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第245回 レプリコンワクチンを求め上京した知人、その理由と副反応の状況は?

前回も触れた新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)に対する次世代mRNAワクチンのコスタイベだが、インターネット上でネガティブな情報が氾濫する一方、逆にこのワクチンを接種したいと希望する一般人もいる。もっとも現在のコスタイベは1バイアルが16回接種分であり、接種前調整で生理食塩水10mLに溶解して6時間以内に使い切らねばならない。つまり医療機関側がこのワクチンを使おうとすると、あらかじめ16人という大人数を集めておかねばならないのだ。これは大規模医療機関でも至難の業である。実は私も次の接種ではこれを選択しようと思っており、コスタイベの接種希望者をほぼ常時募集しているある医療機関を知っている。しかし、インターネット隆盛のこの時代でも一般人がこのワクチン選択をするならば、多くは“接種可能な医療機関探し”という入口で壁にぶち当たるのが常である。とりわけコスタイベの場合、昨秋からスタートした定期接種から対象ワクチンに加わったばかりで、1バイアル16回接種分を棚上げしても、医療機関の多くは使い慣れたファイザー製やモデルナ製を選択しがちである。さらに前回でも触れたように、このワクチンに対する懐疑派の人たちがこのワクチンを接種しようとする医療機関に嫌がらせを行ってしまうため、余計に医療機関側は奥手になってしまうだろう。実は秋冬接種が始まった昨年10月、私はある人から「コスタイベを接種したいが、医療機関が見つからず難渋している」と相談を受けた。実はこの方は、以前に本連載で取り上げた、仙台市内からさいたま市まで新幹線代をかけて新型コロナワクチンを接種しに行った大学教員のA氏だ。A氏は結局、私が知っていたコスタイベ接種可能な医療機関で無事接種を終えた。ということで、再びA氏に接種に至る経緯から、接種終了後までの話を聞いてみた。SNS炎上をきっかけにコスタイベを希望まず、A氏は以前の本連載で紹介したように2024年6月に任意接種で新型コロナワクチンを接種。この時から「半年に1度くらいの頻度で接種できれば」と漠然と考えていたという。そうした中で10月初旬、“コスタイベは比較的長期間、高い抗体価が持続する”というLancet Infectious Diseases誌に公表された論文1)を目にした。畑違いではあるが、英語論文を読み慣れているA氏は、それならばコスタイベを接種しようと思い立った。「実はコスタイベに興味を持ったきっかけは、むしろ懐疑的な人たちがSNS上で騒いでいたことがきっかけなんですよ。彼らが『効果が長い間残る』と書いていて、自分の場合は新型コロナワクチンを定期的に受けたいと思っていたので、効果が長く続くなら逆にありがたいと思ったんです。そこで医師や研究者の方の発信を辿って、割と簡単に(前述の)論文1)にたどり着いたというわけです。その意味では懐疑的な人たちの情報発信は私にとっては、逆効果でしたね(笑)」A氏は早速ネット上で接種可能な医療機関を検索。コスタイベ接種希望者を募っていた都内のクリニックをみつけ、仮予約をした。仮予約とは、16人の接種希望者が集まり次第実施の最終決定ということである。当時をA氏は次のように振り返る。「反対派の嫌がらせを避けるため、接種希望者同士でまるで違法薬物の裏取引のように、ネットで隠語や非公開のダイレクトメッセージで接種の情報をやりとりしているのが稀有な経験でした」実際、定期接種の開始当時、私もX(旧Twitter)などを見ていたが、新型コロナワクチンの接種情報を積極的に発信しているインフルエンサー的なアカウントでは、明らかにコスタイベを指すと思われる「あれ」という用語が盛んに使われていた。しかし、ここで災難が起こった。まさに前回の連載でも触れたようにコスタイベ接種を公言したこのクリニックに嫌がらせが殺到し始めたのだ。このため、A氏の仮予約翌日にクリニック側のホームページはコスタイベ接種の予約受付中止を宣言。同時に接種そのものを中止することを示唆するお知らせを掲載し、コスタイベ接種の試みは半ばふりだしに戻ってしまった。対応施設の検索から接種まで2週間しかし、ここからA氏は本領を発揮。新たなコスタイベの接種可能な医療機関を見つけるべく、仙台市の新型コロナウイルスワクチン定期接種登録医療機関に片っ端から問い合わせの電話を入れたという。「最初は仙台市役所にコンタクトを取りましたが、すでに仙台市新型コロナウイルスワクチン接種専用コールセンターは廃止されたので、仙台市総合コールセンター『杜の都おしえてコール』に電話をしました。ですが、定期接種登録医療機関が掲載されていることは教えてもらえましたが、個別医療機関で採用しているワクチンの種類はわかりませんとのことでした」結果的に休診日などで不通も含め約200件に連絡したが、コスタイベの取り扱いは皆無だった。ちなみにこの約200件の発信履歴は、取材時にA氏に見せてもらっている。「医療機関の受付がコスタイベという商品名を知らないことも多く、コスタイベという単語を聞き取ってもらえないことも当たり前でした。結局、『そちらで接種できるコロナワクチンの種類はなんですか』と聞くのが一番早いとわかりましたが、多くはファイザーかモデルナ、時に第一三共や武田薬品のワクチンが打てる医療機関はありましたが、コスタイベを接種できる医療機関はありませんでした」最終的に、私が教えた医療機関に仮予約し、状況確認の連絡をしたところ「このペースなら多分ほぼ確実に16人の枠は埋まるでしょう」と言われ、最終的に10月16日にこの医療機関へ16人の接種希望者が集まったことから、最終意志確認の電話連絡を経て正式予約となり、10月22日に接種となった。10月22日、A氏は新幹線で上京。当該医療機関には午後1時半ごろに窓口に顔を出した。目の前には複数の診察室があり、A氏がしばらくして入るよう指示を受けたのは、そのうちただ1つ担当医の名札が下げられていない診察室だった。診察室に入ると、担当医からワクチン接種前の問診を受け、A氏が「これを打ちたくて仙台から来ました」と話を振ると、担当医からは「住所を見て、あれ?って思いました」と返答された。副反応、他剤と比べると?接種後の副反応について、A氏は最初に接種したモデルナ製ワクチンでは、「翌日に38.5℃の発熱なのにつらくない」という不思議な体験をし、以後はファイザー製を選択して強い副反応はほとんど経験してこなかったそうだが、今回のコスタイベではどうだったのか? あくまで個人的な感想として次のように語った。「翌日に1時間弱、寒気を感じたのと、接種部位が数日間、少しズキズキした程度で終わりました」前回の任意接種よりは接種医療機関探しは楽だったものの、「今回はコスタイベを選ぼうとしたことで自ら苦労してしまった」と苦笑いするA氏。前回の接種のきっかけとなった新型コロナ感染後の後遺症とみられる咳喘息は、今は小康状態。そして以前は年1回、風邪を引いた直後に使用する程度だった吸入薬は、現在も毎日1回の使用を続けている。参考1)Oda Y, et al. Lancet Infect Dis. 2024;24:e729-e731.

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MCI温故知新:「知情意」のほころび【外来で役立つ!認知症Topics】第25回

MCIとは「軽度の認知症」か?認知症の臨床現場における「あるある誤解」の一つに「MCIとは軽度の認知症か?」があるもしれない。確かにMCI(Mild Cognitive Impairment)とは「軽度認知障害」と訳されているから、その字面からしてそう思われても仕方がない。またMCIになるとMRI画像に海馬萎縮が現れてアルツハイマー病の診断がなされると思っている人も少なくない。実際には、この時期の海馬は多くの場合は萎縮しておらず、局所脳血流(rCBF)はむしろ増加していることもあるのだが。早期診断への壁:受診の遅れと心理的バイアス近年MCIが注目される最大の理由は、抗アミロイドβ抗体薬を皮切りに、今後の承認が期待される疾患修飾薬(Disease Modifying Drugs)のターゲットがこれだからだろう。ところがこうした治療適齢期に医療機関を受診する人が少ないのである。これに関して、最初の認知症の気付きから医療機関受診までに平均で4年を要するというLancet誌のレビューがある1)。経験的には、本人、家族共に、診断されるのが怖いのはわかる。心理学用語で「確証バイアス」と言われるように、人は自分に都合の良い情報を集める性癖がある。たとえば、「年を取ればこんなもの」「家系に認知症はいない」「かかりつけ医が『あなたはうつだから、大丈夫』と言った」などである。逆にネガティビティバイアスといって悪いイメージが強く残っていると恐怖が強すぎて、他のプラスの情報をすっかり忘れ去ることもある。悪いイメージとは、たとえば、頭部外傷や大腿骨頸部骨折、また重症肺炎などの合併症が重なり急速に死に至ったアルツハイマー病の患者さんといった、特別に不運なケースを身近に経験したような場合である。つまりアルツハイマー病と診断された時、そうした極端な例が心を占めて、一般的なアルツハイマー病の経過を説明しても耳を貸さない人もいる。さて新薬の恩恵にあずかるには、MCIの時期に的確にそれに気付かなくてはならない。以下に述べるように、MCIと診断される頃には、実は行動や感情面でも変化が表れているのだが、MCIとは記憶の障害であり、それはMMSEや長谷川式の記憶項目などの失点として現れると思い込んでいる人が多い。MCIの概念の歴史的変遷MCIというとRonald C. Petersen氏らの定義2)有名だが、実はこの用語は彼のオリジナルではない。というのは、このMCIという術語を用いて複数の学者がそれぞれに異なる定義をしているのである。歴史的にみて、このMCIの始まりは、1991年にBarry Reisberg氏らがアルツハイマー病のステージ判定のために彼らが開発したFAST尺度でStage3を意味する表現としてMCIを用いたことにある3)。次に、Michael Zaudig氏らが現在も抗アルツハイマー病薬の効果判定でもよく使われるClinical Dementia Rating(CDR):0.5に相当するとされる別のMCIを提唱した4)。この2つは行動などを含めて生活機能全般に注目して認知症の前駆期を捉えようとしている。一方で、現在最も注目されているMCIは1996年にPetersen氏らによって定義されたものだが、これは記憶障害に重点の置かれた診断基準であった。行動・感情面の評価が重要にこのようなMCIの概念の歴史からもわかるように、認知症の前駆・初期症状は記憶などの認知機能障害ばかりではない。たとえば近年では、道具的ADL(Instrumental Activities of Daily Living:IADL)の失敗が始まる時期はMCI期に重なるという指摘がある。具体的には料理、掃除、移動、洗濯、金銭管理などであり、日常生活動作(ADL)よりも複雑で神経心理学的能力が求められるものである。それだけに認知機能の衰退が始まるとIADLの障害は露呈しやすいのも納得できる。そこで「IADL障害は認知症発症に先立つのでMCIの診断でこれを考慮すべき」とまとめられている5)。また、客観的に観察される日常的な行動面での変化も病初期から認められやすい。認知症の前駆期やMCI期にみられる特有の行動症状として、近年ではMild Behavioral Impairment(MBI)の概念やその定義が提唱され、多くの質問項目も作成されている6)。その内容は、意欲低下、情緒不安定、衝動の制御困難、社会的に不適切な言動、知覚・思考の異常という5つのカテゴリーになっている。自身の臨床の場を思い出してみると、何でも面倒臭くなって長年の習慣が廃れる高齢者は枚挙にいとまない。また些細なことで怒り炸裂の「怒りん坊」になる人はとくに男性で多い。そうした方々に見られる言動を仔細に思い出してみると、確かにこの5つのカテゴリーのすべてに該当する何らかの問題がありそうだとも思えてくる。ところで、人の精神活動を「知情意」とまとめる言葉がある。MCI に関して言えば、この3つの中で「知」ばかりが重んじられていたのだが、最初期のMCIの概念やMBIの考え方に代表されるように、実は「情意」の異常も初期から見られるということだ。さて、これからの認知症の治療におけるキーワードであるMCI。多くの人々にこれに気付いてもらうためには、認知機能のみならずIADL、客観的な行動、そして情意という点にも心を向けていただけるような医療的な指導が必要になると思う。参考1)Liang CS, et al. Mortality rates in Alzheimer's disease and non-Alzheimer's dementias: a systematic review and meta-analysis. Lancet Healthy Longev. 2021;2:e479-e488.2)Petersen RC, et al. Mild cognitive impairment: clinical characterization and outcome. Arch Neurol. 1999;56:303-308.3)Reisberg B, et al. Clinical Stages of Alzheimer’s disease. In:de Leon MJ, editor. The Encyclopedia of Visual Medicine Series, An atlas of Alzheimer’s disease. Pearl River (NY):Parthenon;1999.p.11-20.4)Zaudig M. A new systematic method of measurement and diagnosis of "mild cognitive impairment" and dementia according to ICD-10 and DSM-III-R criteria. Int Psychogeriatr. 1992;4 Suppl 2:203-219.5)Nygard L. Instrumental activities of daily living: a stepping-stone towards Alzheimer's disease diagnosis in subjects with mild cognitive impairment? Acta Neurol Scand Suppl. 2003;179:42-46.6)Ismail Z, et al. The Mild Behavioral Impairment Checklist (MBI-C): A Rating Scale for Neuropsychiatric Symptoms in Pre-Dementia Populations. J Alzheimers Dis. 2017;56:929-938.

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第246回 美容外科医献体写真をSNS投稿、“脳外科医竹田くん”のモデルが書類送検、年末の2つの出来事から考える医師のプロフェッショナル・オートノミー

示談が成立していてもトラブルが公になり、様々な社会的、経済的制裁を受ける時代こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。年末から年始にかけて世の中を騒がせている事件に、タレント、中居 正広氏による女性との間に起こった高額“解決金”トラブルがあります。週刊文春などの報道によれば、中居氏は2023年6月、テレビ局幹部(フジテレビのプロデューサーと報道されていますが、同局は否定しています)がセッティングした会食に参加するも、結果的に中居氏と女性(フジテレビのアナウンサーと報道されています)の2人きりで食事をする流れとなり、そこで女性は中居氏から「意に沿わない性的行為」を受けたとのことです、中居氏の代理人も「双方の間でトラブルがあったことは事実」だと認め、解決金として9,000万円ほどを支払ったとのことです。中居氏は1月9日に自身のウェブサイトで、「トラブルがあったことは事実です。そして、双方の代理人を通じて示談が成立し、解決していることも事実です。(中略)なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました。また、このトラブルについては、当事者以外の者の関与といった事実はございません」とトラブルがあったことを認めるコメントを公表しました。「芸能活動についても支障なく続けられる」と本人側から言ってみたり、「当事者以外の者の関与はない」と付け加えたりと、多分に意味深なコメントと言えますが、昨年の松本 人志氏と同様、現場復帰は難航しそうです。それにしても、21世紀のテレビ局において、宴席で女子アナが“生贄”のように供されていたらしいという報道には「いつの時代の話だ」と呆れてしまいました。さらには、示談が成立しているにもかかわらずトラブルが公になり、さまざまな社会的、経済的制裁を受けることになったことにも驚きます。いろいろな意味で厳しい世の中になったものです。ということで、今回は年始年末に報道された医師に関する2つの社会部ネタの事件について取り上げたいと思います。「頭部がたくさん並んでいるよ」とする文言とともに献体の写真を投稿1つめは、東京美容外科を運営する医療法人社団東美会(東京都中央区)所属の女性医師(45歳)が、グアムで実施された解剖研修で撮影したという献体とみられる写真を投稿し大炎上、NHKをはじめ大手マスコミも報道する至った事件です。各紙報道等によれば、この医師は11月末にグアム大学で実施された解剖研修の様子をSNSとブログに投稿しました。「いざ Fresh cadaver(新鮮なご遺体)解剖しに行きます!」「頭部がたくさん並んでいるよ」とする文言とともに献体が並んでいる写真や、献体の前で集合しピースサインをする写真なども投稿されたとのことです。また、献体の写真の一部にはモザイクがかかっていなかったそうです。解剖研修は米・インディアナ大学が主催、グアム大学で実施する美容形成外科医解剖学研修コースでした。解剖実習に使われる献体は、ホルマリンなどで防腐処理した遺体が使われる日本と異なり、死後、時間があまり経過していない遺体が使われるため、研修費用は高額(一部報道によれば3,000ドル前後)にもかかわらず、日本からの参加者も多いとのことです。この投稿についてSNSでは「倫理観が欠如している」「不謹慎過ぎる」などと批判が相次ぎ大炎上、医師は12月23日までに投稿を削除しましたが、クリスマス直前に大ニュースとなってしまいました。一般社団法人・日本美容外科学会は12月28日までに公式サイトを更新、この件に関して「この度、一部の美容外科医師がご遺体の解剖に関して不適切な行動を取ったとの報道がなされました。このような行為は、医療従事者としての倫理観を著しく欠いたものであり、断じて容認できるものではありません。当該医師は日本美容外科学会(JSAPS)の会員ではありませんが、美容外科医としてその肩書を用いる以上、社会的責任を伴う行動が求められることを強調したいと思います」との声明を発表しています。なお東美会は12月27日、この医師を12月30日付で解任することを決定したと発表しました。この事件、「医師としてあるまじき行為」などと、アンプロフェッショナルな行動が非難されるのは当然と言えますが、私が思い起こしたのは、昨年11月の兵庫県知事選で斎藤 元彦知事を当選させる原動力となったSNS戦略をnoteなどで公開したPR会社の女性社長(33歳)です。言わなくてもいいことまでnoteで自慢気に公開してしまうところは、献体写真をSNSなどでアップしてしまった女性医師とも共通する、SNSにある意味毒された現代の若者の特性のようにも感じました。誤って神経を一部切断して患者に重い後遺障害を負わせたとして、執刀した医師を業務上過失傷害罪で在宅起訴もう一つは、いわゆる、漫画「脳外科医 竹田くん」のモデルとされる医師の書類送検です。地元紙、赤穂民報などの報道によりますと、兵庫県赤穂市の赤穂市民病院で行われた脳神経外科手術で2020年1月、業務上の注意義務を怠り、誤って神経を一部切断して患者に重い後遺障害を負わせたとして、神戸地検姫路支部は12月27日、執刀した医師、松井 宏樹被告(46)を業務上過失傷害罪で在宅起訴しました。手術で助手を務め、松井被告とともに今年7月に書類送検された上司の科長(60)は不起訴となりました。松井被告の認否は明らかになっていません。起訴状などによると、松井被告は2020年1月22日、脊柱管狭窄症と診断された女性患者(当時74歳)の手術を執刀しました。ドリルで腰椎を切削する際、止血を十分に行わず、術野の目視が困難な状態で漫然とドリルを作動して硬膜を損傷、さらにドリルに神経の一部を巻き込んで脊髄神経も切断し患者に全治不能の傷害を負わせた、などとしています。なお、この女性患者の実際の手術映像は、2024年11月19日に放送されたNHKのクローズアップ現代「“リピーター医師”の衝撃 病院で一体何が?」の回で放送され、医療関係者にも大きな衝撃を与えました。松井被告については、関わった手術のうち少なくとも8件で患者が死亡または後遺障害が残る医療事故が発生しており大きな問題となっていました。別の70代女性患者に対する手術で起こした医療事故でも業務上過失傷害容疑で書類送検されましたが、神戸地検姫路支部は2024年9月に不起訴としています。その手術に関しては、虚偽の医療事故報告書を作成したとして松井被告と科長、同僚医師が有印公文書偽造・同行使容疑で書類送検されましたが、12月27日に不起訴となっています。12月27日付の赤穂民報は、「時効(業務上過失傷害罪は5年)まで残り1ヵ月を切ったタイミングでの起訴に、検察幹部は『複数の専門医の意見を聴くなど慎重に捜査を進めた。結果の重大性などを鑑みて起訴の判断に至った』と語った」と書いています。また、女性患者の長女は自身のブログに、「二度と母のような医療被害者を生むことがないよう、執刀した医師を厳罰に処し、医療過誤を起こした医師が繰り返し手術したり不適切な診療を続けることのないよう、医道審議会には厳しい行政処分を下していただけますよう強く望みます」と綴っています。医師を法の裁きの場に出すには相当な覚悟と努力、そして時間がこの件については、本サイトのコラム「現場から木曜日」担当の倉原 優氏も取り上げ、「医療行為が刑事事件として問われるのは、明らかな注意義務違反や重大な過失がある場合に限られるのが一般的です。しかし、今回は地検側が手術映像を専門家に見てもらい検証した結果、刑事責任を問えると判断しました。このような形での起訴は珍しいケースですね」と書いています1)。私も本連載の「第173回 兵庫で起こった2つの“事件”を考察する(前編) 神戸徳洲会病院カテーテル事故と『脳外科医 竹田くん』」などで、“竹田くん”(結局“竹”は“松”だったわけですね、なるほど)について取り上げてきました。今回の書類送検のニュースを聞いて思ったのは、告発や報道がこれだけ以前から行われてきたにもかかわらず、よく警察や検察が動かなかったな、という点です。医師を法の裁きの場に出すには相当な覚悟と努力、そして時間がかかるようです。しかし一方で、前述した美容整形外科医による献体写真のSNSへの投稿は、法律に抵触しているわけでもないのに、“大炎上”しただけで所属していたクリニックを解雇され、瞬時に社会的制裁を受けることになりました。事件の重大さは大きく異なりますが、この違いは一体何なのでしょうか。身内を守ろうとする医師たちにプロフェッショナル・オートノミーは期待できないそれはおそらく、医師が医療行為で起こした瑕疵に対して、身内の医師たちは甘く、事を起こした医師をまず守ろうとする特性が影響していると考えられます。対して、献体写真の投稿は医療行為ではなく、医師個人の生活習慣に関することであり、自分に火の粉が降りかかることもないため、守ろうという意識は働きません。まったく同様のことを、「第199回 脳神経外科の度重なる医療過誤を黙殺してきた京都第一赤十字病院、背後にまたまたあの医大の影(前編)」、「第200回 同(後編)」で取り上げた、京都第一赤十字病院の脳神経外科の事故についても感じました。京都第一赤十字病院では、杜撰な手術に加え、過誤のもみ消しとも取れる行為を病院幹部が行っていたことに対し京都市保健所が立ち入り調査を行い、改善を求める行政指導を行っています。行政指導が行われたということは、病院内だけで(あるいは医師だけで)事故に正しく対応できず、過誤への対応法も改善できなかったことを意味します。今から4年前、三重大の臨床麻酔部の教授が逮捕されたときに、「第40回 三重大元教授逮捕で感じた医師の『プロフェッショナル・オートノミー』の脆弱さ」というタイトルで、医師のプロフェッショナル・オートノミー(専門職としての自律)がいかに頼りなく、脆弱なものかについて書きましたが、今となっては医師の世界でプロフェッショナル・オートノミーはほぼ機能しておらず、期待もできないということなのでしょう。医師の働き方改革が進めば、医師の技術の習得には今まで以上に時間がかかることになるでしょう。また、人口減、患者減で、そもそも医師が手術などの腕を磨く機会も激減していくでしょう。そうなれば、医療事故、医療過誤も頻発することになりそうです。プロフェッショナル・オートノミーが機能しない中での事故頻発は、新たな医療崩壊へとつながっていきそうです。日本の医療は今、そんなモダンホラーの世界のとば口に立っているような気がしてなりません。参考1)現場から木曜日 第129回 「脳外科医竹田くん」在宅起訴

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第244回 レプリコンワクチン懐疑派に共通することは?

2025年、本年もよろしくお願いいたします。さて年内最後の本連載でも触れたが、通称レプリコンワクチンと呼ばれるMeiji Seikaファルマの新型コロナウイルス感染症に対する次世代mRNAワクチン「コスタイベ」に関して、同社は12月25日付で、立憲民主党の衆議院議員・原口 一博氏に対して名誉棄損に基づく1,000万円の損害賠償を求める提訴に踏み切った。原口氏がX(旧Twitter)、YouTube、ニコニコ生放送、著書「プランデミック戦争 作られたパンデミック」で、コスタイベに関し事実に基づかない情報を発信・拡散していることを同社に対する名誉棄損と捉え、法的措置に踏み切ったものだ。同社はすでに2024年10月9日に原口氏に警告書を送付したものの、それに対して原口氏からは「衆院選挙後の国会で論点を明らかにしたい」という旨の回答しか得られず、その後も同様の発信を続けていることから提訴に踏み切ったとしている。今回の名誉毀損にあたる発言の類型同日開催された記者会見では、今回の提訴を担当する三浦法律事務所の弁護士・松田 誠司氏より、名誉棄損と考える発言の類型について、(1)Meiji Seikaファルマを731部隊になぞらえた発言、(2)コスタイベの審査過程を不公正とする発言、(3)コスタイベを生物兵器とする発言、(4)Meiji Seikaファルマが人体実験を行っているとの発言、の4つが挙げられた。軽く解説すると、731部隊とは旧帝国陸軍の関東軍防疫給水部の通称名であり、同部隊は生物兵器の研究開発と一部実戦使用を行い、その過程で捕虜などを利用した生体実験を行っていたことで知られる。類型(4)の人体実験とは、いわゆる臨床試験のことではなく、731部隊の生体実験のようなネガティブな意味での発言を指す。また、松田氏はMeiji Seikaファルマが被った損害は、有形損害が迷惑電話対応(損害120万円)、推定のコスタイベ利益損害(同55億6,000万円)、無形損害が原口氏のSNS上での発信による会社の名誉侵害と説明。「無形損害は1,000万円を下らない」(松田氏)とも語り、これら損害の一部として1,000万円を請求するとした。推定損害額に対して請求額がかなり低いことについて、同社代表取締役社長の小林 大吉郎氏は「今回の訴訟の目的は金銭ではない。あくまで意見・論評を超えた発言を法廷でつまびらかにして、名誉回復を図りたいというのが主な目的」と語った。さてこの会見では、小林氏よりコスタイベに懐疑的な人たちが行う抗議と称した活動の一端が明らかにされた。ワクチン懐疑派が行った具体的な抗議活動明らかにされたのは、懐疑派がX上にアップした治験施設一覧を基にしたと思われる6施設に対する嫌がらせのメール送付、電話、封書投函、Googleマップへの書き込み。そして、コスタイベの接種実施をホームページ(HP)上で明らかにした3医療機関に対する嫌がらせや誹謗中傷の電話殺到、SNSでの誹謗中傷の拡散、Googleマップへの低評価入力による診療への悪影響やHP閉鎖など。また、同社の本社前では頻繁に抗議活動が行われているが、同社の看板に「明治セイカファルマ、死ね バーカ!!」「殺人ワクチン ふざけるな」(原文ママ)などの付箋が張られた写真も示された。なお、原口氏はコスタイベの治験について具体的に「殺人に近い行為」とまで表現している。今回、提訴に至った経緯について小林氏が次のように説明した。長くなるが全文掲載する。なお、発言内の( )は私個人による補足である。「コロナワクチン開発に関わった医学専門家・研究者、接種に当たる多くの善意の医師、真摯に業務に取り組む社員、これはもう一般市民なんですよ、国民なんですよ。原口氏は相当な影響力があって、何十万人という(SNS)フォロワーがいる中で、こういったことを繰り返し拡散しているんですね。ワクチン反対派の活動のリーダー役となっているわけですけれども、そういったことによって実際こういった人たちは業務を妨げられ、精神的に大きな打撃を受けている。百歩譲って何か不正があったとか、データに瑕疵があったとかならば、何か言われるのは理解できますが、まったく瑕疵のない開発行為について、こういったことが繰り返される。実は承認を取ったときに若い研究者、開発者が本当に喜んだんですよ。情熱をもってやった行為ですから。ところが、殺人行為だとか原爆だと言われて、その人たちにも家族がいるわけですね。そういうことも考えますと、このまま放置できないというところまで来てしまったと。提訴をすることについては、極めて消極的だったんです。当初は。」個人的な印象を率直に言うと、SNS上でコスタイベに懐疑的な発信をする人の中には、その情報の審議は別にして強い信念に基づくと見受けられる人もいる反面、野次馬感覚でこのムーブメントに乗っかっていると思われる人も見受けられる。そうした“野次馬”は10年後には、コスタイベのことなど忘れて、ほかのことにかまけて、自分たちの行動によって傷付けられた人たちのことなぞ、おそらく忘れているだろう。私がそう思うのは実体験があるからだ。ワクチン懐疑派の一部は「何かを批判していたい」だけかつて「放射能瓦礫」なる言葉が流布されたことを覚えている人はいるだろうか?東日本大震災の時、主要な被災地域である岩手県、宮城県、福島県では津波被害などに伴い膨大な瓦礫が発生した。そしてご存じのように同震災では、東京電力・福島第一原発事故が起こり、同原発から漏れ出た放射性物質が風によって広範な地域に降り落ちた。こうした放射性物質の量は、地域によって濃淡があり、岩手県や宮城県の大部分の自治体では大きな問題になるほどではなかった。しかし、一部の人達は被災地で発生した瓦礫の多くもこうした放射性物質で濃厚に汚染されたと主張し、一部の人が「放射能瓦礫」と呼んだのである。この件は被災により廃棄物処理能力が大きく低下した被災自治体の支援策として、他の地域でその一部を焼却処分する広域瓦礫処理策が浮上すると、問題として顕在化した。東京都をはじめ実際に瓦礫処理を受け入れた自治体もあったが、一部では反対派が瓦礫を運搬する車両の通行をブロックするなどの妨害行為も発生した。被災自治体出身者の私はこの件に怒りと悔しさを覚え、当時一部の反対派とXでやり合ったことがある。あれから10年以上が過ぎたが、この間、瓦礫処理を請け負った被災地外の自治体で何か問題が起きたであろうか? 答えは否だ。最近、当時やり合った複数のXアカウントを覗いてみたが、あの時のことなぞどこ吹く風である。しかも、その一部は今コスタイベ批判を行っている。率直に言って、呆れるほかない。彼らはあの当時、私が感じた怒りと悔しさ、そして今回の小林氏が訴えた精神的打撃を受けた関係者のことを何と思っているのだろう?そして野次馬感覚とまでは言えないものの、コスタイベについてシェディングなる現象を訴え、それを証明するデータがないと主張する医師の一部では、自院のHPでほかのワクチン接種は行っていることがわかるケースもある。既存のワクチンでは承認に際し、彼らが主張するようなシェディングが起きないことを証明するデータ提出を製薬企業は行っていないし、規制当局もそのようなデータは求めていない。にもかかわらず、コスタイベのみにそれを証明せよなどと言うのは、もはや“信念”ではなく狂気である。言葉は悪いのを承知で言うならば、今回の件でコスタイベの危険性を声高に主張する面々は、私には“知ったかぶりの自己顕示”にしか映らないのである。

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カルテの診療記録によく見る間違い【もったいない患者対応】第21回

カルテの診療記録によく見る間違いカルテを見ていると、間違った記載をよく発見します。医師は(あるいは他のコメディカルも含め)、カルテの書き方を体系的に学ぶ機会はありません。医学生時代は医学知識の吸収に学習の大部分を費やし、国家試験に合格して現場に出た途端、見よう見まねでカルテを書くことになるのです。ほとんどの医師が、先輩のカルテを見て、それを真似する形で自分のスタイルを築き上げていると思います。こうした事情もあって、間違った記載法が先輩から後輩へ、気付かれないまま引き継がれているケースがあります。カルテ記載は、医療者間のコミュニケーションを円滑にするうえで重要な情報源ですから、正確な記載を心がける必要があります。ここでは、カルテでよく見る間違い表現を3つ紹介します。番号のついていない「#(ナンバー)」カルテに「#」の記号を使うことがよくあります。これは「ナンバー」と読み、プロブレムリストを列記したいときに「#1、#2、#3……」と後ろに番号をつける形で使います。しかし、これを単なる印として番号をつけず、#. 蜂窩織炎のように書いてしまう例をよく見かけます。「ナンバー」ですから、番号がないとまったく意味が通りません。書いた本人は「・」や「●」のような記号として使っているつもりなのかもしれません。ちなみに、これを「シャープ」だと誤解している人もいますが、シャープは「♯」で、楽譜に使う記号です。五線紙に書いたとき線に重なって見にくくならないよう、横棒が水平ではなくやや斜め右上を向いており、縦棒は垂直になっているのが特徴です。手術で「PEG」?PEGは「Percutaneous Endoscopic Gastrostomy=経皮的内視鏡的胃ろう造設術」の略です。かつて、すべての胃ろうを外科医が開腹手術で造設していた時代がありました(私が医師になる前の話です)。しかし近年は、内視鏡(胃カメラ)の技術が進歩し、全身麻酔下の手術を行わずに、内科医が胃ろうを造設するのが一般的です。この手法を、従来の胃ろう造設術と対比させ、「PEG」」すなわち、“内視鏡的な”胃ろう造設術と呼んでいます(いまでも手術適応となる症例は一部あります)。ところが、近年ではほとんどの胃ろうが内視鏡的に造設されているせいで、胃ろうそのものを「ペグ」と便宜上呼ぶことが多いように思います。そうした影響か、ときどき手術でPEG造設予定というとんでもない誤りを見ることがあります。PEGは、手術ではなく「内視鏡を使った胃ろう造設」だとわざわざ表現している言葉ですから、「“手術”でPEG」は完全に矛盾した表現です。また、「PEG造設」「上腹部にPEGあり」「PEGより経腸栄養剤注入」もよく見ますが、厳密にはこれも正しくはないでしょう。PEG=胃ろう造設術という「術式名」だからです。現場で誤解なく伝われば問題ありませんが、カルテに記載をする以上は誤解を招くことのないよう注意しなければなりません。「do.」は「行う」?「処置do」や「do処方」のように、現状の治療方針を継続するときなどに「do」という言葉が使われます。これを英語の動詞「do(行う)」だと誤解している人がいます。正しくは、イタリア語が起源の英語“ditto”の略で、日本語に訳すと「同上」です。略語なので、「do.」とピリオドをつけるのが正確です。同一語句の省略に用いるときに使う言葉で、記号で表すときは「〃」ですね。発音は[dítou]です。こちらも、誰から教わったわけでもなく、他の医師の見よう見まねで深く考えずに使ってきた言葉ではないでしょうか。意味がわかればいいと言えばそれまでですが、やはり正確な知識はもっておくべきでしょう。

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第245回 「医師偏在是正に向けた総合的な対策パッケージ」まとまる、注目された「規制的手法」は大甘、「経済的インセンティブ」も実効性に疑問

浜松駅前、20年以上放置の4,600m2の更地に驚くこんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。年始年末は実家のある愛知に帰り、正月明けに大学時代の友人が住む浜松で新幹線を途中下車、一杯飲んで帰って来ました。浜松は数年に1度、この友人と飲むために訪れるのですが、年を追うごとにさびれて活気がなくなっている印象を受けます。今回、駅前を歩いて驚いたのは飲み屋街の近辺にある広大な更地です。今まで気が付かなかったのが不思議なくらいの異常な広さです。友人が言うには、20年以上前に老舗百貨店が潰れ、そこが更地になった後、さまざまな開発計画が持ち上がったもののその都度立ち消えとなり、土地活用の計画はまったく進んでいないとのことでした。調べてみるとその広さは実に4,600m2。仮に開発計画がまとまったとしても、最近の建築コスト増などで、今からの実現はほぼ不可能と言えるでしょう。東北地方や日本海側の町の不景気振り、凋落振りについてはこの連載でも度々書いてきましたが、太平洋側で新幹線沿線、しかも自動車やオートバイ、楽器などの製造でほかの地方都市より元気であるはずの浜松ですらこの有り様なのかと、ため息をつきながら帰りの新幹線に乗りました。さて、厚生労働省の2024年の最大の宿題でもあった「医師偏在是正に向けた総合的な対策パッケージ」が年末にやっとまとまり、同省の医師偏在対策推進本部が 12月25日に公表しました。武見 敬三・前厚生労大臣が昨年4月のNHKの番組で「医師の偏在を規制によってきちんと管理していくことを我が国もやらなければならない段階に入ってきた」と突如発言したことをきっかけに検討がスタートし、「骨太方針2024」にも「24年末までに策定」と明記された今回の医師の偏在対策。8ヵ月かけてパズルを解くように厚労省がひねり出した「総合的な対策パッケージ」は、果たして実効性のあるものになったのでしょうか。医師確保計画の実効性の確保、地域の医療機関の支え合いの仕組みなど5本の柱、通常国会に医療法改正案提出の見込み「経済的インセンティブ、地域の医療機関の支え合いの仕組み、医師養成過程を通じた取り組みなどを総合的に組み合わせ、若手医師だけではなく、中堅・シニア世代を含む全ての世代の医師にアプローチするとともに、従来のへき地対策を超えた取り組みも実施する」という基本方針の下、策定された総合的な対策パッケージは次の5つの柱からなっています(図参照)。(1)医師確保計画の実効性の確保(2)地域の医療機関の支え合いの仕組み(3)地域偏在対策における経済的インセンティブ等(4)医師養成過程を通じた取組(5)診療科偏在の是正に向けた取組 医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ(概要)画像を拡大する※厚生労働省資料より今回の対策は、医療法に基づく「医療提供体制確保の基本方針」に位置付けるという方針も示され、今年の通常国会に医療法改正案が提出され、2026年度から実施される見込みです。そして、対策施行後5年を目処に効果を検証し、必要に応じ追加対策を講じる、としています。外来医師過多区域で都道府県の要請を受け入れずに開業した場合、診療報酬を下げる対応もまた、12月25日開かれた厚労省と財務省の大臣折衝では、「外来医師過多区域における要請等を受けた診療所に必要な対応を促すための負の動機付けとなる診療報酬上の対応とともに、その他の医師偏在対策の是正に資する実効性のある具体的な対応について更なる検討を深める」ことなども合意されました。「負の動機付けとなる診療報酬上の対応」とは穏やかではない表現ですが、具体的な方策については書かれていません。たとえば、外来医師過多区域で都道府県の要請を受け入れずに開業した場合、その医療機関だけ診療報酬単価を下げる、あるいは「外来医師過多区域減算」といったかたちで患者の診療報酬から一定点数減算する、などの対応が考えられます。いずれにせよ、「開業を止めたくなる」ような「負の動機付け」が、診療報酬の仕組みの中に導入されるわけです。外来医師過多区域での規制的手法は新規開業だけが対象さて、総合的なパッケージの中の具体策は先の図に示したように多岐に渡っていますが、まず注目されるのは、「(2)地域の医療機関の支え合いの仕組み」の中に盛り込まれた「2)外来医師過多区域における新規開業希望者への地域で必要な医療機能の要請等」です。都道府県の権限が今まで以上に強化され、都道府県は外来医師過多区域で新たに開業する医師に対し、診療内容を要請できるようになります。訪問診療や夜間・休日の救急対応など地域に足りない診療のほか、医師が不足する地域で土日の診療にあたることも対象となります。応じない場合、勧告や医療機関名の公表、補助金の不交付や前述したように診療報酬の引き下げも可能としました。また、要請に応じない場合などは、保険医療機関としての指定を通常の半分の3年とするなどの対策も盛り込まれました。武見前厚労相が強調していたいわゆる「規制的手法」です。しかし、既存の医療機関はそのままに、新規だけを対象としている点に対策の限界を感じます。また、訪問診療など足りない医療機能の提供を求めると言っても、そうした機能を”外部委託”するなどして、いくらでも抜け道はできそうです。財務省は元々、都道府県の要請に応じない場合は保険医療機関に指定しない措置を提案しており、規制的手法にしても11月の財政制度等審議会では「既存の保険医療機関も含めて需給調整をする仕組みの創設」が必要だと主張していました。今回の案を厚生労働省が日本医師会に配慮した結果と見る向きは多く、12月27日付の東京新聞は、「『医師の偏在』解消案を阻むラスボス・日本医師会」と題する記事で、「保険医療機関の不指定が見送られたのは『日医(日本医師会)の会長(松本吉郎)が最後まで首を縦に振らなかったからだ』」と書いています。既存の開業医のみならず、新規の開業医をも守ろうとする日医には、医師偏在を本気で解消しようという考えはさらさらないようです。重点医師偏在対策支援区域で承継・開業する診療所の施設整備への支援は税金の無駄遣い大甘の「規制的手法」に対して、「経済的インセンティブ」の内容はどうでしょうか。「(3)地域偏在対策における経済的インセンティブ等」の中に盛り込まれた「1)経済的インセンティブ」には、重点医師偏在対策支援区域において、承継・開業する診療所の施設整備・設備整備に対する支援、一定の医療機関に対する派遣される医師及び従事する医師への手当増額の支援、一定の医療機関に対する土日の代替医師確保等の医師の勤務・生活環境改善の支援、医療機関に医師を派遣する派遣元医療機関に対する支援などが盛り込まれました。「医師の手当増額」はまだ理解できますが、「重点医師偏在対策支援区域で承継・開業する診療所の施設整備への支援」はどうでしょう。一見すれば意味があるように見えますが、そもそも人口減で患者が少なく、医師不足になっている地域で今さら新規開業や承継開業を増やすのはナンセンスと言えます。10年、20年先にほぼ潰れることがわかっている医療機関への税金投入は、無駄遣い以外の何物でもありません。そもそも、地域で医療機関の再編を進める地域医療構想の考え方とも相容れません。5年目の見直しは必至だが、その時にはもういろんなことが手遅れになっているかもというわけで、今回の「総合的な対策パッケージ」、「規制的手法」にしても「経済的インセンティブ」にしても、全体的な詰めが甘く、付け焼き刃にもならない対策が多い印象です。パッケージには図にあるように、(4)医師養成過程を通じた取組、(5)診療科偏在の是正に向けた取組医師養成過程を通じた取組なども含まれ、それこそ総合対策という体裁になっていますが、5年、10年先にこれで医師偏在が解消されているかと言えば、なかなか難しいだろうというのが正直な感想です。日本経済新聞の12月30日の社説は「医師の偏在がこの対策で是正されるのか」のタイトルでこの問題を取り上げ、「担い手不足の地域で働く人材への経済支援の強化を打ち出す一方、医師が選択する勤務地や診療分野を制限する施策は弱い。2026年度からの実施で効果が出るのか不安が募る内容だ」と書いています。また、読売新聞の1月4日付の社説は「医師の偏在対策 実効性ある開業規制が要る」のタイトルで、「対策を議論した有識者会議では、医師が要請に応じない場合は保険医療機関への指定を許可しない、といった厳しい措置も一時検討されていた。だが、日本医師会が『職業選択の自由』などを理由に反発したため、見送られた。(中略)今回の規制も実効性に乏しかった場合には、さらなる措置に踏み切るべきだろう。誰もが一度は地方勤務を経験するような仕組みも含めて、多角的な対策が必要ではないか」と書いています。「総合的な対策パッケージ」はその効果を施行後5年目途に検証し、十分な効果が生じていない場合には、さらなる医師偏在対策を検討することになっています。個々の対策を見る限り、5年目(2031年)の見直しは必至と言えそうです。既存の医療機関も含めた本当の意味での「規制的手法」の導入は、それからになるかもしれませんが、その時には、開発の時期を完全に逸した浜松駅前の広大な更地のように、もういろいろなことが手遅れになっている気がしてなりません。

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2024年を終えるに当たって【Dr. 中島の 新・徒然草】(561)

五百六十一の段 2024年を終えるに当たっていよいよ激動の2024年も終わりを迎えようとしています。正月の能登半島地震、翌2日の羽田空港地上衝突事故で始まった2024年ですが、大谷翔平選手のMLBでの大活躍や、日経平均株価のバブル期超えという明るいニュースもありました。考えてみれば、そもそも平穏な1年などというものはなく、毎年のように何か予想外のことが起こっているわけですね。私自身を振り返ってみると、何といっても定年退職したことが一番の出来事です。前々回に述べたように、週2回の外来と医師会活動や看護学校での講義のほかは、自宅で過ごす毎日。やはり時間に余裕ができたのは大きく、外来の患者さんたちにも「先生、前より元気そうね」と言われたりします。外来の患者さんといえば、若い人の中には結婚や出産というめでたいこともあったりします。ある脳梗塞の女性患者さんは、生まれたばかりの赤ん坊を連れてきてくれました。患者「普段は目立たないけど、子供を抱っこしたりするとバランスが悪くて」中島「そういう時に片麻痺が露呈してしまうのか……」患者「もう母や旦那に頼りっぱなしで情けないです」中島「そんなもん、利用できるものはすべて利用したほうがいいですよ」彼女は実家が目の前にあるので、何かと母親に助けてもらいながらの子育てです。一緒に診察室に来ていた母親は孫を抱きながら「そうは言っても育児は終わりがありますからね」と仰っていました。頼もしい!一方、別の頭部外傷の女性患者さんは、つい子供にきつく当たってしまうというのが悩みのようでした。高次脳機能障害のために感情を抑えづらいのがその原因。3歳の女の子を連れての受診ですが、彼女の場合は周囲に助けてくれる人があまりいないようです。中島「ママ、怒ったりする?」女の子「うん」中島「ママは怖い?」女の子「うん」患者「何を言ってるの!」まずい……余計なことを聞いてしまった。中島「でも、優しいママは大好き?」女の子「うん」一体、この先はどうなるのでしょうか。中島「保育所の利用とかで必要な書類があったら、何でも書きますから、遠慮なく言ってください」患者「ありがとうございます」別の患者さんは、小学生から中学生までの3人の子供がいる状態で、脳内出血を発症してしまいました。やはり片麻痺があるので、家事には苦労しています。患者「上の子は本当だったら反抗期なんでしょうけど……」中島「親に反抗している余裕もないんですね」患者「そうなんですよ。もう全員で家事を手伝ってくれています」中島「それは立派。立派過ぎる!」子供たちが診察室に付いてくることがあったら、私なりに労ったり励ましたりしなくてはなりませんね。そういえば、父親としての悩みというのも聞かされました。この患者さんは、交通事故の後に仕事も私生活もうまくいかなくなってしまったのですが、子供の話をする時だけは嬉しそうな表情です。患者「上の子が中学生になりまして」中島「こないだ小学校に入ったと聞いたばっかりなのに!」患者「それで、小学校からの友達と一緒にハンドボール部に入ったんですけど」中島「頑張ってますね」患者「それが同じポジションで、友達のほうばかりが試合に出してもらっているそうなんですよ」中島「そりゃあ辛いなあ」患者「それでハンドボールをやめたいとか言い出して」中島「でも、レギュラーになれない自分とどうやって折り合いを付けて頑張れるか、というのが部活動の本当の意味だと思いますけどね」患者「そうなんですか!」中島「とはいえ、本人は本人でいろいろ考えているでしょうから、あまり親が『ああしろ、こうしろ』と言い過ぎるのも良くないと思いますけど」今にして思えば、部活動というのは社会の縮図でした。よくあれだけ泣いたり笑ったりしたもんだと思います。部活動では、本当にたくさんの失敗をしてしまいましたが、医療現場と違って人が死ぬということがなかったのが救いでした。今になってそんな風に思います。ともあれ。あと数日間の2024年、無事に終わってほしいですね。読者の皆さん。良い年をお迎えください。最後に1句外来で 患者と悩む 年の暮れ

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抗菌薬と手術、小児の虫垂炎に最善の治療法はどちら?

 過去数十年にわたり、小児の虫垂炎(いわゆる盲腸)に対しては、手術による虫垂の切除が一般的な治療とされてきた。しかし、新たな研究で、手術ではなく抗菌薬を使う治療が、ほとんどの症例で最善のアプローチであることが示唆された。この研究では、合併症のない虫垂炎(単純性虫垂炎)の治療に抗菌薬を使用することで、痛みが軽減し、学校を休む日数も減ることが示されたという。米ネムール小児医療センターのPeter Minneci氏らによるこの研究結果は、「Journal of the American College of Surgeons」に11月19日掲載された。 本研究の背景情報によると、米国では、小児の入院理由として5番目に多いのが虫垂炎であり、また、入院中の小児に対して行われる外科手術の中で最も多いのが虫垂切除術だという。Minneci氏らは、2015年5月から2018年10月の間に中西部の小児病院で単純性虫垂炎の治療を受けた7〜17歳の小児1,068人のデータを分析し、1年間の追跡期間を通じて、抗菌薬による非手術的管理と手術的管理(緊急腹腔鏡下虫垂切除)の費用対効果を比較した。対象者の親には、子どもの虫垂を切除するか、手術回避の可否を確認するために少なくとも24時間の抗菌薬による点滴治療を行うかの選択肢が与えられていた。370人(35%)は抗菌薬による非手術的な管理、698人(65%)は手術的管理を選んでいた。 費用対効果の評価では、増分費用効果比(ICER)を主な指標として採用した。これは、非手術的管理と手術的管理の費用の差を健康アウトカムの差で割ったもので、1単位の質調整生存年(QALY)または障害調整生存年(DALY)を得るために必要な追加費用を意味する。1QALYまたは1DALY当たりの支払い意思額(WTP、支払っても良いと思う最大金額)を10万ドル(1ドル150円換算で1500万円)に設定し、この閾値を基準として費用対効果を評価した。 その結果、非手術的な管理は手術的管理よりも費用対効果の高いことが明らかになった。手術的管理にかかった費用は、1人当たり平均9,791ドル(1ドル150円換算で146万8,650円)であり、平均0.884QALYを獲得していた。一方、非手術的管理にかかった費用は1人当たり平均8,044ドル(同約120万6,600円)であり、平均0.895QALYを獲得していた。 Minneci氏は、「この結果は、合併症のない小児の急性虫垂炎に対しては、非手術的管理の方が手術的管理よりも1年を通して最も費用対効果の高い治療戦略であることを示している」と述べている。 Minneci氏はさらに、「われわれの研究は、抗菌薬のみの治療の方が小児にとって安全かつ効果的であるだけでなく、費用対効果も高いというベネフィットがあることを明らかにした。虫垂炎に対する非手術的管理は、安全かつ費用対効果の高い初期治療であり、手術に代わる合理的な選択肢だ」と述べている。 研究グループは今後、それぞれの治療法が失敗する頻度を比較し、虫垂炎の小児に病院ではなく自宅で抗菌薬を投与できるかどうかを検討する予定だとしている。

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敷地内薬局の賃料はいくら?【早耳うさこの薬局がざわつくニュース】第142回

医療機関の敷地内にある保険薬局、いわゆる敷地内薬局が2024年度の調剤報酬でさらに厳しい立場になったことは皆さんご存じかと思います。敷地内薬局は集患に有利であるものの、医療機関に払う土地・建物代は高額と想像できますが、賃料はいくらくらいなのでしょうか? 厚生労働省による調査の結果が公表されました。厚生労働省は16日の「薬局・薬剤師の機能強化等に関する検討会」で、病院の敷地内薬局に関する調査結果を報告した。誘致元の医療機関に支払っている月額賃料に関しては37薬局と限定的な回答数だったものの、最も多かった回答は「100万~200万円」の8件だった。「300万円以上」と回答した薬局も2件あった一方、「2万円以下」との回答も2件あった。公募要件に関しても回答は少なかったが、医療機関から「駐車場」や「会議室」「コンビニ、カフェ、レストラン」などの整備を求められている実態が明らかとなった。(2024年12月17日付 RISFAX)なかなかの高額賃料ですね…。賃料だけでなく、薬局が敷地内にあるというだけで病院から施設の整備を求められるなど、利益供与ともいえるいびつな状況が明らかになっています。一方で、一度開設した敷地内薬局を閉めて撤退するという話があったり、公募しても手が上がらなかったりするなど、点数も低く、病院の言いなりになる敷地内薬局には関わりたくないという判断をする薬局も多くなっているのかもしれません。敷地内薬局には、「日本が目指してきた医薬分業ではない」という誰が聞いてもそうだよなという意見があり、そういう意味では薬局側の意識が本来の医薬分業にきちんと向いている気がします。2025年は一般用医薬品のリスク分類を見直し2024年もあとわずかとなりました。12月に紙の保険証が廃止されて新規発行されなくなり、2025年からは原則としてマイナ保険証に1本化となります。団塊の世代が全員75歳以上になるという「2025年問題」の年がいよいよ到来し、薬局を取り巻く環境にも変化が生じるかもしれません。一般用医薬品のリスク分類の見直しもある予定です。私としては、そろそろ医薬品の供給が安定化してほしいなと思います。今年も1年、ありがとうございました。来年も楽しい話題を届けられたらと思います!

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“Real-world”での高齢者に対するRSVワクチンの効果(解説:山口佳寿博氏/田中希宇人氏)

 60歳以上の高齢者に対する呼吸器合胞体ウイルス(RSV:Respiratory Syncytial Virus)に対するワクチンの薬事承認を可能にした第III相臨床試験の結果に関しては以前の論評で議論した(CLEAR!ジャーナル四天王-1775)。今回は実臨床の現場で得られたデータを基に高齢者に対するRSVワクチンの“Real-world”での効果(入院、救急外来受診予防効果)を検証し、高齢者に対するRSVワクチン接種を今後も積極的に推し進めるべき根拠が提出されたかどうかについて考察する。RSVのウイルス学的特徴 RSVは本邦において5類感染症に分類されるParamyxovirus科のPneumovirus属に属するウイルスである。RSVはエンベロープを有する直径150~300nmのフィラメント状の球形を示すネガティブ・センス一本鎖RNAウイルスで、11個の遺伝子をコードする約1万5,000個の塩基からなる。自然宿主はヒトを中心とする哺乳動物である。ヒトRSVの始祖は1766年頃に分岐し、2000年以降に下記に述べる複数のA型ならびにB型に分類される亜型が形成された(IASR. 国立感染症研究所. 2022;43:84-85.)。A型、B型を特徴付けるものはRSVの膜表面に存在する糖蛋白(G蛋白)の違いである。G蛋白は宿主細胞との接着に関与し、宿主の免疫に直接さらされるためRSVウイルスを形成する構造の中で最も遺伝子変異を生じやすく、A型、B型には約20種以上の亜型が報告されている(A型:NA1、NA2b、ON1など、B型:BA7、BA8、BA9、BA10など)。しかしながら、A型とB型ならびにそれらの亜型によって病原性が明確に異なることはなく、A型、B型が年の単位で交互に流行すると報告されている。G蛋白によって宿主細胞と接着したRSVは、次項で述べるF蛋白(1,345個のアミノ酸で構成)を介して宿主細胞と融合し細胞内に侵入する。 新生児においては母親と同程度のRSV抗体(母体からのIgG移行抗体)が認められるが、その値は徐々に低下し生後7ヵ月で新生児のRSV抗体は消失する。すなわち、RSV液性抗体の持続期間は約6ヵ月と考えなければならない。これ以降に認められるRSV抗体は生後に起こった新規感染に起因する(生後2年までに、ほぼ100%が新規感染)。それ以降、ヒトは生涯を通じてRSVの再感染を繰り返し、血液RSV抗体価は再感染に依存して上昇・下降を繰り返す。新生児の現状を鑑みると、RSV抗体が有意に存在する生後6ヵ月以内の新生児において新規のRSV感染は、より重篤な呼吸器病変を発現する場合があることが知られている。すなわち、RSVに対するワクチン接種によって形成されるRSV液性免疫は即座に感染防御を意味するものではなく、RSVを標的としたワクチン接種がより重篤な呼吸器病変を誘発する可能性があることを念頭に置く必要がある。以上の事実は、RSVワクチン接種を今後励行するか否かは、その予防効果を確実に検証した臨床試験の結果を踏まえて決定する必要があることを意味する。RSVワクチンの薬事承認 RSVに対するワクチンの開発は1960年代から始まり、不活化ワクチンの生成が最初に試みられた。しかしながら、不活化ワクチンは“抗体依存性感染増強(ADE:Antibody dependent enhancement of infection)”を高頻度に発現し、臨床的に使用できるものではなかった。それ以降、RSVの蛋白構造ならびに遺伝子解析が進められ、RSVが宿主細胞に侵入する際に本質的作用を有する膜融合蛋白(F蛋白:Fusion protein、コロナウイルスのS蛋白に相当)を標的にすることが有効な薬物作成に重要であることが示された。実際には、宿主の細胞膜と融合していない安定した3次元構造を有する膜融合前F蛋白(Prefusion F protein)が標的とされた。まず初めに膜融合前F蛋白に対する遺伝子組み換えモノクローナル抗体(mAb)であるパリビズマブ(商品名:シナジス、アストラゼネカ)が実用化され、種々のリスクを有する新生児、乳児のRSV感染に伴う下気道病変の重症化阻止薬として使用されている。 新型コロナ発生に伴い高度の蛋白・遺伝子工学技術を駆使した数多くのワクチンが作成されたことは記憶に新しい。新型コロナに対するワクチンは2種類に大別され、Protein-based vaccine(Subunit vaccine)とGene-based vaccineが存在する。これらの技術がRSVワクチンの作成にも適用され、遺伝子組み換え膜融合前F蛋白を抗原として作成されたProtein-based vaccineである、グラクソ・スミスクライン(GSK)のアレックスビー筋注用(A型、B型のF蛋白の差を考慮しない1価ワクチン)とファイザーのアブリスボ筋注用(A型、B型両方のF蛋白を添加した2価ワクチン)が存在する。一方、Gene-based vaccineとしてはModernaのmRESVIA(mRNA-1345、A型、B型のF蛋白の差を考慮しない1価ワクチン)が存在する。 GSKのアレックスビーは60歳以上の高齢者を対象としたRSV予防ワクチンとして世界に先駆け2023年5月に米国FDA、2023年9月に本邦厚生労働省の薬事承認を受けた。2024年11月、本邦におけるアレックスビーの適用が種々の重症化リスク(慢性肺疾患、慢性心血管疾患、慢性腎臓病または慢性肝疾患、糖尿病、神経疾患または神経筋疾患、肥満など)を有する50~59歳の成人にまで拡大された。一方、ファイザーのアブリスボは母子ならびに高齢者用のRSVワクチンとして2023年8月に米国FDAの薬事承認を受けた。本邦におけるアブリスボの薬事承認は2024年1月であり、適用は母子(妊娠28~36週に母体に接種)に限られ高齢者は適用外とされた。これは、アブリスボが高齢者に対して効果がないという意味ではなく、アレックスビーとの臨床的すみ分けを意図した日本独自の政治的判断である。ModernaのmRESVIA(mRNA-1345)は、2024年5月に高齢者用RSVワクチンとして米国FDAの薬事承認を受けたが本邦では現在申請中である。 以上より、2024年12月現在、本邦のRSV感染症にあっては、母子に対してはファイザーのアブリスボ、60歳以上の高齢者あるいは50歳以上で重症化リスクを有する成人に対してはGSKのアレックスビーを使用しなければならない。高齢者RSV感染に対するワクチンの予防効果―主たる臨床試験の結果Protein-based vaccineの第III相試験 60歳以上の高齢者を対象としたGSKのアレックスビーに関する国際共同第III相試験(AReSVi-006 Study)は2万4,966例を対象として追跡期間が6.7ヵ月(中央値)で施行された(Papi A, et al. N Engl J Med. 2023;388:595-608.)。ワクチンのRSV下気道感染全体に対する予防効果は82.6%であり、A型、B型に対する予防効果に明確な差を認めなかった。COPD、喘息、糖尿病、慢性心血管疾患、慢性腎臓病、慢性肝疾患などの基礎疾患を有する高齢者に対する下気道感染予防効果は94.6%と高値であった。ワクチン接種により、RSVに対する中和抗体(液性免疫)ならびにCD4陽性T細胞性免疫が発現する。しかしながら、アレックスビー接種後の液性免疫、細胞性免疫の持続期間に関する正確な情報は提示されていない。有害事象はワクチン群の71.6%に認められたが、注射部位を中心とする局所副反応が中心であった。本邦では適用外であるが、60歳以上の高齢者を対象としたファイザーのアブリスボに関する治験結果も報告されており、予防効果はGSKのアレックスビーとほぼ同等であった(国際共同第III相試験:C3671008試験、2024年1月18日ファイザー発表)。Gene-based vaccineの第III相試験 高齢者を対象としたGene-based vaccineであるModernaのmRESVIA(mRNA-1345)に関する国際共同第III相試験は、3万5,541例を対象とし、追跡期間3.7ヵ月(中央値)で施行された。RSV関連下気道感染に対する予防効果は83.7%であり、基礎疾患の有無、RSVの亜型(A型、B型)によって予防効果に明確な差を認めなかった(Wilson E, et al. N Engl J Med. 2023;389:2233-2244.)。以上の結果は、Gene-based vaccineの予防効果はProtein-based vaccineと質的・量的に同等であり、mRESVIAは本邦においても来年度には厚労省の薬事承認が得られるものと期待される。Real-worldでの観察結果 綿密に計画された第III相試験ではなく、ワクチン承認後の最初のRSV流行シーズンでの60歳以上の高齢者を対象とした“Real-world”でのRSVワクチン予防効果に関する報告が米国から提出された(Payne AB, et al. Lancet. 2024;404:1547-1559.)。この検討は、米国8州の電子カルテネットワークVISION(Virtual SARS-CoV-2, Influenza, and Other respiratory viruses Network)を用いて施行された(対象の集積は2023年10月1日~2024年3月31日の6ヵ月)。解析対象は試験期間中にVISIONによって抽出された入院症例(3万6,706例)あるいは救急外来を受診した症例(3万7,842例)であった。入院症例のうちGSKのアレックスビー、ファイザーのアブリスボを接種していた人の割合はおのおの7%、2%であった。救急外来を受診した症例にあっては、アレックスビーを接種していた人が7%、アブリスボを接種していた人が1%であった。 免疫正常者の入院者数は2万8,271例で、RSV関連入院に対するワクチンの予防効果は80%、RSV感染による重篤な転帰(ICU入院、死亡)に対するワクチンの予防効果は81%であり、重症化もワクチン接種によって明確に軽減できることが示された。免疫正常者のRSV関連救急外来受診者数は3万6,521例で、ワクチン接種の予防効果は77%であった。免疫不全患者のRSV感染による入院者数は8,435例で、免疫不全症例におけるRSV感染関連入院に対するワクチンの予防効果は73%であった。以上の結果はワクチンの種類によって影響されなかった。すなわち、第III相試験ならびにReal-worldでの観察結果は高齢者に対するRSVワクチン接種の有効性を証明した。数十年前に作成されたRSV不活化ワクチン接種時に高頻度に認められた“抗体依存性感染増強”を中心とする重篤な副反応は、現在のProtein-based vaccine、Gene-based vaccineでは発生しないことが実臨床の場で確認された。 成人におけるRSVワクチン接種の今後の課題として、以下が挙げられる。1)ワクチン接種後のIgG由来の液性免疫動態ならびにT細胞由来の細胞性免疫動態の時間的推移を確実にする必要がある。この解析を介してRSVワクチンの至適接種回数を決定できる(年2回、年1回、2年に1回など)。米国CDCは成人に対するRSVワクチンは毎年接種する必要はないとの見解を示しているが、ワクチン接種後の液性免疫、細胞性免疫の持続期間が確実にならない限り、米国CDCの推奨が正しいとは結論できない。2)ワクチン作成の本体を担うF蛋白に関して、その遺伝子変異の状況をもっと詳細にモニターするシステムを構築する必要がある。これによって今後のRSV流行時に、今年度までに作成されたワクチンをそのまま適用できるか否かを決定できる。3)ワクチン接種時期はその年の流行直前が理想的である。しかしながら、本邦においては、RSV感染が小児科定点からの報告のみであり、成人データは確実性に乏しい。今後、RSV感染症に関する流行情報を、成人を含めた広範囲な対象で収集する本邦独自のサーベイランス・システムの構築が必要である。この情報を基に、高齢者におけるワクチン接種の正しい時期を決定する必要がある。4)小児では迅速抗原検査がRSV感染の診断に有用であるが、成人では感染に伴うウイルス量が少なく迅速抗原検査の感度が低い(単独PCR検査の10~20%)。すなわち、現状では成人におけるRSV感染の簡易確定診断が難しく、RSVワクチン接種の対象となる成人を抽出するのに支障を来す。たとえば、ワクチン接種前数ヵ月以内の感染者に対してはワクチン接種を避けるべきである。5)本邦ではRSVワクチン接種の対象が50歳以上(ただし、感染による重症化リスクを有する)まで引き下げられたが、米国CDCは今年になって、本邦の考えとは逆にRSVワクチン接種の対象を75歳以上あるいは60~74歳で重症化リスクを有する高齢者に引き上げた。米国CDCの考えは、医学的側面に加え医療経済的側面を考慮した変更と考えられる。従来の対象者選択基準が正しいのか、米国CDCの新たな選択基準が正しいのか、今後の“Real-world”での観察結果が待たれる。

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医療保険会社CEO射殺事件について【Dr. 中島の 新・徒然草】(560)

五百六十の段 米医療保険会社CEO射殺事件について12月半ばになってもまだ紅葉が綺麗です。紅葉のまま年を越してしまうのでしょうか?さて、2024年12月4日のこと。アメリカの民間医療保険会社、ユナイテッドヘルスケアCEOのブライアン・トンプソン氏がニューヨークの路上で射殺される事件が発生しました。現場には「deny(否定)」「delay(遅延)」「depose(追放)」と記された薬莢が残されており、これは『Delay, Deny, Defend』という本のタイトルをもじったものではないかと考えられています。同書は民間医療保険会社の実態を暴露したもので、タイトルは保険請求に対する支払いの遅延や拒否、裁判での徹底抗戦といった彼らの行動を端的に示したものです。この薬莢メッセージから、今回の事件は医療費の支払いを巡るトラブルが原因と推測されました。12月9日、犯人とされるルイジ・マンジョーネ容疑者がペンシルベニア州のマクドナルドで逮捕されました。彼の所持品からは、犯行に使われた銃と手書きの犯行声明(マニフェスト)が見つかったと報じられています。この26歳の容疑者はペンシルベニア大学を卒業した裕福な青年ですが、背中の手術からしばらくして行方不明となり、家族から捜索願が出されていました。すぐに思い付くのは、ユナイテッドヘルスケアが支払いを渋ったのではないかということですが、実のところ彼はユナイテッドヘルスケアの加入者ですらなかったそうです。詳しい動機は今後の裁判で明らかになることでしょう。私は英語の勉強のため、YouTubeで英語ニュースをよく見ますが、この事件についても関連する動画をいくつか視聴しました。とくに驚かされたのはコメント欄です。そこには、民間医療保険会社に対する恨み辛みがあふれていました。いくつか例を挙げましょう。事前承認制度のせいで、30分の治療に対する支払い同意を得るために、毎日苦しみながら数ヵ月を無駄にした。製薬会社、そしてFDA(米国食品医薬品局)も保険会社と結託している。最大の問題は、政治家たちが医療保険会社と癒着していることだ。健康保険会社は、仲介業者というよりも医療への障壁だ。フロリダ州のある女性は、保険請求を拒否された後「次はあんたらの番よ」と電話で発言し、逮捕された。最後の女性のケースは別のニュースにもなっています。こうした怒りが噴出する背景には、主に2つの要因があると思います。1つはアメリカの医療費の高さです。たとえば、あるアメリカ人YouTuberが「本国でのおたふく風邪の治療で200万円かかった」と憤っていました。また、私の甥も以前、アメリカで大学生活を送っている時に自転車事故に遭い、救急室へ運ばれたことがあります。幸い当日帰宅できましたが、その際の医療費は4万ドル(約600万円)。保険に入ってはいたものの、相当な自己負担になったのではなかったかと思います。もう1つは保険会社の支払い渋りです。今回の事件後、医療保険各社のホームページからCEOの名前や顔写真が一斉に削除されたといいますが、それぞれに自覚があるのでしょう。何かと批判されることの多い日本の医療制度や保険制度ですが、アメリカと比較すれば優れている部分がたくさんあるものと思われます。とはいえ、わが国の医療制度や保険制度、これからも少しずつ改善を続けながら維持し続けるべきだと、改めて感じさせられた次第です。最後に1句冬紅葉(ふゆもみじ) 異国のニュース 意味深し

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mumps(ムンプス、おたふく風邪)【病名のルーツはどこから?英語で学ぶ医学用語】第17回

言葉の由来ムンプスは英語で“mumps”で、「マンプス」に近い発音になります。なお、耳下腺は英語で“parotid gland”で、耳下腺炎は“parotitis”といいます。英語での“mumps”は日本語での「おたふく風邪」のように、医療者以外でも一般的に広く使われる言葉です。“mumps”の語源は諸説あります。1つの説によると、“mumps”という病名は1600年ごろから使用され始め、「しかめっ面」を意味する“mump”という単語が複数形になったものとされています。ムンプスが引き起こす耳下腺の腫れと痛み、嚥下困難などの症状による独特の顔貌や表情からこの名前が付いたと考えられています。もう1つの説は、ムンプスでは唾液腺の激しい炎症で患者がぼそぼそと話すようになることから、「ぼそぼそ話す」を意味する“mumbling speech”が元になって“mumps”と呼ばれるようになったというものです。日本語の「おたふく風邪」も、耳下腺が腫れた様子が「おたふく」のように見えることに由来します。いずれの呼び方も、特徴的な見た目や症状から病気の名前が付けられたことがわかりますよね。ムンプスは古代から知られており、ヒポクラテスが5世紀にThasus島での発生を記録し、耳周辺の痛みや睾丸が腫脹することも記載しています。近代では、1790年に英国のロバート・ハミルトン医師によって科学的に記述され、第1次世界大戦期間中に流行し兵士たちを苦しめました。1945年に初めてムンプスウイルスが分離され、その後ワクチンが開発されたことで予防可能な疾患になりました。併せて覚えよう! 周辺単語耳下腺炎parotitis精巣炎orchitis卵巣炎oophoritis無菌性髄膜炎aseptic meningitisMMRワクチンMeasles, Mumps, and Rubella vaccineこの病気、英語で説明できますか?Mumps is a contagious viral infection that can be serious. Common symptoms include painful swelling of the jaw, fever, fatigue, appetite loss, and headache. The MMR vaccine offers protection from the virus that causes mumps.講師紹介

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直美・コスパ・タイパ、医師はどこに行ってしまったのか?【Dr.中川の「論文・見聞・いい気分」】第79回

市長自ら医療逼迫を訴える「ご期待に沿うお返事ができず、本当に申し訳ございません」教授室で頭を下げます。その相手は某市の市長さまです。「市長さま自ら、このたびはわざわざお越しいただき、誠にありがとうございます。貴市の医療体制充実のためにお力を尽くされていることに深く敬意を表します。当方としても、地域医療の維持と発展にできる限り貢献したいと考えております。しかしながら、現在、大学の医局でも医師の配置に非常に厳しい状況が続いており、新たに派遣できる医師の余裕がないのが実情です。このようなお返事となり、誠に申し訳ございません。とはいえ、地域医療の重要性を十分に認識しておりますので、何らかの形でお力になれないか、引き続き検討させていただきたく存じます。ほかの大学との連携や自治体としての対策強化についても、もし私共でご協力できることがあれば、ぜひご相談ください」市長が、自治体で運営する病院へ循環器内科医師の派遣を求めて教授室を訪問してくださいました。多忙な中で時間を割いて一つの診療科の医師確保のために動くというのは、よほど逼迫しているのでしょう。同様の趣旨での各病院の院長の来訪は頻回にあります。相手の面子を保つように、言葉を選んで慎重に返答させていただきますが、実際に派遣できる可能性は限りなく低いと思われます。循環器内科を志望する若手医師が減っているからです。偏在化が進む診療科、増える「直美」厚生労働省の「医師・歯科医師・薬剤師統計」のデータを紹介しましょう。この統計は、医師、歯科医師及び薬剤師について、性、年齢、業務の種別、従事場所及び診療科名などの分布を明らかにし、厚生労働行政の基礎資料を得ることを目的として2年ごとに実施されます。2014・2015年に卒業し新規に医師になった1万4,617人で、循環器内科に進んだ者は828人(5.7%)でした1)。2018・2019年卒の1万6,601人では、727人(4.4%)でした2)。両調査の間に医師総数が13.6%増加しましたが、循環器内科の選択者は12.2%減少しました。毎年新規の循環器内科選択者は約360人、全国に82大学の医学部がありますから1大学あたり4.4人ほどとなります。日本循環器学会の会員数は、現在構成の主体となっている50歳代は、総数で6,500人ほどです。つまり、当時は毎年650強の人数が循環器内科を選択していたことになります。当時の新規医師の養成数から、率にして10%ほどが循環器内科を選択したことになります。このように実数・選択率の両方で循環器内科医は明らかに減少しています。一方で、美容医療や自由診療の医療機関で働く医師が増えていることはご存じと思います。卒業後2年間の初期研修を終えると同時に、美容医療業界に進む医師が増えています。「直ぐ」に「美容医療」に進むという意味で「直美」といい、「なおみ」ではなく「ちょくび」と発音します。美容外科医の増え方は大きく、2004年から2022年までで3.5倍超に増えたといいます。循環器内科だけでなく、心臓外科、脳神経外科、消化器外科など多くの分野で、成り手が減っています。こういった診療科ごとの偏在も問題ですが、医師が都市部に集まり地方で不足する偏在も問題です。地域によっては、急性心筋梗塞患者の緊急PCIの体制を維持することが難しくなっています。こうした中で、厚生労働省が公立病院を含む公的医療機関や国立病院機構が運営する病院などについて、医師が少ない地域での勤務経験を有することを院長などの管理者になるための要件にする方向で検討を進めているそうです。病院長の職務は、経営問題は当然として、働き方改革・医療安全・感染管理・医療訴訟・パワーハラスメント問題など範囲が広がっています。医師の確保に多くの病院長が苦労しています。病院長は大変な仕事であることは皆が周知しています。若い頃から「病院長になりたい」と考えている医師はおそらく相当の少数派です。医師寡少地域での勤務経験を管理職への要件とすることの実効性に、小生は疑問を感じます。民間企業においても、「管理職になりたくない」「出世もしたくない」、そんな若手社員が増えていることを厚生労働省は認識していると思うのですが。「コスパ&タイパ」を求める風潮若手医師の思いは変化しています。「自分の人生を削ってまで、他者の命を救う意義があるのか」と公言する者もいます。働き方改革の名目のもとで、「労働は美徳にあらず、苦役である」という風潮が蔓延しています。苦労して知識や技術を身に付けて患者に尽くす喜びを感じることは難しくなったのでしょうか。Z世代を中心に「コスパ&タイパ」という言葉が流行っています。コスパは、コストパフォーマンス(費用対効果)、タイパは、タイムパフォーマンス(時間対効果)の略です。ワークライフ・バランスを最優先にする者が増えていることと軌を一にします。医師の偏在の是正に向けて、専門研修のシーリング制度で各領域の定員をコントロールしようとしている一方で、「直美」に代表されるように美容医療に流れてしまっては、その前提が崩れてしまいます。国公立か私立かを問わず、医学部には国の税金が投入されています。医師になった以上は、それを国民に還元する役割も担っているのではないでしょうか。過酷な診療科をどのように改善していくか成り手が少ない診療科が生じる理由ですが、仕事が大変であることに尽きます。世間一般からすれば、医師の給与は高いと思われていますが、本当に厳しい仕事に対しての対価は、決して十分ではないと思います。そのために「回避行動」として、美容外科の領域に流れます。彼らを責めるだけでは解決しません。このような選択をする若手医師がいることを前提に、大学レベルや学会レベルだけではなく、日本の医療行政全体で考える必要があります。過酷な診療科において適正な対価が得られない、過酷な勤務環境が整備されない、その原因を注視し、システムを改善することが望まれます。誰かを批判したり、愚痴を言うだけでは変化しません。皆で考え、取り組みませんか。間に合う最後のチャンスかもしれません。参考文献・参考サイト1)厚生労働省:平成28年(2016年)医師・歯科医師・薬剤師調査の概況 統計表2)厚生労働省:令和2(2020)年医師・歯科医師・薬剤師統計の概況

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第242回 病院経営者には人ごとでない順天堂大の埼玉新病院建設断念、「コロナ禍前に建て替えをしていない病院はもう建て替え不可能、落ちこぼれていくだけ」と某コンサルタント

埼玉県がさいたま市に誘致し、新設予定だった順天堂大付属病院の建設計画が頓挫こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。俳優で歌手の中山 美穂さんの急死には驚きました。検視の結果、事件性はないことが確認され、「入浴中に起きた不慮の事故」と公表されました。朝日新聞等の報道によれば、事件性が疑われる場合に行われる「司法解剖」ではなく、「調査法解剖」が行われたとのことです。調査法解剖は、2013年に施行された「死因・身元調査法」に基づいて実施される比較的新しい解剖の制度です。犯罪捜査の手続きが行われていなくても、警察等が法医等の意見を踏まえて死因を明らかにする必要があると判断した場合に、遺族への事前説明のみで実施が可能とのことです。死亡推定時刻は12月6日午前3時~5時頃で「入浴中に起きた不慮の事故」ということは、飲んで浴槽で寝てしまったのかもしれません。私もぐでんぐでんに酔っ払い、家に帰って浴槽で寝てしまい、お湯が冷めて寒さを感じやっと起きたという経験や、ぶくぶくと溺れそうになって起きた経験があります。飲んでからのお風呂はいろいろな意味で危険ですね。忘年会シーズン、皆さんもお気を付けください。さて今回は、埼玉県がさいたま市の浦和美園地区に誘致し、新設予定だった順天堂大付属病院の建設計画が頓挫したニュースについて書いてみたいと思います。建築費などの高騰がその理由とのことですが、建て替えに悩む多くの病院経営者は人ごととは思えなかったのではないでしょうか。総事業費が当初予想した規模の2.6倍、2,186億円に達することが明らかに順天堂大学は11月29日、埼玉県がさいたま市の浦和美園地区に誘致し、新設予定だった順天堂大付属病院について、建設費高騰などを理由に計画を中止すると県に伝えました。東京新聞などの報道によれば、順大は11月27日の理事会で中止を決定、29日に代田 浩之学長、天野 篤理事らが県庁を訪れ、大野 元裕知事に報告したとのことです。代田学長は取材に「県民の皆さまにご期待をいただいたが、残念ながら断念することになった。大変申し訳なく思う」と謝罪、大野知事は、「これまでも大学からの申し出に対し、期限を延長するなどの措置をしてきた。その上でのこの報告は、大変遺憾だ」と述べたとのことです。順大は同日、同大のウェブサイトに「埼玉県浦和美園地区病院の整備計画中止について」と題するニュースリリースを発信、中止の主な理由について、「建築業界の急激な需要増や資材の高騰に加え、深刻な人手不足などの要因も重なり建築費が大幅に高騰し、さらにその他の費用も上昇した結果、総事業費が当初平成27年に予想した規模の2.6倍にあたる2,186億円に達することが明らかになりました」と記しています。800床で、建設予定地は約7万7,000m2、県は土地取得に55億5,000万円かける新病院は、県内の医師確保困難地域への医師派遣などを条件に、2015年の県医療審議会で順大による開院計画が採択されました。当初計画の病床数は800床で、建設予定地は約7万7000m2。県有地とさいたま市有地からなり、県は土地取得に55億5,000万円をかけていました。県が2018年に順大側と交わした確認書では、病院整備費用の2分の1を上限に補助することになっていました。度重なる延期の末、最終的に2027年11月の開院予定となっていましたが、今年7月末に順大から県に対し、2,186億円の総事業費、開院を20ヵ月延期する工期とともに「事業計画の見直しが必要との結論に至った」との通知が届けられていました。県は計画変更を希望する場合には申請書を速やかに提出するよう要請したものの申請書が提出されなかったことから、10月25日付で12月2日までに変更申請書を提出するよう求めていました。9年余りで建設費は2.3倍、機器・備品・システムは4.4倍に順大のWebサイトには、当初2015年1月に予想した総事業費が2024年7月には2.6倍まで膨らんだ状況が棒グラフで示されています。それによれば、2015年時点の総事業費は建設費709.5億円、機器・備品・システム124.3億円で合計834億円。それが2024年時点では建設費1640.3億円、機器・備品・システム546.2億円で合計2,186億円となっています。9年余りで建設費は2.3倍、機器・備品・システムは4.4倍になっており、医療機器やシステム(電子カルテ等)の方が高騰していることがわかります。ちなみに、建設費は昨年2023年11月予想では936.2億円とその時点までは漸増程度でしたが、その後8ヵ月余で704億円も増加している点も目を引きます。「6つの医学部附属病院を抱える本学は、かつてないほどの厳しい財政状況」と順大順大はWebサイトで次のように大学病院経営自体の苦境も吐露しています。「現在、新型コロナウイルス感染症の流行による病院運営への負の影響や、先進的な医薬品・診療材料の価格高騰などが原因で、多くの国立大学病院や都立病院では収支が赤字となり、その赤字幅が拡大する厳しい状況にあります。この厳しい状況は本学にとっても例外ではなく、令和6年4月から施行された医師の働き方改革への対応も含め、6つの医学部附属病院を抱える本学は、かつてないほどの厳しい財政状況に直面しています」。そして、「現在の診療報酬の下では急速な大幅増益が見込めないことから、当該事業に充当する予定の準備資金の確保及び開設後の運営資金の捻出することが難しい事態」となったため、病床規模を800床から500床程度に縮小するなどの検討も行ったが、「埼玉県民の皆様に貢献することができるための最先端医療機能を備え、かつDXを活用した未来型基幹病院の開設は到底困難」と判断した、としています。“未来型基幹病院”を目指したとしても、2,186億円はやや法外か?800床の病院で総事業費2,186億円(建設費1,640億円)というのは、“未来型基幹病院”を目指したとしても、やや法外な(あるいは相当ふっかけられた)金額と言えなくもありません。ちなみに、福祉医療機構のデータによれば、病院の「定員1人当たり建設費」は2023年度には2,387万2,000円でした。仮に800床だと約190億円になります。順大の新病院の建設費は昨年、2023年11月予想では936億円でしたから、この時点でも実に普通の病院の5倍の建設費だったことになります。もちろん、福祉医療機構のデータは回復期機能を中心とする民間病院の割合が比較的多く、超急性期病院や大学病院と単純比較はできませんが、当初計画において、病院の規模や装備面で相当“背伸び”をし過ぎていた感は否めません。順大医学部は学費下げの戦略などが奏功し、偏差値も上昇、私立医大の新御三家(慶應大、慈恵医大、順大)と呼ばれるほどになっています。また、関東に本院含む6病院を経営、その附属病院の展開戦略は、大学病院経営の“お手本”と言われたこともありました。しかし、コロナ禍、戦争、人口減、物価高、医師の働き方改革など、さまざまな要因が絡み合って起きている病院の経営環境の悪化が、イケイケだった順大の”未来型基幹病院”の夢を打ち砕いてしまったわけです。公立と民間の医療機関の再編・統合事例が増えていく可能性は高いとは言え、順大の撤退は、多くの病院経営者にとって人ごとではないでしょう。順大は総事業費が当初考えていた金額の2.6倍になったことを撤退の理由に挙げていますが、そうした厳しい状況はこれから建て替えを考える病院共通の問題だからです。2ヵ月ほど前に会ったある医療経営コンサルタントは、「病院の建設費が10年前の3〜4倍にもなっている。コロナ禍とウクライナ戦争の前に建て替えを行っていなかった病院は、もう実質建て替えは不可能。公立病院と統合するなどよほど大胆な手を打たないと、これからは落ちこぼれていくだけ」と話していました。実際、建築費などの高騰は、病院の再編・統合にも影響を及ぼしはじめています。民間病院と公立病院の再編事例が各地で増えていることもその表れです。代表的なのは2021年4月に兵庫県で設立された川西・猪名川(いながわ)地域ヘルスケアネットワーク(川西市)です。連携の目玉として市立川西病院(250床)と医療法人協和会の協立病院(313床)が合併、2022年9月に新たな場所で川西市立総合医療センター(405床)としてスタートを切りました。新病院は川西市が設立し、医療法人協和会は指定管理者として管理運営を担うことになりました。赤字続きだった市立川西病院の移転計画に、建物の老朽化などで同じく移転を計画していた医療法人協和会が乗るかたちで実現しました。再編・ネットワーク化を伴う公立病院のケースでは、病院事業債(特別分)の元利償還金の40%が普通交付税措置(通常25%)される、というスキームを活用しての再編です。事業費の相当部分を交付税で賄うことができるメリットは大きいと言えます。民間病院が独自で巨額の建設費を調達することが困難になってきた現在、こうしたスキームを活用した、公立と民間の医療機関の再編・統合事例が増えていく可能性は高いと考えられます。

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英国の一般医を対象にした身体症状に対する介入の効果―統計学的な有意差と臨床的な有意差とのギャップをどう考えるか(解説:名郷直樹氏)

 18〜69歳で、Patient Health Questionnaire-15(PHQ-15)スコア(30点満点で症状が重いほど点数が高い)が10~20の範囲、持続的な身体症状があり、過去36ヵ月間に少なくとも2回専門医に紹介されている患者を対象に、症状に対する4回にわたる認識、説明、行動、学習に要約できる介入の効果を、52週間後の自己申告によるPHQ-15スコアで評価したランダム化比較試験である。 介入の性格上マスキングは不可能であるが、アウトカム評価と統計解析については割り付けがマスキングされているPROBE(Prospective Randomized Open Blinded Endpoint)研究である。ただPROBEであっても、アウトカムが症状であることからするとバイアスを避け難い面があり、効果を過大評価しやすいという限界がある。 また、介入群と対照群の差が2点以上を統計学的有意とするサンプルサイズで検討されているが、この研究が開始された以後に臨床的に意味のあるスコアの差を2.3以上とするという論文が発表され、統計学的な有意差が示されたとしても、臨床的には問題のあるサンプルサイズである。 結果は、介入群のPHQ-15スコアが12.2、対照群が14.1、その差は-1.82、95%信頼区間は-2.67~-0.97と統計学的には有意な差を報告している。しかし、この1.82の差はサンプルサイズ計算に用いられた2の差に達しておらず、臨床的に有意と判定される-2.3とは0.5近い差がある。95%信頼区間の下限で見れば、約1点の差しかないかもしれず、この介入が臨床的に有効とは言い難い結果である。しかしながらこの論文の結論は、“Our symptom-clinic intervention, which focused on explaining persistent symptoms to participants in order to support self-management, led to sustained improvement in multiple and persistent physical symptoms”とあり、統計学的な差と臨床的な差の問題を取り上げていないのは大きな問題だろう。 さらに、この研究が日本においてどういう意味があるかと考えると、重大疾患がなく、原因不明の身体症状が持続する患者は、一般医をかかりつけ医として登録している英国と違い、フリーアクセスであるが故に多くの医療機関を渡り歩き、この論文を適用するような状況そのものがないというのが現状ではないだろうか。こうした患者がドクターショッピングをしないで済むよう、この論文に示された高度な介入を検討する以前に、家庭医、一般医の制度の導入をまず検討すべきだろう。

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認知症以前のMCIが狙われる、新手の「準詐欺」とは?【外来で役立つ!認知症Topics】第24回

特殊詐欺の増加とその背景3、4年前に弁護士との飲み会があり、オレオレ詐欺など特殊詐欺の動向に話が及んだ。このとき1人の弁護士がこう語った。「NHKによる注意勧告など広く知れ渡るようになり、手口も周知されてきた。そうそう新手もないだろうから特殊詐欺は減っていくだろう。その分、荒っぽい強盗が増えるんじゃないか」。今日振り返ると、「闇バイト」に代表される後者については、まさにそのとおりになった。ところが、前者の特殊詐欺については大外れになってしまった。というのは、図に示すように、法務省および警察庁の発表によれば、特殊詐欺の認知件数は2004年(平成16年)をピークに減少していたが、2011年(平成23年)から増加傾向に転じ1)、2023年(令和5年)には過去15年間で最多となったからだ2)。そして2023年度の被害額は400億円台となった。図. 特殊詐欺 認知状況・被害総額の推移(参考2より)画像を拡大する手口別では「架空料金請求型」が大幅に増加した。中でも目立つのが、それらの4割を占めた「サポート詐欺」3)だ。ウイルスに感染したと虚偽の警告をパソコンに表示させ、復旧を名目に金銭を要求するものだという。警察庁はサポート詐欺が増えた背景として、犯人側にとっての効率の良さを指摘する。偽の警告にだまされて復旧を求める被害者側から電話がかかってくるため、オレオレ詐欺のように不特定多数に電話をかける必要がないからだという。こうした背景があるからこそと考えるのだが、最近「認知機能障害のある高齢者における消費者トラブルに関する医療福祉関係者向けアンケート」4)を消費者庁が実施している。私も実際にやってみたが、これは認知症と軽度認知障害(MCI)の当事者が被害者となるこの種のトラブルの実態を調査するものだとわかった。特殊詐欺は認知症以前の人が狙われやすい特殊詐欺といわれるこの手の経済的犯罪の源流はオレオレ詐欺だろう。そして預貯金詐欺、還付金詐欺、架空料金請求、国際ロマンス詐欺などがある。当院には、「オレオレ詐欺にやられたうちのお袋は認知症ではないか?」といった類の受診が年間に10例くらいあるだろうか? ところが経験的に、どうも認知症者は被害者にならないようだ。被害者の多くは認知的に正常、もしくはときにMCIの人だ。筆者はこの結果にずっとなるほどと納得してきた。というのは、特殊詐欺に引っかかるにはかなりの理解力も行動力も必要だ。認知症レベルになるとそれはない。逆に認知症の人は、訪問販売やTVショッピングのように手続きが簡単なものの契約をすることが多い。新手の「準詐欺」、被害の実態は?最近驚いたのが、筆者が担当する患者さんが経験され、NHKのニュースでも見た「準詐欺」の報道だ。いくらか難しい法律用語が含まれるが、この準詐欺罪とは、「刑法に規定された犯罪。18歳未満の児童の知慮浅薄又は人の心神耗弱に乗じて、財物を交付させ、又は財産上不法の利益を得、若しくは他人にこれを得させる。欺罔(きもう:だまし)行為が行われておらず、詐欺罪の規定で捕捉しきれないが、相手方の意思に瑕疵(かし:欠陥)の有る状態を利用する点で詐欺罪に類似することから、詐欺罪に準ずる犯罪類型として処罰する」とある。準詐欺に遭った患者さんが経験したのは、築43年のおんぼろマンションの風呂場だけを800万円で購入する取引を承諾して押印し、契約が成立した事件である。購入動機、捺印の状況など中核に関する本人の記憶は曖昧であった。「投機心をそそられた、投資になると思った、儲かるから、銀行金利が安いから」というもっともらしい発言の反面、「マンションを買う気はなかった、判子を貸してくれと言われたから、押すだけだからと言われたから、貸してあげた。私はなにも買わない、ただ判子を押せと言われたのでそのとおりにした」と矛盾したことも述べた。これとは別に、訪問時にお土産をもらったこと、相手側が自分を持ち上げて気持ちが良くなったという意味の発言が筆者の印象に残った。ちなみにこの方の改定長谷川式は24点、またMMSEは21点でありMCIの診断をしている。「準詐欺罪」の成立には、被害者が「物事を判断する能力が著しく低下した状態」だったことを立証する必要がある。MCIのように認知症と診断されていない場合には、立件のハードルは高い。「詐欺罪」についても、マンションの価格が相場より高額だっただけでは罪に問うのは難しく、契約した人がどんな誘われ方をしたのかを覚えていないケースも多いため、立件にはハードルがある。また、認知症の診断がない人の場合には、業者側が「1人で生活できているし、会話もできたので判断能力に問題ないと思った。納得して契約してもらった」などと言い逃れする可能性も指摘されている。高齢者の心を論じるとき、その基本は孤独や寂しさにある。「巧言令色鮮し仁」は高齢者には通じないと書いた作家がある。こうした経済犯罪につながる契約が成立する背景には、孤独や寂しさを巧みに衝いてくる巧言令色があるのかもしれない。参考1)法務省. 令和5年版 犯罪白書 第1編/第1章/第2節/3 その他の刑法犯2)警察庁. 特殊詐欺認知・検挙状況等(令和5年・確定値)について3)警察庁. サポート詐欺対策4)消費者庁. 認知機能障害のある高齢者における消費者トラブルに関する医療福祉関係者向けアンケート

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伝わりそうで伝わらない病院の言葉【もったいない患者対応】第19回

伝わりそうで伝わらない病院の言葉私たちは毎日のように無意識に専門用語を使っているせいで、患者さんにも思わずわかりにくい言葉を使ってしまうことがあります。他の医療者が病状説明しているのを横で聞いていて、「その言葉では伝わらないのでは…?」と思うことも非常によくあります。言葉の意味がわからなかったときに、医療者に対して臆せず聞き返すことができる人は決して多くありません。「よくわからないけれどわかったふりをしておこう」と思って黙ってしまい、後になって何か問題が起きた際に、医療者との信頼関係が崩れる恐れもあります。ここでは、私がよく気になる7つの言葉を挙げてみます。増悪(ぞうあく)「増悪」は私たち医療者が非常によく使う言葉ですが、一般的にはほとんど使われない言葉です。血液検査やCT検査の結果を見せて患者さんに説明しながら、「徐々に増悪しているようです」と言っている医師を見かけることがありますが、なかなか患者さんは理解しづらいでしょう。字面を見ると意味はわかりますが、口頭で「ぞうあく」と言うと意味は伝わりにくいはずです。「悪化している」「悪くなっている」と言うほうがよいと思います。余談ですが、医療者のなかにこれを「ぞうお」と間違って覚えている人がいます。「憎悪」は「憎しみ」、「増悪」は「増える」と、漢字が違うのでご注意ください。認める・得る医療者の間では、「ここに腫瘍が認められます」「改善が得られています」のような説明をよくしますが、一般的な会話ではまず使いません。電話で患者さんのご家族に、「お母さんのレントゲン写真の結果なんですが、肺炎の改善が認められます」と説明している人を見たことがありますが、「かいぜんがみとめられる」と聞いて、すぐに意味がわかる人はいないでしょう。指摘できない画像レポートなどでよく見る「異常は指摘できません」は、非医療者から見ればかなり不思議な表現です。一見すると「異常があるのかないのかよくわからない」という印象をもたれます。医療者にとっては、異常が本当に「ない」と証明することはできないこと、あくまで、行った診察や検査で「異常が見当たらなかった」だけであることを含意する意図で、「指摘できない」は便利に使える言葉です。しかし、このあたりの微妙な感覚を患者さんと共有するのは難しく、「指摘できない」では意図がうまく伝わりません。そのため、「いまの時点では検査で異常は見当たりませんが、検査ではわからないような異常が起きている可能性もあるため、症状が現れたらすぐにもう一度検査をしましょう」と、丁寧に説明をするほうがよいでしょう。頻回(ひんかい)「頻回」も私たち医療者がよく使う言葉です。最新の広辞苑には載っているのを確認しましたが、一般的にはあまり使われない言葉でしょう。「頻繁」はよく使われる言葉ではありますが、「頻回」は「頻繁」ともニュアンスが少し違います。患者さんに説明するときは、状況に応じて「繰り返し」「何度も」のような言い換えが必要でしょう。所見(しょけん)「画像所見は良くなっているんですが…」「血液検査では貧血の所見があります」といった表現を私たちはよくしますが、患者さんが相手だと、やや口頭では伝わりにくいという実感があります。「所見」は、「あなたの所見を聞かせてください」というように、辞書的には「見た目での判断」「意見」「考え」といった意味の言葉だからです。「画像所見」「検査所見」のような、医療現場で使う「所見」は、これとは少しニュアンスが異なります。検査の「所見」という場合は、「検査結果」や「検査からわかること」とし、病状に関して「~の所見」というときは、「サイン」「兆候」「きざし」のような表現に言い換えるほうが無難です。傾眠(けいみん)「今朝から傾眠傾向です」と看護師が患者さんのご家族に説明している姿をときどき見ます。便利な言葉なので、医療現場で私たちはよく使いますが、やはり一般的には理解されにくい言葉です。「意識がぼんやりしている」「すぐに眠ってしまう」のような言い換えが必要ではないかと思います。発赤(ほっせき)「発赤」も、患者さんにとってはなかなか難しい専門用語です。文字で見ると意味はわかりますが、「ほっせき」と言葉で発するとまったく理解されないことがあるため、注意が必要です。一方、「発疹(ほっしん)」は「突発性発疹」など一般的に知られた病名に付いているため、音だけでも理解できることが多いようです。

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硬膜下血腫の再発に有効な新たな治療法とは?

 転倒などにより頭部を打撲すると、特に高齢者の場合、脳の表面と脳を保護する膜である硬膜の間に血液が溜まって(血腫)危険な状態に陥る可能性がある。このような硬膜下血腫に対しては、通常は手術による治療が行われるが、8〜20%の患者では、再発して再手術が必要になる。こうした中、標準的な血腫除去術と脳の中硬膜動脈の塞栓術(遮断)を組み合わせた治療が血腫の進行や再発のリスク低下に有効であることを示したランダム化比較試験の結果が報告された。米ワイル・コーネル・メディスン脳血管外科および介入神経放射線学分野のJared Knopman氏らによるこの研究結果は、「The New England Journal of Medicine(NEJM)」に11月20日掲載された。 Knopman氏は、「硬膜下血腫では、血腫を除去した後でも再発して再手術が必要になる可能性があるため、この結果が意味するところは大きい。特に、慢性硬膜下血腫がよく生じる高齢患者において再手術は困難を伴う」と話す。また、論文の筆頭著者である米バッファロー大学のJason Davies氏は、「よくあることだが、高齢患者がすでに抗凝固薬を服用している場合、慢性硬膜下血腫の再出血を防ぐのは特に難しい」と強調している。 Knopman氏らが今回の臨床試験で検討した治療法は、通常の血腫除去術に加え、「鼠径部などの血管から挿入したカテーテルを通じて液体塞栓物質のオニキスを中硬膜動脈に注入する方法(中硬膜動脈塞栓術)を併用するものだ。対象とされた症候性の亜急性または慢性硬膜下血腫患者400人は、この併用療法を受ける群(塞栓術群、197人)と、標準的な血腫除去術のみを受ける群(対照群、203人)にランダムに割り付けられた。主要評価項目は、治療後90日以内に再手術を要した血腫の再発または進行とした。副次評価項目は、治療後90日時点での神経機能低下とし、mRS(修正ランキンスケール)により非劣性解析(リスク差のマージンは15パーセントポイント)で評価した。 再手術を要した血腫の再発または進行が生じた患者は、塞栓術群で8人(4.1%)、対照群で23人(11.3%)であり、塞栓術群で再発や進行のリスクが有意に低いことが明らかになった(相対リスク0.36、95%信頼区間0.11〜0.80、P=0.008)。神経機能の低下は、塞栓術群で11.9%、対照群で9.8%に発生したが、リスク差は2.1パーセントポイント(95%信頼区間-4.8~8.9)であり、塞栓術群と対照群の間に有意な差は認められなかった。 Knopman氏は、「オニキスを用いて中硬膜動脈を封鎖することが治療成績改善の鍵だった」と米ワイル・コーネル大学のニュースリリースで結論付けている。同氏はさらに、「本研究は、中硬膜動脈が硬膜下血腫の形成と再発に果たす役割を示しただけでなく、これまで何十年も知られず、治療もされていなかった脳の全く新しい側面を明らかにした」と述べている。 研究グループは現在、手術するほどのサイズではない慢性硬膜下血腫の患者の治療において、最初に中硬膜動脈塞栓術を実施することの有効性について検討しているところだという。Knopman氏は、「このような患者に早期に中硬膜動脈塞栓術を行えば、後に手術が必要となる患者数を減らせる可能性がある」と述べている。研究グループは、「中硬膜動脈塞栓術は今後10年で、脳神経外科医が行う最も一般的な手術になる可能性があるため、医療費を削減し、高齢患者集団の全体的な健康状態を改善する可能性がある」との見方を示している。

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第240回 消費者向け「遺伝子検査」を受けて思わず動揺!その分析結果とは

消費者向け(Direct-to-Consumer:DTC)遺伝子検査について目にしたことがある医療者も少なくないだろうと思う。私もこれまでネット上で目にはしていたが、眉唾モノとの印象が強く、完全無視を決め込んでいた。しかし、ある取材でこれを受けなければならなくなった。編集者が「早い・安い」で申し込んだ検査キットが届いたのは、今から約1ヵ月前。検査キットと言っても唾液採取のための容器とその補助装備、さらにID・パスワードが書かれた紙が入っていただけだ。まず、そのID・パスワードで検査会社のウェブサイトにアクセスし、個人情報や生活習慣、飲酒・喫煙歴、両親の出身地、自分と親の既往歴などについての簡単なアンケートに回答する。そのうえで同封されていた容器に自分の唾液を充填し、ポストに投函。翌日には検体が無事届いたとのメールが入り、それから1週間で自分のメールアドレスに検査結果終了の案内メールが届いた。体質分析の結果早速アクセスしてみた。200項目超の体質の項目を見る。大まかな項目は以下のとおり。基礎代謝量…高  肥満リスク…低  筋肉の発達能力…高短距離疾走能力…低  有酸素運動適合性…低  運動による減量効果…高アルコール代謝…普通  酒豪遺伝子(意味不明だが)…普通  二日酔い…低アルコール消費量…多  アルコール依存症リスク…中  ワインの好み…赤肌の光沢…低  肌のしわ…多  AGA発症リスク…低まあ、基礎代謝に関しては高いのかどうかわからないが、かつて幼少期の娘からは「お父さんと一緒に寝ていると、お布団の中がコタツを最強にした感じで、冬でも汗をかく」と言われたことがある。体質では「登山家遺伝子」なる項目もあり、そこは“高所登山家タイプ”となっていた。体質の食習慣に関する評価項目では、なぜか芽キャベツと甘いものは好まないとの評価だった(私は仕事場近くの焼き鳥・焼きとん屋に行き、野菜串焼きに芽キャベツがあると喜んで注文し、ムシャムシャ食べてしまうのだが…)。飲酒については、実生活と明確に異なるのは、私の好みのワインは「白」という点だ。肌については自覚がある。男性型脱毛症(AGA)の発症は確かに今のところその兆しはない。しかし、ここまで来ると、大きなお世話と言いたくもなる。いずれにせよ当たらずとも遠からずというか、当たっていると言えるものもあれば、明らかに違うと言えるものもある。ただ、自分の体のことはわかっているようで、わかっていない部分もあるので何とも言えない。性格分析の結果そして性格についても分析があり、同じ項目について事前アンケートの結果と検査結果が並列で記載がある。こちらもアンケート結果と検査結果がほぼ同一のものもあれば違うものもある。どちらかといえばほぼ同一のものがほとんどである。そして「総合性格タイプ」は、持ち前のタフな精神力で、自分の好奇心に従って未知の世界へどんどん飛び込んでいける“サバイバルYouTuber”タイプとの評価である。まあ、当たっていると言えなくもないが、同時にYouTuberと一緒にされるのもなんだかなという感じである。165疾患のリスク、その結果は…さてこの検査の本丸、というか受ける人の多くが気にするであろうと考えられるのが疾患リスクである。私の受けた検査では、「予防」なる大項目があり、さらに一般疾患と各種がんの合計165疾患についてリスクが表示されている。このリスク表示、疾患ごとにオッズ比のような数値と大、中、小の3段階の定性的表現で発症リスクが示してあった。がんの項目を見ていくと、ほとんど問題はなさそうである。が、後半にスクロールしている手が止まった。多発性骨髄腫の発症リスクが「大」とある。思わず「はあ?」と声が漏れてしまった。一瞬動揺してしまうと同時に、検査結果を見る当事者をそういう心理状況に置く結果通知をラーメン店の券売機にある「小」「並」「大」にも似たざっくりした表現で示された腹立たしさも入り混じった何とも言えない不快感である。さて当然のことながら多発性骨髄腫を知らぬわけはない。化学療法が奏功しやすい血液がんの中でも難治で知られるがんである。少なくとも数年前の5年相対生存率は50%未満だ。ちなみにこれ以外でも一般疾患では、痛風、狭心症、そしてなぜか慢性C型肝炎もリスク大と判定された(というか、C型肝炎に未感染であることはたまたま最近行ったある検査で判明している)。だが、やはり多発性骨髄腫のリスク大のインパクトが一番大きい。発症するとかなりの痛みを伴うことや激烈な化学療法が必要になること、そして治癒もコントロールも難しいことがわかっているからだ。もっともDTC遺伝子検査は、正確に言えば遺伝子そのものを調べているわけではなく、「一塩基多型(SNP、スニップ)」と疾患に関する相関を調べた研究を基にリスク判定しているため、各種固形がんや遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)のような発症や増悪に関与する遺伝子変異の検査に比べれば、当たるも八卦当たらぬも八卦の域であることは私自身も百も承知である。ただ、実はちょっとだけ安堵感もあった。血液内科専門医の皆さんならご存じのように、昨今、この疾患では新薬開発が活発で治療選択肢も増えているからだ。治療法によっては5年相対生存率も60%近くまで伸びている。そんなこんなで日本血液学会の「造血器腫瘍診療ガイドライン2023」に記載された多発性骨髄腫のパートを改めて通読してみた。私にとってこれはこれで改めて知識の整理ができる利点もあった。ただ、ガイドラインで示されている治療の実際は、やはり文字で読んでいるだけでもきつそうである。とはいえ、今後本当に多発性骨髄腫を発症したとしても「あの時、ああいう結果が出てたしな」という感じで受け止められると考えれば、この検査が自分にとって無意味だったとまでは言えない。神社でおみくじを引いて、「凶」と出た直後にケガをしたら、「おみくじは凶だったし」と自分を納得させようとすることとどこか似ている。一部の専門家がDTC遺伝子検査の持つ不確実性を踏まえ、「占い」と評してしまうのはそうしたところにも起因しているのかもしれない。ただし、私のように割り切れる人はどれだけいるだろうか? 気弱な人、生真面目な人ならばそうは簡単に割り切れない危険性は十分にある。そのように考えると、まったく科学的根拠がないわけではないとはいえ、ただ唾液を投函してこのような結果が示されるという今の在り方は、もう少し改善することも必要なのではないかとも考え始めている。

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CKDの早期からうつ病リスクが上昇する

 腎機能低下とうつ病リスクとの関連を解析した結果が報告された。推定糸球体濾過量(eGFR)が60mL/分/1.73m2を下回る比較的軽度な慢性腎臓病(CKD)患者でも、うつ病リスクの有意な上昇が認められるという。東京大学医学部附属病院循環器内科の金子英弘氏、候聡志氏らの研究によるもので、詳細は「European Journal of Clinical Investigation」に9月27日掲載された。 末期のCKD患者はうつ病を併発しやすいことが知られており、近年ではサイコネフロロジー(精神腎臓学)と呼ばれる専門領域が確立されつつある。しかし、腎機能がどの程度まで低下するとうつ病リスクが高くなるのかは分かっていない。金子氏らは、医療費請求データおよび健診データの商用データベース(DeSCヘルスケア株式会社)を用いた後ろ向き観察研究により、この点の検討を行った。 2014年4月~2022年11月にデータベースに登録された患者から、うつ病や腎代替療法の既往者、データ欠落者を除外した151万8,885人を解析対象とした。対象者の年齢は中央値65歳(四分位範囲53~70)、男性が46.3%で、eGFRは中央値72.2mL/分/1.73m2(同62.9~82.2)であり、5.4%が尿タンパク陽性だった。 1,218±693日の追跡で4万5,878人(全体の3.0%、男性の2.6%、女性の3.3%)にうつ病の診断が記録されていた。ベースライン時のeGFR別に1,000人年当たりのうつ病罹患率を見ると、90mL/分/1.73m2以上の群は95.6、60~89の群は87.4、45~59の群は102.1、30~44の群は146.5、15~29の群は178.6、15未満の群は170.8だった。 交絡因子(年齢、性別、BMI、喫煙・飲酒・運動習慣、高血圧・糖尿病・脂質異常症)を調整後に、eGFR60~89の群を基準として比較すると、他の群は全てうつ病リスクが有意に高いことが示された。ハザード比(95%信頼区間)は以下のとおり。eGFR90以上の群は1.14(1.11~1.17)、45~59の群は1.11(1.08~1.14)、30~44の群は1.51(1.43~1.59)、15~29の群は1.77(1.57~1.99)、15未満の群は1.77(1.26~2.50)。また、尿タンパクの有無での比較では、陰性群を基準として陽性群は1.19(1.15~1.24)だった。 3次スプライン曲線での解析により、eGFRが65mL/分/1.73m2を下回るあたりからうつ病リスクが有意に上昇し始め、eGFRが低いほどうつ病リスクがより高くなるという関連が認められた。 これらの結果に基づき著者らは、「大規模なリアルワールドデータを用いた解析の結果、CKDの病期の進行とうつ病リスク上昇という関連性が明らかになった。また、早期のCKDであってもうつ病リスクが高いことが示された。これらは、CKDの臨床において患者の腎機能レベルにかかわりなく、メンタルヘルスの評価を日常的なケアに組み込む必要のあることを意味している」と総括。また、「今回の研究結果は、サイコネフロロジー(精神腎臓学)という新たな医学領域の前進に寄与すると考えられる」と付け加えている。 なお、eGFRが90以上の群でもうつ病リスクが高いという結果については、「本研究のみではこの理由を特定することは困難だが、CKD早期に見られる過剰濾過との関連が検出された可能性がある」と考察されている。

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