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基準通り抗がん剤を投与したにもかかわらず副作用で急死した肺がんのケース

癌・腫瘍最終判決判例時報 1734号71-82頁概要息切れを主訴としてがん専門病院を受診し、肺がんと診断された66歳男性。精査の結果、右上葉原発の腺がんで、右胸水貯留、肺内多発転移があり、胸腔ドレナージ、胸膜癒着術を行ったのち、シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用化学療法が予定された。もともと軽度腎機能障害がみられていたが、初回シスプラチン、塩酸イリノテカン2剤投与後徐々に腎機能障害が悪化した。予定通り初回投与から1週間後に塩酸イリノテカンの単独投与が行われたが、その直後から腎機能の悪化が加速し、重度の骨髄抑制作用、敗血症へといたり、化学療法開始後2週間で死亡した。詳細な経過患者情報12年前から肥大型心筋症、痛風と診断され通院治療を行っていた66歳男性経過1994年3月中旬息切れが出現。3月28日胸部X線写真で胸水を確認。細胞診でclass V。4月11日精査治療目的で県立ガンセンターへ紹介。外来で諸検査を施行し、右上葉原発の肺がんで、右下肺野に肺内多発転移があり、がん性胸膜炎を合併していると診断。5月11日入院し胸腔ドレナージ施行、胸水1,500mL排出。胸膜癒着の目的で、溶連菌抽出物(商品名:ピシバニール)およびシスプラチン(同:アイエーコール)50mgを胸腔内に注入。5月17日胸腔ドレナージ抜去。胸部CTで胸膜の癒着を確認したうえで、化学療法を施行することについて説明。シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用療法を予定した(シスプラチン80mg/m2、塩酸イリノテカン60mg/m2を第1日、その後塩酸イリノテカン60mg/m2を第8日、第15日単独投与を1クールとして、2クール以上くり返す「パイロット併用臨床試験」に準じたレジメン)。医師:抗がん剤は2種類で行い、その内の一つは新薬として承認されたばかりでようやく使えるようになったものです。副作用として、吐き気、嘔吐、食欲低下、便秘、下痢などが生じる可能性があります。そのため制吐薬を投与して嘔吐を予防し、腎機能障害を予防するため点滴量を多くして尿量を多くする必要があります。白血球減少などの骨髄障害を生じる可能性があり、その場合には白血球増殖因子を投与します患者:新薬を使うといわれたが、具体的な薬品名、吐き気以外の副作用の内容、副作用により死亡する可能性などは一切聞いていない5月23日BUN 26.9、Cre 1.31、Ccr 40.63mL/min。5月25日シスプラチン80mg/m2、塩酸イリノテカン60mg/m2投与。5月27日BUN 42.2、Cre 1.98、WBC 9,100、シスプラチンによる腎機能障害と判断し、輸液と利尿薬を継続。6月1日BUN 74.1、Cre 2.68、WBC 7,900。主治医は不在であったが予定通り塩酸イリノテカン60mg/m2投与。医師:パイロット併用臨床試験に準じたレジメンでは、スキップ基準(塩酸イリノテカンを投与しない基準)として、「WBC 3,000未満、血小板10万未満、下痢」とあり、腎機能障害は含まれていなかったので、予定通り塩酸イリノテカンを投与した。/li>患者:上腹部不快感、嘔吐、吃逆、朝食も昼食もとれず、笑顔はみせるも活気のない状態なのに抗がん剤をうたれた。しかもこの日、主治医は学会に出席するため出張中であり、部下の医師に申し送りもなかった。6月3日BUN 67.5、Cre 2.55、WBC 7,500、吐き気、泥状便、食欲不振、血尿、胃痛が持続。6月6日BUN 96.3、Cre 4.04、WBC 6,000、意識レベルの低下および血圧低下がみられ、昇圧剤、白血球増殖因子、抗菌薬などを投与したが、敗血症となり病態は進行性に悪化。6月8日懸命の蘇生措置にもかかわらず死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用投与当時は副作用について十分な知識がなく、しかも抗がん剤使用前から腎機能障害がみられていたので、腎毒性をもつシスプラチンとの併用療法はするべきではなかった2.塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン再投与前は、食欲がなく吐き気が続き、しかも腎機能が著しく低下していたので、漫然と再投与を行ったのは過失である。しかも、学会に出席していて患者の顔もみずに再投与したのは、危険な薬剤の無診察投与である2.インフォームドコンセント塩酸イリノテカン投与に際し、単に「新しい薬がでたから」と述べただけで、具体的な薬の名前、併用する薬剤、副作用、死亡する可能性などについては一切説明なく不十分であった。仮にカルテに記載されたような説明がなされたとしても、カルテには承諾を得た旨の記載はない病院側(被告)の主張1.シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用投与シスプラチン、塩酸イリノテカンはともに厚生大臣(当時)から認可された薬剤であり、両者の併用療法は各臨床試験を経て有用性が確認されたものである。抗がん剤開始時点において、腎機能は1/3程度に低下していたが、これは予備能力の低下に過ぎず、併用投与の禁忌患者とされる「重篤な腎障害」とはいえない2.塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン研究会の臨床試験実施計画書によれば、2回目投与予定日に「投与しない基準」として白血球数の低下、血小板数の低下、下痢などが記載されているが、本件はいずれにも該当しないので、腎機能との関係で再投与を中止すべき根拠はない。なお当日は学会に出席していたが、同僚の呼吸器内科医師に十分な引き継ぎをしている2.インフォームドコンセント医師は患者や家族に対して、詳しい説明を行っても、特段の事情がない限りその要旨だけをカルテに記載し、また、患者から承諾を得てもその旨を記載しないのが普通である裁判所の判断1. 腎機能悪化の予見可能性抗がん剤投与前から腎機能障害が、シスプラチンの腎毒性によって悪化し、その状態で塩酸イリノテカンの腎毒性によりさらに腎機能が悪化し、骨髄抑制作用が強く出現して死亡した。もし塩酸イリノテカンを再投与していなければ、3ヵ月程度の余命が期待できた。2. 塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン再投与時、腎機能は併用療法によって確実に悪化していたため、慎重に投与するかあるいは腎機能が回復するまで投与を控えるべきであったのに、引き継ぎの医師に対して細かな指示を出すことなく、主治医は学会に出席した。これに対し被告はスキップ基準に該当しないことを理由に再投与は過失ではないと主張するが、そもそもスキップ基準は腎機能が正常な患者に対して行われる併用療法に適用されるため、投与直前の患者の各種検査結果、全身状態、さらには患者の希望などにより、柔軟にあるいは厳格に解釈する必要があり、スキップ基準を絶対視するのは誤りである。3. インフォームドコンセント被告は抗がん剤の副作用について説明したというが、診療録には副作用について説明した旨の記載はないこと、副作用の説明は聞いていないという遺族の供述は一致していることから、診療録には説明した内容のすべてを記載する訳ではないことを考慮しても、被告の供述は信用できない。原告側合計2,845万円の請求に対し、536万円の判決考察本件のような医事紛争をみるにつけ、医師と患者側の認識には往々にしてきわめて大きなギャップがあるという問題点を、あらためて考えざるを得ません。まず医師の立場から。今回の担当医師は、とてもまじめな印象を受ける呼吸器内科専門医です。本件のような手術適応のない肺がん、それも余命数ヵ月の患者に対し、少しでも生存期間を延ばすことを目的として、平成6年当時認可が下りてまもない塩酸イリノテカンとシスプラチンの併用療法を考えました。この塩酸イリノテカンは、非小細胞肺がんに効果があり、本件のような腺がん非切除例に対する単独投与(第II相臨床試験;初回治療例)の奏効率は29.8%、パイロット併用試験における奏効率は52.9%と報告されています。そこで医師としての良心から、腫瘍縮小効果をねらって標準的なプロトコールに準拠した化学療法を開始しました。そして、化学療法施行前から、BUN 26.9、Cre 1.31、クレアチニンクリアランスが40.63mL/minと低下していたため、シスプラチンの腎毒性を考えた慎重な対応を行っています。1回目シスプラチンおよび塩酸イリノテカン静注後、徐々に腎機能が悪化したため、投与後しばらくは多めの輸液と利尿薬を継続しました。その後腎機能はBUN 74.1、Cre 2.68となりましたが、初回投与から1週間後の2回目投与ではシスプラチンは予定に入らず塩酸イリノテカンの単独投与でしたので、その当時シスプラチン程には腎毒性が問題視されていなかった塩酸イリノテカンを投与することに踏み切りました。もちろん、それまでに行われていたパイロット併用試験におけるスキップ基準には、白血球減少や血小板減少がみられた時は化学療法を中止しても、腎障害があることによって化学療法を中止するような取り決めはありませんでした。したがって、BUN 74.1、Cre 2.68という腎機能障害をどの程度深刻に受け止めるかは意見が分かれると思いますが、臨床医学的にみた場合には明らかな不注意、怠慢などの問題を指摘することはできないと思います。一方患者側の立場では、「余命幾ばくもない肺がんと診断されてしまった。担当医師からは新しい抗がん剤を注射するとはいわれたが、まさか2週間で死亡するなんて夢にも思わなかったし、副作用の話なんてこれっぽっちも聞いていない」ということでしょう。なぜこれほどまでに医師と患者側の考え方にギャップができてしまったのでしょうか。さらに、死亡後の対応に不信感を抱いた遺族は裁判にまで踏み切ったのですから、とても残念でなりません。ただ今回の背景には、紛争原因の一つとして、医師から患者側への「一方通行のインフォームドコンセント」が潜在していたように思います。担当医師はことあるごとに患者側に説明を行って、予後の大変厳しい肺がんではあるけれども、できる限りのことはしましょう、という良心に基づいた医療を行ったのは間違いないと思います。そのうえで、きちんと患者に説明したことの「要旨」をカルテに記載しましたので、「どうして間違いを起こしていないのに訴えられるのか」とお考えのことと思います。ところが、説明したはずの肝心な部分が患者側には適切に伝わらなかった、ということが大きな問題であると思います(なお通常の薬剤を基準通り使用したにもかかわらず死亡もしくは後遺障害が残存した時は、医薬品副作用被害救済制度を利用できますが、今回のような抗がん剤には適用されない取り決めになっています)。もう一つ重要なのは、判決文に「患者の希望を取り入れたか」ということが記載されている点です。本件では抗がん剤の選択にあたって、「新しい薬がでたから」ということで化学療法が始まりました。おそらく、主治医はシスプラチンと塩酸イリノテカンの併用療法がこの時点で考え得る最良の選択と信じたために、あえて別の方法を提示したり、個々の医療行為について患者側の希望を聞くといった姿勢をみせなかったと思います。このような考え方は、パターナリズム(父権主義:お任せ医療)にも通じると思いますが、近年の医事紛争の場ではなかなか受け入れがたい考え方になりつつあります。がんの告知、あるいは治療についてのインフォームドコンセントでは、限られた時間内に多くのことを説明しなければならないため、どうしても患者にとって難解な用語、統計的な数字などを用いがちだと思います。そして、患者の方からは、多忙そうな医師に質問すると迷惑になるのではないか、威圧的な雰囲気では言葉を差し挟むことすらできない、などといった理由で、ミスコミュニケーションに発展するという声をよく聞きます。中には、「あの先生はとても真剣な眼をして一生懸命話してくれた。そこまでしてくれたのだからあの先生にすべてを託そう」ですとか、「いろいろ難しい話があったけれども、最後に「私に任せてください」と自信を持っていってくれたので安心した」というやりとりもありますが、これほど医療事故が問題視されている状況では、一歩間違えると不毛な医事紛争へと発展します。こうした行き違いは、われわれすべての医師にとって遭遇する可能性のあるリスクといえます。結局は「言った言わないの争い」になってしまいますが、やはり患者側が理解できる説明を行うとともに、実際に患者側が理解しているのか確かめるのが重要ではないでしょうか。そして、カルテを記載する時には、いつも最悪のことを想定した症状説明を行っていること(本件では抗がん剤の副作用によって死亡する可能性もあること)がわかるようにしておかないと、本件のような医事紛争を回避するのはとても難しくなると思います。癌・腫瘍

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中等度~重症の尋常性乾癬へのインフリキシマブ長期療法、継続的vs.間欠的

 中等度~重症の尋常性乾癬患者に対するインフリキシマブ(商品名:レミケード)治療について、間欠的投与よりも継続的投与のほうが効果的である可能性が、長期延長無作為化試験の結果、報告された。ドイツ・Dermatologikum HamburgのK. Reich氏らによる報告で、「間欠療法群では注射投与に関する重大反応の発生が認められた。中等度~重症の尋常性乾癬患者においては間欠療法を回避すべきであることを示唆するものである」と結論している。British Journal of Dermatology誌オンライン版2013年4月30日号の掲載報告。 長期延長無作為化試験RESTORE2は、RESTORE1の延長試験で、ベースラインで26週間のインフリキシマブ治療を完了し、PASI75(PASIのベースラインスコアから75%以上改善)を達成した患者を組み込んで行われた。 被験者を無作為に1対1の割合で、継続療法群(インフリキシマブ5mg/kgを8週ごと)または間欠療法群(PASI改善率>50%損失までインフリキシマブを投与しない)に割り付け、有効性と安全性について評価した。 主な結果は以下のとおり。・継続療法群には222例が、間欠療法群には219例が割り付けられた。・数量的にいうと、注射投与関連の重大反応は、継続療法群(1/222例、<1%)よりも間欠療法群(8/219例、4%)で多く認められた。・継続療法群のインフリキシマブ曝露の平均期間は40.12週(SD 27.55)、平均投与回数は5.8回(範囲:0~16)であった。間欠療法群は、同22.78週(SD 22.98)、3.4回(0~16)であった。・フォーマルな有効性解析は行われなかったが、数的には52週時点でのPASI 75達成者は継続療法群のほうがより多かった(継続療法群:81/101例・80%、間欠療法群:39/83例・47%)。また、その他いくつかの有効性評価において、同様の傾向が認められた。

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プライマリ・ケアでの肺炎診断、症状と徴候による診断がベスト/BMJ

 プライマリ・ケアにおいて、急性の咳症状から肺炎を予測するには、軽度あるいは重度の患者では症状と徴候に基づくクリニカルルールが最も適していることが、オランダ・ユトレヒト大学医療センターのSaskia F van Vugt氏らによる検討の結果、示された。また、CRP>30mg/Lの至適カットオフ値の情報は診断情報を改善するが、プロカルシトニン(PCT)値は診断には役立たないことも示された。BMJ誌オンライン版2013年4月30日号掲載の報告。肺炎の診断については症状と徴候の精度を検討した試験はあるが、プライマリ・ケアでの適用のエビデンスは乏しかった。一方で、CRPやPCTの検査値を加味した場合の診断精度は不明であった。炎症マーカーは役立つのか予測診断精度を定量化し検証 研究グループは、症状と徴候に選択的炎症マーカーの情報を加えた場合の肺炎の予測診断精度を定量化することを目的とし、2007~2010年にかけて診断的試験を行った。 被験者は、病歴が確認でき、初回診察日に、身体的診察とCRPおよびPCT検査を受けており7日以内に胸部X線を受けていた急性咳症状で来院した患者とした。試験はヨーロッパ12ヵ国のプライマリ・ケアセンターで行われた。 主要評価項目は、その他の臨床情報については知らされなかった放射線専門医により、X線写真のみで肺炎と診断された場合とした。 試験適格患者は3,106例で、そのうち286例は胸部X線写真が紛失または不鮮明等により除外された。残る2,820例の患者について検討された。CRP>30mg/Lは役立つがプロカルシトニン値は役に立たない 2,820例(平均年齢50歳、男性40%)のうち、肺炎を有していたのは140例(5%)であった。1,675例について胸部X線写真の再評価を行った結果、94%(κ:0.45、95%信頼区間[CI]:0.36~0.54)で結果が一致した。 6つの公表されている“症状と徴候のモデル”によってそれらの識別は異なった[ROC曲線下面積範囲:0.55(95%CI:0.50~0.61)~0.71(同:0.66~0.76)]。 本研究患者から導き出された予測のための最適な組み合わせは、「鼻汁は認めない」「息切れがある」「聴診でのクラックルと呼吸音減弱」「頻脈」「発熱」で、ROC曲線下面積は0.70(95%CI:0.65~0.75)であった。 CRP>30mg/Lのカットオフ値情報を加味した場合、ROC曲線下面積は0.77(95%CI:0.73~0.81)に上昇し、診断分類が改善された(ネット再分類改善率28%)。症状、徴候、CRP>30mg/Lで肺炎の“低リスク”(<2.5%)と分類した1,556例において、肺炎の有病率は2%であった。一方、“高リスク”(>20%)と分類した132例における肺炎の有病率は31%であった。肺炎の低・中・高リスクの陽性尤度比はそれぞれ、0.4、1.2、8.6であった。 PCT値の情報は、付加的な診断情報とはならなかった。 症状、徴候、CRP>30mg/Lに基づく簡略化診断スコアと肺炎が結びついた割合は、低・中・高リスク群においてそれぞれ0.7%、3.8%、18.2%であった。

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医師の3割が“僻地医療”に携わった経験あり

 ケアネットは16日、自社で運営するケアネット・ドットコムの医師会員に対し実施した、“僻地医療”に対する意識調査の結果を発表した。本調査では、僻地医療に携わった経験や関心の有無などについて尋ねた。アンケートは2013年4月26日に実施し、1,000人が回答した。 僻地医療に携わった経験を尋ねたところ、全体の63.8%は『携わったことがない』と回答した。現在『常勤で携わっている』が全体の7.5%。パートタイム、巡回、ドクターヘリなど『常勤以外』で携わっている医師が4.8%、「医局からの派遣」などで『以前携わっていた』とした医師は23.9%。全体の3割以上が何らかの形で僻地医療に携わった経験を持つことが明らかとなった。 現在携わっていない(経験者含む)医師に対し、今後の考えを尋ねたところ、『将来的には考えたい』7.9%、『勤務体制次第』12.1%、『待遇次第』14.7%という結果となり、全体の34.7%が検討の可能性があることがわかり、30代以下では48.9%に上った。一方、“携われない”と回答した医師の割合は、30代以下で51.1%、60代以上で76.9%と年代と共に上昇傾向にあった。『全く関心がない』という回答は逆に減る傾向にあり「気持ちはあるが体力がついていかない」など、『関心はあるが携われない』という回答が多くみられた。 また、僻地医療を経験した医師のコメントや寄せられた意見なども、あわせて公開した。「自分には関係ない」「定年後にはアリかな」…“僻地医療”、どうお考えですか?

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「自分には関係ない」「定年後にはアリかな」…“僻地医療”、どうお考えですか?

高齢化が進む日本。過疎化も手伝って、全国各地で増加中なのが「限界集落」です。“人口の50%以上が65歳以上の高齢者となって、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落”のことだそうですが、こういった地域の増加に伴ってますます重要になっているのが「僻地医療」。身も心もその地に…の“Dr.コトー”のイメージが強い僻地医療、しかし実際はドクターヘリや交代医師派遣、巡回診療など、現地に常駐する以外の形で僻地をサポートしている先生方も多くいらっしゃいます。今回はそんな僻地医療に対する先生のお考えを聞いてみました!コメントはこちら結果概要医師の3割以上が 『僻地医療に携わった経験がある』僻地医療に関する経験を尋ねたところ、全体の63.8%は『携わったことがない』と回答。現在『常勤で携わっている』が全体の7.5%。パートタイム、巡回、ドクターヘリなど『常勤以外』で携わっている医師が4.8%、「医局からの派遣」などで『以前携わっていた』とした医師は23.9%。全体の3割以上が何らかの形で僻地医療に携わった経験を持つことが明らかとなった。30代以下の約半数『条件次第で考えたい』、年を重ねる毎に『関心はあるが携われない』増加現在携わっていない(経験者含む)医師に対し、今後の考えを尋ねたところ、『将来的には考えたい』7.9%、『勤務体制次第』12.1%、『待遇次第』14.7%という結果となり、全体の34.7%が検討の可能性があると回答。30代以下では48.9%に上った。一方、“携われない”と回答した人の割合は30代以下で51.1%、60代以上で76.9%と年代と共に上昇。『全く関心がない』とする人は逆に減る傾向にあり「気持ちはあるが体力がついていかない」など、『関心はあるが携われない』人が多く見られた。若手「都市部でキャリアアップしたい」、中堅 「子供の教育が」、ベテラン「専門科以外自信がない」『携われない/関心がない』と回答した医師にその理由を尋ねたところ、『教育・介護などで住まいを移せない』36.1%、『多忙で余裕がない』32.8%、『開業しているため』27.1%などと続き、『自分が携わる必要があると思わないため』は7.2%であった。若手医師から「僻地ではキャリアアップにつながる仕事ができない」、ベテラン医師からは「医師が少ない中では診療科を問わず広く診る必要があるが、もう自分の専門科以外を診る自信がない」といったコメントが寄せられた。濃密な人間関係、ひとりにかかる重い責任…現状打開の鍵のひとつは“チーム制”携わるにあたってのハードルとして、経験者から「人員・設備不足の中で都市部と同レベルの医療を求められ、訴訟社会の今はリスクが高すぎる」「プライバシーがない・よそ者扱いされるなど人間関係の難しさ」といったことが挙げられた。ひとりの医師に24時間の負担をかけるのではなく、チーム制・輪番・期間限定などの体制を組めば携わる医師が増え、状況が改善するのでは、といった意見も複数見られた。設問詳細現在、全国各地で高齢化が進み、中山間地域・離島を中心とした地方では、過疎化と共に“限界集落”※が増加しているといわれています。※人口の50%以上が65歳以上の高齢者となって、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落このような状況下、僻地診療所や小規模な病院による医療提供のほかに、診療所と大規模病院の連携・一時的な交代医師派遣・専門医による巡回診療・ドクターヘリの出動なども含めたかたちの“僻地医療”の充実が望まれています。医療分野における“僻地“とは:厚生労働省により『交通条件及び自然的、経済的、社会的条件に恵まれない山間地、離島その他の地域のうち、医療の確保が困難である地域。無医地区、無医地区に準じる地区、僻地診療所が開設されている地区等が含まれる』と定義されていますそこで先生にお尋ねします。Q1.現在、僻地医療に携わっていらっしゃいますか常勤で携わっている常勤以外(パートタイム・巡回・ドクターヘリなど)で携わっている以前携わっていた携わったことがない(「以前携わっていた」「携わったことがない」の回答者のみ)Q2.僻地医療に携わることについて、先生のお考えに近いものをひとつお選び下さい将来的には考えたい勤務体制(期間/曜日限定、要請時のみなど)次第で考えたい待遇(報酬・休息時間など)次第で考えたい関心はあるが携われない全く関心がない(「関心はあるが携われない」「全く関心がない」回答者のみ)Q3.僻地医療に携われない・関心のない理由をお聞かせ下さい(複数回答可)開業しており、自分の交代要員がいないため多忙で他の業務に携わる余裕がないため診療科を問わず総合的な診療を行うことが不安なため自分の専門科の必要性が薄いと思うため設備の充実していない施設での医療提供が不安なため医療技術が遅れないか不安なため住民・風土に馴染めるか不安なため僻地の生活環境で暮らせないと思うため子供の教育・親の介護など、現在の住まいを移せないため自分が携わる必要があると思わないためその他Q4.コメントをお願いします(現在携わっている/以前携わっていた先生はその内容、充実している点・困った点など日々感じることやエピソード、携わっていない先生は理由・懸念点、そのほか僻地医療に関わることであればどういったことでも結構です)2013年4月26日(金)実施有効回答数1,000件調査対象CareNet.com会員コメント抜粋(一部割愛、簡略化しておりますことをご了承下さい)「住民にとっては無医村解消であっても、自分にとっては無医村なのが心配。医療はチームで考えるべき」(青森県,50代,循環器科)「僻地病院で約1週間単位での交代勤務をしている。常勤はやはりつらいと感じる。1週間交代での勤務は、医師によって「先送り診療」が生じ患者さんに不利益が生じることがある。もう少し長いスパンでの交代も望ましいかと思う。」(北海道,40代,産婦人科)「満足できる報酬と住民の理解が得られる事が最低条件。住民が「自分たちの税金で雇っている」という感覚で、いつでも診察を要求したり、生活を見張っていたりするような地域では、医師は居着かないのでは」(宮崎県,50代,循環器科)「赴任に関しては、ある程度の行政指導などの強制力(1-2年間くらい?)が必要なのかも」(福岡県,50代,外科)「僻地の方は病院へ2時間移動はざらですから、診療所が近くにあると喜ばれる。これだけでもやりがいに」(愛知県,50代,麻酔科)「本当に医療を必要に感じている人は自ら都会へ足を運びます。僻地医療という閉鎖的な響きを払拭し、各都市間で横の連携を深めないと、この時代に「あかひげ先生」を奨励してもしょうがないと思う」(北海道,40代,消化器科)「島に一人の医師でした。かなり重圧…」(京都府,50代,内科)「学会専門医や単位がいつとれるのか、維持できるのか?大学におけるインセンティブがとれるのか、不安になったことがあります。そのとき思ったのが交代制。必ず期間を区切ること、将来のキャリアアップにつなげることができれば、地域医療に一時的にかかわるのは悪くないと思いました」(北海道,40代,内科)「基幹病院の立場から協力しています。僻地の先生から無理難題を押し付けられることもありますが、できる範囲でこれからも協力したいと思います」(愛媛県,60代以上,脳神経外科)「東北の沿岸部で常勤。自然が豊かで、ダイビング・釣りなどできる。困ったのは、医師も住民も権利意識が強いこと、医療のレベルが低いこと(正しい医療より、保険点数重視)。今の病院・前の勤め先も津波でえらい目にあったが、楽しく前向きに仕事してます」(岩手県,60代以上,内科)「私のような特殊領域を専門とする医師は僻地の医療機関に常勤医としては不要である。但し、僻地の診療所の非専門医からのコンサルテーションは積極的に受託している。現在は当該医療機関の医師と私の個人的信頼感に基づいているが、公的ネットワーク(病理組織の遠隔診断のような)の構築が必要と思われる。」(京都府,50代,その他)「強制的にやっても無理でしょう。志のある人にやってもらえばいいと思う」(神奈川県,60代以上,消化器科)「広範囲の疾患に対応する必要があり、経験豊富な医師でないと務まらない」(秋田県,50代,内科)「一番の懸念は『一人きりの医師』として拘束される時間。それが解決できれば考える余地はある」(鹿児島県,50代,麻酔科)「期間限定ならかまいません。いろいろなところでの医療に携われるのは経験にもなって良いと思う」(北海道,40代,精神・神経科)「以前携わっていたのは風光明媚な所で、勤務ものんびりしていた。家族としては幸せだったらしいが、キャリアとしてはこのままではだめだという意識が常にあり、結局短期間でそこを離れることになった」(福島県,40代,内科)「定義によっては僻地とみなされない地域で勤務しています。子弟の教育に不利で、ちょっとした研究会への参加が困難。県庁所在地(むしろ医学部所在地か)や中央へ行くことが多く移動で疲労する。食事をする店もありません」(広島県,40代,内科)「非常勤で勤務していた先で、治療が必要な患者さんを診ても送り先を探すのに苦労した。人口も医療資源も少ない地域では現実的にできることは限られるし、勤務のストレスは大きくなる。医局制度があった当時のほうがまだよかったが、もう戻らない」(愛知県,40代,神経内科)「定年退職後、僻地とはいえませんが九州から北海道東部の重症心身障害児施設へ月に1週間けいれん患者の診療に行っています。そもそも重症心身障害児医療に従事する医師が少ない上に道東地区は医師の絶対数が少ない。多くの重症心身障害児を一人の医師が診て、巡回診療もしている。何とかならないかと愚考しています」(大分県,60代以上,小児科)「週2回、へき地のコミュニティーセンターの1室で1時間診療を行なっている。検査は心電図しかないが、患者さんには喜んでもらっています」(香川県,60代以上,循環器科)「常勤。郷里ではありますが、人間関係が濃厚すぎて…」(長崎県,40代,内科)「短期ボランティアで各地に行きます。外からの継続的な支援が、ずっと僻地医療に関わっている医療者の助けになればと」(神奈川県,30代以下,内科)「自分の老後にボランティア感覚で貢献したいとは思うが、現役バリバリのときはキャリアアップにつながる仕事をしたいので僻地医療をしているヒマはない」(京都府,30代以下,呼吸器科)「以前は数年おき交代の派遣で維持されていたが,医局制度の崩壊により片道切符になった」(石川県,40代,循環器科)「僻地医療は24時間の対応が必要でボランティア的な要素が大きい。自分の郷里若しくはお世話になった地域等でなければなかなかモチベーションを保てないのではないか。」(埼玉県,60代以上,内科)「50代後半にもなって僻地で生活したいとは思わない。24時間オンコールのような状態で、患者の転送システムもうまくいっている地域はごくわずかであろう。年収が3倍にでもしてくれないと」(宮城県,40代,内科)「へき地ではないが、田舎での勤務は経験あります。月に1週間、1年くらい通いました。どんな飲食店にいっても顔を知られていて、人々の話を時間的に並べるとその日の自分の行動が丸わかりになる。ちょっとしんどかった1年でした」(京都府,50代,呼吸器科)「僻地で長期間を経れば、現在の医療について行かれなくなり、離任した頃には次の行く先を失ってしまう。一定期間での確実な交代が不可欠であり、全く無関係の医師が行くことも好ましくない。かつてのように、医局単位で同門者から脈々と勤務者が派遣されることは、連続性という意味でも、非常に好ましい制度であったように感じている。」(東京都,50代,呼吸器科)「子供が成長して、一緒にいなくてもよくなれば考えるかも」(神奈川県,40代,小児科)「僻地医療の重症受け入れ機関で働いていたが、かかりつけ医との役割分担が不十分で、何でもかんでも大きな病院という患者が多く、体制づくりが必要と感じた」(千葉県,30代以下,総合診療科)「専門バカになっており、ジェネラリストとしてやっていけるかどうかが不安」(東京都,40代,神経内科)「家族の生活や子供の教育を考えると、一家揃って僻地に赴くことは現時点で不可能。ひとりで一手に引き受けるのも負担が大きく、複数の担当者でチームとして診療に当たれるような体制が望まれる」(福岡県,40代,泌尿器科)「離島での産科医療は、即断即決で常に背水の陣にあり、重圧を常に感じる。特に悪天候の折には、ヘリも高速ボートも使えず覚悟がいる」(佐賀県,60代以上,産婦人科)「以前は大学からのパートで僻地に行っていた。当時より高齢化しており、長期的には都市部に医療資源を集めるべきだと思うので、そちらに計画的に移ってもらうのが理想。それとは別に、医師全員が研修医の時期など一定期間必須で携わるべきだと思う。総合科の医療はそこにあるので勉強になる」(徳島県,40代,消化器科)「以前、僻地の公立病院に勤務。盆と正月は最悪。都会から患者の息子ら帰省、東京並みの医療を求めてクレーム。「しばらく見ないうちにこんなに弱っている。いったい今まで何を管理していたのか!」老親「先生、すみませんねえ」と申し訳なさそうに言うも、お亡くなりになれば、文句を言ってくるのは都会の息子らなので、もうこんな僻地ではやってられないと退職、都会に避難。僻地に住むなら、僻地で提供できる医療の範囲をわきまえてほしい」(大阪府,40代,呼吸器科)「妻帯者が通勤困難な僻地に単身赴任するのは家庭崩壊に繋がる為、独身の医師でないと務まらないと思われる」(宮城県,40代,循環器科)「お手伝いが出来ればいくらでもしたいという気持ちはあるが、かなりの専門性が問われるようになり、大変厳しい時代になっていると思う」(東京都,50代,皮膚科)「そもそも医療に限らず十分なサービスを望むものはそれが充実した地域に移住すべきだと考えています。僻地に住むのは、不便であることを含めて住むということ。よって、医療サービスを無理して僻地に持っていく必要は全くないと思う」(福岡県,40代,皮膚科)「若い時期は自分の能力を向上させるため僻地にとどまることができないと思うし、年をとると体力的に役立つことができなくなるしで、結局僻地医療に従事できなかった。 一度僻地に行くと交代の医師がいない限りやめることができない懸念があるので、派遣の形でも交代医師を確保する体制が必要だと思います。僻地医療の良さもあるはずですので、誰もが一度は経験する機会を制度として組み込むのも良いかと思う」(神奈川県,60代以上,精神・神経科)「5km四方に医療機関はなく救急車もないような山奥の寒村に、短期間ではあったが一人でいた。数十年前の話では参考にもならないだろうが、オートバイで峠を越えての往診で帰路の降雨で峠を越せず、患者宅に戻り車を預けて熊でも出そうな夜の山道を帰ってきて半日を消費し、その間の外来患者さんを診られなかったことや、簡単な手術と思ってもたった一人で実施したことなどを振り返ると、何も起こらなかったのはただ幸運だっただけ。実は冷や汗ものだったので、若気の至りでもなければ出来る事ではない」(東京都,60代以上,産婦人科)「私自身はいい思い出しかありません。住民の方も優しい方が多かったですし、むしろ地域病院で臨床力をつけたと思っています」(和歌山県,50代,内科)「単なる人員確保として高額な給与を提示したり、医学生や研修医の囲い込みを図っているようにしか見えないが、非効率な上に役にたたず、問題だらけだと思う。一番良いのは「経験もあって」「人脈もしっかりしていて」「自分の家族、特に子育てを終了している」一般に定年を過ぎた老人医師でグループを形成し(一人や二人にすべて押し付けるのではなく!)週2~3日程度の勤務であれば、人は集まると思うし実際の役に立つ。資源(老人医師)の有効活用にもなる。そういう勤務なら田舎暮らししようという気になる連中はたくさん知っている。 あとは、過疎地域の社会生活をどうやって成り立たせて行くのか、統廃合するのか、もっと高い視点から俯瞰した行政のビジョンと手腕が必要である。けして小手先の対応策に逃げないでほしい」(長野県,50代,外科)「常勤です。田舎なのでのんびりしてますが、子供を通わせたい進学校は遠く、いずれ息子を下宿させるか、自分が単身赴任するかを選ばなくてはいけなくなっています。 買い物も週に2回車で40分かかるスーパーに行ってますが、更に奥の部落からだと1時間半、救急車が指定病院に到着するまでも同じくらい掛かります」(秋田県,40代,内科)「自分の診療所を閉めたら考えたいが、その時自分は役に立たないかもしれません」(東京都,50代,内科)「僻地にも医師は不足していると思うが、都会でも医師が充実しているところは一部で、現職場では全くの人材不足。また、やはり家族の問題が大きい。自分一人なら良いが、家族も一緒には連れて行けないし離れて暮らすつもりはない」(兵庫県,40代,内科)「僻地医療の充実に必要なコストと僻地に住む人が病院にアクセスできるよう道路整備を行うコストを比較してよりコストパフォーマンスの高い方法を選択すると良いのでは?僻地に常勤医は医療資源の無駄遣いのように思います。医療の不充実などのデメリットを承知の上で住んでいると思う。限られた予算ですべての要求を満たすことは不可能でしょ」(広島県,30代以下,整形外科)「僻地に都市並みの医療機関は必要ない。現状の僻地医療は補助金で運営されているのが現状であり、受益者負担になっていない。一票の格差同様、極めて不平等である」(北海道,40代,内科)「スタッフが多かった頃は離島の応援業務に出ていましたが、今は人数的に不可能です。離島に関しては、常勤を希望するDrが不在の場合は、回り持ちで応援するシステムを構築するのが理想だと思います。」(京都府,50代,産婦人科)「現在常勤である。敷居は高くないので、多くの先生方に積極的に関わって頂きたい」(長野県,50代,呼吸器科)「24時間365日の待機体制。1日外来数100名。有床診で重症者多数。深夜0時以降も毎日のように呼び出され、週1~2回は地域の集会にも呼ばれる。感謝されることもあるが、「当然」と思っている住民が多く、身が持たない。離島の診療所で2年間勤務したが、一時期は医師を辞めることも考えたくらいで、疲弊して帰ってきた。今は地方の病院勤務だが、二度と関わりたくない」(鹿児島県,40代,内科)「放射線治療をずっとやってきたので、大病院での勤務が続いたが、定年退職後は総合診療医としてへき地医療を考えている」(岡山県,60代以上,放射線科)「僻地医療に機会があれば一度は携わりたいと思います。しかし僻地医療に携わるためには総合内科としてのスキルがある程度必要であり、ある程度医療経験が必要であり、若いうちに行くことは難しいと思います。逆に30-40歳になると家庭があり難しい面もあると考えます」(香川県,30代以下,内科)「40才前半で医局より派遣。学位と引き換えでしたが。すべて1人ということで24時間勤務。対応をある程度断らないと自分の体がもたない。自分の体と、家庭、使命感のはざまでした。3~4人で埋めればなんとかなるのだろうが。人件費等を考えると、へき地医療は公立病院の使命ではないか。公費、税金でマイナスを補てんしているのですから。めんどくさいことはすべてお断り、9時~5時ただいるだけというような公立病院は廃止して、その分へき地医療に充てればよい。」(東京都,50代,内科)「家族のため現在は難しいのですが、その状況が変化すれば考えてみたいです。好きな地方があるのでそこへ行きたいです」(東京都,30代以下,泌尿器科)「結局、余所者という立場からは脱却できないのではないかという懸念がある。高待遇で呼ばれても、村長が『自分より高い給料はけしからん』といって待遇が変われば、それらの付加価値はすぐなくなるであろう。それに対して地元民が擁護してくれるとは思えず、結局使い捨てになるのではないか?自然の中でのんびりは幻想だと思う」(滋賀県,40代,小児科)「以前の勤務先で、無医地区での健診を行っていた。その際は自分の専門範囲のみ、1日ずつだったので、大きな支障はなかった。しかし、とかくそうした地域では、一人の医師に広範囲の役割を求められるので、長期にわたって「何でも屋になれ」と言われると、まったく自信がないしお役に立てない。」(北海道,40代,小児科)「山間部のへき地病院に大学から派遣されたことがあるが、給与は自治医大出身の先生の半分以下。同じ仕事をしているのに、とやる気が失われた。公平な対応が必要では」(佐賀県,40代,内科)「現在の職場を辞められないため無理ですが、嫌いではありません。またやってみたい気持ちはあります」(秋田県,40代,外科)「以前関わっていたが、地域住民・行政の理解が得られないことが多々あり、責任の押し付けをされる、協力してもらえない等、精神的に過酷な状況に追い込まれる医療であった」(北海道,40代,循環器科)「僻地において医療だけを充実させることは無理 すべてのインフラに対する投資が必要。投資をしないならば僻地から住民を都市部に移動させるしか選択枝は無い」(京都府,40代,皮膚科)「不定期の診療では、患者さんの変化に応じた医療の提供が難しい」(北海道,50代,泌尿器科)「24時間身をささげる覚悟(在宅死の看取りなど)はないが、慢性疾患の管理であれば考えたい」(熊本県,30代以下,循環器科)「現在携わっており、200床程度の病院、常勤医は18名のみ。小児科医師は私一人でして、限界を感じながらも奮闘中です」(熊本県,60代以上,小児科)「勤務は総合病院ですが、地理的に僻地。一番困るのは、信頼されていないこと。手術適応の患者は都会での手術を希望し、面倒くさい検査やその後の経過観察のみを要求します。そのため、紹介する時は終診として、今後の診察を拒否させてもらっています。医師としての態度が歪んでいると批判されるかもしれませんが、歪みの原因は患者側にもあると思っています」(青森県,40代,泌尿器科)「僻地医療の過疎化は以前からあったが、厚労省主導の新臨床研修制度により、ますますひどくなったのが現実。今や、東京の一人勝ちでしょう?何故各県に一医大を作って行ったのか、その原点に戻るべきじゃないのかな。僻地医療はその延長線上にあるんだから」(千葉県,40代,循環器科)「輪番制で強制的にいく制度を作るしかないと考えます」(北海道,50代,内科)「私は400床程度の急性期病院の院長です。近隣の国保の診療所にて週一度、半日の代診をしています。人口3000人余のこの地域は、地理条件的にへき地とはいえませんが常勤の医師がいません。しかし交通事情が良いので、住民は近郊の町の医療機関にかかっており、診療所を利用する方は多くありません。在宅医療などのニーズ把握が十分でなく、潜在的なニーズ把握調査を行ってくれる保健師などもおらず受身の代診医の限界を感じています。行政に働き掛けていますが、なかなかうまくいきません」(香川県,60代以上,外科)「病院の医師の数が少なく、研究会や講演会、学会などに参加する機会がほとんど与えられなかった。そのあたりの改善がはかられたら、うれしいです。」(大阪府,40代,精神・神経科)「現在の仕事に加えての僻地医療に関しては、まず時間を割くことが困難。 個人で関わるのではなくチームやグループで対応しないと個人の負担があり途中で疲弊してしまうのではないだろうか。現在の医療の実態・限界・経営面なども僻地に暮らす住民も含め相談し検討する必要がありと思われる。」(福岡県,40代,内科)「患者さんも僻地と認識しているので、当院でできる治療であっても、都会に行ってしまう傾向が残念」(北海道,30代以下,内科)「医療のみならず生活を支える様々なインフラの整備が困難となっており、医師・スタッフを派遣すれば問題が解決するわけではないと考える。経済性や効率面などから、居住地の集約化の議論が避けられないのでは」(岡山県,40代,血液内科)「子育てが落ち着き、ある程度の設備が整っていれば、一度は携わってみたいと思う」(三重県,30代以下,眼科)「皮膚科以外は全く診療不能なため、自分は無理」(神奈川県,40代,皮膚科)「できない、やるべきでないのに田舎でも高次医療を求められる」(広島県,40代,内科)「『リタイアしたら考えても良い』『リタイアしたら、もう医療はしたくない』との思いの間で揺れています。しかし実際に赴任するとなると、引っ越しや家族の説得、新たな人間関係の構築など、煩わしいことがいっぱいあるため、なかなか踏み出せないのが実情。そういう思いの高齢の先生方が実は多いのでは?そこをクリアできれば潜在的な供給源はあるようにも思う」(大阪府,60代以上,内科)「僻地医療は専門分野をまたいで様々な疾患を広く浅く診られなくてはいけない。 その点が足かせになっているのではないか」(秋田県,40代,消化器科)「以前過疎地に勤務していた先輩が、地域の政治対立に巻き込まれ辞任せざるをえなくなったのを経験しました。秋田の医師追い出し事件や愛媛での町立病院高給訴訟など、僻地住民が自分の土地に医療を必要としているのか、疑問に感じる事件を多々目にします。必要だと思ってもらえないなら、誰もそんな所に行きたくないのでは」(愛媛県,40代,代謝・内分泌科)「中山間地域の在宅医療に関わっています。今後高齢化が更に進むと病院へ足を運ぶことが困難な患者が更に増えていくため巡回診療等も必要ではないかと考えています」(静岡県,50代,外科)「関わっていた当時(約20年前)に比べると、必要な医療情報の入手は格段に容易となった。都市部の「地域医療」とは異なった独特の魅力を持つ「僻地医療」は、将来の選択肢の一つである」(北海道,50代,整形外科)「僻地医療の限界を、患者や住民、マスコミがある程度理解しないと医師は減り続けると思う。都会の高度医療圏と同じレベルの医療を受けることを当然としている人々が多すぎる」(北海道,40代,循環器科)「僻地にコストをかけて十分な医療を提供するのは国家にとってかなりの負担になる。住民にもしっかり負担させるべき」(長崎県,30代以下,皮膚科)「都市部の多忙な病院勤務で空き時間がないため携われていないし、子供の教育の問題で僻地に赴くことができない 年に何回か1~2週間ずつであれば行ける可能性がある」(兵庫県,50代,外科)「研修医です。将来携わる予定です。日本では在学中にそういう経験をする機会が少ないからか、僻地医療を見下したり興味がないと言い切れる先生が多いことを悲しく思っています」(石川県,30代以下,内科)「以前携わっていたが、とにかくよそ者に対する住民の目がうるさい」(静岡県,50代,呼吸器科)「地方で開業していますが、患者さんのブランド志向や家族の入院施設入所志向は強く、時間外診療とか往診等で苦労しても知らないうちに入院していたり、急に入院目的の紹介を頼まれたりして、自分の時間を削ったのにと思ったりします。心底信頼されるとか金銭になるとかの見返りを求めない方なら良いが、いろいろな意味で僻地診療は困難と思います(政府は在宅在宅といいますが、若い方で親の在宅医療を希望される方は今はごく少数派)」(広島県,50代,内科)「当科の診療には高度な検査機器が必要なため,僻地現場での精査・加療は困難である.むしろ,地域のネットワークでドクターヘリなどが広く準備される環境が望ましいと考える」(石川県,50代,脳神経外科)「奥能登など人口の著しい減少地帯では、もう手遅れではないかと思う。医師の倫理観だけでは何もできない。社会的な対応が必要である。」(富山県,50代,精神・神経科)「時々代診に行くのを楽しみにしています。普段は専門領域のみですが、代診で幅広い領域を診察したり、往診に行ったりするのは医師になった原点を思い出すことにもなりいい経験です。豪雪だと、行き帰りが大変で困りますが」(福井県,40代,循環器科)「携わるべき人材の育成をしないと成り立たない。自治医大が出来た時には各県から2名ずつ程、奨学金を貰って卒業し卒業後は県に戻るとなっていたが、結局お金を払って自分の選んだコースへ進む人が大部分で僻地へは行かない状況です。『僻地医療大学』でも作って、卒業したら20年位は僻地医療への従事義務を負わせる事にでもしないと解決出来ないと思います」(神奈川県,60代以上,泌尿器科)「30年間専門科のみの診療を行ってきており、言ってみれば大学卒業直後の研修医より他の診療科の知識が乏しい。自分の専門科として僻地病院で勤務するのなら可能だろうが、総合診療、一般救急を担当することは困難と考える」(新潟県,50代,産婦人科)「研修医のときに関わりました。結構楽しく充実した日々でしたが、自分の生活もあり長期では出来ないと思いました」(千葉県,30代以下,精神・神経科)「伊豆諸島のひとつに1ヶ月間いた。当時の住民人口約700人プラス観光客に対して、医師は自分一人。診療所の勤務は月曜から土曜の午前中だけであったが、交代の医師が来るまで島に缶詰なので、一人で24時間オンコール体制であった。夜中にステルベンがあったり、緊急でヘリや船をチャーターして患者を本土に送ったりしたときは大変で早く戻りたかったが、のんびりした時間が心地よく、帰る頃には『もう少し居たい」と思うようになった。」(東京都,50代,呼吸器科)「現在常勤。行政や議会が医療崩壊の実態に無理解で、自分たちのこととして考えていない。行政は医療になるべく金をかけまいとし、病院をお荷物であるかのように扱う。 定期的に医師の交替があるのに、住民は「田舎に来る医師は都市部よりレベルが低い」と信じ込んでいる。へき地であっても、コンビニ受診、クレームも多い。開業医は夜間診ないで中核病院に押し付ける。医師偏在があるのに大学は医師を引き上げて都市部へ異動させる」(大分県,50代,外科)「医療に対する目が厳しく、こちらが良しと考え行った治療も、結果が悪ければ訴えられる時代であり、困難な症例の場合、相談する医師のいない僻地ではリスクが大きすぎる。」(兵庫県,50代,代謝・内分泌科)「人口3000人程度の村の診療所に勤務していたが(診療所の2階に居住)、夜間・休日に遠方へ出かけた際、時間外の診察に応じられなかったことがある。特に義務があるわけでもないし、緊急の診察依頼でもなかったが(風邪程度)、拘束されている感じがしてかなりストレスだった。代診も頼めず、研修などを急遽中止したこともある」(鳥取県,40代,内科)「子供の教育を考えると難しい。子供を犠牲にしてまで僻地医療に貢献しなければならない、とは思わない。非常勤で月に何回か手伝いに行くという形でなら,もしくは報酬次第では手伝いに行きたい、という医師は多いだろう」(東京都,30代以下,小児科)「都会で生活している身には正直あまり考えたことない内容でしたが、僻地医療は大切だと思います。ただ、小規模な病院をたくさん作るよりは、基幹病院を充実させ、そことの連携を図る方が重要だと考えます」(大阪府,30代以下,呼吸器科)「地方都市の郊外で開業していますが、当医院より山奥はまさに僻地で、限界集落ばかりです。人口が少なく、医療機関の新規立地は困難。開業医も高齢化しつつあり、医療格差が広がっていると思います。僻地医療にインセンティブでもないとやっていられない」(新潟県,50代,内科)「できれば協力したいと考えている方ですが、休みの予定が全く立たないような勤務は私の年齢では無理です。ある程度の医師のいる施設や、非常勤や外来だけであれば将来的には可能」(熊本県,50代,循環器科)「医療圏に僻地を含んだ総合病院に勤務していた。僻地からの患者は、医療を受けず/受けられず、いよいよ重症という時になってようやく救急車で運ばれてくる、というパターンが多かった」(東京都,30代以下,代謝・内分泌科)「四十数年前に大学の医局から派遣されたことがある。大都会での研修ばかりでなく、制度として昔のように大学から赴任させる制度の復活が望まれる」(兵庫県,60代以上,小児科)「自分の専門性が活かせるとは思うが、家族の理解が得られない」(京都府,50代,総合診療科)「僻地自治体の取り組みに温度差が大きく、すぐに医師が辞めてしまう話を聞きます。地域住民も意識が低いようです。給与を多くすると住民が離れ、安いと誰も赴任してきません。私の元本籍地の現状です」(京都府,50代,産婦人科)「以前に僻地医療を行っていたことがあるが、特権意識がある、あるいは赴任してくる医師を小馬鹿にしたような意識がある方が住民の一部におられる。住民も街の医療機関への志向が強いようであり、医療機関がそこにある必要性がないのであろう」(広島県,50代,脳神経外科)「僻地勤務ですが,地域救急病院への搬送は遠くても40分以内で可能です。加齢と共に勤務は大変になってきましたが、気力のある限りは留まりたいと考えています」(岐阜県,60代以上,内科)「週一回、大学より山奥へ土日の一泊で行っていた。急患の手術必要時は麓まで下ろしていた。空気はうまいし人は温かかった」(徳島県,60代以上,内科)「自分は携わっていませんが、実家がへき地の診療所なので苦労は聞いています。家族含めて住民とその土地の雰囲気に慣れるか、教育レベルを維持できるか、給料格差に対して妬みなど受けないかなど気を使うことが多いようで、自分にはできないなと思います」(埼玉県,50代,代謝・内分泌科)「赴任期間が長くなると、近隣の市中病院との医療レベルの差が顕著に。意識的な自己研鑽の時間が必要になると思う」(青森県,50代,皮膚科)

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リハビリテーション中の転倒事故で死亡したケース

リハビリテーション科最終判決平成14年6月28日 東京地方裁判所 平成12年(ワ)第3569号 損害賠償請求事件概要脳梗塞によるてんかん発作を起こして入院し、リハビリテーションを行っていた63歳男性。場所についての見当識障害がみられたが、食事は自力摂取し、病院スタッフとのコミュニケーションは良好であった。ところが椅子坐位姿勢の訓練中、看護師が目を離したすきに立ち上がろうとして後方へ転倒して急性硬膜下血腫を受傷。緊急開頭血腫除去手術が行われたが、3日後に死亡した。詳細な経過患者情報既往症として糖尿病(インスリン療法中)、糖尿病性網膜症による高度の視力障害、陳旧性脳梗塞などのある63歳男性経過1997年1月から某大学病院に通院開始。1998年9月14日自らが購入したドイツ製の脳梗塞治療薬を服用した後、顔面蒼白、嘔吐、痙攣、左半身麻痺などが出現。9月15日00:13救急車で大学病院に搬送。意識レベルはジャパンコーマスケール(JCS)で300。血圧232/120mmHg、脈拍120、顔面、下腿の浮腫著明。鎮静処置後に気管内挿管し、頭部CTスキャンでは右後頭葉の陳旧性脳梗塞、年齢に比べ高度な脳萎縮を認めた。02:00その後徐々に意識レベルは上昇し(JCS:3)抜管したが、拘禁症候群のためと思われる「夜間せん妄」、「ごきぶりがいる」などの幻覚症状、意味不明の言動、暴言、意識混濁状態、覚醒不良などがあり、活動性の上昇がなかなかみられなかった。9月19日ベッド上ギャッジ・アップ開始。9月20日椅子坐位姿勢によるリハビリテーション開始。場所についての見当識障害がみられたものの、意識レベルはJCS 1~2。「あいさつはしっかりとね、しますよ。今日は天気いいね」という会話あり。看護記録によれば、21:00頃覚醒す。その後不明言動きかれ、失見当識あり夜間時に覚醒、朝方に入眠する。意味不明なことをいう時もある朝方入眠したのは、低血糖のためか?BSコントロールつかず要注意ES自力摂取可も手元おぼつかないかんじあり。呂律回らないような、もぐもぐした口調。イスに移る時めまいあるも、ほぼ自力で移動可ES時、自力摂取せず、食べていてもそしゃくをやめてしまう。ボオーッとしてしまう。左側に倒れてしまうため、途中でベッドへ戻す時々ボーッとするのは、てんかんか?「ここはどこだっけ」会話成立するも失見当識ありES取りこぼし多く、ほとんど介助にて摂取す9月21日09:00全身清拭後しばらくベッド上ギャッジ・アップ。10:30ベッド上姿勢保持のリハビリテーション開始。場所についての見当識障害あり「俺は息子がいるんだ。でもね、ずっと会っていないんだ」「家のトイレ新しいんだよ。新しいトイレになってから1週間だから、早くそれを使いたいなあ。まだ駄目なの?仕方ないねえ。今家じゃないの?そう。病院なの。じゃあ仕方ないねえ」11:00担当医師の回診、前日よりも姿勢保持の時間を延ばし、食事も椅子坐位姿勢でとるよう指示。ベッドから下ろしてリハビリ用の椅子(パラマウント社製:鉄パイプ製の脚、肘置きのついた折り畳み式、背もたれの高さは比較的低い)に座らせた。その前に長テーブルを置いて挟むように固定し、テーブルの脚には左右各5kgの砂嚢をおいた。12:00看護師は「食事を取ってくるので動かないでね」との声かけに頷いたことを確認し、数メートル先の配膳車から食事を取ってきた。準備された食事は自力でほぼ全部摂取。食事終了後、看護師は患者に動かないよう声をかけ、数メートル先の配膳車に下膳。12:30食後の服薬および歯磨き。このときも看護師は「歯磨きの用意をしてくるから動かないでね」、「薬のお水を持ってくるから動かないでね」と声をかけ、患者の顔や表情を観察して、頷いたり、「大丈夫」などと答えたりするのを確認したうえでその場を離れた。13:00椅子坐位での姿勢保持リハビリが約2時間経過。「その姿勢で辛くないですか」との問いに患者は「大丈夫」と答えた。13:10午後の検査予定をナース・ステーションで確認するため、「動かないようにしてね」と声をかけ、廊下を隔て斜め向かい、数メートル先のナース・ステーションへ向かった。その直後、背後でガタンという音がし、患者は床に仰向けで後ろ側に転倒。ただちに看護師が駆けつけると、頭をさすりながらはっきりした口調で「頭打っちゃった」と返答。ところが意識レベルは徐々に低下、頭部CTスキャンで急性硬膜下血腫と診断し、緊急開頭血腫除去術を施行。9月24日20:53死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.予見可能性坐位保持リハビリテーションはまだ2日目であり、長時間のリハビリテーションは患者にとって負担になることが予見できた。さらに場所についての見当識障害があるため、リハビリテーション中に椅子から立ち上がるなどの危険行動を起こして転倒する可能性は予見できた2.結果回避義務違反病院側は下記のうちのいずれかの措置をとれば転倒を回避できた(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定する病院側(被告)の主張事故当時、患者は担当看護師と十分なコミュニケーションがとれており、「動かないようにしてね」という声かけにも頷いて看護師のいうことを十分理解し、その指示に従った行動を取ることができた。そして、少なくとも、担当看護師がナース・ステーションに午後の検査予定を確認しにいき戻ってくるまでの間、椅子坐位姿勢を保持するのに十分な状態であった。当時みられた見当識障害は場所についてのみであり、この見当識障害と立ち上がる動作をすることとは関係はない。したがって本件事故は予測不可能なものであり、病院側には過失はない。裁判所の判断1. 予見可能性事故当時、少なくとも看護師に挟まれた状態では自分で立っていることが可能であったため、自ら立ち上がり、または立ち上がろうとする運動機能を有していたことが認められる。そして、看護師の指示に対して頷くなどの行動をとったとしても、場所的見当識障害などが原因で指示の内容を理解せず、あるいはいったん理解しても失念して、立ち上がろうとするなどの行動をとること、その際に体のバランスを失って転倒するような事故が生じる可能性があることは、担当医師は予見可能であった。2. 結果回避義務違反転倒による受傷の可能性を予見し得たのであるから、担当医師ないし看護師は、テーブルを設置して前方への転倒を防ぐ方策だけではなく、椅子の後ろに壁を近接させたり、付添いを中断する時は椅子から立ち上がれないように身体を固定したり、転倒を防止するために常時看護師が付き添うなどの通常取り得る措置によって、転倒防止を図ることが可能であった(現に5kgの砂嚢2個を脚に乗せたテーブルを設置して前方への転倒防止策を講じていながら後方への転倒防止策は欠如していた)ので、医療行為を行う上で過失、債務不履行があった。2,949万の請求に対し、1,590万円の支払命令考察病院内の転倒事故はすべて医療過誤?今回の患者は、インスリンを使用するほどの糖尿病に加えて、糖尿病性網膜症による視力障害も高度であり、以前から脳梗塞を起こしていた比較的重症のケースです。そして、医師の許可なく服用したドイツ製の治療薬によって、顔面蒼白、嘔吐、左半身麻痺、てんかん発作を発症し、大学病院に緊急入院となりました。幸いにも発作はすぐに沈静化し、担当医師や看護師は何とか早く日常生活動作が自立するように、離床に向けた積極的なリハビリテーションを行ないました。このような中で起きたリハビリ用椅子からの転倒事故です。その直前の状況は、「ここはどこだっけ」といった場所に関する見当識障害はあったものの、担当医師や看護師とはスムーズに会話し、食事も自力で全量摂取していました。はたして、このような患者を担当した場合に、四六時中看護師が付き添って看視するのが一般的でしょうか。ましてや、看護師が離れる時は患者が転倒しないように椅子に縛り付けるのでしょうか?もし今回の転倒前にもしばしば立ち上がろうとしたり、病院スタッフの指示をきちんと守ることができず事故が心配される患者の場合には、上記のような配慮をするのが当然だと思います。しかし、今回の患者は、とてもそのような危険が迫っていたとはいえなかったと思います。ところが、判決では「場所に関する見当識障害」があったことを重要視し、この患者の転倒事故は予見可能である、そして、予見可能であるのなら転倒防止のための方策を講じなければならない、という単純な考え方により、100%担当医師の責任と判断しました。実際に転倒現場に立ち会わなかった医師の責任が問われているのですから、きわめて厳しい判決であると思いますし、このような考え方が標準とされるならば、軽度の認知症の患者はすべて椅子やベッドに縛り付けなければならない、などという極論にまで発展してしまうと思います。最近では、高齢者ケアにかかわるすべてのスタッフに「身体拘束ゼロ作戦」という厚生労働省の指導が行われていて、身体拘束は、「事故防止の対策を尽くしたうえでなお必要となるような場合、すなわち切迫性、非代替性、一時性の三つの要件を満たし、「緊急やむを得ない場合」のみに許容される」としています。確かに、身体拘束を減らすことは、患者の身体的弊害(関節拘縮や褥瘡など)、精神的弊害(認知障害や譫妄)、社会的弊害をなくすことにつながります。ところが実際の医療現場で、このような比較的軽症の患者に対し一時的にせよ(看護師が目を離す数秒~数十秒)身体拘束をしなかったことを問題視されると、それでなくても多忙な日常業務に大きな支障を来たすようになると思います。ただ法的な問題としては、「利用者のアセスメントに始まるケアのマネジメント過程において、身体拘束以外の事故発生防止のための対策を尽くしたか否かが重要」と判断されます。つまり、入院患者の「転倒」に対してどの程度の配慮を行っていたのか、という点が問われることになります。その意味では、患者側が提起した、(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定するという主張も(若干の行き過ぎの感は否めませんが)抗弁しがたい内容になると思います。事故後の対応そのような考え方をしてもなお、このケースは不可抗力という側面が強いのではないかという印象を持ちます。今回事故が起きたのは大学病院であり、それなりに看護計画もしっかりしていたと思いますし、これが一般病院であればなおさら目の行き届かないケースがあり、事故発生のリスクはかなり高いと思います。そして、今回のケースが院内転倒事故に対する標準的な裁判所の判断になりますので、今後転倒事故で医事紛争にまで発展すると、ほとんどのケースで病院側の過失が認められることになるでしょう。とはいうものの、同様の転倒事故で裁判にまでいたらずに解決できるケースもあり、やはり事故前の対策づくりと同様に、事故後の対応がきわめて重要な意味をもちます。まずは入院時に患者および家族を教育し理解を得ることが肝心であり、転倒が少しでも心配されるケースにはあらかじめ家族にその旨を告知し、病院側でも転倒の可能性を念頭に置いた対応を行うことが望まれます。と同時に、高齢者を多く扱う施設では賠責保険を担当する損害保険会社との連携も重要でしょう。たとえば、小さな子供を扱う保育園や幼稚園では、子供同士がぶつかったり転倒したりなどといった事故が頻繁に発生します。その多くがかすり傷程度で済むと思いますが、中には重度の傷害を負って病院に入院となるケースもあります。そのような場合、保護者から必ずといって良いほど園の管理責任を問うクレームがきますが、保母さんにそこまで完璧な対応を求めるのは困難ではないかと思います。そこで施設によっては、治療費や慰謝料を「傷害保険」でまかなう契約を保険会社と交わして事故に備えるとともに、場合によってはその保険料を家族と折半するなどのやり方もあると思います。このような方法をそのまま病院に応用できるかどうかは難しい面もありますが、結局のところ最終的な解決は「金銭」に委ねられるわけですから、「医療過誤」ではなく不慮の傷害事故として解決する方が、無用なトラブルを避ける意味でも重要ではないかと思います。リハビリテーション科

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急性期精神疾患に対するベンゾジアゼピン系薬剤の使用をどう考える

 興奮を伴う急性期の精神疾患患者に対し、ベンゾジアゼピン系薬剤(BZD)の使用は一般的である。オーストラリア・カンバーランド病院のDonna Gillies氏らは、急性期精神疾患に対するBZDと抗精神病薬の有用性をCochrane Schizophrenia Groupレジストリ(2012年1月)に基づくレビューにて、比較検討した。その結果、BZD単独による効果は不良で、抗精神病薬との併用においても明確なアドバンテージがみられないことを報告した。結果を踏まえて、著者は「BZDをその他の薬剤に追加することによる明確なアドバンテージはみられず、むしろ不測の有害事象を起こす可能性がある。第一世代抗精神病薬を単独で使用することを正当化するのは難しく、本分野におけるより質の高い研究が望まれる」とまとめた。Cochrane Database of Systematic Reviewsオンライン版2013年4月30日発表の報告。 急性期精神疾患、とくに暴力行為あるいは激越を認める場合には緊急の薬理学的鎮静が求められ、いくつかの国ではBZD(単独または抗精神病薬との併用)がしばしば用いられている。本研究では、問題行動のコントロールおよび精神症状の軽減におけるBZDとプラセボ、またはBZDと抗精神病薬の効果を比較検討した。Cochrane Schizophrenia Groupレジストリ(2012年1月現在)を検索し、急性精神病患者を対象としBZD(単独または抗精神病薬との併用)と抗精神病薬(単独またはその他の抗精神病薬、BZD、抗ヒスタミン薬との併用)を比較したすべての無作為化臨床試験(RCTs)を抽出した。対となる変数のアウトカムに対しては、相対リスク(RR)と固定効果モデルによる95%信頼区間[CI]を算出した。連続変数のアウトカムに対しては、群間平均差(MD)を算出した。 主な結果は以下のとおり。・臨床試験21件、1,968例について検討した。・BZDとプラセボの比較試験(1件)で、中期(1~48時間)の「改善なし」のリスクはプラセボ群でより高かったが、大半のアウトカムは2群間で有意差を認めなかった(102例、1試験、RR:0.62、95%CI:0.40~0.97、エビデンスレベル:きわめて低い)。・BZDと抗精神病薬の比較試験で、中期における「改善なし」の患者数に2群間で差はみられなかった(308例、5試験、RR:1.10、95%CI:0.85~1.42、エビデンスレベル:低)。しかし、BZD群では中期の錐体外路症状の出現が少なかった(536例、8試験、RR:0.15、95%CI:0.06~0.39、エビデンスレベル:中)。・BZD+抗精神病薬とBZD単独の比較試験において、2群間に有意差は認められなかった。・BZD+ハロペリドールとハロペリドール単独の比較試験において、中期の改善に差は認められなかったが(155例、3試験、RR:1.27、95%CI:0.94~1.70、エビデンスレベル:きわめて低い)、併用療法群でより大きな鎮静がみられた(172例、3試験、RR:1.75、95%CI:1.14~2.67、エビデンスレベル:きわめて低い)。ただし、併用療法群はオランザピン(60例、1試験、RR:25.00、95%CI:1.55~403.99、エビデンスレベル:きわめて低い)またはジプラシドン(60例、1試験、RR:4.00、95%CI:1.25~12.75、エビデンスレベル:きわめて低い、国内未承認)との比較では改善がみられなかった。・ハロペリドール+ミダゾラムとオランザピンの比較では、改善、鎮静および行動において併用療法が優れるといういくつかのエビデンスが認められた。関連医療ニュース ベンゾジアゼピン系薬剤の使用で抗精神病薬多剤併用率が上昇?! 統合失調症治療にベンゾ併用は有用なのか? ベンゾジアゼピン系薬物による認知障害、α1GABAA受容体活性が関与の可能性

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スマホアプリで悪性黒色腫リスクの評価は可能なのか?

 高性能なカメラ機能や多彩なアプリケーションを搭載するなど、多機能を誇るスマートフォン。Joel A. Wolf氏らは、そんなスマートフォンに搭載されているアプリケーション(スマホアプリ)のうち4本について、皮膚の病変部の撮影画像を評価し、ユーザーに悪性度をフィードバックする機能を検証した。その結果、アプリによって判定結果が大きく異なり、4本のうち3本のアプリは、悪性黒色腫の30%以上を「問題なし」と誤って分類した。著者は、「監督官庁の認可を受けていないこれらのアプリケーションに頼って、診察の代わりとすることは、悪性黒色腫の診断を遅らせ、ユーザーに害悪をもたらすことになるであろう」と結論した。JAMA Dermatology誌2013年4月号(オンライン版2013年1月16日号)の掲載報告。 研究グループは、ケースコントロール診断精度研究にて、4本のスマホアプリについて検証した。大学の皮膚科部門にて、委員会認定皮膚科医による組織学的診断で確認された色素性皮膚病変(悪性黒色腫60例、良性対照病変128例)を入手して行われた。いずれもルーチンケアの一貫としての病変除去を受けた患者から、生検前に入手したものであった。  主要評価項目は、4本のスマホアプリの感度、特異度、陽性または陰性適中率とした。各アプリは、非医療者のユーザーが皮膚病変について良性か悪性かを判定できるよう設計されたものであった。 主な結果は以下のとおり。・検証した4本のスマホアプリの感度は、6.8%から98.1%までにわたった。・特異度は、30.4%から93.7%にわたった。・陽性適中率は33.3%から42.1%にわたり、陰性適中率は65.4%から97.0%にわたった。・最も感度が高かったアプリは、委員会認定皮膚科医に、解析のために撮影画像を直接的に送付するタイプのものであった。・一方、最も低かったのは、画像を解析する自動アルゴリズムが組み込まれたタイプのものであった。

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第14回 添付文書 その3:抗がん剤副作用訴訟の最高裁判所判決を読み解く!

■今回のテーマのポイント1.添付文書の記載が適切かを判断する際には、(1)副作用の程度及び頻度、(2)当該医薬品を処方する者の知識、能力、(3)添付文書の記載内容について検討する。また、この3つの要因間には相関関係があると考えられる2.医薬品に対する医療界と司法との認識には、なお相当のギャップがある。今後も積極的かつ持続的な情報公開、相互理解が必要である3.本件最高裁判決は、企業側が勝訴したものの、5名中3名の裁判官が抗がん剤の副作用被害についても副作用被害救済を行うべきと意見している。ドラッグ・ラグの加速や萎縮医療が生じないよう速やかに抗がん剤を対象除外医薬品から外すべきと考えるindex最高裁判決をレビューする各裁判官の補足意見を検討する裁判例のリンク最高裁判決をレビューする第13回で取り扱ったイレッサ(一般名:ゲフィチニブ)訴訟の最高裁判所(以下、最高裁)判決が4月12日に出されました。結果は、裁判官全員一致で製薬企業側の勝訴となりました。ただ、全裁判官から補足意見が出されており、本件問題に対する司法の逡巡が見て取れます。今回は、すこし趣を変えて最高裁判決および補足意見を丁寧にみていきたいと思います。また、同時に法律家がどのように判断していくのかもご理解いただけたらと考えています。まずは、最高裁判決をみてみましょう。「医薬品は、人体にとって本来異物であるという性質上、何らかの有害な副作用が生ずることを避け難い特性があるとされているところであり、副作用の存在をもって直ちに製造物として欠陥があるということはできない。むしろ、その通常想定される使用形態からすれば、引渡し時点で予見し得る副作用について、製造物としての使用のために必要な情報が適切に与えられることにより、通常有すべき安全性が確保される関係にあるのであるから、このような副作用に係る情報が適切に与えられていないことを一つの要素として、当該医薬品に欠陥があると解すべき場合が生ずる。そして、前記事実関係によれば、医療用医薬品については、上記副作用に係る情報は添付文書に適切に記載されているべきものといえるところ、上記添付文書の記載が適切かどうかは、(1)上記副作用の内容ないし程度(その発現頻度を含む)、(2)当該医療用医薬品の効能又は効果から通常想定される処方者ないし使用者の知識及び能力、(3)当該添付文書における副作用に係る記載の形式ないし体裁等の諸般の事情を総合考慮して、上記予見し得る副作用の危険性が上記処方者等に十分明らかにされているといえるか否かという観点から判断すべきものと解するのが相当である」(( )番号は原文なし、筆者による加筆。以下同様)判決はいわゆる法的三段論法によって書かれます。すなわち、まず、抽象的に記載されている法律を具体的事例に対する法規範となるよう解釈します(大前提)(図1)。図1 法的三段論法画像を拡大する本判決では、まず、「製造物責任法2条2項:この法律において「欠陥」とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう」における「欠陥」(当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること)とは、医療用医薬品については、どのように解釈すべきかが示されています。本判決では、医療用医薬品においても製造物責任法(PL法)が適用されることを前提として、医療用医薬品における「欠陥」の一つの類型として、引渡し時点で予見しうる副作用について、(1)副作用の程度及び頻度(2)当該医薬品を処方する者の知識、能力(3)添付文書の記載内容等を総合的に考慮して、医薬品を安全に使用するための情報が処方者に十分明らかにされていないことがあると判示しています。製造物責任法2条2項と見比べていただければ、最高裁が条文に忠実に法解釈をしていることがわかると思います。そして、次にこの大前提に本件事実が該当するか否かを判断します(小前提(あてはめ))。本判決では、下記のように判示し、本事案は欠陥の要件に該当しないことから欠陥があるとはいえない(結論)としました。「前記事実関係によれば、(1)本件輸入承認時点においては、国内の臨床試験において副作用である間質性肺炎による死亡症例はなく、国外の臨床試験及びEAP副作用情報における間質性肺炎発症例のうち死亡症例にイレッサ投与と死亡との因果関係を積極的に肯定することができるものはなかったことから、イレッサには発現頻度及び重篤度において他の抗がん剤と同程度の間質性肺炎の副作用が存在するにとどまるものと認識され、(3)被上告人は、この認識に基づき、本件添付文書第1版において、「警告」欄を設けず、医師等への情報提供目的で設けられている「使用上の注意」欄の「重大な副作用」欄の4番目に間質性肺炎についての記載をしたものということができる。(2)そして、イレッサは、上記時点において、手術不能又は再発非小細胞肺がんを効能・効果として要指示医薬品に指定されるなどしていたのであるから、その通常想定される処方者ないし使用者は上記のような肺がんの治療を行う医師であるところ、前記事実関係によれば、そのような医師は、一般に抗がん剤には間質性肺炎の副作用が存在し、これを発症した場合には致死的となり得ることを認識していたというのである。そうであれば、上記医師が本件添付文書第1版の上記記載を閲読した場合には、イレッサには上記のとおり他の抗がん剤と同程度の間質性肺炎の副作用が存在し、イレッサの適応を有する患者がイレッサ投与により間質性肺炎を発症した場合には致死的となり得ることを認識するのに困難はなかったことは明らかであって、このことは、「重大な副作用」欄における記載の順番や他に記載された副作用の内容、本件輸入承認時点で発表されていた医学雑誌の記述等により影響を受けるものではない。・・・以上によれば、本件添付文書第1版の記載が本件輸入承認時点において予見し得る副作用についてのものとして適切でないということはできない」このように、本件の最高裁判決では、製造物責任法の条文を忠実に解釈した上で、本事案における添付文書の記載に不適切な点はなかったと判示しています。一方、本件地裁判決において原告側が勝訴したのは、法解釈(大前提)においては最高裁判決と相違なかったものの、小前提(あてはめ)において、(2)当該医薬品を処方する者の知識、能力を低く見積もったことから、(3)添付文書の記載内容が詳細に求められることとなり、結果として適切な情報として不足したという判断がなされたからと考えられます。そして、前回紹介した高裁判決及び最高裁判決においては、(2)を高く評価(肺がん専門医または肺がんに係る抗がん剤治療医)したことから、(3)に求められる水準が下がり、結果として、求められる適切な情報が提供されていたと判断されています。このことからわかるように、医療用医薬品の欠陥判断における、(1)~(3)の要件はそれぞれ独立した要件ではなく、(2)が高くなれば(3)は低くてよく、逆に(2)が低ければ、(3)は高く求められるという負の相関関係があると考えられます。また、同様に、(1)と(3)の間には正の相関関係があると考えられます(図2)。図2 医療用医薬品において添付文書に求められる適切な副作用情報に関する各要因間の関係画像を拡大する各裁判官の補足意見を検討する:司法の常識とは!?次に各裁判官の補足意見をみていきましょう。補足意見とは、多数意見に賛成であるが意見を補足したい場合に、判決となった多数意見と別に各裁判官の個別意見を表示するもので、最高裁判決においてのみ認められています(裁判所法11条)。本判決では、裁判長以外全員が補足意見を出しており、結論は同じでも各裁判官の考えに少しずつ相違があることが読み取れます。〔1〕欠陥認定の基準時と事後の知見について「製造物責任法2条に定める「欠陥」は、当該製造物が「通常有すべき安全性を欠いていることをいう」と定義されているところ、その安全性具備の基準時は、あく迄、当該製造物が流通におかれた時点と解すべきものである。製造物が流通におかれた時点においては、社会的にみて、「通常有すべき安全性」を具備していたにも拘ず、事後の知見によってその安全性を欠いていたことが明らかになったからといって、遡及的に流通におかれた時点から「欠陥」を認定すべきことにはならない(事後の知見によって安全性を欠いていることが明らかになった後に流通におくことについては、製造物責任が問われ得るが、それ以前に流通しているものは製造物責任の問題ではなく、回収義務、警告義務等の一般不法行為責任の有無の問題である)」(田原睦夫補足意見)「後に判明した結果を前提に具体的な記載を求めるとすれば被上告人に不可能を強いることになり法の趣旨に反することになろう」(大谷剛彦、大橋正春補足意見)製造物責任法4条1号は、「当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと」の場合には免責すると定め、開発危険の抗弁を認めています。ただし、前回解説したように、「科学又は技術に関する知見」は、入手可能な世界最高の科学技術の水準とされており、非常に限定されています。しかし、開発危険の抗弁が非常に限定的に用いられるべきといっても、後で判明した当時は知る由もなかった知見によって欠陥認定することはさすがに認められないと補足意見は述べています。これは、一見すると当たり前のことのように思われますが、製造物責任法が、無過失責任を求めている以上、製品によって利益を得ている企業がいかなる場合においても責任をとるべきであるという学説は根強く存在しており、この点につき補足意見を述べたこととなります。この欠陥認定の基準時の問題は、順次症例数を増やしながら開発、使用される医薬品にとっては非常に重要な問題であり、この点について意見としてではありますが明確に述べられたことは意義があるといえます。また、裁判は事件が発生した後に行われることから、常に「後知恵バイアス」がかかります。医療訴訟でも2000年代前半には、結果からみて「あの時こうすべきだった」として病院側を敗訴させた判決がいくつか出され、医療界が混乱する原因となりました。医療と司法の相互理解が進む中、「後知恵バイアス」の危険性について、司法は常に意識する必要があるものと考えます。〔2〕医薬品に対する理解「医薬品、殊に医療用医薬品は、身体が日常生活において通常摂取しないものを、その薬効を求めて摂取するものであるから、アレルギー体質による反応等を含めて、一般に何らかの副作用を生じ得るものである。医療用医薬品のうち汎用的に用いられるものについては、その求められる安全性の水準は高く、副作用の発生頻度は非常に低く、又その副作用の症状も極めて軽微なものに止まるべきものであり、かかる要件を満たしている医薬品は、「通常有すべき安全性」が確保されていると言えよう。次に、一般に医療用医薬品は、薬効が強くなれば、それと共に一定程度の割合で副作用が生じ得るものである。当該医薬品の副作用につき、医師等は一定の用法に従うことによりその発生を抑止することができ、あるいは発生した副作用に対し、適切に対応し、またその治療をすることが出来るのであれば、かかる副作用が生じ得ること及びそれに対する適切な対応方法等を添付文書に記載することによって、「通常有すべき安全性」を確保することが出来ると言って差支えないと考える」(田原睦夫補足意見)これは、医療用医薬品の副作用について述べている部分を抜粋したものです。医療界の人ならばギョッとする文章ですが、現時点における最高裁判事の医療への理解はこの水準であることが理解できます。当たり前のことですが、医薬品である以上、風邪薬でも致死的な副作用は生じます。市販薬ですら、年数件の死亡事例があります。(一般用医薬品による重篤な副作用について)行き過ぎた安全神話が2000年代前半の医療バッシングを後押ししたことは記憶に新しいところです。「安全であればいいなあ」が「安全に決まっている」になり、その結果、「悪しき結果が生じた場合には犯人がいるに違いない」とされ、医療崩壊が生じました。しかし、このような認識のギャップは専門領域においては必然的に生じるものであり、その解決策は決して相手を非難することではなく、積極的な情報開示を行い、相互理解を進めることです。医療界には、積極的かつ継続的な情報開示と対話が求められているものと考えます。〔3〕製造物責任法の適用について「しかし、薬効の非常に強い医薬品の場合、如何に慎重かつ適切に使用しても、一定の割合で不可避的に重篤な副作用が生じ得る可能性があることは、一般に認識されているところである。そうであっても、副作用の発生確率と当該医薬品の効果(代替薬等の可能性を含む。)との対比からして、その承認が必要とされることがある。その場合、「慎重投与や不可避的な副作用発生の危険性」については添付文書に詳細に記載すべきものではあるが、その記載がなされていることによって当該医薬品につき「通常有すべき安全性」が確保されていると解することには違和感がある(その記載の不備については、不法行為責任が問われるべきものと考える)。他方、かかる危険性を有する医薬品であっても、その薬効が必要とされる場合があり、その際に、かかる重大な副作用の発生可能性が顕在化したことをもって、当該医薬品の「欠陥」と認めることは相当ではない。上記のように副作用が一定の確率で不可避的に発生し得る場合には、「通常有すべき安全性」の有無の問題ではなく、「許された危険」の問題として捉えるべきものであり、適正に投与したにも拘ず生じた副作用の被害に対しては、薬害被害者救済の問題として考えるべきものではなかろうか」(田原睦夫補足意見)「イレッサが、手術不能又は再発非小細胞肺がんという極めて予後不良の難治がんを効能・効果として、第Ⅱ相の試験結果により厚生労働大臣の承認がなされ、要指示医薬品、医療用医薬品とされた上で輸入販売が開始されたのは、有効な新薬の早期使用についての患者の要求と安全性の確保を考慮した厚生労働大臣の行政判断によるものであり、その判断に合理性がある以上は、その結果について医薬品の輸入・製造者に厳格な責任を負わせることは適当ではない。その一方で、副作用が重篤であり、本件のように承認・輸入販売開始時に潜在的に存在していた危険がその直後に顕在化した場合について、使用した患者にのみ受忍を求めることが相当であるか疑問が残るところである。法の目的が、製造者の責任を規定し、被害者の保護を図り、もって国民生活の向上と国民経済の健全な発展に寄与することにあるならば、有用性がある新規開発の医薬品に伴う副作用のリスクを、製薬業界、医療界、ないし社会的により広く分担し、その中で被害者保護、被害者救済を図ることも考えられてよいと思われる」(大谷剛彦、大橋正春補足意見)前回解説したように、医薬品の副作用被害には、すでに無過失補償制度である医薬品副作用被害救済制度が存在します(表)。しかし、「制度の穴」として抗がん剤や免疫抑制剤等の対象除外医薬品による副作用被害や添付文書違反等があることから、除外対象事由に該当する患者・家族は、泣き寝入りするか訴訟をするしかない状況にあります。表 医薬品副作用被害救済制度除外事由画像を拡大する今回の最高裁判決は、製造物責任法を適用した上で、製薬企業側の勝訴としました。しかし、補足意見の形で、5名中3名の最高裁判事が抗がん剤による副作用被害についても、副作用被害救済制度に組み入れるべきと述べました。第1審敗訴によって「抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会」が立ち上がり、第2審勝訴によって同検討会は、抗がん剤による副作用被害を除外事由から外すことを見送りました。しかし、この最高裁判決により、ボールは今、再び医療界、製薬業界および厚労行政に返ってきました。このまま除外事由として放置した場合には、次に同種の訴訟が起きた際にどう転ぶかはわかりません。一時の勝訴にあぐらをかき、最高裁からのメッセージを見て見ぬふりをすることは、本訴訟の一連の流れの中で懸念してきたドラッグ・ラグの加速や萎縮医療を自らの手で致命的なところまで押しやることになりかねないということを真摯に自覚すべきと考えます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)最判平成25年4月12日(未収載)

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聖路加GENERAL【Dr.衛藤の皮膚科疾患アーカイブ】<下巻>

第5回「症状のない皮膚疾患(1)-黒い疾患-」第6回「症状のない皮膚疾患(2)-赤い疾患-」第7回「内臓系の皮膚疾患(1)-爪の皮膚疾患-」第8回「内臓系の皮膚疾患(2)-舌の皮膚疾患-」第9回「内臓系の皮膚疾患(3) -黒色表皮腫と皮膚筋炎- 」 第5回「症状のない皮膚疾患①-黒い疾患-」症状のない皮膚疾患、なかでもPaget病(ページェット病)と黒い疾患を中心にみていきます。最初の症例は75歳男性。3年ほど前から陰嚢に発赤を認めたが、毎日80キロを自転車走行するための摩擦だと思い放置。ところが3ヵ月前から特に赤みが増したため来院。ステロイド軟膏を処方するが回復せず検査をしてみると乳房外Paget病でした。乳房Paget病は、症状が湿疹と似ていること、乳房以外の部位にも発症するのが特徴です。乳房Paget病の鑑別ポイントを解説します。他にも間違えてはならない湿疹の鑑別疾患を詳しくみていきます。黒い皮膚疾患には、脂漏性角化症のような良性のものの他に悪性黒色腫のように早期に発見しなければならない危険なものもあります。症例を通して鑑別法を学びましょう。第6回「症状のない皮膚疾患②-赤い疾患-」 乾癬は日本でも多くみられるようになってきましたが、湿疹と似ているのでしっかり鑑別する必要があります。爪に見られる乾癬から、膿疱性乾癬のように、場合によっては命に関わる重篤な疾患まで、さまざまなものがあります。また、最近増えてきた乾癬性関節炎についてもわかりやすく紹介します。二つめは皮膚がんです。半年前に猫に噛まれた傷が治らず、化膿して悪化したため受診した68歳の女性。猫に噛まれたことが直接の原因とは考えにくく、このような経過を辿り徐々に増大しているというのは腫瘍性の増殖を起こしている可能性があります。生検の結果、この方は扁平上皮がんでした。痛みや痒みもないのに赤い腫瘤は重篤な皮膚疾患の場合もあるので、早期に発見することが鍵となります。その他の皮膚がんについてもわかりやすい症例写真をまじえて詳しく紹介していきます。第7回「内臓系の皮膚疾患①-爪の皮膚疾患-」 第7回は実態がわかりにくい内臓系の皮膚疾患です。中でも様々な病変が現れる爪にフォーカスします。症例は約半年前から手指の爪甲に変形が現れた63歳男性。進行が気になり皮膚科を受診することにしました。爪にはclubbingが見られ、全身倦怠感や息切れも進んでおり、喫煙歴も20本×40年と高いリスク因子がありました。この患者さんは呼吸器疾患のデルマドロームで、検査の結果肺がんとわかりました。他にもばち状指に出現する先天性疾患などの原因疾患を詳しくみていきます。また、爪の病変は様々で、砒素中毒や化学療法、ステロイド治療や重症疾患等が原因となるケースがあり多岐に渡りますが、その見極め方を豊富な症例写真をとおして解説します。第8回「内臓系の皮膚疾患②-舌の皮膚疾患-」 第8回は内蔵にまつわる皮膚疾患から“舌”の皮膚疾患をとりあげます。症例は36歳男性。半年前から舌が荒れて白い斑点のようなものが出現。最近では発熱と下痢を繰り返し、約10㎏の体重減少もみられました。この患者はHIV感染に起因する舌カンジダ症でした。一口にカンジダ症と言っても、その分類、病因は様々です。カンジダ感染症を中心に地図状舌、黒毛舌、全身性強皮症など特徴のある舌の皮膚疾患や総合内科領域で見られる皮膚病変を解説します。その昔ヒポクラテスの時代から「診療のときはまず舌と爪を診ろ」と言われたほど、爪や舌の疾患は内蔵の状態を表します。先生方も普段の診察から爪と舌に注意してみてはどうでしょうか。第9回「内臓系の皮膚疾患③ ―黒色表皮腫と皮膚筋炎― 」 最終回は内臓系皮膚疾患の中から黒色表皮腫と皮膚筋炎をとりあげます。半年前から脇の下が粗造になってきて、褐色の色素沈着が現れたため受診した62歳の女性。診断は黒色表皮腫でした。さらに内臓の検査を行うと大腸がんが見つかりました。“皮膚は内臓の鏡”というようにさまざまな内臓病変が現れ、重篤な病気が隠れていることがあります。日々の診察では多岐に渡る内臓悪性腫瘍のデルマドロームを見落とさないことが重要です。今回も様々な皮膚症例から診察のポイントと間違えやすい注意すべき病変を解説していきます。

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交通事故による高エネルギー外傷の死亡例

救急医療最終判決平成15年10月24日 大阪高等裁判所 判決概要38歳の男性、単独交通事故(乗用車運転席)のケース。来院時の意識レベルはJCS 30であり、頭蓋内疾患を疑って頭部CTを施行したが異常なし。体表面の外傷として頬からあごにかけて、および左鎖骨部から頸肋部にかけて打撲痕がみられた。バイタルサインや呼吸状態は安定し、胸腹部X線は異常なし。血液検査ではCPK上昇197mU/mL(正常値10~130mU/mL)を除いて貧血などもみられなかった。経過観察目的で一般病棟に入院としたが、来院から約2時間後に容態が急変し、心嚢穿刺を含む救急蘇生を行ったが改善せず、受傷から3時間半後に死亡確認となった。詳細な経過患者情報38歳男性経過平成5年10月8日16:23乗用車を運転中、民家のブロック塀に衝突する自損事故で受傷。現場にスリップ痕が認められないことから、通常走行する程度の速度で衝突した事故と考えられた。乗用車は前部が大破しハンドルは作動不能であり、シートベルトは装着しておらず、乗用車にはエアバッグ装置もなかった。救急隊到着時の意識レベルはJCS(ジャパンコーマスケール)で200(刺激で覚醒せず、少し手足を動かしたり、顔をしかめる状態)であった(なお助手席同乗者は当初意識清明であったが、外傷性心破裂のため容態急変し、三次救急医療機関へ転送され18:40死亡)。16:47救急車で搬送。脳神経外科専門医が担当し、救急隊員からブロック塀に自動車でぶつかって受傷したという報告を受けた。初診時不穏状態であり、意味不明の発語があり、両手足を活発に動かしており、呼びかけに対しては辛うじて名字がいえる状態で意識状態はJCS 30R(痛み刺激を加えつつ呼びかけをくり返すと辛うじて開眼する不穏状態)と判断された。血圧158/26mmHg。頬からあごにかけて、および左鎖骨部から頸肋部にかけて打撲痕を認めたものの、呼吸様式、胸部聴診では問題なし。明らかな腹部膨満や筋性防御はなく、腸雑音の消失、亢進はなかった。また、四肢の動きには異常なく、眼位や瞳孔に異常はみられなかったが、振り子状の眼振を認めた。17:00頭部CT検査:異常なし17:12血算:貧血なし生化学:CPK 197mU/mL(正常値10~130mU/mL)17:22頭部、胸部、腹部の単純X線撮影:異常なし以上の所見から、とくに緊急な措置を要する異常はないものと判断し、入院・経過観察を指示。18:00消化器外科専門医が診察。腹部は触診で軟、筋性防御などの所見はなく、貧血を認めず、X線写真とあわせて経過観察でよいと判断した。脳神経外科医は入院時指示票に病名を頭部外傷II型、バイタルサイン4時間(4時間毎に血圧などの測定や観察)と記載して看護師に手渡した。18:30一般病室へ入院。軽度意識障害は継続していたが、呼吸は安定。点滴が開始された。脳神経外科担当医は家族へ病状を説明し、家族はいったん帰宅した。19:00看護師から血圧測定不能との連絡あり。血液ガス分析のための採血中に突然呼吸停止となり、胸骨圧迫式(体外式)心マッサージ、気管内挿管などの蘇生術を施行。胸部ポータブルX線検査では明らかな異常を認めず。ここで外傷性急性心タンポナーデを疑い、超音波ガイドを使用せずに左胸骨弓の剣状突起起始部から心嚢穿刺を試みたが、液体を得ることはできなかった。その後も懸命の救急蘇生を続けるが効果なし。20:07死亡確認。死亡診断書には胸部打撲を原因とする心破裂の疑いと記載した。病理解剖を勧めたが家族は拒否した。被告病院の救急体制被告病院は院長ほか33名の医師を擁し、二次救急医療機関に指定されている(ただし常勤の救急認定医あるいは救急指導医はいない)。当直業務は医師2名(外科系、内科系各1名)、看護師2名でこなしていたが、時間外にも外科医、麻酔科医、看護師などに連絡し30分程度の準備時間をかければ手術をすることができる態勢を整えていた。なお県内の高度救命三次救急医療機関までは救急車で30分~1時間以上要する距離にあった。当事者の主張患者側(原告)の主張死亡原因は心筋挫傷などによる外傷性急性心タンポナーデのため、胸部超音波検査を実施すれば、心嚢内の血液の貯留を発見し、外傷性急性心タンポナーデによる容態急変を未然に防ぐことができた。病院側(被告)の主張死因を外傷性急性心タンポナーデであると推定するA鑑定がある一方で、腹腔内出血とするB鑑定もあり、わが国の代表的な救急医療専門家でも死因の判断が異なることは、死因を特定するのが難しいケースである。このうちA鑑定は特殊救急部での実践を基準とし、平均的な救命救急センターの実態をはるかに超える人的にも物的にも充実した専門施設を前提とした議論を展開しており、そのレベルの医療機関に適時にアクセスできる救急医療体制の実現を目指した理想論である。本件当時、当該病院周辺にはそのような施設はなく、他府県でも一般的に存在しなかったので、理想論を基準として病院側の過失や注意義務違反を判断することはできない。裁判所の判断患者はシートベルトを装着しない状態で、ブレーキ痕もなくブロック塀に衝突しており、いわゆる「高エネルギー外傷」と考えられる。そして、血液生化学検査によりCPK 197mU/mLと異常値を示していたこと、受傷後約2時間半は循環動態が安定していたにもかかわらず19:00頃に容態急変したこと、心肺蘇生術にもかかわらずまったく反応がなかったことなどは、A鑑定が推測したように外傷性急性心タンポナーデの病態と合致する。一方、腹腔内出血が死亡原因であるとするB鑑定は、胸部正面単純X線撮影で中心陰影が縮小していないことから、急速な腹腔内出血が死亡原因であるとは考えられず、採用することはできない。このような救急患者を担当する医師は、高エネルギー外傷を受けた可能性が高いことを前提として診察をする必要がある。まず着衣は全て取り去り、全身の体表を調べ、外力が及んだ部位を把握し、脈拍数の測定、呼吸に伴う胸壁運動の確認、呼吸音の左右差や心雑音の有無、冷汗やチアノーゼ、頸動脈怒張の有無、意識レベル、腹部所見、四肢の状態を確認する。その後、心嚢液の貯留、胸腔内出血、腹腔内出血に焦点を絞って、胸腹部の超音波検査をする(この検査は数分あれば可能である)。その他動脈血ガス分析、血液生化学検査、さらに胸部と腹部の単純X線撮影、頸椎の正・側面撮影をする。以上の診察および検査は、高エネルギー外傷患者については症状がない場合でも必須である。そして、診察および検査により特別な異常がない場合でも、高エネルギー外傷患者は入院経過観察が必要で、バイタルサインは連続モニターするか頻回に測定する。また、初回の検査で異常がなくても、胸腹部の超音波検査をはじめは1~2時間間隔でくり返し行う。本件の担当医師は、高エネルギー外傷による軽度の意識障害を伴った患者に対し胸腹部の単純X線撮影、頭部CT検査、血液検査は施行したが、高エネルギー外傷で起こりやすい緊急度の高い危険な病態(急性心タンポナーデ、緊張性気胸、腹腔内出血、頸椎損傷など)に対する検査を実施していない。しかも看護師に対しバイタルサイン4時間等チェックという一般的な注意をしただけで、連続モニターしなかったのは不適切である。本件は受傷から2時間半後に容態急変した外傷性急性心タンポナーデが疑われる症例なので、もし入院・経過観察とした時点で速やかに胸部超音波検査を実施していれば、心嚢内の出血に気づき、ただちに心嚢穿刺により血液を吸引除去し、あるいは手術的に心嚢を開放(心嚢切開または開窓術)することによって確実に救命できた可能性が高い。もし心嚢切開または開窓術を実施できなければ、すみやかに三次救急医療機関に搬送すれば救命することができたので、担当医師の過失・注意義務違反は明らかである。我が国では年間約2千万人の救急患者が全国の病院を受診するのに対し、日本救急医学会によって認定された救急認定医は2,000名程度にすぎず、救急認定医が全ての救急患者を診療することは現実には不可能である。救急専門医(救急認定医と救急指導医)は首都圏や阪神圏の大都市部、それも救命救急センターを中心とする三次救急医療施設に偏在しているのが実情である。そのため大都市圏以外の地方の救急医療は、救急専門医ではない外科や脳外科などの各診療科医師の手によって支えられているのが我が国の救急医療の現実である。したがって、本件病院が二次救急医療機関として、救急専門医ではない各診療科医師による救急医療体制をとっていたのは、全国的に共通の事情であること、一般的に、脳神経外科医は研修医の時を除けば心嚢穿刺に熟達できる機会はほとんどなく、胸腹部の超音波検査を日常的にすることもないことなどは、被告担当医師の主張の通りである。そのような条件下では、被告医師は自らの知識と経験に基づき、脳神経外科医としては最善の措置を講じたと考えられるため、脳神経外科医に一般に求められる医療水準は十分に実践したことになる。しかし救急医療機関は、「救急医療について相当の知識および経験を有する医師が常時診療に従事していること」とされ、その要件を満たす医療機関を救急病院などとして都道府県知事が認定することになっている(救急病院などを定める省令1条1項)。また、救急医療機関に勤務する医師は、「救急蘇生法、呼吸循環管理、意識障害の鑑別、救急手術要否の判断、緊急検査データの評価、救急医療品の使用などについての相当の知識および経験を有すること」が求められている(昭和62年1月14日厚生省通知)から、担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容、程度が異なるというわけではなく、二次救急医療機関の医師として、救急医療に求められる医療水準の注意義務をはたさなければならない。したがって、二次救急医療機関に勤務する医師である以上、本件のような高エネルギー外傷患者には初診時から胸部超音波検査を実施し、心嚢内出血と診断をしたうえで必要な措置を講じるべきであり、もし必要な検査や措置を講じることができない場合には、ただちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求めるか、三次救急医療機関に転送することが必要であった。以上のとおり、被告医師には明らかな注意義務違反を認めることができる。原告側6,645万円の請求に対し、4,139万円の判決考察この判決では、医療現場の実情がほとんど考慮されず、理想論ばかりが展開されて担当医師のミスと断言されたようにも思います。おそらく、救急専門医にとっては「preventable death」と考える余地があるケースでしょうけれども、日本の救急医療を支えている多くの外科医、脳神経外科医、整形外科医などからみれば、きわめて不条理な判断ではないかと思われます。なぜなら、この裁判が指摘したのは、「外傷患者に胸部超音波検査を施行できない医師は二次救急医療機関の外科系当直をするな」、ということにもつながるからです。症例は38歳の男性、単独交通事故のケースでした。来院時の意識レベル30、バイタルサインは異常なし、すぐに頭蓋内疾患を疑って頭部CTを施行したが異常なし。体表面の外傷として頬からあごにかけて、および左鎖骨部から頸肋部にかけて打撲痕がありました。その他、胸腹部X線、血算でも貧血などの異常はなく、CPKが197mU/mL(正常値10~130mU/mL)と上昇していました。緊急で処置するべき病態はなかったものの、意識障害がみられたためとりあえず経過観察の入院としたことは、妥当な判断と思われます。ところが、入院後の経過はきわめて急激でした。16:23交通事故16:47救急搬送17:00頭部CT検査:異常なし17:12血算:貧血なし、生化学:CPK 197mU/mL(正常値10~130mU/mL)17:22頭部、胸部、腹部の単純X線撮影:異常なし18:00消化器外科医の診察で腹部異常所見なし18:30一般病室へ入院、家族はいったん帰宅19:00血圧測定不能、呼吸停止20:07死亡確認、死体解剖せず脳神経外科担当医は、来院から約1時間10分で一通りの初期評価を行い、頭蓋内出血など緊急で対応しなければならない病態は除外し、バイタルサインや呼吸状態は安定していたため一般病棟に観察入院としました。ところが病棟へ上がった30分後に容態急変、外傷性急性心タンポナーデも考えて研修医時代に経験したことのある心嚢穿刺にもトライしましたが血液は得られず、蘇生への反応はなく死亡したという経過です。けっしてこのケースは見逃し、怠慢、不注意などといった、最近のマスコミがしきりに喧伝しているような事故状況ではありませんでした。しかも、結果からいえば救命できなかった残念なケースですが、死体解剖の同意は得られず死亡原因も確定しませんでした。もし当初から血圧が低いとか、呼吸状態が悪いなどの所見がみられたのであれば、胸腹部損傷を積極的に疑って急変前から精査を勧めていたと思います。しかし、胸部X線写真で肋骨骨折や血気胸はなかったし、頭部CTでも異常がなければ、それ以外の命に関わる病態を想定して(たとえ無症状でも)胸部超音波検査を積極的に施行したり、自分で検査できなければ容態が安定しているうちに高次医療機関へ転送するというのは、非常に難しい判断であったと思います。それにもかかわらず、裁判官は以下のように考えました。死亡原因は外傷性急性心タンポナーデがもっとも疑われる(注:確定されていない!)患者の受傷形態は高エネルギー外傷であった高エネルギー外傷であれば最初から胸腹部損傷を考えて、たとえ症状がなくても胸腹部超音波検査をしなければならない(数分でできる簡単な検査である)初回検査で異常なくても、胸腹部超音波検査をはじめは1~2時間間隔でくり返し行うそうしていれば心タンポナーデを診断できた心タンポナーデとわかれば心嚢穿刺または心嚢切開で確実に救命できた心タンポナーデの診断・治療ができないのなら、受傷から容態急変までの約2時間半は循環動態も安定していたので、はじめから三次救急医療機関に搬送していればよかったこのように、裁判官はすべて「仮定」を前提とした論理を展開しているのがわかると思います。そもそも、直接の死亡原因すら確定していない状況で、「外傷性急性心タンポナーデ」と診断を決めつけ、それならば数分でできる胸部超音波検査で診断できるはずだ、診断できれば心嚢穿刺で血を抜くだけで助かるはずだ、だから医者の判断ミスだ、とされました。しかし、今回担当したような脳神経外科を専門とする医師に、胸部超音波検査で外傷性急性心タンポナーデをきちんと診断しなさい、とまで要求するのは、現実的には不可能ではないでしょうか。ましてや、搬送直後には循環器系、呼吸器系の異常もはっきりしなかったのですから、専門医にコンサルトするといった考えもまったくといってよいほどなかったと思います。ところが裁判官は法令の記述を引用して、二次救急医療機関には「救急蘇生法、呼吸循環管理、意識障害の鑑別、救急手術要否の判断、緊急検査データの評価、救急医療品の使用などについての相当の知識および経験を有する」医師をおかなければいけないから、たとえ専門外とはいえ外傷性急性心タンポナーデを適切に診断する注意義務がある、と断言しました。となれば、高エネルギー外傷が疑われる交通事故患者には無症状であってもルーチンで胸部超音波検査を施行せよとなり、さらに胸部超音波検査に慣れていない一般的な脳神経外科医は二次救急医療機関の当直をするべきではない、という極論にまで発展しかねません。一方救急専門医は、外傷による死亡には多くの「preventable death」が含まれているという苦い教訓から、ことあるごとに警鐘を鳴らしています。とくに外傷急性期の「preventable death」の原因としては、以下の「TAFなXXX」が重要です。心嚢内出血(cardiactamponade)気道閉塞(airway obstruction)フレイルチェスト(flaii chest)緊張性気胸(tension pneumothorax)開放性気胸(open pneumothorax)大量血胸(massive hemothorax)本件では救急専門医による鑑定で心嚢内出血による死亡と推測されました。そのため救急医の立場では、交通事故で胸を打った患者が運ばれてきたならば、初診時にバイタルサインや呼吸状態は落ち着いていても、「頬からあごにかけて、および左鎖骨部から頸肋部にかけて打撲痕を認めた」のならば、すぐさまFAST(focused assessment with sonography for trauma)をするべきだという考え方となります。これは救急専門医だからこそ求められるのではなく、「外傷初期治療での必須の手技」、すなわち外傷医ならば救急室のエコー検査に習熟せよ、とまでいわれるようになりました(詳細は外傷初期診療の日本標準テキスト:JATEC Japan Advanced trauma Evaluation and Careを参照ください)。つまり医学の進歩に伴って、二次救急医療機関の当直医に求められる医療水準がかなり高くなってきているということがいえます。とはいうものの、二次救急医療機関で働く多くの外科医、脳神経外科医、整形外科医などに、当直帯で外傷性急性心タンポナーデを適切に診断し救命せよというのは、今の医療現場ではかなり厳しい要求ではないでしょうか。このあたりのニュアンスは、実際に医師免許を取得して二次救急医療機関で働かなければわからないと思われ、たとえこのような判決が出ようとも、同じような症例がこれからもくり返される可能性が高いと思います。しかし、たとえ救急医ではなくても「preventable death」とならないように配慮する義務がわれわれ医師にはありますので、やはり外科系当直を担当する立場では、超音波検査で出血の有無だけはわかるようにしておかなければならないと思います。そして、本件のように最初は状態が安定していても、あっという間に急変して死亡に至るケースがあることを想定しつつ、患者およびその家族へ「万が一」のことを事前に説明することが大事でしょう。本件では受傷から約2時間後に「検査の結果は大丈夫です」と説明して、家族へは帰宅を許可しました。ところがその30分後には容態急変しましたので、「誤診があったのではないか」と家族が不審に思うのも無理はないと思います。このように救急患者の場合には、できる限り「病態悪化を想定した対応」が望まれ、そうすることによって不毛な医事紛争を未然に防ぐことができるケースも数多くあると思います。救急医療

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閉塞性肺疾患の増悪に対する新たな非侵襲性バイオマーカーとなるのは?

 閉塞性肺疾患の増悪の診断において、非侵襲性バイオマーカー、とくに喀痰中のインターフェロンγ誘導タンパク(IP-10)、ネオプテリン、呼気濃縮液(Exhaled breath condensate:EBC)のpHは有用な非侵襲性バイオマーカーとなりうることが、オーストラリア ・セントビンセント病院のGeoffrey Warwick氏らによって報告された。Respirology誌オンライン版2013年3月25日号の掲載報告。  現在の気管支喘息やCOPDにおける増悪の診断法は、それぞれの病因や病態生理にほとんど光を投じていない。こうした状況の下、非侵襲性バイオマーカーが有用となる可能性がある。  本試験では、気管支喘息の増悪の既往を有する患者28人、COPDの増悪の既往を有する患者29人、呼吸器感染症を有するコントロール患者28人を対象に、呼吸器症状、EBC、誘発喀痰、CRPの分析を行った。対象患者には回復後、再び同様の検査を実施した。EBCおよび誘発喀痰中のタンパク、過酸化水素、インターフェロンγ誘導タンパク(IP-10)、ネオプテリン、IL-6、IL-8、ロイコトリエンB4(LTB4)、TNF-αの分析に加え、誘発喀痰細胞数とEBCのpHも分析した。  主な結果は以下のとおり。・EBCのpHは、増悪期の患者では回復期と比較して有意に低かった(p<0.001)。・誘発喀痰の上澄み液中のインターフェロン誘導タンパク質10(IP-10)およびネオプテリンは増悪期で有意に増加していた(それぞれ、増悪期vs 安定期:188.6 ± 102.1 vs 5.40 ± 1.28 pg/ml, p=0.006、 15.81 ± 2.50 vs 5.38 ± 0.45 nmol/L, p<0.0001)。同様に、TNF-αも有意に増加していた(137.8 ± 49.64 vs 71.56 ± 45.03 pg/ml, p=0.018)。・その他のバイオマーカーについては、増悪期と回復期で有意な差が認められなかったが、増悪期では末梢血のCRPが上昇していた。

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妊娠中のバルプロ酸使用、子どもの自閉症リスクが増大/JAMA

 妊娠中の母親が抗てんかん薬バルプロ酸(商品名:デパケンほか)を使用すると、子どもの自閉症スペクトラム障害および小児自閉症のリスクが上昇することが、デンマークAarhus大学病院のJakob Christensen氏らの検討で明らかとなった。妊娠中の抗てんかん薬の使用により子どもの先天性奇形や認知発達遅滞のリスクが上昇することが示されているが、他の重篤な神経心理学的異常のリスクについてはほとんど知られていないという。バルプロ酸は妊娠可能なてんかん女性にとって唯一の治療選択肢となる場合がある一方で、出生前の胎児が曝露すると自閉症のリスクが増大する可能性が指摘されていた。JAMA誌2013年4月24日号掲載の報告。出生前バルプロ酸曝露と自閉症リスクの関連をコホート試験で評価 研究グループは、出生前のバルプロ酸曝露が子どもの自閉症リスクに及ぼす影響を評価する地域住民ベースのコホート試験を実施した。 デンマークの住民登録システムのデータを用いて、1996年1月1日~2006年12月31日までにデンマークで生産児として出生したすべての新生児を調査した。母親の妊娠中にバルプロ酸に曝露した子どもおよび自閉症スペクトラム障害[小児自閉症(自閉性障害)、アスペルガー症候群、非定型自閉症、その他または特定不能の広汎性発達障害]と診断された子どもを同定した。 データはCox回帰モデルを用いて交絡因子(妊娠時の両親の年齢、両親の精神医学的病歴、妊娠期間、出生時体重、性別、先天性奇形、経産回数)の調整を行った。子どものフォローアップは出生から自閉症スペクトラム障害の診断、死亡、国外への転出、2010年12月31日のいずれかまで行った。自閉症スペクトラム障害のリスクが約3倍、小児自閉症は約5倍に 調査期間中に65万5,615例の生産児が確認され、2,067例の小児自閉症を含む5,437例の自閉症スペクトラム障害の子どもが同定された。フォローアップ終了時の子どもの平均年齢は8.84(4~14)歳だった。 14年のフォローアップが行われ、推定絶対リスクは自閉症スペクトラム障害が1.53%(95%信頼区間[CI]:1.47~1.58)、小児自閉症は0.48%(95%CI:0.46~0.51)であった。 バルプロ酸曝露小児508例における推定絶対リスクは自閉症スペクトラム障害が4.42%(95%CI:2.59~7.46)(調整ハザード比[HR]:2.9、95%CI:1.7~4.9)、小児自閉症は2.50%(95%CI:1.30~4.81)(調整HR:5.2、95%CI:2.7~10.0)であった。 てんかん女性から生まれた子ども6,584例のうち、バルプロ酸非曝露群(6,152例)の推定絶対リスクは自閉症スペクトラム障害が2.44%(95%CI:1.88~3.16)、小児自閉症は1.02%(95%CI:0.70~1.49)であったのに対し、バルプロ酸曝露群(432例)ではそれぞれ4.15%(95%CI:2.20~7.81)(調整HR:1.7、95%CI:0.9~3.2)、2.95%(95%CI:1.42~6.11)(調整HR:2.9、95%CI:1.4~6.0)と、有意な関連が認められた。 著者は、「妊娠中の母親のバルプロ酸の使用により、子どもの自閉症スペクトラム障害、小児自閉症のリスクが有意に上昇し、母親のてんかんで調整後もリスクの有意な上昇が維持されていた」とまとめ、「てんかんのコントロールにバルプロ酸を要する妊娠可能女性では、治療のベネフィットとリスクのバランスを十分に考慮する必要がある」と指摘している。

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入院期間の長い認知症患者の特徴は?:大阪大学

 認知症患者の長期入院では、しばしば重篤な周辺症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia、以下BPSD)の治療が必要となる。また、重篤なBPSD患者は、長期間の入院を必要とする。大阪大学の杉山 博通氏らは、認知症病棟のよりよいリソース管理のため長期入院に関連する因子の同定を試みた。International psychogeriatrics誌オンライン版2013年4月23日号の報告。 対象は、2009年5月11日から2010年11月30日までにBPSDの治療のために、精神科病院3施設に入院した患者150例。信頼性のある親族がいる患者のみを調査に組み込んだ。著者らは、患者データ(人口統計、認知障害、日常生活活動、認知症の原因疾患、認知症の重症度、年金額)、主な介護者(人口統計、介護負担)、認知症治療年数を評価した。長期入院に関連する因子の影響を180日間フォローアップし、評価した。 主な結果は以下のとおり。・150例のうち、104例は180日以内に退院し、46例は180日以上入院した。・平均入院期間は110.4±58.1日だった。・年金の少ない患者、医師による認知症の治療年数が短い患者において入院期間が長かった(単変量および多変量Coxハザード解析)。また、その他の変数との関連は認められなかった。関連医療ニュース ・アルツハイマー病治療、学歴により疾患への対処に違いあり? ・認知症患者の興奮症状に対し、抗精神病薬をどう使う? ・抗認知症薬4剤のメタ解析結果:AChE阻害薬は、重症認知症に対し有用か?

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