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こうして私は追いつめられた【新型うつ病】

今回のキーワード非定型うつ病進化医学社会脳ただ乗り遺伝子(フリーライダー)疾病利得労働法制方リワーク「新型うつ病」とは?皆さんは、「新型うつ病」という言葉を聞いたことがありますか? うつ病はよく知られていますが、ここ10年くらいで、「新型うつ病」が職場を騒がせています。例えば、「新型うつ病」の彼らは休職中に海外旅行に行こうとします。従来のうつ病とは根本的に何が違うのでしょうか? なぜ医師は休職のための診断書を出すのでしょうか? 果たしてこれは病気なのでしょうか? その正体は? どうすれば良いのでしょうか?前回(9月号)の記事で、進化医学的な視点で従来型のうつ病の理解を深めました。これを踏まえて、今回、「新型うつ病」について同じように進化医学的な視点で、その理解を深め、アプローチのポイントを探っていきましょう。今回、取り上げるのは、2012年に放映されたNHKの実録ドラマ「こうして私は追いつめられた」です。15分の短編映像で分かりやすく見せるための割愛や演出はありますが、「新型うつ病」の心理を生々しく描いており、理解の助けになります。なお、このドラマは、「新型うつ病」の検索ワードによるインターネットの動画の視聴が可能です。「新型うつ病」にはどんな症状がある?―表1主人公の今井は27歳男性で、IT企業の社員です。若手として張り切っていましたが、上司の前田から、仕事のミスについて「何やってんだよ」「そろそろこれくらいのこと、できるようになってくれよ」とたびたび叱責されるようになります。やがて、今井は、買ってきた食べ物をむさぼり食べながら「眠れない」「落ち着かない」などの症状を自覚するようになります。そして、受診した医療機関で、医師にうつ病と診断され、「今後3か月の休養を必要とする」との診断書が渡されます。これだけで見ると、本人が苦しんでいるという点で、診察時には基本的に従来型のうつ病の症状と量的に同じに見えてしまいます。しかし、その後に質的な違いがあることに気付きます。それは、休職してから今井が「よーし、気分転換にグアム行っちゃいますか?」とはしゃいでいるように、休職中に海外旅行に行ってしまうことです。つまり、楽しい出来事には元気になれています(気分の反応性)。これは、前回の記事で紹介しました従来型のうつ病(大うつ病性障害)の診断基準の「ほとんど毎日(ほとんど1日中)」という病状の一貫性を満たさなくなっています。よって、厳密には、今井の病態は非定型うつ病(非定型の特徴を伴ううつ病)が当てはまります(表1)。この診断名が、世の中で「新型うつ病」と呼ばれているようです。なお、「新型うつ病」はあくまでマスコミが作り出した呼び名であり、正式な病名ではないです。詳細は、うつ病学会のホームページのQ&AのQ4.をご参照ください。ちなみに、その他の元気になれる楽しい出来事(気分の反応性)としてよく耳にするのは、同窓会の幹事、転職活動、引っ越し、熱心な趣味や習い事、マラソン完走などです。表1 非定型の特徴を伴ううつ病(非定型うつ病)の診断基準(DSM-5) 感情意欲思考項目◎気分の反応性(1)過食(2)過眠(3)体の重さ(鉛様の麻痺)(4)拒絶に敏感備考◎は必須(1)から(4)の4項目中2項目以上もともとうつ病(従来型)などの診断基準を満たしている(いた)「新型うつ病」の心理とは?―表2今井の言動に注目しながら、従来型のうつ病と比べた「新型うつ病」の心理を大きく3つあげてみましょう。(1)人(周り)のせいにしやすい―他罰今井は、「おれこんなにがんばってるのに」「あの言い方はひどい」「前田のやつ、バカにしやがって」「(今、自分が苦しんでいるのは)全部、あいつのせいだ」と心の中でつぶやいています。そして、「おれをうつ病に追い込んだ鬼畜上司・M田!」とブログで悪口を書き込み始めます。1つ目の心理は、困難(ストレス)を人(周り)のせいにしやすいことです(他責、他罰)。周りを責めることで自分を守る心理です。そのため、責任感が乏しく、迷惑を被っていると感じやすくなり(被害的)、その反撃として攻撃的になります。対照的に、従来型のうつ病の心理は、困難(ストレス)を自分のせいにしやすいことです(自責、自罰)。自分を責めることで周りを守る心理です。そのため、責任感が強くなりすぎて、周りに迷惑をかけていると感じやすくなり(罪責感、罪業妄想)、いたたまれなくなり自殺のリスクを高めます。また、「新型うつ病」では、うつ病と診断された今井が「ですよね~」と喜んで症状をさらに饒舌に語っているように、うつ病と診断されることを積極的に受け入れ、休みたがります。今井が「ほっとした」「おれは悪くない」と言っているように、うつ病と診断してもらえれば、うまく行かないことは病気のせいにできるからです。悪いのは、病気であり、自分ではない。自分は被害者であり犠牲者であるという発想になります。だからこそ、「うつ病になるくらい苦しんだんだから、もう休んでいいんだ」と言い、休職中に悪びれることもなく海外旅行に行くなどSNSで充実したプライベートを発信します。対照的に、従来型のうつ病は、うつ病と診断されることに抵抗的で(否認)、休みたがらないです。それは、うつ病になってしまったのは自分のせいだと思っているからです。(2)周りが自分に合わないと不安がる(「傷付き不安」)―拒絶に敏感今井は、「何か悩みがあるなら聞かせてください。連絡待ってます」との前田からのメールが来た時、「全然分かってねえのか、前田。あんなにおれをいじめといて」と腹を立てます。そして、ブログの「M田のここが許せないベスト10」への好意的な反響メールを読んで、「みんなおれの味方なんだ」「やっぱりおれは間違ってない」と安心します。今井は、叱責など自分が受け入れてもらえない状況に敏感になり落ち着かなくなっていた一方、賛同など自分を受け入れてもらえる状況で落ち着きを取り戻しています。2つ目の心理は、周りが自分の期待に合わない、つまり傷付くことへの不安が強いこと、「傷付き不安」です(拒絶に敏感)。これは、非定型うつ病の診断基準の1つでもあります(表1)。この不安からとても打たれ弱くなります(ストレス耐性の脆弱性)。困難に向き合うこと(直面化)が苦しくなります。逆に傷付かない状況では元気になります。だからこそ、職場ではうつでも、自宅では元気で海外旅行に行こうと思えるのです。さらに、その不安から受け身や逃げ込みの心理が働きます(逃避、回避)。例えば、今井は、自宅に訪ねてきた前田と鉢合わせそうになった時、こそこそしています。前田に不満があるわりに向き合おうとはしていません。最後に復職した時も、「復職したおれをどんなふうに迎えてくれるのだろうか?」と思い、前田に自分からは歩み寄らず、前田が来るのを待っています。ちなみに、この逃げ込み(逃避、回避)の心理が過剰に働いていれば、また傷付くおそれのある職場への復帰には逃げ腰になり、病態が慢性化します。対照的に、従来型のうつ病は、逆に自分が周りの期待に合わない、つまり「傷付ける(=迷惑をかける)」ことへの不安が強いため、我慢しようとして打たれ強くなります。そして、抱え込みの心理が働き(執着)、休職しても早期の復職を望みます。つまり、「新型うつ病」は打たれ弱いために我慢ができなくて「うつ病」になるのに対して、従来型のうつ病は打たれ強いために我慢しすぎてうつ病になるということです。(3)周りに目が向きにくい―共感性欠如今井は、実家で両親から「食欲もあるし顔色も良いんじゃない?」「お前ほんとに病気なのか?」といぶかしく思われます。すると、「病気だっつってんだろ?」と言い返します。周りの意見を気にしない様子がうかがえます。また、その後、今井のブログは世の中で批判を浴びて炎上します。それを知った前田は「これ以上会社を誹謗中傷すると解雇もあるから」との留守録のメッセージを今井の電話に残します。それを聞いた今井は「なんでおれがこんな目に遭うんだ!?」とパニックになります。今井は、周りからどう思われているのかをまだピンときていないのです。3つ目の心理は、自分に目が向きすぎて周りに目が向きにくいことです。周りへのアンテナ(他者配慮)をあまり張っていないのです。これは、「周りよりもまず自分が大事」との思いが強いため、結果的に、周りの人たちへの気遣いが乏しくなります(共感性欠如)。その気遣いとは、例えば、休職中に海外旅行に行ったことを同僚が知ったらどう思うか、悪口を書き込んだブログを上司が知ったらどう思うかということです。また、この心理から「周りが自分に何をしてくれるのか」という発想をしやすくなり、苦手な上司や同僚がいなくなるなどの環境の調整がなされない限り、病状は良くはなりにくくなります。つまり、「なりたい自分」になれないなら、あきらめるという現実には耐えられないので保留という暫定措置をとるため、できる限り休職し続けようとする場合があるわけです。対照的に、従来型のうつ病は、逆に周りに目が向きすぎて、自分に目が向きにくいです。「自分よりも周りが大事」「自分のことは二の次」との思いが強いため、周りに気を使いすぎて(過剰な他者配慮)、「自分が周りに何をするべきなのか」「なるべき自分」という発想をしやすくなります。休職中は診察での態度もとても協力的です。ただ、焦りから早く復職しようとする場合はよくあります。表2 「新型うつ病」と従来型のうつ病の違い 「新型うつ病」(=非定型うつ病など)従来型のうつ病年齢20、30歳代(青年)40歳代以上(中高年)性格(パーソナリティ)自分本位(自己愛)真面目で几帳面(執着器質)例責任感乏しい人(周り)のせいにしやすい(他罰)迷惑を被っていると感じやすい(被害的)強すぎる自分のせいにしやすい(自責)迷惑をかけていると感じやすい(罪責的)ストレス耐性弱い周りが自分に合わないと不安がる(拒絶に敏感)逃げ込み(逃避、回避)強すぎる自分が周りに合わないと不安がる抱え込み(過剰適応)他者配慮乏しい周りに目が向きにくい(共感性欠如)なりたい自分を目指す多すぎる周りに目が向きすぎる(過剰な他者配慮)なるべき自分を目指す治療反応性良好ではない比較的に良好例診断や休職積極的当初は抵抗的(否認)その後に協力的薬物療法効果は限定的多くは効果あり認知行動療法集団で効果あり効果あり予後多くは慢性化多くは軽快なぜ「新型うつ病」になるのか?―図1.これまで、「新型うつ病」には、人(周り)のせいにしやすい(他罰)、周りが自分に合わなと不安がる(拒絶に敏感)、周りに目が向きにくい(共感性欠如)という大きく3つの心理があることが分かりました。それでは、なぜこのような心理になるのでしょうか? なぜ「新型うつ病」になるのでしょうか? ここから、その原因を、社員(個人)と会社(社会)という2つの側面に分けて探ってみましょう。(1)社員(個人)の要因―自己本位な性格(自己愛パーソナリティ)後半にブログのオフ会で登場する臨床心理士ののぞみんが、「現代型うつ(新型うつ病)を発症する大きな原因は、患者さんの精神的な幼さです」と指摘します。言い換えれば、3つの心理の根っこにあるのは、自己本位な性格(自己愛性パーソナリティ)です。これは、真面目で几帳面な従来型のうつ病の性格(執着器質)とは対照的です。つまり、「新型うつ病」の患者は「オンリー・ワン(唯一の存在)」でありたいという心理が根っこにあります。従来型のうつ病の患者がありたい心理である「ワン・オブ・ゼム(組織の歯車)」では納得しないのです。人は成長するにつれて、自分が大事という自己本位の心理(自己愛性)から周りが大事という他者配慮の心理(社会性)にシフトしていきます。例えば、「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン(1人はみんなのために、みんなは1人のために)」という言い回しがあります。本来は、相手や状況(環境)に応じて両者のバランスが取れていることが理想的ですが、「新型うつ病」は「ワン」(自己本位)の心理に偏りすぎてしまい、従来型のうつ病は「オール」(他者配慮)の心理に偏りすぎています。どちらにしても、そのバランスが失われています。両者は、うつ病になるという結果は同じなのですが、性格(パーソナリティ)としての原因は真反対であることが分かります。また、文化によってもこの自己本位と他者配慮の心理のバランスには偏りがあります。日本はもともと他者配慮の強い集団主義の文化であるのに対して、アメリカなどの欧米は自己本位の強い個人主義です。つまり、今、日本では社員(個人)が、集団主義から個人主義化してきているということです。(2)会社(社会)の要因―会社本位な社風前田は一緒に残業をしている他の部下たちに「昔はおれも上司に怒られてへこんで。でもその後、居酒屋に飲みに連れてってもらって。そこで教わったんだよ仕事の意味を。いっしょに客の喜ぶ顔見ようじゃないかって肩叩かれて。それでまた元気になって何とかやって行けたんだ」とこぼします。一方、オフ会でのぞみんは「今の不況では、昔のように十分な社員教育を行えないという悩みもあるんです」「そして会社にも今井さん育てる体制や今井さんへの理解が欠けていた」「そこに断絶が生まれ、お互いが苦しむことになったんです」と続けます。会社(社会)の要因として、会社本位な社風なってしまったことです。経済の低迷や国際競争の激化により、社員を育て成長を見守る余裕が経費的にも時間的にも職場になくなってきました。即戦力や成果を求めすぎて、社員(個人)よりも会社(社会)の利益に重きを置かざるを得なくなってしまったのです。つまり、社員(個人)だけでなく会社(社会)も、集団主義から個人主義化してきているということです。なぜ「新型うつ病」は増えているのか?―表3.「新型うつ病」になる原因は分かってきましたが、なぜこれほどまでに「新型うつ病」は増えているのでしょうか? 海外の状況と比べつつ、日本ならではの状況を社員(個人)と会社(社会)という2つの側面に分けてまた探ってみましょう。(1)社員(個人)の要因―受け身で依存的な育ち方のぞみんは、「核家族やゆとり教育の世代に育って、大事に育てられてきて、人に怒られたり、ぶつかりあったりする経験が少ないから」と言います。ここから分かることは、葛藤(ストレス)の少ない育て方(生育環境)により、自己本位な育ち方に変わってきたのに、受け身で依存的な育ち方は相変わらず残っている、むしろ増えていることです。この世代は、ちょうど1980年代以降の生まれで、現在の20、30歳代ということになります。逆に、1970年代以前の生まれである現在の40歳代以降に「新型うつ病」は少なく、従来型のうつ病が多いです。家庭では、核家族化により祖父母がもともと家におらず、父親は単身赴任や出張で不在がちで、さらに一人っ子で兄弟がいなければ、母親との濃密な関係が増えて、過干渉で過保護に育てられます。母親が先回りするので、小さな失敗や挫折という貴重な経験をしにくくなります。学校では、「みんな仲良し」「ゆとり」という教育方針のもと、競い合いやぶつかり合いが好ましくないと教えられます。よって、友達や恋人との関係も、傷付け合わないために細心の注意を払った表面的な「やさしい」付き合いに留まります。例えば、ラインやメールの返事をいかに早くするかばかりを気にするようになります。言いたいこと言い合ってぶつかり合うような深い友情や恋愛感情の関係にはなりにくくなっているのです。本来、社会では人の価値観はそれぞれ違い、仕事においても恋愛においてもぶつかることは当たり前です。しかし、成人するまでに人間関係でぶつかり合う経験が少ないと、その葛藤を適切に対処する能力が磨かれていかないのです。結果的に、その葛藤(ストレス)を避けるために、逃げ込みの心理が働き、休職という手段を用いて、会社(社会)に依存してしまうのです。それでは、世界、特にアメリカではどうでしょうか? アメリカでは、会社でうまく行かないことがあれば、自分の能力が発揮できないと思い、あっさり辞めて他の会社に転職します。転職率が高いのもうなずけます。一貫したドライな個人主義です。一方、日本では、会社でうまく行かないことがあっても、その会社にしがみつきます。けっきょく集団的な帰属意識が根強いため、社員(個人)は、個人主義的な自己本位に変わってきたのに、集団主義的な依存は変わらないままなのです。これが、さきほどのぞみんが指摘した「幼さ」です。一貫しない「ウェット」な個人主義なのです。ちなみに、この依存的な育ち方として、「新型うつ病」と時期や特徴を同じくして注目されている社会現象が「ひきこもり」や「草食系」です。なかなか働こうとしない心理は、人間関係においてもなかなか働きかけようとしない心理につながっていきます。(2)会社(社会)の要因―保護的な労働法制今井の会社の社長は、前田に「うつ病とか言って単なる『怠け病』じゃないのか。そんなの気合いで何とでもなるんだよ。甘えだ甘え」と吐き捨てます。かつては「気合い」という言葉で、連帯意識を高め、それでも休職してしまう場合、その数少ない社員を手厚く抱え込んでいた時代がありました。当時からの就業規則では「新型うつ病」による休職を想定していません。会社の要因として、現在、「新型うつ病」によって休職する社員が急増しているにもかかわらず、その保護的な労働法制が残っていることです。それでは、世界、特にアメリカではどうでしょうか? アメリカでは、就職は基本的に社員(個人)と会社の契約です。よって、社員(個人)の能力が発揮されていなければ、契約への債務不履行となり、解雇の理由になります。雇用の流動性が高いのもうなずけます。会社も一貫したドライな個人主義です。一方、日本では、うまく行かない社員がいても、保護的な労働法制によって、もともとの給料の7、8割の傷病手当が1年半から3年くらい支給され、手厚く抱え込まれてしまうのです。特に、手厚くされる公務員や大企業の社員は、復職を先延ばしする傾向があります。けっきょく、社会の集団的な連帯意識が根強いため、会社は、利益追求する個人主義的な会社本位に変わってきたのに、手厚い集団主義的な労働法制は変わらないままなのです。これは、「新型うつ病」に戸惑い右往左往する社会の「幼さ」と言えます。日本の社会もまた一貫しない「ウェット」な個人主義なのです。表3 「新型うつ病」の増加の原因、結果、アプローチ 職員(個人)職場(社会)原因変化自己本位(個人主義的)会社本位(個人主義的)無変化依存的な育ち方(集団主義的)休職中の保護的な労働法制(集団主義的)結果逃げ込み抱え込みアプローチ自己本位の是正休職中の依存の脱却会社本位の是正休職中の過保護の脱却なぜ「新型うつ病」は「ある」のか?―グラフ1.これまで、「なぜ『新型うつ病』になるのか?」という疑問やその増加の原因を解き明かしてきました。それは、「かんばりすぎ脳」「上下関係脳」「つながり脳」「先読み脳」でした。それでは、そもそもなぜ「新型うつ病」は「ある」のでしょうか? その起源について、進化医学的な視点で、無意識的な心理と意識的な心理に2つに分けて探っていきましょう。(1)「助けて(休ませて)」という無意識的な心理―「助けて脳」前回(9月号)の記事では、従来型のうつ病の起源として4つの心理の進化をご紹介しました。その中で、3番目の「つながり脳」(社会脳)に着目してみましょう。社会脳とは、助け合い(協力)を好む心理でもあります(利他性)。例えば、困っている人がいたら、私たちは自然と助けたくなります。これは、そうなるように私たちの心が進化してきたと考えられています。この心理が働く遺伝子をより持っている種の共同体(社会)が、生存率や生殖率を高め、子孫をより多く残してきたからです(包括適応度)。この社会脳の中でさらに新しく進化した心理が考えられています。それは、周りの「助けたい」という心理を逆手に取った「助けて」という無意識的な心理です。例えば、身の危険を感じるなどの自分では対処できない困難(ストレス)を感じた時、腰や膝が抜けたり(転換性障害)、気を失い記憶がなくなること(解離性障害)があります。この反応は、単独で行動している場合は生存に不利です。しかし、集団で行動している場合、周りに助けてもらえる可能性が高く、生存に有利であることから進化したと考えられています。ここで、私たちは、「助けて」と言葉で伝えれば済むのに、なぜわざわざ体の反応で示さなくてはならないのかと思うでしょう。その理由は、言葉を使うようになったのは喉の構造が進化したごく最近の20万年前だからです。社会脳は300万年前から進化し始めており、その間の280万年間に、私たちの祖先は、言葉ではなく、主に表情、身振り手振り、態度でコミュニケーションをとっていました(サイン言語)。だからこそ、現代でも、言語的コミュニケーションよりも非言語的コミュニケーションの影響力の方が圧倒的に大きいのです(メラビアンの法則)。つまり、「新型うつ病」の1つ目の起源は、困難(ストレス)を感じた時、うつという反応(抑うつ反応)を周りに見せることで(信号)、周りから援助(互恵的利他行動)を引き出す心理であると言えます(社会的ナビゲーション仮説)。腰抜けや膝抜け、記憶喪失がわざとではないのと同じように、抑うつ反応は、本人が意図せず意識せずに起こります。現代の日本では、社員(個人)のストレス耐性が弱まってきているにもかかわらず、会社(社会)のストレス負荷は増してきています。この状況で、この抑うつ反応が、先史時代の瀬戸際の捨て身の心理戦略から、高度に社会化した現代を生き抜く新たな心理戦略として引き継がれ広がってきているように思われます。そう考えれば、職場ではうつでも自宅では元気であったり、休職中に元気で復職してまたうつになるという現象も、周りの支援を引き出すための一時的なもので一貫性がない点から納得がいきます。また、うつ病の治療としての薬物療法や休養が、従来型のうつ病に効果があるのに対して、「新型うつ病」にはほとんど効果がない現状も、会社の苦手な上司や同僚というストレス因子が変わらない点から、納得がいきます。(2)「どうせならもっと助けて(休ませて)」という意識的な心理―「怠け脳」今井の会社の社長は「怠け」と言い放っています。休職する前、今井は本人なりに一生懸命で、「怠け」の意図や意識ははっきりとは見受けられません。ところが、休職した後、海外旅行に行けるくらい元気になっているにもかかわらず、なかなか復職しようとしない点では、「怠け」の意図や意識が見受けられます。「怠け」もまた、社会脳の中でさらに新しく進化し心理戦略と考えられます。それは、助け合い(協力)の心理を出し抜いた「働かなくても良いなら働かない」、今井に当てはめれば「どうせならもっと助けて(休ませて)」という意識的な心理です。先史時代、私たちの祖先は、助け合い(協力)によって得た共同体(集団)の食糧(資源)を平等に分配してきました。ところが、その平等意識に乗じることで、その資源を楽して手に入れようとする心理もまた進化したのです。これを駆り立てるのは、「ただ乗り遺伝子(フリーライダー)」と呼ばれます。みんながお金を払って乗り物に乗っているのに自分だけただで乗ろうとする、言い換えれば、みんなが働いているのに自分だけは休もうとすることです。実際に、社会主義国家であったかつてのソビエト連邦や、国民を厚遇した政策のギリシアでは、働かない人が増えすぎて、国の運営が破綻しました。つまり、「新型うつ病」の2つ目の起源は、うつによって周りから援助が得られた時に、うつが治らないことを主張することで、その援助の継続を引き出す心理であると言えます(疾病利得)。これは、休めることに味を占めて、自分の権利として就業規則による休職可能な期間を目一杯に休もうとする点で、損得勘定が働いており、意図して意識して起こっていると言えます。「新型うつ病」は、経過の途中で、無意識的な心理から意識的な心理にシフトしていると言えます。「『新型うつ病』は怠けか病気か?」という議論の難しい点は、この無意識と意識の心理の偏りが、患者によっても、また病期によっても違うため、一概に言えないことです。さらに、本人は「おれは悪くない」という心理が強いため、「怠け」の要素を認めたがらないです。ここで言えることは、「新型うつ病」に「怠け」の要素はあると私たちは理解しつつも、臨床の場面で「怠け」という価値判断を含む言葉を使うことは治療的ではないということです。なぜ医師は休職診断書を作成してしまうの?―医師の心理.今井がうつ病と診断されて「ですよね~」と喜んでいる様子に、医師は「はい?」とけげんな表情をしています。実際に、ほとんどの医師は、初診の段階で「新型うつ病」を疑ってはいるのですが、なぜ休職のための診断書を作成してしまうのでしょうか? その理由は、大きく3つあります。(1)訴えを重くとる―見逃しはだめ1つ目の理由は、医師は基本的に症状を重くとることです。今井は「おれこんなにがんばってるのに」と思っており、それを医師は聞いています。患者が本人なりにはがんばっている点で(過剰適応)、「新型うつ病」に従来型のうつ病の要素も混じっていることが実際の臨床でよくあります。つまり、少なくとも初診時の診察室の中だけでは一概に「新型」か従来型かとはっきり言い切れないということです。このような病態に対して、「新型うつ病」と決め付けて、訴えを過小評価して休養を指示せずに後に従来型のうつ病の要素で症状が悪化して自殺されるなどの重大な事態を招くと問題があります。逆に、「新型うつ病」と決め付けず、むしろ訴えを過大評価して安全策として休養を指示して、実は後から休養するほどではなかったと分かっても問題はないです。つまり、医療において重要視されるのは、「空振りはありだけど見逃しはだめ」ということです。(2)訴えを受け止める―信頼関係が大事2つ目の理由は、医師は基本的に訴えを受け止めることです(受容)。医師は今井の饒舌な訴えに耳を傾けています。医師は、この受容によって信頼関係(ラポール)を築くことを優先します。これは医師の倫理観でもあります。逆に言えば、上から目線で疑いの目を向けていたら(パターナリズム)、治療が始まらないということです。たとえ「新型うつ病」を見抜いていたとしても、少なくとも訴えを受け止めているふりをして、暴くことはためらいます。(3)訴えを覆せない―客観性がない3つ目の理由は、医師は基本的に訴えを覆せないことです。今井の饒舌な様子(表出)から症状が誇張されていることが推測されます。実際の臨床では、「『うつ』でもう職場に行けない」と言い張ったり、「このままだとどうにかなってしまう」とほのめかす患者も多いです。うつ病の診断や治療方針は、このような診察室での患者の主観的な訴えを根拠としており、それが疑わしいと思っても、それを覆すだけの客観的な事実や検査データが医師側にはないのが現実です。患者は、診断書をもらう時点では海外旅行に行くとは言いません。多くのうつ病の心理検査も、患者の主観が反映されてしまい、客観性には限界があります。このような状況で、もし十分な根拠なく訴えを突っぱねれば、逆に医師の判断に客観性がないことになり、医師によるいやがらせ(ドクターハラスメント)だと受け取られる危険性もあります。さらに、患者によっては、休養診断書を手に入れるために、医療機関を渡り歩く場合もあります。最初のうちは休職するほどの状態ではないと医師から判断されるのですが、納得が行かず、セカンドオピニオンの名のもとに受診を繰り返すうちに、やがて訴え方が誇張的で誘導的になり、最終的に休職診断書を手に入れることができるのです。「新型うつ病」にどうすれば良いの?―表3、表4.これまで、「新型うつ病」の理解を深めてきました。治療反応性としては、従来型のうつ病が良好であるのに比べて、「新型うつ病」はもともと良好ではないことが分かります。それでは、どうすれば良いのでしょうか?「新型うつ病」の原因は主に4つであることを解き明かしてきました。それは、社員(個人)が自己本位(個人主義的)になったこと、社員(個人)が依存的なまま(集団主義的)であること、会社(社会)が会社本位(個人主義的)になったこと、会社(社会)が労働法制によって休職中に保護的なまま(集団主義的)であることです。ということは、その4つの原因に対して、それぞれ4つのアプローチをすれば良いのです。それは、社員(個人)の自己本位の是正、社員(個人)の休職中の依存の脱却、会社(社会)の会社本位の是正、会社(社会)の休職中の過保護の脱却です。ここから、社員(個人)と会社(社会)という2つの側面に分けて、さらにそれぞれの側面で2つのアプローチのポイントをご紹介します。社員(個人)にどうすれば良いのか?.(1)周りに目を向けさせる―認知行動療法オフ会でのぞみんは「つらそうですね」と今井に共感します。しかし、間を置いて「M田さんも」と付け加えると、今井は「はっ?」「のぞみん、M田の味方なの?」とびっくりして言います。そして、他の参加者は「なんでM田の気持ちなんて分かるわけ?」と質問してきます。1つ目のアプローチのポイントは、自己本位の是正と依存の脱却のために、周りの視点に立たせて周りに目を向けさせることです(認知行動療法)。これは、一方的に説教をすることではないです。自分に目が向いてばかりで自分のことでいっぱいになっている本人に、周りがどう思っているかなどを具体的に問いかけ多面的に想像させます。例えば、本人が休職中に海外旅行に行ったことを知った同僚の気持ち、自分が悪口を書き込んだブログを見た上司の気持ち、そして今井を叱っていた時の上司の気持ちなどです。また、過去・現在・未来の時間軸の視点に立たせて将来に目を向けさせることです(メタ認知)。今この瞬間に目が向いて逃げ込もうとしている本人に、本人に「新型うつ病」の特性の理解を促し、このままだと将来どうなるかなどの見通しを伝えます。例えば、本人の物事のとらえ方(認知)に主な原因があること、原因からして従来型のうつ病ではないこと、薬の効果は限定的であること、休職が長引けば長引くほど対人スキル(社会性)が低まり逆に復職が困難になること、部署移動や転職により職場の環境を変えるだけでは同じ症状がまた出る可能性が高いことなどです。(2)周りが自分に合わなくても不安がらなくさせる―集団の復職訓練(リワーク)オフ会の参加者の男性の1人が「(妻が)『今夜は出かけるんだ。気分転換も大事だよね。いってらっしゃい」って嫌味を言うんだよ」「あいつ(妻)は内心じゃおれのこと働きもせず遊び歩いちゃってと思ってるんだよ」と嘆きます。すると、他の参加者たちは「それって」「単に思い込みなんじゃ・・・」とぼそっと指摘します。このやり取りを見た今井は、自分が独りよがりだったことに気付き、復職を決意するのです。ここから分かることは、自分独りでは気付かなかったことが、集団の中では気付くことができることです。昔から「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったものです。2つ目のアプローチのポイントは、自己本位の是正と依存の脱却のために、休職しているうつ病の患者が集まった集団で復職訓練を行うことです(リワーク)。昨今では、このリワークを行う医療機関や企業が増えてきています。「新型うつ病」の患者は、医師や臨床心理士などの医療職(権威)からの個別の指摘に対しては、「傷付き不安」から身構えてしまい、自分の偏った考え方(認知の偏り)を認めようとしなかったり(否認)、反発するケースがあります(抵抗)。ところが、自分と似たメンバーからの指摘であれば、仲間意識による親近感から「傷付き」も最小限になります。こうして、安心感のある集団の中で、小さな「傷付き」体験を積み重ねることで、物事のとらえ方(認知)の偏りが修正され、周りが自分に合わなくても不安がらなくなり、「傷付き不安」を克服して、打たれ弱くはなくなります(人間的成長)。言い換えれば、リワークとは、仲間といっしょに小さく傷付け合うことで、人間関係とは何かを学ぶ大人の学校です。リワークによって、「自分の周りには相手がいる」「自分はたくさんの中の1人なんだ」という現実をより意識するようになります。すると徐々に、「自分にばかり目が向いていた」「上司や会社のせいにしてばかりだった」「嫌なことから逃げていた」という自分のもともとの考え方(認知)に気付くようになります。そして、「もっと周りにも目を向けよう」「自分にも悪い所があった」「嫌なことでも仕事だからやろう」と考えるようになります。こうして、自分も大事だけど周りも大事と思うようになり、「なりたい自分」と「なるべき自分」のバランスがよりとれるようになっていきます。会社(社会)はどうすれば良いのか?.(1)社員(個人)を育て見守る取り組みを行う―アサーショントレーニング上司の前田は一緒に残業をしている他の部下たちに「おれだって好きで今井を叱ってたわけじゃないよ」「早く一人前になってもらわなきゃ困るから必死だったんだよ」とこぼします。すると、ある部下が「今井も必死だったんじゃないですか?」「毎日あわただしすぎて、とにかく失敗しないように必死で、そればっかりで分かんなくなっちゃったじゃないですかね」と進言します。思い直した前田は、いよいよ今井が復職した日に「ありがとう。待ってたよ」「これからはもっとコミュニケーションをとって、いっしょに成長していけたらと思っている」と同じ目線で真摯に向き合います。すると、今井も「ありがとうございます」と素直に答えることができるのです。1つの目のアプローチのポイントは、会社本位の是正のために、そして長期的な会社の利益のためにも、社員(個人)を育て見守る取り組みを行うことです。これは、昔ながらの「気合い」や「精神力」などの抽象的な言葉で一方的に押し付けることではありません。例えば、それは感謝し合うポジティブなコミュニケーションのスキルを会社全体で推し進めることです(アサーショントレーニング)。また、「こうしろ!」「ああしろ!」という指示命令ではなく、「あなたはどうしたい?」「何ができるの?」「私たちは何をしてあげられる?」という問いかけによる双方向のかかわり方です。さらには、入社研修で新人社員たちに今回紹介しているこのドラマを流して、休職中に海外旅行に行く社員の問題点や上司が一方的に叱責する会社の問題点などについてグループワークをして、コミュニケーションの大切さをお互いの共通認識とすることです。「新型うつ病」のなり方を学ぶことは、「新型うつ病」にならないやり方を学ぶことでもあるからです。(2)休職中の傷病手当を最低限の設定に引き下げる―限界設定上司の前田は、部下たちに「(休職している)今井の担当分は同じチームのみんなに肩代わりしてもらう」と伝えます。すると、部下たちは「そんなあ、おれたちもう今の作業量でいっぱいいっぱいですよ」と嘆きます。一方、今井は休職中に傷病手当で海外旅行に行っています。これは、明らかに不公平です。このドラマでは、幸運なことに、オフ会でのやり取りのおかげで、今井は考え直し、早めに復職することができました。しかし、実際は、休職中の手厚い保障に安住することで、なかなか復職できないケースが多いです。2つ目のアプローチのポイントは、休職中の過保護の脱却と公平性のために、休職中の傷病手当を生活費と医療費を加味した最低限の設定に引き下げることです。つまり、保障の線引きを見極めるということです(限界設定)。これには、日本の労働法制が変わらなければならないです。そうすることで、本人に早期の復職が動機付けられます。そもそも、「傷病」の期間は、休養の期間であり、海外旅行などの交遊費にお金がかかることはないはずです。交遊費にお金をかけるくらい活動性が高いなら、早期に復職するタイミングであると言えます。また、自宅では元気で職場でうつになるという状態なら、それは本人にその職場が合っていないわけで、退職や転職のタイミングであると言えます。ただ、ここで誤解がないようにしたいのは、先ほど紹介したアメリカのような完全な契約社会が望ましいというわけではないです。それは、全くセーフティネットがないことはホームレスや犯罪などの別の社会問題を引き起こすリスクが高まるからです。かと言って、先ほど紹介したかつてのソビエト連邦や現在のギリシアのような生活が過剰に保障された社会もまた望ましくないです。それは、働かない人たち(フリーライダー)が増えすぎてしまい、国の財政(資源)を食い潰して、国家(集団)が破綻するリスクが高まるからです。現在の日本は、正規労働が昔ながらの労働法制で過剰に保障されています。その過剰になった保障の費用を抑えようとして、会社は全く保障のない非正規労働を増やし続けています。格差がますます開き、アンバランスになっています。望ましいのは、非正規労働を減らし正規労働を増やすことはもちろんですが、同時に正規労働の過剰な保障を是正することです。大事なことは、「切り捨て」の社会も「抱え込み」の社会も同じくらいの危うさがあり、私たちは、そのバランスをとる必要があるということです。表4 「新型うつ病」へのアプローチのポイント アプローチポイント職員(個人)自己本位の是正休職中の依存の脱却周りの視点に立たせて周りに目を向けさせる(認知行動療法)過去・現在・未来の時間軸の視点に立たせて将来に目を向けさせる集団で復職訓練を行う(リワーク)職場(社会)会社本位の是正職員(個人)を育て見守る取り組みを行う休職中の過保護の脱却休職中の傷病手当を最低限の設定に引き下げる(限界設定)「新型うつ病」はどこに行くの?.「新型うつ病」は、現在の日本の文化が作り出した要素が大きいことが分かります。それは、もともとの集団主義的な文化から新しい個人主義の文化に変わりゆく時代の流れの中で起きています。つまり、「新型うつ病」は、「助けて脳」と「怠け脳」という社会脳の進化の代償であるだけでなく、現在の日本の一貫しないウェットな個人主義という「文化の代償」とも言えます。今ここで、「新型うつ病」の正体が見えてきました。そして、どうすれば良いのかも分かってきました。これから社員(個人)も会社(社会)も私たち全員が、「新型うつ病」をより良く理解していけば、そして、バランスのとれた新たな労働の文化を生み出していけば、「新型うつ病」という現象はなくなっていく可能性があるのではないでしょうか?1)吉野聡:「現代型うつ」はサボりなのか、平凡社新書、20132)NHK取材班:職場を襲う「新型うつ」、文藝春秋、20133)アンソニー・スティーブンズほか:進化精神医学、世論時報社、20114)大平英樹:感情心理学・入門、有斐閣アルマ、2010

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第30回 医療に絶対を求める裁判所の結論への疑問

■今回のテーマのポイント1.乳腺疾患で一番訴訟が多いのは乳がんである2.乳がんに関する訴訟では、診断、手術適応、説明義務違反が主として争われている3.本事例における病理診断に対する裁判所の過失判断の枠組みには問題があり、再考の必要がある■事件のサマリ原告患者X被告Y病院 Z医師(病理医)争点診断ミスによる債務不履行責任結果原告勝訴、1,645万円の損害賠償事件の概要45歳女性(X)。平成13年10月、市の乳がん検診を受診し、左乳腺腫瘤を指摘されたことから、近医を受診し、超音波検査を受けたところ、やはり、同部に腫瘤が認められました。Xは、同月23日に精査のためY病院を受診し、A医師により、触診、超音波検査、マンモグラフィーおよび吸引細胞診などが行われました。超音波検査の結果は、乳がんを疑うとされましたが、マンモグラフィーではがんは指摘されませんでした。Y病院の病理医のZ医師は、Xの吸引細胞診の検体を観察し、細胞診検査報告書に、「血性で汚い背景です。クロマチン増量、核小体腫大、核大小不同を示す不規則重積性のみられるatypical cell(異型細胞)がみられます。Papilo tubular Ca(乳頭腺管がん)を考えます。診断PAP ClassⅤ(パパニコロウ分類)」などと記載してA医師に報告しました。以上から、A医師は、Xに対し、検査の結果、左乳腺腫瘤はがんであったと伝え、11月7日に、左乳房の非定型乳房切除術を行いました。ところが、切除検体を用いた病理診断の結果は、「全体像を総合的に検討すると、病変は、増殖が強く、典型的とはいえないが、乳管内乳頭腫である可能性を第一に考える」と診断されました。これに対し、Xは、不必要な手術を受けた結果、左肩関節の可動域制限および乳房再建手術を受けることとなったなどとして、Y病院および、病理医のZ医師に対し、約2,720万円の損害賠償請求を行いました事件の判決細胞診の判定としては、従来より、パパニコロウ分類が用いられている。このパパニコロウ分類においては、細胞診所見において異型細胞をみないものがクラスI、異型細胞はあるが悪性細胞をみないものがクラスII、悪性を疑わせる細胞をみるが確診できないものがクラスIII、悪性の疑いが極めて濃厚な異型細胞を認める場合がクラスIV、悪性と診断可能な異型細胞を認める場合がクラスVとされている。このように、クラスVとの診断は、疑いを超えて確診に至ったものであるから、クラスVというためには、診断時の所見に照らし、悪性と診断できる確実な根拠があることが必要であるというべきである。上記のとおり、本件では、術前の細胞診の結果、クラスVと診断されているにもかかわらず、術後の組織検査においては、被告病院を含む3つの医療機関において、いずれも良性である乳管内乳頭腫との診断がされており、術前の細胞診のプレパラートについても、他院において、クラスIIとの判定がされている。その上、本件当時被告病院に勤務していた細胞検査技師は、他施設の検査技師も悪性を疑うという意見であったこと及び被告病院で再度検討した結果としてもがんの可能性がないとは言い切れないとの判断であったことを陳述しているところ、これらの判断を上記分類に当てはめた結果については何ら言及されていないが、悪性を確診するとか、これを強く疑うとの記載がないことからすると、せいぜいクラスIIIに分類すべきとの判断と理解でき、この陳述からしても、被告Z医師の判定は誤りであったとうかがわれるところである。・・・・(判決文中略)・・・・上記で認定説示した事実と弁論の全趣旨によると、被告Z医師には、細胞診の検体からは良性の可能性も否定できず、さらに生検等によってこの点を精査すべきであったにもかかわらず(この点は、仮に、判定がクラスIVであっても同様である)、良性の可能性を疑う余地がないかのような判定をした点において、細胞診の診断を誤った過失があると認められる。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(東京地判平成18年6月23日判タ1246号274頁)ポイント解説■乳腺疾患の訴訟の現状今回は乳腺疾患です。乳腺疾患で最も訴訟が多いのは乳がんであり、疾患全体の中でその多くを占めています。乳がんに関する訴訟の原告勝訴率は、55.6%と高いのですが、平均認容額は、約1,387万円とそれほど高額とはなっていません(表1)。これは、乳がんに関する訴訟では、悪性疾患であるにもかかわらず、生存患者からの訴訟が多く、かつ、がん自体が根治していてもなお訴訟に到っていることが原因となっています。参考までに肝細胞がんに関する訴訟(20件)では、患者転帰が生存である率は4.8%しかなく、膵がんに関する訴訟(4件)では0%です。一方、乳がんに関する訴訟では、55.6%と高率であり、かつ、乳がん自体は根治している事例が3件(33.3%)もあります(表2)。乳がんに関する訴訟は大きく分けて3つの類型があります。1つは、本件で取り扱ったような誤診事例であり、もう1つは、不必要に拡大手術を行ったとして争われる事例であり、最後の1つが、説明義務違反の事例です。悪性疾患であることからか、不必要な拡大手術を行ったとして争われている事例では、原告勝訴事例はありません。しかし、良性の腫瘍を誤って悪性と診断し、切除した場合(誤診事例)には、原告が勝訴しています。やはり、結果が(後になってからではありますが)明らかである分、裁判所の判断が厳しくなるものと思われます。■病理医が訴えられ敗訴本件の判決で大きな問題といえるのは、病院とともに、病理医が個人として訴えられており、かつ、敗訴している点です(約1,645万円の損害賠償)。本判決の判断枠組みは非常にシンプルで、「ClassVは、悪性と診断できる確実な根拠があることが必要」であるところ、「他の病理医がClassIIと診断している」したがって、「良性の可能性を疑う余地があるのにClassVとしたのは過失」というものです(図)。しかし、この判断枠組みに従うと、後に他の病理医が良性と診断すると、過失と認定されることとなってしまいます。ご存じのとおり、病理診断には診断基準はあるものの、経験に基づく総合判断によることから、病理医により診断が分かれることがしばしばあります。そのような場合、結果として誤って悪性度を高く判断をしたら、過失と認定されるとなると、病理医は、ClassVと診断できなくなってしまいます。誰がみても明らかなものでない限り、Class Vと書けなくなってしまうとなると、Class IIIやIVとして要再検査とする病理診断が跋扈することとなり、患者は無駄な検査の負担を負うこととなりますし、場合によっては、治療の時期が遅れて生命に関わることもありえます(もし、仮に結果として悪性であったのに萎縮診断によりClass IIIと書いたため治療が遅れたとして訴訟された場合には、同一の判断枠組みを用いて過失はないと判断するのでしょうか)。もちろん、誰がみても明らかな水準の誤診であった場合には、病理医に責任があるとされることは止むを得ません。本事例がどちらであったかは判断できませんが、すくなくとも、本判決における判断の枠組みは、病理医に対し強い萎縮効果を持たせることは明白であり、その結果、過剰な検査などによる負担を負うのは患者です。現在は、だいぶ改善していますが、福島大野病院事件以前の判決では、このような現場を無視した過剰かつ、過酷な判決がしばしば見受けられました。司法と医療の相互理解を深め、萎縮効果を生むような判決が示されないよう努力していく必要があります。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)東京地判平成18年6月23日判タ1246号274頁

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第29回 外科手術に100%を求める裁判所の姿勢への疑問

■今回のテーマのポイント1.整形外科疾患で一番訴訟が多い部位は「脊椎」である2.脊椎疾患に関する訴訟では、手術適応、手技ミス、術後管理、説明義務違反が主として争われている3.脊椎疾患に関する訴訟では、他の診療科の疾患に比し、手技ミスが容易に認められており、大きな問題である■事件のサマリ原告患者X被告Y病院争点手術手技上のミスによる債務不履行責任結果原告勝訴、1,260万円の損害賠償事件の概要55歳女性(X)。平成12年頃から、腰痛ならびに右下肢の痺れおよび疼痛が出現したことから、平成13年に近医受診したところ、第4腰椎と第5腰椎間に脊柱管の狭窄が認められ、腰部脊柱管狭窄症と診断されました。その後Xは、近医にて、理学療法を受けたり、鍼灸院に通院したりしたものの、症状が改善しなかったため、平成16年8月、Y大学附属病院を紹介受診しました。Y大学附属病院にて神経根ブロックを実施したところ、心拍数および血圧が急激に低下したため、Xに対する神経根ブロックは途中で中止となりました。検討の結果、今後も神経根ブロックを実施しないこと、Xに対し除圧手術を行うこととなりました。Xは、平成16年9月24日、除圧手術目的で入院となり、同月30日に内視鏡下で手術が行われました。執刀医であるA医師は、硬膜を露出させるために、エアドリルなどを用いて第4腰椎の椎弓を切除するとともに、ケリソン・ロンジュールなどを用いて、黄色靭帯の切除を開始しました。A医師が黄色靭帯の切除を続けるうちに、硬膜外腔の脂肪層が消滅し、黄色靭帯と硬膜とが広範囲にわたって癒着していることが明らかとなりました。そこで、A医師は、硬膜を直視下に確認できない状態のまま、剥離子を用いて硬膜と黄色靭帯とを剥離しながら、ケリソン・ロンジュールを用いて黄色靭帯を切除していきました。ところが、その後しばらくして、術野に髄液と思われる透明の液体が漏れ出してきました。A医師は、硬膜損傷の可能性を疑いましたが、硬膜を観察することはできなかったため、内視鏡下法から従来法に、術式を変更することとしました。A医師が硬膜を露出させたところ、露出した硬膜の左側において、硬膜およびクモ膜が円状(直径約1cm)に欠損しており、同欠損部分から馬尾が露出していました。また、欠損が生じていない部分についても、硬膜の菲薄化が進行していました。A医師は、狭窄箇所に対する除圧を十分に行った後、Xの傍脊柱筋から縦2cm × 横3cmの筋膜を採取し、上記欠損部分を覆うようにして、椎弓および軟部組織に上記筋膜を逢着し、手術を終了しました。 しかし、Xは、病室に戻った直後から、左下肢の痺れおよび疼痛を訴えるようになり、翌日以降には、左臀部、陰部の痺れおよび疼痛、ならびに膀胱機能障害が認められるようになりました。その後、加療したものの、症状の十分な改善はみられず、Xは、身体障害者福祉法施行規則別表第5号3級の「体幹の機能障害により歩行が困難なもの」に該当する障害と認定され、身体障害者手帳の交付を受けました。なお、Xが従前訴えていた右下肢の痺れ及び疼痛については、本件手術後、その大部分が消失しました。これに対し、Xは、手術手技上のミスなどがあったとして、Y大学附属病院に対し、約2,980万円の損害賠償請求を行いました。事件の判決A医師は、黄色靭帯と硬膜との剥離を開始する前の時点で、L4/5の硬膜外腔の脂肪層が消滅し、硬膜と黄色靭帯とが広範囲にわたって癒着していることを認識していたと認められる。ところで、証人の証言及び鑑定の結果によれば、黄色靭帯と馬尾を保護する硬膜とが癒着している場合、硬膜の菲薄化が進んでいることが多く、黄色靭帯の剥離に伴い、硬膜及び硬膜下に存在する薄いクモ膜に欠損が生じる可能性があることが認められる。また、前記で認定した事実及び鑑定の結果によれば、硬膜及びクモ膜に欠損が生じた場合、これらに保護された馬尾に損傷を生じる可能性があること、また、L4/5に存する馬尾に損傷が生じた場合、下肢の筋力低下、感覚障害並びに膀胱及び直腸の機能障害といった重篤な障害が生じ得ることが認められる。そうすると、A医師は、本件手術において、黄色靭帯を硬膜から剥離して除去する際、硬膜及びクモ膜に欠損を生じさせ、馬尾を損傷することのないよう、慎重に黄色靭帯の剥離を行い、剥離が完了した部分のみをケリソン・ロンジュール等を用いて除去すべき注意義務を負っていたというべきである。また、前記で認定した事実によれば、本件手術が従来法に比べて難易度の高い内視鏡下法により行われていたこと、内視鏡下法で開始された手術であっても、従来法に術式を変更することは比較的容易であることが認められるから、A医師の負っていた上記注意義務は、従来法により手術を実施した場合に比して軽減されるものではないというべきである。A医師は、硬膜を直視下に確認できない状態のまま、剥離子を用いて硬膜と黄色靭帯を剥離しながら、ケリソン・ロンジュールを用いて黄色靭帯を切除していった。その結果、原告の硬膜及びクモ膜に、直径約1cmの欠損を生じさせている。ところで、鑑定の結果によれば、本件手術に用いられたケリソン・ロンジュールは、1回の操作で数mmの組織しか切除することができないものであることが認められる。そうすると、A医師は、硬膜から剥離しきれていない黄色靭帯ないし硬膜そのものを、ケリソン・ロンジュールによって複数回にわたって切除したか、又は、これらをケリソン・ロンジュールによって把持した状態で牽引操作を加え、硬膜を引き裂いて原告の硬膜及びクモ膜に直径約1cmもの欠損を生じさせたと認めることができる。そして、このようなA医師の手技は、前記で判示した慎重に黄色靭帯の剥離を行い、確実に剥離された部分のみをケリソン・ロンジュール等を用いて除去すべき注意義務に反するものといわざるを得ない。したがって、A医師には手技を誤った過失があり、これは、被告の診療契約上の債務不履行に当たる。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(鹿児島地判 平成24年4月11日)ポイント解説■整形外科疾患の訴訟の現状今回は整形外科疾患です。整形外科疾患で最も訴訟が多い部位が「脊椎」であり、ほぼ半数を占めています。次いで多い部位が下腿で、以下、大腿、股関節、手関節となっています(表1)。脊椎疾患は、疼痛や痺れなど症状はあるものの、従前、歩行していた患者が、突然、寝たきりとなってしまうことから、訴訟件数が多くなっています。このような背景からか、脊椎疾患に関する訴訟は、他の部位と比し、原告側の勝訴率も高く(76.9% 対 33.3%)、かつ、認容額も高く(1,888万円 対 1,154万円)なっています。 脊椎疾患に関する訴訟で最も多い疾患は、腰部脊柱管狭窄症で、次いで頸椎症性脊髄症となっています。そして、脊椎疾患に関する訴訟において主として争点となるのは、手術適応、手技ミス、術後管理(再手術決断の遅れを含む)、説明義務違反であり、裁判所が過失を認めた争点として最も多いのが術後管理(4/5件)であり、次いで説明義務違反(3/6件)となっています(表2)。画像を拡大する画像を拡大する画像を拡大する画像を拡大する■脊椎疾患における手技ミス脊椎疾患に関する訴訟において特徴的なのは、他の手術と比べ手技ミスが認められやすい(2/5件)点です。第18回でも解説したように、裁判所は、具体的な手術手技に著しい問題があった場合にのみ、手技上の過失を認めることが通常ですが、脊椎疾患については、手技上の過失を厳格に認める傾向があります。本事例においても、「A医師は、本件手術において、黄色靭帯を硬膜から剥離して除去する際、硬膜及びクモ膜に欠損を生じさせ、馬尾を損傷することのないよう、慎重に黄色靭帯の剥離を行い、剥離が完了した部分のみをケリソン・ロンジュール等を用いて除去すべき注意義務を負っていたというべきである。また、前記で認定した事実によれば、本件手術が従来法に比べて難易度の高い内視鏡下法により行われていたこと、内視鏡下法で開始された手術であっても、従来法に術式を変更することは比較的容易であることが認められるから、A医師の負っていた上記注意義務は、従来法により手術を実施した場合に比して軽減されるものではないというべきである」として、厳格に手技ミスを認めています。他の判例においても、「被控訴人が手術前四肢全体としては重度の障害があったというものの、術後は両下肢を全く動かすことができず手指もほとんど動かないといった質的に明らかに異なる四肢不全麻痺が出現していることに加え、前記頸椎後縦靱帯骨化巣の切除のためのエアトーム使用の際の危険性等に照らせば、乙医師が本件第1頸椎手術の際になんらかの原因で脊髄を損傷したものとみるのが自然かつ合理的であるから、控訴人の主張は採用することができない。そうすると、頸椎後縦靱帯骨化巣の前方からの切除術が難易度の高い手術であることを十分に考慮に入れても、上記損傷が不可避であった等の特段の事情について立証のない本件にあっては(なお、乙医師は、本件手術当時、500例を超える頸椎手術を経験していたこと、上記のとおり、本件手術に際しマイクロスコープを用いていたことのみでは上記特段の事情があると認めることはできない。また、損傷が不可避であるとすれば、このような手術方法を選択したこと自体の当否が問題とされるべきであろう)、乙医師が過誤によって脊髄を損傷したものであると推認すべきであって、乙医師は、上記〔1〕ないし〔3〕の際に、細心の注意を用い脊髄を損傷させないようにすべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠った過失があるというべきである」(福岡高判平成20年2月15日)といったように損害が発生した以上は過失が推認され、病院側から特段の事情を主張立証する必要があるとするような判決まであります。いくら損害が重大であったとしても、このような裁判所の傾向は問題といえます。法律上、主張立証責任は原告が負っているのであり、原告から具体的な過失を提示されない限り、病院側は防御のしようがありません。あまつさえ、何も問題がなかったことを病院側で立証しろといった悪魔の証明を課すことは、およそ許されることではありません。2000年代に生じた医療バッシングの残骸(可哀想だから金を払え)が、脊椎疾患に関する訴訟に残っているように思われます。医療側は、批判を受け反省し、脊椎内視鏡手術については、現在、認定を受けた脊椎外科医のみが執刀できるようにしています。それでも残念ながら合併症がなくなることはありません。このような過酷な判断が繰り返され、萎縮医療が進むようなことがあれば、結局、不利益を受けるのは国民です。医療の現実を直視し、裁判所は冷静な判断をするよう切望します。(*判決文中、下線は筆者による加筆)※資料作成 森 亘平氏(浜松医科大学医学部医学科2年)裁判例のリンク鹿児島地判平成24年4月11日福岡高判平成20年2月15日本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。

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第27回 出生前診断の伝達ミスの悲劇 その時メディアは!?

■今回のテーマのポイント1.児の死亡慰謝料を請求するために「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が争われることとなった2.本判決は、羊水検査結果の誤報告により先天性異常を有する子どもの出生に対し、心の準備やその養育環境の準備をする機会を奪われたことに問題があったとしている3.メディアと医療、司法との相互理解も重要である■事件のサマリ原告子どもの母親X1および父親X2被告A病院争点説明義務違反結果原告勝訴、それぞれに500万円ずつ(合計1,000万円)の損害賠償事件の概要41歳女性(X1)。平成23年2月、X1は妊娠したことからA診療所を受診しました。同年3月15日、超音波検査を行ったところ、NT (nuchal translucency: 胎児の首の後ろの皮下の黒く抜けて見える部分)の肥厚が認められたことから、児の先天異常を疑い、主治医Aより羊水検査の説明がなされました。X1は自身が高齢であることも考慮して、4月14日(妊娠17週)、羊水検査を受けることにしました。X1の検査結果報告書には、分析所見として「染色体異常が認められました。また、9番染色体に逆位を検出しました。これは表現型とは無関係な正常変異と考えます」と記載され、その後ろに21番染色体が3本存在し、胎児がダウン症児であることを示す分析図が添付されていました。しかし、A医師は、上記報告書を通読しなかったため、X1に対し、「羊水検査の結果はダウン症に関して陰性である。また、9番染色体は逆位を検出したがこれは正常変異といって丸顔、角顔といった個人差の特徴の範囲であるから何も心配はいらない」と伝えました。なお、その時点でX1は妊娠20週でした。X1は、その後の検診では、A医師より胎児が小さめではあるが正常範囲であり、とくに問題はないと伝えられていました。ところが、9月1日の検診の際、A医師より羊水過少があり、胎児が弱っていることから他院に転院し、出産するよう勧められました。X1は、同日B病院に救急搬送され、同病院にて緊急帝王切開術が行われました。出生した児の呼吸機能は十分ではなく、自力排便もできない状態であったため、B病院の医師が、A診療所のカルテを確認したところ、児がダウン症であることを示す羊水検査結果が見つかったことから、同医師よりX1および夫であるX2に対し、その旨が伝えられました。児は、ダウン症児の約10%で見られる一過性骨髄異常増殖症(TAM)を合併し、その後、TAMに伴う播種性血管内凝固症候群を併発し、最終的には肝不全により、同年12月16日に死亡しました。これに対し、X1およびX2は、A医師が、検査結果報告を誤って伝えたために原告X1は中絶の機会を奪われてダウン症児を出産し、同児は出生後短期間のうちにダウン症に伴うさまざまな疾患を原因として死亡するに至ったと主張して、被告Aらに対し、不法行為ないし診療契約の債務不履行に基づき、約3,500万円の損害が発生したとして、支払いを求める訴訟を提起しました。事件の判決●争点1(被告らの注意義務違反行為と児に関する損害との間の相当因果関係の有無)について羊水検査は、胎児の染色体異常の有無等を確定的に判断することを目的として行われるものであり、その検査結果が判明する時点で人工妊娠中絶が可能となる時期に実施され、また、羊水検査の結果、胎児に染色体異常があると判断された場合には、母体保護法所定の人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があることが認められる。しかし、羊水検査の結果から胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合に人工妊娠中絶を行うか、あるいは人工妊娠中絶をせずに同児を出産するかの判断が、親となるべき者の社会的・経済的環境、家族の状況、家族計画等の諸般の事情を前提としつつも、倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断であることは、事柄の性質上明らかというべきである。すなわち、この問題は、極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって、傾向等による検討にはなじまないといえる。そうすると、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても、このことから当然に、羊水検査結果の誤報告と児の出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。原告らは、本人尋問時には、それぞれ羊水検査の結果に異常があった場合には妊娠継続をあきらめようと考えていた旨供述している。しかし、他方で、証拠によれば、原告らは、羊水検査は人工妊娠中絶のためだけに行われるものではなく、両親がその結果を知った上で最も良いと思われる選択をするための検査であると捉えていること、そして、原告らは、羊水検査を受ける前、胎児に染色体異常があった場合を想定し、育てていけるのかどうかについて経済面を含めた家庭事情を考慮して話し合ったが、簡単に結論には至らなかったことが認められ、原告らにおいても羊水検査の結果に異常があった場合に直ちに人工妊娠中絶を選択するとまでは考えていなかったと理解される。羊水検査により胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合において人工妊娠中絶を行うか出産するかの判断は 極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであること、原告らにとってもその決断は容易なものではなかったと理解されることを踏まえると、法的判断としては、被告らの注意義務違反行為がなければ原告らが人工妊娠中絶を選択し児が出生しなかったと評価することはできないというほかない。結局、被告らの注意義務違反行為と児の出生との間に、相当因果関係があるということはできない。●争点2(原告らの損害額)について原告らの選択や準備の機会を奪われたことなどによる慰謝料 それぞれ500万円原告らは、生まれてくる子どもに先天性異常があるかどうかを調べることを主目的として羊水検査を受けたのであり、子どもの両親である原告らにとって、生まれてくる子どもが健常児であるかどうかは、今後の家族設計をする上で最大の関心事である。また、被告らが、羊水検査の結果を正確に告知していれば、原告らは、中絶を選択するか、又は中絶しないことを選択した場合には、先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずである。原告らは、被告Aの羊水検査結果の誤報告により、このような機会を奪われたといえる。そして、前提事実に加え、証拠によれば、原告らは、児が出生した当初、児の状態が被告の検査結果と大きく異なるものであったため、現状を受入れることができず、児の養育についても考えることができない状態であったこと、このような状態にあったにもかかわらず、我が子として生を受けた児が重篤な症状に苦しみ、遂には死亡するという事実経過に向き合うことを余儀なくされたことが認められる。原告らは、被告の診断により一度は胎児に先天性異常がないものと信じていたところ、児の出生直後に初めて児がダウン症児であることを知ったばかりか、重篤な症状に苦しみ短期間のうちに死亡する姿を目の当たりにしたのであり、原告らが受けた精神的衝撃は非常に大きなものであったと考えられる。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(函館地判平成26年6月5日)ポイント解説●なぜ「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が争われたのか今回は、最近世間を騒がせた羊水検査の事案を紹介します。筆者もマスコミ報道で本事件を知りました(表1)。■表1 医院側は争う姿勢 出生前診断説明ミス訴訟(共同通信社 13/07/05)北海道函館市の産婦人科医院で2011年、出生前診断の結果を誤って説明され、出産するか人工妊娠中絶をするかの選択権を奪われたなどとして、赤ちゃんの両親が医院を経営する医療法人と院長に1千万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、函館地裁であり、医院側は争う姿勢を示した。医院は「Aクリニック」で、訴状によると、胎児の染色体異常を調べる羊水検査でダウン症の陽性反応が出ていたが、院長が母親に「陰性だった」と伝えた。生まれた赤ちゃんはダウン症と診断され、生後3カ月半で死亡した。医院側は説明ミスを認める一方、両親側が侵害されたと主張する「出産するか人工妊娠中絶をするかの選択権」については「権利の存在を認めるべきかどうかが、まず大問題。存在を認める前提での議論には到底同意できない」などと訴えた。報道で目を引いたのは、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」が法律上保護されるかを争っているとした点です。わが国の法律上、(業務上堕胎及び同致死傷)「刑法第214条 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の懲役に処する」とあるように、人工妊娠中絶は、たとえ医師が行ったとしても、原則として違法とされています。例外的に人工妊娠中絶が許容されるのは、母体保護法に定められた要件を満たした場合のみであり、その要件に遺伝子異常であることは記されていません。 (医師の認定による人工妊娠中絶)「母体保護法第14条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」したがって、遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶をすることは法律上認められていませんので、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」も当然に認められないと考えられます。ではなぜ、このような訴訟が起きたのでしょうか。そもそも本事案は、医療機関側のミスが明白であり、通常、示談で終了する事案です。実際、本事案においてY診療所は、ミスを認めて児のB病院での入院費用を支払っており、それに加え見舞金として50万円、香典として10万円を支払っています。本事案において両者に争いが生まれたのは、損害との間の因果関係です。すなわち、医師が誤って報告した結果、どのような損害が発生したか(表2)ということが争われたのです。■表2 原告らが主張する損害およびその価額ア X1の入通院慰謝料 31万1,800円イ 原告らの中絶の機会を奪われたことなどによる慰謝料それぞれ500万円ウ 原告らが相続した児の傷害慰謝料 165万4,500円エ 原告らが相続した児の死亡慰謝料 2,000万円オ 弁護士費用 316万1,630円カ 損害合計額(上記アからオまでの合計額から、被告らの債務不履行ないし不法行為がなければ実施していたはずの人工妊娠中絶費用である35万円を控除したもの)3,477万7,930円児は、ダウン症の合併症により死亡したのであり、医師の誤報告によって死亡したわけではありません。したがって、普通に考えると医師の誤報告と児の死亡との間に因果関係はないということになります。そこで原告は、「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を間に挟むことで、「誤報告により人工妊娠中絶ができなくなり、その結果、児が出生し、合併症により死亡した」としたのです。●裁判所の判断と判決文の記載の難しさ本判決を受けての報道記事は下記のような記載でした(表3)。一読すると、裁判所は「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を認めたかのように読めます。■表3 出生前診断誤って告知、賠償命令 医院側に1千万円 函館地裁(2014/06/05 共同通信)北海道函館市の産婦人科医院「Aクリニック」で2011年、院長が胎児の出生前診断結果を誤って説明し、両親が人工中絶の選択権を奪われたなどとして、医院を経営する医療法人と院長に計3千477万円の損害賠償を求めた訴訟で、函館地裁(鈴木尚久裁判長)は5日、医院側に計1千万円の賠償を命じた。判決理由で鈴木裁判長は「正確に結果を告知していれば中絶を選択するか、中絶を選択しない場合、心の準備や養育環境の準備ができた。誤った告知で両親はこうした機会を奪われた」と指摘した。しかし、本判決を読めばわかるとおり、積極的に「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を認めたわけではなく、現在のわが国の母体保護法の運用として、「経済的理由」を弾力的に解釈しているという現実を尊重し、正面から「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を否定することをしなかっただけなのです。2000年代前半に生じた司法の厳格な判断により、萎縮医療が生じたことは記憶に新しいところです。本事案においても、裁判所は、判決において「遺伝子異常であることを理由として人工妊娠中絶を選択する権利」を否定してしまうことの影響を考慮し、このような判決文になったものと考えられます。本判決は、このような配慮のもと書かれたものと考えられますが、残念ながら報道では誤解を生じかねないような切り取られ方になってしまいました。医療と司法の相互理解も重要ですが、それに加え、メディアと医療、司法との相互理解も重要であるといえます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)函館地判平成26年6月5日

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熱射病で意識不明となった高校生を脳震盪と誤診したケース

救急医療最終判決判例時報 1534号89-104頁概要校内のマラソン大会中に意識不明のまま転倒しているところを発見された16歳高校生。頭部CTスキャンでは明かな異常所見がなかったため、顔面打撲、脳震盪などの診断で入院による経過観察が行われた。当初から意識障害があり、不穏状態が強く、鎮静薬の投与や四肢の抑制が行われた。入院から約3時間後に体温が40℃となり、意識障害も継続し、解熱薬、マンニトールなどが投与された。ところが病態は一向に改善せず、入院から約16時間後に施行した血液検査で高度の肝障害、腎障害が判明した。ただちに集中治療が行われたが、多臓器不全が進行し、入院から約20時間後に死亡確認となった。詳細な経過患者情報学校恒例のマラソン大会(15km走)に参加した16歳男性経過1987年10月30日13:30マラソンスタート(気温18℃、曇り、湿度85%)。14:45スタートから約11.5km地点で、意識不明のまま転倒しているところを発見され、救急室に運び込まれた。外傷として顔面打撲、口唇、前歯、舌、前胸部などの傷害があり、両手で防御することなくバッタリ倒れたような状況であった。診察した学校医は赤っぽい顔で上気していた生徒を診て脱水症を疑い、酸素投与、リンゲル500mLの点滴を行ったが、意識状態は不安定であった。15:41脳神経外科病院に搬送され入院となる(搬送時体動が激しかったためジアゼパム(商品名:セルシン1A)使用)。頭部・胸部X線写真、頭部CTスキャンでは異常所見なし。当時担当医は手術中であったため、学校医により転倒時に受傷した口唇、口腔内の縫合処置が行われた(鎮静目的で合計セルシン®4A使用)。18:30意識レベル3-3-9度方式で100、体動が激しかったため四肢が抑制された。血圧98(触診)、脈拍118、体温40℃。学校の教諭に対し「見た目ほど重症ではない、命に別状はない」と説明した。19:00スルピリン(同:メチロン)2A筋注。クーリング施行。下痢が始まる。21:00血圧116(触診)、体動が著明であったが、痛覚反応や発語はなし。マンニトール250mL点滴静注。10月31日00:00体温38.3℃のためメチロン®1A筋注、このときまでに大量の水様便あり。03:00体温38.0℃、四肢冷感あり。体動は消失し、外観上は入眠中とみられた。このときまでに1,700mLの排尿あり。引き続きマンニトール250mL点滴静注。その後排尿なくなる。06:00血圧測定不能、四肢の冷感は著明で、痛覚反応なし。血糖を測定したところ測定不能(40以下)であったため、50%ブドウ糖100mL投与。さらにカルニゲン®(製造中止)投与により、血圧104(触診)、脈拍102となった。06:40脈拍触知不能のため、ドパミン(同:セミニート(急性循環不全改善薬))投与。その後血圧74/32mmHg、脈拍142、体温38.3℃。08:00意識レベル3-3-9度方式で100-200、血糖値68のため50%ブドウ糖40mL静注。このときはじめて生化学検査用の採血を行い、大至急で依頼。09:00集中治療室でモニターを装着、中心静脈ライン挿入、CVP 2cmH2O。10:00採血結果:BUN 38.3、Cre 5.5、尿酸18.0、GOT 901、GPT 821、ALP 656、LDH 2,914、血液ガスpH7.079、HCO3 13.9、BE -16.9、pO2 32.0という著しい代謝性アシドーシス、低酸素血症が確認されたため、ただちに気管内挿管、人工呼吸器による間欠的陽圧呼吸実施、メイロン®200mL投与などが行われた10:50心停止となり、蘇生開始、エピネフリン(同:ボスミン)心腔内投与などを試みるが効果なし。11:27急性心不全として死亡確認となる。当事者の主張患者側(原告)の主張1.診察・検査における過失学校医や教諭から詳細な事情聴取を行わず、しかも意識障害がみられた患者に対し血液一般検査、血液ガス検査などを実施せず、単純な脳震盪という診断を維持し続け、熱射病と診断できなかった2.治療行為における過失脱水状態にある患者にマンニトールを投与し、医原性脱水による末梢循環不全、低血圧性ショックを起こして死亡した。そして、看護師は十分な観察を行わず、担当医師も電話で薬剤の投与を指示するだけで十分な診察を行わなかった3.死亡との因果関係病院搬入時には熱射病が不可逆的段階まで達していなかったのに、診察、検査、治療が不適切、不十分であったため、熱射病が改善されず、低血糖症を併発し、脱水症も伴って末梢循環不全のショック状態となって死亡した病院側(被告)の主張1.診察・検査における過失学校医は意識障害の原因が脳内の病変にあると診断して当院に転医させたのであるから、その診断を信頼して脳神経外科医の立場から診察、検査、経過観察を行ったので、診察・検査を怠ったわけではない。また、学校医が合計4Aのセルシン®を使用したので、意識障害の原因を鑑別することがきわめて困難であった2.治療行為における過失マンニトールは頭部外傷患者にもっとも一般的に使用される薬剤であり、本件でCTの異常がなく、嘔吐もなかったというだけでは脳内の異常を確認することはできないため、マンニトールの投与に落ち度はない3.死亡との因果関係搬入後しばらくは熱射病と診断できなかったが、輸液、解熱薬、クーリングなどの措置を施し、結果的には熱射病の治療を行っていた。さらに来院時にはすでに不可逆的段階まで病状が悪化しており、救命するに至らなかった裁判所の判断1. 診察・検査における過失転倒時からの詳細な事情聴取、諸検査の実施およびバイタルサインなどについての綿密な経過観察などにより、熱射病および脱水を疑うべきであったのに、容易に脳震盪によるものと即断した過失がある。2. 治療行為における過失病院側は搬送直後から輸液、解熱薬の投与、クーリングなどを施行し、結果的には熱射病の治療義務を尽くしたと主張するが、熱射病に対する措置や対策としては不十分である。さらに多量の水様便と十分な利尿があったのにマンニトールを漫然と使用したため、脱水状態を進展させ深刻なショック状態を引き起こした。さらに、夜間の全身状態の観察が不十分であり、ショック状態に陥ってからの対処が不適切であった。3. 死亡との因果関係病院側は、患者が搬送されてきた時点で、すでに熱射病が不可逆的状態にまで進行していたと主張するが、当初は血圧低下傾向もなく、乏尿もなく、呼吸状態に異常はなく、熱射病により多臓器障害が深刻な段階に進んでいるとはいえなかったため、適切な対策を講ずれば救命された可能性は高かった。8,602万円の請求に対し、6,102万円の支払命令考察まずこのケースの背景を説明すると、亡くなった患者は将来医師になることを目指していた高校生であり、その父親は現役の医師でした。そのため、患者側からはかなり専門的な内容の主張がくり返され、判決ではそのほとんどが採用されるに至りました。本件で何よりも大事なのは、脱水症や熱射病といった一見身近に感じるような病気でも、判断を誤ると生命に関わる重大な危機に陥ってしまうということだと思います。担当された先生はご専門が脳神経外科ということもあって、頭部CTで頭蓋内病変がなかったということで「少なくとも生命の危険はない」と判断し、それ以上の検索を行わずに「経過観察」し続けたのではないかと思います。しかも、前医(学校医)が投与したセルシン®を過大評価してしまい、CTで頭蓋内病変がないのならば意識が悪いのはセルシン®の影響だろうと判断しました。もちろん、搬入直後の評価であればそのような判断でも誤りではないと思いますが、「脳震盪」程度の影響で、セルシン®を合計4Aも使用しなければならないほどの不穏状態になったり、40℃を越える高熱を発することは考えにくいと思います。この時点で、「CTでは脳内病変がなかったが、この意識障害は普通ではない」という考えにたどりつけば、内科的疾患を疑って尿検査や血液検査を行っていたと思います。しかも、頭部CTで異常がないにもかかわらず、意識障害や不穏を頭蓋内病変によるものと考えて強力な利尿作用のあるマンニトールを使用するのであれば、少なくとも電解質や腎機能をチェックして脱水がないことを確認するべきであっと思います。ただし、今回の施設は脳神経外科単科病院であり、緊急で血液検査を行うには外注に出すしかなかったため、入院時に血液生化学検査をスクリーニングしたり、容態がおかしい時にすぐに検査をすることができなかったという不利な点もありました。とはいうものの、救急指定を受けた病院である以上、当然施行するべき診察・検査を怠ったと認定されてもやむを得ない事例であったと思います。本件から得られる重要な教訓は、「救急外来で意識障害と40℃を超える発熱をみた場合には、熱射病も鑑別診断の一つにおき、頭部CTや血液一般生化学検査を行う」という、基本的事項の再確認だと思います。救急医療

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下痢と体重減少を過敏性腸症候群と診断し、膵臓がんを見逃したケース

消化器概要約3ヵ月間続く下痢と、5ヵ月間に約9kgの体重減少を主訴に総合病院内科を受診、注腸検査、上部消化管内視鏡検査が行われ、過敏性腸症候群と診断された。担当医は止痢薬を約10ヵ月間にわたり投与し続け、その間に新たな検査は行われなかった。初診から11ヵ月後に別の病院を受診し、閉塞性黄疸を伴う膵頭部がんと診断されたが、その2ヵ月後に死亡した。詳細な経過経過1982年4月末食欲不振、下痢、全身倦怠感、体重減少に気付いた。6月30日5kgの体重減少、空腹時腹痛を主訴として近医受診。消化管X線検査、超音波検査などが行われ、膵臓にやや腫脹がみられたため膵炎疑いと診断された(アミラーゼは正常)。8月21日慢性下痢、体重減少を主訴にA総合病院内科受診。注腸検査、上部消化管内視鏡検査が行われ、出血性胃炎の所見以外は著変なしと判断し、過敏性腸症候群と診断した。その結果、下痢止めを処方し経過観察となった。12月27日血液検査で異常がないことから、下痢止めの処方を継続した。1983年1983年はじめ20kgに及ぶ体重減少、背部痛が出現し、鍼灸院などで治療を受ける。6月20日A総合病院再診し、下痢止めの処方を受ける。7月11日発熱を主訴に近医受診、担当医師は内臓の病気を疑い、B病院に紹介入院、精査の結果、閉塞性黄疸を伴う膵頭部がんと診断され、肝臓そのほかへの転移もみられる末期がんと判断された。8月15日A総合病院に転院、根治的治療は不可能と判断され、経皮胆管ドレナージなどが行われたが、9月25日死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張下痢と体重減少を主訴とした患者に対し、胃・腸の形態的検査で異常がないという理由で過敏性腸症候群と診断した。アミラーゼが正常であったので膵がんあるいは膵疾患を疑わなかったということだが、胃・腸の形態的検査で異常がなければ膵疾患を疑うのは医学の常識である初診時に心窩部痛、全身倦怠感、食欲不振を申告したにもかかわらず、カルテにその記載がないのは問診が不十分である。さらに前医の超音波検査で膵炎疑いと診断されていながら、これを見過ごした上腹部超音波検査を行えば膵がん発見の可能性は高かった膵がんが早期に発見されていれば、延命、さらには助命の可能性があった。病院側(被告)の主張下痢と体重減少はみられたが、通院期間中疼痛(腹痛、背部痛)をはじめとして、膵がんを疑うべき特有な症状はみられなかった。便通異常は膵がんに特有な症状ではない問診では患者の協力が必要だが、当時の医師の問診に対して腹痛を否定するなど、患者の協力が得られなかった当時の医療水準(腹部超音波検査、腹部CT)で検出できるのは進行膵がんが中心であり、小膵がんを検出できるほどの技術は発達していなかったもし初診時に膵がんと診断しても、手術不能のStageIII以上であったものと推認され、延命は期待できなかった。裁判所の判断以下の過失を認定過敏性腸症候群との診断は結果的に誤診であった。顕著な体重減少、食欲不振の患者に対し、胃・大腸に著変なしとされたのであれば、腹痛・背部痛がなかったとしても胆嚢、胆道、膵臓などの腹部臓器の異変を疑うのが当然であり、患者の苦痛がない腹部超音波検査を実施するべきであったとくに見解は示さず小膵がんの発見は難しく、超音波検査は術者の技術に診断の結果が左右されるといわれているが、当時膵がんの発見が絶無とはいえない以上、病態解明のために考えうる手段をとることが期待されているので、債務不履行である初診時に膵がんと診断されていても、延命の可能性はきわめて低かった延命の可能性がまったくなかったわけではないのに、9ヵ月近く下痢止めの投薬を受けたのみで、膵がんに対する治療は何ら受けることなく推移したのであるから、患者の期待を裏切ったことになり、精神的損害賠償の対象となる。原告側合計7,768万円の請求に対し、慰謝料として200万円の判決考察本件では「体重減少」という、悪性腫瘍をまず除外しなければならない患者に対し、下痢症状に着目して消化管の検査だけを行いましたが、腹部超音波検査を行わず、約9ヵ月にわたって膵臓がんを診断できなかった点が「期待権侵害」と判断されました。もっとも、病院側に同情するべき点もいくつかはあります。おそらく、普段は多忙をきわめる内科外来においては一人の患者に割り当てられる時間が絶対的に少ないため、初診後一定の検査が終了して一つの診断に落ち着いた場合には、患者側からの申告が唯一の診断の拠り所となります。その際、「下痢と体重減少」という所見だけで腹痛の訴えがなく、さらに血液検査上も異常値がみられなかったのならば、過敏性腸症候群と考えて「しばらくは様子を見よう」と決めたのは自然な経過ともいえるように思います。さらに、止痢薬投与によってある程度下痢が改善している点も、あえて検査を追加しようという意思決定につながらなかったのかもしれません。しかしながら、慢性に下痢と体重減少に対して9ヵ月間も経過観察とした点は、注意が足らなかったいわれても仕方がないと思います。とくに、簡便にできる腹部超音波検査をあえて行わなかったことの理由を述べるのはかなり難しいと思います。裁判の判決額をみる限り、原告の請求よりも遙かに低い金額で解決したのは、膵臓がんという予後のきわめて悪い疾病を見落としたことに関連すると思います。もし、早期発見・早期治療によって予後が改善するような疾病であれば、当然賠償額も高額になったであろうと思います。消化器

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第23回 非専門医に求められる医療水準の範囲

■今回のテーマのポイント1.神経疾患で一番訴訟が多い疾患は脳梗塞であり、争点としては、治療の遅れおよび診断の遅れが多い2.非専門科に求められる医療水準は、専門科において求められる水準よりも低い3.ただ、非専門科においても一般医学書程度の知識は要求される事件の概要X(71歳、女性)は、高血圧症などにてY病院循環器科外来(A医師)を受診していました。また、平成20年11月に追突事故に遭い、同事故の影響で左手指にしびれがでたこと、そのためリハビリ中であることをA医師に伝えていました。平成21年3月3日午後9時頃、持ち帰り用の食品を受け取るため、自宅付近の居酒屋を訪れ、代金を支払おうと財布から硬貨を取り出そうとしたところ、左手から硬貨を落とし、それを拾おうとしてはまた落としてしまいました。居酒屋の経営者夫妻は、Xのその様子および、Xの顔面の片側が垂れ下がっていたのをみて、同店で以前、脳梗塞を発症した客の様子と似ていたことから、救急車を要請しました。居酒屋に到着した救急隊員は、Xの状況について、椅子に座っており、意識清明、顔色正常、呼吸正常であること、歩行不能であったが、他自覚症状もなく、四肢のしびれや麻痺もなく、頭痛、嘔気、めまいもないことから、TIA(一過性脳虚血発作)疑いとしてかかりつけのY病院に受け入れ依頼をしました。Y病院受診時のXは、意識清明で、血圧166/110、歩行障害はなく、腱反射、瞳孔反射ともに正常でした。当直のB医師(消化器外科医)は、当時、TIAには意識障害があると思っていたため、XはTIAではないと判断し、ちょうど翌日、A医師の外来受診予定であったことから、夜間で十分な検査ができないので、翌日検査を受けるように伝え、異常時は再診するように伝えた上、Xを帰宅させました。翌4日、A医師が診察したところ、バレー徴候もなく、フィンガー・トゥ・ノーズテストも異常所見はなく、また、心音、呼吸音に問題はなく、末梢浮腫も認めませんでした。脳梗塞の診断のため、頭部MRI、MRAおよびDWI(拡散強調画像)を施行しましたが、陳旧性脳梗塞を認めるものの、新鮮な脳血管障害は認められませんでした。A医師が現症状を尋ねたところ、Xは「どうもありません。」と答えたことから、前日に原告が小銭を取りこぼしたのは、平成20年11月の追突事故による左手指のしびれのためと考え、従前の処方のみで経過観察としました。ところが、Xは、3月18日早朝、自宅で倒れているところを家族に発見され、Z病院に救急搬送されたところ、脳梗塞と診断されました。Z病院にて治療およびリハビリテーションを行ったものの、Xには、中等度の感覚性失語、右片麻痺により、要介護3級の状態となりました。そこで、Xは、Y病院に対し、遅くとも3月4日の段階でTIAと診断し、抗凝固療法などを行うべきであったとして、約8,050万円の支払いを求める訴訟を提起しました。事件の判決■原告一部勝訴(440万円)被告は、当時の医療水準では、非専門医療機関、非専門医に対しては、適切な問診を行い、TIA又はその疑いがあることを診断する義務があるというレベルまでは要求できないと主張し、P医師(被告側鑑定医)は、おおむね以下の内容の意見を述べている。各ガイドラインは、専門医及び一般内科医用とされているが、まず専門医の脳卒中治療を標準化し、それから一般内科医へ広がっていくように期待されているものであり、非専門医は通常見ないものであり、本件当時は、上記ガイドライン2009は出ておらず、もし出ていたとしても、非専門医がこれを知らなくても全くおかしなことではない。平成23年3月に一般内科医を対象としたアンケートでも、上記ガイドラインを読んだのは4分の1以下というのが実情である。TIAは、非専門医に正確に理解されておらず、非専門医の「TIA疑い」と診断した患者の多くはTIAではなく、実際にTIAであったケースは1割以下である。今日においても、非専門医が、単なる失神をTIAだと誤解している例がある。TIAの定義や診断については、専門医の間でもコンセンサスは得られていない。TIAにおける脳梗塞発症リスクの指標にABCD2スコアがあるが、今日においても非専門医には浸透していない。そのため、本件当時、非専門医がこれを知らなくても全く不思議なことではなく、不勉強だということでもない。しかしながら、P医師の上記意見は、次のとおり、いずれも採用できない。前記認定の一般的知見は、ガイドライン2009を待つまでもなく、今日の診断指針、メルクマニュアル等の極めて一般的な文献に基づいて認定し得るものであって、ガイドラインに関するP医師の意見はその前提を欠くものである。また、医療水準は医師の注意義務の基準となるものであって、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではない(最高裁判所平成8年1月23日第三小法廷判決・民集50巻1号1頁参照)。一般的な医学書にはTIAに関する記載がある以上、その記載程度の知識は非専門医でも得ておくべきであるから、そのような知識の獲得を怠り、TIAに関する間違った認識の下に行った診療行為は、他にも、TIAである旨の誤診が多く見られたり、単なる失神をTIAだと誤解した例があったからといって正当化されるものではない。さらに、被告は、TIAの定義や診断については専門医の間でもコンセンサスが得られておらず、また、ABCD2スコアは非専門医には浸透していないともいうが、定義について、専門家の間に、異論があるとしても、前記認定の一般的知見に基づく定義等は、平成2年以来、一般的に承認されているものであり、前記認定を妨げるものではない。また、ABCD2スコアは、TIAから脳梗塞発症のリスクを予測するための指標であり、TIA又はその疑いがあるか否かの診断に影響するものではない。以上によれば、P医師の上記意見によっても、医療水準についての前記判断は左右されないというべきであり、このような見解に沿った被告の前記主張は採用できない。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(福岡地判平成24年3月27日判時2157号68頁)ポイント解説■神経疾患の訴訟の現状今回は、神経疾患です。神経疾患で最も訴訟となっているのは脳梗塞です(表1)。脳梗塞に対し、近年、抗凝固療法(血栓溶解療法)が行われるようになったことから、診断・治療の遅れによって予後に大きな変化が生じうるようになりました。その結果、表2をみていただければわかるように、昨今、訴訟となる事例が増加しており、争点も診断の遅れ、治療の遅れが中心となっています。ただ、訴訟となり始めたのが最近であることからか、原告勝訴率は低く、今回紹介した事例においても、原告勝訴はしていますが、認容額は請求額の5.5%ほどであり、実質的には原告敗訴ともいえる内容となっています。医療の進歩により、訴訟が増加することは皮肉ではありますが、その一方で現在の裁判所は慎重な判断をしているといえそうです。■非専門科に求められる医療水準今回の事例で問題となったのは、非専門科の医師にどこまでの医療水準が求められるかという点です。夜間、患者を診察したのが消化器外科医(B医師)で、翌朝外来にて診察したのが循環器内科医(A医師)であり、両者とも神経内科を専門としていません。そして、ともにTIAに関する認識が乏しかったため、抗凝固療法を行わず、かといって神経内科を受診させることもしませんでした。民事医療訴訟における過失とは、第1回で解説したように、「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最判昭和57年3月30日民集135号563頁)。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」(最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁)を指します。したがって、非専門科に求められる医療水準は、「専門科に求められる医療水準よりは低いのですが、かといって平均的医師が行っている医療慣行と常に一致するわけではなく、より高い水準が求められることもある」ということになります。本件訴訟において、被告側は非専門科におけるTIAの認識、診断の難しさを主張しましたが、判決では、一般医学書に記載されている程度の疾患概念の理解については、非専門科にも求められるとしました。本判決およびその他の判例からみた非専門科に求められる具体的な医療水準としては、「最新のガイドラインの内容を熟知することまでは必要ないが、一般的な医学書程度の知識は非専門科でも得ておくべきである」とする傾向があります(図)。非専門科においてまで高度な医療水準が求められるとなると、救急医療の崩壊を導くことは、2000年代の苦い経験です。ただ、その一方で、非専門科とはいえ、プロフェッションである医師に対し、一定程度の水準は求められるのは当然といえます。常に刷新し続ける医療において、この微妙なさじ加減につき、個別具体的な事例を通じて司法と医療の相互理解を継続していくことが、何より肝要と思われます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。(出現順)最高裁判所平成8年1月23日第三小法廷判決・民集50巻1号1頁福岡地判平成24年3月27日判時2157号68頁本事件の判決については、最高裁のサイトでまだ公開されておりません。最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁最判昭和57年3月30日民集135号563頁最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁

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第18回 手技よりも術後管理のミスに力点をおく裁判所

■今回のテーマのポイント1.消化器疾患の訴訟では、大腸がんが2番目に多い疾患であり、縫合不全の事例が最も多く争われている2.裁判所は、縫合不全について手技上の過失を認めることには、慎重である3.その一方で、術後管理の不備については、厳しく判断しようとしているので注意が必要である事件の概要患者X(49歳)は、平成14年11月、健康診断にて大腸ポリープを指摘されたことから、近医を受診したところ、大腸腫瘍(S状結腸)および胆嚢結石と診断されました。Xは、平成15年5月9日、腹腔鏡下胆嚢摘出術および大腸腫瘍摘出術目的にてY病院に入院しました。同月12日、まず腹腔鏡下で胆嚢を摘出し、ペンローズドレーンを留置し、創縫合を行った後、左下腹部を切開し、S状結腸を摘出して、Gambee縫合にて結腸の吻合を行い、ペンローズドレーンを留置しました。術後3日間は順調に経過しましたが、術後4日目の16日に食事を開始したところ、夜より発熱(39.1度)を認め、翌日の採血では白血球数、CRP値の上昇が認められました。しかし、ドレーンからの排液は漿液性であり、腹痛も吻合部とは逆の右腹部であったことから、絶食の上、抗菌薬投与にて保存的に経過を追うこととなりました。ところが、23日になってもXの発熱、白血球増多、CRP値の上昇は改善せず、腹部CT上、腹腔内膿瘍が疑われたことから、縫合不全を考え再手術が行われることとなりました。開腹した結果、結腸の吻合分前壁に2ヵ所の小穴が認められたことから、縫合不全による腹膜炎と診断されました。Xは、人工肛門を設置され、10月7日にY病院を退院し、その後、同年11月20日に人工肛門閉鎖・再建術のため入院加療することとなりました。これに対し、Xは、不適切な手技により縫合不全となったこと、および、術後の管理に不備があったことを理由に、Y病院に対し、約2億2100万円の損害賠償を請求しました。なぜそうなったのかは、事件の経過からご覧ください。事件の経過患者X(49歳)は、平成14年11月、健康診断にて大腸ポリープを指摘されたことから、近医を受診したところ、大腸腫瘍(S状結腸)および胆嚢結石と診断されました。Xは、平成15年5月9日、腹腔鏡下胆嚢摘出術および大腸腫瘍摘出術目的にてY病院に入院しました。なお、Xは1日40本の喫煙をしており、本件手術前に医師より禁煙を指示されましたが、それに従わず喫煙を続けていました。同月12日、A、B、C、D4名の医師により手術が行われました。まず、最もベテランのA医師が腹腔鏡下で胆嚢を摘出し、ペンローズドレーンを留置し、創縫合を行った後、最も若いC医師が左下腹部を切開し、S状結腸を摘出して、Gambee縫合にて結腸の吻合を行い、ペンローズドレーンを留置しました。本件手術に要した時間は、3時間13分でした。術後3日間は順調に経過しましたが、術後4日目の16日に食事を開始したところ、夜より発熱(39.1度)を認め、翌日の採血では白血球数、CRP値の上昇が認められました。しかし、ドレーンからの排液は漿液性であり、腹痛も吻合部とは逆の右腹部であったこと、16日午後3時頃、Xが陰部の疼痛、排尿時痛、および排尿困難を訴えたことからバルーンカテーテルによる尿道損傷、前立腺炎の可能性も考えられたため、絶食の上、抗菌薬投与にて保存的に経過を追うこととなりました。18日には、ドレーン抜去部のガーゼに膿が付着していたことから、腹部CT検査を行ったところ、「直腸膀胱窩から右傍結腸溝にかけて被包化された滲出液を認め、辺縁は淡く濃染し、内部に一部空胞陰影を認めます。腹腔内膿瘍が疑われます。周囲脂肪織の炎症性変化は目立ちません。腹壁下に空胞陰影と内部に滲出液がみられ、術後変化と思われます。腹水、有意なリンパ節腫大は指摘できません」との所見が得られました。縫合不全の可能性は否定できないものの、滲出液が吻合部の左腹部ではなく右腹部にあること、腹痛も左腹部ではなく右腹部であったことから、急性虫垂炎をはじめとする炎症性腸疾患をも疑って治療をするのが相当であると判断し、抗菌薬を変更の上、なお保存的治療が選択されました。ところが、23日になってもXの発熱、白血球増多、CRP値の上昇は改善せず、腹部CT上、腹腔内膿瘍が疑われたことから、縫合不全を考え再手術が行われることとなりました。開腹した結果、結腸の吻合分前壁に2ヵ所の小穴が認められたことから、縫合不全による腹膜炎と診断されました。Xは、人工肛門を設置され、10月7日にY病院を退院し、その後、同年11月20日に人工肛門閉鎖・再建術のため入院加療することとなりました。事件の判決上記認定事実によれば、本件手術におけるS状結腸摘出後の吻合部位において縫合不全が発生したことが認められる。もっとも、上記認定のとおり、吻合手技は縫合不全の発生原因となりうるが、それ以外にも縫合不全の発生原因となるものがあるから、縫合不全が起こったことをもって、直ちに吻合手技に過失があったということはできない。そして、上記認定のとおり、縫合不全を防ぐためには、縫合に際し、適式な術式を選択し、縫合が細かすぎたり結紮が強すぎたりして血行を悪くしないこと、吻合部に緊張をかけないことが必要であるとされていることを考慮すると、債務不履行に該当する吻合手技上の過誤があるというためには、選択した術式が誤りであるとか、縫合が細かすぎた、あるいは結紮が強すぎた、もしくは縫合部に対し過度の緊張を与えたと認められる場合に限られると解するのが相当である。・・・・・・・(中略)・・・・・・・原告らは、C医師は経験の浅い医師であったから縫合不全は縫合手技に起因すると考えられると主張する。B医師のGambee縫合の経験数は不明であるが、上記認定のとおり、本件手術にはD医師が助手として立ち会っているところ、B医師はC医師の先輩であり、被告病院において年間200例程度行われる大腸の手術に関与しているのであるから、C医師の吻合手技に、縫合が細かすぎた、あるいは結紮が強すぎた、もしくは縫合部に対し過度の緊張を与えたといった問題があったにもかかわらず、B医師がそのまま手術を終了させるとは考え難い。また、上記認定のとおり、手術後3日以内に発生した縫合不全については縫合の不備が疑われて再手術が検討されるところ、上記前提事実のとおり、本件手術後3日目である平成15年5月15日までの間に特に異常は窺えなかったところである。これらを考慮すると、原告ら主張の事情をもって吻合技術に問題があったと推認することはできないというべきである。以上のとおり、本件手術は、縫合不全が発生しやすい大腸(S状結腸)を対象とするものであったこと、原告は喫煙者であり、縫合不全の危険因子がないとはいえず、縫合手技以外の原因により縫合不全が発生した可能性が十分あること、C医師による吻合の方法が不適切であったことを裏付ける具体的な事情や証拠はないことを考慮すると、原告に生じた縫合不全がC医師の不適切な吻合操作によるものであると認めることはできないというべきである。(*判決文中、下線は筆者による加筆)(名古屋地判平成20年2月21日)ポイント解説今回は、各論の2回目として、消化器疾患を紹介します。消化器疾患で最も訴訟が多い疾患は、第15回で紹介した肝細胞がんです。そして、2番目に多いのが、今回紹介する大腸がんです。大腸がんの訴訟において、最も多く争われるのが縫合不全(表)です。ご存じのとおり、縫合不全は、代表的な手術合併症であり、手術を行う限り一定の確率で不可避的に発生します。しかし、非医療者からみると、医療行為によって生じていることは明らかであり、かつ、縫合という素人目には簡単に思える行為であることから訴訟となりやすい類型となっています。しかし、最近の裁判所は、合併症に対する理解が進んできており、本判決のように、単に縫合不全があったことのみをもって過失があるとするような判断はせず、「縫合が細かすぎた、あるいは結紮が強すぎた、もしくは縫合部に対し過度の緊張を与えた」などの具体的な縫合手技に著しく問題があった場合にのみ、手技上の過失があるとしています(表に示した判例においても、手技上の過失を認めた判例は一つもありません)。したがって、現在、手術ビデオなどで手技上の欠陥が一見して明白であるような場合を除き、訴訟において縫合不全が手技ミスによって生じたとする主張が争点となることは少なくなってきています。その代わりといってはなんですが、術後の管理については、厳しく争われる傾向にあります。本事案でも、17日に発熱、白血球増多、CRP値が上昇した際、および18日に腹部CTをとった際に速やかに縫合不全と診断して、ドレーン排液の細菌培養および外科的ドレナージを行うべきであったとして争われました(本件においては術後管理の過失は認められませんでしたが、〔表〕の原告勝訴事例のすべてで術後管理の不備が認められています)。医療行為は行為として不完全性を有します。そして、医療は日々進歩していきます。医学・医療の進歩は、医療者が個々に経験した症例を学会・論文などを介して集約化、情報共有し、それを再検討することで生まれます。しかし、医療行為によって生じた不利益な結果が過失として訴訟の対象(日本では刑事訴追の対象にもなるため萎縮効果が特に強い)となると、医師は恐ろしくて発表することができなくなります。実際に、1999年以降、わが国における合併症に関する症例報告は急速に減少しました。目の前の患者の救済は十分に考えられるべきですが、その過失判断を厳格にすることで達成することは、医学・医療の進歩を阻害し、その結果、多数の国民・患者の適切な治療機会を奪うこととなります。司法と医療の相互理解を深め、典型的な合併症については裁判による責任追及ではなく、医学・医療の進歩にゆだねることが望ましいと考えます。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます。名古屋地判平成20年2月21日

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褥瘡患者の体位交換が3時間おきでも不適切と判断されたケース

皮膚最終判決判例タイムズ 949号192-197頁概要小脳出血により寝たきり状態となった59歳男性。既往症として糖尿病があった。発症当初は総合病院にて治療が行われ、状態が安定した約3ヵ月後に後方病院へ転院した。転院後は約3時間おきの体位交換が行われていたが、約1週間で仙骨部に褥瘡を形成、次第に悪化した。そして、約6ヵ月後に腎不全の悪化により死亡したが、家族から褥瘡の悪化が全身状態の悪化を招き、ひいては腎不全となって死亡したと訴えられた。詳細な経過患者情報59歳男性経過1992年1月5日意識障害で発症し、A総合病院で小脳出血と診断され、開頭血腫除去手術を受けた59歳男性。既往症として糖尿病に罹患していた。術後の回復は思わしくなく、中枢性失語症、両側不全麻痺、四肢拘縮により寝返りも打てない状況であり、食事は経管栄養の状態であった。4月18日後方のB病院(32床)へ入院、A病院からの看護サマリーには、「褥瘡予防、気道閉鎖予防にて2時間毎の体位交換を励行しておりました。どうぞよろしく」「DMのため仙骨部、褥瘡できやすい」と記載されていた。なお、A病院では褥瘡形成なし。また、B病院では寝たきりの患者に対し、体位交換は3時間毎に行われていた。この時のBUN 40.4、Cre 0.94月26日仙骨部に第I度の褥瘡形成。イソジン®ゲルとデブリサン®の処置。6月15日患者独自の判断でエアーマット使用開始。6月25日第II度の褥瘡へと悪化。11月5日BUN 33.2、Cre 1.411月26日褥瘡のポケットが深くなり浸出液が多量、第III度の褥瘡へと悪化。次第に全身状態や意識状態が悪化。12月3日BUN 77、Cre 3.6透析が必要であるとの説明。12月26日呼吸困難に対し気管切開施行。12月28日家族の強い希望により、初期治療を行ったA総合病院へ転院。12月30日腎不全により死亡した。当事者の主張患者側(原告)の主張入院患者の褥瘡発生予防、褥瘡改善は医療担当者の責任であるのに、頻繁な体位交換、圧迫力の軽減、局所の保温、壊死組織物質の除去、適切なガーゼ交換などを怠り、褥瘡を悪化させて全身的衰弱を招き、腎機能を悪化させ腎不全となり、敗血症を併発させ、遂に死に至らしめてしまった注意義務違反、債務不履行がある。病院側(被告)の主張基準看護I類、患者4人に対し看護師1名という限られた看護師数では、事実上3時間毎の体位変換が限度である。死亡原因は小脳出血に引き続き併発した腎不全であり、褥瘡の悪化はその結果である。褥瘡は身体の臓器病変と完全に関連しており、単に褥瘡の治療を行えばよいと考えるのは早計である。裁判所の判断褥瘡を予防するために少なくとも2時間おきの体位交換が必要であったのに、看護体制から事実上3時間毎の体位変換が限度であることをもって、褥瘡の予防と治療に関する診療上の義務が免除ないし軽減される筋合いのものではない。そもそも2時間毎の体位変換を実施できないのであれば、それを実施できる医療機関に転医させるべきである。直接の死因である腎不全については、腎機能障害が原因と考えられるけれども、その一方で、褥瘡も腎機能を悪化させる要因として少なからざる影響を及ぼしたため、債務不履行ないし注意義務違反が認められる。原告側合計2,800万円の請求に対し、842万円の判決考察われわれ医療従事者がしばしば遭遇する「床ずれ」に対し、「寝たきりの患者には2時間毎の体位変換が医学常識であり、過酷な勤務態勢を理由に褥瘡をつくるとは何ごとか!褥瘡をつくることがわかっているのなら、褥瘡をつくらない病院へ転送すべきである」という、きれいごとばかりを並べた司法の判断がおりました。いったい、この判決文を書いた裁判官は、今現在の日本の病院事情をご存じなのでしょうか。ことに本件のような日常生活全面介護、意思の疎通もままならない患者が急性期をすぎて3~6ヵ月経過すると、2時間毎の体位変換が可能な総合病院に長期にわたって入院することは難しいのが常識でしょう。判決文では、最初の総合病院を退院した際、「病院の体制上、ある程度回復した患者をこれ以上入院させておくことが難しい」と裁判官は認識しておきながら、褥瘡をつくる心配があるからといって、再びこの患者に退院勧告をしたような病院に対し、褥瘡だけを治療目的としてもう一度入院治療をお願いするのはきわめて難しいことを、まったく考慮していません。一方本件では、最初の病院を退院する時には全身状態は安定していたと思われるし、その時点でさらなる積極的な治療が行われるとはいえない状態なので、自宅につれて帰るという選択肢もあったと思います。しかし往々にして、寝たきり状態の患者をすぐに家に連れて帰るような家族はむしろまれであるため、B病院に転院した背景には、家族の事情も大いにあったと思います。つまり、諸般の事情を勘案したうえで、2時間毎の体位変換が難しい看護体制の病院を選択せざるを得なかったのではないでしょうか。にもかかわらず、このB病院だけに責任を求めるのは、家族の役割を軽視しているばかりか、行政(厚生労働省の診療報酬)と司法の矛盾をもあらわにしていると思います。ただ残念ながら、今後同じような訴訟が起きるたびにこの判決が引用されて、「2時間毎の体位変換ができないような病院はけしからん」と判断される可能性がきわめて高くなります。そこで、今後同様のトラブルに巻き込まれないためには、「2時間毎の体位交換」を大原則とするしか方法はないと思います。なお、本件では細かい点をみてみると、患者と病院側とのコミュニケーションに問題があったことは否めません。たとえば、患者側に対し、「床ずれなんか痛くないよ、治るよ、治るよ」とか、「褥瘡のことについてうるさいのはあんただけだ」などと説明し、相手にしなかった点をことさら問題視しています。さらには、褥瘡に対し効果的といわれているエアーマットを、患者自らの判断で購入して使用するようになったことも、かなり裁判官の心証を悪くしていると思います。また、看護記録がつぶさに検討され、体位変換の記録が残っていないのは体位変換が行われなかったと認定されました。中には夜間一度も体位変換されなかった点が強調され、「3時間毎の体位変換といいながら、ちっともやっていなかったではないか」という判断に至ったと思われます。おそらく、体位変換したことをすべて看護記録に残すわけではないと思いますので、本当は体位変換を行っていたのかも知れず、この点は病院側に気の毒であったと思います。後々のためにも、記録はきちんと残しておく習慣を付ける必要があると思われます。現状では「2時間毎の体位交換」を完璧にこなすのが難しいのは、誰もが認めることではないかと思われます。そのため、なかなか難しい問題ではありますが、褥瘡に対しては医療者側は最大の努力を行っていることを患者側に示し、いったん褥瘡ができてしまっても、不用意な言葉は慎み、十分なコミュニケーションをとるのが現実的な対処方法ではないでしょうか。皮膚

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リハビリテーション中の転倒事故で死亡したケース

リハビリテーション科最終判決平成14年6月28日 東京地方裁判所 平成12年(ワ)第3569号 損害賠償請求事件概要脳梗塞によるてんかん発作を起こして入院し、リハビリテーションを行っていた63歳男性。場所についての見当識障害がみられたが、食事は自力摂取し、病院スタッフとのコミュニケーションは良好であった。ところが椅子坐位姿勢の訓練中、看護師が目を離したすきに立ち上がろうとして後方へ転倒して急性硬膜下血腫を受傷。緊急開頭血腫除去手術が行われたが、3日後に死亡した。詳細な経過患者情報既往症として糖尿病(インスリン療法中)、糖尿病性網膜症による高度の視力障害、陳旧性脳梗塞などのある63歳男性経過1997年1月から某大学病院に通院開始。1998年9月14日自らが購入したドイツ製の脳梗塞治療薬を服用した後、顔面蒼白、嘔吐、痙攣、左半身麻痺などが出現。9月15日00:13救急車で大学病院に搬送。意識レベルはジャパンコーマスケール(JCS)で300。血圧232/120mmHg、脈拍120、顔面、下腿の浮腫著明。鎮静処置後に気管内挿管し、頭部CTスキャンでは右後頭葉の陳旧性脳梗塞、年齢に比べ高度な脳萎縮を認めた。02:00その後徐々に意識レベルは上昇し(JCS:3)抜管したが、拘禁症候群のためと思われる「夜間せん妄」、「ごきぶりがいる」などの幻覚症状、意味不明の言動、暴言、意識混濁状態、覚醒不良などがあり、活動性の上昇がなかなかみられなかった。9月19日ベッド上ギャッジ・アップ開始。9月20日椅子坐位姿勢によるリハビリテーション開始。場所についての見当識障害がみられたものの、意識レベルはJCS 1~2。「あいさつはしっかりとね、しますよ。今日は天気いいね」という会話あり。看護記録によれば、21:00頃覚醒す。その後不明言動きかれ、失見当識あり夜間時に覚醒、朝方に入眠する。意味不明なことをいう時もある朝方入眠したのは、低血糖のためか?BSコントロールつかず要注意ES自力摂取可も手元おぼつかないかんじあり。呂律回らないような、もぐもぐした口調。イスに移る時めまいあるも、ほぼ自力で移動可ES時、自力摂取せず、食べていてもそしゃくをやめてしまう。ボオーッとしてしまう。左側に倒れてしまうため、途中でベッドへ戻す時々ボーッとするのは、てんかんか?「ここはどこだっけ」会話成立するも失見当識ありES取りこぼし多く、ほとんど介助にて摂取す9月21日09:00全身清拭後しばらくベッド上ギャッジ・アップ。10:30ベッド上姿勢保持のリハビリテーション開始。場所についての見当識障害あり「俺は息子がいるんだ。でもね、ずっと会っていないんだ」「家のトイレ新しいんだよ。新しいトイレになってから1週間だから、早くそれを使いたいなあ。まだ駄目なの?仕方ないねえ。今家じゃないの?そう。病院なの。じゃあ仕方ないねえ」11:00担当医師の回診、前日よりも姿勢保持の時間を延ばし、食事も椅子坐位姿勢でとるよう指示。ベッドから下ろしてリハビリ用の椅子(パラマウント社製:鉄パイプ製の脚、肘置きのついた折り畳み式、背もたれの高さは比較的低い)に座らせた。その前に長テーブルを置いて挟むように固定し、テーブルの脚には左右各5kgの砂嚢をおいた。12:00看護師は「食事を取ってくるので動かないでね」との声かけに頷いたことを確認し、数メートル先の配膳車から食事を取ってきた。準備された食事は自力でほぼ全部摂取。食事終了後、看護師は患者に動かないよう声をかけ、数メートル先の配膳車に下膳。12:30食後の服薬および歯磨き。このときも看護師は「歯磨きの用意をしてくるから動かないでね」、「薬のお水を持ってくるから動かないでね」と声をかけ、患者の顔や表情を観察して、頷いたり、「大丈夫」などと答えたりするのを確認したうえでその場を離れた。13:00椅子坐位での姿勢保持リハビリが約2時間経過。「その姿勢で辛くないですか」との問いに患者は「大丈夫」と答えた。13:10午後の検査予定をナース・ステーションで確認するため、「動かないようにしてね」と声をかけ、廊下を隔て斜め向かい、数メートル先のナース・ステーションへ向かった。その直後、背後でガタンという音がし、患者は床に仰向けで後ろ側に転倒。ただちに看護師が駆けつけると、頭をさすりながらはっきりした口調で「頭打っちゃった」と返答。ところが意識レベルは徐々に低下、頭部CTスキャンで急性硬膜下血腫と診断し、緊急開頭血腫除去術を施行。9月24日20:53死亡。当事者の主張患者側(原告)の主張1.予見可能性坐位保持リハビリテーションはまだ2日目であり、長時間のリハビリテーションは患者にとって負担になることが予見できた。さらに場所についての見当識障害があるため、リハビリテーション中に椅子から立ち上がるなどの危険行動を起こして転倒する可能性は予見できた2.結果回避義務違反病院側は下記のうちのいずれかの措置をとれば転倒を回避できた(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定する病院側(被告)の主張事故当時、患者は担当看護師と十分なコミュニケーションがとれており、「動かないようにしてね」という声かけにも頷いて看護師のいうことを十分理解し、その指示に従った行動を取ることができた。そして、少なくとも、担当看護師がナース・ステーションに午後の検査予定を確認しにいき戻ってくるまでの間、椅子坐位姿勢を保持するのに十分な状態であった。当時みられた見当識障害は場所についてのみであり、この見当識障害と立ち上がる動作をすることとは関係はない。したがって本件事故は予測不可能なものであり、病院側には過失はない。裁判所の判断1. 予見可能性事故当時、少なくとも看護師に挟まれた状態では自分で立っていることが可能であったため、自ら立ち上がり、または立ち上がろうとする運動機能を有していたことが認められる。そして、看護師の指示に対して頷くなどの行動をとったとしても、場所的見当識障害などが原因で指示の内容を理解せず、あるいはいったん理解しても失念して、立ち上がろうとするなどの行動をとること、その際に体のバランスを失って転倒するような事故が生じる可能性があることは、担当医師は予見可能であった。2. 結果回避義務違反転倒による受傷の可能性を予見し得たのであるから、担当医師ないし看護師は、テーブルを設置して前方への転倒を防ぐ方策だけではなく、椅子の後ろに壁を近接させたり、付添いを中断する時は椅子から立ち上がれないように身体を固定したり、転倒を防止するために常時看護師が付き添うなどの通常取り得る措置によって、転倒防止を図ることが可能であった(現に5kgの砂嚢2個を脚に乗せたテーブルを設置して前方への転倒防止策を講じていながら後方への転倒防止策は欠如していた)ので、医療行為を行う上で過失、債務不履行があった。2,949万の請求に対し、1,590万円の支払命令考察病院内の転倒事故はすべて医療過誤?今回の患者は、インスリンを使用するほどの糖尿病に加えて、糖尿病性網膜症による視力障害も高度であり、以前から脳梗塞を起こしていた比較的重症のケースです。そして、医師の許可なく服用したドイツ製の治療薬によって、顔面蒼白、嘔吐、左半身麻痺、てんかん発作を発症し、大学病院に緊急入院となりました。幸いにも発作はすぐに沈静化し、担当医師や看護師は何とか早く日常生活動作が自立するように、離床に向けた積極的なリハビリテーションを行ないました。このような中で起きたリハビリ用椅子からの転倒事故です。その直前の状況は、「ここはどこだっけ」といった場所に関する見当識障害はあったものの、担当医師や看護師とはスムーズに会話し、食事も自力で全量摂取していました。はたして、このような患者を担当した場合に、四六時中看護師が付き添って看視するのが一般的でしょうか。ましてや、看護師が離れる時は患者が転倒しないように椅子に縛り付けるのでしょうか?もし今回の転倒前にもしばしば立ち上がろうとしたり、病院スタッフの指示をきちんと守ることができず事故が心配される患者の場合には、上記のような配慮をするのが当然だと思います。しかし、今回の患者は、とてもそのような危険が迫っていたとはいえなかったと思います。ところが、判決では「場所に関する見当識障害」があったことを重要視し、この患者の転倒事故は予見可能である、そして、予見可能であるのなら転倒防止のための方策を講じなければならない、という単純な考え方により、100%担当医師の責任と判断しました。実際に転倒現場に立ち会わなかった医師の責任が問われているのですから、きわめて厳しい判決であると思いますし、このような考え方が標準とされるならば、軽度の認知症の患者はすべて椅子やベッドに縛り付けなければならない、などという極論にまで発展してしまうと思います。最近では、高齢者ケアにかかわるすべてのスタッフに「身体拘束ゼロ作戦」という厚生労働省の指導が行われていて、身体拘束は、「事故防止の対策を尽くしたうえでなお必要となるような場合、すなわち切迫性、非代替性、一時性の三つの要件を満たし、「緊急やむを得ない場合」のみに許容される」としています。確かに、身体拘束を減らすことは、患者の身体的弊害(関節拘縮や褥瘡など)、精神的弊害(認知障害や譫妄)、社会的弊害をなくすことにつながります。ところが実際の医療現場で、このような比較的軽症の患者に対し一時的にせよ(看護師が目を離す数秒~数十秒)身体拘束をしなかったことを問題視されると、それでなくても多忙な日常業務に大きな支障を来たすようになると思います。ただ法的な問題としては、「利用者のアセスメントに始まるケアのマネジメント過程において、身体拘束以外の事故発生防止のための対策を尽くしたか否かが重要」と判断されます。つまり、入院患者の「転倒」に対してどの程度の配慮を行っていたのか、という点が問われることになります。その意味では、患者側が提起した、(1)リハビリテーション中は看護師が終始付き添う(2)看護師が付添いを中断する際、リハビリテーションを中断する(3)長時間の坐位保持のリハビリテーションを回避する(4)車椅子や背丈の高い背もたれ付きの椅子を利用する、あるいは壁に近接して椅子を置くなど、椅子の後方に転倒しないための措置をとる(5)リハビリテーション中に立ち上がれないように、身体を椅子にベルトなどで固定するという主張も(若干の行き過ぎの感は否めませんが)抗弁しがたい内容になると思います。事故後の対応そのような考え方をしてもなお、このケースは不可抗力という側面が強いのではないかという印象を持ちます。今回事故が起きたのは大学病院であり、それなりに看護計画もしっかりしていたと思いますし、これが一般病院であればなおさら目の行き届かないケースがあり、事故発生のリスクはかなり高いと思います。そして、今回のケースが院内転倒事故に対する標準的な裁判所の判断になりますので、今後転倒事故で医事紛争にまで発展すると、ほとんどのケースで病院側の過失が認められることになるでしょう。とはいうものの、同様の転倒事故で裁判にまでいたらずに解決できるケースもあり、やはり事故前の対策づくりと同様に、事故後の対応がきわめて重要な意味をもちます。まずは入院時に患者および家族を教育し理解を得ることが肝心であり、転倒が少しでも心配されるケースにはあらかじめ家族にその旨を告知し、病院側でも転倒の可能性を念頭に置いた対応を行うことが望まれます。と同時に、高齢者を多く扱う施設では賠責保険を担当する損害保険会社との連携も重要でしょう。たとえば、小さな子供を扱う保育園や幼稚園では、子供同士がぶつかったり転倒したりなどといった事故が頻繁に発生します。その多くがかすり傷程度で済むと思いますが、中には重度の傷害を負って病院に入院となるケースもあります。そのような場合、保護者から必ずといって良いほど園の管理責任を問うクレームがきますが、保母さんにそこまで完璧な対応を求めるのは困難ではないかと思います。そこで施設によっては、治療費や慰謝料を「傷害保険」でまかなう契約を保険会社と交わして事故に備えるとともに、場合によってはその保険料を家族と折半するなどのやり方もあると思います。このような方法をそのまま病院に応用できるかどうかは難しい面もありますが、結局のところ最終的な解決は「金銭」に委ねられるわけですから、「医療過誤」ではなく不慮の傷害事故として解決する方が、無用なトラブルを避ける意味でも重要ではないかと思います。リハビリテーション科

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第1回 医療水準:未熟児網膜症事件

■今回のテーマのポイント1.過失とは、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に満たない診療を行ったことである2.新規治療法が全国に普及していく過程においては、医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して医療水準を判断する3.このことは、すでに普及している治療法についても同様に判断される事件の概要原告出生時においては、未熟児網膜症について、各種研究報告がなされており、その存在は認識されてきているものの、いまだ(旧)厚生省において、診断と治療に対する研究班が組織されている最中であり、報告書等もまだ出ておらず、また、未熟児網膜症の診断と治療につき、研修を受けられる施設もほとんどありませんでした。このような時期において、原告に対する未熟児網膜症の発見が遅れたため、両眼ともに視力が0.06となった事案について、被告の眼底検査義務、診断治療義務、転医義務違反が争われました。事件の経過原告は、昭和49年12月11日に妊娠31週、体重1508gで出生しました。原告は、被告病院において、保育器にて酸素投与等を受け、翌年1月23日に保育器より出て、2月21日に退院しました。その間、原告に対し、眼底検査は12月27日に1回行われ、「格別の変化がなく、次回検診の必要なし」とされていました。その後、3月28日に眼底検査を行った際も、「異常なし」と診断されたものの、4月9日の眼底検査上、異常が認められ、同月16日に他院を紹介受診したところ、両眼とも未熟児網膜症瘢痕期3度であると診断されました。最終的に原告の視力は両眼とも0.06となりました。原告出生時においては、未熟児網膜症について、各種研究報告がなされており、被告病院でも、その存在は認識され眼科医と協力し、未熟児網膜症を発見した場合には転医する体制をとっていました。しかし、いまだ未熟児網膜症に対する光凝固療法は有効な治療法として確立されているとは言えず、(旧)厚生省においても診断と治療に対する研究班が組織されている最中であり、報告書が公表されたのは昭和50年8月以降でした。また、未熟児網膜症の診断と治療につき、医師が研修を受けられる施設はほとんどなく、実際に被告病院眼科医も研修を受けていませんでした。事件の判決当該疾病の専門的研究者の間でその有効性と安全性が是認された新規の治療法が普及するには一定の時間を要し、医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性、医師の専門分野等によってその普及に要する時間に差異があり、その知見の普及に要する時間と実施のための技術・設備等の普及に要する時間との間にも差異があるのが通例であり、また、当事者もこのような事情を前提にして診療契約の締結に至るのである。したがって、ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない。そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである(最判平成7年6月9日第民集49巻6号1499頁)ポイント解説民事医療訴訟において、損害賠償責任が認められるためには、不法行為(民法709条※)の要件である(1)過失(故意は稀有)、(2)損害、(3)(過失等と損害の間に)因果関係が認められなければなりません。そして、医療訴訟における過失とは、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に満たない診療を行ったことと考えられています(最判昭和57年3月30日民集135号563頁)。一方で、わが国の医療提供体制は、大きく1次医療機関から3次医療機関まで定められており、それぞれの医療機関が有する診断機器等物理的設備に大きな差があることから、必然的に診断・治療能力に差が生じます。もちろん、診察の上、高次の医療機関による診療を行うべきと判断された場合には、転医を行うこととなりますが、致命的な希少疾患であっても、症状・所見に乏しい場合も多々あること、基礎となる診断機器等物理的設備に制限もあることから限界があるといえましょう。そこで、法的に求められる「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」が、医療機関の性格、所在地域等を問わず一律の水準が求められるのかが問題となります。本判決では、「新規治療法においては、ある一つの時点を境に、全国すべての医療機関に対して、一律に医療水準とするというのではなく、現実的に各医療機関に順次伝達していくという事情を踏まえ、医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべき」と判示しました。しかし、本判決はガイドラインが作成されている等、すでに一定程度普及していると考えられる診断・治療については、医療機関の性質を問わず、一律の水準が求められ、ただ転医義務の問題が生ずるにすぎないと考えるのか、そうではなく現実に基づき、各医療機関の性質によって求められる水準が異なると考えるのかについては、言及していませんでした。ただ、その後の判決において、本判決を引用して、「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最判昭和57年3月30日民集135号563頁)。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」(最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁)と判示しており、これが現時点における医療水準についての判例となっていることから、現実に基づき「各医療機関の性質によって求められる水準が異なると考えられている」といえます。※参照条文(不法行為による損害賠償)第709条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。裁判例のリンク次のサイトでさらに詳しい裁判の内容がご覧いただけます(出現順)。最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁最判昭和57年3月30日民集135号563頁最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁

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