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映画「路上のソリスト」(その2)【「不幸」になる権利はあるの?私たちはどうすればいいの?(ホームレスの自由権)】Part 2

(2)人道的な観点―逆に非人道的になるから支援センターのスタッフは、ロペスに「診断は役に立たない」「必要ないのは、彼を病人扱いする人間だ」とも答えます。そして、「友情を裏切るのは、彼の唯一のものを壊す」とやんわり忠告します。もう1つの人道的な観点として、本人が望んでいないので、保護することは逆に非人道的になるからです。もちろん、炊き出しなどの食料の支給はホームレスたちが望んでいることなので、人道的で望ましいです。そして、施設に入所させるなど決まった場所に住まわせることや、定期的に入浴させて清潔にさせることなどは、粘り強く説得して、彼らが納得するのであれば、人道的で望ましいです。しかし、それでも彼らが望まないのであれば、非人道的になってしまい、望ましくないことになります。よくよく考えると、日本国憲法でも定められている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とは、本人が選ぶ権利であって、社会が押し付ける義務ではないです。つまり、人道的かどうかは、私たちが望ましいと思うかどうかではなく、彼らが望んでいるかどうかであるということです。これは、医療関係者としても、非常に悩ましい問題です。ロペスは「ナサニエルは精神障害によってホームレスとなり不幸だ」と考えました。しかし、これはあくまでロペスのような社会適応をしている多数派の解釈にすぎません。ここから、幸せか不幸かは、社会(多数派)で受け入れられているか、常に多数決で決められてしまう危うさがあることがわかります。つまり、精神障害者が何を幸せと思うかは、最終的には本人が決めることであり、その自由に精神医療が介入することは、「幸せの押し付け」であり、逆に非人道的になってしまうということです。そもそも、ナサニエルは、ホームレスとして日々一生懸命に生きています。一方、ロペスは、社会的には成功していますが、いつも記事の締め切りに追われて疲れきっていました。よくよく考えると、どちらが幸せか、何を持って幸せか、わからなくなってきます。なお、健康か病気かという線引きも多数決で決められてしまう危うさについては、身体完全性違和という特殊な状態を解説した関連記事1をご覧ください。<< 前のページへ | 次のページへ >>

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映画「路上のソリスト」(その2)【「不幸」になる権利はあるの?私たちはどうすればいいの?(ホームレスの自由権)】Part 3

ホームレスにどうしたらいいの?ロペスは、「助けてるつもりだった」「でも、助けようとしていた本人に敵意を持たれてる」と悩み、元妻に打ち明けます。すると、彼女は「必要な時にそばにいる友達でいて」と助言するのです。このセリフはまさに、ロペスとナサニエルの関係だけでなく、ロペスと元妻の関係もほのめかしているようです。ラストシーンでは、ロペスは仲直りの印として、ナサニエルと握手します。この握手は、ナサニエルが「自分の手は汚いから」と握手を拒んだ最初のシーンとは対照的で感動的です。ナサニエルは、いろいろあったけどロペスなら自分を受け入れてくると思えるようになったのでした。つまり、ホームレスへの最善の対応は、本人が困っていると決めつけて干渉するのではなく、困っていても関係ないと無関心になるのでもなく、本人が困っていると言ってきたらできることを支援することでしょう。これは、家族でもなく、他人でもなく、友達の関係です。そんな社会になることを願うという、この映画のメッセージのように思えてきます。このように自由権の視点で考えると、もちろんホームレスが増えていく社会は危ういわけですが、逆にホームレスがまったくいない社会も危ういように思えてきます。「路上のソリスト」とは?ロペスは、離婚して一人寂しく暮らしていました。そして、インターネットの普及によって、彼が勤務する新聞社にはリストラの波が押し寄せていました。「ソリスト」とは独奏者という意味で、もちろんナサニエルを指しています。同時に実は、もう1人の「路上のソリスト」として、人生の路頭に迷う孤独なロペスでもあることを暗示しているようです。そんななか、2人は出会うのです。ラストシーンでは、ベートーベンのコンサートを、ナサニエルの姉、ナサニエル、ロペス、そしてロペスの元妻が横並びで一緒に聴いています。ナサニエルが路上からアパート暮らしをするようになり、疎遠だった姉に助けを求めるようになったのと同じように、ロペスが元妻とよりを戻すことをほのめかしているように見えます。ロペスがナサニエルの人生に影響を与えたのと同じように、ナサニエルもまたロペスの人生に影響を与えたのでした。この映画は、ナサニエルの物語であると同時に、ナサニエルと深くかかわることで変わっていったロペスの物語でもあります。テーマは、ホームレス問題であると同時に友情でもあります。最後のロペスによるナレーションで、「統合失調症は友達ができると社会性が増すという論文がある」と紹介され、締めくくられます。これは、統合失調症であるナサニエルだけでなく、そうではないロペスにも当てはまるという、この映画のもう1つのメッセージでしょう。1)「ホームレス消滅」p.60、p.219、p.240、p.250、p.256:村田らむ、幻冬舎新書、20202)「ルポ路上生活」pp152-154、pp160-162:國友公司、彩図社、20233)「ホームレス収容所で暮らしてみた~台東寮218日貧困共同生活~」p.10、p.45:川上武志、彩図社、2021<< 前のページへ■関連記事映画「路上のソリスト」(その1)【それが幸せ?なんで保護されたくないの?(ホームレスの心理)】Part 1ドキュメンタリー「WHOLE」(前編)【なんで自分の足を切り落としたいの!?(身体完全性違和)】Part 1

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第234回 「院長以下に障がい者の人権(尊厳)を守る意識が極めて薄弱であった」 大牟田病院事件の提言書で思い出したノンフィクションの傑作「ルポ・精神病棟」

複数の男性職員が筋ジストロフィーなどの入院患者に対して性的、身体的、心理的虐待を行うこんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。野球盛り上がっていますね。この連休は、日本のプロ野球のクライマックスシリーズ(CS)と、MLBのロサンゼルス・ドジャースのポストシーズンの試合観戦(テレビ)でほぼつぶれました。前回のこの連載では「パドレス、このまま上まで行くかも」と書きましたが、残念ながらドジャースに負けてしまいました。それにしても、対パドレス戦でドジャースが劣勢に立った時、大谷 翔平選手が「あと2勝すればいい」と淡々と話していたのが印象的でした。大谷選手の古巣の日本ハムファイターズもその言葉通り、劣勢から2連勝してCSのファイナルステージに駒を進めました。何事も諦めたり、弱音を吐いたりするのは良くないということですね。勉強になりました。さて、今回は独立行政法人国立病院機構 大牟田病院(福岡県大牟田市)で起こった患者虐待事件について書きます。複数の男性職員が、筋ジストロフィーなどの入院患者に対して性的虐待、身体的虐待、心理的虐待などさまざまな虐待を行っていたこの事件、病院が設置した第三者委員会は10月1日、「病院全体として、院長以下に障がい者の人権(尊厳)を守る意識が極めて薄弱であった」とする調査結果をまとめた提言書1)を公表しました。福岡県警は不同意わいせつや暴行の疑いで、職員1人と元職員2人を書類送検この事件が新聞・テレビなどによる報道で発覚したのは2024年5月でした。当時の西日本新聞などの報道によれば、2023年12月に女性患者から「男性介護士に下半身を触られた」という訴えがあったのをきっかけに、同病院が障害者虐待防止法に基づき各患者の居住自治体などに通報、調査が開始されました。その結果、看護師や介護士の男性職員5人が2021年ごろから、男女11人の入院患者に虐待を繰り返していた疑いが判明したとのことです。被害者はいずれも筋ジストロフィーや重症心身障害の患者で、うち7人が性的虐待、4人が心理的・身体的虐待でした。その後、病院は2024年7月までに、12人の患者が虐待被害を受けた疑いがあるとして福岡県内外の計8自治体に通報。調査の結果、5自治体で性的虐待6件、身体的虐待4件、心理的虐待4件が認定されました。一方、2自治体は虐待との判断に至らず、1自治体は「虐待ではない」と判断しました。9月11日、福岡県警はこの問題で、障害があり抵抗できない患者の体を触ったり、頭を叩いたりしたとして、不同意わいせつや暴行の疑いで、職員1人(64歳・男性看護師)と元職員2人(51歳・無職男性、64歳・他施設の男性介護職員)を書類送検しています。虐待を近くで目撃した職員がいたにもかかわらず虐待行為だという認識がなかった第三者委員会が公表した提言書は、調査した7件のうち4件を虐待と認定、残る3件も人権侵害の疑いがあるとしました。すべての事案について虐待を近くで目撃した職員がいたにもかかわらず、虐待行為という認識がなく、通報されていませんでした。「言ってもきちんと処理されるとは思えない」という雰囲気が職場にあり、「仲間を売るようなことをする人がいる」という言葉も交わされていた、としています。障害者総合支援法の療養介護病棟については、「障害福祉サービス事業所としての倫理観や理念が現実の運営において欠如していた」と指摘。「管理・監督責任者として院長があたることになっているものの、形骸化して名目上のものになっていて、実質的に管理・監督がなされていなかった」としています。さらに、病院全体の責任のほか、関係職員らに対する処分についても言及、「(いずれの案件も)当該職員のみならず、その上司を含めて各事案に応じた適正な懲戒処分がなされていなかった(ていない)。この懲戒手続きについては大牟田病院を統括する国立病院機構九州グループが主導すべきであるが、その指導・監督責任が果たされていない」と上部組織の対応も厳しく批判しています。前身は結核専門の国立療養所、性格・機能の異なる2つの病院が一つの組織として運営最初にこのニュースを聞いた時、「なぜ、急性期医療を提供している国立病院機構の医療機関で虐待が?」と疑問に思ったのですが、同病院の前身が結核専門の国立療養所で、1975年に重症心身障害棟を開設、77年に国立大牟田病院となった、という経緯を知ってなんとなく腑に落ちました。同病院の現在の病床数は402床で、その内訳は一般病床120床、神経難病100床、筋ジストロフィー80床、重症心身障害者80床、結核20床、感染症2床となっています。呼吸器内科・脳神経内科などは地域住民に対して一般診療を行う一方、神経難病、筋ジストロフィーなどの入院患者を九州全域から受け入れ、専門的な医療・介護を提供しています。前者と後者では医療内容は異なり、スタッフに求められる技術・能力もまったく違います。つまり、性格・機能の異なる2つの病院が一つの組織として運営されていたわけです。提言書を読む限り、後者の病棟は閉鎖的で院長の目が届かない(あるいは院長でさえアンタッチャブルな)状況にあったようです。虐待虐待とも感じず、報告も行わない看護師や介護士たち。おそらくそうした組織風土は最近できあがったものではなく、長年に渡って形づくられてきたのでしょう。提言書によれば、大牟田病院では2014年にも虐待事案が発生しており、その後に研修会が開かれ、「障害者虐待防止対応規定」も改訂されていたとのことです。第三者委員会は、10年前の教訓がまったく生かされていなかった点も問題視しています。看護師ら5人が逮捕・書類送検された滝山病院事件それにしても、この大牟田病院の事件といい、2023年に大きな問題となった東京都八王子市の滝山病院の事件といい、どうして病院や老人施設、障害者施設などで看護師や介護士による虐待事件が次々と明らかになるのでしょう。2023年2月、入院患者への暴行事件が発覚した東京・八王子市の精神科病院、滝山病院の事件は、看護師ら5人が逮捕・書類送検され略式命令で罰金刑が確定しています。NHKが2023年6月に放送したETV特集「ルポ死亡退院~精神医療・闇の実態~」では、同病院の看護師が患者を罵倒したり威嚇したりする様子や、患者の人権をないがしろにした院長や看護部長の会話を記録した動画が放送され、大きな衝撃を与えました。2023年12月に公表された第三者委員会の報告書は、「現場はモラルハザードというべき状況」とし、病院経営陣の怠慢さや無責任な体制を指摘しています。同年12月18日付の朝日新聞によれば、第三者委員会の委員長を務めた伊井 和彦弁護士は、「責任は病院の経営者、トップにあると言わざるを得ない」とした上で、「異常に高い非常勤率が、患者への責任感を低下させた」と指摘しています。同記事は、滝山病院の非常勤職員は給料が高かったことから、「他の病院とかけ持ちする看護師もいるという。暴行事件で刑事責任に問われた5人は、夜勤中の非常勤看護師だった」と書くとともに、そのことが「相互に干渉しようとしない無関心な状況をつくった」という伊井弁護士の言葉を紹介しています。虐待行為を行う看護師や介護士など職員の資質だけでなく組織をマネジメントする側にも大きな問題こうした事件、もちろん、虐待行為を行う看護師や介護士など職員の資質に問題があるのは当然ですが、組織をマネジメントする側にも大きな問題があると言えそうです。滝山病院のように非常勤中心の組織はチームとしての意識が希薄になりがちで、職員個々の人間性がそのまま患者・入所者などに向けられてしまいます。そこをマネジメントするのが看護師長や院長の役割ですが、放ったらかしにすれば暴走する職員が出てきます。さらに、チームが機能不全になると、虐待などの不正行為を見たらそれを報告し、ルールに則って罰する、という当たり前の組織運営も行われにくくなります。まして、院長など管理者の目が届かないとなれば、そこはもう“治外法権”で悪がはびこる温床となります。報道によれば大牟田病院の入院患者の証言として、「職員と患者との間で上下関係があった」「怖くて拒否できなかった」といった声もあったそうです。「ルポ・精神病棟」の出版から50年経っても似たような虐待が続いている滝山病院と大牟田病院の事件報道を読んで、私は半世紀前、1973年に出版された医療ノンフィクションの傑作、「ルポ・精神病棟」(朝日新聞社刊)を思い出しました。朝日新聞の記者だった大熊 一夫氏が、アルコール患者を装って精神病院に潜入、電気ショックを使った患者虐待や、薬漬け、拘束の実態を克明に記したルポです。3週間入院する計画が生命の危険を感じるほどの処遇や医療処置を受けた結果12日目に音を上げ、妻の助力で病院から脱出する経緯はホラー小説のようです。同書はその後の日本の精神科医療の改革に大きな影響を与えたと言われています。同書の出版から50年以上を経ても、精神病院に限らず、社会から隔離された障害者医療や高齢者医療の現場では、似たような虐待が続いているというのは一体どういうことでしょう。「人間の尊厳」「患者の人権」と医療者は軽々しく口にしますが、日本の医療・介護の世界ではまだ完全に浸透し切っていないのかもしれません。医療・介護者への教育にも問題がありそうです。書籍の「ルポ・精神病棟」は文庫版ももう絶版ですが、kindle版が出ており、電子書籍で読めます。興味のある方はぜひご一読ください。参考1)当院職員による入院患者さまへの虐待事案に係る第三者委員会による提言書の公表について

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アニメ「インサイド・ヘッド2」(その2)【なんで不安やうつは「ある」の?どうすれば?(病的感情)】Part 2

シンパイが暴走すると?―病的感情のリスクシンパイは、「もう、ライリーにヨロコビたちは必要ない」と言い出し、なんと司令部からヨロコビたちを追放します。そして、ライリーが生まれてからヨロコビたちが大事に育ててきた「私はいい人」というジブンラシサの花を引っこ抜きます。そして、シンパイたち「大人の感情」のキャラクターたちだけで、ライリーの感情をコントロールしようとするのです。やがてシンパイは、「未来をしっかり見据える。起こりうるミスを全部予想しておくよ」と言い出し、次々と最悪のシナリオの映像を映し出して、ライリーに想像させます。すると、ライリーは「私は全然だめ」という心の声が聞こえるようになり、夜寝つけなくなります。そして、夜にこっそりコーチの部屋に忍び込み、コーチの評価ノートをのぞき見します。ライリーは、不安のあまり善悪の判断がつかなくあり、打算的になっていくのでした。さらに、次の日の試合中に、不安に飲み込まれてしまい、過呼吸の発作(パニック発作)を起こしてしまうのです。これは、「脳の暴走」です。ちょうど、シンパイがあまりにも動き回るため、感情操縦デスクの周りにできたオレンジ色の大きな渦巻きとして描かれていました。その中では、シンパイが固まって動けなくなり、点滅していました。このままでは、このあとに「脳の息切れ」である、うつがやってきて、ぐったりとして動けなくなりしばらく何もできなくなることを暗示しています。つまり、ダリィの出番になりそうです。これらが、不安とうつという病的感情のリスクです。なんでシンパイは暴走したの?シンパイは、暴走する前に、「大事なのは、これまでのライリーがどうであるかよりも、これからのライリーがどうなるべきかなんだよ」「ライリーの将来のために、彼女は変わらなければならない」と言っていました。つまり、思春期とは、単に自分がどうしたいかだけでなく、周り(社会)がどうしてほしいかも意識する時期です。自分が自分のことをどう感じているかだけでなく、相手(社会)が自分のことをどう感じているかも重要になってきます。そんななか、仲良しだった2人の親友が違う高校に行くと聞かされて裏切られたと感じたこと、その2人に当てつけで無視したり皮肉を言ってしまったこと、そして念願のアイスホッケーのチームに入れるかどうかの試練に直面していることなどが重なって、大きなストレスになっています。これが、シンパイが暴走した原因です。ここで誤解がないようにしたいのは、私たちはこれらのストレスはないに越したことはないと思いがちですが、実はむしろ必要です。これらのストレスがあるおかげで、思春期の子供は、これらのストレスを乗り越えて自己成長するからです。これは、ストレス関連成長(SRG)と呼ばれています。ただし、これらの思春期のストレスを乗り越えられずに、過呼吸を繰り返したりだるさが続く場合があります。これは、思春期危機と呼ばれています。その原因は、大きく2つあります。1つは、いじめなどのようにストレスが大きすぎる場合です。もう1つは、不安を感じやすいなど、もともとストレスに弱い場合です。<< 前のページへ | 次のページへ >>

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アニメ「インサイド・ヘッド2」(その2)【なんで不安やうつは「ある」の?どうすれば?(病的感情)】Part 3

本当のジブンラシサの花とは?ヨロコビたちが感情操縦デスクにようやく戻ってきたあと、ヨロコビはオレンジ色の感情の渦巻きの嵐の中で固まっていました。ヨロコビは、何とかシンパイをデスクから引きはがします。そして、もとのジブンラシサの花を戻します。しかし、シンパイから「ヨロコビの言う通りだよ。ライリーらしさは私たち感情が決めるものじゃない」と言われて、ヨロコビはハッとします。そして、さっき戻したばかりの花をまた引っこ抜くのです。すると、もともとジブンラシサの花が栄養源としている地下の「信念の泉」に流れ着いていた無数のさまざまな記憶のボールから、まるで芽のように光がどんどんと出ていき、新しいジブンラシサの花が現れるのです。そして、ライリーの心の声が頭の中に次々と響いていきます。「私はわがまま」「私はやさしい」「私は全然だめ」「私はいい人」…「私は強い」「私は弱い」「私は助けてもらいたい時もある」と。最後、ヨロコビは、新しいジブンラシサの花を抱きしめ、他の感情のキャラクターたちも次々と集まって抱きしめます。このシーンは感動的です。ジブンラシサの花とは、まさに自分らしさのメタファーであり、心理学では自我と呼ばれます。自分らしさとは、「私はこうだ」という自分に納得していることなのですが、実はそれは1つの「私」の良い面ではなく、だめなところも含めたいろいろな「私」の面をすべて受け入れるということなのです。すると、自分を大切に思えて、自分は大丈夫と思えてきます。自分は愛されるために完璧である必要はないと気付いていきます。それを、感情のキャラクターたち全員がジブンラシサの花をそのまま丸ごと全員で抱きしめるシーンとして、わかりやすく描いています。このように自分は完璧である必要はない、良いところもだめなところも含めてこれが自分だと思えることは、自己イメージの安定と呼ばれています。すると、やがて相手に対しても完璧であることを求めなくなります。良いところもだめなところも含めてこれが相手だと思えることは、他者イメージの安定と呼ばれています。こうして、相手も愛するために完璧である必要はないと気付き、相手も大切に思えるようになるのです。逆に言えば、自己イメージが安定していないと、相手に完璧さを求めてしまいがちになります。相手を理想化して、その後にちょっとでも違っていると幻滅することを繰り返してしまいます。これは、思春期の恋愛における「蛙化現象」を説明できます。「インサイド・ヘッド2」とは?「インサイド・ヘッド2」のキャッチフレーズは「どんな自分もまるごと好きになる」であり、テーマは「自分自身を受け入れる」でした。ラストシーンで、感情のキャラクターたちが、ジブンラシサの花をみんなで抱きしめたことで、過呼吸になっていたライリーは、その後に落ち着きます。そしてすぐに、もともと仲良しだった2人に謝り、仲直りします。そして、その後は、ホッケーの試合を心から楽しむのでした。彼女は、本来の自分らしさを取り戻し、さらに成長したのでした。自我とは、思春期になると、ヨロコビたち(基礎感情)が最初に主導したように「ただ自分はこうしたい」と好きに思うことではなく、シンパイたち(社会的感情)が主導したように「こうなるべき」と無理に思い込んだり損得勘定に走ることでもなく、「社会の中でこうしていきたい」と自然に自覚するようになることです。この先が、自我の確立です。そして、何より、その自我によって日々の人生を楽しむことでしょう。今回は、思春期になったライリーの成長を、感情のキャラクターたちと一緒に私たちも見守る構図になっています。世界中の親子にとっての普遍的な物語であり、思春期の子供に接する親だけでなく、まさに思春期の子供たちが自分の気持ちを俯瞰することにも役立つでしょう。<< 前のページへ■関連記事アニメ「インサイド・ヘッド2」(その1)【なんで恥ずかしくなるの?なんで恥ずかしさは「ある」の?(社会的感情)】Part 1ウォーキングデッド【この世界観だからこそわかる!「コロナ不安」への処方せん】ツレがうつになりまして。【うつ病】

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アニメ「インサイド・ヘッド2」(その1)【なんで恥ずかしくなるの?なんで恥ずかしさは「ある」の?(社会的感情)】Part 2

社会的感情の相互関係とは?この映画に登場する社会的感情のキャラクターはハズカシとイイナーの2つだけですが、表1に示したように、全部で8つあります。これは、バックによる社会的感情2)を参照しています。うぬぼれ(傲慢)は自分の愛情欲求が満たされることへの反応で、誇り(自慢)は自分の承認欲求が満たされることへの反応です。この2つも実際はごっちゃになって使われることが多いです。たとえば、ライリーがヴァルから特別に夜のパーティに誘われたと思ったシーンが当てはまります。この時は、代わりにイイナーがはしゃいでいました。一方、あわれみ(同情)は、かわいそうと相手の愛情欲求が満たされていないことへの反応で、さげすみ(軽蔑)は、相手の承認欲求が満たされなかった、つまり期待に応えることをしないことへの反応です。あわれみが援助行動を促すのに対して、さげすみは罰したいという制裁行動(正義感)を促します。たとえば、ヴァルが新人のライリーに何かとフォローしてかわいがろうとしているのは、援助行動です。一方、ヴァルの親しいチームメイトのダニが「ったく、あのミシガンちゃん(ライリー)、いきなりミスったね」と、コーチを怒らせたライリーの悪口(バッシング)を言うのは、制裁行動です。そして、これらの社会的感情には相互関係もあります。たとえば、自分の愛情欲求が満たされていないと、相対的に相手の愛情欲求が満たされているように思えてきます。これが、冒頭で触れた「自分を恥ずかしく思う一方で、そうじゃない人をうらやましく(ねたましく)思う」状態です。逆に、自分の愛情欲求が満たされると、相対的に相手の愛情欲求が満たされていないように思えてきます。これが、冒頭で触れた「自分はモテる(うぬぼれる)と、そうじゃない人を気の毒に思う(あわれむ)状態です。さらに、相手を「かわいそう」(あわれ)と決めつけたり、そのようなセリフを連発する人は、実は自分が無意識に優越感(うぬぼれ)に浸ろうとしていることもわかります。同じように、相手の承認欲求が満たされていると、相対的に自分の承認欲求が満たされていないように思えてきます。つまり、相手をうらやましく思うと、自分は悔しくなります。逆に、相手の承認欲求が満たされないと、相対的に自分の承認欲求が満たされているように思えてきます。つまり、正義感を発揮する(さげすむ)と、誇らしい気分になります。これがいわゆる「メシウマ」であり、バッシングの心理です。関係性として整理すると、うぬぼれと誇りは明らかな快感情ですが、あわれみとさげすみは相対的な快感情であることがわかります。そして、恥ずかしさと悔しさは明らかな不快感情ですが、ねたましさとうらやましさは相対的な不快感情であることがわかります。なお、バッシングの心理の詳細については、関連記事4をご覧ください。<< 前のページへ | 次のページへ >>

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アニメ「インサイド・ヘッド2」(その1)【なんで恥ずかしくなるの?なんで恥ずかしさは「ある」の?(社会的感情)】Part 3

社会的感情の起源とは?社会的感情の機能とは、自分(または相手と比べた相対的な自分)の愛情欲求と承認欲求が満たされるように行動を促す心理であることがわかりました。そして、このような行動を練習するのは、とくに大人(社会)の仲間入りをする直前の思春期であることもわかります。それでは、そもそもなぜこのような感情は「ある」のでしょうか?ここから、進化心理学の視点で、恥ずかしさを例に挙げて、社会的感情の起源を掘り下げてみましょう。約700万年前に、人類が誕生しました。そして、約300万年前には、人類はアフリカの森からサバンナに出ていきました。そして、猛獣から身を守り、限られた食料を分け合うために、血縁の家族同士が集まり部族をつくるようになりました。この時、思春期になると男子は狩りの集団に、女子は子育ての集団にそれぞれ入っていくわけですが、その集団でうまくやっていこうとする社会脳が進化しました。そして、集団に受け入れられないことへの不快感情が出てくるようにも進化しました。これが羞恥心の起源です。逆に、この心理がないと、集団で身勝手なことをしてしまい、仲間外れにされます。当時の仲間外れは死を意味します。つまり、羞恥心がない人(遺伝素因)は、現代に存在していないということです。ちなみに、「恥」という漢字は、恥ずかしくなると耳が赤くなることから、「耳に心がある」という語源から来ています。そして、この赤面のメカニズムも進化心理学的に説明できます。現代では、緊張して顔を赤らめるのは、恰好悪いと思われがちです。しかし、これは原始の時代には必要でした。なぜなら、人類が言葉を話すようになったのは、せいぜい約20万年前だからです。それまでの280万年の間、人類は、言葉なしで表情や身振り手振りでコミュニケーションをしていました。そんな中、新しく集団に入る時、現代のように「ちょっと緊張していますが、仲良くしてください。よろしくお願いします」という言葉の代わりに、顔を赤らめてもじもじすることは、まさにこの言葉を非言語的なメッセージとして送っていることになり、好感が待たれてとても適応的です。つまり、現代では言葉があるために不要な赤面反応は、原始の時代には必要であったというわけです。なお、人類の起源地であるアフリカにいる黒い肌の人種の赤面はわかりにくいです。だからこそ顔の中で肌が比較的に薄い(毛細血管が見えやすい)耳がとくに赤くなるように進化したのでしょう。もちろん、恥ずかしさによる顔の火照り感から、もじもじするという反応は確実に伝わります。また、ハズカシのように手が緊張で汗ばむのは、約数千年前に類人猿が誕生してから、森の中でより素早く枝から枝へと移動するためのすべり止めの役割がもともとありました。現代ではとても困る手汗反応は、原始の時代には新しい集団に入ってさっそく動き回って活躍するためにはやはり必要であったというわけです。恥ずかしさと同じように、その他の7つの社会的感情も、原始の時代の部族集団(社会)で助け合って生き残り子孫を残すため、つまり生存と生殖の適応度を上げるように約300万年間で進化した心理機能であることがわかります。そして、社会的感情における相互関係も、その助け合いにおける平等と公平のバランスを取るように促すため、つまり個人としてだけでなく集団としても適応度を上げるように進化した心理機能であることもわかります。ちなみに、ねたましさ(嫉妬)の心理の起源については、すでに関連記事5で詳しく解説していますので、ご覧ください。1)「進化と感情から解き明かす社会心理学」p.196:北村英哉・大坪康介、有斐閣アルマ、20122)「感情心理学・入門」p.145、p.175:大平英樹、有斐閣アルマ、2010<< 前のページへ■関連記事インサイド・ヘッド【なんで悲しみは「ある」の?どうすれば?(感情心理学)】Part 1インサイド・ヘッド(続編・その1)【やったのは脳のせいで自分のせいじゃない!?】Part 1カインとアベル(前編)【なんで嫉妬をするの?】苦情殺到!桃太郎(前編)【なんでバッシングするの?どうすれば?(正義中毒)】Part 1カインとアベル(後編)【なんで嫉妬は「ある」の?どうすれば?】Part 1

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ネグレクトと虫歯の関連―児童相談所での調査

 虐待などの理由で児童相談所に一時保護された子どもを対象に、虫歯の有病率と虐待の関連を調べる研究が行われた。その結果、虐待の種類としてネグレクトを受けた子どもで虫歯の有病率が高いことが明らかとなった。新潟大学大学院医歯学総合研究科小児歯科学分野の中村由紀氏らによる研究であり、「BMC Public Health」に5月18日掲載された。 子ども虐待の報告件数は増加が続いている。子どもの虫歯を放置するなど、必要な歯科医療を受けさせないことは「デンタルネグレクト」と呼ばれ、歯科保健と児童福祉の両面から対策を講じることが重要である。虫歯を放置することは虐待の兆候とも考えられるが、虫歯と虐待は直接には関連していないことを示唆する報告もある。また、虐待の種類と虫歯の関係については十分に研究されていない。 著者らは今回、2015年1月~2019年7月に新潟県内の児童相談所に一時保護された2~18歳の子どもで、一時保護から2週間以内の534人(平均年齢10.4±3.85歳、男児308人、女児226人)を対象とする横断研究を実施。新潟大学の小児歯科医師と歯科衛生士が、歯科検診および歯の健康行動に関する問診を行った。虐待に関するデータは児童相談所から入手した。 その結果、対象者のうち323人(60.5%)が、虐待を理由に一時保護を受けていた。虐待の種類の内訳は、身体的虐待が176人(54.5%)で最も多く、ネグレクトが72人(22.3%)、心理的虐待が68人(21.1%)、性的虐待が7人(2.2%)だった。 児童相談所の子ども1人当たりの虫歯(未処置の虫歯+処置済の虫歯)の平均本数は、2~6歳、7~12歳、13~18歳の全ての年齢層で、2016年の厚生労働省の「歯科疾患実態調査」の結果と比較して有意に多かった。 児童相談所の子どもについて虫歯の有無と虐待の有無との関連を調べたところ、未処置の虫歯、処置済の虫歯、未処置の虫歯+処置済の虫歯のいずれを検討した場合も、年齢層にかかわらず、虐待との有意な関連は認められなかった。 次に、虐待の種類別に検討したところ、7~12歳の虫歯(未処置の虫歯、未処置の虫歯+処置済の虫歯)の有無と虐待の種類に有意な関連が認められ、ネグレクトの場合に虫歯の有病率が高いことが示された。未処置の虫歯の本数は、身体的・性的虐待(平均1.5本、中央値0.0本)と心理的虐待(平均1.5本、中央値0.0本)に比べ、ネグレクト(平均3.4本、中央値2.0本)の方が有意に多かった。未処置の虫歯+処置済の虫歯で比較しても同様に、身体的・性的虐待(平均2.3本、中央値1.0本)および心理的虐待(平均2.1本、中央値0.0本)よりも、ネグレクト(平均4.1本、中央値3.0本)で有意に多いことが明らかとなった。 今回の研究結果から著者らは、一時保護に至った理由が虐待かどうかにかかわらず、児童相談所の子どもは全国平均と比較して虫歯の有病率が高く、歯磨きの頻度が低かったとして、対策の必要性を指摘している。また、適切な歯科治療を受けようとしなかったり、受けられなかったりするのは、家族の孤立、経済的余裕のなさ、歯科治療の必要性の認識不足などの要因から生じる可能性にも言及し、「デンタルネグレクトと判断する前に、複数の要因を考慮しなければならない」と述べている。

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メンタルヘルスに長期的影響を及ぼす小児期逆境体験

 3万人弱の日本人を対象とした横断調査から、小児期に受けた虐待、いじめ、経済的困難といった逆境体験は、成人期のメンタルヘルスに悪影響を及ぼしていることが明らかとなった。東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野の西大輔氏、佐々木那津氏らによる研究の成果であり、「Scientific Reports」に5月26日掲載された。 従来、小児期逆境体験(adverse childhood experience;ACE)として虐待や家庭の機能不全が検討されてきたが、最近では学校でのいじめ、慢性疾患、自然災害なども含まれるようになっている。ACEは成人後のメンタルヘルスの問題につながる可能性が指摘されているものの、広義のACEの長期的影響を検討した研究は少ない。また、ACEに関する研究は米国のものが多いことから、日本人を対象とした研究が求められている。 そこで著者らは、「日本における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)問題による社会・健康格差評価研究(JACSIS研究)」より、2022年9月のオンライン調査データを用いて、ACEと成人期のメンタルヘルスとの関連を検討した。対象者は18~79歳とし、経験したACEの種類と数について、15項目の質問票「ACE-J」により評価した。また、「K6」という尺度により心理的苦痛を評価し、合計得点が13点以上だった人を「心理的苦痛が強い」と判定した。 解析対象は計2万8,617人(平均年齢48±17.1歳、男性48.9%)であり、15のACEのうち1つ以上のACEを経験していた人の割合は75%に上った。経験割合が多かったACEは、心理的ネグレクト(38.5%)、貧困(26.3%)、学校でのいじめ(20.8%)だった。経験したACEの数は平均1.75±1.94であり、14.7%の人が4つ以上のACEを経験していた。女性は男性と比べ、ACEの数が有意に多く(1.85対1.65)、性的虐待の経験割合が有意に高かった(6.9%対1.8%)。年齢層別には、貧困の経験割合は50~64歳で29%、65歳以上で40%、学校でのいじめは若年層で21~27%、65歳以上で10%だった。 また、心理的苦痛が強いと判定された人は全体の10.4%だった。ACEの経験数が増加するほど心理的苦痛が強い人の割合が高まり、18~34歳かつACEの数が4つ以上で、その割合が最も高かった(40.7%)。ACEの数が同じ場合、若年層は高齢層と比較して心理的苦痛が強い人の割合が有意に高かった。 次に、ロジスティック回帰分析を用い、背景の差(年齢、性別、婚姻状況、世帯収入など)を統計学的に調整して検討したところ、全てのACEは、心理的苦痛が強いことと有意に関連していることが明らかとなった。具体的なオッズ比(95%信頼区間)は、学校でのいじめが3.04(2.80~3.31)、慢性疾患による入院が2.67(2.29~3.10)、自然災害が2.66(2.25~3.13)だった。また、ACEの数が4つ以上の人では、1つもない人と比較したオッズ比が8.18(7.14~9.38)に上った。 今回の研究の結果から著者らは、「ACEはメンタルヘルスに長期的な影響を及ぼしていた」と総括し、ACEを減らすためのさらなる研究と対策の必要性を指摘している。

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デリケートな質問の切り出し方がわからない【もったいない患者対応】第8回

デリケートな質問の切り出し方がわからない登場人物<今回の症例>18歳女性来院1時間前に突然発症した腹痛を主訴に救急外来を受診<腹痛の原因を探るため、問診を開始します>お腹が痛くなったのはいつからですか?1時間くらい前に突然痛くなりました。妊娠している可能性はありませんよね?えっと…ないと思います。痛くなったのは突然ですか。それは性行為の後に起こったのではないですか?えっ…いえ、そんなことはないと思います…。【POINT】女性の腹痛に対して、唐廻先生は妊娠の可能性の有無や性行為との関係を尋ねています。今回のようなケースでは必須となる問診事項ですから、これらを聞くこと自体はまったく問題ありません。しかし、相手が答えにくいと感じる質問をしている割には、単刀直入すぎるようにも思います。場合によっては「配慮のない人だ」と思われてしまうかもしれません。こういう場合、どのような言葉を使うのが適切でしょうか?妊娠、虐待、薬物摂取などは聞き方に配慮が必要外来では患者さんが答えにくい質問をしなければならないことが度々あります。その代表的な例として、妊娠や性交渉に関わるsexualな問題についての質問虐待など、暴力による外傷の受傷機転に関する質問薬物の過剰摂取や法律に反する薬物摂取を疑った質問などが挙げられます。当然ながら、医師は医学的な必要性に迫られて問診しているのであって、相手のプライベートに興味や好奇心があるわけではありません。しかし、患者さんによっては「答えにくいプライベートなことをずけずけと質問されて嫌な思いをした」と感じる方もいるでしょう。そこで、相手が答えにくいであろうことを配慮しつつ、慎重に言葉を選ぶほうが無難です。では、どういった言葉であればあまり嫌な思いをさせずに済むのでしょうか?「○○な方全員にお聞きしているのですが」まず、用いやすいのが「これは〇〇な方全員にお聞きしているのですが」という枕詞を入れる手法です。「同様の患者さんには全員必ず同じ質問をしなくてはならないのだ」ということが伝わりやすく、相手も不信感を抱きにくいでしょう。たとえば、妊娠に関する質問をする際であれば「これは大切なことなので女性の方全員にお聞きしているのですが」と話を切り出すのは、有効な方法です。余談ですが、本人から「妊娠している可能性はない」という答えがあっても、性交渉があれば妊娠検査は必要です。100%の否定ができない限り、問診のみの情報に頼るのは危険です。妊娠に伴う腹痛を見逃せば、母子ともに命の危険にさらすからです。この点は患者さんに丁寧に説明し、理解を得る必要があるでしょう。「違っていたら大変失礼なのですが」「違っていたら大変失礼なのですが」といったセリフを枕詞として使う方法もあります。実際、虐待など暴力による外傷を疑った場合は、相手によっては「そんなわけないだろう!」と怒りをあらわにすることもあります。もしまったくの見当違いであれば“失礼な質問”になってしまうことを考慮したうえで質問するのが望ましいでしょう。何より「相手が答えにくい質問をやむをえずしているのだ」という感覚が欠如すると、医師は容易に患者さんを傷つけてしまいます。そのため、常に相手の立場を考えた言葉遣いが大切です。ただし、過剰にへりくだったり、大げさに聞きにくそうなそぶりを見せたりするのは逆効果です。あくまで医学的な情報収集の一貫なので、冷静かつ淡々と質問するほうが望ましいでしょう。ちなみに、今回の問診で唐廻先生が想定したのは卵巣出血です。性行為の後に発症することが多いとされますが、とくに誘因なく生じることもあります。これでワンランクアップ!お腹が痛くなったのはいつからですか?1時間くらい前に突然痛くなりました。そうですか。これは女性全員にお聞きしているんですが※1、妊娠している可能性はないでしょうか?※1:聞きにくいときに使える汎用性の高い一言。ええ、ないと思います。痛くなったのは突然なんですね。違っていたら大変失礼なのですが※2、性行為の後に起こった痛みということはないでしょうか?※2:角が立たずソフトな印象に。いえ、そんなことはありません。

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女性誌「STORY」(その1)【息子を彼氏化するママ?娘にメロメロなパパ?その問題点は?(溺愛の心理)】

今回のキーワードストーカー共依存操作性空の巣症候群性的虐待モラルハラスメント母親の皆さんは、息子さんが好きすぎて「私好みになってほしい」「彼氏になってデートしてほしい」と思うことはありますか? 父親の皆さんは、娘さんにメロメロで、何でも買い与えて、いつまでも一緒にお風呂に入ってほしいと思うことはありますか? 一方で、このような関わり方に問題はないでしょうか?今回は、溺愛の心理をテーマに、時代を映す鏡の1つである女性誌「STORY」の子育てコーナーの読者アンケートを取り上げます。いつもと違い、シネマセラピーのスピンオフバージョン、「ケーススタディ・セラピー」です。彼女たちの本音を踏まえて、溺愛の問題点を掘り下げてみましょう。子供を溺愛する問題点とは?読者アンケートの中には、「子供を大切にする気持ちの何が悪いの?」というご意見もありました。いったい何が「悪い」のでしょうか?まず、親から子供への溺愛は、とくに異性間で起きやすいです。なぜなら、異性間では疑似的な恋愛関係になるからです。一方で、同性間では自分の配偶者をめぐる疑似的な恋敵の関係になるからです。これを踏まえて、まず母の息子愛、父の娘愛に分けて、その問題点をそれぞれ具体的にみてみましょう。(1)母の息子愛の問題点2023年5月号の208ページには、「『息子を彼氏化してしまうママ』の言い分」が紹介されています。ここから読み取れる母親の本音を3つご紹介します。「過剰な心配、詮索は当たり前。だって深く愛しているから」愛しているから知って当然という口実によって、交友関係をあれこれ聞き出そうとするだけでなく、持ち物チェック、携帯ののぞき見などの詮索を自己正当化しています。さすがに子供が思春期の場合は、信頼関係を損ねるため、決してお勧めできません。この発想は、典型的なストーカーの心理です。なお、父親が娘のことを詮索する場合は、「娘のインスタを必死でフォローする」など、ストーカー的であっても、あくまでルールは守ろうとする傾向があります。「成長しても今みたいに甘えてくれたら嬉しいなあ」いつまでも自分を頼りにしてほしい、世話を焼きたいと思う気持ちは、一見、愛情深く見えます。しかし、子供が思春期になって、お世話する必要がないのに無理やりお世話しようとすることは、自立を阻むため、お勧めできません。これは、典型的な共依存の心理です。なお、息子と違って娘には、単純に世話を焼くのではなく、同性モデルとして料理などのお世話の仕方を教える傾向があります。「下宿や寮生活をさせずに、できるだけ手元に置いておきたい」子供が自立のために家を出ようとすると、「私を見捨てる気なの?」などと言って、なるべく実家暮らしをするよう仕向けます。これは、操作性と呼ばれています。また、実際に子供が巣立った場合、その寂しさから、うつ状態になることを、空の巣症候群と言います。(2)父の娘愛の問題点2024年5月号の194ページには、「夫たちの『娘にメロメロ症候群』にご注意!」が紹介されています。ここから読み取れる妻の悩み、言い換えれば夫(父親)の本音を3つご紹介します。「願いをすべて叶えてあげる」これは、欲しいものを買い与えて手なずけようとする気持ちが見え隠れします。何かとプレゼントをしたがる人の心理にも通じます。プレゼントは感謝の印として本来ポジティブなものであるはずですが、やりすぎる場合は先ほどと同じ操作性という裏の心理にすり替わってしまいます。母親との違いは、母親は情緒に訴えてくるのに対して、父親は金品というモノで釣ろうとすることです。また、好かれたい気持ちが強いため、息子と違って娘には叱ることはあまりないです。「まだお風呂にも一緒に入っていて、シャンプーやリンスーもしてあげる」これは、幼児期にそうしていた習慣の延長という軽い気持ちがあるでしょう。しかし、身体的自立を終えた小学生になっても、抱っこなどの密なスキンシップ、裸を見る・見せることは、海外では性的虐待と見なされます。日本でそう認識されにくいのは、日本における性教育が子供だけでなく大人に対しても遅れているからです。「彼を連れてきた娘に、『あんな男やめとけ』と一方的だった」交友関係への口出しは、娘が大切だという気持ちからであるのはわかるのですが、「自分のものが取られる」という意識が強いようです。しかし、娘は、「もの」ではなく、自己決定する同じ人間です。親は意見を言ったり提案することはできますが、思春期、ましてや大人になっても、このような威圧的な態度を取るのは、モラルハラスメントに当たります。なお、母親の場合、父親ほどストレートではありません。息子の女友達が家に来ても表向きは愛想良く振る舞います。しかし、あとから難癖を付けたり、「帰りが遅かった」などと些細なことでその彼女の親や担任の先生に苦情を入れるなどして陰湿な傾向があります。ちなみに、このような母親と父親の子供への関わり方の違いは、男女の脳機能の違いから説明することができます。詳しくは、関連記事1をご覧ください。(3)共通する本質的な問題以上をまとめると、母親と父親に共通して、子供を溺愛する本質的な問題は、成長しても子供扱いすることで自立を阻むリスクがあることであることです。つまり、親の愛情が独善的で一方的な場合、いくら表向きに「子供のため」と言っても、その本音は「自分のため」であり、結果的に「子供のため」になっていないことになります。この状況に親自身が気付いていないこともあります。逆説的にも、大切にしすぎることは結果的に大切にしていないことになるわけです。そして、子供が思春期になった時、これが見透かされてしまうのです。なお、実際の教育心理学の研究でも、自立を促す親の子育ての姿勢がその後の子供(大学生)の心理的自立(自我の確立)を促すという結果が出ています1)。当然と言えば、当然です。逆に言えば、そうしない最悪のシナリオが、自我の拡散、つまり不登校やひきこもりであると言えるでしょう。これらの詳細については、関連記事2、関連記事3をご覧ください。1)高富莉那, 桂田恵美子. 臨床教育心理学研究 2011;37:27-32.■関連記事あなたには帰る家がある(前編)【なんで倦怠期になるの?】Part 2映画「かがみの孤城」(その1)【けっきょくなんで学校に行けないの?(不登校の心理)】Part 1サイレント・プア【ひきこもり】

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妊婦の抑うつ、不安、オキシトシンが子どもへの情緒的絆に影響

 妊娠中の母親の抑うつや不安、唾液中オキシトシン濃度が、子どもに対する情緒的な絆に影響する可能性を示唆する研究結果が新たに報告された。この研究は大阪大学大学院ウィメンズヘルス科学教室の渡邊浩子氏、金粕仁美氏らによるもので、「Archives of Women's Mental Health」に2月26日掲載された。 子どもに対する情緒的な絆を「ボンディング」という。この情緒的な絆が十分に形成されない状態は、ボンディング障害やボンディング不全と呼ばれる。周産期のメンタルヘルスにおいてボンディング障害は重要な問題であり、産褥期に子どもに対する拒絶や怒りの感情を経験することもある。育児行動にも影響を及ぼすことから、ボンディングの改善は子ども虐待の防止にもつながる。 著者らは今回の研究で、京都府の1つの医療機関において、初産婦、20~40歳、精神疾患の既往がないなどの基準を満たす妊婦を対象に、妊娠中のメンタルヘルスやホルモン濃度と産後のボンディングとの関連を検討した。妊娠中期に抑うつと不安の状態を評価し、血中コルチゾール濃度と唾液中オキシトシン濃度を測定した。ボンディングは、「赤ちゃんをいとしいと感じる」「赤ちゃんのことが腹立たしくいやになる」などの質問(10項目)からなる「赤ちゃんへの気持ち質問票(MIBS-J)」を用いて、産後2~5日、1カ月、3カ月の時点で評価した。なお、MIBS-Jは得点が低いほどボンディングが良好であることを示す。 評価対象者66人(平均年齢31.8±3.8歳)のうち、妊娠中に抑うつのあった人(エジンバラ産後うつ病質問票による評価で9点以上)は14人(21.2%)、不安のあった人(状態・特性不安検査による評価で42点以上)は19人(28.8%)だった。ホルモン濃度の中央値(四分位範囲)は、コルチゾールが21.0(16.6~24.1)μg/dL、オキシトシンが30.4(19.2~114.2)pg/mLという結果が得られた。 ボンディングの指標であるMIBS-Jの得点の中央値(四分位範囲)は、産後2~5日が2.00(1.00~3.00)、1カ月が1.00(0.00~3.00)、3カ月が0.00(0.00~2.00)だった。すなわち、ボンディングは産後2~5日および1カ月の時点では低いが、3カ月の時点で有意に高くなることが示された。 次に、MIBS-Jの得点と関連する要因が検討された。産後2~5日では、産後の社会的支援、妊娠中の抑うつ、不安、オキシトシン濃度の4つが、MIBS-Jの得点と有意に関連していることが明らかとなった。産後1カ月の時点では、世帯収入、流産歴、産後の社会的支援、妊娠中の不安の4つが有意に関連していた。3カ月の時点では、有意な関連が見られたのは産後の社会的支援のみだった。妊娠中のコルチゾール濃度に関しては、いずれの時点でもMIBS-Jとの有意な関連は認められなかった。 以上の結果から著者らは、「妊娠中の抑うつ、不安、唾液中オキシトシン濃度の低さは産後2~5日のボンディングの低下を予測し、妊娠中の不安は1カ月時点のボンディングの低下も予測する」と結論。妊娠中にこれらをスクリーニングすることで、ボンディング障害のリスクを評価し、介入できる可能性があると述べている。また、産後の社会的支援が全ての時点でボンディングの高さと関連していたことから、その重要性についても指摘している。

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映画「かがみの孤城」(その4)【学校がなかなか変わらない訳は?だから私たちにできることは?(反応性自我障害)】Part 2

それでもなんで学校を変えられないの?これからの学校のあり方とは、社会と同じように、やはり民主国家型であることがわかりました。そして、これは、実際に海外の多くの国ですでに実践されています。また、日本の学校が独裁国家型のままである問題点は、海外の教育研究者から散々指摘されてきました。にもかかわらず、なぜ日本の学校はなかなか変わることができないのでしょうか?それは、やはり社会を自ら変えていくこと、そして選び選ばれるという社会的な自我(アイデンティティ)が求められること自体に抵抗を感じる、自我の弱い人が日本には多いからでしょう。たとえば、何が「普通」か、何が「変」かを気にして、周りと違うことをすることに不安を感じる人です。そして、世間(主流秩序)が望ましいとされることに重きを置き、体裁を気にする人です。また、文科省のような権威に対して表立って意見するのを嫌がる人です。その割に、陰では不平不満を言い続ける人です。その1と2で説明したとおり、このメンタリティは、社会的な自我が弱いままなのに、社会構造の変化によって個人的な自我だけが強まってしまっている状態です。このギャップこそが、不登校だけでなく、新型うつ(職場不適応)、ひきこもり、少子化(非婚)、そして日本的バッシングなども含めた、さまざまな日本の社会問題に共通する根っこの病理であると考えられます。これらをまとめて、「反応性自我障害」と名付けることができます。ちょうど、反応性愛着障害が虐待などの養育環境によって反応的に愛着が育まれないのと同じように、反応性自我障害は「工場型一斉授業」という学校環境によって反応的に自我が育まれない状態です。パーソナリティ(性格)の特性として捉えると、回避性パーソナリティが最も近いでしょう。実際の研究では、不登校がその後の人生に与える影響として、学歴が低くなることを差し引いても、仕事、生活レベル、結婚の状況が思わしくなくなっているという結果が出ています1)。これは、たとえ不登校のあとに本来の学歴を達成したとしても、大人になって社会的な自我(アイデンティティ)が十分に育まれていないことを示唆します。この自我は、不安や受け身の気質からもともと弱い日本人が多いのに加え、「工場型一斉授業」によってさらに押し殺され、不登校になることで育むチャンスを完全に失うというわけです。現在、この「反応性自我障害」によって、学校に行かない人、働かない人、結婚しない人、子供をつくらない人が増え続けており、持続可能な社会であり続けることが難しくなってきています。もちろん、自分なりの考え(自我)があって、あえてそうしている人はもともと一定数います。それは、生き方の自由であり、多様性です。問題なのは、そうではない「反応性自我障害」に陥っている人が増えてきていることです。「反応性自我障害」は、日本文化と深く結び付いている点では、もはや日本の国民病(文化結合症候群)とも言えます。実際に、”futoko”(不登校)、”hikikomori”(ひきこもり)という英単語がすでにあるくらいです。この流れで、いずれ“hikon”(非婚)という英単語も生まれるでしょう。なお、文化結合症候群の詳細については、関連記事2をご覧ください。文化進化の視点に立てばもともと日本では、独裁国家型である封建社会の価値観(文化)と「反応性自我障害」を生じさせる不安や受け身の気質(遺伝子)は、お互いに結びつきを強めてきました(共進化)。しかし、その1でも説明したとおり、時代は変わりました。文化進化の視点に立てば、遺伝子と同じように、文化も淘汰されます。遺伝子進化が何万世代も繰り返してちょっとずつ変化するのに対して、文化進化は技術革新などによって数世代の間でも大きく変化します。それに遺伝子進化が追いつかないから、その国は繁栄するだけでなく衰退する(淘汰される)こともあるわけです。これは、過去の歴史が証明しています。たとえば、かつての帝国主義や資源依存の国などです。そして、封建社会の価値観が残る国(文化)も当てはまるでしょう。ただし、遺伝子進化と違って文化進化は、改革によって国自体の淘汰を免れることができます。この点で、日本が静かに衰退していくか盛り返すかは、「反応性自我障害」ではない、つまり社会的な自我のある残りの私たちが何を選択していくかにかかっています。なお、文化進化の詳細については、関連記事3をご覧ください。「かがみの孤城」とは?映画の後半で、城に通い続けて自我が芽生えたこころは、家の前で見かけた萌ちゃんに駆け寄ることができます。これまでの彼女にできなかった、さりげなくも大きな第一歩です。こころは、萌ちゃんから「ああいう子たち(いじめ女子グループ)ってどこにでもいるし、今度の学校(次の転校先)でもいるかもしれないけど。私今度こそ嫌なものは嫌って言う。だからこころちゃんも」「何かされてる子がいたら、今度こそ助けたいと思う」と言われ、「うん」と力強く頷きます。城だけでなく、現実の世界でも、こころが友達とお互いに影響し合い、自我が大きく成長していく感動のシーンです。タイトルの「孤城」とは、孤立無援のこころたちの城であると同時に、孤高にも自分らしく生きていくこころたち自身であるという意味が見いだせそうです。このことからも、この映画のテーマは、まさに誰かとかかわり合うことで自我を育むことでしょう。同じように、不登校への学校改革の第一歩を知った私たちの「孤城」とは、一人ひとりが社会的な自我を持って意見を発信し合い、学校を、そして社会を変えていくムーブメントを巻き起こすことではないでしょうか?1)「不登校がその後の生活に与える影響」:井出草平、大阪大学<< 前のページへ■関連記事映画「かがみの孤城」(その2)【実は好きなことをさせるだけじゃだめだったの!?(不登校へのペアレントトレーニング)】Part 3NHK「やさしい日本語」【英語が話せないのは日本語が難しいから???実は「語学障害」だったの!?(文化結合症候群)】Part 3ドラマ「ドラゴン桜」(後編)【そんなんで結婚相手も決めちゃうの? 教育政策としてどうする?(学歴への選り好み)】Part 2

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小児期の学校での逆境体験が成人後の社会的ひきこもりに関連

 他人との関係を築こうとせずに「社会的ひきこもり」の状態にあるとされる成人には、子どもの頃に学校で逆境体験のあった人が多いとするデータが報告された。公益社団法人子どもの発達科学研究所の和久田学氏らの研究によるもので、詳細は「Frontiers in Public Health」に10月26日掲載された。 小児期の逆境体験(adverse childhood experience;ACE)は、成人後のメンタルヘルスに悪影響を及ぼすことが知られている。就労や婚姻などの人生の重要なイベントに多大な影響が生じる成人後のひきこもりも、ACEと関連のある可能性が考えられるが、そのような視点での検討は十分なされていない。また、ACEに関するこれまでの研究の多くは主として家庭内で保護者から受けた行為の影響を調査しており、学校で教師や級友から受けた行為の影響については理解があまり進んでいない。これらを背景として和久田氏らは、学校でのACEを体験した成人の割合、それらの体験と成人後の抑うつ・不安レベルおよび社会的ひきこもりとの関連についてのインターネット調査を行った。 調査対象は、ネット調査パネルに登録している20~34歳の成人4,000人であり、匿名で回答してもらった。回答者の1人はトラップ項目(盲目的に回答している人を除外するために設けた質問)に反応したため、解析対象は3,999人となった〔平均年齢27.2±4.3歳、男性と女性がともに49.4%(その他1.2%)〕。 ACEの評価には、10項目(保護者による身体的虐待、言葉の虐待、性的虐待、ネグレクト、夫婦間の家庭内暴力、離婚、死別など)のトラウマ体験を問い、「はい」と回答した項目数を「総ACEスコア」として解析に用いた。学校でのACEの評価には、教師から受けたACEについては前記の質問の主語の「保護者」を「学校または幼稚園の先生」と置き換えて質問し、該当項目数を「教師ACEスコア」として解析。子ども間でのACEについては、同級生または上級生によるいじめ被害の体験を「いじめACEスコア」として解析した。また、教師ACEスコアといじめACEスコアを統合した「学校ACEスコア」も解析に用いた。 抑うつや不安のレベルは、PHQ-4という4項目の質問から成る評価指標を用いて把握した。PHQ-4は0~12点でスコア化され、スコアが高いほど抑うつや不安が強いと評価される。本研究では6点以上を中等度以上の抑うつ・不安と定義した。 病気や妊娠、家族の介護、新型コロナウイルス感染症対策、自然災害などの理由がないにもかかわらず、6カ月以上にわたり他者との交流を伴う外出をしていない場合を「社会的ひきこもり」と定義すると、138人(3.5%)が該当した。解析対象全体のACEスコアは平均0.76±1.37で、1点以上が35.9%、4点以上が6.1%だった。学校ACEスコアの平均は0.96±1.18で、1点以上が55.1%、教師ACEスコアは0.32±0.75、いじめACEスコアは0.64±0.71だった。またPHQ-4は2.65±3.16で、16.3%が中等度以上の抑うつ・不安を抱えていると判定された。 社会的ひきこもり状態を目的変数、年齢、性別、教育歴、世帯人員、生活環境(収入源や暮らし向き)、および総ACEスコア、学校ACEスコアを説明変数とするロジスティック回帰分析の結果、世帯人員〔1人多いごとのオッズ比(OR)1.14(95%信頼区間1.01~1.30)〕とともに、学校ACEスコア〔1点高いごとにOR1.29(同1.13~1.47)〕が独立した正の関連因子として抽出された。反対に、教育歴が長いこと〔OR0.65(0.57~0.74)〕や生活環境が良好なこと〔OR0.65(0.58~0.74)〕とは、負の有意な関連が認められた。一方、年齢や性別、および総ACEスコア〔OR1.01(0.89~1.13)〕は、社会的ひきこもりとの有意な関連が示されなかった。 学校ACEスコアの代わりに教師ACEスコアといじめACEスコアの二つを説明変数として用いた解析でも、世帯人員以外の有意な正の関連因子は、教師ACEスコア〔OR1.23(1.01~1.51)〕といじめACEスコア〔OR1.37(1.06~1.78)〕であり、総ACEスコアは非有意だった。なお、中等度以上の抑うつ・不安を目的変数とする解析では、学校ACEスコアとともに総ACEスコアも有意な正の関連因子として抽出された。 以上の結果を基に著者らは、「学校関連のACEは家庭内でのACEより高頻度で発生している可能性があり、かつ成人後の社会的ひきこもりの発生とメンタルヘルスの悪化に関連していた。教育関係者は、学校が成人期まで影響が続く危害を子どもたちに及ぼし得る場であることを認識する必要があるのではないか」と述べている。

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猫はペストを駆逐し、文豪の心を掴んだ、2024年は猫祭りの年だ!【Dr.中川の「論文・見聞・いい気分」】第68回

第68回 猫はペストを駆逐し、文豪の心を掴んだ、2024年は猫祭りの年だ!2024年を迎えました。明けましておめでとうございます。猛威を振るった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も、徐々に制圧されてきました。今年は正常な社会活動を取り戻すことを願っております。2024年に開催される大きなイベントをご存じでしょうか。私が思い浮かべるのは、パリで開催されるオリンピックではなく、「イーペルの猫祭り」です。これは、ベルギーのフランドル地方の街イーペルで3年に1度、5月に開催される祭りです。世界中の猫好きが街を埋め尽くします。猫耳を付けて仮装した子供から大人、世界各地で人気の猫のキャラクターがパレードする様子は楽しげです。私は残念ながら参加したことはなく、近い将来に行進の先頭に立つ日を夢見ております。祭りのクライマックスは、街にそびえる高さ70mの鐘楼から蒔くように投げられる猫のぬいぐるみをゲットすることです。幸福のぬいぐるみといわれています。イーペルの猫祭りのパレードcirdub:CC BY-SA猫の愛好家の方々に正直にお伝えしますが、この祭りは必ずしも猫に対する愛情を表現する場ではなかったのです。鐘楼から猫を投げた行事が祭りの起源とのことです。このような動物虐待に当たる行為が現在は禁止されていることは当然ですが、1817年までは本物の猫が投げられていたとする資料もあるそうです。この祭りの背景には、猫と魔女や魔術との関係があります。中世ヨーロッパでは、魔女狩りと称し無実の人々が死刑に処されました。猫が魔女の手先とみなされ、猫を殺害することで悪霊を祓うという儀式が存在したのです。中世末からルネサンス期のヨーロッパでは、ペスト(黒死病)が大流行し、人口の3分の1が死亡したといわれます。ペストの蔓延は、猫を殺し過ぎたために鼠が大繁殖したことも一因とされています。人々が猫を飼うようになり、ペストの流行も収まったといわれています。鼠を捕まえる猫は、都市の人々を感染症の危機から救ってくれる価値ある存在へと変化しました。このような猫に対する陰と陽の複雑な気持ちが凝縮された祭りが「イーペルの猫祭り」です。ペストのパンデミックから人々を解放した猫をリスペクトして、猫を題材にした文学作品を紹介し、「ケアネットの猫祭り」を開催したいと思います。すべては私の主観によるものです。『源氏物語』紫式部光源氏が41歳のときに、15歳ほど年下の女三の宮を正妻として迎えます。女三の宮のもとで飼われていた猫がじゃれ合って、つないでいた紐が絡まり、外と室内を隔てていた御簾が引き上げられます。当時の貴族の女性には、不用意に男性に顔を見られるということは禁忌ですが、女三の宮は柏木という男性に姿を見られてしまいます。柏木は、女三の宮の美しい姿に恋心を募らせ密通に及びます。ありがちな源氏物語のドロドロです。その後、女三の宮は柏木の子を出産し、光源氏は他人の子を我が子として抱くのです。このような大事件を引き起こす大役を猫に与える紫式部のセンスの良さが光ります。このように、最古の恋愛長編小説にも猫は登場します。現代の文豪にも愛される理由ですね。『吾輩は猫である』夏目 漱石誰もが最初に思い浮かべる猫の文学はこれです。漱石自身がモデルである英語教師の主人が飼うのが「吾輩」です。猫による人間観察の視点で書かれた本書は、時を経ても常に新鮮です。一番有名なのは、新潮文庫から出版されている文庫本です。昭和36年刊行で、123刷、200万部超の金字塔です。『吾輩も猫である』赤川 次郎・新井 素子・石田 衣良・荻原 浩・恩田 陸・原田 マハ・村山 由佳・山内 マリコ先に『吾輩は猫である』を紹介したのは、この『吾輩も猫である』を紹介したかったからです。夏目 漱石没後100年&生誕150年記念で企画された新潮文庫です。8人の超人気作家による猫アンソロジーです。アンソロジーとは、同一の主題の下にまとめられた諸作家の選集を意味します。猫好き作家陣が『吾輩は猫である』を模しながらも超越しようと挑む作品集です。「ねね、ちょっと、私だって猫なんですけどぉ~。名前はまだ無いんですけどぉ~」といった感じです。各々が短編で読みやすいです。電車に乗ると、乗客全員がスマホの画面を凝視している様子に不気味さを感じることはありませんか? その車内で文庫本のページをめくる貴方は素敵です。その場面で手にするのに相応しい一冊です。『100万回生きたねこ』佐野 洋子100万回死んで、生き返って、いろんな飼い主に愛された猫の話の絵本です。「死ぬのなんか平気だった」がキーフレーズです。野良猫となり自由を得て、自分が愛したシロ猫に愛された猫は、再び生き返ることはなかったのです。さまざまな人生の苦労を体験した大人には意味深いストーリーですが、この内容をしみじみと語り感動する子供は少し怖いかもしれません。この本を幼少期に読むことよりも、この本の良さを理解できる大人に成長することを願います。この本のタイトルを、『100万回死んだねこ』と間違って記憶している人が多いので注意しましょう。本書をモチーフとして、13名の著名な作家により執筆された『100万分の1回のねこ』が、講談社文庫から出版されています。これも一読に値します。『What's Michael?』小林 まこと踊る猫・マイケルを主人公にした漫画です。この本を読んでいない猫好きは、バイブルを手にしたことのないキリスト教徒のごときです。「ワッツ マイケル?」ではなく、「ホワッツ マイケル?」と発声することによって通を装うことが可能となります。何巻も続くのですが、第1巻の第1話で、マイケルがマンションの高層階から転落死するのは驚きです。ゾンビの如く復活することは当然です。マイケルが、何かを失敗した時に誤魔化すように踊る姿は秀逸です。『猫と庄造と二人のをんな』谷崎 潤一郎猫を溺愛している愚かな男である庄造、猫に嫉妬し追い出そうとする庄造の妻の福子、男への未練から猫を引き取って男の心をつなぎとめようとする庄造の元妻の品子、この3人の複雑な人間関係を描いた作品です。三者三様の痴態を通じて、猫の小悪魔的な魅力が伝わります。晩年に、溺愛していたペルシャ猫「ペル」を亡くし、剥製にして残し書斎に置いていた話は有名です。兵庫県芦屋市にある谷崎潤一郎記念館に、私もこの剥製を見学にいきました。自分には真似できない世界だと感じました。谷崎 潤一郎が雌猫しか飼わず、猫よりも魅力的な女性に出会ったことがないと語る領域は一線を越えていると感じます。文化勲章受章者たりうるには常識を超越することが必要なのでしょう。この原稿を書いた後の、2024年1月1日に能登半島地震が発生しました。地震とその関連の事故によって犠牲になられたすべての方々にお悔やみを申し上げます。私の実家は石川県金沢市ですが、幸いにも被害はありませんでした。私にも能登地域に多くの知人がおります。被災者の方々に心よりお見舞い申し上げ、皆さまの安全と1日も早い復興をお祈りしております。

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映画「かがみの孤城」(その2)【実は好きなことをさせるだけじゃだめだったの!?(不登校へのペアレントトレーニング)】Part 3

これからの家族のあり方とは?不登校へのペアレントトレーニングとして、味方になる、大人扱いをする、夢を語り合うことで、自尊心、自信、自我を順に育んで、学校に行くことは必要であると自覚させることであることがわかりました。つまり、学校は、行きたいか行きたくないかという好き嫌いの問題ではなく、行く必要があるという必要性の問題であると自分で思えるかどうかであるということです。言われてみれば、当たり前のことのように思えますが、この発想を促す自我がもともと弱かったり、育まれていなかったために、あっさり不登校になっていたのです。以上を踏まえて、これからの家族のあり方とはどういうものが望ましいでしょうか? ここから、家族を国家のタイプに例え、大きく4つに分けて、その答えを導いてみましょう。(1)独裁国家型1つ目は、独裁国家型です。これは、北朝鮮、ロシア、中国のように、逆らうとひどい目に遭う国です。これは、封建社会の価値観に通じます。家族に置き換えれば、前回すでに紹介した1980年代以前の日本の家族が当てはまります。親(国家)は、子供(国民)の味方になっているわけではなく、無理やり大人扱いして、一方的に責任を押し付ける特徴があります。結局、自尊心は育まれず、自信はありますが、自我は弱いです。そのため、「とにかくやらなきゃ」(should)という発想になりがちです。このタイプは、現代の価値観では時代遅れとなっており、家族のあり方としてはもちろん危ういです。(2)ユートピア型2つ目は、ユートピア型です。これは、中東のオイルマネーで豊かな国です。そこには、その名の通り、王子と呼ばれる働かない人が多くいます。家族に置き換えれば、ちょうどこころのように、1980年代以降の不登校を招きやすい日本の家族が当てはまります。親(国家)は、子供(国民)の味方にはなっていますが、大人扱いが不十分で、無責任にさせてしまう特徴があります。自尊心はある程度育まれるものの、自信がなく、結局自我は弱いままです。そのため、「誰かやって」(please)という発想になりがちです。このタイプは、不登校だけでなく、アルコール、ギャンブル、ひきこもりなど嗜癖の問題を招くリスクが最もある点で、やはり家族のあり方として危ういでしょう。(3)民主国家型3つ目は、民主国家型です。これは、欧米圏のように、積極的な話し合いと多数決によって成り立っている国です。家族に置き換えれば、おそらく萌ちゃんの家族が当てはまります。親(国家)は、子供(国民)の味方になり、大人扱いして、夢(より良い未来)を語り合う特徴です。自尊心も自信も育まれて、必然的に自我は強くなります。そのため、「やりたい」(want)、「なりたい」(want to be)という発想になります。このタイプこそが、不登校を防ぐ点でも、これからの家族のあり方として、望ましいわけです。(4)無法地帯型4つ目は、無法地帯型です。これは、ロシアとウクライナ、パレスチナとイスラエルのような戦争状態の国です。親(国家)は、子供(国民)の味方にはなれず、大人扱いどころではなく、いつ「殺される」(虐待される)かわからないという特徴があります。もちろん、自尊心も自信も育まれず、自我も芽生えないです。先のことは何もわからないため、「やらない」(no way)という発想に陥ります。このタイプは、もはや家族のていをなしていない点でも、家族のあり方として、決して望ましくないでしょう。ちなみに、日本は国としては民主国家の形になってはいるのですが、家族としてはまだ家族主義が根強いことから、ユートピア型になってしまっている家族が多いのが現状です。だから、不登校が多いのです。逆に言えば、家族も個人主義化して家族主義から抜け出して民主国家型になれば、不登校は海外と同じように目立たなくなることが予測できます。なお、この家族の国家タイプの詳細については、関連記事6をご覧ください。いじめにとらわれると不登校が解決しづらくなるこころが母親にいじめの件を打ち明けたことから、母親が担任の先生に迫るシーンがありました。親心として、いじめ加害者を断罪したいと思う気持ちはよくわかります。「その子のせいで不登校になった」「その子がいなければ不登校にはならなかった」というロジックです。しかし、前回説明したとおり、いじめは不登校のきっかけ(誘因)にすぎず、たとえいじめがなかったとしても、不登校の根本的な原因である自我の弱さは変わりません。城に来た他の6人と同じように、別のきっかけでこころは遅かれ早かれ不登校になる可能性が考えられます。不登校にならなかったとしたら、ただそれは誘発されずに運が良かっただけです。つまり、いじめを掘り下げても、不登校は解決しないです。むしろ、いじめられることは、子供の心理からしてみれば、恥です。学年が変わるタイミングで加害者たちを別のクラスにするなどの対策は必要ですが、親がいじめにとらわれて騒ぎ続けると、子供が前に進めなくなります。そもそもいじめの認定は、いじめられたと主張する本人の主観による要素が大きいです。これは、ちょっとでも何かされたり(いじりや陰口だけでも)、逆にちょっとでも相手にされない(無視)だけでも「いじめ」であると本人が認識する場合も含まれることを意味します。そのため、犯罪レベルを除くと、もはや不登校に「いじめ」があるかどうかを明確に区別することには限界があります。また、進化心理学的に考えれば、いじめは人類が心の進化の過程で社会を維持するために獲得した負の機能(社会脳)です。私たちが集団をつくる限り、いじめの心理をなくすことは難しいのが現実です。いじめを減らす取り組みはもちろん必要ですが、仮にいじめを完全になくすことができたからといって、自我の弱さは変わらないため、不登校が劇的に改善することはないでしょう。逆に、先ほどのストレス関連成長(SRG)の観点から、大人の社会でもいじめはあるのに、学校で小さな「いじめ」(対人ストレス)までも厳しく取り締まって「無菌状態」(ストレスフリー)をつくってしまったら、大人になった時に「免疫力」(ストレス耐性)が高まらず、結局小さな「いじめ」ですぐに参ってしまうでしょう(ストレス脆弱性)。たとえば、こころが自我の弱いまま大人になったら、今度は「新型うつ」(職場不適応)になる可能性が考えられます。なお、「新型うつ」の詳細については、関連記事7をご覧ください。つまり、不登校といじめ(犯罪レベルを除く)を積極的に結びつけることには大きな意味はなく、むしろいじめにとらわれてしまうと、不登校が解決しづらくなってしまうおそれがあります。なお、いじめの心理と対策の詳細については、関連記事8をご覧ください。ちなみに、こころの母親から「学校に行けないのはこころちゃんのせいじゃないって」というセリフがありました。あとからいじめ被害が判明したため、結果的には、自分を責めてしまいそうなこころに味方になるメッセージを伝えるという効果がありました。一方で、子供にはこれからどうするかについて責任を感じなくて良いという裏メッセージとして伝わる可能性もあり、実は危ういセリフであることもわかります。まさに、これはユートピア型ならではの声かけです。よって、安易に使わない方が良いでしょう。厳密に言うと、学校に行けなくなったことへの責任は確かにないですが、これからどうするかにはやはり責任があります。これは、アルコール依存症と同じで、なってしまったことへの責任は本人にないですが、治す責任は本人にあるということです。ちなみに、ひきこもりの人の多くが口を揃えて言うセリフがあります。それは「こうなったのは親のせいだ」です。このような責任逃れの心理(モラルハザード)に陥らないようにするためにも、やはり、「誰のせい」「誰のせいじゃない」などと学校に行けなくなった原因を掘り下げることは避けて、その他の寄り添いワード(1ページ目)を使いつつ、これからどうしたらいいかという解決にフォーカスすることが有効です。1)「子供におこづかいをあげよう!」P66:西村隆男、主婦の友社、2020<< 前のページへ■関連記事ダンボ【なぜ飛ぶの? 私たちが「飛ぶ」には?(褒めるスキル)】ツレがうつになりまして。【うつ病】逃げるは恥だが役に立つ【アサーション】ドラえもん【子供のメンタルヘルスに使えるひみつ道具は?】ちびまる子ちゃん(続編)【その教室は社会の縮図? エリート教育の危うさとは?(社会適応能力)】Part 1クレヨンしんちゃん【ユーモアのセンス】Part 1こうして私は追いつめられた【新型うつ病】告白【いじめ(同調)】Part 1

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映画「かがみの孤城」(その1)【けっきょくなんで学校に行けないの?(不登校の心理)】Part 3

じゃあなんで不登校は増えているの?冒頭のシーンで、こころは夢想します。「たとえば夢見る時がある。転入生がやってくる。その子は何でもできるすてきな子。たくさんいるクラスメートのなかに私がいることに気付いて、お日様みたいなまぶしい微笑みを浮かべ、『こころちゃん、久しぶりって』ってまっすぐ近寄ってくる。みんな息を飲む。そんな奇跡が起きたらいいと」「(でも)そんな奇跡が起きないことは知っている」と。不登校になったこころの心情がリアルに描かれていました。と同時に、客観的に見れば、友達をつくろうと自分から踏み出せず、「奇跡」を当てにしようとしています。きっと、今まで自わから友達をつくる練習をしてこなかったことも想像できます。自分でどうしたいかを言い出せず、いじめに対してもノーと言えないという自我の弱さがあることがわかります。萌ちゃんとは対照的です。昨今、不登校が増えているということは、こころのような自我の弱い子供が増えているのでしょうか? 確かに、昔よりも今どきの子供は大人しくなったという印象はあるでしょう。ただ、それ以上に、今だけでなく昔も、子供だけでなく大人も、実は日本人で自我が弱い人はもともと多いです。文化心理学的に言えば、日本人は周りに気を遣って和を重んじる集団主義の国民性です。これは、もともと日本が島国で他国からの侵略が歴史的にほとんどなかったことや、江戸時代からの鎖国によって封建社会の価値観が強化されていったことと関係しているでしょう。封建社会では上下関係を重んじて親や目上の人に逆らわない、つまり自我が弱い方が適応的です。むしろ、自我が強いと、和を乱し、村八分に遭い、子孫を残せないリスクが出てきます。なお、この日本人の国民性の詳細については、関連記事4をご覧ください。ただし、この国民性は、裏を返せば「自己主張しない」「ノーと言えない」、つまり自分はどうしたいのかをなるべく抑えるわけで、実は世界的には奇妙なメンタリティになります。実際に、海外の学校では、人種差別レベルのあからさまないじめがはびこっているのに、日本のように不登校は目立っていないことからもわかります。この自我を抑える(自我の弱い)メンタリティが、社会構造の変化によって炙り出され、不登校をどんどん招いてしまっているのです。それでは、この社会構造の変化とはいったい何でしょうか? 不登校が増え始めた1980年代をヒントに、大きく3つ挙げてみましょう。(1)個人主義化1980年代に日本が経済大国になってから、生活に余裕ができて、個人に選択の自由が生まれ、個人の権利(人権)に目が向くようになりました。そして、必ずしも集団の中で周りに合わせたり、親や目上の人の言うことを聞く必要がなくなりました。1つ目は、個人主義化です。それまでは、学校に行かなければ、親や教師が暴力(体罰)、暴言(モラハラ)、嫌がらせを行うなどの虐待が懲戒権として当たり前のようにありました。そんななか、ほとんどの子供は逆らえません。そもそも学校に行かないなどと、自分だけ周りと違うことをすること自体が恐怖でした。よって、しょうがなく学校に行っていました。まさに、「学校に行くために学校に行く状態」が成り立っていた時代です。しかし、今やこのような親や教師による懲戒権は違法と認識されるようになりました。そして、周りと違うことは個性と受け止められるようになりました。つまり、もともと日本人は、自我ではなく身体的・精神的な恐怖によって学校に行っていたと言えます。その恐怖がなくなるという社会構造の変化によって不登校は増えていると言えるでしょう。ちなみに、個人主義化は、不登校だけでなく、非婚(結婚しないこと)が増えていることにも通じます。この詳細については、関連記事5をご覧ください。(2)経済安定化1980年代に日本が経済大国になってから、世の中は物質的には豊かになっていきました。2つ目は、経済安定化です。それまでは、学校に行っていなければ、就職できずに、最悪ホームレスになってしまう恐怖がありました。もちろん、成人した子供を養う余裕がある親も少なかったです。だからこそ、子供は文字どおり「死んでも」(たとえいじめがあっても)学校に行きました。しかし、今や子供が学校に行かずに成人して働かなくても、親はその子を養う余裕があります。そして、社会の枠組み(法律)としては個人主義化しましたが、家庭内ではまだ集団主義(家族主義)が残っており、子供は成人しても親に責任があるという考え方が根強いです。子供はその状況を見越しています(モラルハザード)。つまり、大人になっても子供は「子供」のままでいられる時代になったのです。たとえ、親に経済力がなくても、生活困窮に対しては、生活保護という社会保障制度を利用することができます。実際に、生活保護受給者は年々増え続けています。つまり、もともと日本人は、自我ではなく経済的な不安によって学校に行っていたと言えます。その不安がなくなるという社会構造の変化によって不登校は増えていると言えるでしょう。ちなみに、経済安定化は、不登校だけでなく、ひきこもりが増えていることにも通じます。この詳細については、関連記事6をご覧ください。(3)情報化1980年代に日本が経済大国になってまもなくの1990年代、インターネットが世界中に普及して情報革命が起きました。世の中は便利になり娯楽が増えました。3つ目は、情報化です。それまでは、学校に行かなければ、先生に会えず、知識や情報を得ることができませんでした。友達にも会えず、家にいてもやることがなくて寂しくて退屈でした。だからこそ、とりあえず学校に行っていました。しかし、今や苦労して学校に行かなくても、家にいてインターネットから世界中の最新情報をいくらでも手に入れることができます。教育動画で勉強することもできます。対話型の生成AIに教えてもらうこともできます。オンラインゲームで友達とつながることもできます。登校して物理的に教師や友達に会うという行動が必ずしも必要なくなってしまいました。つまり、もともと日本人は、自我ではなくつながりを求めて学校に行っていたと言えます。その不便さがなくなり受け身になれるという社会構造の変化によって不登校は増えていると言えるでしょう。ちなみに、情報化は、不登校だけでなく、ゲーム依存症が増えていることにも通じます。この詳細については、関連記事7をご覧ください。1)「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」P4:文部科学省、2023<< 前のページへ■関連記事ドラえもん【子どものメンタルヘルスに使えるひみつ道具は?】ちびまる子ちゃん(続編)【その教室は社会の縮図? エリート教育の危うさとは?(社会適応能力)】Part 2東京タラレバ娘【ブリーフセラピーとは?】苦情殺到!桃太郎(後編)【なんでバッシングするの?どうすれば?(正義中毒)】Part 1私 結婚できないんじゃなくて、しないんです【コミュニケーション能力】サイレント・プア【ひきこもり】レディ・プレーヤー1【なぜゲームをやめられないの?どうなるの?(ゲーム依存症)】

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治療抵抗性うつ病患者の自殺リスクに対する衝動性の影響~FACE-DR研究

 自殺は重大な問題である。うつ病患者ではとくに自殺発生率が高いことから、うつ病は自殺関連リスク因子の1つとされている。重度のうつ病患者における自殺企図は、衝動性や制御不能などの症状と関連していると考えられる。しかし、治療抵抗性うつ病における衝動性と自殺リスクとの関連を具体的に調査したデータは、ほとんどない。フランス・トゥールーズ大学病院のJuliette Salles氏らは、治療抵抗性うつ病患者の自殺リスクに対する衝動性の影響を再検討するため、本研究を実施した。その結果、治療抵抗性うつ病患者における衝動性は、自尊心、抑うつ症状、不安への間接的な影響と関連し、自殺リスクに影響を及ぼしている可能性が示唆された。Journal of Affective Disorders誌オンライン版2023年11月20日号の報告。 プロスペクティブコホートとして患者を募集した。自殺リスクの評価には精神疾患構造化面接法、衝動性の評価にはBarratt Impulsiveness Scaleバージョン10を用いた。うつ病の症状重症度、不安症状、小児期虐待の評価には、それぞれモントゴメリー・アスベルグうつ病評価尺度(MADRS)、状態-特性不安尺度(STAI)、Childhood Trauma Questionnaireを用いた。 主な結果は以下のとおり。・対象は、治療抵抗性うつ病患者220例。・衝動性スコアは、自尊心、婚姻状況、職業上の地位、不安との相関が認められたが、自殺リスクとの直接的な関連は認められなかった。・衝動性は、自尊心(係数:-0.24、p=0.043)および抑うつ症状重症度(係数:0、p=0.045)と関連していた。・自殺リスクは、抑うつ症状重症度(係数:0.38、p<0.001)および自尊心(係数:-0.34、p=0.01)との相関が認められた。・これらの相関を考慮すると、衝動性が自殺リスクに及ぼす影響は、抑うつ症状重症との観点からみられる自尊心により媒介される可能性があると仮説が立てられた。最終的に、共変数として重要な影響を来す自尊心や不安を伴う抑うつ症状に影響を与えることで、自殺リスクに間接的に影響を及ぼす衝動性に関連する媒介モデルを発見した。

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映画「スプリット」(続編)【なんで記憶喪失になっても一般常識は忘れないの?なんで多重人格になっても人格が入り交じることはないの?(記憶機能)】Part3

なんで多重人格になっても人格が入り交じることはないの?映画の中では、ケビンの中にある複数の人格がお互いを認識し合ってケンカしているように描かれていました。さすがに、これはこの映画の演出であり、実際の臨床ではお目にかかりません。ちなみに、複数の人格が頭の中でケンカし合うような症状は、多重人格とはまったく別の病態になります。それは、統合失調症の二重心という病態です。多重人格(解離性同一症)では、人格が交代することはあっても、共存することはないです。その訳は、それぞれの人格がいるように見えるのはそれまでのエピソード記憶がバラバラのままであるだけでつながらない(連想できない)からと説明することができます。とくに幼少期の虐待などの重度のストレスによって、記憶喪失(解離性健忘)が繰り返されると、その複数のエピソード記憶が脳内のネットワークとして潜在(ローカルスリープ)することになります。この詳細については、関連記事3をご覧ください。そして、その眠っていたエピソード記憶はその後、関連する状況(刺激)によって蘇らず、ランダムに代わる代わるに蘇ってくるようになります。この点で、多重人格の表記は、厳密には「エピソード記憶交代再生」とした方が誤解を招かないでしょう。つまり、多重人格の本質は、実は「人格」そのものではなく、エピソード記憶が交代的に再生することです。逆に、エピソード記憶がつながってすべて再生できるようになれば、これは、1つのつながったエピソード記憶(人格)として自分を認識できるようになったと捉えることができます。この点で、それぞれの人格が共存するようになったとは捉えることができません。実は、私たちは、思い出せる限りの一つひとつのエピソード記憶をつなぎ合わせて人生と呼び、1つの人格として社会生活を送っています。これも、個人主義を重んじる近代(産業革命)以降の考え方です。それまでは多重人格が起こったとしても、先ほどの記憶喪失と同じように、その出てきた「人格」(エピソード記憶)で周りに合わせていただけでしょう。その時代や文化によっては、「シャーマン」や「憑き物」として社会に溶け込んでいたでしょう。つまり、多重人格も1つの適応戦略であったと考えることができます。そもそも、人格が1つであるというのは、その考え方が現代社会にフィットしているだけで、私たちの思い込みかもしれないです。そもそも、私たちの心(脳)が原始の時代に形作られたと考えると、人格は1つである必要がないからです。なお、エピソード記憶の起源が約20万年前であることから、エピソード記憶に関連した障害である記憶喪失や多重人格の起源も、同じく約20万年前であると推定することができます。<< 前のページへ■関連記事そして父になる(続編・その2)【子育ては厳しく? それとも自由に? その正解は?(科学的根拠に基づく教育(EBE))】Part 1パプリカ【夢と精神症状の違いは?】スプリット【なぜ記憶がないの?なぜ別人格がいるの?どうすれば良いの?(解離性障害)】

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医師によるうつ病の重症度評価と患者本人の苦痛の乖離に、幼少期の逆境体験などが関与

 医師が臨床的に評価した重症度よりも強い苦痛を感じているうつ病患者には、幼少期の逆境体験や自閉症傾向などが多く見られるとする、国立精神・神経医療研究センターの山田理沙氏、功刀浩氏(現在の所属は帝京大学医学部精神神経科学講座)らの研究結果が、「Clinical Psychopharmacology and Neuroscience」に5月30日掲載された。著者らは、「うつ病の重症度評価において、患者の主観的な苦痛の強さを把握することが、より重要なケースが存在する」と述べている。 近年、患者中心の医療の重要性が認識されるようになり、精神科医療でも治療計画の決定などに患者本人の関与が推奨されるようになってきた。これに伴い、うつ病の重症度についても、医師が評価スケールなどを用いて判定した結果と、患者への質問票による評価結果が一致しないケースのあることが分かってきた。ただ、そのような評価の不一致に関連する因子はまだ明らかにされていない。 研究の対象は、2017年10月~2020年2月に国立精神・神経医療研究センター病院気分障害センターの外来を受診した、17歳以上の大うつ病性障害(MDD)患者60人および双極性障害(BD)患者40人、計100人〔年齢中央値33歳(四分位範囲24~46)、男性52%〕。診断は、米国精神医学会の診断基準の第4版(DSM-4)に即して行われた。 医師によるうつ病の重症度評価には「ハミルトンうつ病評価尺度(HAMD-17)」、患者自身の主観的評価には「ベック抑うつ質問票(BDI)」を用いた。両者の評価結果の関連を検討したところ、有意な正相関(r=0.624、P<0.001)が認められた。 次に、HAMD-17とBDIの回帰直線からBDIスコアまでの乖離の程度の四分位数で、全体を以下の3群に分類。BDIスコアが回帰直線より高値であり、その乖離幅の大きい25%の群を、医師の評価よりも主観的な苦痛の大きい群(BO群)とした。反対に、BDIスコアが回帰直線より低値であり、その乖離幅の大きい25%の群を、医師の評価よりも主観的な苦痛が少ない群(BU群)とし、残りの50%は両者の評価が一致している群(BC群)とした。これら3群間に、年齢、性別や疾患(MMD、BD)の分布、自殺未遂の既往、治療薬、教育歴、およびHAMD-17などに有意差はなかった。 医師の重症度評価と患者の主観的評価に関連する可能性のある因子としては、幼少期の逆境体験(CTQ-6)、成人用対人応答性尺度(SRS-A)、問題への対処行動の傾向(WCCL)を評価した。それらの評価結果をBO群、BU群、BC群で比較すると、一部のスコアに有意な群間差が認められた。 例えばCTQ-6については、合計スコア、および精神的虐待を表す下位尺度が、BU群よりBO群の方が高値だった。下位尺度のうち身体的虐待および情緒的ネグレクトについては、3群間に有意差がなかった。また、SRS-Aについては、合計スコアと自閉症傾向を表す下位尺度などが、BC群やBU群よりBO群の方が高値だった。WCCLに関しては、自責スコアはBC群やBU群よりBO群が高く、希望的観測と回逃・避避のスコアはBC群よりBU群の方が低かった。 著者らは本研究の限界点として、サンプル数が十分でなく比較的若年の患者が多いこと、大半の患者が既に薬物療法が開始された状態で検討していること、BD患者の躁症状については主観的評価を行っていないことなどを挙げている。その上で、「幼少期の逆境体験や自閉症傾向、問題に対して自責の念を抱きやすい傾向などを有するうつ病患者は、臨床医が客観的に評価するよりも大きな苦痛を感じている可能性がある」と結論付け、「そのような懸念のある患者では、主観的評価を積極的に行うべきではないか」と提言している。

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