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エキスパートに聞く!「プライマリケア医が診るがん」

プライマリケア医として、どういった基準(タイミング)で専門医へ紹介するべきでしょうか?がんの既往があるか、ないかで分ける必要があります。がんの既往がない患者さんの場合は、諸検査を行い、がんの疑いがある時に、紹介してくださると思います。時々、腫瘍マーカー高値で紹介してくださることがあります。腫瘍マーカーというのは、がんのスクリーニングには推奨されておりませんが、一般検診などで取入れられている場合があります。その場合は、偽陽性であることがありますが、まずは、専門医に紹介してくださってかまいません。がんの既往がある患者さんの場合には、治療後の場合と、治療中の場合に分けられます。手術などの治療後、つまり経過観察している場合には、再発の有無を見極める必要があります。患者さんは、ちょっとした症状で「再発ではないか?」と不安になることが多いのですが、実際患者さんの自覚症状・特に痛みなどの症状から再発が発見されるケースは稀です。がんの再発の多くは無症状のことが多いです。表在リンパ節腫大で発見されることもありますので、身体所見を取っていただきたいです。実際のところ、2~3日で軽快する症状であれば、がんの再発の症状とは考えにくいです。がんの再発を疑う自覚症状としては、持続する症状、徐々に悪化する症状かという2点だと思います。現在がんの治療中の場合:放射線治療を行っている患者さんは、放射線肺臓炎などの放射線有害事象、薬物治療を行っている方では抗がん剤有害事象に注意する必要があります。抗がん剤有害事象では、発熱性好中球減少症が最も注意すべき副作用です。発熱性好中球減少症は、エマージェンシーとなります。また、抗がん剤の最も頻度が高い副作用は、悪心・嘔吐ですが、まずは、一般的な吐き気止めで対処していただければよいと思います。嘔吐が強く脱水が懸念される場合などが紹介のタイミングといえるかも知れません。肺がんの低線量CTを検診に用いると発見率が上がるとの報告を聞きますが、エビデンスはあるでしょうか?ドラフトの段階ではあるもののUS Preventive Task Force(USPSTF:米国予防医学専門委員会)で、Grade Bのrecommendation を出しており、おそらく日本でも推奨グレードは上がってくると思われます。しかしながら、低線量CTが、全ての人に推奨されるのではありません。低線量CTを推奨するきっかけとなった、ランダム化比較試験の対象は、年齢が、55~74歳、喫煙歴が30 pack-year以上(1日喫煙本数x 喫煙年数 ÷20)、または、15年以内に止めているが、それまで喫煙歴があるような、ハイリスクの方に対してのみに有効であったということは覚えておいていただきたいと思います。スパイラルCTのデメリットは偽陽性が出やすいことです。偽陽性が出てしまうとさらなる無駄な検査のみしてしまうことになるという訳です。今後もこの点については検討が必要だと思います。遺伝子検査はなぜ普及しないのでしょうか? 最近話題の乳がんのBRCA1/2遺伝子など一部の遺伝性がんの検査について、欧米諸国では保険適応となっています。この点は、日本は欧米諸国に比べ遅れている点と思います。この背景には認可の問題もあると思いますが、がん遺伝子カウンセラーの育成など体制が整っていないこともあげられるでしょう。在宅医療におけるネットワーク構築について、有効な手段とは?急性期病院と在宅ケアとで密な連携をはかっていくことは、今後のがん診療で最も重要なことと思います。がん緩和ケアの領域では、海外では、ホスピスや緩和ケア病棟は、急性期の症状緩和を担当する緩和ケアのICUのような役割を果たし、症状緩和が得られた時点で、地域の在宅ホスピスと連携をとっています。日本では、在宅で最期を迎える確率は10%、ホスピスが7%ですが、欧米先進諸国での、70~80%(在宅+ホスピスで死亡する割合)と比べると圧倒的に低い数字です。日本では、まだまだ急性期病院で終末期を迎える患者さんが多いことを意味しています。今後、急性期病院と在宅ケア、ホスピスとのさらなるネットワーク作りが必要になってくると思われます。最近の流れとしては、余命告知は行う方向へ向かっているのでしょうか。がんの診断を伝えることに関しては、我が国でもかなりの割合で、診断を伝えるようになってきたと思います。余命告知とは、がんの診断の告知とは大きく異なるものということを認識しなければなりません。余命告知で大きな問題は、多くの医者が、median survival(生存期間中央値)の値を余命と勘違いし、あなたの余命は○ヵ月ですと言っている場合が多いように思います。この数値については大いに注意するべきです。中央値とはご存知の通り、データを小さい順に並べたとき中央に位置する値であり、100人患者さんがいたら、50番目に亡くなった方の生存期間です。がんの生存期間は、患者さんによって非常にバラつきが大きく、正規分布をなさないために平均値ではなく、中央値を使っているだけです。裏を返せば、ある患者集団の生存期間中央値が6ヵ月であった場合、数ヵ月で亡くなる患者さんもいれば、ある患者さんは数年経過しても生きておられるということです。従って、生存期間中央値を患者さん個人の“余命”として当てはめることは、医学的にも間違っているのです。それだけでなく、患者には相当な誤解を与えます。余命6ヵ月と言われれば、患者さんは6ヵ月で自分は死んでしまうと考えます。ある患者さんは、自分は、死亡宣告をされたと、死亡推定日まで、自分の余命はあと、○日と指折り数えていました。中央値ではなく、最悪値としての余命を言う臨床医もいますが、やはり数字を言うことは、患者さんはかなり数字にとらわれてしまいがちですし、誤解も生じやすいため、数字を言うことは慎重にすべきです。可能性・確率を言わない断定的な余命告知することは患者さんを傷つけるだけだと思います。残念ながら、未だがん専門施設でも断定的な余命告知をしている現状があります。大切なことは余命告知ではありません。海外では、余命告知ということはあまり議論にはなっていません。余命というものが、不正確であり、予測不可能なことが多いからです。余命を患者さんに告げることよりも、end of life discussionと言って、どのように最後を迎えるか、どのように生きるかということについて、医療者と患者が話し合いをすることを、ASCO(米国臨床腫瘍学会)でも勧めています。日本でも、このことが必要だと思います。参考:腫瘍内科医 勝俣範之のブログ がん患者さんの食事について。生ものを避けるようにいわれますが、実際にはどのようにアドバイスしたらよいでしょうか?生ものについてのエビデンスなどはあるのでしょうか?生ものを摂取して感染症の発症率が上昇するというエビデンスはありません。ASCOでも、抗がん剤の最中に生ものを避ける必要はないと述べています。血液腫瘍など抗がん剤による強力な免疫抑制が懸念されるのでない限り、生ものでもなんでも好きなものを食べてください、と患者さんへアドバイスすべきでしょう。生ものを避けるより、口腔内に発生する細菌を考慮した口腔ケアの方が重要だと思います。なお、マスクの着用に関しても実はエビデンスはありません。自分の病原菌を周囲に散布しないようにすることはできますが、他人からの感染を予防できるというエビデンスはないのです。

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ジャクソンリースと気管切開チューブの接続不具合で死亡した乳児のケース

小児科最終判決平成15年3月20日 東京地方裁判所 判決概要生後3ヵ月乳児の気管切開術後に、a社製のジャクソンリース回路とT社製の気管切開チューブを接続して用手人工呼吸を行おうとしたところ、接続不具合のため回路が閉塞して換気不全に陥り、11日後に死亡した事故について、企業の製造物責任ばかりでなく、担当医師の注意義務違反が認定された。詳細な経過経過2000年12月8日体重1,645gで出生、呼吸障害がみられ、しばらく気管内挿管による人工呼吸器管理を受けた。2001年3月13日声門・声門下狭窄および気管狭窄を合併したため、手術室で気管切開術を施行。術後の安静を目的として筋弛緩薬が静脈注射され、自発呼吸がないままNICU病棟へ帰室することになった。その際、患児を病棟へ搬送するために、気管切開部に装着された気管切開チューブ(T社シャイリー気管切開チューブ小児・新生児用)にa社ジャクソンリース小児用麻酔回路を接続して用手人工呼吸を行おうとした。ところが、使用したジャクソンリースは新鮮ガス供給パイプが患者側接続部に向かってTピースの内部で長く突出したタイプであり、他方、シャイリー気管切開チューブは接続部の内径が狭い構造になっていたため、新鮮ガス供給パイプの先端が気管切開チューブの接続部の内壁にはまり込んで密着し、回路の閉塞を来した。そのため患児は換気不全によって気胸を発症し、全身の低酸素症、中枢神経障害に陥った。3月24日消化管出血、脳出血、心筋脱落・線維化、気管支肺炎などの多臓器不全により死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.企業の責任a社のジャクソンリースは、T社のシャイリー気管切開チューブに接続した時に呼吸回路が閉塞され、患者が換気不全に陥るという危険性を有していたにもかかわらず、適切な指示・警告を出さなかった。さらに1997年に愛媛大学医学部附属病院で、ジャクソンリースの新鮮ガス供給パイプとT社販売の人工鼻の閉塞による換気不全事故が2件発生している。人工鼻とジャクソンリース回路の接続の仕組みと、T社シャイリー気管切開チューブとジャクソンリース回路の接続の仕組みは同じであるから、a社、T社は閉塞の危険性を認識し得なかったとはいえない2.病院側の責任担当医師がジャクソンリースとシャイリー気管切開チューブの構造や特徴を理解し、組合せ使用時の構造や特徴に関心を持ち、呼吸回路の死腔量や換気抵抗を理解することに努めていれば、接続部の目視点検を行うことで接続部で閉塞していることを発見するのは可能かつ容易である。さらに今回使用したジャクソンリースとシャイリー気管切開チューブ以外の器具を選択する余地も十分にあったので、死亡という最悪の結果を回避することは可能であった本件事故と同一のメカニズムにより生じた接続不具合は、過去に麻酔科の専門誌や学会で発表され、ジャクソンリースの添付文書にも、不充分な内容ではあるが注意喚起がなされている。これらの情報を集約すれば、接続不具合は予見できない事象ではない。また、ジャクソンリース回路であればどれでも同じという発想で、医療器具の安全性よりも数を優先して導入したことが、被告病院の医療従事者らがジャクソンリースの構造や特徴を理解しないままに使用することにつながった医療器具製造業者側の主張a社の主張a社ジャクソンリースは、呼気の再吸入を防止するために新鮮ガス供給パイプを長くしたもので、昭和50年代終わり頃から同一仕様で販売されて10年以上も経過し、医療機関に広く採用されている。そのような状況で被告T社がシャイリー気管切開チューブを「標準型換気装置および麻酔装置と接続できる」と説明して販売したのであるから、a社ではなくT社がジャクソンリースとの不具合の発生回避対策を講じるべきであった。さらに病院が医療機関に通常要求される注意義務を尽くせば、不具合は容易に確認できたはずであるので、a社の過失はないT社の主張シャイリー気管切開チューブの接続部は、日本工業規格(JIS規格)に準拠し通常の安全性は満たしているから欠陥はない。シャイリー気管切開チューブは汎用性が高く、本国内はもとより世界中で数多く使用されている。また、当製品は接続する相手を特定して販売していたものではなく、a社ジャクソンリースのような特殊な形状を有した製品との接続は想定されていなかったまた愛媛大学の事故については、T社人工鼻と同様の接続部の形状をもつ製品はきわめて多いからその中のひとつにすぎないシャイリー気管切開チューブについて接続不具合を予見することは不可能であったさらに、医療現場において医療器具を創意工夫して使用することは医療従事者の裁量に任されており、その場合リスク管理上の責任も医療現場に委ねられるべきである。本件事故は、担当医師が基本的注意義務を怠り発生させたものであるから、医療器具の製造業者には責任がない。病院側(被告)の主張ジャクソンリース回路に気管切開チューブ類を接続して安全性を確認する点検方法は、一般には存在せず、いかなる医学専門書にもその方法に関する記載はない。また、気管切開チューブなどを接続した状態で点検を行えるテスト肺のような器具自体も存在しないうえ、器具を口に咥えて確認する方法も感染などの問題から行い得ない。したがって、ジャクソンリースと気管切開チューブとの組合せによる接続不具合を確認することは不可能であった。また、本件と類似の接続不具合事故についての安全情報は、企業からも厚生労働省からも医療機関に対し一切報告されなかった。また本件事故発生以前に、別の患児に対して同様の器具の組合せによる換気を600回以上行っているが、原疾患に起因すると考えられる気胸が2回発生した以外は何のトラブルもない。したがって担当医師は本件事故の発生を予見できなかった。裁判所の判断企業側の責任小児・新生児に対しジャクソンリース回路を用いて用手人工換気を行う場合、マスク、気管内チューブ(経口・経鼻用)、気管切開チューブなどの呼吸補助用具にジャクソンリース回路を組み合わせ、相互に接続して使用することが通常の使用形態であり、a社およびT社は、医療の現場においてジャクソンリース回路に他社製の呼吸補助用具が組み合わされて接続使用されている実態を認識していた。ところがa社の注意書には、換気不全が起こりうる組合せにつき、「他社製人工鼻など」と概括的な記載がなされているのみで、そこにシャイリー気管切開チューブが含まれるのか判然としないうえ、換気不全のメカニズムについての記載がないために、医療従事者が個々の呼吸補助用具ごとに回路閉塞のおそれを判断することは困難で、組合せ使用時の回路閉塞の危険を告知する指示・警告上の欠陥があったと認められ、製造物責任を負うべきである。同様にT社も、シャイリー気管切開チューブを販売するに当たり、その当時医療現場において使用されていたジャクソンリースと接続した場合に回路の閉塞を起こす危険があったにもかかわらず、そのような組合せ使用をしないよう指示・警告しなかったばかりか、使用説明書に「標準型換気装置および麻酔装置に直接接続できる」と明記し、小児用麻酔器具であるジャクソンリースとの接続も安全であるかのごとき誤解を与える表示をしていたので、シャイリー気管切開チューブには指示・警告上の欠陥があった。医療器具の製造・輸入販売企業には、医療現場における医療器具の使用実態を踏まえて、医療器具の使用者に適切な指示・警告を発して安全性を確保すべき責任があるので、たとえ医療器具を使用した医師に注意義務違反が認められても、企業が製造物責任を免れるものではない。病院側の責任小児科領域の呼吸管理においては、呼吸回路の死腔が大きいと換気効率が低下するため、死腔が小さい器具が用いられることが多いが、回路の死腔を小さくすると吸気・呼気の通り道が狭くなって換気抵抗が増加する関係にあることが知られている。そのため小児科医師は、ジャクソンリース回路と気管切開チューブを相互接続するに当たり、それぞれの器具につき死腔と換気抵抗に注意を払うのが一般的である。もし担当医師が、死腔を減らすために接続部内径が狭くなっているというシャイリー気管切開チューブの構造上の基本的特徴、および死腔を減らすために新鮮ガス供給パイプが患者側接続部に向かって長く伸びているというジャクソンリースの構造上の基本的特徴を理解していれば、両器具を接続した場合に、新鮮ガス供給パイプの先端が上記接続部の内壁にはまり込んで呼吸回路の閉塞を来し事故が発生することを予見することが可能であった。たとえ医学専門書に接続不具合の点検方法について記載がないからといって、ただちに結果回避の可能性がなかったということはできない。担当医師は、両器具が相互に接続された状態でその本来の目的に沿って安全に機能するかどうかを事前に点検すべき注意義務に違反したために起きた事故である。医師は人間の生命身体に直接影響する医療行為を行う専門家であり、その生命身体を委ねる患者の立場からすれば、医師にこの程度の知識や認識を求めることは当然であって、医師に理不尽や不可能を強いるものとは考えられない。原告側合計8,204万円の請求に対し、企業と連帯して合計5,063万円の支払い命令考察ジャクソンリースと気管切開チューブ接続不具合による死亡事故は、われわれ医療関係者からみて、当然医療器具を製造・販売した企業側がすべての責任を負うべきもの、と考えていたと思います。担当医師はミスとされるような間違った医療行為はしていませんし、どの医師が担当しても事故は避けられなかったと考えられます。もう一度経過を振り返ると、気管内挿管を継続していた生後3ヵ月の低出生体重児に、声門・声門下狭窄および気管狭窄がみられたため、全身麻酔下で耳鼻科医師が気管切開を行いました。手術後は安静を保つため筋弛緩薬を投与してNICUで管理することになり、小児科担当医師がNICUに常備していたジャクソンリースを携えて手術室まで出迎えにいきました。ところが、ジャクソンリースと気管切開チューブの接続不具合で気胸を起こしてしまい、最終的には死亡に至ったというケースです。ご遺族にとってはさぞかし無念であり残念な事故とは思いますが、出迎えにいった小児科医にとっても衝撃的な出来事であったと思います。あとから振り返ってみても、どこをどうすれば患児を助けることができたのか、という反省点を挙げにくいケースであると思います。小児科担当医師の立場では、筋弛緩薬により自発呼吸がない状態で帰室するため、用手人工喚気をする必要があり、となればNICUに常備していたジャクソンリースを用いるのが当然、ということになります。ジャクソンリースを携行する段階で、よもやこのジャクソンリースと気管切開チューブが接続不具合を起こすなど、100%考えていなかったでしょう。なぜなら、この医師がこの病院に勤務する以前から購入されていたジャクソンリースであったと思われるし、手術では耳鼻科医師がこの乳児に最適と思って選んだ気管切開チューブを装着したのですから、「接続がうまくいくのが当然」という認識であったと思います。まさか、接続がうまくいかない医療器具をメーカー側が作るはずはないし、製品として世に登場する前に、数々の臨床試験をくり返して安全性を確かめているはずだ、という認識ではないでしょうか。もし、この担当医師(小児科医師)がジャクソンリースを選定・購入する立場であったとしたら、院内で使用する呼吸器関連の器具との接続がうまくいくかどうか配慮する余地はあったと思います。しかし、もともとNICUに常備されているジャクソンリースに対し、「接続不具合が発生する気管切開チューブが存在するかどうか事前にすべて確認せよ」などということは、まったく医療現場のことを理解していない法律専門家の考え方としか思えません。ましてや、事故発生当時に企業や厚生労働省から、ジャクソンリースと気管切開チューブの接続不具合に関する情報は一切提供されていなかったのですから、事故前に確認する余地はまったくなかったケースであると思います。にもかかわらず、「医師は人間の生命身体に直接影響する医療行為を行う専門家であり、その生命身体を委ねる患者の立場からすれば、医師にこの程度の知識や認識を求めることは当然であって、医師に理不尽や不可能を強いるものとは考えられない」などという判断は、いったいどこに根拠があるのでしょうか、きわめて疑問に思います。本件のように、医師の過失とは到底いえないような医療事故でさえ、医師の注意義務違反を無理矢理認定してしまうのは、非常に由々しき状況ではないでしょうか。このような判決文を書いた裁判官がもし医師の道を選んで同様の事故に遭遇すれば、必ずや今回のような事態に発展したと思います。ただし本件ほどの極端な事例ではなくても、人工呼吸器関連の医療事故には、病院側に対して相当厳しい判断が下されるようになりました。なぜなら、呼吸器疾患などにより人工換気が必要な患者では、機器の不具合が生命の存続を直接脅かすような危険性を常に秘めているから思われます。たとえば、人工呼吸器が知らないうちにはずれてしまったがアラームを消音にしていた、人工呼吸器の回路にリークがあるのに気づくのが遅れた、あまりアラームがうるさいので警報域を低めにしておいたら呼吸が止まっていた、加湿器のなかに蒸留水以外の薬品を入れてしまった、などという事故が今までに報告されています。個々のケースにはそれなりに同情すべき点があるのも事実ですが、患者が病院というハイレベルの医療管理下にある以上、人工呼吸器に関連したトラブルのほとんどは過失を免れない可能性が高いため、慎重な対応が必要です。なお今回のような事故を防ぐためにも、院内で使用している医療機器(人工呼吸器、各種カテーテル類、輸液ポンプ、微量注入器など)については、なるべく一定のフローに沿って定期的な点検・確認を行うことが望まれます。同じメーカーの製品群を使用する場合にはそれほどリスクは高くないと思いますが、本件のように他社製品を組み合わせて使用する場合には、細心の注意が必要です。今回の事例を教訓として、ぜひとも院内での見直しを検討されてはいかがでしょうか。■日本麻酔科学会 麻酔機器・器具故障情報,薬剤情報,注意喚起 情報 より故障情報2001年2月28日都立豊島病院におけるジャクソンリース回路およびシャイリー気管切開チューブの組み合わせ使用による死亡事故に関して3月24日付きの毎日新聞およびインターネットの記事で紹介されました、a製ジャクソンリース回路(旧型)とマリンクロット社製シャイリー新生児用気管切開チューブを併用しての人工呼吸による患児の死亡事故について、現在まで判明した情報は次の通りです。a製旧型ジャクソンリース回路(現在まで新型と並行販売していた)では、フレッシュガス吹送用ノズルが、Lコネクターの中央湾曲部から気管チューブ接続口へ向けて深く挿入されています。一方、M社が発売しているシャイリー気管切開チューブの新生児用(NEO)と小児用(PED)はチューブの壁厚が厚く(従って内径が狭く)、この両者を併用すると、ジャクソンリース回路のノズルが気管切開チューブに嵌入して、フレッシュガスが肺のみへ送り続けられ、呼気および換気が不可能となったことが今回のおよび昨年11月の死亡事故の原因です。2001年4月6日ジャクソンリース回路と気管切開チューブの接続についてa製ジャクソンリース回路とM製シャイリーの気管切開チューブによる事故の続報をお知らせします。厚生労働省は日本医療器材工業会(代表 テルモ株式会社 山本章博氏)に対して、上記以外のジャクソンリース回路と気管切開チューブのあらゆる組み合わせについての危険性の調査を命じました。日本医療器材工業会は3月30日の時点で、リコーと小林メディカルを除く他社の製品の組み合わせについてチェックを終了しております。その結果、ジャクソンリースとしてはa製に加えて五十嵐医科工業製、気管切開チューブとしてはマリンクロット製に加えて泉工医科工業製、日本メディコ製の一部のものを組み合わせた時に、危険性のあることが判明しました。2001年5月2日ジャクソンリース回路と気管切開チューブの接続についてa製ジャクソンリース回路とM製シャイリー気管切開チューブによる事故後の日本医療器材工業会のその後の調査で、アネス(旧アイカ)取扱のデュパコ社製ノーマンマスクエルボに関しても、問題の生じる可能性があるということで、回収が開始されました。小児科

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アスピリン喘息の患者に対し解熱消炎薬を投与し、アナフィラキシーショックで死亡したケース

自己免疫疾患最終判決判例タイムズ 750号221-232頁、786号221-225頁概要気管支喘息の検査などで大学病院呼吸器内科に入院していた42歳女性。入院中に耳鼻科で鼻茸の手術を受け、術後の鼻部疼痛に対し解熱消炎薬であるジクロフェナクナトリウム(商品名:ボルタレン)2錠が投与された。ところが服用後まもなくアナフィラキシーショックを起こし、呼吸困難から意識障害が進行、10日後に死亡した。詳細な経過患者情報42歳女性経過1979年(39歳)春痰を伴う咳が出現し、時に呼吸困難を伴うようになった。12月10日A病院に1ヵ月入院し、喘息と診断された。1981年夏安静時呼吸困難、および喘鳴が出現し、歩行も困難な状況になることがあった。8月11日再びA病院に入院し、いったんは軽快したがまもなく入院前と同じ症状が出現。1982年2月起坐呼吸が出現し、夜間良眠が得られず。体動による喘鳴も増強。6月近医の紹介により、某大学病院呼吸器内科を受診し、アミノフィリン(同:ネオフィリン)などの投与を受けたが軽快せず。9月7日A病院耳鼻科を受診し、アレルギー性鼻炎を基盤とした重症の慢性副鼻腔炎があり、鼻茸を併発していたため手術が予定された(患者の都合によりキャンセル)。9月27日咽頭炎で発熱したためA病院耳鼻科を受診し、解熱鎮痛薬であるボルタレン®、およびペニシリン系抗菌薬バカンピシリン(同:バカシル、製造中止)の処方を受けた。帰宅後に両薬剤を服用してまもなく、呼吸困難、喘鳴を伴う激しいアナフィラキシー様症状を起こし、救急車でA病院内科に搬送された。入院時にはチアノーゼ、喘鳴を伴っていて、薬剤によるショックであると診断され、ステロイドホルモンなどの投与で症状は軽快した。担当医師は薬物アナフィラキシーと診断し、カルテに「ピリン、ペニシリン禁」と記載した。この時の発作以前には薬物による喘息発作誘発の既往なし。1983年2月3日A病院耳鼻科を再度受診して鼻茸の手術を希望。この時には症状および所見の軽快がみられたので、しばらくアレルギー性鼻炎の治療が行われ、かなり症状は改善した。5月10日気管支喘息の原因検索、およびコントロール目的で、某大学病院呼吸器内科に1ヵ月の予定で入院となった。5月24日不眠の原因が鼻閉によるものではないかと思われたので同院耳鼻科を受診。両側の鼻茸が確認され、右側は完全閉塞、左側にも2~3の鼻茸があり、かなりの閉塞状態であった。そこで鼻閉、およびそれに伴う呼吸困難の改善を目的とした鼻茸切除手術が予定された。5月25日教授回診にて、薬剤の既往症をチェックし、アスピリン喘息の可能性を検討するように指示あり。6月2日15:12~15:24耳鼻科にて両側鼻茸の切除手術施行。15:50病室へ戻る。術後に鼻部の疼痛を訴えた。17:00担当医師が学会で不在であったため、待機していた別の当番医によりボルタレン®2錠が処方された。17:30呼吸困難が出現。喘鳴、および低調性ラ音が聴取されたため起坐位とし、血管確保、およびネオフィリン®の点滴が開始された。17:37喘鳴の増強がみられたため、コハク酸ヒドロコルチゾンナトリウム(同:サクシゾン)、ネオフィリン®の追加投与。17:40突然チアノーゼが出現し気道閉塞状態となる。ただちに気管内挿管を試みたが、筋緊張が強く挿管困難。17:43筋弛緩薬パンクロニウム(同:ミオブロック4mg)静注し再度気管内挿管を試みたが、十分な開口が得られず挿管中止。17:47別の医師に交代して気管内挿管完了。17:49心停止となっため心臓マッサージ開始。エピネフリン(同:ボスミン)心注施行。17:53再度心停止。再びボスミン®を心注したところ、洞調律が回復。血圧も維持されたが、意識は回復せず、まもなく脳死状態へ移行。6月12日07:03死亡確認となる。当事者の主張患者側(原告)の主張1.問診義務違反アスピリン喘息が疑わる状況であり、さらに約8ヵ月前にボルタレン®、バカシル®によるアナフィラキシーショックを起こした既往があったのに、担当医師は問診を改めてやっていないか、きわめて不十分な問い方しかしていない2.過失(履行不完全)問診により発作誘発歴が明らかにならなくても、鼻茸の手術前に解熱鎮痛薬を使用してよい患者かどうか確認するために、スルピリンやアスピリンの吸入誘発試験により確実にアスピリン喘息の診断をつけるべきであった。さらに、疼痛に対しいきなりボルタレン®2錠を使用したことは重大な過失である3.救命救急処置気管内挿管に2度失敗し、挿管完了までに11分もかかったのは重大な過失である病院側(被告)の主張1.問診義務違反アスピリン喘息を疑がって問診し、風邪薬などの解熱鎮痛薬の発作歴について尋ねたが、患者が明確に否定した。過去のアナフィラキシーショックについても、問題となった薬剤服用事実を失念しているか、告知すべき事実と観念していないか、それとも故意に不告知に及んだかのいずれかである2.過失(履行不完全)スルピリン吸入誘発試験によるアスピリン喘息確定診断の可能性、有意性はきわめて少ない。アナフィラキシーショックを予防する方法は、適切な問診による既往症の聴取につきるといって良いが、本件では問診により何ら薬物によるアナフィラキシー反応の回答が得られなかったので、アナフィラキシーショックの発生を予測予防することは不可能であった3.救命救急処置1回で気管内挿管ができなかったからといって、けっして救命救急処置が不適切であったことにはならない裁判所の判断第1審の判断問診義務違反患者が故意に薬剤服用による発作歴があることを秘匿するとは考えられないので、担当医師の質問の趣旨をよく理解できなかったか、あるいは以前の担当医師から受けた説明を思い出せなかったとしか考えられない。適切な質問をすれば、ボルタレン®およびバシカル®の服用によってショックを起こしたことを引き出せたはずであり、問診義務を尽くしたとは認めがたい。このような担当医師の問診義務違反により、アスピリン喘息の可能性を否定され、鼻茸の除去手術後にアスピリン喘息患者には禁忌とされるボルタレン®を処方され、死亡した。第2審の判断第1審の判断を翻し、入院時の問診で主治医が質問を工夫しても、鎮痛薬が禁忌であることを引き出すのは不可能であると判断。しかし、担当医師代行の当番医が、アスピリン喘息とは断定できないもののその疑いが残っていた患者に対してアスピリン喘息ではないと誤った判断を下し、いきなりボルタレン®2錠を投与したのは重大な過失である。両判決とも救命救急処置については判断せず。6,612万円の請求に対し、3,429万円の支払命令考察本件では第1審で、「ボルタレン®、バシカル®によるアナフィラキシーショックの既往歴を聞き出せなかったのは、問診の仕方が悪い」とされました。この患者さんは弁護士の奥さんであり、「患者は知的で聡明な女性であり、医師のいうことを正しく理解できたこと、担当医師との間には信頼関係が十分にあった」と判決文にまで書かれています。しかも、この事件が起きたのは大学病院であり、教授回診で「薬剤の既往症をチェックし、アスピリン喘息の可能性を検討するように」と具体的な指示までありましたので、おそらく担当医師はきちんと問診をしていたと思われます。にもかかわらず、過去にボルタレン®およびバシカル®でひどい目にあって入院までしたことを、なぜ患者が申告しなかったのか少々理解に苦しみますし、「既往歴を聞き出せなかったのは、問診の仕方が悪い」などという判決が下るのも、ひどく偏った判断ではないかと思います。もっとも、第2審ではきちんとその点を訂正し、「担当医師の問診に不適切な点があったとは認められない」とされました。当然といえば当然の結果なのですが、こうも司法の判断にぶれがあると、複雑な思いがします。結局、本件はアスピリン喘息が「心配される」患者に対し、安易にボルタレン®を使ったことが過失とされました。ボルタレン®やロキソプロフェンナトリウム(同:ロキソニン)といった非ステロイド抗炎症薬は、日常臨床で使用される頻度の高い薬剤だと思います。そして、今回のようなアナフィラキシーショックに遭遇することは滅多にないと思いますので、われわれ医師も感冒や頭痛の患者さんに対し気楽に処方してしまうのではないかと思います。過去に薬剤アレルギーがないことを確認し、そのことをカルテにきちんと記載しておけば問題にはなりにくいと思いますが、「喘息」の既往症がある患者さんの場合には要注意だと思います。アスピリン喘息の頻度は成人喘息の約10%といわれていますが、喘息患者の10人に1人は今回のような事態に発展する可能性があることを認識し、抗炎症薬はなるべく使用しないようにするか、処方するにしてもボルタレン®やロキソニン®のような酸性薬ではなく、塩基性非ステロイド抗炎症薬を検討しなければなりません。自己免疫疾患

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ERCP検査で十二指腸穿孔を来し死亡したケース

消化器最終判決判例タイムズ 579号26-51頁概要胆嚢の精査目的でERCP検査を施行した67歳男性。10回前後にわたる胆管へのカニューレ挿管がうまくいかず、途中で強い嘔吐反射や蠕動運動の亢進がみられたため検査終了となった。検査後まもなくして腹痛が出現、当初は急性膵炎を疑って保存的治療を行ったが、検査翌日になって腹腔内遊離ガスが確認され緊急開腹手術が行われた。ところが手術翌日から急性腎不全となり、さらに縫合不全、腹壁創離開、敗血症などを合併し、検査から約2ヵ月後に死亡した。詳細な経過患者情報某大学附属病院で数回にわたり健康診断を行い、肥満症(身長165cm、体重81.5kg)、動脈硬化症、高尿酸血症、左上肢筋萎縮症と診断された67歳男性。過去の健康診断でも胆嚢を精査するよう指摘されていた経過1979年4月10日腹部超音波検査では高度の肥満により鮮明な画像が得られなかった。テレパーク経口投与による胆嚢造影検査でも不造影となり、胆石や胆嚢がんなどの異常が疑われた。4月24日静注法による胆嚢造影検査を追加したが、やはり不造影に終わった。4月27日11:40ERCP開始。左側臥位とし側視鏡型式ファイバースコープを経口挿入、十二指腸下行部までは順調に到達した。この時点で蠕動運動が始まったため、鎮痙剤ブトロピウム(商品名:コリオパン1A)を静注。蠕動が治まったところで乳頭開口部を確認し、胆管造影を試みたが失敗、カニューレは膵管にしか進められなかった。2名の担当医師により前後約10回にわたって胆管への挿管が試みられたがいずれもうまくいかず、そうしているうちに再び蠕動運動の亢進が出現した。さらに、強い嘔吐反射が2度にわたって生じたことや、検査担当医自身も疲労を感じたことから胆管造影を断念。12:30スコープを抜管して検査終了となった(検査時間約50分)。担当医によれば、検査中穿孔の発生を疑わせる特段の異常はなく、造影剤が十二指腸から漏れ出た形跡や検査器具による損傷を思わせる感触もなかった。13:00患者は検査後の絶飲食および安静の指示を守らず、自家用車を運転して勝手に離院。13:30その帰途で腹痛を覚え、タクシーで帰院。腹部に圧痛・自発痛がみられたが腹膜刺激症状は認められず、検査後の膵炎を考慮してガベキサートメシル(商品名:エフオーワイ)、コリオパン®を投与。14:00腹痛が治まらなかったので、ペンタゾシン(商品名:ペンタジン)、コリオパン®を筋注し、約10分後にようやく腹痛は治まった。16:00担当医師は病院にとどまるように説得したが、患者は聞き入れず、「腹痛が再発したら来院すること」を指示して帰宅を許可した。19:00腹痛が再発したため帰院。当直医によりペンタジン®筋注、エフオーワイ®の点滴が開始された。20:00腹部X線写真にて上腹部付近に異常な帯状のガス影がみつかったが、その原因判断は困難であった。22:00担当医師らが協議した結果、消化管穿孔による腹膜炎で生じるはずの横隔膜下遊離ガス像が明確でないこと、検査担当医には腸管穿孔の感触がなかったこと、腹膜炎の徴候であるデファンスやブルンベルグ徴候がなかったことから、急性膵炎の可能性が高いと考えた(この時アミラーゼを測定せず)。4月28日翌日になっても腹痛が持続。10:40再度腹部X線撮影を実施したところ、横隔膜下に遊離ガス像を確認。11:00下腹部試験穿刺にて膿を確認。13:50緊急開腹手術施行。十二指腸第2部と第3部の移行部(尾側屈曲部)に直径1cmの穿孔があり、十二指腸液が漏出していた。穿孔部は比較的フレッシュで12~24時間以内に形成されたものと思われ、腹腔内の洗浄に加えて穿孔部の縫合閉鎖を行った。また、膵頭部は腫大しており、周囲の脂肪組織や横行結腸間膜に膵液による壊死性変化がみられた。胆嚢は異常に拡張し、内腔には3個の結石が確認され、胆嚢摘除術が追加された。なお、体表には打撲、皮下出血などの外傷所見はみられなかった。16:40手術終了。4月29日手術翌日から急性腎不全を発症。4月30日BUN 47.3、K 6.3と上昇がみられたためシャント作成、血液透析開始。5月5日縫合不全を併発。5月13日腹壁開腹創全離開、感染症増悪、敗血症を併発。5月22日頭蓋内出血および数回にわたる腹腔内出血を起こす。6月16日各種治療の効果なく多臓器不全に進行し、肺機能不全により死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.ERCP検査に際しスコープ操作に細心の注意を払う義務を怠った2.漫然と長時間にわたってERCP検査を施行し、ついには操作を誤って十二指腸を穿孔させた。その結果、急性腎不全、敗血症、頭蓋内出血などを起こし、汎発性腹膜炎により死亡した病院側(被告)の主張1.スコープの操作にあたっては確立された手技にしたがって慎重に実行し、不必要、不用意あるいは乱暴な操作を行ったことはなく、器具損傷の感触もなかったまた、スコープ自体は十二指腸の湾曲に沿った形で滑り易くなっていて、さらに腸管の柔軟性、弾力性、および腸管内面の粘滑性に照らすと、スコープの挿入によって腸管穿孔を生じるほどの強い力が働くことはないし、嘔吐反射によって腸管穿孔が生じるとも考えがたい2.十二指腸穿孔の原因は、穿孔部位の解剖学的関係から交通事故などによる外的鈍力の作用によるものである(ただし外傷所見は確認されていない)3.そして、十二指腸穿孔はただちに死に結びつくものではなく、予後を悪化させて死の転帰に至らしめた最大かつ根本的な要因は急性腎不全であり、その原因は本人の腎不全に陥りやすいという身体的理由と、医師の指示を無視した患者自身の自由勝手な行動にある裁判所の判断1.ERCP検査中に、蠕動亢進、嘔吐反射の反覆がみられたにもかかわらず穿孔を生じうるスコープ操作を継続したため、十二指腸が穿孔したと推認される2.患者には交通事故その他鈍的外傷を受けたと認めるに足る事実(体表の打撲傷、十二指腸周辺の合併損傷など)がなく、万一交通事故に遭遇していたのであれば検査や診療に当たった医師などに告知するはずである3.担当医らは腹痛が出現した後も、事態に対する重大な認識をまったくもっておらず、十分な経過観察をしようとする姿勢がみられなかった。仮に患者の自由勝手な行動がなかったとしても、適切な診断や早急な開腹手術が実施された可能性はきわめて低い担当医はERCP検査の危険性などを十分に認識していたにもかかわらず、必ずしも慎重、冷静な心身の状態なくして胆管へのカニューレ挿入を10回も試み、老齢で薄い十二指腸壁をこすり、過進展させ、また、蠕動運動の亢進や嘔吐反射の反覆にもかかわらず検査を続行し、結果回避義務を違反して穿孔を生じさせた結果死亡した。ただし、医療に対する協力を怠り不注意な問題行動をとった点は患者側の過失であり、損害額の2割は過失相殺するのが相当である。原告側合計5億1,963万円の請求に対し、3億1,175万円の判決考察本件は医療過誤裁判史上、過去最高の賠償額ということで注目を集めたケースです(なお2審判決では1億4,000万円とかなり減額され、現在も最高裁で係争中です)。病院側は本件で生じた十二指腸の穿孔部位が、スコープなどの器具で発生することの多い「腹腔側穿孔」ではなく、交通事故などの鈍的外力の時によくみられる「後腹膜腔穿孔」であったことを強調し、スコープ操作が原因の十二指腸穿孔ではなく、「患者が検査後の医師の指示を守らず、自由勝手な行動をとって病院から離れた時に、きっと交通事故でも起こして腹部を打撲した結果十二指腸が穿孔したのだろう」と主張しました。しかし、患者さんは検査後に交通事故などでケガをしたとは申告していませんし、開腹手術時にも外傷所見は認められませんでしたので、未確認の鈍的外力が原因とするのは少々無理な主張ではないかと思います。それ以外にも病院側の対応にはさまざまな問題点があり、それらを総合して最終判断に至ったと思われます。たとえば、開腹手術後には「若い者がやったことだから大目にみてくれ」と上司から説明があったり、検査担当医も「穿孔を生じさせ申し訳ない」と謝意を述べていながら、訴訟へ発展した後になって「交通事故など鈍的外傷による穿孔である」とERCP検査による穿孔を真っ向から否定し始めました。また、腹痛発症当初は「急性膵炎」と診断してエフオーワイ®などの投与を行っていましたが、検査当日にアミラーゼ検査をまったく実施しなかったことや、2回目の帰院時には、ほかの関連病院へ入院させる途中で容態が悪化し、やむなく大学附属病院に入院処置をとった点も、「事態に対する重大な認識の欠如」という判断を加速させたようです。そもそも本件では本当に無理な内視鏡操作が行われていたのでしょうか。その点については担当医にしかわからないことだと思いますが、胆管へのカニューレ挿入がなかなかうまくいかず、試行錯誤しながらも10回挿管を試みたのは事実です。その間に十二指腸の蠕動運動が始まったり、強い嘔吐反射が反覆したことも確認されていますので、やはり腸管が穿孔してしまうほどの外力が加わったと認定されてもやむを得ないように思います。担当医らは「無理な操作はしていない」とくり返し主張しましたが、胆管へ10回も挿管を試みたということは多少意地になって検査を遂行したという側面もあるのではなかと推測されます。裁判記録によれば、担当医は消化器内科の若手医師でERCPを当時約200例以上こなしていましたので、この検査にかけてはベテランの域に達していたと思います。そして、検査がうまくなるにつれ、難しい病気を診断したり、同僚の医師がうまくいかないような検査をやり遂げることができれば、ある意味での満足感や達成感が得られることは、多くの先生方が経験されていると思います。しかし、いくら検査に習熟していたといっても、自らが行った医療行為によって患者さんが不幸な転帰をとるような事態は何としても避けなければなりませんので、検査中は常に細心の注意を払う必要があると思います。と同時に、たとえ検査の目的が達成されなくても、けっして意地を張らずに途中で検査を中止する勇気を持たなければならないと痛感しました。最近の統計(日本消化器内視鏡学会雑誌 Vol.42 308-313, 2000)によると、1993~1997年のERCP検査の偶発症は189,987件中190例(0.112%)であり、急性膵炎がもっとも多く、穿孔、急性胆道炎などがつづきます。そのうち死亡は12例(0.0063%)で、急性膵炎による死亡6名、穿孔による死亡3名という内訳です。このような統計的数字をみると、過去3回の大規模調査でも偶発症発生頻度はほとんど変化はないため、偶発症というのは(検査担当医にかかわらず)一定の確率で発生するものだという印象を受けます。しかし、昨今の社会情勢をみる限り、検査前までは健康であった患者さんに内視鏡偶発症が発生した場合、けっして医療側が無責ということにはならないと思います。このような場合、裁判所の判決に至るよりも和解、あるいは示談で解決する場合が多いのですが、本件のように当初は謝意を示していながら裁判となったとたんに前言を翻したりすると、交渉が相当こじれてしまうと思われますので、医療側としては終始一貫した態度で臨むことが重要であると思います。なお、ここ数年はMRIを用いた膵胆管造影(MRCP)の解像度がかなり向上したため、スクリーニングの目的ではまずMRCPを考えるべきであると思います。消化器

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病院側の指示に従わず狭心症発作で死亡した症例をめぐって、医師の責任が問われたケース

循環器最終判決平成16年10月25日 千葉地方裁判所 判決概要動悸と失神発作で発症した64歳女性。冠動脈造影検査で異型狭心症と診断され、入院中はニトログリセリン(商品名:ミリスロール)の持続点滴でコントロールし、退院後はアムロジピン(同:ノルバスク)、ニコランジル(同:シグマート)、ジルチアゼム(同:ヘルベッサー)、ニトログリセリン(同:ミリステープ、ミオコールスプレー)などを処方されていた。発症から5ヵ月後、再び動悸と気絶感が出現して、安静加療目的で入院となった。担当医師はミリスロール®の点滴を勧めたが、前回投与時に頭痛がみられたこと、点滴に伴う行動の制限や入院長期化につながることを嫌がる患者は、「またあの点滴ですか」と拒否的な態度を示した。仕方なくミリスロール®の点滴を見合わせていたが、患者が看護師の制止を聞かずトイレ歩行をしたところ、再び強い狭心症発作が出現し、さまざまな救命措置にもかかわらず約2時間後に死亡確認となった。詳細な経過患者情報64歳女性経過平成11(1999)年2月10日起床時に動悸が出現し、排尿後に意識を消失したため、当該総合病院を受診。胸部X線、心電図上は異常なし。3月17日~3月24日失神発作の精査目的で入院、異型狭心症と診断。3月24日~3月27日別病院に紹介入院となって冠動脈造影検査を受け、冠攣縮性狭心症と診断された。6月2日早朝、動悸とともに失神発作を起こし、当該病院に入院。ミリスロール®の持続点滴と、内服薬ノルバスク®1錠、シグマート®3錠にて症状は改善。6月9日失神や胸痛などの胸部症状は消失したため、ミリスロール®の点滴からミリステープ®2枚に変更。入院当初は頭痛を訴えていたが、ミリステープ®に変更してから頭痛は消失。6月22日状態は安定し退院。退院処方:ノルバスク®1錠、ミリステープ®2枚、チクロピジン(同:パナルジン)1錠、シグマート®3錠、ロキサチジン(同:アルタット)1カプセル。7月2日起床時に動悸が出現、ミオコールスプレー®により症状は改善。7月5日起床時に動悸が出現、ミオコールスプレー®により症状は改善。7月7日起床時立ち上がった途端に動悸、気絶感が出現したとの申告を受け、ノルバスク®を中止しヘルベッサー®を処方。7月12日05:30起床してトイレに行った際に動悸、気絶感が出現。トイレに腰掛けてミオコールスプレー®を使用した直後に数分間の意識消失がみられた。06:50救急車で搬送入院。安静度「ベッド上安静」、排泄「尿・便器」使用、酸素吸入(1分間当たり1L)、ミリステープ®2枚(朝、夕)、心電図モニター使用、胸痛時ミオコールスプレー®を2回まで使用と指示。09:30入室直後に尿意を訴えた。担当看護師は医師の指示通り尿器の使用を勧めたが、患者は尿器では出ないのでトイレに行くことに固執したため、看護師長を呼び、ベッドを個室トイレの側まで動かし、トイレで排尿させた。排尿後に呼吸苦がみられたので、酸素吸入を開始し、ミリステープ®を貼用したところ2~3分で落ちついてきた。担当看護師は定時のシグマート®、ヘルベッサー®を内服させ、今後は尿器を使用することを促した。担当医師も訪室して安静にすべきことを説明し、ミリスロール®の点滴を勧めたが、患者は「またあの点滴ですか」と拒否的な態度を示したため、やむを得ずミリスロール®の点滴をしないことにした。その後、胸部症状は消失。15:00見舞いにきた家族が「点滴していなかったんだね」といったところ、患者は「軽かったのかな」と答えたとのこと(病院側はその事実を確認していない)。18:30尿意がありトイレでの排尿を希望。担当看護師は尿器の使用を勧めたが、トイレへ行きたいと強く希望したため、看護師は医師に確認するといって病室を離れた(このとき担当医師とは連絡取れず)。18:43トイレで倒れている患者を看護師が発見。ただちにミオコールスプレー®を1回噴霧したが、「胸苦しい、苦しい」と状態は改善せず。18:50ミオコールスプレー®を再度噴霧したが状態は変わらず、四肢冷感、冷汗が認められ、駆けつけた医師の指示でニトログリセリン(同:ニトロペン)1錠を舌下するが、心拍数は60台に低下、血圧測定不能、意識低下、自発呼吸も消失した。19:00乳酸リンゲル液(同:ラクテック)にて血管確保、心拍数30~40台。19:10イソプレナリン(同:プロタノール)1A、アドレナリン(同:ボスミン)1Aを静注するとともに、心臓マッサージを開始し、心拍数はいったん60台へと回復。19:33気管内挿管に続き、心肺蘇生を続行するが効果なし。20:22死亡確認。死因は致死性の狭心症発作と診断した。死亡後、担当医師は「点滴(ミリスロール®)をすべきでした。しなかったのは当方のミスです」と述べたと患者側は主張するが、その真偽は不明。当事者の主張1. 担当医師が硝酸薬の点滴をしなかった点に過失があるか患者側(原告)の主張平成11年から発作が頻発し、入院に至るまでの経緯や入院時の症状から判断して、ミリスロール®など硝酸薬の点滴をすべきであった。これに対し担当医師は、患者に対してミリスロール®の点滴の必要性を伝えたが拒絶されたと主張するが、診療録などにはそのような記載はない。過去の入院では数日間にわたってミリスロール®の点滴治療を受け、その結果一応の回復を得て退院したため、担当医師からミリスロール®の必要性、投与しない場合の危険性などを十分聞いていれば、ミリスロール®点滴に同意したはずである。病院側(被告)の主張動悸、失神は狭心症発作の再発であり、入院安静が必要であること、2回目入院時に行ったミリスロール®の点滴が再度必要であることを説明したが、患者は「またあの点滴ですか」といい、行動が不自由になること、頭痛がすることなどを理由に点滴を拒絶したため、安静指示と内服薬などの投与によって様子をみることにした。つまり、ミリスロール®の点滴が必要であるにもかかわらず、患者の拒絶により点滴をすることができなかったのであり、診療録上も「希望によりミリスロール®点滴をしなかった」ことが明記されている。医師は、患者に対する治療につき最適と判断する内容を患者に示す義務はあるが、この義務は患者の自己決定権に優越するものではないし、患者の意向を無視して専断的な治療をすることは許されない。2. 硝酸薬点滴を行った場合の発作の回避可能性患者側(原告)の主張入院時にミリスロール®の点滴をしていれば発作を防げた可能性は大きく、死亡との間には濃厚な因果関係がある。さらに死亡後担当医師は、「点滴をすべきでした。しなかったのは当方のミスです」と述べ、ミリスロール®の点滴をしなかったことが死亡原因であることを認めていた。病院側(被告)の主張7月12日9:30、ミリステープ®を貼用し、シグマート®、ヘルベッサー®を内服し、午後には症状が消失して容態が安定していたため、ミリスロール®の点滴をしなかったことだけが発作の原因とはいえない。3. 患者が安静指示に違反したのか患者側(原告)の主張看護師や患者に対する担当医師の安静指示があいまいかつ不徹底であり、結果としてトイレでの排尿を許す状況とした。担当医師が「ベッド上安静」を指示したと主張するが、入院経過用紙によれば「ベッド上安静」が明確に指示されていない。当日午後2:00の段階では、「トイレは夕方までの様子で決めるとのこと」と看護師が記載しているが、夕方までに決められて伝えられた形跡はない。18:30にも「Drに安静度カクニンのためTELつながらず」との記載があり、看護師は夕方になってもトイレについて明確な指示を受けていない。病院側(被告)の主張入院時指示には、安静度は「ベッド上安静」、排泄は「尿・便器」と明記している。これはベッド上で仰臥(あおむけ)または側臥(横向き)でいなければならず、排泄もベッド上で尿・便器をあててしなければならないという意味であり、トイレでの排尿を許したことはない。「トイレは夕方までの様子で決めるとのこと」という記載の意味は、トイレについての指示がいまだ無かったのではなく、明日の夕方までの様子をみて、それ以降トイレに立って良いかどうかを決めるという意味である。当日9:30尿意を訴えたため、医師から指示を受けていた看護師は尿器の使用を勧めたが、看護師の説得にもかかわらず尿器では出ないと言い張り、トイレに行くと譲らなかったので、やむを得ず看護師長を呼び、二人がかりでベッドを個室内のトイレ脇まで運び、トイレで排尿させたという経緯がある。そして、今回倒れる直前、看護師は患者から「トイレに行きたい」といわれたが、尿器で排泄するように説得した。それでも患者はあくまでトイレに行きたいと言い張ったため、担当医師に確認してくるから待つようにと伝えナースステーションへ行ったものの、担当医師に電話がつながらず、すぐに病室に戻ると同室内のトイレで倒れていたのである。4. 発作に対する医師の処置は不適切であったか患者側(原告)の主張狭心症の発作時には、速効性硝酸薬の舌下を行うべきものとされてはいるが、硝酸薬を用いると血圧が低下するので、昇圧剤を投与して血圧を確保してから速効性硝酸薬などにより症状の改善を図るべきであった。被告医師は、ミオコールスプレー®を2回使用して、その副作用で血圧低下に伴う血流量の減少を招いたにもかかわらず、さらに昇圧剤を投与したり、血圧を確保することなくニトロペン®を舌下させた点に過失がある。その結果、狭心症の悪化・心停止を招来し、患者を死に至らしめた。病院側(被告)の主張異型狭心症においては、冠攣縮発作が長引くと心室細動や高度房室ブロックなどの致死性不整脈が出現しやすくなるので、発作時は速やかにニトログリセリンを服用させるべきである。ニトログリセリンの副作用として血圧の低下を招くことがあるが、狭心症発作が寛解すれば血圧が回復することになるから、まず第一にニトログリセリンを投与(合計0.9mg)したことに問題はなく、発作を寛解させるべくニトロペン®1錠を舌下させた判断にも誤りはない。本件においては、致死的な狭心症発作が起きていたのであり、脈拍低下、血圧測定不能、自発呼吸なしなどの重篤な状態に陥ったのは狭心症発作によるものであって、ニトロペン®1錠を舌下したことが心停止の原因となったのではない。裁判所の判断1. 担当医師が硝酸薬の点滴をしなかった点に過失があるか鑑定A患者は狭心症発作が頻発および増悪したために入院したものであり、不安定狭心症の治療を目的としている。狭心症予防薬としてカルシウム拮抗薬の内服と硝酸薬貼付がすでに施行されており、この状態で不安定化した狭心症の治療としては、硝酸薬あるいはこれと同様の効果が期待される薬剤の持続静注が必要と考える。また、過去の入院で硝酸薬の点滴静注が有効であったことから、硝酸薬は、本件患者に対し比較的安心して使用できる薬剤と思われる。さらに、心電図モニターならびに患者の状態を常時監視できる医療状況が望ましく、狭心症発作が安定するまでの期間は、冠動脈疾患管理病棟(CCU)あるいは集中治療室(ICU)での管理が適当と考えられ、本件患者の入院初期の治療としてミリスロール®などの硝酸薬点滴を行わなかったのは不適切であった。不安定狭心症患者は急性心筋梗塞に移行する可能性が高いため、この病態を患者に十分説明し、硝酸薬点滴を使用すべきであったと考える。以前も同薬剤の使用により、本件患者の狭心症発作をコントロールしており、軽度の副作用は認められたものの、比較的安全に使用した経緯がある。患者が硝酸薬点滴を好まないケースもあるが、病状の説明、とりわけ急性心筋梗塞に進展した場合のデメリットを説明した後に施行すべきものであると考えられ、仮に本件患者がミリスロール®などの点滴に拒否的であった場合でも、その必要性を十分説明して、本件患者の初期治療として、ミリスロール®などの硝酸薬あるいは同等の効果が期待できる薬剤の点滴を行うべきであった。鑑定B狭心症の場合、硝酸薬は重要な治療薬である。また、冠動脈攣縮性狭心症においては、カルシウム拮抗薬も重要な治療薬である。本症例ではミリステープ®とカルシウム拮抗薬が投与されており、ミリスロール®などの硝酸薬点滴を行わなかったことだけをもって不適切な治療と判断することは難しい。仮に本件患者がミリスロール®などの点滴に拒否的であった場合についても、ミリスロール®などの点滴を行わなければならない状態であったかどうかについては判断が難しい。また、基本的に患者の了承のもとに治療を行うわけであるから、了承を得られない限りはその治療を行うことはできないのであって、拒否する場合において点滴を強制的に行うことが妥当であるかどうかは疑問である。鑑定C本症例は、失神発作をくり返していることからハイリスク群に該当する。発作の回数が頻回である活動期の場合は、硝酸薬、カルシウム拮抗薬、ニコランジルなどの持続点滴を行うことが望ましいとされており、実際に前回の入院の際には発作が安定化するまで硝酸薬の持続点滴が行われている。本件では、十分な量の抗狭心症薬が投与されており、慢性期の発作予防の治療としては適切であったといえるが、ハイリスク群に対する活動期の治療としては、硝酸薬点滴を行わなかった点は不適切であったといえる。発作の活動期における治療の基本は、冠拡張薬の持続点滴であり、純粋医学的には本件の場合、必要性を十分に説明して行うべきであり、仮に本件患者がミリスロール®などの点滴に拒否的であった場合であっても、その必要性を十分説明して、ミリスロール®などの硝酸薬点滴を行うべき状態であったといえる。ただし、必要性を十分に説明したにもかかわらず、患者側が点滴を拒否したのであれば、医師側には非は認められないこととなるが、どの程度の必要性をもって説明したかが問題となろう。裁判所の見解不安定狭心症は急性心筋梗塞や突然死に移行しやすく、早期に確実な治療が必要である。本件では前回の入院時にミリスロール®の点滴を行って症状が軽快しているという治療実績があり、入院時の病状は前回よりけっして軽くないから、硝酸薬点滴を必要とする状態であったといえる。もっとも担当医師の立場では、治療方法に関する患者の自己決定権を最大限尊重すべきであるから、医師が治療行為に関する説明義務を尽くしたにもかかわらず、患者が当該治療を受けることを拒絶した場合には、当該治療行為をとらなかったことにつき、医師に過失があると認めることはできない。そうすると、本件入院時にミリスロール®など硝酸薬点滴をしなかったことについて、被告医師に過失がないといえるのは、硝酸薬点滴の必要性などについて十分な説明義務を果たしたにもかかわらず、患者が拒否した場合に限られる。担当医師が入院時にミリスロール®点滴を行わなかったのは、必要性を十分に説明したにもかかわらず、「またあの点滴ですか」と点滴を嫌がる態度を示し、ミリスロール®の副作用により頭痛がすること、点滴をすることによって行動の自由が制限されること、点滴をすることによって入院が長くなることの3点を嫌がって、点滴を拒絶したと供述する。そして、入院診療録の「退院時総括」には「本人の希望もあり、ミリスロール®DIV(点滴)せずに安静で様子をみていた」との記載があるので、担当医師はミリスロール®の点滴静注を提案したものの、患者はミリスロール®の点滴を希望しなかったことがわかる。ところが、医師や看護師が患者の状態などをその都度記録する「入院経過用紙」には、入院時におけるミリスロール®の点滴に関するやりとりの記載はなく、担当医師から行われたミリスロール®点滴の説明やそれに対する患者の態度について具体的な内容はわからない。それよりも、午後3:00頃見舞にきた家族が、「点滴していなかったんだね」といったことに対し、「軽かったのかな」と答えたという家族の証言から、患者は自分の病状についてやや楽観的な見方をしていたことがわかり、担当医師からミリスロール®点滴の必要性について十分な説明をされたものとは思われない。担当医師は患者の印象について、「医療に対する協力、その他治療に難渋した」、「潔癖な方です。頑固な方です」と述べているように、十分な意思の疎通が図れていなかった。そのため、入院時にミリスロール®の点滴に患者が拒否的な態度を示した場合に、担当医師があえて患者を説得して、ミリスロール®の点滴を勧めようとしなかったことは十分考えられる状況であった。そして、当時の患者が不安定狭心症のハイリスク群に該当し、硝酸薬点滴をしないと危険な状況にあることを医師から説明されていれば、点滴を拒絶する理由になるとは通常考え難いので、十分に説明したという担当医師の供述は信用できない。つまり、自己の病状についてきわめて関心を抱いていた患者であるので、医師から十分な説明を受けていれば、医師の提案する治療を受け入れていたであろうと推測される。したがって、担当医師は当時の病状ならびにミリスロール®点滴の必要性について十分に説明したとは認められず、説明義務が果たされていたとはいえない。2. 硝酸薬点滴を行った場合の発作の回避可能性鑑定A不安定狭心症の治療としてミリスロール®の効果は約80%と報告されている。不安定狭心症の病態によりその効果に差はあるが、硝酸薬などの薬剤が不安定狭心症を完全に安定化させるわけではない。また、急激な冠動脈血栓形成に対しては硝酸薬の効果は低いと考える。そうするとミリスロール®点滴を実施することで発作を回避できたとは限らないが、回避できる可能性は約70%と考える。鑑定B冠動脈攣縮性狭心症の場合、ミリスロール®などの硝酸薬の点滴が冠動脈の攣縮を軽減させる可能性がある。本件発作が冠動脈攣縮性狭心症発作であった可能性は十分考えられることではあるが、最終的な本件発作の原因がほかにあるとすれば、ミリスロール®点滴を行っても回避は難しい。したがって、回避可能性について判断することはできない。鑑定C一般論からすると、持続点滴の方が経口や経皮的投与よりも有効であることは論をまたないが、持続点滴そのものの有効性自体は100%ではないため、持続点滴をしていればどの程度発作が抑えられたかについては、判断しようがない。また、本件では十分な量の冠拡張薬が投与されていたにもかかわらず、結果的に重篤な狭心症発作が起こっており、発作の活動性がかなり高く発作自体が薬剤抵抗性であったと捉えることもでき、持続点滴をしていたとしても発作が起こった可能性も否定できない。以上のように、持続点滴によって発作が抑えられた可能性と持続点滴によっても発作が抑えられなかった可能性のどちらの可能性が高いかについては、仮定の多い話で答えようがない。裁判所の見解冠動脈攣縮性狭心症の発作に対してはミリスロール®の点滴が有効である点において、各鑑定は一致していることに加え、回避可能性をむしろ肯定していると評価できること、そもそも不作為の過失における回避可能性の判断にあたっては、100%回避が可能であったことの立証を要求するものではないのであって、前回入院時にミリスロール®の点滴治療が奏効していることも併せ考慮すると、今回もミリスロール®の点滴を行っていれば発作を回避できたと考えられる。3. 患者に対する安静指示について担当医師の指示した安静度は「ベッド上安静」、排泄は「尿・便器」使用であることは明らかであり、この点において被告医師に過失は認められない。4. 発作に対する処置について鑑定Aニトログリセリン舌下投与を低血圧時に行うと、さらに血圧が低下することが予想される。しかし、狭心症発作寛解のためのニトログリセリン舌下投与に際し、禁忌となるのは重篤な低血圧と心原性ショックであり、本件発作時はこれに該当しない。さらに本件発作時は、静脈ラインが確保されていないと思われ、点滴のための留置針を穿刺する必要がある。この処置により心筋虚血の時間が延長することになるため、即座にニトログリセリンを舌下させることは適切と考える。鑑定Bニトロペン®そのものの投与は血圧が低いことだけをもって禁忌とすることはできない。本件発作時の状況下でニトロペン®舌下に先立ち、昇圧剤の点滴投与を行うかどうかの判断は難しい。しかし、まず輸液ルートを確保し、酸素吸入の開始が望ましい処置といえ、必ずしも適切とはいえない部分がある。鑑定C冠攣縮性狭心症の発作時の処置としては、血圧の程度いかんにかかわらず、まずは攣縮により閉塞した冠動脈を拡張させることが重要であるため、ニトロペン®をまず投与したこと自体は問題がない。しかしながら、昇圧剤の投与時期、呼吸循環状態の維持、ボスミン®投与の方法に問題があり、急変後の処置全般について注意義務違反が認められる。裁判所の見解ニトログリセリンの舌下については、各鑑定の結果からみて問題はない。なお、鑑定の結果によれば、発作の誘因は発作の直前のトイレ歩行ないし排尿である。担当医師からベッド上安静、尿便器使用の指示がなされ、担当看護師からも尿器の使用を勧められたにもかかわらずトイレでの排尿を希望し、さらに看護師から医師に確認するので待っているように指示されたにもかかわらず、その指示に反して無断でベッドから降りて、トイレでの排尿を敢行したものであり、さらに拒否的な態度が被告医師の治療方法の選択を誤らせた面がないとはいえないことを考慮すると、患者自身の責任割合は5割と考えられる。原告(患者)側合計5,532万円の請求に対し、2,204万円の判決考察拒否的な態度の患者についていくら説明しても医師のアドバイスに従わない患者さん、病院内の規則を無視して身勝手に振る舞う患者さん、さらに、まるで自分が主治医になったかのごとく「あの薬はだめだ、この薬がよい」などと要求する患者さんなどは、普段の臨床でも少なからず遭遇することがあります。本件もまさにそのような症例だと思います。冠動脈造影などから異型狭心症と診断され、投薬治療を行っていましたが、再び動悸や失神発作に襲われて入院治療が開始されました。前回入院時には、内服薬や貼布剤、噴霧剤などに加えてミリスロール®の持続点滴により症状改善がみられていたので、今回もミリスロール®の点滴を開始しようと提案しました。ところが患者からは、「またあの点滴ですか」「あの薬を使うと頭痛がする」「点滴につながれると行動が制限される」「点滴が始まると入院が長くなる」というクレームがきて、点滴は嫌だと言い出しました。このような場合、どのような治療方針とするのが適切でしょうか。多くの医師は、「そこまでいうのなら、点滴はしないで様子を見ましょう」と判断すると思います。たとえミリスロール®の点滴を行わなくても、それ以外のカルシウム拮抗薬や硝酸薬によってもある程度の効果は期待できると思われるからです。それでもなおミリスロール®の点滴を強行して、ひどい頭痛に悩まされたような場合には、首尾よく狭心症の発作が沈静化しても別な意味でのクレームに発展しかねません。そして、ミリスロール®の点滴なしでいったんは症状が改善したのですから、病院側の主張通り適切な治療方針であったと思います。そして、再度の発作を予防するために、患者にはベッド上の安静(トイレもベッド上)を命じましたが、「どうしてもトイレに行きたい」と患者は譲らず、勝手に離床して、致命的な発作へとつながってしまいました。このような症例を「医療ミス」と判断し、病院側へ2,200万円にも上る賠償金の支払いを命じる裁判官の考え方には、臨床医として到底納得することができません。もし、大事なミリスロール®の点滴を医師の方が失念していたとか、看護師へ安静の指示を出すのを忘れて患者が歩行してしまったということであれば、医師の過失は免れないと思います。ところが、患者の異型狭心症をコントロールしようとさまざまな治療方針を考えて、適切な指示を出したにもかかわらず、患者は拒否しました。「もっと詳しく説明していればミリスロール®の点滴を拒否するはずはなかったであろう」というような判断は、結果を知ったあとのあまりにも一方的な考え方ではないでしょうか。患者の言い分、医師の言い分極論するならば、このような拒否的態度を示す患者の同意を求めるためには、「あなたはミリスロール®の点滴を嫌がりますが、もしミリスロール®の点滴をしないと命に関わるかもしれませんよ、それでもいいのですか」とまで説明しなければなりません。そして、理屈からいうと「命に関わることになってもいいから、ミリスロール®の点滴はしないでくれ」と患者が考えない限り、医師の責任は免れないことになります。しかし、このような説明はとても非現実的であり、患者を脅しながら治療に誘導することになりかねません。本件でもミリスロール®の点滴を強行していれば、確かに狭心症の発作が出現せず無事退院できたかもしれませんが、患者側に残る感情は、「医師に脅かされてひどい頭痛のする点滴を打たれたうえに、病室で身動きができない状態を長く強要された」という思いでしょう。そして、鑑定書でも示されたように、本件はたとえミリスロール®を点滴しても本当に助かったかどうかは不明としかいえず、死亡という最悪の結果の原因は「異型狭心症」という病気にあることは間違いありません。ところが裁判官の立場は、明らかに患者性善説、医師性悪説に傾いていると思われます。なぜなら、「退院時総括」の記述「本人の希望もあり、ミリスロール®DIV(点滴)せずに安静で様子をみていた」というきわめて重大な記述を無視していることその理由として、「入院経過用紙」には入院時におけるミリスロール®の点滴に関するやりとりの記載がないことを挙げている裁判になってから提出された家族からの申告:当日午後3:00頃見舞にきた家族が、「点滴していなかったんだね」といったことに対し、「軽かったのかな」と患者が答えたという陳述書を全面的に採用し、患者側には病態の重大性、ミリスロール®の必要性が伝わっていなかったと断定つまり、診療録にはっきりと記載された「患者の希望でミリスロール®を点滴しなかった」という事実をことさら軽視し、紛争になってから提出された患者側のいい分(本当にこのような会話があったのかは確かめられない)を全面的に信頼して、医師の説明がまずかったから患者が点滴を拒否したと言わんばかりに、医師の説明義務違反と結論づけました。さらにもう一つの問題は、本件で百歩譲って医師の説明義務違反を認めるとしても、十分な説明によって死亡が避けられたかどうかは「判断できない」という鑑定書がありながら、それをも裁判官は無視しているという点です。従来までは、説明が足りず不幸な結果になった症例には、300万円程度の賠償金を認めることが多いのですが、本件では(患者側の責任は5割としながらも)説明義務違反=死亡に直結、と判断し、総額2,200万円にも及ぶ高額な判決金額となりました。本症例からの教訓これまで述べてきたように、今回の裁判例はとうてい医療ミスとはいえない症例であるにもかかわらず、患者側の立場に偏り過ぎた裁判官が無理なこじつけを行って、死亡した責任を病院に押し付けたようなものだと思います。ぜひとも上級審では常識的な司法の判断を期待したいところですが、その一方で、医師側にも教訓となることがいくつか含まれていると思います。まず第一に、医師や看護師のアドバイスを聞き入れない患者の場合には、さまざまな意味でトラブルに発展する可能性があるので、できるだけ詳しく患者の言動を診療録に記載することが重要です(本件のような最低限の記載では裁判官が取り上げないこともあります)。具体的には、患者の理解力にもよりますが、医師側が提案した治療計画を拒否する患者には、代替可能な選択肢とそのデメリットを提示したうえで、はっきりと診療録に記載することです。本件でも、患者がミリスロール®の点滴を拒否したところで、(退院時総括ではなく)その日の診療録にそのことを記載しておけば、(今回のような不可解な裁判官にあたったとしても)医療ミスと判断する余地がなくなります。第二に、その真偽はともかく、死亡後に担当医師から、「(ミリスロール®)点滴をすべきでした。しなかったのは当方のミスです」という発言があったと患者側が主張した点です。前述したように、診療録に残されていない会話内容として、裁判官は患者側の言い分をそのまま採用することはあっても、記録に残っていない医師側の言い分はよほどのことがない限り取り上げないため、とくに本件のように急死に至った症例では、「○○○をしておけばよかった」という趣旨の発言はするべきではないと思います。おそらく非常にまじめな担当医師で、自らが関わった患者の死亡に際し、前向きな考え方から「こうしておけばよかったのに」という思いが自然に出てしまったのでしょう。ところが、これを聞いた患者側は、「そうとわかっているのなら、なぜミリスロール®を点滴しなかったのか」となり、いくら「実は患者さんに聞いてもらえなかったのです」と弁解しても、「そんなはずはない」となってしまいます。そして、第三に、担当医師の供述に対する裁判官への心証は、かなり重要な意味を持ちます。判決文には、「担当医師は当公判廷において、患者が『またあの点滴ですか』といったことは強烈に覚えている旨供述するものの、患者に対しミリスロール®点滴の必要性についてどのように説明を行ったかについては、必ずしも判然としない供述をしている」と記載されました。つまり、患者に行った説明内容についてあやふやな印象を与える証言をしてしまったために、そもそもきちんとした説明をしなかったのだろう、と裁判官が思い込んでしまったということです。医事紛争へ発展するような症例は、医療事故発生から数年が経過していますので、事故当時患者に口頭で説明した内容まで細かく覚えていることは少ないと思います。そして、がんの告知や手術術式の説明のように、ある一定の緊張感のもとに行われ承諾書という書面に残るようなインフォームドコンセントに対し、本件のように(おそらく)ベッドサイドで簡単にすませる治療説明の場合には、曖昧な記憶になることもあるでしょう。しかし、ある程度の経験を積めば自ずと説明内容も均一化してくるものと思いますので、紛争へと発展した場合には十分な注意を払いながら、明確な意思に基づく主張を心がけるべきではないかと思います。循環器

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明日の記憶【アルツハイマー型認知症】[改訂版]

「おれがおれじゃなくなっても平気か?」みなさんにとって、認知症の人にかかわるのは、大変なことでしょうか?それでは、認知症になった人自身はどんな気持ちなのでしょうか?私たちは、認知症ではないので、正直なところ、実体験はありません。ただ、想像を膨らませることはできます。そのために、今回、映画「明日の記憶」を取り上げます。主人公は、忘れていくことや分からなくなっていく中で、妻に訊ねます。「おれがおれじゃなくなっても平気か?」と。この映画は、認知症になり自分が自分でなくなってしまう恐怖と受容が、主人公の目線で描かれています。そんな主人公や彼を支える妻の生き様に、私たちは強く共感し、考えさせられます。それでは、認知症が進んでいく主人公の目から見た世界を追いながら、認知症について学んでいきたいと思います。前駆期―認知症の一歩手前主人公の佐伯は、49歳の広告会社のサラリーマン。働き盛りの中年というどこにでもいそうな男性で、そして舞台はどこにでもありそうな会社と家庭です。男として仕事に油が乗ってきているさなか、身の回りで今まで決してなかったことが次々と彼の身に降りかかります。まず、会社でのシーン。「え~名前、何て言ったかな・・・」「丸メガネで、髭生やした、ほら」と、別部署の親しい知人の名前が思い出せません(語健忘)。私たちも、人の名前を度忘れすることがありますが、それはあくまであまり親しくない人が相手の場合であり、親しい人の名前が思い出せないことはあまりありません。また、佐伯は広告会社の営業部長であるにもかかわらず、有名な外国人俳優の名前が出てこなくなります。部下から「(おっしゃりたいのは)ディカプリオ?」と聞かれて、「『デカ』プリオ」と言い間違え(錯語)、周りからからかわれてしまいました。さらに、佐伯は、会社の得意先との仕事の打ち合わせをすっぽかしてしまいます。しかもその約束をしたことすら覚えていない事態が起こったのです。こんなことは今までになく、「年のせいか」「50を迎えるというのはこういうことなのか」と考え、焦りと諦めが入り混じります(病識)。このように、年齢と比べて記憶力が極端に落ちてきている(記憶力低下)、自覚がある(病識)、その他の精神活動(認知機能)や日常生活動作(ADL)に問題がない状態(軽度認知機能障害<MCI>)は、認知症の一歩手前(前駆期)と呼ばれています。初期症状―認知症のなりかけ佐伯は、車のキーを置き忘れたり、通り慣れている高速道路の出口を見過ごしてしまうなど、ぼうっとすることが目立つようになります(抑うつ)。また、頭痛、めまい、だるさなどの体の不調もあり、いら立っています(不安焦燥)。これは、認知症のなりかけの特徴です(初期症状)。もちろん、過労や飲酒の影響もありそうです。また、うつ病と誤診されることもよくあります。そんな彼の異変を身近で見ていた妻は、さらに気付きます。彼は、毎回、シェービングクリームを買ったことを覚えておらず(健忘、記憶障害)、洗面所にいくつも貯め込んでいたのです。そして、心配した妻に連れられ病院に行きます。佐伯はサラリーマンとしてのプライドがあるだけに、診察した医者の前で何の問題もないように振る舞ってしまいます。しかし、認知症のスクリーニング検査(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)で、ついさっき聞いたことや見たことを思い出せないことが判明します(即時記憶障害)。この検査は30点満点で20点未満であれば認知症が疑われますが、主人公は19点でした(表1)。表1 主人公・佐伯の長谷川式の結果質問内容評価項目配点(1)お歳はおいくつですか?(※2歳以内までの誤差は正解)(2)今日は何年何月何日ですか?何曜日ですか?(3)ここはどこですか?家?、病院?、施設?の問いに正解したら1点。 時間見当識場所見当識1/14/42/2(4)次の言葉を言ってください。後でまた聞きますのでよく覚えておいてください。AかBのどちらかとする。A. (a)桜(b)電車(c)猫 / B. (a)梅(b)犬(c)自動車   言語性記銘   3/3(5)100から7を引いてください(100-7=?)。そこから7を引くと? (※最初の問題が不正解→打ち切り) 計算1/11/1(6)これから言う数字を後ろから(逆に)言ってください。2-7-4 ? 8-3-5-9 ? (※最初の問題が不正解→打ち切り)逆唱注意/集中1/11/1(7)先ほどの3つ言葉を言ってください。次のヒントで正解した場合はそれぞれ1点とする。(a)植物(b)乗り物(c)動物  遅延再生1/21/21/2(8)これから5つの品物を見せます。それを隠しますので何があったか言ってください。例、ハンカチ、コイン、腕時計、ペン、名刺  視覚性記銘  2/5(9)野菜の名前をできるだけ多く言ってください。5つ以下→0点、 6つ→1点、7つ→2点、8つ→3点、9つ→4点、10つ→5点  流暢性  0/5合計点19/30悪い知らせ(告知)の伝え方―間(ま)と共感その後、精密検査が進められます。頭の中の画像写真(MRI)で記憶を司る海馬を中心とした全体的な脳の縮み(全般性脳萎縮)が見られます。さらに、脳血流の検査(SPECT)では、脳のある部分(後部帯状回)が著しく血の巡りが悪くなっていることが確認できました。日常生活上の問題(臨床症状)、スクリーニング検査、精密検査を総合的に判断の上、アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)と診断されます。主治医は、「アルツハイマー病で間違いありません」と、裁判官が審判を下すように、険しい表情ではっきりと言います(審判的態度)。そして、矢継ぎ早に今後の方針を早口でまくしたてています。一般的に、患者は、悪い知らせ(告知)を聞いた時、2つのパターンの反応をします。ショックの余りに呆然として人ごとのようにして話を聞いていないパターンと(否認)、「どうしておれが!?」と込み上げた怒りで主治医に八つ当たりするパターンです(怒り)。この主治医の態度は佐伯の怒りを逆なでしているのが生々しく描かれています。佐伯は、主治医に「おまえいくつなんだ?」「医者になって何年になる?」「慣れちゃったんだよな」と絡んでいきます。主治医は、律儀に質問に答え、すかさず「セカンドオピニオンを勧めるのは・・・」と話を続けます。もしかしたら、主治医は緊張していたのかもしれません。その後、佐伯は、「病気のことは分かっても、それを言われる奴の気持ちのことなんて考えたことないだろ!」と吐き捨てます。この告知のシーンから学ぶことができるのは、まずは告知された時の患者の気持ちを受け止めることの大切さです(受容)。そのために、必要なことは、2つです。1つは、間(ま)を置くことです。「とても大切な話があります」「大変残念なのですが」と前置きをして相手に心の準備をさせたり、理解が進んでいるかを相手の表情を見ながら確認することです。もう1つは、共感することです。険しい表情をするのではなく、やや申し訳なさそうな表情をして、相手の心に寄り添うことです。受容と家族の支えアルツハイマー病と告知された後も、佐伯はその現実を受け止められず、あまりのショックで取り乱し、思わず屋上に上がりフェンスを越えて、衝動的に飛び降り自殺しようとします。なぜなら、会社で大きな仕事を任された大事な時期であり、そのギャップに耐えられなかったからです。一般的に、認知症の発病年齢は、70代です。つまり、自分の子どもが巣立ち退職年齢を過ぎてしばらく経ってからというタイミングです。佐伯のように65歳未満で発症した場合(若年性)は、単に年齢が若いというだけでなく、体力的には健康であり、仕事をし、家族の中でまだまだ中心的な役割を担っており、本人にとってまだやり残したことが多すぎるのです。やれると思っていたことが、少しずつやれなくなっていく恐怖や苦しみから絶望的になるのです。追いかけてきた主治医が佐伯に言い諭します。「死ぬということは、人の宿命です」「でもだからと言って何もできないわけではありません」「僕にはできることがある」「自分にできることをしたい」と。それは、同時に佐伯にも当てはまるメッセージでもありました。まさに「できること」が刻々と限られていく佐伯にとって、その瞬間、その瞬間を精一杯生きることが自分らしさであることに気付かせてくれます。「もし今までの自分が消えてしまうのなら、何かを残したい」と。若年性での発病ならではの発想です。生きた証が欲しいのです。佐伯は妻に問いかけます。「ゆっくり死ぬんだよ」「おれがおれじゃなくなっても平気か?」と。妻は「私だって恐い」「家族だもの」「私がずうっとそばにいます」と言い、寄り添います。夫婦など家族の支えの頼もしさを感じます。病気に対して一丸となって向き合うことで、夫婦の愛と絆を確認し合い、夫婦の結束が生まれ、主人公は勇気付けられます。中核症状―中核となる症状(表2)認知症には、まず、中核となる症状(中核症状)があります。これには、主に5つのポイントがあります。佐伯の症状を例にとって、見ていきましょう。1つ目は、もの忘れ(健忘、記憶障害)です。会社のロビーを歩いていた彼は急に立ち止まり、自分が何をしているのか見当がつかなくなります。そして、ポケットの中に入っていた「10月29日(金)退社」のメモで我に返るシーンがあります。今がいつでここがどこなのかという時間や場所の見当がつかなくなってきます(見当識障害)。進行すると、ある出来事の一部分ではなく、丸ごと忘れてしまいます(記憶の抜け落ち)。忘れている自覚(病識)がなく、つまり「忘れていることを忘れている」状態に陥っています。「忘れたことを覚えている」という度忘れやうっかり忘れ(不注意)ではないのです。そして、忘れる内容は、最近の出来事から(近時記憶障害)、徐々に昔へと遡っていくのです(遠隔記憶障害)。2つ目は、言葉がちゃんと出なくなり、うまく話せなくなることです(失語)。主人公は会話の中で、たびたび人やものの名前が出てこなくなり、指示も「あれ」「それ」などの代名詞が多くなっていきます(語健忘)。また、前述の「『デカ』プリオ(ディカプリオ)」に加えて、ラストシーンで登場する陶芸の師匠が発した「『パラ』ライス(パラダイス)」などの言い間違え(錯語)も当てはまります。症状が進めば、やがて無言になっていきます。3つ目は、体の動かし方が分からなくなることです(失行)。彼は、携帯ストラップの先のヒモを携帯電話の本体のヒモ穴に入れられず、不器用になっています(運動失行)。また、歯磨きの仕方が分からなくなり(観念失行)、妻の歯磨きのマネをしています。症状が進めば、やがて、動くことをやめて、寝たきりになります(無動)。4つ目は、人やものごとの認識ができなくなることです(失認)。前半のシーンで、彼が部下と行った食堂で、見慣れた部下たちの顔が一時的に分からなくなっています(相貌失認)。また、通勤で使う駅付近の見慣れた街並みに違和感を抱いて、迷子になります(街並み失認)。ちょうど私たちにとって外国人の顔や外国の街並み、外国語の文字の区別がしづらいように、全てが見慣れない顔や景色として目に映ってしまうのです。症状が進めば、顔、街並み、色彩、文字などのあらゆる違いが分からなくなっていき、人やものごとが全て同じように見えていきます。5つ目は、計画を立ててやり遂げられなくなること(実行機能障害)です。彼は、電車に乗って遠出するなどの計画を立てることが自分だけでは困難になっていました。表2 主人公・佐伯の認知症の経過軽度認知機能障害認知症前駆期初期中期後期年齢49歳~51歳~55歳~病識ありなし中核症状記憶力低下記憶障害(即時記憶→近時記憶→遠隔記憶)失語(語健忘、錯誤)失行(運動失行、観念失行)失認(相貌失認、街並み失認)実行機能障害無言寝たきり(無動)周辺症状なし抑うつ不安焦燥錯覚、幻覚、せん妄、徘徊、妄想、感情失禁、攻撃性、パーソナリティ変化ADL自立部分介助全介助周辺症状―中核症状から広がっていく症状(表2)もう1つの認知症の症状は、中核症状から広がっていく症状です(周辺症状)。これは、認知症が進むことにより、脳の働きが弱まるので、全ての精神症状が起こり得ます。佐伯の症状を例にとって、見ていきましょう。佐伯は、会社の会議でプレゼンをしている、ある部下の顔が白黒で見慣れない顔に歪んで見えてしまい(錯視、錯覚)、戸惑っています。また、会社内を歩いていると、急に、見えている世界が歪んでいきます。これは、脳の働きが弱まっていることで、意識(意識の量)が落ちていき、見ている世界が暗く、曇って、もやもや濁ってしまいやすくなる状態です(意識レベルの低下)。さらに、会社の人たちが全員自分を見て何やらヒソヒソ話しているように見えたり(錯覚)、いるはずのない妻や娘の婚約者が何人も出てきたり、高校生の娘や小学生の娘が現れて話しかけられたり、自分自身が現れ、話しかけられたりします(幻覚)。これは、意識レベルの低下から、意識(意識の質)が揺らいでまどろみ、寝ぼけたように白昼夢を見ているような状態です(せん妄)。主人公の目線で描かれているため、その時の恐怖感が生々しいです。★意識(意識の量)がさらに落ちていけば、意識を失うので、せん妄はなくなります。中期の症状佐伯は、認知症が発病して2年が経った51歳の頃から、さらに様々な症状が出てきます(中期の症状)。ネクタイを締めて「今日、会議あるから」と会社に行こうとして、近所をうろうろするようになります(徘徊)。その後、生活費のために妻が働き出しますが、彼は「お前、誰と会ってるんだ?外で」「誰かいい奴、いるんだろ」と妻に迫ります。これは嫉妬の思い込みです(嫉妬妄想)。そして、「こんな男でゴメンな」と泣きじゃくります(感情失禁)。やがて、彼は、表情も乏しくなり、目つきも変わっていきます。そして、妻の前でぼやきます。「邪魔だったら言ってくれよ」「なあ、オレ、生きてるだけで迷惑なんだろ」「オレの病気が嫌だったら出てけよ」と。それに妻がつい感情的に言い返すと、気が付いた時には、彼は角皿で妻の頭を殴り、流血させてしまっていたのでした(攻撃性)。このように、病状が進むにつれて、人格(パーソナリティ)そのものが変わってしまうのです(パーソナリティ変化)。治療―かかわり方のコツ佐伯は、進行を遅らせる抗認知症薬の内服を始めました(薬物療法)。また、日記をつけたり手先を使う陶芸をしたりするなどして、脳への刺激を高めています(認知症リハビリテーション)。妻が感情的に巻き込まれてしまったために、彼が暴力を振るってしまうシーンでは、彼と妻は家では2人きりで、感情的に巻き込まれるリスクがあることが分かります。このように、感情的に接すること、抱え込むことは、本人の感情を煽って病状を悪くさせるだけでなく、家族を心理的に追い込むことにもなることということがよく分かります。その直後に、妻は彼と自分自身に「あなたのせいじゃない」「あなたの病気がやったことなの」と冷静に言い聞かせようとします(客観化)。逆に言えば、かかわる家族が客観的になれるかで、本人の病状を落ち着かせられるかが変わってきます。本人ができるという自尊心が守られ、自分の居場所があると実感することで、暴力などの周辺病状が落ち着くのです。本人が戸惑わないように、家の至るところに張り紙をして、指示を分かりやすくすることも効果があります。「おれがおれじゃなく」なった瞬間佐伯は、かつて妻にプロポーズした思い出の陶芸の窯の場所に、昔の妻の幻覚に導かれながら彷徨い着きます。昔に過ごした場所は覚えており、思い出の場所まで辿りつくことができるのでした。そこには、若かりし頃の自分や妻の幻覚がいます。そこで再会を果たした陶芸の窯主の師匠も認知症を患っており、佐伯よりも認知症の症状が進んでいました。しかし、山小屋での独り暮らしを続け、陶芸のやり方は覚えています。そして、佐伯は師匠の指導を受け、野焼きで陶器を完成させます。熱せられて醸成された器は、あたかも血流の低下により縮んでしまった主人公の脳に重なり、施設での彼の寝たきりのシーンでは、その器には妻により温かいお茶が注がれているのが象徴的でした。師匠は力強く言い放ちます。「わしはボケてなんかおらんぞ」「そんなことはおれが決める!」「生きてりゃいいんだよ」と。そして、焚き火で焼いた玉ねぎを主人公に振る舞います。主人公が焼けた玉ねぎを丸ごと食べる様子は、自然に帰り素朴に生きる力強さや喜びに溢れています。それは、主人公がかつて勤めていた会社が求めていたようなスピード、効率、生産性が求められる世界とは真反対です。現代の情報化社会で求められている価値観に警鐘を鳴らしているようです。まるで、老いることへの現代の価値観が認知症の患者を作り上げ、彼らを追いやっているような感覚にさえ囚われてしまいます。そして、ついに捜索にやってきた妻を目の前にして、もはや妻が妻であると分からず、25年間連れ添った妻に対して自己紹介します。その姿は、妻にとってまさに彼が「おれがおれじゃなく」なった瞬間でした。さらに認知症が進んだことを物語っています。悲しくもありますが、同時にまた彼が妻を立ち止まって待っている様子からすると、それは、彼の心の中では妻との思い出が丸ごとなくなり、ちょうど妻に出会う若い頃に若返り、また一から好きになり始めているということをほのめかしているようです。経過―赤ちゃん返りこの映画では、月日が経つにつれて、佐伯が、精神的に少しずつ赤ちゃんに帰っていく様子が描かれています(赤ちゃん返り)。孫娘には、すでに遊びの主導権を握られています。庭に植えられた木を見つめているシーンは、まるで彼が植物に変わりゆくのを悟っているようにも見えます。日差しが心地良く、雨が嬉しいようです。アルツハイマー型認知症の原因ははっきりとは分かっていませんが、脳細胞の変性と言われ、一度発病すると脳細胞がどんどん死んでいき、それに従って脳は縮んでいきます。進行には個人差がありますが、生存年数はだいたい5年~10年です。彼の場合は、発病から6年で、55歳にして、ほぼ寝たきりになっていました(後期の症状)。傍らに、孫娘の成長の写真が飾られていますが、孫の成長と彼の病気の進行は、絶妙なコントラストになっています。写真に映る6歳の孫がピアノ発表会で生き生きとしているのに対して、安らかな表情でほとんど動かない彼はもはや眠り続ける赤ちゃんです。もう認知症が進むことに苦悩することもありません。「明日の記憶」というタイトルは逆説的です。私たちも主人公の立場に立ち、いろいろなことを忘れて行き、自分が忘れて行くという運命を受け止めた時に、最後に忘れてはならないものを考えさせられます。記憶とは、自分だけのものではありません。それは、自分と相手とを結び付け、さらには、分かち合い信頼し合うことを通して、自分が相手の中で生き続けるものでもあります。そして、その記憶こそが、「明日の記憶」であると言えるのではないでしょうか?1)「明日の記憶」(光文社文庫) 萩原浩 20072)「標準精神医学」(医学書院) 野村総一郎 2010

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基準通り抗がん剤を投与したにもかかわらず副作用で急死した肺がんのケース

癌・腫瘍最終判決判例時報 1734号71-82頁概要息切れを主訴としてがん専門病院を受診し、肺がんと診断された66歳男性。精査の結果、右上葉原発の腺がんで、右胸水貯留、肺内多発転移があり、胸腔ドレナージ、胸膜癒着術を行ったのち、シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用化学療法が予定された。もともと軽度腎機能障害がみられていたが、初回シスプラチン、塩酸イリノテカン2剤投与後徐々に腎機能障害が悪化した。予定通り初回投与から1週間後に塩酸イリノテカンの単独投与が行われたが、その直後から腎機能の悪化が加速し、重度の骨髄抑制作用、敗血症へといたり、化学療法開始後2週間で死亡した。詳細な経過患者情報12年前から肥大型心筋症、痛風と診断され通院治療を行っていた66歳男性経過1994年3月中旬息切れが出現。3月28日胸部X線写真で胸水を確認。細胞診でclass V。4月11日精査治療目的で県立ガンセンターへ紹介。外来で諸検査を施行し、右上葉原発の肺がんで、右下肺野に肺内多発転移があり、がん性胸膜炎を合併していると診断。5月11日入院し胸腔ドレナージ施行、胸水1,500mL排出。胸膜癒着の目的で、溶連菌抽出物(商品名:ピシバニール)およびシスプラチン(同:アイエーコール)50mgを胸腔内に注入。5月17日胸腔ドレナージ抜去。胸部CTで胸膜の癒着を確認したうえで、化学療法を施行することについて説明。シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用療法を予定した(シスプラチン80mg/m2、塩酸イリノテカン60mg/m2を第1日、その後塩酸イリノテカン60mg/m2を第8日、第15日単独投与を1クールとして、2クール以上くり返す「パイロット併用臨床試験」に準じたレジメン)。医師:抗がん剤は2種類で行い、その内の一つは新薬として承認されたばかりでようやく使えるようになったものです。副作用として、吐き気、嘔吐、食欲低下、便秘、下痢などが生じる可能性があります。そのため制吐薬を投与して嘔吐を予防し、腎機能障害を予防するため点滴量を多くして尿量を多くする必要があります。白血球減少などの骨髄障害を生じる可能性があり、その場合には白血球増殖因子を投与します患者:新薬を使うといわれたが、具体的な薬品名、吐き気以外の副作用の内容、副作用により死亡する可能性などは一切聞いていない5月23日BUN 26.9、Cre 1.31、Ccr 40.63mL/min。5月25日シスプラチン80mg/m2、塩酸イリノテカン60mg/m2投与。5月27日BUN 42.2、Cre 1.98、WBC 9,100、シスプラチンによる腎機能障害と判断し、輸液と利尿薬を継続。6月1日BUN 74.1、Cre 2.68、WBC 7,900。主治医は不在であったが予定通り塩酸イリノテカン60mg/m2投与。医師:パイロット併用臨床試験に準じたレジメンでは、スキップ基準(塩酸イリノテカンを投与しない基準)として、「WBC 3,000未満、血小板10万未満、下痢」とあり、腎機能障害は含まれていなかったので、予定通り塩酸イリノテカンを投与した。/li>患者:上腹部不快感、嘔吐、吃逆、朝食も昼食もとれず、笑顔はみせるも活気のない状態なのに抗がん剤をうたれた。しかもこの日、主治医は学会に出席するため出張中であり、部下の医師に申し送りもなかった。6月3日BUN 67.5、Cre 2.55、WBC 7,500、吐き気、泥状便、食欲不振、血尿、胃痛が持続。6月6日BUN 96.3、Cre 4.04、WBC 6,000、意識レベルの低下および血圧低下がみられ、昇圧剤、白血球増殖因子、抗菌薬などを投与したが、敗血症となり病態は進行性に悪化。6月8日懸命の蘇生措置にもかかわらず死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用投与当時は副作用について十分な知識がなく、しかも抗がん剤使用前から腎機能障害がみられていたので、腎毒性をもつシスプラチンとの併用療法はするべきではなかった2.塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン再投与前は、食欲がなく吐き気が続き、しかも腎機能が著しく低下していたので、漫然と再投与を行ったのは過失である。しかも、学会に出席していて患者の顔もみずに再投与したのは、危険な薬剤の無診察投与である2.インフォームドコンセント塩酸イリノテカン投与に際し、単に「新しい薬がでたから」と述べただけで、具体的な薬の名前、併用する薬剤、副作用、死亡する可能性などについては一切説明なく不十分であった。仮にカルテに記載されたような説明がなされたとしても、カルテには承諾を得た旨の記載はない病院側(被告)の主張1.シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用投与シスプラチン、塩酸イリノテカンはともに厚生大臣(当時)から認可された薬剤であり、両者の併用療法は各臨床試験を経て有用性が確認されたものである。抗がん剤開始時点において、腎機能は1/3程度に低下していたが、これは予備能力の低下に過ぎず、併用投与の禁忌患者とされる「重篤な腎障害」とはいえない2.塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン研究会の臨床試験実施計画書によれば、2回目投与予定日に「投与しない基準」として白血球数の低下、血小板数の低下、下痢などが記載されているが、本件はいずれにも該当しないので、腎機能との関係で再投与を中止すべき根拠はない。なお当日は学会に出席していたが、同僚の呼吸器内科医師に十分な引き継ぎをしている2.インフォームドコンセント医師は患者や家族に対して、詳しい説明を行っても、特段の事情がない限りその要旨だけをカルテに記載し、また、患者から承諾を得てもその旨を記載しないのが普通である裁判所の判断1. 腎機能悪化の予見可能性抗がん剤投与前から腎機能障害が、シスプラチンの腎毒性によって悪化し、その状態で塩酸イリノテカンの腎毒性によりさらに腎機能が悪化し、骨髄抑制作用が強く出現して死亡した。もし塩酸イリノテカンを再投与していなければ、3ヵ月程度の余命が期待できた。2. 塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン再投与時、腎機能は併用療法によって確実に悪化していたため、慎重に投与するかあるいは腎機能が回復するまで投与を控えるべきであったのに、引き継ぎの医師に対して細かな指示を出すことなく、主治医は学会に出席した。これに対し被告はスキップ基準に該当しないことを理由に再投与は過失ではないと主張するが、そもそもスキップ基準は腎機能が正常な患者に対して行われる併用療法に適用されるため、投与直前の患者の各種検査結果、全身状態、さらには患者の希望などにより、柔軟にあるいは厳格に解釈する必要があり、スキップ基準を絶対視するのは誤りである。3. インフォームドコンセント被告は抗がん剤の副作用について説明したというが、診療録には副作用について説明した旨の記載はないこと、副作用の説明は聞いていないという遺族の供述は一致していることから、診療録には説明した内容のすべてを記載する訳ではないことを考慮しても、被告の供述は信用できない。原告側合計2,845万円の請求に対し、536万円の判決考察本件のような医事紛争をみるにつけ、医師と患者側の認識には往々にしてきわめて大きなギャップがあるという問題点を、あらためて考えざるを得ません。まず医師の立場から。今回の担当医師は、とてもまじめな印象を受ける呼吸器内科専門医です。本件のような手術適応のない肺がん、それも余命数ヵ月の患者に対し、少しでも生存期間を延ばすことを目的として、平成6年当時認可が下りてまもない塩酸イリノテカンとシスプラチンの併用療法を考えました。この塩酸イリノテカンは、非小細胞肺がんに効果があり、本件のような腺がん非切除例に対する単独投与(第II相臨床試験;初回治療例)の奏効率は29.8%、パイロット併用試験における奏効率は52.9%と報告されています。そこで医師としての良心から、腫瘍縮小効果をねらって標準的なプロトコールに準拠した化学療法を開始しました。そして、化学療法施行前から、BUN 26.9、Cre 1.31、クレアチニンクリアランスが40.63mL/minと低下していたため、シスプラチンの腎毒性を考えた慎重な対応を行っています。1回目シスプラチンおよび塩酸イリノテカン静注後、徐々に腎機能が悪化したため、投与後しばらくは多めの輸液と利尿薬を継続しました。その後腎機能はBUN 74.1、Cre 2.68となりましたが、初回投与から1週間後の2回目投与ではシスプラチンは予定に入らず塩酸イリノテカンの単独投与でしたので、その当時シスプラチン程には腎毒性が問題視されていなかった塩酸イリノテカンを投与することに踏み切りました。もちろん、それまでに行われていたパイロット併用試験におけるスキップ基準には、白血球減少や血小板減少がみられた時は化学療法を中止しても、腎障害があることによって化学療法を中止するような取り決めはありませんでした。したがって、BUN 74.1、Cre 2.68という腎機能障害をどの程度深刻に受け止めるかは意見が分かれると思いますが、臨床医学的にみた場合には明らかな不注意、怠慢などの問題を指摘することはできないと思います。一方患者側の立場では、「余命幾ばくもない肺がんと診断されてしまった。担当医師からは新しい抗がん剤を注射するとはいわれたが、まさか2週間で死亡するなんて夢にも思わなかったし、副作用の話なんてこれっぽっちも聞いていない」ということでしょう。なぜこれほどまでに医師と患者側の考え方にギャップができてしまったのでしょうか。さらに、死亡後の対応に不信感を抱いた遺族は裁判にまで踏み切ったのですから、とても残念でなりません。ただ今回の背景には、紛争原因の一つとして、医師から患者側への「一方通行のインフォームドコンセント」が潜在していたように思います。担当医師はことあるごとに患者側に説明を行って、予後の大変厳しい肺がんではあるけれども、できる限りのことはしましょう、という良心に基づいた医療を行ったのは間違いないと思います。そのうえで、きちんと患者に説明したことの「要旨」をカルテに記載しましたので、「どうして間違いを起こしていないのに訴えられるのか」とお考えのことと思います。ところが、説明したはずの肝心な部分が患者側には適切に伝わらなかった、ということが大きな問題であると思います(なお通常の薬剤を基準通り使用したにもかかわらず死亡もしくは後遺障害が残存した時は、医薬品副作用被害救済制度を利用できますが、今回のような抗がん剤には適用されない取り決めになっています)。もう一つ重要なのは、判決文に「患者の希望を取り入れたか」ということが記載されている点です。本件では抗がん剤の選択にあたって、「新しい薬がでたから」ということで化学療法が始まりました。おそらく、主治医はシスプラチンと塩酸イリノテカンの併用療法がこの時点で考え得る最良の選択と信じたために、あえて別の方法を提示したり、個々の医療行為について患者側の希望を聞くといった姿勢をみせなかったと思います。このような考え方は、パターナリズム(父権主義:お任せ医療)にも通じると思いますが、近年の医事紛争の場ではなかなか受け入れがたい考え方になりつつあります。がんの告知、あるいは治療についてのインフォームドコンセントでは、限られた時間内に多くのことを説明しなければならないため、どうしても患者にとって難解な用語、統計的な数字などを用いがちだと思います。そして、患者の方からは、多忙そうな医師に質問すると迷惑になるのではないか、威圧的な雰囲気では言葉を差し挟むことすらできない、などといった理由で、ミスコミュニケーションに発展するという声をよく聞きます。中には、「あの先生はとても真剣な眼をして一生懸命話してくれた。そこまでしてくれたのだからあの先生にすべてを託そう」ですとか、「いろいろ難しい話があったけれども、最後に「私に任せてください」と自信を持っていってくれたので安心した」というやりとりもありますが、これほど医療事故が問題視されている状況では、一歩間違えると不毛な医事紛争へと発展します。こうした行き違いは、われわれすべての医師にとって遭遇する可能性のあるリスクといえます。結局は「言った言わないの争い」になってしまいますが、やはり患者側が理解できる説明を行うとともに、実際に患者側が理解しているのか確かめるのが重要ではないでしょうか。そして、カルテを記載する時には、いつも最悪のことを想定した症状説明を行っていること(本件では抗がん剤の副作用によって死亡する可能性もあること)がわかるようにしておかないと、本件のような医事紛争を回避するのはとても難しくなると思います。癌・腫瘍

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リハビリテーション中の転倒事故で死亡したケース

リハビリテーション科最終判決平成14年6月28日 東京地方裁判所 平成12年(ワ)第3569号 損害賠償請求事件概要脳梗塞によるてんかん発作を起こして入院し、リハビリテーションを行っていた63歳男性。場所についての見当識障害がみられたが、食事は自力摂取し、病院スタッフとのコミュニケーションは良好であった。ところが椅子坐位姿勢の訓練中、看護師が目を離したすきに立ち上がろうとして後方へ転倒して急性硬膜下血腫を受傷。緊急開頭血腫除去手術が行われたが、3日後に死亡した。詳細な経過患者情報既往症として糖尿病(インスリン療法中)、糖尿病性網膜症による高度の視力障害、陳旧性脳梗塞などのある63歳男性経過1997年1月から某大学病院に通院開始。1998年9月14日自らが購入したドイツ製の脳梗塞治療薬を服用した後、顔面蒼白、嘔吐、痙攣、左半身麻痺などが出現。9月15日00:13救急車で大学病院に搬送。意識レベルはジャパンコーマスケール(JCS)で300。血圧232/120mmHg、脈拍120、顔面、下腿の浮腫著明。鎮静処置後に気管内挿管し、頭部CTスキャンでは右後頭葉の陳旧性脳梗塞、年齢に比べ高度な脳萎縮を認めた。02:00その後徐々に意識レベルは上昇し(JCS:3)抜管したが、拘禁症候群のためと思われる「夜間せん妄」、「ごきぶりがいる」などの幻覚症状、意味不明の言動、暴言、意識混濁状態、覚醒不良などがあり、活動性の上昇がなかなかみられなかった。9月19日ベッド上ギャッジ・アップ開始。9月20日椅子坐位姿勢によるリハビリテーション開始。場所についての見当識障害がみられたものの、意識レベルはJCS 1~2。「あいさつはしっかりとね、しますよ。今日は天気いいね」という会話あり。看護記録によれば、21:00頃覚醒す。その後不明言動きかれ、失見当識あり夜間時に覚醒、朝方に入眠する。意味不明なことをいう時もある朝方入眠したのは、低血糖のためか?BSコントロールつかず要注意ES自力摂取可も手元おぼつかないかんじあり。呂律回らないような、もぐもぐした口調。イスに移る時めまいあるも、ほぼ自力で移動可ES時、自力摂取せず、食べていてもそしゃくをやめてしまう。ボオーッとしてしまう。左側に倒れてしまうため、途中でベッドへ戻す時々ボーッとするのは、てんかんか?「ここはどこだっけ」会話成立するも失見当識ありES取りこぼし多く、ほとんど介助にて摂取す9月21日09:00全身清拭後しばらくベッド上ギャッジ・アップ。10:30ベッド上姿勢保持のリハビリテーション開始。場所についての見当識障害あり「俺は息子がいるんだ。でもね、ずっと会っていないんだ」「家のトイレ新しいんだよ。新しいトイレになってから1週間だから、早くそれを使いたいなあ。まだ駄目なの?仕方ないねえ。今家じゃないの?そう。病院なの。じゃあ仕方ないねえ」11:00担当医師の回診、前日よりも姿勢保持の時間を延ばし、食事も椅子坐位姿勢でとるよう指示。ベッドから下ろしてリハビリ用の椅子(パラマウント社製:鉄パイプ製の脚、肘置きのついた折り畳み式、背もたれの高さは比較的低い)に座らせた。その前に長テーブルを置いて挟むように固定し、テーブルの脚には左右各5kgの砂嚢をおいた。12:00看護師は「食事を取ってくるので動かないでね」との声かけに頷いたことを確認し、数メートル先の配膳車から食事を取ってきた。準備された食事は自力でほぼ全部摂取。食事終了後、看護師は患者に動かないよう声をかけ、数メートル先の配膳車に下膳。12:30食後の服薬および歯磨き。このときも看護師は「歯磨きの用意をしてくるから動かないでね」、「薬のお水を持ってくるから動かないでね」と声をかけ、患者の顔や表情を観察して、頷いたり、「大丈夫」などと答えたりするのを確認したうえでその場を離れた。13:00椅子坐位での姿勢保持リハビリが約2時間経過。「その姿勢で辛くないですか」との問いに患者は「大丈夫」と答えた。13:10午後の検査予定をナース・ステーションで確認するため、「動かないようにしてね」と声をかけ、廊下を隔て斜め向かい、数メートル先のナース・ステーションへ向かった。その直後、背後でガタンという音がし、患者は床に仰向けで後ろ側に転倒。ただちに看護師が駆けつけると、頭をさすりながらはっきりした口調で「頭打っちゃった」と返答。ところが意識レベルは徐々に低下、頭部CTスキャンで急性硬膜下血腫と診断し、緊急開頭血腫除去術を施行。9月24日20:53死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.予見可能性坐位保持リハビリテーションはまだ2日目であり、長時間のリハビリテーションは患者にとって負担になることが予見できた。さらに場所についての見当識障害があるため、リハビリテーション中に椅子から立ち上がるなどの危険行動を起こして転倒する可能性は予見できた2.結果回避義務違反病院側は下記のうちのいずれかの措置をとれば転倒を回避できた(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定する病院側(被告)の主張事故当時、患者は担当看護師と十分なコミュニケーションがとれており、「動かないようにしてね」という声かけにも頷いて看護師のいうことを十分理解し、その指示に従った行動を取ることができた。そして、少なくとも、担当看護師がナース・ステーションに午後の検査予定を確認しにいき戻ってくるまでの間、椅子坐位姿勢を保持するのに十分な状態であった。当時みられた見当識障害は場所についてのみであり、この見当識障害と立ち上がる動作をすることとは関係はない。したがって本件事故は予測不可能なものであり、病院側には過失はない。裁判所の判断1. 予見可能性事故当時、少なくとも看護師に挟まれた状態では自分で立っていることが可能であったため、自ら立ち上がり、または立ち上がろうとする運動機能を有していたことが認められる。そして、看護師の指示に対して頷くなどの行動をとったとしても、場所的見当識障害などが原因で指示の内容を理解せず、あるいはいったん理解しても失念して、立ち上がろうとするなどの行動をとること、その際に体のバランスを失って転倒するような事故が生じる可能性があることは、担当医師は予見可能であった。2. 結果回避義務違反転倒による受傷の可能性を予見し得たのであるから、担当医師ないし看護師は、テーブルを設置して前方への転倒を防ぐ方策だけではなく、椅子の後ろに壁を近接させたり、付添いを中断する時は椅子から立ち上がれないように身体を固定したり、転倒を防止するために常時看護師が付き添うなどの通常取り得る措置によって、転倒防止を図ることが可能であった(現に5kgの砂嚢2個を脚に乗せたテーブルを設置して前方への転倒防止策を講じていながら後方への転倒防止策は欠如していた)ので、医療行為を行う上で過失、債務不履行があった。2,949万の請求に対し、1,590万円の支払命令考察病院内の転倒事故はすべて医療過誤?今回の患者は、インスリンを使用するほどの糖尿病に加えて、糖尿病性網膜症による視力障害も高度であり、以前から脳梗塞を起こしていた比較的重症のケースです。そして、医師の許可なく服用したドイツ製の治療薬によって、顔面蒼白、嘔吐、左半身麻痺、てんかん発作を発症し、大学病院に緊急入院となりました。幸いにも発作はすぐに沈静化し、担当医師や看護師は何とか早く日常生活動作が自立するように、離床に向けた積極的なリハビリテーションを行ないました。このような中で起きたリハビリ用椅子からの転倒事故です。その直前の状況は、「ここはどこだっけ」といった場所に関する見当識障害はあったものの、担当医師や看護師とはスムーズに会話し、食事も自力で全量摂取していました。はたして、このような患者を担当した場合に、四六時中看護師が付き添って看視するのが一般的でしょうか。ましてや、看護師が離れる時は患者が転倒しないように椅子に縛り付けるのでしょうか?もし今回の転倒前にもしばしば立ち上がろうとしたり、病院スタッフの指示をきちんと守ることができず事故が心配される患者の場合には、上記のような配慮をするのが当然だと思います。しかし、今回の患者は、とてもそのような危険が迫っていたとはいえなかったと思います。ところが、判決では「場所に関する見当識障害」があったことを重要視し、この患者の転倒事故は予見可能である、そして、予見可能であるのなら転倒防止のための方策を講じなければならない、という単純な考え方により、100%担当医師の責任と判断しました。実際に転倒現場に立ち会わなかった医師の責任が問われているのですから、きわめて厳しい判決であると思いますし、このような考え方が標準とされるならば、軽度の認知症の患者はすべて椅子やベッドに縛り付けなければならない、などという極論にまで発展してしまうと思います。最近では、高齢者ケアにかかわるすべてのスタッフに「身体拘束ゼロ作戦」という厚生労働省の指導が行われていて、身体拘束は、「事故防止の対策を尽くしたうえでなお必要となるような場合、すなわち切迫性、非代替性、一時性の三つの要件を満たし、「緊急やむを得ない場合」のみに許容される」としています。確かに、身体拘束を減らすことは、患者の身体的弊害(関節拘縮や褥瘡など)、精神的弊害(認知障害や譫妄)、社会的弊害をなくすことにつながります。ところが実際の医療現場で、このような比較的軽症の患者に対し一時的にせよ(看護師が目を離す数秒~数十秒)身体拘束をしなかったことを問題視されると、それでなくても多忙な日常業務に大きな支障を来たすようになると思います。ただ法的な問題としては、「利用者のアセスメントに始まるケアのマネジメント過程において、身体拘束以外の事故発生防止のための対策を尽くしたか否かが重要」と判断されます。つまり、入院患者の「転倒」に対してどの程度の配慮を行っていたのか、という点が問われることになります。その意味では、患者側が提起した、(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定するという主張も(若干の行き過ぎの感は否めませんが)抗弁しがたい内容になると思います。事故後の対応そのような考え方をしてもなお、このケースは不可抗力という側面が強いのではないかという印象を持ちます。今回事故が起きたのは大学病院であり、それなりに看護計画もしっかりしていたと思いますし、これが一般病院であればなおさら目の行き届かないケースがあり、事故発生のリスクはかなり高いと思います。そして、今回のケースが院内転倒事故に対する標準的な裁判所の判断になりますので、今後転倒事故で医事紛争にまで発展すると、ほとんどのケースで病院側の過失が認められることになるでしょう。とはいうものの、同様の転倒事故で裁判にまでいたらずに解決できるケースもあり、やはり事故前の対策づくりと同様に、事故後の対応がきわめて重要な意味をもちます。まずは入院時に患者および家族を教育し理解を得ることが肝心であり、転倒が少しでも心配されるケースにはあらかじめ家族にその旨を告知し、病院側でも転倒の可能性を念頭に置いた対応を行うことが望まれます。と同時に、高齢者を多く扱う施設では賠責保険を担当する損害保険会社との連携も重要でしょう。たとえば、小さな子供を扱う保育園や幼稚園では、子供同士がぶつかったり転倒したりなどといった事故が頻繁に発生します。その多くがかすり傷程度で済むと思いますが、中には重度の傷害を負って病院に入院となるケースもあります。そのような場合、保護者から必ずといって良いほど園の管理責任を問うクレームがきますが、保母さんにそこまで完璧な対応を求めるのは困難ではないかと思います。そこで施設によっては、治療費や慰謝料を「傷害保険」でまかなう契約を保険会社と交わして事故に備えるとともに、場合によってはその保険料を家族と折半するなどのやり方もあると思います。このような方法をそのまま病院に応用できるかどうかは難しい面もありますが、結局のところ最終的な解決は「金銭」に委ねられるわけですから、「医療過誤」ではなく不慮の傷害事故として解決する方が、無用なトラブルを避ける意味でも重要ではないかと思います。リハビリテーション科

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僕の生きる道【自己成長】

テーマは死と成長―もしもあなたがあと1年で死を迎えるとしたら?私たちは、人の平均寿命はだいたい80年で、事故や病気でその寿命が縮まる可能性もあるという現実を頭では分かっています。しかし、実際に、心の中ではそんなことは忘れて、「自分はいつまでも生きている」「明日は明日の風が吹く」と思い込んではいないでしょうか?2003年に放映されたテレビドラマ「僕の生きる道」は、タブー視されがちな死について、真っ直ぐに向き合っています。余命1年を宣告された主人公の一生懸命さに、平和ボケして何となく生きている私たちは、頭を一発殴られた気分にさせられ、目が覚めます。死について考えることは、どう生きるかを考えることでもあります。そして、考えることが私たちの新たな心の成長につながっていきます。今回は、このドラマを通して、みなさんと死について、生きることについて、そして生死を通して私たちがさらに成長することについて考えていきましょう。悪い知らせの伝え方―間(ま)の大切さ主人公の中村秀雄は、進学高校の生物教師です。教師としての目標もなく、老後の遠い先のことを考え、事なかれ主義で、自ら「28年間、無難な人生を過ごしてきた」と認めています。そんな彼に突然、定期健診の再検査の通知がきます。そして、再検査の結果、余命1年の胃がんと宣告されたのです。主治医の態度が印象的です。間(ま)をとりながら、神妙な表情で静かに問いかけます。「検査結果について、大切な話があります」「できたら、検査結果はご家族の方と聞いていただきたいんです」と。その間も十分な沈黙の時間をとります。告知前の間(ま)は、心の準備をしてもらう警告の合図でもあります。ドラマでは、直後には描かれてはいませんが、告知後は、時間をかけて、今後の話し合いをすることも大切です。これからの目標や秀雄らしい生き方について触れていくことです。否認―自分ががんであることが信じられないあと1年しか生きられないという現実を突き付けられた秀雄は、頭の中が真っ白になります。その日は、虚ろな目で、何とか仕事をこなしています。そして、一睡もできず、翌日から荒れていきます。朝から投げやりになって飲酒し、夜には遭遇したひったくりの少年たちに苛立ち、抵抗して、さらに暴行を受けます。翌々日、彼は主治医の診察室に押しかけ、怒りに満ちて強く訴えます。「僕がこんな目に遭うはずがない「こんなの不公平だ」「絶対何かの間違いだ」と。これらは、ショック、怒り、否認というがん告知に対する通常の心の反応です。心が一時的に現実を受け止め切れず、信じられないのです。認知行動療法―置かれた状況に対しての別の見方や考え方の援助主治医は、秀雄の行き詰った心を受け止めて、そして解きほぐすように、静かにそして力強く言います。「確かなことが一つだけある」「それは、君が今、生きているということ」と。死ばかりを考える秀雄に、残りの人生をどう生きるかに目を向けるよう促す一言です。このように、本人が置かれた状況に対して別の見方や考え方の援助をするやり取りを認知行動療法と言います。その夜、自分の小学校の卒業文集の「幸せな人間とは後悔のない人生を生きている人」という自分の文章を見て、泣き出します。彼は、後悔していたのです。「あの頃思い描いた人生を生きてこなかった」と。絶望―安楽死、自殺を望む心の叫び受験指導で、ある生徒に志望校をあきらめるよう言い切った秀雄は、心の中で思います。「僕もあきらめている」「人生最後の日がやってくるのを」「ただ待つしか道はない」と。そして、好き勝手にお金を浪費してみたものの空しいだけで、自分が棺にいる悪夢にうなされ、がんによる痛みも出てきます。耐えられなくなり、彼は主治医に「毎日が怖い」「何の痛みも感じないよう楽にしてください」と訴えます。当然ながら、安楽死は聞き入れられず、絶望した秀雄は、崖から飛び降り自殺を図ります。しかし、奇跡的に助かってしまうのです。そして、病院から母親への何気ない電話で、「僕が生まれた時、どう思った?」と質問して、母親の答えに、彼は号泣します。その答えとは、「この子のためなら、自分の命は捨てられる」だったのでした。この瞬間から、秀雄は前向きな気持ちに心が切り替わります。主治医に「1年て、28年よりも長いですよね」と噛みしめるように確認します。「僕に自分で死ぬ権利なんかない」「僕は生きる」「人生最後の日まで」と決意し、残りの人生を悔いのないように生きたいとの前向きな思いが湧き起こってくるのでした。これが、がん告知の最終段階である適応です。がん告知後の心理状態は、キューブラー・ロスによる「死ぬ瞬間」で、否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容の5段階が有名ですが、実際には、段階的にプロセスを経るというよりは、いろいろな心理がごちゃ混ぜになっています。ちなみに、取り引きとは、「自分はまじめにやってきたのだから、きっと良い治療法が間に合うに違いない」と思い込み、手術や民間療法で何とか助かりたいとすがる心理ですが、秀雄には見られませんでした。自己成長―余命1年であることを知ったからこその成長秀雄は、授業の最初に、自らの「読まなかった本」のエピソードを取り上げます。余命1年の自分の運命と1年後に受験を迎える教え子の運命を重ね合わせ、「この本の持ち主は読む時間がなかったのではなく、読もうとしなかった」「(やるべきことを先送りせず)この1年、やれるだけのことをやろう」と呼びかけます。これは、教師として生徒のために一生懸命になろうという自分の決意表明でもありそうです。その後は、不器用ながら、秀雄なりに一生懸命に周りにかかわろうとします。このような一生懸命さは、空回りしながらも、生徒から教えられながらも、少しずつ生徒やみどりたち職員にも伝わっていきます。例えば、「ありのままの気持ちを伝えよう」「それが僕にとって、今を生きるということだから」と気持ちを固め、今まで憧れだった同僚のみどり先生に自分の恋心を素直に伝えます。医者を目指していながら妊娠騒動で命を軽々しく思っているある生徒に、心の底からのメッセージを手紙で伝えます。「命の尊さを分かってほしい」「(患者の)心の痛みも分かってあげられる医者になってほしい」と。また、本気で歌手を目指すある生徒には、「必ず歌手になってください」「僕のためにも」と言い、叶わなかった自らの夢を暗に託します。その後、彼が言い出した合唱コンクールにクラスの生徒が全員揃って参加して、一体感が生まれます。こうして、彼は、がんで余命1年であることを知ったことで、さらなる人間的な心の成長(自己成長)を遂げていきます。ナラティブアプローチ―自分自身に距離を置かせて気持ちの整理を促す秀雄が空回りして落ち込んでいた時、主治医のかける言葉がまた印象深いです。主治医は、預言者のように厳かに言います。「君が信念を貫いていれば、いつかきっと、君に味方してくれる人が現れるよ」「その人は、ある日突然やってくる。一番最初に現れたその人を絶対逃がしちゃダメだ」「その人は生涯を通じて君の味方になってくれる」と。暗示的ですが、とても心のよりどころとなる温かいかかわり方(支持的精神療法)をします。また、「彼女(恋人のみどり)が僕の病気を知ったら、どうなるんでしょうか?」といつまでも打ち明けることに恐れをなしている秀雄に、主治医が問いかけます。「(病気を知って)君の人生はどう動きだした?」と。主語を「君」とせずに「人生」として、物語ふうな語り口(ナラティブアプローチ)をすることで、問題そのものを秀雄の感情から切り離して捉えさせ(外在化)、秀雄に気持ちの整理を促します。さらに、秀雄がみどりとの結婚をためらっていた時に、主治医が秀雄に投げかけた引用が印象的です。「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日、私はりんごの木を植える」と。これは、宗教改革の立役者ルターが言ったとされている名文句です。りんごの実という明日への希望を持って、今日を一生懸命に生きようというメッセージに受け止められます。と同時に、たとえ未来で全てが失われたとしても、今を一生懸命に生きていたという事実は失われないというメッセージにも受け止められます。大事なのは、自分を取り巻く世界がどうなるかではなく、世界が滅亡しようとも繁栄しようとも、自分自身がいつもどうありたいかということであることを、私たちに教えてくれます。フランクル心理学―『人生が自分に求めてきていること』秀雄は、限りある生にありがたみを感じ、そこに意味を見出そうとしています。彼にとって「今を生きる」とは、教師として創造的に仕事をすること(創造価値)、みどりや生徒たちのために一生懸命になること(体験価値)、持って生まれた運命に前向きな態度をとり続けること(態度価値)なのでした。これは、まさに『人生が自分に求めてきていること(フランクル心理学)』に当てはまります。この秀雄の成長は、「自分の考えをしっかり持っていて、それを行動に移せる人」というみどりの理想のタイプにハマったのでした。その後に、病気を知ったみどりが、秀雄との結婚に猛烈に反対する父親に対して言います。「生まれて初めて、自分の生きる理由を見つけたの」「私は今、中村先生(秀雄)と一緒にいるために生きているの」「結婚して、家族になって、彼を支えて、そして・・・彼を見送るために」「私は、自分自身の人生を生きたいの」と。みどりも、自分の人生の主体的な意味付けをしようと成長していきます。投影―他人は自分を映し出す鏡同僚の数学教師の久保は、イケメンで話や教え方がうまく生徒から人気があり、合コンに行けば、モテモテです。国から研究を任されるエリートで、みどりの父親でもある理事長からも気に入られ、全く非の打ちどころがありません。キャラクター的に正反対な秀雄を際立たせます。そんな久保が好意を寄せていたみどりが、よりによって秀雄の恋人になったことを知り、動揺します。職員室で秀雄に研究を羨ましがられても、「本当は俺のこと、バカにしてたりして」と言い放ち、秀雄をきょとんとさせます。これは、久保の心の中が、秀雄を鏡にして映し出されています(投影)。つまり、実際に秀雄は久保をバカにすることなどありませんが、久保の方がもともと優越感に浸っていたので、秀雄に負けて立場が逆転した時に、彼のその優越感が劣等感となって、溢れ出てしまったのでした。その後に、久保は秀雄の病気を知ったことで、「みどり先生が自分のものになる」とすぐに損得勘定をしてしまった自分自身が許せなくなり、仲良しの同僚に打ち明けています。「おれはずっと人生、舐めてたんだよ」と。久保も、死と向き合っている秀雄という鏡を通して、自分自身を見つめ直し、成長していくことができたのでした。カタルシス―押し殺していた気持ちを吐き出す秀雄は母に「甘えたりわがままを言う(父親のようには)」「迷惑なんかかけたりしないから」と言っていたように、ずっと自分の気持ちを押し殺して生きてきました。そんな秀雄の病気のことを知った時にみどりは、自分に何ができるか秀雄の主治医に訊ねます。主治医のアドバイスは、「話し相手になってあげてください」「彼がつらい時に、つらいって言える相手になってあげてください」でした。自分の運命を受け入れるには、秀雄独りだけではやはり太刀打ちできないことを主治医は分かっていました。そして、母も秀雄に手紙で伝えます。「誰かに甘えられたり、頼られたりすることで幸せになれることもあるんだからね」と。支えることも、支えられることも、等しく幸せであるというメッセージが伝わってきます。そしてついに、秀雄はみどりと結婚します。その後、新婚旅行で行った温泉宿で、「死にたくないよぉ」と幼い子どものように声を出して泣きじゃくり、みどりに抱き寄せられます。押し殺していた気持ちをついに吐き出したのです(カタルシス)。「僕は世界で一番幸せなのだから」と感じているからこそ、心の奥に押し込んでいた本心が溢れ出てしまったのでした。無意識に張っていた緊張の糸が緩んでしまったのです。彼は死と背中合わせの戦場にいながら、みどりがそばにいることで安らぎを感じていたのでした。ディグニティセラピー―自分の人生を尊厳あるものに秀雄は、余命1年と言われてから、ビデオ日記をつけていました。その理由は、「(今までの)僕が歩いてきた道には、足跡が付いていないような気がしたから」でした。しかし、その後、途中でビデオ日記をつけるのをやめてしまいます。その理由は、彼は、教師として生徒たちに自分の精一杯の思いを伝えて、自分の「足跡」を残すことができていると確信したからでした。彼は主治医に「合唱を通じて生徒に伝えたいことがある」と言い、生徒たちに「高校生である君たちが、今、歩いている道にしっかりと足跡をつけてほしい」と呼びかけています。また、秀雄は、みどりとの結婚式の写真を全く撮らないようにしました。その理由を「今、この瞬間の出来事が、いつか過去になってしまうと思いたくなかった」「今この瞬間を生きるほうが大事」と言っています。これは、自分が写真に残らないことで、みどりが再婚しやすくなるようにとの秀雄の配慮でもありました。人の尊厳は、究極のところ、人生にどういう意味を見出すかということです。そして、多くの人は自分の何かが誰かに受け継がれ、生き続けることを望んでいます。秀雄は、写真などの媒体ではなく、教え子たちにすでに自分のありのままの思いを伝えていくことで、自分の生きる意味を彼なりに見出すことができていました。多くの人は、なかなか秀雄のように伝えることができる恵まれた立場にいるわけではないです。最近では、家族や親しい友人へのメッセージとして、「最も誇りに思っていること」「大切な人に伝えたいこと」について本人の生前のインタビューを編集して文書に残す取り組み(ディグニティセラピー)も行われるようになってきています。死生観―つながっていた人への温かみいよいよ命の期限が近付いている中、みどりは秀雄に訊ねます。「(死後)どうしても秀雄さんに会いたくなったら、どうすればいいんだろう」と。秀雄は、「プロポーズした大きな木のある所に来てください」「必ず僕は会いに行きますから」と約束します。これは、亡くなった人との心を通わせる場の設定です。その場は、遺された人の心のよりどころとなります。秀雄は死に臨んで、死生観が研ぎ澄まされていたのです。この逝った人が遺された人たちを見守り続けるという守護霊の発想は、自分のつながっていた人やコミュニティ(地域や職場なの自分が属する集団)への温かみに溢れており、遺された人たちに安らぎを与えます。集団主義の強い日本人の多くが共感する死生観です。自分が天国に召されるかどうかに重きを置く西欧の個人主義の死生観とは対照的です。自我統合感―人生は自分なりにやり尽くしたそして、とうとう合唱コンクールの当日、「僕は最後まで生きたいんです」と言い、入院中の病院からの外出を願い出ます。しかし、主治医は心の中とは裏腹に、許可できないと言い張ります。秀雄は、「(コンクールを見届けないと)僕にとって生きたとは言えません」と言い、こっそり病院を抜け出し、みどりに支えられながら会場にぎりぎり駆けつけるのでした。実際の臨床の現場では、ほぼ外出許可が出ると思われます。ターミナルケア(終末期医療)においては、命を縮めるリスクがあったとしても、現在ではQOL(人生の質)の方が重視されるからです。よくあるのが、「今生の思い出に海を見たい」という希望を叶えてあげることです。会場で、教え子たちの歌声を聞き終えた秀雄は穏やかに言って息を引き取ります。「今では、後悔したはずの28年間が、とても愛おしく感じます」「ダメな人生だったんですけど、とても愛おしいです」と。彼は、みどりがいっしょにいてくれたかけがえのない、世界にひとつだけの人生を生き抜いたのでした。今を前向きに生きているからこそ、かつて悔んだ28年間の過去も愛おしくなります。彼は、人生は自分なりにやり尽くしたと感じていたのでした(自我統合感)。実際に、このような感覚を研ぎ澄ます取り組みとして、回想法(ライフレビューインタビュー)があります。これは、高齢者や終末期がん患者に「人生で重要なこと」「印象深い思い出」「人生の分岐点」などを問うことで、現在の自分をより肯定的に受け入れるようになること(人生の再統合)で、デグニティセラピーに通じるものがあります。生きた証―思いをつなぎ続けるリレー秀雄が亡くなって5年後、学校に新任の生物教師がやってきました。それは、何とかつての秀雄の教え子だった吉田でした。彼は、かつて久保に「絶対に官僚にならなきゃいけないんです」と勉強一筋で張り詰めてしまい、秀雄のやり方を否定していました。久保から「へぇ。なりたいんじゃなくて、ならなきゃいけないんだ」と突っ込まれたこともありました。ちなみに、これは吉田に自分自身の心の声を聴くよう仕向けた問いかけ(ロジャースのクライエント中心療法)です。だからこそ、秀雄が内実、一番気に掛けていた生徒でもありました。秀雄が合唱をやろうと言い出したのも実は吉田がきっかけだったのでした。秀雄が指揮者をできなくなった後に、代わりの指揮に託したのも、吉田でした。そんな吉田が、初めての授業で生徒に伝えたのは、かつて秀雄が吉田たちに伝えたあの「読まなかった本」でした。こうして、彼は秀雄の思いを受け継いでいくのでした。そして、また新たな芽となって次の生徒たちの中で生き続け、そして、受け継がれていくことを予感させます。人は、もちろん子どもを授かって自分の血が受け継がれていくこと強く望みます。しかし、同時に、もしかしたらそれ以上に、自分の思いが受け継がれることも望んでいるのではないでしょうか?人は、他の全ての動物とは違い、命を運ぶ単なる「器」ではなく、命と同時に思いをつなぎ続ける「リレー選手」なのです。その思いとは、人だからこそ持っている豊かな文化であり、進歩し続ける文明なのです。逆に、進化論的に言えば、思いをつなぐことを望まない遺伝子は、文化や文明を発展させることはないわけで、はるか昔に自然淘汰されてしまったのではないでしょうか。つまり、私たちがリレーする思いのバトンタッチは、科学的に言えば、遺伝子にプログラムされています。そして、文学的に言えば運命付けられており、宗教的に言えば神の思し召し通りということになります。そして、それが結果的に「足跡」としてその人の生きた証となり、つながれたバトンは遺された誰かのためになっていくのです。シネマセラピー秀雄にとっての「僕の生きる道」は「僕たちみんな人類の生きる道」の一部に確実になっていることに私たちは気付きます。そして、リレー選手として「僕の生きる道」を完走できた秀雄の喜びが最後に伝わってきます。私たちが、秀雄の目を通して死を目の当たりにすることで、今生きているという当たり前なことを特別ことに感じることができれば、私たちも秀雄と同じように、より良い自己成長をしていくことができるのではないでしょうか?1)「僕の生きる道」(角川文庫) 橋部敦子2)「精神腫瘍学クイックリファレンス」(創造出版)3)「自己成長の心理学」(コスモスイブラリー) 諸富祥彦4)「ナラティブアプローチ (勁草書房) 野口裕二5)「ナラティブセラピー」(金剛出版) アリス・モーガン6)「ディグニティセラピー」(金剛出版) 小森康永7)「死生学」(東京大学出版会) 小佐野重利8)「コンセンサス癌治療」(へるす出版)  小川朝生、内富康介

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モンスターペアレント【構造化・限界設定・客観化】

「院長を呼べ!」皆さんが医療の現場で仕事をしている時、「院長を呼べ!」「あの看護師、辞めさせろ!」「あの研修医を担当から外して!」などとハラハラするようなことを言う患者に遭遇したことはありませんか?そして、彼らの言い分は、「看護師としてなっていない」「研修医のくせに偉そうだ」「患者をバカにしている」「ひどい人間だ」などと様々ですが、多くはとても感情的です。そして、その要求や言い分があまりにも理不尽で、接遇などの組織の取り組みでも太刀打ちできない人たちが世の中にはいます。このような人たちは、度を超えているので、「モンスターペイシェント(怪物患者)」と呼ばれることがあります。そして、そんな彼らに、私たちがある一定の確率で遭遇するのも現実です。そんな時、どうすれば良いのでしょうか?今回は、2008年のテレビドラマ「モンスターペアレント」を取り上げます。モンスターペアレントとは、怪物のような親という意味で、ドラマでは、「問題児ならぬ問題親」と紹介されています。ドラマに登場するモンスターペアレントたちは、モンスターペイシェントたちとかなり似た行動パターンをしています。このドラマのエピソードを追いながら、モンスターペイシェントの行動パターンを整理して、最悪のシナリオと最善の対応を、みなさんといっしょに見極めていきたいと思います。叩きのめすのではなく、手懐(てなず)ける主人公の高村樹季(いつき)は、企業の合併買収を専門とするスゴ腕の弁護士です。美貌と才能を兼ね備え、大企業のクライエントをいくつも抱え、忙しく優雅に駆け回る人生の勝ち組と言えます。そんな彼女は言い放ちます。「勝たなきゃ生きていく意味ないでしょ」「それ(お金)以外に働く意味ってある?」と。勝ち負けの世界で、相手を叩きのめして生き抜く勝ち組のドライな発想です。そんな樹季に、新しい仕事が舞い込んできます。それは、教育委員会の顧問です。そして、訪れた現場の学校で、次々とモンスターペアレントに出会うのです。法務の会議と違い、教育現場は論理やルールが通じにくく、彼女はくじけそうになります。しかし、教育委員会のメンバーといっしょになって、日々、モンスターたちを叩きのめすのではなく手懐けることで、揉まれながらも彼女は自己成長していくのでした。学校や病院にモンスターが多い理由―公的な組織の弱み企業法務での樹季の活躍を描く会議のシーンと、訪問した先の学校での保護者との話し合いのシーンが対照的です。企業組織では、ルールに従って、白黒はっきりさせることができます。話が通じない場合は、相手にしないこともできます。例えば、飲食店などのサービス業であっても、害をもたらす者を「出入り禁止」にできるということです。一方、学校や病院などの公的な組織はどうでしょうか?実は、この公的な組織にこそモンスターが生まれてしまう理由が大きく3つあります。まず1つ目は、そこはみんなのために開かれた場所であるということです(公共性)。裏を返せば、理不尽な要求をする人を相手にしないことができず、「出入り禁止」にもしにくいという縛りがあります。つまり相手を選べないということです。医師には、診療拒否の禁止の原則(医師法第19条1項)という法律的な縛りもあります。2つ目は、同じような対応をすることが求められているということです(公平性)。ここに、少しでも「自分に不利になった」と不満を噴出させる人の強みがあり、公的な組織としての弱みがあります。例えば、ある親が給食費を滞納していることで、別の親たちが「不公平」だから自分も払いたくないと言い張るという現状です。3つ目は、教育関係者や医療関係者の職業倫理です。「子どもは悪くない」「病気は治したい」という聖職者としての心理も働いており、「他へ行ってください」とは言いづらいのです。【構造化】―枠組みを設ける医療者の私たちは、モンスターペイシェントから自分たちの身を守らなければなりません。そのためには、モンスターの行動を「攻撃パターン」として見極め、決して「丸腰」で襲われることのないように、「武装」した防御の心構えが必要です。この心構えは、「孫子の兵法」にとても通じるところがあるので、この戦術に重ね合わせながら、具体的に見ていきましょう。最初のポイントは、枠組みを設けることです(構造化)。奇襲―怒鳴り込み、呼び出しドラマでは、ある保護者が、いきなり授業中の教室に押し掛け、「お話があります」と言い、教師の手を離しません。別の保護者は、会議中の職員室に「謝ってください!」と怒鳴りこんできます。これは、典型的な攻撃パターンの「奇襲」、つまり不意打ちです。授業中であろうと会議中であろうとお構いなしです。しかし、ターゲットの教師は、応戦してしまい、その場で、口論が始まります。職員室のシーンでは、他の教職員たちを目の前にして、取っ組み合いの修羅場に発展します。また、別のエピソードでは、担任教師を勤務時間外に急に呼び出すシーンがありますが、これも「奇襲」に当てはまります。私たちが、これらのシーンから学べることは、興奮していたり、急に迫ってくる相手には、その場ですぐに応じないことです。私たちは絶対に感情的にならず、「おっしゃっていただきありがとうございます」と感謝の意を示し、敵対的にならない心掛けがまず大切です。まずは、おもむろに時間と場所をあえて改めることです。「大事なお話の場合、アポを取る決まりです」と伝え、1時間後以降のお互いの都合の良い時間を確保して、対応します(時間の構造化)。ポイントは、時間があったとしてもすぐに応じないことです。自分も相手も1時間後以降のその日に都合が悪ければ、翌日以降の時間を約束します。わざと待たせる理由は、3つあります。1つは、相手の頭を冷やす時間を作るためです。2つ目は、初回ですぐに応じてしまうと、次回もすぐに応じてくれるものだと気軽に思われ、枠組みを甘く見られて、要求がエスカレートしやすくなるからです。最初が肝心です。3つ目は、自分の心の準備をして、態勢を整えるための時間稼ぎのためです。また、話し合いの場所は、事務の応接間など決まった場所にして、変えないことです(場所の構造化)。同じ場所で話し合いをすることが、他の場所では話し合いをしないという枠組みのメッセージになります。消耗戦―居座りある保護者が話し合いのシーンで言います。「(担任を外れるという約束の一筆を)書いていただくまで、私、ここを一歩も動きませんから」と。これは、要求が通るまで居座るパターンの「消耗戦」です。校長が「(担任教師は)授業に戻らなければ」と言い、その場を切り抜けようとしても、「(話し合いのテーマとなっている)うちの子は大事じゃないんですか?」と切り返されてしまいます。そして、数時間の無言の話し合いが続くのでした。最後は、保護者が根負けして、理由を付けて立ち去ってはいますが、お互いにかなりの心身の負担がかかります。実際の医療現場での話し合いの場面では、患者が納得いかず、いつの間にか3、4時間経っていたというケースもよく耳にします。こうならないようにするには、どうしたら良いのでしょうか?ヒントが樹季の法務会議のやり取りにありました。樹季のチームが相手チームを追い込んだところで、「それでは時間ですので」と話を打ち切るシーンです。つまり、話し合いのアポを取る時には、話し合いの持ち時間もいっしょに設定することです(所要時間の構造化)。そして、話し合いの前に、その時間の区切りをはっきり告知し、時計をお互いに見える位置に置きます。こちらとしては、1時間と決めたら、その約束した時間は必ず守り、遅れたり、途中で退席したりしないことです。話し合いの最中は電話対応もなるべく控えることが望ましいです。そして、1時間が経過したら、途中でも話し合いを止めて、次回の約束をして、次回に持ち越すことです。このような枠組みを重視する姿勢がモンスターへの強いメッセージになります。樹季の弁護士事務所のボスが「期待していますよ」と穏やかな口調で張り詰めた空気を醸し出すクールさとは対照的に、そのボスの同級生でもある教育委員会の教育長は、人情味溢れています。好感は持てるのですが、その反面、時間へのルーズさがにじみ出てもいます。樹季との最初の面会で、会って早々に、対応を人任せにして、次の約束のためにいなくなります。「普通、アポ取っといて、途中で出て行ったりしないわよね」と樹季をいら立たせてもおり、彼のルーズさが、モンスターに付け込まれるスキとして描かれています。実際に、医療現場は救急対応が求められる場合があり、必ずしも時間通りに動けないという状況から、医師は時間にルーズになりがちという点では、教育長と似ています。モンスターとの話し合いをする時は、それが時間限定の最優先の「救急患者」であるという心構えが必要です。弱点攻め―言いがかりある保護者の「うちの子には特別に注意深く目を配ってほしいんです」「もう他の子はどうでもいい」という発言に対して、樹季はつい口を滑らせてしまいます。「そういうお考えはまさに典型的なモンスターペアレントではないでしょうか?」と。すると、その保護者は感情的になり、樹季に噛みつきます。「子どもを心配するのがモンスターですか」「謝ってください」「私、今、心の底から傷付きました」とまくし立てます。樹季がいくら「一般論を申し上げているだけです」と言っても聞き入れられず、けっきょく謝るはめになってしまうのです。法務会議や法廷で活躍する樹季にとって、一般論で相手を挑発するのはお得意でした。そこには、すでに従うべき共通のルールや中立的な第三者がいます。一方、教育現場や医療現場での当事者同士のみの話し合いはどうでしょうか?そこには、ルールや中立性という枠組みがとても弱いのです。だからこそ、相手の言葉尻をとらえる揚げ足取り、言いがかりが出やすくなります。いわゆる「因縁を付ける」という弱点攻めの攻撃パターンです。これは、特に反社会的集団の常套手段でもあります。このシーンから学べることは、私たちは、「他の子はどうでもいいかどうか」や「モンスターかどうか」などの抽象的なことについては話をせず、流すことです。つまり、余計なことは言わないこと、あくまで問題となる具体的な話に絞ることです。ラストシーンで、ホールに集まった大勢の保護者の前で樹季が一般論で呼びかけるシーンがあります。これは、大勢の人がいるという状況であったため、効果がありました。しかし、実際の閉ざされた話し合いの場では、説教になってしまい、リスクがあると言えます。波状攻撃―要求の並べ立てドラマ全体を通して、話し合いの場面で、「だいたいねえ」と前置きをする保護者をよく見かけます。次から次へと不満や要求を並び立てるパターン、つまり「波状攻撃」です。特徴としては、過去の不平不満を蒸し返し、「ちゃんとしていない」「傷付いた」「誠意を見せろ」などとやはり感情的で抽象的な言葉で繰り返しが多く、急に話がすり替わり、とてもまとまりが悪いです。この攻撃パターンに、樹季がよく使っている言葉に私たちは気付きます。それは、「具体的にどういうことですか?」です。つまり、対応のポイントは、要求を細かくはっきりとさせることです(具体化)。また、並べられた要求を分けて整理することです(分散化)。さらには、書かせることです(書面化)。書くことで、本人にクレームが形に残ることを意識させ、頭の整理を促すことになります(セルフモニタリング)。また、こちらとしてはクレームの全体像が見えて、見通しが立てやすくなり、1回に話し合うテーマを限定することができます(内容の構造化)。兵糧攻め―電話攻撃、付きまといある教師は、保護者から、昼夜を問わず、携帯電話へのしつこいクレームで、電話が鳴っただけで、緊張から倒れ込むほどの発作に襲われています。また、ある教師は、過保護な保護者から子供の安否を報告するよう電話がかかってくるのを逐一対応していました。さらに、別の教師は、教育のスキルの特訓という名のもとに、高学歴の保護者の目の前で問題集を解かされるなどして付きまとわれています。このように、教師が保護者に時間的にも精神的にも縛られることで、担任のクラスが自習となり、子どもが騒ぎ、他のクラスなどの周りに迷惑がかかると、職場で孤立しやすくなります。別の教師が、保護者に怪ファックスを流されて、他の教職員によそよそしくされているシーンは痛々しいです。これは、「兵糧攻め」のパターンです。この状況を打開するには、まず援軍を呼ぶこと、つまり、早めに上層部と連携してチームを組むことです。電話対応の窓口は学校の電話番号に一本化して、話し合いのアポを設定し、具体的な内容はその場で取り合わないよう足並みを揃えることです(標準化)。決して、自分独りだけで解決しよう(一騎討ち)としないことです。ドラマに登場するある校長のように、管理者が事なかれ主義で取り合わなかったり、全ての責任を担任のような担当者に押し付けるなどはもっての外です。奇策―難問を吹っかける給食費を滞納しているある保護者は、「なんで払わなきゃならないの?」「小学校は義務教育でしょ」「国がみんなを守る義務があるんじゃないの」「ほら、答えらんないじゃないの」「払う理由の分からないお金を払えって言うの」「ちゃんと説明してよっ」と迫ります。みなさんも、「○○を知っていますか?」と難しい質問をされ、答えられないと、「そんなことも知らないのか!」「それでも医者か!?」などと罵倒されたことはありませんか?これは、難しい質問を吹っかけるという奇策であり、「落とし穴」の攻撃パターンです。この攻撃が「落とし穴」という罠である点は、私たちが質問されて、たとえ1つ答えられたとしても、モンスターはさらに難しい次の質問を用意していることです。つまり、私たちが答えられない状況に確実に追い込んで、威圧して優位に立とうとします。この対処法は、質問を質問で返す「質問返し」です。つまり、難しい質問を吹っかけられた時は、「どうしてそのことをお聞きになるのですか?」「どういう意味でそのことに触れられているのかを正確に把握するため、まずあなたの知っていることを言ってください」と逆に質問することです。たとえこちらが答えを知っていたとしても、決してすぐに答えない、または分からないとすぐに言わない、つまり、その手に乗らない、相手のペースに持っていかれないことです。【限界設定】―できることの限度を示す次のポイントは、できることとできないことの線引きをすること、つまり、できることの限度を示すことです(限界設定)。取り引き―要求水準が高すぎるある保護者がここぞという時に言うセリフがあります。それは、「(要求を受け入れずに)何かあったら責任とってくれますよね」です。これは、責任の押し付けで、一方的に優位な取り引きに持ち込もうとします。また、「謝ってくれたら帰ります」という甘い取り引きに乗るのも罠です。根負けして、責任を了承したり、謝ってしまうと、後々にまたこれらの弱みをネタにされて、話し合いが長期化します。さらに、ある高学歴の「エリートモンスター」の保護者は、「息子の成績が上がらない原因は、○○先生(担任教師)にある」と言い、高いスキルを求め、担任教師に問題集を解かせて、「この程度の問題がおできにならないでよく教壇にお立ちになっていましたね」と言い、教師の学力を上げようと連日、問題集を解かせて追い詰めていくシーンがあります。これは、要求水準が高すぎて、口出しが多すぎる取り引きです。対応のポイントは、できることの限界をはっきり示すこと、つまり線引きすることです(限界設定)。取り引きに応じてはなりません。例えば、「これが私たちにできる精一杯です」「私たちにも、できることとできないことがあります」などと言うことです。また、公平な決まりに従って動いており、他の学校または病院でも対応は同じであると伝えることです(標準化)。例えば、「病院の決まりにのっとってやっています」「これが日本の医療水準です」とはっきり伝えることです。大軍攻め―大人数での押しかけ十数人の保護者たちが、アポなしで教育委員会に押し掛けるシーンがあります。また、ホールを貸し切り、数十人の保護者たちが1人の教育長を公開で吊るし上げようとするシーンもあります。その最悪のシナリオに、見ている私たちはとてもハラハラしてしまいます。不満のある患者が、家族や関係者を引き連れて大人数で私たちの病院に押しかけてきた場合は、どうでしょうか?まずはそのままでは応じないことです。数で圧倒されているわけですから、話し合いの場への参加は、3人までと人数制限することです(参加人数の限界設定)。話し合いの部屋の狭さなどで理由付けができます。一方、こちらは、担当者、現場責任者、記録者の役割分担を3人で行い、連携することです。「院長を出せ」というような組織のトップを呼ぶ要求には基本的に応じないことです。院長は直接、現場の状況を把握しているわけではないので、話し合いに混乱を招くリスクがあるからです。あくまで、まずは現場の担当者と責任者が対応することが規則であることを強調することが大切です(対応者の構造化)。窮鼠、猫を噛む―窮地で反撃、逆恨みある教師は、保護者や校長に追い詰められた逆恨みで、よりによって対応していた教育委員会の職員を刺すというエピソードがありました。このエピソードは教師の問題でしたが、教師や保護者に限らず、人は追い込まれると、突発的にとんでもない反撃をしてしまう可能性があるということが描かれています。「窮鼠、猫を噛む」パターンです。また、後々に根に持ち、逆恨みをする可能性もあります。このような、最悪のシナリオに陥らないようにするために、私たちが心掛ける対応のポイントがあります。それは、最後には相手に逃げ道を残し、相手を立てることです。理屈で説明ができたとしても、その理屈が相手を納得させて、円満解決へと導くことにはならないのです。逆に、その理屈で相手を追い込んでしまうことになりかねません(理責め)。よって、例えば、「気持ちはよく分かりますが、私たちも決まりに従わなければなりません」「(規則に従ってやっているので)お互いにどうしようもないです」という手詰まり感へ持っていくのが落とし所です。「こちらとしても残念です」という共感と弔意を示し、相手も自分もルールを守るという意味では、同じ立場にあることを強調するのが大切です。掟破り―話し合いの枠組みを守らないこれまでに紹介してきた話し合いの枠組み、つまりルールを守ろうとしない相手には、そもそもどうすれば良いでしょうか?これは、「掟破り」のパターンです。例えば、「規則を盾にとって私の権利を蹂躙(じゅうりん)するのか?」と開き直って、迫って来る場合です。対応の基本は、「逃げるが勝ち」です。つまり、負け戦はしないことです。例えば、「規則に従っての話し合いが難しいのでしたら、残念ですが、今日のところはお引き取りください」ときっぱり言い、話を打ち切り、取り合わないことです(対応の限界設定)。【客観化】―第三者にも分かるようにするラストシーンで、ホールに集まった大勢の保護者の前で、ステージに立った樹季は呼びかけます。「子どもたちはいつも大人を見ています」「もっと目線を下げて考えて」と。この呼びかけは、「子どもにどう見られているか」という視点を気付かせたことで、保護者たちに響く言葉でした 。最後のポイントは、第三者にも分かるようにする(客観化)ことです。掟破り―暴言・暴力お引き取りを願っても引き下がらない場合は、どうしたら良いでしょうか?例えば、その場で暴言を吐き始め、他の患者や職員に迷惑が及ぶようになった場合は?さらに、立腹して暴れた場合は?そこで、騒ぎを起こすまいとしてこちらが折れて、譲歩しないことです。逆に、助けを呼んで騒ぎにして、人を集めることです。集まった人はその場の目撃者になります(客観化)。相手は、人に囲まれることになり、数で圧倒されることになります。そして、このままでは警察通報することを伝えます。この時点で、たいていのモンスターは引き下がりますが、それでも引き下がらない場合は、実際に警察官に来てもらいます(客観化)。もう1つ重要な対策があります。それは、書面に残すという記録だけでなく、録音もすることです。これは、記録者の役割です。録音は証拠として残るため、自分自身の言葉を振り返る心理(自己内省)を相手に促し、無言の抑制力にもなります。録音をすることを事前に相手に伝えるわけですが、「録音してもいいか」と伺うのではなく、「録音をとらせていただきます」「重要な案件に対してきちんとした対応をするため、必ず録音をとって万全な対応をとるのが当院の決まりとなっております」と笑顔で宣言するのがポイントです。さらには、防犯カメラが露骨に見えるような部屋を話し合いの場にするのも手ですし、あえてダミーの防犯カメラを設置する一工夫も有効です。そして、了承されないのであれば、やはりお引き取りを願うことになります。私たちも患者も、後で誰かに「見られる(知られる)」可能性があるという視点を持つことで、私たちは「やるべきことをやっている状況だ」、患者は「しょうがない状況だ」とお互いに納得することができて、ルールと中立性を得ることができるのです。表1 要求のパターンと対応のポイント要求(攻撃)対応(防御)パターン例奇襲(不意打ち)怒鳴り込み呼び出しすぐに応じない時間と場所を改める構造化消耗戦居座り話し合いの前に持ち時間を設定する弱点攻め(因縁付け)言いがかり抽象的な話はしない波状攻撃要求の並べ立て細かくはっきりさせる(具体化)分けて整理する(分散化)書かせる(書面化)兵糧攻め電話攻撃付きまとい自分だけ(一騎討ち)で応じないチームで対応する(援軍)奇策(落とし穴)難問を吹っかける分からないとすぐに言わない質問を質問で返す(質問返し)窮鼠、猫を噛む窮地で反撃逆恨み理屈で追い詰めること(理責め)は避ける相手の逃げ道を残し、相手を立てる大軍攻め大人数で押しかける対応者は、担当者、現場責任者、記録係の3人とする相手の参加人数は3人までとする限界設定取り引き要求水準が高すぎる口出しが多すぎるできることの限度を示す他でも対応は同じであると伝える(標準化)掟破り話し合いの枠組みを守らないお引き取りを願う暴言・暴力人(目撃者)を集める警察通報録音客観化「先手必勝」―先回りして手を打つこれまでは要求を突き付けられてからの対応を見てきました。しかし、その前に、私たちにはまだできることがあります。孫子の兵法で「勝ってから戦え」、つまり、明らかに勝てる状況を作ってから戦えという教えがあります。これは、私たちの対応において、先回りして手を打つ「先手必勝」、つまり、事前対策です。さらに、理想的には、潜在モンスターがモンスター化せずに、つまり普通の人のままでいてくれる、つまりは、「戦わずして勝つ」ことが一番望ましいわけです。表2 モンスターのタイプタイプ話を通じさせない話が通じない話が通じる特徴金銭目的愉快犯因縁付け嫌がらせ精神障害により理解力に限度がある。例)精神遅滞、認知症、統合失調症実際に問題が起きて、一時的に感情的になっているだけの場合。対応早い段階で警察や司法の介入早い段階で家族または警察の保護時間と場所を改めてルールを提示「敵を知る」―モンスターのタイプ先回りして手を打つには、まず、「相手を知る」、つまり、相手の特徴をよく分かっている必要があります。その特徴を、対応別に、3タイプに分けてみましょう(表2)。どのタイプかを見極めることで、接し方も変わってきます。まずは、話を通じさせないタイプです。ドラマでは給食費を払いたくないために、言い訳を次々と用意して煙に巻こうとする保護者がいました。このタイプの特徴は、金銭目的や愉快犯で、反社会的集団が関わっている場合もあり、早い段階で、警察や司法の介入が必要になります(客観化)。次に、話が通じないタイプです。「遠足を延期してください」「「私、(不吉な未来が)見えるんです」と言い張る「霊感モンスター」の保護者も登場しました。樹季に「そんなの思い込みよ」と一蹴されても、聞く耳を持ちません。このように「霊感」で周りを巻き込むなど、もはや理屈やルールなどへの理解力に限度がある場合(疎通性不良)は、精神障害の疑いとして、早い段階でその人の家族や警察の保護が必要になります。最後に、話が通じるタイプです。実際に問題が起きて、一時的に感情的になっているだけですので、時間と場所を改めて、話し合いのルールを提示すれば、解決の見通しが比較的に立てやすいです。「己を知る」―自分にできることとできないことを先に伝える提案書例事前に手を打つために、自分たちはどこまでできるかという自分たちの限度を知ることが大切です。そして、それを病院の掲示板や患者への案内書などで目に見える形にすることです(客観化)。みなさんがよく聞くモンスターの常套句は、「聞いてないよ」ではないでしょうか?何ごとも先に伝えることが大切ということになります。例えば、意見箱や相談窓口に寄せられた実際の不満とその対応を目に見える形にすることです。同時に、暴言・暴力は断固反対とのメッセージの貼り紙を貼るのも有効です。さらに、要求を記入するための「提案書」を定型化し、具体的な内容と解決策の項目を盛り込み、話し合いの時間、場所の記入欄を設け、人数制限や録音する決まりを明記することも効果的です。提案書(日付・場所無記入版)をダウンロード※リンクを右クリックして「名前をつけてリンク先を保存」「対象ファイルに保存」を選択ください。提案書(JPG)提案書(PDF)提案書(PPTX)「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」ある教育委員会のメンバーの口癖が、「モンスターと気安く呼ぶな」でした。確かに、「モンスター」というネーミングはとてもウケが良い例えで、レッテル貼り(ラベリング)になる心配もあり、このネーミングを使う時は慎重になる必要があります。ただ、世の中にはこういう人たちが実際にいるのも現実です。そして、樹季自身、教育委員会の仕事を通して、世の中にはいろいろな価値観があり、分かり合う必要があることに気付いていきます。ドラマ「モンスターペアレント」を通して、彼らの存在や生まれる状況をよりもっと知っていくことで、私たちは「ああはなりたくない」と自分自身を振り返ることができます(客観化)。そして、「どうすべきなのか」との新たな職業倫理や、もっと言えば、「自分はどう生きていけばいいのか」との人生哲学の枠組みを見いだすことができます(構造化)。さらには、「自分には何ができるか」との見極めをするようになることで(限界設定)、世の中をより良く生きていくことができるのではないでしょうか?1)「モンスターペアレント」(中経出版) 本間正人2)「モンスターペイシェント対策ハンドブック」(メタ・ブレーン) JA徳島厚生連 阿南共栄病院 教育委員会 編

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“医者の不養生”は本当?「もっと早く受診すればよかった…」そんな経験、ありますか?

今回の「医師1,000人に聞きました」は“医師自身の健康管理”。“医者の不養生”なんてことわざがありますが、その“口先ばかりで実行が伴わないこと”という解釈を読むとなんだか解せない…なんて方も多いのでは。先生方は、健康診断・人間ドック、毎回欠かさず受けますか?受けない先生、それはなぜですか?自分自身が患者になってみて、感じたことは?患者さんにかかりっきりになっているうちに医師のほうが手遅れになってしまった…なんて笑えない話も飛び出す今回の調査、寄せられたコメントも必見です!コメントはこちら結果概要約7割が健康診断・人間ドックを『必ず受ける』、一方で『毎回受けない』医師が1割以上存在全体の68.7%が『毎回必ず受けている』と回答。『受けないことがある』医師は19.3%、『毎回受けない』 医師は12.0%存在。世代間で大きな差は見られなかったものの、『毎回受けない』とした人の比率は年代が上がると共に漸増し、30代以下で10.6%のところ、60代以上では13.8%となった。働き盛りの40代「忙しくて」、60代以上「開業して交代要員がいない」健康診断・人間ドックを受けない(ことがある)医師に理由を尋ねたところ、最も多かったのは『忙しいから』で64.9%、働き盛りの40代では72.7%に上った。一方、若年層に比べ開業医の比率が高まる60代以上では、『院内に自身しか医師がいない/シフトを替わってもらえないから』が28.6%に上ったのと同時に『自分の健康状態は自分でわかっていると思うから』が21.4%。“受けたいのに都合がつけられない”医師と、“受けないと決めている”医師が他の世代に比して明確に表れるという結果となった。2割近くの医師に 『もっと早く受診すれば…』と後悔した経験あり自身が具合を悪くした際、『もっと早く受診すれば良かった』と感じた経験がある医師は全体の17.6%。40代では20.3%となった。遅れた理由としては、健康診断と同様『忙しかったから』が69.9%と最も多かったが、次いで多い回答が『受診するほどの症状ではないと思ったから』で27.8%。「知り合いの先生が“まだ大丈夫”“と過信し、忙しさも重なり受診をのばした結果、手遅れになった」など、ある程度自分で判断がつくことから招いてしまった事態、また「健康診断は受けるが、そこで引っかかっても、多忙のため受診できない」など、結果として”医者の不養生”になってしまうことを嘆く声も寄せられた。立場特有の“受診への不安”、受診して患者の気持ちを実感受診を躊躇する理由としてコメント中に複数挙がったのが、「身内の医者には診てもらいにくい」「オーダリングシステムを使える立場の人なら病名・処方が簡単にわかってしまう」など、プライバシーの漏えいを懸念する声が挙がった。また「自分の専門領域の検査を受ける場合は、結果がわかれば先が見えるから怖い」と医師ならではの不安感のほか、自身の検査や入院により「人間ドックの再検査を受けた際、病名告知前に患者さんがどれほど心配しているか実感した」「同室患者のいびきがこんなに心身に影響するのか、と」など、患者の立場・気持ちを実感したというコメントも見られた。設問詳細各種がん検診の推進、ワクチンの早期接種の推奨など、早期発見および予防が謳われるようになった昨今、先生方も普段患者さんに「早めの受診を」と呼びかけていらっしゃるかと思います。そこで先生にお尋ねします。Q1.健康診断(人間ドック含む)について当てはまるものをお選び下さい。毎回必ず受けている受けないことがある毎回受けない(Q1で「受けないことがある」「毎回受けない」を選んだ方のみ)Q2.健康診断(人間ドック含む)を受けない理由について、当てはまるものを全てお選び下さい。(複数回答可)面倒だから忙しいから院内に自身しか医師がいない/シフトを替わってもらえないからその気になればいつでも検査できると思うから自分の健康状態は自分でわかっていると思うから健康診断・人間ドックには意味が無いと思うから知りたくない、怖いからその他(                 )Q3.ご自身が心身の具合を悪くした際、結果として「もっと早く受診すればよかった」と感じた経験はありますか。あるない(Q3で「ある」とした方のみ)Q4.その時に受診しなかった、受診が遅れた理由で当てはまるものをお選び下さい。(複数回答可)面倒だったから忙しかったから院内に自身しか医師がいない/シフトを替わってもらえなかったから受診するほどの症状ではないと思ったから自覚症状がなかったから知りたくなかった、怖かったからその他(                  )Q5.コメントをお願いします。(ご自身の体調管理、受診・治療へのハードル、健康診断・人間ドックに対して思うこと、ご自身が患者の立場となった際に感じたこと、ご自身や周囲の先生方が体調を崩した際のエピソードなど、どういったことでも結構です)2013年3月15日(金)実施有効回答数1,000件調査対象CareNet.com会員コメント抜粋(一部割愛、簡略化しておりますことをご了承下さい)「医療を提供しているとその限界も見え、自分が病気になったときは“寿命がきた”と判断して医療を受けたくない、という気持ちが強くなった。」(40代,内科,一般病院)「思ってもみない結果が出ると人間は動揺するものであることがよくわかった」(50代,放射線科,一般病院)「健康管理は重要だと思うが、他の医療機関を受診するのはハードルが高い」(50代,外科,診療所・クリニック)「検診などを受ける時間もなく、症状にあわせて友人医師に内服処方を出してもらい済ませる事が多い。」(40代,救急医療科,一般)「人間ドックの再検査を受けて、病名告知前に患者さんがどのくらい病気について心配しているか実感した」(40代,内科,一般病院)「健診に対する価値観、病気に対する価値観はそれぞれであり、強要されるものでは決してない。また、結果の還元が十分にできているのかという疑問がある。どこまで踏み込んで検査すべきなのか、逆に不足していないのかなど、検討すべき余地はたくさんある。」(40代,内科,診療所・クリニック)「39歳の時に体調を崩して1-2か月仕事ができなかった。病院勤務だったのである程度は収入があったが、それでも生活費を切りつめる必要があった。現在開業しており、同様な事態が起こると不安に思うことがある。」(40代,皮膚科,診療所・クリニック)「身近な先生で、症状が出ているのに“まだ大丈夫”と過信してしまい、忙しいこととも重なり受診をのばした結果手遅れになったケースがあり、自分も注意が必要と思います」(60代以上,内科,一般病院)「他に医師がおらず、薬を飲みながらの診療は正直つらかった。」(40代,消化器科,一般病院)「頸椎椎間板ヘルニアで手術をすることになったが、上肢の症状の時に受診をしていれば 経過がもっと良かったと思われる。」(40代,整形外科,診療所・クリニック)「症状があっても進行性でない場合は職務を優先することが多い。自己判断は必ずしも正しくないことを認識しなくてはいけないと反省している。」(60代以上,循環器科,一般)「健康診断をしなかったツケで、今年網膜剥離になることがわかっている。”医者の命”の目であるため、後悔している。」(60代以上,内科,診療所・クリニック)「年齢の近い先輩医師が大腸がんとなり、大腸内視鏡を含めた侵襲的な検査も定期的に施行しなければと思ってはいるが、時間的な余裕のなさから受けられないことが日々ストレスとなっている。」(50代,内科,一般病院)「身体が資本と改めて感じた。検査、治療にかかる時間を捻出するのが大変困難であった」(50代,循環器科,診療所・クリニック)「自分で受けて初めて、検査の苦しさがわかる」(40代,小児科,一般病院)「検診の際は強制で休みにするくらいでないと受診率は上がらないと思う。」(40代,内科,一般病院)「曜日や時間帯から、実際に医療機関を受診できるタイミングが限られている」(50代,内科,一般病院)「問題意識から具体的な受診行動にうつす際のギャップは、意外と大きいなと思った。」(50代,内科,診療所・クリニック)「(院内の)知り合いに診てもらうことになるので受診を躊躇することがあります。」(40代,血液内科,大学病院)「バリウム検査がこんなにきついとは思っていなかった。」(30代以下,外科,大学病院)「肺がんが末期の状態で見つかった現役の医者がいた。」(50代,内科,診療所・クリニック)「疾病を発見するというよりも、安心のために受けるべきだと思う。患者の立場を経験できるのは貴重なこと」(40代,内科,一般病院)「やっぱり医師の言うことにはなかなか逆らいにくいというか、聞きたいことが聞きにくかったりする」(30代以下,整形外科,一般病院)「胃カメラはつらい」(50代,整形外科,一般病院)「糖尿病の母が血糖コントロールを悪くし、半年後の定期健診で膵癌が見つかり、それが死因となりました。受診をしなければいけませんが、こんな経験をしていても、自分は別と思ってしまうのですよね・・・。」(40代,内科,診療所・クリニック)「自分の専門科(の疾患)の時どうしたらいいかわからない。」(50代,外科,一般病院)「職場の義務で健康診断は毎回受けていますが、日常業務が多忙なため、精密検査が必要となってもなかなか平日昼間に受診するのは大変と思います。」(30代以下,呼吸器科,一般病院)「健康診断と保険診療を同時にできれば、健診受診率もあがるのではないかと思います。」(30代以下,産業医,診療所・クリニック)「入院患者になってみてわかったのは、何もなければそっとしておいて欲しいということだ。 遠くから暖かく見守ってもらえれば十分。元気な人(医療者含む)を相手にするのは結構疲れる。 医療とは単なるサービス業ではないと実感した。」(40代,内科,診療所・クリニック)「健康診断が学術的に有効と認められるものなのか、疑問に思うことがある。」(30代以下,循環器科,一般病院)「検診の有用性はほんとうにあるのだろうか? やるなら胃カメラやバリウム検査は必須にする必要があると思う」(30代以下,救急医療科,大学病院)「実際に患者になって、大学病院では患者を待たせるのが当たり前としているところに気づいた。」(30代以下,皮膚科,大学病院)「自分で確認できる部分は年一回はチェックしてますが、内視鏡など他院でしてもらわないとダメな検査はどうしても先送りにしてしまいます。自営業のつらいところです・・・」(40代,内科,診療所・クリニック)「常に早期発見を心がけて検診を受けていても、やはり漏れ落ちはある。症状が出てからでも早期受診することで軽症で済むことも自身で経験すると、患者に対する説明も説得力が増した。」(50代,放射線科,一般病院)「自分で検査してます。 内視鏡も自分自身で挿入して検査します。得意技です。」(50代,内科,診療所・クリニック)「気合で仕事する文化が根付いており、気軽に休めるほどの人員が確保されていないため、病気になってからでないと体のメンテナンスができない。」(30代以下,小児科,大学病院)「人間ドックを受診して、クレアチニンが高値であることが判明し、CKDであることがわかりました。クレアチニンが検査に導入されたから分かったことで、検査項目の見直しが必要であると思いました。」(60代以上,内科,一般病院)「胃カメラを初めて受けたが緊張した。」(30代以下,内科,診療所・クリニック)「常勤の頃は必ず受診していましたが、結婚して非常勤になるとなかなかチャンスがありません。 常勤ではない女性医師がもっと受診しやすくするシステムがあるといいと思います。」(30代以下,皮膚科,診療所・クリニック)「人間ドックを 日曜日や休日、または平日午後からも受けられる施設を増やしてほしい。」(40代,内科,診療所・クリニック)「1日人間ドックに入る時間的余裕がない」(30代以下,救急医療科,一般病院)「仕事が忙しくて体調を崩すが仕事のため受診できないという悪循環にはまります。」(30代以下,循環器科,一般病院)「人間ドックの項目に簡易スパイログラフィー(肺年齢)やBNP値を入れて、もっとハイリスク集団を効率よく抽出する努力をした方が良い。」(30代以下,外科,大学病院)「健康診断や人間ドックを受けていると全ての疾患が早期発見できると思っている人も多いようだが、それらで引っかかるのは一部の疾患だと考えてもらいたい。また、1年の間でも一気に進行する癌もあり、健康診断や人間ドックは有用ではあるが万能ではないことを周知してほしい。」(30代以下,その他,一般病院)「自分ばかりでなく家族が病気になり医療機関の世話になったときには、患者の気持ち、心配、不安を実感することができる」(60代以上,循環器科,大学病院)「職場で健診を受けられることはありがたいが、何か異常があった場合はすぐに院内に知れ渡ってしまいそうという不安もある」(30代以下,外科,一般病院)「入院中はいろんなスタッフが頻繁に入室してくるのでリラックスできなかった。」(40代,小児科,一般病院)「検診では心配している疾患(例えば前立腺など)を網羅していないため、受ける意欲を欠いた。」(60代以上,外科,一般)「病気になっても休暇が取りにくく、周囲に迷惑をかけるので、健康診断は必ず受けるようにしている。 勤務医の時は自分がいなくても代わりはいるが、開業すると休診にせざるを得ず、大変な思いをした。」(50代,形成外科,診療所・クリニック)「自分の専門領域の検査を受ける場合は緊張します。結果がわかると先が見えるから、こわい気がします。」(60代以上,脳神経外科,一般病院)「歯科への受診はついつい遅れがちになります。総合病院系で歯科のある所だとちょっと相談、とかもできますが、個人病院では歯科がないのがほとんどですし、仕事を休んでまで受診する程ではないとか、週末に改めて歯科医院に行くのも面倒だったりして受診が遅くなる事が多いです。」(50代,内科,介護老人保健施設)「医師が少ない科であるため、一人が倒れると膨大な業務が残りの医師にきて処置しきれないことがあった。」(60代以上,呼吸器科,一般病院)「十二指腸潰瘍で入院した時は、患者はなんと弱いものかと実感した」(50代,精神・神経科,診療所・クリニック)「知人が急な入院になったときに、診療所を仲間でバックアップしました。忙しくて、また代わりを頼んで診察を受ける時間がなかったとのことでした。」(50代,内科,診療所・クリニック)「客観的な判断が鈍るのか専門医への受診が遅れがち、特に65歳以上はその傾向が強い。 開業医は時に自費で薬剤を購入し、それでだましだましの治療をしているケースがある。」(50代,内科,診療所・クリニック)「血液検査などはしやすいが、昨年初めて大腸ファイバーをしてポリープが見つかった。出来れば人間ドックを毎年受け、胃カメラなども継続したいが、忙しく難しいのが現状です。」(30代以下,整形外科,一般病院)「自分の勤務する病院に受診希望の科があれば ふつうはそこを受診します。しかし大学の医局人事であちこちに勤務した経験上、自分の家族の受診も含めて、プライバシー・個人情報はほぼ守られないと感じています。現在の勤務先も、オーダリングシステムを使える立場の人ならだれでも、個人情報を入手でき、病名や処方など簡単にわかります。もっとアナログな点をいえば、“看護師の口に戸は立てられない”です。」(40代,小児科,一般病院)「全身倦怠感が強く、微熱が出た時に原因がわからず、呼吸器症状がほとんど無かったが胸部X線検査を行なって、肺炎になっていた時は驚いた。マイコプラズマ肺炎だったが、熱が低いわりに症状が強く出るのだなと解った。」(40代,内科,診療所・クリニック)「指を骨折したが、職員がどのように受診すればよいかわからず、ためらってしまったため受診が遅れてしまった」(30代以下,精神・神経科,大学病院)「先ごろ、入院しました。主治医をはじめスタッフの方々に大変よくしていただき、感謝の限りです。 自分も患者さんにとって、頼りがいがあり、感謝される医師でいなければいけないという気持ちを新たにしました。」(60代以上,整形外科,一般病院)「なかなか休暇をとって、人間ドックにかかれないのが悩み。 人間ドック休暇みたいな制度が有るといいんだけど。」(50代,内科,診療所・クリニック)「便潜血陽性のため、昨年初めて大腸ファイバー検査を受けた。結果は良性のポリープだったが、勇気がいることであった。」(50代,内科,診療所・クリニック)「健康は自己責任である。もっと早く受診すればよかったではなくて、そこまで健康に注意しなかった運命。といって検診をこまめに受ける人はただ単に責任転嫁したいだけ。病気というのはある程度遺伝子上で決められた運命です。治療を受けて長生きできるのも運命。受けられずに命が閉じるのも運命でしょう。」(30代以下,外科,大学病院)「単純レントゲン(肺)で異常を指摘され、CTを行うまで心配した。」(50代,整形外科,診療所・クリニック)「健康診断で引っかかっても、勤め先だと精密検査を受けにくい。」(40代,消化器科,一般病院)「患者には早期発見が大事という割に、自分は病気を見つけたくない矛盾があります。」(40代,泌尿器科,一般病院)「血圧が高め、少しぐらいなら、と放っておいたらかなりの高血圧に。自覚症状がないと甘く見がち」(50代,内科,一般病院)「医科のものは意識しているのですが、歯科が盲点でした。つい面倒で行かずにいたら、ある日突然歯がポロッと欠け、慌てて受診。既にかなり進行した齲歯でした。他にも齲歯多数とのことで、今も通院が続いています。」(40代,外科,一般病院)「胃カメラは想像以上に苦痛であった。」(50代,整形外科,一般病院)「入院して患者さんの気持ちが判ったので、応対に気をつけるようになった。」(60代以上,産婦人科,診療所・クリニック)「重度感染症で入院した際、食事の重要性と同室のいびきがこんなにも心身に影響するのかと実感しました。特に六人部屋、八人部屋というのは、本当に忍耐の日々でありました。入院設備は昭和の時代から全く変化がないように思えます。そろそろ、入院設備へも目を向けるべきかなと思います。」(40代,小児科,診療所・クリニック)「実際に健康診断がきっかけで癌が見つかったDrもいるので他人ごとではないと思ってます。」(40代,産婦人科,大学病院)「患者さんには偉そうに言うのに自分の健康管理は不十分。昨年目の手術をして、自己管理の大切さと医療者のありがたさを痛感した」(50代,小児科,大学病院)「症状から自己診断してしまい、結果的に回復が遅れた。受診に時間を要することが一番の理由」(60代以上,その他,一般)「評判のいい開業医のところへ特定健診に行って、細やかな診察や説明など、患者さんに人気のある理由を目の当たりにしたのは、医療人としても良い経験となった。 気軽にできる“患者体験“になるような気がする。」(40代,麻酔科,診療所・クリニック)「前立腺がん、右腎盂癌が検診で見つかった」(60代以上,内科,診療所・クリニック)「なかなか健康診断を受ける時間がない。知り合いの外科医はPSA測定をご自分で測定し、次第に上昇し、あり得ない数値になっても放置し、病状が進行して血尿が出て、初めて相談を受けました。」(60代以上,泌尿器科,診療所・クリニック)「健康なので患者さんの気持ちがわからないのではないかと心配です。」(30代以下,血液内科,大学病院)「過去に、業務に支障がない外傷で勤務していた所、気付かれてストップがかかったことがありました。医師不足のため代わりがいない状況では患者の診療が優先され、受診にはハードルが高く感じます。その分、職場健診は義務であり、権利と考え毎年受けています。」(50代,内科,一般病院)「開業していると急には休診にはできないので、なかなか他の医療機関を受診できない。自分の専門分野であれば自分自身で投薬(治療)せざるを得ない。」(40代,内科,診療所・クリニック)「外来や当直の時に、嘔吐下痢症だったり発熱してしんどかったときは、因果な商売だなぁと思いました。」(30代以下,神経内科,一般病院)「自分はまだ30代だが、同年代で生命に関わる患者を診察する機会も多いため、健康に気をつけるよう心掛けています。」(30代以下,産婦人科,一般病院)「患者になって以後、(身体より)仕事を優先することの愚かさを、実臨床の場で啓蒙するようになった」(50代,外科,一般病院)「まず自分で診断治療しようとしてしまう。こんな症状なんかで受診するのかとの思いから専門医に相談するのが遅れたり、あるいは他院で検査を受けるのが気恥ずかしかったりして受診が遅れる。」(40代,内科,診療所・クリニック)「健康診断は職場で強制的に受けさせられるから問題ないのですが、体調を崩したときも仕事を抜けて受診することが、病院で働いていても困難だと思うことが多いです。」(30代以下,麻酔科,一般病院)

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「潰瘍性大腸炎の治療における医師と患者の意識比較」について

11月29日(木)、「潰瘍性大腸炎の治療における医師と患者の意識比較」をテーマに、丸ビルコンファレンススクエア(東京・千代田区)においてメディアセミナーが開催された(主催:キョーリン製薬ホールディングス株式会社)。今回のテーマは、患者数が増加を続ける「潰瘍性大腸炎」。この診療の第一線で活躍する渡辺守氏(東京医科歯科大学大学院消化器病態学消化器内科 教授)を迎え、その疫学、最新の診療、「医師と患者の意識の差」調査結果を述べるとともに、後半では患者との対談を行った。増加する「潰瘍性大腸炎」の現状講演では、渡辺氏が「潰瘍性大腸炎」について、症状として下痢や血便、腹痛があること、20~30歳代の若年で好発すること、再燃と寛解を繰り返し、ADLを著しく下げること、厚生労働省難治性疾患であり、推定患者数も14万人を超えることなどが説明された。次に、渡辺氏が行った医師と患者の治療への意識調査の結果について、次のように報告した。●対象医師=354名(同疾患患者を5名以上診療している消化器内科、外科、大腸肛門科の医師)患者=206名(定期的に受診し、薬物療法を受けている同疾患の患者)●目的患者、医師の意識比較を行うことで患者満足度が高い対応やコミュニケーションを導く●方法インターネットでのアンケート●結果(主に差異が大きい点について)「最初に診断された時の『潰瘍性大腸炎』に関する説明は?」では、医師は「治りにくい慢性疾患」と説明しているのに対し、患者は「難病ではあるが、治りにくいとは思っていない」と回答。「医師からの病気や治療について、十分な説明があったかどうか」では、医師が認識しているよりも、患者は十分な説明を受けていると実感しており、医師が思う以上に理解度が高いことがわかった。「医師に対する不満や不安」では、医師は対応の不十分さを強く認識する傾向がある半面、患者の6割以上は不満や不安をもっていないことがわかった。「(患者は)医師に伝えたいことをどの程度伝えられているか」では、医師は「伝えることができている」と考えているのが半数以下であるのに対し、患者は7割以上が「伝えることができている」と認識していることがわかった。「潰瘍性大腸炎治療における患者満足度(10点満点で評価)」について、医師が考えている(6.4点)よりも患者(6.9点)は現状の治療・診療行為に満足していることがうかがえた。「(治療薬である)5-ASA製剤の服薬状況」については、多くの医師が患者は処方された通り服用していないと考えているのに対し、患者の7割は処方された通りに服用していることがわかった。「5-ASA製剤を処方どおりに服薬しない理由」については、医師が症状軽快による患者の自主的な中断と考えているのに対し、患者は単純な飲み忘れと回答。以上、アンケートでわかった医師と患者の意識のギャップを比べると、医師が思うほど患者は悲観的ではなく、疾患をよく理解しており、服薬コンプライアンスも守られていることが示唆された。治療へのモチベーションが上がる言葉とは次に、渡辺氏が診療をしている患者との対談となり、医師と患者の意識の違いについてテーマに沿った内容の話合いが行われた。最初に患者の治療経過について説明が行われ、血便が端緒となり一般内科での診療後に専門医に紹介。そこで行われたステロイドの頻回使用でひどく治療が難渋したことが話された。「診断されて病名の告知がされた時の心境について」尋ねたところ、「悩んだ時期もあり、なかなか受け入れられなかったが、よくなる病気といわれて気持ちが軽くなった」と答えた。さらに「治療に関して」尋ねたところ、現在は薬の継続服用の徹底指導を受けているとのことで、ステロイドからメサラジンへ移行したとのことであった。診療で一番印象に残った言葉について尋ねると「『よくなる病気』という言葉で、治療へのモチベーションが上がった」と答えた。続いて診療でのコミュニケーションについての話題となり、渡辺氏が「治療で大変なことは何ですか」と尋ねたところ、「肉体的に精神的にも治療成果が出てこないとつらい」との回答だった。薬の服用に関して、「1日2回ではどうか」と尋ねたところ、「現在服用に支障はないので、3回でも2回でも変わりはない」との回答。また、「日常生活について」聞いたところ、「食生活もその他のことも今まで通りできている。とくに食事制限もない」とのことであった。「医師とのコミュニケーションで大事なこと」については、「医師の指導を守ること。特に服薬に関しては厳守した方がよい」と回答を述べた。最後に渡辺氏より、「患者は医師を信用して、服薬コンプライアンスを守るようにして欲しい。自己流で治療をしないこと、自分で判断して服薬の中断などをしないことが大切。中断した場合は医師にきちんと伝えるようにしていただきたい」と述べ、セミナーを終えた。

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第9回 説明義務 その3:「説明義務の客体」癌の告知は誰まですべき!?

■今回のテーマのポイント1.法的な説明義務の客体は、診療契約の当事者である患者である2.診療契約の当事者でない家族に対して、患者の同意なく患者情報を提供しても違法とならない場合は限られている3.患者の同意なく、家族に患者情報を提供する法的義務を課すこと及び家族を探索する義務を課すことは、行き過ぎといえるが、判例があるため注意する必要がある事件の概要77歳男性(X)は、昭和60年より虚血性心疾患等にてY病院の循環器科に外来通院していました。平成2年10月に胸部X線を撮影したところ、肺野にコイン様陰影が認められたことから、呼吸器内科医であるA医師にコンサルトし、精査した結果、多発性の肺腫瘍で胸水貯留もあることが判明しました。A医師は、すでに根治的治療は困難であり、Xの余命は長くて1年程度と判断したため、Xに対し、病名を伏せ、肺の検査をするために入院するように勧めました。しかし、Xは、「高齢の妻と2人暮らしのため入院はできない」と拒否しました。また、A医師は、診察に家族を同行するよう依頼しましたが、結局Xは1人で通院してきました。翌月、A医師は、Xの家族には病名を伝えた方がいいと考え、カルテ記載のXの自宅電話番号にも電話しましたが、つながりませんでした。その後、外来主治医がB医師に変更され、2ヵ月通院していましたが、それ以上家族に連絡を取る等は行われませんでした。最終的にXは、他院に入院したものの平成3年10月に死亡しました。なお、Xには、最後まで病名の告知はなされませんでした。これに対し、Xの家族は、Y病院に対し、Xが末期癌であることを本人又は家族である原告らに対し告知しなかったことは、説明義務違反であるとして1600万円の損害賠償請求を行いました。第1審では末期癌の告知をいつ、誰に、どのような方法で行うかは、医師に広範な裁量が認められるとして、原告の請求を棄却しましたが、第2審においては、Xに対して告知しなかったことは違法ではないものの、患者本人に対し告知しないと判断した以上、医師には患者の家族に関する情報を収集する義務があり、必要であれば家族と直接接触するなどして患者家族に対して告知するか否かを検討する義務があるとして、これに違反したY病院に対し120万円の損害賠償責任を認めました。この原審に対し、Y病院が上告したところ、最高裁は、家族に対する説明義務につき、原審を維持したうえで、下記の通り判示しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過77歳男性(X)は、昭和60年より虚血性心疾患等にてY病院の循環器科に外来通院していました。平成2年10月に胸部X線を撮影したところ、肺野にコイン様陰影が認められたことから、呼吸器内科医であるA医師にコンサルトし、精査した結果、多発性の肺腫瘍で胸水貯留もあることが判明しました。12月にA医師の外来を受診した際、Xが前胸部痛を訴えたこと、Y1はすでに根治的治療は困難であり、Xの余命は長くて1年程度と判断したことから、Xに対し、病名を伏せ、肺の検査をするために入院するように勧めました。しかし、Xは、「高齢の妻と2人暮らしのため入院はできない」と拒否しました。また、A医師は、診察に家族を同行するよう依頼しましたが、結局Xは1人で通院してきました。翌1月、A医師は、Xの家族には病名を伝えた方がいいと考え、カルテ記載のXの自宅電話番号にも電話もしましたが、つながりませんでした。A医師は、翌月よりY病院で診療をしなくなることから、Xのカルテに「転移病変につきXの家族に何等かの説明が必要」と記載しました。2月から、外来主治医がB医師に変更されましたが、B医師からは家族に連絡を取る等は行われませんでした。Xは、Y病院にて治療を受けていても前胸部痛が改善しないことから、3月になってZ病院を受診したところ、Z病院の医師CからXの長男に対して、Xが末期肺癌である旨の説明がなされました。最終的にXは、Z病院に入院し、同年10月に死亡しました。なお、Xには、最後まで病名の告知はなされませんでした。事件の判決「医師は、診療契約上の義務として、患者に対し診断結果、治療方針等の説明義務を負担する。そして、患者が末期的疾患にり患し余命が限られている旨の診断をした医師が患者本人にはその旨を告知すべきではないと判断した場合には、患者本人やその家族にとってのその診断結果の重大性に照らすと、当該医師は、診療契約に付随する義務として、少なくとも、患者の家族等のうち連絡が容易な者に対しては接触し、同人又は同人を介して更に接触できた家族等に対する告知の適否を検討し、告知が適当であると判断できたときには、その診断結果等を説明すべき義務を負うものといわなければならない。なぜならば、このようにして告知を受けた家族等の側では、医師側の治療方針を理解した上で、物心両面において患者の治療を支え、また、患者の余命がより安らかで充実したものとなるように家族等としてのできる限りの手厚い配慮をすることができることになり、適時の告知によって行われるであろうこのような家族等の協力と配慮は、患者本人にとって法的保護に値する利益であるというべきであるからである。これを本件についてみるに、Xの診察をしたA医師は、前記のとおり、一応はXの家族との接触を図るため、Xに対し、入院を1度勧め、家族を同伴しての来診を1度勧め、あるいはカルテに患者の家族に対する説明が必要である旨を記載したものの、カルテにおけるXの家族関係の記載を確認することや診察時に定期的に持参される保険証の内容を本件病院の受付担当者に確認させることなどによって判明するXの家族に容易に連絡を取ることができたにもかかわらず、その旨の措置を講ずることなどもせず、また、本件病院の他の医師らは、A医師の残したカルテの記載にもかかわらず、Xの家族等に対する告知の適否を検討するためにXの家族らに連絡を取るなどして接触しようとはしなかったものである。このようにして、本件病院の医師らは、Xの家族等と連絡を取らず、Xの家族等への告知の適否を検討しなかったものであるところ、被上告人〔患者側〕については告知を受けることにつき格別障害となるべき事情はなかったものであるから、本件病院の医師らは、連絡の容易な家族として、又は連絡の容易な家族を介して、少なくとも同被上告人らと接触し、同被上告人らに対する告知の適否を検討すれば、同被上告人らが告知に適する者であることが判断でき、同被上告人らに対してAの病状等について告知することができたものということができる。そうすると、本件病院の医師らの上記のような対応は、余命が限られていると診断された末期がんにり患している患者に対するものとして不十分なものであり、同医師らには、患者の家族等と連絡を取るなどして接触を図り、告知するに適した家族等に対して患者の病状等を告知すべき義務の違反があったといわざるを得ない」(最判平成14年9月24日民集207号175頁)ポイント解説今回は3回にわたる説明義務の最終回となります。テーマは、「説明義務の客体」についてです。診療契約は、医療機関(*医師個人ではないことに注意〔第8回参照〕)と患者個人との間で締結されています。したがって、患者以外の第三者は、たとえ家族であったとしても法律上の関係がない第三者ですから、原則として契約上の義務である説明義務の対象とはなり得ません。特に、医師等医療従事者には刑法134条1項(秘密漏示)※1等に守秘義務が定められており、違反した場合には刑事罰が科されることもありますので、たとえ患者家族であったとしても(家族間で相続争いがある場合など、往々にして紛争の種になることがあります)みだりに第三者に患者の情報を伝えることは許されないといえます。さらに、本最高裁判決後である平成15年に成立し、平成17年に全面施行となった「個人情報保護法」※2からも、患者の同意なく第三者に患者情報を提供することは、原則的には許されない(個人情報保護法23条1項)ことから、本判決との整合的理解が必要となります。●患者本人の同意なく家族に病状を伝えることは違法か?それでは、患者の同意なく家族に患者情報を伝えることは、一切許されないかと問われるとそうではありません。刑法134条1項は「正当な理由」がある場合には、医師等が患者の情報を第三者に提供しても守秘義務違反にはならないとしています。したがって、家族に病状を伝えることが「正当な理由」に該当するのは、どういった場合かが問題となります。この点、現在は、個人情報保護法がありますので、個人情報保護法上、適法に第三者に提供できる場合は、少なくとも「正当な理由」に該当すると考えられます。すなわち、個人情報保護法23条1項各号に該当する場合には「正当な理由」に該当する結果、守秘義務違反とならないと考えられます。したがって、患者の同意なく家族に病状を伝える場合であっても、個人情報保護法23条1項2号「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」に該当するような場合、すなわち、意識がない患者又は重度の認知症の高齢者などにおいて、病状や状況を家族等に説明する場合には、患者の同意がなくても「正当な理由」があると考えられます。ただし、その場合であっても「本人の家族等であることを確認した上で、治療等を行うに当たり必要な範囲で、情報提供を行うとともに、本人の過去の病歴、治療歴等について情報の取得を行う。本人の意識が回復した際には、速やかに、提供及び取得した個人情報の内容とその相手について本人に説明するとともに、本人からの申し出があった場合、取得した個人情報の内容の訂正等、病状の説明を行う家族等の対象者の変更等を行う」(国立大学附属病院における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン)ことが必要と考えられます。●適法に患者家族に病状を伝えるための方法は?しかし、患者の同意が不要となるのが、そのような特別な場合だけに限るとすると、日常診療に多大な支障をきたすことになるのは明らかです。そのため、現在の実務運用としては、診療に関する患者情報の家族への提供は、「院内掲示」を用いた事前の包括的同意取得によって、患者の同意を得ているとして適法に行えることにしています。つまり、「国立大学附属病院については、患者に適切な医療サービスを提供する目的のために、当該国立大学附属病院において、通常必要と考えられる個人情報の利用範囲を施設内への掲示(院内掲示)により明らかにしておき、患者側から特段明確な反対・留保の意思表示がない場合には、これらの範囲での個人情報の利用について同意が得られているものと考えられる」(国立大学附属病院における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン)としており、この院内掲示に「患者さんの家族への病状説明」と記載することで、包括的同意を取得していることとなるため、家族への病状説明が適法になるのです。●本判決の整合的理解さて、患者の同意なく家族に病状を伝えても違法とはならない場合は理解できましたが、だからといって、そのような場合においては、当然に患者の同意なく家族に病状を伝えなければならない(=伝えないことが違法)ということにはなりません。たとえば、救急搬送された患者が覚せい剤を使用していることが判明した場合、その旨を警察に通報することは、「医師が、必要な治療または検査の過程で採取した患者の尿から違法な薬物成分を検出した場合に、これを捜査機関に通報することは、正当行為として許容されるものであって、医師の守秘義務に違反しないというべきである」(最判平成17年7月19日刑集第59巻6号600頁)とされていますが、逆に警察に伝えなかったからといっても違法にはなりません。そして、現在の法律上、患者の同意なくとも第三者に患者情報を提供する義務が課されているのは、 (児童虐待の防止等に関する法律第6条1項)児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。 (同法同条3項)刑法の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第1項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない。 や麻薬及び向精神薬取締法、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律、食品衛生法等特殊な場合に限られています。本件では、医師が、医学的な判断から患者本人に癌告知をしないとした場合において、患者の同意なく家族に病状を伝えようとした場合ですが、個人情報保護法を踏まえた現在の解釈としては、同法23条1項2号に該当するといえますので、家族に伝えることが違法にはならないと考えられます。しかし、それを超えて契約関係にもない家族に伝えないことが違法かと問われると、何らの法律もない現状においては判断が分かれると考えます。特に、捜査機関ではない医療機関に、家族を探して連絡を取る義務(探索義務)を課すことは、たとえ患者や家族にとって重大な事実であったとしても行き過ぎといえます。しかも本件では、患者に「入院を1度勧め、家族を同伴しての来診を1度勧め、あるいはカルテに患者の家族に対する説明が必要である旨を記載」しているにもかかわらず、なお探索義務を尽くしていないとされています。探索義務に関連する他の判例としては、「医師としては真実と異なる病名を告げた結果、患者が自己の病状を重大視せず治療に協力しなくなることのないように相応の配慮をする必要がある。しかし、A医師は、入院による精密な検査を受けさせるため、Xに対して手術の必要な重度の胆石症であると説明して入院を指示し、二回の診察のいずれの場合においても同女から入院の同意を得ていたが、同女はその後に同医師に相談せずに入院を中止して来院しなくなったというのであって、同医師の右の配慮が欠けていたということはできない」(最判平成7年4月25日民集49巻4号1163頁)としているものや、「患者の疾患について、どのような治療を受けるかを決定するのは、患者本人である。医師が患者に対し治療法等の説明をしなければならないとされているのも、治療法の選択をする前提として患者が自己の病状等を理解する必要があるからである。そして、医師が患者本人に対する説明義務を果たし、その結果、患者が自己に対する治療法を選択したのであれば、医師はその選択を尊重すべきであり、かつそれに従って治療を行えば医師としての法的義務を果たしたといえる。このことは、仮にその治療法が疾患に対する最適な方法ではないとしても、変わりはないのである。そうだとすれば、医師は、患者本人に対し適切な説明をしたのであれば、更に近親者へ告知する必要はないと考えるのが相当である」(名古屋地判平成19年6月14日判タ1266号271頁)としたものがあります。これらを総合すると、1度では違法で2度だと適法というようにもみえますが、そういった問題なのでしょうか?倫理的に家族をできる限り探したほうがよいとすることは構いませんが、契約関係にもなく、法律上の明文もなく、場合によっては、先に述べたように相続等紛争にも発展しかねないことなども考えると、本判決は裁判所の行き過ぎた判断といえるのではないでしょうか。本判決がでた時代には、医療バッシングの風に流され、法と倫理の相違をわきまえず、明示された条文なしに裁判官自らの倫理観のみで、違法と判断する判決が多々生まれ、その結果、萎縮医療、医療崩壊が生じました。司法はその役割を自覚し、法律に基づく判断をするべきものと考えます。 ※1.(刑法134条1項)医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。※2.(個人情報の保護に関する法律23条1項)個人情報取扱事業者は、次に掲げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない。一法令に基づく場合二人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。三公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。四国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。最判平成14年9月24日民集207号175頁最判平成17年7月19日刑集第59巻6号600頁最判平成7年4月25日民集49巻4号1163頁名古屋地判平成19年6月14日判タ1266号271頁

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Dr.岩田のスーパー大回診

第4回「PQRSTで終わらせない!」第5回「研修医は三日寝ないで一人前?」第6回「ムンテラを教えよう」 第4回「PQRSTで終わらせない!」指導医が研修医に、「問診で患者さんに痛みについて尋ねるときの手段について」質問すると、「“PQRST”をきちんと聞く」などと答える人がいます。最近は病歴聴取についての教材や教育方法が発達してきたため、研修医もこのようなことを良く知っています。そして指導医もまた、それさえできていれば十分だと思ってしまいがちです。しかし、それでは病歴聴取としては不十分なのです。PQRSTは単なるチェックリストに過ぎません。チェックリストを埋めているだけの問診では、疾患や患者さんの全体像を掴むことはできません。では、病歴聴取において指導医は研修医をどう指導したら、またどのように訓練していけばよいのでしょうか。岩田先生ならではの“指導医の心得”を伝授します !第5回「研修医は三日寝ないで一人前?」医療現場では当たり前ともされる「時間がない!」「忙しすぎる!」「人が足りない!」「今日も寝られない!」という過酷な状況の中、研修医に対しても「三日寝ないで一人前」のような感覚でいる指導医の先生が多いのではないでしょうか。しかし、乗客の命を預かるパイロットが適切な休養を義務として取るように、患者さんの命を預かる医師も「権利」としてでなく、「義務」として休養を取らなければいけません。つまり、プロである以上、患者さんのためにベストパフォーマンスを発揮するためには適切なタイムマネジメントが必要であり、研修医のタイムマネジメントを管理するのも指導医の役目なのです。「そうは言っても、手いっぱいでそんなことやってられない!」という方、ぜひ岩田先生からの明解なアドバイスをお聞きください。超多忙な中、多くの講演や執筆を手がける岩田先生ならではの妙技をご紹介します。第6回「ムンテラを教えよう」ムンテラは、ドイツ語のMund Therapie(ムントセラピア)の略語で、「口で治療する」という意味です。いわば医療行為の一環であり、エコーや心電図などの医療行為と同じく特別な技術を要するもの。この「ムンテラ」と呼ばれる、がん告知やインフォームドコンセントを、経験の浅い研修医一人に任せたりしていませんか? 「ムンテラ」は、医学知識があるからといって訓練なしで研修医が行っていいことではありません。でも、「ムンテラなんて教えたことも教わったこともない」という声が聞こえてきそうです。そんな悩める指導医のための基本知識を伝授します。岩田先生の明解解説でムンテラを教えるツボがわかります !

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〔CLEAR! ジャーナル四天王(35)〕 進行がん患者と医師との良好なコミュニケーションがもたらすものとは?

がん治療は、分子標的薬の登場により飛躍的に進歩してきているといえるが、StageIV(遠隔転移のある)の進行がんに対しては、より長い期間延命ができるようになってきてはいるものの、残念ながら治癒が得られるまでには至っていない。 NEJMに掲載された今回の調査は、米国の医療現場で、転移のある進行がんが化学療法により治癒可能であると誤解している患者が、肺がんで69%、大腸がんで81%であったというものである。この結果は、新しいがん治療薬が次々と承認されてきているこの時代に、医師は患者に、次々と化学療法を使いたいがために、治療効果を楽観視させているのではないか、と警鐘を鳴らすものとも解釈できる。 この調査の弱点としては、患者自身に対してのみの聞き取り調査であるため、医師から実際にどのように説明されているのかは不明という点である。すなわち、医師からは実際には治癒不能と伝えられており、患者は治癒不能ということを理解はしているが、治癒を「希望」、あるいは「期待」して、インタビューに答えているという可能性もある。また、今回の調査のアウトカムが、化学療法に対する効果への理解度ということであるが、その理解度が、患者のQOL(生活の質)にどの程度影響したか、という真のアウトカムまで評価していないことは不十分であると思われる。 実際に、医師が進行がん患者に予後まで説明しているのは、3分の1程度という報告がある(Kiely BE et al. Semin Oncol. 2011; 38: 380-385.)。また、進行がん患者に対する調査で、終末期に関するケアについて、医師と話し合いをしなかった患者は、話し合いをした患者と比べて、ホスピスに入院する期間が短く、精神的苦痛が多く、生前の最後の週に積極的治療(化学療法や蘇生術など)が行われる傾向があり、QOL(生活の質)も低かった、という報告もある(Wright AA et al. JAMA. 2008; 300: 1665-1673.)。このように適切な予後の説明をせず、患者に現実的でない希望を抱かせることによって、化学療法を安易に促してしまうことは好ましいことではない。一方で、可能性・確率を丁寧に説明しない乱暴な予後告知は、患者、家族に多大な精神的負担を与えてしまうだけであるという調査報告もある(Morita T et al. Ann Oncol. 2004; 15: 1551-1557.)。わが国でも、最近の傾向として、余命告知が平易に行われてしまっているという傾向があり、そのために「もう治療がない」と、治療を求めてさまよう「がん難民」が増加しているといわれている(The Wall Street Journal, January 11, 2007.)。 進行がん患者と、希望を損なうことなく、予後について話し合うということは、大変困難なことではある。しかし、大切なのは、患者とよいコミュニケーションを取る、ということに尽きると思う。治療医と患者の良好なコミュニケーション(お互いに尊敬し合う、質問がしやすい雰囲気、化学療法が終了しホスピスに移行した後でもコミュニケーションをとり続けることなど)が末期がん患者のQOLを高める要素となること、そのために、医師のコミュニケーション技術を高めることの重要性が最近話題になっていることでもある(ASCO POST, September 15, 2012, Volume 3, Issue 14.)。勝俣 範之先生のブログはこちら

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認知症のエキスパートドクターが先生方からの質問に回答!(Part1)

CareNet.comでは10月の認知症特集を配信するにあたって、事前に会員の先生より認知症診療に関する質問を募集しました。その中から、とくに多く寄せられた質問に対し、朝田 隆先生にご回答いただきました。2回に分けて掲載します。1 病識のない初期認知症疑いの人にどのように精査を勧めればよいか? また、認知症を否定し診療を拒否する患者を、治療や専門医への受診に結びつけるにはどうしたらよいか?1 確かにこの問題への対応は難しいですね。認知症医療における永遠のテーマかもしれないと思うこともあります。診察を拒否する当事者には、病識がなく、また病気だと思いたくないこと(否認)があると思われます。理詰めや証拠の突きつけでは、かえって感情を逆なですることにもなりかねません。仮にご主人がお悪いのなら、奥様が「私が診てもらうから、付き添って」と誘って、同時に診察してもらう方法もありますね。私の友人である髙椋 清医師(老人保健施設創生園 施設長)によると、とくに女性患者の場合は、ご主人が「俺は物忘れがひどくて、病院に行かなくてはならないと思うけど、怖くてたまらないから一緒に来てくれないか?」とお願いする方法がきわめて有効とのことです。ある意味、母性本能に訴える方法です。ただし、男性の患者さんの場合は、成功率はさほど高くないそうです。また、高血圧や動脈硬化、メタボリックシンドロームなどがあれば、それを理由に「大脳を含めた全身的なチェックをしてもらおうね」と誘う手もあります。家族総力戦での対応、さらには当事者が信頼している人からの勧めも有効かもしれません。もし当事者が外で勤務されているなら、職場の上司や関係者は多少とも変化に気づかれているでしょうから、そこから勧めてもらう方法も考えられます。2 認知症本人への病名告知について、現在の専門医における見解は? また、本人を傷つけない告知のコツは?2 今日では、認知症の診断がつけば、病名告知をして当然という状況になってきています。もっとも臨床現場の実感としては、そうそう単純にはいかないという思いもあります。もちろん、覚悟を持って病名告知を受けるからと、嘘偽りのない説明を求める人もいらっしゃいます。このような方であれば、医師側もそう躊躇することなく病名を告げられるでしょう。しかしこの場合でも、「聞いた瞬間に頭が真っ白になって、後は何も覚えていない」という人が多いのです。それだけに現実には、数回に分けて、段階的に説明を加えていくことが望ましいと思われます。「認知症の可能性がある」、次に「その可能性が濃い」、さらに「認知症である」と述べていき、あわせて認知症の説明をするのです。告知というよりも、むしろこうした繰り返しの説明が大切かもしれません。その際のコツは、少しずつ、相手が理解できるように、質問に真正面から答える、といったところかと思います。ところで最近では、軽度認知障害(MCI)、あるいはそれ以前の段階の方も受診されます。「認知症が心配だけれども、専門家からそうではないと否定してほしい」というお気持ちで来院される方が少なくないのです。たとえば、軽度認知障害(MCI)と診断された人に「あなたは確率的には4年以内に50%位の危険性で認知症になります」ということを正確にわかってもらうのは難しいことです。しかも、「白黒つけられない」とか「グレーゾーン」といった表現は、さらに不安を煽る可能性もあります。そこで「経過観察しないと断定できない」といった言い方をせざるを得ないことが少なからずあります。この辺りはケースバイケースになってきますね。3 患者の家族へどのように説明すればよいか? また、家族が認知症であることやその治療に理解を示してくれない時にどう対応すればよいか? 3 患者さんの家族への説明では、客観的事実をわかりやすく伝えることが基本であることは申すまでもありません。とは言っても初期例や、単身あるいは老々の当事者とご家族との間であまり行き来のない場合、ご家族が認知症である当事者の実態をよくわかっておられないことがあります。こうした場合にどうするかという問題には、結構難しいものがあります。Q1の回答でも述べましたが、近親者が病気だとは思いたくないこと(否認)、子どもさんの場合は認知症の親を看ていないと非難されるのではないかという気持ち、そうしたものが入り交じった思いが背景にあるかと思われます。こうした場合の現実的で着実な方法は、子どもさんにその親御さんと、数日ご一緒に過ごしていただくことかと思います。生活をともにすれば、どのような生活上の障害が出ているのかがよくわかるはずです。そうすれば子どもさんたちも、感情的には受け入れがたくても、認知症の現実を直視せざるを得ないというお気持ちになられることでしょう。そのうえで、今後の生活設計などについての話し合いを始めるとスムーズに行くかもしれません。4 若年性認知症の本人や家族にどのように対処すればよいか? 本人に告知する前に 親または子供に告知しておくべきか?4 若年性認知症の方の場合、事態はきわめて深刻ですから慎重に万全を期す必要がありますね。親や子あるいは配偶者など、ご家族の中でもキーパーソンと思われる人に同席してもらうのがよいかもしれません。一般的には当事者とこうした人との同席のほうが、食い違いや誤解を生じにくいと思われるからです。ここでは、対処・注目すべき内容について述べます。まず認知症という診断とその基礎疾患を告げ、その概要を説明することです。次に、治療法と予測される予後も大切です。また今後の経過の中で利用できる公的支援について、ソーシャルワーカーの方を介して説明してもらうことも欠かせません。仕事に就いておられるケースでは、就業をどのように継続するかはとても大きな問題です。会社の担当者も交えて相談する必要も生じることでしょう。さらに生命保険には高度障害、つまり死亡に準じて保険金を受け取れる制度がありますので、この点について伝えることも不可欠でしょう。住宅ローンについても、同様の手続きで対応ができるものと思います。5 認知症が専門外の場合(一般診療が中心の場合)、軽度の認知機能低下を見つける方法は?5 これはなかなか難しいご質問ですね。ここでは、見つけるための診察手技やテストではなく問診上の注目点を紹介します。多くの場合、当事者と一緒に生活している人が最初に異常に気づくものです。まずはそのような方に、機能低下の内容を尋ねてみることから始めるとよいでしょう。認知機能の領域には、記憶のみならず遂行機能、注意、視空間機能、推論、言語などが含まれます。記憶は最も気づかれやすいものです。同じ質問の繰り返し、確かに言ってあるのに「聞いてない」発言、約束を忘れた、などを中心に尋ねればよいでしょう。遂行機能や注意については、日常生活における「段取り」の能力、運転の際の慎重さなどが質問のポイントになるでしょう。また視空間機能については、いわゆる方向感覚について、当事者の生活範囲レベルに応じて質問すればよいでしょう。また「言いたい言葉が出てこない」とか、語彙の数、言い間違いといった言語面の質問も役立つことがあります。なお、生活面への注目も求められます。長年続けてこられた趣味を止めてしまったということがあれば、かなりの危険信号と思われます。また女性の場合、料理への注目も有用です。少しずつレパートリーが減る、味付けが下手になるといった変化が初期から見られることが少なくないからです。

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第7回 説明義務 その1:しておかないと困る!患者への説明の内容とその程度

■今回のテーマのポイント1.説明義務の内容は、原則としては、「診療情報の提供等に関する指針」(厚生労働省)に記載されている7項目である2.説明すべき治療方法は、原則として「医療水準として確立したものに限る」。したがって、原則的には、医療水準として未確立のものは、説明する義務はない3.ただし、未確立の新規治療法であっても、医学的に明白な誤りがなく、適切な方法で臨床研究がなされている新規治療法について、患者の求めがあった場合には、特別な事情があるとして、当該未確立の療法についても説明義務を負うこととなる事件の概要患者(X)(43歳女性)は、Y医院にて乳がんと診断されました。当時、乳がんの標準的手術として確立されていたのは、胸筋温存乳房切除術であり、乳房温存療法は、まだ実施している施設も少なく、確立されたエビデンスは存在していませんでした。このような時点において、A医師は、乳房温存を希望するXに対し、乳房温存療法につき十分な説明をすることなく、当時の標準手術である胸筋温存乳房切除術を施行しました。これに対し、原告Xは、A医師に乳房温存療法についての説明義務違反があった等として、約1,200万円の損害賠償請求を行いました。原審では、診療当時、いまだ乳房温存療法の安全性は確立されておらず、危険を犯してまで同療法を勧める状況ではなかったとして、Xの請求を棄却しました。これに対し、最高裁は、医師Aの説明義務違反を認め、下記の通り判示しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過患者(X)(43歳女性)は、平成3年1月中旬ごろ、右乳房右上部分の腋の下近傍に小さなしこりを発見したため、診療科目と並べて「乳腺特殊外来」の看板を掲げているY医院を受診しました。手術生検の結果、Xにあったしこりは、充実腺管がんと診断されました。A医師は、Xに対し、乳がんであり手術する必要があること、手術生検をしたため手術は早くした方がいいこと、乳房を残すと放射線で黒くなることがあり、再発したらまた切らなければならないことを説明しました。Xは、入院後、新聞記事で乳房温存療法の記事を読んだこと、可能ならば乳房を残して欲しいことを手紙にしたため、A医師に手渡しました。しかし、当時、乳がんの標準的手術として確立されていたのは、胸筋温存乳房切除術であり、乳房温存療法は、まだ実施している施設は全国で12.7%でした。また、同手術方法に対する厚生労働省助成による研究班が立ち上がる2年前であり、本件当時わが国においては、乳房温存療法については、確立されたエビデンスは存在していませんでした。そのため、A医師は、当時の標準手術である胸筋温存乳房切除術を施行しました。事件の判決「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があると解される。本件で問題となっている乳がん手術についてみれば、疾患が乳がんであること、その進行程度、乳がんの性質、実施予定の手術内容のほか、もし他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などが説明義務の対象となる。本件においては、実施予定の手術である胸筋温存乳房切除術について被上告人〔A医師〕が説明義務を負うことはいうまでもないが、それと並んで、当時としては未確立な療法(術式)とされていた乳房温存療法についてまで、選択可能な他の療法(術式)として被上告人に説明義務があったか否か、あるとしてどの程度にまで説明することが要求されるのかが問題となっている。〔中略〕・・・・一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ、このような未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。そして、乳がん手術は、体幹表面にあって女性を象徴する乳房に対する手術であり、手術により乳房を失わせることは、患者に対し、身体的障害を来すのみならず、外観上の変ぼうによる精神面・心理面への著しい影響ももたらすものであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、このような性質を有しない他の一般の手術を行う場合に比し、一層強まるものといわなければならない」(最判平成13年11月27日民集55巻6号1154頁)※〔 〕は編集部挿入ポイント解説今回は説明義務です。「インフォームド・コンセント(説明と同意)」は、アメリカでは、1957年のサルゴ事件判決(大動脈造影検査後に下半身の麻痺が生じたことから、医師が検査の危険性を説明しなかったとして争われた事件)において生まれました。わが国では、およそ半世紀遅れ、1990年代より議論が始まり、現段階では、診療契約上説明義務があることは確立しているものの、具体的な説明の範囲については揺れ動いているという状況です。説明の範囲について、現時点においてベースラインとなるのは、本判決前半部分に記載されている「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があると解される」となります。また、より一般化したものとして、厚生労働省が示す「診療情報の提供等に関する指針」に示されている、(1)現在の症状及び診断病名(2)予後(3)処置及び治療の方針(4)処方する薬剤について、薬剤名、服用方法、効能及び特に注意を要する副作用(5)代替的治療法がある場合にはその内容及び利害得失(患者が負担すべき費用が大きく異なる場合には、それぞれの場合の費用を含む)(6) 手術や侵襲的な検査を行う場合には、その概要(執刀者及び助手の氏名を含む)、危険性、実施しない場合の危険性及び合併症の有無(7) 治療目的以外に、臨床試験や研究などの他の目的も有する場合には、その旨及び目的の内容が参考となります。原則的には、上記内容を説明している場合には、医療機関が説明義務違反を問われる可能性は低いといえます。もし、説明内容に不足があった場合には、説明義務違反がある(=過失がある)ことにはなりますが、医学的に適切な治療が選択されており、十分な説明がなされていれば同じ選択をすることが通常であると言える場合には、たとえ当該治療の結果、患者の身体に損害が生じたとしても、説明義務違反と生命・身体の損害の間に因果関係がないため、医療機関は、当該生命・身体の損害に対して賠償する責任はありません。ただ、その場合においても、わが国においては、患者の治療上の自己決定権自体を人格権の一内容として保護すべき法益とし、たとえ適切な治療により生命・身体に損害がなかったとしても、この権利を侵害した結果、精神的損害を生じたとして低額ではありますが損害賠償責任が認められることとなります(最判平成12年2月29日民集54巻2号582頁)。もう一度、判決文に戻ります。この判決が問題となる点として、〔1〕説明義務の主体は医師でなければならないのか〔2〕客体は患者でなければならないのか〔3〕特別の事情とはどのような場合があるのかがあげられます。〔1〕についてですが、判決は「診療契約に基づき説明義務が生ずる」としているのですから、法的には、診療契約の当事者である医療機関が適切な方法で説明すれば足りるのであり、必ずしも医療機関の一スタッフである医師が一から十まですべてを口頭で説明をしなければならないということにはならないと考えます。もっとも、疾患一般のことについては、文書やビデオ等でも十分な説明ができますが、患者個別具体の病状に応じた部分については、主治医でなければ説明しがたいこともありますので、その点に関しては医師が行う必要があるといえます。この点については、次回に解説したいと思います。〔2〕についてですが、まず、患者に意識がない場合は、法的には一切の説明義務はなくなるのかということです。診療契約は、患者と医療機関の間で締結されていますので、患者の家族は、法律上関係のない第三者ということとなります。したがって、素直に考えると契約関係にない家族に対して説明義務は生じ得ないということになります。また、末期がんで、患者の心因的な事由等により、医学的に告知すべきでない場合も同様でしょうか。この点については、次々回第9回で実際の事例を基に解説したいと思います。そして、今回の判決において問題となったのが、〔3〕特別の事情とは何を指すのかです。本判決が示すように、「一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない」のであり、未熟児網膜症に関する判決においても、「本症に対する光凝固法は、当時の医療水準としてその治療法としての有効性が確立され、その知見が普及定着してはいなかったし、本症には他に有効な治療法もなかったというのであり、また、治療についての特別な合意をしたとの主張立証もないのであるから、医師には、本症に対する有効な治療法の存在を前提とするち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務はなかった」(最判平成4年6月8日民集165号11頁)とし、光凝固療法が当時の標準的治療として確立されていなかったことを理由として説明義務及び転医義務違反を否定しています。しかし、本判決によると、「少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである」と判示し、これらの事情がすべてそろっている場合においては、特別な事情があるとして未確立の療法についても説明義務を負うとしています。医療は日々進歩しており、次々に新しい治療方法が提唱されています。確かにがんに対する縮小手術は常にがん再発の危険を伴います。一般に再発がんの生命予後は悪く、それに引き換え、縮小手術の利点は、機能温存、入院期間の短縮、苦痛の軽減、合併症の減少等副次的なものであるため、その適用には慎重さが求められます。しかし、少なくとも、1)医学的に明白な誤りがなく、適切な方法で臨床研究がなされている新規治療法について、2)患者の求めがあった場合には、適切な情報提供はなされるべきであるということに異論はないものと思われます。本事例以外に、特別な事情があると考えられる場合としては、美容整形目的の手術や臨床研究の場合があげられます。臨床研究においては、厚生労働省より「臨床研究に関する倫理指針」が出ていますので、臨床研究に携わる場合には、必ず一度は精読してください。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます(出現順)。最判平成13年11月27日民集55巻6号1154頁最判平成12年2月29日民集54巻2号582頁最判平成4年6月8日民集165号11頁

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「認知症」診療に関するアンケート第1弾~病名の告知

対象ケアネット会員の内科医師648名方法インターネット調査実施期間2012年9月13日~9月19日Q1.先生が診ている患者さんの中で、認知症の方は何人くらいいらっしゃいますか?Q2.初期または軽度の認知症の患者さんご本人への病名の告知について、どのようにお考えですか?Q3.初期または軽度の認知症患者さんご本人へ、どのくらいの割合で病名の告知をされていますか? 必ず告知する場合を100%としてお答えください。認知症診療について、先生のお考えをお聞かせください。(自由記入、一部抜粋)認知症の告知については、確定診断はできないとの前提で説明しています。(勤務医・内科・50歳代)認知症が一定以上進行している患者では、患者本人に病状説明を行っても理解できないことが多いので、そういう場合は最初に家族に病状説明を行う際に認知症であることを伝えています。 (勤務医・内科・30歳代)認知症の病態を理解して「今の生活」を納得して受容して生きて行けるかどうかは、診断時点だけでは判断が困難なことが多い。(開業医・内科・60歳代)人生を左右する重大な病気だからこそ、本人に真実を隠すべきではないと考えます。 (開業医・内科・50歳代)超高齢者が多いので、告知しても「?」という感じで理解してもらえないことが多い。若年性認知症は、その後の人生設計に関わるから、精神的ショックに配慮しつつ告知すべきでしょう。 (開業医・内科・50歳代)認知症診療では、医療、介護が連携して薬物療法、非薬物療法にケアを加えた総合的な対応が必要である。 (開業医・内科・70歳代)認知症への薬物療法が本当に必要なのか、疑問に思う例がある。デイケアなどもっと人間らしい対処の整備が本来の方法ではないか? (開業医・内科・50歳代)認知症治療の主眼はもちろん患者の症状増悪の阻止であるが、家族支援も忘れてはならない。日頃、家族が認知症の患者の対応にいかに疲弊しているかを理解し、ねぎらうことを忘れてはならない。 (勤務医・内科・60歳代)認知症の診断に、年齢を考慮しないと、効果のない投薬がなされ過ぎていて、無駄が多すぎる。 (勤務医・内科・60歳代)

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4人中3人が「自分が認知症と診断されたら、認知症であることを知りたい」47都道府県 認知症に関する意識・実態調査より

 エーザイ株式会社 エーザイ・ジャパンでは、65歳以上の親がいる男女9,400人(各都道府県 各200人)を対象に、「認知症に関する意識・実態調査」のインターネットアンケート調査を実施し、その集計結果を発表した(調査期間:2012年8月16日~17日)。 それによると、認知症を知っている、もしくは聞いたことがあると回答した9,385人に、「自分が認知症と診断されたら、自分が認知症であることを知りたいか?」と質問したところ、「はい」が74.3%、「いいえ」が2.5%と、4人中3人が告知を望んでいることがわかった。一方で、約2割が「わからない」(23.2%)と答えている。 また、認知症の対応・治療に関するイメージに最も近いものを単一回答で聞いたところ、81.7%が「早く対応・治療すれば、進行を遅らせることができる」を選択し、認知症の対応に関して正しい認識を持っていることがわかった。その他の回答は、「早く対応・治療したとしても、進行を遅らせることも治すこともできない」(6.5%)、「早く対応・治療すれば治すことができる」(5.3%)、「早く対応・治療したり、医師に診てもらう必要はない」(0.3%)、「わからない」(6.3%)であった。 認知症について最も気になることについては、「症状がどのように進行していくのか」(32.4%)、「医療・介護にかかる費用」(25.1%)、「まず、どこに相談すればよいか」(22.6%)が多く、これらの情報の提供が求められている。 本調査の詳細はこちら http://www.eisai.co.jp/pdf/others/120914_reference.pdf

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NHK、人気番組で漢方を取り上げる

NHK総合2月25日OA「夜なのにあさイチ 漢方スペシャル」NHKは2月25日夜、漢方薬を特集した生活情報番組「あさイチ」のスペシャル番組「夜なのにあさイチ 漢方スペシャル」を放映する。病院に行くほどでもないが、頭痛、倦怠感。そんな不調の数々を同番組では「なんとなく不調」と命名し、漢方で改善する方法を紹介する。また、有働由美子アナウンサー自ら半年間の症状改善もレポート。主な内容は、(1)漢方ならではの「同病異治」この不思議を半年にわたって取材(2)花粉症、頭痛、更年期障害、ストレス性倦怠感といった「なんとなく不調」の治療体験談(3)昔は土瓶で煎じていた薬が現代では粉薬として気軽に服用できるのはなぜか?(4)今注目を集める漢方薬「抑肝散」30年をかけ抑肝散の研究を続ける島根大学の堀口淳教授は、副作用で苦しむ患者の姿に心を痛めているなか、やっと出会えた患者を苦しめない薬だという。暴言や徘徊など認知症の周辺症状に効果があると注目されるこの薬剤……番組では精神科隔離病棟に密着し、患者の変化を実録。 放映:2012年2月25日(土)午後7:30~8:43出演:井ノ原快彦、有働由美子アナ、柳澤秀夫解説委員ほか 「夜なのにあさイチ」番組告知http://www.nhk.or.jp/asaichi/yoruichi/index.html

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