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日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会は、本年11月15~26日にわが国で初めてデフ(きこえない・きこえにくい)アスリートのための国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が開催されることを記念し、都内でスポーツから難聴を考えるメディアセミナーを開催した。セミナーでは、難聴のアスリートである医師の軌跡、高齢者と聴力と健康、難聴への早期介入の重要性などが講演された。 東京2025デフリンピックは、上記12日間の日程で都内を中心に、約80ヵ国のアスリート3,000人を迎え、21競技で開催される。医師として働き、はじめてわかった難聴の課題 「難聴者・アスリートそして医師としての道のり」をテーマに、難聴を有するバレーボールのアスリートである狩野 拓也氏(十全総合病院耳鼻咽喉科)が、デフリンピックの概要の説明と障害を持つ医師としての苦労などを語った。 デフリンピックは、1924年から開催され、パラリンピックよりも歴史は古い。出場条件としては、「裸耳で良聴耳が55dB以上であること」、「先後天性など難聴の種類は問わない」、「競技中に補聴器を使用しない」が必要とされる。競技ルールは健聴者競技とほぼ同じであり、競技開始はランプの点灯などで行われる。狩野氏は、過去2回バレーボール選手として、デフリンピックに参加している。 狩野氏は、先天性両側重度感音難聴を患い、生後半年から補聴器とともに過ごしてきた。そして、医師として働く中でマスク着用により相手の読唇ができないこと、電話対応、雑音環境での聴力の低下などに悩まされたという。そこで、2020年に左耳に人工内耳埋め込み手術を受けた。その結果、静寂下での話音明瞭度は術前31.7%だったものが術後88.3%へ、雑音下では術前13.3%だったものが術後48.3%へ向上したという。 狩野氏は終わりに「難聴には先天性のほか、遺伝性、薬剤性などさまざまな原因があり、その対策として薬物療法、外科手術、補聴器などがあるので、耳鼻咽喉科で適切な診断と対策を行ってほしい」と述べた。「聴こえない」は運動能力に悪影響をもたらす 「高齢者における聞こえと健康長寿」をテーマに桜井 良太氏(東京都健康長寿医療センター研究所)が、難聴が運動機能に影響を与え、健康のリスクとなることを説明した。 カナダからの報告では、加齢性難聴者が抱える問題では、「俊敏性」と「移動能力」が多く、5人に3人が足腰の機能に不安を感じているという。また、加齢性難聴の進行に伴い、歩行機能が低下するという自験例を報告した1)。 足音も重要な感覚情報であり、聞こえ方で歩き方が変わる、足音が失われると普段の歩き方ではなくなるという報告もある。そのほか加齢性難聴と転倒の関連について、13の研究(2万5,961例)のメタ解析では、転倒リスクは2.39倍増加するという報告もある2)。 その機序は、聴覚情報遮断により回避行動にばらつきが増大することで、転倒リスクが増加すると推定されるという。桜井氏は、これらの研究報告などから「早期に補聴器などの装用による運動面の改善をすることは、転倒への不安を和らげる可能性があり、安全で質の高い生活を実現するために重要」と示唆し、講演を終えた。わが国の難聴者の医師への相談率や補聴器の普及率は低い 「難聴医療におけるPathwayの課題と難聴への早期介入の重要性」をテーマに和佐野 浩一郎氏(東海大学医学部耳鼻咽喉科・頭頸部外科 主任教授)が、高齢者が抱える難聴の課題と聴こえに対する治療について説明した。 一般に加齢とともに難聴は進行し、70代では1/4が、80代では1/2が中等度以上の難聴となるという自験例を報告した3)。 加齢性難聴になると社会的孤立やうつなどの疾患や転倒のリスク、フレイルへの進展などが懸念される。また、難聴の放置は「認知症」の最大のリスクであり、難聴への早期介入により発症を予防するまたは発症を遅らせることができるとされている4)。 加齢性難聴対策は、社会的疾病負荷の軽減や患者の身体的影響など考慮すると積極的に取り組むべき課題であるが、わが国の難聴自覚者からの医師への相談率は先進国の中でも40%止まりとかなり低い。 実際に難聴を有する人はどのように考えているのかについて、コクレア社が2024年にわが国を含む4ヵ国の25歳以上の成人4,000人(うち日本人1,200人)にアンケート調査を行った。日本人では「難聴を感じたとき」に「医師の予約をとる」が40%で1番多かったが、「何もしない」(高齢だから当然と診療をしない)が16%もいた。 補聴器や人口内耳については、「治療費が高い」が30%、「相談先がわからない」が23%、「加齢で仕方がない」が21%の順で多かった。重症度別の割合では、実際の難聴割合と自覚率の間に大きな差があることが判明し、難聴の自覚がない難聴者ほど心身の機能が低い傾向あることがわかった5)。 課題として高齢者の健康診断では聴覚検査が含まれておらず、問診すらされていないケースもあると和佐野氏は指摘し、「耳鼻科における早期からの適切な診断を一般化していきたい」と抱負を述べた。 また、わが国の補聴器の普及率は10%に満たず、先進国の中でもとても低く、欧米とのその差は現在も拡大している。 こうした現状から同学会では、「難聴を感じても耳鼻科を受診しない市民」、「難聴患者に補聴器を提案しない医師」、「必要な助成が整備されていない社会環境」、「質の高い調整を提供できていない補聴器販売店」の4つの「ない」の改善に取り組むとしている。そのために、2024年には『聞き取りづらさを感じて受診した患者さんに対する診療マニュアル』を作成し、補聴器での聞き取りに問題があれば人工内耳の手術の検討を勧めているほか、現在『軽中等度難聴に対する診療ガイドライン』を作成しているという。 この人工内耳手術については、アメリカでは100万例に対し544件が施行されているが、わが国は100万例に対し122件とその施行数も少ない上に、そもそも人工内耳を知らない人も多いという。人工内耳装用で高齢者は、聴力の変化により社会参加が増加し、フレイルの予防対策が進めやすくなるほか、良好な医療経済効果も期待できるという。 和佐野氏は、進行する加齢性難聴の放置はさまざまな問題につながる可能性があること、「年齢のせい」と考えずにまずは耳鼻科医に相談してほしいということ、医師からのアドバイスに応じて補聴器や人工内耳を装用することで、健康寿命を延ばすことができる可能性があることを挙げ、適切な診断に基づいた適切な介入が重要であることを強調して講演を終えた。■参考文献東京2025デフリンピック1)Sakurai R, et al. Gait Posture. 2021;87:54-58.2)Tin-Lok Jiam N, et al. Laryngoscope. 2016;126:2587-2596.3)Wasano K, et al. Biomedicines. 2022;10:1431.4)Livingston G, et al. Lancet. 2024;404:572-628.5)Sakurai R, et al. Arch Gerontol Geriatr. 2023;104:104821.