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小児科最終判決判例時報 1790号119-131頁概要気管支喘息、上気道炎と診断されて入院治療を受けていた1歳男児。家族の常時付添を許可しない完全看護体制の病院であり、母親は普段から一番気に入っていたおもちゃのコップを病室に持ち込んだ。入院翌日13:30頃看護師が訪室してみると、おもちゃのコップによって鼻と口が塞がれ心肺停止状態であり、ただちにコップを外して救急蘇生を行ったが、重度脳障害が発生した。詳細な経過患者情報平成4年5月21日生まれの1歳男児。既往症なし経過平成5年5月31日発熱、咳を主訴として総合病院小児科を受診し、喘息性気管支炎と診断された。6月1日容態が改善しないため同病院小児科を再診、別の医師から気管支喘息、上気道炎と診断され、念のため入院措置がとられた。この時患児は診察を待っている間も走り回るほど元気であり、気管支喘息以外には特段異常なし。同病院では完全看護体制がとられていたため、平日の面会時間は15:00~19:00までであり、母親が帰宅する時には泣いて離れようとしないため、普段から一番気に入っていた玩具を病室に持ち込んだ(「コンビコップがさね」:大小11個のプラスチック製コップ様の容器で、重ねたり、水や砂を入れたり、大きなものに小さなものを入れたりして遊ぶことができる玩具)。6月2日10:00喘鳴があり、息を吸った時のエア入りがやや悪く、湿性咳嗽(痰がらみの咳)、水様性鼻汁がでていたが、吸引するほどではなかった。12:40~12:50担当看護師が病室に入って観察、床頭台においてあった「コンビコップがさね」を3~4個とって患児に手渡した。13:00担当看護師が検温のため訪室したが、「コンビコップがさね」を重ねたりして遊んでいたので、検温は後回しにしていったん退室。13:30再び看護師が検温のために訪室すると、患児は仰向けになってベッドに横たわり、「コンビコップがさね」によって鼻と口が塞がれた状態であった。ただちにコップを強く引いて取り外したが、顔面蒼白、チアノーゼ、心肺停止状態であり、駆けつけた医師によって心肺蘇生が行われた。何とか心拍は再開したものの低酸素脳症に陥り、精神発達遅滞、痙性四肢麻痺、てんかんなどの重度後遺障害が残存した。当事者の主張患者側(原告)の主張患児は気管支喘息の大発作を起こしていたので、担当医師は玩具によって患児の身体に危険が及ばないように、少なくとも10分おきに病状観察をするよう看護師に指示する義務があった。完全看護体制をとっている以上、ナースコールを押すことができず危機回避能力もない幼児を担当する看護師は、頻繁に(せめて10分おきに)訪室して監視する義務があった。ナースコールもできず、付添人もいない幼児を病室に収容するのであれば、ナースステーションに患者動静を監視する監視装置をつけなければならない安全配慮義務があった。病院側(被告)の主張担当医師、担当看護師ともに、「コンビコップがさね」のような玩具で窒息が生じることなどまったく予見できなかったため、10分毎に訪室する義務はない。そして、完全看護といっても、すべての乳幼児に常時付き添う体制はとられていない。病室においても、カメラなどの監視装置を設置するような義務があるとは到底いえない。裁判所の判断事故の原因は、喘息の発作に関連した強い咳き込みによって陰圧が生じ、たまたま口元にあった玩具を払いのけることができなかったか、迷走神経反射で意識低下が起きたため玩具が口元を閉塞したことが考えられる。患児の病状のみに着目する限り、喘息の観察のために10分おきの観察を要するほど緊急を要していたとはいえないので、医師としての注意義務を怠ったとはいえない。幼児の行動や、与えた玩具がどのような身体的影響を及ぼすかについては予測困難であるから、看護師は頻繁に訪室して病状観察する義務があった。そのため、30分間訪室しなかったことは観察義務を怠ったといえるが、当時は別の患者の対応を行っていたことなどを考えると、看護師一人に訪室義務を負わせることはできない。しかし、家族の付添は面会時間を除いて認めないという完全看護体制の病院としては、予測困難な幼児の行動を見越して不測の事態が起こらないよう監視するのが医療機関として当然の義務である。そして、喘息に罹患していた幼児に呼吸困難が発生することは予測でき、玩具によって危険な状態が発生することもまったく予見できなかったわけではないから、そのような場合に備えて常時看護師が監視しうる体制を整えていなかったのは病院側の安全配慮義務違反である。原告側合計1億5,728万円の請求に対し、1億3,428万円の判決考察今回の事故は、喘息で入院中の幼児が、おもちゃのコップによって口と鼻を塞がれ、窒息して心肺停止状態になるという、たいへん不幸な出来事でした。もしこのおもちゃを用意したのが病院側であれば、このような紛争へ発展しても仕方がないと思いますが、問題となったおもちゃは幼児にとって普段から一番のお気に入りであり、完全看護の病院では一人で心細いだろうとのことで母親が自宅から持ち込んだものです。したがって、当然のことながら自宅でも同様の事故が起きた可能性は十分に考えられ、たまたま発生場所が病院であったという見方もできます。判決文をみると、わずか30分間看護師が病室を離れたことを問題視し、常時幼児を監視できる体制にしていなかった病院側に責任があると結論していますが、十分な説得力はありません。完全看護を採用している小児科病棟で、幼児は何をするかわからないからずっと付きっきりで監視する、などということはきわめて非現実的でしょう。そして、「玩具によって危険な状態が発生することもまったく予見できなかったわけではない」というのも、はじめて幼児に与えた玩具ではなく普段から慣れ親しんでいたお気に入りを与えたことを考えれば、かなり乱暴な考え方といえます。ちなみに、第1審では「病院側の責任はまったく無し」と判断されたあとの今回第2審判決であり、医療事故といってもきわめて単純な内容ですから、裁判官がかわっただけで正反対の判決がでるという、理解しがたい判決でした。今回の事例は、医師や看護師が当然とるべき医療行為を怠ったとか、重大なことを見落として患者の容態が悪化したというような内容ではけっしてありません。まさに不可抗力ともいえる不幸な事件であり、今後このような事故を予防するにはどうすればよいか、というような具体的な施策、監視体制というのもすぐには挙げられないと思います。にもかかわらず、「常時看護師が監視しうる体制を整えていなかったのは病院側の安全配慮義務違反である」とまで言い切るのであれば、どのようにすれば安全配慮義務を果たしたことになるのか、具体的に判示するべきだと思います。ただし医療現場をまったく知らない裁判官にとってそのような能力はなく、曖昧な理由に基づいてきわめて高額な賠償命令を出したことになります。このケースは現在最高裁判所で係争中ですので、ぜひとも良識ある最終判断が望まれますが、同様の事故が起きると同じような司法判断が下される可能性も十分に考えられます。とすれば医療機関側の具体的な対策としては、「入院中の幼児におもちゃを与えるのは、家族がいる時だけに限定する」というような対応を考えること以外に、不毛な医事紛争を避ける手段はないように思います。小児科