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第12回 添付文書 その1:「添付文書」の解釈、司法と臨床現場の大きな乖離!

■今回のテーマのポイント1.医薬品の使用において、添付文書の記載に反した場合には、特段の合理的理由がない限り、過失が推定される2.「特段の合理的理由」の該当性判断は、判例により幅があることから、一定のエビデンスを確保したうえで行うことが安全といえる3.その場合においては、インフォームド・コンセントの観点から、患者に対し適切な説明がなされるべきである事件の概要7歳男性(X)。昭和49年9月25日午前0時30分頃、腹痛と発熱を訴え、救急車にてA病院を受診し、経過観察及び加療目的にて入院となりました。その後、同日午後3時40分まで保存的治療を行っていたものの、化膿性ないし壊阻性の虫垂炎と診断されたため、虫垂切除手術を行うこととなりました。Y医師は、自身と看護師3名、看護補助者1名とで、Xに対する虫垂切除術を行うこととしました(麻酔科医不在)。Y医師は、同日午後4時32分頃、Xに対し腰椎麻酔として0.3%のジブカイン(商品名: ペルカミンS)1.2mLを投与しました。Y医師は、A看護師に対しては、Xの脈拍を常時とるとともに、5分ごとに血圧を測定して自身に報告するよう指示し、B看護師に対しては、Xの顔面等の監視にあたるよう指示し、午後4時40分より執刀を開始しました。午後4時45分頃、Xの虫垂の先端が後腹膜に癒着していたため、Y医師が、ペアン鉗子で虫垂根部を挟み、腹膜のあたりまで牽引したところ、Xが「気持ちが悪い」と訴えました。同時に、A看護師が「脈拍が遅く弱くなった」と報告しました。Y医師が、Xに対し、「どうしたぼく、ぼくどうした」と声をかけましたが、返答はなく、Xの顔面は蒼白で唇にはチアノーゼ様のものが認められ、呼吸はやや浅い状態で意識はありませんでした。A看護師から、血圧は触診で最高50mmHgであると報告されました。午後4時47分には、Xは心肺停止となり、Y医師および応援に駆け付けた医師らによる蘇生処置が行われた結果、午後4時55分には、Xの心拍は再開し、自発呼吸も徐々に回復しましたが、残念ながらXの意識が回復することはありませんでした。Xは、その後、長期療養を行いましたが、脳機能低下症のため意思疎通は取れず、寝たきりのため全介助が必要な状態となりました。これに対し、Xおよび両親は、A病院およびY医師らに、9,400万円の損害賠償の請求を行いました。第1審では、検査、腰麻の選択、手術方法、術中の管理、救急措置のいずれにおいても、過失を認めることはできないとして請求を棄却しました。第2審においては、Xの血圧低下は、Y医師が虫垂をペアン鉗子で挟んだことによる迷走神経反射が起因しているとして、その場合、仮にペルカミンS®の添付文書記載通り2分ごとに血圧を測定していたとしても、午後4時45分以前にはXの血圧に異状は認められないことから、添付文書の記載に従わなかったこととXの血圧低下との間には因果関係がないとして原告らの請求を棄却しました。この原審に対し、原告らが上告したところ、最高裁は、午後4時45分に脈拍が低下した時点で、Xの唇にチアノーゼ様のものが認められたことから、Xの血圧低下の原因は、迷走神経反射だけでなく、ペルカミンS®による腰麻ショックも存在していたとし、下記の通り判示し、原判決を破棄し、原審に差し戻しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過7歳男性(X)。昭和49年9月25日午前0時30分頃、腹痛と発熱を訴え、救急車にてA病院を受診し、経過観察および加療目的にて入院となりました。その後、同日午後3時40分まで保存的治療を行っていたものの、化膿性ないし壊阻性の虫垂炎と診断されたため、虫垂切除手術を行うこととなりました。Y医師は、自身と看護師3名、看護補助者1名とで、Xに対する虫垂切除術を行うこととしました(麻酔科医不在)。Y医師は、同日午後4時32分頃、Xに対し腰椎麻酔として0.3%ペルカミンS® 1.2mLを投与しました。 なお、麻酔実施前のXの血圧は112/68mmHg、脈拍は78/分であり、麻酔後3分(午後4時35分)の血圧は124/70mmHg、脈拍は84/分でした。Y医師は、A看護師に対しては、Xの脈拍を常時とるとともに、5分ごとに血圧を測定して自身に報告するよう指示し、B看護師に対しては、Xの顔面等の監視にあたるよう指示し、午後4時40分(40分時点での血圧122/72mmHg)より執刀を開始しました。午後4時45分頃、Xの虫垂の先端が後腹膜に癒着していたため、Y医師が、ペアン鉗子で虫垂根部を挟み、腹膜のあたりまで牽引したところ、Xが「気持ちが悪い」と訴えました。同時に、A看護師が「脈拍が遅く弱くなった」と報告しました。Y医師が、Xに対し、「どうしたぼく、ぼくどうした」と声をかけましたが、返答はなく、Xの顔面は蒼白で唇にはチアノーゼ様のものが認められ、呼吸はやや浅い状態で意識はありませんでした。この時点で、A看護師から、血圧は触診で最高50mmHgであると報告されました。午後4時47分には、Xは心肺停止となり、Y医師および応援に駆け付けた医師らによる蘇生処置が行われた結果、午後4時55分には、Xの心拍は再開し、自発呼吸も徐々に回復しましたが、残念ながらXの意識が回復することはありませんでした。Xは、その後、長期療養を行いましたが、脳機能低下症のため意思疎通は取れず、寝たきりのため全介助が必要な状態となりました。事件の判決「本件麻酔剤の能書には、「副作用とその対策」の項に血圧対策として、麻酔剤注入前に1回、注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべきであると記載されているところ、原判決は、能書の右記載にもかかわらず、昭和49年ころは、血圧については少なくとも5分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったとして、当時の医療水準を基準にする限り、被上告人に過失があったということはできない、という。しかしながら、医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。そして、前示の事実に照らせば、本件麻酔剤を投与された患者は、ときにその副作用により急激な血圧低下を来し、心停止にまで至る腰麻ショックを起こすことがあり、このようなショックを防ぐために、麻酔剤注入後の頻回の血圧測定が必要となり、その趣旨で本件麻酔剤の能書には、昭和47年から前記の記載がされていたということができ(鑑定人によると、本件麻酔剤を投与し、体位変換後の午後4時35分の血庄が124/70、開腹時の同40分の血圧が122/72であったものが、同45分に最高血圧が50にまで低下することはあり得ることであり、ことに腰麻ショックというのはそのようにして起こることが多く、このような急激な血圧低下は、通常頻繁に、すなわち1ないし2分間隔で血圧を測定することにより発見し得るもので、このようなショックの発現は、「どの教科書にも頻回に血圧を測定し、心電図を観察し、脈拍数の変化に注意して発見すべしと書かれている」というのである)、他面、2分間隔での血圧測定の実施は、何ら高度の知識や技術が要求されるものではなく、血圧測定を行い得る通常の看護婦を配置してさえおけば足りるものであって、本件でもこれを行うことに格別の支障があったわけではないのであるから、Y医師が能書に記載された注意事項に従わなかったことにつき合理的な理由があったとはいえない。すなわち、昭和49年当時であっても、本件麻酔剤を使用する医師は、一般にその能書に記載された5分間隔での血圧測定を実施する注意義務があったというべきであり、仮に当時の一般開業医がこれに記載された注意事項を守らず、血圧の測定は五分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない」(最判平成8年1月23日民集50号1巻1頁)ポイント解説今回と次回は添付文書の法的意義について解説いたします。第1回のポイント解説で示したように、民事医療訴訟における過失とは、一般的には「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に満たない診療のことをいいます。しかし、この文言をいくら眺めたところで、具体的な事例についての線引きの基準を導き出すことはできません。したがって、例えば、本件における腰椎麻酔下での虫垂切除術において血圧測定を何分間隔で行うことが「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」なのかは、個別具体的に判断せざるを得ません。しかし、裁判官は、医学知識を有しているわけではありませんし、当然、医療現場を経験したこともありません(ロースクール制度により、最近、医師として医療現場を経験した裁判官が生まれるようになりましたがわずか数名です)。したがって、民事医療訴訟において、そういった個別具体的な事例における医療水準を決定する際に用いられるのが、今回のテーマとなる添付文書や次々回のテーマであるガイドラインであったり、医学文献、教科書、意見書、鑑定等です。添付文書は、薬事法52条(医療機器については63条の2)によって下記のように定められています。 (添附文書等の記載事項)第52条  医薬品は、これに添附する文書又はその容器若しくは被包に、次の各号に掲げる事項が記載されていなければならない。ただし、厚生労働省令で別段の定めをしたときは、この限りでない。一用法、用量その他使用及び取扱い上の必要な注意二日本薬局方に収められている医薬品にあつては、日本薬局方においてこれに添附する文書又はその容器若しくは被包に記載するように定められた事項三第四十二条第一項の規定によりその基準が定められた医薬品にあつては、その基準においてこれに添附する文書又はその容器若しくは被包に記載するように定められた事項四前各号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項 そして、添付文書の記載については、「医療用医薬品添付文書の記載要領について」(薬発第606号平成9年4月25日厚生省薬務局長通知、薬安第59号厚生省薬務安全課長通知)「医療機器の添付文書の記載要領について」(薬食発第0310003号平成17年3月10日厚生労働省医薬食品局長通知)があり、記載内容、方法について詳細に定められています。同通知別添に記載されている添付文書作成の目的は、「医療用医薬品の添付文書は、薬事法第52条第一号の規定に基づき医薬品の適用を受ける患者の安全を確保し適正使用を図るために、医師、歯科医師及び薬剤師に対して必要な情報を提供する目的で当該医薬品の製造業者又は輸入販売業者が作成するものであること」となっています。このようなことから、古くから裁判所は、医薬品の使用に関する医療水準の判断について、添付文書の記載を他の証拠と比べ重視していました。そのような背景の中で出された、本判決の特徴は、「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである」と示されるとおり、医薬品の使用に関しては、特段の合理的理由がない限り、添付文書の記載がすなわち医療水準となるとしたことです。確かに、高度の専門性を有する医療訴訟の判断をすることは、裁判所にとって非常に困難でありストレスであることは理解できますし、医師がいつでも手に取って読むことができる添付文書の記載さえ遵守していれば、医薬品の使用に関しては違法と問われることがないという意味においては、適法行為の予見可能性を高めるものであり、医師にとって有利なのかもしれません。しかし、皆さんご存知の通り添付文書の記載には、臨床の実情を反映しているとはいえない記載がしばしば見受けられます。そのような場合、医師が、患者に最善の治療を提供しようと添付文書記載に反する治療を行うことに躊躇してしまう(萎縮効果)こととなり問題といえます。特にわが国では、ドラッグラグが問題となっており、世界標準の治療薬の半数程度しか保険適用されていない現状において、未承認薬や適用外処方が原則違法であるとすることは、医学的に不当な結論といえます。このような医療界からの指摘を受け、現在では、例外となる「特段の合理的理由」を広く解することにより適切な判断をするように対応している判例が複数認められます。「添付文書の内容に違反した場合に,医師に過失が推定されるのは,製造業者や輸入販売業者は,当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有しており,それが添付文書に反映されているという事情に基づくものであるところ,本件においては,ベサコリン散の添付文書に,パーキンソン病の患者に対して禁忌であると記載がされたことについては,販売元の株式会社○○に対する調査嘱託の結果,厚生労働省からの指導によるものであって,株式会社○○自身が裏付けとなる研究結果等に基づいて記載したものではないことが判明しており,禁忌とされた根拠は必ずしも明確ではない。その上,ベサコリン散の成分は血液脳関門を通過しないからパーキンソニズムを悪化させることはないものとの考えが一部の出版物にも掲載されており,また,ベサコリン散のインタビューフォームにも,ベサコリン散の成分は血液脳関門を通過しない旨の記載がある。以上によれば,本件におけるベサコリン散の投与については,添付文書の記載内容には違反しているものの,原告に対してベサコリン散を投与すべき必要性が認められる反面,添付文書上の禁忌の根拠が明確でなく,むしろY医師自身は禁忌の根拠はないものと考えてあえて投与を行っていたものといえる。したがって,添付文書に反していても,本件においてはそこに合理的理由があるものといえ,直ちにY医師に過失があるものということはできない。パーキンソニズムの患者に対し、添付文書においてパーキンソン病の患者には禁忌であると記載されているベサコリン散を投与したとしても、当該患者に対してベサコリン散を投与すべき必要性が認められる反面、添付文書上の禁忌の根拠が明確でなく、当該医師が禁忌の根拠はないものとあえて投与を行っていたときには、当該投与が添付文書に反していても、そこには合理的な理由があるものといえるから、直ちに当該医師に過失があるものということはできない」(横浜地判平成21年3月26日判タ1302号231頁)とした判決や、ステロイド抵抗性の喘息患者に対し、適用外となる免疫抑制剤の投与を行った事案において、「ガイドラインに『難治性喘息に対する治療法として,免疫抑制剤の併用を考慮する場合がある』とされていることや有効性を示す症例報告が複数存在することを理由にただちに違法とはならない」とした判決(京都地判平成19年10月23日)などがあります。とはいえ、本件最高裁判決はまだいきていますので、適用外処方を行う場合には、事前にガイドラインや複数の医学文献等エビデンスを確保したうえで行うことが望ましいといえます。また、適用外処方をする場合には、インフォームド・コンセントの観点から、患者に対し、「(1) 当該治療方法の具体的内容、(2) 当該治療方法がその時点でどの程度の有効性を有するとされているか、(3) 想定される副作用の内容・程度及びその可能性、(4) 当該治療方法を選択した場合と選択しなかった場合とにおける予後の見込み等について、説明を受ける者の理解力に応じ、具体的に説明し、その同意を得た上で実施」(前掲京都地判平成19年10月23日より引用)すべきといえます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)最判平成8年1月23日民集50号1巻1頁横浜地判平成21年3月26日判タ1302号231頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。 京都地判平成19年10月23日

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第10回 療養指導義務:「何かあったら受診ください」ではダメ!どうする患者指導!!

■今回のテーマのポイント1.療養指導義務は説明義務の一類型であるが、治療そのものである2.「重大な結果が生ずる可能性がある」場合には、たとえ当該可能性が低くとも、療養に関する指導をしなければならない3.「何か変わったことがあれば医師の診察を受けるように」といったような一般的、抽象的な指導では足りず、しっかりと症状等を説明し、どのような場合に医師の診察が要するか等具体的に指導しなければならない事件の概要母X2は、Y産婦人科医院にて、妊娠34週に2200gの第3子(児X1)を出産(吸引分娩)しました。低出生体重児ではありましたが、出生時に児の異状は認められませんでした。しかし、出生後、X1には早期黄疸が認められるようになり、徐々に黄疸は増強してきました。第一子、第二子出産の際にも新生児期に黄疸が出ていたことから、母X2の依頼によりX1の血液型検査をしたところ、母X2と同じO型と判定されました(後に再検査したところX1の血液型はO型ではなくA型と判明しました)。そのため、医師Yは、母X2に対し、黄疸について、「大丈夫だ。心配はいらない」と伝え、退院時(出生より10日目)にも母X2に対し「血液型不適合もなく、黄疸が遷延しているのは未熟児だからであり、心配はない」、「何か変わったことがあったらすぐに当院あるいは近所の小児科の診察を受けるように」とだけ説明をしました。ところが、退院3日後(出生より13日目)より黄疸の増強と哺乳力の減退が現れました。母X2は、医師Yの退院時説明や、受診を急ぐことはないとの夫からの意見もあり、様子をみることとし、結局、外来受診したのは退院から8日後となりました。その結果、X1は核黄疸が進行し、治療を受けたものの、強度の運動障害のため寝たきりとなりました。X1及び両親は、医師Yに対し、X1に対する処置及び退院時の療養指導に不備があったとして約1億円の損害賠償請求を行いました。第1審では「X1に対する処置及び療養指導について過失はない」として原告の請求を棄却しました。同様に控訴審においても、「新生児特に未熟児の場合は、核黄疸に限らず様々な致命的疾患に侵される危険を常に有しており、医師が新生児の看護者にそれら全部につき専門的な知識を与えることは不可能というべきところ、新生児がこのような疾患に罹患すれば普通食欲の不振等が現れ全身状態が悪くなるのであるから、退院時において特に核黄疸の危険性について注意を喚起し、退院後の療養方法について詳細な説明、指導をするまでの必要はなく、新生児の全身状態に注意し、何かあれば来院するか他の医師の診察を受けるよう指導すれば足りる」として原告の請求を棄却しました。これに対し原告が上告したところ、最高裁は、療養指導義務につき過失を認め、原判決を破棄差し戻しとし、下記の通り判示しました(差し戻し審後の認容額約6400万円)。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過母X2は、Y産婦人科医院にて、妊娠34週に2200gの第3子(児X1)を出産(吸引分娩)しました。低出生体重児ではありましたが、出生時に児の異状は認められませんでした。しかし、出生後、X1には早期黄疸が認められるようになり、徐々に黄疸は増強してきました。母X2は、第一子、第二子出産の際にも新生児期に黄疸が出ており、知人からこのような場合には、黄疸が強くなると児が死ぬかもしれないと聞かされていたことから不安に思い、医師YにX1の血液型検査を依頼しました。検査の結果、X1の血液型は、母X2と同じO型と判定されました(後に再検査したところX1の血液型はO型ではなくA型と判明しました)。X1の黄疸は、生後4日目には肉眼的に認められるようになり、生後6日目に測定した総ビリルビン値は 2.5mg/dLでしたが、その後、X1が退院するまで肉眼的には黄疸が増強することはありませんでした。医師Yは、母X2に対し、血液型不適合はなく、黄疸が遷延するのは未熟児だからであり心配はないと伝えました。そして、退院時(出生より10日目)にも母X2に対し「血液型不適合もなく、黄疸が遷延しているのは未熟児だからであり、心配はない」、「何か変わったことがあったらすぐに当院あるいは近所の小児科の診察を受けるように」とだけ説明をしました。ところが、退院3日後(出生より13日目)より黄疸の増強と哺乳力の減退が現れました。母X2は、医師Yの退院時説明や、受診を急ぐことはないとの夫からの意見もあり、様子をみることとし、結局、A病院の小児科外来を受診したのは退院から8日後となりました。A病院受診時のX1は、体重2040gで顕著な肉眼的黄疸が認められ、自発運動は弱く、診察上、軽度の落葉現象が認められ、モロー反射は認められるものの反射速度は遅くなっており、総ビリルビン値は 34.1mg/dL(間接ビリルビン値 32.2mg/dL)でした。直ちに交換輸血が行われたものの、X1は強度の運動障害のため寝たきりとなりました。事件の判決「新生児の疾患である核黄疸は、これに罹患すると死に至る危険が大きく、救命されても治癒不能の脳性麻痺等の後遺症を残すものであり、生後間もない新生児にとって最も注意を要する疾患の一つということができるが、核黄疸は、血液中の間接ビリルビンが増加することによって起こるものであり、間接ビリルビンの増加は、外形的症状としては黄疸の増強として現れるものであるから、新生児に黄疸が認められる場合には、それが生理的黄疸か、あるいは核黄疸の原因となり得るものかを見極めるために注意深く全身状態とその経過を観察し、必要に応じて母子間の血液型の検査、血清ビリルビン値の測定などを実施し、生理的黄疸とはいえない疑いがあるときは、観察をより一層慎重かつ頻繁にし、核黄疸についてのプラハの第一期症状が認められたら時機を逸ずることなく交換輸血実施の措置を執る必要があり、未熟児の場合には成熟児に比較して特に慎重な対応が必要であるが、このような核黄疸についての予防、治療方法は、上告人X1が出生した当時既に臨床医学の実践における医療水準となっていたものである。・・・・(中略)・・・・そうすると、本件において上告人X1を同月30日の時点で退院させることが相当でなかったとは直ちにいい難いとしても、産婦人科の専門医である被上告人Yとしては、退院させることによって自らは上告人X1の黄疸を観察することができなくなるのであるから、上告人X1を退院させるに当たって、これを看護する上告人母X2らに対し、黄疸が増強することがあり得ること、及び黄疸が増強して哺乳力の減退などの症状が現れたときは重篤な疾患に至る危険があることを説明し、黄疸症状を含む全身状態の観察に注意を払い、黄疸の増強や哺乳力の減退などの症状が現れたときは速やかに医師の診察を受けるよう指導すべき注意義務を負っていたというべきところ,被上告人Yは、上告人X1の黄疸について特段の言及もしないまま、何か変わったことがあれば医師の診察を受けるようにとの一般的な注意を与えたのみで退院させているのであって、かかる被上告人Yの措置は、不適切なものであったというほかはない」(最判平成7年5月30日民集175号319頁)ポイント解説今回は「療養指導義務」がテーマとなります。前回までのテーマであった説明義務には、大きく分類して2種類あり、一つはインフォームド・コンセントのための説明義務、もう一つが今回のテーマである療養指導義務です。糖尿病における食事療法、運動療法に代表されるように、疾患の治療は、医師のみが行うのではなく、患者自身が療養に努めることで、功を奏します。しかし、医療は高度に専門的な知識を必要としますので、患者自らが適切な療養をするために、専門家である医師が、患者がなすべき療養の方法等を指導しなければなりません。インフォームド・コンセントのための説明義務が患者の自己決定のために行われるのに対し、療養指導義務は、患者の疾病に対する治療そのものであることに大きな違いがあります。すなわち、インフォームド・コンセントのための説明義務違反があったとしても、通常は、自己決定権の侵害として、精神的慰謝料(数十~数百万円程度)が認められるにとどまりますが、療養指導義務違反においては、患者の身体に生じた損害(死傷)として場合によっては数千万~数億円単位の損害賠償責任を負うこととなります。療養指導義務が民事訴訟において争われる類型としては、(1)退院時の療養指導(2)経過観察時の療養指導(3)外来通院時の療養指導があります。特に注意が必要となるのが、本事例のように医師の管理が行き届きやすい入院から目の届かない外来へと変わる退院時の療養指導(1)及び、頭部外傷等で救急外来を受診した患者を帰宅させる際に行う療養指導(2)です。本事例以外に退院時の療養指導義務が争われた事例としては、退院時に処方された薬剤により中毒性表皮壊死症(TEN)を発症し死亡した事例で、「薬剤の投与に際しては、時間的な余裕のない緊急時等特別の場合を除いて、少なくとも薬剤を投与する目的やその具体的な効果とその副作用がもたらす危険性についての説明をすべきことは、診療を依頼された医師としての義務に含まれるというべきである。この説明によって、患者は自己の症状と薬剤の関係を理解し、投薬についても検討することが可能になると考えられる。・・・(中略)・・・患者の退院に際しては、医師の観察が及ばないところで服薬することになるのであるから、その副作用の結果が重大であれば、発症の可能性が極めて少ない場合であっても、もし副作用が生じたときには早期に治療することによって重大な結果を未然に防ぐことができるように、服薬上の留意点を具体的に指導すべき義務があるといわなくてはならない。即ち、投薬による副作用の重大な結果を回避するために、服薬中どのような場合に医師の診察を受けるべきか患者自身で判断できるように、具体的に情報を提供し、説明指導すべきである」(高松高判平成8年2月27日判タ908号232頁)と判示したものがあります。また、救急外来において頭部打撲(飲酒後階段から転落)患者の帰宅時の療養指導が争われた事例(患者は急性硬膜下血腫等により死亡)では、「このような自宅での経過観察に委ねる場合、診療義務を負担する医師としては、患者自身及び看護者に対して、十全な経過観察を尽くし、かつ病態の変化に適切に対処できるように、患者の受傷状況及び現症状から、発症の危険が想定される疾病、その発症のメルクマールとなる症状ないし病態の変化、右症状ないし病態変化が生起した場合に、患者及び看護者が取るべき措置の内容、とりわけ一刻も早く十分な診療能力を持つ病院へ搬送すべきことを具体的に説明し、かつ了知させる義務を負うと解するのが相当である」(神戸地判平成2年10月8日判時1394号128頁)と判示されています。本判決を含めた判例の傾向としては、1)「重大な結果が生ずる可能性がある」場合には、たとえ当該可能性が低くとも、療養に関する指導をしなければならないとしていること2)「何か変わったことがあれば医師の診察を受けるように」といったような一般的、抽象的な指導では足りず、しっかりと症状等を説明し、どのような場合に医師の診察が要するか等、具体的に指導することが求められています。患者の生命、身体に関する必要な情報は提供されるべきであることは当然ですが、この医師不足の中で医師は多忙を極めており、すべての患者に対し、上記内容を医師が直接、口頭で説明することは、残念ながら現実的には非常に困難であるといえます。だからといって、医師による直接、口頭にこだわる余り、説明、指導の内容を縮減することは患者のためになりません。したがって、療養指導義務の主体や方法については、第8回「説明義務 その2」で解説したように、書面による指導や他の医療従事者による指導を適宜用いることで、柔軟に対応すべきです。もちろん、このような方法により法的な療養指導義務や説明義務を果たした上で、医師患者関係の形成のための医師による直接、口頭の説明、指導を行うことは、法的責任とは離れた「医師のプロフェッションとしての責任」として、果たすべきであることも忘れてはなりません。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)最判平成7年5月30日民集175号319頁高松高判平成8年2月27日判タ908号232頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。神戸地判平成2年10月8日判時1394号128頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。

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わが国の医療関連無過失補償制度を概観する~その運用と問題点について~

9月29日(土)、帝京大学医学部(板橋キャンパス)において第3回医療法学シンポジウムが開催された。当日は全国より医師、医療従事者をはじめ約60名が参加した。今回はテーマに「医療関連無過失補償制度」を掲げ、医師、弁護士が制度の概要、現状、問題点をレクチャー、最後にパネルディスカッションを行った。※「無過失補償制度」とは、医療事故で障害を負った場合、医師に過失がなくても、患者に補償金が支払われる制度のことである。現在、わが国に存在する医療関連無過失補償制度は、1)予防接種健康被害救済制度、2)臨床研究、治験薬に係る補償制度、3)医薬品副作用被害救済制度、4)産科無過失補償制度の4つがある。シンポジウムでは、各制度が作られる原因となった訴訟等背景の事情から制度概要とその問題点についてまとめ、今後の医療紛争処理制度のあるべき姿を検討した。医療関連無過失補償制度の5つの概要はじめに「総論 わが国の医療提供体制と医療紛争処理制度」をテーマに山田奈美恵氏(東京大学医学部附属病院総合研修センター特任助教:医師)が、医療紛争処理制度の全体像を説明するとともに、諸外国の処理制度との比較を解説した。わが国で医療紛争が発生する要因として、多くは患者と患者家族の心理状況が、大きな影響を与えていること、それは患者と医療者が向き合う場が圧倒的に不足している中で起こるものであることが説明された。また、世界的な流れとして北欧を中心に「無過失補償制度」が導入されていることなどが紹介された。次に「予防接種健康被害救済制度」をテーマに神田知江美氏(帝京大学医療情報システム研究センター客員講師、かすが法律事務所:医師、弁護士)が、わが国の予防接種事情と問題が起った場合の救済制度について説明した。日本の予防接種の本格導入は、戦後からのスタートであり、世界標準から見るとわが国は「ワクチン後進国」である現状を指摘。過去に起こった予防接種に起因するさまざまな訴訟例を通じて、医療者に課される注意義務や救済制度の成り立ちなどを詳説した。続いて「臨床研究、治験薬に係る補償制度」をテーマに大磯義一郎氏(浜松医科大学医学部教授(医療法学)、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授、加治・木村法律事務所:医師、弁護士)が、「臨床研究、治験薬」段階での補償制度について、制度の内容等を説明した。現在、薬事法で副作用報告は法定化されている。しかし、「副作用」や「有害事象」といった用語の意味が、一般市民の理解と異なっていることは問題であること。そして、治験薬の補償については「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令(GCP省令)」で規定されており、この省令が拠り所となっていること。一方、臨床研究に係る補償制度は、法律ではなく倫理指針で規定されていること、まだ試行錯誤している最中であることを指摘した。次に「医薬品情報と副作用被害救済制度」として渡邊清高氏(国立がん研究センターがん対策情報センター がん情報提供研究部医療情報コンテンツ研究室長:医師)が、主に抗がん剤の副作用が副作用被害救済の対象となるかという視点から解説を行った。「スモン事件」などの過去の薬害事件とその救済事例を述べるとともに、薬害では製薬メーカーの拠出金で救済されるのに対し、抗がん剤では「重篤な副作用発現頻度」「適正使用の未確立」「因果関係証明の困難」などの理由により、救済対象となっていないと指摘。現在、厚生労働省の審議会で議論が行われているが、制度化にはいたっていないと報告した。最後に「産科医療補償制度」として山崎祥光氏(井上法律事務所:弁護士、医師)が、同制度の内容や運用の実際を報告した。同制度は、産科に関係する民事事件の多発と産科の訴訟リスク、産科医の急激な減少から2009年に制度発足したものであり、各医療機関が民間保険会社と協力し、被害に応じて被害者等が医療機関から補償を受けるものである(運営:日本医療機能評価機構)。たとえば脳性麻痺など、民事訴訟であれば立証の段階で時間がかかる疾患もこの制度であれば、患者と家族に速やかな補償ができるなど恩恵は計り知れない。また、日本医療機能評価機構が審査を行うことで医療機関、患者・家族に異論を差しはさむ余地のない原因分析も行われている。現在2014年の制度見直しに向けて、掛金額、補償対象の範囲など見直しが進められている。「今後、こうした制度が他の疾患分野にも普及することを望む」と述べ、レクチャーを終了した。パネルディスカッション後半では、会場とのパネルディスカッションを開催。大磯義一郎氏をファシリテーターに、渡邊清高氏、山崎祥光氏が再登壇するとともに新たに小島崇宏氏(北浜法律事務所:弁護士、医師)を加え、会場から寄せられる質問に丁寧に回答をしていた。国民の生命・健康を具体的に守る基本法がないために、現在のような医療崩壊や医師の不足を招いたと思う。医療環境の整備をしないうちに、医師などの監督強化をしても逆効果だと考える。こうした現状をどのように思うか、考えをお聞かせ願いたい。大磯過去の経緯を俯瞰すると医師側で発言の機会を逸した結果、司法の側で制度設計をされてしまった感がある。本質的には医師の側から、患者救済は積極的にアピールしていかなくてはいけないと考えている。山崎たとえば産科医療補償制度では、医師の側の意見が、制度の準備段階できちんと入らなかったことに問題がある。制度設計の段階で主張すべきところはすべきと思う。渡邊医師が社会とコミュニケーションをしていないのが問題だと考える。医療に関する言葉の定義がされてこなかったこともあり、今後は患者側にわかってもらう医療を目指す必要がある。小島重篤な合併症でも医療側からの公表データが少ないように思う。医療側の情報の開示をもとに補償をきちんとすることが必要。山崎氏の講演であった産科医療補償制度の「現物支給」について聞かせて欲しい。また、明日からすぐできる患者救済方法が、あるかどうかも回答いただきたい。山崎「現物支給」とは医療費が無料ということ。申請しないと支給されない点が問題。医療側でそうした患者補助のリストなどを患者側に提供できたらいいと思う。渡邊通常、医師個人と患者個人で話をする機会が多いと思う。経済的な視点だけでは解決しないので、全体的なサポートの仕組みを作ることが重要。地域で救済のパッケージを渡す仕組みを自治体等が作っておくことが大事。大磯個別・具体的な地域のリソースを、優良な情報として必要としている個々の患者に提供することが患者救済に役立つ。刑事責任とのリンクについて大磯諸外国と比較して日本だけ、突出して医療の領域に司法が介入しているのは問題。山崎刑事責任とリンクすると制度設計としての「無過失責任補償」からも遠くなる。小島完全に刑事責任は免責とするのではなく、個々のケースによって判断・運用されるべき。大磯医療側がきちんと患者側にインフォームド・コンセントを行い、コンセンサスをとっておくことが大切。産科医療補償制度の改正の主眼は何か?山崎再設計では保険者との関係の見直し、掛金の配分の見直し(とくに介護費用の増額、できれば損害賠償と後遺障害事例の補償額の取り決め)、掛金は社会で担保するものであるから増やすためにコンセンサスが必要。小島補償範囲の拡大については、マンパワーの問題で難しい。医療側からの政策提言の必要性最後に古川俊治氏(慶應義塾大学法務研究科教授・医学部外科教授:弁護士、医師、参議院議員)が、「医療は政策で誘導され、決定される。そのため、政策提言をたくさん医療の側からも出してほしい。無過失責任制度が実現できれば素晴らしいが、国の逼迫した財政の中でどう財源を確保するかが重要。メリハリをつけて支出するために、対象疾患の絞り込みなどが必要となる。こうしたシンポジウムで、今後の医療の在り方や医師、医療従事者が輝ける医療を考えていきたい」と閉会の挨拶を述べ、シンポジウムは終了した。医療法学に関係するセミナー、シンポジウム等はこちら。11月10日・11日 現場からの医療改革推進協議会12月2日 医療事故調シンポジウム~真相究明と責任追及(懲罰、刑事罰)は両立するのか~〔主催:一般社団 全国医師連盟〕

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第7回 説明義務 その1:しておかないと困る!患者への説明の内容とその程度

■今回のテーマのポイント1.説明義務の内容は、原則としては、「診療情報の提供等に関する指針」(厚生労働省)に記載されている7項目である2.説明すべき治療方法は、原則として「医療水準として確立したものに限る」。したがって、原則的には、医療水準として未確立のものは、説明する義務はない3.ただし、未確立の新規治療法であっても、医学的に明白な誤りがなく、適切な方法で臨床研究がなされている新規治療法について、患者の求めがあった場合には、特別な事情があるとして、当該未確立の療法についても説明義務を負うこととなる事件の概要患者(X)(43歳女性)は、Y医院にて乳がんと診断されました。当時、乳がんの標準的手術として確立されていたのは、胸筋温存乳房切除術であり、乳房温存療法は、まだ実施している施設も少なく、確立されたエビデンスは存在していませんでした。このような時点において、A医師は、乳房温存を希望するXに対し、乳房温存療法につき十分な説明をすることなく、当時の標準手術である胸筋温存乳房切除術を施行しました。これに対し、原告Xは、A医師に乳房温存療法についての説明義務違反があった等として、約1,200万円の損害賠償請求を行いました。原審では、診療当時、いまだ乳房温存療法の安全性は確立されておらず、危険を犯してまで同療法を勧める状況ではなかったとして、Xの請求を棄却しました。これに対し、最高裁は、医師Aの説明義務違反を認め、下記の通り判示しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過患者(X)(43歳女性)は、平成3年1月中旬ごろ、右乳房右上部分の腋の下近傍に小さなしこりを発見したため、診療科目と並べて「乳腺特殊外来」の看板を掲げているY医院を受診しました。手術生検の結果、Xにあったしこりは、充実腺管がんと診断されました。A医師は、Xに対し、乳がんであり手術する必要があること、手術生検をしたため手術は早くした方がいいこと、乳房を残すと放射線で黒くなることがあり、再発したらまた切らなければならないことを説明しました。Xは、入院後、新聞記事で乳房温存療法の記事を読んだこと、可能ならば乳房を残して欲しいことを手紙にしたため、A医師に手渡しました。しかし、当時、乳がんの標準的手術として確立されていたのは、胸筋温存乳房切除術であり、乳房温存療法は、まだ実施している施設は全国で12.7%でした。また、同手術方法に対する厚生労働省助成による研究班が立ち上がる2年前であり、本件当時わが国においては、乳房温存療法については、確立されたエビデンスは存在していませんでした。そのため、A医師は、当時の標準手術である胸筋温存乳房切除術を施行しました。事件の判決「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があると解される。本件で問題となっている乳がん手術についてみれば、疾患が乳がんであること、その進行程度、乳がんの性質、実施予定の手術内容のほか、もし他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などが説明義務の対象となる。本件においては、実施予定の手術である胸筋温存乳房切除術について被上告人〔A医師〕が説明義務を負うことはいうまでもないが、それと並んで、当時としては未確立な療法(術式)とされていた乳房温存療法についてまで、選択可能な他の療法(術式)として被上告人に説明義務があったか否か、あるとしてどの程度にまで説明することが要求されるのかが問題となっている。〔中略〕・・・・一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ、このような未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。そして、乳がん手術は、体幹表面にあって女性を象徴する乳房に対する手術であり、手術により乳房を失わせることは、患者に対し、身体的障害を来すのみならず、外観上の変ぼうによる精神面・心理面への著しい影響ももたらすものであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、このような性質を有しない他の一般の手術を行う場合に比し、一層強まるものといわなければならない」(最判平成13年11月27日民集55巻6号1154頁)※〔 〕は編集部挿入ポイント解説今回は説明義務です。「インフォームド・コンセント(説明と同意)」は、アメリカでは、1957年のサルゴ事件判決(大動脈造影検査後に下半身の麻痺が生じたことから、医師が検査の危険性を説明しなかったとして争われた事件)において生まれました。わが国では、およそ半世紀遅れ、1990年代より議論が始まり、現段階では、診療契約上説明義務があることは確立しているものの、具体的な説明の範囲については揺れ動いているという状況です。説明の範囲について、現時点においてベースラインとなるのは、本判決前半部分に記載されている「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があると解される」となります。また、より一般化したものとして、厚生労働省が示す「診療情報の提供等に関する指針」に示されている、(1)現在の症状及び診断病名(2)予後(3)処置及び治療の方針(4)処方する薬剤について、薬剤名、服用方法、効能及び特に注意を要する副作用(5)代替的治療法がある場合にはその内容及び利害得失(患者が負担すべき費用が大きく異なる場合には、それぞれの場合の費用を含む)(6) 手術や侵襲的な検査を行う場合には、その概要(執刀者及び助手の氏名を含む)、危険性、実施しない場合の危険性及び合併症の有無(7) 治療目的以外に、臨床試験や研究などの他の目的も有する場合には、その旨及び目的の内容が参考となります。原則的には、上記内容を説明している場合には、医療機関が説明義務違反を問われる可能性は低いといえます。もし、説明内容に不足があった場合には、説明義務違反がある(=過失がある)ことにはなりますが、医学的に適切な治療が選択されており、十分な説明がなされていれば同じ選択をすることが通常であると言える場合には、たとえ当該治療の結果、患者の身体に損害が生じたとしても、説明義務違反と生命・身体の損害の間に因果関係がないため、医療機関は、当該生命・身体の損害に対して賠償する責任はありません。ただ、その場合においても、わが国においては、患者の治療上の自己決定権自体を人格権の一内容として保護すべき法益とし、たとえ適切な治療により生命・身体に損害がなかったとしても、この権利を侵害した結果、精神的損害を生じたとして低額ではありますが損害賠償責任が認められることとなります(最判平成12年2月29日民集54巻2号582頁)。もう一度、判決文に戻ります。この判決が問題となる点として、〔1〕説明義務の主体は医師でなければならないのか〔2〕客体は患者でなければならないのか〔3〕特別の事情とはどのような場合があるのかがあげられます。〔1〕についてですが、判決は「診療契約に基づき説明義務が生ずる」としているのですから、法的には、診療契約の当事者である医療機関が適切な方法で説明すれば足りるのであり、必ずしも医療機関の一スタッフである医師が一から十まですべてを口頭で説明をしなければならないということにはならないと考えます。もっとも、疾患一般のことについては、文書やビデオ等でも十分な説明ができますが、患者個別具体の病状に応じた部分については、主治医でなければ説明しがたいこともありますので、その点に関しては医師が行う必要があるといえます。この点については、次回に解説したいと思います。〔2〕についてですが、まず、患者に意識がない場合は、法的には一切の説明義務はなくなるのかということです。診療契約は、患者と医療機関の間で締結されていますので、患者の家族は、法律上関係のない第三者ということとなります。したがって、素直に考えると契約関係にない家族に対して説明義務は生じ得ないということになります。また、末期がんで、患者の心因的な事由等により、医学的に告知すべきでない場合も同様でしょうか。この点については、次々回第9回で実際の事例を基に解説したいと思います。そして、今回の判決において問題となったのが、〔3〕特別の事情とは何を指すのかです。本判決が示すように、「一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない」のであり、未熟児網膜症に関する判決においても、「本症に対する光凝固法は、当時の医療水準としてその治療法としての有効性が確立され、その知見が普及定着してはいなかったし、本症には他に有効な治療法もなかったというのであり、また、治療についての特別な合意をしたとの主張立証もないのであるから、医師には、本症に対する有効な治療法の存在を前提とするち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務はなかった」(最判平成4年6月8日民集165号11頁)とし、光凝固療法が当時の標準的治療として確立されていなかったことを理由として説明義務及び転医義務違反を否定しています。しかし、本判決によると、「少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである」と判示し、これらの事情がすべてそろっている場合においては、特別な事情があるとして未確立の療法についても説明義務を負うとしています。医療は日々進歩しており、次々に新しい治療方法が提唱されています。確かにがんに対する縮小手術は常にがん再発の危険を伴います。一般に再発がんの生命予後は悪く、それに引き換え、縮小手術の利点は、機能温存、入院期間の短縮、苦痛の軽減、合併症の減少等副次的なものであるため、その適用には慎重さが求められます。しかし、少なくとも、1)医学的に明白な誤りがなく、適切な方法で臨床研究がなされている新規治療法について、2)患者の求めがあった場合には、適切な情報提供はなされるべきであるということに異論はないものと思われます。本事例以外に、特別な事情があると考えられる場合としては、美容整形目的の手術や臨床研究の場合があげられます。臨床研究においては、厚生労働省より「臨床研究に関する倫理指針」が出ていますので、臨床研究に携わる場合には、必ず一度は精読してください。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます(出現順)。最判平成13年11月27日民集55巻6号1154頁最判平成12年2月29日民集54巻2号582頁最判平成4年6月8日民集165号11頁

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第5回 損害の評価、素因減額:医師の責任を金銭にすると?

■今回のテーマのポイント1.身体損害の金銭への評価は、〔1〕治療費等積極的損害 +〔2〕逸失利益(消極的損害) + 〔3〕慰謝料で求められる2.不法行為の被害者が疾患を有する場合の損害額の減額方法として、逸失利益の減額(損害額の算定)と素因減額の方法がある3.良性疾患等回復可能な疾患においては、素因減額の方法をとる必要がある事件の概要患者(X)(48歳男性)は、平成12年5月23日、勤務中に右膝を負傷し、A病院にて局所麻酔下で異物(右膝の皮下組織と筋膜間に針金と砂様の異物、脛骨粗面付近の皮下組織内に鉛筆の芯用の異物)を除去しました。創部の痛みが強かったため、2日後の同月25日にXは、A病院に入院することとなりました。右膝の経過は順調であったものの、同月30日頃より、胸部不快感が生じるようになり、6月1日午前5時半頃、トイレから帰室する際に意識消失。すぐに意識を取り戻したものの、胸部不快感及び呼吸苦を訴えたことから、酸素投与及びニトロ舌下を行ったところ、胸部不快感及び呼吸苦は改善しましたが、心電図上、「II,III,aVF,V1,2 negative T,V3,4,5軽度ST上昇」を認めたため、Y1医師は、急性冠不全症又は急性心筋梗塞疑いと診断して精査加療のため、B病院に転院を指示しました。B病院転院後、医師Y2は、午前11時20分頃に冠動脈造影検査を施行したところ、器質的狭窄は認めなかったものの、エルゴノビン負荷テストにおいて、左前下行枝に90%狭窄を認め、同日朝の胸部不快感と同様の症状を認めたこと、ニトロール注入にて症状及び狭窄が改善したことから、冠攣縮性狭心症と診断しました。しかし、Xは、同日夜10時頃と翌午前3時頃に胸部不快感を訴え、翌朝午前6時50分頃、再び意識消失しました。同時点での血圧は80台、心拍数が48回/分、心電図上、右脚ブロック及びV2~4でST上昇を認めました。Y2医師は、心エコーを施行したところ、著明な右室の拡張及び心室中隔の奇異性運動を認めたことから、肺塞栓症を疑い、肺動脈造影検査を施行しようとXをベッド移動したところ、Xは、呼吸停止、高度除脈となりました。Y2医師は、心肺蘇生を行うと同時に、肺動脈造影を行ったところ、肺動脈内に血栓を認めたことから、肺塞栓症と診断し、血栓溶解剤の投与を行いましたが、6月4日午前6時24分に死亡確認となりました。原審(熊本地裁)では、Y1医師、Y2医師が肺塞栓症を疑わなかったことに過失は認められないとして、Xの遺族の請求を棄却しました。これに対し、福岡高裁は、Y1医師、Y2医師の過失を認め、下記の通り判示しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過患者(X)(48歳男性)は、平成12年5月23日、勤務中に右膝を負傷したため、同日勤務終了後、近医を受診しました。レントゲン写真上、右膝に異物が認められたことから、異物の摘出を試みるも、うまくいかなかったため、A病院に紹介しました。同日夕方、A病院にて局所麻酔下で異物(右膝の皮下組織と筋膜間に針金と砂様の異物、脛骨粗面付近の皮下組織内に鉛筆の芯用の異物)を除去し、ペンローズドレーンを留置し、外来フォローアップとしました。しかし、創部の痛みが強く、2日後の同月25日に患者X希望にてA病院に入院することとなりました。右膝の経過は順調であったものの、同月30日頃より、胸部不快感が生じるようになり、6月1日午前5時半頃、トイレから帰室する際に意識消失。すぐに意識を取り戻したものの、胸部不快感及び呼吸苦を訴えたことから、心電図を施行し、酸素投与及びニトロ舌下を行ったところ、胸部不快感及び呼吸苦は改善しました。同日午前9時頃に内科(医師Y1)紹介受診したところ、先に施行した心電図上、「II,III,aVF,V1,2 negative T,V3,4,5軽度ST上昇」を認めたことから、急性冠不全症又は急性心筋梗塞疑いにて精査加療のため、B病院に転院することとなりました。同日午前10時頃にB病院に到着。医師Y2は、午前11時20分頃に冠動脈造影検査を施行したところ、器質的狭窄は認めなかったものの、エルゴノビン負荷テストにおいて、左前下行枝に90%狭窄を認め、同日朝の胸部不快感と同様の症状を認めたこと、ニトロール注入にて症状及び狭窄が改善したことから、冠攣縮性狭心症と診断しました。しかし、Xは、同日夜10時頃と翌午前3時頃に胸部不快感を訴え、翌朝午前6時50分頃、再び意識消失しました。同時点での血圧は80台、心拍数が48回/分、心電図上、右脚ブロック及びV2~4でST上昇を認めました。Y2医師は、心エコーを施行したところ、著明な右室の拡張及び心室中隔の奇異性運動を認めたことから、肺塞栓症を疑い、肺動脈造影検査を施行しようとXをベッド移動したところ、Xは、呼吸停止、高度除脈となりました。Y2医師は、心肺蘇生を行うと同時に、肺動脈造影を行ったところ、肺動脈内に血栓を認めたことから、肺塞栓症と診断し、血栓溶解剤の投与を行いましたが、6月4日午前6時24分に死亡確認となりました。事件の判決判決では、遅くとも6月1日午前5時半頃の意識消失時(前医であるA病院入院時)には、Xが肺塞栓症を発症していたと認定し、「Y1医師が、Xの6月1日の意識消失等を虚血性心疾患によるものであると診断したのは、客観的には誤りであったものといわなければならない」とした上で、「もっとも、症状や心電図のみでは、肺塞栓症とその他の疾患、特に心疾患と鑑別診断することは極めて困難であるというのであるから、Y1医師が、6月1日午前9時ころまでにXにかかる上記のような所見を得ていたからといっても、Xが肺塞栓症に罹患していると診断することまで期待するのは無理である。とはいえ、急性肺血栓塞栓症においては、診断がつかず適切な治療が行われない場合には死亡の確率が高いこと、他方で、適切な治療がなされれば死亡率が顕著に低下することが知られていたのであるから、Y1医師としては、上記時点で、少なくとも肺塞栓症に罹患しているのではないかとの疑いを持つことが必要であり、それは十分可能であったといわなければならない」として、Y1が肺塞栓症を疑わず、その結果B病院転院時の診療情報提供書に肺塞栓症疑いと記載しなかったことを過失としました。Y2についても、「6月1日午後10時ころに至り、再び胸痛を訴えるに及び、また、その際行われた心電図検査の結果は、搬送された際に実施したものと同様に、肺塞栓症と考えても矛盾しないものであったということからすれば、遅くともこの時点では肺塞栓症を疑うべきであったといわなければならない」「しかるに、Y2医師は、上記Y1医師の診断結果を認識した後、もっぱらその疑いを念頭に置いて冠動脈造影検査、エルゴノビン負荷テストを施行したものであり、また、胸痛が持続する場合にはニトロペンを舌下投与すべき旨を指示しただけで、肺塞栓症を鑑別対象に入れることは6月2日朝に至るまでなかったというのであるから、この点につき、Y2医師には上記注意義務に違反した過失があるというべきである」として過失を認めました。その上で、「このような事情を考慮するならば、上記のとおり、Y1医師及びY2医師がともに過失責任を免れないとしても、直ちに全責任を負わしめるのはいかにも酷というべきである。そうであれば、結果に寄与したXの素因ないしは被害者(患者)側の事情として上記の諸事情を考慮し、上記不法行為と相当因果関係を有する損害額を一定の割合で減額するのが相当である」と判示し、過失相殺の法理を類推適用し、損害額の4割を控除し、約4,080万円の損害賠償責任を認めました。(福岡高裁平成18年7月13日判タ1227号303頁)ポイント解説不法行為責任が成立した場合、加害者は、当該過失によって生じた損害を金銭に評価した額を賠償する責任を負います。(1) 過失(2) 損害(3) (1)と(2)の間の因果関係↓不法行為責任成立↓生じた損害を金銭に評価↓当該評価額を賠償する責任を負う医療過誤訴訟においては、通常、「患者の死傷」が損害となります。この「人の死傷」という損害の金銭的評価は難しく、各国によって異なっているのですが、わが国においては、〔1〕積極的損害:入院・治療費、看護費用、交通費、葬祭費、弁護士費用等〔2〕消極的損害:逸失利益(被害者が生存していれば得たであろう利益(収入))〔3〕精神的損害:慰謝料の3つが認められることとなっています。この中で、最も高額となりがちなのが〔2〕の逸失利益であり、産科医療訴訟の賠償額が高額化する原因はここにあります(被害者の就労可能期間が最も長いため)。しかし、病院に治療に来る患者は、何らかの疾患を抱えています。したがって、たとえ医療過誤が発生し、患者が死亡した場合であっても、当該疾患により、就労不能であった場合には、逸失利益は“0”になります(損害額の算定の問題)。また、交通事故と被害者の疾患が競合して死亡という結果が生じた事案において、裁判所は、「被害者に対する加害行為と被害者のり患していた疾患とがともに原因となって損害が発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法722条2項の過失相殺の規定※1を類推適用して、被害者の当該疾患を斟酌することができるものと解するのが相当である。けだし、このような場合においてもなお、被害者に生じた損害の全部を加害者に賠償させるのは、損害の公平な分担を図る損害賠償法の理念に反するものといわなければならないからである」(最判平成4年6月25日民集46巻4号400頁)と判示しています。これは、「素因減額」と言われている考え方です。被害者が疾患を有していた場合の損害額の減額方法はこれら2つの方法がありますが、医療過誤訴訟においては、多くの場合、損害額の算定の方法で処理されています。たとえば、がん患者が医療過誤によって死亡した場合には、損害額の算定による方法では、「医療過誤がなかったとしても余命は○年であり、その間、就労することは不可能であるので逸失利益は認められない」となり、素因減額の方法では、「医療過誤とがんがともに原因となって死亡という損害を発生させており、加害者に損害の全部(健康な同年代と同額の逸失利益等損害)を賠償させることは公平を失するので、過失相殺の規定を類推適用して、損害額を減額する」となり、どちらの方法をとっても、結果として、同程度の損害額の減額が認められることとなります。しかし、進行がんなどの治療困難な疾患については、どちらの方法でも同程度の結果となりますが、本件のように、うまく治療がなされれば根治可能な良性疾患等に関しては結果が異なってきます。すなわち、「医療過誤がない」=「肺塞栓症と早期に診断」ができていれば、健康な状態で長期就労可能となりますので、損害額の算定の方法では、減額ができないからです。本判決では、Y1、Y2に過失があるといえるかはともかく、このような場合には、素因減額の方法をとり、損害額を減額することができるということを示した判決です。世界中で、民事医療訴訟を原因とした医療崩壊が生じており、その対応のため、無過失補償制度を各国が導入してきています。無過失補償制度を導入するにあたり、最大の鍵となるのが、補償額の多寡であり、訴訟を行った場合に得られる金額に近い額の補償額を給付しなければ、結局、訴訟が選択されてしまいます。逆相続※2を認めるわが国においては、損害賠償額が高額となるため、無過失補償制度の運営が困難といわれています。また、そもそも、医療提供体制においては、低額の皆保険制度をとっているにもかかわらず、紛争が生じると、他の一般民事事件と同様に高額な損害賠償額となるのは公平を失するといえます。今後、医療過誤訴訟は増加の一途をたどることが予想されます。訴訟による医療崩壊が生ずる前に速やかに無過失補償制度を作る必要があり、その前提として、素因減額の適用拡大が必要となるものと思われます。 ※1民法第722条2項:被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。※2子供が不法行為により死亡した場合に、子供の逸失利益を親に相続させること。子供が生存していた場合、親が子の財産を相続することは通常ないこと等から、EU諸国では認められていない。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)福岡高裁平成18年7月13日判タ1227号303頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。最判平成4年6月25日民集46巻4号400頁

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第2回 因果関係:不作為と患者の死亡

■今回のテーマのポイント1.因果関係とは、「経験則に照らして総合的に検討した結果、8、9割以上の確率で特定の事実が特定の結果発生を招来したといえること」である2.このことは、過失の態様が作為であれ、不作為であれ同じである3.不作為の過失における因果関係の有無は、当該過失がなければ「その時点」で死亡していないといえれば足る事件の概要アルコール性肝硬変と診断され、肝臓病を専門とする医師Yが開設するA消化器科医院を紹介されたXに対し、医師Yは、3年弱に渡り、肝庇護剤を投与していました。しかし、その間一度も腫瘍マーカーの測定や腹部超音波検査を行わなかったところ、Xが多発性肝細胞癌、肝細胞癌破裂により死亡したという事案です。死亡後Xの妻と子らが、Yに対し、適切な検査を行わなかった結果、Xが肝細胞癌の治療を受けられず死亡したとして損害賠償を請求して争われました。原審(高裁)では、Y側(医師)の注意義務違反を認めたものの、どの程度延命できたか不明であるとして、死亡との因果関係を認めませんでした。これに対し、最高裁は、原審を破棄し、死亡との因果関係を認めた上で、高裁に差し戻しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過原告の父(X)は、昭和58年10月にB病院にてアルコール性肝硬変と診断され、肝臓病を専門とする医師Yが開設するA消化器科医院を紹介されました。Yは、Xに対し週3回程度肝庇護剤の投与を行い、1カ月から2カ月に一度触診等診察を行っていましたが、紹介受診した昭和58年11月から昭和61年7月までの間に一度も腫瘍マーカーの測定や腹部超音波検査を行っていませんでした。Yが、昭和61年7月5日にAFP(腫瘍マーカー)の検査をしたところ、110ng/ml(正常値20ng/ml以下)と高値を示しましたが、Xに対し「肝細胞癌の検査は陰性であった」と伝えました。同年7月17日夜、Xは、腹部膨隆、右季肋部痛等が出現したため、翌18日朝にA消化器科医院を受診しました。Yより筋肉痛と診断され鎮痛剤の注射を受けましたが、翌19日には全身状態が悪化。C病院を受診したところ、多発性肝細胞癌、肝細胞癌破裂と診断されました。なお、肝細胞癌は大きいものが3つ(7×7cm、5cm大、2.6×2.5cm)ある他、転移巣と考えられる小病変が複数あり、門脈腫瘍塞栓も認められました。その後、Xは、同年同月27日に肝細胞癌及び肝不全により死亡しました。事件の判決訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最判昭和50年10月24日民集29巻9号1417頁)。右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき事由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない(最判平成11年2月25日民集53巻2号235頁)。ポイント解説民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定しています。すなわち、不法行為が成立するためには、生じた損害が故意又は過失行為によって生じたこと(因果関係)が必要なのです。どんなに悪意をもった行為を行ったとしても、それによって何も損害が発生していなければ、因果関係がないため賠償する義務はないのです。当たり前の事だと思われるでしょうが、これを医療過誤に当てはめると途端に問題が複雑になります。なぜならば、患者は疾病を抱えているからこそ病院に来ているのであり、結果として死亡した場合であっても、当該死亡の原因が、医療過誤によるものなのか、疾病そのものによるものなのか判断がつかない場合が、しばしば生じるからです。特に、本件のように不作為(適切な医療行為をしなかった)を問題としている場合には、現実として、疾病(本件では肝細胞癌)により死亡しているのであり、さらに癌のような重篤な疾患の場合、たとえ適切な治療を行っていたとしても転帰に変わりがない可能性が高いことから、因果関係の立証は一層難しくなります。医療過誤事件における因果関係の立証についての判例は、「東大ルンバール事件※」(最判昭和50年10月24日民集29巻9号1417頁)が先例であり、本判決でも引用している通り、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである」とされています。具体的には、「十中八、九」が目安といわれ、経験則に照らして8、9割以上の確率で結果が生じたと立証できれば足りるとされています。この判例の意義は、「確かに医療過誤があったかもしれないが、診療経過とはまったく脈絡もなく心室細動が発症した可能性がある」とか「くも膜下出血が生じた可能性がある」等の主張が病院側弁護士よりなされた場合において、原告側が心室細動やくも膜下出血が起きた可能性がないことなどあらゆる可能性を排斥しない限り、因果関係が認められないということではないということにあります。それを踏まえたうえで、本判例が示した重要な点は次の2点ということとなります。(1)作為の場合であっても、因果関係の立証の程度は変わらないということ(2)因果関係の有無を考えるにあたっては、不作為による過失がなければ「その時点」で死亡することがなかったことが立証されれば足りるのであり、癌により早晩死亡したであろうということは、因果関係(すなわち不法行為が成立するか否か)において検討することではなく、(不法行為が成立した上で)生じた損害の額を検討するにあたって考慮すべきことである※東大ルンバール事件概要:泣き叫ぶ3歳の化膿性髄膜炎の患児に腰椎穿刺を施行した約15分後に、嘔吐・けいれん発作等が出現し、結果として右半身麻痺等の後遺症が残った症例において、これらの症状が、化膿性髄膜炎によるものか、腰椎穿刺の結果脳出血となったものかが争われた事案裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます(出現順)。最判昭和50年10月24日民集29巻9号1417頁最判平成11年2月25日民集53巻2号235頁

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第1回 医療水準:未熟児網膜症事件

■今回のテーマのポイント1.過失とは、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に満たない診療を行ったことである2.新規治療法が全国に普及していく過程においては、医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して医療水準を判断する3.このことは、すでに普及している治療法についても同様に判断される事件の概要原告出生時においては、未熟児網膜症について、各種研究報告がなされており、その存在は認識されてきているものの、いまだ(旧)厚生省において、診断と治療に対する研究班が組織されている最中であり、報告書等もまだ出ておらず、また、未熟児網膜症の診断と治療につき、研修を受けられる施設もほとんどありませんでした。このような時期において、原告に対する未熟児網膜症の発見が遅れたため、両眼ともに視力が0.06となった事案について、被告の眼底検査義務、診断治療義務、転医義務違反が争われました。事件の経過原告は、昭和49年12月11日に妊娠31週、体重1508gで出生しました。原告は、被告病院において、保育器にて酸素投与等を受け、翌年1月23日に保育器より出て、2月21日に退院しました。その間、原告に対し、眼底検査は12月27日に1回行われ、「格別の変化がなく、次回検診の必要なし」とされていました。その後、3月28日に眼底検査を行った際も、「異常なし」と診断されたものの、4月9日の眼底検査上、異常が認められ、同月16日に他院を紹介受診したところ、両眼とも未熟児網膜症瘢痕期3度であると診断されました。最終的に原告の視力は両眼とも0.06となりました。原告出生時においては、未熟児網膜症について、各種研究報告がなされており、被告病院でも、その存在は認識され眼科医と協力し、未熟児網膜症を発見した場合には転医する体制をとっていました。しかし、いまだ未熟児網膜症に対する光凝固療法は有効な治療法として確立されているとは言えず、(旧)厚生省においても診断と治療に対する研究班が組織されている最中であり、報告書が公表されたのは昭和50年8月以降でした。また、未熟児網膜症の診断と治療につき、医師が研修を受けられる施設はほとんどなく、実際に被告病院眼科医も研修を受けていませんでした。事件の判決当該疾病の専門的研究者の間でその有効性と安全性が是認された新規の治療法が普及するには一定の時間を要し、医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性、医師の専門分野等によってその普及に要する時間に差異があり、その知見の普及に要する時間と実施のための技術・設備等の普及に要する時間との間にも差異があるのが通例であり、また、当事者もこのような事情を前提にして診療契約の締結に至るのである。したがって、ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない。そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである(最判平成7年6月9日第民集49巻6号1499頁)ポイント解説民事医療訴訟において、損害賠償責任が認められるためには、不法行為(民法709条※)の要件である(1)過失(故意は稀有)、(2)損害、(3)(過失等と損害の間に)因果関係が認められなければなりません。そして、医療訴訟における過失とは、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に満たない診療を行ったことと考えられています(最判昭和57年3月30日民集135号563頁)。一方で、わが国の医療提供体制は、大きく1次医療機関から3次医療機関まで定められており、それぞれの医療機関が有する診断機器等物理的設備に大きな差があることから、必然的に診断・治療能力に差が生じます。もちろん、診察の上、高次の医療機関による診療を行うべきと判断された場合には、転医を行うこととなりますが、致命的な希少疾患であっても、症状・所見に乏しい場合も多々あること、基礎となる診断機器等物理的設備に制限もあることから限界があるといえましょう。そこで、法的に求められる「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」が、医療機関の性格、所在地域等を問わず一律の水準が求められるのかが問題となります。本判決では、「新規治療法においては、ある一つの時点を境に、全国すべての医療機関に対して、一律に医療水準とするというのではなく、現実的に各医療機関に順次伝達していくという事情を踏まえ、医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべき」と判示しました。しかし、本判決はガイドラインが作成されている等、すでに一定程度普及していると考えられる診断・治療については、医療機関の性質を問わず、一律の水準が求められ、ただ転医義務の問題が生ずるにすぎないと考えるのか、そうではなく現実に基づき、各医療機関の性質によって求められる水準が異なると考えるのかについては、言及していませんでした。ただ、その後の判決において、本判決を引用して、「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最判昭和57年3月30日民集135号563頁)。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」(最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁)と判示しており、これが現時点における医療水準についての判例となっていることから、現実に基づき「各医療機関の性質によって求められる水準が異なると考えられている」といえます。※参照条文(不法行為による損害賠償)第709条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます(出現順)。最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁最判昭和57年3月30日民集135号563頁最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁

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