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検査等の定型的な手技、過失責任は?【医療訴訟の争点】第9回

症例診療時の医療処置ではさまざまな手技が行われるが、患者の病態(原因疾患の部位や大きさ・進行度などを含む)に応じて手技内容が異なるものと、患者の病態により左右されることの少ない定型化された機械的所作の手技とがある。今回は、機械的所作と言いうる要素が比較的大きいマンモトーム生検における局所麻酔の手技の過失の有無等が争われた東京地裁平成28年5月25日判決を紹介する。<登場人物>患者43歳(被告病院初診時)・女性人間ドックにて左乳腺腫瘤疑いと指摘されて被告病院を受診。原告患者本人被告総合病院(大学病院)事案の概要は以下の通りである。平成23年(2011年)1月12日人間ドックを受診し、左乳腺腫瘤疑いを指摘された。1月19日被告病院を紹介受診。被告病院にて、超音波検査やマンモグラフィ検査、細胞診等を受けたが、積極的に悪性を疑わせる所見が認められなかったことから、約6ヵ月後に経過観察をする方針となった。<以後、数ヵ月ごとに被告病院を受診し、穿刺吸引細胞診、乳腺MRI検査等を受けた>平成24年(2012年)10月17日超音波検査及びマンモグラフィ検査を受けた。10月19日被告病院を受診し、主治医のA医師(乳腺外科15年目)より説明を受け、エコーガイド下マンモトーム生検を受けることとなった。なお、A医師は、「治療に関する説明・同意書」を用いて、同生検の目的や方法を説明したほか、生じ得る合併症として、発生頻度の比較的高い出血や皮下血腫などについては説明したが、「予想される不利益」として気胸についての記載はなく、A医師も気胸が発生する可能性については説明しなかった。10月30日エコーガイド下マンモトーム生検を実施するにあたり、B医師(研修医終了後3年目)が局所麻酔を行ったところ、手技中に咳き込み、マンモトーム生検は中止となった。室内気でSpO2 100%、血圧は150 mmHg台と高かったものの、その後、111/75mmHgに戻り、心拍数は86/分、呼吸音にラ音はなく、皮下気腫が生じた場合に生じる頸部皮膚の握雪感も認めなかった。気胸が生じた可能性を考慮し胸部X線検査を行ったが、異常所見は認められなかった。10月31日原告は胸痛が出現したため被告病院の救急外来を受診した。胸部X線検査で左気胸が認められたため、被告病院の呼吸器外科を受診し、胸腔ドレーン挿入などの治療を受けた。実際の裁判結果裁判所は、以下の点を指摘し、「原告に生じた左気胸は、マンモトーム生検の局所麻酔を行った際に胸腔内まで麻酔針が貫通し、肺を穿刺したことによって生じた医原性気胸である」と認定した。一般に、気胸の病因による分類の一つに、医療行為に伴う医原性気胸があること本件では、マンモトーム生検の局所麻酔を行っている最中に原告に咳嗽が生じ、気分不快等を訴えたことマンモトーム生検中止の直後から原告には胸痛や息苦しさが生じていたものと認められることマンモトーム生検を行った平成24年10月30日当日の胸部X線検査では、原告に明らかな異常所見は認められなかったものの、翌31日も、原告の胸痛等の症状が持続し、同日の胸部X線検査及び胸部単純CT検査において、左気胸と診断されたこと裁判所は、本件の局所麻酔について、以下の点を指摘した。エコーガイド下マンモトーム生検の麻酔針の穿刺による合併症として気胸を指摘する文献は証拠上見当たらないこと(生検に伴う「合併症」として「乳房が小さい場合や病変が深部にあるとき、まれに局所麻酔の注射針で気胸を生じることがある」旨の文献の記載があるが、これは直接的には摘出生検に係る記載であり、エコーガイド下マンモトーム生検の麻酔針の穿刺に関するものとは読めないこと)エコーガイド下マンモトーム生検の局所麻酔を行うに当たっては、筋層直上に位置しており胸腔やその内部にある肺と至近距離にある部位(レトロマンマリースペース)まで麻酔針を到達させることが重要とされていることレトロマンマリースペースの位置からすると、麻酔針が胸腔内まで貫通し、肺を穿刺する一般的な危険性を有することは否定できないこと術者はモニター画面上で針先を中心に継続的な確認を行いながら自ら針の刺入等の操作を行っており、針先が明確に確認できなくなれば、針を回転させる等の方法で針先位置を確認し直した上で穿刺を継続し、あるいは刺入し直す等の方法で対応していること針治療や肺・胸腔穿刺(胸膜穿刺)、胸膜生検、中心静脈栄養法のための鎖骨下静脈穿刺、気管支鏡による経気管支肺生検なども同様に胸腔近傍において針の穿刺を行う手技ではあるが、エコーガイド下マンモトーム生検の麻酔針の胸腔内への貫通によって気胸を生じる例が極めてまれであることエコーガイド下マンモトーム生検の麻酔針の穿刺については、一定の抽象的な危険性や制約はあるものの、突発的な体動の発生や超音波による描出が特に困難な事情等特段の事情があれば別論、一般的には前記のような手段を講じ通常の注意義務を尽くすことによって胸腔内への貫通を防止し得ることが通常であることかかる事項を指摘した上で、裁判所は、以下のとおり判示し、手技上の過失(注意義務違反)があったものと推認されるとした。「本件マンモトーム生検の局所麻酔において、超音波画像で麻酔針の針先が確実に描出できていなかった可能性をもって、原告に生じた医原性気胸が不可避であったものと断ずることはできず、本件マンモトーム生検の局所麻酔において原告の胸腔内まで麻酔針を貫通させ、肺を穿刺したことについて、B医師には、針先の十分な確認を怠り、あるいは、超音波画像の評価を誤って麻酔針を進入させた手技上の注意義務違反ないし過失があったものと推認せざるを得ない」その上で、過失を覆す証拠がないとして、本件マンモトーム生検の局所麻酔の手技の過失を認めた。注意ポイント解説本件は、専ら施術における機械的所作の手技により、発症率が極めて低い合併症が生じたことにつき、手技上の過失が認められた事案である。裁判所が、エコーガイド下マンモトーム生検の麻酔針の穿刺については、一定の抽象的な危険性や制約はあることを指摘し、これによる気胸の合併症報告が極めてまれであること等を指摘し、通常の注意義務を尽くすことによって胸腔内への貫通を防止し得るとした上で、発生した合併症(気胸)について、「針先の十分な確認を怠り、あるいは、超音波画像の評価を誤って麻酔針を進入させた手技上の注意義務違反ないし過失があったものと推認せざるを得ない」としたことが注目される。かかる裁判所の判断は、患者の病態(原因疾患の部位や大きさ・進行度などを含む)に応じて手技内容が左右されることの少ない機械的所作の手技については、同様に当てはまる可能性がある。このため、機械的所作の手技の結果、発生がまれな合併症が生じた場合には、医療者の過失(注意義務違反)が推認される可能性があることに留意する必要がある。この場合、処置時(手技実施時)において、通常のケースと異なる配慮が必要な状態であったことや予想外の事態が生じたことをカルテ記載等で示せない限り、責任を回避することは困難と考えられる。医療者の視点本事案の裁判所の判断は、機械的所作とされる手技においても、術者の適切な確認が求められることを示しています。たとえば、中心静脈穿刺では、エコーガイド下であっても患者の体動や解剖学的個体差により、血管穿刺が困難になり、誤って胸膜を穿刺するリスクがあります。このような状況では、針先の動きを慎重にモニタリングし、異常があれば即座に対応する判断力が重要です。また、術中に通常と異なる状況が生じた場合、それを記録し、客観的な説明ができるよう備えておくことが、後のリスク管理につながります。安全な医療の提供には、技術の習熟だけでなく、想定外の事態に対応する柔軟な判断力と、それを記録・説明する意識が不可欠です。Take home message患者の病態(原因疾患の部位や大きさ・進行度などを含む)に応じて手技内容が左右されることの少ない機械的所作の手技の結果、発生がまれな合併症が生じた場合には、医療者の過失(注意義務違反)が推認される可能性がある。処置時(手技実施時)に通常と異なる事態が生じていたのであれば、そのことを記録しておく必要がある。キーワード合併症と医療者の責任合併症の中には、医療行為により不可避的に生じるものと、医療者の過失(注意義務違反)により生じるものとがある。悪しき結果が生じた場合にそのすべてが医療者の責任とされるものではないが、医療者の過失(注意義務違反)により生じたものについては、医療者に責任が発生する。このため、医療事故をめぐる紛争においては、患者側に生じた悪しき結果が、患者側の主張する医療者の過失(注意義務違反)によって生じたものであるのか、不可避の合併症であるのかが争われることも多い。この場合、医学文献・論文を用いての立証に加え、協力医の意見書の提出がされることや、裁判所の選任する鑑定医による鑑定がなされることもある。

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第246回 美容外科医献体写真をSNS投稿、“脳外科医竹田くん”のモデルが書類送検、年末の2つの出来事から考える医師のプロフェッショナル・オートノミー

示談が成立していてもトラブルが公になり、様々な社会的、経済的制裁を受ける時代こんにちは。医療ジャーナリストの萬田 桃です。医師や医療機関に起こった、あるいは医師や医療機関が起こした事件や、医療現場のフシギな出来事などについて、あれやこれや書いていきたいと思います。年末から年始にかけて世の中を騒がせている事件に、タレント、中居 正広氏による女性との間に起こった高額“解決金”トラブルがあります。週刊文春などの報道によれば、中居氏は2023年6月、テレビ局幹部(フジテレビのプロデューサーと報道されていますが、同局は否定しています)がセッティングした会食に参加するも、結果的に中居氏と女性(フジテレビのアナウンサーと報道されています)の2人きりで食事をする流れとなり、そこで女性は中居氏から「意に沿わない性的行為」を受けたとのことです、中居氏の代理人も「双方の間でトラブルがあったことは事実」だと認め、解決金として9,000万円ほどを支払ったとのことです。中居氏は1月9日に自身のウェブサイトで、「トラブルがあったことは事実です。そして、双方の代理人を通じて示談が成立し、解決していることも事実です。(中略)なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました。また、このトラブルについては、当事者以外の者の関与といった事実はございません」とトラブルがあったことを認めるコメントを公表しました。「芸能活動についても支障なく続けられる」と本人側から言ってみたり、「当事者以外の者の関与はない」と付け加えたりと、多分に意味深なコメントと言えますが、昨年の松本 人志氏と同様、現場復帰は難航しそうです。それにしても、21世紀のテレビ局において、宴席で女子アナが“生贄”のように供されていたらしいという報道には「いつの時代の話だ」と呆れてしまいました。さらには、示談が成立しているにもかかわらずトラブルが公になり、さまざまな社会的、経済的制裁を受けることになったことにも驚きます。いろいろな意味で厳しい世の中になったものです。ということで、今回は年始年末に報道された医師に関する2つの社会部ネタの事件について取り上げたいと思います。「頭部がたくさん並んでいるよ」とする文言とともに献体の写真を投稿1つめは、東京美容外科を運営する医療法人社団東美会(東京都中央区)所属の女性医師(45歳)が、グアムで実施された解剖研修で撮影したという献体とみられる写真を投稿し大炎上、NHKをはじめ大手マスコミも報道する至った事件です。各紙報道等によれば、この医師は11月末にグアム大学で実施された解剖研修の様子をSNSとブログに投稿しました。「いざ Fresh cadaver(新鮮なご遺体)解剖しに行きます!」「頭部がたくさん並んでいるよ」とする文言とともに献体が並んでいる写真や、献体の前で集合しピースサインをする写真なども投稿されたとのことです。また、献体の写真の一部にはモザイクがかかっていなかったそうです。解剖研修は米・インディアナ大学が主催、グアム大学で実施する美容形成外科医解剖学研修コースでした。解剖実習に使われる献体は、ホルマリンなどで防腐処理した遺体が使われる日本と異なり、死後、時間があまり経過していない遺体が使われるため、研修費用は高額(一部報道によれば3,000ドル前後)にもかかわらず、日本からの参加者も多いとのことです。この投稿についてSNSでは「倫理観が欠如している」「不謹慎過ぎる」などと批判が相次ぎ大炎上、医師は12月23日までに投稿を削除しましたが、クリスマス直前に大ニュースとなってしまいました。一般社団法人・日本美容外科学会は12月28日までに公式サイトを更新、この件に関して「この度、一部の美容外科医師がご遺体の解剖に関して不適切な行動を取ったとの報道がなされました。このような行為は、医療従事者としての倫理観を著しく欠いたものであり、断じて容認できるものではありません。当該医師は日本美容外科学会(JSAPS)の会員ではありませんが、美容外科医としてその肩書を用いる以上、社会的責任を伴う行動が求められることを強調したいと思います」との声明を発表しています。なお東美会は12月27日、この医師を12月30日付で解任することを決定したと発表しました。この事件、「医師としてあるまじき行為」などと、アンプロフェッショナルな行動が非難されるのは当然と言えますが、私が思い起こしたのは、昨年11月の兵庫県知事選で斎藤 元彦知事を当選させる原動力となったSNS戦略をnoteなどで公開したPR会社の女性社長(33歳)です。言わなくてもいいことまでnoteで自慢気に公開してしまうところは、献体写真をSNSなどでアップしてしまった女性医師とも共通する、SNSにある意味毒された現代の若者の特性のようにも感じました。誤って神経を一部切断して患者に重い後遺障害を負わせたとして、執刀した医師を業務上過失傷害罪で在宅起訴もう一つは、いわゆる、漫画「脳外科医 竹田くん」のモデルとされる医師の書類送検です。地元紙、赤穂民報などの報道によりますと、兵庫県赤穂市の赤穂市民病院で行われた脳神経外科手術で2020年1月、業務上の注意義務を怠り、誤って神経を一部切断して患者に重い後遺障害を負わせたとして、神戸地検姫路支部は12月27日、執刀した医師、松井 宏樹被告(46)を業務上過失傷害罪で在宅起訴しました。手術で助手を務め、松井被告とともに今年7月に書類送検された上司の科長(60)は不起訴となりました。松井被告の認否は明らかになっていません。起訴状などによると、松井被告は2020年1月22日、脊柱管狭窄症と診断された女性患者(当時74歳)の手術を執刀しました。ドリルで腰椎を切削する際、止血を十分に行わず、術野の目視が困難な状態で漫然とドリルを作動して硬膜を損傷、さらにドリルに神経の一部を巻き込んで脊髄神経も切断し患者に全治不能の傷害を負わせた、などとしています。なお、この女性患者の実際の手術映像は、2024年11月19日に放送されたNHKのクローズアップ現代「“リピーター医師”の衝撃 病院で一体何が?」の回で放送され、医療関係者にも大きな衝撃を与えました。松井被告については、関わった手術のうち少なくとも8件で患者が死亡または後遺障害が残る医療事故が発生しており大きな問題となっていました。別の70代女性患者に対する手術で起こした医療事故でも業務上過失傷害容疑で書類送検されましたが、神戸地検姫路支部は2024年9月に不起訴としています。その手術に関しては、虚偽の医療事故報告書を作成したとして松井被告と科長、同僚医師が有印公文書偽造・同行使容疑で書類送検されましたが、12月27日に不起訴となっています。12月27日付の赤穂民報は、「時効(業務上過失傷害罪は5年)まで残り1ヵ月を切ったタイミングでの起訴に、検察幹部は『複数の専門医の意見を聴くなど慎重に捜査を進めた。結果の重大性などを鑑みて起訴の判断に至った』と語った」と書いています。また、女性患者の長女は自身のブログに、「二度と母のような医療被害者を生むことがないよう、執刀した医師を厳罰に処し、医療過誤を起こした医師が繰り返し手術したり不適切な診療を続けることのないよう、医道審議会には厳しい行政処分を下していただけますよう強く望みます」と綴っています。医師を法の裁きの場に出すには相当な覚悟と努力、そして時間がこの件については、本サイトのコラム「現場から木曜日」担当の倉原 優氏も取り上げ、「医療行為が刑事事件として問われるのは、明らかな注意義務違反や重大な過失がある場合に限られるのが一般的です。しかし、今回は地検側が手術映像を専門家に見てもらい検証した結果、刑事責任を問えると判断しました。このような形での起訴は珍しいケースですね」と書いています1)。私も本連載の「第173回 兵庫で起こった2つの“事件”を考察する(前編) 神戸徳洲会病院カテーテル事故と『脳外科医 竹田くん』」などで、“竹田くん”(結局“竹”は“松”だったわけですね、なるほど)について取り上げてきました。今回の書類送検のニュースを聞いて思ったのは、告発や報道がこれだけ以前から行われてきたにもかかわらず、よく警察や検察が動かなかったな、という点です。医師を法の裁きの場に出すには相当な覚悟と努力、そして時間がかかるようです。しかし一方で、前述した美容整形外科医による献体写真のSNSへの投稿は、法律に抵触しているわけでもないのに、“大炎上”しただけで所属していたクリニックを解雇され、瞬時に社会的制裁を受けることになりました。事件の重大さは大きく異なりますが、この違いは一体何なのでしょうか。身内を守ろうとする医師たちにプロフェッショナル・オートノミーは期待できないそれはおそらく、医師が医療行為で起こした瑕疵に対して、身内の医師たちは甘く、事を起こした医師をまず守ろうとする特性が影響していると考えられます。対して、献体写真の投稿は医療行為ではなく、医師個人の生活習慣に関することであり、自分に火の粉が降りかかることもないため、守ろうという意識は働きません。まったく同様のことを、「第199回 脳神経外科の度重なる医療過誤を黙殺してきた京都第一赤十字病院、背後にまたまたあの医大の影(前編)」、「第200回 同(後編)」で取り上げた、京都第一赤十字病院の脳神経外科の事故についても感じました。京都第一赤十字病院では、杜撰な手術に加え、過誤のもみ消しとも取れる行為を病院幹部が行っていたことに対し京都市保健所が立ち入り調査を行い、改善を求める行政指導を行っています。行政指導が行われたということは、病院内だけで(あるいは医師だけで)事故に正しく対応できず、過誤への対応法も改善できなかったことを意味します。今から4年前、三重大の臨床麻酔部の教授が逮捕されたときに、「第40回 三重大元教授逮捕で感じた医師の『プロフェッショナル・オートノミー』の脆弱さ」というタイトルで、医師のプロフェッショナル・オートノミー(専門職としての自律)がいかに頼りなく、脆弱なものかについて書きましたが、今となっては医師の世界でプロフェッショナル・オートノミーはほぼ機能しておらず、期待もできないということなのでしょう。医師の働き方改革が進めば、医師の技術の習得には今まで以上に時間がかかることになるでしょう。また、人口減、患者減で、そもそも医師が手術などの腕を磨く機会も激減していくでしょう。そうなれば、医療事故、医療過誤も頻発することになりそうです。プロフェッショナル・オートノミーが機能しない中での事故頻発は、新たな医療崩壊へとつながっていきそうです。日本の医療は今、そんなモダンホラーの世界のとば口に立っているような気がしてなりません。参考1)現場から木曜日 第129回 「脳外科医竹田くん」在宅起訴

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第129回 「脳外科医竹田くん」在宅起訴

2025年になりました。今年も医療に関するホットな話題をお届けできればと思っています。内部告発漫画?『脳外科医竹田くん』さて、『脳外科医竹田くん』という漫画をご存じでしょうか。もう知らない人はいないですよね。『脳外科医 竹田くん あり得ない脳神経外科医 竹田くんの物語』未熟な外科技術により複数の医療事故を起こす脳神経外科医である竹田くんの診療風景を描いたWEB漫画であり、漫画の内容と、実際の医療事故の話(被害者ブログや報道内容)が酷似しており、あまりにリアルな内容から内部告発の漫画だろうとして話題を集めました。先日、この漫画のモデルになったと思われる方が、在宅起訴になったことが報道されました。関わった手術のうち、少なくとも8件で患者が死亡または後遺障害が残る医療事故が発生したと報道されており、業務上過失傷害罪の時効5年までで残り1ヵ月を切ったタイミングで起訴となっています。手術で助手を務め、2024年7月に竹田くんと共に書類送検された上司の科長は不起訴となっています。「在宅起訴」は、刑事事件を起こした被疑者の身柄を拘束せずに検察官が起訴することです。刑事事件といえば、基本的に逮捕されて身柄を拘束されることが一般的ですが、在宅での起訴もありえます。身体拘束を受けたまま起訴されると、保釈が認められなければ仕事などができなくなりますが、在宅起訴の場合は生活を続けながら刑事事件と向き合うことが可能です。また、この訴訟に関しては、被害者やその代理人が公判に出席して被告人に直接質問が可能な「被害者参加制度」が適用される見通しです。被害者家族のブログ私の知る限り、神経を誤って切断し後遺障害を負わせた女性の家族と、維持透析目的で搬送された病院で透析をされなかった男性の家族の2人が、被害者としてのブログを立ち上げています(リンクは貼りません)。今回の件を受けて、それぞれ、「執刀した医師を厳罰に処していただき、医療過誤を起こした医師が繰り返し手術したり不適切な診療を続けることのないよう、医道審議会には厳しい行政処分を下していただけますよう強く望みます」「明らかな医療事故を起こした父のケースに対し、裁判ではどのように判断してくださるのか、興味を持っています」と厳しいコメントを寄せています。家族たちの声には、医療者として考えさせられるものがあります。医療行為が刑事事件として問われるのは、明らかな注意義務違反や重大な過失がある場合に限られるのが一般的です。しかし、今回は地検側が手術映像を専門家に見てもらい検証した結果、刑事責任を問えると判断しました。このような形での起訴は珍しいケースですね。

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造影剤アナフィラキシーの責任は?【医療訴訟の争点】第7回

症例日常診療において、造影剤を使用する検査は多く、時にその使用が不可欠な症例もある。しかしながら、稀ではあるものの、造影剤にはアナフィラキシーショックを引き起こすことがある。今回は、造影剤アレルギーの患者に造影剤を使用したところアナフィラキシーショックが生じたことの責任等が争われた東京地裁令和4年8月25日判決を紹介する。<登場人物>患者73歳・男性不安定狭心症。経皮的冠動脈インターベンション(PCI)後。原告患者本人(常に両手がしびれ、身体中に痛みがあり、自力歩行ができない状態)被告総合病院(大学病院)事案の概要は以下の通りである。平成14年(2002年)11月不安定狭心症と診断され、冠動脈造影検査(CAG)にて左冠動脈前下行枝に認められた99%の狭窄に対し、PCIを受けた。平成20年(2008年)1月再び不安定狭心症と診断され、CAGにて右冠動脈に50~75%、左冠動脈前下行枝に50%、左冠動脈回旋枝に75%の狭窄が認められ、薬物治療が開始された。平成23年(2011年)1月CAGにて右冠動脈に75%、左冠動脈前下行枝に75%、左冠動脈回旋枝に75%の狭窄が認められ、PCIを受けた。平成29年(2017年)2月28日心臓超音波検査にて、心不全に伴う二次性の中等度僧帽弁閉鎖不全と診断された。3月9日CAGにて右冠動脈に75%、左冠動脈回旋枝に50%の狭窄が認められた。このとき、ヨード造影剤(商品名:イオメロン)が使用され、原告は両手の掻痒感を訴えた。被告病院の医師は、軽度のアレルギー反応があったと判断し、PCIを行うにあたってステロイド前投与を実施することとした。3月14日前日からステロイド剤を服用した上で、ヨード造影剤(イオメロン)を使用してPCIが実施された。アレルギー反応はみられなかった。令和元年(2019年)7月19日ヨード造影剤(オムニパーク)を用いて造影CT検査を実施。使用後、原告に結膜充血、両前腕の浮腫および体幹発赤が見られ、造影剤アレルギーと診断された。9月17日心臓超音波検査にて、左室駆出率が20%に低下していることが確認された。9月25日前日からステロイド剤を服用した上で、CAGのためヨード造影剤(イオメロン)が投与された(=本件投与)。その後、収縮期血圧50 mmHg台までの血圧低下、呼吸状態の悪化が出現し、アナフィラキシーショックと診断された。CAGは中止となり、集中治療室で器械による呼吸補助、昇圧剤使用等の処置が実施された。9月26日一般病棟へ移動10月3日退院実際の裁判結果本件では、(1)ヨード造影剤使用の注意義務違反、(2) ヨード造影剤使用リスクの説明義務違反等が争われた。本稿では、主として、(1) ヨード造影剤使用の注意義務違反について取り上げる。裁判所は、まず、過去の最高裁判例に照らし「医師が医薬品を使用するに当たって、当該医薬品の添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」との判断基準を示した。そして、本件投与がされた令和元年9月時点のイオメロンの添付文書に「ヨード又はヨード造影剤に過敏症の既往歴のある患者」に対しての投与は禁忌と記載されていたことを指摘した上で、原告が過去にヨード造影剤の投与により、両手の掻痒感の症状が生じていたことや、結膜充血、両前腕の浮腫および体幹発赤の症状が生じたことを指摘し、原告は投与が禁忌の「ヨード又はヨード造影剤に過敏症の既往歴のある患者」に当たるとした。そのため、裁判所は「被告病院の医師は、令和元年9月、原告に対してヨード造影剤であるイオメロンを投与し(本件投与)、その結果、原告はアナフィラキシーショックを起こしたから、上記添付文書の記載に従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、被告病院の医師の過失が推定される」とした。上記から、過失の推定を覆す事情が認められるかが問題となるが、裁判所は、主として以下の3点を指摘し、「実際の医療の現場では、本件提言を踏まえて、過去のアレルギー反応等の症状の程度、ヨード造影剤の投与のリスク及び必要性を勘案して、事例毎にヨード造影剤の投与の可否が判断されていた」と認定した。(1)日本医学放射線学会の造影剤安全性管理委員会は、ヨード造影剤に対する中等度又は重度の急性副作用の既往がある患者に対しても、直ちに造影剤の使用が禁忌となるわけではなく、リスク・ベネフィットを事例毎に勘案してヨード造影剤の投与の可否を判断する旨の提言を出していること(2)被告病院は、提言を踏まえ、リスク・ベネフィットを事例毎に勘案してヨード造影剤の投与の可否を判断していたほか、急性副作用発生の危険性低減のためにステロイド前投与を行うとともに、副作用発現時への対応を整えていたこと(3)「ヨード又はヨード造影剤に過敏症の既往歴のある患者」に対してもリスク・ベネフィットを事例毎に勘案してヨード造影剤の投与の可否を判断していた病院は、他にもあったことその上で裁判所は、「過去のアレルギー反応等の症状の程度、ヨード造影剤の投与のリスク及び必要性等の事情を勘案して原告に対して本件投与をしたことが合理的といえる場合には、上記特段の合理的理由(注:添付文書の記載に従わなかった合理的理由)があったというべき」とした。そして、投与が合理的か否かについて、以下の点を指摘し、投与の合理性を認めて過失を否定した。過去のアレルギー反応等の症状の程度は、軽度又は中等度に当たる余地があるものであったこと原告に対しては心不全の原因を精査するために本件投与をする必要があったこと被告病院の医師は、ステロイド前投与を行うことによって原告にアレルギー反応等が生じる危険性を軽減していたこと被告病院では副作用が発現した時に対応できる態勢が整っていたこと注意ポイント解説本件では、添付文書において「禁忌」とされている「ヨード又はヨード造影剤に過敏症の既往歴のある患者」に対してヨード造影剤が投与されていた。この点、医師が医薬品を使用するに当たって添付文書に記載された使用上の注意事項に従わなかったことによって医療事故が発生した場合には、添付文書の記載に従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるとするのが判例である(最高裁平成8年1月23日判決)。このため、添付文書で禁忌とされている使用をした場合、推定された過失を否定することは一般には困難である。本件は、この過失の推定が覆っているが、このような判断に至ったのは、学会の造影剤安全性管理委員会が、ヨード造影剤に対する中等度又は重度の急性副作用の既往がある患者に対しても、直ちに造影剤の使用が禁忌となるわけではないとし、添付文書の記載どおりに禁忌となるわけではない旨の提言をしていたこと被告病院だけでなく、他の病院も、提言を踏まえ、リスク・ベネフィットを事例毎に勘案して投与の可否を判断していたことという事情があり、禁忌であっても諸事情を考慮して使用されているという医療現場の実情を立証できたことが大きい。この点に関してさらに言えば、医療慣行が当然に正当化されるわけではない(医療慣行に従っていても過失とされる場合がある)ため、学会の提言を起点として、他の病院でも同様の対応をしていたことが大きな要素と考えられる。これは学会の提言に限らず、ガイドラインのような一般化・標準化されたものであっても同様と考えられる。もっとも、学会やガイドラインが、添付文書で禁忌とされている医薬品の使用について明記するケースは非常に少ないため、本判決と同様の理論で過失推定を覆すことのできる例は多くはないと思われる。そのため、多くの場合は、添付文書の記載と異なる対応を行うことに医学的合理性があること、及び、類似の規模・特性の医療機関においても同様に行っていること等をもって過失の推定を覆すべく対応することとなるが、その立証は容易ではない。したがって、添付文書の記載と異なる使用による責任が回避できるとすれば、それは必要性とリスク等を患者にきちんと説明して同意を得ている場合がほとんどと考えられる。医療者の視点われわれが日常診療で使用する医薬品には副作用がつきものです。とくにアナフィラキシーは時に致死的となるため、細心の注意が必要です。今まで使用したことがある医薬品に対してアレルギーがある場合、そのアレルギー反応がどの程度の重症度であったか、ステロイドで予防が可能であるか、などを加味して再投与を検討することもあるかと思います。「前回のアレルギーは軽症であったろうから今回も大丈夫だろう」「ステロイドの予防投与をしたから大丈夫だろう」と安易に考え、アレルギー歴のある薬剤を再投与することは、本件のようなトラブルに進展するリスクがあり要注意です。医薬品にアレルギー歴がある患者さんに対しては、そのアレルギーの重症度、どのように対処したか、再投与されたことはあるか、あった場合にアレルギーが再度みられたか、ステロイドの予防投与でアレルギーを予防できたか、等々の詳細を患者さんまたは家族からしっかりと聴取することが肝要です。そのうえで、医薬品の再投与が可能かどうかを判断することが望ましいです。Take home message「ヨード又はヨード造影剤に過敏症の既往歴のある患者」に対するヨード造影剤の使用は、学会の提言に従い、リスク・ベネフィットを事例毎に勘案し、リスク発症時の態勢等を整えた上で対応されていれば、責任を回避できる場合もある。もっとも、一般に、添付文書の記載と異なる使用による事故の責任を回避することは容易でないため、必要性とリスクについて患者に対する説明を尽くすことが重要である。キーワード医療水準と医療慣行裁判例上、医療水準と医療慣行とは区別されており、「医療水準は医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」とされている。このため、たとえば、他の病院でも添付文書の記載と異なる使用をしているという事情があるとしても、そのことをもって添付文書の記載と異なる使用が正当化されることにはならず、正当化には医学的な裏付けが必要である。

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確定診断に至らないのは過失?【医療訴訟の争点】第5回

症例受診した患者の病態を確定診断するには、種々の検査を重ねて鑑別疾患を絞っていく必要がある。そして、前の検査結果を踏まえて次の検査を行うこともあり、同日にすべての検査を実施することができるわけではないため、確定診断までに時間を要することも多い。本件では、がんの疑いで診療中の患者につき、確定診断に至るまでに時間を要し、後にがんの診断に至るも、転院先でがんを原因として死亡した事案において、がんを見落とした(確定診断に至らなかった)過失があるか等が争われた東京地裁令和4年5月26日判決を紹介する。<登場人物>患者63歳・男性既往歴はとくになし。他院の尿細胞診検査でClass IIIaと診断され、血尿精査のCT検査のため受診。原告患者の妻子被告総合病院(二次救急病院、地域医療支援病院)事案の概要は以下の通りである。平成24年7月17日通院していたクリニックの尿細胞診検査でClass IIIa。8月16日上記クリニックの尿細胞診検査で再度Class IIIa。8月21日上記クリニックより、血尿精査目的で腹部CT撮影の依頼がなされ、被告病院の放射線科で腹部造影CT検査を実施(=本件CT)。被告病院の放射線科医は、明らかな異常は認められないと診断。なお、同医師は、画像所見について泌尿器科医に相談していなかった。9月13日上記クリニックの医師は、本件CT画像上、右の下腎杯の映りが悪く見え、尿細胞診検査の結果はClass IIIaが続いていたため、被告病院の医師に診察を依頼。9月19日被告病院の泌尿器科において腹部超音波検査を実施。被告病院の泌尿器科医は、腹部超音波検査で右腎に腫瘤の疑いが認められたため、腎盂がんの疑いがあることを説明。10月3日被告病院の泌尿器科において造影MRI検査を実施。被告病院の泌尿器科医は、右腎下極に23×23×40mmの腫瘤性病変が認められるため、腎盂がんが疑われると診断。10月15日被告病院の泌尿器科医は、MRI検査にて腎盂がんの疑いが強まったため、入院して腎盂内視鏡による検査(腎盂鏡検査)を受けるよう説明。11月14日被告病院の泌尿器科医は、本件患者と妻に対して、腎盂がんが疑われ、放置すれば進行すること、腎盂鏡検査の方法や合併症として出血、発熱、尿管穿孔等があること、腎盂鏡検査の代替手段として針生検があること等を、腎盂や尿管などを手書きで図示しながら説明。11月15日被告病院において、腎盂鏡検査を実施。腎盂鏡検査では右腎下極の不整が認められ、逆行性腎盂造影検査では本来描出されるべき右腎の下極が描出されなかった。被告病院の泌尿器科医は、画像上は腎盂がんが強く疑われること、検査の際に採取したカテーテル尿の細胞診結果が陽性であった場合には腎尿管全摘術を実施し、細胞診結果が陰性であった場合でも針生検を実施することを説明。11月26日被告病院の泌尿器科医は、11月15日の検査の際に採取したカテーテル尿の細胞診結果はいずれも陰性であったが、腎盂がんに罹患している場合でも細胞診で異常が認められないこと(偽陰性)があること、11月15日検査の結果、画像上は腎盂がんが強く疑われることを伝えた上、開腹手術での針生検およびそれに続く腎尿管全摘術(術中迅速病理診断で悪性と診断される場合)を受けるよう説明。患者は、重要な用事があり年末まで休むことができないと述べ、経過観察を希望。平成25年1月4日被告病院において造影MRI検査を実施。被告病院の泌尿器科医は、MRI画像上、右腎下極の腫瘤に明らかな増大は認められなかったものの、軽度の増大が認められたこと、11月15日検査の画像上も腎盂がんが強く疑われたことから、開腹手術での針生検およびそれに続く腎尿管全摘術を受けるように再度提案したが、患者は経過観察を希望。2月25日被告病院において腹部超音波検査を実施。被告病院泌尿器科医は、腎盂がんが疑われたことから、開腹手術での針生検及びそれに続く腎尿管全摘術を受けるように再度提案したところ、患者は同意した。そこで、リンパ節や多臓器への転移の有無等を確認するため、同年3月6日に造影CT検査を実施した上で、4月15日に腎尿管全摘術が予定された。3月6日被告病院において造影CT検査を受け、右腎盂がんおよびリンパ節転移と診断。3月15日他院(大学病院)受診を希望し、他院にて抗がん剤治療等が開始。平成28年2月6日右腎盂がんにより死亡。実際の裁判結果本件では、(1)平成24年11月26日頃に造影MRI検査を行わなかった注意義務違反があるか、(2)平成25年1月4日の造影MRI検査の後、直ちに針生検を行って右腎盂がんを確定診断すべき注意義務違反があるか等が争われた。裁判所は、(1)につき、被告病院の泌尿器科医が10月3日MRI画像から右腎盂がんを疑っていたこと、11月15日検査の画像でも右腎盂がんを強く疑っていたものの、同日の尿細胞診の結果が陰性であったため確定診断に至らず、針生検によらなくては確定診断ができなかったことを指摘し、11月26日頃に「再度の造影MRI検査を行うことにより右腎盂がんの確定診断ができたといえるかは疑問」として、注意義務違反を否定した。また、裁判所は、(2)につき、被告病院の泌尿器科医が、11月15日の検査後に画像上は右腎盂がんが疑われたため、開腹手術での針生検を実施すべき旨を説明していたこと、11月26日の検査後にも開腹手術での針生検およびそれに続く腎尿管全摘術を受けるよう提案していたこと、1月4日にも検査後に開腹手術での針生検及びそれに続く腎尿管全摘術を受けるよう提案していたこと、患者が経過観察を希望してこれらを受け入れなかったことを指摘し、「開腹手術での針生検およびそれに続く腎尿管全摘術を受けるよう提案したにもかかわらず、患者の承諾が得られなかったためにこれを実施することができなかったのであるから、泌尿器科医が、11月15日以降、遅くとも平成25年1月4日までに針生検を実施すべき注意義務を怠ったとはいえない」とした。なお、患者家族は、本件患者が針生検を受け入れなかったとしても、一刻を争う状態であった患者に対し、針生検を受けるよう説得すべきであったと主張したが、裁判所は「泌尿器科医師は、本件患者に対し、針生検を受けることの必要性を十分に説明しているというべきである」とした。なお、以上のほか、本件では、(3)平成24年8月21日に撮影された本件CT画像について、被告病院の放射線科医が泌尿器科医に相談していればその時点で右腎盂がんの所見に気付くことができたとの主張もされた。しかし、裁判所は、泌尿器科医が本件CT画像や腹部超音波検査の結果から腎盂がんを疑い、造影MRIを行っているも、確定診断に至らず、確定診断のためにさらに針生検を要したことを指摘し、「被告病院の放射線科の医師が、本件CT画像について泌尿器科医師に相談することなく、明らかな異常所見は認められないと判断したことによって、右腎盂がんの確定診断が遅れたとはいえない」と判断した。注意ポイント解説本件では、各種検査により患者ががんであることが疑われたものの、それを確定する検査結果が得られなかった。そして、医師は、検査の結果を踏まえて疑われる疾患や、原因疾患の確定および治療のために行うべき検査・処置につき説明をしていたが、患者側の事情でそれを進めることができず、確定診断に至らなかったことから、上記の判断となった。これはいわば治療法の選択(治療の前提となる原因疾患を確定するための検査のタイミング)に関する患者の自己決定権を尊重した結果であり、裁判所の判断自体は妥当と言える。しかし、裁判所がこのように判断したのは、医師らが、然るべき検査を行っていたうえで、患者に対し、がんが疑われることや確定診断のための検査の必要性についてしっかりと説明していたこと、および、その説明の記録が残っていたことが大きい。がんという重大疾患が疑われることの説明がなされていなかったり、確定診断のための検査の必要性についての説明がなされていなかったり、それらの説明をした記録が残っておらず説明したことの立証ができなかったりする場合には、患者が治療法選択に関する自己決定権の行使に必要な情報の提供が与えられていない(説明義務違反がある)ということとなり、本判決と異なる判断となる可能性があることに留意する必要がある。医療者の視点がんをはじめとする生死に関わる疾患では、その診断と治療のタイミングが非常に重要です。昨今では画像診断技術が飛躍的に発達したため、画像検査のみでもがんを疑うことが多いかと思います。しかしながら、確定診断はあくまでも病理学検査の結果でなされます。がん診断のための病理学検査において、感度が100%とならない生検検査も多いため、注意が必要です。がんを疑いながらも確定診断がされない場合に、その旨をどのように患者さんやその家族に説明するかが重要です。どのような追加検査がいつ必要なのか、どの程度の時間的余裕があるのか、あるいは未確診であっても治療に臨むべきかなど、事細かに説明する必要があります。このような説明は主に外来でなされるでしょうから、短い診察時間の中で詳細な説明を行い、さらにその内容をカルテにもしっかりと記載するのは大変な作業です。しかしながら、本件のような事案は多数報告されていますので、とくに生死に関わる疾患を診療する場合には細心の注意を払うべきといえます。また、本件のように患者理由で検査や治療が遅れるような場合も、その旨をしっかりとカルテに記載しておくことが肝要です。追加検査や治療がなされなかった場合には、単に「経過観察となった」ではなく、どうして経過観察となったのか(医師の判断なのか、患者の希望なのか)を明記しておくと良いでしょう。Take home message検査結果を踏まえて確定診断に至らなくとも、それまでの検査により疑われる疾患名、確定診断のために必要な追加検査(診断が確定しなくとも行うことができる治療があるのであればその治療法、診断が確定しないまま治療を行うことによるリスク)等、患者が治療法の選択(治療の前提となる原因疾患を確定するための検査のタイミングを含む)につき判断するのに足りる説明を行い、その記録を残しておくことが重要である。キーワード自己決定権憲法第13条の保障する「幸福追求権」に基づくものであり、自らの生き方に関する事柄は自らが決定するという権利である。この自己決定権の保障を、医療分野において現実化するためには、どのような医療が、いつ行われるかにつき、患者は十分理解した上で自らにとって最善の選択をなしうる権限と機会が与えられる必要がある。そして、この自己決定権の保障が、医療行為による身体への侵襲の同意とともに、医師の説明義務の根拠となっている。

6.

腹部CT画像の見落としの有無【医療訴訟の争点】第4回

症例腹痛を訴えて受診をする患者は珍しくなく、夜間であれば研修医などの消化器系非専門医がその診察を担当することも多い。本件では、腹痛を訴えて夜間に受診をした患者につき、撮影したCT画像の読影に見落としがあったかが争われた静岡地裁令和3年8月31日判決を紹介する。なお、争点は多岐にわたるが、本稿では画像読影の点を取り上げることとする。<登場人物>患者83歳・女性(A)夜間、自宅で腹痛を発症し、浣腸して便が出るも腹痛が収まらないため、救命救急センターを受診。既往歴はなし。原告患者の子被告総合病院(二次救急病院・地域医療支援病院)、B医師(初期臨床研修1年目)事案の概要は以下の通りである。平成27年10月24日午後9時頃自宅にて腹痛を発症。午後10時過ぎ同居している子(原告)と共に被告病院の救命救急センターを受診。午後11時55分B医師の診察。この際、Aは午後9時頃に「お腹が痛くなり、浣腸をして便が結構出た」「お腹の痛みは治らない」旨を訴えた。10月25日午前0時過ぎ腹部CT検査、血液検査および心電図検査を実施。血液検査を含め、結果は午前1時までに判明。なお、午前0時30分~6時30分までの間、電子カルテシステムがメンテナンスのため、普段と異なるシステムでの画像判読が必要であった。午前2時頃B医師は、腹部CT画像に異常がないと判断したが、C医師(初期臨床研修2年目)に相談。C医師は、同CT画像を確認し、左下腹部の圧痛の原因は便貯留による閉塞性腸炎によるものと判断したものの、緊急性はなく、帰宅可能と判断。午前2時37分B医師は帰宅を指示し、Aは被告病院から帰宅。午前7時頃Aは茶色物を嘔吐午前7時30分頃被告病院に電話し、症状を伝えるとともに再受診する旨を伝えた。C医師は、復旧した電子カルテシステムでCT画像を再度確認したところ、腹部に遊離ガス(free air)を認めたことから、消化管穿孔を疑い、D医師(外科医長)に相談し、画像読影を依頼。午前8時24分頃D医師はCT画像を確認し、胃の腹側および脾臓の前面に遊離ガスを認めたため、改めて腹部CT検査および血液検査を指示。午前8時44分頃2回目の腹部CT画像にて、腹部の遊離ガスおよび腹水の著明な増加を認めたため、D医師は大腸穿孔による急性汎発性腹膜炎からの敗血症ショック状態と判断。午前10時15分頃緊急手術を実施。開腹したところ、穿孔部位は下行結腸であり、周囲には便汁がみられ、腹腔内全体には便汁様の膿が貯留していた。穿孔部を仮縫合し閉鎖した後、腹腔内を洗浄し、口側腸管に人工肛門を造設するなどして手術を終了。10月26日午後0時52分、Aは敗血症を原因とする多臓器不全で死亡。実際の裁判結果裁判所は、以下の各点を指摘した上で、腹部CTが終わり血液検査結果の出た平成27年10月25日午前1時の時点までには、これらの検査結果等に基づき患者Aに発症した消化管穿孔を疑うべきであり「自らあるいは他の医師に依頼するなどして、緊急手術としての開腹による穿孔部への処置と腹腔内洗浄・ドレナージを実施すべき注意義務があった」として、これを行わなかったことについて注意義務違反があるとした。<判決が指摘したポイント>下部消化管穿孔は、比較的高齢者に好発するものであること患者Aが70歳を超える高齢者であったこと特発性大腸穿孔は、慢性的な便秘や排便等、発症の誘因となる動作が認められることが多いこと下部消化管穿孔は、細菌を含む糞便が腹腔内に漏れることにより細菌性腹膜炎を来し、敗血症となり、ショック・播種性血管内凝固症候群(DIC)・多臓器不全に移行することがあり、一般に予後が悪いため、早期の的確な診断と手術をすべきであることCT画像上、上腹部の前腹壁直下および下行結腸周囲にも遊離ガスが認められたこと患者Aが腹痛を訴えて被告病院を受診し、排便を契機として腹痛が生じたなどの経緯を説明したことなお、病院側は、本件当日は電子カルテシステムが停止中であったため、普段使い慣れていない代替システムを用いての画像閲覧を余儀なくされたこと、代替システムで腹部CT画像を閲覧する場合の初期設定は、ガスと脂肪が同じような濃度に見えたため、遊離ガスの検出は難しかったことを主張した。これに対して裁判所は、代替システムの画像濃度値を変更すれば初期設定よりも鮮明に空気と脂肪の区別が比較的容易となること、代替システムが初期設定の状態であっても注意深く観察すればCT画像上の遊離ガスの発見は困難ではなかったこと、B医師もこの点を自認していること等を指摘し、「代替システムを用いてCT画像を読影せざるを得なかったからといって、遊離ガスの発見が困難であったとは言い難い」とした。また、病院側は、B医師は、C医師に相談しており、研修医としての能力的限界を常に自覚しながら誠実に医療に携わっていたとして、B医師に注意義務違反はない旨を主張したが、裁判所は、「過失の判断は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準によるべきであって、Bが研修医であったかどうかはこの点において考慮されるべき事情ではない」と判断した。注意ポイント解説本件では、下部消化管穿孔が一般に予後が不良であるため、早期の的確な診断と手術が求められている中で、患者Aが下部消化管穿孔の好発する高齢者であり、その誘発原因となる経過を述べていたこと、CT画像を注意深く見れば下部消化管穿孔を積極的に疑う所見である遊離ガスを認め得たことから、医療機関側の注意義務違反を認める判断がなされた。この点、本件では普段使い慣れているシステムがメンテナンス中であり、使い慣れていない代替システムを用いて読影を余儀なくされたという事情があるほか、研修医が上級医に相談しているという経緯もあり、必ずしも医師の対応に大きな問題があったとまでは言えない部分がある。しかし、医療水準が、医療機関の性格に応じて判断されるものであることからすれば、当日に代替システムを用いざるを得なかったことや、担当医が研修医であったか否かは、医療機関の行っている医療行為のレベルに直接的な関係がないため、医療水準の判断に直ちに影響することにはならない。このため、医療機関は、代替システムの利用方法の周知や、研修医と上級医の連絡・相談体制の構築についても対応していく必要がある。また、連絡・相談体制があっても、上級医が相談しにくい雰囲気を出していれば相談がなされず有名無実化するため、研修医が上級医に相談しやすい環境の醸成を含めた対応が必要である。医療者の視点救急時間帯の画像読影はとてもストレスの大きいタスクです。同じ勤務時間帯に脳、胸部、腹部などすべての領域の専門医が揃うことはほとんどありません。研修医や非専門領域の医師が協力して読影せざるを得ない場面も多くあるかと思います。そのような状況下では、どれだけ注意深く読影しても診断困難な症例に遭遇することがあると予想されます。しかしながら、裁判所や患者さんには医療者側の事情を聞き入れてもらえないことがある、という典型的な事案かと思います。このような事態を引き起こさないための取り組みとしては、(1)自身の読影能力を向上させる、(2)専門医に相談できる体制を整える、(3)救急時間帯も放射線科による読影体制を構築する、(4)画像読影AIを導入する、などが挙げられます。とくに(3)はリモートでも実施可能ですし、(4)の有用性を支持する論文も多数発表されていますので、このような診療補助ツールを駆使することもお勧めです。Take home message画像読影につき、普段使用しているシステムがメンテナンス等で使用できない場合の代替システムの使用方法について把握しておくこと、研修医等の専門性発展途上の医師と上級医の連絡・相談体制(相談しやすい環境づくりを含む)を構築しておくこともまた重要である。キーワード画像所見の見落とし画像所見の見落としがあるとされるか(読影における注意義務違反があるか)は、集団検診におけるものであるか、人間ドックにおけるものか、一定の疾患が疑われた上での精査の場面であるかによっても求められる水準が異なる。誤解を恐れずに言えば、当該画像撮影がなされた検査において、その検査に携わる一般的な医師が指摘可能な所見であったか否かにより、判断されることとなる。

7.

転倒患者の精査義務【医療訴訟の争点】第3回

症例自宅や施設、病院入院中に患者が転倒することを経験している医師は多いと思われる。転倒患者の診療の適否が争われた松江地裁令和4年9月5日判決を紹介する。転倒事故の責任も争点となったが、本コラムでは転倒患者の診療の適否に争点を絞ることとする。<登場人物>患者91歳(転倒時)・女性施設入所前より腰部脊柱管狭窄症、慢性腎不全、心房細動(ワルファリン服用中)、糖尿病、両膝関節症および高血圧症などの既往あり。被告病院に併設する介護老人保健施設に入居していたところ、居室のベッドの近くで転倒しているところを発見された。原告患者の子被告総合病院(地域医療支援病院)事案の概要は以下の通りである。平成30年10月9日   被告病院に併設する介護老人保健施設に入居。11月25日午前1時頃  居室内のベッド付近で転倒しており、床およびシーツに血液が付着していた。被告病院の当直医(呼吸器外科医)が連絡を受け、診察。この時、患者の右側頭部に挫傷と血腫を認めたが、縫合を要するほどの裂傷ではなく、意識レベルの低下および四肢の動きに左右差も見られなかった。当直医は、ガーゼによる保護と患部のクーリング処置を行った上で、施設内での経過観察とした。午前1時30分頃本件患者がベッドに戻る。午前3時30分~午前4時30分頃居室内の本件患者から、30分程度の間隔でナースコールまたはセンサーコールがあった。午前6時20分頃患者が開眼しているものの意識消失し、呼名反応がないことを当直医が確認。被告病院の救急外来に搬送され、外傷性くも膜下出血、硬膜外血腫の疑いと診断。午前7時20分頃二次救急病院に救急搬送。11月26日   急性硬膜下血腫で死亡実際の裁判結果裁判所は、以下の各点を指摘した上で、当直医には「CT検査を行い、仮に直ちに治療すべき所見が見当たらなかったとしても経過観察は病院に入院させて行うべき注意義務があった」として、これを行わなかったことについて注意義務違反があるとした。<判決が指摘したポイント>急性硬膜下血腫は、意識レベルの厳重な観察とCT検査が重要であり、軽症頭部外傷であってもリスクファクターが存在する場合にはCT検査と入院の適応を考慮するとされていること高齢、中高年の転倒外傷、ワルファリンなどの抗血栓薬の内服はいずれもリスクファクターであること抗凝固療法を受けている患者が比較的軽微な外傷を負った際の頭蓋内出血のリスクは、抗凝固療法を受けていない中等度リスク群とみなされる患者(局所神経症状または高リスクの受傷機転など)と同等であり、初期評価で神経脱落所見がなく、外表上に外傷痕を認めなくても頭蓋内血腫を形成することがあることから、最低限、頭部CT検査を行うべきであるとされていること抗凝固療法中の高齢者における硬膜下血腫は、軽微な頭部外傷や症状の少ない頭部外傷でも進行し得ること抗凝固療法に関係した外傷性頭蓋内出血などの死亡率は高率であるとされていることなお、医師側は、本件患者の入居している施設が医師や看護師が配置されている介護老人保健施設であるため、入院した上での経過観察が行われていたことと異ならない旨を主張した。しかし、裁判所は、利用者に診療や入院が必要な場合には、協力医療機関である被告病院に引き継ぐこととされていたこと、夜間は交代で仮眠を取るため医療体制が手薄となることなどを指摘し、「本件施設での経過観察が病院に入院した上で医師や看護職員によって行われる経過観察と異ならないとは到底いえない」と判断した。注意ポイント解説本件では、患者の転倒状況を確認した施設の看護師が患者に状況を確認したところ、電気を消そうと思ってこけた、頭を打ったがどこに頭を打ったかはわからない旨を回答し、意識状態に変化はなかったという事情がある。そして、診察に当たった当直医は「患者の様子にいつもと違う点がない」「意識レベルの低下がない」「四肢の動きに左右差はない」「創部も縫合を要するものではない」ことを確認している。加えて、当直医は呼吸器外科医であったことや、(裁判所は排斥しているものの)本件患者が看護師の配置された介護老人保健施設に入居していたことからすると、当直医に酷な判断である印象は否めない。しかしながら、転倒発見時に床やシーツに血液が付着していることが確認されていたこと(それなりに強く頭を打っている可能性があること)、患者が高齢でワルファリンを服用しており、急性硬膜下血腫のリスクが高かったこと、初期評価で神経脱落所見がなく、外表上に外傷痕を認めなくても頭蓋内血腫を形成する可能性があることから、精査の必要性が否定できるものではなかった。加えて、抗凝固療法中の頭部外傷の致死率は高く、精査の必要性がより一層高いと言えること、頭部CT検査を行うことが困難な事情がないことが考慮され、上記の判決結果となった。転倒で頭部を打撲した患者においては、遅発的に症状・所見が生じてくる可能性があることから、頭部CT検査などの精査の必要性を判断する必要がある。医療者の視点超高齢化が急速に進むに伴い、転倒患者の対応をする機会が増えていると予想されます。医療者がどれだけ患者の転倒予防策を図っても、転倒を100%予防することは不可能ですので、転倒時の対応が重要となります。転倒時の診療体制は施設、病院によって大きく異なります。医師が必ず診察する、頭部受傷時は頭部CT検査まで全例撮影する、という医療機関もあれば、看護師の診察のみで済ませてしまう医療機関もあります。夜間のマンパワーが不足していたり、多忙な勤務体制となっていたりすると、つい転倒時の対応が疎かになってしまいます。転倒時の対応については、医療機関内のどの医療者が対応してもトラブルが起こらないような検査/治療体制の構築が重要です。Take home message転倒で頭部打撲をした患者は、初期診察時に特段の所見が認められなくとも、頭蓋内出血のリスクファクターが複数あれば、速やかに頭部CT検査で精査する必要がある。転倒患者に対する対応の流れを医療機関全体で確認することが重要である。キーワード転倒・転落看護職員の人員配置基準からも明らかなように、一人の看護師が複数名の患者の看護にあたるので、看護師が常に特定の患者に付きっ切りでその状態をチェックし続けることは不可能である。このため、転倒・転落事故に関する裁判では、看護師の人員配置基準や患者の転倒リスクを踏まえ、事故の発生を予見することが困難であったかや、発生を防ぐことが不可能であったかが争点となることが多い。しかしながら、裁判所は、事故が生じたという結果を重視するがあまり、あたかも医療機関側に不可能を強いるがごとく、予見可能性や防止義務を認めて事故の発生についても責任を認める判断をすることが珍しくない。むしろ、よく見舞いに来られる患者の家族のほうが、医療側の対応に限界があることを理解されている印象すらある。転倒・転落事故はどんなに注意をしていても不可避的に生じてしまうが、事故が発生した場合に、患者・家族との紛争化することを防ぐためにも、万一、紛争化したとしても重大な責任問題とならないようにするためにも、患者・家族の納得が得られる処置、重大な結果が生じることを回避するための処置がされることが望まれる。

8.

併診依頼後のフォローは必要?【医療訴訟の争点】第2回

症例総合病院においては、他診療科に併診(コンサルテーション)依頼を出すことがあるが、その進捗状況や結果を確認し、精査が滞らないようにする義務が争われた横浜地裁令和3年12月15日判決(併診依頼時は平成18年)を紹介する。争点は多岐にわたるが、併診依頼の進捗確認・精査の点に絞ることとする。<登場人物>患者66歳(併診依頼時)・男性平成13年右鼠径部脂肪摘出術(複数の腫瘤摘出)原告患者の妻・子被告総合病院の泌尿器科医(併診依頼元医師)同病院の消化器内科医(併診依頼先医師)事案の概要は以下の通りである。平成18年7月排尿困難を主訴に被告病院の泌尿器科を受診。右腹部に腫瘤を触知。8月3日腹部CT検査。骨盤腔内の後腹膜部と腸間膜部に脂肪肉腫と考えられる腫瘤を確認。8月11日CT結果を踏まえ、泌尿器科医は、消化器内科に併診依頼。9月4日消化器内科にて大腸内視鏡検査を実施。9月19日消化器内科医が、消化器内科では一度終診とする旨の返書。平成20年3月5日右陰嚢部の腫瘤を自覚し、被告病院泌尿器科受診。腹部エコー検査にて、右精索部にゴルフボール大の腫瘤を2個確認。3月11日右高位精巣摘除術実施。病理検査の結果、摘出された腫瘤病変は脱分化型脂肪肉腫と診断。4月22日他院にて、大網、腸間膜、後腹膜腫瘍摘出術実施。病理検査の結果、脱分化型脂肪肉腫と診断。平成21年7月14日他院にて、脂肪肉腫の切除を目的とする開腹手術を受けるも、開腹時に脂肪肉腫の腹膜播種が確認されたため根治不能と判断され、バイパス術を受けて手術終了。平成22年6月15日脂肪肉腫に起因した腎不全が直接死因となり、死亡。実際の裁判結果裁判所は、「併診対象となった事象の性質や、併診結果が併診元の方針に与える影響の程度等によっては、併診元において、報告返書の到着を待つのみでは足りない場合があるというべき」とした上で、(1)腸間膜部の腫瘤が比較的稀少な疾患で、その精査を行うべき診療科が消化器内科であることが確立していたとは言えず、その後の検査、治療の方針の検討を併診先の医師に委ねる状況にあったとは言い難いこと(2)泌尿器科医自身が、消化器内科の併診結果を泌尿器科での治療方針にも影響し得る重要事項と位置付け、腸間膜部腫瘤の良悪性の鑑別を優先させる趣旨で併診依頼を作成していたこと(3)脂肪肉腫は、早期の発見・治療が求められる疾患であり、泌尿器科医もその認識があったことの事情を指摘し、併診依頼をした泌尿器科医は「本件腸間膜部腫瘤の精査が滞らないように配慮すべき注意義務を負っていた」として、腸間膜部腫瘤の関係で何らの措置が講じられていなかったことに対し、注意義務違反を認めた。なお、併診依頼先の消化器内科医師の責任については、裁判所は、「本件併診願が作成された当時、MRI検査や生検によって、腸間膜部腫瘤の精査を速やかに行う必要があった」としつつも、「注意義務があると言えるためには、腸間膜部の腫瘤の精査を行うべき診療科が消化器内科であることが臨床医学の実践として確立しているか、または被告病院における診療体制として確立していることが必要」とし、当時、腸間膜部の腫瘤の精査を行うべき診療科が消化器内科であることが確立していたとは認められないとし、消化器内科医師に腸間膜部腫瘤の精査を実施すべき注意義務を否定した。注意ポイント解説本件は、泌尿器科医が、消化器内科の併診結果を泌尿器科での治療方針にも影響し得る重要事項と位置付け、腸間膜部腫瘤の良悪性の鑑別を優先させる趣旨で「下腹部触診にて腫瘤触れCTを撮ったところ、直径5cm程度の腸間膜の腫瘍があるようでした。お忙しいところ恐縮ですが、御高診よろしくお願い申し上げます」「内科の予定がついたら当科の予定を組みたいと存じます」として併診を依頼した事案であった。また、泌尿器科医は腸間膜部腫瘤が早期の発見・治療が求められる疾患である可能性を認識していた。そのような事情があるにもかかわらず、消化器内科では、本件腸間膜部腫瘤そのものの精査は消化器内科の診療領域には属さないと考え、併診依頼をした腸間膜部腫瘤の精査とは直接関連する検査とは言えない大腸内視鏡検査が行われたのみであった。そして、その後、約1年半の期間、患者の腹部を精査する検査が行われなかった。本件は、具体的に腸間膜の腫瘍を指摘した上での併診依頼がなされたものの、併診依頼先の消化器内科が診療領域外と判断し、依頼の趣旨に沿う検査がなされなかった。そして、当時の「臨床医学の実践」として、腸間膜部腫瘤の精査は消化器内科に委ねることが確立していたとも言えなかったため、併診依頼先の消化器内科医の注意義務が否定された一方で、併診依頼元の泌尿器科医に、併診依頼をした腸間膜部腫瘤の精査が滞らないように配慮すべき注意義務が認められた。どの診療科が精査・治療を行うかについて確立していない症状・所見・疾患については、併診依頼元の医師としては、依頼先がきちんと精査をすることを期待して併診依頼している。しかし、併診依頼先の医師としては、自らの診療対象外と認識している場合や、ピンポイントの検査のみで十分と考えている場合もある。その場合、併診依頼先で行われた検査が、併診依頼元の医師が鑑別等を期待した疾患の精査として不十分な場合もありうる。このような場合、併診依頼元の医師に、然るべき精査・治療が行われるようフォロー対応する義務があることを認めた判決であった。他方、精査・治療対象の疾患について、併診依頼先の診療科において精査・治療することが「臨床医学の実践」として確立している場合は、併診依頼先において然るべき精査・治療を行う義務があることとなる。なお、精査・鑑別対象の疾患について、併診依頼先の診療科に関する文献に記載があるということだけでは、併診依頼先において精査・治療を行うべきとは言えない点に注意を要する。医療者の視点昨今では、専門分野が細分化されているため、自身の専門分野以外の疾患については、他科コンサルト/併診依頼する場合が多いです。そのような場合、つい併診依頼元の医師は「こちらの患者さんはコンサルトしたからもう大丈夫」と思いがちです。また、併診依頼先の医師においては、「主科は併診依頼元の医師だから、自分の科の領域の検査のみ行えれば十分」と考えがちです。お互いに診療を相手任せにしてしまうことで、患者さんに不利益が生じるリスクがあります。本件は腸間膜部腫瘤という稀な疾患ですが、自身が担当した患者さんについては、コンサルトした後も経過をフォローする必要があります。また、コンサルトを受けた場合においても、自身の診療によって患者さんが抱えていた問題が解決したかどうか等、確認することが重要です。Take home message対象の症状・所見・疾患の精査・治療を自らの診療科で行えない場合において、他の診療科に併診を依頼するとき、併診依頼先の診療科において然るべき精査・治療が行われるようフォローする必要がある。キーワード臨床医学の実践とは医師の責任の根拠となる注意義務違反(過失)は、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」を基準に判断される。この「臨床医学の実践における医療水準」は、医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等によって違いがありうるものであるが、大まかに言えば「診療当時、類似の規模・特性の医療機関において行われていること」が医療水準となる。このため、文献に記載があるからと言ってもそれが当然に「臨床医学の実践における医療水準」となるものではない。また、診療ガイドラインも、各ガイドラインの目的・性格、成立過程や普及の程度、記載されている具体的な診療方法のエビデンスレベルや推奨度等にそれぞれ違いがあるため、あくまで策定当時の「臨床医学の実践における医療水準」を判断する際のひとつの資料と位置付けられるものである(ガイドラインの記載内容が、当然に「臨床医学の実践における医療水準」となるものではない)。

9.

治療の選択肢の提示【医療訴訟の争点】第1回

症例肝細胞がん患者に対する治療法(肝切除 or シスプラチンの肝動注化学療法[ Transhepatic Arterial Infusion:TAI])の選択について、“どこまで説明をすべきか”という「説明義務違反」が争われた東京地裁平成26年11月27日判決(診療時は平成18年)を紹介する。争点は多岐にわたるが、治療法の選択肢の説明の点に絞ることとする。<登場人物>患者77歳・女性平成7年以降、肥満症、高血圧症で継続的に被告病院を受診し、血液検査を実施していた。原告患者の子被告大学附属病院、担当医(消化器内科医)事案の概要は以下の通りである。平成18年6月被告病院での血液検査で、γ-GTP高値を指摘された。受診時、左季肋部痛と心窩部圧痛の訴えあり。7月被告病院にて腹部エコー検査と腹部造影CT検査を受け、肝左葉S3に径約14×7cmの巨大腫瘍を認め、肝細胞がんの疑いとなった。8月8日被告病院におけるカンファレンスにて、シスプラチンのTAIが最適と判断され、治療法につき患者と家族に説明がなされた。8月9日消化器内科にてシスプラチンのTAI施行。治療時の腫瘍径は17cmであった。8月15日腹部造影CT検査にて、腫瘍径の増大(20×11cm)がみられた。8月18日消化器内科から消化器外科へ院内紹介され、肝切除術を行う方針となった。9月4日肝切除術施行。11月22日腹部造影CT検査にて、残肝に門脈腫瘍栓を伴う多発再発巣がみられた。以降、他院にて放射線療法や肝動脈化学塞栓術(TACE)を受けるも、平成19年4月27日に死亡した。実際の裁判結果裁判所は、治療の選択肢の説明義務違反につき、シスプラチンのTAIは確立した治療法ではなく、臨床的にも本件のような巨大な肝細胞がんに対する奏効率は低いこと、直ちに肝切除を実施する治療方針も十分に採り得たことなどを指摘した。そして裁判所は、医師らは「治療方針を説明した際、直ちに肝切除するという治療方針も採り得ることを説明すべき義務を負っていた…(中略)シスプラチンのTAIを施行するとその作用によって肝切除を行うまでに4~6週間の間隔を空けなければならないことについても説明すべき義務を負っていた」として、この点を説明していなかったことに対して、説明義務違反(慰謝料200万円)を認めた。なお、“直ちに肝切除をしなかったことが注意義務違反に当たるか”については、裁判所は、「腫瘍径の大きさなどからすれば、平成18年7月31日の時点で肝内転移や門脈侵襲を起こしていた可能性が相当高く…(中略)同日の時点で直ちに肝切除を行うという方針を採っても、その後早期に再発することが予想され、肝切除による予後の改善はほとんど期待し難いものと判断される状況にあった」と指摘し、「早期に肝切除をすること自体にどれほどの意義があったかについては疑問を持たざるを得ない」として注意義務違反はないと判断した。注意ポイント解説本件は、肝切除やシスプラチンのTAIといった複数の治療選択肢があった。当時、一般的に肝切除が行われていた一方で、シスプラチンのTAIは有効性を示すエビデンスが乏しく、診療ガイドラインや学会編集の診療マニュアルでも積極的に推奨されているものではなかった。このような中、直ちに肝切除するという治療法の選択肢が説明されておらず、また、シスプラチンのTAIを施行すると肝切除を行うまでに4~6週間の間隔を空ける必要がある、という医師の提示した治療法に付随する制約の説明もされていなかった。このため、これらの説明がなされていた場合には、患者が肝切除を選択することも合理的と考えられたことから、治療法の選択に関する患者の自己決定権を奪ったと判断された。治療法の有効性や安全性は時代と共に評価が変化しうるが、選択可能な治療法が複数存在する場合(とくに、一般的に行われている治療法と異なる治療法を勧める場合や、ガイドラインなどにおける治療法判断のアルゴリズムの当てはめに疑義が生じうる場合)においては、患者が、医師が最適と判断した治療法とは別の治療法を希望する可能性があることから、別の治療法についても患者に提示し、それぞれの治療法のメリットとデメリットなどを説明することが必要である。医療者の視点医師は最新の治療法に関する知識を常時アップデートする必要があります。また、限られた勤務時間の中で十分な説明を行うことは難儀です。しかし、複数の治療選択肢がある以上、医師は各治療法の特徴を熟知した上で、推奨する治療法以外についても患者に説明をしなければならないことを再認識しましょう。昨今では、医療者でなくても各種ガイドラインに容易にアクセス可能となりました。医師が推奨した治療方針とガイドラインとの間で齟齬がある場合、トラブルに繋がる可能性がある点にも留意しましょう。Take home message複数の治療選択肢が存在する症例では、各治療法のメリットやデメリットを患者に提示する必要がある。キーワード説明義務違反とは…患者の自己決定権の尊重の見地から、医師は、患者に対し、“治療方法などについて患者が自己決定するための情報(患者の状態、考え得る治療の選択肢とそのメリット・デメリット等)を説明する義務”を負う。医師がこの説明義務を怠った場合には、患者の自己決定権を侵害したものとして、これにより生じた損害を賠償する責任を負うこととなる。なお、医師の説明義務違反が問われる多くは上記のような“治療法の選択に関する説明”であるが、このほかにも“療養方法の指導としての説明”や“治療等が終了した場合の説明”の適否が争われることもあるので、この点も注意を要する。

10.

医療裁判にも影響か?肝機能の指標がALT>30に

 肝機能検査として血液検査で汎用されるALT値。今後、これが30を超えていたら、プライマリ・ケア医やかかりつけ医による肝疾患リスクの確認が必要となる―。6月に開催された第59回日本肝臓学会総会にて、ALT>30を指標とする『奈良宣言』が公表された。これは、かかりつけ医と消化器内科医が適切なタイミングで診療連携することで患者の肝疾患の早期発見・早期治療につなげることを目的に、さまざまなエビデンスに基づいて設定された。記者会見では吉治 仁志氏(奈良県立医科大学消化器内科学 教授/日本肝臓学会理事)らが本宣言の背景や目的を説明しており、今回ケアネットでは日本肝臓学会理事で本宣言での特別広報委員を務める江口 有一郎氏(江口病院 ロコメディカル総合研究所 所長)に独自取材を行った。「ALT>30」の根拠と利点 ALTの新たな指標設定の理由は、以下のとおりである。(1)シンプルで健診や一般診療で汎用されている項目(2)英文も含めて基準値に関する文献が多数存在する(3)わが国の特定保健診査(特定健診)および人間ドック学会の基準値はALT30以下(4)特定健診や人間ドック学会の基準値は日本消化器病学会肝機能研究班の意見書に基づいて決定 今回、なぜこのような基準値を設けたのか、プライマリ・ケア医としても第一線で活躍する江口氏によると「これまでは“肝炎ウイルス検査を受けましょう”とか“肝臓は沈黙の臓器”というように文脈で注意喚起を行っていた。しかし、それでは捉え方に個人差が生じてしまうため、行動経済学の観点を盛り込み、参照点※を明確にするために、一般の方でも聞き覚えのある検査指標であるALTに注目して基準を設けた」と説明した。一般市民の方は「ALT>30でかかりつけ医を受診しましょう」と言われても、基準値範囲内であり自覚症状もなければ、健康指導を受けるだけと思ってしまいがちである。しかし、「明確な基準がなかったことから亡くなった方が多くいるのは事実であり、B型・C型肝炎の患者会や原告団の方々もこの宣言に賛成の意を示され、これ以上肝臓で苦しむ人を増やしたくないとおっしゃっている」と話した。※参照点(Reference Point):プロスペクト理論における利得と損失の判断を分ける基準点学会が宣言した指標、裁判にも影響か また同氏によると、宣言後に本指標を無視してしまうと、注意義務違反が生じる場合もあるという。「肝硬変や肝臓がんは年数を経て病態が進行していく疾患なので、ある患者がこの宣言以降に人間ドックでALTが35だったとしましょう。しかし、医師は基準値内だからと次の行動を起こさず、翌年にその患者が肝硬変になって“医師に検査を進めてもらえなかった”と医療裁判を起こしたらどうだろうか」と例示し、「ある弁護士からは医師側が敗訴する可能性が十分ありうるといった見解を受けたため、医療安全の観点からも医療者に周知していく必要がある」と医師側のリスクを指摘した。同氏によるとこの宣言の指標が浸透するには1~2年はかかるそうだが、その間に医師一人ひとりが新たな指標を意識し、注意しておく必要がありそうだ。 なお、今回の宣言は『日本における主要な臨床検査項目の共用検査範囲』(日本臨床検査標準協議会)では基準値内の症例も対象となるが、健康成人の約15%でALT>30を満たすとの報告があることから、この宣言がプライマリ・ケア医やかかりつけ医の診療に影響を与えうるとも学会は見解を示している。さらに、厚生労働省が作成した令和6年度版の『標準的な健診・保健指導 プログラム』での健診検査項目の保健指導判定値及び受診勧奨判定値(別紙5)において、保健指導判定値(ALT≧31、AST≧31)として記されている点は、本指標の明確な根拠である。 現在、YouTubeにて「奈良宣言2023 over30 せんとくん」が公開されており、視聴回数は38万回を突破している(7/14時点)。このようなSNSを活用した市民啓発にも力を入れている同氏は「国内では日本糖尿病学会や日本動脈硬化学会などが疾患予防啓発の一環として、熊本宣言や大阪宣言を行っている。肝臓学会も50年もの歴史のなかでこのようなステートメントを提言したのは初の試みであり、大きなことと言える。ぜひ、慢性肝臓病(Chronic Liver Disease:CLD)予防のために患者さんの検査値をチェックし、ほかの検査値と複合的に診断・鑑別、そして専門医への紹介を行ってもらいたい」とし、「日本肝臓学会では奈良宣言特設サイトを設け、一般市民や患者向けの説明リーフレットなどの患者啓発ツールを自由にダウンロードして使えるよう用意しているので、ぜひ活用してほしい」と締めくくった。

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第140回 医学部不正入試、1億6千万円の支払いで和解へ/順天堂大学

<先週の動き>1.医学部不正入試、1億6千万円の支払いで和解へ/順天堂大学2.がん誤診で膵臓全摘出後に患者死亡、患者遺族が提訴/大分3.病院のサイバーセキュリティ対策、ガイドライン最新版6.0に/厚労省4.パブリックコメント殺到、経口中絶薬の審議見送りに/厚労省5.レセプト請求は2024年9月までに原則オンライン化へ/厚労省6.少子化対策で、出産費用も保険適用を検討/政府1.医学部不正入試、1億6千万円の支払いで和解へ/順天堂大学順天堂大学医学部において、女性と浪人生に対する不当な選抜基準を設けていたことに関して、平成29年度・平成30年度の入学試験で不利益な扱いを受けた受験生への入学検定料などの返還を求めていた消費者機構日本と順天堂大学の間で、和解が3月20日に成立した。和解では、大学側が消費者機構日本に1億6,000万円あまりを支払う内容。この和解案に基づき、消費者機構日本から医学部受験で不合格となった女子学生や浪人生、1,184人に対して入学検定料など相当額の損害賠償金が5月中旬に分配がされる。今回は、消費者裁判手続特例法に基づいた裁判で、回収金額は過去最高額となった。(参考)順天堂大学 入学検定料等に係る返還訴訟の和解について(消費者機構日本)順天堂大医学部、不正入試で和解 1184人分の受験料返還(東京新聞)医学部不正入試の順天堂大、1億6675万円支払いで和解…1183人と消費者機構に(読売新聞)2.がん誤診で膵臓全摘出後に患者死亡、患者遺族が提訴/大分昨年、大分県立病院で、膵臓がんの疑いと診断され、膵臓全摘出術を受けた患者が死亡した男性の遺族が県に対して、病院側の対応が問題だとして3,300万円の損害賠償を求めていた裁判が、大分地方裁判所で始まった。3月24日に第1回口頭弁論が開かれ、病院側は争う姿勢をみせている。訴状によれば、昨年5月に画像検査から膵尾部がんを疑われた59歳の男性が、大分県立病院で翌月に膵臓全摘出術を受けたが、術後の病理組織検査でがんではなかったと判明。患者はその後、術後合併症を併発し、回復しないまま退院したが、同年11月に自宅で死亡した。原告側は緊急性のない手術につき術前検査をもとに治療方針を決めず、患者に治療方法を選ぶ機会を十分に与えなかったとして、注意義務違反だと主張している。(参考)すい臓全摘出したが「がんではなかった」 大分県立病院を遺族が提訴(朝日新聞)がん誤診で膵臓全摘、死亡 遺族が賠償提訴、病院側争う姿勢 大分(毎日新聞)がん疑いで膵臓を全摘出、病変なし判明で退院した男性が自宅で死亡…遺族が賠償提訴(読売新聞)県立病院で「がん」ではないすい臓を摘出 死亡した男性の親族 3300万円の損害賠償 大分(大分放送)3.病院のサイバーセキュリティ対策、ガイドライン最新版6.0に/厚労省相次ぐ病院に対するサイバー犯罪に対応するため、厚生労働省は3月23日に「健康・医療・介護情報利活用検討会」の「医療等情報利活用ワーキンググループ」を開催した。この中で、昨年春にバージョンアップされた「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」をさらに6.0にアップデートするため、今後パブリックコメントを募集し、その意見も踏まえ5月中旬に最終版を正式に公表するとした。また、2023年6月以降の都道府県による立ち入り検査では、サイバーセキュリティ対策実施の有無をチェックほか、「医療機関やシステムベンダーに対して、「サイバーセキュリティ対策に関するチェックリスト」を事前に提示するなど最初に行うべき事項は明確化することを承認した。(参考)病院への相次ぐサイバー攻撃でVPNへの関心高まる バックアップへの対策も進む、厚労省調査で判明(CB news)医療情報ガイドライン6.0版、5月中旬に公表 厚労省がWGに改定スケジュール提示(同)医療機関等のサイバーセキュリティ対策、「まず何から手を付ければよいか」を確認できるチェックリストを提示-医療等情報利活用ワーキング(Gem Med)第16回健康・医療・介護情報利活用検討会医療等情報利活用ワーキンググループ(厚労省)「病院における医療情報システムのサイバーセキュリティ対策に係る調査」の結果について(同)4.パブリックコメント殺到、経口中絶薬の審議見送り/厚労省国内初の経口中絶薬について、厚生労働省が専門部会の開催前に実施したパブリックコメントに、通常の100倍に相当する約1万2,000件の意見が集まったため、3月24日に予定されていた審議は延期された。同省は、多くの意見を分析する時間が必要となったため延期とした。対象となったのはイギリスの製薬会社ラインファーマが薬事申請している「メフィーゴパック」。海外では経口中絶薬は70ヵ国以上で承認されているが、国内では未承認。妊娠9週までが対象。今後、意見を踏まえた議論を経て、承認に向けた最終的な議論がなされる見込み。(参考)経口中絶薬の審議見送り 意見1万件超、分析に時間 厚労省(時事通信)「飲む中絶薬」審議を見送り 厚労省「パブコメの分析、間に合わず」(朝日新聞)「飲む中絶薬」にパブコメ殺到の背景 通常の100倍超…審議は延期(同)飲む中絶薬の承認審議延期 意見公募の対応で、厚労省(日経新聞)ミフェプレックス(MIFEPREX)(わが国で未承認の経口妊娠中絶薬)に関する注意喚起について(厚労省)5.レセプト請求は2024年9月までに原則オンライン化へ/厚労省厚生労働省は社会保障審議会医療保険部会を3月23日に開催し、オンライン請求の割合を100%に近付けていくためのロードマップ案を提示した。同省としては、規制改革実施計画に盛り込まれた社会保険診療報酬支払基金での審査・支払業務の円滑化のため、オンライン請求を行っていない医療機関の実態調査の結果をもとに、オンライン請求100%を目指して取り組む。具体的には、現在オンライン請求を行なっている医療機関が70%と増加する一方で、光ディスクと紙レセプトが減少している。令和5年4月から原則としてオンライン資格確認が導入されるのに合わせて、オンライン請求が可能な回線が全国の医療機関に整備されるタイミングでもあり、オンライン資格確認の特例加算の要件緩和により、今年4月から12月末までにオンライン請求を開始する場合には、加算を算定することが可能となっていることを広報していくことを明らかにした。現行、光ディスクなどを使って請求している医療機関や薬局に対して、経過措置期間を設けて、2024年9月末までに原則としてオンライン請求をするように求めていく。(参考)光ディスクでのレセプト請求、原則オンライン化へ 24年9月末までに、厚労省(CB news)オンライン請求の割合を100%に近づけていくためのロードマップ[案](厚労省)第164回社会保障審議会医療保険部会(同)6.少子化対策で、出産費用も保険適用を検討/政府新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2022年の出生数(速報値)が79万9,728人と過去最少を記録するなど今後の社会保障の持続可能性が危ぶまれている中、岸田内閣は、少子化対策で新たにまとめる子ども政策に、分娩費用について健康保険の適用方針も検討していることが明らかとなった。3月10日に菅義偉前首相が、少子化対策の一環で出産費用を保険適用として、自己負担分は国の予算で負担するなどで、実質無償化を民放番組で訴えたのがきっかけ。政府はこの4月1日以降の出産について出産育児一時金を50万円に引き上げるなど拡充を行なっているが、今後、具体化に向け議論を開始するとみられる。(参考)出産費に健康保険 将来適用方針で調整(FNN)出産費用、将来の保険適用検討 個人負担を軽減(日経新聞)出産費用を巡る「岸田路線」と「菅路線」(毎日新聞)

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第32回 精神科領域の巡回看視義務の範囲は?

■今回のテーマのポイント1.精神科疾患で1番訴訟が多いのは統合失調症、次いでうつ病であり、ともに約1/3を占めている2.統合失調症に関する訴訟では、巡回・看視義務が主として争われている3.統合失調に関する訴訟は、器質的疾患に関する訴訟と比し、原告勝訴率が低いことが特徴である■事件のサマリ原告患者Xの遺族被告Y病院争点不当拘束、診療の不措置、注意義務違反などによる死亡の損害賠償責任結果原告敗訴事件の概要36歳女性(X)。平成7年5月頃より、幻聴、独語、空笑などが出現したため、Y病院に入院し、以後も、情動不安定で興奮状態になることがあり、平成13年までの間に計6回入院して治療を受けていました。平成15年10月14日、被告病院を受診した際、急に暴れだして錯乱状態に陥ったことから、医療保護入院となり、保護室において身体拘束を実施されて治療を受けることとなりました。Xは点滴加療を受けていたものの、状態は不安定で、興奮も見られたことから、Xに対する身体拘束は継続されていました。身体拘束中、Xに対しては、看護師による約30分おきの巡回が行われていました。同月26日午前1時30分ころに行われた巡回時には、特に異常は認められなかったのですが、午前1時52分ころに看護師が巡回した際、Xは心肺停止の状態で発見されました。直ちに蘇生措置がとられ、救急病院への転送がなされましたが、結局、1度も心拍が再開することなく、午前2時55分に死亡が確認されました。これに対しXの遺族は、不必要な身体拘束をしたこと、肺動脈血栓塞栓症に対する予防措置をとるべきであったこと、および、巡回観察義務違反などを理由にY病院に対し、8,425万円の損害賠償請求をしました。事件の判決「約30分おきに臨床的観察等を実施すべき義務の違反」について原告らは、被告病院の担当医師又は担当看護師において、Xに対し、約30分おきに臨床的観察等をすべき義務があったのに、これを怠り、25日午後8時ころのA医師による回診以降、臨床的観察を実施しなかった旨主張する。しかし、上記認定事実によれば、本件において、上記回診以降も約30分おきに臨床的観察は実施され、26日の午前0時30分ころ、午前1時ころ及び午前1時30分ころの観察では異常は発見されず、午前1時52分ころの観察で異常が発見されたと認められるから、約30分おきの臨床的観察が法的に義務づけられるとしても、被告病院の担当の医師又は看護師においてその義務に違反したとはいえない。なお、Xは呼吸停止状態で発見されたこと、別紙知見によれば、呼吸停止後に人工呼吸を開始した時間が2分後だと約90パーセントの救命率があるが、3分後だと75パーセント、5分後だと25パーセント、8分後にはほとんどゼロとなるとされていることを踏まえると、本件において30分おきの観察によってXの異常を救命可能な段階で発見できたと認めるに足りる証拠はないというべきであり、そうすると、30分おきの観察とXの救命との間に相当因果関係を認めることはできない。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(東京地判平成18年8月31日)ポイント解説■精神科疾患の訴訟の現状今回は精神科疾患です。精神科疾患で最も訴訟が多いのは、統合失調症、次いでうつ病となっており、2疾患ともに約1/3を占めています。また、その後は境界性人格障害、アルコール依存症などと続いています(表1)。画像を拡大する精神科疾患に関する訴訟の特徴として、患者が疾患により希死念慮や自殺企図を抱き、その結果、入院・外来治療中に自殺したといったケースが多く見られること、そして、平均年齢が若いことから請求額および認容額が高額となることが挙げられます。その一方で、被害妄想や好訴妄想といった疾患自身の症状から訴訟に到ることがあるため、代理人を介さない本人訴訟の割合が高く、その結果、原告勝訴率が低くなっています(表2)。画像を拡大する■統合失調症に関する訴訟統合失調症に関する訴訟において最も多く争点となるのは、巡回・看視義務であり、次いで、薬剤の説明義務、救命措置、救急搬送と続いています(表3)。統合失調症に関する訴訟では、その多くで入院患者が自殺ないし突然死したことを受けて生じているため、これらの争点が多くなっているのです。画像を拡大するしかし、巡回監視義務違反が争われた11事例中、義務違反が認められた事例は3件ありますが、平成14年以降は、1度も巡回看視義務違反は認められていません。それは、そもそも本判決において示されているように、いくら定期的に巡回看視を行ったとしても、それによって自殺や突然死を回避することができないためです。巡回看視義務が争われる類型の1つに「転倒、転落」がありますが、転倒、転落に関する判決においても、「過失があると認められるためには、過失として主張される行為を怠らねば結果を回避することができた可能性(結果回避可能性)が認められることが必要であるところ、転倒はその性質上突発的に発生するものであり、転倒のおそれのある者に常時付き添う以外にこれを防ぐことはできないことからすると、被控訴人の動静を把握できないという上記職員らの行為がなければ本件事故を回避できたものと認めることはできない。(中略)…よって、職員らに、被控訴人の動静の把握を怠ったことを内容とする過失があったということはできない」(福岡高判平成24年12月18日)と本判決と同様の論理構成によって棄却する判断がなされています。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)東京地判平成18年8月31日福岡高判平成24年12月18日:この判例については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。

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吐下血の出血量を過小評価したため死亡に至ったケース

消化器最終判決判例時報 1446号135-141頁概要慢性肝炎のため通院治療を受けていた43歳男性。1988年5月11日夕刻、黒褐色の嘔吐をしたとして来院して診察を受けた。担当医師は上部消化管からの出血であると診断したが、その夜は対症療法にとどめて、翌日検査・診察をしようと考えて帰宅させた。ところが翌朝吐血したため、ただちに入院して治療を受けたが、上部消化管からの大量出血によりショック状態に陥り、約17時間後に死亡した。詳細な経過患者情報43歳男性経過昭和61年5月20日初診。高血圧症、高脂血症、糖尿病、慢性肝炎と診断され、それ以来昭和63年5月7日までの間に月に7~8回の割合で通院していた。血液検査結果では、中性脂肪461、LAP 216、γ-GTP 160で、そのほかの検査値は正常であったことから、慢性アルコール性肝炎と診断していた。昭和63年5月11日19:40頃夕刻に2回吐血したため受診。この際の問診で、「先程、黒褐色の嘔吐をした。今朝午前3:00頃にも嘔吐したが、その時には血が混じっていなかった」と述べた。担当医師は上部消化管からの出血であると認識し、胃潰瘍あるいは胃がんの疑いがあると考えた(腹部の触診では圧痛なし)。そのため、出血の原因となる疾患について、その可能性が高いと判断した出血性胃炎と診療録に記載し、当夜はとりあえず対症療法にとどめて、明日詳細な検査、診察をしようと考え、強力ケベラG®、グルタチオン200mg(商品名:アトモラン)、肝臓抽出製剤(同:アデラビン9号)、幼牛血液抽出物(同:ソルコセリル)、ファモチジン(同:ガスター)、メトクロプラミド(同:プリンペラン)、ドンペリドン(同:ナウゼリン)、臭化ブトロピウム(同:コリオパン)を投与したうえ、「胃潰瘍の疑いがあり、明日検査するから来院するように」と指示して帰宅させた。5月12日07:00頃3度吐血。08:30頃タクシーで受診し、「昨夜から今朝にかけて、合計4回の吐血と下血があった」と申告。担当医師は吐き気止めであるリンゴ酸チエチルぺラジン(同:トレステン)を筋肉注射し、顔面蒼白の状態で入院した。09:45血圧120/42mmHg、脈拍数114、呼吸数24、尿糖+/-、尿蛋白-、尿潜血-、白血球数16,500、血色素量10g/dL。ただちに血管を確保し、5%キシリトール500mLにビタノイリン®、CVM、ワカデニン®、アデビラン9号®、タジン®、トラネキサム酸(同:トランサミン)を加えた1本目の点滴を開始するとともに、側管で20%キシリトール20mL、ソルコセリル®、ブスコパン®、プリンペラン®、フェジン®を投与し、筋肉注射で硫酸ネチルマイシン(同:ベクタシン)、ロメダ®を投与した。引き続いて、2本目:乳酸リンゲル500mL、3本目:5%キシリトール500mLにケベラG®を2アンプル、アトモラン®200mgを加えたもの、4本目:フィジオゾール500mL、5本目:乳酸リンゲルにタジン®、トランサミン®を加えたもの、の点滴が順次施行された。11:20頃しきりに喉の渇きを訴えるので、看護師の許しを得て、清涼飲料水2缶を飲ませた。11:30頃2回目の回診。14:00頃3回目の回診。血圧90/68mmHg。14:20頃いまだ施行中であった5本目の点滴に、セジラニドを追加した。14:30頃酸素吸入を開始(1.5L/min)。15:00頃顔面が一層蒼白になり、呼吸は粗く、胸元に玉のような汗をかいているのに手足は白く冷たくなっていた。血圧108/38mmHg。16:00頃血圧低下のため5本目の点滴に塩酸エチレフリン(同:エホチール)を追加した。17:00頃一層大量の汗をかき拭いても拭いても追いつかない程で、喉の渇きを訴え、身の置き所がないような様子であった。血圧80/--mmHg18:00頃4回目の回診をして、デキストラン500mLにセジラニド、エホチール®を加えた6本目の点滴を実施し、その後、クロルプロマジン塩酸塩(同:コントミン)、塩酸プロメタジン(同:ヒベルナ)、塩酸ぺチジン(同:オピスタン)を筋肉注射により投与し、さらにデキストランL 500mLの7本目の点滴を施行した。5月13日00:00頃看護師から容態について報告を受けたが診察なし。血圧84/32mmHg01:30頃これまで身体を動かしていたのが静かになったので、家族は容態が落ち着いたものと思った。02:00頃異常に大きな鼾をかいた後、鼻と口から出血した。看護師から容態急変の報告を受けた担当医師は人工呼吸を開始し、ジモルホラミン(同:テラプチク)、ビタカンファー®、セジラニドを筋肉注射により投与したが効果なし。02:45死亡確認(入院から17時間25分後)。当事者の主張患者側(原告)の主張吐血が上部消化管出血であると認識し得たのであるから、すみやかに内視鏡などにより出血源を検索し、止血のための治療を施すべきであり、また、出血性ショックへと移行させないために問診を尽くし、バイタルサインをチェックし、理学的所見などをも考慮して出血量を推定し、輸血の必要量を指示できるようにしておくべきであった。担当医師はこれまでに上部消化管出血患者の治療に当たった経験がなく、また、それに適切に対応する知識、技術に欠けていることを自覚していたはずであるから、このような場合、ほかの高次医療機関に転院させる義務があった。病院側(被告)の主張5月11日の訴えは、大量の出血を窺わせるものではなく、翌日の来院時の訴えも格別大量の出血を想起させるものではなかった。大量の出血は結果として判明したことであって、治療の過程でこれを発見できなかったとしてもこれを発見すべき手がかりがなかったのであるから、やむを得ない。裁判所の判断上部消化管出血は早期の的確な診断と緊急治療を要するいわゆる救急疾患の一つであるから、このような患者の治療に当たる医師には、急激に重篤化していくこともある可能性を念頭において、ただちに出血量に関して十分に注意を払ったうえで問診を行い、出血量の判定の資料を提供すべき血液検査などをする注意義務がある。上部消化管出血の患者を診察する医師には、当該患者の循環動態が安定している場合、速やかに内視鏡検査を行い、出血部位および病変の早期診断、ならびに治療方法の選択などするべき注意義務がある。上部消化管出血が疑われる患者の治療に当たる医師が内視鏡検査の技術を習得していない場合には、診察後ただちに検査および治療が可能な高次の医療機関へ移送すべき注意義務がある。本件では容態が急激に重篤化していく可能性についての認識を欠き、上記の注意義務のいずれをも怠った過失がある。約6,678万円の請求に対し、請求通りの支払い命令考察吐血の患者が来院した場合には、緊急性を要することが多いので、適切な診察、検査、診断、治療が必要なことは基本中の基本です。吐血の原因としては、胃潰瘍や十二指腸潰瘍などの消化性潰瘍、急性胃粘膜病変、食道および胃静脈瘤破裂、ならびにMallory-Weiss症候群などが挙げられ、出血源が明らかになったもののうち、これらが90~95%を占めています。そして、意外にも肝硬変患者の出血原因としては静脈瘤59%、胃炎8.2%、胃潰瘍5.4%、十二指腸潰瘍6.8%、その他10.2%と、必ずしも静脈瘤破裂ばかりが出血源ではないことには注意が必要です。本件の場合、担当医師が当初より上部消化管からの出血であることを認識していながら、それが急激に重篤化していく可能性のある緊急疾患であるという認識を欠いており、そのため適切な措置を講ずることができなかった点が重大な問題と判断されました。さらに後方視的ではありますが、当時の症状、バイタルサインや血液検査などの情報から、推定出血量を1,000~1,600mLと細かく推定し、輸血や緊急内視鏡を施行しなかった点を強調しています。そのため判決では、原告の要求がそのまま採用され、抗弁の余地がないミスであると判断されました。たとえ診察時に止血しており、全身状態が比較的落ち着いているようにみえても、出血量(血液検査)や、バイタルサインのチェックは最低限必要です。さらに、最近では胃内視鏡検査も外来で比較的容易にできるため、今後も裁判では消化管出血の診断および治療として「必須の検査」とみなされる可能性があります。そのため、もし緊急で内視鏡検査ができないとしたら、その対応ができる病院へ転送しなければならず、それを怠ると本件のように注意義務違反を問われる可能性があるので、注意が必要です。消化器

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第27回 出生前診断の伝達ミスの悲劇 その時メディアは!?

■今回のテーマのポイント1.児の死亡慰謝料を請求するために「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が争われることとなった2.本判決は、羊水検査結果の誤報告により先天性異常を有する子どもの出生に対し、心の準備やその養育環境の準備をする機会を奪われたことに問題があったとしている3.メディアと医療、司法との相互理解も重要である■事件のサマリ原告子どもの母親X1および父親X2被告A病院争点説明義務違反結果原告勝訴、それぞれに500万円ずつ(合計1,000万円)の損害賠償事件の概要41歳女性(X1)。平成23年2月、X1は妊娠したことからA診療所を受診しました。同年3月15日、超音波検査を行ったところ、NT (nuchal translucency: 胎児の首の後ろの皮下の黒く抜けて見える部分)の肥厚が認められたことから、児の先天異常を疑い、主治医Aより羊水検査の説明がなされました。X1は自身が高齢であることも考慮して、4月14日(妊娠17週)、羊水検査を受けることにしました。X1の検査結果報告書には、分析所見として「染色体異常が認められました。また、9番染色体に逆位を検出しました。これは表現型とは無関係な正常変異と考えます」と記載され、その後ろに21番染色体が3本存在し、胎児がダウン症児であることを示す分析図が添付されていました。しかし、A医師は、上記報告書を通読しなかったため、X1に対し、「羊水検査の結果はダウン症に関して陰性である。また、9番染色体は逆位を検出したがこれは正常変異といって丸顔、角顔といった個人差の特徴の範囲であるから何も心配はいらない」と伝えました。なお、その時点でX1は妊娠20週でした。X1は、その後の検診では、A医師より胎児が小さめではあるが正常範囲であり、とくに問題はないと伝えられていました。ところが、9月1日の検診の際、A医師より羊水過少があり、胎児が弱っていることから他院に転院し、出産するよう勧められました。X1は、同日B病院に救急搬送され、同病院にて緊急帝王切開術が行われました。出生した児の呼吸機能は十分ではなく、自力排便もできない状態であったため、B病院の医師が、A診療所のカルテを確認したところ、児がダウン症であることを示す羊水検査結果が見つかったことから、同医師よりX1および夫であるX2に対し、その旨が伝えられました。児は、ダウン症児の約10%で見られる一過性骨髄異常増殖症(TAM)を合併し、その後、TAMに伴う播種性血管内凝固症候群を併発し、最終的には肝不全により、同年12月16日に死亡しました。これに対し、X1およびX2は、A医師が、検査結果報告を誤って伝えたために原告X1は中絶の機会を奪われてダウン症児を出産し、同児は出生後短期間のうちにダウン症に伴うさまざまな疾患を原因として死亡するに至ったと主張して、被告Aらに対し、不法行為ないし診療契約の債務不履行に基づき、約3,500万円の損害が発生したとして、支払いを求める訴訟を提起しました。事件の判決●争点1(被告らの注意義務違反行為と児に関する損害との間の相当因果関係の有無)について羊水検査は、胎児の染色体異常の有無等を確定的に判断することを目的として行われるものであり、その検査結果が判明する時点で人工妊娠中絶が可能となる時期に実施され、また、羊水検査の結果、胎児に染色体異常があると判断された場合には、母体保護法所定の人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があることが認められる。しかし、羊水検査の結果から胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合に人工妊娠中絶を行うか、あるいは人工妊娠中絶をせずに同児を出産するかの判断が、親となるべき者の社会的・経済的環境、家族の状況、家族計画等の諸般の事情を前提としつつも、倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断であることは、事柄の性質上明らかというべきである。すなわち、この問題は、極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって、傾向等による検討にはなじまないといえる。そうすると、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても、このことから当然に、羊水検査結果の誤報告と児の出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。原告らは、本人尋問時には、それぞれ羊水検査の結果に異常があった場合には妊娠継続をあきらめようと考えていた旨供述している。しかし、他方で、証拠によれば、原告らは、羊水検査は人工妊娠中絶のためだけに行われるものではなく、両親がその結果を知った上で最も良いと思われる選択をするための検査であると捉えていること、そして、原告らは、羊水検査を受ける前、胎児に染色体異常があった場合を想定し、育てていけるのかどうかについて経済面を含めた家庭事情を考慮して話し合ったが、簡単に結論には至らなかったことが認められ、原告らにおいても羊水検査の結果に異常があった場合に直ちに人工妊娠中絶を選択するとまでは考えていなかったと理解される。羊水検査により胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合において人工妊娠中絶を行うか出産するかの判断は 極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであること、原告らにとってもその決断は容易なものではなかったと理解されることを踏まえると、法的判断としては、被告らの注意義務違反行為がなければ原告らが人工妊娠中絶を選択し児が出生しなかったと評価することはできないというほかない。結局、被告らの注意義務違反行為と児の出生との間に、相当因果関係があるということはできない。●争点2(原告らの損害額)について原告らの選択や準備の機会を奪われたことなどによる慰謝料 それぞれ500万円原告らは、生まれてくる子どもに先天性異常があるかどうかを調べることを主目的として羊水検査を受けたのであり、子どもの両親である原告らにとって、生まれてくる子どもが健常児であるかどうかは、今後の家族設計をする上で最大の関心事である。また、被告らが、羊水検査の結果を正確に告知していれば、原告らは、中絶を選択するか、又は中絶しないことを選択した場合には、先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずである。原告らは、被告Aの羊水検査結果の誤報告により、このような機会を奪われたといえる。そして、前提事実に加え、証拠によれば、原告らは、児が出生した当初、児の状態が被告の検査結果と大きく異なるものであったため、現状を受入れることができず、児の養育についても考えることができない状態であったこと、このような状態にあったにもかかわらず、我が子として生を受けた児が重篤な症状に苦しみ、遂には死亡するという事実経過に向き合うことを余儀なくされたことが認められる。原告らは、被告の診断により一度は胎児に先天性異常がないものと信じていたところ、児の出生直後に初めて児がダウン症児であることを知ったばかりか、重篤な症状に苦しみ短期間のうちに死亡する姿を目の当たりにしたのであり、原告らが受けた精神的衝撃は非常に大きなものであったと考えられる。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(函館地判平成26年6月5日)ポイント解説●なぜ「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が争われたのか今回は、最近世間を騒がせた羊水検査の事案を紹介します。筆者もマスコミ報道で本事件を知りました(表1)。■表1 医院側は争う姿勢 出生前診断説明ミス訴訟(共同通信社 13/07/05)北海道函館市の産婦人科医院で2011年、出生前診断の結果を誤って説明され、出産するか人工妊娠中絶をするかの選択権を奪われたなどとして、赤ちゃんの両親が医院を経営する医療法人と院長に1千万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、函館地裁であり、医院側は争う姿勢を示した。医院は「Aクリニック」で、訴状によると、胎児の染色体異常を調べる羊水検査でダウン症の陽性反応が出ていたが、院長が母親に「陰性だった」と伝えた。生まれた赤ちゃんはダウン症と診断され、生後3カ月半で死亡した。医院側は説明ミスを認める一方、両親側が侵害されたと主張する「出産するか人工妊娠中絶をするかの選択権」については「権利の存在を認めるべきかどうかが、まず大問題。存在を認める前提での議論には到底同意できない」などと訴えた。報道で目を引いたのは、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が法律上保護されるかを争っているとした点です。わが国の法律上、(業務上堕胎及び同致死傷)「刑法第214条 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の懲役に処する」とあるように、人工妊娠中絶は、たとえ医師が行ったとしても、原則として違法とされています。例外的に人工妊娠中絶が許容されるのは、母体保護法に定められた要件を満たした場合のみであり、その要件に遺伝子異常であることは記されていません。 (医師の認定による人工妊娠中絶)「母体保護法第14条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」したがって、遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶をすることは法律上認められていませんので、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」も当然に認められないと考えられます。ではなぜ、このような訴訟が起きたのでしょうか。そもそも本事案は、医療機関側のミスが明白であり、通常、示談で終了する事案です。実際、本事案においてY診療所は、ミスを認めて児のB病院での入院費用を支払っており、それに加え見舞金として50万円、香典として10万円を支払っています。本事案において両者に争いが生まれたのは、損害との間の因果関係です。すなわち、医師が誤って報告した結果、どのような損害が発生したか(表2)ということが争われたのです。■表2 原告らが主張する損害およびその価額ア X1の入通院慰謝料 31万1,800円イ 原告らの中絶の機会を奪われたことなどによる慰謝料それぞれ500万円ウ 原告らが相続した児の傷害慰謝料 165万4,500円エ 原告らが相続した児の死亡慰謝料 2,000万円オ 弁護士費用 316万1,630円カ 損害合計額(上記アからオまでの合計額から、被告らの債務不履行ないし不法行為がなければ実施していたはずの人工妊娠中絶費用である35万円を控除したもの)3,477万7,930円児は、ダウン症の合併症により死亡したのであり、医師の誤報告によって死亡したわけではありません。したがって、普通に考えると医師の誤報告と児の死亡との間に因果関係はないということになります。そこで原告は、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を間に挟むことで、「誤報告により人工妊娠中絶ができなくなり、その結果、児が出生し、合併症により死亡した」としたのです。●裁判所の判断と判決文の記載の難しさ本判決を受けての報道記事は下記のような記載でした(表3)。一読すると、裁判所は「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を認めたかのように読めます。■表3 出生前診断誤って告知、賠償命令 医院側に1千万円 函館地裁(2014/06/05 共同通信)北海道函館市の産婦人科医院「Aクリニック」で2011年、院長が胎児の出生前診断結果を誤って説明し、両親が人工中絶の選択権を奪われたなどとして、医院を経営する医療法人と院長に計3千477万円の損害賠償を求めた訴訟で、函館地裁(鈴木尚久裁判長)は5日、医院側に計1千万円の賠償を命じた。判決理由で鈴木裁判長は「正確に結果を告知していれば中絶を選択するか、中絶を選択しない場合、心の準備や養育環境の準備ができた。誤った告知で両親はこうした機会を奪われた」と指摘した。しかし、本判決を読めばわかるとおり、積極的に「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を認めたわけではなく、現在のわが国の母体保護法の運用として、「経済的理由」を弾力的に解釈しているという現実を尊重し、正面から「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を否定することをしなかっただけなのです。2000年代前半に生じた司法の厳格な判断により、萎縮医療が生じたことは記憶に新しいところです。本事案においても、裁判所は、判決において「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を否定してしまうことの影響を考慮し、このような判決文になったものと考えられます。本判決は、このような配慮のもと書かれたものと考えられますが、残念ながら報道では誤解を生じかねないような切り取られ方になってしまいました。医療と司法の相互理解も重要ですが、それに加え、メディアと医療、司法との相互理解も重要であるといえます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)函館地判平成26年6月5日

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胸のしこりに対し触診や精密検査を行わず肝臓がんを見逃したケース

消化器最終判決判例時報 1610号101-105頁概要狭心症の診断で近医内科に約5年間通院していた74歳の女性。血液検査では大きな異常はみられなかったが、胸のしこりに気付き担当医師に相談したところ、劔状突起であると説明され腹部は触診されなかった。最終診察日に血液検査で肝臓疾患の疑いがもたれたが、その後別の病院を受診して多発性肝腫瘍と診断され、約4ヵ月後に肝腎症候群で死亡した。詳細な経過患者情報1981年4月20日~1994年3月14日まで、狭心症の診断で内科医院に月2回通院していた74歳女性。通院期間中の血液検査データは以下の通り(赤字が正常範囲外)■通院期間中の血液検査データ経過1994年2月24日担当医師に対し、胸にしこりがあることを訴えたが、劔状突起と説明され腹部の診察はなかった。3月10日市町村の補助による健康診断を実施。高血圧境界領域、高脂血症、肝疾患(疑いを含む)および貧血(疑いを含む)として、「要指導」と判断した。1994年3月14日健康診断の結果説明。この時腹部の診察なし(精密検査が必要であると説明したが、検査日は指定せず、それ以降の通院もなし)。3月22日別の病院で検査を受けた結果、肝機能異常および悪性腫瘍を示す数値が出た(詳細不明)。1994年4月1日さらに別医院で診察を受けた結果、触診によって肝臓が腫大していることや上腹部に腫瘤があることがわかり、肝腫瘍の疑いと診断され、総合病院を紹介された。4月4日A総合病院消化器内科で多発性肝腫瘍と診断された。4月7日A総合病院へ入院。高齢であることから積極的治療は不可能とされた。5月6日B病院で診察を受け、それ以後同病院に通院した。5月22日発熱、食欲低下のためB病院に入院した。次第に黄疸が増強し、心窩部痛などの苦痛除去を行ったものの状態が悪化した。7月27日肝内胆管がんを原因とする肝腎症候群で死亡した。当事者の主張患者側(原告)の主張診察の際に実施された血液検査において異常な結果が出たり、肝臓疾患ないしは、肝臓がんの症状の訴え(本件では胸のしこり)があったときには、それを疑い、腹部エコー検査や腫瘍マーカー(AFP検査)などの精密検査を実施すべき注意義務があり、また、エコー検査の設備がない場合には、同設備を有するほかの医療機関を紹介すべき義務がある。担当医師がこれらの義務を怠ったために死亡し、延命利益を侵害され、肝臓がんの適切な治療を受けて治癒する機会と可能性を失った。病院側(被告)の主張当時、肝臓疾患や肝臓がんを疑わせるような症状も主訴もなく、血液検査でも異常が認められなかったから、AFP検査をしたり、エコー検査の設備のあるほかの医療機関を紹介しなかった。患者が気にしていた胸のしこりは、劔状突起のことであった。また、最後の血液検査の結果に基づき、「要指導」と判断してAFP検査を含む精密検査を予定したが、患者が来院しなかった。仮に原告主張の各注意義務違反であったとしても、救命は不可能で、本件と同じ経過を辿ったはずであるから、注意義務違反と死亡という結果との間には因果関係はない。裁判所の判断通院開始から1994年3月10日までの間に、血液検査で一部基準値の範囲外のものもあるが、肝臓疾患ないし肝臓がんを疑わせるような兆候および訴えがあったとは認められない。しかし、1994年3月14日の時点では、肝臓疾患ないし肝臓がんを疑い、ただちに触診などを行い、精密検査を行うか転医させるなどの措置を採るべきであった。精密検査の約束をしたとのことだが、検査の日付を指定しなかったこと自体不自然であるし、次回検査をするといえば次の日に来院するはずであるのに、それ以降の受診はなかった。ただし、これらの措置を怠った注意義務違反はあるものの、死亡および延命利益の侵害との間には因果関係は認められない。患者は1981年以来5年間にわたって、担当医師を主治医として信頼し、通院を続けていたにもかかわらず、適時適切な診療を受ける機会を奪われたことによって精神的苦痛を受けた。1,500万円の請求に対し、150万円の支払命令考察外来診療において、長期通院加療を必要とする疾患は数多くあります。たとえば高血圧症の患者さんには、血圧測定、脈の性状のチェック、聴診などが行われ、その他、血液検査、胸部X線撮影、心電図、心エコーなどの検査を適宜施行し、その患者さんに適した内服薬が処方されることになります。しかし、患者さんの方から腹部症状の訴えがない限り、あえて定期的に腹部を触診したり、胃カメラなど消化器系の検査を実施したりすることはないように思います。本件では、狭心症にて外来通院中の患者さんが、血液検査において軽度の肝機能異常を呈した場合、どの時点で肝臓の精査を行うべきであったかという点が問題となりました。裁判所はこの点について、健康診断による「要指導」の際にはただちに精査を促す必要があったものの、検査を実施しなかったことに対しては死亡との因果関係はないと判断しました。多忙な外来診療では、とかく観察中の主な疾患にのみ意識が集中しがちであり、それ以外のことは患者任せであることが多いと思います。一方、患者の側は定期的な通院により、全身すべてを診察され、異常をチェックされているから心配ないという思いが常にあるのではないでしょうか。本件でも裁判所はこの点に着目し、長年通院していたにもかかわらず、命に関わる病気を適切に診断してもらえなかった精神的苦痛に対して、期待権侵害(慰藉料)を認めました。しかし実際のところ、外来通院の患者さんにそこまで要求されるとしたら、満足のいく外来診療をこなすことは相当難しくなるのではないでしょうか。本件以降の判例でも、同じく期待権侵害に対する慰藉料の支払いを命じた判決が散見されますが、一方で過失はあっても死亡との因果関係がない例において慰謝料を認めないという判決も出ており、司法の判断もケースバイケースといえます。別の見方をすると、本件では患者さんから「胸のしこり」という肝臓病を疑う申告があったにもかかわらず、内科診察の基本である「腹部の触診」を行わなかったことが問題視されたように思います。もしその時に丁寧に患者さんを診察し(おそらく腹部の腫瘤が確認されたはずです)、すぐさま検査を行って総合病院に紹介状を作成するところまでたどり着いていたのなら、「がんをみつけてくれた良い先生」となっていたかもしれません。今更ながら、患者さんの訴えに耳を傾けるという姿勢が、大切であることを実感しました。消化器

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急性虫垂炎を適切に診断できず死亡したケース

消化器最終判決判例時報 1556号99-107頁概要腹痛と血便を訴えて受診した45歳男性。腹部は平坦で軟、圧痛を認めたが、抵抗や筋性防御は認められなかった。腹部単純X線写真では腹部のガス像は正常で腸腰筋陰影も明瞭であったが、白血球数が14,000と増加していた。ブチルスコポラミン(商品名:ブスコパン)の点滴静注により腹痛はほぼ消失したため、チメピジウム(同:セスデン)、プロパンテリン・クロロフィル配合剤(同:メサフィリン)、ベリチーム®を処方し、翌日の受診と状態が悪化した場合はただちに受診することを指示して帰宅させた。ところが翌日未明に昏睡状態となり、DOAで病院に搬送され、心肺蘇生術に反応せず死亡確認となった。詳細な経過患者情報身長168cm、体重73kg、とくに既往症のない45歳男性経過1989年4月24日腹部に不快感を訴えていた。4月27日06:00頃間歇的な激しい腹痛、かつ血便がみられたため、午前中に某大学病院内科を受診。問診時に以下のことを申告。同日午前中から腹痛が出現したこと便に点状の出血が付着していたこと酒はワインをグラス1杯飲む程度であることこれまでにタール便の経験や嘔気はないこと肛門痛、体重の減少はないこと仕事は多忙であり、24日頃から腹部に不快感を感じていたこと初診時体温36.8℃脈拍脈拍80/分(整)頸部 および その周辺のリンパ節触知(-)甲状腺の腫大(-)胸部心音純・異常(-)咽頭粘膜軽度発赤(+)腹部平坦で軟・圧痛(+)、抵抗(-)、筋性防御(-)肝を右乳頭線上で肋骨弓下に1横指触知したが正常の硬さであった。血液検査、肝機能検査、膵胆道系機能検査、血沈を実施したところ、白血球数が14,000と増加。腹部X線写真の結果、ガス像は正常、腸腰筋陰影も明瞭であった。ベッドに寝かせて安静を保ったうえ、ブチルスコポラミン(同:ブスコパン)2A入りの生理食塩水200mLを30分で点滴静注したところ、腹痛はほぼ消失した。そして、セスデン®、メサフィリン®、ベリチーム®を4日分処方し、翌4月28日の診察の予約をして帰宅させた。その際、仮に状態が悪化した場合には、翌日を待たずしていつでも再受診するべきことを伝えた。16:00頃帰宅。19:00頃突然悪寒がしたため、アスピリンを2錠服用して就寝。4月28日01:00頃苦痛を訴え、ほとんど意識のない状態となって、いびきをかき始めた。02:13頃救急車を要請。搬送中の意識レベルはJCS(ジャパンコーマスケール)300(痛み刺激に反応しない昏睡状態)。02:50頃大学病院に到着時、心肺停止、瞳孔散大、対光反射なしというDOA。心肺蘇生術を試みたが反応なし。高カリウム血症(6.9)高血糖(421)CPK(153)LDH(253)クレアチニン(1.8)アミラーゼ(625)03:13死亡確認。12:50病理解剖。虫垂の長さは9cm、棍棒状で、内容物として汚黄赤液を含み、漿膜は発赤し、周囲に厚層出血をしていたが、癒着はしていなかった。腹膜は灰白色で、表面は滑らかであったが、虫垂の周囲の体壁腹膜に拳大程度の発赤が認められ、局所性腹膜炎の状態であった。また、膵間質内出血、腎盂粘膜下うっ血、気管粘膜下うっ血、血液流動性および諸臓器うっ血という、ショック死に伴う諸症状がみられた。また、軽度の心肥大(360g)が認められたが、冠状動脈には異常なく、心筋梗塞の病理所見は認められなかった。死因は「腹膜ショック」その原因となる疾患としては「急性化膿性虫垂炎」であると診断した。当事者の主張患者側(原告)の主張4月27日早朝より、腹部の激痛を訴えかつ血便が出て、虫垂炎に罹患し、腹部に重篤な病変を呈していたにもかかわらず、十分な検査などをしないままこれを見落とし、単に鎮痛・鎮痙薬を投与しただけで入院措置も取らず帰宅させたために適切な診療時機を逸し、死亡した。死因は、急性化膿性虫垂炎に起因する腹膜ショックである。病院側(被告)の主張患者が訴えた症状に対して、医学的に必要にして十分な措置を取っており、診療上の過失はない。確かに帰宅させた時点では、急性化膿性虫垂炎であるとの確定診断を得たわけではないが、少なくとも24時間以内に急死する危険性のある重篤な症状はなかった。腹膜炎は医学的にみて、低血量性ショックや感染性ショックなどの腹膜ショックを引き起こす可能性がない軽微なものであるから、「腹膜ショック」を死因と考えることはできない。また、化膿性虫垂炎についても、重篤な感染症には至っていないものであるから、これを原因としてショックに至る可能性もない(なぜ死亡に至ったのかは明言せず)。裁判所の判断以下の過失を認定死因について初診時すでに急性虫垂炎に罹患していて、虫垂炎はさらに穿孔までは至らないものの壊疽性虫垂炎に進行し、虫垂周囲に局所性化膿性腹膜炎を併発した。その際グラム陽性菌のエキソトキシンにより、腹膜炎ショック(細菌性ショック)となり死亡した。注意義務違反白血球増加から急性虫垂炎の疑いをもちながら、確定診断をするため各圧痛点検索、直腸指診および、直腸内体温測定などを実施する義務を怠った。各検査を尽くしていれば急性虫垂炎であるとの確定診断に至った蓋然性は高く、死亡に至る時間的経過を考慮しても抗菌薬の相当の有効性が期待でき、死亡を回避できた。そして、急性虫垂炎であるとの確定診断に至った場合、白血球数の増加から虫垂炎がさらに感染症に至っていることは明らかである以上、虫垂切除手術を考慮することはもちろんであるが、何らかの理由で診察を翌日に継続するのであれば、少なくとも抗菌薬の投与はするべきであり、そうすれば腹膜炎ショックによる死亡が回避できた可能性が高い。原告側合計5,500万円の請求を全額認定考察「腹痛」は日常の外来でよくみかける症状の一つです。多くのケースでは診察と検査、投薬で様子をみることになると思いますが、本件のように思わぬところに危険が潜んでいるケースもありますので、ぜひとも注意が必要です。本件の裁判経過から得られる教訓として、次の2点が重要なポイントと思われます。1. 基本的な診察と同時にカルテ記載をきちんとすること本件は大学病院で発生した事故でした。担当医師の立場では、血液検査、腹部X線写真などはきちんと施行しているので、「やれることだけはやったつもりだ」という認識であったと思います。患者さんは「心窩部から臍部にかけての間歇的な腹痛」を訴えて来院しましたので、おそらく腹部を触診して筋性防御や圧痛がないことは確認したと思われます。これだけの診察をしていれば十分という気もしますし、担当医師の明らかな怠慢とかミスということではないと思います。ところが裁判では「血圧測定」をしなかったことと、急性虫垂炎を疑う際の腹部の診察(マックバーネー圧痛点、ランツ圧痛点、ブルンベルグ徴候など)を行わなかったことを問題としました。その点について裁判官は、「担当医師は、血圧測定、虫垂炎の圧痛点検索は実施した旨を証言するが、いずれについてもカルテ上に記載がなく、この証言は採用できない」と述べています。もしかすると、実際にはきちんと血圧を測り、圧痛点の診察もしていたのかもしれませんが、カルテにそのことを記載しなかったがために、(基本的な診察をしていないではないかという)裁判官の心証形成に相当影響したと思います。やはり、医事紛争に巻き込まれた時には、きちんと事実を記載したカルテが自分の身を守る最大の証拠であることを、肝に銘じなければならないと痛感しました。と同時に、最近では外来診察時に検査データばかりを重視して、血圧をはじめとするバイタルサインを測定しない先生方が増えているという話をよく耳にします。最先端の診断機器を駆使して難しい病気を診断するのも重要ではありますが、風邪とか虫垂炎といようなありふれた疾患などにおいても、けっして高をくくらずに、医師としての基本的な診察はぜひとも忘れないようにしたいと思います。2. 帰宅させる時の条件患者さんを帰宅させるにあたって担当医師は、「腹痛で来院した患者ではあるが、ブスコパン®の静注によって症状は軽減したし、白血球は14,000と高値だけれどもほかに所見がないので、まあ大丈夫だろう。「何かあったらすぐに来院しなさい」とさえいっておけば心配はない症例だ」という認識であったと思います。そして、裁判官も、帰宅させたこと自体は当時の状況からして無理からぬと判断しているように、今回の判決は担当医師にとっては厳しすぎるという見方もあると思います。ところが、実際には白血球14,000という炎症所見を放置したために、診察から約半日後に死亡するという事態を招くことになりました。判決にもあるとおり、もし抗菌薬を当初から処方していれば、死亡という最悪の結果にはならなかった可能性は十分に考えられますし、抗菌薬を処方したにもかかわらず死亡した場合には、医療過誤として問われることはなかったかもしれません。このように、結果的にみれば白血球14,000という検査データをどの程度深刻に受け止めていたのかが最大の問題点であったと思います。もちろん、安易に抗菌薬を処方するのは慎むべきことですが、腹痛、そして、白血球14,000という炎症所見がありながら自宅で経過観察する際の対処としては、抗菌薬の処方が正しい判断であったと思います。■腹痛を主訴として来院した患者さんが急死に至る原因(1)急性心筋梗塞(2)大動脈瘤破裂という2つの疾患が潜んでいる可能性があることを忘れてはならないと思います。とくに典型的な胸痛ではなく腹痛で来院した急性心筋梗塞のケースで、ブスコパン®注射が最後のとどめを刺す結果となって、医療側の責任が厳しく追及された事例が散見されますので、腹痛→ブスコパン®という指示を出すときにはぜひとも注意が必要です。消化器

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偽膜性大腸炎を診断できずに死亡に至ったケース

消化器最終判決判例時報 1654号102-111頁概要高血圧性小脳出血を発症した65歳男性、糖尿病、腎障害、および軽度の肝障害がみられていた。発症4日目に局所麻酔下にCT定位脳内血腫吸引術を施行し、抗菌薬としてセフォタキシムナトリウム(商品名:クラフォラン)、ピペラシリンナトリウム(同:ペントシリン)を開始した。術後2日目から下痢が始まり、術後4日目から次第に頻度が増加し、38℃台の発熱と白血球増多、CRP上昇など、炎症所見が顕著となった。術後6日目にはDICが疑われる状態で、腎不全、呼吸・循環不全となり、術後12日目に死亡した。解剖の結果、空腸から直腸にかけて著しい偽膜性大腸炎の所見が得られた。詳細な経過患者情報65歳男性経過1991年3月2日11:00頃法事の最中に眩暈と嘔吐を来して歩行不能となり、近医を経てA総合病院脳神経外科に搬送され、頭部CTスキャンで右小脳出血(血腫の大きさは3.8×2.5×2.0cm)と診断された。意識清明であったが言語障害があり、脳圧降下薬の投与、高血圧の管理を中心とした保存的治療が行われた。3月6日若干の意識障害、右上肢の運動失調がみられたため、局所麻酔下にCT定位脳内血腫吸引術が行われた。術後感染防止のため、第3世代セフェム(クラフォラン®)、広域ペニシリン(ペントシリン®)の静注投与が行われた。3月8日焦げ茶色の下痢と発熱。腰椎穿刺では髄膜炎が否定された。3月9日白血球15,000、CRP 0.5。3月10日下痢が5回あり、ロペラミド(同:ロペミン)投与(以後も継続された)。3月11日下痢が3回、白血球42,300、CRP 3.9。敗血症を疑い、γグロブリン追加。胸部X線写真異常なし、血液培養陰性。3月12日下痢が3回、チェーンストークス様呼吸出現。3月13日下痢が2回、血圧低下、腎機能低下、人工呼吸器装着、播種性血管内凝固症候群を疑い、メシル酸ガベキサート(同:エフオーワイ)開始。抗菌薬をアンピシリン(同:ビクシリン)、第3世代セフェム・セフタジジム(同:モダシン)、ミノサイクリン(同:ミノマイシン)に変更。以後徐々に尿量が減少して腎不全が進行し、感染や血圧低下などの全身状態悪化から人工透析もできないままであった。3月18日死亡。死体解剖の結果、空腸から直腸にかけて、著しい偽膜性大腸炎の所見が得られ、また、エンドトキシン血症の関与を示唆する肝臓小葉中心性新鮮壊死、著しい急性肝炎、下部尿管ネフローシス(ショック腎)が認められたため、偽膜性大腸炎により腸管の防御機能が障害され、細菌が血中に侵入し、その産生するエンドトキシンによる敗血症が惹起されエンドトキシンショックとなって急性循環不全が引き起こされた結果の死亡と判断された。当事者の主張患者側(原告)の主張小脳出血は保存的に様子をみても血腫の自然吸収が期待できる症状であり、手術の適応がなかったのに手術を実施した。1.死因クラフォラン®およびペントシリン®を中心として、このほかにビクシリン®、モダシン®、ミノマイシン®などの抗菌薬を投与されたことによって偽膜性大腸炎を発症し、その症状が増悪して死亡したものである2.偽膜性大腸炎について3月10~13日頃までには抗菌薬に起因する偽膜性大腸炎を疑い、確定診断ができなくても原因と疑われる抗菌薬を中止し、偽膜性大腸炎に効果があるバンコマイシン®を投与すべきであったのに怠った。さらに偽膜性大腸炎には禁忌とされているロペミン®(腸管蠕動抑制剤)を投与し続けた病院側(被告)の主張高血圧性小脳出血の手術適応は、一般的には血腫の最大経が3cm以上とされており、最大経が3.8cmの小脳出血で、保存的加療を行ううちに軽い意識障害および脳幹症状が発現し、脳ヘルニアへの急速な移行が懸念されたため、手術適応はあったというべきである。1.死因初診時から高血圧性腎症、糖尿病性腎症、感染によるショックなどの基礎疾患を有し、これにより腎不全が進行して死亡した。偽膜性大腸炎の起炎菌Clostridium difficileの産生する毒素はエンテロトキシンおよびサイトトキシンであるから、本件でみられたエンドトキシン血症は、偽膜性大腸炎に起因するとは考えがたい。むしろエンドトキシンを産生するグラム陰性桿菌が腸管壁を通過し、糖尿病、肝障害などの基礎疾患により免疫機能が低下していたため、敗血症を発症し、多臓器不全に至ったものと考えられる2.偽膜性大腸炎について偽膜性大腸炎による症状は、腹痛、頻回の下痢(1日30回にも及ぶ下痢がみられることがある)、発熱、腸管麻痺による腹部膨満などであり、検査所見では白血球増加、電解質異常(とくに低カリウム血症)、低蛋白血症などを来す。本件の下痢は腐敗性下痢である可能性や、解熱薬の坐薬の影響が考えられた。本件の下痢は回数的にみて頻回とまではいえない。また、腹痛や腹部膨満はなく、血清カリウム値はむしろ上昇しており、白血球やCRPから炎症所見が著明であったので肺炎や敗血症は疑われたものの、偽膜性大腸炎を疑うことは困難であった裁判所の判断1. 死因本件ではClostridium difficileの存否を確認するための検査は行われていないが、抗菌薬以外に偽膜性大腸炎を発生させ得る具体的原因は窺われず、また、偽膜性大腸炎はClostridium difficileを起炎菌とする場合がきわめて多いため、本件で発症した偽膜性大腸炎は抗菌薬が原因と推認するのが合理的である。そして、Clostridium difficileにより発生した偽膜性大腸炎により腸管の防御機能が障害され、腸管から血中にグラム陰性菌が侵入し、その産生するエンドトキシンにより敗血症が惹起され、ショック状態となって急性循環不全により死亡したものと推認することができる。2. 偽膜性大腸炎について一般的に医師にはさまざまな疾病の発生の可能性を考慮して治療に従事すべき医療専門家としての高度の注意義務があるのであって、本件の下痢の状況や白血球数などの炎症反応所見の推移は、かなり強く偽膜性大腸炎の発生を疑わせるものであると評価するのが相当である。病院側の主張する事実は、いずれも偽膜性大腸炎が発生していたことを疑いにくくする事情ではあるが、ロペミン®により下痢の回数がおさえられていた可能性を考慮して下痢の症状を観察するべきであった。そのため、3月11日から翌12日午前中までには偽膜性大腸炎が発生していることを疑うことが可能であり、その時点でバンコマイシン®の投与を開始し、かつロペミン®の投与を中止すれば、偽膜性大腸炎を軽快させることが可能であり、エンドトキシンショック状態に陥ることを未然に回避できた蓋然性が高い。2. 手術適応について高血圧性小脳出血を手術するべきであったかどうかの判断は示されなかった。原告側合計3,700万円の請求に対し、2,354万円の判決考察このケースは、脳外科手術後にみられた「下痢」に対し、かなり難しい判断を要求していると思います。判決文を読んでみると、頻回の下痢症状がみられたならばただちに(少なくとも下痢とひどい炎症所見がみられた翌日には)偽膜性大腸炎を疑い、確定診断のために大腸内視鏡検査などができないのならば、それまでの抗菌薬や止痢薬は中止してバンコマイシン®を投与せよ、という極端な結論となっています。もちろん、一般論として偽膜性大腸炎をまったく鑑別診断に挙げることができなかった点は問題なしとはいえませんが、日常臨床で抗菌薬を使用した場合、「下痢」というのはしばしばみられる合併症の一つであり、その場合程度がひどいと(たとえ偽膜性大腸炎を起こしていなくても)頻回の水様便になることはしばしば経験されます。そして、術後2日目にはじめて下痢が出現し、術後4日目から下痢が頻回になったという状況からみて、最初のうちは単純な抗菌薬の副作用による下痢と考え、止痢薬を投与するのはごく一般的かつ常識的な措置であったと思います。その上、術後に発熱をみた場合には腸以外の感染症、とくに脳外科の手術後であったので髄膜炎や肺炎、尿路感染症などをまず疑うのが普通でしょう。そのため、担当医師は術後2日目には腰椎穿刺による髄液検査を行っていますし(結果は髄膜炎なし)、胸部X線写真や血液検査も頻回に調べていますので、一般的な注意義務は果たしているのではないかと思います。ところが判決では、「頻回の下痢が始まった翌日の3月11日から3月12日午前中までには偽膜性大腸炎が発生していることを疑うことが可能であった」と断定しています。はたして、脳外科の手術後4日目に、頻回に下痢がみられたから即座に偽膜性大腸炎を疑い、発熱が続いていてもそれまでの抗菌薬をすべて中止して、バンコマイシン®だけを投与することができるのでしょうか。この時期はやはり脳外科術後の髄膜炎がもっとも心配されるので、そう簡単には抗菌薬を止めるわけにはいかないと考えるのがむしろ脳外科的常識ではないかと思います。実際のところ、脳外科手術後に偽膜性大腸炎がみられるのは比較的まれであり、それよりも髄膜炎とか肺炎の発症率の方が、はるかに高いのではないかと思います。にもかかわらず、まれな病態である偽膜性大腸炎を最初から重視するのは、少々危険な考え方ではないかという気までします。あくまでも推測ですが、脳外科の専門医であれば偽膜性大腸炎よりも髄膜炎、肺炎の方をまず心配するでしょうし、一方で消化器内科の専門医であればどちらかというと偽膜性大腸炎の可能性をすぐに考えるのではないかと思います。以上のように、本件は偽膜性大腸炎のことをまったく念頭に置かなかったために医療過誤とされてしまいましたが、今後はこの判例の考え方が裁判上のスタンダードとなる可能性が高いため、頻回の下痢と発熱、著しい炎症所見をみたならば、必ず偽膜性大腸炎のことを念頭に置いて検査を進め、便培養(嫌気性培養も含む)を行うことそして、事情が許すならば大腸内視鏡検査を行って確定診断をつけておくこと通常の抗菌薬を中止するのがためらわれたり、バンコマイシン®を投与したくないのであれば、その理由をきちんとカルテに記載することというような予防策を講じないと、医師側のミスと判断されてしまうことになると思います。なお本件でもう一つ気になることは、本件では手術直後から予防的な抗菌薬として、2種類もの抗菌薬が使用されている点です。クラフォラン®、ペントシリン®はともに髄液移行の良い抗菌薬ですので、その選択には問題ありません。しかし、手術時には明らかな感染症は確認されていないようなので、なぜ予防的な抗菌薬を1剤ではなくあえて2剤にしたのでしょうか。これについてはいろいろとご意見があろうかと思いますが、ことに本件のようなケースを知ると、抗菌薬の使用は必要最小限にするべきではないかと思います。消化器

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第25回 診断の見落とし!? チーム医療の落とし穴

■今回のテーマのポイント1.血液疾患で、一番訴訟が多い疾患は悪性リンパ腫であり、争点としては、診断の遅れが多い2.ただし、非特異的な原発巣を持つ悪性リンパ腫の診断が困難であることについて、裁判所は理解を示している3.今後、チーム医療が推進される中で、複数の専門科にまたがる領域の責任の所在を明らかにしていく必要がある■事件のサマリ原告患者Xの家族被告Y病院およびA医師争点診断の遅れ、見落とし結果原告一部勝訴、約550万円の損害賠償(結審)事件の概要73歳男性(X)。Xは、平成9年5月頃から下腹部に重苦しい痛みを訴えるようになり、他病院で検査を受けるなどしていましたが、腹痛の原因は特定できませんでした。そして、同年8月頃から、食欲不振も出現するようになり、約3ヵ月間で6kgの体重減少をみとめました。そのため、Xは、同年9月12日、精査加療目的にてY病院に入院しました(主治医A医師)。9月25日に撮影した腹部CTを読影した放射線科のB医師は、「仙骨前面に接し、辺縁明瞭で整な1 × 2cmの薄く染まる固まりを認め、内部は均一な染まり方で、硬化や脂肪の染まり方は認めない。MRIにて精査してください」とし、後腹膜腫瘤であり、悪性疾患を除外する必要があると診断しました。しかし、Xの腹痛は徐々に改善してきたこと、Xが自営している業務が忙しく退院を希望したことから、診断がつかないまま、10月5日に退院となり、外来にて検査を継続することとなりました。Xに右尿管結石が疑われたことから、Y病院の泌尿器科医より依頼を受け、10月9日に撮影した骨盤CTを読影した放射線科医師のC医師は、「スキャンの範囲内の尿管に一致するような明らかな放射線不透過の部分は指摘できず、DIP(点滴注入腎盂造影法検査)で指摘されている尿管の狭窄部に明らかな塊状の病変や壁肥厚は認めず、通過は保たれており、明らかなリンパ節腫大は認めない」として、正常範囲内であると診断しました。また、同月20日に撮影した腹部MRIを読影したC医師は、「上部直腸からS状結腸にかけて約10cmにわたる全周性の著明な壁肥厚、内腔に液体の貯留を認め、がんを否定できず、注腸及び大腸ファイバーでの精査が必要です。腫瘤マーカーをチェックしてください。総腸骨動脈分岐部やや右側に径1.5cmの腫大リンパ節が疑われます」として、直腸の壁肥厚(要精査)、リンパ節腫大と診断しました。主治医であるA医師は、腹痛も持続しており、貧血も出現していることから入院を勧めたものの、Xは拒否しました。11月26日、注腸造影検査を行ったところ、「回腸末端部に憩室が数個認められるが、直腸ないし回腸末端まで通過は良好で、その他に問題はない」とのことでしたが、翌平成10年1月12日に大腸内視鏡検査の予約をしました。ところが、平成10年1月9日、Xの腹痛は増悪し、黒色便を認めたことから、Y病院外来を受診。腹痛が強かったため、Xは入院を希望しましたが、Y病院がベッド満床のためZ病院へ紹介入院することとなりました。Z病院に入院した午後5時頃、さらに腹痛が増強したため、腹部CTを撮影したところ、消化管穿孔を認め、同日、緊急手術が行われることとなりました。そして、切除された小腸および大腸の病理組織検査の結果、悪性リンパ腫と診断されました。その後、Xに対し、化学療法が開始されましたが、同年4月23日午前11時30分、小腸原発の悪性リンパ腫により死亡しました。後日、振り返って9月25日の腹部CT、10月9日の骨盤CTを見たところ、小腸またはS状結腸に最大径約5cmとなる壁の異常な肥厚が認められました(9月25日腹部CTにてB医師が指摘したものとは別の腫瘤影)。これに対し、Xの遺族は、9月25日の腹部CTまたは10月9日の骨盤CTにおいて見落としをした結果、悪性リンパ腫の診断が遅れたとして、Y病院および主治医であったA医師に対し、約4,060万円の損害賠償請求を行いました。事件の判決1. 9月25日腹部CT(1)放射線科医B医師の責任:有責「平成9年9月25日に施行されたコンピューター断層撮影(CT)の画像のみでは、異常な肥厚が認められる腸管の部位がS状結腸なのか小腸なのかも明らかでなく、具体的に回腸原発の悪性リンパ腫の疑いを指摘することは困難である。しかし、上記のとおり、この画像が示す腸管壁の異常な肥厚は、大腸又は小腸の著明な炎症性病変又は腸管の悪性腫瘍の可能性を示すものであり、悪性腫瘍であればXに重篤な結果がもたらされるおそれがあること、当時のXの臨床症状が、悪性リンパ腫を含む悪性腫瘍としても矛盾しない所見であったこと、コンピューター断層撮影(CT)の直前にXの腹部に腫瘤様のものが触知されていたことなどをも考え併せれば、同コンピューター断層撮影(CT)を行った被告病院の医師らは、平成9年9月25日当時、悪性リンパ腫を含めた悪性腫瘍又は炎症性病変の可能性を考えて、速やかに確定診断に至るべく、必要な検査に着手するなどの措置を執るべき注意義務を負担していたというべきである。・・・(中略)・・・同コンピューター断層撮影(CT)所見においてこの腫瘤状陰影につき指摘せず、必要な検査、具体的には注腸検査又は大腸内視鏡検査の施行も勧告しなかったものと認められる。したがって、B医師は、Xの悪性腫瘍又は炎症性病変の可能性につき、速やかに確定診断に至るべく、必要な措置を執るべき上記注意義務に違反したと認められる」(2)主治医A医師の責任:有責「被告A医師は、上記コンピューター断層撮影(CT)画像を慎重に確認せず、B医師の所見のみに従い、上記最大径5センチメートルの腫瘤状陰影が著明な炎症性病変又は腸管の悪性腫瘍の可能性を示しており、Xに重篤な結果がもたらされるおそれがあることに思い至らなかったものと考えられ、上記注意義務に違反したものと認められる」2. 10月9日骨盤CT(1)放射線科医C医師の責任: 無責「確かに、証拠によれば、同骨盤腔コンピューター断層撮影(CT)画像上、同年9月25日施行の腹部コンピューター断層撮影(CT)上の最大径5センチメートルの腫瘤状陰影と同一のものであると思われる腫瘤状陰影が描出されていることが認められる。しかし、上記認定のとおり、C医師は、被告病院泌尿器科から、Xの右尿管における石及びリンパ節腫大の有無の精査の依頼を受けて、上記コンピューター断層撮影(CT)を施行し、尿管の狭窄部に明らかな塊状の病変及び壁肥厚や明らかなリンパ節腫大は認められないとして、正常範囲内であると診断したのであり、被告病院泌尿器科から依頼を受けた放射線科医師として、その依頼の趣旨に従い、主にXの尿管等につき診断したのであるから、上記骨盤腔コンピューター断層撮影(CT)上の腫瘤状陰影について何ら指摘しなかったとしても、C医師の診療行為が不法行為を構成するものとはいえない」(2)主治医A医師の責任:無責「上記のとおり、平成9年10月9日に施行された骨盤腔コンピューター断層撮影(CT)は、C医師が、被告病院泌尿器科から依頼されて行ったものであり、証拠によれば、被告病院内科の診療録上には、同骨盤腔コンピューター断層撮影(CT)に関する記載はないと認められるから、被告A医師が、当時、この検査結果を具体的に認識していたのか否かも明らかではなく、この時点における被告A医師の新たな注意義務違反は認められない」(*判決文中、下線などは筆者による加筆)(大阪地判平成15年12月18日判タ1183号265頁)ポイント解説■血液疾患の訴訟の現状今回は、血液疾患です。血液疾患で最も訴訟となっているのは悪性リンパ腫です(表1)。原告勝訴率が高かったにもかかわらず平成16年から約8年間判決が途絶えているのが特徴的といえます。その理由として、悪性リンパ腫は、専門性が非常に高く、医療の進歩によりずいぶんと改善しているものの、生命予後が悪いことから、患者が死亡しているにもかかわらず、認容額が低く(平均680万円)なってしまうため、弁護士として着手しづらいことが一因として考えられます(表2)。本事例においても、過失は認められたものの、「仮に上記不法行為がなくXに対する検査が順調に進んで平成10年1月10日より前に化学療法が開始された場合には、Xに対する化学療法が奏効して救命又は延命できた可能性があることは否定できないものの、化学療法が奏効して救命又は延命できたことまで、確信を持ち得る程の高い蓋然性で立証できたとはいえない」とされ、死亡との間の因果関係は否定されました。その結果、第4回で解説した「相当程度の可能性」のみが認められ、550万円の認容額にとどまることとなりました。悪性リンパ腫の訴訟において、最も多く争われているのが診断の遅れです(表2)。特に非特異的な原発巣を持つ悪性リンパ腫の診断が遅れた場合に争われる傾向があります。ただ、その一方で、非特異的な原発巣である場合には、当然、診断が困難であることから、過失が認められにくくなっており、原告勝訴率は低くなっています。裁判所は妥当な判断をしているといえそうです。■信頼の原則第21回で解説したように、チーム医療においては、それぞれの専門領域については、各専門家が責任を負うこととなり、原則として他の職種が連帯責任を負うことはありません。これを法的にいうと「信頼の原則」*といいます。*「行為者は、第三者が適切な行動に出ることを信頼することが不相当な事情がない場合には、それを前提として適切な行為をすれば足り、その信頼が裏切られた結果として損害が生じたとしても、過失責任を問われることはない」という原則本件では、賛否はともかく、結果として、9月25日の腹部CTにおいて、放射線科医が病変を見落としています。仮に放射線科医に過失があったとしても、そのレポートを信頼した主治医(A医師)にまで責任は及ぶのでしょうか。第21回に解説したとおり、薬剤師による処方箋の確認は、薬剤師法上求められていることから、信頼の原則が適用されません。一方、まったくの専門外の領域について紹介受診してもらい、専門科の医師より回答がきた場合、原則として、その回答を信頼することは許容されると考えられています。例えば、糖尿病の患者の網膜症について眼科医に紹介し、問題がない旨の回答を得られた以上、振り返って眼底写真を見れば網膜剥離が認められていたとしても、眼科医に責任があるか否かはともかく、紹介した内科医に責任はないと考えられています。しかし、胸部X線写真やCT、MRIといった放射線科医でなくてもある程度の読影が求められても不当ではない領域について、どこまで信頼の原則が適用されるか。すなわち、自ら責任を持って確認しなければならないかとなると微妙な問題となります。残念ながら本件では、A医師の代理人弁護士が信頼の原則を主張していなかったため、CTの読影について、信頼の原則が働くか否かの司法判断は得られませんでした。ただ、10月9日の骨盤CTにつき、A医師には責任が認められなかったことから、少なくとも、他科によって独自に行われた検査結果までを確認する義務はないとはいえそうです。今後、チーム医療が推進されるに当たり、複数の専門家にまたがる領域において誰に責任の所在があるのか、司法判断が待たれるところといえます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)大阪地判平成15年12月18日判タ1183号265頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。

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肝硬変患者の経過観察を十分に行わず肝細胞がんを発見できなかったケース

消化器最終判決判例タイムズ 783号180-190頁概要12年以上にわたって開業医のもとに通院し、糖尿病、肝硬変などの治療を受けていた55歳の男性。ここ1年近く、特段の訴えや所見もないために肝機能検査および腫瘍マーカーのチェックはしていなかった。ところが久しぶりに施行した肝機能検査・腫瘍マーカーが異常高値を示し、CT検査を受けたところ肝左葉全体を埋め尽くす肝細胞がんが発見された。急遽入院治療を受けたが、異常に気づいてから3ヵ月後に死亡した。詳細な経過患者情報55歳男性経過1973年 糖尿病にて総合病院に45日間入院。9月3日当該診療所初診。診断は糖尿病、肝不全。1982年5月26日全身倦怠感、体重減少(61→51kg)を主訴に総合病院外来受診。6月1日精査治療目的で入院となり、肝シンチ、腹部エコー、上部消化管造影、血液検査、尿検査などの結果、糖尿病、胆石症、肝硬変、慢性膵炎と診断された。7月10日肝臓の腹腔鏡検査を予定したが、度々無断外出したり、窃盗容疑で逮捕されるなどの問題があり、強制退院となった。9月6日診療所の通院を月1~4回の割合で再開。その間ほぼ継続してキシリトール(商品名:キシリット)、肝庇護薬グリチルリチン・グリシン・システイン(同:ケベラS)、ビタミン複合剤(同:ネオラミン3B)、ビタミンB12などの点滴とフルスルチアミン(同:アリナミンF)、血糖降下薬ゴンダフォン®、ビタミンB12(同:メチコバール、バンコミン)などの投薬を続ける。食事指導(お酒飲んだら命ないで)や生活指導を実施。ただし、肝細胞がんと診断されるまでのカルテには、検査指示および処方の記載のみで、診察内容(腹水の有無、肝臓触知の結果など)の記載はほとんどなく、1982年9月6日から1986年2月19日までの3年5ヵ月にわたって腹部超音波、腹部CT、肝シンチなどの検査は1回も実施せず。1982年~1984年肝機能検査(GOT、GPT、γ-GTP)、AFP測定を不定期に行う。1984年9月4日AFP(-):異常高値となるまでの最終検査。1985年 高血糖(379-473)、貧血(Hb 10.5)がみられたが、特段治療せず。1986年2月15日γ-GTP 414と高値を示したため、肝細胞がんをはじめて疑う。2月19日1年5ヵ月ぶりで行ったAFP測定にて638と異常高値のため、総合病院にCT撮影を依頼。腹水があり、肝左葉はほぼ全体が肝細胞がんに置き変わっていた。門脈左枝から本幹に腫瘍血栓があり、予後は非常に不良であるとの所見であった。2月21日家族に対し、「肝細胞がんに罹患しており、長くもっても7ヵ月、早ければ3ヵ月の余命である」ことを告知し、同日以降、抗がん剤であるリフリール®やウロキナーゼを点滴で投与した。2月25日当該診療所を離れ総合病院に入院し、肝細胞がんの治療を受けた。5月17日肝硬変症を原因とする肝細胞がんにより死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.早期発見義務違反1982年9月6日から肝硬変の診断のもとに通院を再開し、肝細胞がん併発の危険性が大きかったのに、1986年2月まで長期間検査をしなかった2.説明義務違反1986年に手遅れとなるまで、肝臓の障害について説明せず、適切な治療を受ける機会を喪失させた3.全身状態管理義務違反1985年中の出血を疑わせる兆候や高血糖状態があったのに、これらを看過したこのような義務違反がなければ、死亡することはなかったか、仮に死を免れなかったとしても少なくとも5年間の延命の可能性があった。病院側(被告)の主張過重な仕事と不規則な生活を続け、入院勧告にも応じなかったことが問題である。1985年中に肝細胞がんを発見できたとしても、もはや切除は不可能であったから、死亡は不可避であった。裁判所の判断説明義務違反医師は肝硬変に罹患していたことを説明し、安静を指示していたことが認められるため、その違反はないとした。全身状態管理違反血糖値の変化は生活の乱れによる可能性も高く、必ずしも投薬によって対処しなければならない状況にあったか否かは明らかではないし、出血の点についても、肝硬変の悪化にどのような影響を与えたのか不明であるため、その違反があるとは認められない。早期発見義務肝硬変があり肝細胞がんに移行する可能性の高い症例では、平均的開業医として6ヵ月に1回程度は肝機能検査、AFP検査、腹部超音波検査を実施するべきであったのに、これを怠った早期発見義務違反がある。しかし、肝細胞がんが半年早く発見され、その時点でとりうる治療手段が講じられたとしても、生存可能期間は1~2年程度であったため、医師が検査を怠ったことと死亡との間には因果関係はない。つまり、検査義務違反がなく早期に肝細胞がんに対する治療が実施されていれば、実際の死期よりもさらに相当期間、生命を保持し得たものと推認することができるため、延命利益が侵害されたと判断された。1,000万円の請求に対し、240万円の支払命令考察今回のケースでは、12年以上にわたってある開業医のところへ定期的に通院していた患者さんが、必要な検査が行われず肝細胞がんの発見が遅れたために、「延命利益を侵害された」と判断されました。今までの裁判では、医師の注意義務違反と患者との死亡との因果関係があるような場合に損害賠償(医療過誤)として支払いが命じられていましたが、最近になって、死亡に対して明確に因果関係がないと判断されても、医師の注意義務違反が原因で延命が侵害されたことを理由として、慰謝料という形で医師に支払いを命じるケースが増加しています。本件でも、「平均的開業医」として当然行うべき種々の検査を実施しなかったことによって、肝細胞がんの発見が遅れたことは認めたものの、肝細胞がんという病気の性質上、根治は難しいと判断され、たとえきちんと検査を実施していても死亡は避けられなかったと判断しています。つまり、適切な時期に適切な検査を定期的に実施し、患者の容態を把握しているかという点が問題視されました。肝細胞がんは年々増加してきており、臓器別死亡数でみると男性で第3位、女性で第4位となっています。なかでも肝細胞がんの約93%が肝炎ウイルス(HCV抗体陽性、HBs抗原陽性)を成因としています。また、原発性肝がんの剖検例611例中、84%が肝硬変症を合併していたという報告もあり、肝硬変患者を外来で経過観察する時には、肝細胞がんの発症を常に念頭におきながら、診察、検査を進めなくてはいけません。消化器

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急性喉頭蓋炎を風邪と診断して死亡に至ったケース(2)

救急医療最終判決判例時報 1510号144-150頁概要発熱、喉の痛みを主訴に内科開業医を受診した45歳男性。急性気管支炎、扁桃腺炎と診断して解熱鎮痛薬などを投与した。帰宅後状態は改善せず息苦しくなり、薬も喉をつかえて飲み込むことができないため約2時間後に再度受診、ネブライザーなどの処置が行われた。しかし、病状は急激に進行性のため救急センターへの転院を手配し、約10分後に到着したものの、その時点で心肺停止状態。救急蘇生には反応せず、死亡確認となった。詳細な経過患者情報45歳男性経過1986年5月8日17:3045歳男性、3日前からの37℃程度の発熱、喉の痛み、易疲労感を主訴に救急指定の内科開業医を受診。診察の結果、体温37.0℃、扁桃腺が赤く腫れていたが、呼吸音には異常はなく、急性気管支炎、扁桃腺炎と診断し、扁桃へのルゴール®塗布、解熱消炎薬プラノプロフェン(商品名:ニフラン)などの内服を3日分投与し帰宅させた。19:30帰宅後も症状は改善せず、薬も喉をつかえて飲み込めず、息が苦しくなり、妻が開業医へ電話したところ、看護師からすぐに来院するようにいわれた。19:55再度診察。問診に対し「息苦しい」と答えるのがやっとであり、聴診の結果弱い乾性ラ音を聴取した。呼吸は荒く起座呼吸であったので、ネブライザー(イソプレナリン 同:アスプール2mL、チロキサポール 同:アレベール1mL)吸入をしたが改善なし。そのため肺水腫、咽後膿瘍、喉頭浮腫などの重篤な疾患を疑い、救急センターへの転院を手配した。その際、救急車の利用は時間がかかる恐れがあったので、妻の運転する乗用車で搬送することにし、担当医は自ら自動車を運転して同行した。20:25約10分で救急センターに到着。搬入時意識はなく心肺停止状態。ただちに気管内挿管などの救急蘇生術が行われたが効果なし。21:30死亡確認。当事者の主張患者側(原告)の主張1.呼吸困難、起座呼吸の患者に対し、十分な問診・全身状態の観察を行わなかった2.咽頭や喉頭を喉頭鏡などを用いて観察しなかったため重症度・緊急度を判断できず、放置すれば搬送中に気道閉塞・窒息する危険があることを予知できなかったその結果、自ら気管内挿管を行うか、救急車に同上して気道確保の措置をするべきであったのに、漫然と患者を搬送させたために死亡に至った。病院側(被告)の主張1.救急車を呼んで搬送するよりも、ただちに自家用車で出発したほうが救急センターへの到着が早いと判断したのは、医師の裁量範囲に属することである2.内科医師に耳鼻咽喉科医師が扱う間接喉頭鏡や喉頭ファイバースコープの使用を期待するのは医療水準を越えている3.当時喉頭展開用の喉頭鏡はあったが、人的物的設備を備えていない状況では使用困難であった4.独歩で来院し、意識障害やチアノーゼがない患者が、その後30分以内に喉頭浮腫による気道閉塞・窒息となることを予見するのは不可能であった裁判所の判断2回目の受診の際に、呼吸困難を訴える患者に当然要求される診察(呼吸、脈拍、血圧、意識状態やチアノーゼの有無など)を怠ったため、患者の重症度や緊急性の判定ができず、呼吸困難の急激な進行により窒息状態に陥る可能性を予見できなかった注意義務違反がある。しかも、気道確保の準備をして救急車を要請し自ら同乗していれば救命の可能性があったため、死亡という結果に対する過失があるといわざるを得ない。原告側合計1億2,009万円の請求に対し、7,282万円の判決考察このケースは前出の「急性喉頭蓋炎を風邪と診断して死亡に至ったケース(1)」と同様、一見「単なる風邪だろう」という印象を受けても、なかには急激に死亡に至るきわめて危険なケースがあることを示す教訓的な事例だと思います。本件の担当医師は、「自分の手には負えない」ということを察知して救急センターに電話を入れ、受け入れ体制を確認したところまでは適切でしたが、救急車を要請しなかった点が最大の問題点でした。もし、その当時ほかの患者さんが大勢待っていて、医院を空けることがためらわれたのであればまだしも、わざわざ自らの自動車を運転して「一刻も早く患者を救急センターに転送するため、患者の妻が運転する自動車のあとを追尾した」ということでしたので、どちらかというととても親切な医師という印象さえ受けます。しかし、せっかく患者に付き添って転送するのであれば、自家用車で搬送するよりも救急車を要請した方が酸素、吸引装置などの設備の面からいって有利なのはいうまでもありません。そして、もし救急車を要請して自らが気管内挿管などの救急蘇生を行っていれば、たとえ最悪の結果になろうとも、これほど高額の判決には至らなかった可能性が考えられます。今回のケースから得られる教訓としては、(1)一見風邪と思われる症例にも、急死に至る危険なケースが含まれていること(2)患者を搬送する場合には、可能な限り救急車を要請することと思われます。救急医療

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