サイト内検索

検索結果 合計:28件 表示位置:1 - 20

1.

海外番組「セサミストリート」(続編・その3)【だから男性はこだわり女性は共感するんだ!だから人差し指の長さが違うんだ!(自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害の起源)】Part 1

今回のキーワードプレゼント仮説性選択(性淘汰)象徴機能指比「良い子」(過剰適応)マルトリートメント(不適切なかかわり)空虚感かんしゃく前回(その2)、共感性とシステム化のゼロサム説という仮説によって、以下の3つの謎を解き明かしました。自閉症のコミュニケーションの障害とこだわりがセットで出てくる現象定型発達の男の子よりも女の子のほうが言語や心の理論の発達が早い現象自閉症でいったん話していた言葉を途中から話さなくなる現象(折れ線型)また、超男性脳の病態が自閉症であるのとは対照的に、超女性脳の病態は情緒不安定性パーソナリティ障害であることを突き止めました。それでは、そもそもなぜ男性はシステム化が高く、女性は共感性が高いのでしょうか? そもそもなぜ共感性とシステム化はトレードオフの関係にあるのでしょうか? また、その1でも触れましたが、なぜ男性ホルモンが多いと人差し指が短くなるのでしょうか? さらに、自閉症は幼児期に発症するのに、なぜ情緒不安定性パーソナリティ障害は同じように幼児期に発症せずに、思春期になってようやく発症するというタイムラグがあるのでしょうか?これらの答えを探るため、今回(その3)は、進化精神医学の視点から、自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害の起源を掘り下げます。そして、なんとこの2つの病態は人類進化の必然の産物であったわけをご説明しましょう。そもそもなんで男性はシステム化が高く女性は共感性が高いの?人類は、約700万年前に誕生してから、二足歩行をすることで手が自由になり、手に入れた食料を余分に持ち歩けるようになりました。その余分な食料を男性が女性にプレゼントすることで、女性はそのお礼にセックスをして、その男性との間にできた子供を育てるようになりました。これは、プレゼント仮説と呼ばれています1)。そして、これは人類最初の協力行動です。それでは、この時、どんな心理が進化するでしょうか? 男性と女性に分けて、それぞれ考えてみましょう。(1)男性に進化する心理―システム化まず、女性に選ばれるのは、プレゼントを毎回確実にくれる男性でしょう。それでは、プレゼント用を含めた食料をより多くより確実に得るために必要な男性の心理とは、どんなものでしょうか?たとえば、以下です。この足跡をたどれば獲物がいる(パターン認識)。この獲物の糞はかすかに温かいので(触覚過敏)、まだ近くにいる(パターン認識)。湿気を感じるので(触覚過敏)、このあとに雨が降るだろう(パターン認識)。あの獲物は夕方この辺りによく来るから、夕方はいつもここで待ち伏せしよう(パターン行動)。獲物や天敵の鳴き声・足音にすぐに気付ける(聴覚過敏)。これらは、動物の習性や自然の変化へのパターン認識、食料をより確実に取るためのパターン行動です。そして、そのための感覚過敏です。ちなみに、動物の鳴き声や足音への敏感さは、現代では、車のエンジン音や電車の走行音を区別する興味に置き換わっています。ジュリアがパニックになった消防車の警笛音もその1つです。つまり、男性に進化した心理とは、システム化であることがわかります。逆に言えば、システム化が高くない男性は、プレゼントを用意できないため女性から選ばれることはなく、性淘汰されます。プレゼントを用意できた原始の時代の男性たちの子孫である現代の男性たちは、当然ながら無意識にも女性にプレゼントをあげたがります。逆に、女性は男性ほど異性にプレゼントをあげたがりません。だからこそ、システム化はもともと男性に備わっている心理であり能力なのです。そして、男性ホルモンが高いと、システム化が高くなるのです。逆に言えば、男性はプレゼントをあげる側なので、女性ほど共感性を高くする必要はなかったのです。次のページへ >>

2.

海外番組「セサミストリート」(続編・その3)【だから男性はこだわり女性は共感するんだ!だから人差し指の長さが違うんだ!(自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害の起源)】Part 2

(2)女性に進化する心理―共感性一方で、男性に選ばれるのは、プレゼントを毎回あげたくなるような女性でしょう。もちろん、無事に子供を産んでもらうために、見た目や肌が美しい(感染症の兆候がない)という身体的な特徴は重要です。これに加えて、必要な女性の心理とは、どんなものでしょうか?たとえば、以下です。男性の機嫌を察知する(感受性)。男性の声や動きをまねして合わせる(同調性)。男性にスキンシップをして気を惹く(操作性)。相手にされないと涙を見せる(操作性)。相手にされないと不安になる(見捨てられ不安)。相手にされないと嫌いになる(理想化と幻滅)。相手にされないと自分の頭や体を叩くなど、なりふり構わない行動をする(自傷を含む逸脱行動)。これらは、男性からのプレゼントをより確実にもらうためのアピール行動です。そして、そのための感受性です。つまり、女性に進化した心理とは、共感性であることがわかります。この共感性とは、同調性など気に入られるためのポジティブな共感です。不安・恐怖や嫌悪感など危険を避けるためのネガティブな共感は、約3億年前に哺乳類が誕生してから子供を守るために生まれ、約2千年前に類人猿が誕生してから群れでお互いを守るためにさらに進化しました。逆に言えば、共感性が高くない女性は、プレゼントをあげたいと思われないために男性から選ばれることはなく、性淘汰されます。プレゼントをあげたいと男性から思われる原始の時代の女性たちの子孫である現代の女性たちは、当然ながら無意識にも男性からプレゼントをもらいたがります。逆に、男性は女性ほど異性からプレゼントをもらいたがりません。だからこそ、共感性はもともと女性に備わっている心理であり能力なのです。そして、男性ホルモンが低いと、相対的に女性ホルモンが高くなり、共感性が高くなるのです。逆に言えば、女性はプレゼントをもらう側なので、男性ほどシステム化を高くする必要はなかったのです。以上より、プレゼントをあげる男性とプレゼントをもらう女性は、それぞれシステム化と共感性を性選択(性淘汰)によって進化させたと結論づけることができます。逆に言えば、1つの脳に両方とも進化させる必要がなかったのでした。そもそも、脳機能(脳容量)には限度があり、空間としてだけでなく性差として局在化したと捉えることができます。だからこそ、この両者は、主に男性ホルモンをパラメーターとしてトレードオフの関係になっていることがわかります。<< 前のページへ | 次のページへ >>

3.

海外番組「セサミストリート」(続編・その3)【だから男性はこだわり女性は共感するんだ!だから人差し指の長さが違うんだ!(自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害の起源)】Part 3

なんで自閉症は人差し指が短いの?人類は、プレゼントとセックスのやり取りという協力行動を通して、システム化と共感性に加えて、実は3番目の脳機能を進化させたと考えられます。それは、何でしょうか?たとえば、プレゼントのやり取りの時、女性はアピール行動の1つとして、プレゼントに視線を向けたり、「それちょうだい」という指差しをしたでしょう。当然ながら、人類誕生の初期は言葉を話しません。最初は注意を向けるために、プレゼントそのものに触れていたでしょう。そして、やがて触れなくても指を差した先を見るようになったでしょう。これは、指差し(意図共有)の起源です。人類に最も近いチンパンジーでも指差しはしないことから、これは、最初の人間らしさの1つです。そして、男性と女性の間にはプレゼントを介した関係(三項関係)が成り立ちます。やがて、指差しや視線のやり取りは、「またあれちょうだい」のように、お互いに見えていなくてもお互いが意図している何かをイメージするようになっていったでしょう。つまり、進化した3番目の脳機能は、象徴機能です。これは、身振りや言葉によって目の前にない(いない)ものを認識する能力です。詳しくは、関連記事1をご覧ください。ここで、ある仮説が立てられます。男性は、女性による指差しを理解する必要はありますが、プレゼントをそのまま持っているので、女性ほど指差しを実際にする必要がありません。つまり、その1でも触れたように、女性よりも男性が人差し指が短い(指比が小さい)のは、人類誕生初期からもともと指差しする人差し指を女性ほど使わなかったからであるという仮説を立てることができます。つまり、男性は女性ほど人差し指が目立って長くなるように進化しなかったということです。だからこそ、男性ホルモンの多すぎる超男性脳の自閉症は、男女ともに人差し指がさらに短く、実際に指差ししないという臨床症状があるのです。つまり、進化の視点で見れば、自閉症は指差ししないから、人差し指が短くなったと言えます。さらに言えば、自閉症は、言葉の遅れと同時に抽象的な思考が苦手なのも、共感性だけでなくこの象徴機能がうまく発達していないからであることもわかります。ちなみに、指差しする指が、最も長い中指や最も太い親指ではなく、人差し指である理由については、以下の2つの理由から説明できます。1つは、物をつかむ時に最も使って動かしやすいのは人差し指と親指だからです。親指が片端(起点)になっており、そこから遠くなる中指以降の指は沿える程度で動かしにくいです。もう1つは、実際に両腕を自然に前に差し出して両手を広げた時に、一番正面を向いていて差しやすい指は人差し指だからです。中指はやや外側を向いており、親指はかなり内側を向いており、差しにくいです。<< 前のページへ | 次のページへ >>

4.

海外番組「セサミストリート」(続編・その3)【だから男性はこだわり女性は共感するんだ!だから人差し指の長さが違うんだ!(自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害の起源)】Part 4

なんで情緒不安定性パーソナリティ障害は幼児期に発症しないの?超男性脳の自閉症と超女性脳の情緒不安定性パーソナリティ障害は、共感性とシステム化の脳機能の極端な偏りとして対照的です。それなのに、なぜ自閉症は幼児期に発症するのに情緒不安定性パーソナリティ障害は思春期に発症するというタイムラグがあり、発症時期も対照的にはならないのでしょか?実際に、このタイムラグのために、現在の精神医学では、これら両者はそれぞれ発達障害とパーソナリティ障害というまったく別々の精神障害のカテゴリーに分類されてしまっています。タイムラグが起きる答えは、情緒不安定性パーソナリティ障害は、共感性が高くなりすぎることで、自閉症のような不適応としてではなく、過剰適応として幼児期は潜在していると考えられるからです。つまり、幼児期に自閉症と同じようになんらかの変化は臨床的に確認できるということです。たとえば、以下です。親の顔色や体調の変化によく気付く。よく気が利いて、親の言うことをよく聞く。自分からお手伝いをする。親を喜ばせる振る舞いをする。嫌な思いをしても、我慢して取り繕う。めったに泣かず、手がかからない。これらは、高すぎる共感性によって、観察力と演技力という潜在能力を発揮しています。これを一言で言えば、いわゆる「良い子」です。「良い子」は子育てするには楽で、親からは望ましいと思われがちです。「良い子」(過剰適応)の心理の詳細については、関連記事2をご覧ください。しかし、ある状況で、「良い子」であることが裏目に出ます。それは、虐待をはじめとするマルトリートメント(不適切なかかわり)です。「良い子」である分、親に十分に構ってもらえなくても、「良い子」であり続けようとします。そして、必死で親に構ってもらおうとして、構ってもらえるかどうかに敏感になります。その後、女性ホルモンの放出が高まる思春期に、交際相手に構ってもらえるかどうかにも敏感になり、「プレゼント」(構ってもらえること)を過剰に求めるようになるのです。このような行動を駆り立てるのは、情緒不安定性パーソナリティ障害の中核症状である空虚感が当てはまります。よくよく考えれば、共感性が高いということは、その共感する相手がいなければいないほど当然空しさは増します。つまり、空虚感も、自閉症のこだわり(システム化)と同じように機能であると捉え直すことができます。問題は、それが過剰であるということです。たとえば、相手にしがみついて、巻き込もうとします。これは、「死にたい」「死んでやる」など、いわゆる「死にたいアピール」として表現されます。さらに、これが行動化したのが自傷です。このような不適応を起こすことによって、情緒不安定性パーソナリティ障害はようやく顕在化するのです。しかも、重度の場合は、共感性が高すぎる一方でシステム化が低すぎるために、周りに流されやすく、些細なことで傷つき、理屈が通じません。このような人が、占いなどのスピリチュアル系にハマりやすいのも納得が行くでしょう。なお、傷つきやすさの心理の詳細については、関連記事3をご覧ください。逆に言えば、自閉症をはじめとするシステム化の高い男の子は、良くも悪くも鈍く「良い子」になりません。そのため、構ってもらえないことに鈍感で、情緒不安定性パーソナリティ障害を発症しにくいとも言えます。行動遺伝学の研究において、情緒不安定性パーソナリティ障害への家庭環境の違いの影響についての直接的なデータはまだ見当たりません。しかし、この病態の中核症状でもある「自殺念慮」については、遺伝12%、家庭環境11%、家庭外環境77%と算出され、家庭環境の違いの影響が出ています2)。家庭外環境の比率が大きいことから、実際の失恋(恋愛関係)やいじめ(友人関係)などの影響が大きいことも考えられます。臨床的にも従来から、情緒不安定性パーソナリティ障害の要因として、マルトリートメント(家庭環境)が指摘されています3)。逆に、自閉症においては、遺伝80%、家庭環境0%、家庭外環境20%という結果が出ており、家庭環境の違いの影響はありません。つまり、マルトリートメントによって自閉症になることはないことがわかります。<< 前のページへ | 次のページへ >>

5.

海外番組「セサミストリート」(続編・その3)【だから男性はこだわり女性は共感するんだ!だから人差し指の長さが違うんだ!(自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害の起源)】Part 5

なんで自閉症はかんしゃくをよく起こすの?女の子は、共感性の高さから「良い子」になりがちであることがわかりました。逆に、男の子は、共感性の低さから「やんちゃ」になりがちです。そして、自閉症の場合は、さらにかんしゃくがよく見られます。それでは、そもそもなぜ自閉症はかんしゃくをよく起こすのでしょうか?その答えは、先ほどの「良い子」や定型発達の子供のようなポジティブなコミュニケーションが難しいため、代わりに極度に騒ぐというネガティブな「コミュニケーション」によって親の養育行動を引き出すように進化したからと考えられています1)。つまり、ポジティブであってもネガティブであっても、アピール行動としては適応的です。そもそも、人類が言葉を話すようになったのは進化の歴史ではごく最近の約20万年前です。自閉症(システム化)が生まれたのが人類初期の約700万年前と考えると、原始の時代、子供も大人も「騒いだもん勝ち」だったでしょう。育てやすい「良い子」や穏やかな人であることに価値が置かれるようになったのは、合理主義が広がった約200年前の産業革命以降の現代の価値観です。つまり、幼児期のかんしゃくは自閉症をはじめとする発達障害ならではの生存戦略であったことがわかります。ついでに言えば、情緒不安定性パーソナリティ障害の自傷(行動化)も「騒いだもん勝ち」の生殖戦略であったと言えます。人類進化の必然の産物であるわけは?実際に、自閉症も情緒不安定性パーソナリティ障害も、医学論文として症例報告されるようになったのは、20世紀前半で、ここ100年弱の話です。つまり、もともと原始の時代から受け入れられていたこの両者は、共感性とシステム化の両方がますます求められる高度な現代社会のなかでは「病」として問題視されるようになったのでした。これが、この記事の冒頭で触れた、この2つの病態は人類進化の必然の産物であるゆえんです。そして、実際の遺伝子研究において、この両者の遺伝子は多因子あることからも、より適応するための遺伝子を進化の歴史でこつこつと増やしていったということを物語っています。逆に言えば、ただの不適応を起こすものであれば、単一因子で十分なはずで、多因子である必要がないです。つまり、多因子であるということが、進化の過程で獲得していったという何よりもの証拠です。この点からも、自閉症と情緒不安定性パーソナリティ障害は、最初から「障害」であったのでなく、生存と生殖のための機能であり能力であったと言えるでしょう。ちなみに、約700万年前に人類が共感性とシステム化と一緒に進化させた象徴機能は、約10万年前に貝の首飾りを信頼の証とする概念化という脳機能にさらに進化したと考えられます。これが、統合失調症の起源です。この詳細については、関連記事4をご覧ください。1)進化と人間行動(第2版)pp.122-123, p.186:長谷川寿一ほか、東京大学出版会、20222)遺伝マインドp.58:安藤寿康、有斐閣、2011、※一卵性と二卵性の一致率のみの報告からそれぞれの比率をこの記事で算出3)標準精神医学(第8版)p.503:尾崎紀夫ほか、医学書院、2021<< 前のページへ■関連記事絵本「ねないこだれだ」【なんでお化けは怖いの?なんで親は子供にお化けが来るぞと言うの?(お化けの起源)】Part 1Mother(前編)【過剰適応】人間失格【傷付きやすい】[改訂版]映画「ミスト」 ドラマ「ザ・ミスト」(後編・その4)【実は双極性障害から進化したの!?(統合失調症の起源)】Part 3

6.

海外番組「セサミストリート」(続編・その2)【じゃあなんでコミュニケーションの障害とこだわりはセットなの?(共感)】Part 1

今回のキーワード知的障害社会的コミュニケーション症強迫性パーソナリティ障害情緒不安定性パーソナリティ障害超女性脳依存性パーソナリティ障害共依存折れ線型経過前回(その1)、自閉症の主な症状はコミュニケーションがうまくできないこと(社会的コミュニケーションの障害)とこだわりが強すぎること(反復性)であることがわかりました。そして、それぞれの脳機能は、共感性が低いこととシステム化が高いことであることがわかりました。さらに、その原因は、胎児期に男性ホルモンが多すぎていたからであるという有力な仮説(胎児期アンドロゲン仮説)をご紹介し、自閉症は超男性脳であることを説明しました。それでは、そもそもなぜ自閉症はコミュニケーションの障害とこだわりがセットで出てくるのでしょうか? また、定型発達においては、男の子よりも女の子の方が言語や心の理論の発達が早いです。それは、そもそもなぜなのでしょうか? さらに、自閉症は最初から言葉の遅れがあるのが典型的なのですが、いったん話していた言葉を途中から話さなくなるタイプもあります。なぜこのような奇妙な経過を辿るのでしょうか?今回(その2)も、海外番組「セサミストリート」のジュリアという自閉症のキャラクターを取り上げ、さらにある仮説をご紹介します。この仮説はこれらの謎を説明できてしまうと同時に、これらの謎はこの仮説の根拠にもなります。その仮説とは、共感性とシステム化は、それぞれ独立した脳機能でありながら、トレードオフ(一得一失)の関係になっているということです1)。これは、ゼロサム説と呼ばれています。ゼロサムとは、一方が増えた分、他方はその分減って、総和(サム)は一定(ゼロ)であるという意味です。だからコミュニケーションの障害とこだわりがセットなんだジュリアは、中等度の社会的コミュニケーションの障害と中等度の反復性の両方の症状が揃っており、典型的な自閉症です。実際の臨床でも、重度であればあるほど、両方の症状がほぼ一緒に見られます。この現象は、先ほどの仮説から説明することができます。まず、この2つの脳機能の総和を100とすると、ジュリアは共感性20とシステム化80と表されます。そして、重度の場合は、共感性10とシステム化90と表されます。ここで、総和が100を超える病態を仮定してみましょう。たとえば、共感性50(平均)とシステム化90のような重度のこだわりだけある病態です。しかし、実際の臨床でこのような病態は見かけません。つまり、総和が100を超える病態が存在しないことは、この仮説の根拠になります。それでは、逆に共感性10とシステム化50(平均)のような重度のコミュニケーションの障害だけの病態はどうでしょうか? 実は、この病態は、知的障害の診断でよく見かけます。つまり、総和が100を下回る場合は、全般的な脳機能の低下として、自閉症とは無関係に起こりうるため、この仮説には当てはまりません。一方で、症状が軽度の場合、片方だけはよく見かけます。たとえば、こだわりが軽度で日常生活に困るほど目立たず、コミュニケーションの障害だけが軽度でやや目立つというケースは、自閉症ではなく社会的コミュニケーション症と診断されます。逆に、コミュニケーションの障害が軽度で社会生活に困るほど目立たず、こだわりだけが軽度でやや目立つというケースは、自閉症ではなく強迫性パーソナリティ障害と診断されます。これら2つのケースとも、共感性30とシステム化70と表され、総和が100となり、この仮説に当てはまります。以上より、この仮説によって、こだわりが強くなればなるほど、連動してコミュニケーションがうまくできなくなることがわかります。だからこそ、コミュニケーションの障害とこだわりはセットになるわけです。以上から、この仮説に従い、共感性を横軸Xとしてシステム化を縦軸Yとしてグラフ化すると、グラフ1のように、X + Y = 100と表されます。そして、定型発達の男性は共感性40とシステム化60、女性は共感性60とシステム化40と表されます。重度の自閉症は、左上の端っこに位置づけられます。社会的コミュニケーション症と強迫性パーソナリティ障害は、やや左上の位置に位置づけられます。次のページへ >>

7.

海外番組「セサミストリート」(続編・その2)【じゃあなんでコミュニケーションの障害とこだわりはセットなの?(共感)】Part 2

だから男の子よりも女の子のほうが言語や心の理論の発達が早いんだ定型発達において、言葉を話し始める時期は1歳ですが、男の子よりも女の子のほうが1、2ヵ月早いです。また、相手の考えを推し量ること(心の理論)ができるようになる時期は4歳とされていますが、実は女の子は1歳早く3歳です。この性差も、先ほどの仮説から説明することができます。まず、自閉症は重度になればなるほどコミュニケーションをしようとしないことから言葉の遅れが出てきます。このことから、定型発達の男性を基準にすると、超男性脳の自閉症とは逆の方向にある定型発達の女性は、よりコミュニケーションをしようとするので言葉が早く出てきて、より相手の気持ちを推し量ろうとすると説明することができます。だからこそ、男の子よりも女の子のほうが言語や心の理論の発達が早くなるわけです。さらに考えれば、逆に共感性90とシステム化10でもう一方の右下の端っこにある、自閉症とは真逆の病態は何でしょうか?それは、情緒不安定性パーソナリティ障害(境界性パーソナリティー障害)という診断でよく見かけます。この障害の80%は女性であり、圧倒的に女性が多いという性差の点でも、この位置づけは整合性があります。そして、これは、超女性脳と呼ばれています2)。なお、この障害の詳細については、関連記事1をご覧ください。また、社会的コミュニケーション症や強迫性パーソナリティ障害とは対照的に、共感性70とシステム化30でやや右下の位置にある病態は、依存性パーソナリティ障害や共依存という診断でよく見かけます。社会的コミュニケーション症と強迫性パーソナリティ障害は女性よりも男性がかなり多いのに対して、依存性パーソナリティ障害と共依存は逆に男性よりも女性がかなり多いという性差の点でも、やはりこれらの位置づけは整合性があります。さらに、X + Y = 100の直線上において、それぞれの有病率をZ軸として、別にグラフ化すると、グラフ3のように男性と女性のそれぞれの正規分布で模式的に表すことができます。定型発達は当然ながら最も多いです。そして、システム化または共感性が高ければ高いほど、つまり超男性脳または超女性脳が極端であればあるほど、性差の偏りが出てきて、有病率が低くなっていくことを説明することができます。なお、共依存は、精神医学の正式な診断名ではないですが、臨床的にはよく見かけます。この詳細については、関連記事2をご覧ください。また、それぞれのパーソナリティ障害の基盤となるそれぞれのパーソナリティ特性の詳細については、関連記事3をご覧ください。<< 前のページへ | 次のページへ >>

8.

海外番組「セサミストリート」(続編・その2)【じゃあなんでコミュニケーションの障害とこだわりはセットなの?(共感)】Part 3

だからいったん話していた言葉を途中から話さなくなるタイプがあるんだ自閉症の20~25%で、1歳半から2歳頃に「ママ」「バイバイ」などいったん覚えた言葉を話さなくなり、コミュニケーションをしようとしなくなって自閉症と診断されるタイプがあります。これは、折れ線型経過と呼ばれています。知的障害のように、ただ発達の遅れがあるわけではないのです。いったん獲得した言語能力が失われてしまうので、一見奇妙に思われるのですが、この現象も先ほどの仮説から説明することができます。それは、共感性とシステム化がトレードオフの関係にあることから、発達の過程で両者の脳領域(ニューラルネットワーク)の奪い合いが起きており、そのせめぎ合いのさなか、システム化が途中から勢いを増して共感性の「領土」を奪ってしまったと説明することができます。男性ホルモン(テストステロン)の放出が高まるのは、胎児期(8~24週目)、乳児期(生後5ヵ月)、そして思春期の3つの時期です。乳児期の放出は、言葉を発する1歳前なので、その放出が多すぎてシステム化が高まり共感性が低くなるにしても、ただ愛着行動や言葉の発達が遅れているように見えるだけです。しかし、この放出が1歳を過ぎて遅れた場合、いったん言葉を話していたのに、その言葉を失ってしまうように見えてしまうのです。この現象の経過は、以下のグラフ4のように表すことができます。男女とも定型発達は真っすぐ伸びています。知的障害は、定型発達の数値には届きませんが、基本的に真っすぐです。一方の折れ線型は、途中までは定型発達と同じなのですが、その後にシステム化が90まで伸びきっていく分、その代償として共感性が20から10に落ちてしまいます。同じように考えれば、当然逆パターンもあります。当初、愛着行動や言葉の発達の遅れが見られて自閉症と診断されていたのに、その後に男性ホルモンの放出が下がったことで、システム化の発達が鈍くなる一方、共感性が伸びていき、最終的には定型発達と同じになるタイプです。実際の臨床では少なからず見られます。この記事では、これは「回復型」(グラフ4を参照)と名付けます。ただし、この現象は、折れ線型と違って臨床的にはほとんど注目されていません。その理由は、日常生活で困らなくなり、専門医療や療育の相談に来なくなるため、把握されにくいからです。それでは、そもそもなぜ男性はシステム化が高く、女性は共感性が高いのでしょうか?(次回に続く)1)ザ・パターン・シーカーp.84、p.88:サイモン・バロン・コーエン、化学同人、20222)愛着崩壊p.139:岡田尊司、角川選書、2012<< 前のページへ■関連記事私は「うつ依存症」の女【情緒不安定性パーソナリティ障害】だめんず・うぉ~か~【共依存】ちびまる子ちゃん【パーソナリティ】

9.

映画「クワイエットルームにようこそ」(その1)【なんで精神科病院に入院しなきゃいけないの?なんで閉じ込められたり縛られたりするの?(強制入院)】Part 1

今回のキーワード医療保護入院措置入院行動制限身体拘束隔離通信制限皆さんは、強制入院と聞くと何をイメージしますか? ちょっと怖いイメージでしょうか? それでは、なぜ強制的に入院させられるのでしょうか? さらに、なぜ病室に閉じ込められたり縛られたりするのでしょうか?今回は、強制入院をテーマに、映画「クワイエットルームにようこそ」を取り上げます。この映画は、精神科病院での入院生活の日常をポップでコミカルに描きながらも、実はさりげなく強制入院のあり方への疑問も投げかけています。まずは、医療監修の視点も加えて、ツッコミを入れながら解説してみましょう。なんで強制的に入院させられるの?主人公は明日香。28歳のフリーライター。ある時、目が覚めると、知らない白い部屋で自分が縛られていることに気付きます。そして、遠くで女性の叫び声が聞こえてきます。いきなり、ホラーな展開です。彼女はわけがわからず、不安におののきます。しばらくして看護師がやってきて、そこが精神科病院の閉鎖病棟であり、彼女は強制入院をさせられ、身体拘束をされていると聞かされます。まず、なぜ彼女は強制的に入院させられているのでしょうか? その理由(要件)を大きく3つ挙げてみましょう1)。(1)自他への不利益が差し迫っている明日香は、担当看護師から「アルコールと睡眠薬の過剰摂取によって昏睡状態になっているところを、同居人の方に発見されて、ここに来たんです」と聞かされます。1つ目の理由は、自他への不利益が差し迫っていることです。このような自分を傷つけること(自傷)のほかに、暴力など他人を傷つけること(他害)、摂食や排泄などの身辺自立が困難であること(自立不全)が挙げられます。(2)精神障害がある明日香は、酔った勢いで「私はひどい女」「私には価値なんかないんだから」と泣き叫び、同居人宅の2階から飛び降りようとしていました。また、救急病院で胃洗浄をされている時、「死なせてください」と言っていました。その後、意識が戻ったところで、担当看護師から「希死念慮にとらわれた気分変調症の疑いがあるって聞きましたけど。簡単に言えば、自殺願望ですね」と説明されます。2つ目の理由は、精神障害があることです。気分変調症は、うつ病や双極性障害と同じ気分障害の1つです。このほかに、統合失調症や認知症などが挙げられます。逆に言えば、ただの酔っ払い、ハンガーストライキ、純粋な犯罪など合理的な理由がある場合は、精神障害によるものではないため、強制入院の対象にはなりません。(3)判断能力が著しく低い明日香は、救急病院で胃洗浄の処置を受けますが、ベッドの空きがなかったために、意識が戻る前に精神科病院に転院となります。これは、かなりレアケースです。本来は、意識が戻ったところで、医師(多くは精神科医)が判断能力を評価し、精神科病院への転院が必要か判断します。3つ目の理由は、判断能力が著しく低いことです。これは自他に不利益となっている自覚がないことであり、明日香のような意識障害のほかに、認知機能障害、病識欠如が挙げられます。逆に言えば、自覚できて入院に同意している場合は、任意入院となり、強制入院にはなりません。また、たとえばリストカット(自傷)をするのはすっきりするだけのためと自覚して常習的にやっている場合(情緒不安定性パーソナリティ障害)や、悪酔いから覚めて我に返り謝罪や反省の弁を述べている場合(アルコール依存症)は、判断能力が保たれているため、外来通院は勧められますが、強制入院の対象にはなりません。次のページへ >>

10.

映画「チャーリーとチョコレート工場」【夢の国は「中毒」の国!?その「悪夢」とは?(嗜癖症)】Part 2

4人の子供たちはなんで脱落したの?-3つの嗜癖症先ほどの4人とチャーリーを含む5人の子供たちとその親が工場見学をするさなか、1人ずつトラブルに巻き込まれ、いなくなっていきます。そのたびに、従業員の小人たちがどこからともなく大群で現れ、その子供の問題点を歌とダンスで揶揄します。それでは、4人が脱落したわけをそれぞれの歌の歌詞から解き明かし、嗜癖症の視点で3つに分けて説明しましょう。(1)チョコレートにハマってやめられない―物質の嗜癖症チョコレート工場の内部には、公園があり、木、川、滝、そして地面の草のすべてがチョコレートでできていました。ウォンカから「川のチョコは素手で触らないで」言われますが、食いしん坊のオーガスタスは感激のあまり、その言いつけ(制限)を聞き入れず、それをすくって飲もうとして誤って川に落っこちます。そして、泳げないため、そのままチョコレートのパイプに吸い上げられ、チョコレートの加工部屋に流されてしまったのでした。その時の歌詞は「食い意地張った嫌われ者」でした。1つ目は、何かを体に摂取することにハマってやめられない、つまり物質の嗜癖症です。これは、彼のようなむちゃ食い症(摂食障害)のほかに、食べ吐き(摂食障害)、アルコール依存症、カフェイン依存症、ニコチン依存症、薬物依存症などが挙げられます。(2)買い物またはゲームにハマってやめられない―行動の嗜癖症何でも欲しがるベルーカは、工場でくるみ割りをするリスたちを見て感激し、ペットとして欲しがります。しかし、ウォンカから売り物ではないと言われたため、力ずくで手に入れようと、リスを捕まえます。すると、リスたちから反撃され、くるみの殻の焼却炉に通じるダストシューターの穴に落とされてしまうのでした。その時の歌詞は「鼻つまみ者」でした。ゲーマーでメカに詳しいマイクは、チョコレートを瞬間移動させる転送機を見て、それが実は大発明であることをウォンカに説きます。しかし、ウォンカはチョコレートの転送しか興味を示さず、マイクはそれに腹を立て、無謀にもゲーム感覚で自分が転送機の中に入ります。しかし、設定がうまく行っておらず、転送されたマイクは小さくなってしまったのでした。その時の歌詞は「心は空っぽ」でした。2つ目は、何かをすることにハマってやめられない、つまり行動の嗜癖症です。映画では描かれていませんでしたが、ベルーカのような買い物依存症(オニオマニア)は、手に入れたら興味を失い、また新しい何かを手に入れようとします。手に入る瞬間の快感や万能感を味わいたいために繰り返します。もはや、買うために買っている状態です。行動の嗜癖症は、この買い物依存症やゲーム依存症のほかに、ギャンブル依存症、ため込み症、抜毛症、醜形恐怖症、情緒不安定性パーソナリティ障害、窃盗症(クレプトマニア)、性嗜好障害(パラフィリア)、セックス依存症(ニンフォマニア)などが挙げられます。(3)ちやほやされることにハマってやめられない―人間関係の嗜癖症いつも1番が大好きなバイオレットは、工場の研究室で世界初となる「フルコースディナーが味わえるガム」の試作品を見つけます。そして、ウォンカから「まだ未完成だし、いくつかの点で問題が…」と忠告されたのに、それを振り切って食べてしまいます。すると、試作品の副作用で彼女の体はブルーベリーのように青紫に変色して大きく膨れ上がり身動きが取れなくなってしまったのでした。その時の歌詞は「噛んでばっかり」でした。3つ目は、人と何かでかかわることにハマってやめられない、つまり人間関係の嗜癖症です。これは、彼女のような「承認中毒」のほかに、「正義中毒」(過剰バッシング)、ミュンヒハウゼン症候群(作為症)、共依存、ひきこもり、モラルハラスメント・DVなどが挙げられます。なお、嗜癖症とは、あることが好きになりやめられなくなり困ってしまう病態です。やめられる(コントロールできる)なら単純な嗜癖、できないなら嗜癖症と区別します。なお、世界保健機関(WHO)の診断基準(ICD-11)ではDisorders due to substance use or addictive behaviors、米国精神医学会の診断基準(DSM-5-TR)ではAddictive Disorderとそれぞれ表記され、依存症を包括しています1,2)。また、表2のそれぞれの疾患は、厳密には別の疾患グループに分類されているもの(※と表示)や、エビデンス不足で疾患概念としてまだ確立していないもの(※※と表示)もありますが、この記事では嗜癖の要素を踏まえて「嗜癖症スペクトラム」としてまとめています。※の表示:厳密には別の疾患グループに分類されているもの※※の表示:エビデンス不足で疾患概念としてまだ確立していないもの<< 前のページへ | 次のページへ >>

12.

昼顔【不倫はなぜ「ある」の?どうすれば?】Part 1

今回のキーワードモラルハザード愛着形成承認欲求信頼関係モラル脳生殖戦略精子競争社会構造みなさんは、誰かの不倫が気になりますか?最近、芸能人や政治家たちへの報道によって、不倫はますます注目されています。なぜ不倫をするのでしょうか?逆に、なぜ不倫をしないのでしょうか?そもそもなぜ不倫は「ある」のでしょうか? だとしたら不倫はして良いのでしょうか?けっきょく、どうすれば良いでしょうか?これらの疑問に答えるため、今回は2014年のドラマ「昼顔」を取り上げます。このドラマの続編は2017年夏に映画として公開されています。不倫とは?主人公の紗和は、夫と平凡に暮らす結婚5年目の主婦。夫とはセックスレスで子どもはいません。一方、最近、紗和の近所に引っ越してきた利佳子は、裕福な夫と2人の娘と何不自由なく暮らしながら、遊び感覚で不倫を楽しむ人妻です。紗和は、利佳子に仕向けられたこともあって、たまたま知り合った近所の高校教師の裕一朗と惹かれ合いながら、やがて本気の恋愛に発展していきます。裕一朗も結婚2年目で子どもはおらず、いわゆる「ダブル不倫」の関係です。紗和、利佳子、裕一朗のように、不倫とは、婚姻関係にあるパートナー以外の人とセックスをすることです。ちなみに、浮気とは、婚姻関係だけでなく恋人関係にあるパートナー以外の人とセックスをすることであり、より広い意味合いになります。また、紗和と裕一朗のように恋愛の要素が強い場合は「婚外恋愛」と呼ばれ、利佳子のようにセックスの要素が強い場合は「婚外セックス」と呼ばれることはありますが、セックスをしているという点では、同じく不倫です。なぜ不倫をするの?なぜ不倫をするのでしょうか? 彼らを通して、その危険因子を環境因子と個体因子に分けて、整理してみましょう。(1)不倫の環境因子不倫の環境因子として、夫婦の片方または両方が離れていることが考えられます。その距離を3つに分けてみましょう。1)物理的に離れている紗和の夫は、残業や出張を理由に、平日の夜や休日に紗和といっしょにいる時間をあまりつくろうとはしていません。裕一朗の妻は、大学の准教授になるほど仕事熱心で、家事は裕一朗に任せて、裕一朗との時間は二の次になっています。また、紗和がパートの仕事をしているのに対して、利佳子は完全な専業主婦で、平日午後3時から5時の間の時間を持て余しており、自由に使えるお金がある程度あります。不倫の環境因子の1つ目は、夫婦の物理的な距離です。言い換えれば、夫婦でいっしょにいる時間をつくるのが難しくなっていたり、怠っている状況です。夫の単身赴任、妻の妊娠中の里帰りなどもそうです。2)心理的に離れている紗和の夫は、紗和よりもペットのハムスターのことばかり気に掛けています。裕一朗の妻は、子作りのタイミングなど自分の考えや気持ちを一方的に伝えるだけで、裕一朗の考えや気持ちを聞こうとはしていません。また、利佳子が紗和に言ったのが「3年も経てば、夫は妻を冷蔵庫同然にしかみなくなる。ドアを開けたらいつでも食べ物が入っていると思っている。壊れたら不便だけど、メンテナンスもしたことがない」というあきらめのセリフです。利佳子と彼女の夫の間にあるのは、信頼関係ではなく、力関係であることが分かります。不倫の環境因子の2つ目は、夫婦の心理的な距離です。言い換えれば、夫婦がお互いを大事にするのを怠っている状況です。結婚という制度は、簡単には離れられないという安心感が得られる一方、それに甘んじて、結婚生活での相手の不満への歩み寄りを怠ってしまうという倫理的な危うさがあります(モラルハザード)。一方的な経済支援をする利佳子の夫はとても傲慢になり、家事を独占する利佳子はとても堕落しています。3)性的に離れている紗和の夫は、子どもがいないにもかかわらず、紗和が望んでいないにもかかわらず、紗和を「ママ」と呼び、自分を「パパ」と呼ばせています。また、紗和は姑から急かされたこともあり、子作りをしようと夫を誘いますが、夫は避けています。夫は、「家族になったんだよ」「愛情がないわけではない」ということを強調して、セックスをしない理由付けをしています。毎晩、夫が紗和と手をつないで寝る儀式からほのめかされるのは、紗和は夫の母親代わりの「ママ」として見られていても、もはや女性としては見られていないようです。不倫の環境因子の3つ目は、夫婦の性的な距離です。言い換えれば、体の温もりや喜びを通して夫婦がお互いを大事にする行為を怠っている状況です。セックスは、単にお互いの性欲を満たすだけでなく、愛情や信頼関係を確かめるための重要なコミュニケーションです。(2)不倫の個体因子不倫の個体因子として、夫婦の片方または両方に満たされないものがあることが考えられます。その不足を3つに分けてみましょう。1)性欲が満たされない利佳子は、出会い系サイトを利用して、不特定多数の男性とセックスを繰り返しています。夫は利佳子に「おれの言うとおりにしてたら間違いない」「おまえはおれの稼ぎで生きている」と言うなど傲慢であり、たとえセックスをしたとしても、利佳子が満たされるセックスにはならなさそうです。不倫の個体因子の1つ目は、性処理の不足です。言い換えれば、夫婦の性欲に極端な差があることです。例えば、夫婦の力関係などによって、夫のセックスが一方的で妻の性欲が満たされない状況です。または、妻がセックスに淡泊で、夫の性欲が満たされない状況です。特に男性は性欲が満たされない場合、風俗店を利用する風俗不倫が多いです。なお、性欲が強すぎる極端な状態で、社会生活に差し障りがある場合は、セックス依存症と呼ばれます。2)愛情欲求が満たされない紗和の夫が紗和と夫婦の距離を縮めようとしないのは、そもそも彼の生い立ちに原因があることがほのめかされています。彼の父親もまたかつて不倫をしていて、彼は、母親が嫉妬で嘆き悲しみ、あきらめているのを見てきたのでした。彼には、夫婦としてお互いを大事にするというモデルがそもそもないのです。どうして良いかわからず、結果的に、夫婦関係を深めることを避けてきたのです(愛着回避)。また、彼は、積極的な女性部下に押されて、紗和と同じく不倫に近い関係に至っています。その女性部下は、「既婚者専門」と言い、言い寄っていくのです。なぜ彼女は「既婚者専門」なのでしょうか? ストーリーの中では明かされていませんが、最初から不倫を望む人の根っこの心理には、他人への不信感と自尊心の低さがあります。つまり、本当は選ばれたいけれど、選ばれないという結果が怖くて(見捨てられ不安)、それを避けるため、最初から選ばれないことを前提にした関係を望んでしまうのです。けれども、やはり選ばれたいという欲求が強くなってしまえば、結果的に相手にのめり込んでしまい、不安定になります(愛着不安定)。不倫の個体因子の2つ目は、安定した愛着形成の不足です。言い換えれば、特別に相手を選び、特別に自分が選ばれることによって、相手を大事にすると同時に自分が大事にされるという信頼関係を深めることがうまくできず、愛情欲求が満たされない状況です。さらに、最近の研究では、愛着形成のしやすさは、生育環境だけでなく、遺伝的傾向もあることが分かってきています(バソプレシン受容体)。性欲と同じように、愛着形成にも個人差があると言えるでしょう。なお、愛着回避型と愛着不安定型が極端な状態で、社会生活に差し障りがある場合は、それぞれ回避型パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害(情緒不安定性パーソナリティ障害)と呼ばれます。3)承認欲求が満たされない利佳子は、「夫が自分を愛していないことを知ってるの」「私のことを見てくれる人がいなきゃ生きてる意味ない」と言っています。彼女は、好き勝手で奔放に見えますが、自分が夫から生身の女性として扱われていないことに寂しさや空しさを感じています。不倫の個体因子の3つ目は、承認の不足です。言い換えれば、夫が女性としての妻に無関心となり、妻は自分の女性としての価値が認められていない、承認欲求が満たされていない状況です。不倫をすることで、その欲求を満たそうとしたり、紛らわそうとしています。なお、この承認欲求が強すぎる極端な状態で、社会生活に差し障りがある場合は、自己愛性パーソナリティ障害と呼ばれます。なぜ不倫をしないの?紗和も裕一朗も、不倫の関係になっていることに葛藤し、強い罪悪感にさいなまれています。利佳子も、夫に対しては必死に不倫を隠し通そうとしています。彼らのように、なぜ不倫をしないようにしようとするのでしょうか? そして、不倫をしてしまったら、なぜ隠すのでしょうか?これまでは、なぜ不倫をするのかという問いへの答えが分かってきました。それでは、逆に、なぜ不倫をしないのでしょうか? そして、なぜ不倫をする人をよく思わないのでしょうか? まとめると、なぜ私たちは一夫一妻制を好むのでしょうか? その答えを、進化生物学的に考えてみましょう。私たちヒトは、近縁の種であるチンパンジーやゴリラとの共通の祖先から数百万年以上前に分かれて、進化しました。チンパンジーは不特定のオスと不特定のメスが生殖を行う乱婚型(多夫多妻型)に、ゴリラは特定の1頭のオスと特定の複数のメスが生殖を行うハーレム型(一夫多妻型)になりました。その違いの起源は生活環境です。チンパンジーはエサが豊富で密集していたのでオスとメスが出会いやすいのに対して、ゴリラはエサが少なく散在していたので出会いにくいことが考えられています。そして、ヒトは、特定のオス(男性)と特定のメス(女性)が生殖(セックス)を行う一夫一妻型になりました。その起源は性別分業です。ヒトは、二足歩行をするようになったことで、手が自由になり、食料を余分に運ぶことができるようになりました。そして、男性が食料を調達し、女性がその見返りにセックスを受け入れ、その男性との子どもを育てるという性別で役割を分業するようになりました。これが家族の始まりです。やがて、家族が血縁によっていくつも集まって100人から150人の大家族の村(生活共同体)をつくるようになりました。これが、社会の始まりです。ここから、家族や社会をつくったヒトの心(脳)の進化の歴史を踏まえて、なぜ不倫をしないのかの問いへの答えを、3つに整理してみましょう。1)夫婦の信頼関係を壊す紗和の不倫騒動で、夫は、けっきょく「何で一番そばにいる人の気持ちが分からないんだろうな」とつぶやき、離婚を決意します。夫は紗和を信頼できなくなっていたのでした。不倫をしない理由の1つ目は、夫婦の信頼関係を壊すからです。言い換えれば、夫婦関係を維持するためには、夫婦がお互いとだけセックスするとお互いに信じている必要があるからです。そうしなければ、例えば夫が不倫して別の女性に食料を渡した分、妻の食料の取り分が減り、妻の生存が危うくなります。一方、妻が不倫して別の男性からのセックスを受け入れた分、夫の子どもができる可能性が減り、夫の生殖が危うくなります。2)子どもとの信頼関係を壊す利佳子が家を出て行ったあと、代わりに家政婦さんが子どもたちのお世話をしています。訪ねてきた紗和に長女は「不倫した人がつくったご飯よりも家政婦さんのご飯の方が100倍おいしい」と叫んでいます。裕一朗の教え子は、ある事件を起こしたきっかけとして「おれ、(不倫の末にいなくなった)母親のことがあるから、大人が薄汚く見えるんだよね」「(捨てられると)生まれちゃった方はいい迷惑なんだよ」と言っています。彼の自尊心は傷付いていました。不倫をしない2つ目の理由は、子どもとの信頼関係を壊すからです。言い換えれば、子育てに責任を持つためには、父親と母親がはっきりしている必要があるからです。そうしなければ、父親が不倫して別の女性に食料を渡した分、子どもの取り分が減り、子どもの生存が危うくなります。また、母親が不倫して別の男性からのセックスを受け入れた分、父親がはっきりしなくなり、食料が確保できる可能性が減り、子どもの生存が危うくなります。結果的に、紗和の夫や夫の同僚女性のように、その子どもが成長して大人になった時に親と同じように他人と安定した信頼関係を築きにくくなる危うさもあります。3)社会との信頼関係を壊す裕一朗の上司である校長は「(不倫は)相手の家族に迷惑がかかる」と心配しています。不倫を知った裕一朗の妻が紗和のパート先に不倫の事実をバラしたことで、紗和は職場に居づらくなり、退職を迫られます。不倫をしない3つ目の理由は、社会との信頼関係を壊すからです。言い換えれば、村の秩序を維持するためには、男性と女性がお互いにセックスする相手を特定している必要があるからです。また、そうするように私たちの心(脳)は進化してきました(モラル脳)。例えば、結婚式という儀式によって、村人たちの前で、夫婦は「永遠の愛」を誓います。自分ではなくても、村の誰かが不倫をしているということを知ったら、とても気になり、好ましくは思いません。そうしなければ、不倫をされた妻の生存が危うくなったり、不倫をされた夫の生殖が危うくなることで、安定した社会の維持が危うくなります。ただし、例外があります。それは、身内やとても親しい友人が不倫をしている場合です。この時、私たちは、逆に、味方になり応援をすることもあります。そのわけは、身内であれば、自分たちの血縁(遺伝子)がより生き残るように動機付けられるからです。また、親しい友人であれば、不倫への懲罰欲(モラル脳)よりも、友情の心理(これもモラル脳の1つ)が上回るからであると言えるでしょう。次のページへ >>

13.

重度な精神疾患+物質使用障害、自殺リスクへの影響

 重度の精神疾患患者における物質使用障害(SUD:substance use disorder)と自殺や自殺企図との関連性について、デンマーク・コペンハーゲン大学のMarie L D Ostergaard氏らが評価を行った。Addiction誌オンライン版2017年2月13日号の報告。 時間変動を共変量して、SUDの調整されたCox回帰を用いた、デンマークにおけるレジストリベースのコホート研究として実施した。対象者は、1955年からデンマークで生まれた統合失調症患者3万5,625例、双極性障害患者9,279例、うつ病患者7万2,530例、パーソナリティ障害患者6万3,958例。アルコールおよび非合法物質のSUD治療、自殺企図は、治療レジストリより確認した。自殺は、死亡原因レジストリより確認した。共変量は、診断時の性別および年齢とした。 主な結果は以下のとおり。・いずれかのSUDを有する患者は、非SUDと比較して、自殺リスクが3倍以上であった。・アルコールの乱用は、ハザード比(HR)1.99(95%CI:1.44~2.74)~2.70(95%CI:2.40~3.04)のすべての集団において、自殺リスク増加と関連していた。・他の非合法物質は、双極性障害を除く集団において、自殺リスクの2~3倍の増加と関連していた。大麻は、双極性障害患者における自殺企図リスクの増加とのみ関連していた(HR:1.86、95%CI:1.15~2.99)。・アルコール(HR:3.11[95%CI:2.95~3.27]~3.38[95%CI:3.24~3.53])および非合法物質(HR:2.13[95%CI:2.03~2.24]~2.27[95%CI:2.12~2.43])は、それぞれ自殺企図と強い関連性を示した。・大麻は、統合失調症患者の自殺企図とのみ関連していた(HR:1.11、95%CI:1.03~1.19)。関連医療ニュース 双極性障害の自殺企図、“だれ”よりも“いつ”がポイント 日本成人の自殺予防に有効なスクリーニング介入:青森県立保健大 自殺念慮と自殺の関連が高い精神疾患は何か

14.

ADHD女児に併存する精神疾患は

 ADHD児は、併存する精神疾患リスクが高い。ADHDは、女児で最も一般的な小児疾患の1つであるにもかかわらず、男児と比較し、臨床的相関が少ないと考えられている。米国・カリフォルニア大学のIrene Tung氏らは、女児における、ADHDの有無と内在的(不安、抑うつ)、外在的(反抗挑戦性障害[ODD]、行為障害[CD])精神障害の併存率をメタ分析により要約した。Pediatrics誌2016年10月号の報告。 女児における、ADHDの有無と精神疾患を調査した研究を、PubMed、Google Scholarより検索を行った。18件(1,997例)の研究が、選択基準を満たし、メタ分析のための十分なデータを有していた。利用可能なデータより、各併存疾患のオッズ比を算出した。患者背景(たとえば、年齢、人種/民族)と研究特性(たとえば、参照ソース、診断方法)はコード化された。 主な結果は以下のとおり。・ADHD女児は、そうでない女児と比較すると、各併存疾患を評価したDSM-IVの診断基準を満たす可能性が有意に高かった。・相対オッズは、内在的障害(不安:3.2×うつ病:4.2×)と相対し、外在的障害(ODD:5.6×、CD:9.4×)で高かった。・メタ回帰では、より若年、クリニック受診の女児において、複数の診断方法を用いた研究より不安に対するより大きなADHDのエフェクトサイズが明らかとなった。ODDは、診断提供情報に基づいて変化した。 著者らは「ADHD女児は、頻繁に外在的および内在的障害を併発している。今後の研究の優先順位を検討し、ADHD女児の併存精神疾患に対する介入の影響を考える必要がある」としている。関連医療ニュース 自閉症とADHD症状併発患者に対する非定型抗精神病薬の比較 日本でのADHDスクリーニング精度の評価:弘前大学 ADHDに対するメチルフェニデートは有益なのか

15.

ツレがうつになりまして。【うつ病】

今回のキーワード診断基準危険因子進化医学偏桃体社会脳かかわり方うつ病とは?皆さんの周りに、うつ病で休んでいる人はいますか? またはみなさんの中にうつ病で休んだ人はいますか? 今やうつは、日本だけでなく、世界的にも広がりを見せています。「なぜ現代にうつ病は増えているの?」「なぜうつ病になるの?」という疑問を率直に持つ人も多いでしょう。今回は、さらに踏み込んで、そもそも「なぜうつ病は『ある』の?」というところまで迫ってみたいと思います。そして、そこから、うつ病を良くして、防ぐヒントを探っていきましょう。今回、取り上げるのは、2011年の映画「ツレがうつになりまして。」です。ほのぼのとした絵のタッチの原作マンガのカットが映画の要所で織り交ぜられ、とても心温まる夫婦の愛と成長が描かれています。また、うつ病の人へのかかわり方のエッセンスが詰まっていて、とても勉強になります。うつ病にはどんな症状がある?―診断基準(表1)主人公のハルさんは売れない漫画家で、そのツレ(夫)の幹男はサラリーマン。この夫婦とペットのイグアナとの3人で暮らしています。結婚5年目のある時、ツレの様子が変わっていきます。ツレは「何だか食欲がないんだ」「体がダルいし」「何もできない」と打ち明けます。促されてようやく受診した病院では、医師からうつ病と診断されます。「うつとは気分が落ち込んだ状態」「普通は気持ちを切り替えたり割り切ったりして、落ち込んだ状態から脱するわけですが、それを自力ではできなくなってしまっている状態」と説明されます。薬の治療が始まりますが、その後、良くなったり悪くなったりを繰り返します。「こんな飼い主でイグ(ペット)に申し訳ないよ」「ハルさんのマンガが売れないのも全て僕のせいだ」と言い出します(罪業妄想)。そして、涙を流し、自殺を試みるのです。ツレの様子は、以下のうつ病の診断基準に照らし合わせると、9項目のほとんどを満たしています。表1 うつ病の診断基準(DSM-5) 感情意欲思考項目(1)抑うつ気分(2)無関心(興味・喜びの喪失)(3)体重変化(食欲)>5%/月(4)睡眠障害(不眠or過眠)(5)精神運動焦燥or精神運動制止(6)疲労感(無気力)(7)無価値感、罪責感(8)思考抑制(思考制止)(9)自殺念慮、自殺企図備考(1)か(2)必須9項目中5項目以上がほとんど毎日(ほとんど1日中)(9)については反復するだけで満たされる症状の持続は2週間以上なぜうつ病になるの?―危険因子(表2)(1)環境因子ツレは、外資系のパソコンサポートセンターに勤務しています。仕事をバリバリこなすデキるサラリーマンで、最近のリストラで生き残った数少ない1人でした。もともとの仕事の激務に加え、リストラ後の職場環境の変化、毎日の満員電車での通勤などストレス負荷が強まっていることが分かります。また、ツレは、パソコン操作に苦労する顧客の「できないさん」から度々、理不尽なクレームを付けられます。さらには、「できないさん」からツレの応対へのクレームの手紙が社長にまで行ってしまい、ツレは上司から「センター全体の査定に響く」と理不尽に問い詰められます。上司は、クレームの詳細を確認せず、一方的に部下のツレのせいにします。けっきょく、ツレは上司にも顧客にも謝罪しています。これは、人間関係のストレスです。職場で、競争や評価にさらされて味方や頼れる人がいない中、家でも、当初ハルさんはツレがうつうつとしていても、寄り添う雰囲気にはなっていません。食欲がないツレに「どうせ私の料理はまずいよ」とふてくされたり、「治す気がないから治んない」と言い捨てています。ツレは周りの助け(ソーシャルサポート)がないまま孤立していました。(2)個体因子ツレは、毎朝、自分でお弁当を作ります。入れるお気に入りのチーズは曜日によってあらかじめ決めています。締めるネクタイも曜日によって決まっています。「できないさん」のクレームの文書にツレの名前が間違って表記されていた時、ツレは「人の名前ですから間違ってもらったら困ります」と「できないさん」につい言ってしまいます。同僚の若者が、仕事や人間関係の愚痴を吐いていると「お客様の悪口は言わない」「適当じゃだめだよ」とたしなめます。ツレのもともとの性格(病前性格)は、一言で言えば、生真面目で几帳面すぎます(執着器質)。いつもきっちりしていないと気がすまないのです。その性格で、仕事を抱え込み、責任を全てかぶり、自分で自分を追い込んでもいます。物事のとらえかたが偏っていると言えます(認知の偏り)。一方、同僚の若者は、「(クレームの顧客は)何でもすぐに分からない、できないって電話する前に自分の頭で考えろって」「(退職する同僚の送別会は)マジかったるくないですか」と愚痴を吐きます。ツレが食べないお弁当をもらっておきながら、チーズは苦手だと言い、端に避けています。彼は、おおざっぱで図々しくもあります。ツレとは性格が対照的です。うつ病の危険因子として、認知の偏り(病前性格)を挙げました。性格(パーソナリティ)は厳密には生育環境因子も絡んでいますが、ここではこれを除いた遺伝的要素に注目してみましょう。そもそも多くの病気には複数の遺伝子(多因子)が絡んでいます。1つ1つは生存に有利でも、それらが組み合わされると、生存に不利になりえます。例えば、「真面目な遺伝子」「敏感な遺伝子」「慎重な遺伝子」のそれぞれは生存に有利ですが、これらの遺伝子が集積すると、まさにこの映画のツレのようになり、生存に不利になってしまいます。つまり、うつ病になりやすい人となりにくい人が遺伝的にいるということです。その他、ホルモン変化があげられます。ライフサイクルにおいて、特に女性は、妊娠や出産で女性ホルモンが劇的に変化して、マタニティブルーズからの産後うつ病になるリスクがあります。また、男性も含めて、更年期や加齢によるホルモンの減少から、うつ病のリスクが高まります。表2 うつ病の危険因子個体因子環境因子遺伝的要素認知の偏り(病前性格)ホルモン変化妊娠、出産、更年期、加齢などストレス負荷過重労働、環境変化、人間関係など周りの助け(ソーシャルサポート)の乏しさ(孤立)なぜうつ病は「ある」の?―進化の代償これまで、「なぜうつ病になるのか?」といううつ病の直接的な危険因子(直接要因)を見てきました。それでは、そもそもなぜうつ病は「ある」のでしょうか? その答えは、うつ病は、私たちが進化の過程で手に入れた脳の働きの負の側面であるからです。つまり、進化の代償です。これから、このうつ病の起源(究極要因)である主に4つの脳の働き(能力)を、進化医学的に詳しく探っていきましょう。(1)無理にがんばる能力―「がんばりすぎ脳」1つ目は、無理にがんばる能力です。その起源は、5億年前に遡ります。当時、まだ魚であった私たちの祖先に、「危険感知センサー」(偏桃体)が進化しました。これは、天敵がやってきたり環境が変わるなどで身に危険が及びそうになった時に、作動(興奮)します。すると、危険から逃げたり敵と戦ったりするために体を活性化させるストレスホルモン(コルチゾールなど)が分泌されます。そして、交感神経が高まり、攻撃性(不安)や活動性(焦燥)が増えるのです。しかし、このストレスホルモンには、欠点がありました。それは、分泌がある一定期間なら、いつもよりも脳は働き続けるのですが、分泌が長期間続くと、脳の神経ネットワーク(樹状突起)が消耗してしまい(BDHF生成の減少)、逆に脳が働かなくなるのです。例えるなら、脳が全速力で走り続けて息切れをしている状態です。実験的に、魚(ゼブラフィッシュ)がずっと天敵(リーフフィッシュ)に食べられることなく追われ続けるという特殊な生態環境をつくったところ、最初は必至に逃げ回っていたのに、やがて、じっとして動かなくなる様子、つまり魚のうつ状態が確認されています。現代の私たち人間に当てはめれば、ノルマ(過重労働)や環境変化という「敵」に対して、疲れても休めず、無理にがんばり続けると(過剰適応)、不安や焦燥が強まります。そして、その後に力尽きて、うつ病になってしまうということです。本来は、無理にがんばる能力が進化したわけで、それ自体は適応的なのですが、問題はその能力に期限があり、その期限を超えると、その後に長期間、普通にがんばれなくなってしまうということです。つまり、うつ病は、一時的に無理にがんばることができるようになった進化の代償と言えます。また、このストレスホルモンの分泌には、遺伝的な個人差があるようで、特にそれほどストレスがないのに、ストレスホルモンが誤作動を起こして分泌される場合もあります。だから、明らかなストレスがないのに、うつ病になる患者もいるというわけです(内因性)。(2)群れ(集団)をつくる能力―「上下関係脳」2つ目は、群れ(集団)をつくる能力です。その起源は、2000万年前に遡ります。当時、類人猿となった私たちの祖先は、天敵から身を守るなど個体の生存に有利になるため、群れ(集団)をつくるように進化しました。この時、集団としてより機能的になるために、ヒエラルキー(上下関係)を築く心理(習性)も同時にできました。例えば、猿山の猿たちをイメージしてみましょう。ボス猿は、大きな態度をとり、下っ端の猿にひれ伏す態度を求め、地位を維持しようとします(進軍戦略)。一方、下っ端の猿は、目線を合わせずにひれ伏し、こわばらせて大人しい態度をとり、被害を最小にしようとします(退却戦略)。また、自分よりも強い猿によってボスの座を奪われた元ボス猿は、態度が急変して元気がなくなります。体力が残っていても、もはや再び反撃することはありません。このように、集団において、より優位な個体はより高揚的(支配的)になり、より劣位な個体はより抑うつ的(服従的)になります(ランク理論)。言い換えるなら、集団の中で、食糧や繁殖パートナーなどの自分のなわばり(資源)が奪われ不利になった時に、大人しくして歯向かわない自分を周りに見せること(服従の信号)、これがうつとも言えます。うつは地位(資源)の喪失によって生じるストレス反応でもあります。現代の私たち人間に当てはめれば、命令をされ続けたり、謝罪をさせられ続けたりするなどの人間関係のストレスによって自己評価(地位)が低まります(自尊心の喪失)。すると、意識せず意図せずに、抑うつ(服従)の心理が高まるわけです。例えば、現代で一番価値が置かれる資源はお金です。よって、「(ある程度あるはずなのに)お金がない」と思い込むこともあります(貧困妄想)。また、その次に価値の置かれる資源は、人にもよりますが健康が多いでしょうか。そこで、「(特に大病があるわけではないのに)不治の病にかかっている」と思い込むこともあります(心気妄想)。さらに、現代の人間関係は、常に評価にさらされ、より競争的で勝ち負けや格差がはっきりしていたり、また職業的に気を使ったり謝ることが増えています。「上下関係」脳が刺激されやすくなっており、うつ病を引き起こしやすいのです。つまり、うつ病は、集団をつくることができるようになった進化の代償と言えます。特に、男女差で見た場合、男性の方が女性よりもうつ病による自殺既遂率が高いです。この理由は、男性の方が、地位(仕事)や繁殖のパートナー(恋愛)などの資源の奪い合いで闘争をより行うため、上下関係をより意識して、その地位の喪失をより感じる傾向があるからではないでしょうか。例えば、退職後にうつ病のリスクが高まります。(3)集団でうまくやっていく能力―「つながり脳」3つ目は、集団でうまくやっていく能力です。その起源は、300万年以上前に遡ります。当時、ようやく人類となった私たちの祖先は、草原で天敵から身を守ると同時に、食糧を手に入れるなどして協力して生き残るために、より大きな集団をつくるように脳が進化しました。この時、集団でうまくやっていく能力(社会脳)が進化しました。それは、周り(相手)を打ち負かそうとするもともとの競争の心理だけでなく、周り(相手)と仲良くなろうとする協力の心理でもあります。そしてこの2つの心理をうまく使い分け、バランスをとることです。例えば、協力するために、周りと同じ動きをすることで心地良くなります(同調)。また、周り(相手)の気持ちを察することです(心の理論)。さらには、集団の一員として認められるために、役割を全うして役に立とうとすることです(承認)。そのために、集団で価値の置かれること(集団規範)を重んじる性格傾向になることです。それが極端なのが、映画のツレの性格でもある「真面目で几帳面」です(執着気質)。逆に言えば、周りから相手にされなかったり、一人ぼっちになると、ストレスを感じることでもあります。その感覚が、「自分はだめだ」「自分は役立たずだ」という無価値感や自責感です。そこから「周り(社会)に迷惑をかけている」と極端に思い込むこともあります(罪業妄想)。このように、集団において、つながりが強まるとより心地良く感じ、つながりが弱まったりなくなるとより心地悪くなります(愛着理論)。この心地悪さを、私たちは悲しみと呼んでいます。このつながる先は、心のよりどころ(愛着対象)であり、一番は家族です。言い換えるなら、家族を初めとする集団のつながりを失った時に、その人が悲しみ続けること、これもうつと言えます。うつはつながり(人間関係)の喪失によって生じるストレス反応でもあります。このストレスを感じなかった種は、一人ぼっちのままで、生存率や繁殖率を極端に低め、子孫を残せません。現代の私たちに当てはめると、家族を含む自分の味方(仲間)がいることに安心する一方、逆にその味方がいなくなったり(死別反応)、自分が仲間外れにされると、悲しみを感じます。例えば、いじめ自殺への介入が難しい点は、いじめ被害者が抑うつ的になり、「疎外は嫌だ」「孤独は嫌だ」と思い、必死になっていじめ加害者の言いなりになり、いじめを被害者が隠そうとしてしまうことです。そして、いじめがますますエスカレートしてしまうことです。また、現代は、都市化や核家族化が進み、その人間関係は希薄化や孤立化が進んでいるとよく言われます。「つながり」脳が満たされなくなってきており、うつ病を引き起こしやすいのです。つまり、うつ病は、集団でうまくやっていくようになった進化の代償と言えます。特に、男女差で見た場合、女性の方が男性よりもうつ病の発症率が高いです。さきほど男性の方が女性よりも自殺既遂率は高いとご紹介しましたが、この違いは、女性はうつ病になりやすいですが、なっても軽いのに対して、男性はうつ病になりにくいですが、なったら重いということです。この理由は、ホルモン変化による発症を差し引いても、女性の方が、共感性が高く、言い換えれば傷付きやすいため、つながりをより意識して、その喪失をより感じる傾向があるからではないでしょうか。例えば、情緒不安定な人(情緒不安定性パーソナリティ障害)はうつ病の合併率が高いです。(4)自分自身を振り返る能力―「先読み脳」4つ目は、自分自身を振り返る能力です。その起源は、10万年から20万年前に遡ります。当時、ついに現生人類(ホモ・サピエンス)となった私たちの祖先は、喉の構造が進化して、複雑な発声ができるようになり、言葉を使う脳が進化しました。そして、言葉によって抽象的思考もできるようになりました。それは、相手の視点に立つ心理から(メタ認知)、自分自身を振り返る心理、さらには過去、現在、未来の時間軸で自分を俯瞰(ふかん)して見る心理です。例えば、私たちは、過去から現在までの流れから、未来に見通しを立てます。その時、望ましいことが起こるなら、私たちは希望を持ちます。一方、全く望ましくないことが起こるなら、私たちは絶望します。「このつらさはこれからも続く」「これから生きていく意味がない」「死んだら楽になる」と考えれば考えるほど、うつの心理は増幅して自殺のリスクが高まります。よくよく考えると、人間だけが唯一自殺ができる生き物です。つまり、うつ病は、自分自身を振り返り、先が読めるようになった進化の代償と言えます。私たちは、希望を抱くようになったと同時に、絶望も抱くようにもなってしまったのです。うつ病にはどうしたらいいの?-それぞれの「脳」へのアプローチ(表3)うつ病を治すには、まず薬の治療が効果的です。特に、抗うつ薬は、ストレスホルモンによって傷付いた脳の神経ネットワークを修復したり、興奮した偏桃体を鎮める働きがあります。ただ、これまで明らかにしてきたうつ病の起源を理解することで、薬だけではなく、うつ病へのより良いアプローチが理解できます。それでは、うつ病を引き起こすさきほどの4つの「脳」に分けて見てみましょう。(1)がんばりすぎない―環境調整「がんばりすぎ」脳に対しては、がんばりすぎ(過剰適応)の予防やがんばりすぎた後の休養の徹底(環境調整)が重要であることが分かります。訪ねてきたツレの兄は、「こいつちっちゃい頃から細かいこと気にするたちでさあ。だからうつ病になっちまうんだよっ」「がんばって早く治さないとな」「男ってのはさ、一家の大黒柱なんだよ」「だからどんなに辛くても家族のためだと思えばがんばれるもんなんだよ」と説教をします。すると、その後にツレは「何をどうがんばればいいんだよぉ・・・」「今の僕には無理だよ」とさらに症状を悪化させています。うつ病の人には「がんばれ」と励ますのではなく、「よくがんばったね」と受容するのがポイントです。ツレは、徐々に回復していく中、「自分のために治りたいんです」「他の誰かのためじゃなくて」と言うようになります。そして、招待された講演で「あ・と・で」という3つのうつ病への心のあり方を紹介します。それは、「焦らない、焦らせない」「特別扱いしない」「できることとできないことを見分けよう」です。一方、ハルさんは離婚して焦っている友達に「がんばらなくていいんです」「そのまんまでいいんです」と言うようになります。まさに、がんばりすぎない心のあり方が描かれています。(2)自尊心を保つ―アサーション「上下関係脳」に対しては、自尊心を保つために感謝し合うポジティブなコミュニケーション(アサーション)が重要であることが分かります。謝罪を求めてばかりいたかつての顧客の「できないさん」は、ツレの講演の参加者として最後にツレに対して「ありがとう」と感謝したことで、ツレが報われていました。コミュニケーションのコツとしては、「困るじゃないか」「だめじゃないの」と単にネガティブに叱るのではなく、「こうしたら良くなる」とポジティブに伝えることです。さらに、前後に「いつもよくがんばってる」「これからも頼もしく思う」というほめ言葉や感謝の言葉で挟むのです。ツレは、講演で「人は誰でもどんな時でも自分の生きている姿を誇りに思うことができる」「恥ずかしいとか情けないとか思ってしまった自分も含めてちょっと誇らしく思っています」と言い、自尊心を保つ心のあり方が描かれています。(3)周りとつながる―ソーシャルサポート「つながり脳」に対しては、家族を初めとする周りとつながっていること(ソーシャルサポート)が重要であることが分かります。ツレが自殺未遂をした直後に「僕なんていなくても誰も困らない」「僕はここにいていいのかな?」とハルさんに漏らします。「つながり脳」が危うくなっている瞬間です。ハルさんは、「ツレはここにいていいんだよ」と優しく受け止め、寄り添います。ハルさんは、ツレにさりげなく「はい、これ。消しゴムかけて」とマンガのアシスタントを任せるようになります。あえて本人に役割を持たせるのです。「夫婦で助け合っている」「夫婦としてどんな時も味方である」「自分には居場所がある」というつながりの心理を強めています。ただ、説教臭いツレの兄に対してハルさんが「静かに見守ってほしい」と心の中でつぶやいているように、過干渉にならずにほど良い心の間合い(心理的距離)を保つことへの注意も必要です(温かい無関心)。役割や居場所を実感する心のあり方が描かれています。(4)バランスよくものごとをとらえる―認知行動療法「先読み脳」に対しては、バランスよくものごとをとらえること(認知行動療法)が重要であることが分かります。ハルさんは、自分の母親に「私、最近思うんだ」「ツレがうつ病になった原因じゃなくて、うつ病になった意味は何かって?」と言うようになっています。ツレには「そのうちできるようになるよ」「またすぐ良くなるよ」「できないんじゃなくて、しないって思えばいいんだよ」と言っています。一方のツレは、結婚の同窓会で「この1年は、(自分がうつ病になって)私たちにとって苦しい年でした」「でも、夫婦としていろいろなことを得た1年でもありました」と言い、状況のポジティブな面に目を向けています。うつ病という試練を通して、夫婦の絆が深まり、ハルさんもツレも人間的に成長している様子がうかがえます。ものごとをバランスよくとらえ、絶望ではなく希望を抱く心のあり方が描かれています。表3 うつ病を引き起こすそれぞれの「脳」へのアプローチ アプローチ「がんばりすぎ脳」がんばりすぎ(過剰適応)の予防やがんばりすぎた後の休養の徹底(環境調整)「上下関係脳」自尊心を保つために感謝し合うコミュニケーション(アサーション)「つながり脳」家族を初めとする周りとつながっていること(ソーシャルサポート)「先読み脳」バランスよくものごとをとらえる(認知行動療法)うつ病とは?―かかわり方のポイント(表4)うつ病を単なる病気の1つとしてとらえるのではなく、私たちの心の進化の産物ととらえることができた時、なぜそのかかわり方が望ましいのかということに納得できるようになります。その時、私たちはうつ病をより身近にそしてより温かみを持って感じることができるのではないでしょうか? そして、うつ病の人たちへのより良い理解とかかわり方をすることができるようではないでしょうか?表4 かかわり方のポイント(精神療法)望ましい望ましくない「何か困っていますか」(探索、傾聴)「どうなの?」(質問攻め)「つらいのですね」(共感)「その気持ち分かります」(受容)「だめじゃない!」(説教、批判、非難、叱責)「その考え方いいですね」(支持、肯定)「あなたは間違っています」(否定、議論)「誰でもそうですよ」(標準化)「家族を悲しませますよ」(審判)「(こうすれば)大丈夫です」(保証)「がんばれ!」(叱咤激励)「困ったら言ってください」(温かい無関心)「○○しなさい」「△△してあげます」(過干渉)1)アンソニー・スティーブンズほか:進化精神医学、世論時報社、20112)井村裕夫:進化医学、羊土社、20133)NHK取材班:病の起源、うつ病と心臓病、宝島社、20144)北村英哉・大坪康介:進化と感情から解き明かす社会心理学、有斐閣アルマ、2012

16.

人間失格【傷付きやすい】[改訂版]

今回のキーワード愛着障害境界性パーソナリティ障害空虚感情緒不安定自己愛依存「そんなに傷付く!?」みなさんが患者さんや学生さんと接している時、「そんなに傷付く!?」とびっくりしてしまったことはありませんか?世の中にはいろんな人がいます。気が強い人もいますし、逆に感じやすい人もいます。できることなら誰とでもうまくやっていきたいですよね。でも、うまくいかなくなった時、どう考えたら良いでしょうか? どう接したら良いでしょうか?「大人とは、裏切られた青年の姿である」今回は、この感じやすい心について、2010年の映画「人間失格」を取り上げてみました。原作は、永遠の青年文学と言われる太宰治の代表作であり、また彼の人生そのものであるとも言われています。いまだに多くの人たち、特に迷える若者たちの心をわしづかみにしています。彼の名言の1つに「大人とは、裏切られた青年の姿である」という文があります。この「裏切られた」という感傷的な表現をあえて使い、裏切るか裏切らないか、つまり人を信じることについて敏感になっているのは、そもそも人間不信が根っこにあり、人に対しての信頼感が揺いでいることがうかがえます。主人公はなぜ傷付きやすいのか? なぜ人間不信があるのか? そして、私たちはなぜ彼が気になるのか? これらの疑問も踏まえて、これからストーリーを追って詳しく探っていきましょう。トラウマ―心の傷まずは、冒頭の幼少期のシーンです。主人公の葉蔵が独りつぶやきます。「生まれて、すいません」と。いきなりの謎です。なぜ、子どもがそんなことを言うことができるのでしょうか? その謎の答えは、映画では描かれていません。しかし、原作で告白されています。実は、葉蔵にはトラウマ(心的外傷)があったのです。そのうちの1つは、家の女中や下男から性的虐待を受けていた可能性があることです。原作では「哀しい事を教えられ、犯されていました」という表現だけのため、どの程度なのか、または象徴的な言い回しなのかなどの解釈が分かれるところです。もう1つは、家族のような存在である女中や下男たちがお互いの悪口を陰で言い合っているのを幼少期から聞かされました。一貫して信じたい人を信じられなくさせる矛盾した二重の縛り、ダブルバインドです。さらに、太宰本人は実際に幼少期に、育ての母親とも言える女中と突然別離させられています(喪失体験)。だからでしょうか? 作品中では葉蔵の母親は登場しません。しかし、彼は物分かりが良すぎたのです。そして、それらを全て受け入れたのでした。そして、子ども心ながら「生き残りたい」「これ以上誰にも見捨てられたくない」という思い込みから、その究極の答えとして、自分を抑圧して本心を言えずに言われたままに従う良い子、そしてみんなの気を引く道化役を死に物狂いで演じ始めました。これが、彼の人間不信、自己否定の原点であったようです。だからこそ、生存の謝罪が口から突いて出てきたのでした。代償性過剰発達―研ぎ澄まされた能力生き残るためのサバイバーとしての必死の演技は、葉蔵に特別な能力を開花させました。それは、嫌われないようにそして演技がばれないようにするため、常に彼は相手の顔色を伺い、表情、動作、言動に敏感になっていきました。そして、観察力、感受性が研ぎ澄まされていったのです(代償性過剰発達)。ちょうど視覚障害者の聴覚が敏感になるように、生きづらさを代わりの能力で補いカバーしようとして、その能力が過剰に発達することです。自分の生き死にがかかっていることのない普通の家庭で育った子どもは、このような能力は備わらず、無邪気なままです。数々の太宰作品はなぜ感性が鋭く描かれているのかにも納得がいきます。学校での彼は、笑い者として実に見事に演じ、常にお茶目で人気者でした。ある時、学校の体育の時間にいつものように面白おかしく失敗してクラスメートたちみんなの笑いを誘うことに大成功をおさめます。しかし、その演技はよりによって、あるサエないクラスメートの竹一にだけこっそり見破られるのです。その瞬間、葉蔵は心の底から震え上がります。道化役に全てを捧げていた彼にとっては自分が自分でなくなるような感覚でしょうか。次に彼のとった行動は、竹一を自分の友人として味方につけて、取り込んだのでした。そもそも竹一ももしかしたら「さえない生徒」を演じていたのかもしれません。葉蔵と同じように観察力が鋭いのであれば、演技で人を欺くことができます。二人はそんな同じ匂いに惹き合ったようにも見えます。失体感症―失われる空腹感原作では、幼少期から葉蔵は空腹感を感じない体質であると描かれています。この原因は、トラウマによる不安や葛藤を押し殺す抑圧の心理メカニズムにより、空腹感などの身体的欲求などの感覚までもが押し殺され鈍くなっている状態が考えられます(失体感症)。私たちにも、周りへ気を使い過ぎると(過剰適応)、体の感覚が鈍くなる症状として現れます。さらに、自分の感情そのものにも鈍くなってしまう場合もあります(失感情症)。愛着障害―結べなくなる絆太宰が母親代わりの女中を喪失した外傷体験の代償は、計り知れません。もともと父親は地元の名士で議員でもあり、多忙でほとんど家を空けており、お世話をする女中たちや下男たちや兄姉たちとのかかわりがほとんどで、親からの愛情によるかかわりが乏しかったことが伺えます。そもそも、親、特に母親という特別な存在から無二の愛情を受けることで、子どもは自分が特別な存在であると実感します。自分にとって親が特別であり、同時に親にとっても自分が特別であること、この特別な結びつきの感覚こそ信頼感を育み、愛着という強く固い絆を生み出します。その絆の安心感を基に、やがて成長した青年は、様々な人たちと巡り会い、自分が選び同時に選ばれるというプロセスを経て、親友や恋人などとの新たな絆を作ろうとします。そして、選び取ること、選び取られることの大切さを知り、その特別な絆を深めようとします。葉蔵は、もともとこの愛着という絆がうまく育まれていなかったのでした(愛着障害)。愛着障害により、そもそも相手を信頼する時に安心感がないのです。その代わりに、「いつか捨てられるんじゃないか」「裏切られるんじゃないか」という強い恐れ(見捨てられ不安)が常に彼を支配していました。その後も、多くの女性が彼を求め、その女性たち全てが彼の居場所となりました。しかし、同時に、彼の心そのものはどこにも居場所がありませんでした。なぜなら、彼は、戦場のような場所で過ごした幼少期の体験によって、安心できる「居場所」という感覚そのものがなかったからです。そして、自分が選び抜いた誰か特別な人に愛情(愛着)を持つという発想そのものがなかったからです。空虚感―全てが空しい映画では、原作には登場しない中原中也との出会いが描かれます。最初は、絡み酒です。中原中也は「おまえは何の花が好きだ」「戦争の色は何色だ」と吹っかけてきます。その強がりは、彼の作風に反映されている不安や寂しさの裏返しであることが垣間見えます。見捨てられ不安で蝕まれた心は、世界が広がる青年期の多感な時期を迎えると、空しさで空っぽになってしまいます(空虚感)。自分の弱さや存在の危うさに敏感で繊細な点で、葉蔵と中原中也は似た者同士で、やがて惹き合っていきます。中原中也は、葉蔵にとって憧れであり、唯一の友情らしき感覚を味あわせてくれる存在でした。葉蔵が大切にしていた画集を質入れした直後に、中原中也が買い取り、葉蔵に渡すシーンは印象的です。しかし、葉蔵と中原中也はお互いに通じるものがあったのにもかかわらず、中原中也は自殺してしまいます。この出来事は、葉蔵の空虚感をさらに助長させていきます。操作性―巧みな人使い見捨てられ不安や空虚感があると、人はそれを満たすため、自分から人に働きかけて自分の思い通りにしようとして、人の気を惹くのがうまくなります(操作性)。葉蔵が従姉に優しくする場面が印象的ですが、何をしたら相手が喜ぶか完全に心得ています。その後も、持ち前のルックスに加えて、この操作性で次々と女性と関係を持つようになります。細かいところにも目が行き届くため、キャバレーであえて目立たない女給の常子にさり気なくお礼を言い、惚れられます。原作でも「女は引き寄せて、突っ放す」と語られています。情緒不安定―感受性の鋭さの裏返し子持ちの未亡人の静子と同棲するようになった時です。その娘から「本当のお父ちゃんがほしいの」という何気ない無邪気な言葉に、葉蔵は傷付き、打ちのめされます。彼は、感受性があまりに強くて繊細なため、子どもの言うことだから仕方がないとは思えないです。葉蔵の鋭い感受性は、裏を返せば、傷付きやすさを意味しています(情緒不安定)。その時に「裏切られた」「自分の敵だ」と感じたのでした。その後、静子が娘に「お父ちゃんは好きでお酒を飲んでいるのではないの」「あんまり良い人だから」と葉蔵を幸せそうにかばう会話を盗み聞きして、決意します。そして、そのまま立ち去り、二度と戻って来ることはありませんでした。その真意は、「自分のような馬鹿者は平和な家庭を壊してしまう」という自己否定、この幸せに自分は入れないという疎外感や嫉妬心(人間不信)、そして自分が消え去ることでこの幸せに水を差して懲らしめたいという懲罰欲などの複雑な思いが絡んでいそうです。スプリッティング(分裂)―貫けない愛情葉蔵は、「敵か味方か」「完璧な家庭でなければ別れる」と極端に白黒付けようとする感覚に囚われています(スプリッティング、分裂)。良い感情と悪い感情がバランスよく保てず、その中間のグレーゾーンであるちょうど良い「ほどほど」の関係性やささやかな「ほどほど」の幸せを実感するのでは物足りず、納得いかないのです。彼が求めるのは、究極的な信頼であり、究極的な幸福でした。発想が極端なのです。だからこそ、その後に出会うタバコ屋の良子とあっさり結婚してしまうのもうなずけます。良子は、葉蔵が酔っ払い断酒を破ったと打ち明けているのに、「だめよ、酔ったふりなんかして」「お芝居がうまいのね」といっこうに信じず、葉蔵に「信頼の天才」と言わしめたのでした。しかし、のちに妻の良子が不幸にも顔見知りにレイプされている現場に遭遇しても、彼は何とも声をかけられず、その場を立ち去ってしまいます。その後は、良子とは情緒的な交流なく、表面的に接することしかできません。彼は、完璧な信頼や幸福を失うという凄まじい恐怖におののいているばかりで、けっきょくその現実に向き合えず、良子と辛さを分かち合えず、逃げ出してしまいます。持ち前の意気地のなさとスプリッティングにより、たとえ不幸があっても何とか現状を維持して乗り越えていこうとするバランス感覚が欠けているのでした。パーソナリティの偏り葉蔵は、家財を遊びの軍資金にするため次々と質入れしています。そして、財産を食い潰す放蕩ぶりが仇となり、父親の引退をきっかけに、経済的に困窮し、落ちぶれていきます。現実が行き詰れば、空虚感はやがて自殺衝動を駆り立てます。そして、初めて自分が恋した常子と共に入水自殺を図ります。しかし、常子だけ死なせてしまい、自分は生き延びるのです。実際に、太宰も何度も自殺を企てています。そして、毎回違う女性が一緒でした。彼の自殺衝動は、本気で死を決しているというよりは、「生と死のギリギリの境をさ迷うスリルをあえて味わいたい」「そのスリルを通して生きている実感を噛みしめたい」という無意識の心理が働いているようです。他人を巻き込み、手の込んだことをするのは、逆に、生への執着を確かめたいからとも言えます。この心理は、昨今、話題になるリストカットや過量服薬などの自傷行為につながる心の揺らぎと言えます。葉蔵は、情緒不安定、空虚感、見捨てられ不安、スプリッティング、操作性、自殺衝動などの症状が揃っており、境界性パーソナリティ障害(情緒不安定性パーソナリティ障害)があると言えます。ただ、パーソナリティとは、あくまでその人のものごとの捉え方(認知)や感情の偏りなので、その良し悪しは周りとの相性や見方によって二面性があるとも言えます(表1)。表1 葉蔵の情緒不安定の二面性マイナス面プラス面「情緒不安定」「単純」「短絡的」「愛が重い」「感受性豊か」「観察力が鋭い」「純粋」「繊細(ナイーブ)」「愛が深い」自己愛―何ごとも自分の思いどおりにしたい葉蔵は、幼い頃から召使いを何人も抱えるお屋敷に住み、端正な顔立ちで何人もの幼なじみの女の子たちにチヤホヤされて過ごしてきました。そんな家柄、経済力、容姿に恵まれてしまったら、何ごとも自分の思い通りにしたいという気持ち(自己愛)が強く、思い通りにならなくなった時に、そのギャップで傷付きやすさも強まります。実際に、太宰も名誉欲しさに芥川賞の推薦を選考委員の大御所に懇願したという逸話はあまりにも有名です。葉蔵は、定職に就かず、ヒモのような生活を続け、「きっと偉い絵描きになってみせる」「今が大事なとこなんだ」といつまでも叶わぬ夢を追い、不健康なこだわりを持ち続けて、健康的なあきらめができないのです。幸せの青い鳥を追い続ける「青い鳥症候群」とも呼ばれ、現代でもある程度の年齢を重ねても「いつかビッグになる」と言い続ける男性や「いつか白馬の王子様が迎えに来る」と言い続ける女性が当てはまりそうです。ただ、自己愛のパーソナリティも二面性があり、高過ぎる理想と現実のギャップに苦しむ一方、自分を大切に思う気持ちが向上心として生きる原動力になることもあります(表2)。依存―すがりつき、のめり込み、歯止めが利かない葉蔵の空虚感は、果てしない底なし沼であり、人間関係ではけっきょく満たされません。この満たされない心は、やがてお酒や薬物で満たされるようになります。バーで居候していた時は、いつも酔っ払い、痩せていきます。何かにすがり、のめり込み、歯止めが利かないのです。健康的な人の「もうこれぐらいで止めておこう」という節度、限度の加減がないのです。例えば、「もっと命がけで遊びたい」「生涯に一度のお願い」「そこを何とか頼む」などの葉蔵のセリフが分かりやすいです。このようにある一定の枠組み(決めごと)から外れやすい性格傾向は、依存と呼ばれます。人間関係に溺れるだけでなく、アルコールに溺れ、やがて、睡眠薬、麻薬にも溺れていき、依存の対象が広がっていきます。依存のパーソナリティも二面性があります(表2)。人間関係に溺れるためには、相手をしてくれるだれかがいなければなりません。そのため、とても甘え上手になっていきます。さらに、特にアルコール、薬物などの依存物質を乱用してしまうと、やがて止めることだけで手足が震えたり自律神経が乱れたりする離脱症状(いわゆる禁断症状)と呼ばれる体が欲して言うことを聞かなくなる症状が現れ、アルコール依存症や薬物依存症に陥っていきます。最終的に、アルコールと薬物で体がボロボロになってしまった葉蔵は、後見人の平目の助けにより、入院隔離されます。ようやく、断酒、断薬が強制的ながら徹底されるのです。依存症の患者は、もともと枠組みが外れやすいということがあるので、生活や考え方の枠付けを徹底する治療を行います。例えば、規則正しい生活リズムや「ダメなものはダメ」というルールを守ることです。表2 葉蔵のパーソナリティの偏りの特徴特徴マイナス面プラス面情緒不安定性感じやすく、常に生きるか死ぬかの極限にいる。感受性が豊かで、観察力が鋭く、気配りに長けている。自己愛性高過ぎる理想と現実のギャップに苦しむ。自分を大切に思う気持ちが、向上心として生きる原動力になる。依存性すがりつき、のめり込み、溺れやすい。甘え上手共依存―依存されることに依存する病葉蔵の、美形に加えて、陰のある物憂げな表情や、漂う孤独の匂い、弱弱しくよろめきそうなたたずまいは、女性に助けてあげたいという気にさせる魅力や魔力が潜んでいるようです。これは、実際の太宰のポートレートを見てもそう感じさせます。また、雰囲気だけでなく、「金の切れ目が縁の切れ目ってのはね、解釈が逆なんだ」とさりげなく知性を披露するインテリぶりや、言葉少なげで独特の間があることは、守ってあげたいという女性の母性本能をさらにくすぐるようです。実際に、彼が巡り会う女性は、人一倍世話焼きで母性本能が強いです。「いいわよ、お金なんか」という下宿先の世話焼きな礼子、「うちが稼いであげてもダメなん?」という女給の常子、居候させマンガの仕事の依頼をとってきてあげる静子、「信頼の天才」である良子、キスされて麻薬を渡してしまう寿、そして母性本能に溢れる鉄など強烈なキャラが多いです。彼女たちに共通するのは、特別に華があるわけではなく、どこか訳ありで陰や引け目があり、彼女たちは自分に対する自己評価が低く劣等感がありそうです。このような劣等感のある女性が「この人の苦しみを分かってあげられるのは私だけ」と優越感に浸ることができるからこそ、葉蔵はもてはやされるのです。世話焼きとしてお世話をすることで、「私はこんなにこの人の役に立っている」と、自己評価を保とうとします。葉蔵の方も、そんな劣等感や母性本能の強い匂いのする女性をあえて嗅ぎ分けています。このように、必要とされることを必要とする、言い換えれば、依存されることに依存する状態は、共依存と呼ばれます。ややこしいですが、これも一つの依存の形です。そして、実際に、依存症の人が依存症であり続けることができる大きな原因として、その人のパートナーや家族が共依存であり、依存症の治療の妨げになっていることがよくあります。ただ、この共依存のパーソナリティも二面性があり、その良し悪しは人それぞれとも言えます(表3)。表3 葉蔵を取り巻く女たちの共依存の二面性マイナス面プラス面「お節介」「過保護」「過干渉」「押しつけがましい」「甘やかし」「世話焼き」「母性本能に溢れる」「面倒見がいい」「尽くす」「献身的」「優しい」退行―幼少期の生き直し父親の死に伴い、一切の面倒を見るという兄の働きかけにより、葉蔵は故郷の津軽に帰り、療養生活という名目で、年老い世話係の鉄と二人で暮らすことになります。父親にゆかりのある人ということで、どうやら昔の父親の愛人のようです。もともと子どもに恵まれなかった鉄は、葉蔵に強い母性的な無二の愛情を注ぎます。「こんな僕でも許してくれるのか」と言う葉蔵に対して、鉄は優しくそして力強く言い放ちます。「いいんだ」「神様には私が謝るので」「何があっても私が護(まも)る」と。その後に、駐在とのやり取りで、鉄が葉蔵をかばう様子は母そのものです。母性本能の強い鉄と過ごす日々は、葉蔵に安らぎを与えてくれました。どんどんと子ども返り、赤ちゃん返りしていきます(退行)。童心に返ったように無邪気に海岸ではしゃぎ、子守唄で心地良くなります。胎内回帰の寝像のポーズは、子宮の中にいる心地良さを表しているようです。退行を通して、かつて手に入らなかった愛着を育み、幼少期を生き直そうとしているようです。客観視―自分を俯瞰(ふかん)して見つめ直す視点原作では、鉄との愛着を育む他愛のない日々が綴られ、締めくくられます。そして、葉蔵は最後に語ります。「今の自分には幸福も不幸もありません」「ただ、一切は過ぎていきます」と。最後は、「現実は何も解決してくれない」という受身の虚しさに堕ちていく退廃的な美学を描こうとしているようです。諸行無常の響きさえ聞こえてきそうなエンディングです。実際に、太宰はこの作品の完成後に自殺を遂げています。一方、映画ではもう一つのエンディングが用意されていました。原作とは一味違った展開です。葉蔵は、鉄の愛情に育まれてついに巣立つのです。愛情に満たされた、平穏でのどかな故郷から東京に出発する電車の中では、軍人たちの間で戦争に入っていくという緊張感ある会話がなされ、現実世界に引き戻されています。その後、突然、乗客が過去に出会った全ての人たちに変わり、楽しく騒ぎます。まるで走馬灯のように過去を振り返る幻想的なシーンです。その中には、子ども時代の自分と向き合うシーンがあります。それは、過去から現在に至る自分を俯瞰(ふかん)して見つめ直す視点が身に付いたことを象徴しているようです。そして、葉蔵はつぶやきます。「今の自分には幸福も不幸もありません」「ただ、一切は過ぎていきます」と。そこには、かすかな希望が見えます。スプリッティングという両極端なものごとの捉え方による「阿鼻叫喚」な生き様を乗り越えて、安定した情緒で「現実を見つめ直して受け入れていく」という、淡々として自分を客観視できる能動的な人生へと回復していく可能性をほのめかしているようにも思えます。コミュニケーションのコツ臨床現場などで、患者さんやその家族が私たちに対して「よくしてくれる」とか「ちゃんとしてくれない」とかと感じる(転移)と、それが態度に表れることがあります。そんな態度を見た私たちも彼らを「良い人だ」とか「困った人だ」と感じてしまい(逆転移)、最悪のシナリオは、関係がとても悪くなり、関係を続けることが難しくなることです(巻き込まれ)。これは、教育の現場で、学生が相手でも同じです。もしも患者や学生が、葉蔵のような情緒不安定なパーソナリティの偏りがある人だった時、どうすればいいでしょうか?その人は、相手が良い人と思ったらすぐに大好きになり、いつもべったりになります(理想化)。一方、期待し過ぎるあまりちょっとした行き違いが起こると、すぐに裏切られたと思い込み、大嫌いになって、絶交します(幻滅)。このように、すぐに近付いたり、すぐに遠ざかったりして、安定していないのです。そのような時、私たちがその人の不安定な対人距離をよく理解すると、コミュニケーションのコツが見えてきます。巻き込まれコミュニケーションのコツは、3つあります。まず、相手をよく知ることです。相手の心(認知パターン)をよく理解し、次の動き(行動パターン)を予測することです。「世の中に怖いものはない。怖いものがあるとすれば、それは理解がないことだ」(キュリー夫人)という名言がありますが、ものごとは、得体が知れないと不気味ですが、正体が知れると面白味があるものです。私たちは、むしろ興味を持って、「不思議な人だな」とじっくり観察する心の余裕を持つことが大切です。次に、こちらがどっしりと構え、その人の動きに振り回されないことです。つまり、もともとあるべき一定の心の間合い(心理的距離)をとり続けることです。例えば、その人に好かれているから、または文句を言われるからとの理由で特別扱いをして対応を変えないこと、つまり間合いを詰めないことです。近付きすぎたら一歩退きますが、逆に、遠ざかっても見放さず、温かく見守り続けることです。この間合いが、長い目で見ると本人に安心感を与えます。スタッフで足並みを揃えるのも大事です(標準化)。また、たとえ「傷付いた」と言われても、むやみに動揺せず、「この人はこういう人なんだ」と受け流すことです(客観視)。しかし、だからと言って見限らず、見捨てず、見守ることです。相手を怖がってとにかく距離を置くのと、相手をよく理解して必要だから距離を置くのでは、その心の余裕は全く違います。もう1つは、その人は私たちに何かと期待し過ぎる傾向があるので、私たちが自分にできることとできないことの線引き(限界設定)をして、その人になるべく前もって伝えることです。「言った、言わない」のドツボにはまらないために、誠実に、さりげなく書面にするのも得策です。これらのコツは、「巻き込み」「巻き込まれ」を防ぐために、私たちのためだけでなく、その人のためにもなります。表4 コミュニケーションのコツ相手をよく知る相手の心(認知パターン)をよく理解する。次の動き(行動パターン)を予測する。じっくり観察する心の余裕を持つ。心の間合いどっしりと構えて対応を変えない(心理的距離)。スタッフ同士で足並みを揃える(標準化)。「この人はこういう人なんだ」と受け流す(客観視)線引きできることとできないことを線引きする(限界設定)。前もって伝える。書面にする。「人間失格」を乗り越えて「人間合格」になる私たちは10代から20代の間の多感な青年期に、勉強、部活、仕事、恋愛を通して、人間関係の幅や深みが一気に広がり、世界が開けていきます。そして、気付かないうちに人の心を傷付けたり、逆に傷付けられたりする経験を通して、人をどこまで信じていいのか不安や迷いが生まれます。そんな時期に、その感受性を過激に、そして必死に体現してくれるこの「人間失格」の葉蔵は、さ迷える私たちに衝撃を与え、重なり合い、そして自分の状況を振り返らせ、人を信じることとはどうあるべきかを気付かせてくれます。この作品を足がかりとして、その青年期の信じることの危うさを乗り越えた私たちは、ほどよい信頼感や自信(自己肯定感)を実感できる「大人」に成長しているのではないでしょうか?そんな私たちは「人間合格」と胸を張ることができるのではないでしょうか?1)「人間失格」(集英社文庫) 太宰治2)「愛着障害」(光文社新書) 岡田尊司3)「境界性パーソナリティ障害」(幻冬舎新書) 岡田尊司4)「リストカット」(講談社現代新書) 林直樹

検索結果 合計:28件 表示位置:1 - 20