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第27回 出生前診断の伝達ミスの悲劇 その時メディアは!?

■今回のテーマのポイント1.児の死亡慰謝料を請求するために「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が争われることとなった2.本判決は、羊水検査結果の誤報告により先天性異常を有する子どもの出生に対し、心の準備やその養育環境の準備をする機会を奪われたことに問題があったとしている3.メディアと医療、司法との相互理解も重要である■事件のサマリ原告子どもの母親X1および父親X2被告A病院争点説明義務違反結果原告勝訴、それぞれに500万円ずつ(合計1,000万円)の損害賠償事件の概要41歳女性(X1)。平成23年2月、X1は妊娠したことからA診療所を受診しました。同年3月15日、超音波検査を行ったところ、NT (nuchal translucency: 胎児の首の後ろの皮下の黒く抜けて見える部分)の肥厚が認められたことから、児の先天異常を疑い、主治医Aより羊水検査の説明がなされました。X1は自身が高齢であることも考慮して、4月14日(妊娠17週)、羊水検査を受けることにしました。X1の検査結果報告書には、分析所見として「染色体異常が認められました。また、9番染色体に逆位を検出しました。これは表現型とは無関係な正常変異と考えます」と記載され、その後ろに21番染色体が3本存在し、胎児がダウン症児であることを示す分析図が添付されていました。しかし、A医師は、上記報告書を通読しなかったため、X1に対し、「羊水検査の結果はダウン症に関して陰性である。また、9番染色体は逆位を検出したがこれは正常変異といって丸顔、角顔といった個人差の特徴の範囲であるから何も心配はいらない」と伝えました。なお、その時点でX1は妊娠20週でした。X1は、その後の検診では、A医師より胎児が小さめではあるが正常範囲であり、とくに問題はないと伝えられていました。ところが、9月1日の検診の際、A医師より羊水過少があり、胎児が弱っていることから他院に転院し、出産するよう勧められました。X1は、同日B病院に救急搬送され、同病院にて緊急帝王切開術が行われました。出生した児の呼吸機能は十分ではなく、自力排便もできない状態であったため、B病院の医師が、A診療所のカルテを確認したところ、児がダウン症であることを示す羊水検査結果が見つかったことから、同医師よりX1および夫であるX2に対し、その旨が伝えられました。児は、ダウン症児の約10%で見られる一過性骨髄異常増殖症(TAM)を合併し、その後、TAMに伴う播種性血管内凝固症候群を併発し、最終的には肝不全により、同年12月16日に死亡しました。これに対し、X1およびX2は、A医師が、検査結果報告を誤って伝えたために原告X1は中絶の機会を奪われてダウン症児を出産し、同児は出生後短期間のうちにダウン症に伴うさまざまな疾患を原因として死亡するに至ったと主張して、被告Aらに対し、不法行為ないし診療契約の債務不履行に基づき、約3,500万円の損害が発生したとして、支払いを求める訴訟を提起しました。事件の判決●争点1(被告らの注意義務違反行為と児に関する損害との間の相当因果関係の有無)について羊水検査は、胎児の染色体異常の有無等を確定的に判断することを目的として行われるものであり、その検査結果が判明する時点で人工妊娠中絶が可能となる時期に実施され、また、羊水検査の結果、胎児に染色体異常があると判断された場合には、母体保護法所定の人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があることが認められる。しかし、羊水検査の結果から胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合に人工妊娠中絶を行うか、あるいは人工妊娠中絶をせずに同児を出産するかの判断が、親となるべき者の社会的・経済的環境、家族の状況、家族計画等の諸般の事情を前提としつつも、倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断であることは、事柄の性質上明らかというべきである。すなわち、この問題は、極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって、傾向等による検討にはなじまないといえる。そうすると、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても、このことから当然に、羊水検査結果の誤報告と児の出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。原告らは、本人尋問時には、それぞれ羊水検査の結果に異常があった場合には妊娠継続をあきらめようと考えていた旨供述している。しかし、他方で、証拠によれば、原告らは、羊水検査は人工妊娠中絶のためだけに行われるものではなく、両親がその結果を知った上で最も良いと思われる選択をするための検査であると捉えていること、そして、原告らは、羊水検査を受ける前、胎児に染色体異常があった場合を想定し、育てていけるのかどうかについて経済面を含めた家庭事情を考慮して話し合ったが、簡単に結論には至らなかったことが認められ、原告らにおいても羊水検査の結果に異常があった場合に直ちに人工妊娠中絶を選択するとまでは考えていなかったと理解される。羊水検査により胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合において人工妊娠中絶を行うか出産するかの判断は 極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであること、原告らにとってもその決断は容易なものではなかったと理解されることを踏まえると、法的判断としては、被告らの注意義務違反行為がなければ原告らが人工妊娠中絶を選択し児が出生しなかったと評価することはできないというほかない。結局、被告らの注意義務違反行為と児の出生との間に、相当因果関係があるということはできない。●争点2(原告らの損害額)について原告らの選択や準備の機会を奪われたことなどによる慰謝料 それぞれ500万円原告らは、生まれてくる子どもに先天性異常があるかどうかを調べることを主目的として羊水検査を受けたのであり、子どもの両親である原告らにとって、生まれてくる子どもが健常児であるかどうかは、今後の家族設計をする上で最大の関心事である。また、被告らが、羊水検査の結果を正確に告知していれば、原告らは、中絶を選択するか、又は中絶しないことを選択した場合には、先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずである。原告らは、被告Aの羊水検査結果の誤報告により、このような機会を奪われたといえる。そして、前提事実に加え、証拠によれば、原告らは、児が出生した当初、児の状態が被告の検査結果と大きく異なるものであったため、現状を受入れることができず、児の養育についても考えることができない状態であったこと、このような状態にあったにもかかわらず、我が子として生を受けた児が重篤な症状に苦しみ、遂には死亡するという事実経過に向き合うことを余儀なくされたことが認められる。原告らは、被告の診断により一度は胎児に先天性異常がないものと信じていたところ、児の出生直後に初めて児がダウン症児であることを知ったばかりか、重篤な症状に苦しみ短期間のうちに死亡する姿を目の当たりにしたのであり、原告らが受けた精神的衝撃は非常に大きなものであったと考えられる。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(函館地判平成26年6月5日)ポイント解説●なぜ「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が争われたのか今回は、最近世間を騒がせた羊水検査の事案を紹介します。筆者もマスコミ報道で本事件を知りました(表1)。■表1 医院側は争う姿勢 出生前診断説明ミス訴訟(共同通信社 13/07/05)北海道函館市の産婦人科医院で2011年、出生前診断の結果を誤って説明され、出産するか人工妊娠中絶をするかの選択権を奪われたなどとして、赤ちゃんの両親が医院を経営する医療法人と院長に1千万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、函館地裁であり、医院側は争う姿勢を示した。医院は「Aクリニック」で、訴状によると、胎児の染色体異常を調べる羊水検査でダウン症の陽性反応が出ていたが、院長が母親に「陰性だった」と伝えた。生まれた赤ちゃんはダウン症と診断され、生後3カ月半で死亡した。医院側は説明ミスを認める一方、両親側が侵害されたと主張する「出産するか人工妊娠中絶をするかの選択権」については「権利の存在を認めるべきかどうかが、まず大問題。存在を認める前提での議論には到底同意できない」などと訴えた。報道で目を引いたのは、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が法律上保護されるかを争っているとした点です。わが国の法律上、(業務上堕胎及び同致死傷)「刑法第214条 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の懲役に処する」とあるように、人工妊娠中絶は、たとえ医師が行ったとしても、原則として違法とされています。例外的に人工妊娠中絶が許容されるのは、母体保護法に定められた要件を満たした場合のみであり、その要件に遺伝子異常であることは記されていません。 (医師の認定による人工妊娠中絶)「母体保護法第14条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」したがって、遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶をすることは法律上認められていませんので、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」も当然に認められないと考えられます。ではなぜ、このような訴訟が起きたのでしょうか。そもそも本事案は、医療機関側のミスが明白であり、通常、示談で終了する事案です。実際、本事案においてY診療所は、ミスを認めて児のB病院での入院費用を支払っており、それに加え見舞金として50万円、香典として10万円を支払っています。本事案において両者に争いが生まれたのは、損害との間の因果関係です。すなわち、医師が誤って報告した結果、どのような損害が発生したか(表2)ということが争われたのです。■表2 原告らが主張する損害およびその価額ア X1の入通院慰謝料 31万1,800円イ 原告らの中絶の機会を奪われたことなどによる慰謝料それぞれ500万円ウ 原告らが相続した児の傷害慰謝料 165万4,500円エ 原告らが相続した児の死亡慰謝料 2,000万円オ 弁護士費用 316万1,630円カ 損害合計額(上記アからオまでの合計額から、被告らの債務不履行ないし不法行為がなければ実施していたはずの人工妊娠中絶費用である35万円を控除したもの)3,477万7,930円児は、ダウン症の合併症により死亡したのであり、医師の誤報告によって死亡したわけではありません。したがって、普通に考えると医師の誤報告と児の死亡との間に因果関係はないということになります。そこで原告は、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を間に挟むことで、「誤報告により人工妊娠中絶ができなくなり、その結果、児が出生し、合併症により死亡した」としたのです。●裁判所の判断と判決文の記載の難しさ本判決を受けての報道記事は下記のような記載でした(表3)。一読すると、裁判所は「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を認めたかのように読めます。■表3 出生前診断誤って告知、賠償命令 医院側に1千万円 函館地裁(2014/06/05 共同通信)北海道函館市の産婦人科医院「Aクリニック」で2011年、院長が胎児の出生前診断結果を誤って説明し、両親が人工中絶の選択権を奪われたなどとして、医院を経営する医療法人と院長に計3千477万円の損害賠償を求めた訴訟で、函館地裁(鈴木尚久裁判長)は5日、医院側に計1千万円の賠償を命じた。判決理由で鈴木裁判長は「正確に結果を告知していれば中絶を選択するか、中絶を選択しない場合、心の準備や養育環境の準備ができた。誤った告知で両親はこうした機会を奪われた」と指摘した。しかし、本判決を読めばわかるとおり、積極的に「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を認めたわけではなく、現在のわが国の母体保護法の運用として、「経済的理由」を弾力的に解釈しているという現実を尊重し、正面から「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を否定することをしなかっただけなのです。2000年代前半に生じた司法の厳格な判断により、萎縮医療が生じたことは記憶に新しいところです。本事案においても、裁判所は、判決において「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を否定してしまうことの影響を考慮し、このような判決文になったものと考えられます。本判決は、このような配慮のもと書かれたものと考えられますが、残念ながら報道では誤解を生じかねないような切り取られ方になってしまいました。医療と司法の相互理解も重要ですが、それに加え、メディアと医療、司法との相互理解も重要であるといえます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)函館地判平成26年6月5日

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第26回 前立腺がんの告知は、本人だけじゃダメなのか!?

■今回のテーマのポイント1.泌尿器科疾患で1番訴訟が多い疾患は腎不全であり、2番目に多い疾患は前立腺がんである2.患者本人に説明をした場合には、その上、家族に対してまで説明する法的義務はない3.しかし、紛争予防の観点から、可能な限り家族に対しても説明することが求められる■事件のサマリ原告患者Xの家族被告Y病院争点説明義務違反結果原告敗訴事件の概要76歳男性(X)。Xは、平成10年9月11日、頻尿や腰痛を訴え、Yクリニックを受診しました。直腸診の結果およびPSAが386.0ng/mLであったことから、Xは、前立腺がんと診断されました。Xは、前立腺がんが進行性のものであり、予後が良くないこと、生検などのさらなる検査および専門医による検査および治療を受けるべきであることなどの説明を受けたのをはじめ、治療方法として内分泌療法があること、その際に使用されるクロルマジノン(商品名: プロスタール)などの薬剤については勃起障害などの副作用が見られることについて説明されました。また、その後も複数回にわたり、適宜の時期に病状を説明され、検査および治療のために泌尿器科専門医のいる総合病院への転院を勧められました。ところがXは、勃起障害を避けたかったことなどから、前立腺がんに対するさらなる検査や転院、および治療を繰り返し拒否しました。その結果、対処的にタムスロミン(同: ハルナール)やプロスタール®Lを投与していましたが、徐々に増悪してきたため、同年12月16日からは、前記の処方に加え、リュープロレリン(同: リュープリン)の投与を開始しました。その後も、Xの病態は徐々に増悪し、平成13年6月19日には、Yクリニックに入院することとなりました。このころから、Xには不穏、認知症の症状が出現するようになりました。Xの病態が改善しないことから、7月6日、Z病院泌尿器科へ転院しました。転院時のXのPSA値は1,420 であり、Xが見当識障害のため自身が前立腺がんで治療中であることを伝えなかったことから、Z病院の医師は、Xの家族に対し「どうしてこんなになるまで放っておいたのか」と叱責しました。Z病院の医師は、Xを進行性の前立腺がんおよび骨転移と診断し、前立腺がんに対する手術適応はないと診断しました。Xは、同年8月18日に再びYクリニックに転院し、同クリニックにおいて入院治療を続けていましたが、同年9月19日に死亡しました。これに対し、Xの遺族は、X本人に対し病状の説明がなされていなかった、また、家族に対して説明がなされていなかったなどとして、Yクリニックに対し、990万円の損害賠償請求を行いました。事件の判決●近親者への告知義務について患者の疾患について、どのような治療を受けるかを決定するのは、患者本人である。医師が患者に対し治療法等の説明をしなければならないとされているのも、治療法の選択をする前提として患者が自己の病状等を理解する必要があるからである。そして、医師が患者本人に対する説明義務を果たし、その結果、患者が自己に対する治療法を選択したのであれば、医師はその選択を尊重すべきであり、かつそれに従って治療を行えば医師としての法的義務を果たしたといえる。このことは、仮にその治療法が疾患に対する最適な方法ではないとしても、変わりはないのである。そうだとすれば、医師は、患者本人に対し適切な説明をしたのであれば、更に近親者へ告知する必要はないと考えるのが相当である。そして、本件についてみれば、被告は、Xに対し前立腺癌であることを告知し治療法等を説明していたのであるから、更に原告らに対し、Xが癌であることを告知する法的義務はないと考える。この点原告らは、患者が治療を拒否しているような場合には、患者に対して癌を告知している場合でも、更に患者の家族への告知をすべきであると主張する。しかし、上記のとおり、疾患についての治療法等の選択は、最終的には患者自身の判断に委ねるべきであり、患者の家族に対して癌を告知したことにより、家族らが患者を説得した結果、患者の気持ちが変わることがないとはいえないとしても、そのことから直ちに家族に対して癌を告知すべき法的な義務が生じるとまではいえない。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(名古屋地判平成19年6月14日判タ1266号271頁)ポイント解説●泌尿器科疾患の訴訟の現状今回は、泌尿器科疾患です。泌尿器科疾患で最も訴訟が多いのは腎不全で、2番目に多い疾患が前立腺がんとなっています(表1)。前立腺がん自体、進行が緩徐であること、治療方法が進歩したことなどから他のがんと比べ生命予後が良く、その結果、訴訟になり難いものと考えられます。腎不全については、第22回で解説させていただきましたので、今回は、前立腺がんをテーマとしたいと思います。数が少ないこともありますが、前立腺がんに関する訴訟において疾患に特徴的な争点というものは認められません(表2)。このような傾向の中で、今回紹介した事例には、長期間外来治療を継続した結果、最終的に認知症のためか見当識障害が生じたこと、高齢者においても勃起機能障害は治療を受けるか否かについて、心理的障害となるといった前立腺がんに特徴的ともいえる論点が見受けられました。高齢者に対し、長期間の治療を行っていると、認知症を含め見当識障害が出現することは生じ得ます。本件では、患者から伝えられなかったとはいえ、転院先のZ病院の医師が「どうしてこんなになるまで放っておいたのか」と家族を叱責したことが、紛争化を引き起こした原因の1つと思われます。前医がいないと誤認していた事例であり、Z病院の医師に悪気がないことは理解できるのですが、家族に対する発言には、やはり注意が必要といえます。また、残された遺族にとって、患者ががんであるにもかかわらず、勃起機能障害の副作用を恐れて治療を拒否していたという事実は受け入れがたいものです。本件においても、原告である遺族は訴えの中で、「平成10年12月16日以降のYクリニックの診療録には、Xが処方のみで帰宅したとか、転院を拒否したとか、不定期的な来院であったとか、勃起機能への執着があったなど、およそがんを告知された患者とは思えない行動が記されており、不自然な行動と評価せざるを得ない」とした上で、「Xに対し前立腺がんの告知及び治療法や転院等について説明を行っていなかった」と主張しています。後にも解説しますが、家族に対する説明は、可能な限り行うことが紛争化を防ぐために必要と考えられます。●説明義務の客体第9回において解説した通り、説明義務は、わが国の判例・通説によると、診療契約の付随的義務として認められるとされています。したがって、原則的には、契約の一方当事者である患者本人がその客体となり、家族は契約関係外の第三者ということになります。判例においても「緊急に治療する必要があり、患者本人の判断を求める時間的余裕がない場合や、患者本人に説明してその同意を求めることが相当でない場合など特段の事情が存する場合でない限り、医師が患者本人以外の者の代諾に基づいて治療を行うことは許されないというべきである」(東京地判平成13年3月21日判時1770号109頁)とし、家族に対し説明し、承諾を得たとしても、本人への説明、承諾がなければ違法であるとしています。その一方で、同回で紹介した事例のように、「医師は、診療契約上の義務として、患者に対し診断結果、治療方針等の説明義務を負担する。そして、患者が末期的疾患にり患し余命が限られている旨の診断をした医師が患者本人にはその旨を告知すべきではないと判断した場合には、患者本人やその家族にとってのその診断結果の重大性に照らすと、当該医師は、診療契約に付随する義務として、少なくとも、患者の家族等のうち連絡が容易な者に対しては接触し、同人又は同人を介して更に接触できた家族等に対する告知の適否を検討し、告知が適当であると判断できたときには、その診断結果等を説明すべき義務を負うものといわなければならない」(最判平成14年9月24日民集207号175頁)とする判例もあり、混迷を極めています。このような状況の中、本判決は出されており、かつ、説明義務の客体について、一定の方向を示すものとなっています。すなわち、「医師は、患者本人に対し適切な説明をしたのであれば、更に近親者へ告知する必要はないと考えるのが相当である」とした上で、末期がんなどにより余命が限られている場合であっても、「疾患についての治療法等の選択は、最終的には患者自身の判断に委ねるべきであり、患者の家族に対してがんを告知したことにより、家族らが患者を説得した結果、患者の気持ちが変わることがないとはいえないとしても、そのことから直ちに家族に対してがんを告知すべき法的な義務が生じるとまではいえない」としたことです。すなわち、本判決を踏まえ、前記判決を整理すると(図)のようになります。本判決により、説明義務の客体についてはある程度の整理が得られたものと思われます。ただし、本事例のように患者が死亡してしまったり、認知症などで意思疎通が困難となると、遺族は、診療中どのような説明がなされていたか知らない結果、無用な争いが生まれてしまう危険があります。したがって、法的義務としては、患者に説明すれば、家族に対し説明する必要はないのですが、紛争予防の観点からは、可能な限り家族に対しても説明することが望ましいということになります。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)名古屋地判平成19年6月14日判タ1266号271頁東京地判平成13年3月21日判時1770号109頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。最判平成14年9月24日民集207号175頁

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肝硬変患者の経過観察を十分に行わず肝細胞がんを発見できなかったケース

消化器最終判決判例タイムズ 783号180-190頁概要12年以上にわたって開業医のもとに通院し、糖尿病、肝硬変などの治療を受けていた55歳の男性。ここ1年近く、特段の訴えや所見もないために肝機能検査および腫瘍マーカーのチェックはしていなかった。ところが久しぶりに施行した肝機能検査・腫瘍マーカーが異常高値を示し、CT検査を受けたところ肝左葉全体を埋め尽くす肝細胞がんが発見された。急遽入院治療を受けたが、異常に気づいてから3ヵ月後に死亡した。詳細な経過患者情報55歳男性経過1973年 糖尿病にて総合病院に45日間入院。9月3日当該診療所初診。診断は糖尿病、肝不全。1982年5月26日全身倦怠感、体重減少(61→51kg)を主訴に総合病院外来受診。6月1日精査治療目的で入院となり、肝シンチ、腹部エコー、上部消化管造影、血液検査、尿検査などの結果、糖尿病、胆石症、肝硬変、慢性膵炎と診断された。7月10日肝臓の腹腔鏡検査を予定したが、度々無断外出したり、窃盗容疑で逮捕されるなどの問題があり、強制退院となった。9月6日診療所の通院を月1~4回の割合で再開。その間ほぼ継続してキシリトール(商品名:キシリット)、肝庇護薬グリチルリチン・グリシン・システイン(同:ケベラS)、ビタミン複合剤(同:ネオラミン3B)、ビタミンB12などの点滴とフルスルチアミン(同:アリナミンF)、血糖降下薬ゴンダフォン®、ビタミンB12(同:メチコバール、バンコミン)などの投薬を続ける。食事指導(お酒飲んだら命ないで)や生活指導を実施。ただし、肝細胞がんと診断されるまでのカルテには、検査指示および処方の記載のみで、診察内容(腹水の有無、肝臓触知の結果など)の記載はほとんどなく、1982年9月6日から1986年2月19日までの3年5ヵ月にわたって腹部超音波、腹部CT、肝シンチなどの検査は1回も実施せず。1982年~1984年肝機能検査(GOT、GPT、γ-GTP)、AFP測定を不定期に行う。1984年9月4日AFP(-):異常高値となるまでの最終検査。1985年 高血糖(379-473)、貧血(Hb 10.5)がみられたが、特段治療せず。1986年2月15日γ-GTP 414と高値を示したため、肝細胞がんをはじめて疑う。2月19日1年5ヵ月ぶりで行ったAFP測定にて638と異常高値のため、総合病院にCT撮影を依頼。腹水があり、肝左葉はほぼ全体が肝細胞がんに置き変わっていた。門脈左枝から本幹に腫瘍血栓があり、予後は非常に不良であるとの所見であった。2月21日家族に対し、「肝細胞がんに罹患しており、長くもっても7ヵ月、早ければ3ヵ月の余命である」ことを告知し、同日以降、抗がん剤であるリフリール®やウロキナーゼを点滴で投与した。2月25日当該診療所を離れ総合病院に入院し、肝細胞がんの治療を受けた。5月17日肝硬変症を原因とする肝細胞がんにより死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.早期発見義務違反1982年9月6日から肝硬変の診断のもとに通院を再開し、肝細胞がん併発の危険性が大きかったのに、1986年2月まで長期間検査をしなかった2.説明義務違反1986年に手遅れとなるまで、肝臓の障害について説明せず、適切な治療を受ける機会を喪失させた3.全身状態管理義務違反1985年中の出血を疑わせる兆候や高血糖状態があったのに、これらを看過したこのような義務違反がなければ、死亡することはなかったか、仮に死を免れなかったとしても少なくとも5年間の延命の可能性があった。病院側(被告)の主張過重な仕事と不規則な生活を続け、入院勧告にも応じなかったことが問題である。1985年中に肝細胞がんを発見できたとしても、もはや切除は不可能であったから、死亡は不可避であった。裁判所の判断説明義務違反医師は肝硬変に罹患していたことを説明し、安静を指示していたことが認められるため、その違反はないとした。全身状態管理違反血糖値の変化は生活の乱れによる可能性も高く、必ずしも投薬によって対処しなければならない状況にあったか否かは明らかではないし、出血の点についても、肝硬変の悪化にどのような影響を与えたのか不明であるため、その違反があるとは認められない。早期発見義務肝硬変があり肝細胞がんに移行する可能性の高い症例では、平均的開業医として6ヵ月に1回程度は肝機能検査、AFP検査、腹部超音波検査を実施するべきであったのに、これを怠った早期発見義務違反がある。しかし、肝細胞がんが半年早く発見され、その時点でとりうる治療手段が講じられたとしても、生存可能期間は1~2年程度であったため、医師が検査を怠ったことと死亡との間には因果関係はない。つまり、検査義務違反がなく早期に肝細胞がんに対する治療が実施されていれば、実際の死期よりもさらに相当期間、生命を保持し得たものと推認することができるため、延命利益が侵害されたと判断された。1,000万円の請求に対し、240万円の支払命令考察今回のケースでは、12年以上にわたってある開業医のところへ定期的に通院していた患者さんが、必要な検査が行われず肝細胞がんの発見が遅れたために、「延命利益を侵害された」と判断されました。今までの裁判では、医師の注意義務違反と患者との死亡との因果関係があるような場合に損害賠償(医療過誤)として支払いが命じられていましたが、最近になって、死亡に対して明確に因果関係がないと判断されても、医師の注意義務違反が原因で延命が侵害されたことを理由として、慰謝料という形で医師に支払いを命じるケースが増加しています。本件でも、「平均的開業医」として当然行うべき種々の検査を実施しなかったことによって、肝細胞がんの発見が遅れたことは認めたものの、肝細胞がんという病気の性質上、根治は難しいと判断され、たとえきちんと検査を実施していても死亡は避けられなかったと判断しています。つまり、適切な時期に適切な検査を定期的に実施し、患者の容態を把握しているかという点が問題視されました。肝細胞がんは年々増加してきており、臓器別死亡数でみると男性で第3位、女性で第4位となっています。なかでも肝細胞がんの約93%が肝炎ウイルス(HCV抗体陽性、HBs抗原陽性)を成因としています。また、原発性肝がんの剖検例611例中、84%が肝硬変症を合併していたという報告もあり、肝硬変患者を外来で経過観察する時には、肝細胞がんの発症を常に念頭におきながら、診察、検査を進めなくてはいけません。消化器

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末期がんの患者に告知を行わず過誤と判断されたケース

癌・腫瘍最終判決判例時報 1679号40-45頁概要約4年前から総合病院循環器外来に通院していた77歳男性が、前胸部痛を主訴に撮影した胸部X線写真で多発性の肺腫瘍を指摘された。諸検査の結果、担当医師(非常勤の呼吸器科医師)の診断は末期がん(原発は不明)で手術や化学療法の適応はないと判断した。患者本人には末期がんであることを告知しない方針をとり、家族を連れてくるように依頼したが実現しなかった。その後前胸部痛が悪化し、納得のいく説明をしない主治医に不信感を抱いた患者は約5ヵ月後に大学病院を受診、そこではじめて末期がんと告知された。詳細な経過患者情報4年前から虚血性心疾患、期外収縮、脳動脈硬化症などの診断で、総合病院循環器外来に通院していた77歳男性。病弱の妻と二人暮らしであり、いつも一人で通院していた経過1989年4月19日胸部X線写真では異常なし。1990年2月16日体重減少に対し腫瘍マーカーなどを検査したが異常なし。6月8日約1ヵ月前から続く左乳頭部の痛みを申告したが、他覚的異常所見なし。10月26日胸部X線写真で右肺野にcoin lesion、左下肺野にも小さな結節が数個と胸水を示唆する所見が認められたため院内の呼吸器内科に紹介。11月17日呼吸器専門の非常勤医師(毎週土曜日担当)が診察し、胸部CTスキャン、腫瘍マーカーなどの検査結果から扁平上皮がんあるいは重複がんではないかと考えた。気管支鏡検査は確定診断という点では有用だが、転移性、多発性の肺腫瘍で手術や化学療法の適応はないと判断し、治療には直接結びつかない気管支鏡は不要と判断した。(この時患者本人にはがんの告知せず)12月8日胸部X線写真では変化なし。12月29日前胸部痛あり。カルテには末期がんであろうと記載し、鎮痛薬(チアプロフェン〔商品名:スルガム〕)を処方。(患者本人にはがんの告知せず)1991年1月19日鎮痛薬による治療続行。患者本人から、「肺の病気はどうですか」と質問されたが、末期がんであることの告知は不適切と考え、「胸部の病気は進行している」と答えた。この時点で非常勤医師は家族への告知を考え電話連絡をしたが、家族は不在であった。そして、カルテには「転移病変につき患者の家族に何らかの説明が必要」と記載し、通院時に家族を連れてくるように勧めたが、家族関係の詳細を把握することはなかった。その後非常勤の主治医は病院を退職。2月9日別の医師を受診し鎮痛薬スルガム®の処方を受ける。前胸部痛は治まっていると申告。3月2日胸の痛みを訴えたため、スルガム®と湿布を処方。以後この病院の受診なし。結局本人および家族へはがんであることの告知は行われなかった。3月5日胸の痛みが増強したため大学病院整形外科を受診。3月11日内科を紹介され、ここではじめて末期がんであることが告知された。当事者の主張患者側(原告)の主張治療上の選択の余地がない末期がんであっても、真実の病名を知ることによって充実した余命を送ることができたのに、告知が約5ヵ月も遅れたことによって適切な治療および生活を決定できる状況を奪われた。家族にとっても肉親として接する貴重な日々を送れたはずなのに、精一杯の看護と治療を受ける機会を失い、大きな悔悟と精神的衝撃を被った。病院側(被告)の主張延命および治癒が望めない末期がんの患者およびその家族に対して、がん告知をするべきか否かは医師の広範な裁量に委ねられていて、がん告知をしなかったからといってただちに不法行為になるわけではない。裁判所の判断医師としてはがん告知の適否、告知時期、告知方法などを選択するために、できる限り患者に関する諸事情についての情報を得るよう努力する義務がある。本件では患者本人が通院治療中にがん告知を強く希望したわけではないので、本人にがん告知しなかったことは裁量の範囲内であった。しかし、家族に関する情報収集や家族との接触の努力を怠り、漫然と家族にがん告知をしなかった。その結果、患者本人が家族から手厚いケアを受けたり、より充実した日々をより多く送る可能性を奪われたことになるので、期待権侵害によって被った精神的損害を賠償するべきである。原告側合計1,600万円の請求に対し、120万円の賠償判決考察悪性腫瘍を疑う患者の場合には、外来診察である程度の絞り込みを行い、さらに検査目的の入院を指示してがんの病期分類、治療方針などを検討したのち、患者およびその家族からインフォームドコンセントを得るといった手順を踏むことになると思います。このように当初の診断過程に入院をはさむことによって、担当医師と患者、および家族とのコミュニケーションがはかれ、十分な信頼関係を構築できることが多いと思います。ところが本件では、通常であれば入院精査を行うべき状況であったと思われますが、末期がんのため治療に直接結びつかない侵襲的な検査(気管支鏡検査)は不要と判断したこと病弱な妻との二人暮らしのため入院は難しいという申告があったこと(ムンテラ対象となる長男や長女はいたものの、外来でそこまでは聞き出さなかった)担当したのが週1回外来担当の非常勤医師であったことなどの複数の要因が重なった結果、肝心な病状説明(がんの告知)が患者本人のみならず、その家族へも一切行われないまま他院へ転院することになりました。このような事態は通常の診療では考えられないことではないか、という感想を持たれる先生も多いと思いますが、昨今の総合病院のように専門分化が進んだ結果、病院内の横断的なコミュニケーションが絶対的に不足しているような状況では、けっして他人事とはいえないと思います。とくに、毎週1回の専門外来を担当する非常勤医師を雇用している施設では、遠慮(尊重?)しあう面もあって常勤医師との連携が十分にはかられず、ミスコミュニケーションにつながる危険性が常にあるように思います。今回の担当医師(非常勤呼吸器内科医)は、「家族に電話してみたけれども不在だったので、病状説明ができなかった」「転移病変につき患者の家族に何らかの説明が必要、とカルテに記載しておいたので、あとは常勤医師がやってくれるものと思っていた」と主張していますので、当時の状況からすればやむを得ないことであった、担当医師はまじめに診察していたようなので気の毒である、という見方もできると思います。ところが、家族へ連絡したことについてはカルテに一切記載しなかったため、いくら裁判で「私はきちんと連絡を取ろうとしました」と証言しても説得力不足は否めません。病院を辞める際のカルテ記載にしても、「次回来院時必ず家族へ末期がんであることを説明してください」というような申し送り内容ではなく、常勤医師に会って直接伝えたものでもありませんでした。そのためあとを引き継いだ常勤医師にしても、誰が主治医であるのか不明確な状況でしかも今までの経緯が不明であれば、あえてがん告知をすることはないと思います。そして、このような診療内容が、「がんという重大な病気にかかった患者さんを誠意を持って担当していないのではないか」、という裁判官の心証形成に大きく影響したということです。結局のところ、今回の担当医師は非常勤という身分もあってか、責任を持って患者さんを担当するという姿勢に欠けていたように思います。この場合の責任とはどのようなことか、家族が電話にでるまで延々と電話をかけ続けなければならないのか、家族を連れてくるように明言したのに連れてこないのは患者の勝手ではないか、というご意見も十分にあろうかと思います。しかし、ひとたび末期がんという重大な病気に直面した患者自身やその家族の立場に立ってみると、いくらやむを得なかったといっても真の病名がまったく告げられることなく5ヵ月も外来に通い続けたのは、到底納得できないことではないかと思います。本件のようなミスコミュニケーション予防の手段として考えられるのは、外来通院患者であっても入院患者と同じように主治医を明確にすることだと思います。もし本件でも、4年来通院していた循環器担当医師が主治医としてきちんとコミットしていれば、非常勤の呼吸器科医師がなかなか果たすことのできなかった家族とのコミュニケーションを円滑に進めることができたかもしれません。ちなみに、今回の呼吸器内科非常勤医師はその後末期がんを告知された大学病院の常勤スタッフでした。もしがん告知を行った大学病院の担当医師が問診を十分に行って、前医の総合病院(それも関連施設)で行われた診断・治療に少しでも気を遣っていれば、このような結果にならずにすんだ可能性があると思います。すなわちここでも横断的なコミュニケーションが不十分であったことを強く示唆していると思います。癌・腫瘍

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Mother(中編)【母性と愛着】

母性と愛着みなさんは、仕事や日常での生活で「誰かに見守られたい」「誰かとつながっていたい」と思うことはありませんか?この感覚の根っこの心理は愛着です。そして、この愛着を育むのは母性です。今回も、前回に引き続き、2010年に放映されたドラマ「Mother」を取り上げます。そして、母性と愛着をテーマに、見守り合うこと、つながること、つまり絆について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。あらすじ主人公の奈緒は、30歳代半ばまで恋人も作らず、北海道の大学でひたすら渡り鳥の研究に励んでいました。そんな折に、研究室が閉鎖され、仕方なく一時的に地域の小学校に勤めます。そこで1年生の担任教師を任され、怜南に出会うのです。そして、怜南が虐待されていることを知ります。最初は見て見ぬふりの奈緒でしたが、怜南が虐待されて死にそうになっているところを助けたことで、全てをなげうって怜南を守ることを決意し、怜南を「誘拐」します。そして、継美(つぐみ)と名付け、渡り鳥のように逃避行をするのです。実のところ、奈緒をそこまで駆り立てたのは、奈緒自身がもともと「捨てられた子」だったからです。その後に、奈緒が奈緒の実母に出会うことで、奈緒はなぜ捨てられたのかという衝撃の真実を私たちは目の当たりにして、母性とは何かを考えさせられます。奈緒の母性―喜び奈緒は、怜南の母の虐待によって死にかけていた怜南を偶然に救いました。その時、以前から自分が入るための「赤ちゃんポスト」を怜南が探していることを奈緒は知り、心を打たれます。そして、怜南が飛んでいる渡り鳥に「怜南も連れてって~!」と叫んだ時、今まで眠っていた奈緒の母性に火が着いてしまったのです。奈緒は、大学の研究員に戻れるというキャリアを捨てて、そして、たとえ捕まって「牢屋」に入れられるとしても、「私、あなたのお母さんになろうと思う」と思い立ちます。その後、奈緒は「人のために何かしたことなんてなかったから」「子どもが大きくなる」「ただそんな当たり前のことが嬉しかった」と語ります。また、奈緒は、追いかけてやってきた継美(怜南)の実の母に告げます。「あの子はあなたから生まれた子どもです」「あなたに育てられた優しい女の子です」「ホントのお母さんの温もりの中で育つことがあの子の幸せなら」「あの子をお返しします」「あなたがまだあの子に思いがあって、まだあの子を愛して心からあの子を抱き締めるなら」「私は喜んで罰を受けます」「道木怜南さんの幸せを願います」と。母性とは、母の子どもの幸せを一番に願う喜びなのです。施設の母(桃子さん)の母性―安全基地奈緒と継美(怜南)は、逃避行の途中、栃木のある児童養護施設を訪ねることになります。そこは、かつて奈緒が捨てられた5歳から里親に拾われる7歳までの2年間を過ごした場所でした。その施設の母である桃子さんは、「ここで育った子どもたちには故郷がない」「ここで育った子どもたちにとってはここが故郷で、私が親代わりだ」と言っていました。施設、そして桃子さんは、心の拠りどころとなる存在や場所としての役割を果たそうとしていたのです(安全基地)。それは、困った時に逃げられる場所、困った時に必ずそばにいてくれる人です。しかし、奈緒が訪ねた時、施設にいたのは、年老いて認知症になった桃子さんだけでした。そして、桃子さんが高齢者介護施設に引き取られる日が迫っていました。桃子さんは、最初、奈緒のことが分かりませんでした。しかし、最後には、「奈緒ちゃんがお母さんになった」と繰り返し言い、心の底から喜びます。かつて幼い奈緒が「子どもがかわいそうだから」「生まれるのがかわいそうだから」「絶対にお母さんにはならないの」と言ったことを桃子さんは覚えていたのでした。桃子さんは、認知症になりながらも、奈緒の幸せを一番に思っていたのです。育ての母(藤子)の母性―決意その後に、奈緒が身を寄せたのは、育ての母(藤子)の元、つまり現在の東京の実家です。藤子は、2人の実の子たちと分け隔てなく、むしろ奈緒を一番に気遣っています。そこには、藤子なりの決意があったのです。かつて幼い奈緒が、閉ざした心を開きかけた時、藤子は決意します。「世界中でこの子の母親は私1人なんだって」「たとえ奈緒の心の中の母親が誰であろうと」と。このように、育ての母であることは、母性という本能だけでなく、意識する、決意するという理性によっても、親子の関係を強める必要があります。例えば、それは、藤子が「甘えることは恥ずかしいことじゃないの」「愛された記憶があるから甘えられるんだもん」と奈緒に諭すようなブレない心です。実の母(葉菜)の母性―本能奈緒は、継美(怜南)を連れて東京に戻ってきた時、偶然にも、奈緒の実の母である葉菜に、30年ぶりに見つけられます。その時から、葉菜は、奈緒に正体がばれないように「うっかりさん」として継美に近付いていきます。やがて、葉菜は、継美が北海道で行方不明になった怜南という子であること、つまり奈緒の子ではないことを知ってしまいます。しかし、継美(怜南)に「うっかりさん、あなたの味方ですよ」「あなたのお母さんを信じてる人」「ウソつきでも信じるのが味方よ」と告げます。さらに、その後に葉菜は、自分が実の母であることを奈緒に気付かれ、激しく拒絶されます。それでも、奈緒や継美を助けようとします。奈緒が、真相を追いかける雑誌記者(藤吉)に金銭を揺すられた時は、葉菜は嫌がられても自分の貯金を全額、無理やり奈緒に渡そうとします。また、継美(怜奈)の母が追いかけてきたことを知った葉菜は、奈緒と継美に「あなたたちは私が守ります」と力強く言い、自分の家にかくまいます。奈緒と継美と葉菜の3人で遊園地に行った時のことです。奈緒は「(かつて遊園地でいっしょに楽しんだ後に自分を捨てたのにまた楽しんでいて)ズルイなあ」とつぶやきます。すると葉菜は「ウフフ、そうズルイの」「楽しんでるの」とほほ笑み、言い訳などせず、奈緒の気持ちをそのまま受け止めます(受容)。また、葉菜は奈緒に「一番大事なものだけ選ぶの。大事なものは継美ちゃん」と言い、非合法的に2人の戸籍を入手しようともします。そして、「大丈夫、きっとうまくいく」と安心させます(保証)。藤子(奈緒の育ての親)が、実の子どもたちを守るために苦渋の選択で、理性的に奈緒の戸籍を外そうとしていたのとは対照的です。このように、母性とは、どんな時でもどんな場所でも自分の子どもを許し、存在そのものを肯定する心理です(無条件の愛情)。もはや理性や理屈ではありません。ラストシーンでは、葉菜の真実が明かされます。その時、私たちは、葉菜が奈緒を捨てなければならなかった本当の理由、そして葉菜が自分の人生をなげうってでも十字架を背負ってでも奈緒を守る、ただただ奈緒の幸せを願う、そして自分が犠牲になることに喜びさえ感じる葉菜の究極の母性を目の当たりにします(自己犠牲)。それは、本能であり、突き動かされる「欲望」でもあったのです。母性の心理の源は?これまで、奈緒、施設の母(桃子さん)、育ての親(藤子)、そして実の母(葉菜)のそれぞれの母性を見てきました。母性には、喜び、安全基地の役割、決意、無条件の愛情、自己犠牲の本能など様々な心理があることも分かってきました。このドラマのキープレーヤーとして登場する雑誌記者(藤吉)は、葉菜(奈緒の実の母)の真実を追い求める中、葉菜がかつてある事件を起こしていた事実に辿り着きます。そして、葉菜の友人であり、かつて葉菜を取り調べた元刑事から、「人間には男と女と、それにもう1種類、母親というのがいる」「これは我々(男性)には分からんよ」と聞かされます。そして、「聖母」という母性に辿り着きます。それほど母性とは、独特なものであると言えます。タイトルの「Mother」の「t」が十字架のように浮き彫りになって教会の鐘が鳴る毎回のオープニングクレジットは、とても象徴的です。それでは、なぜ母性はこのような心理になるのでしょうか?そもそもなぜ母性はあるのでしょうか?その答えは、母性とは私たち哺乳類などの動物が、進化の過程で手に入れた生理的なシステムだからです。哺乳させる、つまり乳を与えるという授乳の行為は、自分の栄養を与えるという自己犠牲の上に成り立っています。そこから、身の危険を冒してでも、子どものためにエサを取ってくる行為に発展していきます。そして、人間においても、母が子どものことに全神経を傾けて過ごし(母性的没頭)、子どもが生き延びるためにその子にありったけのものを与えます。これは、命をつなぐために不可欠な生物学的な営みです。このような行為を動機付ける心理が母性です。そこに見返りはありません。「そうしたいからしている」という欲求なのです。哺乳類が誕生した太古の昔から、この「子どもを守りたい」と思う種ほど生き残り、より多くの子孫を残す結果となりました。そして、この心理がより働く遺伝子が現在の私たち、とくに女性に引き継がれています。母性と愛着―親と子どもを結ぶ絆奈緒は、葉菜が自分の実の母だとは知らずに語ります。「無償の愛ってどう思います?」「親は子に無償の愛を捧げるって」「あれ、私、逆だと思うんです」「小さな子どもが親に向ける愛が無償の愛だと思います」「子どもは何があっても、たとえ殺されそうになっても捨てられても親のことを愛してる」「何があっても」「だから親も絶対に子どもを離しちゃいけないはずなんです」と。また、奈緒は、押しかけてきた継美(怜南)の実の母にはこう訴えます。「親が見ているから、子どもは生きていけるんじゃないでしょうか」「目を背けたら、そこで子どもは死んでしまう」「子どもは親を憎めない生き物だから」と。さらに、その後に奈緒は、実の母と知った葉菜に言います。「(継美が)あなたに愛されていること」「何のためらいもなく感じられてるんだと思います」「子どもを守ることは、ご飯を作ったり食べたり、ゆっくり眠ったり、笑ったり遊んだり」「(子どもが)愛されてると実感すること」と。このように、母から子どもへの母性と子どもから母への愛着によって結ばれる絆は、もともとそのままあるものではありません。母の母性と子の愛着がお互いを求め合って、固く太く育まれていくものです(相互作用)。この絆が土台となり、やがて大人になった時に、他人との新しい絆を作っていくことができるようになります。そして、やがてその子どもがさらにその子どもの子どもに対して母性を注ぐことができるようになるのです。こうして、命は引き継がれていくのです。愛着ホルモン―オキシトシン継美(怜南)は、一時期、奈緒の実家に落ち着きます。その時、部屋で奈緒に「大事、大事」とささやかれ、髪を撫でられて、心地良さそうです。また、葉菜(奈緒の実の母)は理髪店を営んでいたこともあり、奈緒に髪を切ってあげることで、奈緒は幼い時にも同じように葉菜に髪を切ってもらっていたこと、そして思い出せなかった葉菜の顔を思い出します。これは、ちょうど私たちと遺伝的に近いチンパンジーやサルが毛づくろいをして、体が触れ合うことで親近感や社会性を増す場面と似ています。このように心や体が触れ合い絆を育む時、脳内では、オキシトシンなどの神経伝達物質が活性化していることが分かっています。つまり、愛着形成とオキシトシンの分泌や受容体の増加は、密接な関係があります。もともとオキシトシンは脳内のホルモンで、出産の時の子宮の収縮やその後の乳汁の分泌を促します。しかし、それだけではなく、抱っこや愛撫などの肌の触れ合い(スキンシップ)によっても、母子ともに分泌が促されるのです。オキシトシンは、母性の心理の原動力となるものです。と同時に、子どもの愛着の心理の原動力ともなっているのです。つまり、母性や愛着の心理は、オキシトシンなどの神経伝達物質によって、生物学的に裏付けられていると言えます。絆の土台作りの締め切り日―愛着形成の臨界期―グラフ奈緒は5歳の時に捨てられており、継美(怜南)は4、5歳の時から継美(怜南)の実の母やその恋人から虐待を受け続けています。しかし、奈緒は継美への母性を発揮することができて、継美は奈緒への新たな愛着を発揮することができました。奈緒も継美も、かつて絆壊し(脱愛着)が起きているのに、どうしてまた新たな絆作りができたのでしょうか?その理由は、奈緒は5歳の時まで実の親(葉菜)によって大切に育てられていたからです。そして、継美(怜南)は4、5歳の時まで継美(怜南)の実の母によって一生懸命に育てられていたからです。また、継美(怜南)は、子守り(ベビーシッター)をしてくれる愛情深い近所の人(克子おばさん)によってかわいがってもらっていたからです。母性が注がれることによって育まれる愛着の心理(能力)は、その基礎を育む期間に期限があります(臨界期)。つまり、絆の土台作りには、締め切り日がすでにあるということです。それは、まさに乳児期、厳密には生後1年半(長くて2年)までということが分かっています。ラストシーンの奈緒から継美(怜南)への手紙の中で、「(渡り)鳥たちは星座を道しるべにするのです」「それをヒナの頃に覚えるのです」「ヒナの頃に見た星の位置が(渡り)鳥たちの生きる上での道しるべとなるのです」とあります。これと同じように、この臨界期は遺伝的に決まっているのです。オキシトシンのパワー(1)精神的に安定する力この臨界期のオキシトシンの活性化によって高められる心理(能力)は、愛着だけでなく、人間的な共感性や安心感、そして知性であることが科学的に裏付けられてきています。昔からのことわざである「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものです。数え年を差し引けば、「三つ子」は生後1年から2年であり、愛着形成の臨界期にほぼ一致します。厳密には、この心理を左右するのは、オキシトシンだけでなくバソプレシン(オキシトシンと同じ下垂体後葉のホルモン)の分泌や受容体がどれほど働いているかということも分かってきています(オキシトシン・バソプレシン・システム)。さらに、この2つのホルモンは、快感や学習に関する脳の領域を刺激することも判明しています。つまり、この心理は、それ自体が快感であり(ドパミン・システム)、安心であり(セロトニン・システム)、さらに知性を高め、精神的に安定する力を強めます(レジリエンス)。逆に言えば、親の多忙やネグレクト(育児放棄)によって、2歳までに母性が子どもに十分に注がれていないと、その後にどうなるでしょうか?愛着ホルモン(オキシトシンやバソプレシン)が活性化しないので、共感性や信頼感が育まれにくく、情緒が不安定になりやすくなります(反応性愛着障害、情緒不安定性パーソナリティ障害)。また、連鎖的に安心ホルモン(セロトニン)が活性化しないので、不安やうつになりやすくなります(不安障害、うつ病)。そして、快感ホルモン(ドパミン)が活性化されないので、いつも欲求不満で、その満たされない心を別の何かで満たそうとして、食べ物、お酒、ギャンブル、薬物にはまりやすくなります(摂食障害、依存症)。さらに、学習ホルモン(ドパミン)が活性化しないので、知的な遅れや発達の偏りにも影響を与えるリスクが高まります(知的障害、発達障害)。このように、乳児期の母性の不足は、様々な精神障害を引き起こすリスクを高め、精神的にとても脆く弱くなってしまうのです(脆弱性)。「すきなものノート」―愛着対象の代わり怜南(継美)は、奈緒に出会った時にあるものを見せます。そして、「私の宝物」「好きなものノート」「好きなものを書くの」「嫌いなものを書いちゃだめだよ」「嫌いなもののことを考えちゃだめなの」と言います。怜南が実の母やその恋人から虐待を受け続ける中、怜南の愛着は大きく揺らいでいました。そんな中、見いだされたのがこの「すきなものノート」、つまり愛着の相手(対象)の代わりです。本来、愛着の対象が代わるのは、母性により十分な愛着が育まれた上で、愛着の対象が広がり移っていくことです(移行対象)。しかし、怜南の場合は、実の母の虐待により愛着が壊されたことで(脱愛着)、代わりの愛着の対象を見いだしています。この「すきなものノート」は、大切にできるものを持とうと怜南なりに何とか自分の心のバランスを保とうとして生まれたものだったのです。オキシトシンのパワー(2)誰かを大切に思える力葉菜(奈緒の実の母)は、実は自分が白血病で命の期限が迫っていることを隠していました。そんな葉菜の主治医が「目の前に死を実感してあんなに元気な人、初めて見ました」と奈緒に打ち明けます。奈緒は葉菜に「(こんなにしてくれるのは)罪滅ぼしですか?」と問いかけると、葉菜は穏やかに答えます。「今が幸せだからよ」「幸せって誰かを大切に思えることでしょ」「自分の命より大切なものが他にできる」「こんな幸せなことある?」と。そして、告知された余命の期限を過ぎても生き生きと生き続けるのです。葉菜は、30年前に奈緒を連れて警察に追われていた時の気持ちを奈緒に打ち明けます。「何をやってもうまくいかなくてね」「心細くて怖かった」「でもね、内緒なんだけどね」「あなた(奈緒)と逃げるの楽しかった」と。たとえどんな困難でも、わが子を守るために必死だったからこそ、その恐怖は喜びに変わるのです。亡くなる直前も、「ラムネのビー玉、どうやって入れてるのかしらね」と継美(怜南)の質問を気にかけて幸せそうです。そして、葉菜の死に際の走馬灯を通して、葉菜が一生をかけて守ろうとした真実を私たちは知ることになります。このように、「誰かを大切に思えること」の源の心理は母性です。この心理から、ライフパートナーや家族や親戚との絆(家族愛)、近所や地域との絆(郷土愛)へと「大切に思える」対象が次々と広がっていきます。これらの心理も、オキシトシンの活性化に支えられています。例えば、結婚式の誓いの言葉の瞬間には、オキシトシンの分泌が高まっていることが分かっています。つまり、オキシトシンは、母子の体のつながりの温かさだけでなく、人と人の心のつながりの温かさを求める働き(欲求)があります(求温欲求)。オキシトシンは、愛着ホルモンであるというだけでなく、人と人とをつなげる信頼ホルモン、献身ホルモン、そして絆ホルモンであるとも言えます。そして、この心理の高まりによって、私たちは恐怖や困難を前向きに感じるようになります(レジリエンス)。葉菜と同じように奈緒も、継美(怜南)を守り気にかけることで成長し強くなっています。奈緒は20歳の継美(怜南)への手紙に「あなたの母になったから、私も最後の最後に(1度自分を捨てた)母を愛することができた」「あなたと出会って良かった」「あなたの母になれて良かった」「あなたと過ごした季節」「あなたの母であった季節」「それが私にとって今の全てであり」「そして(大人になった)あなたと再びいつか出会う季節」「それは私にとってこれから開ける宝箱なのです」と感謝します。子どもを養うことは、自分の心が養われることでもあるのです。つまり、「誰かを大切に思えること」は、負担ではなく、原動力なのです。さらに、最近の研究で、オキシトシンの活性化は、ストレスへの耐性など精神的な健康を高めるだけでなく、葉菜が長生きをしたように免疫力などの身体的な健康を高めることも分かってきています。つながり(絆)の心理の人種差―遺伝的傾向愛着の心理は、つながり(絆)の心理の土台であることが分かってきました。この心理の過敏さ(過敏性)には人種差があるでしょうか?答えは、あります。最近の遺伝子の研究によって、人種差があることが判明しています。欧米人の子どもに比べて、日本人などのアジア人の子どもは、愛着に敏感な遺伝子をより多く持っています。欧米人の遺伝子は愛着に敏感なタイプが3分の1、鈍感なタイプが3分の2です。それに対して、アジア人は敏感タイプが3分の2、鈍感タイプが3分の1です。ちょうど割合が逆転しています。つまり、欧米人は愛着に鈍感なので、母性が不足した環境で育っても充足した環境で育ってもあまり影響を受けずにドライに育ちます。一方、アジア人は愛着に敏感なので、母性が不足した環境で育つと大きく影響を受け、精神的に不安定になり、傷付きやすくなります。逆に、母性がより充足した環境で育つと、やはり大きく影響を受け、精神的により安定し、つながり(絆)の心理が高まり、よりウェットに育つということです。以上から言えることは、そもそも遺伝的傾向の違いがあるため、欧米で当たり前に行われている早期の自立や甘えを許さない子育ての方法をそのまま安易に日本で真似することは危ういということです。日本人の生活スタイルが欧米化しつつあります。だからこそ、よりつながりを意識した子育てや人間関係のあり方を見つめ直す必要があります。集団主義の源は?―3つの仮説それでは、そもそもなぜアジア人と欧米人でこの割合の違いが起きているのでしょうか?言い換えれば、なぜアジア人はつながりに過敏な遺伝子を多く持っているのでしょか?3つの仮説が考えられます。1つ目は、人類大移動のために必要な遺伝子だったという仮説です。6万年前に私たち人類の祖先たちは、生まれたアフリカの大地を出て、世界に広がっていきました。その時、ヨーロッパに比べてさらに遠いアジアの地に辿り着くためにはより協力する、つまりつながり(愛着)の心理を敏感に持つ必要がありました。その遺伝子を持つ祖先がより生き残り、現在の私たちアジア人、特にアフリカから比較的に遠い日本人により多く受け継がれている可能性が考えられます。なお、アメリカ人の多くは、もともとヨーロッパからの移民なので、遺伝的にはヨーロッパ人と同じと考えます。2つ目は、過酷な風土に居つくために必要な遺伝子だったという仮説です。特に日本は、地震、津波、台風、火山などの不安定な風土であるため、人々は絶えず絆を意識して助け合いました。また、島国で国土が狭いため、隣人に気遣いを忘れないようにしました。つまり、つながり(愛着)の心理を敏感に持つ必要がありました。その遺伝子を持つ人が、子孫を残す結婚相手としてより選ばれたと言うことです。3つ目は、つながりに過敏な遺伝子は多数派になることで強化されていったという仮説です。大移動が終わり、過酷な風土に適応した後も、文化として根付いていき、多数派になりました。つまり、文化的な価値観として、この遺伝子を持つ人が結婚相手としてより選ばれ、子孫を残し続けてきたと言えます。従来から、欧米人は個人主義的で甘えを許さないドライな民族で、アジア人、特に日本人は集団主義的で甘えを許すウェットな民族であると言われてきました。この違いは、単なる文化(環境因子)によるだけでなく、遺伝的傾向(個体因子)にもより、さらにはこの2つ要因がお互い絡み合った結果(相互作用)によると言えます。特別な誰かに大切にされた記憶―愛着の選択性奈緒が捕まった時のエピソードでは、継美(怜南)は児童養護センターに入り、他の子どもたちと楽しそうにしています。しかし、執行猶予が付いて解放された奈緒に、継美は電話をかけ続けます。そして、「お母さん、いつ迎えに来るの?」「もう1回、誘拐して」と涙を流して言うのです。本当のところ、心は満たされていないのでした。愛着という絆は、必ずしも相手が、実の母である必要はなく、育ての母でも良くて、祖母でも良くて、母性的にかかわることができる父でも良いのです。大事なのは、子どもと絆を結ぶ相手が特別な誰かであるということです。特別な誰かに母性を注がれること、つまり愛されることです(愛着の選択性)。これは、イスラエルの農業共同体キブツでの実験的な試みの失敗が裏付けています。そこでは、乳幼児を交代制で集団的に育児して、育児する母と育児される子が同じにならないようにしました。その後、そこで成長した多くの子が、愛着や発達の問題を多く認め、精神的に脆く弱くなってしまったのです。渡り鳥の道しるべ―絆奈緒は病床の葉菜(奈緒の実の母)に「もう分かっているの」「離れていても」「今までずっと母でいてくれたこと」「だから今度はあなたの娘にさせて」と打ち明けます。奈緒と葉菜が、30年の時を経てつながりを確認し合った瞬間です。奈緒は、渡り鳥として最後は実の母の元に戻ることができました。奈緒は、自分が「牢屋」に入ってでも、継美(怜南)を守ろうとしました。そんな奈緒は、継美にとって特別な存在です。奈緒は警察に捕まった時、継美に「覚えてて」「お母さんの手だよ」「継美の手、ずっと握ってるからね」と伝えます。また、最後のお別れの時、「離れてても継美のお母さん」「ずっと継美のお母さん」「そしたら(大人になったら)また会える日が来る」「お母さん、ずっと見てるから」と言います。奈緒から20歳の継美への手紙には「幼い頃に手を取り合って歩いた思い出があれば、それはいつか道しるべとなって私たちを導き、巡り合う」と記されます。特別な誰かが身を犠牲にして守ってくれた、大切にしてくれたという確かな記憶、そして自分の幸せを心から願い続ける誰かがいるという実感が、子どもにとっては心の拠りどころや支え(安全基地)、つまり絆となっていくのです。それはまさに、渡り鳥の「道しるべ」です。そして、やがてその子どもが大人になった時、自分が新しい特別な誰かの心の拠りどころや支えになり、新しい「道しるべ」をつくっていくのです。1)愛着崩壊:岡田尊司、角川選書、20122)進化と人間行動:長谷川眞理子、長谷川寿一、放送大学教材、20073)人類大移動:印東道子、朝日新聞出版、2012

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「リハビリテーション専門職のための学びと働き方セミナー」開催のご案内

 ベネッセMCMは、2014年1月19日(日)に「リハビリテーション専門職のための学びと働き方セミナー」を開催する。シリーズ第1回目は、業務に活かせる神経系治療学の最新知見の紹介や、リハビリテーション専門職が活躍できる多様な職場や働き方についてのパネルディスカッションを予定している。【セミナー概要】■開催日時2014年1月19日(日) 13:00~15:30(開場12:30) ※15:30~17:00の間で無料転職相談を実施■会場新宿NSビル 3階会議室3‐I ※新宿駅より徒歩7分 (定員:40名)■第一部「PT・OTのための神経系治療学の最新知見 ※60分」講師:植草学園大学教授 松田 雅弘(まつだ ただみつ)氏脳の時代といわれる21世紀、脳の仕組みが徐々に解明され、神経系の治療概念・手法も大きく転換してきています。脳・神経の仕組みを知ることで、今起こっている動きや変化がなぜ生じていたのかを気づけるようになります。ヒトの動きから脳を探るための最新知見に触れていきます。■第二部「リハビリテーション専門職の多様な働き方(パネルディスカッション) ※60分」ファシリテーター:東京工科大学教授 小松 泰喜(こまつ たいき)氏現役リハビリテーション専門職の皆さまをお招きし「働き方」をテーマとしたパネルディスカッションを行います。テーマは「この道を目指した理由」「今の働き方に対する考え、やりがい、悩み」「今後の可能性、職域、キャリアパス」など、職場選びの参考になるお話を伺います。■参加費無料 ※要事前申し込み■主催株式会社ベネッセMCM■対象リハビリテーション専門職に従事されている方■お申し込みこちらのページからお申し込みください。■株式会社ベネッセMCMについて進研ゼミ・こどもちゃれんじでおなじみのベネッセグループの人材サービス会社です。理学療法士・看護師・介護職に特化した人材サービス事業を行っております。今後もセミナー・研修を実施し、医療・介護分野の皆さまのキャリアアップを支援してまいります。<本件に関するお問合せ先>株式会社ベネッセMCM 濱中(ハマナカ)電話番号:03-5766-9845(代表) メールアドレス:t-hamanaka@benesse-mcm.jp<会社概要>株式会社ベネッセMCM設立:2002年8月代表者:西川 久仁子資本金:8000万円従業員数:49名会社URL:http://www.benesse-mcm.jp/告知ページ:http://www.benesse-mcm.jp/seminar/schedule/schedule_20140119.html所在地:〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-22-3 渋谷東口ビル2階関連会社:・株式会社ベネッセコーポレーション「進研ゼミ・進研模試」の教育事業 、「たまごクラブ・ひよこクラブ・サンキュ!」などの出版事業・株式会社ベネッセスタイルケア入居介護サービス事業(高齢者向けホームの運営)在宅介護サービス事業など・ベルリッツ・ジャパン株式会社120年以上の実績を有する世界最高の語学教育事業会社

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利用規約

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Academia規定CareNet.com(ケアネット・ドットコム)会員規約ケアネットは会員制の臨床医学教育メディアを運営する企業です。医師をはじめとする医療者の会員が、臨床の現場で最善の意思決定が行えるように医学・医薬に関するエビデンス、知識・経験等の情報を発信し、会員間の共有を促すことがケアネットの理念です。日常診療に役立つ信頼性の高いコンテンツを継続して提供するために、会員による有料コンテンツの購入料と合わせて、スポンサー企業による広告やリサーチに基づく収入が充てられます。つきましては、会員への優良な情報の提供を継続するため、任意ではありますが、会員の皆さまには広告視聴やアンケート回答などへのご協力をお願いしております。またスポンサーの広告等の視聴に際しては、個人情報保護義務を順守する契約を結んだスポンサー企業との間で会員の一部情報を共有することがございます。ケアネットはひとえに会員の皆さまに役立つ存在を志向し、誠実にメディア運営を行う所存です。会員の皆さまのご理解とご協力を平にお願い申し上げます。第1条(CareNet.comサービス)「CareNet.comサービス」とは、株式会社ケアネット(当社グループ企業を含み、以下総称して「ケアネット」といいます。)が運営する各種サービスをいいます。第2条(適用範囲)本規約は、CareNet.comサービスの利用に関し、必要な事項を定めるものです。本規約の附属規定は、本規約の一部を構成します。本規約と附属規定が異なる場合は、附属規定が優先するものとします。第3条(会員登録)1)「会員」とは、本規約ならびに附属規定を承諾の上、ケアネット所定の手続で会員登録を行い、ケアネットが会員として承諾した方をいいます。会員はCareNet.comサービスの全部または一部を利用する資格を持ちます。その利用範囲は、ケアネットが定めることができます。2)会員は、原則として日本国の免許を所持する医療従事者およびケアネットが認める医療関係者であり、医師(獣医師を除きます。ケアネットが確認できる場合のみ医師として登録することができます。)、歯科医師、薬剤師その他の医学・薬学・医療関係の個人に限ります。ただし、ケアネットが特に認める場合はこの限りでありません。3)会員は、会員識別用の固有の文字列(以下「ID」といいます。)を持ち、1人につき1つのIDのみを取得できるものとし、重複登録はできません。4)会員は、会員登録申込時に電子メールアドレスの登録を行います。ただし、複数の会員が同じ電子メールアドレスを登録することはできません。5)会員登録を行った方は、ケアネットが当該登録の諾否を通知するまでの間、特定の範囲においてCareNet.comサービスを利用することができます。(以下、会員登録承諾前の利用者を「仮会員」といいます。)ただし、仮会員は、ケアネットが会員登録を承諾しない場合に異議を申立てることはできません。6)CareNet.comの会員となった時点で、ケアネットが提供するCareNet.comに付随する各種サービスも同時に利用することができ、附属規定に定める「ケアネットポイントプログラム」にも参加するものとします。第4条(届出)会員は、電子メールアドレス、その他ケアネットに届出ている内容に変更が生じた場合には、速やかにケアネットに届出るものとします。第5条(登録情報の変更等) 1)ケアネットは、会員登録時に申告した職種の資格を確認できなかった場合、職種情報を変更することができるものとします。2)公知・公用の情報もしくは公正に取得した情報により、届出のあった登録情報に変更が生じたこと、または誤りがあったことが判明したときは、ケアネットは、当該情報を変更し、または修正することができるものとします。第6条(電子メールアドレス、ID、パスワード) 1)会員は、ケアネットが指定する形式に基づき、自由にIDおよびパスワードを指定することができます。ただし、既に使用されているIDは、使用することができません。その場合、ケアネットが別途IDおよびパスワードを指定するものとします。2)会員は、電子メールアドレスならびにIDおよびパスワード(以下「ID等」といいます。)の管理責任を負うものとし、管理不十分から生じた会員または第三者に発生した損害に関して、ケアネットは一切責任を負わないものとします。3)会員は、ID等を第三者に提供、貸与、譲渡することはできません。4)会員は、ID等が第三者に使用されていることが判明した場合には、直ちにパスワードの変更等の必要な手続を取り、速やかにケアネットにその旨を連絡し、ケアネットの指示に従うものとします。第7条(電子メール配信サービス)1)ケアネットは会員に対し、有益と思われる情報を、あらかじめ会員がケアネットに届出た電子メールアドレス宛に送信します。2)ケアネットから送信される電子メールは、会員の登録情報に基づいて作成されることがあり、第三者が閲覧できない情報が含まれている場合があります。ケアネットから送信されるあらゆる電子メールの内容を第三者に転送ならびに公開したことにより被る会員への不利益、損害に関して、ケアネットは一切責任を負わないものとします。3)会員は、ケアネットからの電子メールを受信するための環境を整備し保持する努力をするものとします。第8条(サービス内容等の変更・中断・廃止)1)ケアネットは、会員への事前の通知なくして、CareNet.comサービスの内容の全部または一部の変更、追加をすることができ、また、あらかじめ会員に通知することにより、サービスの全部または一部を廃止することができるものとします。2)ケアネットは、CareNet.comサービスを提供するために使用する電子計算機その他の機器およびソフトウェア(以下「サービス用設備」といいます。)の保守・点検もしくは修理のために必要がある場合、通信回線やサービス用設備に異常が生じた場合、あらかじめ会員に通知することなく、CareNet.comサービスの全部または一部の提供を中断することができるものとします。3)ケアネットは、CareNet.comサービスの一環として企画・運営されているポイントプログラムにおいて、交換対象商品(サービス、電子マネーギフト等を含みます)の内容、交換方法、ポイント換算に関する事項等について、あらかじめ会員に通知することなく、随時変更することができるものとします。第9条(通知方法)ケアネットから会員への通知は、あらかじめ会員がケアネットに届出た電子メールアドレス宛のメールまたはCareNet.com上への表示により行います。第10条(個人情報の取扱い)ケアネットは、CareNet.comサービスを通じて取得した会員の個人情報を、「個人情報保護方針」および「個人情報保護規程」(https://www.carenet.com/info/personal.html)に従い適切に扱います。なお、会員は個人情報保護規程を承諾したものとします。第11条(著作権等)1)会員は、CareNet.comサービスを通じて提供されるいかなる情報も、権利者の許諾を得ることなく、著作権法で定める会員個人の私的使用の範囲外の使用をすることはできません。また、第三者に使用させたり公開させたりすることもできません。2)前項に違反して他の会員もしくは第三者に対して損害を与えた場合、会員は、自己の費用と責任で紛争を解決するものとし、ケアネットに何らの迷惑または損害を与えないものとします。第12条(禁止事項)会員は、理由のいかんを問わず、以下に掲げる行為をしてはなりません。1)他の会員、第三者またはケアネットの著作権その他の権利を侵害する行為2)他の会員、第三者またはケアネットの財産、信用、名誉、プライバシーを侵害する行為3)ケアネットのサービス用設備の正常な動作を妨げ、またはサービス用設備もしくはデータを破壊、損壊する行為4)コンピュータウイルス等有害なコンピュータプログラム等を CareNet.comサービスを通じまたはこれに関連して使用、または配布する行為5)選挙期間中であるか否かを問わず、公職選挙法に定める選挙運動またはこれに類似する行為6)公序良俗に反する行為7)1から6までに相当するデータまたはサイト等へリンクを張る行為8)他の会員のID等を不正に利用して、CareNet.comサービスを利用する行為9)ケアネットの事前の承諾なくして、CareNet.comサービスを自己または第三者の営利活動もしくはその準備を目的として利用する行為10)その他、法令に違反する行為およびケアネットが不適切と判断する行為第13条(退会)会員は、ケアネットカスタマーセンター(問い合わせフォーム )に申出ることにより、CareNet.comの退会手続を行うことができます。ただし、本人確認のため、以下の情報の提供が必要となる場合があります。1)ご登録の氏名(フルネーム)2)ID3)ご登録の電子メールアドレス4)ご登録の勤務先名5)ご登録の電話番号第14条(会員資格の取消し)会員が、次の各号のいずれかに該当する場合には、ケアネットは、何らの通知なく直ちに会員資格を取消すことができるものとします。1)ケアネットへの届出内容が虚偽であったとき2)ケアネットが重複登録を確認したとき3)会員が、第12条に定める行為をしたとき4)会員が、医療従事者または医療関係者の資格を喪失したとき5)会員が一般の支払いを停止し、または差押え、仮差押え、仮処分の申立てを受けたとき6)最終ログインから1年以上を経過した場合7)その他、本規約または附属規定に違反したとき8)その他、ケアネットが会員として不適切と判断したとき第15条(サービスの終了)会員がCareNet.comの会員資格を喪失した場合は、会員に対するCareNet.comサービスの全てが同時に終了するものとします。第16条(免責事項)1)ケアネットは、CareNet.comサービスにおいて提供される情報(リンク先の情報を含みます。)についてその完全性、正確性、確実性、有用性等のいかなる保証も行いません。また、医薬品医療機器等法等関係法規等の厳守性等、および業界規制等の順守性等いかなる保証も行いません。2)CareNet.comサービスの提供、遅滞、変更、中止もしくは廃止、およびCareNet.comサービスを通じて登録、提供される情報等の流失もしくは消失等、またはその他CareNet.comサービスに関連して発生した会員の損害について、ケアネットは会員に対し、本規約にて明示的に定める以外一切責任を負いません。第17条(規約の変更)ケアネットは、会員に通知することにより、本規約および附属規定を変更できるものとします。第18条(準拠法、管轄裁判所)本規約および附属規定に関する準拠法は、日本法とします。ケアネットと会員との間で、CareNet.comサービスに関して紛議が生じた場合の第一審の専属管轄裁判所は東京地方裁判所とします。2000年04月25日 策定2000年09月25日 改定2001年03月17日 改定2001年07月01日 改定2004年03月29日 改定2004年07月01日 改定2004年12月01日 改定2007年11月01日 改定2008年06月16日 改定2011年01月13日 改定2013年11月25日 改定2014年08月07日 改定2018年03月01日 改定2021年02月01日 改定2024年03月11日 改定附属規定:ポイントプログラム規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(規約の目的)本規定は、ケアネットが運営するCareNet.comサービスおよびその他サービスにおいて提供されるポイントプログラムの、会員利用条件および付与条件を規定するものです。第2条(付与条件)ケアネットは、各規定を承認し、各規定に違反すること無く、ポイント付与のための所定作業を行った会員、または「up(アップ)システム規定」所定の条件を満たした会員に対して、自己の判断によりポイントを付与します。ただし、ポイント付与にあたり作業を行うため、実際にポイントが付与されるまでに数日を要することがあります。ポイントの第三者への譲渡はできません。なお、ポイント付与後であっても、会員が各規定に違反した場合は、ポイントを剥奪できるものとします。また、ケアネットは損害の賠償を会員に求める場合があります。第3条(ポイントの特典・便益・交換)ケアネットは、会員より労務もしくは情報の提供を受けた場合の対価として、または学習増進の支援として、ポイントを付与します。会員は、所定の手続きを行うことにより、当該ポイントを各種ギフト・電子マネー等に変換することができます。また、ケアネットが提携する企業や団体における支払いや寄付等、または「CareNeTV利用規約」に定める支払い等に充当することができます。第4条(ポイントプログラムの対象)ポイントプログラムで獲得できるポイントについては、別途ポイント付与の条件およびポイント数を明示するものとします。第5条(ポイント数の告知)会員は、専用ページにて、所持するポイント数の確認を行うことができます。ポイントプログラムの下で与えられるポイントまたはこれにより受ける特典・便益は、税法上、所得税等の課税対象となるケースがあり、確定申告を要する場合があります。詳しくは税務署にお問い合わせください。第6条(有効期間)以下のいずれかに該当する場合、ポイントは失効します。1)ポイントの最終付与日から2年を経過した場合2)会員が会員資格を失った場合第7条(ポイントプログラムの変更・廃止)1)ケアネットは、会員への事前の通知なくして、ポイントプログラムの内容の全部または一部の変更、追加をすることができ、また、あらかじめ会員に通知することにより、ポイントプログラムの全部または一部を廃止することができるものとします。ただし、この場合は廃止までに相当な交換可能期間を設けるものとします。2)ケアネットは、ポイント交換対象商品(サービス、クーポン等を含む)の内容、交換方法、ポイント換算に関する事項等について、随時変更することができるものとします。2007年11月01日 策定2009年07月16日 改定2010年06月27日 改定2013年12月26日 改定2014年08月07日 改定2016年04月01日 改定2017年08月14日 改定2020年04月01日 改定2020年07月01日 改定2020年10月15日 改定2021年11月01日 改定附属規定:eディテーリング規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(サービス)1)「eディテーリング」とは、Webページの閲覧、または電子メールの配信・受発信により、情報提供者となる医療・福祉・保健等の分野に属する企業と会員に対して、無料で特定の情報(以下「eディテーリングコンテンツ」といいます。)を提供し、または情報交換の場を提供するサービスをいいます。会員のeディテーリングの利用については、本規定の他、CareNet.com利用規約が適用されるものとします。2)ケアネットは、新着のeディテーリングコンテンツを中心に視聴・閲覧を推奨する期間(以下「おすすめ期間」といいます。)を設定するものとします。おすすめ期間中のeディテーリングコンテンツは、当該Webページの一覧または推奨コンテンツのショートカットメニューに優先的に表示されます。3)会員が、おすすめ期間中に対象となるeディテーリングコンテンツを視聴完了した場合、または付属するアンケートへ回答した場合、学習機会の増進指標「アップ」を獲得できることがあります。なお、アップの獲得に関する事項は、「アップ(up)システム規定」に定めるとおりとします。4)ケアネットは、公開期間が定められているものを除き、おすすめ期間終了後、eディテーリングコンテンツを所定のアーカイブに収納します。第2条(スポンサー企業への情報開示)ケアネットは、会員がeディテーリングを閲覧し、またはeディテーリング上でアンケートに回答した場合、eディテーリングのスポンサー企業(以下「スポンサー企業」といいます。)に対し、会員の氏名・勤務先・勤務先所在地・診療科・医療資格・識別コード・回答したアンケートの全ての内容を開示いたします。なお、当該開示の方法は、eメールによる電子データの送信、およびスポンサー企業のみがアクセス権を有する専用サイト上における電子データの提供によるものとします。上記の情報は、スポンサー企業における情報提供活動およびその他マーケティング活動の目的で利用されます。また、当該スポンサー企業が共同プロモーションを行う企業がある場合には、共同プロモーション先企業にも上記の情報を開示することができるものとします。第3条(免責事項)1)ケアネットは、利用者に対して、スポンサー企業の提供するサービスおよび情報に対して、いかなる保証も行いません。2)利用者とスポンサー企業との間に紛争が生じた場合、当事者間の責任と費用において解決するものとし、ケアネットは、一切関与しません。利用者とスポンサー企業との間の紛争に起因してケアネットが損害を被った場合、ケアネットは係る損害の賠償を利用者に求める場合があります。2014年08月07日 策定2015年07月16日 改定2017年08月14日 改定2022年02月01日 改定附属規定:希少疾患プロジェクト規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(サービス)「希少疾患プロジェクト」とは、Webページの閲覧、または電子メールの配信・受発信により、情報提供者となる医療・福祉・保健等の分野に属する企業と会員に対して、無料で特定の情報を提供し、または交換する場を提供するものです。会員の希少疾患プロジェクトの利用については、本規定の他、CareNet.com利用規約が適用されるものとします。第2条(スポンサー企業への情報開示)1)ケアネットは、会員が希少疾患プロジェクトを閲覧し、または希少疾患プロジェクト上でアンケートに回答した場合、スポンサー企業に対し、会員の氏名・勤務先・勤務先所在地・診療科・医療資格・回答したアンケートの全ての内容を開示いたします。なお、当該開示の方法は、eメールによる電子データの送信、およびスポンサー企業のみがアクセス権を有する専用サイト上における電子データの提供によるものとします。2)上記の情報は、スポンサー企業における情報提供活動およびその他マーケティング活動の目的で利用されます。また、当該スポンサー企業に共同プロモーションを行う企業がある場合には、共同プロモーション先企業にも上記の情報を開示することができるものとします。第3条(免責事項)1)ケアネットは、利用者に対して、スポンサー企業の提供するサービスおよび情報に対して、いかなる保証も行いません。2)利用者とスポンサー企業との間に紛争が生じた場合、当事者間の責任と費用において解決するものとし、ケアネットは、一切関与しません。利用者とスポンサー企業との間の紛争に起因してケアネットが損害を被った場合、ケアネットは係る損害の賠償を利用者に求める場合があります。2014年08月07日 策定2015年07月16日 改定附属規定:eリサーチ規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(サービス)eリサーチとは、ケアネットがCareNet.comの会員に対してインターネットを介して行うリサーチサービスです。ケアネットおよびケアネットの提携会社(以下「提携会社」といいます。)が、アンケート調査などを希望する企業および団体(以下「顧客」といいます。)または、自社のために行うものです。ケアネットおよび提携会社は、アンケートの内容により、会員の中から自由に選択し、その選択された会員に対して、アンケートの依頼を行えるものとし、いかなる場合であっても選択の理由等は会員に通知しません。第2条(会員の秘密保持義務)会員は、アンケート調査において知り得た当該アンケート調査の概要または内容などアンケート調査に係る一切の情報について、これに回答したか否かを問わず、また第三者に開示または漏洩および当該アンケート調査への回答以外の目的に使用してはならないものとします。この会員の秘密保持義務は、会員資格を喪失した後も引き続き有効に存続するものとします。第3条(禁止事項)会員は、理由の如何を問わず、以下に掲げる行為をしてはなりません。1)虚偽および不正な回答2)依頼を受けた会員がメールの転送等により、他の会員に回答を促す行為第4条(権利の帰属)会員は、本サービスを利用しeリサーチに対して回答したすべての情報(以下、「回答情報」といいます。)の著作権その他一切の権利を、ケアネットおよび提携会社に譲渡するものとし、ケアネットおよび提携会社は、その回答情報を自由に選択、修正および編集することができるものとします。会員は、回答情報に係る著作者人格権をケアネットおよび提携会社に対して行使しないものとします。ケアネットおよび提携会社は、回答情報を利用し、また匿名化した上で、会員の承諾なく第三者に開示または提供することができるものとします。前項にかかわらず、会員が個別に同意した場合には、ケアネットおよび提携会社はアンケートに対して会員が行った回答を匿名化しないまま顧客に提供することができます。ケアネットもしくは顧客またはこれらの者に指定された者は、回答情報を利用し、または会員の承諾を得ることなく第三者に対して開示・提供することができるものとします。会員は、本項に基づくケアネットおよび提携会社による著作物の利用について、著作者人格権を行使しないものとします。2014年08月07日 策定附属規定:ケアネットキャリアサービス規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(サービス)「ケアネットキャリアサービス」(以下「本サービス」といいます。)とは、ケアネットが、CareNet.com利用規約第3条に定める資格を有する会員を対象に、転職および臨時職(アルバイト)を紹介するサービスです。会員が自身の個人情報を含む職務経歴や、転職・臨時職(アルバイト)に関する希望条件をケアネットにあらかじめ登録することにより、ケアネットおよび/または本サービス提携企業・医療機関(以下「提携企業等」といいます。)より、希望条件に沿った情報を無料で受け取ることができます。第2条(本規約の適用範囲)本附属規定は会員が本サービスを利用する際に適用されるものとします。本附属規定に定めがない事項に関しては、「CareNet.com利用規約」が適用されるものとします。本附属規定と「CareNet.com利用規約」に齟齬がある場合には、本附属規定が優先されるものとします。第3条(会員の秘密保持義務)会員は、本サービスにおいて知り得た、求人情報の概要を含めた一切の情報について、応募したか否かを問わず、第三者に開示または漏洩をしてはならないものとします。この秘密保持義務は、会員資格を喪失した後も引き続き有効に存続するものとします。第4条(禁止事項)会員は、理由の如何を問わず、以下に掲げる行為をしてはなりません。1)虚偽および不正な情報の登録2)本サービスを通じて入手した情報を第三者に漏洩、販売する等、本人の求職以外の用途に使用する行為3)団体および個人を誹謗中傷する行為4)法令または公序良俗に反する行為第5条(会員の責任)会員は、自己の責任にもとづき本サービスを利用し、本サービスの利用に関する一切の責任を負うものとします。会員が本サービスの利用に際して提供した情報に起因し、または関連して生じる提携企業等その他第三者からの請求・クレーム等の紛争については、当事者間の責任と費用において解決するものとし、ケアネットは、一切関与しません。係る紛争につき、ケアネットが費用を負担し、または損害賠償等の支払いをした場合には、会員は、ケアネットに対し当該費用および損害賠償等に相当する金額を支払うものとします。第6条(ケアネットの責任)ケアネットは、故意または重大な過失のない限り、本サービスに関し利用者に生じた金銭的損失、精神的苦痛、時間的損害等の不利益につき、一切の責任を負いません。なお、ケアネットが責任を負う場合であっても、会員が被った直接かつ現実に生じた通常損害の限度で賠償する義務を負うものとします。ケアネットは、企業情報等の第三者の情報、求人情報、広告その他の第三者により提供される情報に対し、内容の正確性、有用性等について何ら保証せず、また、本サービスは、必ず転職の成功または臨時職(アルバイト)が見つかることを保証するものではありません。第7条(サービス内容の変更)ケアネットは、本サービスの運営を良好に保つため、会員の承諾を得ることなく、ケアネットが適当と判断する方法でユーザに事前に通知することにより、本サービスの内容を変更することができるものとします。第8条(登録情報等の取扱い)1)ケアネットは、会員が本サービスに応募した場合、提携企業等に対し、会員から応募時に取得した全ての情報を開示します。ケアネットおよび提携企業等は、応募情報を本サービスの提供および、その他ご連絡の目的のみに使用します。ただし、個人を特定する情報および会員が提供を望まないことを明示した情報を削除したうえで、上記以外の目的で使用することがあります。2)ケアネットは、会員が自ら登録した情報又は求人情報を提供する医療機関もしくは企業等(以下「医療機関等」といいます。)による評価に関する情報を、医療機関等に提供することができるものとし、会員はこれに同意したものとします。3)前項のほか、ケアネットは、会員がケアネットに対し本サービスにおいて提供した情報(会員がケアネットのコンサルタントとの面談等において提供した情報を含みます。)を、個人を特定する情報および会員が提供を望まないことを明示した情報を削除したうえで、医療機関等に提供することができるものとし、会員はこれに同意したものとします。*「個人を特定する情報」とは、氏名、住所、電話番号、電子メールアドレス等の個人を特定することが可能な情報および、複数の情報を組み合わせることで個人を特定することが可能な情報をいいます。具体的には、住所を利用する際には都道府県名と地方名までは「個人を特定することができない情報」として取り扱います。又、年齢そのものは、複数の情報を組み合わせることで「個人を特定する情報」とみなし、5~10歳きざみの年齢層を「個人を特定することができない情報」として取り扱います。第9条(サービス利用契約上の地位の譲渡等)1)ケアネットは、本サービスにかかる事業を、子会社・株式会社ケアネットワークスデザインに譲渡した場合には、当該事業譲渡に伴い本サービス利用契約上の地位、本附属規定に基づく権利および義務ならびに会員の登録事項その他の情報を株式会社ケアネットワークスデザインに譲渡することができるものとし、会員は、かかる譲渡につきあらかじめ同意したものとします。なお、本項に定める事業譲渡には、通常の事業譲渡のみならず、会社分割その他事業が移転するあらゆる場合を含むものとします。2)ケアネットは、本サービスにかかる事業を株式会社ケアネットワークスデザインと共同で運営することができるものとし、その場合には、本附属規定が株式会社ケアネットワークスデザインにも適用されます。2014年08月07日 策定2016年02月05日 改定2021年02月01日 改定2021年02月05日 改定2021年08月01日 改定附属規定:Web講演会サービス規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(サービス)「Web講演会サービス」とは、Web講演会サービス開催企業(以下「開催企業」といいます。)が自己の取り扱う製品に関して開催する講演会(以下、個々の講演会を「Web講演会」といいます)を配信するサービスです。第2条(開催企業への情報開示)ケアネットは、会員が予約、或いは視聴したWeb講演会の開催企業に対し、会員の氏名・勤務先・勤務先所在地・診療科・医療資格・識別コード・回答したアンケートの全ての内容を開示します。なお、当該開示の方法は、eメールによる電子データの送信、および開催企業のみがアクセス権を有する専用サイト上における電子データの提供によるものとします。これらの開示情報は、開催企業における情報提供活動およびその他マーケティング活動の目的で利用されます。また、当該開催企業が共同プロモーションを行う企業がある場合には、共同プロモーション先企業にも上記の情報を開示することがあります。第3条(免責事項)1)ケアネットは、会員に対して、開催企業の提供するサービスおよび情報に対して、いかなる保証も行いません。2)会員と開催企業との間に紛争が生じた場合、当事者間の責任と費用において解決するものとし、ケアネットは、一切関与しません。会員と開催企業との間の紛争に起因してケアネットが損害を被った場合、ケアネットは係る損害の賠償を会員に求める場合があります。3)以下いずれかの原因で、Web講演会の視聴困難および遅延が生じた場合の損失、または情報の欠陥、誤送信があった場合の損失について、ケアネットは一切の責任を負いません。a.機器および回線の障害またはスペック不足b.会員または第三者の妨害c.天災地変等の非常事態その他の不可抗力の発生d.その他の瑕疵による障害2014年08月07日 策定2015年07月16日 改定2016年10月01日 改定2022年02月01日 改定附属規定:CareNet医学教育規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(目的)本規定は、ケアネットが運営する会員制臨床医学メディア「CareNet医学教育」(以下「CareNet医学教育」といいます。)の利用に関し、必要な事項を定めるものです。会員のCareNet医学教育の利用については、本規定の他、CareNet.com利用規約が適用されるものとします。第2条(サービス等)1)「本サービス」とは、ケアネットが、医療従事者の生涯学習を支援・促進し、医療サービスの向上に貢献することを目的に、CareNet医学教育を通じて医学学習プログラムその他医学・医療に関連するプログラムを配信するサービスをいいます。2)「プログラム等」とは、本サービスにおいて配信・掲載される、医学学習プログラムおよびCareNet医学教育プログラムの全部または一部をいいます。3)ケアネットは、本サービス内の情報(リンク先の情報は除きます。)について医学的妥当性および中立性の確保に努め、運営します。4)ケアネットは、新着のプログラム等を中心に視聴・閲覧を推奨する期間(以下「おすすめ期間」といいます。)を設定するものとします。おすすめ期間中のプログラム等は、当該Webページの一覧または推奨コンテンツのショートカットメニューに優先的に表示されます。5)会員が、おすすめ期間中に対象となるプログラム等を視聴完了した場合、または付属するアンケート等へ回答した場合、学習機会の増進指標「アップ」を獲得できることがあります。なお、アップの獲得に関する事項は、「アップ(up)システム規定」に定めるとおりとします。6)ケアネットは、公開期間が定められているものを除き、おすすめ期間終了後、プログラム等を所定のアーカイブに収納します。第3条(協賛企業への情報開示)1)ケアネットは、会員が、協賛企業の提供によるプログラム等を視聴し、またはプログラム上でアンケート等に回答した場合、その視聴した事実および会員の氏名・勤務先・勤務先所在地・診療科・医療資格・識別コード・その他、回答したアンケート等の全ての内容(以下総称して「視聴情報」といいます。)を、当該協賛企業に開示する場合があります。なお、当該開示の方法は、eメールによる電子データの送信、および協賛企業のみがアクセス権を有する専用サイト上における電子データの提供によるものとします。2)視聴情報は、協賛企業における情報提供活動およびその他マーケティング活動の目的で利用されることがあります。また、当該協賛企業が共同プロモーションを行う企業がある場合には、共同プロモーション先企業にも上記の情報を開示することができるものとします。第4条(免責事項)1)ケアネットは、利用者に対して、協賛企業の提供するサービスおよび情報に対して、いかなる保証も行いません。2)利用者と協賛企業との間に紛争が生じた場合、当事者間の責任と費用において解決するものとし、ケアネットは、一切関与しません。利用者と協賛企業との間の紛争に起因してケアネットが損害を被った場合、ケアネットは係る損害の賠償を利用者に求める場合があります。2016年07月01日 策定2023年06月01日 改定附属規定:アップ(up)システム規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(定義)「アップ(up)システム」とは、会員が、CareNet.comを通じた学習機会の増進指標「アップ」(以下「アップ」といいます。)を獲得するシステムをいいます。ケアネットは、会員のアップ獲得を通じて、CareNet.comサービスの向上に努め、より会員の学習に資する情報提供を行います。第2条(アップ獲得条件等)1)会員は、CareNet.comサービスを利用し、学習および知識・経験等の情報を収集したとき、アップを獲得します。なお、アップ獲得までには数日を要することがあります。2)アップは第三者に譲渡することはできません。3)アップの獲得後において、会員が各規定に違反した場合は、獲得したアップが無効とされることがあります。第3条(アップ獲得対象)会員が以下のいずれかの学習活動を行った場合、アップを獲得できる場合があります。なお、アップを付与する条件および付与数については、ケアネットが設定するものとします。1)CareNet.comサービスの視聴2)CareNet.comサービスの視聴完了3)ケアネットが実施するアンケートへの回答4)その他ケアネットが定める所定の活動を行った場合第4条(特典)獲得したアップが一定数に達した場合、ケアネットは、学習の意欲豊かな会員に対する支援として、ポイントの付与や、CareNeTVの優先視聴権等、様々な特典を提供します。なお、ポイントに関する規定は「ポイントプログラム規定」に定めるとおりとします。第5条(有効期間)以下のいずれかに該当する場合、アップは失効します。1)アップの最終獲得日から2年を経過した場合2)会員が会員資格を失った場合第6条(アップシステムの変更・廃止)1)ケアネットは、会員への事前の通知なくして、アップシステムの内容の全部または一部の変更、追加をすることができ、また、あらかじめ会員に通知することにより、アップシステムの全部または一部を廃止することができるものとします。ただし、この場合は廃止までに相当な期間を設けるものとします。2)ケアネットは、アップ獲得条件、アップ獲得対象、ポイントの付与その他アップシステムに関する事項を随時変更できるものとします。2017年08月14日 策定2020年07月01日 改定附属規定:Doctors’Picks規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(サービス)1)「Doctors'Picks」(以下「本サービス」といいます。)とは、会員が、他の会員への情報提供または他の会員との情報共有の目的で、ケアネットまたは第三者が提供するニュース、雑誌、文献、動画その他の情報等(以下「ニュース等」といいます。)を選択し、当該ニュース等に対するコメント(以下「コメント」といいます。)と共に投稿できるサービスをいい、会員その他ケアネットより許諾された医療従事者、医療関係事業者等がその閲覧を行うことができます。2)会員は、医学的妥当性および中立性に配慮し、ニュース等を選択するものとします。3)コメントの所有権および知的財産権その他一切の権利(著作権法第27条および第28条の権利を含みます。)は、当該コメントを投稿した会員に帰属します。但し、会員は、ケアネットおよび他の会員が、コメントの全部または一部を使用、複製、翻訳、翻案等し、利用することを許諾するものとします。4)会員は、本サービスに投稿したコメントが、次の各号のいずれかに該当しないことを保証するものとします。(1)第三者が保有する所有権および知的財産権その他一切の権利(著作権法第27条および第28条の権利を含みます。)を侵害するもの(2)第三者の信用、名誉、プライバシーを侵害するもの(3)法令または公序良俗に反するもの5)ケアネットは、投稿されたコメントが前項に違反する場合、本サービスの趣旨・目的と関連がない場合、その他ケアネットが不適切と判断した場合には、当該コメントを修正または削除できるものとし、更に、当該コメントに係る訂正記事またはコメントを投稿できるものとします。第2条(免責事項)1)ケアネットは、ニュース等およびコメントの完全性、正確性、確実性、有用性等を保証するものではありません。2)会員が、本サービスの利用を通じ、他の会員または第三者に対して損害を与えた場合、自己の費用と責任で紛争を解決するものとし、ケアネットに何等の迷惑または損害を与えないものとします。2018年06月01日 策定2025年02月05日 改定附属規定:CareNet Academia規定ケアネットは、本附属規定に定める各サービスを利用いただく皆さまに、CareNet.com利用規約および本附属規定にご同意いただいたものとみなします。第1条(目的)本規定は、ケアネットが運営する「CareNet Academia」の利用に関し、必要な事項を定めるものです。会員のCareNet Academiaの利用については、本規定の他、CareNet.com利用規約が適用されるものとします。第2条(サービス等)1)「CareNet Academia」(以下「本サービス」といいます。)とは、利用者の医学専門情報収集を支援し、診療・研究・医学教育の向上に貢献することを目的に、ケアネットが開発した人工知能(AI)によって執筆した医学ニュースを、利用者個別に配信するサービスをいいます。2)ケアネットは、本サービス内の情報について、医学的妥当性および中立性の確保に努め、運営します。第3条(スポンサー企業への情報開示等)1)会員による本サービス閲覧情報は、スポンサー企業における情報提供活動およびその他マーケティング活動の目的で利用されることがあります。2)ケアネットは、会員が本サービス上でアンケート等に回答した場合、会員の氏名、勤務先、勤務先所在地、診療科、医療資格、識別コード、閲覧した情報、その他回答したアンケート等の全ての内容(以下総称して「閲覧情報」といいます。)をスポンサー企業に開示する場合があります。なお、当該開示の方法は、eメールによる電子データの送信、スポンサー企業のみがアクセス権を有する専用サイト上における電子データの提供・掲載などの方法によるものとします。第4条(免責事項)1)ケアネットは、ニュースの完全性、正確性、確実性、有用性等を保証するものではありません。2)会員が、本サービスの利用を通じ、他の会員または第三者に対して損害を与えた場合、自己の費用と責任で紛争を解決するものとし、ケアネットに何等の迷惑または損害を与えないものとします。2025年04月15日 策定

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ポイントサービス規約

(趣旨) 本ポイントサービス規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社ケアネット(以下「ケアネット」といいます。)がCareNet.com(ケアネット・ドットコム)で企画・運営するサービスで提供するポイントサービス(以下「本サービス」といいます。)において、本サービスを受けるための条件及び本サービスにより提供される特典の内容を定めるものです。なお、本規約の用語及び本規約に定めのない事項については、CareNet.com利用規約(以下「利用規約」といいます。)に準ずるものとします。第1条(ポイント付与対象者) ポイントの付与対象者は、CareNet.comの「会員」とします。第2条(ポイント付与条件)ケアネットは、会員が次に定めるポイント付与対象サービスを利用した場合に、各サービスに対応するポイントを付与するものとします。ポイント付与対象サービス付与ポイントケアネットが実施する調査事業に対するアンケートへの回答アンケート毎にケアネットで設定ケアネットが実施するキャンペーンへの参加キャンペーン毎にケアネットで設定第3条(ポイントの管理) 1.ケアネットは、会員に対して、ケアネット所定の方法により、会員が獲得したポイント数、会員が使用したポイント数及びポイント数の残高を告知するものとします。2.会員は、前項のポイント数に疑義がある場合いは、ただちにケアネットに連絡し、その内容を説明するものとします。ただし、ポイント数に関する最終的な決定は、ケアネットが行うものとし、会員はこれに従うものとします。第4条(ポイントの交換) 1.会員は、保有ポイントを使用し、ケアネットがケアネットポイント交換サイトで掲載する商品、サービスまたはクーポン等(以下総称して「商品」といいます。)と交換することができます。2.ケアネットは、ポイントの交換の対象となる商品を制限し、またはポイントの使用に条件を付す場合があります。3. 会員は、ポイントの交換時に、ケアネット所定の方法により、商品の送付先を届け出るものとします。なお、商品の送付先は日本国内に限られるものとします。4.商品の送付先について、会員本人以外の第三者の宛先を届け出る場合、会員は、予め当該第三者に対して、ケアネットから本サービスにより商品が送付される場合がある旨の了承を得るものとします。5.会員は、ポイントの交換にあたり、本規約のほか、本サービスに関するご利用ガイドの定めに従うものとします。第5条(有効期限)保有ポイントの有効期限は、最終ポイント付与日から2年後の応答日月の月末までとします。ただし、第6条乃至第8条で定める場合を除くものとします。第6条(ポイントの無効)会員が不正な手段を用いてポイントを取得した場合(本人以外の者によってポイントが取得された場合、重複登録によってポイントが取得された場合等)、当該ポイントは無効とします。第7条(ポイントの消滅)1.会員が利用規約第7条(会員資格の取消)に定める事項に該当した場合、ポイントは消滅するものとします。2.ケアネットが次の各号に該当した場合には、ポイントは消滅するものとします。(1)民事再生手続、会社更生手続、特別清算又は破産開始の申立てをしたとき(2)解散若しくは営業の全部又はケアネット・ドットコムの運営を第三者に譲渡したとき3.前各項に該当した際に既に実施されたポイントの交換については、ケアネットにより取り消される場合があります。第8条(自主退会) 会員が利用規約第6条(退会)に基づき自主退会をした場合は、ポイントは消滅するものとします。第9条(注意事項) 1.ポイントは、他の会員に譲渡することはできません。2.ポイントは、ケアネットが定める交換方法以外には使用できず、ケアネットは如何なる場合にもポイントの買い取り等は行いません。3.会員が不正な手段を用いて取得したポイントにより商品を取得した場合、ケアネットは当該会員に対して損害賠償を請求できるものとします。4.ポイントの取得、ポイントの交換に伴い、税金や付帯費用が発生する場合には、会員がこれらを負担するものとします。以上平成19年11月1日  施行平成21年7月16日  改定平成22年6月27日  改定平成25年12月26日  改定

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早期胃がん術後の抗がん剤副作用で死亡したケース

癌・腫瘍最終判決判例タイムズ 1008号192-204頁概要53歳女性、胃内視鏡検査で胃体部大弯に4~5cmの表層拡大型早期胃がん(IIc + III型)がみつかり、生検では印環細胞がんであった。胃2/3切除およびリンパ節切除が行われ、術後に補助化学療法(テガフール・ウラシル(商品名:UFT)、マイトマイシン(同:MMC)、フルオロウラシル(同:5-FU))が追加された。ところが、5-FU®静注直後から高度の骨髄抑制を生じ、術後3ヵ月(化学療法後2ヵ月)で死亡した。詳細な経過患者情報とくに既往症のない53歳女性経過1992年3月6日背中の痛みを主訴に個人病院を受診。3月18日胃透視検査で胃体部大弯に陥凹性病変がみつかる。4月1日胃内視鏡検査にて、4~5cmに及ぶIIc + III型陥凹性病変が確認され、生検でGroup V印環細胞がんであることがわかり、本人にがんであることを告知の上、手術が予定された。4月17日胃2/3切除およびリンパ節切除術施行。術中所見では漿膜面にがん組織(のちに潰瘍瘢痕を誤認したものと判断された)が露出していて、第2群リンパ節にまで転移が及んでいたため、担当医師らはステージIIIと判断した。4月24日病理検査結果では、リンパ節転移なしと判定。4月30日病理検査結果では、早期胃がんIIc + III、進達度m、印環細胞が増生し、Ul III-IVの潰瘍があり、その周辺にがん細胞があるものの粘膜内にとどまっていた。5月8日病理検査結果では前回と同一で進行がんではないとの報告。ただしその範囲は広く、進達度のみを考慮した胃がん取り扱い規約では早期がんとなるものの、すでに転移が起こっていることもあり得ることが示唆された。5月16日術後経過に問題はなく退院。5月20日白血球数3,800、担当医師らは術後の補助化学療法をすることにし、抗がん剤UFT®の内服を開始(7月2日までの6週間投与)。6月4日白血球数3,900、抗がん剤MMC® 4mg投与(6月25日まで1週間おきに4回投与)。6月18日白血球数3,400。6月29日抗がん剤5-FU® 1,250mg点滴静注。6月30日抗がん剤5-FU® 1,250mg点滴静注。7月1日白血球数2,900。7月3日白血球数2,400、身体中の激痛が生じ再入院。7月4日白血球数2,200、下痢がひどくなり、全身状態悪化。7月6日白血球数1,000、血小板数68,000。7月7日白血球数700、血小板数39,000、大学病院に転院。7月8日一時呼吸停止。血小板低下が著しく、輸血を頻回に施行。7月18日死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.リンパ節転移のないmがん(粘膜内がん)に補助化学療法を行った過失診療当時(1992年)の知見をもってしても、表層拡大型IIc + III早期胃がん、ステージI、リンパ節、腹膜、肝臓などのへの転移がなく外科的治癒切除を行った症例に、抗がん剤を投与したのは担当医師の明らかな過失である。しかも、白血球数が低下したり、下痢がみられた状態で抗がん剤5-FU®を投与するのは禁忌であった2.説明義務違反印環細胞がん、表層拡大型胃がんについての例外的危険を強調し、抗がん剤を受け入れざるを得ない方向に誘導した。そして、あえて危険を伴っても補助化学療法を受けるか否かを選択できるような説明義務があったにもかかわらず、これを怠った3.医療知識を獲得して適切な診断・治療を患者に施すべき研鑽義務を怠った病院側(被告)の主張1.リンパ節転移のないmがんに補助化学療法を行った過失術中所見ではがん組織が漿膜面まで明らかにでており、第2群のリンパ節に転移を認めるのでステージIIIであった。病理組織では摘出リンパ節に転移の所見がなく、肝臓などに肉眼的転移所見がみられなかったが、それで転移がなかったとはいえない。本件のような表層拡大型早期胃がんはほかの胃がんに比べて予後が悪く、しかも原発病巣が印環細胞がんという生物学的悪性度のもっとも強いがんであるので、再発防止目的の術後補助化学療法は許されることである。白血球数は抗がん剤の副作用以外によっても減少するので、白血球数のみを根拠に抗がん剤投与の適否を評価するべきではない2.説明義務違反手術で摘出したリンパ節に転移がなく、進達度が粘膜内ではあるが、この結果は絶対的なものではない。しかも原発病巣が生物学的悪性度のもっとも強い印環細胞がんであり、慎重に対処する必要があるので、副作用があるが抗がん剤を投与するかどうか決定するように説明し、患者の同意を得たので説明義務違反はない3.医療知識を獲得して適切な診断・治療を患者に施すべき研鑽義務1980年以降に早期胃がんに対して補助化学療法を行わないとの考えが確立したが、担当医師ががん専門病院に勤務していたのは1970~1980年であり、この当時は抗がん剤の効果をみるために早期胃がんに対しても術後補助化学療法治療試験が盛んに行われていた。したがって、早期胃がんに対して補助化学療法を行わないとの考えを開業医レベルの担当医師に要求するのは無理である裁判所の判断1. リンパ節転移のないmがんに補助化学療法を行った過失担当医師らは肉眼所見でがん組織が漿膜面まで露出していたとするが、これは潰瘍性瘢痕をがんと誤認したものである。また、第2群のリンパ節に転移を認めるステージIIIであったと主張するが、数回にわたって行われた病理検査でがんが認められなかったことを優先するべきであるので、本件は進行がんではない。したがって、そもそも早期がんには不必要かつ有害な抗がん剤を投与したうえに、下痢や白血球減少状態などの副作用がみられている状況下では禁忌とされている5-FU®を、常識では考えられないほど大量投与(通常300~500mgのところを1,250mg)をしたのは、医師として当然の義務を尽くしていないばかりか、抗がん剤の副作用に対する考慮の姿勢がみじんも存在しない。2. 説明義務違反説明義務違反に触れるまでもなく、担当医師に治療行為上の重大な過失があったことは明らかである。3. 医療知識を獲得して適切な診断・治療を患者に施すべき研鑽義務を怠った。担当医師はがん専門病院に勤務していた頃の知見に依拠して弁解に終始しているが、がん治療の方法は日進月歩であり、ある知見もその後の研究や医学的実践において妥当でないものとして否定されることもあるので、胃がんの治療にあたる以上最新の知見の修得に努めるべきである。原告側合計6,733万円の請求を全額認定考察この判例から得られる教訓は、医師として患者さんの治療を担当する以上、常に最新の医学知識を吸収して最良の医療を提供しなければならないということだと思います。いいかえると、最近ようやく臨床の現場に浸透しつつあるEBM(evidence based medicine)の考え方が、医療過誤かどうかを判定する際の基準となる可能性が高いということです。裁判所は、以下の知見はいずれも一般的な医学文献等に掲載されている事項であると判断しました。(1)mがんの再発率はきわめて低いこと(2)抗がん剤は胃がんに対して腫瘍縮小効果はあっても治療効果は認められないこと(3)印環細胞がん・表層拡大型胃がん、潰瘍型胃がんであることは再発のリスクとは関係ないこと(4)抗がん剤には白血球減少をはじめとした重篤な副作用があること(5)抗がん剤は下痢の症状が出現している患者に対して投与するべきでないことこれらの一つ一つは、よく勉強されている先生方にとっては常識的なことではないかと思いますが、医学論文や学会、症例検討会などから疎遠になってしまうと、なかなか得がたい情報でもあると思います。今回の担当医師らは、術中所見からステージIIIの進行がんと判断しましたが、病理組織検査では「転移はないmがんである」と再三にわたって報告が来ました。にもかかわらず、「今までの経験」とか「直感」をもとに、「見た目は転移していそうだから、がんを治療する以上は徹底的に叩こう」と考えて早期がんに対し補助化学療法を行ったのも部分的には理解できます。しかし、われわれの先輩医師たちがたくさんの症例をもとに築き上げたevidenceを無視してまで、独自の治療を展開するのは大きな問題でしょう。ことに、最近では医師に対する世間の評価がますます厳しくなっています。そもそも、総務庁の発行している産業分類ではわれわれ医師は「サービス業」に分類され、医療行為は患者と医療従事者のあいだで取り交わす「サービスの取引」と定義されています。とすると、本件では「自分ががんの研修を行った10~20年前までは早期胃がんに対しても補助化学療法を行っていたので、早期胃がんに補助化学療法を行わないとする最新の知見を要求されても困る」と主張したのは、「患者に対し10~20年前のまちがったサービスしか提供できない」ことと同義であり、このような考え方は利用者(患者)側からみて、とうてい受容できないものと思われます。また、「がんを治療する以上は徹底的に叩こう」ということで5-FU®を通常の2倍以上(通常300~500mgのところを1,250mg)も使用しました。これほど大量の抗がん剤を一気に投与すれば、骨髄抑制などの副作用が出現してもまったく不思議ではなく、とても「知らなかった」ではすまされません。判決文でも、「常識では考えられないほど抗がん剤を大量投与をしたのは、抗がん剤の副作用に対する考慮の姿勢がみじんも存在しない」と厳しく批判されました。「医師には生涯教育が必要だ」、という声は至るところで耳にしますが、今回の事例はまさにそのことを示していると思います。日々遭遇する臨床上の問題についても、一つの考え方にこだわって「これしかない」ときめつけずに、ほかの先生に意見を求めたり、文献検索をしなければならないと痛感させられるような事例でした。癌・腫瘍

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「プライマリケア医が診るがん」アンケート結果(2)

対象ケアネット会員の医師(内科・総合内科)625名方法インターネット調査実施期間2013年7月11日~7月18日Q日常診療において問題のあった、がん患者さんとのエピソードをお聞かせください。ずっと他の病気でみていて、がんが見つかったとき、もっと早期に発見できなかったのかと後悔する。 だから、検診は必ず受けるように指示してます(勤務医、50代)在宅療養を行っているので、エンドステイジの方が多く、痛みなく安らかな最期を迎えさせてあげたいと思っています。精神的な苦痛への対処。(開業医、50代)在宅での看取り。特に出血時などの対応(開業医、50代)訪問診療を担当しています。在宅での看取りで紹介される事がありますが、退院時の家族の意思が不安定にもかかわらず、退院後の経過をしっかり説明しないのか、呼吸苦に驚いて病院へ逆戻りすることがしばしばです。(開業医、60代)告知の是非。前医(急性期病院)で告知されていて、その後の対応は紹介された病院であることも多く困ることもある。(勤務医、50代)保険診療では必要な薬剤価格が高くて使用できないこと。今は治療だけではなく家族関係や経済面も大変な人が多くて気苦労が絶えない。(勤務医、50代)前医より予後等の説明を受けていない、あるいは理解していない。 オピオイド使用を頑として拒否 (勤務医、40代)前医での告知が不十分であった場合、緩和治療目的で紹介となると転院してからトラブルになる。 (勤務医、40代)入院患者の家族が、病院の方針に疑問を感じて相談に来ることがある(開業医、50代)他院に通院しているが、疼痛などコントロール不十分で当院を訪れるケース。紹介状もなく、原疾患の詳しい病状もわからない中での対応となる。また、当院への受診を、もともとの先生に言いにくい、言いたくない、というケースもしばしばある。(開業医、40代)複数の病院に診療を受けていた患者がいたこと。(開業医、50代)治療効果がない場合など精神的ケアが重要(勤務医、60代)高齢、認知症がひどい。 本人と家族の治療方針(希望)が異なるとき(勤務医、40代)

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エキスパートに聞く!「プライマリケア医が診るがん」

プライマリケア医として、どういった基準(タイミング)で専門医へ紹介するべきでしょうか?がんの既往があるか、ないかで分ける必要があります。がんの既往がない患者さんの場合は、諸検査を行い、がんの疑いがある時に、紹介してくださると思います。時々、腫瘍マーカー高値で紹介してくださることがあります。腫瘍マーカーというのは、がんのスクリーニングには推奨されておりませんが、一般検診などで取入れられている場合があります。その場合は、偽陽性であることがありますが、まずは、専門医に紹介してくださってかまいません。がんの既往がある患者さんの場合には、治療後の場合と、治療中の場合に分けられます。手術などの治療後、つまり経過観察している場合には、再発の有無を見極める必要があります。患者さんは、ちょっとした症状で「再発ではないか?」と不安になることが多いのですが、実際患者さんの自覚症状・特に痛みなどの症状から再発が発見されるケースは稀です。がんの再発の多くは無症状のことが多いです。表在リンパ節腫大で発見されることもありますので、身体所見を取っていただきたいです。実際のところ、2~3日で軽快する症状であれば、がんの再発の症状とは考えにくいです。がんの再発を疑う自覚症状としては、持続する症状、徐々に悪化する症状かという2点だと思います。現在がんの治療中の場合:放射線治療を行っている患者さんは、放射線肺臓炎などの放射線有害事象、薬物治療を行っている方では抗がん剤有害事象に注意する必要があります。抗がん剤有害事象では、発熱性好中球減少症が最も注意すべき副作用です。発熱性好中球減少症は、エマージェンシーとなります。また、抗がん剤の最も頻度が高い副作用は、悪心・嘔吐ですが、まずは、一般的な吐き気止めで対処していただければよいと思います。嘔吐が強く脱水が懸念される場合などが紹介のタイミングといえるかも知れません。肺がんの低線量CTを検診に用いると発見率が上がるとの報告を聞きますが、エビデンスはあるでしょうか?ドラフトの段階ではあるもののUS Preventive Task Force(USPSTF:米国予防医学専門委員会)で、Grade Bのrecommendation を出しており、おそらく日本でも推奨グレードは上がってくると思われます。しかしながら、低線量CTが、全ての人に推奨されるのではありません。低線量CTを推奨するきっかけとなった、ランダム化比較試験の対象は、年齢が、55~74歳、喫煙歴が30 pack-year以上(1日喫煙本数x 喫煙年数 ÷20)、または、15年以内に止めているが、それまで喫煙歴があるような、ハイリスクの方に対してのみに有効であったということは覚えておいていただきたいと思います。スパイラルCTのデメリットは偽陽性が出やすいことです。偽陽性が出てしまうとさらなる無駄な検査のみしてしまうことになるという訳です。今後もこの点については検討が必要だと思います。遺伝子検査はなぜ普及しないのでしょうか? 最近話題の乳がんのBRCA1/2遺伝子など一部の遺伝性がんの検査について、欧米諸国では保険適応となっています。この点は、日本は欧米諸国に比べ遅れている点と思います。この背景には認可の問題もあると思いますが、がん遺伝子カウンセラーの育成など体制が整っていないこともあげられるでしょう。在宅医療におけるネットワーク構築について、有効な手段とは?急性期病院と在宅ケアとで密な連携をはかっていくことは、今後のがん診療で最も重要なことと思います。がん緩和ケアの領域では、海外では、ホスピスや緩和ケア病棟は、急性期の症状緩和を担当する緩和ケアのICUのような役割を果たし、症状緩和が得られた時点で、地域の在宅ホスピスと連携をとっています。日本では、在宅で最期を迎える確率は10%、ホスピスが7%ですが、欧米先進諸国での、70~80%(在宅+ホスピスで死亡する割合)と比べると圧倒的に低い数字です。日本では、まだまだ急性期病院で終末期を迎える患者さんが多いことを意味しています。今後、急性期病院と在宅ケア、ホスピスとのさらなるネットワーク作りが必要になってくると思われます。最近の流れとしては、余命告知は行う方向へ向かっているのでしょうか。がんの診断を伝えることに関しては、我が国でもかなりの割合で、診断を伝えるようになってきたと思います。余命告知とは、がんの診断の告知とは大きく異なるものということを認識しなければなりません。余命告知で大きな問題は、多くの医者が、median survival(生存期間中央値)の値を余命と勘違いし、あなたの余命は○ヵ月ですと言っている場合が多いように思います。この数値については大いに注意するべきです。中央値とはご存知の通り、データを小さい順に並べたとき中央に位置する値であり、100人患者さんがいたら、50番目に亡くなった方の生存期間です。がんの生存期間は、患者さんによって非常にバラつきが大きく、正規分布をなさないために平均値ではなく、中央値を使っているだけです。裏を返せば、ある患者集団の生存期間中央値が6ヵ月であった場合、数ヵ月で亡くなる患者さんもいれば、ある患者さんは数年経過しても生きておられるということです。従って、生存期間中央値を患者さん個人の“余命”として当てはめることは、医学的にも間違っているのです。それだけでなく、患者には相当な誤解を与えます。余命6ヵ月と言われれば、患者さんは6ヵ月で自分は死んでしまうと考えます。ある患者さんは、自分は、死亡宣告をされたと、死亡推定日まで、自分の余命はあと、○日と指折り数えていました。中央値ではなく、最悪値としての余命を言う臨床医もいますが、やはり数字を言うことは、患者さんはかなり数字にとらわれてしまいがちですし、誤解も生じやすいため、数字を言うことは慎重にすべきです。可能性・確率を言わない断定的な余命告知することは患者さんを傷つけるだけだと思います。残念ながら、未だがん専門施設でも断定的な余命告知をしている現状があります。大切なことは余命告知ではありません。海外では、余命告知ということはあまり議論にはなっていません。余命というものが、不正確であり、予測不可能なことが多いからです。余命を患者さんに告げることよりも、end of life discussionと言って、どのように最後を迎えるか、どのように生きるかということについて、医療者と患者が話し合いをすることを、ASCO(米国臨床腫瘍学会)でも勧めています。日本でも、このことが必要だと思います。参考:腫瘍内科医 勝俣範之のブログ がん患者さんの食事について。生ものを避けるようにいわれますが、実際にはどのようにアドバイスしたらよいでしょうか?生ものについてのエビデンスなどはあるのでしょうか?生ものを摂取して感染症の発症率が上昇するというエビデンスはありません。ASCOでも、抗がん剤の最中に生ものを避ける必要はないと述べています。血液腫瘍など抗がん剤による強力な免疫抑制が懸念されるのでない限り、生ものでもなんでも好きなものを食べてください、と患者さんへアドバイスすべきでしょう。生ものを避けるより、口腔内に発生する細菌を考慮した口腔ケアの方が重要だと思います。なお、マスクの着用に関しても実はエビデンスはありません。自分の病原菌を周囲に散布しないようにすることはできますが、他人からの感染を予防できるというエビデンスはないのです。

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ジャクソンリースと気管切開チューブの接続不具合で死亡した乳児のケース

小児科最終判決平成15年3月20日 東京地方裁判所 判決概要生後3ヵ月乳児の気管切開術後に、a社製のジャクソンリース回路とT社製の気管切開チューブを接続して用手人工呼吸を行おうとしたところ、接続不具合のため回路が閉塞して換気不全に陥り、11日後に死亡した事故について、企業の製造物責任ばかりでなく、担当医師の注意義務違反が認定された。詳細な経過経過2000年12月8日体重1,645gで出生、呼吸障害がみられ、しばらく気管内挿管による人工呼吸器管理を受けた。2001年3月13日声門・声門下狭窄および気管狭窄を合併したため、手術室で気管切開術を施行。術後の安静を目的として筋弛緩薬が静脈注射され、自発呼吸がないままNICU病棟へ帰室することになった。その際、患児を病棟へ搬送するために、気管切開部に装着された気管切開チューブ(T社シャイリー気管切開チューブ小児・新生児用)にa社ジャクソンリース小児用麻酔回路を接続して用手人工呼吸を行おうとした。ところが、使用したジャクソンリースは新鮮ガス供給パイプが患者側接続部に向かってTピースの内部で長く突出したタイプであり、他方、シャイリー気管切開チューブは接続部の内径が狭い構造になっていたため、新鮮ガス供給パイプの先端が気管切開チューブの接続部の内壁にはまり込んで密着し、回路の閉塞を来した。そのため患児は換気不全によって気胸を発症し、全身の低酸素症、中枢神経障害に陥った。3月24日消化管出血、脳出血、心筋脱落・線維化、気管支肺炎などの多臓器不全により死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.企業の責任a社のジャクソンリースは、T社のシャイリー気管切開チューブに接続した時に呼吸回路が閉塞され、患者が換気不全に陥るという危険性を有していたにもかかわらず、適切な指示・警告を出さなかった。さらに1997年に愛媛大学医学部附属病院で、ジャクソンリースの新鮮ガス供給パイプとT社販売の人工鼻の閉塞による換気不全事故が2件発生している。人工鼻とジャクソンリース回路の接続の仕組みと、T社シャイリー気管切開チューブとジャクソンリース回路の接続の仕組みは同じであるから、a社、T社は閉塞の危険性を認識し得なかったとはいえない2.病院側の責任担当医師がジャクソンリースとシャイリー気管切開チューブの構造や特徴を理解し、組合せ使用時の構造や特徴に関心を持ち、呼吸回路の死腔量や換気抵抗を理解することに努めていれば、接続部の目視点検を行うことで接続部で閉塞していることを発見するのは可能かつ容易である。さらに今回使用したジャクソンリースとシャイリー気管切開チューブ以外の器具を選択する余地も十分にあったので、死亡という最悪の結果を回避することは可能であった本件事故と同一のメカニズムにより生じた接続不具合は、過去に麻酔科の専門誌や学会で発表され、ジャクソンリースの添付文書にも、不充分な内容ではあるが注意喚起がなされている。これらの情報を集約すれば、接続不具合は予見できない事象ではない。また、ジャクソンリース回路であればどれでも同じという発想で、医療器具の安全性よりも数を優先して導入したことが、被告病院の医療従事者らがジャクソンリースの構造や特徴を理解しないままに使用することにつながった医療器具製造業者側の主張a社の主張a社ジャクソンリースは、呼気の再吸入を防止するために新鮮ガス供給パイプを長くしたもので、昭和50年代終わり頃から同一仕様で販売されて10年以上も経過し、医療機関に広く採用されている。そのような状況で被告T社がシャイリー気管切開チューブを「標準型換気装置および麻酔装置と接続できる」と説明して販売したのであるから、a社ではなくT社がジャクソンリースとの不具合の発生回避対策を講じるべきであった。さらに病院が医療機関に通常要求される注意義務を尽くせば、不具合は容易に確認できたはずであるので、a社の過失はないT社の主張シャイリー気管切開チューブの接続部は、日本工業規格(JIS規格)に準拠し通常の安全性は満たしているから欠陥はない。シャイリー気管切開チューブは汎用性が高く、本国内はもとより世界中で数多く使用されている。また、当製品は接続する相手を特定して販売していたものではなく、a社ジャクソンリースのような特殊な形状を有した製品との接続は想定されていなかったまた愛媛大学の事故については、T社人工鼻と同様の接続部の形状をもつ製品はきわめて多いからその中のひとつにすぎないシャイリー気管切開チューブについて接続不具合を予見することは不可能であったさらに、医療現場において医療器具を創意工夫して使用することは医療従事者の裁量に任されており、その場合リスク管理上の責任も医療現場に委ねられるべきである。本件事故は、担当医師が基本的注意義務を怠り発生させたものであるから、医療器具の製造業者には責任がない。病院側(被告)の主張ジャクソンリース回路に気管切開チューブ類を接続して安全性を確認する点検方法は、一般には存在せず、いかなる医学専門書にもその方法に関する記載はない。また、気管切開チューブなどを接続した状態で点検を行えるテスト肺のような器具自体も存在しないうえ、器具を口に咥えて確認する方法も感染などの問題から行い得ない。したがって、ジャクソンリースと気管切開チューブとの組合せによる接続不具合を確認することは不可能であった。また、本件と類似の接続不具合事故についての安全情報は、企業からも厚生労働省からも医療機関に対し一切報告されなかった。また本件事故発生以前に、別の患児に対して同様の器具の組合せによる換気を600回以上行っているが、原疾患に起因すると考えられる気胸が2回発生した以外は何のトラブルもない。したがって担当医師は本件事故の発生を予見できなかった。裁判所の判断企業側の責任小児・新生児に対しジャクソンリース回路を用いて用手人工換気を行う場合、マスク、気管内チューブ(経口・経鼻用)、気管切開チューブなどの呼吸補助用具にジャクソンリース回路を組み合わせ、相互に接続して使用することが通常の使用形態であり、a社およびT社は、医療の現場においてジャクソンリース回路に他社製の呼吸補助用具が組み合わされて接続使用されている実態を認識していた。ところがa社の注意書には、換気不全が起こりうる組合せにつき、「他社製人工鼻など」と概括的な記載がなされているのみで、そこにシャイリー気管切開チューブが含まれるのか判然としないうえ、換気不全のメカニズムについての記載がないために、医療従事者が個々の呼吸補助用具ごとに回路閉塞のおそれを判断することは困難で、組合せ使用時の回路閉塞の危険を告知する指示・警告上の欠陥があったと認められ、製造物責任を負うべきである。同様にT社も、シャイリー気管切開チューブを販売するに当たり、その当時医療現場において使用されていたジャクソンリースと接続した場合に回路の閉塞を起こす危険があったにもかかわらず、そのような組合せ使用をしないよう指示・警告しなかったばかりか、使用説明書に「標準型換気装置および麻酔装置に直接接続できる」と明記し、小児用麻酔器具であるジャクソンリースとの接続も安全であるかのごとき誤解を与える表示をしていたので、シャイリー気管切開チューブには指示・警告上の欠陥があった。医療器具の製造・輸入販売企業には、医療現場における医療器具の使用実態を踏まえて、医療器具の使用者に適切な指示・警告を発して安全性を確保すべき責任があるので、たとえ医療器具を使用した医師に注意義務違反が認められても、企業が製造物責任を免れるものではない。病院側の責任小児科領域の呼吸管理においては、呼吸回路の死腔が大きいと換気効率が低下するため、死腔が小さい器具が用いられることが多いが、回路の死腔を小さくすると吸気・呼気の通り道が狭くなって換気抵抗が増加する関係にあることが知られている。そのため小児科医師は、ジャクソンリース回路と気管切開チューブを相互接続するに当たり、それぞれの器具につき死腔と換気抵抗に注意を払うのが一般的である。もし担当医師が、死腔を減らすために接続部内径が狭くなっているというシャイリー気管切開チューブの構造上の基本的特徴、および死腔を減らすために新鮮ガス供給パイプが患者側接続部に向かって長く伸びているというジャクソンリースの構造上の基本的特徴を理解していれば、両器具を接続した場合に、新鮮ガス供給パイプの先端が上記接続部の内壁にはまり込んで呼吸回路の閉塞を来し事故が発生することを予見することが可能であった。たとえ医学専門書に接続不具合の点検方法について記載がないからといって、ただちに結果回避の可能性がなかったということはできない。担当医師は、両器具が相互に接続された状態でその本来の目的に沿って安全に機能するかどうかを事前に点検すべき注意義務に違反したために起きた事故である。医師は人間の生命身体に直接影響する医療行為を行う専門家であり、その生命身体を委ねる患者の立場からすれば、医師にこの程度の知識や認識を求めることは当然であって、医師に理不尽や不可能を強いるものとは考えられない。原告側合計8,204万円の請求に対し、企業と連帯して合計5,063万円の支払い命令考察ジャクソンリースと気管切開チューブ接続不具合による死亡事故は、われわれ医療関係者からみて、当然医療器具を製造・販売した企業側がすべての責任を負うべきもの、と考えていたと思います。担当医師はミスとされるような間違った医療行為はしていませんし、どの医師が担当しても事故は避けられなかったと考えられます。もう一度経過を振り返ると、気管内挿管を継続していた生後3ヵ月の低出生体重児に、声門・声門下狭窄および気管狭窄がみられたため、全身麻酔下で耳鼻科医師が気管切開を行いました。手術後は安静を保つため筋弛緩薬を投与してNICUで管理することになり、小児科担当医師がNICUに常備していたジャクソンリースを携えて手術室まで出迎えにいきました。ところが、ジャクソンリースと気管切開チューブの接続不具合で気胸を起こしてしまい、最終的には死亡に至ったというケースです。ご遺族にとってはさぞかし無念であり残念な事故とは思いますが、出迎えにいった小児科医にとっても衝撃的な出来事であったと思います。あとから振り返ってみても、どこをどうすれば患児を助けることができたのか、という反省点を挙げにくいケースであると思います。小児科担当医師の立場では、筋弛緩薬により自発呼吸がない状態で帰室するため、用手人工喚気をする必要があり、となればNICUに常備していたジャクソンリースを用いるのが当然、ということになります。ジャクソンリースを携行する段階で、よもやこのジャクソンリースと気管切開チューブが接続不具合を起こすなど、100%考えていなかったでしょう。なぜなら、この医師がこの病院に勤務する以前から購入されていたジャクソンリースであったと思われるし、手術では耳鼻科医師がこの乳児に最適と思って選んだ気管切開チューブを装着したのですから、「接続がうまくいくのが当然」という認識であったと思います。まさか、接続がうまくいかない医療器具をメーカー側が作るはずはないし、製品として世に登場する前に、数々の臨床試験をくり返して安全性を確かめているはずだ、という認識ではないでしょうか。もし、この担当医師(小児科医師)がジャクソンリースを選定・購入する立場であったとしたら、院内で使用する呼吸器関連の器具との接続がうまくいくかどうか配慮する余地はあったと思います。しかし、もともとNICUに常備されているジャクソンリースに対し、「接続不具合が発生する気管切開チューブが存在するかどうか事前にすべて確認せよ」などということは、まったく医療現場のことを理解していない法律専門家の考え方としか思えません。ましてや、事故発生当時に企業や厚生労働省から、ジャクソンリースと気管切開チューブの接続不具合に関する情報は一切提供されていなかったのですから、事故前に確認する余地はまったくなかったケースであると思います。にもかかわらず、「医師は人間の生命身体に直接影響する医療行為を行う専門家であり、その生命身体を委ねる患者の立場からすれば、医師にこの程度の知識や認識を求めることは当然であって、医師に理不尽や不可能を強いるものとは考えられない」などという判断は、いったいどこに根拠があるのでしょうか、きわめて疑問に思います。本件のように、医師の過失とは到底いえないような医療事故でさえ、医師の注意義務違反を無理矢理認定してしまうのは、非常に由々しき状況ではないでしょうか。このような判決文を書いた裁判官がもし医師の道を選んで同様の事故に遭遇すれば、必ずや今回のような事態に発展したと思います。ただし本件ほどの極端な事例ではなくても、人工呼吸器関連の医療事故には、病院側に対して相当厳しい判断が下されるようになりました。なぜなら、呼吸器疾患などにより人工換気が必要な患者では、機器の不具合が生命の存続を直接脅かすような危険性を常に秘めているから思われます。たとえば、人工呼吸器が知らないうちにはずれてしまったがアラームを消音にしていた、人工呼吸器の回路にリークがあるのに気づくのが遅れた、あまりアラームがうるさいので警報域を低めにしておいたら呼吸が止まっていた、加湿器のなかに蒸留水以外の薬品を入れてしまった、などという事故が今までに報告されています。個々のケースにはそれなりに同情すべき点があるのも事実ですが、患者が病院というハイレベルの医療管理下にある以上、人工呼吸器に関連したトラブルのほとんどは過失を免れない可能性が高いため、慎重な対応が必要です。なお今回のような事故を防ぐためにも、院内で使用している医療機器(人工呼吸器、各種カテーテル類、輸液ポンプ、微量注入器など)については、なるべく一定のフローに沿って定期的な点検・確認を行うことが望まれます。同じメーカーの製品群を使用する場合にはそれほどリスクは高くないと思いますが、本件のように他社製品を組み合わせて使用する場合には、細心の注意が必要です。今回の事例を教訓として、ぜひとも院内での見直しを検討されてはいかがでしょうか。■日本麻酔科学会 麻酔機器・器具故障情報,薬剤情報,注意喚起 情報 より故障情報2001年2月28日都立豊島病院におけるジャクソンリース回路およびシャイリー気管切開チューブの組み合わせ使用による死亡事故に関して3月24日付きの毎日新聞およびインターネットの記事で紹介されました、a製ジャクソンリース回路(旧型)とマリンクロット社製シャイリー新生児用気管切開チューブを併用しての人工呼吸による患児の死亡事故について、現在まで判明した情報は次の通りです。a製旧型ジャクソンリース回路(現在まで新型と並行販売していた)では、フレッシュガス吹送用ノズルが、Lコネクターの中央湾曲部から気管チューブ接続口へ向けて深く挿入されています。一方、M社が発売しているシャイリー気管切開チューブの新生児用(NEO)と小児用(PED)はチューブの壁厚が厚く(従って内径が狭く)、この両者を併用すると、ジャクソンリース回路のノズルが気管切開チューブに嵌入して、フレッシュガスが肺のみへ送り続けられ、呼気および換気が不可能となったことが今回のおよび昨年11月の死亡事故の原因です。2001年4月6日ジャクソンリース回路と気管切開チューブの接続についてa製ジャクソンリース回路とM製シャイリーの気管切開チューブによる事故の続報をお知らせします。厚生労働省は日本医療器材工業会(代表 テルモ株式会社 山本章博氏)に対して、上記以外のジャクソンリース回路と気管切開チューブのあらゆる組み合わせについての危険性の調査を命じました。日本医療器材工業会は3月30日の時点で、リコーと小林メディカルを除く他社の製品の組み合わせについてチェックを終了しております。その結果、ジャクソンリースとしてはa製に加えて五十嵐医科工業製、気管切開チューブとしてはマリンクロット製に加えて泉工医科工業製、日本メディコ製の一部のものを組み合わせた時に、危険性のあることが判明しました。2001年5月2日ジャクソンリース回路と気管切開チューブの接続についてa製ジャクソンリース回路とM製シャイリー気管切開チューブによる事故後の日本医療器材工業会のその後の調査で、アネス(旧アイカ)取扱のデュパコ社製ノーマンマスクエルボに関しても、問題の生じる可能性があるということで、回収が開始されました。小児科

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アスピリン喘息の患者に対し解熱消炎薬を投与し、アナフィラキシーショックで死亡したケース

自己免疫疾患最終判決判例タイムズ 750号221-232頁、786号221-225頁概要気管支喘息の検査などで大学病院呼吸器内科に入院していた42歳女性。入院中に耳鼻科で鼻茸の手術を受け、術後の鼻部疼痛に対し解熱消炎薬であるジクロフェナクナトリウム(商品名:ボルタレン)2錠が投与された。ところが服用後まもなくアナフィラキシーショックを起こし、呼吸困難から意識障害が進行、10日後に死亡した。詳細な経過患者情報42歳女性経過1979年(39歳)春痰を伴う咳が出現し、時に呼吸困難を伴うようになった。12月10日A病院に1ヵ月入院し、喘息と診断された。1981年夏安静時呼吸困難、および喘鳴が出現し、歩行も困難な状況になることがあった。8月11日再びA病院に入院し、いったんは軽快したがまもなく入院前と同じ症状が出現。1982年2月起坐呼吸が出現し、夜間良眠が得られず。体動による喘鳴も増強。6月近医の紹介により、某大学病院呼吸器内科を受診し、アミノフィリン(同:ネオフィリン)などの投与を受けたが軽快せず。9月7日A病院耳鼻科を受診し、アレルギー性鼻炎を基盤とした重症の慢性副鼻腔炎があり、鼻茸を併発していたため手術が予定された(患者の都合によりキャンセル)。9月27日咽頭炎で発熱したためA病院耳鼻科を受診し、解熱鎮痛薬であるボルタレン®、およびペニシリン系抗菌薬バカンピシリン(同:バカシル、製造中止)の処方を受けた。帰宅後に両薬剤を服用してまもなく、呼吸困難、喘鳴を伴う激しいアナフィラキシー様症状を起こし、救急車でA病院内科に搬送された。入院時にはチアノーゼ、喘鳴を伴っていて、薬剤によるショックであると診断され、ステロイドホルモンなどの投与で症状は軽快した。担当医師は薬物アナフィラキシーと診断し、カルテに「ピリン、ペニシリン禁」と記載した。この時の発作以前には薬物による喘息発作誘発の既往なし。1983年2月3日A病院耳鼻科を再度受診して鼻茸の手術を希望。この時には症状および所見の軽快がみられたので、しばらくアレルギー性鼻炎の治療が行われ、かなり症状は改善した。5月10日気管支喘息の原因検索、およびコントロール目的で、某大学病院呼吸器内科に1ヵ月の予定で入院となった。5月24日不眠の原因が鼻閉によるものではないかと思われたので同院耳鼻科を受診。両側の鼻茸が確認され、右側は完全閉塞、左側にも2~3の鼻茸があり、かなりの閉塞状態であった。そこで鼻閉、およびそれに伴う呼吸困難の改善を目的とした鼻茸切除手術が予定された。5月25日教授回診にて、薬剤の既往症をチェックし、アスピリン喘息の可能性を検討するように指示あり。6月2日15:12~15:24耳鼻科にて両側鼻茸の切除手術施行。15:50病室へ戻る。術後に鼻部の疼痛を訴えた。17:00担当医師が学会で不在であったため、待機していた別の当番医によりボルタレン®2錠が処方された。17:30呼吸困難が出現。喘鳴、および低調性ラ音が聴取されたため起坐位とし、血管確保、およびネオフィリン®の点滴が開始された。17:37喘鳴の増強がみられたため、コハク酸ヒドロコルチゾンナトリウム(同:サクシゾン)、ネオフィリン®の追加投与。17:40突然チアノーゼが出現し気道閉塞状態となる。ただちに気管内挿管を試みたが、筋緊張が強く挿管困難。17:43筋弛緩薬パンクロニウム(同:ミオブロック4mg)静注し再度気管内挿管を試みたが、十分な開口が得られず挿管中止。17:47別の医師に交代して気管内挿管完了。17:49心停止となっため心臓マッサージ開始。エピネフリン(同:ボスミン)心注施行。17:53再度心停止。再びボスミン®を心注したところ、洞調律が回復。血圧も維持されたが、意識は回復せず、まもなく脳死状態へ移行。6月12日07:03死亡確認となる。当事者の主張患者側(原告)の主張1.問診義務違反アスピリン喘息が疑わる状況であり、さらに約8ヵ月前にボルタレン®、バカシル®によるアナフィラキシーショックを起こした既往があったのに、担当医師は問診を改めてやっていないか、きわめて不十分な問い方しかしていない2.過失(履行不完全)問診により発作誘発歴が明らかにならなくても、鼻茸の手術前に解熱鎮痛薬を使用してよい患者かどうか確認するために、スルピリンやアスピリンの吸入誘発試験により確実にアスピリン喘息の診断をつけるべきであった。さらに、疼痛に対しいきなりボルタレン®2錠を使用したことは重大な過失である3.救命救急処置気管内挿管に2度失敗し、挿管完了までに11分もかかったのは重大な過失である病院側(被告)の主張1.問診義務違反アスピリン喘息を疑がって問診し、風邪薬などの解熱鎮痛薬の発作歴について尋ねたが、患者が明確に否定した。過去のアナフィラキシーショックについても、問題となった薬剤服用事実を失念しているか、告知すべき事実と観念していないか、それとも故意に不告知に及んだかのいずれかである2.過失(履行不完全)スルピリン吸入誘発試験によるアスピリン喘息確定診断の可能性、有意性はきわめて少ない。アナフィラキシーショックを予防する方法は、適切な問診による既往症の聴取につきるといって良いが、本件では問診により何ら薬物によるアナフィラキシー反応の回答が得られなかったので、アナフィラキシーショックの発生を予測予防することは不可能であった3.救命救急処置1回で気管内挿管ができなかったからといって、けっして救命救急処置が不適切であったことにはならない裁判所の判断第1審の判断問診義務違反患者が故意に薬剤服用による発作歴があることを秘匿するとは考えられないので、担当医師の質問の趣旨をよく理解できなかったか、あるいは以前の担当医師から受けた説明を思い出せなかったとしか考えられない。適切な質問をすれば、ボルタレン®およびバシカル®の服用によってショックを起こしたことを引き出せたはずであり、問診義務を尽くしたとは認めがたい。このような担当医師の問診義務違反により、アスピリン喘息の可能性を否定され、鼻茸の除去手術後にアスピリン喘息患者には禁忌とされるボルタレン®を処方され、死亡した。第2審の判断第1審の判断を翻し、入院時の問診で主治医が質問を工夫しても、鎮痛薬が禁忌であることを引き出すのは不可能であると判断。しかし、担当医師代行の当番医が、アスピリン喘息とは断定できないもののその疑いが残っていた患者に対してアスピリン喘息ではないと誤った判断を下し、いきなりボルタレン®2錠を投与したのは重大な過失である。両判決とも救命救急処置については判断せず。6,612万円の請求に対し、3,429万円の支払命令考察本件では第1審で、「ボルタレン®、バシカル®によるアナフィラキシーショックの既往歴を聞き出せなかったのは、問診の仕方が悪い」とされました。この患者さんは弁護士の奥さんであり、「患者は知的で聡明な女性であり、医師のいうことを正しく理解できたこと、担当医師との間には信頼関係が十分にあった」と判決文にまで書かれています。しかも、この事件が起きたのは大学病院であり、教授回診で「薬剤の既往症をチェックし、アスピリン喘息の可能性を検討するように」と具体的な指示までありましたので、おそらく担当医師はきちんと問診をしていたと思われます。にもかかわらず、過去にボルタレン®およびバシカル®でひどい目にあって入院までしたことを、なぜ患者が申告しなかったのか少々理解に苦しみますし、「既往歴を聞き出せなかったのは、問診の仕方が悪い」などという判決が下るのも、ひどく偏った判断ではないかと思います。もっとも、第2審ではきちんとその点を訂正し、「担当医師の問診に不適切な点があったとは認められない」とされました。当然といえば当然の結果なのですが、こうも司法の判断にぶれがあると、複雑な思いがします。結局、本件はアスピリン喘息が「心配される」患者に対し、安易にボルタレン®を使ったことが過失とされました。ボルタレン®やロキソプロフェンナトリウム(同:ロキソニン)といった非ステロイド抗炎症薬は、日常臨床で使用される頻度の高い薬剤だと思います。そして、今回のようなアナフィラキシーショックに遭遇することは滅多にないと思いますので、われわれ医師も感冒や頭痛の患者さんに対し気楽に処方してしまうのではないかと思います。過去に薬剤アレルギーがないことを確認し、そのことをカルテにきちんと記載しておけば問題にはなりにくいと思いますが、「喘息」の既往症がある患者さんの場合には要注意だと思います。アスピリン喘息の頻度は成人喘息の約10%といわれていますが、喘息患者の10人に1人は今回のような事態に発展する可能性があることを認識し、抗炎症薬はなるべく使用しないようにするか、処方するにしてもボルタレン®やロキソニン®のような酸性薬ではなく、塩基性非ステロイド抗炎症薬を検討しなければなりません。自己免疫疾患

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ERCP検査で十二指腸穿孔を来し死亡したケース

消化器最終判決判例タイムズ 579号26-51頁概要胆嚢の精査目的でERCP検査を施行した67歳男性。10回前後にわたる胆管へのカニューレ挿管がうまくいかず、途中で強い嘔吐反射や蠕動運動の亢進がみられたため検査終了となった。検査後まもなくして腹痛が出現、当初は急性膵炎を疑って保存的治療を行ったが、検査翌日になって腹腔内遊離ガスが確認され緊急開腹手術が行われた。ところが手術翌日から急性腎不全となり、さらに縫合不全、腹壁創離開、敗血症などを合併し、検査から約2ヵ月後に死亡した。詳細な経過患者情報某大学附属病院で数回にわたり健康診断を行い、肥満症(身長165cm、体重81.5kg)、動脈硬化症、高尿酸血症、左上肢筋萎縮症と診断された67歳男性。過去の健康診断でも胆嚢を精査するよう指摘されていた経過1979年4月10日腹部超音波検査では高度の肥満により鮮明な画像が得られなかった。テレパーク経口投与による胆嚢造影検査でも不造影となり、胆石や胆嚢がんなどの異常が疑われた。4月24日静注法による胆嚢造影検査を追加したが、やはり不造影に終わった。4月27日11:40ERCP開始。左側臥位とし側視鏡型式ファイバースコープを経口挿入、十二指腸下行部までは順調に到達した。この時点で蠕動運動が始まったため、鎮痙剤ブトロピウム(商品名:コリオパン1A)を静注。蠕動が治まったところで乳頭開口部を確認し、胆管造影を試みたが失敗、カニューレは膵管にしか進められなかった。2名の担当医師により前後約10回にわたって胆管への挿管が試みられたがいずれもうまくいかず、そうしているうちに再び蠕動運動の亢進が出現した。さらに、強い嘔吐反射が2度にわたって生じたことや、検査担当医自身も疲労を感じたことから胆管造影を断念。12:30スコープを抜管して検査終了となった(検査時間約50分)。担当医によれば、検査中穿孔の発生を疑わせる特段の異常はなく、造影剤が十二指腸から漏れ出た形跡や検査器具による損傷を思わせる感触もなかった。13:00患者は検査後の絶飲食および安静の指示を守らず、自家用車を運転して勝手に離院。13:30その帰途で腹痛を覚え、タクシーで帰院。腹部に圧痛・自発痛がみられたが腹膜刺激症状は認められず、検査後の膵炎を考慮してガベキサートメシル(商品名:エフオーワイ)、コリオパン®を投与。14:00腹痛が治まらなかったので、ペンタゾシン(商品名:ペンタジン)、コリオパン®を筋注し、約10分後にようやく腹痛は治まった。16:00担当医師は病院にとどまるように説得したが、患者は聞き入れず、「腹痛が再発したら来院すること」を指示して帰宅を許可した。19:00腹痛が再発したため帰院。当直医によりペンタジン®筋注、エフオーワイ®の点滴が開始された。20:00腹部X線写真にて上腹部付近に異常な帯状のガス影がみつかったが、その原因判断は困難であった。22:00担当医師らが協議した結果、消化管穿孔による腹膜炎で生じるはずの横隔膜下遊離ガス像が明確でないこと、検査担当医には腸管穿孔の感触がなかったこと、腹膜炎の徴候であるデファンスやブルンベルグ徴候がなかったことから、急性膵炎の可能性が高いと考えた(この時アミラーゼを測定せず)。4月28日翌日になっても腹痛が持続。10:40再度腹部X線撮影を実施したところ、横隔膜下に遊離ガス像を確認。11:00下腹部試験穿刺にて膿を確認。13:50緊急開腹手術施行。十二指腸第2部と第3部の移行部(尾側屈曲部)に直径1cmの穿孔があり、十二指腸液が漏出していた。穿孔部は比較的フレッシュで12~24時間以内に形成されたものと思われ、腹腔内の洗浄に加えて穿孔部の縫合閉鎖を行った。また、膵頭部は腫大しており、周囲の脂肪組織や横行結腸間膜に膵液による壊死性変化がみられた。胆嚢は異常に拡張し、内腔には3個の結石が確認され、胆嚢摘除術が追加された。なお、体表には打撲、皮下出血などの外傷所見はみられなかった。16:40手術終了。4月29日手術翌日から急性腎不全を発症。4月30日BUN 47.3、K 6.3と上昇がみられたためシャント作成、血液透析開始。5月5日縫合不全を併発。5月13日腹壁開腹創全離開、感染症増悪、敗血症を併発。5月22日頭蓋内出血および数回にわたる腹腔内出血を起こす。6月16日各種治療の効果なく多臓器不全に進行し、肺機能不全により死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.ERCP検査に際しスコープ操作に細心の注意を払う義務を怠った2.漫然と長時間にわたってERCP検査を施行し、ついには操作を誤って十二指腸を穿孔させた。その結果、急性腎不全、敗血症、頭蓋内出血などを起こし、汎発性腹膜炎により死亡した病院側(被告)の主張1.スコープの操作にあたっては確立された手技にしたがって慎重に実行し、不必要、不用意あるいは乱暴な操作を行ったことはなく、器具損傷の感触もなかったまた、スコープ自体は十二指腸の湾曲に沿った形で滑り易くなっていて、さらに腸管の柔軟性、弾力性、および腸管内面の粘滑性に照らすと、スコープの挿入によって腸管穿孔を生じるほどの強い力が働くことはないし、嘔吐反射によって腸管穿孔が生じるとも考えがたい2.十二指腸穿孔の原因は、穿孔部位の解剖学的関係から交通事故などによる外的鈍力の作用によるものである(ただし外傷所見は確認されていない)3.そして、十二指腸穿孔はただちに死に結びつくものではなく、予後を悪化させて死の転帰に至らしめた最大かつ根本的な要因は急性腎不全であり、その原因は本人の腎不全に陥りやすいという身体的理由と、医師の指示を無視した患者自身の自由勝手な行動にある裁判所の判断1.ERCP検査中に、蠕動亢進、嘔吐反射の反覆がみられたにもかかわらず穿孔を生じうるスコープ操作を継続したため、十二指腸が穿孔したと推認される2.患者には交通事故その他鈍的外傷を受けたと認めるに足る事実(体表の打撲傷、十二指腸周辺の合併損傷など)がなく、万一交通事故に遭遇していたのであれば検査や診療に当たった医師などに告知するはずである3.担当医らは腹痛が出現した後も、事態に対する重大な認識をまったくもっておらず、十分な経過観察をしようとする姿勢がみられなかった。仮に患者の自由勝手な行動がなかったとしても、適切な診断や早急な開腹手術が実施された可能性はきわめて低い担当医はERCP検査の危険性などを十分に認識していたにもかかわらず、必ずしも慎重、冷静な心身の状態なくして胆管へのカニューレ挿入を10回も試み、老齢で薄い十二指腸壁をこすり、過進展させ、また、蠕動運動の亢進や嘔吐反射の反覆にもかかわらず検査を続行し、結果回避義務を違反して穿孔を生じさせた結果死亡した。ただし、医療に対する協力を怠り不注意な問題行動をとった点は患者側の過失であり、損害額の2割は過失相殺するのが相当である。原告側合計5億1,963万円の請求に対し、3億1,175万円の判決考察本件は医療過誤裁判史上、過去最高の賠償額ということで注目を集めたケースです(なお2審判決では1億4,000万円とかなり減額され、現在も最高裁で係争中です)。病院側は本件で生じた十二指腸の穿孔部位が、スコープなどの器具で発生することの多い「腹腔側穿孔」ではなく、交通事故などの鈍的外力の時によくみられる「後腹膜腔穿孔」であったことを強調し、スコープ操作が原因の十二指腸穿孔ではなく、「患者が検査後の医師の指示を守らず、自由勝手な行動をとって病院から離れた時に、きっと交通事故でも起こして腹部を打撲した結果十二指腸が穿孔したのだろう」と主張しました。しかし、患者さんは検査後に交通事故などでケガをしたとは申告していませんし、開腹手術時にも外傷所見は認められませんでしたので、未確認の鈍的外力が原因とするのは少々無理な主張ではないかと思います。それ以外にも病院側の対応にはさまざまな問題点があり、それらを総合して最終判断に至ったと思われます。たとえば、開腹手術後には「若い者がやったことだから大目にみてくれ」と上司から説明があったり、検査担当医も「穿孔を生じさせ申し訳ない」と謝意を述べていながら、訴訟へ発展した後になって「交通事故など鈍的外傷による穿孔である」とERCP検査による穿孔を真っ向から否定し始めました。また、腹痛発症当初は「急性膵炎」と診断してエフオーワイ®などの投与を行っていましたが、検査当日にアミラーゼ検査をまったく実施しなかったことや、2回目の帰院時には、ほかの関連病院へ入院させる途中で容態が悪化し、やむなく大学附属病院に入院処置をとった点も、「事態に対する重大な認識の欠如」という判断を加速させたようです。そもそも本件では本当に無理な内視鏡操作が行われていたのでしょうか。その点については担当医にしかわからないことだと思いますが、胆管へのカニューレ挿入がなかなかうまくいかず、試行錯誤しながらも10回挿管を試みたのは事実です。その間に十二指腸の蠕動運動が始まったり、強い嘔吐反射が反覆したことも確認されていますので、やはり腸管が穿孔してしまうほどの外力が加わったと認定されてもやむを得ないように思います。担当医らは「無理な操作はしていない」とくり返し主張しましたが、胆管へ10回も挿管を試みたということは多少意地になって検査を遂行したという側面もあるのではなかと推測されます。裁判記録によれば、担当医は消化器内科の若手医師でERCPを当時約200例以上こなしていましたので、この検査にかけてはベテランの域に達していたと思います。そして、検査がうまくなるにつれ、難しい病気を診断したり、同僚の医師がうまくいかないような検査をやり遂げることができれば、ある意味での満足感や達成感が得られることは、多くの先生方が経験されていると思います。しかし、いくら検査に習熟していたといっても、自らが行った医療行為によって患者さんが不幸な転帰をとるような事態は何としても避けなければなりませんので、検査中は常に細心の注意を払う必要があると思います。と同時に、たとえ検査の目的が達成されなくても、けっして意地を張らずに途中で検査を中止する勇気を持たなければならないと痛感しました。最近の統計(日本消化器内視鏡学会雑誌 Vol.42 308-313, 2000)によると、1993~1997年のERCP検査の偶発症は189,987件中190例(0.112%)であり、急性膵炎がもっとも多く、穿孔、急性胆道炎などがつづきます。そのうち死亡は12例(0.0063%)で、急性膵炎による死亡6名、穿孔による死亡3名という内訳です。このような統計的数字をみると、過去3回の大規模調査でも偶発症発生頻度はほとんど変化はないため、偶発症というのは(検査担当医にかかわらず)一定の確率で発生するものだという印象を受けます。しかし、昨今の社会情勢をみる限り、検査前までは健康であった患者さんに内視鏡偶発症が発生した場合、けっして医療側が無責ということにはならないと思います。このような場合、裁判所の判決に至るよりも和解、あるいは示談で解決する場合が多いのですが、本件のように当初は謝意を示していながら裁判となったとたんに前言を翻したりすると、交渉が相当こじれてしまうと思われますので、医療側としては終始一貫した態度で臨むことが重要であると思います。なお、ここ数年はMRIを用いた膵胆管造影(MRCP)の解像度がかなり向上したため、スクリーニングの目的ではまずMRCPを考えるべきであると思います。消化器

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病院側の指示に従わず狭心症発作で死亡した症例をめぐって、医師の責任が問われたケース

循環器最終判決平成16年10月25日 千葉地方裁判所 判決概要動悸と失神発作で発症した64歳女性。冠動脈造影検査で異型狭心症と診断され、入院中はニトログリセリン(商品名:ミリスロール)の持続点滴でコントロールし、退院後はアムロジピン(同:ノルバスク)、ニコランジル(同:シグマート)、ジルチアゼム(同:ヘルベッサー)、ニトログリセリン(同:ミリステープ、ミオコールスプレー)などを処方されていた。発症から5ヵ月後、再び動悸と気絶感が出現して、安静加療目的で入院となった。担当医師はミリスロール®の点滴を勧めたが、前回投与時に頭痛がみられたこと、点滴に伴う行動の制限や入院長期化につながることを嫌がる患者は、「またあの点滴ですか」と拒否的な態度を示した。仕方なくミリスロール®の点滴を見合わせていたが、患者が看護師の制止を聞かずトイレ歩行をしたところ、再び強い狭心症発作が出現し、さまざまな救命措置にもかかわらず約2時間後に死亡確認となった。詳細な経過患者情報64歳女性経過平成11(1999)年2月10日起床時に動悸が出現し、排尿後に意識を消失したため、当該総合病院を受診。胸部X線、心電図上は異常なし。3月17日~3月24日失神発作の精査目的で入院、異型狭心症と診断。3月24日~3月27日別病院に紹介入院となって冠動脈造影検査を受け、冠攣縮性狭心症と診断された。6月2日早朝、動悸とともに失神発作を起こし、当該病院に入院。ミリスロール®の持続点滴と、内服薬ノルバスク®1錠、シグマート®3錠にて症状は改善。6月9日失神や胸痛などの胸部症状は消失したため、ミリスロール®の点滴からミリステープ®2枚に変更。入院当初は頭痛を訴えていたが、ミリステープ®に変更してから頭痛は消失。6月22日状態は安定し退院。退院処方:ノルバスク®1錠、ミリステープ®2枚、チクロピジン(同:パナルジン)1錠、シグマート®3錠、ロキサチジン(同:アルタット)1カプセル。7月2日起床時に動悸が出現、ミオコールスプレー®により症状は改善。7月5日起床時に動悸が出現、ミオコールスプレー®により症状は改善。7月7日起床時立ち上がった途端に動悸、気絶感が出現したとの申告を受け、ノルバスク®を中止しヘルベッサー®を処方。7月12日05:30起床してトイレに行った際に動悸、気絶感が出現。トイレに腰掛けてミオコールスプレー®を使用した直後に数分間の意識消失がみられた。06:50救急車で搬送入院。安静度「ベッド上安静」、排泄「尿・便器」使用、酸素吸入(1分間当たり1L)、ミリステープ®2枚(朝、夕)、心電図モニター使用、胸痛時ミオコールスプレー®を2回まで使用と指示。09:30入室直後に尿意を訴えた。担当看護師は医師の指示通り尿器の使用を勧めたが、患者は尿器では出ないのでトイレに行くことに固執したため、看護師長を呼び、ベッドを個室トイレの側まで動かし、トイレで排尿させた。排尿後に呼吸苦がみられたので、酸素吸入を開始し、ミリステープ®を貼用したところ2~3分で落ちついてきた。担当看護師は定時のシグマート®、ヘルベッサー®を内服させ、今後は尿器を使用することを促した。担当医師も訪室して安静にすべきことを説明し、ミリスロール®の点滴を勧めたが、患者は「またあの点滴ですか」と拒否的な態度を示したため、やむを得ずミリスロール®の点滴をしないことにした。その後、胸部症状は消失。15:00見舞いにきた家族が「点滴していなかったんだね」といったところ、患者は「軽かったのかな」と答えたとのこと(病院側はその事実を確認していない)。18:30尿意がありトイレでの排尿を希望。担当看護師は尿器の使用を勧めたが、トイレへ行きたいと強く希望したため、看護師は医師に確認するといって病室を離れた(このとき担当医師とは連絡取れず)。18:43トイレで倒れている患者を看護師が発見。ただちにミオコールスプレー®を1回噴霧したが、「胸苦しい、苦しい」と状態は改善せず。18:50ミオコールスプレー®を再度噴霧したが状態は変わらず、四肢冷感、冷汗が認められ、駆けつけた医師の指示でニトログリセリン(同:ニトロペン)1錠を舌下するが、心拍数は60台に低下、血圧測定不能、意識低下、自発呼吸も消失した。19:00乳酸リンゲル液(同:ラクテック)にて血管確保、心拍数30~40台。19:10イソプレナリン(同:プロタノール)1A、アドレナリン(同:ボスミン)1Aを静注するとともに、心臓マッサージを開始し、心拍数はいったん60台へと回復。19:33気管内挿管に続き、心肺蘇生を続行するが効果なし。20:22死亡確認。死因は致死性の狭心症発作と診断した。死亡後、担当医師は「点滴(ミリスロール®)をすべきでした。しなかったのは当方のミスです」と述べたと患者側は主張するが、その真偽は不明。当事者の主張1. 担当医師が硝酸薬の点滴をしなかった点に過失があるか患者側(原告)の主張平成11年から発作が頻発し、入院に至るまでの経緯や入院時の症状から判断して、ミリスロール®など硝酸薬の点滴をすべきであった。これに対し担当医師は、患者に対してミリスロール®の点滴の必要性を伝えたが拒絶されたと主張するが、診療録などにはそのような記載はない。過去の入院では数日間にわたってミリスロール®の点滴治療を受け、その結果一応の回復を得て退院したため、担当医師からミリスロール®の必要性、投与しない場合の危険性などを十分聞いていれば、ミリスロール®点滴に同意したはずである。病院側(被告)の主張動悸、失神は狭心症発作の再発であり、入院安静が必要であること、2回目入院時に行ったミリスロール®の点滴が再度必要であることを説明したが、患者は「またあの点滴ですか」といい、行動が不自由になること、頭痛がすることなどを理由に点滴を拒絶したため、安静指示と内服薬などの投与によって様子をみることにした。つまり、ミリスロール®の点滴が必要であるにもかかわらず、患者の拒絶により点滴をすることができなかったのであり、診療録上も「希望によりミリスロール®点滴をしなかった」ことが明記されている。医師は、患者に対する治療につき最適と判断する内容を患者に示す義務はあるが、この義務は患者の自己決定権に優越するものではないし、患者の意向を無視して専断的な治療をすることは許されない。2. 硝酸薬点滴を行った場合の発作の回避可能性患者側(原告)の主張入院時にミリスロール®の点滴をしていれば発作を防げた可能性は大きく、死亡との間には濃厚な因果関係がある。さらに死亡後担当医師は、「点滴をすべきでした。しなかったのは当方のミスです」と述べ、ミリスロール®の点滴をしなかったことが死亡原因であることを認めていた。病院側(被告)の主張7月12日9:30、ミリステープ®を貼用し、シグマート®、ヘルベッサー®を内服し、午後には症状が消失して容態が安定していたため、ミリスロール®の点滴をしなかったことだけが発作の原因とはいえない。3. 患者が安静指示に違反したのか患者側(原告)の主張看護師や患者に対する担当医師の安静指示があいまいかつ不徹底であり、結果としてトイレでの排尿を許す状況とした。担当医師が「ベッド上安静」を指示したと主張するが、入院経過用紙によれば「ベッド上安静」が明確に指示されていない。当日午後2:00の段階では、「トイレは夕方までの様子で決めるとのこと」と看護師が記載しているが、夕方までに決められて伝えられた形跡はない。18:30にも「Drに安静度カクニンのためTELつながらず」との記載があり、看護師は夕方になってもトイレについて明確な指示を受けていない。病院側(被告)の主張入院時指示には、安静度は「ベッド上安静」、排泄は「尿・便器」と明記している。これはベッド上で仰臥(あおむけ)または側臥(横向き)でいなければならず、排泄もベッド上で尿・便器をあててしなければならないという意味であり、トイレでの排尿を許したことはない。「トイレは夕方までの様子で決めるとのこと」という記載の意味は、トイレについての指示がいまだ無かったのではなく、明日の夕方までの様子をみて、それ以降トイレに立って良いかどうかを決めるという意味である。当日9:30尿意を訴えたため、医師から指示を受けていた看護師は尿器の使用を勧めたが、看護師の説得にもかかわらず尿器では出ないと言い張り、トイレに行くと譲らなかったので、やむを得ず看護師長を呼び、二人がかりでベッドを個室内のトイレ脇まで運び、トイレで排尿させたという経緯がある。そして、今回倒れる直前、看護師は患者から「トイレに行きたい」といわれたが、尿器で排泄するように説得した。それでも患者はあくまでトイレに行きたいと言い張ったため、担当医師に確認してくるから待つようにと伝えナースステーションへ行ったものの、担当医師に電話がつながらず、すぐに病室に戻ると同室内のトイレで倒れていたのである。4. 発作に対する医師の処置は不適切であったか患者側(原告)の主張狭心症の発作時には、速効性硝酸薬の舌下を行うべきものとされてはいるが、硝酸薬を用いると血圧が低下するので、昇圧剤を投与して血圧を確保してから速効性硝酸薬などにより症状の改善を図るべきであった。被告医師は、ミオコールスプレー®を2回使用して、その副作用で血圧低下に伴う血流量の減少を招いたにもかかわらず、さらに昇圧剤を投与したり、血圧を確保することなくニトロペン®を舌下させた点に過失がある。その結果、狭心症の悪化・心停止を招来し、患者を死に至らしめた。病院側(被告)の主張異型狭心症においては、冠攣縮発作が長引くと心室細動や高度房室ブロックなどの致死性不整脈が出現しやすくなるので、発作時は速やかにニトログリセリンを服用させるべきである。ニトログリセリンの副作用として血圧の低下を招くことがあるが、狭心症発作が寛解すれば血圧が回復することになるから、まず第一にニトログリセリンを投与(合計0.9mg)したことに問題はなく、発作を寛解させるべくニトロペン®1錠を舌下させた判断にも誤りはない。本件においては、致死的な狭心症発作が起きていたのであり、脈拍低下、血圧測定不能、自発呼吸なしなどの重篤な状態に陥ったのは狭心症発作によるものであって、ニトロペン®1錠を舌下したことが心停止の原因となったのではない。裁判所の判断1. 担当医師が硝酸薬の点滴をしなかった点に過失があるか鑑定A患者は狭心症発作が頻発および増悪したために入院したものであり、不安定狭心症の治療を目的としている。狭心症予防薬としてカルシウム拮抗薬の内服と硝酸薬貼付がすでに施行されており、この状態で不安定化した狭心症の治療としては、硝酸薬あるいはこれと同様の効果が期待される薬剤の持続静注が必要と考える。また、過去の入院で硝酸薬の点滴静注が有効であったことから、硝酸薬は、本件患者に対し比較的安心して使用できる薬剤と思われる。さらに、心電図モニターならびに患者の状態を常時監視できる医療状況が望ましく、狭心症発作が安定するまでの期間は、冠動脈疾患管理病棟(CCU)あるいは集中治療室(ICU)での管理が適当と考えられ、本件患者の入院初期の治療としてミリスロール®などの硝酸薬点滴を行わなかったのは不適切であった。不安定狭心症患者は急性心筋梗塞に移行する可能性が高いため、この病態を患者に十分説明し、硝酸薬点滴を使用すべきであったと考える。以前も同薬剤の使用により、本件患者の狭心症発作をコントロールしており、軽度の副作用は認められたものの、比較的安全に使用した経緯がある。患者が硝酸薬点滴を好まないケースもあるが、病状の説明、とりわけ急性心筋梗塞に進展した場合のデメリットを説明した後に施行すべきものであると考えられ、仮に本件患者がミリスロール®などの点滴に拒否的であった場合でも、その必要性を十分説明して、本件患者の初期治療として、ミリスロール®などの硝酸薬あるいは同等の効果が期待できる薬剤の点滴を行うべきであった。鑑定B狭心症の場合、硝酸薬は重要な治療薬である。また、冠動脈攣縮性狭心症においては、カルシウム拮抗薬も重要な治療薬である。本症例ではミリステープ®とカルシウム拮抗薬が投与されており、ミリスロール®などの硝酸薬点滴を行わなかったことだけをもって不適切な治療と判断することは難しい。仮に本件患者がミリスロール®などの点滴に拒否的であった場合についても、ミリスロール®などの点滴を行わなければならない状態であったかどうかについては判断が難しい。また、基本的に患者の了承のもとに治療を行うわけであるから、了承を得られない限りはその治療を行うことはできないのであって、拒否する場合において点滴を強制的に行うことが妥当であるかどうかは疑問である。鑑定C本症例は、失神発作をくり返していることからハイリスク群に該当する。発作の回数が頻回である活動期の場合は、硝酸薬、カルシウム拮抗薬、ニコランジルなどの持続点滴を行うことが望ましいとされており、実際に前回の入院の際には発作が安定化するまで硝酸薬の持続点滴が行われている。本件では、十分な量の抗狭心症薬が投与されており、慢性期の発作予防の治療としては適切であったといえるが、ハイリスク群に対する活動期の治療としては、硝酸薬点滴を行わなかった点は不適切であったといえる。発作の活動期における治療の基本は、冠拡張薬の持続点滴であり、純粋医学的には本件の場合、必要性を十分に説明して行うべきであり、仮に本件患者がミリスロール®などの点滴に拒否的であった場合であっても、その必要性を十分説明して、ミリスロール®などの硝酸薬点滴を行うべき状態であったといえる。ただし、必要性を十分に説明したにもかかわらず、患者側が点滴を拒否したのであれば、医師側には非は認められないこととなるが、どの程度の必要性をもって説明したかが問題となろう。裁判所の見解不安定狭心症は急性心筋梗塞や突然死に移行しやすく、早期に確実な治療が必要である。本件では前回の入院時にミリスロール®の点滴を行って症状が軽快しているという治療実績があり、入院時の病状は前回よりけっして軽くないから、硝酸薬点滴を必要とする状態であったといえる。もっとも担当医師の立場では、治療方法に関する患者の自己決定権を最大限尊重すべきであるから、医師が治療行為に関する説明義務を尽くしたにもかかわらず、患者が当該治療を受けることを拒絶した場合には、当該治療行為をとらなかったことにつき、医師に過失があると認めることはできない。そうすると、本件入院時にミリスロール®など硝酸薬点滴をしなかったことについて、被告医師に過失がないといえるのは、硝酸薬点滴の必要性などについて十分な説明義務を果たしたにもかかわらず、患者が拒否した場合に限られる。担当医師が入院時にミリスロール®点滴を行わなかったのは、必要性を十分に説明したにもかかわらず、「またあの点滴ですか」と点滴を嫌がる態度を示し、ミリスロール®の副作用により頭痛がすること、点滴をすることによって行動の自由が制限されること、点滴をすることによって入院が長くなることの3点を嫌がって、点滴を拒絶したと供述する。そして、入院診療録の「退院時総括」には「本人の希望もあり、ミリスロール®DIV(点滴)せずに安静で様子をみていた」との記載があるので、担当医師はミリスロール®の点滴静注を提案したものの、患者はミリスロール®の点滴を希望しなかったことがわかる。ところが、医師や看護師が患者の状態などをその都度記録する「入院経過用紙」には、入院時におけるミリスロール®の点滴に関するやりとりの記載はなく、担当医師から行われたミリスロール®点滴の説明やそれに対する患者の態度について具体的な内容はわからない。それよりも、午後3:00頃見舞にきた家族が、「点滴していなかったんだね」といったことに対し、「軽かったのかな」と答えたという家族の証言から、患者は自分の病状についてやや楽観的な見方をしていたことがわかり、担当医師からミリスロール®点滴の必要性について十分な説明をされたものとは思われない。担当医師は患者の印象について、「医療に対する協力、その他治療に難渋した」、「潔癖な方です。頑固な方です」と述べているように、十分な意思の疎通が図れていなかった。そのため、入院時にミリスロール®の点滴に患者が拒否的な態度を示した場合に、担当医師があえて患者を説得して、ミリスロール®の点滴を勧めようとしなかったことは十分考えられる状況であった。そして、当時の患者が不安定狭心症のハイリスク群に該当し、硝酸薬点滴をしないと危険な状況にあることを医師から説明されていれば、点滴を拒絶する理由になるとは通常考え難いので、十分に説明したという担当医師の供述は信用できない。つまり、自己の病状についてきわめて関心を抱いていた患者であるので、医師から十分な説明を受けていれば、医師の提案する治療を受け入れていたであろうと推測される。したがって、担当医師は当時の病状ならびにミリスロール®点滴の必要性について十分に説明したとは認められず、説明義務が果たされていたとはいえない。2. 硝酸薬点滴を行った場合の発作の回避可能性鑑定A不安定狭心症の治療としてミリスロール®の効果は約80%と報告されている。不安定狭心症の病態によりその効果に差はあるが、硝酸薬などの薬剤が不安定狭心症を完全に安定化させるわけではない。また、急激な冠動脈血栓形成に対しては硝酸薬の効果は低いと考える。そうするとミリスロール®点滴を実施することで発作を回避できたとは限らないが、回避できる可能性は約70%と考える。鑑定B冠動脈攣縮性狭心症の場合、ミリスロール®などの硝酸薬の点滴が冠動脈の攣縮を軽減させる可能性がある。本件発作が冠動脈攣縮性狭心症発作であった可能性は十分考えられることではあるが、最終的な本件発作の原因がほかにあるとすれば、ミリスロール®点滴を行っても回避は難しい。したがって、回避可能性について判断することはできない。鑑定C一般論からすると、持続点滴の方が経口や経皮的投与よりも有効であることは論をまたないが、持続点滴そのものの有効性自体は100%ではないため、持続点滴をしていればどの程度発作が抑えられたかについては、判断しようがない。また、本件では十分な量の冠拡張薬が投与されていたにもかかわらず、結果的に重篤な狭心症発作が起こっており、発作の活動性がかなり高く発作自体が薬剤抵抗性であったと捉えることもでき、持続点滴をしていたとしても発作が起こった可能性も否定できない。以上のように、持続点滴によって発作が抑えられた可能性と持続点滴によっても発作が抑えられなかった可能性のどちらの可能性が高いかについては、仮定の多い話で答えようがない。裁判所の見解冠動脈攣縮性狭心症の発作に対してはミリスロール®の点滴が有効である点において、各鑑定は一致していることに加え、回避可能性をむしろ肯定していると評価できること、そもそも不作為の過失における回避可能性の判断にあたっては、100%回避が可能であったことの立証を要求するものではないのであって、前回入院時にミリスロール®の点滴治療が奏効していることも併せ考慮すると、今回もミリスロール®の点滴を行っていれば発作を回避できたと考えられる。3. 患者に対する安静指示について担当医師の指示した安静度は「ベッド上安静」、排泄は「尿・便器」使用であることは明らかであり、この点において被告医師に過失は認められない。4. 発作に対する処置について鑑定Aニトログリセリン舌下投与を低血圧時に行うと、さらに血圧が低下することが予想される。しかし、狭心症発作寛解のためのニトログリセリン舌下投与に際し、禁忌となるのは重篤な低血圧と心原性ショックであり、本件発作時はこれに該当しない。さらに本件発作時は、静脈ラインが確保されていないと思われ、点滴のための留置針を穿刺する必要がある。この処置により心筋虚血の時間が延長することになるため、即座にニトログリセリンを舌下させることは適切と考える。鑑定Bニトロペン®そのものの投与は血圧が低いことだけをもって禁忌とすることはできない。本件発作時の状況下でニトロペン®舌下に先立ち、昇圧剤の点滴投与を行うかどうかの判断は難しい。しかし、まず輸液ルートを確保し、酸素吸入の開始が望ましい処置といえ、必ずしも適切とはいえない部分がある。鑑定C冠攣縮性狭心症の発作時の処置としては、血圧の程度いかんにかかわらず、まずは攣縮により閉塞した冠動脈を拡張させることが重要であるため、ニトロペン®をまず投与したこと自体は問題がない。しかしながら、昇圧剤の投与時期、呼吸循環状態の維持、ボスミン®投与の方法に問題があり、急変後の処置全般について注意義務違反が認められる。裁判所の見解ニトログリセリンの舌下については、各鑑定の結果からみて問題はない。なお、鑑定の結果によれば、発作の誘因は発作の直前のトイレ歩行ないし排尿である。担当医師からベッド上安静、尿便器使用の指示がなされ、担当看護師からも尿器の使用を勧められたにもかかわらずトイレでの排尿を希望し、さらに看護師から医師に確認するので待っているように指示されたにもかかわらず、その指示に反して無断でベッドから降りて、トイレでの排尿を敢行したものであり、さらに拒否的な態度が被告医師の治療方法の選択を誤らせた面がないとはいえないことを考慮すると、患者自身の責任割合は5割と考えられる。原告(患者)側合計5,532万円の請求に対し、2,204万円の判決考察拒否的な態度の患者についていくら説明しても医師のアドバイスに従わない患者さん、病院内の規則を無視して身勝手に振る舞う患者さん、さらに、まるで自分が主治医になったかのごとく「あの薬はだめだ、この薬がよい」などと要求する患者さんなどは、普段の臨床でも少なからず遭遇することがあります。本件もまさにそのような症例だと思います。冠動脈造影などから異型狭心症と診断され、投薬治療を行っていましたが、再び動悸や失神発作に襲われて入院治療が開始されました。前回入院時には、内服薬や貼布剤、噴霧剤などに加えてミリスロール®の持続点滴により症状改善がみられていたので、今回もミリスロール®の点滴を開始しようと提案しました。ところが患者からは、「またあの点滴ですか」「あの薬を使うと頭痛がする」「点滴につながれると行動が制限される」「点滴が始まると入院が長くなる」というクレームがきて、点滴は嫌だと言い出しました。このような場合、どのような治療方針とするのが適切でしょうか。多くの医師は、「そこまでいうのなら、点滴はしないで様子を見ましょう」と判断すると思います。たとえミリスロール®の点滴を行わなくても、それ以外のカルシウム拮抗薬や硝酸薬によってもある程度の効果は期待できると思われるからです。それでもなおミリスロール®の点滴を強行して、ひどい頭痛に悩まされたような場合には、首尾よく狭心症の発作が沈静化しても別な意味でのクレームに発展しかねません。そして、ミリスロール®の点滴なしでいったんは症状が改善したのですから、病院側の主張通り適切な治療方針であったと思います。そして、再度の発作を予防するために、患者にはベッド上の安静(トイレもベッド上)を命じましたが、「どうしてもトイレに行きたい」と患者は譲らず、勝手に離床して、致命的な発作へとつながってしまいました。このような症例を「医療ミス」と判断し、病院側へ2,200万円にも上る賠償金の支払いを命じる裁判官の考え方には、臨床医として到底納得することができません。もし、大事なミリスロール®の点滴を医師の方が失念していたとか、看護師へ安静の指示を出すのを忘れて患者が歩行してしまったということであれば、医師の過失は免れないと思います。ところが、患者の異型狭心症をコントロールしようとさまざまな治療方針を考えて、適切な指示を出したにもかかわらず、患者は拒否しました。「もっと詳しく説明していればミリスロール®の点滴を拒否するはずはなかったであろう」というような判断は、結果を知ったあとのあまりにも一方的な考え方ではないでしょうか。患者の言い分、医師の言い分極論するならば、このような拒否的態度を示す患者の同意を求めるためには、「あなたはミリスロール®の点滴を嫌がりますが、もしミリスロール®の点滴をしないと命に関わるかもしれませんよ、それでもいいのですか」とまで説明しなければなりません。そして、理屈からいうと「命に関わることになってもいいから、ミリスロール®の点滴はしないでくれ」と患者が考えない限り、医師の責任は免れないことになります。しかし、このような説明はとても非現実的であり、患者を脅しながら治療に誘導することになりかねません。本件でもミリスロール®の点滴を強行していれば、確かに狭心症の発作が出現せず無事退院できたかもしれませんが、患者側に残る感情は、「医師に脅かされてひどい頭痛のする点滴を打たれたうえに、病室で身動きができない状態を長く強要された」という思いでしょう。そして、鑑定書でも示されたように、本件はたとえミリスロール®を点滴しても本当に助かったかどうかは不明としかいえず、死亡という最悪の結果の原因は「異型狭心症」という病気にあることは間違いありません。ところが裁判官の立場は、明らかに患者性善説、医師性悪説に傾いていると思われます。なぜなら、「退院時総括」の記述「本人の希望もあり、ミリスロール®DIV(点滴)せずに安静で様子をみていた」というきわめて重大な記述を無視していることその理由として、「入院経過用紙」には入院時におけるミリスロール®の点滴に関するやりとりの記載がないことを挙げている裁判になってから提出された家族からの申告:当日午後3:00頃見舞にきた家族が、「点滴していなかったんだね」といったことに対し、「軽かったのかな」と患者が答えたという陳述書を全面的に採用し、患者側には病態の重大性、ミリスロール®の必要性が伝わっていなかったと断定つまり、診療録にはっきりと記載された「患者の希望でミリスロール®を点滴しなかった」という事実をことさら軽視し、紛争になってから提出された患者側のいい分(本当にこのような会話があったのかは確かめられない)を全面的に信頼して、医師の説明がまずかったから患者が点滴を拒否したと言わんばかりに、医師の説明義務違反と結論づけました。さらにもう一つの問題は、本件で百歩譲って医師の説明義務違反を認めるとしても、十分な説明によって死亡が避けられたかどうかは「判断できない」という鑑定書がありながら、それをも裁判官は無視しているという点です。従来までは、説明が足りず不幸な結果になった症例には、300万円程度の賠償金を認めることが多いのですが、本件では(患者側の責任は5割としながらも)説明義務違反=死亡に直結、と判断し、総額2,200万円にも及ぶ高額な判決金額となりました。本症例からの教訓これまで述べてきたように、今回の裁判例はとうてい医療ミスとはいえない症例であるにもかかわらず、患者側の立場に偏り過ぎた裁判官が無理なこじつけを行って、死亡した責任を病院に押し付けたようなものだと思います。ぜひとも上級審では常識的な司法の判断を期待したいところですが、その一方で、医師側にも教訓となることがいくつか含まれていると思います。まず第一に、医師や看護師のアドバイスを聞き入れない患者の場合には、さまざまな意味でトラブルに発展する可能性があるので、できるだけ詳しく患者の言動を診療録に記載することが重要です(本件のような最低限の記載では裁判官が取り上げないこともあります)。具体的には、患者の理解力にもよりますが、医師側が提案した治療計画を拒否する患者には、代替可能な選択肢とそのデメリットを提示したうえで、はっきりと診療録に記載することです。本件でも、患者がミリスロール®の点滴を拒否したところで、(退院時総括ではなく)その日の診療録にそのことを記載しておけば、(今回のような不可解な裁判官にあたったとしても)医療ミスと判断する余地がなくなります。第二に、その真偽はともかく、死亡後に担当医師から、「(ミリスロール®)点滴をすべきでした。しなかったのは当方のミスです」という発言があったと患者側が主張した点です。前述したように、診療録に残されていない会話内容として、裁判官は患者側の言い分をそのまま採用することはあっても、記録に残っていない医師側の言い分はよほどのことがない限り取り上げないため、とくに本件のように急死に至った症例では、「○○○をしておけばよかった」という趣旨の発言はするべきではないと思います。おそらく非常にまじめな担当医師で、自らが関わった患者の死亡に際し、前向きな考え方から「こうしておけばよかったのに」という思いが自然に出てしまったのでしょう。ところが、これを聞いた患者側は、「そうとわかっているのなら、なぜミリスロール®を点滴しなかったのか」となり、いくら「実は患者さんに聞いてもらえなかったのです」と弁解しても、「そんなはずはない」となってしまいます。そして、第三に、担当医師の供述に対する裁判官への心証は、かなり重要な意味を持ちます。判決文には、「担当医師は当公判廷において、患者が『またあの点滴ですか』といったことは強烈に覚えている旨供述するものの、患者に対しミリスロール®点滴の必要性についてどのように説明を行ったかについては、必ずしも判然としない供述をしている」と記載されました。つまり、患者に行った説明内容についてあやふやな印象を与える証言をしてしまったために、そもそもきちんとした説明をしなかったのだろう、と裁判官が思い込んでしまったということです。医事紛争へ発展するような症例は、医療事故発生から数年が経過していますので、事故当時患者に口頭で説明した内容まで細かく覚えていることは少ないと思います。そして、がんの告知や手術術式の説明のように、ある一定の緊張感のもとに行われ承諾書という書面に残るようなインフォームドコンセントに対し、本件のように(おそらく)ベッドサイドで簡単にすませる治療説明の場合には、曖昧な記憶になることもあるでしょう。しかし、ある程度の経験を積めば自ずと説明内容も均一化してくるものと思いますので、紛争へと発展した場合には十分な注意を払いながら、明確な意思に基づく主張を心がけるべきではないかと思います。循環器

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明日の記憶【アルツハイマー型認知症】[改訂版]

「おれがおれじゃなくなっても平気か?」みなさんにとって、認知症の人にかかわるのは、大変なことでしょうか?それでは、認知症になった人自身はどんな気持ちなのでしょうか?私たちは、認知症ではないので、正直なところ、実体験はありません。ただ、想像を膨らませることはできます。そのために、今回、映画「明日の記憶」を取り上げます。主人公は、忘れていくことや分からなくなっていく中で、妻に訊ねます。「おれがおれじゃなくなっても平気か?」と。この映画は、認知症になり自分が自分でなくなってしまう恐怖と受容が、主人公の目線で描かれています。そんな主人公や彼を支える妻の生き様に、私たちは強く共感し、考えさせられます。それでは、認知症が進んでいく主人公の目から見た世界を追いながら、認知症について学んでいきたいと思います。前駆期―認知症の一歩手前主人公の佐伯は、49歳の広告会社のサラリーマン。働き盛りの中年というどこにでもいそうな男性で、そして舞台はどこにでもありそうな会社と家庭です。男として仕事に油が乗ってきているさなか、身の回りで今まで決してなかったことが次々と彼の身に降りかかります。まず、会社でのシーン。「え~名前、何て言ったかな・・・」「丸メガネで、髭生やした、ほら」と、別部署の親しい知人の名前が思い出せません(語健忘)。私たちも、人の名前を度忘れすることがありますが、それはあくまであまり親しくない人が相手の場合であり、親しい人の名前が思い出せないことはあまりありません。また、佐伯は広告会社の営業部長であるにもかかわらず、有名な外国人俳優の名前が出てこなくなります。部下から「(おっしゃりたいのは)ディカプリオ?」と聞かれて、「『デカ』プリオ」と言い間違え(錯語)、周りからからかわれてしまいました。さらに、佐伯は、会社の得意先との仕事の打ち合わせをすっぽかしてしまいます。しかもその約束をしたことすら覚えていない事態が起こったのです。こんなことは今までになく、「年のせいか」「50を迎えるというのはこういうことなのか」と考え、焦りと諦めが入り混じります(病識)。このように、年齢と比べて記憶力が極端に落ちてきている(記憶力低下)、自覚がある(病識)、その他の精神活動(認知機能)や日常生活動作(ADL)に問題がない状態(軽度認知機能障害<MCI>)は、認知症の一歩手前(前駆期)と呼ばれています。初期症状―認知症のなりかけ佐伯は、車のキーを置き忘れたり、通り慣れている高速道路の出口を見過ごしてしまうなど、ぼうっとすることが目立つようになります(抑うつ)。また、頭痛、めまい、だるさなどの体の不調もあり、いら立っています(不安焦燥)。これは、認知症のなりかけの特徴です(初期症状)。もちろん、過労や飲酒の影響もありそうです。また、うつ病と誤診されることもよくあります。そんな彼の異変を身近で見ていた妻は、さらに気付きます。彼は、毎回、シェービングクリームを買ったことを覚えておらず(健忘、記憶障害)、洗面所にいくつも貯め込んでいたのです。そして、心配した妻に連れられ病院に行きます。佐伯はサラリーマンとしてのプライドがあるだけに、診察した医者の前で何の問題もないように振る舞ってしまいます。しかし、認知症のスクリーニング検査(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)で、ついさっき聞いたことや見たことを思い出せないことが判明します(即時記憶障害)。この検査は30点満点で20点未満であれば認知症が疑われますが、主人公は19点でした(表1)。表1 主人公・佐伯の長谷川式の結果質問内容評価項目配点(1)お歳はおいくつですか?(※2歳以内までの誤差は正解)(2)今日は何年何月何日ですか?何曜日ですか?(3)ここはどこですか?家?、病院?、施設?の問いに正解したら1点。 時間見当識場所見当識1/14/42/2(4)次の言葉を言ってください。後でまた聞きますのでよく覚えておいてください。AかBのどちらかとする。A. (a)桜(b)電車(c)猫 / B. (a)梅(b)犬(c)自動車   言語性記銘   3/3(5)100から7を引いてください(100-7=?)。そこから7を引くと? (※最初の問題が不正解→打ち切り) 計算1/11/1(6)これから言う数字を後ろから(逆に)言ってください。2-7-4 ? 8-3-5-9 ? (※最初の問題が不正解→打ち切り)逆唱注意/集中1/11/1(7)先ほどの3つ言葉を言ってください。次のヒントで正解した場合はそれぞれ1点とする。(a)植物(b)乗り物(c)動物  遅延再生1/21/21/2(8)これから5つの品物を見せます。それを隠しますので何があったか言ってください。例、ハンカチ、コイン、腕時計、ペン、名刺  視覚性記銘  2/5(9)野菜の名前をできるだけ多く言ってください。5つ以下→0点、 6つ→1点、7つ→2点、8つ→3点、9つ→4点、10つ→5点  流暢性  0/5合計点19/30悪い知らせ(告知)の伝え方―間(ま)と共感その後、精密検査が進められます。頭の中の画像写真(MRI)で記憶を司る海馬を中心とした全体的な脳の縮み(全般性脳萎縮)が見られます。さらに、脳血流の検査(SPECT)では、脳のある部分(後部帯状回)が著しく血の巡りが悪くなっていることが確認できました。日常生活上の問題(臨床症状)、スクリーニング検査、精密検査を総合的に判断の上、アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)と診断されます。主治医は、「アルツハイマー病で間違いありません」と、裁判官が審判を下すように、険しい表情ではっきりと言います(審判的態度)。そして、矢継ぎ早に今後の方針を早口でまくしたてています。一般的に、患者は、悪い知らせ(告知)を聞いた時、2つのパターンの反応をします。ショックの余りに呆然として人ごとのようにして話を聞いていないパターンと(否認)、「どうしておれが!?」と込み上げた怒りで主治医に八つ当たりするパターンです(怒り)。この主治医の態度は佐伯の怒りを逆なでしているのが生々しく描かれています。佐伯は、主治医に「おまえいくつなんだ?」「医者になって何年になる?」「慣れちゃったんだよな」と絡んでいきます。主治医は、律儀に質問に答え、すかさず「セカンドオピニオンを勧めるのは・・・」と話を続けます。もしかしたら、主治医は緊張していたのかもしれません。その後、佐伯は、「病気のことは分かっても、それを言われる奴の気持ちのことなんて考えたことないだろ!」と吐き捨てます。この告知のシーンから学ぶことができるのは、まずは告知された時の患者の気持ちを受け止めることの大切さです(受容)。そのために、必要なことは、2つです。1つは、間(ま)を置くことです。「とても大切な話があります」「大変残念なのですが」と前置きをして相手に心の準備をさせたり、理解が進んでいるかを相手の表情を見ながら確認することです。もう1つは、共感することです。険しい表情をするのではなく、やや申し訳なさそうな表情をして、相手の心に寄り添うことです。受容と家族の支えアルツハイマー病と告知された後も、佐伯はその現実を受け止められず、あまりのショックで取り乱し、思わず屋上に上がりフェンスを越えて、衝動的に飛び降り自殺しようとします。なぜなら、会社で大きな仕事を任された大事な時期であり、そのギャップに耐えられなかったからです。一般的に、認知症の発病年齢は、70代です。つまり、自分の子どもが巣立ち退職年齢を過ぎてしばらく経ってからというタイミングです。佐伯のように65歳未満で発症した場合(若年性)は、単に年齢が若いというだけでなく、体力的には健康であり、仕事をし、家族の中でまだまだ中心的な役割を担っており、本人にとってまだやり残したことが多すぎるのです。やれると思っていたことが、少しずつやれなくなっていく恐怖や苦しみから絶望的になるのです。追いかけてきた主治医が佐伯に言い諭します。「死ぬということは、人の宿命です」「でもだからと言って何もできないわけではありません」「僕にはできることがある」「自分にできることをしたい」と。それは、同時に佐伯にも当てはまるメッセージでもありました。まさに「できること」が刻々と限られていく佐伯にとって、その瞬間、その瞬間を精一杯生きることが自分らしさであることに気付かせてくれます。「もし今までの自分が消えてしまうのなら、何かを残したい」と。若年性での発病ならではの発想です。生きた証が欲しいのです。佐伯は妻に問いかけます。「ゆっくり死ぬんだよ」「おれがおれじゃなくなっても平気か?」と。妻は「私だって恐い」「家族だもの」「私がずうっとそばにいます」と言い、寄り添います。夫婦など家族の支えの頼もしさを感じます。病気に対して一丸となって向き合うことで、夫婦の愛と絆を確認し合い、夫婦の結束が生まれ、主人公は勇気付けられます。中核症状―中核となる症状(表2)認知症には、まず、中核となる症状(中核症状)があります。これには、主に5つのポイントがあります。佐伯の症状を例にとって、見ていきましょう。1つ目は、もの忘れ(健忘、記憶障害)です。会社のロビーを歩いていた彼は急に立ち止まり、自分が何をしているのか見当がつかなくなります。そして、ポケットの中に入っていた「10月29日(金)退社」のメモで我に返るシーンがあります。今がいつでここがどこなのかという時間や場所の見当がつかなくなってきます(見当識障害)。進行すると、ある出来事の一部分ではなく、丸ごと忘れてしまいます(記憶の抜け落ち)。忘れている自覚(病識)がなく、つまり「忘れていることを忘れている」状態に陥っています。「忘れたことを覚えている」という度忘れやうっかり忘れ(不注意)ではないのです。そして、忘れる内容は、最近の出来事から(近時記憶障害)、徐々に昔へと遡っていくのです(遠隔記憶障害)。2つ目は、言葉がちゃんと出なくなり、うまく話せなくなることです(失語)。主人公は会話の中で、たびたび人やものの名前が出てこなくなり、指示も「あれ」「それ」などの代名詞が多くなっていきます(語健忘)。また、前述の「『デカ』プリオ(ディカプリオ)」に加えて、ラストシーンで登場する陶芸の師匠が発した「『パラ』ライス(パラダイス)」などの言い間違え(錯語)も当てはまります。症状が進めば、やがて無言になっていきます。3つ目は、体の動かし方が分からなくなることです(失行)。彼は、携帯ストラップの先のヒモを携帯電話の本体のヒモ穴に入れられず、不器用になっています(運動失行)。また、歯磨きの仕方が分からなくなり(観念失行)、妻の歯磨きのマネをしています。症状が進めば、やがて、動くことをやめて、寝たきりになります(無動)。4つ目は、人やものごとの認識ができなくなることです(失認)。前半のシーンで、彼が部下と行った食堂で、見慣れた部下たちの顔が一時的に分からなくなっています(相貌失認)。また、通勤で使う駅付近の見慣れた街並みに違和感を抱いて、迷子になります(街並み失認)。ちょうど私たちにとって外国人の顔や外国の街並み、外国語の文字の区別がしづらいように、全てが見慣れない顔や景色として目に映ってしまうのです。症状が進めば、顔、街並み、色彩、文字などのあらゆる違いが分からなくなっていき、人やものごとが全て同じように見えていきます。5つ目は、計画を立ててやり遂げられなくなること(実行機能障害)です。彼は、電車に乗って遠出するなどの計画を立てることが自分だけでは困難になっていました。表2 主人公・佐伯の認知症の経過軽度認知機能障害認知症前駆期初期中期後期年齢49歳~51歳~55歳~病識ありなし中核症状記憶力低下記憶障害(即時記憶→近時記憶→遠隔記憶)失語(語健忘、錯誤)失行(運動失行、観念失行)失認(相貌失認、街並み失認)実行機能障害無言寝たきり(無動)周辺症状なし抑うつ不安焦燥錯覚、幻覚、せん妄、徘徊、妄想、感情失禁、攻撃性、パーソナリティ変化ADL自立部分介助全介助周辺症状―中核症状から広がっていく症状(表2)もう1つの認知症の症状は、中核症状から広がっていく症状です(周辺症状)。これは、認知症が進むことにより、脳の働きが弱まるので、全ての精神症状が起こり得ます。佐伯の症状を例にとって、見ていきましょう。佐伯は、会社の会議でプレゼンをしている、ある部下の顔が白黒で見慣れない顔に歪んで見えてしまい(錯視、錯覚)、戸惑っています。また、会社内を歩いていると、急に、見えている世界が歪んでいきます。これは、脳の働きが弱まっていることで、意識(意識の量)が落ちていき、見ている世界が暗く、曇って、もやもや濁ってしまいやすくなる状態です(意識レベルの低下)。さらに、会社の人たちが全員自分を見て何やらヒソヒソ話しているように見えたり(錯覚)、いるはずのない妻や娘の婚約者が何人も出てきたり、高校生の娘や小学生の娘が現れて話しかけられたり、自分自身が現れ、話しかけられたりします(幻覚)。これは、意識レベルの低下から、意識(意識の質)が揺らいでまどろみ、寝ぼけたように白昼夢を見ているような状態です(せん妄)。主人公の目線で描かれているため、その時の恐怖感が生々しいです。★意識(意識の量)がさらに落ちていけば、意識を失うので、せん妄はなくなります。中期の症状佐伯は、認知症が発病して2年が経った51歳の頃から、さらに様々な症状が出てきます(中期の症状)。ネクタイを締めて「今日、会議あるから」と会社に行こうとして、近所をうろうろするようになります(徘徊)。その後、生活費のために妻が働き出しますが、彼は「お前、誰と会ってるんだ?外で」「誰かいい奴、いるんだろ」と妻に迫ります。これは嫉妬の思い込みです(嫉妬妄想)。そして、「こんな男でゴメンな」と泣きじゃくります(感情失禁)。やがて、彼は、表情も乏しくなり、目つきも変わっていきます。そして、妻の前でぼやきます。「邪魔だったら言ってくれよ」「なあ、オレ、生きてるだけで迷惑なんだろ」「オレの病気が嫌だったら出てけよ」と。それに妻がつい感情的に言い返すと、気が付いた時には、彼は角皿で妻の頭を殴り、流血させてしまっていたのでした(攻撃性)。このように、病状が進むにつれて、人格(パーソナリティ)そのものが変わってしまうのです(パーソナリティ変化)。治療―かかわり方のコツ佐伯は、進行を遅らせる抗認知症薬の内服を始めました(薬物療法)。また、日記をつけたり手先を使う陶芸をしたりするなどして、脳への刺激を高めています(認知症リハビリテーション)。妻が感情的に巻き込まれてしまったために、彼が暴力を振るってしまうシーンでは、彼と妻は家では2人きりで、感情的に巻き込まれるリスクがあることが分かります。このように、感情的に接すること、抱え込むことは、本人の感情を煽って病状を悪くさせるだけでなく、家族を心理的に追い込むことにもなることということがよく分かります。その直後に、妻は彼と自分自身に「あなたのせいじゃない」「あなたの病気がやったことなの」と冷静に言い聞かせようとします(客観化)。逆に言えば、かかわる家族が客観的になれるかで、本人の病状を落ち着かせられるかが変わってきます。本人ができるという自尊心が守られ、自分の居場所があると実感することで、暴力などの周辺病状が落ち着くのです。本人が戸惑わないように、家の至るところに張り紙をして、指示を分かりやすくすることも効果があります。「おれがおれじゃなく」なった瞬間佐伯は、かつて妻にプロポーズした思い出の陶芸の窯の場所に、昔の妻の幻覚に導かれながら彷徨い着きます。昔に過ごした場所は覚えており、思い出の場所まで辿りつくことができるのでした。そこには、若かりし頃の自分や妻の幻覚がいます。そこで再会を果たした陶芸の窯主の師匠も認知症を患っており、佐伯よりも認知症の症状が進んでいました。しかし、山小屋での独り暮らしを続け、陶芸のやり方は覚えています。そして、佐伯は師匠の指導を受け、野焼きで陶器を完成させます。熱せられて醸成された器は、あたかも血流の低下により縮んでしまった主人公の脳に重なり、施設での彼の寝たきりのシーンでは、その器には妻により温かいお茶が注がれているのが象徴的でした。師匠は力強く言い放ちます。「わしはボケてなんかおらんぞ」「そんなことはおれが決める!」「生きてりゃいいんだよ」と。そして、焚き火で焼いた玉ねぎを主人公に振る舞います。主人公が焼けた玉ねぎを丸ごと食べる様子は、自然に帰り素朴に生きる力強さや喜びに溢れています。それは、主人公がかつて勤めていた会社が求めていたようなスピード、効率、生産性が求められる世界とは真反対です。現代の情報化社会で求められている価値観に警鐘を鳴らしているようです。まるで、老いることへの現代の価値観が認知症の患者を作り上げ、彼らを追いやっているような感覚にさえ囚われてしまいます。そして、ついに捜索にやってきた妻を目の前にして、もはや妻が妻であると分からず、25年間連れ添った妻に対して自己紹介します。その姿は、妻にとってまさに彼が「おれがおれじゃなく」なった瞬間でした。さらに認知症が進んだことを物語っています。悲しくもありますが、同時にまた彼が妻を立ち止まって待っている様子からすると、それは、彼の心の中では妻との思い出が丸ごとなくなり、ちょうど妻に出会う若い頃に若返り、また一から好きになり始めているということをほのめかしているようです。経過―赤ちゃん返りこの映画では、月日が経つにつれて、佐伯が、精神的に少しずつ赤ちゃんに帰っていく様子が描かれています(赤ちゃん返り)。孫娘には、すでに遊びの主導権を握られています。庭に植えられた木を見つめているシーンは、まるで彼が植物に変わりゆくのを悟っているようにも見えます。日差しが心地良く、雨が嬉しいようです。アルツハイマー型認知症の原因ははっきりとは分かっていませんが、脳細胞の変性と言われ、一度発病すると脳細胞がどんどん死んでいき、それに従って脳は縮んでいきます。進行には個人差がありますが、生存年数はだいたい5年~10年です。彼の場合は、発病から6年で、55歳にして、ほぼ寝たきりになっていました(後期の症状)。傍らに、孫娘の成長の写真が飾られていますが、孫の成長と彼の病気の進行は、絶妙なコントラストになっています。写真に映る6歳の孫がピアノ発表会で生き生きとしているのに対して、安らかな表情でほとんど動かない彼はもはや眠り続ける赤ちゃんです。もう認知症が進むことに苦悩することもありません。「明日の記憶」というタイトルは逆説的です。私たちも主人公の立場に立ち、いろいろなことを忘れて行き、自分が忘れて行くという運命を受け止めた時に、最後に忘れてはならないものを考えさせられます。記憶とは、自分だけのものではありません。それは、自分と相手とを結び付け、さらには、分かち合い信頼し合うことを通して、自分が相手の中で生き続けるものでもあります。そして、その記憶こそが、「明日の記憶」であると言えるのではないでしょうか?1)「明日の記憶」(光文社文庫) 萩原浩 20072)「標準精神医学」(医学書院) 野村総一郎 2010

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基準通り抗がん剤を投与したにもかかわらず副作用で急死した肺がんのケース

癌・腫瘍最終判決判例時報 1734号71-82頁概要息切れを主訴としてがん専門病院を受診し、肺がんと診断された66歳男性。精査の結果、右上葉原発の腺がんで、右胸水貯留、肺内多発転移があり、胸腔ドレナージ、胸膜癒着術を行ったのち、シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用化学療法が予定された。もともと軽度腎機能障害がみられていたが、初回シスプラチン、塩酸イリノテカン2剤投与後徐々に腎機能障害が悪化した。予定通り初回投与から1週間後に塩酸イリノテカンの単独投与が行われたが、その直後から腎機能の悪化が加速し、重度の骨髄抑制作用、敗血症へといたり、化学療法開始後2週間で死亡した。詳細な経過患者情報12年前から肥大型心筋症、痛風と診断され通院治療を行っていた66歳男性経過1994年3月中旬息切れが出現。3月28日胸部X線写真で胸水を確認。細胞診でclass V。4月11日精査治療目的で県立ガンセンターへ紹介。外来で諸検査を施行し、右上葉原発の肺がんで、右下肺野に肺内多発転移があり、がん性胸膜炎を合併していると診断。5月11日入院し胸腔ドレナージ施行、胸水1,500mL排出。胸膜癒着の目的で、溶連菌抽出物(商品名:ピシバニール)およびシスプラチン(同:アイエーコール)50mgを胸腔内に注入。5月17日胸腔ドレナージ抜去。胸部CTで胸膜の癒着を確認したうえで、化学療法を施行することについて説明。シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用療法を予定した(シスプラチン80mg/m2、塩酸イリノテカン60mg/m2を第1日、その後塩酸イリノテカン60mg/m2を第8日、第15日単独投与を1クールとして、2クール以上くり返す「パイロット併用臨床試験」に準じたレジメン)。医師:抗がん剤は2種類で行い、その内の一つは新薬として承認されたばかりでようやく使えるようになったものです。副作用として、吐き気、嘔吐、食欲低下、便秘、下痢などが生じる可能性があります。そのため制吐薬を投与して嘔吐を予防し、腎機能障害を予防するため点滴量を多くして尿量を多くする必要があります。白血球減少などの骨髄障害を生じる可能性があり、その場合には白血球増殖因子を投与します患者:新薬を使うといわれたが、具体的な薬品名、吐き気以外の副作用の内容、副作用により死亡する可能性などは一切聞いていない5月23日BUN 26.9、Cre 1.31、Ccr 40.63mL/min。5月25日シスプラチン80mg/m2、塩酸イリノテカン60mg/m2投与。5月27日BUN 42.2、Cre 1.98、WBC 9,100、シスプラチンによる腎機能障害と判断し、輸液と利尿薬を継続。6月1日BUN 74.1、Cre 2.68、WBC 7,900。主治医は不在であったが予定通り塩酸イリノテカン60mg/m2投与。医師:パイロット併用臨床試験に準じたレジメンでは、スキップ基準(塩酸イリノテカンを投与しない基準)として、「WBC 3,000未満、血小板10万未満、下痢」とあり、腎機能障害は含まれていなかったので、予定通り塩酸イリノテカンを投与した。/li>患者:上腹部不快感、嘔吐、吃逆、朝食も昼食もとれず、笑顔はみせるも活気のない状態なのに抗がん剤をうたれた。しかもこの日、主治医は学会に出席するため出張中であり、部下の医師に申し送りもなかった。6月3日BUN 67.5、Cre 2.55、WBC 7,500、吐き気、泥状便、食欲不振、血尿、胃痛が持続。6月6日BUN 96.3、Cre 4.04、WBC 6,000、意識レベルの低下および血圧低下がみられ、昇圧剤、白血球増殖因子、抗菌薬などを投与したが、敗血症となり病態は進行性に悪化。6月8日懸命の蘇生措置にもかかわらず死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用投与当時は副作用について十分な知識がなく、しかも抗がん剤使用前から腎機能障害がみられていたので、腎毒性をもつシスプラチンとの併用療法はするべきではなかった2.塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン再投与前は、食欲がなく吐き気が続き、しかも腎機能が著しく低下していたので、漫然と再投与を行ったのは過失である。しかも、学会に出席していて患者の顔もみずに再投与したのは、危険な薬剤の無診察投与である2.インフォームドコンセント塩酸イリノテカン投与に際し、単に「新しい薬がでたから」と述べただけで、具体的な薬の名前、併用する薬剤、副作用、死亡する可能性などについては一切説明なく不十分であった。仮にカルテに記載されたような説明がなされたとしても、カルテには承諾を得た旨の記載はない病院側(被告)の主張1.シスプラチンと塩酸イリノテカンの併用投与シスプラチン、塩酸イリノテカンはともに厚生大臣(当時)から認可された薬剤であり、両者の併用療法は各臨床試験を経て有用性が確認されたものである。抗がん剤開始時点において、腎機能は1/3程度に低下していたが、これは予備能力の低下に過ぎず、併用投与の禁忌患者とされる「重篤な腎障害」とはいえない2.塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン研究会の臨床試験実施計画書によれば、2回目投与予定日に「投与しない基準」として白血球数の低下、血小板数の低下、下痢などが記載されているが、本件はいずれにも該当しないので、腎機能との関係で再投与を中止すべき根拠はない。なお当日は学会に出席していたが、同僚の呼吸器内科医師に十分な引き継ぎをしている2.インフォームドコンセント医師は患者や家族に対して、詳しい説明を行っても、特段の事情がない限りその要旨だけをカルテに記載し、また、患者から承諾を得てもその旨を記載しないのが普通である裁判所の判断1. 腎機能悪化の予見可能性抗がん剤投与前から腎機能障害が、シスプラチンの腎毒性によって悪化し、その状態で塩酸イリノテカンの腎毒性によりさらに腎機能が悪化し、骨髄抑制作用が強く出現して死亡した。もし塩酸イリノテカンを再投与していなければ、3ヵ月程度の余命が期待できた。2. 塩酸イリノテカンの再投与塩酸イリノテカン再投与時、腎機能は併用療法によって確実に悪化していたため、慎重に投与するかあるいは腎機能が回復するまで投与を控えるべきであったのに、引き継ぎの医師に対して細かな指示を出すことなく、主治医は学会に出席した。これに対し被告はスキップ基準に該当しないことを理由に再投与は過失ではないと主張するが、そもそもスキップ基準は腎機能が正常な患者に対して行われる併用療法に適用されるため、投与直前の患者の各種検査結果、全身状態、さらには患者の希望などにより、柔軟にあるいは厳格に解釈する必要があり、スキップ基準を絶対視するのは誤りである。3. インフォームドコンセント被告は抗がん剤の副作用について説明したというが、診療録には副作用について説明した旨の記載はないこと、副作用の説明は聞いていないという遺族の供述は一致していることから、診療録には説明した内容のすべてを記載する訳ではないことを考慮しても、被告の供述は信用できない。原告側合計2,845万円の請求に対し、536万円の判決考察本件のような医事紛争をみるにつけ、医師と患者側の認識には往々にしてきわめて大きなギャップがあるという問題点を、あらためて考えざるを得ません。まず医師の立場から。今回の担当医師は、とてもまじめな印象を受ける呼吸器内科専門医です。本件のような手術適応のない肺がん、それも余命数ヵ月の患者に対し、少しでも生存期間を延ばすことを目的として、平成6年当時認可が下りてまもない塩酸イリノテカンとシスプラチンの併用療法を考えました。この塩酸イリノテカンは、非小細胞肺がんに効果があり、本件のような腺がん非切除例に対する単独投与(第II相臨床試験;初回治療例)の奏効率は29.8%、パイロット併用試験における奏効率は52.9%と報告されています。そこで医師としての良心から、腫瘍縮小効果をねらって標準的なプロトコールに準拠した化学療法を開始しました。そして、化学療法施行前から、BUN 26.9、Cre 1.31、クレアチニンクリアランスが40.63mL/minと低下していたため、シスプラチンの腎毒性を考えた慎重な対応を行っています。1回目シスプラチンおよび塩酸イリノテカン静注後、徐々に腎機能が悪化したため、投与後しばらくは多めの輸液と利尿薬を継続しました。その後腎機能はBUN 74.1、Cre 2.68となりましたが、初回投与から1週間後の2回目投与ではシスプラチンは予定に入らず塩酸イリノテカンの単独投与でしたので、その当時シスプラチン程には腎毒性が問題視されていなかった塩酸イリノテカンを投与することに踏み切りました。もちろん、それまでに行われていたパイロット併用試験におけるスキップ基準には、白血球減少や血小板減少がみられた時は化学療法を中止しても、腎障害があることによって化学療法を中止するような取り決めはありませんでした。したがって、BUN 74.1、Cre 2.68という腎機能障害をどの程度深刻に受け止めるかは意見が分かれると思いますが、臨床医学的にみた場合には明らかな不注意、怠慢などの問題を指摘することはできないと思います。一方患者側の立場では、「余命幾ばくもない肺がんと診断されてしまった。担当医師からは新しい抗がん剤を注射するとはいわれたが、まさか2週間で死亡するなんて夢にも思わなかったし、副作用の話なんてこれっぽっちも聞いていない」ということでしょう。なぜこれほどまでに医師と患者側の考え方にギャップができてしまったのでしょうか。さらに、死亡後の対応に不信感を抱いた遺族は裁判にまで踏み切ったのですから、とても残念でなりません。ただ今回の背景には、紛争原因の一つとして、医師から患者側への「一方通行のインフォームドコンセント」が潜在していたように思います。担当医師はことあるごとに患者側に説明を行って、予後の大変厳しい肺がんではあるけれども、できる限りのことはしましょう、という良心に基づいた医療を行ったのは間違いないと思います。そのうえで、きちんと患者に説明したことの「要旨」をカルテに記載しましたので、「どうして間違いを起こしていないのに訴えられるのか」とお考えのことと思います。ところが、説明したはずの肝心な部分が患者側には適切に伝わらなかった、ということが大きな問題であると思います(なお通常の薬剤を基準通り使用したにもかかわらず死亡もしくは後遺障害が残存した時は、医薬品副作用被害救済制度を利用できますが、今回のような抗がん剤には適用されない取り決めになっています)。もう一つ重要なのは、判決文に「患者の希望を取り入れたか」ということが記載されている点です。本件では抗がん剤の選択にあたって、「新しい薬がでたから」ということで化学療法が始まりました。おそらく、主治医はシスプラチンと塩酸イリノテカンの併用療法がこの時点で考え得る最良の選択と信じたために、あえて別の方法を提示したり、個々の医療行為について患者側の希望を聞くといった姿勢をみせなかったと思います。このような考え方は、パターナリズム(父権主義:お任せ医療)にも通じると思いますが、近年の医事紛争の場ではなかなか受け入れがたい考え方になりつつあります。がんの告知、あるいは治療についてのインフォームドコンセントでは、限られた時間内に多くのことを説明しなければならないため、どうしても患者にとって難解な用語、統計的な数字などを用いがちだと思います。そして、患者の方からは、多忙そうな医師に質問すると迷惑になるのではないか、威圧的な雰囲気では言葉を差し挟むことすらできない、などといった理由で、ミスコミュニケーションに発展するという声をよく聞きます。中には、「あの先生はとても真剣な眼をして一生懸命話してくれた。そこまでしてくれたのだからあの先生にすべてを託そう」ですとか、「いろいろ難しい話があったけれども、最後に「私に任せてください」と自信を持っていってくれたので安心した」というやりとりもありますが、これほど医療事故が問題視されている状況では、一歩間違えると不毛な医事紛争へと発展します。こうした行き違いは、われわれすべての医師にとって遭遇する可能性のあるリスクといえます。結局は「言った言わないの争い」になってしまいますが、やはり患者側が理解できる説明を行うとともに、実際に患者側が理解しているのか確かめるのが重要ではないでしょうか。そして、カルテを記載する時には、いつも最悪のことを想定した症状説明を行っていること(本件では抗がん剤の副作用によって死亡する可能性もあること)がわかるようにしておかないと、本件のような医事紛争を回避するのはとても難しくなると思います。癌・腫瘍

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リハビリテーション中の転倒事故で死亡したケース

リハビリテーション科最終判決平成14年6月28日 東京地方裁判所 平成12年(ワ)第3569号 損害賠償請求事件概要脳梗塞によるてんかん発作を起こして入院し、リハビリテーションを行っていた63歳男性。場所についての見当識障害がみられたが、食事は自力摂取し、病院スタッフとのコミュニケーションは良好であった。ところが椅子坐位姿勢の訓練中、看護師が目を離したすきに立ち上がろうとして後方へ転倒して急性硬膜下血腫を受傷。緊急開頭血腫除去手術が行われたが、3日後に死亡した。詳細な経過患者情報既往症として糖尿病(インスリン療法中)、糖尿病性網膜症による高度の視力障害、陳旧性脳梗塞などのある63歳男性経過1997年1月から某大学病院に通院開始。1998年9月14日自らが購入したドイツ製の脳梗塞治療薬を服用した後、顔面蒼白、嘔吐、痙攣、左半身麻痺などが出現。9月15日00:13救急車で大学病院に搬送。意識レベルはジャパンコーマスケール(JCS)で300。血圧232/120mmHg、脈拍120、顔面、下腿の浮腫著明。鎮静処置後に気管内挿管し、頭部CTスキャンでは右後頭葉の陳旧性脳梗塞、年齢に比べ高度な脳萎縮を認めた。02:00その後徐々に意識レベルは上昇し(JCS:3)抜管したが、拘禁症候群のためと思われる「夜間せん妄」、「ごきぶりがいる」などの幻覚症状、意味不明の言動、暴言、意識混濁状態、覚醒不良などがあり、活動性の上昇がなかなかみられなかった。9月19日ベッド上ギャッジ・アップ開始。9月20日椅子坐位姿勢によるリハビリテーション開始。場所についての見当識障害がみられたものの、意識レベルはJCS 1~2。「あいさつはしっかりとね、しますよ。今日は天気いいね」という会話あり。看護記録によれば、21:00頃覚醒す。その後不明言動きかれ、失見当識あり夜間時に覚醒、朝方に入眠する。意味不明なことをいう時もある朝方入眠したのは、低血糖のためか?BSコントロールつかず要注意ES自力摂取可も手元おぼつかないかんじあり。呂律回らないような、もぐもぐした口調。イスに移る時めまいあるも、ほぼ自力で移動可ES時、自力摂取せず、食べていてもそしゃくをやめてしまう。ボオーッとしてしまう。左側に倒れてしまうため、途中でベッドへ戻す時々ボーッとするのは、てんかんか?「ここはどこだっけ」会話成立するも失見当識ありES取りこぼし多く、ほとんど介助にて摂取す9月21日09:00全身清拭後しばらくベッド上ギャッジ・アップ。10:30ベッド上姿勢保持のリハビリテーション開始。場所についての見当識障害あり「俺は息子がいるんだ。でもね、ずっと会っていないんだ」「家のトイレ新しいんだよ。新しいトイレになってから1週間だから、早くそれを使いたいなあ。まだ駄目なの?仕方ないねえ。今家じゃないの?そう。病院なの。じゃあ仕方ないねえ」11:00担当医師の回診、前日よりも姿勢保持の時間を延ばし、食事も椅子坐位姿勢でとるよう指示。ベッドから下ろしてリハビリ用の椅子(パラマウント社製:鉄パイプ製の脚、肘置きのついた折り畳み式、背もたれの高さは比較的低い)に座らせた。その前に長テーブルを置いて挟むように固定し、テーブルの脚には左右各5kgの砂嚢をおいた。12:00看護師は「食事を取ってくるので動かないでね」との声かけに頷いたことを確認し、数メートル先の配膳車から食事を取ってきた。準備された食事は自力でほぼ全部摂取。食事終了後、看護師は患者に動かないよう声をかけ、数メートル先の配膳車に下膳。12:30食後の服薬および歯磨き。このときも看護師は「歯磨きの用意をしてくるから動かないでね」、「薬のお水を持ってくるから動かないでね」と声をかけ、患者の顔や表情を観察して、頷いたり、「大丈夫」などと答えたりするのを確認したうえでその場を離れた。13:00椅子坐位での姿勢保持リハビリが約2時間経過。「その姿勢で辛くないですか」との問いに患者は「大丈夫」と答えた。13:10午後の検査予定をナース・ステーションで確認するため、「動かないようにしてね」と声をかけ、廊下を隔て斜め向かい、数メートル先のナース・ステーションへ向かった。その直後、背後でガタンという音がし、患者は床に仰向けで後ろ側に転倒。ただちに看護師が駆けつけると、頭をさすりながらはっきりした口調で「頭打っちゃった」と返答。ところが意識レベルは徐々に低下、頭部CTスキャンで急性硬膜下血腫と診断し、緊急開頭血腫除去術を施行。9月24日20:53死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.予見可能性坐位保持リハビリテーションはまだ2日目であり、長時間のリハビリテーションは患者にとって負担になることが予見できた。さらに場所についての見当識障害があるため、リハビリテーション中に椅子から立ち上がるなどの危険行動を起こして転倒する可能性は予見できた2.結果回避義務違反病院側は下記のうちのいずれかの措置をとれば転倒を回避できた(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定する病院側(被告)の主張事故当時、患者は担当看護師と十分なコミュニケーションがとれており、「動かないようにしてね」という声かけにも頷いて看護師のいうことを十分理解し、その指示に従った行動を取ることができた。そして、少なくとも、担当看護師がナース・ステーションに午後の検査予定を確認しにいき戻ってくるまでの間、椅子坐位姿勢を保持するのに十分な状態であった。当時みられた見当識障害は場所についてのみであり、この見当識障害と立ち上がる動作をすることとは関係はない。したがって本件事故は予測不可能なものであり、病院側には過失はない。裁判所の判断1. 予見可能性事故当時、少なくとも看護師に挟まれた状態では自分で立っていることが可能であったため、自ら立ち上がり、または立ち上がろうとする運動機能を有していたことが認められる。そして、看護師の指示に対して頷くなどの行動をとったとしても、場所的見当識障害などが原因で指示の内容を理解せず、あるいはいったん理解しても失念して、立ち上がろうとするなどの行動をとること、その際に体のバランスを失って転倒するような事故が生じる可能性があることは、担当医師は予見可能であった。2. 結果回避義務違反転倒による受傷の可能性を予見し得たのであるから、担当医師ないし看護師は、テーブルを設置して前方への転倒を防ぐ方策だけではなく、椅子の後ろに壁を近接させたり、付添いを中断する時は椅子から立ち上がれないように身体を固定したり、転倒を防止するために常時看護師が付き添うなどの通常取り得る措置によって、転倒防止を図ることが可能であった(現に5kgの砂嚢2個を脚に乗せたテーブルを設置して前方への転倒防止策を講じていながら後方への転倒防止策は欠如していた)ので、医療行為を行う上で過失、債務不履行があった。2,949万の請求に対し、1,590万円の支払命令考察病院内の転倒事故はすべて医療過誤?今回の患者は、インスリンを使用するほどの糖尿病に加えて、糖尿病性網膜症による視力障害も高度であり、以前から脳梗塞を起こしていた比較的重症のケースです。そして、医師の許可なく服用したドイツ製の治療薬によって、顔面蒼白、嘔吐、左半身麻痺、てんかん発作を発症し、大学病院に緊急入院となりました。幸いにも発作はすぐに沈静化し、担当医師や看護師は何とか早く日常生活動作が自立するように、離床に向けた積極的なリハビリテーションを行ないました。このような中で起きたリハビリ用椅子からの転倒事故です。その直前の状況は、「ここはどこだっけ」といった場所に関する見当識障害はあったものの、担当医師や看護師とはスムーズに会話し、食事も自力で全量摂取していました。はたして、このような患者を担当した場合に、四六時中看護師が付き添って看視するのが一般的でしょうか。ましてや、看護師が離れる時は患者が転倒しないように椅子に縛り付けるのでしょうか?もし今回の転倒前にもしばしば立ち上がろうとしたり、病院スタッフの指示をきちんと守ることができず事故が心配される患者の場合には、上記のような配慮をするのが当然だと思います。しかし、今回の患者は、とてもそのような危険が迫っていたとはいえなかったと思います。ところが、判決では「場所に関する見当識障害」があったことを重要視し、この患者の転倒事故は予見可能である、そして、予見可能であるのなら転倒防止のための方策を講じなければならない、という単純な考え方により、100%担当医師の責任と判断しました。実際に転倒現場に立ち会わなかった医師の責任が問われているのですから、きわめて厳しい判決であると思いますし、このような考え方が標準とされるならば、軽度の認知症の患者はすべて椅子やベッドに縛り付けなければならない、などという極論にまで発展してしまうと思います。最近では、高齢者ケアにかかわるすべてのスタッフに「身体拘束ゼロ作戦」という厚生労働省の指導が行われていて、身体拘束は、「事故防止の対策を尽くしたうえでなお必要となるような場合、すなわち切迫性、非代替性、一時性の三つの要件を満たし、「緊急やむを得ない場合」のみに許容される」としています。確かに、身体拘束を減らすことは、患者の身体的弊害(関節拘縮や褥瘡など)、精神的弊害(認知障害や譫妄)、社会的弊害をなくすことにつながります。ところが実際の医療現場で、このような比較的軽症の患者に対し一時的にせよ(看護師が目を離す数秒~数十秒)身体拘束をしなかったことを問題視されると、それでなくても多忙な日常業務に大きな支障を来たすようになると思います。ただ法的な問題としては、「利用者のアセスメントに始まるケアのマネジメント過程において、身体拘束以外の事故発生防止のための対策を尽くしたか否かが重要」と判断されます。つまり、入院患者の「転倒」に対してどの程度の配慮を行っていたのか、という点が問われることになります。その意味では、患者側が提起した、(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定するという主張も(若干の行き過ぎの感は否めませんが)抗弁しがたい内容になると思います。事故後の対応そのような考え方をしてもなお、このケースは不可抗力という側面が強いのではないかという印象を持ちます。今回事故が起きたのは大学病院であり、それなりに看護計画もしっかりしていたと思いますし、これが一般病院であればなおさら目の行き届かないケースがあり、事故発生のリスクはかなり高いと思います。そして、今回のケースが院内転倒事故に対する標準的な裁判所の判断になりますので、今後転倒事故で医事紛争にまで発展すると、ほとんどのケースで病院側の過失が認められることになるでしょう。とはいうものの、同様の転倒事故で裁判にまでいたらずに解決できるケースもあり、やはり事故前の対策づくりと同様に、事故後の対応がきわめて重要な意味をもちます。まずは入院時に患者および家族を教育し理解を得ることが肝心であり、転倒が少しでも心配されるケースにはあらかじめ家族にその旨を告知し、病院側でも転倒の可能性を念頭に置いた対応を行うことが望まれます。と同時に、高齢者を多く扱う施設では賠責保険を担当する損害保険会社との連携も重要でしょう。たとえば、小さな子供を扱う保育園や幼稚園では、子供同士がぶつかったり転倒したりなどといった事故が頻繁に発生します。その多くがかすり傷程度で済むと思いますが、中には重度の傷害を負って病院に入院となるケースもあります。そのような場合、保護者から必ずといって良いほど園の管理責任を問うクレームがきますが、保母さんにそこまで完璧な対応を求めるのは困難ではないかと思います。そこで施設によっては、治療費や慰謝料を「傷害保険」でまかなう契約を保険会社と交わして事故に備えるとともに、場合によってはその保険料を家族と折半するなどのやり方もあると思います。このような方法をそのまま病院に応用できるかどうかは難しい面もありますが、結局のところ最終的な解決は「金銭」に委ねられるわけですから、「医療過誤」ではなく不慮の傷害事故として解決する方が、無用なトラブルを避ける意味でも重要ではないかと思います。リハビリテーション科

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僕の生きる道【自己成長】

テーマは死と成長―もしもあなたがあと1年で死を迎えるとしたら?私たちは、人の平均寿命はだいたい80年で、事故や病気でその寿命が縮まる可能性もあるという現実を頭では分かっています。しかし、実際に、心の中ではそんなことは忘れて、「自分はいつまでも生きている」「明日は明日の風が吹く」と思い込んではいないでしょうか?2003年に放映されたテレビドラマ「僕の生きる道」は、タブー視されがちな死について、真っ直ぐに向き合っています。余命1年を宣告された主人公の一生懸命さに、平和ボケして何となく生きている私たちは、頭を一発殴られた気分にさせられ、目が覚めます。死について考えることは、どう生きるかを考えることでもあります。そして、考えることが私たちの新たな心の成長につながっていきます。今回は、このドラマを通して、みなさんと死について、生きることについて、そして生死を通して私たちがさらに成長することについて考えていきましょう。悪い知らせの伝え方―間(ま)の大切さ主人公の中村秀雄は、進学高校の生物教師です。教師としての目標もなく、老後の遠い先のことを考え、事なかれ主義で、自ら「28年間、無難な人生を過ごしてきた」と認めています。そんな彼に突然、定期健診の再検査の通知がきます。そして、再検査の結果、余命1年の胃がんと宣告されたのです。主治医の態度が印象的です。間(ま)をとりながら、神妙な表情で静かに問いかけます。「検査結果について、大切な話があります」「できたら、検査結果はご家族の方と聞いていただきたいんです」と。その間も十分な沈黙の時間をとります。告知前の間(ま)は、心の準備をしてもらう警告の合図でもあります。ドラマでは、直後には描かれてはいませんが、告知後は、時間をかけて、今後の話し合いをすることも大切です。これからの目標や秀雄らしい生き方について触れていくことです。否認―自分ががんであることが信じられないあと1年しか生きられないという現実を突き付けられた秀雄は、頭の中が真っ白になります。その日は、虚ろな目で、何とか仕事をこなしています。そして、一睡もできず、翌日から荒れていきます。朝から投げやりになって飲酒し、夜には遭遇したひったくりの少年たちに苛立ち、抵抗して、さらに暴行を受けます。翌々日、彼は主治医の診察室に押しかけ、怒りに満ちて強く訴えます。「僕がこんな目に遭うはずがない「こんなの不公平だ」「絶対何かの間違いだ」と。これらは、ショック、怒り、否認というがん告知に対する通常の心の反応です。心が一時的に現実を受け止め切れず、信じられないのです。認知行動療法―置かれた状況に対しての別の見方や考え方の援助主治医は、秀雄の行き詰った心を受け止めて、そして解きほぐすように、静かにそして力強く言います。「確かなことが一つだけある」「それは、君が今、生きているということ」と。死ばかりを考える秀雄に、残りの人生をどう生きるかに目を向けるよう促す一言です。このように、本人が置かれた状況に対して別の見方や考え方の援助をするやり取りを認知行動療法と言います。その夜、自分の小学校の卒業文集の「幸せな人間とは後悔のない人生を生きている人」という自分の文章を見て、泣き出します。彼は、後悔していたのです。「あの頃思い描いた人生を生きてこなかった」と。絶望―安楽死、自殺を望む心の叫び受験指導で、ある生徒に志望校をあきらめるよう言い切った秀雄は、心の中で思います。「僕もあきらめている」「人生最後の日がやってくるのを」「ただ待つしか道はない」と。そして、好き勝手にお金を浪費してみたものの空しいだけで、自分が棺にいる悪夢にうなされ、がんによる痛みも出てきます。耐えられなくなり、彼は主治医に「毎日が怖い」「何の痛みも感じないよう楽にしてください」と訴えます。当然ながら、安楽死は聞き入れられず、絶望した秀雄は、崖から飛び降り自殺を図ります。しかし、奇跡的に助かってしまうのです。そして、病院から母親への何気ない電話で、「僕が生まれた時、どう思った?」と質問して、母親の答えに、彼は号泣します。その答えとは、「この子のためなら、自分の命は捨てられる」だったのでした。この瞬間から、秀雄は前向きな気持ちに心が切り替わります。主治医に「1年て、28年よりも長いですよね」と噛みしめるように確認します。「僕に自分で死ぬ権利なんかない」「僕は生きる」「人生最後の日まで」と決意し、残りの人生を悔いのないように生きたいとの前向きな思いが湧き起こってくるのでした。これが、がん告知の最終段階である適応です。がん告知後の心理状態は、キューブラー・ロスによる「死ぬ瞬間」で、否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容の5段階が有名ですが、実際には、段階的にプロセスを経るというよりは、いろいろな心理がごちゃ混ぜになっています。ちなみに、取り引きとは、「自分はまじめにやってきたのだから、きっと良い治療法が間に合うに違いない」と思い込み、手術や民間療法で何とか助かりたいとすがる心理ですが、秀雄には見られませんでした。自己成長―余命1年であることを知ったからこその成長秀雄は、授業の最初に、自らの「読まなかった本」のエピソードを取り上げます。余命1年の自分の運命と1年後に受験を迎える教え子の運命を重ね合わせ、「この本の持ち主は読む時間がなかったのではなく、読もうとしなかった」「(やるべきことを先送りせず)この1年、やれるだけのことをやろう」と呼びかけます。これは、教師として生徒のために一生懸命になろうという自分の決意表明でもありそうです。その後は、不器用ながら、秀雄なりに一生懸命に周りにかかわろうとします。このような一生懸命さは、空回りしながらも、生徒から教えられながらも、少しずつ生徒やみどりたち職員にも伝わっていきます。例えば、「ありのままの気持ちを伝えよう」「それが僕にとって、今を生きるということだから」と気持ちを固め、今まで憧れだった同僚のみどり先生に自分の恋心を素直に伝えます。医者を目指していながら妊娠騒動で命を軽々しく思っているある生徒に、心の底からのメッセージを手紙で伝えます。「命の尊さを分かってほしい」「(患者の)心の痛みも分かってあげられる医者になってほしい」と。また、本気で歌手を目指すある生徒には、「必ず歌手になってください」「僕のためにも」と言い、叶わなかった自らの夢を暗に託します。その後、彼が言い出した合唱コンクールにクラスの生徒が全員揃って参加して、一体感が生まれます。こうして、彼は、がんで余命1年であることを知ったことで、さらなる人間的な心の成長(自己成長)を遂げていきます。ナラティブアプローチ―自分自身に距離を置かせて気持ちの整理を促す秀雄が空回りして落ち込んでいた時、主治医のかける言葉がまた印象深いです。主治医は、預言者のように厳かに言います。「君が信念を貫いていれば、いつかきっと、君に味方してくれる人が現れるよ」「その人は、ある日突然やってくる。一番最初に現れたその人を絶対逃がしちゃダメだ」「その人は生涯を通じて君の味方になってくれる」と。暗示的ですが、とても心のよりどころとなる温かいかかわり方(支持的精神療法)をします。また、「彼女(恋人のみどり)が僕の病気を知ったら、どうなるんでしょうか?」といつまでも打ち明けることに恐れをなしている秀雄に、主治医が問いかけます。「(病気を知って)君の人生はどう動きだした?」と。主語を「君」とせずに「人生」として、物語ふうな語り口(ナラティブアプローチ)をすることで、問題そのものを秀雄の感情から切り離して捉えさせ(外在化)、秀雄に気持ちの整理を促します。さらに、秀雄がみどりとの結婚をためらっていた時に、主治医が秀雄に投げかけた引用が印象的です。「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日、私はりんごの木を植える」と。これは、宗教改革の立役者ルターが言ったとされている名文句です。りんごの実という明日への希望を持って、今日を一生懸命に生きようというメッセージに受け止められます。と同時に、たとえ未来で全てが失われたとしても、今を一生懸命に生きていたという事実は失われないというメッセージにも受け止められます。大事なのは、自分を取り巻く世界がどうなるかではなく、世界が滅亡しようとも繁栄しようとも、自分自身がいつもどうありたいかということであることを、私たちに教えてくれます。フランクル心理学―『人生が自分に求めてきていること』秀雄は、限りある生にありがたみを感じ、そこに意味を見出そうとしています。彼にとって「今を生きる」とは、教師として創造的に仕事をすること(創造価値)、みどりや生徒たちのために一生懸命になること(体験価値)、持って生まれた運命に前向きな態度をとり続けること(態度価値)なのでした。これは、まさに『人生が自分に求めてきていること(フランクル心理学)』に当てはまります。この秀雄の成長は、「自分の考えをしっかり持っていて、それを行動に移せる人」というみどりの理想のタイプにハマったのでした。その後に、病気を知ったみどりが、秀雄との結婚に猛烈に反対する父親に対して言います。「生まれて初めて、自分の生きる理由を見つけたの」「私は今、中村先生(秀雄)と一緒にいるために生きているの」「結婚して、家族になって、彼を支えて、そして・・・彼を見送るために」「私は、自分自身の人生を生きたいの」と。みどりも、自分の人生の主体的な意味付けをしようと成長していきます。投影―他人は自分を映し出す鏡同僚の数学教師の久保は、イケメンで話や教え方がうまく生徒から人気があり、合コンに行けば、モテモテです。国から研究を任されるエリートで、みどりの父親でもある理事長からも気に入られ、全く非の打ちどころがありません。キャラクター的に正反対な秀雄を際立たせます。そんな久保が好意を寄せていたみどりが、よりによって秀雄の恋人になったことを知り、動揺します。職員室で秀雄に研究を羨ましがられても、「本当は俺のこと、バカにしてたりして」と言い放ち、秀雄をきょとんとさせます。これは、久保の心の中が、秀雄を鏡にして映し出されています(投影)。つまり、実際に秀雄は久保をバカにすることなどありませんが、久保の方がもともと優越感に浸っていたので、秀雄に負けて立場が逆転した時に、彼のその優越感が劣等感となって、溢れ出てしまったのでした。その後に、久保は秀雄の病気を知ったことで、「みどり先生が自分のものになる」とすぐに損得勘定をしてしまった自分自身が許せなくなり、仲良しの同僚に打ち明けています。「おれはずっと人生、舐めてたんだよ」と。久保も、死と向き合っている秀雄という鏡を通して、自分自身を見つめ直し、成長していくことができたのでした。カタルシス―押し殺していた気持ちを吐き出す秀雄は母に「甘えたりわがままを言う(父親のようには)」「迷惑なんかかけたりしないから」と言っていたように、ずっと自分の気持ちを押し殺して生きてきました。そんな秀雄の病気のことを知った時にみどりは、自分に何ができるか秀雄の主治医に訊ねます。主治医のアドバイスは、「話し相手になってあげてください」「彼がつらい時に、つらいって言える相手になってあげてください」でした。自分の運命を受け入れるには、秀雄独りだけではやはり太刀打ちできないことを主治医は分かっていました。そして、母も秀雄に手紙で伝えます。「誰かに甘えられたり、頼られたりすることで幸せになれることもあるんだからね」と。支えることも、支えられることも、等しく幸せであるというメッセージが伝わってきます。そしてついに、秀雄はみどりと結婚します。その後、新婚旅行で行った温泉宿で、「死にたくないよぉ」と幼い子どものように声を出して泣きじゃくり、みどりに抱き寄せられます。押し殺していた気持ちをついに吐き出したのです(カタルシス)。「僕は世界で一番幸せなのだから」と感じているからこそ、心の奥に押し込んでいた本心が溢れ出てしまったのでした。無意識に張っていた緊張の糸が緩んでしまったのです。彼は死と背中合わせの戦場にいながら、みどりがそばにいることで安らぎを感じていたのでした。ディグニティセラピー―自分の人生を尊厳あるものに秀雄は、余命1年と言われてから、ビデオ日記をつけていました。その理由は、「(今までの)僕が歩いてきた道には、足跡が付いていないような気がしたから」でした。しかし、その後、途中でビデオ日記をつけるのをやめてしまいます。その理由は、彼は、教師として生徒たちに自分の精一杯の思いを伝えて、自分の「足跡」を残すことができていると確信したからでした。彼は主治医に「合唱を通じて生徒に伝えたいことがある」と言い、生徒たちに「高校生である君たちが、今、歩いている道にしっかりと足跡をつけてほしい」と呼びかけています。また、秀雄は、みどりとの結婚式の写真を全く撮らないようにしました。その理由を「今、この瞬間の出来事が、いつか過去になってしまうと思いたくなかった」「今この瞬間を生きるほうが大事」と言っています。これは、自分が写真に残らないことで、みどりが再婚しやすくなるようにとの秀雄の配慮でもありました。人の尊厳は、究極のところ、人生にどういう意味を見出すかということです。そして、多くの人は自分の何かが誰かに受け継がれ、生き続けることを望んでいます。秀雄は、写真などの媒体ではなく、教え子たちにすでに自分のありのままの思いを伝えていくことで、自分の生きる意味を彼なりに見出すことができていました。多くの人は、なかなか秀雄のように伝えることができる恵まれた立場にいるわけではないです。最近では、家族や親しい友人へのメッセージとして、「最も誇りに思っていること」「大切な人に伝えたいこと」について本人の生前のインタビューを編集して文書に残す取り組み(ディグニティセラピー)も行われるようになってきています。死生観―つながっていた人への温かみいよいよ命の期限が近付いている中、みどりは秀雄に訊ねます。「(死後)どうしても秀雄さんに会いたくなったら、どうすればいいんだろう」と。秀雄は、「プロポーズした大きな木のある所に来てください」「必ず僕は会いに行きますから」と約束します。これは、亡くなった人との心を通わせる場の設定です。その場は、遺された人の心のよりどころとなります。秀雄は死に臨んで、死生観が研ぎ澄まされていたのです。この逝った人が遺された人たちを見守り続けるという守護霊の発想は、自分のつながっていた人やコミュニティ(地域や職場なの自分が属する集団)への温かみに溢れており、遺された人たちに安らぎを与えます。集団主義の強い日本人の多くが共感する死生観です。自分が天国に召されるかどうかに重きを置く西欧の個人主義の死生観とは対照的です。自我統合感―人生は自分なりにやり尽くしたそして、とうとう合唱コンクールの当日、「僕は最後まで生きたいんです」と言い、入院中の病院からの外出を願い出ます。しかし、主治医は心の中とは裏腹に、許可できないと言い張ります。秀雄は、「(コンクールを見届けないと)僕にとって生きたとは言えません」と言い、こっそり病院を抜け出し、みどりに支えられながら会場にぎりぎり駆けつけるのでした。実際の臨床の現場では、ほぼ外出許可が出ると思われます。ターミナルケア(終末期医療)においては、命を縮めるリスクがあったとしても、現在ではQOL(人生の質)の方が重視されるからです。よくあるのが、「今生の思い出に海を見たい」という希望を叶えてあげることです。会場で、教え子たちの歌声を聞き終えた秀雄は穏やかに言って息を引き取ります。「今では、後悔したはずの28年間が、とても愛おしく感じます」「ダメな人生だったんですけど、とても愛おしいです」と。彼は、みどりがいっしょにいてくれたかけがえのない、世界にひとつだけの人生を生き抜いたのでした。今を前向きに生きているからこそ、かつて悔んだ28年間の過去も愛おしくなります。彼は、人生は自分なりにやり尽くしたと感じていたのでした(自我統合感)。実際に、このような感覚を研ぎ澄ます取り組みとして、回想法(ライフレビューインタビュー)があります。これは、高齢者や終末期がん患者に「人生で重要なこと」「印象深い思い出」「人生の分岐点」などを問うことで、現在の自分をより肯定的に受け入れるようになること(人生の再統合)で、デグニティセラピーに通じるものがあります。生きた証―思いをつなぎ続けるリレー秀雄が亡くなって5年後、学校に新任の生物教師がやってきました。それは、何とかつての秀雄の教え子だった吉田でした。彼は、かつて久保に「絶対に官僚にならなきゃいけないんです」と勉強一筋で張り詰めてしまい、秀雄のやり方を否定していました。久保から「へぇ。なりたいんじゃなくて、ならなきゃいけないんだ」と突っ込まれたこともありました。ちなみに、これは吉田に自分自身の心の声を聴くよう仕向けた問いかけ(ロジャースのクライエント中心療法)です。だからこそ、秀雄が内実、一番気に掛けていた生徒でもありました。秀雄が合唱をやろうと言い出したのも実は吉田がきっかけだったのでした。秀雄が指揮者をできなくなった後に、代わりの指揮に託したのも、吉田でした。そんな吉田が、初めての授業で生徒に伝えたのは、かつて秀雄が吉田たちに伝えたあの「読まなかった本」でした。こうして、彼は秀雄の思いを受け継いでいくのでした。そして、また新たな芽となって次の生徒たちの中で生き続け、そして、受け継がれていくことを予感させます。人は、もちろん子どもを授かって自分の血が受け継がれていくこと強く望みます。しかし、同時に、もしかしたらそれ以上に、自分の思いが受け継がれることも望んでいるのではないでしょうか?人は、他の全ての動物とは違い、命を運ぶ単なる「器」ではなく、命と同時に思いをつなぎ続ける「リレー選手」なのです。その思いとは、人だからこそ持っている豊かな文化であり、進歩し続ける文明なのです。逆に、進化論的に言えば、思いをつなぐことを望まない遺伝子は、文化や文明を発展させることはないわけで、はるか昔に自然淘汰されてしまったのではないでしょうか。つまり、私たちがリレーする思いのバトンタッチは、科学的に言えば、遺伝子にプログラムされています。そして、文学的に言えば運命付けられており、宗教的に言えば神の思し召し通りということになります。そして、それが結果的に「足跡」としてその人の生きた証となり、つながれたバトンは遺された誰かのためになっていくのです。シネマセラピー秀雄にとっての「僕の生きる道」は「僕たちみんな人類の生きる道」の一部に確実になっていることに私たちは気付きます。そして、リレー選手として「僕の生きる道」を完走できた秀雄の喜びが最後に伝わってきます。私たちが、秀雄の目を通して死を目の当たりにすることで、今生きているという当たり前なことを特別ことに感じることができれば、私たちも秀雄と同じように、より良い自己成長をしていくことができるのではないでしょうか?1)「僕の生きる道」(角川文庫) 橋部敦子2)「精神腫瘍学クイックリファレンス」(創造出版)3)「自己成長の心理学」(コスモスイブラリー) 諸富祥彦4)「ナラティブアプローチ (勁草書房) 野口裕二5)「ナラティブセラピー」(金剛出版) アリス・モーガン6)「ディグニティセラピー」(金剛出版) 小森康永7)「死生学」(東京大学出版会) 小佐野重利8)「コンセンサス癌治療」(へるす出版)  小川朝生、内富康介

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モンスターペアレント【構造化・限界設定・客観化】

「院長を呼べ!」皆さんが医療の現場で仕事をしている時、「院長を呼べ!」「あの看護師、辞めさせろ!」「あの研修医を担当から外して!」などとハラハラするようなことを言う患者に遭遇したことはありませんか?そして、彼らの言い分は、「看護師としてなっていない」「研修医のくせに偉そうだ」「患者をバカにしている」「ひどい人間だ」などと様々ですが、多くはとても感情的です。そして、その要求や言い分があまりにも理不尽で、接遇などの組織の取り組みでも太刀打ちできない人たちが世の中にはいます。このような人たちは、度を超えているので、「モンスターペイシェント(怪物患者)」と呼ばれることがあります。そして、そんな彼らに、私たちがある一定の確率で遭遇するのも現実です。そんな時、どうすれば良いのでしょうか?今回は、2008年のテレビドラマ「モンスターペアレント」を取り上げます。モンスターペアレントとは、怪物のような親という意味で、ドラマでは、「問題児ならぬ問題親」と紹介されています。ドラマに登場するモンスターペアレントたちは、モンスターペイシェントたちとかなり似た行動パターンをしています。このドラマのエピソードを追いながら、モンスターペイシェントの行動パターンを整理して、最悪のシナリオと最善の対応を、みなさんといっしょに見極めていきたいと思います。叩きのめすのではなく、手懐(てなず)ける主人公の高村樹季(いつき)は、企業の合併買収を専門とするスゴ腕の弁護士です。美貌と才能を兼ね備え、大企業のクライエントをいくつも抱え、忙しく優雅に駆け回る人生の勝ち組と言えます。そんな彼女は言い放ちます。「勝たなきゃ生きていく意味ないでしょ」「それ(お金)以外に働く意味ってある?」と。勝ち負けの世界で、相手を叩きのめして生き抜く勝ち組のドライな発想です。そんな樹季に、新しい仕事が舞い込んできます。それは、教育委員会の顧問です。そして、訪れた現場の学校で、次々とモンスターペアレントに出会うのです。法務の会議と違い、教育現場は論理やルールが通じにくく、彼女はくじけそうになります。しかし、教育委員会のメンバーといっしょになって、日々、モンスターたちを叩きのめすのではなく手懐けることで、揉まれながらも彼女は自己成長していくのでした。学校や病院にモンスターが多い理由―公的な組織の弱み企業法務での樹季の活躍を描く会議のシーンと、訪問した先の学校での保護者との話し合いのシーンが対照的です。企業組織では、ルールに従って、白黒はっきりさせることができます。話が通じない場合は、相手にしないこともできます。例えば、飲食店などのサービス業であっても、害をもたらす者を「出入り禁止」にできるということです。一方、学校や病院などの公的な組織はどうでしょうか?実は、この公的な組織にこそモンスターが生まれてしまう理由が大きく3つあります。まず1つ目は、そこはみんなのために開かれた場所であるということです(公共性)。裏を返せば、理不尽な要求をする人を相手にしないことができず、「出入り禁止」にもしにくいという縛りがあります。つまり相手を選べないということです。医師には、診療拒否の禁止の原則(医師法第19条1項)という法律的な縛りもあります。2つ目は、同じような対応をすることが求められているということです(公平性)。ここに、少しでも「自分に不利になった」と不満を噴出させる人の強みがあり、公的な組織としての弱みがあります。例えば、ある親が給食費を滞納していることで、別の親たちが「不公平」だから自分も払いたくないと言い張るという現状です。3つ目は、教育関係者や医療関係者の職業倫理です。「子どもは悪くない」「病気は治したい」という聖職者としての心理も働いており、「他へ行ってください」とは言いづらいのです。【構造化】―枠組みを設ける医療者の私たちは、モンスターペイシェントから自分たちの身を守らなければなりません。そのためには、モンスターの行動を「攻撃パターン」として見極め、決して「丸腰」で襲われることのないように、「武装」した防御の心構えが必要です。この心構えは、「孫子の兵法」にとても通じるところがあるので、この戦術に重ね合わせながら、具体的に見ていきましょう。最初のポイントは、枠組みを設けることです(構造化)。奇襲―怒鳴り込み、呼び出しドラマでは、ある保護者が、いきなり授業中の教室に押し掛け、「お話があります」と言い、教師の手を離しません。別の保護者は、会議中の職員室に「謝ってください!」と怒鳴りこんできます。これは、典型的な攻撃パターンの「奇襲」、つまり不意打ちです。授業中であろうと会議中であろうとお構いなしです。しかし、ターゲットの教師は、応戦してしまい、その場で、口論が始まります。職員室のシーンでは、他の教職員たちを目の前にして、取っ組み合いの修羅場に発展します。また、別のエピソードでは、担任教師を勤務時間外に急に呼び出すシーンがありますが、これも「奇襲」に当てはまります。私たちが、これらのシーンから学べることは、興奮していたり、急に迫ってくる相手には、その場ですぐに応じないことです。私たちは絶対に感情的にならず、「おっしゃっていただきありがとうございます」と感謝の意を示し、敵対的にならない心掛けがまず大切です。まずは、おもむろに時間と場所をあえて改めることです。「大事なお話の場合、アポを取る決まりです」と伝え、1時間後以降のお互いの都合の良い時間を確保して、対応します(時間の構造化)。ポイントは、時間があったとしてもすぐに応じないことです。自分も相手も1時間後以降のその日に都合が悪ければ、翌日以降の時間を約束します。わざと待たせる理由は、3つあります。1つは、相手の頭を冷やす時間を作るためです。2つ目は、初回ですぐに応じてしまうと、次回もすぐに応じてくれるものだと気軽に思われ、枠組みを甘く見られて、要求がエスカレートしやすくなるからです。最初が肝心です。3つ目は、自分の心の準備をして、態勢を整えるための時間稼ぎのためです。また、話し合いの場所は、事務の応接間など決まった場所にして、変えないことです(場所の構造化)。同じ場所で話し合いをすることが、他の場所では話し合いをしないという枠組みのメッセージになります。消耗戦―居座りある保護者が話し合いのシーンで言います。「(担任を外れるという約束の一筆を)書いていただくまで、私、ここを一歩も動きませんから」と。これは、要求が通るまで居座るパターンの「消耗戦」です。校長が「(担任教師は)授業に戻らなければ」と言い、その場を切り抜けようとしても、「(話し合いのテーマとなっている)うちの子は大事じゃないんですか?」と切り返されてしまいます。そして、数時間の無言の話し合いが続くのでした。最後は、保護者が根負けして、理由を付けて立ち去ってはいますが、お互いにかなりの心身の負担がかかります。実際の医療現場での話し合いの場面では、患者が納得いかず、いつの間にか3、4時間経っていたというケースもよく耳にします。こうならないようにするには、どうしたら良いのでしょうか?ヒントが樹季の法務会議のやり取りにありました。樹季のチームが相手チームを追い込んだところで、「それでは時間ですので」と話を打ち切るシーンです。つまり、話し合いのアポを取る時には、話し合いの持ち時間もいっしょに設定することです(所要時間の構造化)。そして、話し合いの前に、その時間の区切りをはっきり告知し、時計をお互いに見える位置に置きます。こちらとしては、1時間と決めたら、その約束した時間は必ず守り、遅れたり、途中で退席したりしないことです。話し合いの最中は電話対応もなるべく控えることが望ましいです。そして、1時間が経過したら、途中でも話し合いを止めて、次回の約束をして、次回に持ち越すことです。このような枠組みを重視する姿勢がモンスターへの強いメッセージになります。樹季の弁護士事務所のボスが「期待していますよ」と穏やかな口調で張り詰めた空気を醸し出すクールさとは対照的に、そのボスの同級生でもある教育委員会の教育長は、人情味溢れています。好感は持てるのですが、その反面、時間へのルーズさがにじみ出てもいます。樹季との最初の面会で、会って早々に、対応を人任せにして、次の約束のためにいなくなります。「普通、アポ取っといて、途中で出て行ったりしないわよね」と樹季をいら立たせてもおり、彼のルーズさが、モンスターに付け込まれるスキとして描かれています。実際に、医療現場は救急対応が求められる場合があり、必ずしも時間通りに動けないという状況から、医師は時間にルーズになりがちという点では、教育長と似ています。モンスターとの話し合いをする時は、それが時間限定の最優先の「救急患者」であるという心構えが必要です。弱点攻め―言いがかりある保護者の「うちの子には特別に注意深く目を配ってほしいんです」「もう他の子はどうでもいい」という発言に対して、樹季はつい口を滑らせてしまいます。「そういうお考えはまさに典型的なモンスターペアレントではないでしょうか?」と。すると、その保護者は感情的になり、樹季に噛みつきます。「子どもを心配するのがモンスターですか」「謝ってください」「私、今、心の底から傷付きました」とまくし立てます。樹季がいくら「一般論を申し上げているだけです」と言っても聞き入れられず、けっきょく謝るはめになってしまうのです。法務会議や法廷で活躍する樹季にとって、一般論で相手を挑発するのはお得意でした。そこには、すでに従うべき共通のルールや中立的な第三者がいます。一方、教育現場や医療現場での当事者同士のみの話し合いはどうでしょうか?そこには、ルールや中立性という枠組みがとても弱いのです。だからこそ、相手の言葉尻をとらえる揚げ足取り、言いがかりが出やすくなります。いわゆる「因縁を付ける」という弱点攻めの攻撃パターンです。これは、特に反社会的集団の常套手段でもあります。このシーンから学べることは、私たちは、「他の子はどうでもいいかどうか」や「モンスターかどうか」などの抽象的なことについては話をせず、流すことです。つまり、余計なことは言わないこと、あくまで問題となる具体的な話に絞ることです。ラストシーンで、ホールに集まった大勢の保護者の前で樹季が一般論で呼びかけるシーンがあります。これは、大勢の人がいるという状況であったため、効果がありました。しかし、実際の閉ざされた話し合いの場では、説教になってしまい、リスクがあると言えます。波状攻撃―要求の並べ立てドラマ全体を通して、話し合いの場面で、「だいたいねえ」と前置きをする保護者をよく見かけます。次から次へと不満や要求を並び立てるパターン、つまり「波状攻撃」です。特徴としては、過去の不平不満を蒸し返し、「ちゃんとしていない」「傷付いた」「誠意を見せろ」などとやはり感情的で抽象的な言葉で繰り返しが多く、急に話がすり替わり、とてもまとまりが悪いです。この攻撃パターンに、樹季がよく使っている言葉に私たちは気付きます。それは、「具体的にどういうことですか?」です。つまり、対応のポイントは、要求を細かくはっきりとさせることです(具体化)。また、並べられた要求を分けて整理することです(分散化)。さらには、書かせることです(書面化)。書くことで、本人にクレームが形に残ることを意識させ、頭の整理を促すことになります(セルフモニタリング)。また、こちらとしてはクレームの全体像が見えて、見通しが立てやすくなり、1回に話し合うテーマを限定することができます(内容の構造化)。兵糧攻め―電話攻撃、付きまといある教師は、保護者から、昼夜を問わず、携帯電話へのしつこいクレームで、電話が鳴っただけで、緊張から倒れ込むほどの発作に襲われています。また、ある教師は、過保護な保護者から子供の安否を報告するよう電話がかかってくるのを逐一対応していました。さらに、別の教師は、教育のスキルの特訓という名のもとに、高学歴の保護者の目の前で問題集を解かされるなどして付きまとわれています。このように、教師が保護者に時間的にも精神的にも縛られることで、担任のクラスが自習となり、子どもが騒ぎ、他のクラスなどの周りに迷惑がかかると、職場で孤立しやすくなります。別の教師が、保護者に怪ファックスを流されて、他の教職員によそよそしくされているシーンは痛々しいです。これは、「兵糧攻め」のパターンです。この状況を打開するには、まず援軍を呼ぶこと、つまり、早めに上層部と連携してチームを組むことです。電話対応の窓口は学校の電話番号に一本化して、話し合いのアポを設定し、具体的な内容はその場で取り合わないよう足並みを揃えることです(標準化)。決して、自分独りだけで解決しよう(一騎討ち)としないことです。ドラマに登場するある校長のように、管理者が事なかれ主義で取り合わなかったり、全ての責任を担任のような担当者に押し付けるなどはもっての外です。奇策―難問を吹っかける給食費を滞納しているある保護者は、「なんで払わなきゃならないの?」「小学校は義務教育でしょ」「国がみんなを守る義務があるんじゃないの」「ほら、答えらんないじゃないの」「払う理由の分からないお金を払えって言うの」「ちゃんと説明してよっ」と迫ります。みなさんも、「○○を知っていますか?」と難しい質問をされ、答えられないと、「そんなことも知らないのか!」「それでも医者か!?」などと罵倒されたことはありませんか?これは、難しい質問を吹っかけるという奇策であり、「落とし穴」の攻撃パターンです。この攻撃が「落とし穴」という罠である点は、私たちが質問されて、たとえ1つ答えられたとしても、モンスターはさらに難しい次の質問を用意していることです。つまり、私たちが答えられない状況に確実に追い込んで、威圧して優位に立とうとします。この対処法は、質問を質問で返す「質問返し」です。つまり、難しい質問を吹っかけられた時は、「どうしてそのことをお聞きになるのですか?」「どういう意味でそのことに触れられているのかを正確に把握するため、まずあなたの知っていることを言ってください」と逆に質問することです。たとえこちらが答えを知っていたとしても、決してすぐに答えない、または分からないとすぐに言わない、つまり、その手に乗らない、相手のペースに持っていかれないことです。【限界設定】―できることの限度を示す次のポイントは、できることとできないことの線引きをすること、つまり、できることの限度を示すことです(限界設定)。取り引き―要求水準が高すぎるある保護者がここぞという時に言うセリフがあります。それは、「(要求を受け入れずに)何かあったら責任とってくれますよね」です。これは、責任の押し付けで、一方的に優位な取り引きに持ち込もうとします。また、「謝ってくれたら帰ります」という甘い取り引きに乗るのも罠です。根負けして、責任を了承したり、謝ってしまうと、後々にまたこれらの弱みをネタにされて、話し合いが長期化します。さらに、ある高学歴の「エリートモンスター」の保護者は、「息子の成績が上がらない原因は、○○先生(担任教師)にある」と言い、高いスキルを求め、担任教師に問題集を解かせて、「この程度の問題がおできにならないでよく教壇にお立ちになっていましたね」と言い、教師の学力を上げようと連日、問題集を解かせて追い詰めていくシーンがあります。これは、要求水準が高すぎて、口出しが多すぎる取り引きです。対応のポイントは、できることの限界をはっきり示すこと、つまり線引きすることです(限界設定)。取り引きに応じてはなりません。例えば、「これが私たちにできる精一杯です」「私たちにも、できることとできないことがあります」などと言うことです。また、公平な決まりに従って動いており、他の学校または病院でも対応は同じであると伝えることです(標準化)。例えば、「病院の決まりにのっとってやっています」「これが日本の医療水準です」とはっきり伝えることです。大軍攻め―大人数での押しかけ十数人の保護者たちが、アポなしで教育委員会に押し掛けるシーンがあります。また、ホールを貸し切り、数十人の保護者たちが1人の教育長を公開で吊るし上げようとするシーンもあります。その最悪のシナリオに、見ている私たちはとてもハラハラしてしまいます。不満のある患者が、家族や関係者を引き連れて大人数で私たちの病院に押しかけてきた場合は、どうでしょうか?まずはそのままでは応じないことです。数で圧倒されているわけですから、話し合いの場への参加は、3人までと人数制限することです(参加人数の限界設定)。話し合いの部屋の狭さなどで理由付けができます。一方、こちらは、担当者、現場責任者、記録者の役割分担を3人で行い、連携することです。「院長を出せ」というような組織のトップを呼ぶ要求には基本的に応じないことです。院長は直接、現場の状況を把握しているわけではないので、話し合いに混乱を招くリスクがあるからです。あくまで、まずは現場の担当者と責任者が対応することが規則であることを強調することが大切です(対応者の構造化)。窮鼠、猫を噛む―窮地で反撃、逆恨みある教師は、保護者や校長に追い詰められた逆恨みで、よりによって対応していた教育委員会の職員を刺すというエピソードがありました。このエピソードは教師の問題でしたが、教師や保護者に限らず、人は追い込まれると、突発的にとんでもない反撃をしてしまう可能性があるということが描かれています。「窮鼠、猫を噛む」パターンです。また、後々に根に持ち、逆恨みをする可能性もあります。このような、最悪のシナリオに陥らないようにするために、私たちが心掛ける対応のポイントがあります。それは、最後には相手に逃げ道を残し、相手を立てることです。理屈で説明ができたとしても、その理屈が相手を納得させて、円満解決へと導くことにはならないのです。逆に、その理屈で相手を追い込んでしまうことになりかねません(理責め)。よって、例えば、「気持ちはよく分かりますが、私たちも決まりに従わなければなりません」「(規則に従ってやっているので)お互いにどうしようもないです」という手詰まり感へ持っていくのが落とし所です。「こちらとしても残念です」という共感と弔意を示し、相手も自分もルールを守るという意味では、同じ立場にあることを強調するのが大切です。掟破り―話し合いの枠組みを守らないこれまでに紹介してきた話し合いの枠組み、つまりルールを守ろうとしない相手には、そもそもどうすれば良いでしょうか?これは、「掟破り」のパターンです。例えば、「規則を盾にとって私の権利を蹂躙(じゅうりん)するのか?」と開き直って、迫って来る場合です。対応の基本は、「逃げるが勝ち」です。つまり、負け戦はしないことです。例えば、「規則に従っての話し合いが難しいのでしたら、残念ですが、今日のところはお引き取りください」ときっぱり言い、話を打ち切り、取り合わないことです(対応の限界設定)。【客観化】―第三者にも分かるようにするラストシーンで、ホールに集まった大勢の保護者の前で、ステージに立った樹季は呼びかけます。「子どもたちはいつも大人を見ています」「もっと目線を下げて考えて」と。この呼びかけは、「子どもにどう見られているか」という視点を気付かせたことで、保護者たちに響く言葉でした 。最後のポイントは、第三者にも分かるようにする(客観化)ことです。掟破り―暴言・暴力お引き取りを願っても引き下がらない場合は、どうしたら良いでしょうか?例えば、その場で暴言を吐き始め、他の患者や職員に迷惑が及ぶようになった場合は?さらに、立腹して暴れた場合は?そこで、騒ぎを起こすまいとしてこちらが折れて、譲歩しないことです。逆に、助けを呼んで騒ぎにして、人を集めることです。集まった人はその場の目撃者になります(客観化)。相手は、人に囲まれることになり、数で圧倒されることになります。そして、このままでは警察通報することを伝えます。この時点で、たいていのモンスターは引き下がりますが、それでも引き下がらない場合は、実際に警察官に来てもらいます(客観化)。もう1つ重要な対策があります。それは、書面に残すという記録だけでなく、録音もすることです。これは、記録者の役割です。録音は証拠として残るため、自分自身の言葉を振り返る心理(自己内省)を相手に促し、無言の抑制力にもなります。録音をすることを事前に相手に伝えるわけですが、「録音してもいいか」と伺うのではなく、「録音をとらせていただきます」「重要な案件に対してきちんとした対応をするため、必ず録音をとって万全な対応をとるのが当院の決まりとなっております」と笑顔で宣言するのがポイントです。さらには、防犯カメラが露骨に見えるような部屋を話し合いの場にするのも手ですし、あえてダミーの防犯カメラを設置する一工夫も有効です。そして、了承されないのであれば、やはりお引き取りを願うことになります。私たちも患者も、後で誰かに「見られる(知られる)」可能性があるという視点を持つことで、私たちは「やるべきことをやっている状況だ」、患者は「しょうがない状況だ」とお互いに納得することができて、ルールと中立性を得ることができるのです。表1 要求のパターンと対応のポイント要求(攻撃)対応(防御)パターン例奇襲(不意打ち)怒鳴り込み呼び出しすぐに応じない時間と場所を改める構造化消耗戦居座り話し合いの前に持ち時間を設定する弱点攻め(因縁付け)言いがかり抽象的な話はしない波状攻撃要求の並べ立て細かくはっきりさせる(具体化)分けて整理する(分散化)書かせる(書面化)兵糧攻め電話攻撃付きまとい自分だけ(一騎討ち)で応じないチームで対応する(援軍)奇策(落とし穴)難問を吹っかける分からないとすぐに言わない質問を質問で返す(質問返し)窮鼠、猫を噛む窮地で反撃逆恨み理屈で追い詰めること(理責め)は避ける相手の逃げ道を残し、相手を立てる大軍攻め大人数で押しかける対応者は、担当者、現場責任者、記録係の3人とする相手の参加人数は3人までとする限界設定取り引き要求水準が高すぎる口出しが多すぎるできることの限度を示す他でも対応は同じであると伝える(標準化)掟破り話し合いの枠組みを守らないお引き取りを願う暴言・暴力人(目撃者)を集める警察通報録音客観化「先手必勝」―先回りして手を打つこれまでは要求を突き付けられてからの対応を見てきました。しかし、その前に、私たちにはまだできることがあります。孫子の兵法で「勝ってから戦え」、つまり、明らかに勝てる状況を作ってから戦えという教えがあります。これは、私たちの対応において、先回りして手を打つ「先手必勝」、つまり、事前対策です。さらに、理想的には、潜在モンスターがモンスター化せずに、つまり普通の人のままでいてくれる、つまりは、「戦わずして勝つ」ことが一番望ましいわけです。表2 モンスターのタイプタイプ話を通じさせない話が通じない話が通じる特徴金銭目的愉快犯因縁付け嫌がらせ精神障害により理解力に限度がある。例)精神遅滞、認知症、統合失調症実際に問題が起きて、一時的に感情的になっているだけの場合。対応早い段階で警察や司法の介入早い段階で家族または警察の保護時間と場所を改めてルールを提示「敵を知る」―モンスターのタイプ先回りして手を打つには、まず、「相手を知る」、つまり、相手の特徴をよく分かっている必要があります。その特徴を、対応別に、3タイプに分けてみましょう(表2)。どのタイプかを見極めることで、接し方も変わってきます。まずは、話を通じさせないタイプです。ドラマでは給食費を払いたくないために、言い訳を次々と用意して煙に巻こうとする保護者がいました。このタイプの特徴は、金銭目的や愉快犯で、反社会的集団が関わっている場合もあり、早い段階で、警察や司法の介入が必要になります(客観化)。次に、話が通じないタイプです。「遠足を延期してください」「「私、(不吉な未来が)見えるんです」と言い張る「霊感モンスター」の保護者も登場しました。樹季に「そんなの思い込みよ」と一蹴されても、聞く耳を持ちません。このように「霊感」で周りを巻き込むなど、もはや理屈やルールなどへの理解力に限度がある場合(疎通性不良)は、精神障害の疑いとして、早い段階でその人の家族や警察の保護が必要になります。最後に、話が通じるタイプです。実際に問題が起きて、一時的に感情的になっているだけですので、時間と場所を改めて、話し合いのルールを提示すれば、解決の見通しが比較的に立てやすいです。「己を知る」―自分にできることとできないことを先に伝える提案書例事前に手を打つために、自分たちはどこまでできるかという自分たちの限度を知ることが大切です。そして、それを病院の掲示板や患者への案内書などで目に見える形にすることです(客観化)。みなさんがよく聞くモンスターの常套句は、「聞いてないよ」ではないでしょうか?何ごとも先に伝えることが大切ということになります。例えば、意見箱や相談窓口に寄せられた実際の不満とその対応を目に見える形にすることです。同時に、暴言・暴力は断固反対とのメッセージの貼り紙を貼るのも有効です。さらに、要求を記入するための「提案書」を定型化し、具体的な内容と解決策の項目を盛り込み、話し合いの時間、場所の記入欄を設け、人数制限や録音する決まりを明記することも効果的です。提案書(日付・場所無記入版)をダウンロード※リンクを右クリックして「名前をつけてリンク先を保存」「対象ファイルに保存」を選択ください。提案書(JPG)提案書(PDF)提案書(PPTX)「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」ある教育委員会のメンバーの口癖が、「モンスターと気安く呼ぶな」でした。確かに、「モンスター」というネーミングはとてもウケが良い例えで、レッテル貼り(ラベリング)になる心配もあり、このネーミングを使う時は慎重になる必要があります。ただ、世の中にはこういう人たちが実際にいるのも現実です。そして、樹季自身、教育委員会の仕事を通して、世の中にはいろいろな価値観があり、分かり合う必要があることに気付いていきます。ドラマ「モンスターペアレント」を通して、彼らの存在や生まれる状況をよりもっと知っていくことで、私たちは「ああはなりたくない」と自分自身を振り返ることができます(客観化)。そして、「どうすべきなのか」との新たな職業倫理や、もっと言えば、「自分はどう生きていけばいいのか」との人生哲学の枠組みを見いだすことができます(構造化)。さらには、「自分には何ができるか」との見極めをするようになることで(限界設定)、世の中をより良く生きていくことができるのではないでしょうか?1)「モンスターペアレント」(中経出版) 本間正人2)「モンスターペイシェント対策ハンドブック」(メタ・ブレーン) JA徳島厚生連 阿南共栄病院 教育委員会 編

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