8.
医療に必要不可欠な輸血療法の歴史は、肝炎やGVHDに代表される輸血後合併症との戦いの歴史でもある。多くの先人・関係者の研究とご尽力により、昨今、上記合併症は激減し、日本赤十字社の公式発表によれば、たとえば肝炎は2012年B型6例・C型ゼロ、2013年B型7例・C型1例、2014年B型2例・C型ゼロである。何よりも私たちは、このことに感謝しなければならない(もちろん、表面化していない症例はあるであろうが)。ただ、まれながら経験あるいは見聞した劇症肝炎やGVHDのすさまじさで、医療者、とくに輸血を頻用してきた心臓外科医はPTSDになっている。上記2つ以外の合併症も、遅発性溶血は1/2,500、急性肺障害1/5,000~10,000、アナフィラキシー8/100,000(いずれも対1単位)と学んでもなお恐れ、無輸血にこだわっている。 ウインドウ期の献血でHIV感染が1例起きて大騒ぎになったのは2013年。もう4年あまり前のことで、以降1例も報告されていないが、「いやいや、未知の病原体だってありうる」とこだわっている。 さらに、しばしばオーバーな報道に振り回されがちな患者さんたちが「無輸血」と聞くと喜ぶこともあるが、誇り高き心臓外科医が無輸血にこだわる、もう1つ大きな理由を率直に記すと「手術が上手→出血が少ない→無輸血」という図式である。別に同業者を揶揄するのではなく、たとえば当院での2017年11月の開心術は全例無輸血だったので、ためしにこの時期の14例(平均62歳)を集計すると、当日Hb9.9g/dL(7.7~11.3)、大抵2病日に最低となりHb8.3g/dL(7.3~11.1)。とくに6例が女性で、ACSが3例、DAPT中の症例も1例いたことを思うと、われわれもご多分に漏れず相当こだわっている。ただし多くの論文が指摘するように、無輸血と最も相関する因子は術前Hbで、当院の14例も13.6g/dL(10.7~16.6)と、術前から基準値を下回っていたのは2例のみだった。 一方、重症貧血では組織への酸素供給が不十分になる。無輸血にこだわることの安全性はとても重要で、最低Htと術後死亡率、入院期間、諸合併症率の相関を指摘する有名施設の論文もあり、心臓外科医は「どこまでこだわってよいか?」に強い関心がある。 そういった心臓外科医にとって、実に隔靴掻痒の論文である。 この北米中心の国際多施設共同研究(ちなみに中国・インドなどアジアの施設も参加しているが、本邦の施設は含まれていない)は、われわれが知りたい、無輸血の是非を論じたものでもなく、どの程度の貧血まで粘ってよいかを論じているのでもなく、輸血に踏み切るHb値をいくつに設定するかで比較しているにすぎない。だから制限輸血群でも52%が輸血をしているし、自由輸血群は73%。つまり自由群も1/4以上は無輸血なのだ。逆に、制限群に割り付けられたが、自由群だとしても無輸血でいけた症例も多いはずだ。 もっとがっかりするのは、この論文の言う輸血は「赤血球」限定で、FFPは両群とも25%前後、血小板は30%弱投与されており、何ら差がない。これはわれわれの言う無輸血とは異なるだけでなく、たとえばアナフィラキシーを含むアレルギーは圧倒的に血小板、次いでFFPに多いのだがまったくお構いなし。どちらも自由群である。 とどめは、この論文のエンドポイントに輸血合併症が含まれていないことで、これは国際共同研究のアキレス腱と言うべきか。今でもインドなどでは売血が一般的なようで、輸血合併症の頻度もさまざまで致し方ないのだろうが、強烈な肩すかし感が残る。せん妄とか痙攣なんてエンドポイントで差が出るわけがない。 で、結論は「どちらのHb設定でも大きな差はない」とのこと。さもありなん、である。 なお輸血は、国や施設によってはコストも大いに関係する。本邦の薬価、1単位当たり赤血球 約8,600円、FFP 約9,000円、血小板 約7,800円に対するご意見はさまざまだが、安全性の担保から街角で終日献血を呼びかける職員に至るまで、関係各位のご努力への感謝を忘れるべきでないと私は思う。