そう考えると、「承認はするが薬価基準を定めない」という究極の選択肢もあるかもしれません。薬価基準を定めないとは、つまり保険適用しない、ということです。現状、ED治療剤、男性型脱毛症治療剤など自由診療で用いられる薬剤がそれに当たります。そもそも認知症は疾患ではなく、脳の老化に過ぎないという立場に立てば、そうした対応もありかもしれません。ただ、日本の製薬メーカーも開発に当たった“世界初”の認知症治療薬に対して、日本政府がそうした“仕打ち”をするかどうか…。日本での承認の行方が気になります。

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デイサービス介護中に失踪した認知症老人が水死体で発見されたケース

精神最終判決平成13年9月25日 静岡地方裁判所 判決概要失語症をともなう重度の老人性認知症と診断されていた高齢男性。次第に家族の負担が重くなり、主治医から老人介護施設のデイサービス(通所介護)を勧められた。約3週間後、通算6回目となるデイサービスで、職員が目を離したわずか3分間程度の間に、高さ84㎝の窓をよじ登って施設外に脱出、そのまま行方不明となった。施設や家族は懸命な捜索を行ったが、約1ヵ月後、施設からは遠く離れた砂浜に水死体として打ち上げられた。詳細な経過患者情報平成7年(1995)11月27日 失語をともなう重度の老人性認知症と診断された高齢男性経過平成8(1996)年10月31日失語症により身体障害者4級の認定。認知症の程度:妻との意思疎通は可能で、普通の感情はあり、家庭内であれば衣服の着脱や排泄は自力ででき、歩行には問題なく徘徊もなかった。ただし、妻に精神的に依存しており、不在の時に捜して出歩くことがあった。次第に家族は介護の負担が大きく疲労も増してきたため、担当医師に勧められ、老人介護施設のデイサービス(通所介護)を利用することになる。4月30日体験入所。5月2日施設のバスを利用して、週2回のデイサービスを開始。デイサービス中の状況:職員と1対1で精神状態が安定するような状況であれば、職員とも簡単な会話はでき、衣服の着脱などもできたが、多人数でいる場合には緊張して冷や汗をかいたり、ほとんどしゃべれなくなったり、何もできなくなったりした。また、感情的に不安定になり、帰宅したがったり、廊下をうろうろすることがあり、職員もそのような状態を把握していた。5月21日通算6回目のデイサービス。当日の利用者は、男性4名、女性5名の合計9名であり、施設側は2名の職員が担当した。10:15入浴開始。入浴サービスを受けている時は落ち着いており、衣服の着脱や歩行には介助不要であった。10:50入浴を終えて遊戯室の席に戻る。やがてほかの利用者を意識してだんだん落着きがなくなり、席を離れて遊戯室を出て、ほかの男性の靴を持って遊戯室に入ってきたところ、その男性が自分の靴と気づいて注意したため、職員とともに靴を下駄箱に返しにいく。その後遊戯室に戻ったが、何度も玄関へいき、そのつど職員に誘導されて遊戯室に戻った。11:40職員がほかの利用者のトイレ誘導をする時、廊下にいるのをみつけ、遊戯室に戻るように促す。ところが、みかけてから1~2分程度で廊下に戻ったところ、本人の姿はなく、館内を探したが発見することができなかった。失踪時の状況:施設の北側玄関は暗証番号を押さなければ内側からは開かないようになっており、裏口は開けると大きなベルとブザーが鳴る仕組みになっていて、失踪当時、北側玄関および裏口は開いた形跡はなかった。そして、靴箱には本人の靴はなく、1階廊下の窓の網戸(当時窓ガラスは開けられ、サッシ網戸が閉められていた)のうちひとつが開かれたままの状態となっていた。そのため、靴箱から自己の靴を取ってきて、網戸の開いた窓(高さは84cm程度)によじ登り、そこから飛び降りたものと推測された。5月22日09:03翌日から家族は懸命な捜索活動を行う。親戚たちと協力して約150枚の立看板を作ったり、施設に捜索経過を聞きにいったりして必死に捜したが、消息はつかめなかった。6月21日約1ヵ月後、施設から遠く離れた砂浜に死体となって打ち上げられているのを発見された。当事者の主張患者側(原告)の主張もともと重度の老人性認知症により、どのような行動を起こすか予測できない状態であり、とくに失踪直前は不安定な状態であったから、施設側は窓を閉めて施錠し、あるいは行動を注視して、窓から脱出しないようにする義務があったのに怠り、結果的に死亡へとつながった。デイサービスを行う施設であれば、認知症患者などが建物などから外へ出て徘徊しないための防止装置を施すべきであるにもかかわらず、廊下北側の網戸付サッシ窓を廊下面より約84cmに設置し、この窓から外へ出るのを防止する配慮を怠っていたため、施設の建物および設備に瑕疵があったものといえる。病院側(被告)の主張失踪当時の状況は、本人を最後にみかけてから失踪に気づくまでわずか3分程度であった。その時の目撃者はいないが、施設の玄関は施錠されたままの状態で、靴箱に本人の靴はなく、1階廊下西側の窓の網戸(当時窓ガラスは開けられサッシ網戸が閉められていた)が開かれたままの状態となっていることが発見され、ほかの窓の網戸はすべて閉まっていたことから、1階廊下西側の窓から飛び降りた蓋然性が高い。当該施設は法令等に定められた限られた適正な人員の中でデイサービスを実施していたのだから、このような失踪経過に照らしても、施設から失踪したことは不可抗力であって過失ではない。裁判所の判断もともと失語を伴う重度の老人性認知症と診断されている高齢者が単独で施設外に出れば、自力で施設または自宅に戻ることは困難であり、また、人の助けを得ることも難しい。そして、失踪直前には、靴を取ってこようとしたり、廊下でうろうろしているところを施設の職員に目撃されており、職員は施設から出ていくことを予見可能であった。したがって、デイサービス中には行動を十分に注視して、施設から脱出しないようにする義務があった。しかし、デイサービスの担当職員は2名のみであり、1名は入浴介助、ほかの1名はトイレ介助を行っていて、当該患者を注視する者はいなかったため、網戸の開いた窓に登り、そこから飛び降り、そのまま行方不明となった。身体的には健康な認知症老人が、84cm程度の高さの施錠していない窓(84cm程度の高さの窓であればよじ登ることは可能であることは明白)から脱出することは予見可能であった。したがって、施設職員の過失により当該患者が行方不明となり、家族は多大な精神的苦痛を被ったといえる。施設側の主張するように、たしかに2人の職員で、男性4名、女性5名の合計9名の認知症老人を介助し、入浴介助、トイレ介助をするかたわら、当該患者の挙動も注視しなければならないのは過大な負担である。さらに施設側は、法令等に定められた限られた適正な人員の中でデイサービス事業を実施しているので過失はないと主張する。しかし、法令等に定められた人員で定められたサービスを提供するとサービスに従事している者にとっては、たとえ過大な負担となるような場合であっても、サービスに従事している者の注意義務が軽減されるものではない。そして、失踪後の行動については、具体的に示す証拠はなく、施設からはるか離れた砂浜に死体となって打ち上げられるにいたった経緯はまったく不明である。当時の状況は、老人性認知症があるといっても事理弁識能力を喪失していたわけではなく、知った道であれば自力で帰宅することができていたのであり、身体的には健康で問題がなかったのであるから、自らの生命身体に及ぶ危険から身を守る能力まで喪失していたとは認めがたい。おそらく施設から出た後に帰宅しようとしたが、道がわからず、他人とコミュニケーションができないため、家族と連絡がとれないまま放浪していたものと推認できる。そうすると失踪からただちに同人の死を予見できるとは認めがたく、職員の過失と死亡との間の相当因果関係はない。原告(患者)側4,664万円の請求に対し、285万円の判決考察デイサービスに来所していた認知症老人が、わずか3分程度職員が目を離した隙に、施設を抜け出して失踪してしまいました。当時、玄関や裏口から脱出するのは難しかったので、たまたま近くにあった窓をよじ登って外へ飛び降りたと推定されます。その当時、9名の通所者に対して2名の職員が対応しており、それぞれ入浴介助とトイレ誘導を行っていて、けっしていい加減な介護を提供していたわけではありません。したがってわれわれ医療従事者からみれば、まさに不可抗力ともいえる事件ではないかと思います。もし失踪後すみやかに発見されていれば、このような医事紛争へと発展することはないのですが、不幸なことに行方不明となった1ヵ月後、砂浜に水死体として打ち上げられました。これからますます高齢者が増えるにしたがって、同様の紛争事例も増加することが予測されます。これは病院、診療所、介護施設を問わず、高齢者の医療・福祉・保健を担当するものにとっては避けて通ることのできない事態といっても過言ではありません。なぜなら、裁判官が下す判断は、「安全配慮義務」にもとづいて、「予見義務」と「結果回避義務」という2つの基準から過失の有無を推定し、かつ、医療・福祉・保健の担当者に対しては非常にハイレベルの安全配慮を求める傾向があるからです。本件では、失踪直前にそわそわして遊戯室の席に座ろうとしなかったり、他人の靴を持ち出して玄関に行こうとしたところが目撃されていました。とすれば、徘徊して失踪するかもしれないという可能性を事前に察知可能、つまり「予見義務」が発生することになります。さらに、そのような徘徊、失踪の可能性があるのなら、「結果回避義務」をつくさねばならず、具体的には、すべての出入口、窓などを施錠する、あるいは、つきっきりで監視せよ、ということになります。われわれ医療従事者の立場からすると、玄関・裏口などの出入口にバリアを設けておけば十分ではないか、外の空気を入れるために窓も開けられないのか、と考えたくもなります。そして、施設側の主張どおり、厚生労働省が定めた施設基準をきちんとクリアしているのだから、それを上回るような、通所者全員の常時監視は職員への過大な負担となる、といった考え方も十分に首肯できる内容です。ところが裁判では、「法令等に定められた人員で定められたサービスを提供するとサービスに従事している者にとっては、たとえ過大な負担となるような場合であっても、サービスに従事している者の注意義務が軽減されるものではない」という杓子定規な理由で、施設側の事情はすべて却下されました。このような背景があると、高齢者を担当する病院、診療所、介護施設で発生する可能性のある次のような事故の責任は、われわれ医療従事者に求められる可能性がかなり高いということがいえます。徘徊、無断離院、無断離設による不幸な事態(転倒による骨折、交通事故など)暴力および破壊行為による不幸な事態(患者本人のみならず、他人への危害)嚥下障害に伴う誤嚥、窒息よくよく考えると、上記の病態は「疾病」に起因するものであり、けっして医療従事者や介護担当者の責任を追及すべきものではないように思います。つまり、悪いのは患者さんではなく、医療従事者でもなく、まさに「病気」といえるのではないでしょうか。ところが昨今の考え方では、そのような病気を認識したうえで患者さんを預かるのであれば、事故は十分に「予見可能」なので、「結果回避」をしなければけしからん、だから賠償せよ、という考え方となってしまいます。誤解を恐れずにいうと、長生きして大往生をとげるはずのおじいさん、おばあさんが、家で面倒をみるのが難しくなって病院や施設へ入所したのち、高齢者にとっては予測されるような事態が発生して残念な結果となった場合に、医療過誤や注意義務違反の名目で、大往生に加えて賠償金も受け取ることができる、となってしまいます。それに対する明確な解決策を呈示するのは非常に難しいのですが、やはり第一に考えられることは、紛争を水際で防止するために、患者およびその家族とのコミュニケーションを深めておくことがとても大事だと思います。高齢者にとって、歩行が不安定になったり、飲み込みが悪くなったり、認知が障害されるような症状は、なかなか避けて通ることはできません。したがって、事故が発生する前から高齢者特有の病態について家族へは十分に説明し、ご理解をいただいておくことが重要でしょう。まったく説明がない状況で事故が発生すると、家族の受け入れは相当難しいものになります。そして、一般的に家族の期待はわれわれの想像以上ともいえますので、本件のよう場合には不可抗力という言葉はなるべく使わずに、家族の心情を十分にくみ取った対応が望まれます。そして、同様の事例が発生しないように、認知症老人を扱うときには物理的なバリアをできるだけ活用し、入り口や窓はしっかり施錠する、徘徊センサーを利用するなどの対応策をマニュアル化しておくことが望まれます。精神

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